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論語 №83 [心の小径]

二六五 閔子(びんし)側(傍ら)に侍す、闇闇(ぎんぎん)如(じょ)たり。子路(しろ)行行(こうこう)如たり。冉有(ぜんゆう)・子貢侃侃(かんかん)如たり。子楽しむ。のたまわく、由(ゆう)やが如きは、その死の然(しか)るを得ざらん。

                法学者  穂積重遠
         
 「若由也」を「由がごときは」とよんでもよいが、「也」は親愛の呼び方で、わが国で女中を呼んで「梅や」「竹や」というようなものだろうから、「由や」とよんでおきたい。「不得其死然」の「然」は「焉」と同じだというので、「その死を得ざらん」とよむ人もあり、また「その死を得ず、然り」とよむ人もある。あるいは「その死然を得ざらん」とよんでもよいかも知れぬ。前記は自己流のよみ方だ。

 閔子騫(びんしけん)が行儀よく、子路が強そうに、再有と子貢とが楽しげに、お側に侍べっている。孔子様も嬉しそうだ。しかし子路のこの気性では畳の上では死ねまいと常に心配しておられた。

 「子楽」は「子日」の誤写だ、という説があるが、とんでもない。この二字が本章の眼目なのだ。私も及ばずながら弟子をもったことがあるので、孔子様の気持がよくわかる。『孟子』(尽心章上)の左の一段は、私の同感共鳴するところだ。
 「君子に三楽あり。而して天下に王たるものは与(あずか)り存せず。父母俱(とも)存し兄弟故なきは、一(いつ)の楽しみなり。仰いで天にに愧(は)じず、俯(ふ)して人にはじざるは、二の楽しみなり。天下の英才を得てこれを教育するは三の楽しみなり。君子に三楽あり。而して天下に王たるは与り存せず。」心(こころ)安だてに叱りもし、またからかわれもしたが、孔子様は子路には特別の親愛をもたれたことが、ここでもわかる。最後の句は子路に対して注意された言葉だとの説もあるが、そうではあるまい。陰ながら常に心配しておられた、とする方が情がある。そして孔子様のご心配どおり子路は衛(えい)の国の内乱の際切り死をした。敵に一太刀切られて後、落ちかかった冠の紐を結び直して死んだという。孔門の勇者らしい最期であった。

二六六 魯(ろ)人長府(ちょうふ)を成(つく)る。閔子騫いわく、旧貫(きゅうかん)に仍(よ)らばこれを如何(いかん)。何ぞ必ずしも改め作らん。子のたまわく、かの人言わず。言えば必ず中(あた)るあり。
 
 「府」は蔵だが、財物を入れるのが「府」で、武器を収めるのが「庫」だ。「長府」は蔵の名である。

 魯の当局者が長府を新築しようとしたとき、閔子騫が、「元のものを修復したらどんなものだろうか。何も新築するにも及ぶまい。」と言った。孔子様がそれを伝え聞いておっ
しゃるよう、「あの男はメツタに物を言わぬが、言うと必ず図星という所に当るわい。」
                                        
 閔子騫の言葉は簡単だが、長府の新築は無益に民力を費すものだし、もしそれを拡張するのなら増税の準備と思われる。いずれにしても宜しくない、という意味なので、孔子様が、わが意を得たり、とされたのである。

ニ六七 子のたまわく、由(ゆう)の瑟(しつ)、なんすれぞ丘(きゅう)の門においてせんと。門人、子路を敬せず。子のたまわく、由や堂に升(のぼ)れり、未だ室に入らざるなり。

 「瑟」は「琴瑟相和(きんしつあいわす)」の瑟。琴の十三弦に対して二十五弦である。朝鮮京城の李王家の楽部で、これが琴、これが瑟という実物を拝見して、おもしろく思ったことがある。「堂」は表座敷、「室」は奥の間。安井息軒(そっけん)の説明に、「堂は賓客(ひんきゃく)に接し礼楽(れいがく)を行うの処(ところ)、室はその奥なり、以て道の源(みなもと)に喩(たと)う。」とある。「瑟」の上に「鼓」の字があって、「由の瑟を鼓する」とよめる本もある。
                                        
 子路は性質が剛強(ごうきょう)なので、そのひく瑟にもおのずから殺伐な音がある。そこで孔子様が、「由の瑟はわしの家には似合わしからぬ。」と言われた。それを聞いて若い門人たちが子路を尊敬せぬ気味だったので、それをたしなめておっしゃるよう、「由は表座敷へ通ったがまだ奥の間にはいらぬのじゃ。お前たちはまだ表座敷へもあがっていないのだよ。」

『新薬論語』 講談社学術文庫


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論語 №82 [心の小径]

二六三 顔淵(がんえん)死す。門人厚くこれを葬らんと欲す。子のたまわく、不可なり。門人厚くこれを葬る。子のたまわく、回(かい)やわれを視(み)ること.父のごとくせり。われ視ること子のごとくなるを得ざりき。われにあらざるなり、かの二三子(にさんし)なり。

                法学者  穂積重遠

 「門人」は顔回の門人だというのが通説だが、孔子様の門人、すなわち同門の友人たちと見た方がおもしろい。「二三子」と言われたところからもそうとれる。

 顔淵が死んだ。同門の友人たちが葬式をりっぱにしようと計画した。そして孔子様が、「いけない、」とおっしゃったのに盛大な葬儀を執り行った。孔子様がおっしゃるよ
う、「回はわしを父親のように思っていた。それ故わしはわが子の鯉(り)を葬った振合(ふりあい)でりっばではなくとも心がこもった葬式をしてやりたいと思っていたのに、わが子のごとくしてやることができなかったのは、残念千万だ。回もさぞ不本意に思ったろう。これはわしのせいではない。あの二三人のせいじゃ。」

 「喪はその易(おさ)めんよりはむしろ戚(かなし)め」(四四)と、耳にタコのできるほど聞かされているはずの門人たちまでこの始末なのだから、当時の葬儀がいかに形式主義だったかがわかる。

二六四 季路(きろ)、鬼神に事(つか)えんことを問う。子のたまわく、未だ人に事うること能わず、いずくんぞ鬼に事えん。いわく、敢(あえ)て死を問う。のたまわく、米だ生を計らず、いずくんぞ死を知らん。

 子路(しろ)が、神霊に事えるにはどうしたらよろしきや、と質問したので、孔子様が、「まだ人に事えることもできないで、どうして神霊に事えることができようぞ。」と答え
られた。すると子路がさらに推(お)しかえしておたずねした。「それでは死とは何でありますか。」孔子様がおっしゃるよう、「まだ生を知らないで、どうして死を知り得ようぞ。」

 古註(こちゅう)に、「鬼神に事えんこと問うは、けだし祭祀(さいし)に奉ずる所以の意を求むるなり。而して死は人の必ず有るところにして知らざるべからず。皆切問なり。然れども誠敬(せいけい)以て人に事うるに足るにあらずずんば、すなわち必ず神に事うること能わず。始(はじめ)を原(たず)ねて生ずる所以を知るにあらずんば、すなわち必ず終(おわり)に反(かえ)りて死する所以を知ること能わず。けだし幽明(ゆうめい)始終はじめより二理なし。但しこれを学ぶに序あり、等を(こ)ゆべからず。故に夫子これを告ぐることかくの如し。」とあり、また安井息軒も、「未だ能わず末だ知らずと言うは、すなわち既に能(よ)くし既に知るの後もとより将にこれに語(つ)げんとするなり。子路の地位未だここに至らず、その力を人事の急なる所に用いんことを欲す。故に以て告げざるなり。」と説いている。「鬼神及び死の事は明らかにし難し、これを語るも益なし。故に答えざるなり。」という反対論もあるが、本文の文勢からみても、そうではないらしい。息軒はさらに「これけだし子路初めて見(みま)ゆるときの言なり。」と言うが、これはどうだろうか。入学早々こういう質問をするはずもなし、また子路は相当進んだ後でもとっぴな質問や議論をする人なので、とかく先走りたがるところを、孔子様がいましめられたのだろう。「敢て」がうまく現代語にならなかったが、一本釘をさされながらまた推し返して「敢て問う」ところが、いかにも千路らしくておもしろい。


『新薬論語』 講談社学術文庫

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論語 №81 [心の小径]

二六〇 顔淵(がんえん)死す。順路、子の車を請いて以てこれが椁(かく)を為(つく)らんとす。子のたまわく、才も不才も亦各(おのおの)その子と言うなり。鯉や死せしとき、棺(かん)有りて椁無かりき。われ徒行して以てこれが椁を為らざりしは、われ大夫の後に従うを以て徒行すべからざればなり。

                法学者  穂積重遠

 顔路は顔回の父、名を無ヨウという。孔子様がはじめて教えた時の門人で、六歳の年少。「鯉」は孔子様の子なる伯魚(はくぎょ)の名。誕生の時、魯の君から祝いに鯉魚を賜ったので名づけたという。お気の毒ながら賢とはいえなかったらしい。「才不才」と言われたのは、「お前の子は賢く、わしの子は賢くないが」の意味をふくんでいよう。

 顔淵が死んだ。父の順路が貧しくて外棺がととのえられないので、孔子様の皐を譲っていただきそれを金にかえて外棺を買いたいと願った。愛弟子のことだから承知されるかと思ったところ、孔子様はそれをことわっておっしゃるよう、「子が賢くても賢くなくても、せめて葬式ぐらいはりっぱに出してやりたいと思う親の情には変りがない。わしの息子の鯉が死んだときも、内棺は出来たが外棺がととのわなくて気をもんだことがあるので、お前の気拝はよくわかるが、車を売ってかちあるきをしてまで外棺を買おうとしなかったのは、わしも大夫の末席をけがしているので、職掌(しょくしょう)がら車なしに徒歩で出勤というわけにもゆかなかったからだ。お前も身分相応のところで、外相なしに済ませたらどんなものだろうご

 顔回が先生に卓を売らせてまで葬式をりっぱにしてもらって喜ぶはずはないのに、その気持がわからないとは順路もかなり「不肖(ふしょう)の父」だ。孔子様は外棺の有無はお前の息子のねうちに関係ないぞよ、という意味をふくめて、車を与えることを拒絶されたのであろう。情によって理を曲げない孔子様がよくあらわれている。

