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行くも良い良い、行かぬも良い良い……句会物語 №105 [文芸美術の森]

行くも良い良い、行かぬも良い良い……句会物語
こふみ会通信 №105 (コロナ禍による在宅句会 その20)
「青踏」「山笑ふ」「囀り」「流氷」
      俳句・こふみ会同人・コピーライター  多比羅 孝

矢太氏と小文さんの連名にて、≪令和4年3月の句会≫の案内が全会員に届きました。下記のとおりです。

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小網句会のみなみなさま

どこまでつづく網句会。
どこまでつづくコロナかな。
三月小網句会のご案内です。

「兼題」 
 青鞜
 山笑ふ
 囀り
 流氷
「青踏」は、このままでもいいし「青き踏む」と開く使い方でもいいです。青鞜会の如しです。もちろん本来の「踏青」でもよし。ということでお使いください。

●三月十日までに、幹事(矢太、小文)宛に、投句お願いします。
●選句締め切りは三月十七日。

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【上載の通知によって作成・作句された今回の全作品】は下記のとおり。14名 56句

「青き踏む」 
青き踏む遠国の戦争憂いつつ (一遅) 
青き踏む戦車はいのちの赤き踏む(矢太)
青き踏む 一歩一歩よ 足の裏 (孝多)
放たれて舞うごとくなり青き踏む(玲滴)
子と吾れと夫を支へて青き踏む (弥生) 
一歩二歩小さき足跡青き踏む(小文)
いざゆかん青鞜の道まだ険し(兎子)
踏青や地球はアンダンテにて回る(尚哉)
青鞜のアマゾネス等は 愛を摘む (茘子) 
鳥 獣 日差し仰いで 青き踏む(紅螺)
踏青や柔らかく土脈打ちて (虚視)
ひまわりと青踏み躙(にじ)る狂キャタビラ(鬼禿)
青き踏む尻で背中で逆立ちで(すかんぽ)
末娘手作りドレスで青き踏む(下戸)

「山笑ふ」
雲間より光を浴びて山笑ふ(玲滴)
溪の音苔の匂いや山笑う(弥生)
眠たくてまだ眠たくて山笑う(小文)
急坂を登りきったら山笑ふ(兎子)
ゼフュロスに樹々くすぐらせ山笑ふ(尚哉)
あの時もそう 今年も山は笑はない(鬼禿)
ひかり号刺さるトンネル山笑ふ(すかんぽ) 
紫の暖簾くぐれば山笑ふ(下戸)
法螺貝の叫び走って山笑う(一遅) 
山笑ふ人ひとりだに笑はぬに(矢太) 
指で作る 小さなハート 山笑ふ(孝多) 
ふるさとの改札抜ければ山笑う(茘子) 
山笑う 獲物仕留めて 重い肩(紅螺) 
車窓より流れ去る村山笑う(虚視)

「囀り」
まだ下手な囀りありていとをかし(弥生) 
囀りやこぼるる音の枝葉より(小文)
囀りで夜があけるよと知らされる(兎子)
囀りをくぐりくぐって富士の前(一遅) 
囀りはスマホを啄く指ばかり(矢太) 
囀りを 聞くや両手を 腰に当て(孝多) 
ジャニーズのひと塊で囀れり(すかんぽ) 
アイフォンで庭の囀り採取して(下戸)
囀りに目覚める朝のぬるさかな(玲滴)
囀りにピーターと狼始まれり(尚哉)
囀りやなまり満載ローカル線 (茘子) 
絶え絶えの 囀り縄文 杉の中(紅螺)
囀りで迎える朝の真新し(虚視) 
総出演カーテンコールの囀り(鬼禿) 

「流氷」
流氷に青と黄色の風が吹く(小文)
岬まで流氷の鳴く宿ひとつ(下戸)
奇声あげ 流氷の群れ 岸離る(紅螺)
流氷の行き先だれも知らぬまま(矢太) 
流氷に 幻(まぼろし)か白い 熊を見し(孝多) 
流氷に別れの季(とき)を惜しみけり(玲滴)
オホツクに流氷吼える夜のありと(弥生) 
あてもなく令和を漂う流氷のごと(一遅) 
あの国と架け橋になれ流氷よ(兎子)
流氷寄す極東はいま波静か(尚哉)
オンザロック遥か想う流氷の音 (茘子) 
流氷や消え去るだけの長き旅(虚視) 
流氷の本音は九割水の下(鬼禿) 1
最果てに佇つや流氷鳴き止まず(すかんぽ) 

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【天句の鑑賞】
「天」に選んだ句とそれに関する鑑賞短文を簡潔に書くというこふみ句会の約束事。

●青き踏む尻で背中で逆立ちで(すかんぽ)
鑑賞短文=肉体の実感だけで、人生のすべてを表象した。でっかい叙情です。(矢太)
鑑賞短文=草を踏む喜びを全身で表すってこういうことなんでしょうか。春になった喜びが
     素直に伝わってきます。(茘子)
鑑賞案分=幼い少女が歓声をあげて、スカートを翻して春の訪れを喜んでいるのでしょう。
     読む方も心が弾みます(紅螺)
鑑賞短文=草の上で跳ねたりもするでしょう。嬉しい楽しい季節の訪れ。下5の「逆立ち」
     で決まりです。佳句をお示しいただき有難うございました。(孝多)
鑑賞短文=待ちわびた春が来た!全身でその喜びを表現している様子に幸せな気持ちになり
     ます。(小文)
鑑賞短文=そうなんです。絶対こうしたい。でも、靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、そっと裸足で立
     ってみる私です。この句は絶対、一遅さんだと思うのだけれど、違うかな。
    (虚視)

●溪の音苔の匂いや山笑う(弥生)
鑑賞短文=昔山を歩いていた頃、春になって雪解け水が流れる音を足の下に聞いたことや日
     陰の草の匂を嗅いだことを思い出しました。(玲滴)
鑑賞短文=清涼な空気があります。みずみずしい香りがあります。辛いこと、苦しいこと、
              嫌な出来事ばかりのこのときに、洗い流されるような情景です。(兎子)

●ゼフュロスに樹々くすぐらせ山笑ふ(尚哉)
鑑賞短文=ゼフュロスという言葉の選びで、自然界に命を吹き込み、句が壮大な叙事詩に変
     わった。うまい。(矢太)

●山笑ふ人ひとりだに笑はぬに(矢太) 
鑑賞短文=ウクライナ女性の泣き顔が目について、どうしても『山笑う』の句ができない。
     同じ考えの人の句を選ぶ。僕のよりうまい。(鬼禿)

●オンザロック遥か想う流氷の音 (茘子) 
鑑賞短文=オンザロックにやられました。流氷とのカップイングが文句なしにいいですね。
     流氷のなく音を肴に、一杯やりたくなりました。(下戸)
鑑賞短文=オンザロックの氷の触れあう音を聞きながら遥か最果ての流氷に思いを馳せる、
     ロマンチックでお洒落な句。 (弥生)

●流氷や消え去るだけの長き旅(虚視) 
鑑賞短文=まさしく、人生も業界も、流氷のごとく消え去るのみの旅ですね。(すかんぽ)
鑑賞短文=・・・・流氷は、タンチョウヅルと違い、元へと戻ることが出来ません。北海道
     へと押し寄せるのは、「死出の旅」なのですね。(尚哉)

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≪今月の天地人≫

天:虚視トータル55点
   代表句=流氷や消え去るだけの長き旅
地:すかんぽトータル54点
    代表句=青き踏む尻で背中で逆立ちで
人:弥生トータル26点
    代表句=渓の音苔の匂いや山笑う

◆上位作の皆さん、おめでとうございました。

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≪幹事より、ひと言≫

3月の小網句会の前にロシアの侵攻が始まり、世界中が不穏な空気に包まれました。皆さまからお預かりした句にはそのお心が反映されたものが目立ちました。
また、心浮き立つ句にも、早くそのような世の中に戻って欲しいと思わずにはいられませんでした。
そして天句に選ばれましたすかんぽさん、おめでとうございます。選者6人全てが「天」とは素晴らしいことです!  (小文)

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筆者休養のため、≪孝多よりひと言≫のコーナーは暫くおやすみします。
皆さま、お元気に。

                令和4年2月末日
                                                   (編集 横幕玲滴)

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妖精の系譜 №23 [文芸美術の森]

