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BS-TBS番組情報 №306 [雑木林の四季]

BS-TBS 2024年6月後半のおすすめ番組

                   BS-TBSマーケティングPT部

元就。

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6月16日(日)よる11:00~深夜0:00 
☆広島県に暮らす「ひと」、「まち」との出会いから地元の隠れた魅力を再発見!

「元就流和え気道!尾道でおっ酢!かつて日本一だったお酢の産地で気合いじゃ~」
【出演】アンガールズ(田中卓志、山根良顕)

かつてのお酢づくり日本一の町、尾道ならではのお酢に和えると抜群の食材を探します。家臣山根は、明治創業の醸造酢蔵を訪ね、御酢の作り方を学びます。家臣田中は、定年後念願の農業をはじめ、人気の野菜で話題の御仁を訪ねます。

プロミス・シンデレラ

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620(木)スタート 月曜~金曜 午前9:59~10:55 
☆崖っぷちのバツイチ・アラサー女が性悪金持ち男子高校生に目をつけられ、金と人生を賭けた“リアル人生ゲーム”を繰り広げていく歳の差ラブコメディ!

【出演】二階堂ふみ、眞栄田郷敦、松井玲奈、井之脇海、松村沙友理、岩田剛典 ほか
原作:橘オレコ「プロミス・シンデレラ」(小学館) 
脚本:古家和尚 音楽:やまだ豊 主題歌:LiSA 「HADASHi NO STEP」
制作:共同テレビジョン/TBS(2021年)

第1話 「リアル人生ゲーム、スタート!」
桂木早梅(二階堂ふみ)は夫から離婚を切り出され家を飛び出すが、スリに遭い、無一文、無職、宿無し野宿生活に。そこへ金持ちの高校生・片岡壱成(眞栄田郷敦)が現れ…。

名曲をあなたに うた恋!音楽会

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6月30日(日)よる9:00~10:54
☆歌姫、由紀さおりとビタミンボイス、三山ひろしが司会の音楽番組。
華やかな歌い手達による心を奪われる、歌に恋する2時間!

#15
今回はゲストに岩崎宏美、川中美幸、市川由紀乃、藤井香愛、新浜レオン、青山新、田中あいみが登場!


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海の見る夢 №80 [雑木林の四季]

        海の見る夢
       -オルゴールと小津安二郎―
                    澁澤京子

・・すべて優れたものは稀であると同時に困難である。『エチカ』スピノザ

優れた映画というのは優れた小説と同じで、年齢を重ねてから見直してみるとその都度新しい発見がある。優れた映画も小説も人の人生経験の深さによって読解するものなのだと思う。私にとって小津安二郎の映画は、漱石やチェーホフと同じように何度も鑑賞したい映画監督の一人。

小津安二郎『麦秋』(1951)の冒頭には、陽当たりのいい縁側といくつかの鳥かご(老植物学者が小鳥を何羽か世話している)のある家の中の風景とともにオルゴールの埴生の宿が流れる。小津映画にはオルゴール音楽がよく使われているが、とてもよく似合う。

「お早うございます」「お早うございます」「いいお天気ですね」「ええ、いいお天気ですわ」こうした形式的な会話が延々と反復されるのも小津映画の特徴で、『お早う』(1959)ではそうした大人の無意味な会話の反復を揶揄して、子供たちの間ではおでこをつつくとおならで返事をするというゲームが流行る。『お早う』の舞台は、まったく同じサイズの平屋建ての家が立ち並ぶ東京郊外の小さな住宅街。ちょうどテレビや電気洗濯機などの電気製品が普及し始めた時期で、その住宅地でテレビを持っているのは子供のない夫婦(大泉晃・泉京子)だけ。オープンなその家はテレビを見たい子供たちのたまり場になっているが、近所の主婦たちにはその派手な夫婦は不良っぽく見え、なんとなく疎ましく思われている。すべてが均質のその小さな住宅地では、少しでも目立てばいろいろと噂の種にされる。きく江(杉村春子)の家では最近電気洗濯機を購入したが、近所のしげ(高橋とよ)ととよ子(長岡輝子)は、婦人会費を集金するきく江が会費を使って洗濯機を買ったんじゃないかと、ひそひそと邪推して陰口を言いあう。

一方、民子(三宅邦子)の長男・実と次男・勇はテレビを買ってほしいとせがむが、父親(笠智衆)に「お前は口数が多い」と叱られ、子供たちは無言のストライキを始める。「大人は無意味な挨拶とか会話ばかりしているじゃないか」という文句を言う中学生の実に対し、近所で英語を教えている平一郎(佐田啓二)は「大人の無意味な会話が、人間関係の潤滑油にもなるんだ。」と諭す。ついに、親に反抗して家出した実と勇を探しに行くのは、平一郎と、叔母の節子(香川京子)で、以前から二人は何となく惹かれあっている。暗くなってから、駅前の電気屋のテレビで相撲を見ていた二人の子供は発見され、二人が戻ってきた家の廊下の灯りの下には届いたばかりのテレビが箱に入ったまま置いてある。翌朝、駅のプラットフォームで会った平一郎と節子は恥ずかしそうに「いいお天気ですね」「ええ。いいお天気ですわ」という会話を繰り返して映画は終わる。噂話や陰口の好きな長屋のおかみさん役を杉村春子、長岡輝子、高橋とよが好演。小さなコミュニティの出来事をユーモラスに描いた小品。なんという事のない話だけど、戦後の日本社会に対する批判もさりげなく入っている。(均質な社会では、目立つと足を引っ張られ疎ましく思われる)大人の挨拶や会話は、ほとんどが(何も考えない)反復によって成立するものであって、子供の(おならゲーム)とたいして変わらないのかもしれない。

小津安二郎の映画で、時間に逆らうのは『晩春』の原節子で、彼女はいつまでも「父と娘」の娘でありたいために結婚を拒絶する。『麦秋』では家族に逆らってお見合い相手とは違う結婚相手を選ぶ。黒澤明監督『わが青春に悔いなし』でもそうだが、原節子という女優さんはあえて周囲に逆らい困難な人生を選ぶ意志の強い女性の役がよく似合う。そして『東京物語』では、戦死した次男の妻で、上京してきた年老いた両親(笠智衆・東山千栄子)を優しく世話する紀子を演ずる。

『晩春』で時間に抵抗する原節子は、『お茶漬けの味』で小暮美千代が女子高時代の同級生と温泉に行き「菫の花咲くころ」を皆で楽しく歌うように、あるいは『淑女は何を忘れたか』で栗島すみ子が遊びに来た同級生に甘えていつまでも家に引き留めるように、やはり「娘」や「女学生」時代の気楽な時間を失うことを恐れる。小津安二郎の映画では、年取っても中学の同級生とゴルフに行ったり、小料理屋に集まったり、温泉で同窓会をするおじさん仲間がよく登場する。昔の同級生と会えば思わずその時代に精神年齢が戻ってしまう大人の姿を描くのが実にうまい。

『晩春』で父と嫁入り前の娘の京都旅行で夜になって電灯を消した後、床の間の壺が月明かりにうっすらと浮かぶシーンがある。いつまでも父親に執着する娘が、父親に抱く近親相姦願望とかエディプスコンプレックスとよく言われるあのシーン。確かに『晩春』の原節子は妖しいまでに色っぽくて美しい。しかし、あの壺のシーンは、ラストの原節子がいなくなった家で、笠智衆が一人で夜リンゴを剥くシーンがあるが、あのリンゴと呼応しているんじゃないかと思う。消灯してからうっすらと月明かりに見える床の間の壺も夜のリンゴも、静まり返った夜中に見る静物というものには、人を圧倒するような妙な存在感があり、壺もリンゴもエロスの象徴というよりは、むしろ静物であることによって、笠智衆の老いと孤独というものを一層強調していないだろうか?そして、原節子が『晩春』で結婚に抵抗するのは父親に対する執着もあるが、大人になることを忌避しているようにも見える。『東京物語』で末娘の香川京子が、大人を軽蔑して嫌悪感を抱いたように・・

『麦秋』で原節子は、家族みんなが薦める(良い条件の)お見合いの相手を断り、戦死した兄の友人である子持ちのやもめを選んで一緒に秋田に行く決心をする。原節子の決意を聞いて、母親(杉村春子)が思わずうれし泣きをするが、原節子の結婚の決意は恋愛感情からというよりも、むしろやもめの息子を心配する母親(杉村春子)に対する思いやりに見えないこともない。そして、そうした思いやりに満ちた意志の強い女性像は、『東京物語』の紀子に続いてゆく。

