SSブログ
心の小径 ブログトップ
前の20件 | -

論語 №119 [心の小径]

三七一  子、磬(けい)を衛(えい)に撃(う)つ。簣(き)を荷(にな)いて孔氏の門を過ぐる者あり。いわく、心あるかな磬を撃つやと。既にしていわく、鄙(いや)しきかなコウコウ乎(こ)たり。己を知ることなくんばこれやまんのみ。深ければすなわち厲(れい)し、浅ければすなわち掲すと。子のたまわく、果なるかな。これ難さことなし。

           法学者  穂積重遠

 「磬」は矩形(かねがた)の石をつるした打楽器。朝鮮李王家の楽部で、「編磬」とて一オクターブをなす十二律の磬を連ねけた珍しい楽器を見たことがある。「編鐘」というのもあった。「深きときは厲し、浅きときは掲す。」は『詩経』の句。水が深ければ下ばきをぬぎ、水が浅ければ裾をまくる。臨機応変に行動するの意。

 孔子様が衝に滞在中、つれづれなるままに磬を打って楽しんでおられた。すると旅宿の門前をモツコをかついで通りかかった賎の男(しずのお)が それを聞きつけ、「ハテ心ありげな磬の打ちようかな。」としばらく耳を傾けていたが、「どうもコチコチしたいやしい音色じゃ。天下国家を忘れ得ずして知られず用いられざるをなげく気持があらわれているが、知られず用いられなければやめるだけの話じゃないか。『深ければ厲し、浅ければ掲す。』という詩があるが、この人は背も立たぬ深い川を着物をきたまま渡ろうとするわい。」こう言いすてて行ってしまった。門人がそれを聞いて、ただいまこうこう申して通り過ぎた者がござりました、と申し上げたところ、孔子様が歎息しておっしゃるよう、「さても思い切りのよいことかな。そう思い切れるくらいならば、何もむつかしいことはない。」

 実にいい文章で、一場の好寸劇だ。古証にいわく、「聖人の心は天地に同じ。天下を視ること猶(なお)一家の如く、中国猶一人の如し、一日も忘るること能わざるなり。故に責を荷う者の言を聞いて、その世を忘るるの果なるを歎じ、且(かつ)人の出所、もしただかくの如くんばすなわち難き所なきを言えるなり。」

三七二 子張いわく、書に云う、高宗諒陰(りょうあん)三年言わずとは、何の謂(いい)ぞや。子のたまわく、何ぞ必ずしも高宗のみならん、古の人皆然り。君コウずれば、百官己を総(す)べて、以て冢宰(ちょうさい)に聴くこと三年なり。

 「書」は『書経』の周書無逸篇。「高宗」は殷の中興の王武丁(ぶてい)。「諒陰」は諒闇、人君(じんくん)が喪にあること。「冢宰」は太宰(たいさい)、すなわち総理大臣。

 子張が、「『書経』に『高宗諒陰三年言わず』とありますが、どういうわけでありますか。三年の喪中であっでも、君が全然命令を出さなかったら、国政が動かないではござりますまいか。」とおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「必ずしも高宗のみであろうか。昔の人は皆そうであった。君主がコウ去(こうきょ)になると、百官が各自の職務を引き綿めて首相の指揮に地うこと三年であったから、その間君主が喪にあって『三年言わ
ず』でも、囲政には差支えなかったのじゃ。」

三七五 子のたまわく、上礼を好めば、すなわち民使い易し。

 孔子様がおっしゃるよう、「上に立つ為政者が礼を好んで民に臨めば、人民もその風に化せられて礼を好むに至り、上下の分が定まって、統治しやすくなるものぞ。」

『新訳論語』 講談社学術文庫


nice!(1)  コメント(0) 

批判的に読み解く歎異抄 №27 [心の小径]

『異議編の批判的読解~歎異抄の著者唯円の立場』を掲載するにあたり、「全体の構成」中の註・資料を省略しましたが、「おわりに」に入る前に改めて註、資料の部分を付記して紹介します。
 
歎異抄の構成
         立川市光西寺住職  寿台順誠

2、「師訓篇」及び「異義篇」の構成と両者の関係

次に「師訓篇」と言われる最初の一条から十条までは、どういう並びになっているのか、どういう仕組みでできているのかってことについて、関連する四人の学者、すなわち、香月院探励(4)、妙音院了祥、藤秀曙(5)、早島鏡正(6)の見方を配布資料の5-6頁に記しておきましたので参考にして下さい。
 また、「異義篇」についても、どういう順序で並んでいて、どう分類されるかということについて、四人の学者、すなわち妙音院了祥、妙音院了祥、藤秀曙(7)、梅原真隆(8)、早島鏡正(9)の説を配布資料の6-7頁に並べ、関連する書物を注に載せておきましたので、随時参照でぃてください。

(4)探励は、『欺異抄』全十八ヵ条の大綱は「勧信誠疑」(信を勧め疑を誠めること)であるとするが二条をその「勧信誠疑」を説く総論的な条文とした上で、二条が「勒信」を説く条文二二条を一条の言う「弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず」を表す条文、四条~八条を一条の「念仏にまさるべき善なきゆゑに」を示す条文、九条を「悪をもおそるべからず」を表現する条文、そして十条を「結び」の条文としている(香月院深励「欺異抄講林記上・下」一八一七年『真宗体系』1930年、23巻386-389頁、24巻27頁)。

(5)藤は、「とおおせそうらいき」という言葉が二カ所(三条と十条)あることに着目して、「師訓篇」を大きく二つに分け、まず一条~三条を「唯信」を説く条文、次に四条~九条を「唯称」を説く条文だとしている。また、一条を「誓願章」、二条を「念仏車」、三条を「往生章」と呼んで、これらは信仰の「体」(絶対性)を示し、「我と仏(法)の関係」を明らかにする条文、四条を「慈悲章」、五条を「回向章」、六条を「自然章」と呼び、これらは信仰の「相」(柔軟性)を「我と人との関係」において説く条文、七条を「無碍章」、八条を「非行章」、九条を「歓喜章」と呼び、これらは信仰の「用」(弾力性)を自己そのものの内面生活に即して説く条文であるとして、最後の十条を「無義章」と呼んで前九か条の結びをなすものだとしている(藤秀曜『歎異抄講讃』百草苑、1998年〔八版〕、539-540頁。他に、211貢、268-269百、344-345頁、382百、518-519頁、551頁、845-848頁参照)。

(6)早島は、一条を「他力のすくい」、二条を「ただ念仏して」、三条を「悪人正機」、四条~六条を「真実の愛」、七条~十条を「念仏に生きる人びと」 を表すものだと分類している (早島鏡正『欺異抄を読む』講談社、1992年)。

(7)藤は、「異義篇」各条につき、十一条を「名号」、十二条を「学問」、十五条を「報土」、十七条を「辺地」を主題とする条文として、これらの条文で批判される異義を「誓願派・理論派・哲学派・観念派・高踏派」 の異義と呼び、十三条を「宿業」、十四条を「報謝」、十六条を「廻心」、十八条を「法身」を主題とする条文として、これらで批判される異義を「専修派・実行派・倫理派・功利派・常識派」と呼んでいる(藤前掲書、31-32百、34-36頁、104頁)。

(8)梅原は、「異義篇」を「概念化の異義」(観念的な「智」を固定化し、誓願不思議を信ずる者)と「律法化の異義」(実践的な「行」を功利化・律法化し、名号不思議を信ずる徒) に大別し、十一条(誓名別執の異義)・十二条(学解往生の異義)・十五条(即身成仏の異義)・十七粂(辺地堕獄の異義)が前者に、十三条(怖畏罪悪の異義)・十四条(念仏滅罪の異義)・十六条(自然廻心の異義)・十八条(旛呈分報の異義)を後者に配当している (梅原真隆『欺異抄』宝文館出版、1989年、15123貢。他に、梅原真隆『大蔵経講座 正信侶講義・欺異紗講義』東方書院、1933年、207-217貢‥同『歎異妙の意訳と解説』親鸞聖人研究発行所、1928年〔十七版〕、187-205等参照)。

(9)早島も「異義篇」を「概念派の流れに属するもの」と「律法派の流れに属するもの」に分けて梅原真隆の見解をほぼそのまま踏襲している (早島前掲書)。

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より異抄の構成


nice!(1)  コメント(0) 

論語 №118 [心の小径]

三六八 公伯寮(こうはくりょう)、子路を季孫(きそん)に愬(うった)う。子服景伯以て告げていわく、夫子もとより公伯寮に惑志(わくし)あり。わが力なお能くこれを市朝に肆(さら)さん。子のたまわく、道の将に行われんとするや命なり。道の将に廃(すた)れんとするや命なり。公伯寮それ命を如何せん。

          法学者  穂積重遠

  「公伯寮」は魯の人。『史記』には門人の一人のように書いてあるが、そうではないらしい。
  「子服景伯」は魯の太夫。子服は氏、景ほおくり名、伯は字。名は何。「肆」は罪人の死骸をさらしものにすること。「大夫は朝においてし、士民は市においてす。」とある。

 公伯寮が子路を李孫に讒言した。子服景伯が憤慨してこれを孔子に告げ、「李孫は元釆公伯寮を疑っているのですから、私の力でもかれを誅(ちゅう)して、街頭なり役所なりにさらしものにすることができます。やっつけてしまいましょう。」といきまいた。孔子が言われるよう、「イヤイヤ捨ておかれい。道が行われるのも天命です。道がすたれるのも天命です。公伯寮ごときが天命をどうし得ましょうぞ。ご心配あるな。子路も安心せい。」