 スペンサーの『妖精の女王』

       妖精美術館館長  井村君江

 チョーサーが部分訳を試みている中世フランスの韻文(メトリカル)ロマンス『薔薇物語』は、この時代の典型的な寓意的(アレゴリー)恋愛詩である。恋する女性を「薔薇」に喩え、「危険」と「悪口」と「羞恥」と「恐怖」に厳重に見張られている囲いから、愛人は「愛の神」(ヴィナス)の助けを借り「歓待」に導かれて「慈愛」と「哀憐」の同情を得て「薔薇」に口づけ出来るという「恋愛技巧論」ともいえる物語である。抽象的な観念を具象的な人物に託して描く手法は、中世からルネッサンスにかけて流行したものであった。
 エドモンド・スペンサー(一五五二?~九九)の『妖精の女王』(一五七九~九六)は、この寓意叙事詩の傑作といえるものである。スペンサーはこの作品に二十年の歳月を捧げ、第四巻まで生前に出版したが、未完に終わっている。しかし全篇の構想は、すでにウォルター・ローリーにあてた書簡に書かれており、それによれば、妖精の女王グロリアーナが年に一度、十二日の問大宴会を催し、十二の徳を代表する十二人の騎士を一日一人ずつ武者修行に出し、騎士は悪を滅ぼし手柄を立てる。プリンス・アーサーは「徳」を代嚢し、グロリアーナの幻影を見て遍歴を続け、その間に十二騎士を助ける。この二つの主題を組み合わせ、一巻を一人の騎士の活躍にあて、十二巻の一大叙事詩とする計画であったことがわかる。
 さらに『妖精の女王』執筆の目的は、アリストテレスの十二の徳を描き「高貴な人物に立派な道徳的訓育を施すこと」にあるとスペンサーは言っているが、中心はギリシャ思想ではなくキリスト教的道徳観で、構成の骨組みはアーサー王伝説、そして全巻はエリザベス女王に捧げる讃歌にするといった重層的なものであった。
 登場人物の一人プリンス・アーサーは時としてフィリップ・シドニーであり、また別のところではレスター伯ともいわれるが、あらゆる徳を一身に備えた完成した人物として描かれている。プリンス・アーサーが絶えず心に思い描き、敬愛し讃美している女王グロリアーナとの関係は、全巻に登場する騎士と恋人たちの関係を代表的に示しており、アーサーが徳を示す理想的存在であることがわかる。ただしその位置関係は、王妃グウィネヴィアに対する騎士ランスロットの献身的な宮廷恋愛(アムール・クルトワ)の関係に近い。
 妖精の女王はエリザベス一世を象徴しているが、その呼び名としてグロリアーナ(栄光)、ベルフィービ(優美)、シンシア(月の女神)、ブリトマート(清純)、マーシラ(慈悲)といったさまざまな名前と属性をもった人物として描いており、最高の徳と地位と美を体現する女性として最大級の讃辞の筆で描かれている。妖精の女王には月の女神の属性が重ねられているが、アーサー・ゴールディング訳でオウィディウスの『転身物語』の影響の下に描かれていることがうかがえる。この書は後にシェイクスピアが妖精の女王ティタニアの映像を形成するのに多くの示唆を与えたといわれるもので、月の女神ダイアナの属性がよく描かれている。
 第二巻で騎士ガイアンがメディーナ姫に語るところによれば、「そのお方(グロリアーナ女王日エリザベス一世)は、最も偉大で最も輝かしい処女王で、至高の権力と輝かしい王第で妖精の国の全土を平和に治めておられ、その威容が全世界の目に映るように、広々とした大海に玉座を設けられ、朝日のごとく燦然と光を四方に放ち、お顔には麗しい平和と慈悲とを現わしておられます」というように、グロリアーナは月の女神ばかりでなく、太陽神をも重ねあわせたかのような輝かしい存在にもなっている。
 一方対折的な映像としてデュエッサが描かれているが、「虚偽」と「悪」の象徴として醜い肉体を持つ魔女のような恐ろしい姿として登場する。これはスコットランド女王メアリー・スチユワートを示していると言われる。
「半身は長々とのびた蛇の如く、残りの半身は女の姿をして、その奇怪さ、醜悪さ、いまわしさは、身の毛もよだつほどであった」とネメシスのような蛇身になっているか、ある時は美しい姿となってみだらな愛欲に誘おうとしたり、ある時はゴブリンたちを意のままに従わせて人を計略にかける恐ろしい魔法使いともなったり、またある時はフィデッサ (不誠実)と名乗り、哀れな姿で人の慈悲にすがったり、さまざまな変身を見せている。
 また高慢なルシフエーラが登場するが、彼女は勝手に女王になり王冠をいただいた倣慢な女王として、足もとには龍を従え、自分の顔を鏡に映してみとれているが、これは「虚栄」を表している。
「その生まれを誇る慢心はひどいもの」とあるが、ルシフェーラの両親は「薄気味悪い地獄の王ブルートーとその妃プロセルピナ」とされている。悪魔ルシファーを思わせるこのルシフェーラはメアリー・チューターであり、プロセルピナはアラゴンのキャサリンを示し、したがってプルートーはヘンリー八世となるが、王は他ではオベロンという名で呼ばれている。ここで興味深いことは、前に触れたチョーサーは、プルートーとプロセルピナを妖精の王と女王としていたが、スペンサーは文字通り地下に住む地獄の王とし、悪魔ルシファーの父としていることである。したがって、スペンサーにとって妖精の国は地下ではなく地上に存在するものと考えられていたことがわかる。妖精の国は傷心のスペンサーにとって大英帝国そのものであったわけで、この作品が遠く海を隔てた異郷の地アイルランドで描かれたものであり、祖国を憧れる気持が妖精の国という粉飾をさらに強調させたともとれるのである。この妖精の国は女王エリザベスによって支配され、ヘンリー八世がオベロンとして、エリザベス女王の父祖としておかれて、一大エルフィン王の系譜が示されているところは興味深い。男性をエルフ、女性をフェとして区別し、創造主がプロメテウスから人間を創り、これをエルフすなわちクイックと呼び、これが全女性の祖先フェと出会って生まれたのがフェアリーで、そこから国民と君主が生まれ、この王権をほしいままにした最初で最後の者がエルフィン、そこからさらに~エルフィン ~エルフィナン ~エルフィリン ~エルフィクレオス ~エルフェロンという系図ができあがったとしている。天逝したエルフェロンの空位を継いだのがオベロンで、自分の娘タナキルがグロリアン(グロリアーナ)として妖精の国を支配する女王(エリザベス一世)となったと説明されている。妖精王にオベロンという名を付したのはバーナーズ卿訳による中世ロマンス『ユオン・ド・ボルドー』をもとにしたといわれているが、これはシェイクスピアのオベロンより先がけていると推定される。
 サミュエル・ジョンソンは「シェイクスピアの時代には妖精というものが盛んに流行しており、広くゆきわたった伝承を通して、人々は妖精をなじみ深い存在として受けとめていた。そしてスペンサーの詩は、そうした妖精たちを偉大なものにしたのである」としているが、思うにジョンソンはスペンサーの文学作品と民間伝承としての妖精物語とを混同し、スペンサーを過大評価しているようである。というのはスペンサーは妖精の女王を作品にしたが、妖精を寓意や象徴として、ある代価物を描写するための導入概念として文学の中で用いたわけで、妖精自身の生きた生命はまったく無視しているからである。しかし、後世の詩人や文学者たちが、妖精王国を描く際に与えた影響は大きいと言わねばならない。とはいえ、妖精女王や娠噺疇幻がいかに詳細に描写され、修飾されていても、妖精たちは彼ら独自の生命はもたず、厚いきらびやかな衣裳に包まれ、豪華な額縁の中に納まってしまっているのである。
 スペンサーが「フェアリー」という語を「魅力ある国」および「そこに住む者たち」という意で定着させた功績は大きいが、「エルフ」と「フェアリー」を区別なく用い、さらに「エルフ」をおおむね男の妖精に、「フェ」を女の妖精に用いていることは、厳密な区別とはいえないようである。例えばサー・ギオンを「妖精騎士」とか「好戦的妖精」と呼ぶ一方、プリンス・アーサーを「フェアリー・ナイト」とも呼んだりしているのである。
 『妖精の女王』は、妖精にギリシャ神話の神々や精霊、鬼婆や怪物などを自在に重ねあわせ中世騎士物語の要素も加味して、独自のフェアリー王国を形成したといえる作品で、さらにそこには十字軍遠征の影響でオリエントの豪著さもフェアリーの描写に付け加わっていったことが、次の引用からもうかがえよう。
  彼らの僻師榊鋸や官延の宴会は、想像のおよぶ限。豪華で壮麗なも㌢あっく畑行列では、人間界の普通の馬よりもずっと美しい馬が練り歩いた。彼らの狩りに使われる猟犬も鷹もみな一級の血統のものであった。日々の宴では、人間界の最も誇り高き王とて気をそそられざるを得ないような見事な料理が供され、踊り子の広間には、世にも妙なる音楽が谺(こだま)していた。
 要するにスペンサーの描いたフェアリー・ランドは、全体として極めて人工的なアレゴリカルなものであり、読者は常にロマンチックなシーンの背後に横たわる倫理的あるいは政治的な意味を想起させられる。そして作品全体が、騎士の冒険物語の登場人物と、その場その場に合った装飾を組み合わせた、いわば詩人にとって実に都合のよい仮装舞踏会という印象を与えるのである。
 農民たちの空想力が生んだ妖精は山野を自在に走りまわり、人々の生活と密接につながった親しい存在であり、恐れられたと同時にやはり愛されてもいたのである。例えば「ロビン・グッドフェロー」というような呼び方には明らかに親しみがある。しかしながらそれがひとたび民衆の手を離れ、貴族の城に入った時、妖精は変貌し始め、最後には身勝手な貴族の夢の代用品にまでなりさがった。フェアリーランドの情景は退屈した貴族の物質的な欲望の具体化以外の何物でもない。あくまで空想力の所産であるはずのフェアリーが、その支えを失い創造性の飢餓に出会ったとき、その生命も魅力もまた失われてゆくのは当然のことであろう。
 寓話(アレゴリー)の枠の中で生命のない妖精たちが息を吹き返してくるのは、観客を前にした舞台の役者たちの演技を通してのことで、演劇の隆盛時とシェイクスピアを始めとするエリザベス朝の劇作家たちの出現を得たねばならないのである。

