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妖精の系譜 №27 [文芸美術の森]

月の女神の性質を持つ妖精女王ティタニア 2

     妖精美術館館長  井村君江

 ここで注意すべきは、シェイクスピア以後の詩人たちのおかげで妖精はロマンチックなかわいらしいものになったが、それ以前の形としては、この場合のように人間に害をなす恐ろしい性質も持っていたということである。
 また、『ハムレット』の「(降誕祭が近づくと鶏が一晩中歌うので)どんな精霊も出歩かず、夜は安全になる、星の力もとどかないし、妖精に憑かれることもない、魔女の魔力も失われるということだ」という一節は、こうした妖精の性質を表わしており、人世のなりゆきをこのようなさまざまな仮想の因果律で説明しようとするのは、中世以前の人間にすれば極く当然のことだし、その中に妖精が含まれているのもまた自然のことであろう。この例はまたシェイクスピアが、民間伝承としてのフェアリーが文学としてのフェアリーに脱皮する、ちょうどその時に居合わせ、皮を脱ぐのを手伝ったのだということも教えてくれる。
 「さては君は一夜をマプの女王と過ごしたな、あいつは妖精の産婆だ」(『ロミオとジュリエット』)。
 ここで言われている「妖精の産婆」(フェアリー・ミッドワイフ)とは妖精の子を取りあげるのではなく、人間の夢をひきだす、人間に夢を見させるの意であって、マキューシオはこれから延々とさまざまの夢のことを話す。「恋人たちの頭を通れば恋の夢、宮廷人の膝を通れば敬礼の夢、弁護士の指を通れば謝礼の夢、御婦人の唇を通ればキスの夢……、軍人の首筋を通れば敵兵の首をあげる夢……」。妖精の産婆が人間に夢を見させるということは古くから言われたことであるが、シェイクスピアはこれをマプと結びつけて彼女の性格をよりくっきりとさせた。マプ女王には夢魔としての属性の他に、あらゆる種類の人間に夢を見せる能力が与えられており、夢を見る原因がマブの仕業になっているのであり、この点はシェイクスピアの独自な創意といえよう。「夢は空想」、「空想は空気のように実体が希薄」という言葉、さらには「われわれ人間は夢と同じもので織りなされている」
という台詞や、「人生は鋤く影法師にすぎない」という青葉を思い合わせる時、人間を形成している夢は影の存在である妖精たちが作っているわけで、言い換えればマプ女王や妖精たちは、シェイクスピアの劇の世界にとって、夢や想像力の動因としての重要な位置を与えられているわけである。
 また伝承の妖精、とくにエルフの特性のひとつ「夜中に馬のたてがみを編んだり、無精娘の髪の毛をもつれさせる」のは、民間伝承では「エルフ・ロック」(エルフの髪束ね)と呼ばれており、従ってマプ女王はエルフィン・クィーンに属するとも見られる。「マブ」(Mab)の語源を見ると、ウェールズ語で「子供」(chiild、infant)の意を持つMabb、及び(Mabel)(=boy)が短縮してできたものとみられ、キートリーによればHabundiaの縮小と言われる。また、ケルト神話の戦いの女神メイブやコノートの女王クィーン・メイブ、糸紡ぎ妖精スキャントリー・マプの響きもそこにはあるよぅに思われるが確証はない。一方、同時代のベン・ジョンソンが戯曲『サティール』の中で、マプを「妖精の女主人(
ミストレス・フェアリー-)」として、ティタニアと同じような妖精女王の位置を与えて登場させている。

  これはマブ、妖精の女主人の仕業、
  夜ともなれば搾乳場で盗みを働き、
  ミルクをかき回すのを手伝ったり邪魔したり、
  区別もなしに楽しんでやる。

  田舎の娘たちをつねるのもマプ、
  椅子を綺麗に磨いていないなら、
  燃えさしを火かき棒でかき出していないなら、
  鋭い爪で思い出させる。
  だけビマプをもてなせば、
  娘の靴の片方に六ペンス銀貨を入れておく。

 このほかマブ女王が、子供をさらいゆりかごにひしゃくを入れておくという「取り換え児(チェンジリング)」をやった。、夜道を行く人を水たまりに落としたり、眠っている娘たちに未来の夫を夢見させたりすることが描かれているが、シェイクスピアのいたずら者パックと、夢魔である妖精至の性格を一緒にしたような、民間伝承の妖精の性質を、ベン・ジョンソンはクィーン・マブにもたせている。
 『サティール』が一六〇三年六月二五日に、「女王陛下ならび王子様のわが国への初のご訪問に際し、アルソープのスペンサー脚家における特別の余興」として書かれたとするなら、『ロミオとジュリエット』の初版の出たのが一五九七年以前と推定されるので、シェイクスピアがマブ女王を台詞の中や舞台の上で登場させたのは、ベン・ジョンソンより六年ほど早いことになろう。
 また、女王の身体は貴重で高価な宝石のように極めて小さく「役人の指で光る瑪瑠ほどの大きさ」しかない点は特徴的である。伝承の妖精の属性のひとつである昆虫の馬に乗ったり、その馬に引かせた車に乗るということも、この女王の描写にそのまま表現されており、マブ女王は、「ハシバミの実の殻の車」を「罌粟粒ほどの小人の一団」に引かせ、「御者は灰色の服を着たブヨ」となっている。
 その車のつくりは華著で美しく、みな昆虫でできている。

  車輪の幅(や)は、足痍蜘蛛の脛(すね)、
  車の覆いは、イナゴの羽、
  引き綱は、蜘妹の細糸、
  首輪は、ぬれた月の光、
  鞭はコオロギの骨、鞭縄(むちづな)は薄糸、  (第一幕第四場)

 等々とある。小蛇が光る皮を脱いで彼女の身体にかけたり、蠣癌の翼で侍女の服を作ったり、蝶の羽で扇をこしらえたり、蜂の足を蝋燭がわりにしてそれを螢の火でともしたり、というティタニアの寝所の場面によく似ている。この二人の女王はどちらも柄が小さく、昆虫や花に囲まれて暮している。『夏の夜の夢』の妖精たちも「ドングリの実の中にもぐり込んで身を隠す」し、「麝香薔薇のつぼみにもぐりこんだ毛虫を退治したり」、「蠣幅と戦って、妖精の上着を作るために皮の巽をはぎとったり」しているし、ティタこアの侍女たち「からし種」「豆の花」「蜘蛛の巣」「蛾の君」も小さな身体に描かれている。しかしティタニアやオベロン、そしてパックが極小に描かれていないのは、舞台上で人間の役者(時には子役、人形)が演じたからであろうと推定される。これはシェイクスピアの妖精の大きな特色である。
 確かに昔から、スカンディナヴィアのライト・エルフは香りの良い花の中に住んでいて、身体も極く小さいと云い伝えられているし、デンマークの民謡の中にもアリぐらいの大きさの妖精が描かれている。イギリスの民間伝承でも、サマセットには老母が作ったケーキの上で妖精が踊ったので、靴のかかとで穴がたくさんあいてしまったという話があるし、バンプシャーの百姓の家で小屋を掃除していたのも、ごく小さい旺盛であったという。
 しかしながら中世末期におけるフェアリーの標準的な大きさは、背の高さが約六十センチだったり、一メートルぐらいだったり、二、三歳の子供の大きさだったりであって、シェイクスピアの妖精よりはだいぶ大きい。舞台では実際の人間の役者(時には子役だった)が演じたのだから修辞にすぎないといえばそれまでだが、それでも薔薇の花や桜草の花の中にもぐり込んだり、どんぐりの穀に隠れたり蠣幅と戦ったりするほど小さなフェアリー、優しい自然の中で楽しく踊り歌い飛びはねる陽気で美しくてかわいらしいフェアリーを創出したのは、やはり詩人としてのシェイクスピアの卓越した才能だった、と言えるだろう。彼の筆によって、イギリスのフェアリーが新しい時代を迎えたのは事実である。シェイクスピアがマブ女王を夢の女王として、短いマキューシオの台詞の中に凝縮して描写したことによって、後世の詩人たち、ドレイトンやヘリック、ミルトン(『フェアリー・マプ』)やシェリー(『マブ女王』)が、妖精の女王としての位置をマプに与え、自在に描いていく結果になったのだといえよう。

シェイクスピア.jpg
ウイリアム・シェイクスピア
シェイクスピア2.jpg
「夏の夜の夢」の木版画より「テイターニアとボトム」


『妖精の系譜』 新書館

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石井鶴三の世界 №210 [文芸美術の森]

倉田白羊氏 1933年/将棋 1933年

        画家・彫刻家  石井鶴三

1933倉田白羊氏.jpg
倉田白羊氏 1933年 (132×178)
1933将棋.jpg
将棋 1933年 (140×182)
 

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【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】
明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。


『石井鶴三素描集』形文社


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武州砂川天主堂 №2 [文芸美術の森]

第一章 慶應四年・明治元年 1

         作家  鈴木茂夫

一一月十八日、仙台城下。
                                      
 仙台の町に小雪が舞う。しんと静まりかえった武家屋敷が軒を連ねる細横町元立町(ほそよこちょうもとだてまち)。
 「戻ったぞ」
 藩医(はんい)竹内寿彦(としひこ)が青葉城から帰宅した。鍼(はり)を専門とし、二百五十石を給(きゅう)されている。
 普段着(ふだんぎ)に着替え、火鉢に手をかざし、差し出された茶に口をつけた。
 「一段と寒さが沌みるのう」
 嫡子(ちゃくし)・寿貞(としさだ)がその前に坐りこんだ。当年二十四歳、俊敏な顔立ちの若者だ。
 「父上、殿さまのご様子はいかがですか」
 「うむ、きょうも鍼を打たしていただいた。ご心労が重なっておられる」
 「殿様は、何をお悩みなのですか」
 「お前も知っての通り、徳川将軍家が大政奉還され、王政復古となり新政府が生まれた。新政府は、徳川と会津藩を朝敵として、武力で討伐するとしている。一月半ばから、再三にわたり、わが藩に会津追討の先陣に立てと言ってきている。すでに徳川は大政を奉還しているのだから、野心があるとは言えない。王政復古のときにあたり、戦乱を起こすのは、天皇の真意であろうか。それにより、わが国とかかわりのある諸外国から、どのような侮りを受けるかはかりしれない。これが殿様の考えだ」
 「父上、私もとのさまのお考えに同感であります。見込みはどうですか」
 「問題は、会津藩の処遇だ。会津藩は五年間にわたり、京都守護職に任じ、尊王攘夷派と対決してきた。今や、新政府の中枢に入り込んだ長州藩は、会津を宿敵としているからな」
 「父士、われらは会津と戦うことになるのですか」
 「われらには会津と戦う名分はない。しかし、新政府は戦えと命じてきている。それは理不尽だ。ところがこの難局に際し、重臣の意見が二つに割れている。一つは新政府の意向に添わないと、わが藩も朝敵とされるという。後は殿と同じ意見だ。これを取りまとめるのはむずかしい。このため殿もはっきりとした、藩の方向を打ち出すことができないでおられる」
 「ただならぬ気配が刻一刻と迫ってきているのですな」
 父寿彦は、口をつぐんだ。