尾道から、年老いた両親(笠智衆・東山千栄子)が子供たちに会いに東京にやってくるのが『東京物語』である。町医者である長男(山村聡)も、美容院経営の長女(杉村春子)も狭い家に住んでいて仕事が忙しい。実の子供であるだけに甘えがあるせいか、年老いた両親の滞在を次第に疎ましく思う気持ちを隠そうともしないが、戦死した次男の嫁である他人の紀子だけは、田舎から出てきた年取った両親を優しくもてなす。長男(山村聡)の子供たちは、まるで大人の本音を代弁するかのように、年老いた両親に対して残酷な態度をとる。長男(山村聡)と長女(杉村春子)は両親を熱海に行かせることを思いつく。自分たちにとって都合の良い、エゴイズム混じりの善意であるが、熱海に追いやられた年取った両親は騒がしい宿でろくに眠ることもできないので結局、早々に尾道に引き返すことになる。東京から帰省して間もなく母(東山千栄子)は急死する。尾道に集まってきた子供たち。堪えきれずに号泣する長女(杉村春子)、医師として冷静を保つ長男(山村聡)、遅れてやってきた三男(大坂志郎)の肉親を失ったそれぞれの悲しみ方は自然である。そして葬式の会食の時には、「お母さんの一番いい着物、あれ欲しいから出しておいてちょうだい」とケロッとして末娘に頼む長女(杉村春子)。長女は「ハハキトク」の電報を受け取った時から喪服の心配をするような、悪気はないが現実的な女でいかにもリアリティがある。

末娘(香川京子)「いやあねえ、世の中って。」
紀子(原節子)「そう、いやなことばっかり。」

長男も長女三男も仕事が忙しいため、早々と帰ってゆくが、紀子(原節子)だけが一人しばらく残ることになる。末娘(香川京子)は姉や兄たちの見せたエゴイズムに腹を立てる。それに対して「でも、大人になって家庭を持てば、誰だって自分のことしか考えられなくなるのよ。みんなどうしてもそうなってゆくのよ。」と優しく諭す紀子。『戸田家の兄妹』でも同じテーマで、家父長亡き後、邪魔者扱いされた母と末妹(高峰三枝子)は兄妹の家を転々とたらいまわしにされ、そうした兄や姉たちのエゴイズムを激しく非難するのは外地から帰ってきた次男(佐分利信)だったが、『東京物語』で怒るのは末娘(香川京子)で、紀子は誰のこともジャッジしない。さらに自身のエゴイズムをも自覚している人間として登場する。
義理の父(笠智衆)は、紀子がとても親切にしてくれたことに感謝し、妻の形見の時計を紀子にプレゼントする。「あんたは本当にええ人じゃ」と褒めるが、紀子(原節子)はその言葉に対して「いいえ、違うんです、私はずるいんです、偽善者なんです。」と激しく否定して泣き出す。笠智衆が唖然とするほど号泣するが、なぜ原節子はあんなに号泣したのか?紀子の親孝行は甘えのない他人だからこそできた、というのももちろんあるだろう。しかし、紀子の美徳が「偽善」に思われるほど、戦後の日本社会にはすでに利己主義が蔓延していたということもあのシーンは示唆していたのではないだろうか。(そして今もそれは続いている)紀子の号泣には、日に日に忘れさられてゆく戦没者への思い、そして戦後の日本人社会の変わりように対する小津安二郎の秘かな抵抗がこめられていたのではないだろうか?(小津安二郎は中国戦線に送られた。友人の山中貞夫は戦死。女優原節子を発掘したのは小津の後輩である山中貞夫監督だった)

人が自然のままに流されるということは、それは利己主義・エゴイズムに流されるということでもあるだろう、そこにくさびを打ち込んで抵抗したのが紀子(原節子)の存在ではないだろうか?利己主義に流されないためには、おそらく彼女のような強い意志が必要なのだろう。『晩春』では、紀子は大人になることに抗った。『麦秋』で紀子は家族や世間の世俗的価値観というものに抗った。そして『東京物語』で紀子はあえて偽善者であろうとも、世の中の利己主義の風潮に抗ったのである。つまり『東京物語』の紀子は心情でもなく感覚でもなく、ただ「理性」に従ったのだ。そうした紀子の理性を支えていたのは、戦死した次男の存在だろう。紀子という理性的存在は、エゴイズムにあふれた混沌とした世俗世界には、聖女のような輝きを見せる。そして、原節子の明るい美しさと爽やかさはこの役柄にピッタリなのである。

『東京物語』の紀子のようにあくまで人間らしく生きようとするものも、機械人形のように惰性で生きる人間もすべて、ゼンマイを巻かれたオルゴールのように、時がたてばやがて静かに止まってゆくのである。


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住宅団地 記憶と再生 №37 [雑木林の四季]

iv 公団住宅の「建て替え」事業とは何だったのか?

    国立市富士見台団地自治解消  多和田栄治     

 旅行者だから現に存在する団地を見るだけで、その建設、改修等の経過は記録にたよるしかない。ここに書いたのは、19世紀後半以降に建てられ現存するドイツの住宅団地についてである。建て替えられた団地があるかは知らない。団地にかぎらないが、ドイツにもスクラップ・アンド・ビルトを意味する「皆伐的再開発」Kahlschlagsanierungという用語があり、いまでは「保全的都市更新」が唱えられているから、全面建て替えもあるのだろう.。ここでのわたしの関心は、建物所有主の公共・民間を問わず、かりに取り壊し、
建て替えをするさいの、居住者との協議、継続居住の保障、さらにいえば景観の連続性についてである。
 住居の明け渡し請求はもとより、建物の建設・改修をはじめ家賃設定・変更に規制のきびしいドイツでも近年、賃貸住宅の市場化、独占化がすすみ、新たな住宅問題がおこっているのは見逃せない。室内の「リモデル」などして規制をかわし.家賃値上げをする動きが顕著となり、住居を奪われる低所得層の市民たちの悲鳴、抗議の運動が広がっている。2019年4月6日の「ドイチェ・ボーネン社没収」デモについては、85~86ページにも述べた。
 日本の公団住宅(現庄の都市再生機構の賃貸住宅)では、ここを終の使家と暮らしていた居住者が、思ってもみなかった団地「建て替え」を突如言いわたされ、多大の苦難を強いられてきた。団地住民はいまも建て替えをおそれ、不安をいだく。都市機構にも「既存往棟や住戸の改修」とか「リノベーション」といった文言はあるが実施しているとは言い難い。実施をすればただちに家賃値上げとなるから、居住者は一概に期待しているわけではない。「団地再生とは、つまり建て替えか集約」と事業者に説明しており、居住者にたいしては「移転先のあっせん」につきる。機構は団地処分を任意にすすめるため、最近とくに「定期借家契約」の拡大をはかっている。
 本書の主旨は、機構が進めている「団地再生」なるものを問うことにある。ドイツの団地にみる「保全と改修」の経過と現状をつたえ、公団住宅の「建て替え」とは何だったのかをまず検証して、対比と考察は読者にゆだねる。

公団住宅の概況

 はじめに公団住宅の建設と建て替え事業の概況を確認しておく。
 日本住宅公団が1955年に設立され、建設してきた住宅には賃貸と分譲がある。賃貸には、小規模な100戸規模の一般市街地住宅(いわゆる「下駄ばき住宅」)と、郊外型の500戸前後から1,000戸、2,000戸、それ以上の新しいまちづくりともいうべき団地、65年からは既成市街地の工場跡地などを大規模開発して建設した面開発市街地団地がある。分譲には普通分譲と特別分譲のほかに、企業の給与住宅(社宅)や民営賃貸事業用の特定分譲がある。
 日本住宅公団は、1981年に住宅・都市整備公団へ、1999年に都市基盤整備公国へと改組をくりかえし、2004年には公団廃止、独立行政法人都市再生機構となって現在にいたっている。公同期1995~2004年度こ管理開始した住宅区分はつぎのとおりである。
  賃貸 団地             531,358戸
     一般市街地           64,819戸
     両開発市街地         247,977戸
        計            844、154戸(55、6%)
  分譲 特定分譲 民営賃貸用      161、684戸
          社宅用        230、995戸
       小計           392、679戸(25.9%)
     普通分譲            38,598戸
     特別分譲            35,770戸
     長期特別分譲          207,413戸
      小計             281、781戸(18,6%)
      計      ′         670、460戸(44,4%)
      合計            1,528、614l戸(100%)
         出典『都市基盤整備公団史』2014年

 一般に「公団住宅」とは、郊外型団地と再開発市街地団地の賃貸住宅をさす(2004年6月現在約77万戸)。公団の表看板はあるが建設総戸数の半分でしかなく、持ち家、企業の社宅、さらには民営賃貸事業用の住宅までも大量に建設し、持ち家推進、大企業奉仕に与してきたことが分かる。なお公団事業には住宅建設以外に、市街地再開発、宅地・ニュータウン開発、工業用地・流通業務用地の整筒、研究学園都市の建設から鉄道事業にまでおよんでいる。
 そのうち賃貸住宅だけを管理開始の年代別にみると、昭和30年代(1955~64年)171、628戸、40年代(1965~74年)は324、003戸、50年代前半(1975~79年)110,150戸、50年代後半(1980年~84年)48.657とであるから、1970年代末までの25年間に60万戸以上を建設、2003年度までの管理戸数84,4万戸の70%以上を占めている。その後建設戸数は、1981年の住都公団への改組とともに際立って減少していった。
 公団の建て替え事業は1986年、公団住宅第1号が建設されて30年目こはじまり、10年余にして着手戸数の伸びにかげりをみせながらも、建設戸数は年間4千戸台から5千戸台と順調に進捗した。1999年年都市基盤整備公団に改組して新規建設から撤退し、建て替え事業にシフトするが、これも公団終期とともに明らかに衰退にむかう。1986~2,004年度の建て替え事業の集計は、205地区の108,550戸に着手し、79,927戸を用途廃止、72,027戸の賃貸住宅を建設して、64、312戸を管理開始した。その間建て替え団地内に1,987戸の公営住宅を併設している。公団期は取り壊した戸数の90%を公団賃貸 として建設したことになる。,
 都市再生機構になっての2005年以降、着手、用途廃止とも戸数が減少するなかで、賃貸住宅の建設戸数は目立って激減していった。公団が認めるとおり「高家賃化にともなう本人居住宅が増加し、建て替えによる機構賃貸の建設は進んでいない。2019年度までの実績でいえば、315地区で138,339戸を壊し、84,373戸を供給している。
 建て替えがはじまり、用途廃止、民間譲渡等もあって、管理戸数はすでに10戸を大きく上回って削減され、現在の管理開始年代別戸数は、つぎのとおりである(2019年3月31日時点)。なおカッコ内は1955~2003(昭30~平15)年度当初の管理戸数合計である,