『妖精の系譜』 新書館


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石井鶴三の世界 №206 [文芸美術の森]

室生寺 弥勒 1930年/百済観音 1930年

     画家・彫刻家  石井鶴三

1930室生寺弥勒.jpg
室生寺 弥勒 1930年(181×140)
1930百済観音2.jpg
百済観音 1930年 (183×140)

**************  
【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】
明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。

『石井鶴三素描集』形文社


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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №71 [文芸美術の森]

ノート10

   早稲田大学名誉教授  川崎 浹

帰りゆく里もなき身のなにゆへに
あの御(オン)山にぞゐねざりしかや

三神の峰までつゞく石段に
一とふみごとよ思ふことなく

我が心しづもりあれよ石段の
杉の並木のはても見えねば

物買ひて店の娘のほヽゑみて
手渡しくれし出羽の思ひ出.

久々に筑紫の郷に来てみれば
(今は昔と秋風のふく)
 菜の花夢に秋風のふく

行く雲と思ひみる気はなけれども
ついうかと我が心かな

変らぬは今も昔も筑紫野に
空ゆく雲と恩ひみるかな

あかあかと思ひはつきず立ち居れば
筑紫の野辺に日は暮れて行く

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社


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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №78 [文芸美術の森]

       喜多川歌麿≪女絵(美人画)≫シリーズ

         美術ジャーナリスト  斎藤陽一

    第6回 人気ナンバー1・難波屋おきた

78-1.jpg

≪人気ナンバーワン 難波屋おきた≫

 前々回、前回と、歌麿描く「寛政三美人」を紹介しましたが、その中の一人「難波屋おきた」は、三人の中でも人気ナンバーワンだったと言われます。水茶屋で甲斐甲斐しく立ち働くその姿は、浮世絵師たちに最も多く描かれました。

 歌麿は、「難波屋おきた」だけをモデルに、いくつかの絵を描いています。そのひとつが上の絵です。この絵が描かれた寛政5年頃のおきたの年齢は数え年16歳と言われます。彼女が着ている着物に散らされた文様は、難波屋の家紋「桐」なので、茶を運ぶ姿とあいまって、モデルが特定できる仕組みです。

 水茶屋「難波屋」は、浅草の随身門わきにあり、連日、おきたを見ようという人たちが押しかけ、時には、水を撒いて追い払わなければならなかったほどだった、と伝えられています。
 当時の狂歌に、おきたのことを「金箱娘」(かねばこむすめ)と詠んだものもあり、難波屋にとっても「ドル箱」だったことが推察できます。

 この絵の左上の短冊に書かれている歌を紹介しておきます。

 「難波津の名におふ者はゆきかひに
        あしのとまらぬ人もあらじな」(桂 眉住)

 「通りすがりの人で、難波屋に足がとまらない者はいない」と、「おきた人気」を詠っているのです。 

≪雲母摺りの美女≫78-2.jpg

 前回、おきたのことを「ちょっと上がり気味の眼は細めで、優しく相手を見つめるような眼差し。鼻はすんなりとしてややかぎ型、口もとがかすかに開いて、話しかけているかのよう。顔の輪郭はややふっくらとした感じ」と申し上げましたが、この絵にも、ごく微妙ですが、同じような特徴が表現されています。

 この絵の背景に使われている技法は「雲母摺り」。
 これは、白雲母の細かい粉を、糊のついた和紙に版木で押したり、直接、糊に混ぜて紙に塗ったりする、という技法です。これは、とても贅沢な技法であり、浮世絵でも高価に売れるものにしか使われませんでした。
 この絵に先立つ寛政元年(1789年)に、この「雲母摺り」を初めて「美人大首絵」に使ったのが歌麿でした。
 ここでは、ほのかに光る雲母の光沢の中に、おきたの姿が浮かび上がり、ひときわ艶麗な効果が生まれています。

≪鏡を小道具にした美人画≫

 もう1点、歌麿が、難波屋おきたを描いた絵を見ておきます。

78-3.jpg この絵には「姿見七人化粧」という題名がつけられているので、姿見(鏡)を使っている女たちを描き分けた7枚シリーズとして企画された可能性がありますが、現存するのはこの1枚だけです。

 歌麿ほど、鏡を小道具にした「女絵」を多く描いた浮世絵師はいません。それも、単に小道具として画面に描くだけではなく、鏡を用いて、女性の前後の美しさや、鏡に見とれる女の風情や心理を表現するために、効果的に画面に配しています。

 この絵のモデルは「難波屋おきた」とされます。おきたは、大きな鏡に顔を近づけて、鬢(びん)の張り具合を手で確かめている。かすかに微笑んでいるように見えるのは、満足が行ったのでしょう。

 ここで歌麿は、鏡を媒体として、美しいおきたの顔だけでなく、流行の髪形を前後から丁寧に見せています。
 さらに、鏡の面には「雲母摺り」(きらずり)を施して、銀色の輝きを演出し、背景は「黄潰し」(背景の地を黄色一色で摺ること)にして、鏡の中の「虚の空間」と壁の「実の空間」とを分けています。

78-4.jpg 歌麿の大首絵は、印象派の画家たちに鮮烈な印象を与えました。ことにドガなどは、それをうまく吸収して、それまでの西洋絵画にはなかったような、大胆な構図の人物画を生み出しました。

 右の絵は、ドガが描いた「婦人と犬」(1875~80年)という作品です。
 ドガの集めた浮世絵コレクションの中には、歌麿の作品も入っていたので、この絵は、歌麿の大首絵から発想を得たものかも知れません。鏡のかわりに犬を描き、さらに、あえて後ろ姿でとらえて、女性の表情を消してしまい、瞬間をスナップショットでとらえたようなインパクトが生まれています。

 次回も、喜多川歌麿の美人大首絵を紹介します。


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エラワン哀歌 №22 [文芸美術の森]

旅/ロザリオ

     詩人  志田道子

  石造の礼拝堂の中は
  しんと薄暗い
  窓際のショファージユに
  手をかざして見たが
  温湯は止まっていた
  ステンドグラスの外は静か
  無数の純白の羽毛が
  絶えることなく降り積む

  冷たくなった木製の椅子に
  ロザリオが一本
  置き忘れられていた
  誰かの苦悩をやっと逃れて
  そこに滑り落ちたか
  寂しい誰かの指に
  拾い上げられるのを
  じっと待っていたか……

  躯(むくろ)となった子を抱く
  若き母親の涙
  二千年乾くことはなく
  癒されることのなかった
  細い首

  くぐもった鐘の音の下
  今日
  パリは雪

『エラワン哀歌』 素養美術社出版販売


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妖精の系譜 №22 [文芸美術の森]

チョーサーの『カンタベリー物語』と妖精

     妖精美術館館長  井村君江

 中世時代はキリスト教の時代であるが、一二〇四年に第四回十字軍がコンスタンティノープルを陥れたり、ヨーロッパの学者たちが東洋に旅する機会が多くなると、ギリシャの言語や文化を学ぶ機会が増え、ギリシャの文学や学問を、ラテン語や英語に訳そうとする機運が高まってくる。
 ギリシャ最古の叙事詩ホメーロスの『イーリアス』と『オデュッセイア』の訳も現われるが、この中で、ニンフ(ニュムペー)たち、水の精(ナイアーダス)、樹木の精(ドリアーダス)、山の精(オレイアデス)、海の精(ネレイデス)たちがすべて妖精におきかえられているのに気づく。例えば、アキレウスが誕生した時、その「ベッドのまわりは水の妖精が迷路のような輪を作って踊った」という訳が「フェアリーたちが踊った」と記されており、ギリシャの精霊と妖精との混同がこうした翻訳の経路で行われていたことがわかるのである。ホメーロスは、ニンフについて「彼女たちは山川草木、場所、地方、国、町などの擬人化された女神で、若く美しい女性であり、ゼウスの娘である。不死ではなく長寿であるが、樹木の精はその木とともに生命を終える。彼女たちは歌と踊りを好む」としており、自然の精霊であり歌や踊りを好むことは妖精に似ているが、その性を女性だけに限っている点は異なっている。
 こうしたギリシャ神話の神々やニンフと、フェアリーの混同は、ジョフリー・チョーサー(一三四〇?~一四〇〇)の物語に顕著に現われてくる。『カンタベリー物語』(一三八七-一四○○)の挿話の一つ「貿易商人の話」では、フェアリーの国の王をプルートー、その妃をプロセルピナと呼んでいるが、いずれもギリシャの地下の神である。プルートーは、ゼウス三兄弟の末弟で、冥府の王であり、その名は富を意味する「ブルートス」に由来しており、万物を生み養い育てる大地にこもる富の力および、地下の財宝資源をも象徴しているが、地下の死の国の王でもある。同じくプロセルピナは、ゼウスとデーメーテルの娘で、プルートーが恋をし、地下にとじこめたが、一年に一度母神のもとに帰るようにゼウスがはからったので、プロセルピナが地上に出る春の季節には花が咲く。従ってプロセルピナは地下の豊穣と農業と春の女神ということになる。
 民間伝承に描かれている妖精たちは、土の神として麦を実らせ、牛の乳の出をよくさせてくれる精霊として信仰されていたが、ギリシャ神話の地下豊穣の女神との共通点は確かにみいだせる。また、中世ロマンスの物語『サー・オルフェオ』に描かれた死者の国=地下世界を司る妖精王と、死者の国に君臨するプルートーとは、類似している。チョーサーが妖精王と王妃を、ブルート1とプロセルピナというギリシャ名にしているのは、こうした背景からの必然があってのことであることがわかる。そしてチョーサーの妖精たちにはもはや『ベオウルフ』のようなチュートン系の暗い妖精の映像はみられない。