二六一 顔淵死す。子のたまわく、噫(ああ)天われを喪(ほろ)ぼせり、天われを喪ぽせり。

 顔淵が死んだ。孔子様がなげき悲しんでおっしゃるよう、「ああ天がわしを亡ぼした。天がわしを亡ぼした。」

 孔子様時に七十歳、道の後継(あとつぎ)として頼みに頼んだ愛弟子に先立たれたのだから、わしもこれでおしまいじゃ、と思わず最大級の言葉が出たのも無理はない。しかも二度くりかえしたところに無限の痛恨がある。おそらく顔回の死を知らされた瞬間の言葉だろう。

二六二 顔淵死す。子これを哭(こく)して慟(どう)す。従者いわく、子慟せり。のたまわく、慟することありしか。かの人の為に慟せずして、誰の為にかせん。

 顔淵が死んだ。孔子様がとるものもとりあえずその家に駆けつけ、霊前で声を上げて 「哭」された孔子様としては「哭」されたのみならず 身もだえして前後不覚に絶え入るばかり「慟」された。孔子さまとしては珍しいことなので、帰宅されてからお供に行った内弟子が、「先生は先刻慟哭なさいました。」と告げたら、孔子様がおっしゃるよう、「そうか、慟哭したか。あの人のために慟哭しないで、誰のために慟哭しようぞ。」

 「哀(かな)しんで傍らず」(六〇)の孔子様が慟したことに気がつかなかったのだから、従者が驚いたのも無理はない。


『新訳論語』 岩波文庫


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論語 №80 [心の小径]

ニ五六 子のたまわく、回やわれを助くる者にあらざるなり。わが言において説(よろこ)ばざる所なし。

               法学者  穂積重遠

 「助」は「益」である。古証に「われを肋くと、子夏のわれを起す(四八)がごとし。疑問に因りて以て相長ずるあるなり。」とある。

 孔子様がおっしゃるよう、「顔回(がんかい)は質問によってわしを啓発してはくれない。何分にもわしの言うことをたちどころに理解して喜んでしまうものだから。」

 いわゆる顔回が「終日違わず愚なるが如」きを言われたのであって、「困ったものじゃ」というように聞えて実は「大したものじゃ」とほめられたのである。質問で「助くる者」ではなかったが、実行では孔子様も啓発されたのであって、すなわち「亦(また)以て発するに足る。回や愚ならず。」であった(二五)。

二五七 子のたまわく、孝なるかな閔子騫(びんしけん)、人その父母昆弟(こんてい)の言を間(かん)せず。

 閔子騫が二十四孝の一人であることは前に言ったが、『孝子伝』にいわく。「閔子騫親に事(つか)えて孝なり。後母二子を生む。これに絮(じょ・綿入)を衣せ、騫に衣(き)するに蘆花を以てす。父察知し、後母を出ださんと欲す。騫、父に告げていわく、母在(いま))さば一子寒)こご)ゆ、母去らば三子寒えんと。父遂に出ださず。その母も変化して慈と為(な)る。」「昆」は兄。「間」は非難異論。

 孔子様がおっしゃるよう、「孝行なことかな、閔子騫は。父母兄弟が彼をほめても、
人が親ばか身びいきだと言わぬ。」

 「人その父母昆弟を間するの言なし」とよんで、他人がその父母兄弟の悪口を言わぬ、と解する人もあるが、文法上無理なようだ。

二五八 南容(なんよう~、白圭(はっけい)を三復す。孔子その兄の子を以てこれに妻(めあ)わす。

 「白圭」は『詩経』(大雅抑篇)の詩。「自圭(白玉)のカ(王+占)けたるは尚磨くべし。斯の言のカけたるは為(おさ)むべからず。」

 南容は、『詩経』を読んで白圭の詩のところにくると、何度もくり返して打ち誦(しょう)じた。かように言葉を慎む男ならばまちがいなかろうというので、兄の娘を嫁にやられた。

 孔子様が南容に姪をやった話は前にも出ている(九三)。その場合に「廃(す)てられず」「刑戮(けいりく)を免る」とあるのも、南谷が慎み深いからである。

二五九 季康子(きこうし)問う、弟子(ていし)郭(たれ)か学を好むと為す。孔子対(こた)えていわく、顔回なる者あり、学を好めり、不幸短命にして死せり、令やすなわち亡し。

 哀公(あいこう)が同じく問い孔子様が同じく答えたことが前に出ているが(一二一)、前の場合の方が詳しい。重複ではない。哀公と季康子とがそれぞれ別に問うたのである。

 季康子が「門人中だれが学問が好きですか。」とたずねた。孔子様が答えられるよう、
「顔回という者があって、学問好きでありましたが、不幸にも短命でなくなり、今はもうおりません。」  

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №71 [心の小径]

基督教国の偽らざる印象 ー 帰国 12

                内村鑑三

 五月十六日 正午 晴、午後ハ靄(もや)アリ。― 年前十時頃、余ノ国土ノ視界二来レリ。昨日正午ヨリ二八二哩(マイル)ヲ走ル。ナホ六三哩、而シテホームナリ。― 創世記第三十二章ヲ読ム。余ハ此ノ流竄(りゅうざん)ノ歳月ノ間二神ノ余二示シ給とシ凡テノ燐ミノ最小ノモノニスラ値ヒセザルモノナリトノ思想ニヨリテ多大ノ慰謝(なぐさめ)ヲ得。彼ノ恩恵ハ人生ノ悲シキ経験ニヨリテ遣サレシ凡テノ真空ヲ満タスナリ。余ハ知ル、余ノ生涯ノ彼ニヨリテ導力レタルヲ、而シテ余ハ多クノ恐怖ト戦慄トヲ以テ祖国二帰ルト撃、馨ヲ怖レズ、ノバ彼ハナホ余こ対シ御自身ニッイ
テ更二多クヲ明示シ給フベケレバナリ。
 夜半。午後九時三十分、家二到着ス。神二感謝ス、余ハ約二万哩ノ旅ヲ了へ遂二此処二在ルヲ。全家族ノ歓喜、際限(きわまり)ナシ。恐ラク余ノ貧シキ両親ノ嘗(かつ)て経験セシ最も幸福ナル時ナリシナルベシ。弟ト妹ハ大キクナレリ、前者ハ元気ナル若者、後者ハ美シキ娘トナレリ。父ト終夜語り合へリ。母ハ世界ノコトハ知ラント欲セズ、タダ己ガ子ノ無事二家二帰リシヲ喜ブノミ。余ハ神ニ感謝ス、余ノ不在ノ此ノ歳月ノ間中、余ノ家族ヲ守り給ヒシコトヲ。余ノ祈祷ハ、余ノ父ノ無事ナルヲ見テ余ノ見聞セシ凡テノ事ヲ彼二告ゲンコトナリシナリ。

 『ヤコブはまた言った、父アプラハムの神、父イサクの神よ、かつてわたしに、「おまえの国へ帰り、おまえの親族に行け、わたしはおまえを恵もう」と言われた主よ、あなたが僕(しもべ)に施された恵みとまことをわたしは受けるに足りない者です。わたしは、杖のほか何も持たないでこのヨルダンを渡りましたが、今は二つの祖にもなりました』(創世記三十二車九、十節)。これが主が名誉を与えたまおうとする者の状態である。ヤコブはハランにおいて彼が追い求め祈り求めてきたすべてのものを得た、レアとラケル、子供、羊を。余もまた、彼の貧しい僕であるが、基督教国において余が追い求め祈り求めてきたすべてのものを得たのである。なるほどヤコブが恵まれた種類のものではなかった。なるほど余の事情はこの点においてははなはだ窮迫し、海陸二万マイルをこえる流竄ののちに余はポケットに残されたわずか七十五銭を有するにすぎなかった。余がたずさえ帰った知的資本もまた、余と同年輩および同境遇の国人の普通に持ち帰るものとくらべて大したものではなかった。科学、医学、哲学、神学、― こういう種類の一枚の卒業証書も余の両親を喜ばすべく彼らへの余の贈物としてトランクのなかに持っていなかった。しかし余は自分が得ようと望んだものを得た、しかり、ユダヤ人には躓(つまず)くもの、ギリシャ人には愚かなもの』である――である。なるほど余はそれを基督教国にわいて余が予期していたような方法で見つけなかった、すなわち余はそれを街頭にて、あるいけ教会あるいは神学校においてさえ、拾ったのではなかった、しかし種々のまた相反する方法において、余はそれをそれにもかかわらず得たのである、そして余は満足した。これが、それゆえ、余の両親と国人とへの余の贈物である、彼らがそれを好もうが好むまいが。これこそ人間の希望、これこそ万民の生命である。いかなる哲学も神学も人類の歴史にそれの占める場所を占めることはできない。『わたしはキリストの福音を恥としない、それはこの福音はユダヤ人を初めギリシャ人にも、すべて信ずる者に救を得させる神の力であるからである。』
 余は夜遅く我が家に着いた。丘の上に、杉垣に囲まれて、余の父親の小家屋が立っていた。『お母さん』余は門を開けながら叫んだ、『あなたの息子が帰って来ました。』苦労の影を増した彼女の痩せた姿の、いかに美しき! デラウエアの友人の選んだ美人に認め得なかった理想的美を、余は再び余の母の神聖な姿において見出した。そして余の父、この広漠たる地球上に一エーカーの十二分の一の部分の所有者、― 彼もまたりつばな英雄、正しいそして忍耐の人である。ここは、それゆえ、余がそれを余白身のものと呼んでよい、またそれによって余がこの国土と地球とに繋(つな)がれる、一地点である。ここは余のホームにしてまた余の戦場でもある、余の奉仕、余の祈り、余の生涯を自由に捧げしめるであろう地である。      
 余の帰宅の翌日、余は異教徒によって発起されたという一基督教カレッヂの校長の地位への招請(しょうせい)を受けた。奇妙な組織なるかな、これは、世界の歴史に独一である。余はそれを受諾すべきであろうか。
 しかしここでこの書は閉じなければならない。余は諸君に如何にして余は基督信徒となりし乎を語ってきた。余の生涯が十分に多事なるものとなり、また読者諸君が余の話し方に倦怠(けんたい)したまわないならば、諸君にはこのようなもう一つの書を贈るであろう、題していわく『余は如何にして基督信徒として働きし乎。』        (完)

『余は如何にして基督信徒となりし乎』 いわなみ

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論語 №79 [心の小径]

二五三 色みてここに挙(あが)り、翔(かけ)りて後(のち)に集る。のたまわく、山梁の雌雉(しち)、時なるかな、時なるかなと。子路(しろ)これに共(むか)う。三たび嗅(な)いて作(た)つ。