  「夫子もとより云々」を、李孫は公伯寮に迷わされて子路を疑う気持があるから打捨ておかれません、の意味に解する人もあるが、日本文に読み下しての口調からいうと、どうもそうではないらしい。

三六九 子のたまわく、賢者は世を辟(さ)く。その次は地を辟く。その次は色を辟く。その次は言を辟く。子のたまわく、作(た)つ者七人。

 二章にした本もあるが、後段がそれだけでは意味をなさぬ放接続させた。

 孔子様がおっしゃるよう、「賢人が仕えずに避け隠れる場合が四つある。第一は、天下無道なれば隠れる。第二に、乱国を去って治邦に行く。第三に、君の容貌態度が礼を失えば去る。第四に、君を諌めて意見が合わなければ退く。かような行動をとった昔の賢人が七人ある。」

  「七人」をかぞえ立てる人もあるが、結局当推量(あてすいりょう)だ。前にもいったようにこの辺は中国当時の国情についての話故、深く論ずることもあるまい。「その次」「その次」とあるところをみると早く見限りをつけた方がより賢明、という意味がありそうだ。しかし孔子様自身この「賢人」たちにならおうとはされなかったのである。

三七〇 子路、石門に宿す。晨門(しんもん)いわく、いずれよりする。子路いわく、孔氏よりす。いわく、これその不可なるを知りてこれを為す者か。

 「晨門」は早朝に開門する役、すなわち門番。

 子路が魯の国境の石門という関所の手前に一泊して、翌朝門を通ろうとしたら、門番が「どこから来たか。」とたずねた。子路が「孔家の者だ。」と答えたところ、門番の言うよう、「それではあのだめだと知りながらあちこちしている人の所からか。どうもご苦労様なことじゃ。」

 「展門」も前章「七人」の類であろう。この門番や次章のモツコかつぎのように、「だめだと知りながら」とひやかす「賢人」たちが相当あったらしいが、「だめだと知りながら」やむにやまれぬところが孔子様なのだ。古註にいわく、「晨門は世の不可なるを知って為さず。故にこれを以て孔子を譏(そし)る。然れども聖人の天下を視(み)ること為すべからざるの時なきを知らざるなり。」

『新訳論語』 講談社学術文庫




nice!(1)  コメント(0) 

批判的に読み解く歎異抄 №26 [心の小径]

『異議編の批判的読解~歎異抄の著者唯円の立場』を掲載するにあたり、「全体の構成」中の註・資料を省略しましたが、「おわりに」に入る前に改めて註、資料の部分を付記して紹介します。


歎異抄の構成

1、全体の構成
 まず『歎異抄』全体の構成を通説(『欺異抄(文庫判)現代語訳付き』本願寺出版社、2002年、150頁)に従って確認しておくと、『歎異抄』という題号(名)の後、最初にこの部分だけ漢文で書かれた「前序」、次に親鸞聖人の語録である「師訓篇」が一条~十条まで続いています(本願寺派『浄土真宗聖典』831-837頁:大谷派『真宗聖典』626-630頁)。この十条は「「念仏には無義をもって義とす。不可称不可説不可思議のゆえに」とおおせそうらいき」となっており、前回確認した三条同様、「おおせそうらいき」で終わっていて「と云々」が省かれていると見ることができますので、これは法然上人が仰せになったという意味だと受け取ることができます。
そしてその後、「そもそもかの御在生のむかし…」から十一条の前までのところに「中序」或いは「別序」と呼ばれるくだりがあって、そしてそこに「上人(親鸞)のおおせにあらざる異義どもを、近来はおおくおおせられおうてそうろうよし、つたえうけたまわる。いわれなき条々の子細のこと」とありますが、この「中序」に続き十一条以下にそうした「異義」「いわれなき条々」に対する批判が述べられておりますので、十一条~十八条までを「異義篇」と言うわけです(本願寺派『浄土真宗聖典-註釈版第二版-』837~851頁:大谷派『真宗聖典』630-639頁)。さらにその後、「後序」(いわば「あとがき」)があって、最後に「承元の法難の顛末」(流罪の記録)が付されています(本願寺派『浄土真宗聖典-註釈版第二版-』851-856頁‥大谷派『真宗聖典』 639-642頁)。この「流罪の記録」については載せていない写本もありますが、全体の構成については大体こういう見方が一般的だと言えます。
『歎異抄』全体の構成に関する通説以外の他の見方については、後ほど時間があれば若干触れるかもしれませんが、今日は詳しく立ち入ることはできません。そこで、配布資料の4-5頁に、通説のほか佐藤正英説(1)、近角常観説(2)、西田真因説(3)を紹介しておきました。関心のある方は目を通しておいて下さい。

(註1)佐藤はもともと『歎異抄』は、まず①別序(通説の「中序又は別序」)、②十一条~十八条(通説の「異義篇」)、③後序(通説「後序」の前半部分)が『異義条々』として一冊にまとめられ、次に④和文序(通説「後序」の後半部分)、⑤漢文序(通説の「前序」)、⑥一条~十条(通説の「師訓篇」)、⑦流罪の記録としてまとめられた部分であるいわゆる『歎異抄』という二冊から成っていたと主張している(佐藤正英『(定本)歎異抄』青土社、2006年、137‐150頁)同『歎異抄論釈』青土社、2005年、107‐231頁)。
(註2)近角は上段(一条~十条の語録)と下段(十一条から十八条の欺異)に分け、一条と十一条、二条と十二条、以下次第して九条と一九条が前後照応していると見る『歎異抄』の捉え方を提唱している。「師訓篇」を九箇条と見るもので、十条は「異義の徴標」とする(近角常観『欺異抄愚注』山善房書林、1981年。なお、曽我量深「歎異抄聴記」『曽
我量深選集第六巻』弥生書房、1979年〔五版〕、70‐71頁も参照)。
(註3)西田は「師訓篇」を八条までとし、「師訓篇」と「異義篇」は逐一対応しているとは言えないが、いずれも八箇条あるという形で数的に総体として対応しているとする。そして、九条を「師訓篇」の後序と見ており、十条を二つの部分に分割するのは間違いだとしている(『西田真因著作集第一巻欺異抄論』法蔵館、2002年、3‐37頁)。

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


nice!(1)  コメント(0) 

論語 №117 [心の小径]

三六五 子のたまわく、驥(き)はその力を称せず、その徳を称するなり。

           法学者  穂積重遠

 名馬は冀北(きほく)に慶するというところから、「驥」という。

 孔子様がおっしゃるよう、「名馬というのは、日に千里を走るというようなその力をほめるのではなくて、順良で悪癖がないというその徳をたたえるのじゃ。」

 もちろん人にたとえたのだが、「いわんや人においてをや」というような蛇足を添えないところが、『論語』の文章の簡潔さである。

三六六 或ひといわく、徳を以て怨(うら)みに報いば何如。子のたまわく、何をもってか徳に報いん。直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。

 ある人が、「怨みに報いるのに徳をもってしたらどんなものでしょうか、実に高尚な ことと思いますが。」とおたずねしたところ、孔子様がおっしゃるよう、「怨みに報いるに徳をもってするなら、徳に報いるには何をもってしたらよいだろうか。釣合いの取れぬことになりそうだ。怨みに報いるには公平無私の正しき道をもってし、徳に報いるに徳をもってすべきじゃ。」

 老子は「怨みに報ゆるに徳を以てす」と言い(恩始章)、キリストは「汝らの仇を愛し汝らを責むる者のために祈れ。」と説く(マタイ伝五の四四)。理想主義としてまた宗教心としては正に然(しか)あるべきだが、孔子様の教は実際的、常識的で凡人のできそうなところをねらう。しかしわれわれ凡人としては、むしろ老子流・キリスト流に心がけて辛うじて孔子流までゆけるのではないだろうか。終戦後特に男を上げたのは蒋介石である。日本に対するその態度は、正に「直きを以て怨みに報いる」もののようだ。

三六七 子のたまわく、われを知ることなきかな。子貢いわく、何すれぞそれ子を知ることなからんや。子のたまわく、天を怨みず、人を尤(とが)めず、下学(かがく)して上達す。われを知る者はそれ天か。

 これは孔子様七十一歳の時のこと。「とうとうわしを知ってくれる者がなかったことかな。」と歎息された。そこで子貢が慰め顔に、「どうして先生を知らない者がござりましょうや。私ども門人をはじめ天下の心ある者は皆先生の聖人たることを知って、随喜渇仰(ずいきかつごう)していることでござります。」と言った。すると孔子様がおっしゃるよう、「イヤイヤ、わしが言うのはわしを知って国政をまかせてくれる国君がなかったことをいうのだが、わしの理想なる先王の道を現代に行うことができなかったのを遺憾とするので、人に知られなかったことを怨むのではない。知られようと知られまいと用いられようと用いられまいと、いずれも天命だから、わしは天をも怨まず人をもとがめず、下(しも)は卑近な人事から学び始めて、上(かみ)は高尚な天理まで一通りきわめつくしたこと故、わしはそれで満足で、たとい人は知らずとも、わしを知ってくれるのは天であると確信して、天命に安んじているぞよ、心配するな。」