                 2019年末現在     管理開始
昭和30年代(1955~64年)   115団地  32,988戸  (171,628戸)
昭和40年代(1966~74年)       328団地  309,341戸  (324,003戸)
昭和50年代(l975~84年)    314団地  149,508戸    (158,507戸)
昭和60年~(1985~94年)        348団地  78,396戸  (81,384戸)
平成7~15年(1995年~2003年)332団地  103,815戸    (108,332戸)
平成16年~(2004年~)     95団地  44,008戸
  全  体                        1532団地 718,056戸 (計844,154戸)

 ここで「公団住宅」の呼び名について断っておく。2004年7月に都市再生機構が設立されて、公団住宅は機構の英文名称アーバン・ルネッサンス・エイジェシシーの頭文字をとって「UR賃貸住宅」とか「UR住宅」と引乎ばれている。URの由来は、東京都心部の地価高騰をあおった中曽根首相の1983年「アーバン・ルネッサンス」計画である。「公団住宅」はもともと正式名称ではなく、歴史的に広く親しまれてきた普通名詞に近い名称としてひきつづき用いることにする。’

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂


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地球千鳥足Ⅱ №48 [雑木林の四季]

おもてなし、ワイン、温泉、えにしだ並木
   ~ジョージア~

       小川地球村塾塾長  小川彩子

 アルメニアのイェレヴァンから国際バスでジョージアのトビシリに入った。バスで一緒だったイランの若い旅行者、アミールとムトゥクバリ川に沿って中心部の自由広場へ。三方を山に囲まれ、この川を中心に開けたトビシリはなんと美しい街だろう。彼と一緒にホステル「ネスト」に狛まったが、母孝行息子経営のこのホステルは巣のごとく温かかった。
 夕食は家族同士のように和やかで自家製ワイン付きの大ご馳走。干し葡萄もとびきり美味だ。聞けばジョージアはワイン発祥の地、ワインという語はグルジア語の「ghvino」だという。遥々一緒に来てここで寝食を共にしたアミールと別れる時彼も寂しさを隠さなかった。
 ジョーージアの紹介パンフには「ヨーロッパはここで始まった」とある。「欧州最古の人骨が出た、最初のヨーロッパ人はこのグルジアでドマ二シ原人として骨が見つかった、欧州最高山頂はここで最高地定住もここ、葡萄の品種数は世界一、品種最高のワインで最高のおもてなしをする国」とも。フレスコ画の豊富な教会はもちろん、温泉もある。
 ホスピタリティーは最高だ。道端で困った顔でもしていたら必ず近くから「メイアイヘルプユー?」が聞こえる、バスの行き先表示が英語でなくて困っていたら、ある紳士がアメリカ英語で「カモン!」を連発、、バスに乗せてくれ、降りる場所を運転手に依頼、お礼を言う間もなく去った。散歩中の中年女性が、「日本の震災孤児を養子にして育てたいんです!」温泉浴場を探していたら、片目がつぶれ、首にも手術跡のある青年が一緒に探しあて、値段を確認し、「Royal Bathは高いから一般用の浴場へ行きましよう」とSulfer Bathへ案内してくれた。トビリシは「温かい」という意味で、語源は温泉だ。昔、王に撃たれた雉が温泉に落ち、癒えて飛び立ったことから王がその温泉の周りに作った都がトビリシだとか。良い浴場で地元民と交流できた。熱々のチーズパンをかじりながら近くのナリカラ要塞に登った。ムトゥクパリ川。丸屋根の温泉、ゴーリキーが幽閉されていたというメテヒ教会、グルジア正教の総本山シオニ教会等、美しい国際親善都市トビリシの街が眼下に聞けた。
 自由広場近くの地下鉄出口で客待ちしているマムカのタクシーは3回利用した。1回目は古き良き時代のジョージアを見るため民族建築村に行った。ここで小学生の遠足と一緒になったが、アルメニアやアゼルバィジャン出身の小芋生がいたので引率の先生に質問しつつ見学した。トビリシでは多くの民族が仲良く暮らしていると話してくれた。旧市街にはユダヤ街、アゼル街、アルメニア街があり、共生してきた歴史がある。2008年のロシア・グルジア紛争から丸3年経つが、この紛争はロシアと欧米間の非難含戦の様相を呈している。
 マムカの車でムツヘタに出かけた。イベリア王国の首都で世界軍産、力士「栃ノ心」の郷里でもある、ロシアに続く軍用道路の一部を通りジョージア最古のスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂へ。薄暗い大聖堂内で聖像、壁画やィベリリア国土の写真が神々しい。グルジア正教の聖堂は上品な採光法でひっそりとした趣、欧州の教会のように威圧しない。世界遺産の他の一つ、山頂の小さな教会ジュヴェリ聖童は6世紀建立の素朴なものだがグルジア正教のシンボルで、上から見ると十字架の形をしているという。この教会から見下ろす風景は雄大だ。眼下に大河の三叉路が見え、延長線上はロシアとトルコとアゼルバィジャンだ。山肌には可愛い家や教会の尖塔が張り付いて美しい集落を作っている。三叉大河の行方と山肌に巣を作っている人々の幸せを見守っているのがこの十字架教会なのである。
 道中のえにしだ並木の見事さ。日本のえにしだの数倍の大ききで、並木のアーチを作り、黄金色が辺りを染めていた。マムカに空港行きの予約をした時、おまけだと言って、ライトァッブした夜の教会に案内してくれ、お礼も拒否した。空港で強くハグし合って別れた。
トビリシ空港には大きく「Tbilisi is the city that loves you」とサインがあった。
                   〈旅の期間:2011年 彩子)

『地球千鳥足』 幻冬舎


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山猫軒ものがたり №41 [雑木林の四季]