 二月二十二日、フランス・オートマルヌ県ティヴエ村。
                                さなか
 パリの東南東約三〇〇キロ、オートマルヌ県ティヴエ村は冬の最中だ。東の地平線が明るい。日の出はもうすぐだ。雪の気配だろうか、鈍色の厚い雲が空一面をおおっでいる。ゆるやかな丘陵地帯に広がるブドウ畑と小麦畑は雪に包まれている。温暖な気候に恵まれ、古くから農耕が営まれてきた。葡萄酒シャンパンの生産地として名高い。
 村はコンミューンと呼ばれる。百戸あまりの農家で村を形成している。テストヴイド家は、その中の一軒だ。
 ジュルマン・レジェ二テストヴィドは、十九歳の少年だ。長身の頭に、黄金色(こがねいろ)の髪、銀色の瞳が光る。身繕いして牛小屋で乳を搾る。朝の日課だ。温かい乳が乳缶にほとばしり出る。ジェルマンは干し草を牛に与えた。
 それが終わると五人家族でお祈りを済ませて朝食。父親のブローシユ、母親のコリーヌ、長男のジェルマン、長女のロレーヌ、次男のセザールだ。朝食を終え、ジェルマンは急いで村の教会へ駆けつける。司祭の室は、ストーブで暖まっていた。
 初老のボランスキー神父が、笑顔で迎えた。
 ジェルマンは机をはさんで、神父の前に坐る。ジェルマンの優れた資質を見て、神父が個人的に神についての授業をしようとはじめたのだ。もう二年になっていた。
 「ジェルマン、おはよう。課業をはじめよう。最初は、永遠の生命(いのち)について考えよう。これについて何を思うかな」
 「永遠の生命とは、神を知ることです。ヨハネ伝福音書第十七章第三節に永遠(とこしえ)の生命は 唯一の眞の神にいます汝と なんぢの遺し給ひしイエス・キリストとを知るにあり(文語訳聖書・以下聖書の引用は同様)と記されてあります」
 「そうだ、よくできたよ。神を知ることは、この世ではじまり、来世において完成する。私たちがこの世での「生活を終え、死後の世界で神に出会う。ヘブル人への書第十一章第一節には
 それ信仰は望むところを確信し 見ぬ物を真実とするなり
とある。眼には見えない物を真実とする態度です。眼に見えない物とは、われわれの五感を超えたところに存在される神こそが真実であるとすることだ。これが神を知る道筋だ。私たちの肉体が亡びても、私たちの霊魂は亡びない。その霊魂が永遠の生命として生き続けるには『望むところを確信』することだ。そこで何を確信するのか」
 「人が良く生きることです」
 「それには学べば良いのだろうか」
 「良く生きる指針、つまり永遠の生命は、学んで得られるのではありません。信仰によってのみ得られるのです」
 「そのとおりだ。では信仰とは何かね」
 「神をあるがままに認識することです。神の言葉を受け入れることです。何の注釈もつけることなくです」
 「信仰は良く生きるための心の糧だ。信仰は、良く生きるために必要なことをすべて教えてくれる」
 「神父様、見えないものを信じるのは愚かであり、見えないものは信じるにたりないという意見もあります。これはどう考えるべきでしょうか」
  「ジェルマン、それは悪くない質問だ。見えるものは輝かに信じることができる、見えないものは信じられないというのは、なぜだろう。それはわれわれ人間の知性が完全なものだという立場に立つ。しかし、われわれの知性は完全ではない。われわれの五感の一つである視覚は、しばしば誤った認識をすることがある。視覚も完全ではないのだ。もちろん、われわれの知性は、努力することで理解できることも多くある。と同時に理解できないことは、理解できるものより数多くある。神はわれわれ人間を超えた存在だ。だからこそ、ヨブ記第三十六章第二十六節には、
 神は大(おおい)なる者にいましてかれを知りたてまつらず その御年の数も計り知るべからず
とある。神の存在は無限なのだ。その無限である神の言葉であるから、われわれはあるがままに、それを受け入れる。見えるか見えないかの問題ではない」
 「神父様、信仰の意義については、これまで何度もお話して頂いています。何度聞いても、私には新鮮なことです。信仰することの根本がここにはあると思えるからです」
 「ジェルマン、信仰とは、神の言葉を受け入れ、神の言葉にしたがうことだ。君はこのことを理解している。そうであるから、神とは何かを考えてみよう。神とは、世界の創造者であり、支配者であり、摂理(せつり)をはたらかす存在である。われわれが神によって生み出され、神の摂理の中に生きていることを信じる者は、同時に神が存在されることを信じる人である。このような人をキリスト者という」
 「神父様、私はキリスト教についての勉学をするにつけ、神の使徒として生きたいという思いが強くなっているのです、そのためには、まだまだ多くのことを学ばなければいけないでしょう。ですが、私はそうしたいのです」
 「ジェルマン、うれしいことを言ってくれたね。君の希望を実現するには、神学校で学び、宣教師として活躍することだ。私は、喜んでその手伝いをしよう」
 「そうなんです。宣教師となることは、私の夢です。両親の許しを得て、ぜひそうしたいと思うのです」
 「私の教区から、君が立派な宣教師となって巣立ってくれればとてもうれしい。そのためには、ラングルの神学校で学ぶことが求められる。神学校では、聖書を学ぶほかに、ラテン語が必修科目とされる。教会の公文書は、すべてラテン語で書くことになっているからだ」
 「神父様、私にラテン語を教えてくれますか」
 「喜んで教えてあげるよ」
 ボランスキー神父は、立ち上がって書棚から分厚い一冊の書籍を取り出した。
 「ジェルマン、これが教科書だ。これに入る前に、ラテン語とは何かを話しておこう。ラテン語は古代ローマ市民が話していた言葉だ。もちろんローマ市民だけではなく、ローマ帝国の公用語として使われていた。だがローマ帝国滅亡の後は、それぞれの地域ごとに言葉が変化したといわれる。私たちが今話しているフランス語もラテン語から生まれ出たものだ。イタリア語、スペイン語などもその仲間だ。だからラテン語にはフランス語と通じる点が多い。しかし、今やラテン語を自分の言葉として話す人はいない。ラテン語は学ぶ言葉だ」
 「神父様、ラテン語は私が学ぶ最初の外国語ですね」
  神父は手元の紙に文字を書いた。
  Dei te ament, Ut valess Gratias ago 
 「書いたのは三つの挨拶文だ。君の思うように発音して」
 「デイテアメント。ウトヴァレス。グラティアス アゴ」
 「悪くない発音だよ。これはね、『今日は』、『お元気ですか』、『ありがとう』なんだ。この次から、教科書ではじめよう。ラテン語を口にした気分はどうだい」
 「うれしいです」 

『武州砂川天主堂』 同時代社


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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №82 [文芸美術の森]

        喜多川歌麿≪女絵(美人画)≫シリーズ
         美術ジャーナリスト  斎藤陽一
          第10回 「北国五色墨」

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河岸見世の遊女≫

 今回は、寛政6年~7年に歌麿が描いた「北国五色墨」(ほっこくごしきずみ)シリーズを見ます。
 「北国五色墨」は、吉原遊郭の女を主題とした異色の「大首絵」5枚のシリーズです。

 「北国」とは、江戸城から見て北方にあった吉原遊郭の別称。ちなみに深川の遊里は、江戸城の東南(つまり辰巳)の方向にあったので「辰巳」と言われ、品川の岡場所は南の方角にあったので「南」と呼ばれました。

 シリーズの題名「北国五色墨」には、多種多様な墨の色になぞらえて、吉原に生きる各階層の女を描き分けるという意図が込められており、「花魁」(おいらん)「芸妓」「切りの女」「河岸」(かし)「てっぽう(鉄砲)」という5人の遊女が描かれています。

 上図は、「河岸」(かし)と題するその中の1枚。これは、吉原の遊女の中でも下級の遊女のことを言います。

83-2.jpg 吉原遊郭は、遊女が足抜けできないように周りを幅2間(3.6m)の掘割(「お歯黒どぶ」)で囲った、およそ2万坪の面積を持つ、幕府公認の遊郭でした。
 弘化3年(1846年)に町役人が町奉行所に提出した報告書によると、吉原の総人口は8、778人。そのうち遊女は4,834人でした。

 遊郭の中には、いくつかの町があり、いくつもの通りに面して、大見世、中見世、小見世など、高級、中級の遊女を抱える「妓楼」が軒を連ねていましたが、「西河岸」や「羅生門河岸」と呼ばれた裏通りには、下級の遊女たちが商売をする「河岸見世」や「切り見世」「鉄砲見世」と呼ばれる小さな家が連なり、安い値段で男たちの相手をしました。

 上図に描かれた女は、「河岸見世女郎」と呼ばれた、2朱(銭で500~600文)で商売する下級遊女です。

 吉原の遊女は、泊りの客を早朝に送り出すと、しばし仮眠、そのあとに入浴して昼食をとり、午後からの商売(「昼見世」)に備えました。
 この遊女は、入浴して昼飯をすませたのだろうか、着物を片肌脱ぎにしたまま、楊枝を加えている。髪もまだ乱れたまま。下級の遊女にまで転落してしまった女のすさんだ日常生活がうかがえるような描写です。
 女の目つきや口元には、この女の気の強さやたくましさのようなものも伝わってくる。歌麿の観察はなかなか鋭いのです。

≪「てっぽう」~局見世の遊女≫

 「北国五色墨」シリーズからもう1点、「てっぽう」と題された絵を見ておきましょう。

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 吉原の狭い路地や河岸通りには、「局見世」(つぼねみせ)と呼ばれる一間(ひとま)だけのごく小さな部屋が立ち並ぶ一角もありました。ひとつの部屋には一人の遊女だけが営業しており、これらの遊女を「てっぽう」(鉄砲)と呼びました。
 鉄砲に込める弾のことを「百目玉」(ひゃくめだま)と呼んだことになぞらえ、「局見世」の遊女の値段が「一発百文」(数千円くらい)だったことから、「てっぽう」が遊女の名称になったらしい。

 歌麿の描く「てっぽう」は、胸を大きく広げて、懐紙を口にくわえ、手を伸ばしています。髪の毛は乱れ、その眼が見つめる先には客の男が・・・と想像すると、かなり生々しい描写です。

 この遊女はかなりの年増でしょう。
 大見世や中見世などにつとめる遊女たちでも、年季が明けても、身請けしてくれるような男がいなかったり、故郷とも断絶していたりする者は、生きるために、もっと下級の遊女に身を落とす女も多かった、と言います。
 そのような状況を知ってこの絵を見ると、なんとも哀れな気持ちになります。

 次回は、吉原の遊女の中でもトップクラスの「花魁」を紹介します。
(次号に続く)


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妖精の系譜 №26 [文芸美術の森]