 「何すれぞ子を知ることなきか」とよむ人もあって、それだと、「どうして先生を知らないのでしょうか」ということになり、子貢の言葉の意味は違ってくるが、いずれにしても孔子様の言葉には変りがない。伊藤仁斎いわく、「何をか天これを知ると謂(い)うや。いわく天に心なし、人の心を以て心となす。直なるときはすなわち喜び、誠なるときはすなわち信ず。理到るの言は、人服せざること能わず。これ天下の公是にして、而して人心の同じく然る所、これを以て自ら楽しむ。故にいわく、われを知る者はそれ天かと。この理や磨(す)れどもウスロがず、摧(くだ)けども毀(こぼ)たれず。当時に赫著(かくちょ)ならざりしと錐も、然れども千載(せんざい)の下必ずこれを識る者あり。これ聖人の自ら恃(たの)みて欣然(きんぜん)として楽しみ、以てその身を終えし所以なり。」

『新訳論語』 講談社学術文庫




nice!(1)  コメント(0) 

批判的に読み解く歎異抄 №25 [心の小径]

異義篇をどう読むか―『歎異抄』の著者(唯円)の立場
 
        立川市・光西寺住職  寿台順誠

①十七条-辺地堕獄

 さて最後の十七条は少々ややこしい条文です。これは短いですから全文読んでおきましょう。

 辺地の往生をとぐるひと、ついには地獄におつべしということ。この条、いずれの証文にみえそうろうぞや。学生だつるひとのなかに、いいいださるることにてそうろうなるこそ、あさましくそうらえ。経論聖教をば、いかようにみなされてそうろうやらん。信心かけたる行者は、本願をうたがうによりて、辺地に生じて、うたがいの罪をつぐのいてのち、報土のさとりをひらくとこそ、うけたまわりそうらえ。信心の行者すくなきゆえに、化土におおくすすめいれられそうろうを、ついにむなしくなるべしとそうろうなるこそ、如来に虚妄をもうしつけまいらせられそうろうなれ。

  これは非常に読み難く、また分かり難い文です。親鸞は『教行信証』「化身土巻」において自らの求道の過程を、自力の修行をして浄土に往生しようとする段階(阿弥陀仏の四十八願中、十九願)から、念仏していてもそこに自力が混じっている段階(二十願)を経て、他力の信心を獲得する段階(十八願)への過程を「三願転入」として描いておりますが(本願寺派『浄土真宗聖典413頁‥大谷派『真宗聖典』356-357頁)、このことを唯円は以上のように「信心かけたる行者は、本願をうたがうによりて、辺地に生じて、うたがいの罪をつぐのいてのち、報土のさとりをひらくとこそ、うけたまわりそうらえ」と記しているのだと思います。ところが、浄土のど真ん中じゃなくてその端っこ(辺地)にしか往生できない人は「結局、地獄に落ちるよ」という異義を言っている人がいるので、それを唯円は批判しているのですね。
 ここで唯円が言っていることは教義的にはおかしくないと思います。けれども、そういうことを言っている異義者が、要するに「造悪無碍」に属する人かどうかが問題で、そうは読めないと私は思います。これは実を言うと日蓮の存在を考慮しないと分からないことです。そうでないと、『歎異抄』には読めない箇所がいくつかあるのです。例えば二条の「たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に落ちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」という有名な親鸞の言葉もそうです。これは、はるばる関東の地から晩年京都に帰った親鸞のところに、「おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう」門弟達に親鸞が言っている言葉ですが、誰かが「念仏したら地獄に落ちるよ」と言っていたので、それで門弟達はわざわざ聞きに来たのじゃないですか。それで当時関東で「念仏したら地獄に落ちる」などと言っていた人は誰かって言うと、それは日蓮以外には考えられません。確かに念仏以外の教えが聞きたければ、「南都北嶺にも、ゆゆしき学生たち」、つまり偉い学者さん達が大勢居るからそっちに行って聞いてくれと親鸞は言っています。しかし、いわゆる「旧仏教」の学者さんたちにしても、天台宗でも真言宗でも奈良仏教でも、念仏したら地獄に落ちるなんて言ってないのです。だから日蓮の存在をおかないと『歎異抄』には読めないところがあるわけです。そして十七条もそうしたところだと思うのです(『歎異抄』の歴史的背景として日蓮の存在に言及するものとして、藤秀昭『欺異紗講讃』百華苑、1998年〔八版〕、132-134頁‥梅原真隆『欺異抄』宝文館、1989年、161-163頁参照)。
 このように十七条を読むならば、ここには「造悪無碍」に対する批判は認められません。日蓮はむしろその対極にいるような人でしょう。ですから、十七条で批判の対象となっている異義は聖道門の立場からのものだと思われますので、「専修賢善」に近いものだと言ってもよいのではないでしょうか。
 私は以上のことを取りまとめて、「誓名別信計」と言われている十一条・十二条・十五条・十七条には、どこにも「造悪無碍」に対する批判は見当たらないということを申し上げたいのです。従来、『欺異抄』を高く評価してきた人たちは皆、この四か条でもって唯円がバランスよく「専修賢善」だけじゃなくて「造悪無碍」も批判していますよ、というふうに読みたかっただけなのではないでしょうか。予めバランスが取れた人だと決めてかかって、後でそれに合わせて盛り付けしているようなものです。ところが、一見せっかく上手に盛り付けして下さって、例えばハンバーグとサラダがバランスよく置いてあるように見えるのですが、実はよく見るとハンバーグの方は本物で出来ているのに、サラダの方は蝋か何かで出来ているようなものです。結論として、『欺異抄』からは「専修賢善」に対する批判はどこからでも取り出すことが出来るけれども、「造悪無碍」に対する批判は見当たらないということを強調しておきたいと思います。

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


nice!(1)  コメント(0) 

論語 №116 [心の小径]

三六二 子のたまわく、人の己を知らざるを患えず、己の能(よ)くするなきを患う。

           法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「人が自分を知らないことを心配するな。自分に知られるだけの他力の脳力のないことを心髄せよ.」

 これは孔子様がいつも言われることで、外にも同趣旨が三カ所に出ているが 二六・八〇・三九四)、いちいち文句がちがう。

三六三 子のたまわく、詐(いつわ)りを逆(むか)えず、信せられざるを億(はか)らず、そもそも先ず覚(さと)る者はこれ賢か。

 古註に「逆は末だ至らずしてこれを迎うるなり、億は末だ見ずしてこれを意(おも)うなり。」とある。今日の「先覚者」という言葉はここから出ているのだろうが、多少意味がちがう。ここの先覚はむしろ「直感」というような意味。

 孔子様がおっしゃるよう、「人が自分をだましはせぬかとこちらからあらかじめ迎えてかかったり、人が自分を疑って信用せぬのではないかと取越苦労したりしないで、正心誠意に人に接しながら、しかも相手のいつわりや疑いが鏡のごとくこちらに映るようになったら、それこそ賢人というものだろうか。」

三六四 微生畝(びせいほ)、孔子に謂(い)いていわく、丘(きゅう)よ、何ぞこの栖栖(せいせい)たる者を為すか。すなわち佞(ねい)を為すことなからんや。孔子いわく、敢えて佞を為すにあらず、固(こ)を疾(にく)むなり。

 「微生畝」については、荻生徂徠が「何人たるかを知らず。けだし亦(また)郷先生にして、孔子において先輩たり。何ぞや、その孔子を名いうを以てなり。」と言っている。人生を超越して独り高しとする老荘者流であろう。

 微生畝が孔子に向かって、「丘よ、何だってそんなにアクセクしているのか、いたずらに弁を好むきらいがあるではないか。」と言った。孔子が風に柳と受け流して、「イヤ弁を好むわけではありませんが、独善にこりかたまって世間を白眼視することがきらいだものですから。」

 天下を憂え生民を愛して、東奔西走される孔子の素志悲願を知らずして冷笑をあびせるいわゆる隠君子も相当にあったことが、『論語』中にもいくつか見える。この場合の孔子様の答は、相手が長老なので言葉は丁寧だが、相当にあてつけがましい。

『新薬論語』 講談社学術文庫


nice!(1)  コメント(0) 

批判的に読み解く歎異抄 №24 [心の小径]

異義篇をどう読むか―『歎異抄』の著者(唯円)の立場
 
        立川市・光西寺住職  寿台順誠

③十五条 ― 即身成仏

 それでは十五条に行きましょう。これはあまり長くないですが、これも最初の方だけ読んで説明したいと思います。

 煩悩具足の身をもって、すでにさとりをひらくということ。この条、もってのほかのことにそうろう。即身成仏は真言秘教の本意、三密行業の証果なり.。六根清浄はまた法華一乗の所説、四安楽の行の感徳なり。これみな難行上根のつとめ、観念成就のさとりなり。