                法学者  穂積重遠

 本章はいささか難解でいろいろの説があるが、孔子様が雉の進退時を得たりとほめたことを語って、孔子様自身の進退こそ「時なるかな、時なるかな」とほのめかし、もって郷党第十の聖人描写を結んだもの、とする説がおもしろい。

 孔子様が門人たちと山路を行かれたとき、行手の山橋のほとりにおりていた雌雉が、人のけはいに一度飛び立ったが、一回り輪をかくと、害心なしと見定めて、再び元の所へおり立った。孔子様がこれを見て、「山路の橋の雌雉よ、飛ぶも返るも時を得たるかな、時を得たるかな。」と感嘆された。すると子路が、おとなげもなくつかまえようとでも思ったか、雉に近寄ったので、雉は三度鳴いて飛び去った。

 最後の二句を、子路が雉に食物を投げ与えたところ、三度かいだだけでたべずに飛び去った、という意味に解する説もある。
 中村正直が本章に関連して『論語』の文章につき左のごとく言っているのは、すこぶるわが意を得たものだ。
「色みてここに挙り、翔りて後に集まる、とは何物たるを言わず、読みて下段に至りて・まさにこれ雌雉たるを知る、絶世の妙文、天衣無縫なり。けだし郷党一篇、門人力を極めて描写し、聖人の声音笑貌(しょうぼう)、躍然として現出し、行住座臥(ぎょうじゅうざが)、八面倶(とも)に到る。儀礼・檀弓(だんぐう)。考工記皆及ぶこと能(あた))わず。知るべし、周人の文精妙絶倫、而して論語の文はすなわち又類を出で萃(すい)
を抜くもののみ。」

二五四 子のたまわく、先進の礼楽におけるは野人なり。後進の礼楽におけるは君子なり。もしこれを用いば、則ちわれは先進に従わん。

「先進」「後進」は「先輩」「後輩」である。ここでは殷(いん)末周初の人と周末すなわち当時の人をいう。ここの「君子」は現在の「紳士」というくらいの意味。「先ず礼楽に進むは」「後に礼楽に進むは」とよんで全然別の解釈をする人もあるが、省略する。

 孔子様がおっしゃるよう、「昔の人の礼楽に対する態度は、いなか者的質朴であった。
今の人の礼楽に対する態度は、紳士的華美である。いずれも完全ではないが、もしどちらか一つによれというなら、わしは昔流儀に従おう。」

 安井息軒いわく、「周公の礼を制する、文を尚(とうと)びて以て殿の質を変ぜり。すなわち周公の俗は必ず質文に勝てり。周道すでに衰え、孔子の時に至りては、文日に勝ちて質衰う。孔子これを周初の盛に反(かえ)さんと欲す。故に此の言を発せるなり。」

ニ五五 子のたまわく、われに陳蔡(ちんさい)に従いし者は、皆(みな)門に及ばざるなりと。徳行には顔淵(がんえん)・閔子騫(びんしけん)・冉伯牛(ぜんはくぎゅう)・仲弓(ちゅうきゅう)、言語には宰我(さいが)・子貢(しこう)、政事には冉有(ぜんゆう)・季路(きろ)、、文学には子游(しゆう)・子夏(しか)。

「陳蔡方面に同行して共に難儀した門人たちも、あるいは死亡し、あるいは出(い)でて仕(つか)え、あるいは帰国して、今は誰も門下におらぬ。さびしいことかな。」と孔子様が晩年に歎息された。その人々は、徳行がすぐれた者としては顔淵・閔子騫 冉伯牛、言語にまさった者としては宰我.子貢、政治で聞えた者としては冉有・季路、文学に長じた者としては子游・子夏であった。

 この十人は編者の附記と思われるが、これがいわゆる「孔門の十哲」である。もっとも曾参(そうしん)・有若(ゆうじゃく)などという優等生がはいっていないが、この二人は若い門人で、陳蔡に随行せず、また当時門下にいたのであろう。なお冉有も「陳蔡に従いし者」ではないが、古い門人だから加えたらしい。


『新訳論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №70 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象 帰国10

                  内村鑑三

 諸君の基督教が諸君自身のいろいろなイズムからふるい分けられ、諸君の常識が十分に鋭くされ(すでに鋭くなかったならば)、そして何よりもよいことは、悪魔が歳君自身の霊魂において戦い披かれて、諸君が異教徒に無限の善を為し得ないという理由は何もないとおもう。異教国はいままでそういう宣教師をもあ(神に感謝すべきかな)、そしてもっと多くのそういう人々を呼び求めつつあるのである。我々はすぐに彼らが他国人であるとは考えない。彼らが我々の言葉に通じていないそのことさえ彼らと我々との間には何の障害でもない。基督教は彼らのその眼にある我々はそれを彼らの我々との握手において感ずる。おお、いかに彼らが我々の間にて光輝を放つことよ! 彼らのその存在が暗黒を追いはらう。彼らは我々に対して説教する必要はない。我々が彼らのかわりに説教するであろう、ただ彼らをして我々を背後から支えしめよ。むしろ一人のそういうひとが幾ダース、幾膏の宣教師的冒険家と実験者より望ましい。『天使の長(おさ)も羨む事業 ― キリストを異邦人に伝える事業』である。天使の長彼自身のほかに誰がこの羨むべき事業に
従事し得るか。
 然り、基督教を我々は要するのである。我々はそれを我々の木と石の偶像を破壊するためだけ知に必要とするのではない。それらは異教国その他にて詩せられる他の偶像とくらペて無害のものである。我々は我々の悪をより悪として現し、我々の善をより善として現すために、それを必要とするのである。それのみが我々に罪を悟らせることがでる、そして我々にそれを悟らせて、我々を助けてそれ以上にのぼらせ、それを征服させることができる。異教を余はつねに人間存在の微温的状態と考える。 ―  それは非常に温かくもなく非常につめたくもない。昏睡的生命は弱い生命である。それは苦痛を感ずることがより少ない、それゆえ喜ぶことがより少ない。ディ・プロファンディス(深き罪より)は異教のものではない。我々が基督教を必要とするのは、我々を強化するため、我々の神には忠誠を、悪魔に対しては敵対を、誓うがためである。蝶の生命ではなくて、鷲(わし)の生命である。ピンクの薔薇の小柄な完全ではなくて、オークのたくましい強さである。異教は我々の幼年期には役立つであろう、しかし基督教のみが成年期に役立つ。世界は生長しつつある、我々は世界とともに成長しつつある。基督教は我々のすべてにとってなくてならぬものとなりつつあるのである。

 五十日間、余は、帰国の空、海上にあった。余は南十字星の下を航海した、真の十字架が立ち、偽りの十字架が倒れるのを見た。しかし諸君は余が愛する者たちとまもなく会って幸福であったと思うか。然り、敵との遭遇の後に征服を夢見る兵士が幸福であるという意味で幸福で」あった。余は彼によって見出された、彼は余をしばりたもうた、そして余の欲しないところへ余を連れて行くであろうと余に告げたもうた。銭湯を彼は余自身の小さな領域にて余に割り当てたもうた、そして余は否と答うべきでなかった。ああ、余は悪戦苦闘して彼を求めた。余は彼を発見した、そして彼は余に直ちに彼の戦場に行けと命じたもうた! これは武士の家に生れた者の運命である。余をして呟(つぶや)くことなからしめよ、ただ感謝の心をわだかしめよ。

『余は如何にして基督信徒となりし乎』

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論語 №78 [心の小径]

二四八 君食を賜(たま)えば、必ず席を正して先ずこれを嘗(な)む。君腥(せい)を賜わえば、必ず熟してこれを薦(すす)む。君生を賜えば、必ずこれを畜(やしな)う。君に侍食(じしょく)するに 君祭れば先ず飯(はん)す。疾(や)むとき君これを視(み)れば、東首(とうしゅ)して朝服(ちょうふく)を加え紳(しん)を引く。君命じて召せば、駕(が)を待たずして行く。

                法学者  穂積重遠

 君がお料理をくださると、必ず席を正しくしてさっそくちょうだいする。君が生肉をくださると、必ず育てまず祖先の霊に供える。君が生きた動物をくださると、必ずそれを飼っておく。君のご相伴をするとき、君が食前の祭をされる間に、先ずお毒味をする。病気のとき君が見舞に来られると、東枕にねて君が南面なさるようにし、礼服を寝具の上にかけ、束帯をその上に引く。家に在るとき君のお召があると、馬車の用意ができるのを待たずに出かける。

 「紳」は官服の大帯で、わが国ならば束帯というところだ。「紳士」という言葉はこれからきている。

二五〇 朋友死して帰する所無ければ、のたまわく、われにおいて殯(ひん)せんと。朋友の饋(おくりもの)は、車馬と雉も、祭肉にあらざれば拝せず。

 「殯」は「かりもがり」入棺してまだ本葬をしない間をいう。天子は七カ月、諸侯は五カ月、大夫は三カ月、士は二カ月、という古礼になっている。そして中国では今でもそうのようだが、放都外で死んだ者の遺骸は、「かりもがり」しておいて便宜の時、祖先の墓地へ帰葬するのが、古来の慣行であった。

 友人が死んでこの土地に遺骸を引取るべき親類のない場合には、わしの所で「かりもがり」を引受けよう、と申し出た。朋友から贈物があった時には、友達の間柄のことだから、車馬のような高価な贈物でも、祭の供物の肉の場合の外は、拝礼をしない。

 出獄人保護事業で有名だった放原胤昭翁は、元は相当の幕臣で、印旛沼のほとりに広い墓地をもっているが、その墓地には同家一族以外の者の墓が五十何基かある。それは世話になった人々のうち死んでも引取り手のない者及び前科者なるが故に故郷では遺骨をも容れられぬ者を葬った墓である。中には先生の墓地に葬ってくれ、と遺言して死んだ者もあるという。実際そこまでの親切はなかなかできないことだ。

二五一 寝(い)ぬるに尸(しかばね)せず、居(お)るに容(かたちずく)らず。斉衰者(しさいしゃ)を見れば、狎(な)れたりと雖も必ず変ず。冕者(べんしゃ)と、(こしゃ)とを観れば、褻(な)れたりと雖も必ず貌(かたち)を以てす。凶服者(きょうふくしゃ)にはこれに式(しょく)す。負販者(ふはんしゃ)にも式す。盛饌(せいせん)あれば必ず色を変じて作(た)つ。迅雷(じんらい)風烈(ふうれつ)には必ず変ず。