 月の女神の性質を持つ妖精女王ティタニア

     妖精美術館館長  井村君江

 オベロンの妃のティタコアの素性は、古典世界のきらびやかな神話体系に属する。ティタコアという名はオウィディウスの『転身物語』の中でダイアナに与えられているいくつかの異名のひとつであって、ダイアナはウラノス(天)とガイア(地)との間に生まれたタイタン族(巨人神族)の一人である太陽ソルの姉妹であるところから、ダイアナにもタイタンの生まれを意味するタイタニア(巨人の娘)、転じてティタニアという名がつけられたわけである。そして妖精の女王がティタニアと呼ばれる理由としてはおそらく以下のような推定が可能である。すなわち当時のイギリスではギリシャ神話に数多く登場するニンフやナイアドを自分たちの頭にあるフェアリーと同じものと考えていた。例えばオウィディウスの『転身物語』は、この時代にアーサー・ゴールディングによって英訳され、シェイクスピアが読んだのもこの訳だと思われるが、この英訳の中でニンフないしナイアドはみな「フェアリー」とか「フェアリー・エルフ」あるいは「ウォーター・フェアリー」とおきかえられている。そのため妖精=ニンフ、そして妖精の女王はニンフを多く引き連れる月の女神ダイアナとなったと推定されるのである。
 ジェイムズ一世はその著『悪魔学』の中で、ダイアナとそのさ迷う侍女たちはフェアリー〈phairie〉と呼ばれると言っており、ダイアナと妖精の女王を重ねているし、またスペンサーも妖精の女王をダイアナ、シンシア(月の女神)、フィーピー(輝ける女)とも呼んでおり、月と妖精、「月の女神」と「妖精の女王」とを結びつけることは当時は一般的だったようである。スペンサーの『妖精の女王』の成功は確かに影響が大きく、例えばジョン・リリーによる、ハートフォード伯爵が「バンプシャーのエルベサムを御巡幸中の」エリザベス女王に捧げた余興の仮面劇(一五九一)では、フェアリー女王は「オレオーラ」という名のもとに白銀の杖を手に現われ、エリザベス女王を讃え歌うが、女王は月の女神フィーピーとして輝くというように描写されている。

  地下に住むこのわたくし、
  オレオーラはフェアリ1の国の女王にして、
  夜ごとに彩りはなやかな花の輪のなかで
  踊りまわり、エリザベスの名を称え歌う、
  陛下に義務を尽さんとするわがために、
  海の神(ネレウス)と森の神(ウルバン)が、近ごろ、
    英国の女王陛下を歓迎し、
  魔法の枚で大地を開いたと聞く、
  フェアリーの王オベロンより与えられたる
  この花の冠を戴き、恭しく陛下に御挨拶申し上げる。

 しかし、この映像にティタニアという名を作って付したのは、シェイクスピアである。
 シェイクスピアの喜劇に登場する女王ティタこアにもこのギリシャの女神の悌(おもかげ)は濃厚に残っているが、乙女であることと純潔の守護神としての資質は失われている。彼女には夫があるし、「月夜に出会うとは運が悪いな、高慢ちきのティターラ」と夫から言われて、「何ですって、嫉妬(やっかみ)やのオベロン、あちらへお行き、妖精たち、こんな人とは共寝はおろか遊んでもやらないと決めたんだから」ときりかえすところなどなかなか活発でコケティッシュでもある。惚れ薬のせいとはいえロバの頭をかぶったボトムに熱をあげるところや、我儀で高慢で強情で、自分の過失をなかなか認めない点などまったくシェイクスピアの喜劇の中の女性であるが、それでも女神ダイアナの性質は残っていて、「月が、ほら、泣いているみたい。月が泣くと小さな花も一輪残らず渦を流す。きっとどこかで乙女が積されたのよ」などと言うのは月の女神として当然だろうし、露のおりた夜、空飛ぶ獲物を追い求める不思議な女狩人になるのもダイアナの資質である。ティタニアも侍女たちも夜に属していて明け方がくるとどこかへ去ってしまう。
 妖精たちは花々や昆虫に囲まれて暮らしており、「からし種」や「蜘妹の巣」「豆の花」「蛾の君」という名からも判るとおり、植物や花、蝶や昆虫のようであり、微小で、繊細で美しい。女王ティタニアのベッドの天蓋は甘い香りを放つスミレやスイカズラ、窮香薔薇でできており、蛇のエナメルの皮や蠣幅の皮の翼は妖精の服になり、妖精たちは蜂の巣から蜜嚢を、リスの倉からクルミを集め二月夜の原で唄に合わせて輪踊りをしておくれ」とティタニアは言うが、妖精たちが歌うのは子守唄であり、トカゲ、ハリネズミ、イモリ、蛇などに象徴されているように「わざわい、まじない、あやしいものは、女王さまには近よるな」という守護の歌で安らかな眠りをさそい、夢路に導く幻想的な呪(まじな)いの歌である。
『夏の夜の夢』と同年に出版された作者不詳の『乙女の変身』、そしてジョン・リリーも『エンディミオン』で小さい妖精をすでに描いているので、極小の妖満はシェイクスピアが初めて創作したものとは言い切れぬところがあるように思われる。次の一節は『乙女の変身』の中の、身体がハエに乗れるほどの大きさの妖精の描写であ。、「からし種ほどの大きさ」に等しいようである。

 妖精1 花々の上を飛び跳ねて、
     林をあちこち駆けまわり、
     それから蝿にまたがって、
     み空を高く運ばれて、
     さあさ、旅にお出ましだ。

 フロリス・ドラットルはこの『乙女の変身』の妖精とシェイクスピアの極小の妖精の描写に関して、「シェイクスピアの作品ではさらに見事に発展させられてはいるが、こうした類似は単なる偶然の一致というにはあまりに似すぎている」と指摘しており、妖精の極小さがシエイクスピアだけの創造ではなく、当時他の作家たちも妖精をそうした小ささで描いていたのではなかろうかという推定を立てている。
 ティタコアと並んで、シェイクスピアが妖精の女王に与えた名前にマブがある。マブ女王は『ロミオとジュリエット』のマキューシオの台詞に登場し、「妖精の産婆」と呼ばれ、人の頭に夢を生む妖精の女王になっている。昔から、眠っている者、とくに女性の上に乗って圧迫し苦しめて悪夢(性的な夢)を見せる夢魔(インキユバス、ナイトメア)の存在が信じられており、これは女性への欲情ゆえに堕ちた堕天使といわれているが、マブ女王も、「仰向けに寝ている娘を押さえつけ、重い荷物をのせることを教え、亭主思いの良妻賢母に作りあげる」とあり、女の夢魔(サッキユバス)の性質を備えていることが見られる。
 妖精に夢魔の性質を見ていたことは、『シンベリン』の中でイモージュンが寝室で眠りにつく前に、「妖精たちや夜の誘惑者たちから、どうか私をお守り下さい」と祈る言葉にもうかがえるが、さらに妖精が夜の魔物として恐れられていたこともこれらの台詞からわかってくる。この場合にはフェアリーと「夜の誘惑者」をならべて書くことで、実はインキュバスを暗示しているのではないかとも思われる。インキュバスは夜中に眠っている乙女のもとへ忍びこんでこれを犯すと信じられた一種の魔物で、中世にはその存在が広く認められ、これの扱いが法律にまで定めてあった。つまりシエィクスピアは処女イモージュンの心理の奥にある性に対する恐怖を巧みに表現し、それによってイモージュンの清純な性格を逆に強調しているといえよう。

『妖精の系譜』 新書館


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石井鶴三の世界 №209 [文芸美術の森]

座像2点 1930年/1932年

     画家・彫刻家  石井鶴三

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座像 1930年 (213×146)
1932座像.jpg
座像 1932年 (184×193)


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【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】
明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。

『石井鶴三素描集』形文社

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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №81 [文芸美術の森]

        喜多川歌麿≪女絵(美人画)≫シリーズ
         美術ジャーナリスト  斎藤陽一
          第9回 「歌撰恋之部」

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≪もの思う恋≫

 今回は、歌麿の全盛期と言われる寛政中期に制作された全5枚の大首絵のシリーズ「歌撰恋之部」(かせんこいのぶ)の中から、「物思恋」(ものおもうこい)と「深く忍恋」(ふかくしのぶこい)の2点を紹介します。歌麿の代表作とされる作品です。

 「歌撰恋之部」というシリーズ名は「六歌仙」などを連想させ、和歌にちなんだ連作かと思ってしまいますが、必ずしも、特定の和歌に関連した内容ではありません。
 このシリーズは、「恋する女」六態を描いて、それぞれの内面までも表現しようという意欲的なものです。

 そして、このシリーズで描かれるのは、いずれも堅気の女性たちです。いわゆる“水商売”の女性、たとえば芸者や遊女、水茶屋の女といった人は一人も描かれていない。

 上図は、その中の1点「物思恋」(ものおもうこい)。とりわけ世に知られている作品です。眉を剃っているところから、人妻、それも、着ている着物から見て裕福な商家の若奥さん、といった風情です。
 
81-2.jpg 眼を細めて、何やら物思いにふけるような虚ろな眼差し、軽くついた頬杖に軽く曲げた指先、ずり落ちそうな前ざしの簪(かんざし)・・・これらの微妙な描写によって、既に人妻となっていても、今なお忘れられない恋に思いを馳せている様子を表現しています。

 全体に抑え気味の渋い色調ですが、わずかに袖口にのぞく下着と唇に鮮やかな紅色を用いることによって、女の中に今なおくすぶる熱い情念を暗示しています。

 髪の毛の細かな彫りこみの線にも注目!
 彫師と摺師の超絶技巧がそろって、はじめて可能となる見事な描写です。
 その結果、入念に結い上げた、つややかで美しい黒髪が表現できました。江戸の浮世絵版画の技術は、このような高度な水準に到達したのです。ちなみに、左右に張り出した独特のヘヤースタイルは、「灯籠鬢」(とうろうびん)と呼ばれました。

 構図にも注目しましょう。
 女性の体と顔は、右下から左上にせり出すような形で描かれ、そのラインを、左右に大きく張り出した「灯籠鬢」が受け止め、さらに、左下から右上に伸ばされた頬杖の腕が支えることによって、画面はかろうじて均衡を保っています。まことに大胆で独創的な構図であり、歌麿の大首絵の特徴をよく示した作品です。

≪深く忍ぶ恋≫

 次も、「歌撰恋之部」シリーズの中の1点、「深く忍恋」(ふかくしのぶこい)です。

81-3.jpg

 この構図も大胆です。
 女性の体は右を向いていますが、首だけをぐいと左に向けて、下の方を見つめています。女性の首と顔が作るラインは、右下から左上に流れ、それを大きな髷(まげ)が受け止め、女性の腕の作る「くの字」が安定感を生み出しています。

 使われている色彩は数少なく、抑さえた色調ですが、着物にかけられた黒襟と丸髷の「黒」が画面を引き締め、同時に、女の肌の「白さ」を引き立てている。そして、煙管と襟、帯の「紅色」が鮮やかなアクセントとなっています。

 この女性は、やや年増の人妻でしょうか。口もとからわずかに鉄漿(おはぐろ)が見えます。
彼女は、一体何を思っているのだろうか?
題名の「深く忍恋」からは、『拾遺和歌集』にある、よく知られた平兼盛の和歌:
      忍ぶれど色に出にけりわが恋は
            ものや思ふと人の問ふまで
を連想します。おそらくこの女性の恋は、人に知られてはならない恋なのでしょう。

 先ほど見た「物思恋」が、はるか若い日の恋を思っているような、遠くを見つめる眼差しを示しているのに対して、この女性は、今もなお、心の中の恋の炎が消えていない、というような風情を漂わせています。

 次回は、「吉原遊郭の遊女たち」を主題とした異色の「大首絵」を紹介します。
(次号に続く)


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武州砂川天主堂 №1 [文芸美術の森]