 この後は読んでおいて頂きたいのですが、ここで批判しているのは「即身成仏」であって、それは「真言密教」や「法華一乗」の教えで言われていることだと言っています。それで、これらは聖道門の教えに属するものですから、この批判の対象は「一念義・造悪無碍」であるというよりも、「多念義・専修賢善」の方に近いものだということは言えますよね。
 それに対して、浄土真宗で強調するのは「即得往生」(現生正定衆・現生不退)ですね。これは現生において信心を獲得したその瞬間に往生が定まるということですが、しかし未だ往生したわけじゃありません。穢土と浄土に分けるならば、生きている限り私たちはこの穢土に居るわけですから、まだ浄土に往ってしまったわけではないのです。ところが、それを取り違えて「即身成仏」と同義であるように吹聴する人があるので、それを異義として批判しているわけです。「即身成仏」とはこの世に居ながらこの身のままで成仏するって話だから、穢土と浄土の境をなくしてしまうことになるのです。浄土門からすればそれは異義だと批判することは正しいことだと私は思います。
 だけれども、むしろ本当に問わねばならない問題はここからなのです。それはどういうことかというと、「即身成仏」と「即得往生」とではどちらがより「造悪無碍」に近づくかという問題が残っているということです。これはなかなか難しい問題ですね。ここには、実は宗教的な観念と倫理道徳的な観念はそれほどストレートにつながるわけではないという問題がさらに根底にはあるわけです。つまり、「専修賢善か、造悪無碍か」といった倫理道徳的なレベルのやりとりは、「即得往生か、即身成仏か」という宗教教義のレベルのやりとりにストレートに対応する訳じゃないということです。「即身成仏」でも「即得往生」でも、受け取りようによっては、どちらからでも「造悪無碍」は生まれます。一回念仏すれば救われるという「一念義」は特にそうで、既に浄土に往くことは定まっているのだから後は何をやってもよいじゃないかということになるならば、「即得往生」こそ「造
悪無碍」につながりやすいと言えますね。が、また「即身成仏」の方にしても、この世こそが浄土なのだからもう何をやっても許されるという形で、場合によっては悪を正当化することになりますね。「即得往生」でも「即身成仏」でも、どっちだって「造悪無碍」にはつながっちゃうわけですよ。でも「即身成仏」の場合には、この身のままで既に仏さんだと言ったら怪しいわけですが、今はまだ仏でなくとも、将来、仏に成るために努力するという意味もあることは認めなきゃいけないかもしれません。その場合には、「即身成仏」は「造悪無碍」よりもむしろ「専修賢善」の方につながりやすくなるのではないかと思います。
 このように、「即身成仏」には「即得往生」よりも「専修賢善」につながる要素は強いということもありますので、それを批判するこの十五条もやはり「造悪無碍」批判の条文として読むことはできないと思います。

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


nice!(1)  コメント(0) 

論語 №115 [心の小径]

三五八 子のたまわく、その位に在らざれば、その政を謀(はから)らずと。曾子(そうし)いわく、君子は思うことその位を出でず。

           法学者  穂積重遠
 
 孔子様が「その位に在らざればその政を謀らず。」と言われたについて、曾子が説明して言うよう、「君子はその時々の地位に応じてその本分以外のことを考えず、ただ当面の責任を全くせんことを思え、とのご趣意である。」

三五九 子のたまわく、君子はその言(げん)のその行いに過ぐるを恥ず。

 「其言之」が「其言而」になっている本がある。それだと「君子はその言を恥じてその行いを過ごす。」とよむ。

 孔子様がおっしゃるよう、「君子たる者は、言葉が行いよりも大げさなのを恥じる。」
(参照……八八)

三六〇 子のたまわく、君子の道なるもの三つ、われ能くすることなし。仁者は憂(うれ)えず。知者は惑わず。勇者は懼(おそ)れず。子貢いわく、夫子自ら道(い)うなり。

 本文「仁知勇」の三句は前にも出ているが、そこでは「知仁勇」の順序になっている(二
三三)。ここのは徳そのものの順序であり、前のは進学の順序である、などと学者が亭つがそれ程の意味もあるまい。

 孔子様が、「君子の道とすべきところのものが三つある。『仁者は憂えず。知者は惑.わず。勇者は懼れず。』であるが、わしにはどれ一つ満足にはできない。」と謙遜されたので、子貢が申すよう、「その三つこそ正に先生ご自身のことをいったようなものであります。」

三六一 子貢、人を方(たくら)ぶ。子のたまわく、賜(し)や賢なるかな、われはすなわち暇(いとま)あらず。

 子貢は好んで他人を比較論評した。孔子様がおっしゃるよう、「賜はかしこいことかな。わしにはとてもそんなひまはない。」

 子貢が子張と子夏とを「たくらべ」たことが前に出ている(二六八)。孔子様もなかなか皮肉を言われることかな。

『新訳論語』 講談社学術文庫


nice!(1)  コメント(0) 

批判的に読み解く歎異抄 №23 [心の小径]

異義篇をどう読むか―『歎異抄』の著者(唯円)の立場
 
        立川市・光西寺住職  寿台順誠

②十二条 ― 学解念仏

 次に十二条は長いから最初の方だけ読みます。

 経釈をよみ学せざるともがら、往生不定のよしのこと。この条、すこぶる不足言の義といいつべし。他力真実のむねをあかせるもろもろの聖教は、本願を信じ、念仏をもうさば仏になる。そのほか、何の学問かは往生の要なるべきや。まことに、このことわりにまよえらんひとは、いかにもいかにも学問して、本願のむねをしるべきなり。経釈をよみ学すといえども、聖教の木意をこころえざる条、もっとも不便のことなり。一文不通にして、経釈のゆくじもしらざらんひとの、となえやすからんための名号におわしますゆえに、易行という。学問をむねとするは、聖道門なり、難行となづく。あやまって、学問して、名聞利養のおもいに住するひと、順次の往生、いかがあらんずらんという証文もそうろうぞかし。

 読むのはここまでにしときましょう。ここまでで十分です。後は聖道門の学問をしている人から議論をふっかけられても相手になるな、と言っているだけです。これは、学問して自分を高めようとしないと駄目だなどと言うのは異義だと批判する条文です。それで、ただ「本願を信じ、念仏もうさば仏になる」ということさえわかればよいので、もしそれが信じられないならそれを信じられるための学問は必要だとは言うけれど、とにかく「学問をむねとするは、聖道門なり、難行となづく」と言うわけですから、ここでの批判の対象は「造悪無碍」ではなくてむしろ「専修賢善」だと言えるでしょう。「聖道門」批判と言ってもよいですけど、要するに自ら善を積み、努力し学問をやって自分を高めましょう、そうじゃないとだめですよと言っている異義を批判しているのですから、十二条は「造悪無碍」に対する批判とは全く読めないのです。ここではそれだけ分かっていただけば十分です。

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


nice!(1)  コメント(0) 

論語 №114 [心の小径]

三五五 子のたまわく、君子は上達(じょうたつ)し、小人は下達(かたつ)す。

            法学者  穂積重遠

 「上達」は今では学芸が上手になることに用いるが、後にも「下学して上達」(三六七)とあって、元来は「向上してその極に達す」ること。「下達」はその反対で、そういう言葉はないが「向下」である。

 孔子様がおっしゃるよう、「君子は道義に従って日夜勉学修養するから、だんだんと向上して聖賢のてっぺんにも達するが、小人は利欲にのみ志して一時の安楽をむさぼるから、おいおいに堕落して狂愚のどんぞこにも達する。」

 中井履軒いわく、「君子は一に義に志す。故に日月に益々上りてついに極に至る。小人は一に利に志す。故に日月に益々下りてついに亦(また)極に至る。『君子は義に喩(さとり』の章(八二)と立言同じからざれども、而かも語意は相通ず。」

三五六 子のたまわく、古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。

 孔子様がおっしゃるよう、「昔の人の学問は自分の修養のためだったが、今の人の学問はただ人に知られんがためである。」

 「己の為」というのは、自分の立身出世のためという意味でないこともちろんであって、まず身を修めて天下国家の役に立とうというのである。

三互七 遽伯玉(きょはくぎょく)、人を孔子に便わす。孔子これに座を与えて聞いていわく、夫子何をか為すと。対(こた)えていわく、夫子過ちを来なくせんと欲して未だ能わずと。使者出ず。子のたまわく、使いなるかな、使いなるかな。

 「遽伯玉」は衛の大夫、名は環。有名な賢人で、孔子様が衛に行かれた時、その家に宿泊した縁故がある。

 遽伯玉が孔子様の所へ使者をよこした。用談終つて後、マアすわりなさいと座を与えて「ご主人は昨今何をしてござるか。」とたずねられたら、使者が「何とかして過ちを少なくしたいと心がけておりますが、なかなか左様に参らぬので困っております。」と答えた。使者が帰った後に孔子様が、「大した使者じゃ、大した使者じゃ。」とはめられた。

 孔子様がどうしてそんなに感心されたのか。伊藤仁斎いわく「およそ使いなる者は必ず詞を飾り言を侈(おお)いにしてその主の賢を挙ぐるを常とす。しかるに伯玉の使いは、その徳を称せずしてその心の足らざる所のものを以て答え、その主の賢なること愈々(いよいよ)信ずるに足る。故に夫子再び使いなるかなと言いて、以て重ねてこれを美(ほ)めしなり。(中略)道の窮(きわま)りなきを知りて、しかる後に人の過ちなきこと能(あた)わざるを知る。故に『過ちて改めざる、これを過ちと謂う。』といえり(四〇五)。けだし過ちの深く咎むべからずして、改めざるに至り触る後に実の過ちと為すを言うなり。伯玉の使い、その過ちなからんと欲すといわずして、過ちを寡(すく)なくせんと欲すといい、能(よ)く過ちを寡なくすといわずして、末だ能わずという。けだし深く聖人の心に合うあり。宜(う)べなるかな、夫子深くこれを歎ぜるや。」

『新訳論語』 講談社学術文庫


nice!(1)  コメント(0) 

批判的に読み解く歎異抄 №22 [心の小径]