大黒柱

       南 千代

 八王子の半田さんが、ロシアからの来客を連れ、泊りがけで遊びにやってきた。アレクサンドル・B・オルイヨーノフ、通称サーシャ。彼は、モスクワ大学で経済学を教えているとか。
 春の花見以来、二度日の山猫軒訪問だ。サーシャヤは、畑作業を楽しみにしてきたのだが、あいにくの雨。室内で遊ぶことにした。
 まず教えたいのが、かまどでの日本式ごはんの炊き方。はじめチョロチョロ、中バッパなんてロシア語でどういうのだろう。火吹き竹を見て、尺八かと聞いてくる。とにかく、やって見せたらわかってくれた。蒸れるまで、絶対に釜の蓋をとってはいけないと教えたのに、彼は誘惑に負けて釜の中を覗いてしまった。
 囲炉裏瑞で膳を囲んだ後、次に数えたのが花札。花札は、私と夫の好きな唯一の室内ゲームである。私は、このカードの図柄が大好きで、古びた山猫軒の襖間を、いつか花札模様にしたいと思っていた。
 正月は松桐坊主 春は、梅に鶯、桜に幕、初夏になれば菖蒲に雨の襖絵なんていいと思うけどなあ。雨のカス札なんて真っ赤に黒で、すごく斬新なデザインだ。しかし、この裏はギャラリィを始めたことでボツになってしまった。作品とバランスのとれないバックでは都合が悪い。
 サーシャは、花札がすっかり気に入ってしまい、どこで売っているのかと聞くので、プレゼントすることにした。花札をやりながら、結婚式の話題になった。まだ、日本の結婚式を見た二とがないという。花嫁姿なら見せることができるかもしれない。写真館の山口さんに連結すると、すぐ近くの厚生年金センターで、結婚式の花嫁を撮影するという。さっそく、出かけた。
 日本では、通常、結婚式にとても費用がかかることを説明すると驚いている。彼の国では、「新婚宮殿」という施設に行って二人でサインし、夜、レストランで食事をするだけだそうだ。もちろん、地方では村中で祭りのように祝ったりもするそうだが。
 しばらくして、今度は井野さんがドイツからの客、ホルストを連れてやってきた。徒はミュンへンでエンヤレコードというレコード会社を経営している。好物であるマグロのトロを持参して囲炉裏端にやってきた。
 大きな男たちが座り込むと、質素な囲炉裏が火鉢のように縮こまっているようだ。翌朝、私たちの家造りに興味を持ったホルストは、作業場で刻みを入れた材木や、基礎を打った現場を子細に見て回っている。
 家造りは、すでに現場に基礎を打つところまできていた。一帯はゆるやかな斜面である。考えた末に、大変だけど現場の元の地形をなるべく壊さず、斜面にそのまま建てようというプランになっていた。.
 「次に日本に来た時は、建った家が見ることができる。楽しみだ」
 ホルストが言った。.家造りは中盤戦にさしかかっていた。
 現場での基礎工事に入る前に、どうすればよいのか悩んだのが地鎮祭である。神主を頼んで世間一般通りに行ってもらえば簡単なのだが、ではそうしようと、すんなりことを運べない気持ちがどこかにある。
 私たちが住む家を建てることで、虫や植物や動物など私たち以外の多くの生き物は、命や住処を奪われてしまう。ほんとうにすまないと思う。地形を変えずに建てることにしたのも、土地が持つこれまでの状況をなるベく変化させたくないためではあったが、彼らが暮らしを続ける役には、たいして立たないだろう。
 すまないとは思うが、住まいに限らず食べ物にしても、他の命を奪いながら生きる。これが私が自然に対して成し得ることの事実だとも思う。
 それら諸々の命には、神主の神聖なおことばには遠く及ばないにしても、自分できち人と心を伝えておきたい。
 ちょうどその時、ギャラリィでは田中活太郎さんの画展を行っていた。活太郎さんは、牧師だったこともあってヒマラヤの山奥やフィリピンに出かけて絵を描いているが、土をこねて薪のの野焼きで器を造ることもやっていた。そこで、建築現場の土を掘り、その土で人形を焼成してもらった。
 それを割り、大黒柱が建つ予定の場所や、家の四隅に埋めた。酒と塩を盛り、土地に立つ。
 「すみませんが、ここに家を建てさせてください。もともと棲んでいた多くの命には惑いのですが、私も人間に生まれたので仕方がないのです。出ていける虫たちは、早く出ていってください、ごめんなさい。無事に家を建てさせてください」
 地面の上で、手を合わせながら私は願い続けた。
 現場に基礎を打ち、仕口もほぼ刻み終えた。刻みを終えた材木には、一本ずつ防腐や着色のための塗料を塗っていく。塗装は主に、れい子さんと私の作業であった。それも終えると、ようやく建前のめどが立った。
 建前に入る前に、地組といって本屋の上に乗る小屋の部分だけを、地面の上で組んでみる。建前のリハーサルのようなものだ。当日になって、仕口が合わなかったりするようなことがあると、建前がストップしてしまうので、地組で子喜通りできることを確かめる。
 地組には、川合さんや東松山でBASALAという店を開いている蓮沼さんも加勢にやってきた。私は、その日都内の仕事で参加できなかった。できることなら夫と一緒に、すべての工程に携わりたかったが、それぞれの役割があるので仕方がない。
 いよいよ本番の建前だ。家は、技術的にも予算的にも、とにかくまず器を造ることで精一杯なので、まるで四角の箱に三角屋根だけというようなシンプルな設封である。斜面のため、高い所では、地面から屋根の上まで十メートル近くもなってしまう。建前の日は、夫たち素人だけではなく、この日ばかりはトビ職などプロの手も借りなければならない。
 三月二十五日、その日がやってきた。夫はいつもより念入りに作業ズボンの上に脚絆を巻き、私は朝早くから、おにぎりをむすんだりお茶の用意である。現場には水道も電気もまだ引かれていない。一足先に家を出た夫と為朝を追い、たくさんの仕出しをバィクに積んでガルシィアと一緒に現場に向かう。華ちゃんは、九回日の妊娠で留守番である。トビの頭が、建前に入る前に清めをするという。知らなかったので、あわてて酒と塩を取りに家に戻る。建前が始まった。
 この工法は、おおまかにいうと、まず大黒柱を立て、それを中心に他の主要構造部材を組み立てていく。すべての部材が組み含わせ構造であるため、材の継手、組子の仕組みを頭に入れた上での作業手順となり、はたで見ていると、難易度百%知恵の輪パズルのようだ。
 トビの頭である酒本さんか、言った。
 「この建て方は、オレでも、昔一度ぐらいしか見たことがねえな」
 高橋さんも夫も緊張している。家造りの顧問として何かと相談に乗ってくれている吉田さんも今日は助っ人だ。川合さん、れい子さんをはじめ、写真館の山口さん、夫のカメラマン仲間の青木さんも手伝いに来てくれた。作業記録のビデオ係は、皮工芸家の佐藤さん。
 クレーンで吊り上げた、高さ七メートルの大黒柱がドーンと立った。大黒柱はヒノキ。夫が、大黒柱を見上げながら、うれしそうだ。
 私をはじめ、見学組も多い。都内から山猫軒の前の別荘にやってくる、渡辺さん夫妻も差し入れを持ってきてくれた。渡辺さんには、昔、宮大工をしていた親戚が遺したという大工道具まで頂いており、夫はそれを刻みに使っていた。
 建前は、延べ二日に亘って行われた。私は、高い所で作業をする夫をはらはらしながら見続けた。怖くないの? と聞いた私に、夫は言った。
 「最初は怖かったけど、そんなこと言ってられないよ。それにだんだん慣れてくるんだ」
 誰一人ケガをすることもなく、無事、棟上げが終わった夜、山猫軒でみんなで侃盃を上げながら私たちはほんとにひと息ついたー
 プランが持ち上がり、木を伐り始めてから一年半が経っていた。しかし、これで終わったわけではない。棟上げ後は、床や壁、屋根を張る。内部を造る、塗装をする、などの作業が始まる。建築両軍約四十坪の家を仕上げるには、まだまだ、時間がかかりそうだ。

『山猫軒ものがたり』 春秋社



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BS-TBS番組情報 №306 [雑木林の四季]

BS-TBS 2024年6月前半のおすすめ番組

               BS-TBSマーケティングPR部

MUSIC X

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6月6日(木)よる9:00~9:54 
☆『世代』や『ジャンル』を超えて自由にクロスオーバーさせた新しい音楽カルチャーをお楽しみください!

#7 オトナのポジティブソング
【司会】関根勤 早見優
【ゲスト】相川七瀬 城南海 おかゆ 新浜レオン
【ナレーター】佐々木啓夫 宇賀神メグ(TBSアナウンサー)

今回は、ちょっと気分が落ち込んだときに聴くと前向きになれる「オトナのポジティブソング」を特集!相川七瀬が「夢見る少女じゃいられない」「恋心」を熱唱!さらにプライベートな写真を見ながら相川の素顔に迫る!新浜レオンは星野源の「SUN」を熱唱!そして今回のクロスオーバーは、城南海とおかゆが、途中で歌と演奏が入れ替わるセッションプレイ!奄美三味線とギターの音色で南国のヒット曲をお届けします!

憧れの地に家を買おう

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6月7日(金)よる9:00~9:54 
☆いつか住んでみたい国内外の“憧れ物件”を、案内人・武井壮がおすすめする世界紀行バラエティ。

#73 イギリス・ロンドンに家を買おう
Guest : 木村沙織

今回の憧れの地は、かつてシャーロックホームズも住んでいた?ロンドン! ゲストは、木村沙織さん。木村さんにとっては、2012年のロンドンオリンピックで、銅メダルを取った思い出の地。1軒目の物件は、ロンドンの中心地、ハマースミス&フラム地区に建てられた7階建てマンション。延べ床面積166㎡のこの部屋のバルコニーからはテムズ川を一望でき、 大理石を使ったバスルームは見事。2軒目は、ケンジントン&チェルシー王室特別区。ここはヴィクトリア女王の出身地であり、ダイアナ元妃が住んでいた「ケンジントン宮殿」もある場所。 紹介する物件は、いろいろな建物が長屋風に横につながった「テラスドハウス」というスタイルの一軒で、ヴィクトリア様式建築。 さあ、果たしてお値段は?3軒目は、ワンズワース区の約320年前に建てられた歴史的建造物に住めるアパートを紹介します。

Sound Inn S

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6月15日(土)よる6:30~7:00 
☆一流のヴォーカリスト・サウンドメーカー・ミュージシャンが一堂に会し、「時を超えた、ここでしか聴くことのできない上質なサウンド」をお届け。

#111 由紀さおり

今回のゲストは、歌手生活55周年を迎えた由紀さおりさん。
新曲「人生は素晴らしい」のほか、名曲の「手紙」や「生きがい」を一夜限りのスペシャルアレンジで熱唱する。


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海の見る夢 №77 [雑木林の四季]

       海の見る夢
           -鶴八鶴次郎ー
                   澁澤京子

  聴くものがなかったら名人も上手もあるものか。お客があって芸が生まれるんだ
                         『鶴八鶴次郎』川口松太郎

成瀬巳喜男の映画では、音楽がとても自然に効果的に使われる。『おかあさん』田中絹代主演での「花嫁人形」「雨降り」「オー・ソレ・ミオ」、『浮雲』では巷に流れる東京ヴギヴギやリンゴの唄などの歌謡曲に敗戦後の荒んだ東京の雰囲気がよく出ている。チンドン屋の音楽の流れる商店街がまだ東京のあちこちにあった時代だった。