  大勢の貴婦人を引き連れ、
  王妃プロセルピナを従えた
  フェアリーの国の王ブルートー

 この妖精の王と女王と侍女たちは、貿易商人ジャニュアリーのすばらしい庭園の泉のほとりで音楽を奏で、舞踏をしている。裕福なジャニュアリーは、若い女房マイと結婚するが、突然盲目となり、妻が若い従僕ダミアンに心をひかれているので嫉妬にさいなまされている。ある六月の朝のこと、ジャニュアリーは妻のマイに手を引かれ、庭園に散歩に出るが、ダミアンは彼女の合図で木にのぼって身を隠していた。身重の身には青い梨の実が欲しいと言ってマイは木に登り、密通する計画であった。このことをいち早くプルートーとプロセルピナは察知して、プルートーは老人ジャニュユアリーの眼を開かせ、木の上での不義の場面を見せてしまう。プロセルピナはマイに弁舌の術を与え、盲目を治すには、木の上で男と戯れるのがいちばんだと教わったと自己弁護させ、結局は元のさやにおさめるという決着をつけていlる。これは妖精の王と女王の戯れから起こる出来事であり、盲人の眼を開かせ、弁舌の才を与えるという超自然の魔法の力を妖精たちがもっていることも示されている。このように妖精たちは人間と親しく交渉をもち、干渉までしているのである。
 チョーサーがここで用いている妖精のつづりは<fayerye>であり、さらに「バスの女房の話」では<fayerye>というつづりになっており、「サー・トパスの話」では<fayery><fairye>、<elf-queen>という語が使われている。
 「サー・トパスの話」は、当時流行していた韻文ロマンスのパロディになっており、フランドルの騎士サー・トパスが灰色の馬にまたがり槍を手に森を走っているうちに、夢の中で妖精の女王を恋人として求める決心をする。

  わたしはエルフ女王を愛そう。
  女という女はみな棄てて、
  ただ一筋に、エルフ女王を手に入れるため、
  谷でも丘でもいといはしない。

 サー・トパスはまるで狂人のように馬を走らせ、人跡の絶えた静かな地に妖精の国をみつけだすが、三つ頭の巨人に出会い、翌日戦うために武器と甲胃をつけようと町に戻ってくる。しかし、ここで宿の主人に「つまらない話だ」と言われたとして、この物語は未完で終わっている。
 チョーサーはこうした中世騎士物語に登場する妖精の女王の話や、民衆の中に信じられている超自然の力をもった妖精たちの話などを知っており、物語の中に描いているわけであるが、その存在を信じていたわけではないようである。それは「バスの女房の話」の中で、妖精について、バスの女房にこう言わせていることからもうかがえる。

 昔、ブリトン人が崇めていたアーサー王の時代にはね、この英国にはどこへ行ったってフェアリーというものがおりましたんですよ。そのエルフの女王は、浮かれ心の友達を引き連れ、いつも緑の牧場でダンスをなさるんです。これは私が読んで知った古い言い伝えで、数百年も前のことでございますがね。
 今日(きょうび)は、もうフェアリーなど、一人もいやしません。そのわけはこうなんでございますよ。
 今は正式な托鉢僧や乞食坊主が、どんな土地にも川にもやって来て、まるで太陽の光にあたった埃みたいに、いたるところにうようよして、人にえらい慈善をほどこすだの、祈祷をするだのと言います。地主の邸宅にも、広間にも、台所にも、婦人部屋にも、都会にも、町にも、城にも、その高い塔の上にも、村里にも、納屋にも、厩(うまや)にも搾乳場にさえ来て、皆を祝福している。これが、もうフェアリーが現われなくなってしまった原因でございますよ。

 そして「今では、土地をまわる托鉢僧が婦女を犯す夢魔になっている」と、チョーサーは当時の社会事情を痛烈に諷刺している。「妖精の仕業ということは人間の行為の、ある弁明なのだ」とも言いたげである。しかしまだ人々の間に、いくら迷信として否定されていたとはいえ、妖精の話が豊かに存在していたことは『カンタベリー物語』からうかがえるのであり、チョーサーはこれらフェアリー信仰を素材として、中世社会の各層の人々の考えや人情を立体的に描いていったのである。
 こうして見てくると、チョーサーは学者であり、宮廷詩人であったにもかかわらず、当時民間に伝わっていたこれらの迷信を、軽い皮肉というよりは、もう少し積極的な興味の目で見ていたようである。しかも、自分では冗談半分に妖精などは何世紀も前にいなくなったと言いながらも、彼の正確な筆づかいで風俗を写してゆけば、話の中に妖精が一切入ってこないわけにはいかなかったのであろう。それにチョーサーにすればこれほど一般読者の興味を引く、世間好みの空想的なテーマを、たとえそれが少々俗っぽいとしても、使わずにすますことができなかったのではないか。『カンタベリー物語』の妖精はそのまま、当時の都市の市民階級の間に生きていた妖精である。

『妖精の系譜』 新書館


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石井鶴三の世界 №205 [文芸美術の森]

面 1930年/当麻寺・四天王邪鬼 1930年

    画家・彫刻家  石井鶴三

1930面.jpg
面 1930年 (178×135)
1930当麻寺四天王邪鬼.jpg
当麻寺・四天王邪鬼 1930年 (182×139)


**************  
【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】
明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。

『石井鶴三素描集』形文社


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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №70 [文芸美術の森]

ノート9

  早稲田大学名誉教授  川崎 浹

ふるさとも今はなき身の海に来て
母にまみゆる母よ我がうみ

  海は私のお母さん
  古郷も今は無き身の海に来て
  母にまみゆる母よ我がうみ
  思はず 聾の限りに
  呼びかけて見ると 必ず
  適確な返事をつぶやき返してくれる
  巻いて来る白狼の沖から
  水平線の難方から
  海はわがはは

いかにせん海動かずは我がいのち
探空の雲も流れざらまし

海うごく故にぞ渉る人もあらん
岩上に立てばせんすべもなし

月うかぶ空のまことのむなしくも
我が身のほどの思ひ知らる

羽黒山登るによろしたゞ一人
息つき居れば山鳩のな

三山の峰をも越えで帰り来し
我れ老ひ知るや知らず老ひしか

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社


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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №77 [文芸美術の森]

                  喜多川歌麿≪女絵(美人画)≫シリーズ
                  美術ジャーナリスト  斎藤陽一
                       第5回 寛政三美人 その2

77-1.jpg

≪三人三様、微妙に描き分け~続き~≫

 喜多川歌麿が寛政4年頃に描いた「当世三美人」(通称「寛政三美人」。大判錦絵)について、前回に引き続いて紹介していきます。

 前回では:
「この三人の顔を見ると、一見、みな同じように見える。歌麿は、美人画では、女性の顔の個性や表情を決して露わには描かないのです。・・・とは言え、よく見ると、その中にも、目の形や鼻筋の線、顔の輪郭、眼鼻の配置、さらには、着物のデザインや着こなし、それぞれの持ち物といったところで、実に微妙な描き分けかたをしていることが分かる」と申し上げました。そして、絵の中にさりげなく描き込まれた「紋所」によって、江戸っ子たちには、三人の身元が分かる仕組みになっている、と指摘しました。