 「版」は戸籍者。民政の根本たる大事の書類故、それをかついで行くのは役所の下役小使でも、戸籍そのものに対して敬意を表されたのである。

 ねるときには、死骸を投げ出したようなねぞうのわるいかっこうをしない。起きているときには強いて容態ぶらない。喪服をきた人を見ると、親密な間柄でも顔色を変ずる。衣冠をつけた人やまた盲人を見ると、別懇の間柄でも形を改める。車に乗って通るとき、喪服の人にあうと、車の前の横木に手をかけてあたまを下げた。戸籍簿の運搬者にも礼をした。りっぱなご馳走が出ると、これはこれはと驚いた顔つきをし、立って主人の厚意を感謝した。急に雷鳴がしたり烈風が起ると、天変地異に恐催する意味で、いつも顔色を変えて立ち上がった。
                                        
「いぬるにしかばねせず」は、若人たち相当耳がいたかろう。斉衰者、冕者、瞽舎については、前にも同様の記事がある。
 雷鳴や暴風を恐怖するのではない天変地異をばかにせず、天の渓谷ととって畏(かしこ)み慎むのでであって、『礼記』(玉藻篇)にも「もし疾風迅雷甚雨あれば、すなわち必ず変ず。夜と雖も必ず興(た)ち、衣服冠して坐す。」とある。ともかく本章の末句は有名だ。『十八史略』に左の記事がある。「車騎将軍蕫承(とうしょう)、密詔を受くと称し、劉備とともに曹操を誅せんとす、曹操一日従容(しょうよう)として備に謂っていわく、今天下の英雄は、ただ死者と操のみと。備まさに食す。匕チョ(ひちょ)を失す。雷震に値(あ)って詭(いつわ)っていわく、聖人いう、迅雷疾風には必ず変ずと・まことに以(ゆえ)あり。」

『新訳論語』 岩波文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №69 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象 — 帰郷 10

                   内村鑑三

 つぎに、諸君が我々のところに来る時には、健全な常識をもって来れ。一国民は一日のうちに回心させられ得ると諸君に語る外国伝道(ミッション)軽業師(かるわざし)の言葉を信ずるなかれ。この地上で発見さるべきいかなる精神的「黄金国」(El Dorado)もない。いかなるところであれ霊魂は数ダースずつ、数百ずつ回心させられ得るものではない。ここもかしこも同じ当り前の世界である。人々は疑い、偽り、つまずくのである、ここでも他のどこででも。余は宣教師のうちには、我々が彼らの同国人であるかのように、我々に説教する者のあるのを知っている。彼らは、アメリカ人とイギリス人にあのようにうまく行っているムーディ・サンキー方式は、日本人とシナ人にもひとしく成功すべきであると考えているように見える。しかし日本人とシナ人はアメリカ人ではない、諸君のよくご承知の通りである。彼らはその幼時を『主はわが僕者(かいぬし)』、『今われ眠る』その他の天使のメロディーではぐくまれたのではない。彼らは銅鑼(どら)にエスティ・パイプオルガンだけの喜びを感ずる。彼らは『異教徒』である、そして諸君はそのように彼らを教えなければならない。しかるに或る人々は彼らにイエス・キリストを説教し、新約聖書を一部ずつ彼らに与え、洗礼を受けるように説得し、教会員名簿にその名を登録し、かくて彼らを母教会に報告させ、そして彼らは安全であり、ともかくも天国には行くであろうと考える。おそらく彼らはそうかもしれない、おそらくそうでないかもしれない。遺伝的影響、心理的特質、社会的環境は、(彼らのうちにある罪を犯そうとする同じ古いアダム的傾向については何も言わないとしても、)彼らに宣べ伝えられる新しい聞きなれない教義には、それほどたやすく適合し得るものではない。我々は不敬虔(ふけいけん)な科学は軽蔑しても、しかも科学なき福音宣伝には多くの価値を置かない。余は信仰は全く常識と両立し得るものであると倍ずる、そして熱心な成功した宣教師はすべてこの感覚を豊富にもっていたのである。
 藷君自身の霊魂のなかで悪魔と戦いぬいてのちに、我々のところにもまた来れ。ご承知のようにジョン・バンヤンは悪魔にはほんの僅かな経験しかない牧師先生のことを語っている。彼がバンヤンの霊魂を癒すことができなかったように、彼のような牧師は我々異教徒を癒すことはできない。回心のことは『遠方からの報告』として開いただけの『生れながらの基督信徒』は、暗黒から光明への我々の死闘に我々を大いに助けることはできない。余はアメリカに三人のクエーカーの教授を知っているが、彼は余がキリスト目指す余の闘いにおいて克服しなければならなかった疑問と困難について彼に話した時、どうしてそういうことがあり待たか自分にはよくわからない、基督教は一つの単音節L・O・V・Eのなかに含まれているほど簡単なものであると思うから、といった。ただ一音節、しかし宇宙それ自体がそれを入れることはできないのである! 羨(うらや)むべき人なるかな、彼は。彼の祖先が彼のためにその闘いを闘ってしまったのである。彼は闘いを意識しない。この世に来たのである、レデイ・メード(出来合い)の基督信徒である。百万長者の息子が自力自立の艱難辛苦を理解することができないように、この教授や基督教国おける彼のような多くの人々は、我々異教徒があの一一音節のなかに平安に落ちつくようになる前に何を我々の霊魂において闘わなければならないかを理解することができない。彼のような人は自国に教授として留まり、宣教師として我々のところに来ないようにすすめる、彼らの単純さと一本気とが我々を当惑させるように、我々の複雑さと剛回りくどさが彼らを当惑させるかもしれないからである。本当に我々のうちで基督教に対して何か真摯な経験をもったことのあるものは、それが全く安易な、ホーム・スウィート・ホームの、すべての人に平安あれの、事柄ではないことを知ったのである。我々はそれがいくぶんか詩人ブライアントの「自由」のようなものであることを知ったのである、
  『有髯(ゆうぜん)の男子、
  寸分すきなく武装せるが、なんじなり、鎖籠手(くさりごて)せる一手は
  広き盾を、一手は剣を把る、汝の額(ひたい)は
  美しさに輝くとはいえ、傷あとあるは
  古き戦いの印なり、汝の巨大なる四肢は
  闘いのゆえにたくまし』
である。我々は『天路歴程』の責価は解することができる、しかしあの幸福な幸福な蜜月式宗教については、我々はそれが何であるかを知らない、ただ知っているのはそれが十字架につけられたまいし者の基督教ではないことである。異教はまず諸君自身の霊魂において征服せられて、然る後に諸君はそれを我々においてりつばに征服することができる。


『余は如何にして基督信徒ありし乎』 岩波文庫


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論語 №77 [心の小径]

二四五 郷人(きょうじん)の飲酒に、杖者(じょうしゃ)出ずればここに出ず。郷人の儺(だ)には、朝服してソ階(そかい)に立つ。

               法学者  穂積重遠
                            
 「杖者」は老人。『礼記』(王制篇)に「五十は家に杖つき、六十は郷に杖つく。」とある。
 「儺」は「鬼やらい」。わがの国節分豆まきに当るが、三月・八月・十二月と年三回行った。豆をまいたかどうかは知らぬが、正月の獅子舞のように、村人が家々をまわって厄払いをしたらしい。「ソ階」は堂の東の階段、主人の出入する玄関。

 村人の酒盛にも、長老が退席するのを待って続いて出た。村人が鬼やらいをしに来ると、大夫の官服をつけ玄関に立ってそれを受ける。
 たわむれ事みたようになっている年中行事にも、大まじめであられたのだ。

二四六 人を他邦(たほう)に問わしむれば、再拝してこれを送る。康子薬を饋(おく)る。拝してこれを受く。いわく、丘(きゅう)未(いま)だ達せず、敢えて嘗(な)めず。

 使いを他国へやって人を見舞わせる場合には、再拝して送り出された。魯の大夫の李康子(きこうし)が病気見舞に薬を贈ったとき、病中であるのに拝礼してこれを受け、さて使者に向かって、「ご好意かたじけなくお礼申し上げますが、お薬が病症に適するかどうかまだ心得ませんので、早速には服用致しませぬ。」と言われた。
 前後両段続かぬようだが、使者を出したりせ受けたりするときのまじめな態度という意味で一章にしたらしい。前段については、伊藤仁斎が左のごときおもしろい話を書いている。「宗の楊簡(ようかん)嘗て書を作りて人に与え、楊某再拝と書してこれを附す。僕(ぼく)既に発す。忽ち自ら思えらく、親(みずか)ら拝せず而して拝と書するはこれ儀(ぎ)なりと。急に僕を呼び返し、書を案上(あんじょう)に置き、拝を設けてしかる後に遣(おく)る。暗に孔子拝して使者を送るの意に合す。学者かくの如きの忠信あり、しかる後に哲学を言うべし。」後段については古註に左のごとくある。「大夫賜(たま)うあり、拝してこれを受くるは礼なり。末だ達せずして敢て嘗めざるは、病を謹むなり。必ずこれを告ぐるは直なり。」

二四七 厩(うまや)焚(や)けたり。子(し)朝(ちょう)より退いてのたまわく、人を傷(そこな)えりやと。馬を問わず。

 孔子様がお役所へ出勤の留守、馬屋が失火で焼けた。帰宅してそれを聞かれたが、「人にけがはなかったか。」といわれたきりで、馬のことを問われなかった。

 これは「厩火事」という落語があるほど、有名な一段だ。馬をも問わぬのは不仁だというので、「人を傷えりや否や。馬を問う。」とよみ、まず人を、次に馬を、と解する人があるが、それは考え過ごしだ。むしろ責任問題の起ることを避ける意味で馬を不問に附されたのだ、と解したい。
 昭和二十四年十二月二十八日の夜、何心なくラジオのスイッチを入れたら、小金井の東宮仮御所がつい先刻、殿下が葉山へお成りのお留守中に全焼し、書籍その他お身のまわりの品品何一つ取り出せなかったと、報じているではないか。わたしにとっても思い出の御殿なので、実に驚いた。その時とっさに胸に浮んだのは、『論語』のこの一節で、このことが葉山に急報されたとき殿下が何とおっしゃるだろうかということであった。ところが後に承ると、その時、殿下は「人にけがはなかったか。」とおっしゃったきりであられたよし。さすがはと感激したことであった。


『新薬論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №68 [心の小径]