幸田文の芸者置屋での体験を元に書かれた『流れる』成瀬巳喜男監督 では栗島すみ子演じる元芸妓の謡いながらの日本舞踊のけいこ、柳橋の芸者置屋の黒板塀越しに流れる三味線の音・・この映画では清元の名取でもあった山田五十鈴の三味線姿がなんといってもかっこいい。山田五十鈴や若い岡田茉莉子など華やかな芸者さんたちに囲まれ、あまりお座敷から声のかからない年配芸者役の杉村春子(迷信深い性質で一番熱心に神棚に手を合わせる)が、自分用の小さい三面鏡の前に正座し、膝にハンカチを広げたうえで一人寂しくコロッケパンの慎ましい食事をしている姿などいかにもリアリティがあって、成瀬巳喜男の映画では、慎ましい庶民の生活というものが、その時代によく流れていた流行歌や音楽とともに切実に胸に迫ってくる。

やはり山田五十鈴が芸達者な三味線弾きとして登場する成瀬巳喜男の『鶴八鶴次郎』。視覚的な洗練よりも、聴覚的な洗練のほうが時間がかかりそうな気がする。常磐津や清元、義太夫、新内節や長唄の区別もろくにできない私なので、成瀬巳喜男監督の『鶴八鶴次郎』(1938)と『歌行灯』(1943)を見ると余計にそう思う。(関西の一中節から、新内、常磐津、清元が派生したらしい)ある文化が成熟して洗練されるためには長い時間がかかる、そのためには音や声の良し悪しを聴き分ける耳を持った聴衆の存在も必要不可欠なのだ。

 静寂の底の底の新内の語れる自分になりたい。たとえ世間にそっぽを向かれようと。
                              ~『芸渡世』岡本文弥

昔、故・住大夫の義太夫を聴きにいった時、名人と言われている住大夫(その後国宝になった)が顔を真っ赤にして涙も鼻水も垂れているのもお構いなしに、全身全霊を込めて謡っている姿を見て感動したことがあった。名人と呼ばれるのにふさわしい人というのは、決して自分のテクニックの上に胡坐をかかないどころか、それを乗り越えるために常に全身全霊をかける。おそらく、表現者が自分の心を観客に伝えるのはそのくらい難しいということで、逆に少しでも慢心があれば、聴く耳のある聴衆にはすぐにわかってしまうのが、芸能の厳しいところなのだろう。

弥次郎兵衛「オッと、その手は桑名の」
喜多八  「焼き蛤か。」

借金から逃げるためにお伊勢参りを思いついた弥二さんと喜多さん。道中、退屈しのぎに二人で侍を真似た侍ゴッコをしてみたり、売れっ子の文学者のふりをして人をからかってみたり、道楽者ではあるが童心を失わない二人。人をからかおうとして逆にかつがれたり、騙そうとして逆に詐欺にあったりでさんざんな目に合うが、二人の駄洒落の掛け合いはナンセンスなようでいてちゃんと地名などに引っ掛けてあるところが、まるでコード進行によって決まるジャズのアドリブのようで、「東海道中膝栗毛」は江戸時代のベストセラーだった。

川口松太郎原作『鶴八鶴次郎』は人気のある新内コンビの鶴八と鶴次郎の話で、大夫である鶴次郎(長谷川一夫)は先代の鶴八が大切に育てた弟子。今は娘の二代目鶴八(山田五十鈴)が三味線弾きを引き継いでいる。先代の娘であるだけに鶴八は気が強くプライドも高く、鶴次郎との喧嘩が絶えないが、二人が出演となるとすぐに寄席が満席になるほどの人気者。子供の時から一緒に育っているだけに、ぴったりと息の合う演奏をするのである。二人にはそれぞれを贔屓するパトロンがついていて、当時の芸人というのはこうした富裕層のパトロンによって支援されていたということもわかる。二人の得意の出し物は膝栗毛の「赤坂並木」の段で、特に弥二さん喜多さんの軽妙洒脱な掛け合いは、よほどのテクニックと息の合うコンビじゃないと難しいと言われている。弥次さん喜多さんのやり取りをサラっとユーモラスに語るというのは、芸の基本がしっかりできている人間じゃないとなかなか難しく、芸の品格を支えるのはやはり芸人の日々の鍛錬なのだと思う。(喜多八のセリフを鶴八が、弥次郎兵衛のセリフを鶴次郎)

・・聊か心得のある対手だと、トンと一つ打たれただけで、もう声が引っかかって、節が無様に蹴躓く。三味線の合いの手と同じだ。『歌行灯』泉鏡花

成瀬巳喜男の映画『歌行灯』の原作には、やはり冒頭に膝栗毛に因んだ洒落の掛け合いが出てくるが、鏡花は「膝栗毛」を肌身離さず持ち歩き愛読していたという。主人公である謡の名人・恩地喜多八(花柳章太郎)は、膝栗毛の喜多八に引っ掛けたものだろう。謡の家元の跡取りである喜多八は、正月を伊勢で迎えるため暮れの旅先で、地元では宗山という按摩が謡の名手であるという噂を聞き、芸で挑戦するため宗山に謡を所望し、宗山の「松風」を聴きながら膝を打ち拍子をとって相手を追い詰めてゆく。恥をかかされた盲目の宗山は、客が名人の誉れ高き喜多八であることを悟り、謡を聞かせてくれとすがって頼むが喜多八は冷酷に突き放す。絶望した宗山はその晩に自殺し、喜多八は事の次第を知って立腹した叔父源三郎によって破門されてしまう。勘当された喜多八は流しの門付けとして落ちぶれて流浪するが、毎晩のように自殺した宗山の亡霊に悩まされ、宗山の遺児であるお袖(山田五十鈴)が零落した芸妓として生きている事を知り、罪滅ぼしに彼女に自分の謡と舞いを仕込み、最後は叔父である家元と和解するという話。喜多八(花柳章太郎)の指導のもとに一心不乱に稽古に打ち込むお袖を演ずる山田五十鈴がまだ若く可憐で美しい。家元が才能ある甥をあえて破門にしたのも、増上慢というものが芸にとっては障害になるということをよくわかっていたからなのだ。

話を『鶴八鶴次郎』に戻すと、鶴八鶴次郎の度重なる喧嘩に手を焼いた興行主が、二人を仲直りさせようとさりげなく温泉旅行に行かせる。温泉(箱根か?)でお互いの本当の気持ちがわかった二人はついに結婚の約束をすることになる。この先、新内は廃れてゆくだろうと考えている鶴次郎は、生計を立てるためにも寄席を一軒持ちたいと考えている。なんとか鶴次郎のためにお金を工面したい鶴八はパトロンである松崎(大きな料理屋の主人)にお金を借りに行くが、このことが鶴次郎にばれて大喧嘩となり、二人はそれっきり別れてしまう。鶴八はパトロンである松崎に望まれて結婚し、一方、相方を失った鶴次郎はたちまち人気を失い、地方でどさ周りする芸人となって落ちぶれてゆく・・

・・庶民的ではありたいが、断じて低俗には落ちたくないと思っている。~『ぶんやぞうし』岡本文弥

新内語りの岡本文弥(1895~1996)さんによると、新内はお座敷芸から「流し」の芸として大衆化し、また、新内よりもわかりやすい浪花節が流行りはじめたころから廃れてきたのだそうだ。俗謡で「白金麻布は新内で~」と歌われたように、幕末のころ新内節は今の白金や麻布辺りでよく聴かれていたらしい。新内の師匠であった母親の稽古を見ているうちに自然に覚えた文弥さん。相方の三味線弾きはやはり母親の弟子で子供のころからよく知っているせつ子(二代目宮染)で、文弥と結婚して離婚してまた再婚したりしているからまさに『鶴八鶴次郎』をそのまま生きたような芸人コンビなのだ。下谷寺町で育った文弥さんの子供のころは、まだ近所に樋口一葉が住んでいたというからすごい。文弥さんは「ぶんやアリラン」「ノーモアヒロシマ」など多数の新作も作詞作曲しているが、遊女の悲劇の多い新内節で、戦時中の朝鮮人慰安婦の悲しみを語るのはごく自然なことだろう。どの女性たちも性暴力の犠牲者に変わらない。反権威、反権力は江戸っ子の気質なのである。二胡の演奏家アービンを日本に紹介したのも文弥さん。(成瀬巳喜男の『歌行灯』『鶴八鶴次郎』、アービンの『二泉映月』はすべてyoutubeで見ることができるのがうれしい)岡本文弥さんは亡くなるまで、芸の精進に励んだ。

・・表面に現れた声とか節とかを超えて、ほのぼのとした芸格だの人柄だの、その人の過去の苦労とか教養とか現在の人格行状等々、それがその人格を通して語り物が生き、語り物を通してその人柄が感じられる―ぼうっとした芸以上の何かを感じさせる人は少ない。~『芸渡世』岡本文弥