第一章 慶應四年・明治元年 1

         作家  鈴木茂夫
 
 武州(ぶしゅう)多摩郡砂川村は、東京・日本橋から西へ九里(約三十六キロメートル)、武蔵野のただ中にある。
 村の中央を東西に五日市街道が貫通する。街道の両側にはケヤキの並木。その最も高いものは、十七間(三十メートル)を超える。葉を散らした小枝が重なり合って冬の中空に延びている。それは十七世紀の半ば、村が誕生した頃に植えられ、星霜を重ねてきたのだ。
 村人は約二千人、五日市街道に直交して短冊形に土地割りし、一番組から十番組までの集落を形成している。水利に恵まれないので、農作物は、陸稲、麦、甘藷、茶、桑酉など。街道の北を流れる玉川上水の水を分配されて、生活用水としている。
 ここは、韮山(にらやま)代官江川家の管轄。村の名主は代々砂川家が勤めてきた。二百年を超える。
慶應四年元旦、武州・砂川村。
 新春の阿豆佐昧天(あずさみてん)神社は、初詣の村人で賑わっていた。御祭礼と記した一対の天職が据えられている。敷石で固めた参道の脇には、べっこう飴、櫛や算、縁起物のダルマ、富山の薬など露店が並んでいる。頭巾の上に烏帽子をかむり、曲芸する放下僧もいる。子どもたちは、群れなしてあちこちと走り回ってはしゃいでいる。
 境内の神楽舞台では、祭り嚇子が奏でられている。

  前の門(かど)よりこの座を指して
  七福神が舞い込んで、
  ぐるりと並んでお酒盛り
  布袋に福禄、毘沙門や
  弁天様のお酌にて
  飲めよ大黒、させ恵比寿
  中で鶴亀舞い遊ぶ

 正月恒例の伊勢音頭だ。
 村人は誰も火慰斗(ひのし)をかけた紺無地の袷を着た晴姿だ。初詣を終えると、社殿の前に立つ名主砂川源五右衛門に深々と頭を下げた。
 「おめでとうさんです。旦那様、きょうは良いあんばいのお日和でねえ」
 「めでてえこった。この分じゃ今年もきっと豊作にちがいなかんべえ」
 源五右衛門は当時三十斎。さっぱ声音で口上をのばた。身の丈六尺(一・八メートル)、面長の顔に花宇治が通り、唇は横一文字に結んでいる。太い眉、両の眼は黒目がちに澄んでいる。羽織袴の腰には大小の刀を下げていた。苗字帯刀を許されているのだ。
 江戸での刺帆他行の成果で、精悍さが全身にみなぎっている。
 二番組の組頭内野藤右衛門が笑顔で挨拶してきた。
 「旦那、正月がめでてえことはの結構だが、おらにはちっとばかり見当がつかねえことがある。ぜひとも教えてくらっせえ」
 「そりゃ藤右衛門さん、なんのこったい」
 「いえね、俺は学問がねえから、世の中の動きがつかめねえ。去年の秋、『たいせいほうかん』てのがあったというが、ありや一体何のこっちゃ」
 「ふむ、そりゃ、大政奉還のことだあね」
 「そう、それが分かんねえ」
  「一口で言えば、将軍様が将軍を辞めたってことだよ」
  「将軍様ってえのは、徳川様のことですかい」
  「そうだ。徳川慶喜公は、徳川第十五代の将軍様だ。その慶喜公が将軍を辞めたんだ」
  「将軍様が将軍を辞めると誰に言ったんだい」
  「天朝様(てんちょうさま)と大名衆に言ったんだ」
  「天朝様ってのは何だい」
  「天子様とも言う。この日の本の国の元締だ。この天子様が徳川様に将軍を勤めるように頼んだ方だんべ」
  「よく分かんねえが、天子様って人が、日本の元締なら、徳川様を将軍にしないで、自分でこの国を治めりやいいんじゃねえか」
  「藤右衛門さんの言うことには一理がある。しかし、天子様の家来には武士がいなかった。武士がいなきや抑えがきかねえ。そこで武士の棟梁に、この国を治めて欲しいと頼み込んだ。それからざっと四百年間、将軍を努める家柄は、何度か変わり、徳川様となって二百数十年続いてきた」
 「将軍様は、うまくこの国を治めてきたんじゃねえんですかい。それがここに来て、なぜ突然、将軍を辞めることになったんですかね」            うわさばなし
 「俺のような百姓には、その辺から先のことは分からねえ。江戸の町の噂話をひっくるめて、こんなところだろうと見当をつけてるだけ。少し前から、異国の船がやってくるようになった。交易をやりたい、異人を住まわせたい、だから港を開いて欲しいと申し込んでくる。異国の船は、風で走るばかりでなく、船に取り付けた水車のような代物を回して走る。そして船に積んである大砲は、とてつもねえ威力がある。長く砲弾が飛び、大きな爆発力がある。しかし、徳川様にも大名衆にも異国の船を退治する大砲も船もねえ。将軍様は、長崎、横浜、兵庫、新潟、箱館の港を開放した。そして交易もするとした。つまり開国の方策だな。そこで手詰まりを起こしたんじゃねえかと思う」
 「天子様が自分で国を治めても、抑えのきく武士の家来衆がいねえのなら、どうにもならねえんじゃねえんですかね」
 「話がそうなると、俺には分かんねえ。」
 「旦那、話の切り口を変えてみてはどうでしょう。公方様が、将軍をやめて何になったんですかい」
 「将軍様ってのは、徳川様ってことだ。つまり慶喜公だ。将軍を辞めれば、大名だな」
 「旦那、徳川様が大名になったというのは変じゃねえですかい。徳川様は、四百万石の大大名、日本一の大名だからこそ大名の元締の将軍様だったんじゃねえですかい」
 「あんたの言うとおりだ。そして俺たちは、徳川様の領民だ」
 「旦那、そんなことで成り行きは、収まるだんべえか」
 「頭を抱え込んじまうのは、その点だ。何かどでかい変わりようになってしまうような感じもする。つまり、将軍様も、大名も吹っ飛んじまうような様変わりがあるんじゃねえかと思うんだ。士農工商って言葉がある。世の中にある身分とその順序のことだ。その一番上に立つ『士(さむらい)』、武士が揺れているんだ。異国の力の前に、何もできないでいる。そうなのに、国の中じゃ、刀を振るってる。それは、国が根元から揺らいでいるってことじゃあねえだろうか」
 「今年はえれえことになりそうな気配なんですかい」
 「将軍様は、この前、長州藩がけしからんと、軍勢を繰り出しただろ、一回目は勝ったが、二回目は、大負けだった。徳川が戦って負けるなんてことは考えてもみなかった。でも、そうなっちまったんだから、つまり、徳川の力が弱くなっているってことだよな」
 「徳川に代わって天朝様というか、天子様が元締になるってことですかね」
 「今言えるのは、何かがおわり、なにかがはじまるっていう気配じゃないだろうか。それ以上のことは、分かんねえさね」

『武州砂川天主堂』 同時代社



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エラワン哀歌 №25 [文芸美術の森]

ふやけたままなのに……2016秋

       詩人  志田道子

 頭の芯には酷暑の熱が未だ残り ふやけたままなのに
 いつの間にか秋だ
 落ち葉や柿の匂いに混じって
 記憶のなかをいくら探しても見つからない
 甘い匂い がある
 紫蘇の匂いでもない
 なぜ懐かしいのか分からない

 「区立保護樹林」の看板を掲げた家
 生垣に囲まれ雑木が密生するなか
 白樺の木が一本だけ聾えるその庭に
 降り注ぐ秋の日差しがまぶしくて
 生垣の周りをぐるぐる歩いた
 何回も 何回も
 そうして晩秋の青い空が
 いつの間にか忘れさせてくれていた
   いろいろなことを
 ……その家に住む少女はそのとき
 窓辺でうたた寝をしていた……らしい

     *

 特急列車が通り過ぎたばかりの
 ホームの端に立って
 この頃すっかり負けているオレは
 北風に背を丸めた
 そしてホームの人の視線を意識した
 夏の間穿き続けて色槌せたズボンを
 中古品売り場で買ったばかりの上着を意識した
 オレはテレビの画面の中のアイドルのように
 両足を開き
 片手を上げて振り下ろし
 両肩の力を抜いて顎を引き
 演技終了の決めポーズを採る オレに向かって

『エラワン哀歌』 土曜美術出版社販売



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行くも良い良い、行かぬも良い良い……句会物語 №106 [文芸美術の森]

行くも良い良い、行かぬも良い良い……句会物語
こふみ会通信 №106 (コロナ禍による在宅句会 その21)
「桜鯛」「走り梅雨」「春愁」「蝶」
                俳句・こふみ会同人・コピーライター  多比羅 孝

下戸氏と一遅氏の連名にて、≪令和4年4月の句会≫の案内が全会員に届きました。下記のとおりです。

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こふみ会『4月小網句会』のご案内です。4月幹事  一遅・下戸
目黒川に花筏が浮かぶと、1年で一番過ごしやすい季節が始まります。
ちょっと遅くなりましたが、4月のこふみ会のご案内です。
今月は、いつもよりスケジュールがタイトになりますが
短期集中、イマジネーションをポンと飛躍させて作句しましょう。
よろしくお願いします。

● 兼題 【桜鯛】 【走り梅雨】 【春愁】 【蝶】
● 上記兼題4句を4月16日(土)〜18日(月)に投句して下さい(厳守)
● 選句締切は4月27日です。
投句は下の幹事宛てにお願いします。
   幹事=森田一遅/大取下戸

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【上載の通知によって作成・作句された今回の全作品】は下記のとおり。14名 56句

【桜鯛】
海馬緩む桜鯛一尾跳ねるとき(矢太)
桜鯛えびすがひとつ大あくび(一遅)
桜鯛姿凛々しく板の上(紅螺)
隠し事ぜんぶ打ち明け桜鯛(下戸)
桜鯛左刺身に右蒸しに(尚哉)
瀬戸内に季節告げるや桜鯛(玲滴)
さくら+目出たい=桜鯛(a+b≑c) (鬼禿)
桜鯛良い名をもらったね君は(孝多)
水を切る鰭のとがりも桜鯛(すかんぽ)
去る春の色を喰らうぞ桜鯛(兎子)
頬に鱗光らせ料る桜鯛(弥生)
桜鯛卓上まなかに置かれをり(小文)
桜鯛ただいっときの恋の色(茘子)
染付の微かに透けて桜鯛(虚視)

【走り梅雨】
走り梅雨草木虫魚蘇生させ(茘子)
万物の生命の匂い走り梅雨(鬼禿)
子も母もこぶら濡らして走り梅雨(すかんぽ)
走り梅雨前線あそこ雲の龍(尚哉)
核の傘ズシリと重し走り梅雨(下戸)
走り梅雨濡れた裾ふく軒の下(紅螺)
走り梅雨濡れたからだで駆けてこい(矢太)
走り梅雨小さき命の慈雨となれ(一遅)
忘れ傘今はいづこに走り梅雨(弥生)
ストライプシャツにアイロン走り梅雨(小文)
田の緑やや広がりて走り梅雨(虚視)
もう来たか走りの梅雨の静かなる(孝多)
緑道の童の像や走り梅雨(玲滴)
巣立ちの日決意をくじく走り梅雨(兎子)

【春愁】
春愁か日差しのぬくさに涙ぐむ(兎子)
春愁や船着き場まで2往復(下戸)
孫去りし部屋片付けに春愁う(玲滴)
春愁やラジオは男の長科白紅螺(尚弥)
春愁やまた今日も探しものしている(一遅)
春愁や誰も笑わぬオンライン(尚哉)
日々春愁うれいの秋とはまた違う(孝多)
春愁やとぎれとぎれに二胡聞こゆ(弥生)
春愁や車窓の町の遠ざかり(虚視)
春愁といふ季語虚しジェノサイド(矢太)
春愁の真中に御座す弥勒像(茘子)
春愁の胸にカヌーを浮かべけり(すかんぽ)
春愁や喧嘩相手がいない席(鬼禿)
春うれい深呼吸して髪束ね(小文)