第十章 基督教国つわりなき印象 ― 帰郷 9

                内村鑑三 

 しかし諸君は自分自身の国土の中に十分な異教徒をもっているのに、何故に異教徒に宣教師を遣(おく)るのであるか。
 ご承知の通りこの世は一単位であり、人類は一大家族である。これは余が余の基督教の聖書において読むところである、愛国心は、基督教的なものも、そうでないものも、このことを否定するように見えるけれども。諸君は他人を完全にすることなしに諸君自身を完全にすることはできない。囲繞(いじょう)する異教の真中にある完全な基督教国という観念は、不可能である。他の国民を基督教化することにおいて、諸君は諸君自身を基督教化するのである。これは実際の経験によって豊富に証明せられる哲学である。
 諸君がその外国伝道を中止し、その全勢力を国内伝道に集中すると仮定せよ。何を諸君は得るであろうか。めざましい回心が増加し、ウィスキーの害悪から免れた家庭が増加し、恥かしくない身なりの子供が増加する、これは疑いがない。しかしそれとともに何が起るか。異端征伐が増加し、教派的の陰口(かげぐち)が増加し、それとともにおそらく日曜学校の遠足と教会における『日本の花嫁』が増加するであろう。すでに千八百年以上にわたって基督教を所有してきた諸君は、一つの方向において為された善は他の諸方向において為さるべき善を減少せしめるというあの愚かなそして異教的な考えを、この時までには乗越えてしまっているとおもう。― 外側の生長は常に内側の生長を意味する。諸君が何か体内の倦怠(けんたい)になやんでいる。諸君は医師のもとに行く、そしす医師は諸君に妙薬につぐ妙薬を投ずる。しかし何一つ諸君を癒(いや)さない、諸君は医師に信用を失い始める。ついに諸君は自分の悩みの真の知識に到達する。諸君は自分の注意を内側から転ずる、すなわち諸君は自分自身を忘れる、そして諸君は何か外側の仕事におもむく、キャベツの栽培、それでもよろしい。かくて諸君は自由に呼吸し始める、諸君の二頭筋は少しく大きくなり引き締ってくる。徐々に諸君は自分の悩みが去ったのを感ずる、そして諸君は今や以前にまさる強健な人であることを感ずる。諸君は反射作用によって自分自身を癒したのである。諸君はキャベツに自分自身を引き渡した、そしてキャベツは諸君を癒したのである。
 教会についても同様である。異端征伐で剪定(せんてい)し新神学で治療すること決して彼らを癒さないかもしれない。いな、彼らはより悪くさえなるかもしれない。そこで或る賢い人々が彼らに外聞伝道を処方する。彼らはそれに参加する、そしてすぐにそれに関心を抱く。彼らは全世界を自分の同情の中に取り入れた、そしてそうすることによって自分自身の拡大するのを感ずる。かくして生じた新しい同情は、異端裁判と新神学治療とによって睡ってしまった晋の同情を呼び起こす。彼らが自分自身を自分自身に対して費(ついや)すことによって自分のうちに生還らせることに失敗したものが、自分自身を自分自身以外のものに対して費すことによって、今や自分に帰って来つつあるのを彼らは見る。諸君は異教徒を回心せしめた、そして異教徒は今や諸君を再回心せしめる。そういうものがヒューマニティーである、それほど密接に諸君は全人類と結ばれているのである。異教徒を憐れめと? 諸君は悲惨な境遇にある自分自身の兄弟を憐れむか。諸君は彼を恥じ、彼の悲惨な状態のために自分自身を責めないか。これが基督教外国伝道の真の哲学であると余は信ずる、そしてこれ以外の土台の上に開始された外国伝道は、ショーであり、芝居であり、その反対者によって非難せられ、またそれが派遣されたその異教徒によって無視せらるべきものである。
 しかし諸君は問う、君たち異教徒は基督教をもちたいのかと。
 然り、我々分別ある異教徒はそうおもう、そして我々のうちの無分別なものは、宣教師に石を投じたり、その他いたずらな事を彼らにするけれども、彼らがその分別を取り戻すやいなや、自分たちが間違ったことをしたことがわかるであろう。もちろん我々は基督教の名のもとにやってくる多くのものを好まない。聖麺●(ホスト)、自法衣(サープリス)、強制的の祈祷書、神学は、もしそれらが基督教そのものを我々の現在の心的発展の状態において我々に伝達するに絶対に必要かくべからざるものでないならば、我々はそれらのものは無しに済まされることを願うものである。我々はまたいかなるアメリカ教(Americanianity)とアングリカン教(Anglicaniarity)をも基督教として我々に押しつけられるのを好まない。我々のうち一人としてキリスト彼自身に石を投じたことはなかったとおもう。もし我々がしたとすれば、我々は全能者の御座そのものに石を投じたのである、そして我々は頁理そのものに裁かれるであろう。しかしキリストの名において自分自身の意見を我々に教え ― 神学と彼らはそれを称する ―、そしてまた彼ら自身の風俗習慣、『自由結婚』『婦人の権利』のようなもの、その他いずれも我々には多かれ少かれ好ましくないものを我々に教える宣教師たちに石を投ずるからとて、我々を叱責することなかれ。我々はこれを自己保存のためにするのである。カトリック教には堪えてもロマ・カトリック教には堪えられず、ピウスとかレオとかが諸君の学校問題やその他の公共問題に干渉することに対し、高壇の説教や新開の社説を真向に画とむかって彼らにたたきつける諸君よ、アメリカ教、アングリカン教、その他の外国の何教に反対する我々の抗議について、我々に同情を寄せよ。


『余はいかにして基督信徒となりし乎』 岩波文庫


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論語 №76 [心の小径]

二四三 食は精(しろ)きを厭わず、膾(なます)は細さを厭わず。食の饐(い)してアイ(「食」プラス「曷」)せる、魚の餒(たい)して肉の敗れたるを食わず。色悪しきは食わず。臭悪しきは食わず。シン(「食」プラス「壬」)を失いたるは食わず。時ならざるは食わず。割正しけらば食わず。その醤(しょう)を得ざれば食わず。肉多しと雖も毒食気に勝たしめず。ただ酒は量(はかり)なし、乱に及ばず。沽酒(こしゅ)市脯(しほ)は食わず。薑(はじかみ)を撤せずして食う。多く食わず。公(こう)に祭れば肉を宿せず。祭肉(さいにく)は三日を出(いだ)さず。三日を出ずればこれを食わず。食うに語らず、寝(い)ぬるに言わず。疎食菜羮(そしさいこう)瓜と錐も祭る。必ず斉如たり。

                     法学者  穂積重遠

 これは孔子様の食生活である。今時こんなことは言っていられないが、孔子様のキチョウメンな性質があらわれている。文字の講釈もいろいろあり、また異説もあるが、前者は略し後者は二三を後にしるそう。「言」は自ら言う。「語」は人の言に答える。

 飯は精白な方がよいとはされるが、ぜひそうなくてはならぬというのではない。さしみは細切りの方がよいとはされるが、ぜひそうなくてはならぬというのではない。
 飯のすえて味の変ったもの、また魚のただれたもの、獣肉の腐ったものはたペない。煮過ぎた色の悪いものはたべない。においの悪いものはたべない。煮過ぎたものや生煮えのものなど、料理の適度を失ったものはたべない。行儀よく切ったものでなければたべない。魚や肉は、何にはカラシ醤油、何にはショウガ醤油、何にはワサビ醤油というようなそれぞれ合い物のかけ汁がなければたべない。副食の肉料理がたくさんあっても、主食なる飯の食欲を圧倒するほどはたべない。ただ酒は、どのくらいという分量はきめないが、酔って取り乱すほどは飲まない。町で売る酒や市場で買った乾肉はたペない。料理のツマについているショウガは、毒消しになるから、下げさせずにたべる。大食しない。殿様のお祭のおてつだいをした時ちょうだいして帰る供物の生肉は、宵越しをさせずに家人にいただかせる。また家の祭の供物の肉は、三日たたぬうちに処分し、三日を過ぎたらたべない。食事中絶対に談話せぬというのではないが、食物をたべかけているとき人から話しかけられるとも返事せず、また寝床にはいってから人に話しかけない。玄米飯や野菜汁や瓜のようなものでも、まず一箸を膳の向いに供えて、天地と祖先と生産者とに謝意を表する。それも形式的のおまじないでなく、まごころこめて供養するのである。

 「厭わず」をただ「厭わず」ではあたりまえのこと故、「厭わずとは、これを以て善しと為すを言う。必ずかくの如きを欲するの謂にあらず。」という古証に従った。「時ならざるに」には三説がある。第一説は「食時にあらざるを謂(い)う」とする。すなわち間食をしないというのだ。第二説は「五穀成らず、果実末だ熟せざるの類なり」とする。すなわち未熟のものをたべぬというのだ。第三説は「生ずることその時にあらざるを謂う」とする。すなわちいわゆる「はしり」というような初物などを賞翫(しょうかん)せぬというのだ。第三説によった。前にも「酒の因(みだれ)を為さず」(二二〇)とあって、講師様はお酒は相当お好きだったらしい。一高名物の「デ力ンショ節」に「論語孟子も読んでは見たが、酒を飲むなと書いてない」というのがあるが、しかし酔っぱらってストームをしろ、とも書いてないようだ。
 町で売る酒や乾肉(ほしにく)を買わないというのは、昔は衣服飲食は必ず家庭でととのえたもので『礼記』に「衣服飲食は市に粥(ひさ)がず。」とあるような次第だからだが、今日そういうわけにはいかない。しかし露店・屋台店などの酒や肉は用心した万がよさそうだ。メチールか猫か知れたものでないから。「多く食わず」を、ショウガをたくさんたべない、と上に続けてよむ説もあるが、大食のいましめとする方がおもしろい。一箸のお初穂を膳の向いに供えるのは、わが国でもしたことだ。水戸義公(ぎこう)の「農人形」などはこの本文から出ているのかも知れない。

二四四 席正しからざれば坐せず。

 座席の敷物がまがったりしているとすわらない。キチンとなおしてすわる。


『新訳論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №67 [心の小径]