 では、そのほか、どのように描き分けがなされているのでしょうか?
 まずは、この絵の三人をじっと眺めて、心に浮かんでくるものを感じ取って下さい。 

 では、着物の描き方の違いを見てみましょう。

 「富本豊雛」は、いかにも芸事に秀でた売れっ子芸者らしい洗練された着物と、ちょいとあか抜けた着こなしをしています。(当時は、「寛政の改革」によって、華美な着物などは禁じられていました。)
 次は、浅草の水茶屋の看板娘「難波屋おきた」。彼女は気立ての良い働き者で、客を優しくあしらいながら、店内をてきぱきと動き回ったと言われる。こんな彼女を見ようと、見物人が押し寄せたそうです。仕事着らしい絣(かすり)の着物と団扇を手に持つ仕草には、そんなおきたの雰囲気が漂います。
 左下の「高島おひさ」の実家は、老舗の煎餅屋のほかに水茶屋などを多角経営する資産家でした。彼女は、父の経営する水茶屋に手伝いとして出て、看板娘となりました。家紋がついた瀟洒な着物を着て、白手ぬぐいを肩にかけた姿には、ちょっと育ちのいいお嬢さんが家業を手伝っているような雰囲気が感じられます。

77-2 のコピー.jpg 次に、それぞれの顔つきに注目してみましょう。

 まず中央の富本節名取り芸者の「富本豊雛」。

 目もと涼しく顔立ちの整った、きりりとした印象で、芸事に秀でていたという彼女の心意気も感じられる。
 相手を見つめる眼差しも魅惑的で、売れっ子だったという話もうなずけます。

 豊雛は、その後、大名に見初められ、その側室になったという噂が伝77-3 のコピー.jpgわっています。出世したというべきでしょう。

 次は右下に描かれた「難波屋おきた」。

 ちょっと上がり気味の眼は細めで、優しく相手を見つめるような眼差しです。鼻はすんなりとしてややかぎ型、口もとがかすかに開いて、話しかけているかのよう。顔の輪郭はややふっくらとした感じです。

 おきたは働き者で、てきぱきと動き回りながら、店に来た客たちを優しく応対するという気立ての良さで人気があったと言う。
 そんな感じが伝わってきませんか?

77-4 のコピー.jpg 左下に描かれているのは「高島おひさ」。
 他の二人と比べると、どこかおっとりとした感じがします。
 ちょっと小さめの眼もとに愛嬌があり、口は受け口で、下ぶくれ気味の顔立ちに、あどけなさと甘えん坊らしい風情が感じられる。

 こんな風に、三人の女性は、実に微妙に描き分けられているので、私たちはじっと眺めながら、それぞれに思いをめぐらせて楽しめば良いのです。江戸っ子たちも、そのようにして楽しんだのだと思います。

 こうしてみると、これは、当世を代表する美女たちのブロマイドのようなものでしょう。こんな歌麿の美人画は、たちまち評判となり、大いに売れました。
 当時、「錦絵一枚、かけそば一杯」という言葉があり、長屋の熊さん、八さんも、手頃な価格で、あこがれの「当世美人」のブロマイドが買えたのです。
 ちなみに、江戸時代後期には、大体、普通の錦絵1枚が20文、かけそば1杯が16文くらいだったようです。

 次回は、歌麿が「難波屋おきた」を単独で描いた錦絵を2点紹介します。

                                                                 

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エラワン哀歌 №21 [文芸美術の森]

 とみこ×90

     詩人  志田道子

 とみこがいつものように
 午後3時のバスに乗る
 春分前の冷たい空気を逃れ
 息を詰め
 這うように車内に入り込む
 病院帰りの小さな背中は曲がって久しく
 細い手の甲はいつの間にか節立った
 そこだけ湯気でも立ちそうな赤い毛糸の帽子
 とみこは揺れる車内の椅子の上で
 監査を控えた経理係のように
 時間を惜しんでパンフレットを取り出した
 「大切なご家族のために」
 ピンクの字が躍る
 「月に3000円、90回のお支払いで
 『白百合』祭壇セットのご利用が可能です」
 とみこは写真のセットの花を確かめる
 「沼田葬儀社友の会のご案内です」
 とみこは再び表紙を確かめる
 「大切なご家族のために」
 ピンクの字は一人住まいの老女に囁いている
 あと7年半で……お支払いは終わります
 毎週お買い物に行く回数を一回減らすだけで
 積立にご負担はかかりません
 「大切なご家族のために」

『エラワン哀歌』 土曜美術社出版販売



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行くも良い良い、行かぬも良い良い……句会物語 №104 [文芸美術の森]

行くも良い良い、行かぬも良い良い……句会物語
こふみ会通信 №104 (コロナ禍による在宅句会 その19)
「斑雪(はだれゆき)」「椿」「飯蛸」「フォト」
                俳句・こふみ会同人・コピーライター  多比羅 孝

虚視氏と下戸氏との連名にて、≪令和4年2月の句会≫の案内が全会員に届きました。下記のとおりです。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 
こふみ会も、ネット開催が3年目を迎えようとしています。
ネット句会のスタイルが、皆さん板についてきたのではないでしょうか。
2月4日は立春、春の始まりであり、1年の始まりとされる日です。 
自分らしい句を詠んで、新しい春をスタートしましょう。

● 兼題【斑雪(はだれゆき)】【椿】【飯蛸】
 虚視からの特別兼題【添付写真から作句】 

2月案内 のコピー.jpg
(課題写真)
 
 添付した写真を鑑賞し、その印象から自由に作句する。
  *春の季語を入れる。

● 上記兼題4句を2月12(土)〜14日(月)に投句して下さい(厳守)

◆ 選句締切は2月21日(月)。虚視と下戸にメールをお願いします。    

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【上載の通知によって作成・作句された今回の全作品】は下記のとおり。14名 56句

【斑雪(はだれゆき)】
斑雪踏みつぶさんとひらり飛ぶ(小文)       
振り返らぬ人のかなしき斑雪(玲滴)      
人知れず山陰に消ゆ斑雪(鬼禿)        
斑雪何か新芽もふたつみつ(一遅)       
斑雪野を駆けぬける赤きスニーカー(弥生)
土塊の匂い久しく斑雪(下戸)         
斑雪明日の朝までもたぬ夢(茘子)       
またひとり友消え行くや斑雪(虚視)      
斑雪 親子ネズミの 足の跡(紅螺)       
峰に残り 谷に積もれる 斑雪(孝多)
庭斑雪子らの達磨に足らぬべし(尚哉)
君とゐたプラットホームはだれ雪(すかんぽ)  
斑雪隠しきれない嘘溶ける(矢太)       
斑雪あり 過去みたいだねと 君が言い(兎子)  

【椿】 
モノクロームの沈黙断って椿落つ(矢太)    
椿落つ林檎が地球に惚れたよに(尚哉)
椿手に 夜勤の明けた 消防士(紅螺)     
永遠は何処にありや落椿(下戸) 
鞄から椿手練れのデザイナー(すかんぽ) 
風の日もなんのスクッと寒椿(一遅)     
落ちて朽ち果つる椿の下の春(鬼禿)      
苔の庭すこし沈ませ椿落つ(虚視)       
人知れず 落ちて静けき 椿かな(孝多)       
毛利廟所の椿の紅のただならず(弥生)     
侘助に大樋(おおひ)の里の楽茶碗(玲滴)   
氷上に 軌跡残して 椿落つ(兎子)
胸を張りここで生きると落椿(小文)      
椿落つ地面を穿つ朱の波紋(茘子)       

【飯蛸(いいだこ)】
高砂の飯蛸を言ふ母恋し(弥生)      
悲しみを 抱え悶える 飯蛸の夜(兎子)
飯蛸に 箸割る音も 嬉しけり(孝多)    
飯蛸や謎の多いやつだった(矢太)
イイダコにピース喫はせて宇宙人(鬼禿)   
飯蛸に光る瀬戸波甦る(玲滴)        
茹でたての飯蛸ひょいとつまみ食ふ(小文)  
飯蛸の干されて更に小さくなり(虚視)    
金継ぎの 器に飯蛸 燗の酒(紅螺)      
飯蛸やこの星狭くなつてきし(すかんぽ)  
悪党や飯蛸のあし玩ぶ(下戸)        
飯蛸の飯呑み込まん茶碗酒(尚哉)      
海のたり飯蛸笑う太公望(茘子)
飯蛸の飯ほどぎっしり悔いのあり(一遅)  

【フォト】
影ちぢむ春の歩幅はモデラート(茘子)    
光より影に惹かれし枯日向(下戸)     
きょう立春 おっ影も立とる(鬼禿)
永き日やあと5分だけ待ってみる(小文)  
人気なき夜の静寂に春を待つ(玲滴)    
事件ありベイカーストリート春の夜(一遅)  
春の闇後ろに迫るはチビ太だな(尚哉)
初出社 街の道々 目新し(紅螺)      
迷い道 遍路に出ようか 風が吹く(兎子)
春立ちぬ一方通行行止まり(矢太)     
萌えていた 若草の原 今いずこ(孝多)
この街も焼野となりし日もありき(虚視)   
朧夜の彷徨影は魔物めく(弥生)       
春雷や濡れて馬車道待ちぼうけ(すかんぽ)  

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【天句の鑑賞】
「天」に選んだ句とそれに関する鑑賞短文を簡潔に書くというこふみ句会の約束事。