聴衆がいなくなったために廃れてしまった新内節。また相棒である鶴八を失ったために次第に落ちぶれていった鶴次郎。「音楽」っていうのはまるでデリケートな生きものみたいに、微妙な掛け合いや間の取り方、絶妙な調和というものによって全体が大きく変わってくる。そして、名人の演奏から浮かび上がってくるのは、人の無意識の底にある真の人間関係や人間性なのであり、音楽ってなんという不思議なものなのだろうか。
 

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住宅団地 記憶と再生 №36 [雑木林の四季]

21・補記 ライネフェルデの団地 Leinefelde Sudstadt (37327 Leinefelde-Worbis,Thuringen) 2

     国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

『ライネフェルデの奇跡』はみごとな写真集でもあり、手にとって見てほしい.。わたしが読んでライネフェルデ再生事業の特徴と思えた点をあげれば、つぎの4点である,①内側の住棟を撤去して共同の中庭を造成、②長大な住棟を縦割りにしてポイントハウスに転換、③住戸平面の多様化、1階部分の公共施設化、④解体パネルの活用とパネル工法住宅の可能性の探求である,。
 団地の縮小は、まずフイジカー街区中央の2棟撤去からはじめた。最初の1棟の解体工事のさい、廃材の破片が飛び散り、樹木を倒すなどして、周辺住民の怒りが爆発した。作業上の不備だけでなく、建築家たちは、PCパネルを廃材にして道路に敷く砂和に使うのではなく、もっと意味のある活用のしかたはないのかと反省、再検討をくわえた。その結果、2棟目は基礎の1階部分を残し、改築してエレガントな団地の共甘施設、住民集会所に生まれ変わらせることにした。これを「かつての住棟の厳かな記念碑」「パネル工法住宅への敬意にみちた取り組み」と表現している。
 住棟撤去の跡地には「日本庭国」を造園した。
 ハノーバー万博に出展して喝采を浴びたのは、ヘルシェル通りの200メートルにおよぶ住棟を縦割りに中抜きし、ネーミングも「アーバンヴィラ」としたポイントハウスヘの改築である。
 仕宅の絶対量の削減が要請され.、ほとんとが5~6階建てを4階以下にすべきとの意見で一致していた。さらには水平ではなく垂直方向での減築も提案された。5階建ての最上階をとりこわせば5分の4にはなるが、また屋根を作るので金がかかる.アーバンヴィラは、5階建て200メートルの長台住裸の最上階をとりこわし、さらに階段室2つごとに縦の住宅を中抜きして既存の階段室からアプローチする住宅にしたものである。つながる基壇のうえに整然と並ぶ立方体8棟、改修されて四面の外壁に不規則に配置された大型バルコニーや大小の開口部をもつ建物群は「偉大な都市改造実額のショーケース」と称賛され、いくつか賞も獲得した。
 建物とその内部の改造をつうじて証明されたのは、バネル住宅のもつ価値、可能性である。中の鉄筋は錆びておらず、躯体は100年はもつ。パネル工法の建物は性能上きわめてフレキシブルであり、多様な住戸プランを可能にする。住宅内の改修はもちろん、店舗や事務所への改造もできる。解体パネルを活用して現に戸建て住宅が建てられている,。
 2000年にはじまった「東の都市改造」は単なる住戸撤去プログラムではない。いぇっきょと並行して建物の建物の再利用に取り組んだライネフェルデの事績は「都市を生かす改造」といえよう。団地再生は、ここを起点に「全体整備」へと展開し、とくに駅周辺の地域の店舗や事務所、中庭住宅、幼稚園や学校などの修復、改築がすすめられた。駅前通りはショッピングストリートとして-新し、リンガウ適りとフールロット通りのあいだの地域は、昔のライネフェルドのロマンチックな雰囲気をとりもどした。,
 1995年にGRSがマスタープランでライネフェルデ南地区の計舶的「縮小」のイメージをしめし10年をへて、主要な対策はすべて完了した。住宅地は外周から内部にむけて縮小され、1980年代末の人口廿14,000人が2006年末には約5,700人になった.1,600戸の住宅を撤去、2,002戸を完全リニューアル、878戸を部分改修して、40戸を新築した。建物撤去、インフラや外構整備、個人投資などもふくめて、1億4、400万ユーロ(当時230億円)かかったこと仁なる。
 ライネー7ェルデ住宅公社は2005年から黒字になった。賃貸住宅居住者の4分の1以上が生活扶助世帯であり、日々の家賃は郡から支払われる。改修後の住宅でも平米あたりの基本家賃は4.5ユーロ(約720円)をこえない。これに光熱費が加わる。高齢者向けや3世代共住コンセプトの住宅も供給される。
 本書の「ライネフェルデに学ぶ」の章の結語を引用して、わたしの補記をむすぶ。「近代の計画された世界一工業的住宅建設と機能主義的都市計画―の正常化が、じつは世界的にわれわれを待ちうけている次の文化的な挑戦になるであろう。パネル工法の住宅が歴史的市街を守るための単なる取り壊しストックとみなされているかぎり、問題の世界的な重要性は見失われる。重要なのはエコロジーの見地である,。近代の建物資産も資源であり、それを捨てることはできない。。再生して未来へ引き継がねばならない」(The Marvel of Leinefekke.p159)

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂


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地球千鳥足Ⅱ №47 [雑木林の四季]

悪魔の塔は呼ぶ

     小川地球村塾村長  小川律昭

 山岳や平原の中に、にょっきりと円筒状の岩石が空に向かってそびえ立っている。異様な光景である。ただの岩石と思いきや、近付くにつれてその状態の複雑怪奇さに日を見張る。下から頂上まで細長い相似形の岩を張り付けたように、縦の切れ目が刻まれ、それが全周にわたっている。ところところ長方形の一部が崩れ落ちており、新しい岩肌が露田している。この世にも希なる岩を人呼んで「デビルズ・タワー」(悪魔の塔)。 映画「未知との遭遇」の舞台になったところ。この岩はワイオミング州の西端にあり、かつてはネイティブ・アメリカン、スー族の本拠地。岩だらけの草原が広がるところにある、眼前にあるタワーは信州の「鬼押出」で見かけるような大岩を裾野にし、突っ立っている。地上二七〇メートル、頂上の平たいところは、フット・ボールがやれる広さだと言われる。そこでは鼠、とかげ、蛇などが生息している。

 この塔の呼びものは、ハーケンとロープを使うロック・クライミングである。登る者のみならず、彼らの演出のおかげで、ただの訪問者も楽しさが倍加する。管理事務所に登録すれば誰でも登れるとか。彼らは一人か二人組であり、そのほとんどは上半身裸である、塔の周りじゅうで登っている。登り始めた人や、中間の岩場で休んでいる人、中途で思案に暮れている人、さまざまだ。場所によっても難易がありそうだ。観光客に見られていることを意識することがみずからの励みになっているのだろう。ロープで登るのは八合目まで、後は岩伝いに難なく頂上まで行けるのか頂上近くを歩いている人が二人、三人見えかくれする。そこまで到着するにはロープ一本がたより、楽しんでいるように見えても実際は命がけの冒険である。下から見上げても垂直岩に見えるのだから、本人たちは上から岩が覆い被さる絶壁にぶら下がって登る感じだろう。若かったら仲間に入れてもらってチャレンジしたいと思ってしまうほどだ。

 彼らのエネルギーに感動させられながら、塔の固辺を一周する。裏側には赤松林があり日本の山岳地帯に似ている。一周は約一時間、どの位置から見てもクライマーがいる。チャレンジ魂がここに集結していることを実感し、力が漲(みんぎ)る思いになる。                                                                       

         (一九九八年九月)


迷ってみたい白い砂丘

 見渡す限り小山をつなぎ合わせた真っ白な平原、六〇〇平方キロにも及ぶ広大な砂丘、ホワィト・サンドはここニュー・メキシコ州の都市、アルバカーキーの南五〇〇キロの砂漠地帯にある。かつては原爆実験がなされた地域でもあるが、観光地としての知名度は低い。同じ州のサンタ・フ工も、かつて宮沢りえの写真撮影で知られたぐらい、交通の不便さも手伝ごしか、知る人ぞ知る場所である。l近年、温暖な気候が理由で州南部が保養地として見直され、州の人口は増加傾向にある。四月の初句、同辺の平地は萌黄色の新線に包まれた美しい風景となり、山岳ではスキーが楽しめる。

 ホワイト・サンドの入り口から、左側に潅木を交えた白い砂丘が広がること四キロ、周囲が真っ白に覆われた砂丘のど真ん中に出る、車のためにあけられた道の両側には、行けども行けども真っ白の砂山が折り重なる。途中のところどころに枝道があり、入って行くと見ビころがある。中心部はループ・ドライブになっており、ピクニック・エリアがある。車から降りて五メートルから十五メートルの砂山を駆け上がると、ホワイト・サンドがぐっと身近に感じられる。目の前は無制限に広がる砂丘。子供を遊ばせる家族連れが多い。子供たちは落差を利用しての砂滑りに興じている。少し歩けば人影はない。人の歩かぬ砂山に、幾何学的波紋がくっきりと天然美をかもし出している。波紋にうねる真っ白い砂山が陰と陽の芸術を展開し、空は紺碧、見晴らす山々は墨色に霞む。あり余る紫外線の恩恵にあずかるべく水着で日光浴をする。海辺とここの違いは風邪を引かないことだけ、と現地のガイド・ブックにある。