【蝶】
着地まで16コマの蝶となる(下戸)
キャベツ食みやがては白き蝶と飛べ(弥生)
生きている嬉しさに蝶舞い立ちぬ(孝多)
蝶々や黒海渡れ赫き地へ(矢太)
路地裏を広く遊ぶやしじみ蝶(すかんぽ)
しばらくはここにいるよと肩の蝶(小文)
独り居の猫の額に蝶の舞う(玲滴)
蝶々が園児のぼうし数えゆく(鬼禿)
初蝶ですお届け物ですごきげんよう(尚哉)
蝶が舞うひらひら笑う蝶のよに(兎子)
夢というかたちのあらば蝶なるか(虚視)
戦火の報夢に無数の蝶が哭く(一遅)
人混みの街に舞立つ蝶一羽(紅螺)
銀座裏鳳蝶ふわりビルに消ゆ(茘子)

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【天句の鑑賞】
「天」に選んだ句とそれに関する鑑賞短文を簡潔に書くというこふみ句会の約束事。

●春愁の胸にカヌーを浮かべけり(すかんぽ)
鑑賞短文=いま鬼の胸はウクライナでいっぱい。そんな隙間にカヌーを胸の上に浮かべる血
              は・・。うまい。ほんとうにカヌーでも笹船でも浮かべたい気持ちです。
             (鬼禿)
鑑賞短文=何となく気だるく心の晴れぬ時、心にヌーを浮かカべることは詠者にとって癒し
             であり希望の象徴なのでしょう。魅力的な句でした。(弥生)

●しばらくはここにいるよと肩の蝶(小文)
鑑賞短文=ふと、蝶と心が通い合うかに思える瞬間が見事に捉えられています。春ですね
              ぇ。(虚視)

●夢というかたちのあらば蝶なるか(虚視)
鑑賞短文=蝶は、ギリシア語でプシュケー。人の魂の変じたものです。独自の切り口で、兼
              題を消化されていますね。(尚哉)

●ストライプシャツにアイロン走り梅雨(小文)
鑑賞短文=ストライプ柄が雨垂れを想起させて、とてもいい取り合わせです。アイロンの乾
              いた印象が走り梅雨と響き合っています。(すかんぽ)

●万物の生命の匂い走り梅雨(鬼禿)
鑑賞短文=錆びついた五感を蘇らせてくださる句です。(小文)
鑑賞短文=さまざまな命のはじまる季節。雨の匂いの中に希望が見えます。いい句ですね。
             (一遅)

●春愁やとぎれとぎれに二胡聞こゆ(弥生)
鑑賞短文=二胡の音色は、心ふさぐ春の心情そのものですね。(紅螺))

●路地裏を広く遊ぶやしじみ蝶(すかんぽ)
鑑賞短文=中7の「広く遊ぶや」で決定でしたね。小さな蝶の舞う姿や、まわりの様子など
              までも、くっきりと浮かびあがって来ます。良い句をご提示いただき有難うござ
              いました。(孝多)

●春愁やまた今日も探しものしている(一遅)
鑑賞短文=年老いてひょいと物を置いて置き忘れ、探しまわっては落ち込む日々、これが春
               の季節ともあれば憂いはなおのことと、身につまされる句でした。(玲滴)

●去る春の色を喰らうぞ桜鯛(兎子)
鑑賞短文=発想の秀逸さに脱帽!(茘子)

●桜鯛ただいっときの恋の色(茘子)
鑑賞短文=桜鯛は季節限定の名前、それを「ただいっとき」としたところが上手い。色っぽ
              い。恋の色のくだりは、感動的です。(下戸)

●忘れ傘今はいづこに走り梅雨(弥生)
鑑賞短文=あの忘れ傘、この忘れ傘。いろんな忘れ傘があるなあ。でも、どの忘れ傘も思い
              出せない。(矢太)

●初蝶ですお届け物ですごきげんよう(尚哉)
鑑賞短文=ほのぼのと、あっけらかんとして、のびのびとしている。暗いニュースばかりの
              この時期に、心が軽くなりました。(兎子)

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≪今月の天地人≫

【天】鬼禿四三点
    代表句=万物の命の匂い走り梅雨
【天】すかんぽ四二点
    代表句=春愁の胸にカヌーを浮かべけり
【人】弥生三五点
    代表句=春愁やとぎれとぎれに二個聞こゆ

◆上位作の皆さん、おめでとうございました。

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≪幹事より、ひと言≫

パンデミックや戦争など、なかなか日々の季節感を明るく楽しむ日常ではない時代です。こんな時、自分の気持ちと俳句を、どのように折り合いを付けるのか、あまり答が見いだせずにいます。これからも、こふみ会にその答を探し続けていきたいと思います。  ( 一遅)
                                                 


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妖精の系譜 №25 [文芸美術の森]

チュートン伝説と物語詩(ロマンス)から生まれた妖精王オベロン

     妖精美術館館長  井村君江

 オベロンは、ティタニアの夫で、妖精国の王でありアセンズの森の支配者であるが、ルネッサンス初期にはオーベロン(Auberon、Oberyeon、Oberionn〉という名は一般的であり、魔術師の使い魔にもこの名が使われていたことが見出される。妖精の王としてこの名が出てくるのは、十五世紀のロマンス『ユオン・ド・ボルドー』においてで、“小さな蛮王(ル・プチ・ロア・ソーバージュ)〃と呼ばれ、森の小人王として現われる。この物語の英訳はバーナーズ卿の手でなされているが、シェイクスピアは彼と知り合いでもあり、この訳書を読んでいたことは通説になっている。
 この物語に出てくる〝小さな蛮王″とあだ名されているフェアリーの王オベロンの性格は、なかなか複雑で魅力的なものであって、詩人がこの物語を読めば気をそそられることもうなずける。この物語自体の筋はこうである。ボルドーのユオンはシャルルマーニュの息子にそむかれてその攻撃を受けるが、逆にこれを殺し、戦士の神託のとおりに勝利者となる。大帝は彼に不可能に近い遠征を命じ、追放も同様に宮廷を追い出す。ある日ユオンはフェアリーの王オベロンの住む森にやってくるが、王の魔力が自分の身の危難につながるような予感を感じる。あるフェアリーが彼に、王と口をきいてはいけない、さもないと王の魔法にかけられ、生命も危ういと忠告する。オベロンはユオンを出迎えて、いろいろ質問をあびせるが、口を開かないので彼と従者とを猛烈に打ちのめし、遂には口をきかざるを得ないようにする。しかしながら二人はすぐ友人の仲になり、フェアリー王はユオンの気高い精神にうたれて、不思議な杯と徳の角笛を贈る。こののちフランスの騎士ユオンはオベロンの魔法に助けられて、すべての試練に打ち勝つ。オベロンは死ぬ直前にユオンに超自然的な贈り物を遺し、魔法の使い方をみな教え、なおかつ彼をフェアリーの王として戴冠させる。
 物語詩の典型的な要素とカロリンガ朝の叙事詩の入り混じったこの本は、当時多くの詩人たちがそれぞれの空想にもっとも適合した部分を発掘した豊かな鉱脈で、なかでもスペンサーは自在に利用した。例えば『妖精の女王』の中でオベロンとユオンの歌われている部分は、次のようである。