異義篇をどう読むか―『歎異抄』の著者(唯円)の立場
 
        立川市・光西寺住職  寿台順誠
 
「異議篇」に対する私の見解 「異義篇」の批判的読解

(2)誓名別信計

 それでは、今日の中心問題に入ります。「誓名別信計」の各条文が果たして「造悪無碍」に対する批判として読めるかということです。

①十一条-誓名別信
 まず十一条を読みますね。

 一文不通のともがらの念仏もうすにおうて、「なんじは誓願不思議を信じて念仏もうすか、また名号不思議を信じるか」と、いいおどろかして、ふたつの不思議の子細をも分明にいいひらかずして、ひとのこころをまどわすこと、この条、かえすがえすもこころをとどめて、おもいわくべきことなり。誓願の不思議によりて、たもちやすく、となえやすき名号を案じいだしたまいて、この名字をとなえんものを、むかえとらんと、御約束あることなれば、まず弥陀の大悲大願の不思議にたすけられまいらせて、生死をいずべしと信じて、念仏のもうさるるも、 如来の御はからいなりと思えば、すこしもみずからのはからいまじわらざるがゆえに、本願に相応して、実報土に往生するなり。これは誓願の不思議を、むねと信じたてまつれば、名号の不思議も具足して、誓願・名号の不思議ひとつにして、さらにことなることなきなり。つぎにみずからのはからいをさしはさみて、善悪のふたつにつきて、往生のたすけ・さわり、二様におもうは、誓願の不思議をばたのまずして、わがこころに往生の業をはげみて、もうすところの念仏をも自行になすなり。誓願の不思議をばたのまずして、わがこころに往生の業をはげみて、もうすところの念仏をも自行になすなり。このひとは、名号の不思議をも、また信ぜざるなり。信ぜざれども、辺地僻慢疑城胎宮にも往生して、果速の願のゆえに、ついに報土に生ずるは、名号不思議のちからなり。これすなわち、誓願不思議のゆえなれば、ただひとつなるべし。

 皆さんこれを読んで、心惹かれますか?もし冒頭にこの文章があったら『欺異抄』は流行ったと思いますか?「師訓篇」の言葉にはすごく心に残るものが多いですけど、「異義篇」に入ると突然どこか理理屈っぽくなって、文学的にもイケてない文章になりますね。論理もあまりスッキリしないところが多くなりますので、「異義篇」しかなかったら『歎異抄』はおそらくブレイクしていなかったと私は思いますね。
 が、それはそれとして、ここで批判の対象となっているのは、阿弥陀仏の「誓願」(本願)を心の底から信じて念仏したらみな浄土に迎えとりますよ、往生できますよという願いを信じること、すなわち「誓願不思議」が大事なのか、それとも、たとえ信心はなくてもとにかく南無阿弥陀仏という「名号」を称えること、すなわち「名号不思議」が大事なのか、どっちだと人に迫る異義です。が、このテキスト自体からはこの異義を主張する人が「誓願派」又は「名号派」のどっちの派に立っているのか判断がつきません。この異義はただ「あなたはどっちを信じるのか」と言っているだけなのです。結論的には「誓願」と「名号」は一体に決まっています。そもそも南無阿弥陀仏という「名号」に阿弥陀仏の「誓願」が込められているわけだから、この異義のように「名号」と「誓願」を分離して別々のものにするのは邪道だと、唯円が言うことには私は異存ありません。
 ところがおかしなことに、了祥以来伝統的には、この条文で批判されている異義は「誓願派」に立って「名号派」を攻撃する立場に立つものだとされてきました。そして、「誓願派=一念義・造悪無碍」と見て、この条文が「一念義・造悪無碍」を批判していると読んできたわけです。しかし、先に述べたように十一条で唯円が言っているのは、単に「誓願」と「名号」を別のものだと見てはいけないということにすぎませんので、釈徹宗さんが言うように「誓願派」にも「名号派」にも偏してはいけないと言っているとは読めますが、だからといってこれが主として「造悪無碍」批判の条文だと読むのは間違いです(この点に関し特に参考になったものとして、佐藤正英『歎異抄論釈』青土社、2005年、244-288頁参照)。このように十一条には明確な「造悪無碍」批判の意図が読み取れない反面、「つぎにみずからのはからいをさしはさみて、善悪のふたつにつきて、往生のたすけ・さわり、二様におもうは‥・」という部分からは、ここで批判されている異義が、「善」が「往生のたすけ」となり「悪」がその「さわり」になるとして「善」を薦めるものだということが分かりますが、唯円はそのようなことを言うのはおかしいよという批判をしているわけですから、これは「専修賢善」に対する批判として読むことができます。また、続いて「誓願の不思議をばたのまずして、わがこころに往生の業をはげみて、もうすところの念仏をも自行になすなり」と言っていることからは、この異義が「誓願不思議」よりも「名号不思議」を重視するものであって、それに対して唯円が念仏を「自行」(自力の行)にしてしまうものだと批判していることが読み取れますから、この条文は「造悪無碍」じゃなくて明らかに「専修賢善」を批判するものだと言えます。要するに、この十一条には明確に「造悪無碍」を批判する箇所はないということです。

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より





nice!(1)  コメント(0) 

論語 №113 [心の小径]

三五三 陳成子(ちんせいし)、簡公(かんこう)を弑(ころ)す。孔子沐浴して朝(ちょう)し、哀公(あいこう)に告げていわく、陳恒(ちんこう)その君を弑せり、請(こ)うこれを討たんと。公いわく、かの三子に告げよ。孔子いわく、われ大夫の後に従うを以て、敢えて告げずんばあらざるなり。君いわく、かの三子者に告げよと。事にゆきて告ぐ。可(き)かず。孔子いわく、われ太夫の後に従うを以て、逢えず苦げずんばあらざるなり。

           法学者  穂積重遠

 「陳成子」は斉の大夫、名は恒、成ほおくり名。「沐浴」は髪あらい揚あみすること。祭祀その他大事に当る場合のいわゆる「斎戒(さおかい)沐浴」。

 斉の陳成子がその君簡公を殺した。孔子様は時に年七十一でとくに隠退しておられたが、隣国のことながらこれは大義名分に関する天下の一大事なりと考え、斎戒沐浴して身をきよめた後朝廷へ出て、「斉の陳恒がその君を拭しました。打ち捨ておかれぬ大逆でござります故、兵を起して討伐なされたいものと存じます。」と衷公に申し上げた。ところが当時魯の公室衰えて政権は大夫孟孫(もうそん)・叔孫(しゅくそん)・季孫(きそん)の三家にあったので、哀公は自ら決断し得ず、「あの三人に申せ。」と言われた。孔子様は失望して御前(ごぜん)をさがり、「自分も大夫の席末をけがした身汝、この一大事はどうしても申し上げなければならなかったのだが、わが君はご決断がつかず『かの三子者に告げよ。』と仰せられるとは。」と歎息しっつ、ともかくも君命なれば三家に告げたが、三家はきかなかった。斉の強大を恐れたのみならず、問題が大夫の不臣ということで、自分たちも「きずもつすね」で触れたくなかったのだろう。孔子様も現役ではないからその上の議論もできずやむを得ず引下がったが、「自分も大夫の席末をけがした身故、此の一大事はどうしても申し上げねばならなかったのだが。」と、かえすがえすも残念がられた。

三互四 子路(しろ)、君に事(つか)うることを問う。子のたまわく、欺くことなかれ、而(しこう)してこれを犯せ。

 ここの「欺」は「侮」の意味。わが国の軍記物などにもよく、敵に向かって広言をはき、「あざむいてこそ立ったりけれ」などとある。ここの「而」は「しかるのちに」の意味だから、「しこうして」と力を入れてよまなければいけない。

 子路が君に事える道をおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「君を侮ってはいけない。十分の敬意を尽した上で、場合によってはごきげんを損じようとも配が概して諌め争え。」

 子路は例の「行行如(こうこうじょ)」(二六五)で主人をバカにしてかかりそうだから、特にその点をいましめられたのである。古註にいわく、「犯すは子路の難しとする所にあらず、而して欺かざるを以て難しと為す。故に夫子先ず欺くなくして後に犯せと教えしなり。」


『新訳論語』 講談社学術文庫




nice!(1)  コメント(0) 

批判的に読み解く歎異抄 №21 [心の小径]

異義篇をどう読むか―『歎異抄』の著者(唯円)の立場

        立川市・光西寺住職  寿台順誠

「異議篇」に対する私の見解 「異義篇」の批判的読解(1)専修賢膳計

③十八条-施量分報

 次は十八粂ですが、これはちょっと面白いですよ。

 仏法のかたに、施入物の多少にしたがいて、大小仏になるべしということ。この条、不可説なり、不可説なり。比興のことなり。まず仏に大小の分量をさだめんことあるべからずそうろや。〔注‥比興のことなり=道理に合わないことである〕

 これは、言ってみれば、お布施が多けりやその分だけ大きな仏さんになるというような話ですが、こうした異義を批判することは僧侶としては片腹痛いことですよね。残念ながら、坊さんの生活には、このように布施は多い方がよいなどと言うようなことがありますからね。そして、これはあまりにも低俗な問題だから、「多念義・専修賢善か、一念義・造悪無碍か」というような形で真剣に教義や倫理道徳の問題として論ずるようなことではないと思う反面、しかし社会における宗教の実態から考えると馬鹿にできない問題で、自分も免れていないとも思わされるわけです。
 が、いずれにしましても、やはり「多念義・専修賢善」の方が、量が多い方がよいというこの異義には結びつきやすいのではないかと思います。私は大学を出てここ正雲寺で仕事を始めたばかりの頃、元漁師町でお参りが盛んという、この下之一色の特性もあって、とにかく「三部経を読んでほしい。長いお勤めをして欲しい。お勤めは長ければ長い方がよい」といった要求に翻弄されました。お布施は多い方がよいというような問題が、私はまともな教義問題だとは思いませんが、しかし「多念義」の方がその正当化には利用しやすいですよね。一回念仏すれば救われるという「一念義」では、多い方がよいとは言いづらくなりますからね。ですから、この条文もそういう形で「多念義・専修賢善」に対する批判だと読めるのではないでしょうか。
 以上、十四条・十六条・十八条はやはり「専修賢善」に対する批判として読むことができるということを申し上げました。