 なぜ、太陸の奥地にこのような砂丘が存在するか。その理由は何万年もの以前、近くの山から石灰分が流れ出て湖を埋め、そこで結晶化。その後何世紀もかけ、乾いた南西の風で風化した粉体が飛ばされて出来たという。今日現在でも活動し続けているというが、自然の芸術に感動させられる。朝夕の光と陰を追っての写真撮影には絶対の場所、おおくの人が、、この大自然の贈り物の恩恵に浴することが出来るよう願っている。

                                       (一九九五年四月)


『万年青年のための予防医学』 文芸社 


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山猫軒ものがたり №40 [雑木林の四季]

タヌキの赤ちゃん 2

        南 千代

 体調が二十センチほどになった頃、真つ黒だった毛の頭の部分だけに、茶褐色のタヌキ色の毛がやっと生え出してきた。顔も鼻がとがってきて、少しだけタヌキらしくなってきた。成長すると、臭くなるのではないだろうか。なぜか私には、タヌキは臭いというイメージがあった。
 「フロに入れてやれば、匂わねえよ」
 と、吉山さんが言う。よし、小さい頃から習慣づけてしまえば、風呂が好きになるだろう。私は、タヌちゃんを洗面器のぬるま湯に、毎晩入れることにした。気持ちがいいのか、お湯につけるとボーッと眠そうな顔をしてじっと目を閉じる。すっかり風呂が気に入った様子だ。
 しかし、実のところ、ヤギがヤギの匂いであるのと同じ程度に、タヌキはタヌキの匂いがするものの、そう臭くはなかった。
 狭い小屋の中で排せつの場も一緒にして飼えば、これはタヌキに限らず、人間だって臭いに決まっている。匂うのは、タヌキでなくその排せつ物である。
 タヌちゃんは、習性なのか、ウンチをする場所はいつも一カ所に決まっていた。最初は、リビングルームに置いた電話台代わりの椅子の下。これはやはり困るので、そのたびにウンチを家の外の決めた場所に置き、ここよ、と教える。きちんと柚の木の根元でするようになった。
 野生の動物なので人には慣れないだろうと思っていたが、時が経つにつれ、タヌキは、呼ぶとキイーッと鳴きながら走ってきて、抱いてやると喜ぶほどに慣れていた。暑い季節になると、風呂は、水浴びになっていた。タヌキは、ものを食べるときに、クチャクチャと口に音を立てる。たまに人間にもこのような人がいる。タヌキの場合は仕方ないと思えるが、これが人だと、下品な食べ方だなあと、思ってしまう。
 タヌちゃんがある日、フッと姿を消した。山に帰ったのならいいけれど。まだ子どもなので少し心配だ。土問の火消し壺や釜にも念のために声をかけてみる。化ける練習をしていて、タヌキに戻れなくなってしまったのではないだろうか。
 二、三日が経った。ふと気づくとタヌちゃんが土間にちょこんと座っていた。やはり何かに化けていたらしい。
 この頃になると、歯が鋭くとがってきた。犬の子もそうであるが、モノを喫むのがおもしろいのか椅子の足など盛んにいろんなものをかじる。椅子の足ならよいのだが、人の足や抱いた手にも、時おりじゃれて歯を立てるようになってきた。甘咬みであっても、歯が鋭いとブスりと刺さる。
 親兄弟と一緒に育っていれば、多分、じゃれる時とそうでない時の咬み方が身につくのだろうが、タヌちゃんにはそれができない。こちらが扱いに慣れていれば、歯を立てられないようにできるけれど、扱う呼吸がつかめない夫などは、たびたび歯を立てられていた。
 ガルシィアがヒーヒー泣いて、土間に突っ立ったまま、こちらの座敷に向かって何か言っている。どうしたの、とそばに行ってみると、タヌちゃんがコアラのようにガルシィアの太い足にしがみついて歯を立てている。タヌちゃんも別に悪気があって咬みついているわけではないので、ガルシアも怒るわけにはいかなかったようである。
  座敷に上がり込んで走り回り始めたこともあり、また、週末はギャラリィの客が大勢来ることもあってタヌちゃんは、つないでおくことにした。散歩は、犬たちと一緒である。

 夫は、材木が集まると作業場に通い、今度は刻みを始めた。木を組み合わせて家を支える構造のため、木の一本一本に、組み合わせるための刻み(仕口)を入れなければならない。仕口には、継ぎや組みの目的と用途に応じて、二十六種類の刻みのカタチがある。カタチは、素人にはまるで、知能テスト用材木版キュービックのように複雑。
「今日は少し慣れて、金指継ぎがやっと五つぐらいできるようになったよ」
 夫は、毎日喜んで帰ってくるが、約一千個は要りそうな仕口すべての数を思うと、気が遠くなる思いがする。私も手伝える日は、作業場に通った。仕事やギャラリーや農作業を通して知り合った友人など仲間たちも、みな時間ができると加勢にやってきた。
 画家の田中さんは絵筆を持つ手にのみを握り、ベースの井野さんも弓代わりにのこぎりを挽き、木工家の川合さん、笠原れい子さんも。それぞれの時間と関わり方で、仕口は少しずつ刻まれていった。
 現代においては、時は金。またたく問に出来あがる家もあるけれど、こんな家づくりも時にはあつてもよいのかもしれない。
 田植えの合間に家通り、その合間に仕事をし、ヤギを飼いつつギヤラりィをやり、その合間に畑を耕し、タヌちゃ人をだっこしてジャズライブ行い。夜は夜で、さばいた鶏を肴に「みんなで盃を重ねる、という、もう何がなんだかわからない、合間だらけの混沌とした暮らしになっていった。すべてが遊びのようでもあり、仕事のようでもある。

 そこへまた、三羽のカラスがやってきた。時次郎さんが、巣から落ちた仔ガラスを持ち込んできたのだ。同じ色の仲間に、黒猫のウラがこタッと笑ったような、笑わなかったような。ウラは、時々チシャ拓のように笑うのだ。カラスはまだ、庭をよたよた歩いている。
 こうなると、名前をつけるのもお手軽になってしまい、アーちゃん、イーちゃんにした。次に動物がきたら、ウーちゃん、エーちゃんだ。
 カラスの嘴というのは、仔ガラスでも大きくてちょっと怖い。ドッグフードを柔らかくふやかして箸で口元に持っていくと、ぴっくりするほど大きな口を開けた。黒い羽が、七つの虹色に光り、うらやましいほどきれいだ。
「よしよし、育ててやるがらね。大きくなったら、忘れずにやってきてカラスの恩返しをするんだよ」
 私は、エサをやりながら、言い聞かせた。

『山猫軒ものがたり』 春秋社


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台湾・高雄の緑陰で №39 [雑木林の四季]

新総統頼清徳を迎えた台湾

        在台湾・コラムニスト  何 聡明

今年の1月13日に行われた台湾総統の選挙は台湾派の民進党候補頼清徳氏が当選したので、民進党政権は台湾では記録的に第9年目の政権に入り、5月20日頼新総統は台北市の総統府で盛大な就任式を行なった。

今年1月の総統選挙と同時に行われた立法院委員(国会議員)選挙で民進党委員は過半数に至らず、これから4年間頼清徳総統は困難な国政の運営を迫られることになるのは必定である。頼氏がその困難を如何に克服するかに与野党の関心が集まっている。因みに台湾の国会は単一国会で、議員定数は113人で目下与党51人、野党60人、無党派2人であるが、この2人は第一野党中国国民党に従属している。

現在台湾最大の国内問題は1949年に中国共産党との内戦に敗れた蒋介石は中国大陸より中国国民党の軍官民を引き連れて台湾へ亡命して以来1999年まで中国国民党は台湾で独裁統治をしたが、2016年以降中国国民党は民進党政府の最大野党に留まっていた。機会主義者を党首に戴き4年前に「台湾民衆党」と名乗る新第二野党は反台湾派の最大野党と組み、執拗に憲法違反、且親中反台的な法律の制定に熱中しているので国会で与野党の激烈な闘争が始まっている。

中国共産党政府はこの「親中反台」の中国国民党を利用、または指示をして「台湾は中国の一部」であると言う空言を更に強調している。一方、中国人民解放軍は海と空から毎日台湾に威嚇を続けている。言わば中国国民党は中国共産党の子分に成り下がりつつあるのか、それとも台湾を中国に売却する準備を進めているのかと疑われている。

頼総統は就任演説で台湾は民主制度の主権国家で有り、中国とは隷属関係にないと述べ、台湾は民主主義国家と結束し、戦争を厭わない独裁国家に隙(すき)を与えない事が重要だと強調した。中国共産党政府は頼総統の就任演説を強く批判した。

話は変わるが、日本人は平和でさえあれば独裁国の属国であっても構わないと考える人を「平和ボケ」と呼んでいるのだろうか?平和ボケの人達は「台湾有事は日本有事」だと述べた故安倍元首相は「好戦者」だったと考えているのだろうか?台湾では「日本有事は台湾有事」だと考える有識者が日々増えているが、その台湾人も「好戦者」なのだろうかと私は頭を抱えている。

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BS-TBS番組情報 №305 [雑木林の四季]

BS-TBS 2024年5月後半のおすすめ番組

     BS-TBSマーケテイングPR部


関口宏のこの先どうなる!?