 彼は闘技に長じ、(闘技場の)柵内でよく戦った
 彼がオペロン王の妖精の国に来た時
 騎士達は彼サー・ユオンと友誼を通じた

 スペンサーはユオンとアーサー王とを同時代にしたまちがいは犯しているが、妖精王にオベロンという名を付してイギリスにとりこんだのは彼が初めてであり、これ以後エリザベス朝の劇作家たち、とくにロバート・グリーンなどは『ジェイムズ四世』の戯曲で妖精王をオベロンと名付け、「静寂の、喜悦の、利益の、満足の、富の、名誉の、そして全世界の王」として登場させている。シェイクスピアの『夏の夜の夢』のオベロン王が登場する基盤はすでにできていたといえよう。
 ヨーロッパでオベロンが誕生した事情はもっと複雑である。彼が生まれるのはチユートンの伝説の中であって、『ニーベルンゲンの歌』の中でジークフリートがニーベルンゲン一族から勝ちとった財宝を護る「アルベリヒ」(Alb=elf十rich=rol、king)に由来し、また十三世紀ドイツのロマンスの集大成である英雄伝説(ヘルデンブッフ)の中では、ペイニン・ソルダン王の娘を求めてシリアへ旅するドイツ皇帝オルトニートの遠征に際して、ちょうどフランスの『ユオン・ド・ボルドー』でオベロンがユオンを助けたように、小人の王が皇帝を援助している。この小人の王はエルベリヒとなっているが、これや『ニーベルンゲンの歌』のアルベリヒがフランスを経由して(Auberich→Oberon)と変化していったのである。
 オベロンは森の妖精の王であり、背丈は三フィート、ずんぐりして不恰好だが天使のような顔をしている。オベロンはジュリアス・シーザーとケファロニアと呼ばれる「隠れた島の貴婦人」との間に生まれた息子になっている。誕生の時多くの貴族や身分の高いフェアリーたちがやって来るが、招かれなかったフェアリーが怒り、生まれた子は三年目からあとは成長しないことを贈り物にしたため、背が伸びないが、他のフェアリーたちが美しさ、他人の考えを見抜く力、自分や他人を思うところへ運ぶ能力、城、宮殿、庭園などをよそに移す力などを贈り物にする。このためオベロンは超人的能力を持つが、この世を去る時にはパラダイスに席が用意されていると自ら言うように、フェアリーの国に住んでいても「死すべき人間」であった。
 このオベロンの身体つきについての「彼の背丈は三フィートしかなく、肩は曲がっている」という記述は、チュートン系のエルフに関するものとよく一致する。チュートン伝説の中から彼に関する言及をひろってみると、彼はアジアの専制君主のような豪華な堂々たる生活をおくっている。彼の容貌自体が極めて美しく、彼の見事な宮殿は黄金の屋根とダイヤモンドの尖塔を持ち、カリフの豪著な邸にも比肩しうる。そして宮廷の人々は一人残らず美しい上衣をまとい、そのまばゆさが太陽にも匹敵するような宝石で身を飾っていたとある。
 種々雑多なキリスト教的要素もオベロンの性格には入っている。ジュリアス・シーザーの子であることは、S・リーによればシーザーとアレクサンダー大王は「中世の伝説の中では教皇のローマと皇帝のローマ、すなわちキリスト教圏と西ローマ帝国を象徴する」のであって、キリスト教的な伝承のオベロンの、非公式ながら重要な位置というものもうかがえるのである。彼の力はイエスに由来し、最後にはフェアリーとしての楽しい暮らしを棄てて天国の座の方を選ぶことになっている。そしてもう一つ、オベロンはアーサー王伝説からもその資質の多くを借りている。彼はアーサー王伝説では「死者の霊との交流による予言に極めて秀でていた」アーサー王の異父姉モルガン・ル・フェとジュリアス・シーザーの息子であり、彼の超自然的能力は誕生の折にフェたちから与えられたのだとされ、彼がモムーアの東部で死の床についていた時、彼にとっては伯父にあたるマーリンがアーサー王と共に彼を見舞ったとも言われている。他のいくつかの点では、彼はまたケルトの伝承とも結びついている。例えば彼の「天使の如き面貌」とか、正直な人間の手が持てば中のワインは飲めども尽きないという魔法の金杯とか、あるいはひと吹きでどんな願いも即座にかなえ、吹く者のもとに一瞬のうちに救援の手をもたらすという象牙の角笛などは充分ケルト的であるし、ユオンがあるフェアリーから「もし一言でも彼に話しかければ、汝は永遠に失われてしまう」と言われてこの言葉を容れること自体、ケルト伝説によっている。
 シェイクスピアはこの伝説のオベロンをそのまま自分の芝居の中に生かしたのではない。彼がオベロンに付与した性質のうちでもとくに目立つのは、怒りっぽさである。インドから盗んできた可愛い取り換え児(チェンジリング)を女王と争って月夜に出会うたびに口喧嘩をし、挙句の果てには女王に仕返しをしようとパックに命じて彼女の目に惚れ薬を塗らせたりする。怒。っぽさは嫉妬と結びついて、「嫉妬(やっかみ)やさん」と呼ばれ、「怖ろしく機嫌が悪く気が短い」などと言われる。女王が人間にしたことを一つ一つあげつらうかと思うと、自分もフェアリーの国から抜け出して、コリンという羊飼いに化け、麦笛で恋歌を吹きながら、フィリグという色っぽい娘を口説いたりする。この芝居はアセンズの領主シーシアスとアマゾンの女王ヒポリタの婚礼の宴をめぐる話であり、ヒポリタはオベロンの想いものであるが、一方、シーシアスはティタニアがよく一緒に遊びまわった男である。この夫婦は普段は一人一人勝手に暮らしているのだが、シーシアスとヒポリタの婚礼を祝いに戻ってきて、アセンズの森でばったり出会ったわけである。
 確かにオベロンはオウィディウスが「闇の王(ウンブラウムヌ・ドミヌス)」と名付けた冥府の王プルートーに似ているが、人間の恋のかけひきを姿を隠して見守り、最後に妖精の超能力で視力を戻させ、恋人同士を元のさやに納めるといった人間へのかかわり方は、すでにチョーサーが「商人の話」で書いており、シェイクスピアがこれを知っていたであろうと推定される。しかしシェイクスピアの妖精王と王妃は、同じく「影の国の王と女王」であっても、古典的貴族的ではなく、インドの取り換え児をめぐり、「高慢ちきのティタニア」「嫉妬(やっかみ)やのオベロン」「あさはかな女め」といった言葉を投げ合う庶民的な間柄の王と王妃である。またこの妖精たちは「スパイスの薫るインド」の高原からアセンズの森に帰ってくるのであるが、エリザベス朝の人々にとっていくつもの海を越えたインドのスパイスは高価で入手し難く、インドの国は謎めいた神秘の国エル・ドラードであった。エキゾティシズムと憧憬のヴェールの彼方から妖精王がやって来たという設定は、神秘の雰囲気を妖精たちの回りに漂わせるのに効果的であったのである。帰って来たのはシーシアスとヒポリタの婚礼を祝い新床を祝福するためで、妖精たちが結びの神、生産を司る神としての属性があったこと、さらには民間伝承で土地の神(ディ・テレーニ)、豊鏡の神として信じられていたこともシェイクスピアは知っていて、これをオベロンとティタニアの属性に用い、二人のけんかで季節が狂い、川は氾濫、麦は腐るという「天候異変」として描いたとみられる。
 オベロンは自在に魔術を使い、他のものに化けたり姿を隠したりもできるのだが、決して全知全能といった性格の、例えばアーサー王伝説のマーリンのような魔法使いではなく、非常に身勝手で我健な、人間らしいというよりは人間の資質のいくつかをわざと拡大して戯画化したような妖精である。どことなく子供っぽい印象をあたえるのもそのためで、芯から喜劇の舞台にふさわしい人物、フォルスタッフの妖精版といった性格と言うこともできるし、子供っぽさはこの作品の妖精を当時子役が演じたのではないかという推定にもつながる。とすればそれもまた、人間の世界とは別の妖精界の夢幻性を強調するシェイクスピアの技術であったのだろう。ともあれこの当時まで口から口へと伝えられ、親しいながらも神秘的ヴェールの彼方にあったフェアリーというものをシェイクスピアは人間の世界へ積極的に連れ込み、一つの非常に具体的な骨組みを作ったうえで、コミカルな筆で肉付けし、人間をからみ合わせて舞台に乗せたわけである。シェイクスピアが創り上げたオベロンの映像は当時の人たちに強い印象を与え、妖精王としての名称を確立させ、これ以後、劇作家、詩人たちはこの名を固有名詞として用いるようにな。、例えばマイケル・ドレイトンなどは妖精女王の名は変えても、妖精王はオベロンという名で描いている。


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石井鶴三の世界 №208 [文芸美術の森]

無着・世観 1930年/迷企羅大将 興福寺 1930年

     画家・彫刻家  石井鶴三

1930務着・世観.jpg
無着・世観(伝運慶作) 興福寺寄託 1930年 (146×231)
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薬師十二神将ノ内迷企羅大将(板彫)寺伝弘法大師・作者不詳・興福寺出陳 1930年(213×146)

**************  
【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】
明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。

『石井鶴三素描集』形文社

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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №80 [文芸美術の森]

       喜多川歌麿≪女絵(美人画)≫シリーズ

         美術ジャーナリスト 斎藤陽一

       第8回 文読む女と煙草を吸う女

80-1.jpg

≪文読む女≫

 今回は、喜多川歌麿が寛政3~4年ごろに描いた「婦女人相十品」シリーズから2点の絵を紹介します。
 「婦女人相十品」(ふじょにんそうじゅっぽん)というシリーズ名は、さまざまな女性の姿かたちを描き分ける、というような意味です。

 まずこれは、「文読む女」(大判・錦絵)。
 描かれているのは、眉毛を剃り落とした、町家の女房といったやや年増の女性。着物に繻子の黒襟をつけています。これは普通、立ち働きがしやすいよう、普段着にかけるものですが、この女性は、上等な江戸小紋の着物に黒繻子(くろじゅす)をかけているので、このような格好を日常的にしているのは料亭や船宿の女将といった接客業にたずさわる女性ではないか、と言う研究者もいます。
 この江戸小紋は「松皮菱」(まつかわびし)小紋と呼ばれるもので、赤い更紗の前帯と組み合わされて、なんとも粋な装いとなっています。

80-2.jpg 彼女は、上体をそらし、手紙をぎゅっと握りしめるようにして読んでいる。その仕草や目つきから、この手紙が尋常なものではないことが伝わります。

 どこから来た手紙なのだろうか?
 もしかするとこの手紙は、彼女の愛人から来たものか?
 いや、彼女あての手紙ではなく、あるいは亭主あてのものであり、しかも芸者か遊女から来たものか?
 だとすると、このあと、大変なことになりそう・・・
 いろいろな想像を掻き立てさせる歌麿の描写です。

≪煙草を吸う女≫

80-3.jpg 次は、同じ「婦女人相十品」シリーズから「煙草を吸う女」(右図)。

 この女性は、一見して堅気ではないということが分かりますね。

 単衣の着物を無造作にひっかけ、胸をはだけた姿で、けだるそうに煙草をくゆらせている女は、遊女かも知れない。それも岡場所の下級遊女でしょう。

 髷(まげ)も、丸髷に整える前、あるいは丸髷をほどいたあと、といった崩れた感じです。

 このような岡場所の下級遊女をテーマにしながらも、背景は、白雲母の粉を散らした「雲母摺り」(きらずり)なので、錦絵としては凝った作りです。

 さらに目を凝らして見ると、何と、尖らせた口から吐き出す煙草の煙が「空摺り」(からずり)という技法によって、空間を漂うように表されるという凝りよう。
 「空摺り」というのは、絵具を塗らない版木に和紙をあてて強く押すように摺り、紙に凹凸をつけることで模様や質感などを表現する技法です。
名称未設定 4 のコピー.jpg 右図を見て、「雲母摺り」の背景に凹凸がつけられており、煙がたゆたっている感じが分るでしょうか?

 歌麿はこの絵で、はだけた姿や物憂げな仕草、負けん気の気性を示す目つきなどによって、この女の暮らしや状況をさりげなく暗示しています。
 かと言って、歌麿の描く女が決して退廃的な感じにならないのは、細かい観察を基盤にしながらも、あからさまな表情や仕草を強調せず、むしろ、きわめて抑制した描き方を心掛けることにより、何よりも「風情」を表現しようとしたからでしょう。
 つまり、歌麿の女絵のコンセプトは、写実そのものを心掛けるのではなく、いかに「風情」を表現するか、ということだったと思います。

 次回は、歌麿の全盛期と言われる寛政中期に制作された全5枚の「歌撰恋之部」シリーズの中から、2点の美人画を紹介します。歌麿の女絵の代表作とされるものです。
(次号に続く)


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エラワン哀歌 №24 [文芸美術の森]

エラワン哀歌

       詩人  志田道子

夕暮れの雑踏の中を
男はリュックサック一杯の爆薬を担いで歩く
鶏の皮の焼けた臭い
香草の臭い 油にはじける玉葱 人参 ピーマン もやし
一日中照り付けていた太陽の熱のなごり
吐気をおぼえる人いきれ
男は何も考えていない
  悪こそ力 むかしからずっとそうだった
  変えなければならないのは碓かなことだ 何かを
暗黒の使者の役割を自分がなぞっているという
ふわふわした居心地の悪さ
エラワンの祭壇に香を捧げる人々
何かの運命に導かれてここに来た
まさにこの時この一点で交わった
運命で結ばれたものへの憐憫 か
  君たちをみんな抱きしめるよ
  こんなにも愛しているのだから
そうして
意思を捨てて歩く男は
肩から爆薬をも下ろし
道端において
ふわふわと
心虚ろにその場を去って行ったのだ とか


* エラワン祠はタイ・バンコクの中心部にあるヒンズー教の祠。ブラフマー(天地創造神)が祭られており、金運アップにご利益があるとされ、バンコク第一のパワースポットともされている。一九五六年建設作業での事故多発を受けて土地の悪霊調伏のために設置された。ニ〇〇六三月二十一日精神に問題を抱えたイスラム教徒によってブラフマー像が破壊される事件発生(犯人はその場で暴徒に殴り殺され、像は二か月後修復された)。二〇一五年八月十七日爆破事件発生。二十人死亡、百二十五人負傷。

『エラワン哀歌』 土曜美術社出版販売



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私の中の一期一会 №259 [文芸美術の森]