●君とゐたプラットホームはだれ雪(すかんぽ)
鑑賞短文=作者は兼題の表記を平仮名に変えました。さらに旧仮名づかいです。おっと、と思えば「君」も片仮名(キミ)ではなくて、漢字ひと文字。さらに5.7.5も一字アキではありません。一字アキだったらどんな感じになったでしょう。いろいろと考えさせられる良句です。拝読して、しばらく私は目を閉じていました。佳句をご提示いただき、有難うございました。(孝多)

●苔の庭すこし沈ませ椿落つ(虚視)
鑑賞短文=齣落としの映像を見るような、凝縮した時間を、瞬間の移ろいを視覚化したような句だと思います  (紅螺)
鑑賞短文=・・・・ゆっくり送る録画を観るような、美しい句です。弱い雨が降っているのかも知れない。(尚哉)

●土塊の匂い久しく斑雪(下戸)
鑑賞短文=「この冬は寒かったです。春を感じる土の匂いが待ち遠しいです。(小文)
鑑賞短文=春になると、地面が潤って、土の匂いが立ち上ってきます。冬の終わりを告げる斑雪から、土の香りを嗅ぎとる、繊細な感覚に脱帽。(茘子)
鑑賞短文=斑雪のくで春の匂いを描いたの小目だけ。素晴しい(鬼禿)
鑑賞短文=湿り気を帯びた空気と共に、春はたくさんの匂いを連れてやってくる。群を抜いて見事な一句でした。(虚視)

●飯蛸に光る瀬戸波甦る(玲滴)
鑑賞短文=幼い頃瀬戸内沿岸の町で暮らしたことのある私は飯蛸と聞くと穏やかな海と父母を思い出します。私の思いそのままの句です。(弥生)

●永き日やあと5分だけ待ってみる(小文)
鑑賞短文=待ち合わせの、ほのかな暖かさが、写景と一緒にの立ち上ってくる。(矢太)

●朧夜の彷徨影は魔物めく(弥生)
鑑賞短文=写真の怪しげな光と影を、見事に言葉に置き換えた。愉しい春のミステリー。(一遅)

●斑雪明日の朝までもたぬ夢(茘子)
鑑賞短文=この儚さ、おぼろさ。追いかけても消えていく虚しさ。
それでいて美しいとも感じました。(兎子)

●モノクロームの沈黙断って椿落つ(矢太)
鑑賞短文=音の世界に色があるとしたら、沈黙は確かにモノクロだと思いました。椿の赤と対をなして鮮やかです。(玲滴)

●飯蛸に 箸割る音も 嬉しけり(孝多)
鑑賞短文=まだ湯気の上がる飯蛸を、嬉しそうに箸でつまむ家族たちの情景が浮かんでくる。あの頃の食卓の楽しさがリアルに蘇ってくる。(下戸)

●春立ちぬ一方通行行止まり(矢太)
鑑賞短文=道路標識の影の存在感を、非常にうまくドラマに仕立て上げた句ですね。濡れた路面も「春立つ」の季語がぴったりです。(すかんぽ)

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≪成績発表・今月の天地人≫

【天】 下戸   37点
        代表句=土塊の匂い久しく椿落つ
【地】 矢太   33点
        代表句=モノクロームの沈黙破って椿落つ
【人】 虚視   32点
        代表句=苔の庭すこし沈ませ椿落つ
【次点】 すかんぽ 27点
    代表句=君とゐたプラットホームへはだれ雪

◆上位作の皆さん、おめでとうございました。「リアル」でしたら、拍手・パチパチパチッというところでしょう。

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≪幹事より、ひと言≫

ジャズ喫茶を見なくなって久しい。
ましてやタンゴ喫茶などとっくに消滅しているだろうと思っていたら、神田神保町の細い路地の奥に、五十年以上前の姿のままに残っていたのには驚いた。タンゴ喫茶ミロンガがそれだ。すぐ近くにラドリオと言う喫茶店も数年前までは昔のままだったが、今は名前はそのままで改装中。ちなみに、今回の写真兼題は、神田駿河台の坂の途中で撮ったもの。(虚視)

何度目かの幹事になります。
幹事をさせていただくことは、私にとって学びです。今回ご一緒させていただいた虚視さんの振舞い、考え方にハッとさせられました。これまで幹事でご一緒させていただいた方にも、毎回多くを学ばせていただきました。そして俳句を通じて、皆さまの人となりと作品に触れることができるのは、とても貴重なこと。 下戸が「天句」と出会えたのは、皆さまのおかげです。(下戸)
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≪芥川龍之介を読んでいたら≫

私・孝多はすっかり嬉しくなりました。
こうして磨かれて行ったのですね、彼・独特のセンスと技巧は。と、十分に納得できたのです。
読んだのは岩波文庫『芥川龍之介俳句集』です。先ずは、下載の6句をご紹介いたします。
あなたのご感想、如何でしょうか。
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雪解けに葉を垂らしたる八つ手かな
雪どけに葉を垂らしたり大八ツ手
雪どけの葉を垂らしたり大八つ手

雨吹くやうすうす燒くる山のなり
雨吹くやうすうす燃ゆる山のなり
雨ふるやうすうす燒くる山のなり
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ところで『自嘲』水涕や鼻の先だけ暮れ残る(芥川龍之介)はよく知られていますね。
コロナ禍も、やすやすとは収まらず、まだまだ、「在宅句会」が続きそうです。
「暮れ残る」です。
それでは、皆さん、どうぞ、ご自愛のほどを。心と体をお大事に。では、また。  不一
          令和4年2月末日
                                          多比羅 孝

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要請の系譜 №21 [文芸美術の森]