第十章 基督教国偽りなき印象―帰郷 8

                    内村鑑三

  もう一つ基督教国の特徴を述べてそれについて善事を語るのを止める。最近の生物学がにぎやかな食後の話旗にしている、基督教における一つの教義がある。― 余は復活のことを言っているのである。ルナンとその弟子たちをしてこの教義を何とでも好きなように解釈せしめよ、しかしこの独一無二の教義の実際的意義はいかなる思考傾向の『歴史学派』によっても看過され得ないのである。異教徒は一般にかくも速かに老衰に陥るが、しかし基督信徒は一般に全く老衰を知らず、死そのものにおいてさえ希望をもつのは、それは何故であるか。まだ二十歳台であるかのようになお未来のために計画しつつある八十歳台の人々は、我々異教徒にはほとんど奇蹟的驚異の的(まと)である。我々は四十歳以上の人々を老年の中にかぞえる、しかるに基督教国では五十歳以下の人は大なる責任の地位に適するものとは考えられない。我々は自分の子供が大人になればすぐ休息と隠退を考える、そして孝行の教訓に支持されて、我々は若い世代の人々に世話をされ大事にされる懶惰(らんだ)な安逸にあずかる資格を与えられる。宣教師ジャドソンは、その生涯にわたる艱難(かんなん)の後に叫ぶのである、余には休息すべき永遠があるのであるから、生きてさらに働きたいとおもうと。ヴィクトル・ユーゴーは八十四歳のときに言うことができる、『余はこの世を祖国として愛するが故にあらゆる時間を活用する、余の仕事は始まったばかりである。余の記念碑はほとんどその土台を出ていない。余は永久にそれが高まりまた高まり行くのを見て喜ぶであろう』と。老年の慰めを酒杯に求めたシナ詩人陶淵明、あるいは頭に白髪が現れるやいなや忙しいこの世から御免こうむる余の国人の多くと、以上の人々とを比較せよ。不敬虔(ふけいけん)な生理学はすべてこれを食事、気候、等々の差違に帰する、しかし我々もまた、米と季節風(モンスーン)とともにあっても、過去に我々の常態であったものとは異なるものであり得るというその事実は、何か生理学的より以外の説明を要求するのである。
 余は基督教国の進歩性をその基督教に帰する。信仰と希望と愛、死とその使者に挑んでこれを退(しりぞ)けるこの三つの生命の使者が、過去千九百年間それに働きかけて、それを今あるようなものとしたのである。
   『生命は、その最高の敵なる死の、
    空(むな)しき憎悪を嘲る、 - 然り、
    暴君の王座なる墳墓(ふんぼ)の上に坐し、
    その仇敵に対する大勝利をもって
    おのが食物となすなり。』--ブライアント
これらの人々の罪はいまなおきわめて大きくあっても、彼らはそれを征服する力をもっている。彼らは癒すことはできないと考えるいかなる悲しみもまだもっていない。基督教は、ただこの力だけのためにも、有つ価値はないか。        
 著教外国伝道の存在理由(レーゾン・デートル)は? 余はすでにそれは述べたと思う。それは基督教それ自身の存在理由である。デーヴィツド・リヴィングストーは言った、『外国伝道の精神は我らの主の精神、彼の宗教の真の特質である。拡散的慈善は基督教そのものである。それはその純粋性を立証する不断の伝播を必要とする』と。ひとたびそれが伝播を中止して、それは生きることを中止する。神は人類のかくも大きな部分を依然として異教の暗黒の中に捨てておかれるのは何故であるかを、諸君はかつて考えたことがあるか。余は、おもう、それは諸君の基督教が暗黒を減少させようとする諸君の努力によって生きて生長するためであると。一億三千四百万の異教徒がまだある! 神に感謝せよ、まだそれほど多数のものがある、我々はアレキサンダーのように征服せられる世界の不足を嘆く必要はないからである。神は諸君に故国に留まり、諸君の財布の紐(ひも)をひきしめて諸君の心を異教徒に対して閉ざしてわくよう告げたもうと仮定せよ。諸君は無用な負い目から免かれさせてくださるのを彼に感謝したいと思うか。もし基督教外国伝道は諸君の負い目であり、それに対して諸君には神の一層の祝福があって諸君に報い異教徒の感謝があって諸君の心を暖かくしておかなければならないのであれば、諸君はそれに参加することを止める方がよいと余は信ずる、神も異教徒も諸君からは何の善きものをも得ないからである。『もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである。』それは使徒・パウロであった。余は信ずる、彼には最大のの試練は伝道者であることではなかったと。拡張的生命が彼のうちにあって、彼は普遍的愛へ拡張せずにいられたであろうか、そしてそれが基督教外国伝遇である。『伝道地の困難』、『異教徒の無礼』、その他卑怯なことを呟くよりは、我々は何ら語るべき基督教をもっていないと、ちゃんと正直に白状した方がよい、と信ずる。

『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫


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論語 №75 [心の小径]

二四〇 圭(けい)を執(と)れば鞠躬如たり、勝(た)えざるが如し。上ぐるは揖(ゆう)するが如く、下ぐるは授(さず)くるが如し、勃如として戦色あり、足シュクシュクとして循(したが)うことあるが如し。享礼(きょうれい)には容色あり、私覿(してき)には愉愉(ゆゆ)如たり。

                法学者  穂積重遠

 「圭」は天子が諸侯を封ずる時に授けるその位のしるしの玉の笏(しゃく)。諸侯が大夫(たいふ)を他国へ使いにやる場合には、いわば信任状というような意味で、模造の圭を持たせてやる。「循」は足の爪先を上げかかとで地をすって進むこと。諸侯の使いが相手国の君に謁するに、第一段の正式会見が「聘礼(へいれい)」、第二段の贈物披露が「享礼」、第三段の個人としての和郎が「私覿」である。

 君の使いとして相手国の君に謁するとき、まず聘礼では、圭を両手にささげ小腰をかがめて進まれるが、圭はさして重いものではないけれど、その重さにたえないという風に大事に持ち、動作につれて多少の上がり下がりはあるが、上がっても手をこまねいてあいさつする程度の高さであり、下がっても人に物を授ける程度の低さである。そして落してはたいへんだというように、顔色を変じてすこしふるえる気味があり、足は小股ですり足の形である。享礼となると顔色やわらぎ、さらに私覿となると、いちだんと打ちとけられる。

 孔子様が魯(ろ)の君の使いとして他国に行かれたことは記録に見えないから、この一段はこうもあろうかという想像だ、という説があるが、逆にこれを孔子様が外交使節をつとめられたことのある証拠と見たい。伊藤仁斎いわく「按(あん)ずるに、孔子隣国に聘せられし事は、農に経伝に載せずと錐も、然れども当時門人親しく見て直ちにこれを記したるは、すなわち郷党の一篇にして、もっとも信拠(しんきょ)すべきなり。」

二四二 斉(さい)すれば必ず明衣有り、布をもってす。斉すれば必ず食を変じ、居れば必ず坐を遷(かえ)す。
                                        
 「斉」は「斎」に同じ。「ものいみ」、いわゆる斎戒沐浴(さいかいもくよく)すること。

 ものいみをされる場合には、必ずあかるい色の浄衣を著(ちゃく)する。その衣は布でつくる。ものいみ中は食事もかえて、酒を飲まず、にんにくのような臭いものをたべず、平生(へいせい)の居間とは別の部屋におられる。


『新訳論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №66 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象―帰郷7

                内村鑑三

 つぎに彼らの国民的良心は ― これによって余は一国民としての人民の良心の総和を意味するのであるが ― 彼らの平均的良心よりいかに無限に高くまた純粋であることよ! 個人としては彼らが自由きままに耽溺(たんでき)していることを、一国民としての彼らは強く反対するのである。幾多の無神論者が米国のさきごろの南北戦争の戦場で基督信徒の死を遂げたという話を開いた、そして余はその話を疑わない。その戦いは主義のそれであって、名誉と卑しい利益とのそれではなかった。彼らは基督教的目的を目途(もくと)として進軍した、劣等民族の解放がこれである。歴史上かつて一国民がかような愛他的目的を目途として戦争に入ったことはなかった。基督教国民以外のなんぴともそのような戦争におももむくことはできない。しかもこの戦争におもむいたものがすべて基督信徒ではなかったのである。― またこれらの人々が自分たちの大統領として選ぶ人々の道徳的完全についていかに慎重であるかをも観察せよ。その人々はただに有能な人であるのみならず、また遺徒的な人でもなければならない。一人としてリシュリューやマザランのような人は彼らの大統領たることはできない。禍(わざわい)なるかな、あの憐れな候補者は、彼は他の点においては統治の最適任者である、しかし彼の人格を傷つける一二の汚点が彼を失敗者としたのである。道徳性は普通に異教国では政治家たる資格の数に入らないのである。― 何故彼らはモルモン教徒をそれほどきびしく追究するのであるか。『秘密教の類(たぐ)い』の蓄妾(ちくしょう)と多妻は実際にはこれらの人々の間に実行されているではないか。おかしな矛盾、と諸君は言われる。おかしい、しかし賞讃さるべき
矛盾である。国民としては彼らは多妻を許すことはできない。それを実行する人々をして秘密に行わしめよ。国民的良心は未だこの種の秘密を追求するほどには鋭くはない。しかし国家の法律の黙許と保護の下にある一つの制度としての多妻主義、それは基督信徒も無神論者も見て見ぬふりはしないであろう。モルモン教徒は服従しなければならない、さもなければユタ州には、すでにかくも多くの輝かしい名誉ある星をちりばめた旗に、もう一つの星を加えさせないであろう。
 あらゆる高潔にして価値ある感情を育てるその同じ国民的良心は、下劣にして価値のないあらゆるものを寄せつけない。白昼の日光はあらゆる種類の魔女どもにはこばまれているのである。そういうものたちは、人々の間に現れる時には、義の衣をまとわなければならぬ、さもなければ彼ら自分たちのような魔女たちに『私刑(りんち)』を加えられて、「忘却」というその使者たちにわたされるであろう。財神(マモン)は正義の法則によって歩むのである。正直は、政治においても、また他の金儲け仕事におけるように、最善の策略であると信ぜられている。良人は人中では妻に接吻する、その妻を家庭では打つのである。賭博場は撞球場という名で、堕落した天使たちさえ『レーディース』の称号で通っている。酒場は外側から見えないようにすべて仕切りされ、人はその悪習を明かに恥じて暗黒の中で酒を飲む。すべて最悪質の偽善を生ずるもの、と諸君は言われる。しかし徳とは悪行の免許のことをいうのであるか。余はをうは考えない。
 それゆえにこのように善を悪から、天空を愛する雲雀(ひばり)を穴居する蝙蝠(こうもり)から、左側の山羊を右側の羊から区別するということ、― これこそ余は基督信徒の状態であり、我々がみなその中に入ろうとしている状態、善の悪からの完全な分離の前味(まえあじ)であると考える。この大地は、美しくはあるが、もともと天使の国として意図されているのではない。それは我々をある他の場所へ導く準備の学校として意図されているのである。大地のこの教育的価値が、それをそのあるべきものとなそうとする我々の貧しい試みにわいて、見失われてはならない。功利主義と、感傷的基督教と、古代ギリシャ人のようにこの世を神々の家であると考える他の浅薄なものどもとは、コロムウェルや他の少しも甘くない預言者たちにつまずくであろう、彼らはすべてのものを幸福にすることはできないからである。『最大多数の最大幸福』が正義公正な政治の正反対を意味する場合はあまりに多くある。天が下にコンゴー、ザムベシ河岸のアフリカのジャングルにおいてほど多くの『普遍的満足』の見出されるところはないと思う。霊魂の最善の訓練が可能であり、したがってこの大地の創造の本来の目的が最も善く実現されているその状態こそが、最善の状態であるのである。これが成就されたときには、我々はみなこの地を去り、我々の或る者は永遠の祝福に、他の者は永遠の非祝福に、そして大地そのものはその仕事を完了してしまったものとしてその原始の要素に還(かえ)ってさしつかえない。