   “令和の怪物”ロッテの佐々木朗希投手(20)が完全試合を達成、
 ~松山英樹のマスターズ連覇は成らず。「首の痛みなく回れてよかった]~

  アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 プロ野球界で注目を浴びる“令和の怪物”が歴史にその名を刻んだ!
 ロッテの佐々木朗希投手が10日のオリックス戦に先発して、プロ野球史上16人目となるランナーを一人も出さない“パーフェクトゲーム”を最年少で成し遂げたのである。
 94年5月18日の広島戦で巨人の槇原寛己投手が達成して以来、28年振りの大記録達成であった。
 何と言っても、投球内容が凄い。
 163キロ、164キロの剛速球で打者を追い込み、フォークで空振り三振に仕留める。
 13打者連続三振というのは“日本新記録”であり、1試合19奪三振というのは“最多タイ記録”である。
 ヒーローの佐々木は「完全試合は、そんなに意識しなかった。打たれたらそれでいいと割り切って投げていた」と話し実感もあまりないようであった。
 だが、寮に戻ってから試合の映像を見直して「改めて見て、逆に緊張した」と打ち明けて、「今回の記録は無くなるものではないので良かった。切り替えて次も頑張りたい」と思いを新たにしたという。
 佐々木の快投を引き出すリードをしたのが,ドラ1ルーキーの松川虎生(18)であったことに驚いた人は多かっただろう。
 過去15人の完全試合達成者でルーキー捕手と組んで記録を達成した人は一人もいない。
 佐々木投手は「松川がいいリードをしてくれた。彼の要求にしっかり応えながら投げることが出来た」とルーキー・キャッチャーの松川虎生(18)を称えている。
 松川は試合を振り返って「4回2死で吉田正尚さんを迎えた時、初級、2球目とカーブを続けたのが分岐点だった。ストレート狙いの吉田さんの頭にない配給だったと思う。その後のフォークが生きて三振が取れた」とルーキーらしからぬ冷静なコメントを残した。
 吉田正尚は、昨シーズン27三振しかしていない。
 滅多に三振しない打者を3三振に封じたことが、走者を一人も出さない完全試合につながったと松川捕手は分析した。
 松川は「キャッチャーとして隙を見せないようにしたい。1球たりともポロリとやってはいけない」と述べ、気を引き締めることを忘れない。
 元ロッテのピッチングコーチで、現在は球団のピッチングコーディネーターを務める吉井理人さんのブログが面白い。
 「あの日は“調子悪いです”と言ってマウンドに向かった。結果は真逆で“めっちゃ凄かった”。
 第1球のアウトロー、161キロのストレートを見てひっくり返ったよ。
 “どこが調子悪いねん”・・・
 配球はシンプル。豪速球で追い込んでフォークで仕留めるというものだった。
 完全試合は守備の助けがあるのが普通だが、アウトの殆どが三振で、他のアウトも平凡な打球ばかりだった。
 この大記録はほぼバッテリーで達成したと言っていい。
 キャッチャーは高卒ルーキー松川だったが頑張った。
 佐々木の投げたい球を投げさせていた。
 佐々木は、よくサインに首を振る子なので、ゲーム前にしっかり打ち合わせをしたのだろう。
 でもパーフェクトをするとは思っていなかった。
 成長のスピードにはビックリしている。今後が楽しみだ」・・・
 吉井さんは、入団したての佐々木を見て「車に例えるとエンジンは凄いが足回りが出来ていない。
 このままだと必ず怪我をするとみて筋トレを充実させるよう指導してきた」と語っている。
 ロッテの井口監督は試合後「まあ、いずれやるだろうとは思っていたけど、こんなに早い段階でこういう試合が出来るとは思わなかった」と興奮しながらコメントした。
 ニューヨークポスト紙電子版は「ロウキ・ササキの可能性にメジャー球団も大きな興味を示したに違いない。
 将来のエースを求めるメジャー球団にとって、“より注目する理由が出来た”」と報じた。
 佐々木朗希は、これからもメジャーの注目を浴び続けることになるだろう。
 10日に最終日を迎えた今年のマスターズ・トーナメント。
 ディフェンディング・チャンピオンの松山英樹はマスターズ史上“4人目の連覇”に挑んだが、72ホールの通算で2オーバーとなり14位に終わった。
 2位タイから出た3日目は寒さと突風という悪コンディションに悩まされ77を叩いて優勝争いから脱落した
 マスターズが近づく3月上旬に、首や肩甲骨周辺に痛みが出て充分な調整が出来なかったのが響いたのは確かだろう。
 松山英樹は「首が痛くても出場するつもりでいたが、痛みなく72ホールを回れたのは良かったと思う。トレーナーに感謝したい」と話し「なかなかいいプレーが出来なかったが、悪くてもこの位置で終われたのでホットしている」と心境を語った。
 開幕2日前、恒例のチャンピオンズディナーが開催され松山はホストを務めた。
 “オーガスタの風に和の香りが漂った”・・とサンケイスポーツが書いているが、“寿司と刺身の盛り合わせの前菜”から始まり、メインは“タラの西京焼き”と“宮崎和牛”という和食のフルコース。
 食材はすべて日本から取り寄せたものだったという。
 帝王ジャック・ニクラウスによれば「思い出す限り最高のディナーだった。何より食事が衝撃的で素晴らしかった。
 最高の場面は、英語がうまく話せないヒデキがメモを見ることなく3分間英語でスピーチした時だった。
 ゲイリー・プレーヤーが日本語でスピーチしたが彼はメモを持っていたよ」と大絶賛した。
 松山は3時間、通訳のボブ・ターナーなしで、歴代チャンピオンたちをもてなしたのだ。
 グリーンジャケットを、またコース外で着られるように頑張って欲しい。怪我をしないで・・ 
 タイガー・ウッズは、昨年2月の自動車事故で右足に重傷を負いツアーの戦列から離れていた。
 タイガーは事故の後、フロリダで治療とリハビリに努めてきたが、今年の2月初め頃は“ゴルフをする以前”の状態だった。
 タイガーはマスターズ前週からオーガスタで練習ラウンドを開始したが、“様子は一変していた”とメディアは驚いていた。
 練習場でのスイングは力強い、飛距離も出ている。
 練習後は患部を温めて冷やす、また温めて冷やすを繰り返す毎日だった。
 直前の記者会見に顔を見せたタイガーは「良いショットは打てている。ゴルフに関して肉体的に問題はない。
 今は歩くのが大変、いつも通り歩けない。72ホールのタフなチャレンジになる。
 これまでメッセージをくれた人、電話してくれた人、支えてくれたみんなにありがとうと言いたい」と語った。
 予選を通過したタイガーは、2日連続の78で通算13オーバーの47位に終わった。
 たどり着いた18番グリーンでタイガーがパーパットを沈めると,幾重にも取り囲んだパトロンが総立ちになり、惜しみない拍手を送り続けた。
 「優勝していない試合の中では、自分の人生の中でも達成感のある一週間だった。
 グリーンでは感覚が合わずダブルボギーを叩くこともあったが、起伏の激しいオーガスタを完走できた・・・信じられないよ。
 まだ完全に自由が効かない脚をしっかり回復させて、次に進むことを楽しみにしている」と語った。
 5月の全米プロ、6月の全米オープンについては分からないが、7月の全英オープンには出場すると明言した。
 セントアンドリュースなら平坦で距離も長くない、“勝機あり”と見ているのだろうか?
 赤い勝負服のタイガー・ウッズがツアー通算83勝目を挙げる日を待ち望むファンは多いに違いない。
   私もその一人である。


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妖精の系譜 №24 [文芸美術の森]

シェイクスピアの妖精

    妖精美術館館長  井村君江

妖精に再び生命を吹きこんだシェイクスピア

 エリザベス朝時代に入ると多くの劇作家たち、ジョン・リリーやロバート・グリーン、ジョン・デイやベン・ジョンソンなどがオベロン王や陽気なゴブリン、フェアリーたちを、舞台にいきいきと活躍させている。
 エリザベス朝はイギリスのフェアリーの黄金時代である。この時代には詩人は民衆の中にいて、愛国的理想の高揚から卑俗な迷信に至るまでの、実にさまざまのものが詩に歌われ、舞台で演じられた。宗教的な規律の桎梏(しっこく)もなく、海外からの侵略の恐怖もなかったこの時代に、イギリス国民の想像力は海の彼方に黄金の島を描き、猥雑なまでに精力的であり逸楽的だった。シェイクスピアの戯曲を考える時に、こうした世相の中で彼の劇場を経済的に支えていたのが貴族であると共に町人であり、彼の作品を高く評価したのも町人たちの批評眼だったことを忘れてはならないであろう。シェイクスピアを考える上でこうしたことは重要であり、シェイクスピアの妖精たちの性格にも、この事情は投影している。                    
 ロンドンの都会に生まれケンブリッジで学問を身につけたスペンサーは、中世騎士物語(ロマンス)の妖精の貴婦人たちを描くことに執着していたが、これに反しストラットフォードの田舎からロンドンへやってきたシェイクスピアは、生まれ故郷のフェアリー伝承を地方から都会へ運び、昔から素朴な人々の心の中にいきいきと息づいていた妖精の生命を、自らの作品の中に吹き込んで、再び妖精に活力を与えたのである。
 一方でジェイムズ一世の『悪魔学』(一五九七)が刊行されたことでもわかる通り、当時ミドルトンの魔女やデッカーのエドモントンの魔女が舞台で歓迎されていた時代でもあり、総じて妖精たちは、いたずらで陽気な性質は認められながらも、魔女と同様に不気味で不可思議な存在として、崇りを恐れて触れない方が賢明であると民衆に思われていたのである。

 ……だがわれわれは幼年時代に、次のような生きものが出てくるよとよく恐がらせられたものである。牛怪獣(ブルバガー)、精霊(スピリット)、魔女(ウイッチ)、針鼠小鬼(テーチン)、小妖精(エルフ)、鬼婆(ハゲ)、妖精(フェアリー)、半人半山羊(サチユロス)、牧神(パン)、半人半獣(フアウヌス)、半人半島の海の精(サイレン)、さ迷う鬼火(キット・ウイズ ザ キャンドルスティック)とか、海の精(トリトン)、半人半馬(ケンタウロス)、小人(ヂワーフ)、巨人(ジャアント)、小鬼(インプ)、毛づめの鬼(カルカース)、魔法使い(コンジュアラー)、小妖精(ニンフ)、取り換え鬼(チェンジリング)、夢魔(インキスパス)、悪戯者の小妖精(ロビン・グッドフェロー)、ひづめ幻獣(スプーン)、悪夢の精(メア)、槲の木の精(マン・イン.ザ・オーク)、地獄の悪鬼(ヘル.ウェイン)、火龍(ファイヤードレイク)、悪戯者の小鬼(パックル)、親指トム、悪戯小鬼(ホブゴブリン)、騒ぎ屋の小人(トムタンブラー)、骨無し怪物(ボンレス)とかこういった生きものたちだが、われわれは自分の影に脅えていたのである。

