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論語 №150 [心の小径]

四七三 子夏いわく、日にその亡き所を知り、月にその能ぺする所を忘るることなきを、学を好むと謂うべきのみ。

        法学者  穂積重遠

 子夏の言うよう、「毎日毎日自分のまだ知らないところを知り得て知識を広め、毎月毎月既に知り得たところを忘れぬように心がけてこそ、真に学を好む者というべきじゃ。」(参照-一四・二七)

四七四 子夏いわく、博く学びて篤く志し、切に開いて近く思う。仁その中に在り。

 子夏の言うよう、「仁に志す者は、まず博く学ばねばならぬ。しかし博く学んでもそれを実行に移す志が篤くなくては、何の役にも立たぬ。また学ぶに当って疑いが起ったならば、熱心に師友に質問して完全に理解することを期すべく、またいたずらに心を高遠理想にのみ馳することなく、身近の実際問題に引き当てて思案工夫することを要する。この博学・篤志・切問・近思は、それが直ちに仁とはいえないが、それによってのみ仁に達し得るのである。」

四七五 子夏いわく、百工(ひゃっこう)は肆(し)に居て以てその事をなし、君子は学びて以てその道を致す。

 子夏の言うよう、「職人が職場に在って仕事に打ち込むごとく、君子は一心不乱に学んでその道を成就せねばならぬ。」 

四七六 子夏いわく、小人の過ちや必ず文(かざ)る。

 子夏の言うよう、「君子は過って改むるに憚(はばか)らぬが、小人が過ちをすると、色々とつくりかざって言訳を言い、人を欺き自らを欺き、過ちを重ねる。」

 殿の紂(ちゅう)王は、暴君悪王として有名だが、けっして愚者ではなく、「智は以て諌(かん)を拒(ふせ)ぐに足り、言は以て非を飾るに足る」智者弁者であった。その「智」と「弁」とが危険なのである。(参照―八・二三九・四〇五・四八九).

『新訳論語』 講談社が卯術文庫



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