名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より

nice!(1)  コメント(0) 

論語 №112 [心の小径]

三五〇 公叔(こうしゅく)文子(ぶんし)の臣太夫セン、文子と同じく諸侯に升(のぼ)る。子これを闇きてのたまわく、以て文と為すべし。

             法学者  穂積重遠

 衛(えい)の太夫の公叔文子の家臣でその家の大夫だったセンが主人の文子と銅烈の衛の朝臣に昇進した。文子の没後孔子様が賞讃しておっしゃるよう、「自分の家来でも賢人と知れば推薦して自分の同僚に引立てるとは、文子とおくり名されたのももっともじゃ。」

三五一 子、衛の霊公の無道を言う。康子(こうし)いわく、それかくの如くにしてなんぞ喪(ほろ)びざる。孔子いわく、仲叔圉(ちゅうしょくぎょ)は賓客(ひんかく)を治め、祝舵(しゅくだ)は宗廟(そうびょう)を治め、王孫賈(おうそんか)は軍旅(ぐんりょ)を治む。それかくの如くにしてなんぞそれ喪ぴん。

 「康子」は魯(ろ)の太夫、季(き)康子。おそらく「季」の字が落ちたのだろう。

 孔子様が衛の霊公の無道であることを語ったので、季康子が、「さように無道でどうして国が亡びないのですか。」とたずねた。孔子が申すよう、「衛の国では、仲叔圉が外交に当り、祝蛇が祭祀をつかさどり、王孫賈が国防に任じています。かく適材過処に国の大事を負担している以上、どうしてなかなか亡びましょうや。」

 「喪」は君がその位をうしなうことだが、日本流に「国が亡びる」としておいた。古誼にいわく、「衛の霊公の無道なる、宜しく喪ぷべし。しかるに能くこの三人を用うれば猶以てその国を保つに足る。しかもいわんや有道の郡にして能く天下の賢才を用うる者をや。」

三五一 子のたまわく、そのこれを言うことくハじざれば、すなわちこれを為すや離し。

 孔子様がおっしゃるよう、「はずかしげもなく大言壮語する者は、始めから必ずしようという気持もなく、自分にできるかできぬかも考えずに放言するのだから、その言ったことを実行することがむつかしいのは当然じゃ。」

『新訳論語』 講談社学術文庫


nice!(1)  コメント(0) 

批判的に読み解く歎異抄 №20 [心の小径]

異義篇をどう読むか―『歎異抄』の著者(唯円)の立場

        立川市・光西寺住職  寿台順誠

二、「異義篇」の批判的読解

3.「異義篇」に対する私(順誠)の見解

 しかし、果たしてそのように言えるのだろうかという疑問を私は持っています。特に、「誓名別信計」と言われる十一条・十二条・十五条・十七条が「造悪無碍」に対する批判として読めるかというのが私の提起する中心問題です。もしそこに「造悪無碍」に対する批判がなければ、『欺異抄』には「造悪無碍」に対する批判はないってことになります。一方、『歎異抄』には「専修賢善計」に対する批判の言葉はいっぱいあります。どこをとっても「専修賢善」に対する批判だらけです。そこで、このあとまず「専修賢善計」の条文の方は、一般に言われているように文字通り「専修賢善」に対する批判として読めるということを、簡単に確認します。そしてその後、「誓名別信計」という中心問題に移りたいと思います。

(1))専修賢善計
 「専修賢善計」については、十三条がこの系統の異義を代表するものであって、この命名自体が十三条に由来しているのだと思います。また、前回話したことからも、十三条が「専修賢善」を批判したものであることは明白だと思います。が、また、十三条については、もう一つ言わなければならない重要な問題が残されていますが、それは今日の話の総括的な意味を持つ問題なので、最後に申し上げたいと思います。従って、今ここでは十四条・十六条・十八条を取り上げておきたいと思います。

①十四条--一念滅罪
 まずこの条文の一部を読みますね。

 一念に八十億劫の重罪を滅すと信ずべしということ。この条は、十悪玉逆の罪人、日ごろ念仏をもうさずして、命終のとき、はじめて善知識のおしえにて、一念もうせば八十億劫のつみを滅し、十念もうせば、十八十億劫の重罪を滅して往生すといへり。

 これは異義の内容を説明した部分ですが、とにかく念仏して罪を消さなきやいかん、一念で八十億劫消えるんだったら十念でその十倍消えるということを主張する異義なわけです。ですから、これが多念義的なものだというのは分かりやすいですよね。努力すればするほど罪が消えるという話ですからね。
 また、この条文で「念仏もうさんごとに、つみをはろばさんと信ぜば、すでに、われとつみをけして、往生せんとはげむにてこそそうろうなれ」などと言っていることからも、罪を消すために善行に励めということを主張する「専修賢善」の立場の異義であることは、すぐに分かりますね。だから、釈徹宗さんも、これは「自力であって、本来の他力の念仏からすでに外れてしまっています」から、この十四条には「専修賢善への批判があります」 と言っているわけです (釈徹宗前掲書、81頁)。
このように、十四条は文字通り「専修賢善」批判として読める条文だと思います。

②十六条--自然回心
 十六条についても最初の方だけ読みますね。

 信心の行者、自然に、はらをもたて、あしざまなることをもおかし、同朋同侶にもあいて口論をもしては、必ず回心すべしということ。この条、断悪修善のここちか。

 この条文は要するに、腹を立てたり喧嘩したりといったことがあるたびに心を入れ替えて反省しなきゃいけない、ということを主張する異義に対する批判です。そういう異義に対して 「断要修善のここちか」と批判しているのですから、これが「専修賢善」に対する批判であることは、文字通りに認められることですね。ですから、釈徹宗さんも、この条文は 「罪を犯したときには、そのつど儀悔、回心しなければ往生できないという、専修賢善・多念義系の人たち」への批判であると言っています。この点では釈さんの見方に私は何の異論もありません。
 ところで唯円はこの十六条で、「一向専修の人においては、回心ということ、ただひとたびあるべし」ということを言っています。つまり、「日ごろのこころにては、往生かなうべからずとおもいて」根本的に心を翻すというようなことは、生涯にただ一回だけのことであると言っているわけですが、ここで少し脱線的に触れておきたいことは、本願寺派(西本願寺)から離脱した高森顕徹が設立した親鸞会という新宗教団体がこの言葉を引き合いに出して、回心は人生にただ一回の出来事だから何年何月何日の何時何分に回心したと言えなきやいけないということを、最近ではあまり言っていないようですが、以前は頻りに強調していたことです。こういう問題はどう考えたらよいでしょうか。
 それから親鸞会と言えばもう一つ、「木像よりは絵像、絵像よりは名号」(『蓮如上人御一代記聞書』、本願寺派『浄土真宗聖典』1253頁‥大谷派『真宗聖典』868頁)という蓮如の言葉がありますが、これを用いて木像の阿弥陀仏を本尊にしている本願寺を批判していたことを想い起こしますね。これに関連して、私が同朋大学で勉強していた頃のことですが、池田勇諦先生(同朋大学名誉教授)が、親鸞会のように「絵像よりも名号」と言われていることを根拠にして、あまりに「名号、名号」と教条的に実体化して強調しすぎることは、まるで「絵像よりも字像」と言っているように聞こえるというようなことを仰っていたことを思い出します。この親鸞会に対する見方がとても面白かったので、今でも覚えているわけです。が、こういう問題についても、今改めてどう考えたらよいでしょうかという意味で、余談的に申し上げたしだいです。本題に戻りましょう。

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


nice!(1)  コメント(0) 

論語 №111 [心の小径]

三四九 子貢いわく、管仲は仁者にあらざるか。桓公、公子糾(こうしきゅう)を殺すに死すること能わず、又これを相(たす)く。子のたまわく、管仲、桓公を相けて諸侯に覇(は)たらしめ、一(ひと)たび天下を匡(ただ)す。民今に到るまでその賜(たまもの)を受く。管仲なかりせば、われそれ髪(はつ)を被(こうむ)り袵(えり)を左にせん。あに匹夫匹婦の諒(まこと)を為(な)し、自ら溝濆(こうとく)に経(くび)れてこれを知らるるなきがごとくならんや。

                歩学者  穂積重遠

 子貢もまた疑って、「管仲は仁者でないのではありますまいか。桓公が公子糾を殺した時、主と共に死ぬことができず、かえって主の仇(あだ)たる桓公に事(つか)えたのは、どうもその意を得ませぬ。」と言った。孔子様がおっしゃるよう、「管仲は桓公を輔佐して諸侯連盟の旗頭たらしめ、たちまち天下を粛正安定し、人民が今日までもその恩沢に浴している。もし管仲がなかったなら、われわれは夷狄(いてき)に征服されて、髪ふりみだし着物を左前にきる監完の風俗にされていたであろう。管仲がその前主のために死ななかったのをかれこれ申すが、管仲のごとき大志を抱く者が、小さな義理人情にこだわってみぞどぶの中で自らくびれ誰にも知られず死んでしまう平凡男女のようであってよいものだろうか。」