 レジナルド・スコットが『魔術の正体』で挙げているこうしたさまざまな生きものは、乳母たちが子供を寝かしっけるために「おどし」に使った闇の国に住む恐ろしい生きものであり、妖精もその一種として扱われていたことが判る。民間の信仰や迷信の中で、長いこと妖精は悪業を強調され、不吉な出来事や失敗やケガまでが、妖精の仕業とされ恐れられていた。シェイクスピアも幼い頃、こうした民間に流布していた話を故郷のウォーリックシャーの炉端で冬の夜話にあるいは寝物語に聞いたであろうし、前述のスコットの本も読んでいたと推定されている。しかしシェイクスピアは、彼独自の演劇本能と想像力によって、民間伝承の中の妖精や中世ロマンスの妖精女王、ギリシャ・ローマの系譜に属する精霊たちを一つのるつぼの中で巧みに溶け合わせ、独自の容姿と性質を備えた妖精を作りあげていった。総じて、これまで醜く恐ろしい存在だった妖精たちを、バラの花の虫を取り、ドングリの穀にもぐり込み、月夜の調べに合わせて踊る小さく美しい容姿と人間に親しい性質を持つ存在にしたのは、シェイクスピアの功績であったといえよう。シェイクスピア劇における妖精の特色を、『夏の夜の夢』のオベロン、ティターラ、パック、および『嵐』のエアリエル、『ロミオとジュリエット』のマブ女王を中心にその淵源や系譜を辿りながらシェイクスピアの特色ある妖精を見ていきたいと思う。
 「ミッドサマー・デイ」(夏至の日)は六月二十四日で聖ヨハネの誕生節であり「ミッドサマー・ナイト」はその前夜であって、この日が地母神の祭りとも重なっているところから、晩になるとフェアリーたちが森や水のほとりや丘に現われて饗宴を張るという言い伝えがある。この祭りの目あるいは前夜は、薬草が効を奏する日とされ、未来の夫をベンケイ草で占うことのできる日ともされている。すなわち妖精が活躍し魔法の効力のある夏至の日が選ばれているのである。しかしシーシアスが早朝の森で恋人たちを見つけたとき「これで五月祭の行事は無事に終わった」と言っているように、この出来事が五月祭の前夜ともとれるのである。しかし五月祭もメイポールを飾り樹木の成長と豊穣を祈る祭りであるので、自然の精霊である妖精と関係ある日といえよう。シェイクスピアがこの戯曲のフェアリーを書くにあたって、いちばん頭の底にあったのは、幼い頃を過ごしたウォーリックシャーの田舎で見聞きした民間信仰の類であろうが、例えばこの作品の舞台がアセンズの森、すなわちギリシャということになっていることからもわかるとおり、シェイクスピアは実にさまざまの要素を混ぜ合わせてこの夢幻劇を織りあげている。
 登場人物は二つのグループ、人間たちと妖精たちに分かれる。人間たちのグループはさらに三つに分かれ、(1)上流階級の領主シーシアス(ギリシャ風にいえばテーセウス)とアマゾンの女王ヒポリタ、(2)貴族の子女たち、バーミアとライサンダー、ヘレンとデミートリアスらで、彼らはまったく当時のイギリスの華やかでロマンチックな、そのくせ、いさかいばかりしている恋人たち、畑のグループは領主シーシアスの婚礼の祝賀会で茶番劇(これもギリシャ風に『ビラマスとシスビ』である)を演じようと練習にはげんでいる、明らかにエリザベス朝の町人風俗そのままの職人たち。この三つの人間の群れの間に、フェアリーたちが介在し、なかば狂言まわしの役をつとめて、ここに現実と夢の奇妙に入り混じった、夏の一夜のコミカルで華やかな夢幻的喜劇が、森という別世界で展開されるわけである。そしてシーシアスとヒポリタの婚礼の式を四日後にひかえたある日の出来事となっている。                               
 『夏の夜の夢』の妖精については、当時の民間伝承を蒐集したジョゼフ・リトスンの書とそれを敷衍(ふえん)したバリウェル=フィリップス『〈夏の夜の夢〉の妖精神話例解』(一八四五)に多くの手がかりが見出せるし、アルフレッド・ナットの『妖精学』(一九〇〇)やラサム及びドラットルの研究書や、キートリー、プリッグズの研究書に見られる。ここでは、最近刊行されたシェイクスピアの作品の淵源をまとめたケネス・ミュアーの研究書から、『夏の夜の夢』の素材として挙げられているものを、便宜上項目別にまとめてみよう。
オベロン
 容姿-『ユオン・ド・ボルドー=中世ロマンス/バーナーズ卿訳一五三四)
 性質-『ジェイムズ四世』ロバート・グリーン 一五九一)
 妖精王の記述—トマス・ナッシュの劇(一五八九)
 妖精王と人間の関係—『貿易商人の話』(チョーサー『カンタベリー物語』)

ティタニア
 名前—『転身物語=オウィディウス/アーサー・ゴールディング訳 一五六七)
 性質—『貿易商人の話』(チョーサー『カンタベリー物語』)

パック
 性質—『魔術の正体』(レジナルド・スコット 一五八四)
  ロビン,グッドフェローとの類似 - 民間伝承

妖精
 極小の容姿 — 『エンディミオン』(ジョン・リリー 一五八八)
 蛾とクモの巣 — 去蚕とその飛翔について』(T・ムフェット 一五九九)
 魔法の花の汁 —『ダイアナ』(ホルヘ・デ・モンテマヨール)
 変身 — 『黄金のろば』(ルシウス・アプレウス/ウィリアム・アドリントン訳                                  一五六六)

シーシアスとヒポリタ
 『プルターク伝』 (トマス・ノース卿訳)
 『騎士の物語』 (チョーサ「『カンタベリー物語』)

ビラマスとシスビ
 『貿易商人の話』 (チョーサー『カンタベリー物語』)
 『恋する男の告白』 (ジョン・ガウアー 一三九三?)

 『夏の夜の夢』のフェアリーたちは、王オベロンと女王ティタニアに率いられるフェアリー王国という形で現われ、この二人と、それに仕えるパックといういたずら好きの妖精とが主要なメンバーである。この妖精たちの性格も遡ってみればさまざまで、フェアリーの王オベロンはゲルマン系の小人アルベリヒがもとだし、ティタニアにはギリシャ神話のダイアナの血が流れ、パックはケルト系の(エルフ)であるロビン・グッドフェローの性格が多分に入っている。

『妖精の系譜』 新書館



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石井鶴三の世界 №207 [文芸美術の森]

蟹満寺釈迦 1930年/沖姫命座像 1930年

    画家・彫刻家  石井鶴三

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蟹満寺釈迦 1930年
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沖姫命座像 1930年

**************  
【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】
明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。

『石井鶴三素描集』形文社


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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №72 [文芸美術の森]

ノート 11

   早稲田大学名誉教授  川崎 浹

父母の墓と思ふにあらざれど
何とて来しかこゝよ筑紫野

この野辺と思ひも更らになく立てば
東も西も日は暮れて行く

(なに故にこの野に立ちしか知らねども
この野辺に立ちゐて思ひも更らになし
東も西も日は暮れてゆく

山路行くさびしきものとは思はねど
つれ人なきぞなほゆたかなり

一人行く山路けはしといふなかれ
つれ人なければ思ふことなく

夕暮るゝ昼の姿の黒々と
たゞ一すぢに明け渡りゆく


下上後前大地四方八方十万足の裏からまで吹きつけて来る吹雪の中、
身をよける片物もなく


花も散り世はこともなくひたすらに
たゝあかあかと陽は照りてあり

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社


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エラワン哀歌 №23 [文芸美術の森]

ネクタイ

     詩人  志田道子

 金ストライプに三頭の獅子
 インド海軍の濃紺のネクタイは
 その夜
 男の首から外され
 出会ったばかりの女の指に委ねられた

 旗艦を挟んで艦船四隻
 みな船首を沖に向け
 縦列して岸壁に横付けていた

 埠頭に打ち寄せる波に乗って 横腹を
 濡れたコンクリートに擦りつけては
 低い悲鳴を残して
 また離れる

 漆黒の海
 波間に揺らぐ 無数の
 鈍い光 満天の星も
 金色に泣いて
 ただ男の陶酔を見つめ続ける

 パチンッ と
 女のバッグの留め金が鳴った
 濃紺の闇に

 無造作にしまい込まれたネクタイは
 眠り込む
 その夜……
 寝息も立てず

『エラワン哀歌』 土曜美術出版社販売



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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №79 [文芸美術の森]

         喜多川歌麿≪女絵(美人画)≫シリーズ
           美術ジャーナリスト 斎藤陽一
          第7回 湯あがりの女と町娘

79-1.jpg

≪美人大首絵の刊行≫

 今回は、寛政3~4年頃、喜多川歌麿が、版元・蔦屋重三郎のもとで刊行した「婦人相学十躰」シリーズから、二つの絵を見ることにします。

 この時期、寛政3年春、「蔦重」こと蔦屋重三郎は、自分のところから刊行した山東京伝の洒落本が幕府当局に摘発され、罰として資産の半分を没収されるという大きな損害をこうむりました。
 この損失から立ち直るために、蔦屋重三郎は、起死回生の企画を立てました。喜多川歌麿を起用して「美人大首絵」を刊行するという企てです。そして世に出て評判となったのが、この「婦人相学十躰」シリーズなどであり、歌麿は見事に蔦重の期待に応えたのです。

 「婦人相学十躰」は、女性の顔つきや仕草から、それぞれの性格や気質などを描き分けるという野心的なシリーズでした。

 その中の一点が「浮気之相」(上図)です。
 描かれているのは、浴衣姿の女です。風呂帰りであることは全体の雰囲気描写から分かります。若い娘ではなく、年増でしょう。それも堅気の女性ではなく、粋筋の女のようです。じっと相手を見つめる目つき、なにかしゃべりかけているような口もと、丸味を帯びた肩などから、女の色香が匂いたちます。

 湯から出たばかりなので、まだ体が熱いのか。汗ばんでいるのかも知れない。しどけなく、浴衣をひっかけるように着ているので、前が開き、そこからちらりと乳首が見えてエロチックです。肩にかけた手ぬぐいの端で、濡れている手を軽く拭く仕草も色っぽい。狂歌絵本で虫や貝類を描くときに見せた歌麿の観察力が示されています。

≪湯あがりの小粋な女≫79-2.jpg

 湯上りの濡れた髪は、無造作にかんざしと笄(こうがい)でまとめ上げられています。ちなみに、湯上がりなどに髪をくるくると巻いて、簪などにまきつける仮のヘアスタイルを「貝髷」(ばいまげ)と言います。

 この女性は、風呂帰りのところを、うしろから誰かに呼び止められたのでしょう。おそらく町内の男に、ひやかしの声でもかけられたのかも知れない。
 「よぉ、姐さん、色っぽいねぇ!」

 女は、ひょいと後ろを振り向いて、ぽんぽんと言い返しているようです。
 「おや、熊さんかぇ。このごろ、ちっとも店に顔を見せないねぇ」

 題名の「浮気之相」とは、現代的な意味での「浮気」というよりは、細かいことにあまり気を使わない無造作ぶりとか、この女性がまとっている多情でちょっと浮ついたような雰囲気を言ったものでしょう。

 この絵でも、背景には豪華な「雲母摺り」(きらずり)がほどこされ、手に取ると、光の加減できらきらときらめく仕掛けになっており、描かれた女性の魅力を引き立てています。

 もうひとつ、浴衣の模様の色彩にも注目してください。
 華美を禁じる厳しいご時世であり、色数は少なく地味に抑えられていますが、その代わりに、繊細で粋な模様となっています。これは、絵師と彫師、摺師の三者すべての卓抜した技巧が揃って実現した、見事な描写なのです。

 絵師・歌麿の技量に加えて、熟練した腕を持った職人たち、そして、時代を見抜いて斬新な企画を発想するプロデューサーである版元、これらのチームワークによって、歌麿の「大首絵」は、これまでにない美人画の世界を到来させました。

≪ポッピンを吹く町娘≫

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 次の絵も、「婦人相学十躰」シリーズの中の一点「ポッピンを吹く娘」です。これは、記念切手にもなっていて、通称「ビードロを吹く娘」の名で知られています。

「ポッピン」は、「ポッペン」とか「ビードロ」とも言われるガラス製の玩具。細い管のほうを口に含んで息を吹き入れると、吹くたびに「ポコン、ポコン」という軽い音がします。

 この絵では、「ポッピン」を無心に吹く町娘の初々しさを表現しています。手を極めて小さく描くのも、娘のあどけなさの表現でしょう。

79-4.jpg 歌麿は、先ほど見た「湯あがりの小粋な年増」とは対照的な主題を取り上げ、それにふさわしい表現を試みています。

 おそらく裕福な商家のお嬢さんでしょう。赤い市松模様に桜の花びらを散らした振袖が、いかにも育ちの良い娘らしい雰囲気を醸し出しています。

 町娘の髪の生え際に見られる、1ミリの何分の一というくらい細い線には、彫師の超絶技巧が発揮され、さらに、それを摺り出す摺師のきわめて高度な技が見られます。

 次回もまた、歌麿の美人画の世界を紹介します。



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