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論語 №74 [心の小径]

二三六 孔子郷党(きょうとう)においては恂恂(しゅんじゅん)如(じょ)たり。言うこと能(あた)わざる者に似たり。その宗廟(そうびょう)朝延に在るや、便便(べんべん)として言う。ただ謹(つつし)むのみ。

              法学者  穂積重遠

 孔子様が郷里家庭におられるときには、恭順(きょうじゅん)質朴(しつぼく)なご様子で、ロクロク口もきき得ないように見える。大廟(たいびょう)や朝廷ではスラスラと物を言われる。ただ言語態度をつつしまれることはもちろんだ。

 郷里や家庭では、長老や目上もいること故、先に立って利口ぶった口をきかないのである。大願や朝廷は儀式や政治の大事な公務の場所だから、言うべきだけのことはハッキリと言う。ただ言葉づかいのていねいなことはもちろんだ。

二三七 朝(ちょう)に下大夫(かたいふ)と言えば侃侃(かんかん)如たり、上大夫と言えば誾誾(きんぎん)如たり、君(きみ)在(いま)せばシュクセキ如たり、与与如たり。

 朝廷で下級の大夫と語るときは、隔意なく打ち解けた様子であり、上席の大夫と語るときはかえってキチンとした中正な態度である。君が朝廷に出ておられる場合にはうやうやしくつつしんで席に安んぜぬようだが、さりとてしゃちこぼるのではなく、ユッタリと落ち着いておられる。

二三九 公門に入れば鞠躬(きっきゅう)如たり。容れられざるが如し。立つに門(しん)に中(ちゅう)せず、行くに閾(しきみ)を履(ふ)まず。位を過ぐれば、色勃如たり、足カクジョたり、その言(ことば)足らざる者に似たり。斉(もすそ)を摂(かか)げて堂に升(のぼ))れば、鞠躬如たり、気を屏(おさ)めて息せざる者に似たり。出でて一等を降(くだ)れば、顔色を逞(はな)ちて怡怡(いい)如たり。階を没(つく)して趨(わし)り進むや翼如たり。その位に復(かえ)ればシュクセキ如たり。

「屏」を「ひそめて」、「逞」を「のべて」とよむ人もある。

 御所の門をはいるときは、中腰をかがめて、いれてもらえないような様子である。ツカツカと大手を振って通ったりしない。門で立ちどまる場合にも、中央に立ちふさがらない。そこは君の通られる所だからである。また門の敷居は踏まずにまたいで通る。敷居を踏むのは無作法だし、あとから来る人の裾をよごすおそれがあるからである。門内に君の立たれる位置があるが、その前を通る時は、それが空席であっても、顔色を変じ足進まざる様子をする。門から堂までの間も、多言せずまた高ばなしせず、口不調法な人のようである。堂にのぼるときは、衣の前を踏んでつまずかぬよう、裾を引き上げ小腰をかがめて階段をのぼるが、息を殺して胡弓もせぬかのようである。御前をさがって階(きざはし)を一段おりると、顔色をやわらげてにこやかになり、階段をおりきると、両袖を翼のごとく張って小走りに席にかえり、うやうやしくひかえておられる。

「その位に復す」を、再び君の空席の前を通る意味に解する人もある。


『新訳論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №64 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象-帰郷 6 

                 内村鑑三

 しかしもし基背教国の悪はそのように悪くあるにしても、その善はいかに善くあることよ! 異教国を縦横にくまなく尋ねよ、そして人類の歴史を飾る一人のジョン・ハワードを諸君は見出すことができるかどうかを見よ。余の父は、本書の第二章で余が諸君に語ったように、深い儒学者であり、シナの古人に対する賞賛の念ははなはだ強いのであるが、彼が再三余に語ったことは、彼がジョージ・ワシントンについて知るところからすれば、孔子があらゆる頌徳(しょうとく)の辞を惜しまなかった堯(ぎょう)と舜(しゅん)は、このアメリカの解放者とくらべて無価値であるということであった、そして余の父以上にワシントンについての知識をもっている余は彼の『歴史批評』を全部是認することができる。英雄的行為と心の柔和さ、才能と目的の公正無私、常識とその宗教的確信の熱誠との結合、オリヴ7-・コロムウエルのそれのようなそういう結合は、非基督教的経編のもとにおいては存在を想像することはできない。我々は我が国のお歴々が巨万の富を蓄えてそれを自分自身の『後生のため』に寺に寄進し貧乏人に供養するということを聞いた、しかしジョージ・ピーボディのような、あるいはスチーブン・ジラードのような、与えるために蓄えそして与えることを喜びとしたものは、異教徒の間で観察のできる現象ではない。そしてこのような選ばれた少数者のみならず、もちろん人目には隠れてはいても広く基督教国中に分布していて、特に善人と名づけられてさしつかえないもの — 善をそれ自体のために愛し、人間一般が悪を行う傾向があるように善を行う傾向がある人々-が、見出されるのである。いかにこれらの人々が、用心ぶかく公衆の目に触れないようにしながら、自分の努力と祈祷とによって少しなりとこの世を善くしようと努めつつあるか、いかにしばしば彼らはただ新聞紙で読んだだけでその人々の境遇のみじめさのために涙を流すか、いかに彼らは全人類の福祉をその心に留めるか、またいかによろこんで彼らは人間の不幸と無知とを改良する事業に参加しているか、—こういうことを余は自分自身の目をもって実見し目撃した、そしてそれらすべてのものの底にある純粋な精神を証言することができる。これらの無言の人々こそ、彼らの祖国の危機にはまっさきに自分の生命をその奉仕に捧げる人々であり、異教国における新しい伝道計画を開けば、それを行う宣教師に自分の汽車賃を差し出し、自分はとぼとぼ歩いて家に帰り、自分がそうしたことのゆえに神を讃美する人々であり、その大きな涙もろい心で神の憐れみのすべての秘密を理解し、それゆえに自分の周囲のすべての者に対して憐れみのある人々である。狂烈性と盲目的熱心はこれらの人々には全くない、ただ柔和さと善を行うに当っての冷静な計算がある。じつに余は誠心誠意をもって言うことができる、余は善人をただ基督教国にわいてのみ見たと。勇敢な人、正直な人、正しい人は異教国に皆無ではない、しかし余は疑う、はたして善人が—それによって余はいかなる他国語にもまったく同義語のないジェントルマンという一つの英語に要的されているあの人々を意味するのであるが—、余は疑う、はたしてそのような人々が、我々を形作るイエス・キリストの宗教なくして可能であるかどうかを。『基督信徒、全能なる神のジェントルマン』 — 彼はこの世における独一無比の人物である、筆舌(ひつぜつ)につくしがたいほど美しく、高貴にして、愛すべくある。
 そしてただにそのような善人が基督教国に存在しているばかりではない、基督故国においてさえ善人の比較的に稀れなことを考えれば、彼らの悪人に対する勢力は無限である。善事が異教国にわいてよりもそこではより可能でありより有力であるというこのことは、基脅教国のもう一つの特徴である。『友なく名なき』一ロイド・ガリソンがあって、一民族の自由が彼とともに始まった。一ジョン・B・ゴフがあって、巨大な不節制がよろめき始める。少数はこれらの人々には敗北を意味しない、彼らの憲法はそういう意味のことを含んでいるように思われるけれども。彼らはほんとうに自分たちの正しい立場を確信している、ほんとうに国家的良心を確信している、彼らはかならず国民を自分たちの味方になしうるものと感じている。富者を彼らは畏れ尊敬し感嘆する、しかし善人はそれ以上である。彼らはワシントンの勇よりも徳を、ジエイ・グールドよりフィリップス・ブルックスを、より多く誇る。(じつに彼らの大多数は前者を真に恥じるのである。)正義は彼らには一の勢力である、そして正義の一オンスは富の一ポンドに対応し、またしばしばそれを凌駕(りょうが)する。


『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫

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文化的資源としての仏教 №17 [心の小径]