 子貢もまた子路と同じ疑いを起したのに対して、孔子様が相手が「言語」の子貢(二五五)だけに、さらにいっそう言葉を尽して管仲を弁護していられる。しかしこの点は大いに問題であって私も子路・子頁と共に粛然足らざるものがある。孔子様は前には管仲が礼を知らぬことをきびしく責めて、「器小なるかな」と言っておられるのだから(六二)、この場合にもその大功は認めつつも最初の出処進退を誤ったのは惜しいことだと論じた方が、筋が通るのではあるまいか。この二章ではあまりにも成功主義・実績主義のようで、周の粟(ぞく)を食(は)まずわらびを食べて餓死した伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)を絶賛される孔子様に似合わしくない。殊に最後の匹夫匹婦のたとえに至っては正に明治初年に物議を醸したかの「権助首くくり論」であって甚だもって孔子様らしくないのみならず、差し当り殉死の忠臣召忽(しょうこつ)に対して苛酷失礼ではないだろうか。そこで学者間にも色々議論があり、ある古証は「桓公は兄なり、子糾は弟なり。仲、事うる所(子糾) に私(わたくし)し、これを輔(たす)けて以て国を争うは義に非ざるなり。桓公のこれ(子糾)を殺せるは過てりと錐も、而かも糾の死は実に当れり。仲始めこれと謀を同じくせば、遂にこれと同じく死して可なり。これを輔けて争うことの不義たるを知りて、将に自ら免れて以て後功を図らんとするも亦可なり。政に聖人その死を責めずしてその功を称す。もし桓弟にして糾兄たらしめば、管伸輔くる所の者正し。桓その国を奪いてこれを殺さば、管仲と桓とは世を同じくすべからざるの讐(あだ)なり。もしその後功を計りてその桓に事うるを与(ゆる)さば、聖人の言すなわち義を害するの甚だしくして、万世反覆不忠の乱を啓(ひら)くことなからんや。唐の王珪(けい)・魏徴(ぎちょう)、建成(唐高祖の太子)の難に死せずして、太宗怒岩(たいそう・達成の弟)に従いし如きは、義に害ありと謂うべし。後に功有りと錐も、何ぞ贖8つぐな)うに足らんや。」と弁明しているが、すこぶる苦しい議論であるのみならず、前記の通り桓公と糾といずれが兄か弟かということが問題なのだから、立論の根拠が薄弱だ。要するに「大行は細謹(さいきん)を顧みず」の観念が濫用されると、それこそ論者のいわゆる「万世反覆不忠の乱を啓きはせぬか、ということを私は心配する。聖人といわれる孔子様も稀には意地になってかような極論をされることもある人間味を私はむしろおもしろくも思って、私もあえて極論を試みたが、寛容な孔子様がお聞きになったならば、「丘や幸いなり、いやしくも過ちあれば人必ずこれを知る。」(一七七)とおっしゃるだろうか。


『新訳論語』 講談社学術文庫

nice!(1)  コメント(0) 

批判的に読み解く歎異抄 №19 [心の小径]

異義篇をどう読むか―『歎異抄』の著者(唯円)の立場―

          立川市・光西寺住職  渡辺淳誠 

 二、「異義篇」の批判的読解

1.なぜ「異義篇」を中心に読むのか?

 さて、今日の主たる問題は「異義篇」をどう読むかですが、それに入る前になぜ「異義篇」を中心に読むのかということをちょっと申し上げておきます。
 『歎異抄』という書物において「師訓篇」と「異義篇」とどっちが中心だと思うかと問われればそれは当然「異義篇」です。唯円って人の考え方は「異義篇」に込められているからです。では「師訓篇」は何のためにあるかと言うと、親鸞聖人が仰ったことの証文・基準として挙げてあるわけで、それに照らし合わせてみると、最近こういうことが言われているけどおかしくないか、という形で「異義篇」が展開されているわけです。だから論文に喩えたら本論はあくまで「異義篇」なんです。
 ところが私が面白いと思うのは、「異義篇」には十三条を除くと心に残る言葉が殆んど無いことです。例えば、誓願と名号は一体のものか別々のものか、なんていう十一条の論議などは坊さんや学者同士でやるような、とてもマニアックな議論ではないでしょうか。もし『歎異抄』に「師訓篇」がなくて「異義篇」だけだったら、絶対人気は出なかったと私は思います。有名な言葉は殆んど「師訓篇」の方にありますよね。まず「悪人正機」(三条)がそうでしょ。それから二条なんてよく引かれますよね。「たとい、法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」などはとても有名な言葉ですね。「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり」(四条)とか、「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず」(五条)とか、「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」(六条)とかといった言葉もみな「師訓篇」にあり
ます。また、「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろう」(九条)といったテーマも「師訓篇」にあります。このようによく引かれる言葉の多くは「師訓篇」にあるわけですが、しかしこの書物の本論はあくまで「異義篇」なのですから、それを見ないと書いた人の立場・考え方は分からないのです。そうでないと『欺異抄』という本を読んだことにならないのです。ただ『歎異抄』に関する書物は非常に多いですけど、「異義篇」についてちゃんとした解説をしているものは少ないですね。例えば、「師訓篇」だけ取り上げて「異義篇」の解説なんか全然していない本もあります。それはおかしなことなのですよ。ですから、とにかく「異義篇」をどう読むかということをちゃんと言っていない書物はあまり信用しちゃダメですっていうことを、私は言いたいわけです。

2.「異義篇」の一般的な見方

 そこで次に、先ほど触れておいた妙音院了祥の「誓名別信計」と「専修賢善計」に分ける分類がやはり「異義篇」を読むにあたっての出発点になりますので、まずはそれ(巻末の【師訓鷺と異義篇の関係図式】)を再度確認した上で、この分類が意図するところをさらに詳しく見て参りたいと思います。
 この分類の「誓名別信計」の「計」とは「自力の計らい」ってことです。そして、「誓」とは「誓願」、すなわち阿弥陀仏の本願のこと、「名」とは南無阿弥陀仏という六字の「名号」のことです。この「誓願」と「名号」の二つは一体のものなのか別々のものなのかという議論をし、本来他力の本願念仏の教えでは一体のものと捉えなきゃいけないのだけれども、それを別々に捉えてしまう、そういう根本的な誤りから生まれてくるような異義を「誓名別信計」というふうに呼んでいるわけです。これは、文字通りそういうことを言っている十一条(誓名別信章)で代表して、この十一条に十二条(学解念仏章)・十五条(即身成仏章)・十七条(辺地堕獄章)を加えた四か条をワンパッケージとして「誓名別信計」と呼んでいるということです。
 それから十三条(禁誇本願章)・十四条(一念滅罪章)・十六条(自然回心章)・十八条(施量分報章)の四つが「専修賢善計」に分類されていますが、これは念仏以外の善を修めなきゃダメじゃないかとか、自力の修行をしなきゃいけないじゃないかとか、念仏だけじゃ救われないから様々な努力をして善を積まなきゃいけないとかというような計らいから生まれてくる異義について批判したのがこれら四か条だということです。前回取り上げた十三条には「まったく、悪は往生のさわりたるべLとにはあらず」とありました。要するに、善悪は「宿業」で決まっているので、善をなせなどと言ってもそれはいわば上辺だけ「賢善精進の相」を示すことにしかならないといった批判を十三条はしているわけで、そうした「専修賢善」という計らいに由来する異義を非難する条文が以上の四か条だということです。
 そこでこの了祥の分類の意図するところを示そうとして私が作成したのが、巻末の【『欺異抄』「異義篇」の一般的な見方】という図式です。これに沿って説明しますと、まず仏教は自力で難行を行って悟りを開こうとする「聖道門」と、易行である他力の念仏を称えて往生することを願う「浄土門」に分けられます。ところが浄土宗(法然門下)でもまた、「一念か多念か」という論争が起こりますし、それと同時に「専修資善」と「道悪無碍」という倫理道徳の立場をめぐる対立も生じてきます。この争いにおいて「多念義・専修賢善」の方は結局「聖道門」に再接近することになるのですが、とにかく『欺異抄』を高く評価してきた人たちは、了祥のこの分類に依りかかって、「専修賢善・多念義」と「造悪無碍二念義」の中間に、どちらにも偏らない中道を行く正統な念仏者がいて、『欺異抄』の著者はこの正統念仏者の立場からバランスよく「専修賢善」と「造悪無碍」の両者を批判している、そういうふうに見てきたと言ってよいと思います。異義を「専修派・実行派・倫理派・功利派・常識派」と「誓願派・理論派・哲学派・観念派・高踏派」に分類する藤秀翠の見方も、また「律法化の異義」と「概念化の異義」に分類する梅原真隆・早島鏡正の見解も、そういうものとして見ることができると思いますし、最近では釈徹宗さんがNHKのEテレ「100分de名著」という番組で『歎異抄』(十一条)について以下のように述べていたものが、同様のものとして挙げられるでしょう。

 この二つの異義〔造悪無碍と専修賢善〕については‥・唯円は「どちらに偏っていても駄目ですよ」と言っています。社会的な視点から見れば、一念義系の方が具合が悪い。事実、一念義系の人々が問題視されました。しかし、多念義的な立場になってしまうと、そもそも他力の教えの本義から外れてしまいます。なぜなら今までの仏道とそれほど変わらないのですから。
 唯円はこの両方の立場を批判しています。しかも両方への批判をうまく配置しており、唯円の構成力を見て取ることができます。(釈徹宗『欺異抄-仏にわが身をゆだねよ土NHK100分de舞著」ブックス、2019年、72-73頁=〔 〕内は順誠の補足)