古代・中世・ルネッサンスの妖精

    妖精美術館館長  井村君江

古代文学に現われたフェアリー、エルフ、フェ

 イギリスでもっとも古い作品として知られるのは、古英語で書かれた『ベオウルフ』(Beowrelf)であるが、口碑の形で語り伝えられていた物語が七世紀末から八世紀末までの間に、現在の形に形成されたと推定されている。『ベオウルフ』は古代スカンジナヴィアの伝説をもとにしており、スウエーデン南方に昔住んでいたギート族の英雄ベオウルフの怪物退治の叙事詩であるが、スコップ(古代の職業的な吟遊詩人)が宮廷や貴族の館を訪れ、ハープやリュートの調べにのせて語り伝えていった口調の物語である。聴衆を前にしての即興的な語りのうちに、筋や描写の潤色が相当にほどこされていったであろうし、時代と共に考え方や表現も変容していったであろうと考えられている。現存しているのは、もとのアングリア語から西サクソン語に翻訳された手書き写本で、現在ただ一冊、大英博物館に所蔵されている。
 口誦伝承の形で民間に伝わっていた神話や伝説などは、一般に知識階級の集まりであり学問のあった修道院が保存し、文字を知っていた修遭僧のうちの筆写僧(スクリプナー)たちの手によって記録されるのがつねであった。「ベオウルフ』もまた同様の経路を辿ったと推定され、その間に多分にキリスト教的な要素が付け加えられたり、キリスト教的な考え方に変えられた可能性は大きいわけである。六世紀末頃、カトリックがイギリスに伝来しており、北欧ゲルマンの異教徒的要素の濃い『べオウルフ』の物語を語る場合に、スコップたちはキリスト教的な修飾を加えたであろうし、スコップ自身がキリスト教に改宗していた場合もあり得るわけである。
 『ベオウルフ』には「エルフ」という語が初めて現われてくるが、英雄ベオウルフに退治される怪物グレンデル母子と共に、神に刃向かう悪の輩として退けられている。物語は二部から成り、第一部はコペンハーゲンのジーランド島に、デーンのフローズガール王がヘオロトという宮殿を建て、盛大な祝宴を催す。近くの沼に住むカインの末裔の怪物グレンデルが、その祝宴の騒ぎに怒り、王の戦士三十名を殺し、その後十二年間、迫害を続ける。これを聞いた英雄ベオウルフは十四人の勇者と共に海を渡り、その怪物の片腕をもぎとるが、グレンデルの母の魔女が復讐に現われ、片腕を奪い返して逃げる。ベオウルフは湖底の怪物の根城に攻め入り、魔女を殺しグレンデルの首をはね故国に帰る。第二部は飛龍(ドラゴン)退治の巻で、ベオウルフは洞穴で龍と戦い退治するが、その火煩で英雄は帰らぬ人となる。
 この第一部に登場する怪物グレンデル母子は「カインの末裔」とされている。旧約聖書の『創世記』第四章第一節以下に出てくるが、アダムとイブの長男であるカインは、弟のアペルを殺したため、人類最初の殺人者として神の呪いを受け、神の「追放者」「放浪者」となったのである。
 その恐ろしき怪物こそは
 グレンデルと呼びなされ、
 名高き辺境の放浪者、よ
 荒野と沼地と要害に拠(よ)る者。
 このあわれなる者はしばしの間
 鬼怪の類とすみかを共にしていた。
 かれらはカインの子孫であって、
 創り主が彼を呪い追放し給うて以来
 こうしていたのであった。
 (中略)
 これから、すべての悪しあが生まれた。
 巨怪、妖精、悪鬼のたぐい、
 また、久しい間、神様に立ち向かって争った
 巨人たちもそうだ。
 神様は彼らにその報いを払われたのだ。
                (長埜盛訳一〇四~一一七行)
 右の引用箇所の一一四行目に書かれている「巨怪、妖精、悪鬼のたぐい」の原文は、〝
eotenas and ylfe and orcneas”であり、チュートン系の妖精である「エルフ」の古い語形が見られる。ここでははっきり神に刃向かう「悪しき族(やから)」、すなわち悪魔(デヴィル、イヴィル、デーモン)と同類として、悪意にみちた精霊(スピリット)とか、海の洞穴に住む血に飢え乾いた怪物と親しい関係にあるものとされている。研究家フロリス・ドラットルの裏を借りれば、エルフは「邪悪な怪物に変えられて、もの淋しい荒地か陰警湖のほとりに住み、人間をおどした。苦しめたりすることを唯一の仕事としている」悪魔とみなされ否定されている。また物語の文脈から「世界の終わ。の日まで地上をさまよう
ことを宣言された墜天使(フォールン・エンジェル)」として、当時考えられていたことがうかがえる。しかし一方では、信仰の対象からはずれはしても、異教の神々、追放された神、見棄てられた神として妖精たちは、土や木や森、火や水や山の精霊とみなされ、民衆の生活習慣の中に生き残っていくのである。こうしたイギリスの事情とは異なり、アイルランドでは四三二年にキリスト教が入るが、聖パトリックが土着信仰に生きていた妖精たちを悪魔として否定せず、ゆるやかにキリスト教に移行させたので、アイルランドには幾種類もの妖精たちが現在でも伝えられていることは記憶すべきことであろう。
 一二〇五年頃に書かれたといわれるライヤモンの『ブルート』に登場するエルフ<aluenn(複数形)〉>たちも、「地下の中間にある不可思議の湖」に住む悪しき族(やから)たちの仲間で、「水の魔物とともに日かげのたまりに遊び戯れ、人間を悩ます」とされている。しかし、アーサー王が誕生する時にそのエルフたちは、力、富、長寿、徳といった贈り物を授けてこの世に迎え入れている。後世のお伽噺(とぎばなし)に登場する誕生の祝福と贈り物を授けるフェアリーの名付け親の性格を、このエルフたちはここで見せているといえよう。
 「フェアリ」に関しては、一三六二~九五年頃にに書かれたウィリアム・ラングランド(一三三〇~一四〇〇?)の『農夫ピアスの夢』に「五月のある朝、モールヴァンの丘で不思議なことが起こった。これは不思議(ファンタジー)の国の出来事ではないかと思った」とあるのがもっとも古い言及と思われるが、この場合の「フェアリー」<Ferly、Fryrire)という語は、「妖精」ではなく「不思議な」「驚くべき」という意で用いられている。しかしこの作品は寓意的幻想の物語であるが、中世時代ではこうした超自然なものがかなり実在感をもって描かれていたことはうかがえる。ラングランドと同時代のジョン・ガウアー(一三三〇~一四〇八?)の作品にも、フェアリーへの言及がみられるが、『恋する男の告白』(一三九三年頃)では、「フェアリー」(fairie)あるいは『ナルシサスの話』では「フェのようなニンフ」<faie>、<niimphe>という言葉が使われている。この場合フランス語系である、「フェ」には「魅力のある女性」「男を惹きつけ、愛さずにはいられなくさせる女」という特別な意味がもたせられている。『イアソンとメディアの話』においてはさらに、この「フェ」に「特別の魔法の力のある女性」というニュアンスも含めさせ、次のように使っている。
  メディアは人間の女でなくフェのようだった。
  さまざまな術を行うことができた。
 アーサー王伝説に現われる魔法使いの名「モルガン・ル・フェ」に移行していく一歩手前の用法が、ここには見られるようである。
 この時代を代表するもう一人の作家であるジョン・リドゲイト(一三七〇~一四五一?)も『王侯の没落』の中で、アーサー王を「彼はフェアリー<fairie>国に君臨した王だった」としている。しかしこの場合の「フェアリー」もこの時代の一般の用法である「不思議な」「未知の」という意味で使われている可能性が高い。

『妖精の系譜』 新書館


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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №69 [文芸美術の森]

ノート 8

   早稲田大学名誉教授  川崎 浹

ダーヴインは進化と言ふ.
藝術は退化の一路をたどるのだ、行きつく先きは退化でもなく進化でもない.

冥土への一路 藝術の眞諦.

寫実の極致、やるせない人間の息づき - それを慈悲といふ

四曼を一にして表はす、それを寫実といふ

長谷寺や今は櫻に盛らせて
牡丹の花は暫くを待て

楼門は櫻にかくし廻廓は牡丹の花をそはす長谷寺

山一つ彼方のかげにわびしくも
櫻と共にひそむ同寺

8冬雨を秋篠寺にふらせては
この世の事のあまりつれなし

『過激な隠遁~高島野十郎評伝】 求龍社



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石井鶴三の世界 №204 [文芸美術の森]

小林徳三郎 1928年/盲女学生塑像  1930年頃

    画家・彫刻家  石井鶴三

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小林徳三郎 1928年 (183×131)
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盲女学生 1930年頃塑像 (178×135)

**************  
【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】
明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。

『石井鶴三素描集』形文社


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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №76 [文芸美術の森]

                    喜多川歌麿≪女絵(美人画)≫シリーズ
                       美術ジャーナリスト  斎藤陽一
                      第4回 寛政三美人 その1

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≪寛政三美人≫ 

 寛政年間、喜多川歌麿は数々の美人画を生み出していきました。
 今回は、歌麿が寛政5年頃(1793年頃)に描いた有名な「当世三美人」(通称「寛政三美人)を鑑賞します。

 この絵では、当時、江戸で評判の3人の美女を三角形の安定した構図で描いています。
 三人とも、胸から上を「バストショット」でとらえたサイズで描かれ、このような上半身像を「大首絵」(おおくびえ)と言います。
 これまでの「女絵」(美人風俗画)では、多くが女性を全身像で表わしていました。ところが歌麿は、版元・蔦屋重三郎のもと、大胆なクローズアップでとらえた「大首絵」を次々と制作・刊行し、大きな評判となったのです。

 この三人の顔を見ると、一見、みな同じように見える。歌麿は、美人画では、女性の顔の個性や表情を決して露わには描かないのです。
 先回に紹介した、昆虫や草花、貝類、鳥などの描写に見られる正確な観察力と精緻な写実力を見れば、人間を描くときにも、容貌や表情、仕草などの個性を描きかけることも容易に出来るはずです。
 しかし、あえてそれをしないで、抑制した描き方をしている。モデルの個性とか喜怒哀楽の表情を露わに描くことは、ともすれば、全体の風情を壊しやすいことを知っているからです。「歌麿の描く女性には気品がある」と言われる秘密は、そんなところにあります。

≪「引目鉤鼻」の伝統≫

 歌麿が美人画を描くときの美意識の根底にあるのは、「リアリズム」ではなく、いわば「象徴主義」でしょう。
 これは、古くは平安時代末期に描かれた国宝「源氏物語絵巻」の技法「引目鉤鼻」(ひきめかぎばな)以来の伝統を踏まえている、という見方もできます。

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「引目鉤鼻」とは:
 「目」は一本の線を引くように描くので「引目」(ひきめ)と呼ばれる。
 「鼻」は「く」の字のように鉤型(かぎがた)に表すので「鉤鼻」(がぎばな)と呼ぶ。
 「口」はごく小さく描く、というもの。

 元来、人間の顔というものは、喜怒哀楽といった感情を反映しやすいものです。しかし、王朝絵巻などでは、「引目鉤鼻」描法により、貴族を描く時には、男女を問わず、あえて顔を記号化し、類型化し、表情をあらわには描かない。

 これは、顔を描く技術の拙劣さから来ているのではありません。国宝「源氏絵巻物語」と同時代の絵巻である国宝「伴大納言絵巻」や国宝「信貴山縁起絵巻」を見ると分かるように、庶民たちは、それぞれの感情や性格を露わにした顔つきで描かれている。ですから、貴族を描く場合だって、描こうと思えば、一人一人に個性を与えることもできたはずです。

 ここで清少納言の『枕草子』の一節を引用します:
 「絵に描きて劣るもの、・・・物語にめでたしといひたる男、女の容貌(かたち)」
(「絵に描いたら劣ってしまうものは、魅力的だと言われている男や女の容貌である」)

 つまり清少納言は「物語に登場する美男美女は、どのように描いても、絵に描いてしまったら劣ってしまう」と言っているのです。
 確かに、これまでテレビや映画において、「源氏物語」が制作・上映され、その時々の代表的な美男俳優が光源氏を演じましたが、演技力や演出とは関係なく、おおむね興覚め、といった印象を視聴者に与えるのを避けることはできませんでした。 