「縁起と因縁3-ご縁」文化的資源としての仏教最終回

             立川市・光西寺  寿台順誠

 さて、私は「文化的資源としての仏教」と題するこのエッセイを書き始めてから、最初2回は総論的な問題を記し、次に「往生」(第3回~第7回)、それから「四苦八苦」(第8回~第14回)という言葉について考えた。が、そこまでは結構順調に話を進められたが、その次に「縁起と因縁」について考えるという予告をし、「縁起」も「因縁」も元来は因果に関する仏教の根本思想を表す言葉であるのに、「縁起が良い・悪い」や「因縁をつける」といった、仏教の因果論がどこかで捻じ曲げられて派生したのではないかと思われる言葉について、そのルーツを確認し、それが仏教本来の因果論としての縁起説とどのように関係しているのかを考えてみたい、としておいた(第15回)。が、そのようなルーツを突きとめるのは難しいことであろうし、そもそも不可能なことかもしれないので、一応「この問題に何らかの目処が立つまで、しばらくの間(場合によっては、数か月間になるかもしれないが)このエッセイを休ませていただきたい」とお断りしておいた。が、それから何も調べられないまま、「数か月」どころか「1年半」もの年月が経ってしまった。ただその際もう一つ私は、「この休止状態を永遠に先送りするつもりはないので、ある程度のところで見切りをつけて、仮に以上の語法のルーツを辿ることが不可能だと考えるに至ったならば、話を別の形で展開するなどのことを考えることにしたい」ということも付け足しておいた。今回、忘れた頃にこの文章を書いているのは、そろそろ「見切りをつけて…話を別の形で展開するなどのことを考える」べき時が来たと思うに至ったからである。
そしてそう思ったとき、私が改めて思い出したのが上記の結婚式の話である。つまり、「縁起」や「因縁」という本来は仏教の因果に関する思想を示す言葉が、「縁起が良い・悪い」などといった形で捻じ曲げられて行くのは――そうした派生語のルーツはよくわからないとしても――、結局、マイナスの価値を示すこと(上記の文脈で言えば「離るべき縁」)は何でも避けて通ろうとする我々人間のもつ性向によるのではないか、と思ったのである。日頃、僧侶をしていると、どれだけ近代化が進み科学技術が発達しても、人は「縁起が良い・悪い」という観念から免れることはないだろうと思わされることが多い。「友を引く」といけないので友引に葬儀をしない、死者が帰ってくるといけないので火葬場から葬儀会場に戻る時には同じルートを通らない、死は穢れているので清め塩を用いる等々(←別に友引に葬儀をしなくても、人は誰でも皆いずれは引っ張って行かれるのだから、心配無用だ! 懐かしい故人なら、ついて帰ってきてもらえばよいではないか! 死を穢れと見て塩をまくのは、死すべき運命をもつ将来の自分に向かって撒いているようなものではないか!)。今も、「かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめつつ ト占祭祀つとめとす」(『正像末和讃』)と親鸞が悲歎せざるを得なかった時代と、本質的には変わっていないのではないか。まったく「恥ずべし、傷むべし」(『教行信証』信巻)である。
以上、ともかくこの話を記すことで、「縁起と因縁」の一応の区切りとしたい。(「因縁をつける」という言葉については、この文では触れられなかったが、これは本来因果関係のない事柄を、別の目的のために無理やり関係づけようとするという意味をもつ言葉だと思うので、これについても仏教本来の因果論から考えていけば、「反仏教的」或いは「疑似仏教的」な言葉であることは明らかであろう。この語源についても、また機会があれば調べてみたい。)

なお、以上のように文章が書けなくなってしまったこの期間に、物書きでもない私にとっては、そもそもこのブログのためにモノを調べて書き続けるということには限界がある、ということも痛感させられた。従って、この「文化的資源としての仏教」というエッセイそのものを、これで打ち切りにさせていただきたいと思うようになった。当初計画していたよりも早い打ち切りとなるが、今までのところでも結論的に言えることはある。それは、我々日本人は、日常、無意識のうちに随分多くの仏教用語をそれと気づかずに、また仏教本来の意味とは異なる形で使っているが、その使い方を少し反省し見直してみることによって、少しずつ仏教徒に近づいて行けるのではないかということである。その意味において、ここまで取り上げた「往生」「四苦八苦」や「縁起・因縁」に限らず、日常使用している言葉を検討し直す作業は今後も折に触れて続けていきたいと思っている。

最後に、以上のように今後はこのブログのためにモノを調べて書くことはできませんが、私が住職をしている光西寺で日常的に行っている学習会の報告なら継続することができると考え直しました。そこで、次回以降は(不定期的になるとは思いますが)私が光西寺で行なっている「親鸞文学研究」について、随時このブログに報告させていただきたいと思います。詳しくは次回紹介させていただきますが、とりあえず光西寺のホームページ(https://www.kousaiji.tokyo/)をご覧ください。


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論語 №74 [心の小径]

二三二 子のたまわく、歳(とし)寒くして然(しか)る後(のち)松柏(しょうはく)の凋(しぼ)むに後(おく)るるを知る。

                法学者  穂積重遠

 「しぼむにおくるる」は「のちにしぼむ」のではなく、「外の木の葉がしぼむあとまで残ってしぼまぬ」 の意。

 孔子様がおっしゃるよう、「厳寒の候、ほかの木の葉がしぼみ落ちる時になってはじめて松やカヤのみどり色かえぬときわ木たることがわかる。」

 「国乱れて忠臣あらわれ、家貧にして孝子出ず。」で、人間の真価も大困難に遇ってはじめて発揮(はっき)されるものぞ、という趣旨であるこというまでもない。今日の日本こそ正に「歳寒くして」だが、われわれ願わくは「凋むに後るる」松柏の操を堅持したいものだ。

二三三 子のたまわく、知者は惑(まど)わず、仁者は憂(うれ)えず、勇者は懼(おそ)れず。

 孔子様がおっしゃるよう、「知者は道理に明らかだから迷わない。仁者は常に道理に従い私欲がないから心配しない。勇者は道理の命ずるところを信じて行うから怖(こわ)がらない。

 このごろのように惑いつ憂いつ慣れつの有様では、全くもってなさけない。願わくは国家としても、また個人としても、「惑わず憂えず懼れず」の知・仁・勇三徳兼備でありたいものだ。

二三四 子のたまわく、与(とも)に共に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つペし、未だ与に権(はか)るべからず。

 孔子様がおっしゃるよう、「共に学問に志す人は求め得ようが、共に道に進み得る人は得難い。共に道に進み得る人はあっても、共に道の上に立って物に動かされない人を得ることはさらにむずかしい。共に立つことのできる人は得られても、事の宜(よろ)しきに従って変通し本末の軽重をはかって正義に合せしめることを共にする人を得ることは難中の至難じゃ。」

 孔子様の学問はけっして固定的でなく、結局は義にかなった臨機応変なのだが、その義にかなった臨機応変が至難なのだ。

二三五 唐棣(とうてい)華、偏(へん)としてそれ反(ひるがえ)る。あになんじを思わざらんや、室(しつ)これ遠ければなりと。子のたまわく、未だこれを思わざるなり。何の遠きことかこれあらん。

 前段は当時の民謡らしい。イクリの花がヒラヒラとひるがえる、というので、かの万葉の「野守(のもり)は見ずや君が袖振る」の趣だ。

 「いくりの花がひらひら招く、思わぬじゃないが、住居が遠い。」という民話がある。孔子様がおっしゃるよう、「それはまだ思わぬのじゃ。思うならば、何の遠いことがあろうか。」

 孔子様が男女相思の民謡をかりて第一七六章の意味を言われたのだ。孔子に恋歌は不似合(ふにあい)だというので、これは賢人を思う古詩だとする学者がある。それだから若先生はせっかくの『論語』を乾燥無味にするというのだ。孔子様はそんなボクネンジンではない。もしわが国の俗謡をご存知だったら、「日本には『ほれて通えば千里も一里』というのがあるよ。」とおっしゃったかも知れない。


『新訳論語』講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №64 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象-帰郷 5

                     内村鑑三

 五、〇〇〇、〇〇〇の人口を有するニュー・ヨーク州は四〇、〇〇〇、〇〇〇人を有する日本より以上の殺人者を産すると言われている。グラント将軍の日本の観察は、その貧民の数と状態が彼が自国の合衆国で見たところと比較して皆無であるということであった。ロンドンはその貧民の割合の大ききで、そして基督教国は一般にその賭博と飲酒癖とで、よく知られている。これらの人々の欲望を満たすことのできるアルコール飲料のうちには、相当の量を取れば、我が国の酒飲みの頭を顛倒(てんこう)させるだけ強いものがある。基督教国の大都会の或るものの裏町の光景は、慎(つつし)みある人は誰もあえてのぞきこむことさえしないのであるが、それはいかなる国語でも最劣等の言葉より穏やかな言葉では記述され得ない光景である。恥知らずの賭博(とばく)、白昼の海賊行為、自分自身の勢力拡大のためにする同胞の冷酷な犠牲が、そこでは巨大な事業のような規模で行われつつある。憐れみをもって異教徒を眺め自分の基督教文明の祝福された状態をたたえる諸君は、はっきり目を開いて諸君の国の慈善家の一人から余の耳に達した次のことを読まれよ、---
 基督教国のうち最も基督教的な国の一つのその首都の郊外に一老夫婦が沈黙のうちに暮していた、外見はこの世の幸福を楽しんでいるようであった。彼らの豊かな暮しの原因は依然として彼らにだけの秘密であった。もっとも一つ変な事があった。彼らはストーヴを一つもっていたが、それは外形はどう見ても彼らの煮たきのためにはまったく大きすぎるものであった、そして煙突は遅く誰も食事をするものなく人がみな眠りにつく夜の静寂の中に煙をはいた。奇妙な小さな家はその都市の英雄的な一婦人の注意をひいた、彼女はこの世の暗い物事を追求するとき、その鋭い女らしい本能にきわめて実践型の機智を兼備した人であった。彼女は実情を注意ぶかく静かに調査した。証拠につぐ証拠が手に入った、そしてこの上の懐疑(かいぎ)は不可能になった。ある暗夜、彼女はその筋の官憲とともにその家に踏みこむ。ストーヴが嫌疑(けんぎ)の目的物である。彼らはそれを開ける、そして何を諸君は彼らがそこで見つけると思われるか。老齢を喜ばせる無煙炭の燃えさしか。否、恐ろしくも恐ろしいもの! 人間らしい物がそこに! 柔軟な嬰児(えいじ)たちが焼かれつつある! 焼き賃一個二ドル! 二十年間煩わされずにこの商売に従事した! それですっかりひと財産をこしらえもしたのだ! 何のためにこの恐ろしいことが? 不運な嬰児を生れさせる恥辱を隠蔽(いんぺい)し絶滅させるために! その都市もまた私生児でいっぱいである、老夫婦の商売の繁昌(はんじょう)はそのためである! そして余の語り手は続けて言った、『あのかわいそうなもののうちには、この世に生れて来たのは………………のためであるものがあっても、驚くにはあたらない』(恥辱につぐ恥辱よ)—
 基督教国にもまたモロク礼拝! インド神話をくまなく記録して人の想像のなかにジャッガノートの恐怖を創り出す必要は何もない。異教のアンモン人たちはその幼児をはっきりした宗教上の目的をもって犠牲にささげた、しかしこれらの魔女たちにはあの『一個二ドル』以上に何の高い目的もないのである。確かに諸君のところには『異教徒がその戸口に』いるのである。『基督故国は獣的な国である。』そう報告するものが我が国人のうちにある、彼らは外国を旅行してその暗い半面だけを見た人たちである。なるほど彼らは不公平ではある、しかし上述の獣性ということの関する限りでは彼らの受けた印象は正確である。異教国は基督教国とその獣性においてもまた競走することはできない。 ′


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