 以上のように、『欺異抄』の「異義篇」については、一方で「専修賢善」を批判しながら返す刀で「造悪無碍」もバランスよく批判している、というのが従来の一般的な見方であったと言うことができるわけです。

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


nice!(1)  コメント(0) 

論語 №110 [心の小径]

三四六 子のたまわく、臧武仲(ぞうぶちゅう)、防を以て魯において後を為さんことを求む。君を要せずと曰(い)うと雖(いえど)も、われは信ぜざるなり。

              法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「臧武仲が罪を得て魯の国を出奔(しゅっぽん)するとき、その領地の防に踏み止まって、そこから臧家の後継(あとつぎ)を立てていただきたいと請願し、もしそれを許してくだされば防をあけわたして他国へ立ちのきますと申し出た。そしてその請願が通ったので斉(せい)の国におもむいた。言葉は歎願的(たんがんてき)だったけれども、結局もし許されなければ防に立てこもって謀反を起すという勢いを示したのであって、主君を威嚇強迫したのではないと弁解しても、わしは信じない。」

 古註にも左のごとく説明してある。「武仲の邑(ゆう)はこれを君に受く。罪を得て出で奔(はし)る、すなわち後を立つるは君に在り、己の専らにするを得る所にあらず。而して邑に拠りて以て請う。その知を好んで(三四四)学を好まざるに由るなり。」

三四七 子のたまわく、晋の文公は譎(いつわ)りて正しからず、斉(せい)の桓公(かんこう)正しくして譎らず。

 孔子様がおっしゃるよう、「晋の文公も斉の桓公も、共に覇者すなわち諸侯の盟主となり、夷狄(いてき)を攘(はら)い周室を尊んだ大功があるが、文公は謀略が好んで正道によらず、桓公は正道を踏んで謀略を用いなかった。そこに両公の間の大きな相違がある。」

三四八 子路いわく、桓公、公子糾(きゅう)を殺す。召忽がこれに死し、管仲は死せず。いわく 未だ仁ならざるか。子のたまわく、桓公諸侯を九合(きゅうごう)するに兵車を以てせざりしは管仲の力なり。その仁に如(し)かんや、その仁に如かんや。

 「九合」の九は数ではなくて「糾」と同字。すなわち「糾合」。
 本文の事件を『春秋左氏伝』(荘子、八・九年)の記事によって抄録すると、「斉の襄公(じょうこう・僖公(きこう)の嫡子)無道なり。鮑淑牙(ほうしゅくが)公子小白(僖公の庶子)を奉じてキョに奔る。公孫無知(ぶち・僖公の母弟夷仲年(いちゅうねん)の子)襄公を弑(しい)するに及び、管夷吾(管仲)、召忽、公子糾(小白の庶兄)を奉じて魯に弄る。魯兵を以て子糾を納(い)る。この時小自すでに立つ。遂に与(とも)に戦い、魯兵大いに敗る。小白入る。これを桓公と為す。魯をして子糾を殺さしめ、管、召を請う。召忽これに死す。管仲囚(とら)われんことを請う。飽叔牙、桓公に言いて以て相と為す。」というのである。ただし糾と小白といずれが兄か、については異説があって、次密に引く古註は、小白が兄ということで立論している。

 子路が斉の桓公が公子組を殺したとき召忽は義を守って死し管仲は死せざるのみならず君の仇(あだ)の桓公に事(つか)えたのをその意を得ずとして「管仲は仁とは申せますまい。」とおたずねしたところ、孔子様がおっしゃるよう、「当時周の王室が衰えて諸侯服せず、夷狄侵入して中国危からんとした際、桓公が武力を用いず血を流さずして諸侯を連合させ、尊王嬢夷を実行して天下の人民を答堵休息させたのは、全く管仲輔佐の功績である。たとい公子組のために死ななかった小過失はあろうとも、天下を平らかにし万民を安んじた偉大な仁に誰が及ぼうや、誰がその仁に及ぼうや。」

『新訳論語』 講談社学術文庫


nice!(1)  コメント(0) 

批判的に読み解く歎異抄 №18 [心の小径]

異義篇をどう読むか―『歎異抄』の著者(唯円)の立場―

          立川市・光西寺住職  渡辺淳誠 

一『欺異抄』の構成

1、全体の構成

 まず『歎異抄』全体の構成を通説(『欺異抄(文庫判)現代語訳付き』本願寺出版社、2002年、150頁)に従って確認しておくと、『歎異抄』という題号(名)の後、最初にこの部分だけ漢文で書かれた「前序」、次に親鸞聖人の語録である「師訓篇」が一条~十条まで続いています(本願寺派『浄土真宗聖典』831-837頁:大谷派『真宗聖典』626-630頁)。この十条は「「念仏には無義をもって義とす。不可称不可説不可思議のゆえに」とおおせそうらいき」となっており、前回確認した三条同様、「おおせそうらいき」で終わっていて「と云々」が省かれていると見ることができますので、これは法然上人が仰せになったという意味だと受け取ることができます。
 そしてその後、「そもそもかの御在生のむかし…」から十一条の前までのところに「中序」或いは「別序」と呼ばれるくだりがあって、そしてそこに「上人(親鸞)のおおせにあらざる異義どもを、近来はおおくおおせられおうてそうろうよし、つたえうけたまわる。いわれなき条々の子細のこと」とありますが、この「中序」に続き十一条以下にそうした「異義」「いわれなき条々」に対する批判が述べられておりますので、十一条~十八条までを「異義篇」と言うわけです(本願寺派『浄土真宗聖典-註釈版第二版-』837~851頁:大谷派『真宗聖典』630-639頁)。さらにその後、「後序」(いわば「あとがき」)があって、最後に「承元の法難の顛末」(流罪の記録)が付されています(本願寺派『浄土真宗聖典-註釈版第二版-』851-856頁‥大谷派『真宗聖典』 639-642頁)。この「流罪の記録」については載せていない写本もありますが、全体の構成については大体こういう見方が一般的だと言えます。
 『歎異抄』全体の構成に関する通説以外の他の見方については、後ほど時間があれば若干触れるかもしれませんが、今日は詳しく立ち入ることはできません。そこで、配布資料の4-5頁に、通説のほか佐藤正英説1、近角常観説2、西田真因3説3を紹介しておきました。関心のある方は目を通しておいて下さい。

2、「師訓篇」及び「異義篇」の構成と両者の関係

 次に「師訓篇」と言われる最初の一条から十条までは、どういう並びになっているのか、どういう仕組みでできているのかってことについて、関連する四人の学者、すなわち、香月院探励。、妙音院了禅、藤秀曙5、早島鏡正6の見方を配布資料の5-6頁に記しておきましたので参考にして下さい。
 また、「異義篇」についても、どういう順序で並んでいて、どう分類されるかということについて、四人の学者、すなわち妙音院了禅、藤秀理7、梅原真隆8、早島鏡正9の説を配布資料の6-7頁に並べ、関連する書物を注に載せておきましたので、随時参照でぃてください。
 さてここで、構成の問題についてまとまりを付ける意味で、以上のように十八か条と三つの序から出来ている『欺異抄』の一条一条がどういうふうに並んでいるのかということについて、江戸時代後期の大谷派の学者・妙音院了祥(1788-1842年、岡崎出身)の説を図式化して示しておきたいと思います(巻末の【師訓篇と異義篇の関係図式】及び妙音院了祥『欺異抄聞記』1842年『続真宗大系』21巻、1940年、22頁、101-102頁、134頁-135貢、246頁等参照)。実を言いますと、『歎異抄』は唯円が書いたという説を出したのはこの了祥です。この人の師匠で有名な香月院深励(1749-1817年)は『欺異抄』を書いたのは如信だと言っていましたので (香月院探励「歎異抄辞林記上」 1817年『真宗大系』23巻、1930年、383-384頁)、それまでは如信説が有力だったのではないかと思われます。でも、了祥が初めて著者は唯円だということを証明しようとしたのですね。しかも彼は『歎異抄』十八か条をどういうふうに見たらよいのかってことを非常に分かり易く示しました。そして近現代の多くの学者がこの人の説を下敷きにしていますから、大概の説は基本的にその焼き直しだと言ってもよいですね。ですから、この人の著述を読まないと『歎異抄』の基本的なことは分からないのです。そこで、私はこの了祥説に従って巻末の【師訓黛と異義篇の関係図式】という表を作ったわけです。
 それで「師訓篇」がどう並んでいるかと言うと、了祥はまず一条~三条を「安心訓」と呼んでおります。つまり信心について述べたものだということですね。それから四条~十条を「起行訓」と呼んでおります。言ってみれば信心に対してこれは実践ということでしょう。そしてさらに細分化すれば、四条~六条は「利他」について、七条~九条は「自利」について述べているとし、最後の十条を「自利利他円満」として、これが総括的な文章になっているという見方を了梓は提唱しているわけです。今日は「師訓篇」についてはこの程度にしておきますね。
 それから「異義篇」について了禅は図に示したように「誓名別信計」と「専修賢善計」の二つに大別し、十一条(誓名別信章)・十二条(学解念仏章)・十五条(即身成仏章)・十七条(辺地堕獄章)を前者に、十三条(禁誇本願章)・十四条(一念滅罪章)・十六条(自然回心章)・十八条(旛量分報章)を後者に配当しているわけです。今日はこれからこの「異義篇」について詳しく見て行くことにします。(資料略)


名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より





nice!(1)  コメント(0) 
前の20件 | - 心の小径 ブログトップ