 物語文学の読者たちは、それぞれが理想の男女を思い描きながら、想像の中で物語を楽しんでいます。画家がいったん自身の好みによる男や女の顔を絵にしてしまったら、絵を観る人たちのイメージはそれに限定されてしまう。それぞれに理想のイメージを創り上げて物語を楽しんでいるすべての人を満足させることは至難の業なのです。

 それならば、いっそのこと、貴族たちの顔は「記号化」し、「抽象化」して表した方が、鑑賞者個個人の感情移入を容易にし、主人公の内面や心理までより深く想像することを可能にし得る。何よりも、あえて感情をあらわにしない顔つきのほうが、気品や優雅さを表現できる。こんな風に考えて導き出された画法が「引目鉤鼻」でしよう。

 歌麿の美人画を理解することにもつながると思い、「引目鉤鼻」の描法について、やや長々しい説明になりました。

≪三人三様、微妙に描き分け≫

 この三人の美人も、どれも同じように見えるのは、顔つきの個性的表現を心掛けるよりも、美女というものの全体的な「風情」を抑制的に表現しようとしているからです。
 とは言え、よく見ると、その中にも、目の形や鼻筋の線、顔の輪郭、眼鼻の配置、さらには、着物のデザインや着こなし、それぞれの持ち物といったところで、実に微妙な描き分けかたをしていることが分かります。

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 この絵に描かれた三人の身元を紹介しましょう。

 中央が「富本豊雛」(とみもととよひな)。「富本節」という常磐津節の分派の名取の芸者です。
 右下が「難波屋おきた」。浅草の水茶屋「難波屋」の看板娘で、当時17歳。
 左下は「高島おひさ」と言い、両国薬研堀米沢町で老舗の煎餅屋を営む高島長兵衛の娘です。父の長兵衛はほかにも水茶屋を経営しており、おひさはその水茶屋に出て、評判となっていました。彼女も当時17歳でした。

 実は三人の身元は、絵の中にさりげなく描き込まれた「紋どころ」によって判る仕組みとなっています。
 上の図では、少々分かりにくいかもしれませんが、「富本豊雛」の着物には「桜草」の紋があり、「難波屋おきた」が持っている団扇には「桐」の紋。これは難波屋の家紋です。また「高島おひさ」が着ている着物に「丸に三つ柏」の紋。こちらは高島家の紋です。
 当時の江戸っ子は、この目印によって、どこの娘かが分かったと言います。

 一人一人の微妙な描き分けについては、次号で紹介したいと思います。


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エラワン哀歌 №20 [文芸美術の森]

助七商店……湯島妻恋坂下交差点……

             詩人  志田道子

  梅の花は終わった
  路のところどころにしがみつく
  若葉の間を潜(くぐ)り抜け
  妻恋神社の坂を下って
  外堀通りに戸惑う風は
  焼き上がったばかりの煎餅の
  醤油の臭いを纏っては
  夫婦の頻を撫でて行く

      ……息子をひとり育てた……

  この頃では喧嘩もしないと
  老女は笑う
  一日中顔突き合わせていてもねぇと
  何の因果でこんなばあさんと
  老人は手を止め口をとがらせる
  一日中火に象られる額には汗も出ず
  赤銅色に干からびてはいても
  深い級に埋もれてしまった眼(まなこ)を上げれば
  瞳の奥には内気なままの幼子が
  いたずらっぼく濁りなく
  客の訪れにはにかんでいる

  梅の花は終わった
  とうのむかしに
  何するということもなく
  とっくのむかしに

『エラワン哀歌』 土曜美術社出版販売


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妖精の系譜 №20 [文芸美術の森]

現代文学の作品に活躍するマーリン

       妖精美術館館長  井村君江

 湖の貴婦人(レヂイ・オヴ・ザ・レイク)たちはアーサー王や他の騎士たちを育てたり破壊したりする役割を持ち、またマーリンの誘惑者として登場するが、主役として扱われた絵画は少なく、文学作品では今日まで見当たらない。それに比べマーリンはアーサー王の世界の集約的原動力として、あるいは魔法使いとして今日までにいくつか主役の座を与えられて、活躍している。魔術師として妖精や超自然のものたちを使い魔として呼び出すことのできる支配者であり、運命の予言者であり、詩人であり、ケルトのドゥルイド僧の末裔であり、宗教の僧であり、占星術者であり、軍師であり、また恋に破れる人間味も備えているという多面性があるので、物語の主人公として魅力ある存在なのは確かである。
 メリー・スチュアートのマーリンを主人公にした三部作『水晶の洞窟』(一九七〇)、『空ろの丘』(一九七三)、『最後の魔術師』(一九七九)は、マーリンが自らの出生を語る自伝のような形式で物語は始まり、五世紀のブリテンに育った人としてのマーリンを興味深く描いている。T・H・ホワイトの『かつての王にして未来の王』(一九五八)は、もともとアイルランドで書かれた『マーリン物語』(一九三六~四二)の最後の第五章目にあたるものであったがそこには収録しなかったもので、のちに独立した形で出版された。アーサー王がモードレッドの槍に倒れる最後の戦いの前夜見た夢を、そばに現われたマーリンに尋ねる所から始まり、マーリンの魔術によって王は次々と、蟻、アヒル、ハリネズミなどに姿を変え、動物の世界を経験していく物語で、戦い中心の王の人生をややコミカルに諷刺したものである。ホワイトの次の言葉はアーサー王伝説に対するかれの解釈をよく
示していよう。「わたしは突然発見した ― 『アーサー王の死』の中心主題は、戦いに対する解毒剤を見つけることにあるのだ、ということを」。この他マーリンを中心に扱っている現代の創作をいくつか掲げておこう。

 1・アースキン 『マーリンと湖の精の物語』(一九四〇)
 1・C・ボウイス 『ポリウス』(一九五一)
 H・クレア 『マーリンの魔法』(一九五三)
 M・トレヴァー『マーリンの指輪』(一九五七)
 J・F・マッキントッシュ 『マーリン』(一九六〇)
 M・スチュワート 『水晶の洞窟』(一九七〇)
 R・ニューマン 『マーリンの誤り』(一九七一)
 M・スチュワート 『空ろの丘』(一九七三)
 H・W・マン 『マーリンの指輪』(一九七四)
 A・ノートン 『マーリンの鏡』(一九七五)
 lI・W・マンrマーリンの孫-(一九七六)
 T・H・ホリィト 『マーリン物語』(一九七七)
 R・ナイ 『マーリン』(一九七八)
 M・スチュワート 『最後の魔術』(一九七九)
 M・Z・ブラッドレー 『アヴァロンの霧』(一九八二)
 R&T・ヒルデプラント『マーリンとアトランティスのドラゴン』(一九八三)
 C・W・マンソン『マーリン、ある愛の物語』(一九八六)
 J・ヨレン 『マーリンの書』 (一九八六)

 近年、ロンドンで「マーリン学会」が結成され、一九八六年の六月十四日に第一回の集会が持たれた。歴史、フォークロア、伝説、魔術、神秘学、心理学、演劇、音楽、文学、映画関係や物語作者等、多くの分野にわたる各方面の研究者や愛好家が集まったが、これはそのままマーリンという人物が、奥行きがあると同時に多方面にわたる魅力的な性格を持っていることを物語っていよう。ジョフリー,アッシュとR・J・スチュアートが中心になってその時の発表を主に、まとめた本が、翌年『マーリンの本』として刊行された。「初期古文献の中のマーリン」から「十七世紀のマーリン」、「マーリンの原型」、「マーリンと生命の輪」、「現代のマーリン」など多方面にわたり、シェイクスピアとウィリアム・ローレイの合作かも知れぬと推定される珍しい戯曲『マーリンの誕生』も収録されている。今後マーリンの魔力がどのような形で進展してゆくか、次の学会とその成果が期待されるところである。(以下表略)

『妖精の系譜』 新書館



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石井鶴三の世界 №203 [文芸美術の森]

乳児と婦人 1918年/画室 1918年

    画家・彫刻家  石井鶴三 

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乳所と婦人 1918年 (183×135)
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画室 1918年 (183×135)

**************  
【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】
明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。

『石井鶴三素描集』形文社


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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №68 [文芸美術の森]

ノート 7

    早稲田大学名誉教授  川崎 浹

時間と空間と質量とこう分析した
これは皆なプラスの符号つきのように見込んでしまってゐる、これにマイナスの符号をつけて見よ・何もかもに、言葉の名詞、動詞、形容詞にもマイナスをつけて見る・分析といふその事にマイナスをつけて見る.思索、研究そのものにマイナスをつけて見る、マイナスに又マイナスをつけて見る時間が流れて行き、空間が廣がつて居り、質量があるが如くに思ってゐる、皆な馬鹿の迷心飛行機を作る奴は作れ、高楼を建つる奴は建てよ、分析する奴はせよ、それが元来人間、たゞプラスもマイナスもなき - それのみが唯我独尊 - それを假に寫実と名づけるこう思ひ進む事が科学、これが迷心誰がためにこ、には咲くぞ山櫻、又音もなく散りはてし行く、誰がために咲くや山奥山櫻、又音もなく消え散りて行く

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社


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