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5月19日(日)ひる12:00~12:54 
☆日曜のお昼は関口宏と未来について考える!世界が抱える〝今〟の問題と日本の〝未来〟を紐解いていく。

#5「少子化」
2023年の日本の出生率は1.20。

出生率過去最低を記録し、少子化が止まらないニッポン。政府は2030年までが、少子化反転へのラストチャンスと位置づけているのだが…。
少子化は、日本だけでなくアジア全体で深刻な問題に。韓国でも出生率0.72と、過去最低を更新。世界が少子化に陥る理由とは?

番組では、出生率1.88をほこる、熊本県のとある街を取材!少子化打開策は、”東京一極集中”を解消すること?
少子化問題の「この先」を考えるー
【出演】関口宏、川口盛之助(未来予測研究家)
【ゲスト】森永康平(経済アナリスト)

開演!時代を彩る名曲七番勝負

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5月19日(日)よる9時~10時54分 
☆デビュー15年までの若手演歌歌手が集結!2チームにわかれて7曲の歌勝負!

◆キャスト
司会:武井壮、市川美織

進行:宇内梨沙(TBSアナウンサー)
出演:松阪ゆうき、パク・ジュニョン、羽山みずき、彩青、望月琉叶、竹野留里、木村徹二、藤井香愛、松尾雄史、三丘翔太、二見颯一、原田波人、小山雄大、田中あいみ

歌手歴15年以内の若手演歌歌手が、2チームに別れて対決!各チーム7曲を交互に披露して勝者を決める。審査をするのは、10代・20代の男女20名。勝負毎に「もう一度聞きたい!!」と思った方に1票を投じる。勝利チームは、新曲の1コーラスメドレーを披露することができる。
各勝負にはテーマが存在。『1970年代に発売された曲』、『1980年代に発売された曲』、『デュエット曲』、『1990年代に発売された曲』、『2000年以降に発売された曲』、『3人以上で歌う曲』など、選曲も重要となる。

カンニング竹山の昼酒は人生の味。

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5月21日(火)よる11時~11時30分
☆飲み仲間を探しに街へと繰り出す昼呑み番組。青空の下で、一緒に泣いたり笑ったり怒ったりルール無用の人情トークを展開!

◆キャスト
【出演】カンニング竹山

記念すべき第1回は上野にある新鶯亭から始まる。
スタッフが店内に入ると、竹山さんが団子とおでんをつまみにビールで一杯やっていた。
「色んな出会いを求めていきながら美味い酒を呑む」と語る竹山さん。
さっそく呑み仲間を探すべく、動物園や美術館などの観光スポットで賑わう上野の街へと繰り出す。
そこで出会った夜勤明けのサラリーマンや青森の親子とお酒を飲みながら仕事での悩みから人生についてまでを語り尽くす!


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海の見る夢 №76 [雑木林の四季]

       海の見る夢
            -1995年。夏―
                     澁澤京子

 夕食が済んだある夏の晩のことだった。何かお菓子を買いに行こうと妹が言い出し、私たちは山のふもとのコンビニまで車で出かけることになった。その夏、妹と小さい息子二人と八ヶ岳にいたのである。私たちがコンビニで買い物をしていると、女性と子供たちの団体が入ってきた、子供たちも女性も着の身着のままといった感じの異様な風体で、たくさんの飲み物や食べ物を買うのに、すべて小銭で支払っているので会計にとても時間がかかっている、小銭を積み上げて支払いをしている女性は、自然食にこだわる女性にいそうな、長い髪を束ねたほっそりした女性だった。ちょうど上九一色村のオウムの施設に一斉捜査が入っていて、テレビをつければオウム事件の報道ばかりで、江川紹子さんや有田芳生さん、弁護士の滝本さんなどレギュラーが連日テレビ出演していた頃のこと。八ヶ岳から上九一色村は車で行けばそれほど遠くない、あの晩、コンビニで買い物をしていたあの人たちは、もしかしたら施設から逃げた女性と子供たちだったのかもしれない。

最近、森達也さんのドキュメンタリー映画『A』『A2』を観て、オウム真理教の問題は、別に宗教だけの問題じゃないということにやっと気が付いた。

事件後からオウム信者に密着して撮影されたこの映画を見て最初に気が付くのは、元オウム信者よりもむしろ、元オウム信者を近隣から追放しようとする一般市民のほうが暴力的に見えるということ。連日のオウム報道を見て教団に恐怖心を抱くのはよくわかるし、オウム側にあまり反省の色が見られないのは何よりも問題だと思う。しかし、元オウム信者に対する恐怖心も度を越せば、つまり理性を欠いた警戒心というのは、実は誰よりもオウム教団が持っていたものではないだろうか。オウム事件について書かれた森達也さんの本を読むと、麻原の側近であった村井(事件直後、刺殺された)が、米軍の飛行機が自分たちを偵察しているなど被害妄想の発言が多かったこと、また死刑になった井上実行犯がフリーメイソン陰謀論にはまるような陰謀論者であったこと、麻原自身がノストラダムスの大予言にはまり、ハルマゲドンや終末思想、「光と闇の戦い」(自身は光の戦士)を信じていたこと、麻原は自分と似た者同士の側近たちの情報を日常的に真に受けていた。麻原と側近たちとの相依存の関係の中で、集団妄想は定着し事件に至ったということなのだろう。オウムの特徴は、何よりもリアリティ感覚の希薄さにある。

事件直後に撮影された『A』で目立つのは信者の「尊師が~こう言ったので」発言が多いことで、事件が発覚してもなお、この教団では尊師の意見が絶対であり信者はそれに従順であったことがわかる。また、信者の間で(魂の)ステージが高いとか低いとかの話題がよく出るが、麻原を頂点として支えていたのはこうしたヒエラルキーの構造なのだ。江川紹子さんの『オウム裁判傍聴記』によると、あるオウム幹部が一般信者を「ヒラ信者」と言ったことを聞き逃していない。当時のオウム幹部は、特にそうしたエリート意識がひときわ強かったのだろう。

『A』『A2』を通してみてわかるのは、浮世離れはしているが、元オウム信者たちの純粋さと感じの良さである。反対運動していた住民の中には、長い付き合いの中で個人的にオウム信者と仲良くなるものも結構いて、オウムが出版した本を借りて読んだりしているという微笑ましい光景も出てくる。つまり、基本的に善良であることにおいては、反対運動する市民もオウム信者もそれほど変わらない。

それでは、なぜそのような善良な人々の集団があのような事件を起こしてしまったのか?

オウム事件がカルト宗教の起こした特殊な事件とも一概にいえないのは、教団内部のヒエラルキー構造、上からの指令がない限り自分の意見を言えない(つまり自分がない)、トップである麻原に対する弟子たちの従順さと忖度、広報である上祐氏の饒舌、閉鎖性、秘密主義、排他性、仮想敵の設定、自衛のための武装、陰謀論の蔓延、同調圧力の強さ、都合の悪い事実の隠ぺい・・こう書いていると日本社会(特に故・安倍政権時代の)にもそのままあてはまるような現象ばかりではないだろうか。オウム真理教には○○省がいくつもあって、事件後のオウム幹部の対応が官僚的(機械的)だったのも、さながらミニ国家のようであったことも頷ける。一般信者には厳しい修行を課しておきながら、麻原と幹部たちは外食したり、カラオケに行ったりしていたというのも、裏金問題を起こしても平気で開き直る与党、そして日本社会のミニチュア版ではないか。

オウム真理教のついての本を読んでいると、しきりに出てくるのが「カルマ落とし」という言葉。たとえば、ユダヤ人はイエス・キリストを殺したためカルマ落としで離散することになったらしい。なんとなく小泉政権時代の「痛みを伴う改革」を連想する。「今はつらいが、カルマ落としなので我慢しよう」と言った感じか?しかし、こうした言葉は自身に向けば内省となるが、他者に向かうと暴力になる。そうした暴力が極端な形をとったものが「ポア」ではないだろうか。前述したように、オウムには完全なヒエラルキーが存在している、ステージの高い者が低い者に対して「カルマ落とし」「ポア」を行うのは「慈悲」であるというのがオウムの常識なのである。

麻原には、手かざしである程度、病気を治す能力があったと言われるし、あれだけの人数の弟子を集めるということはカリスマ性もそれなりの力もあったのだと思う。「修行すれば君にも超能力が付く!」がオウムの勧誘の謳い文句であり、麻原の終末思想と世界観、選民思想などの誇大妄想は、「未来少年コナン」*「宇宙戦艦ヤマト」などのアニメや、神智学による魂のヒエラルキーなどオカルトによって育まれたものであった。だから法廷で、弟子たちに次々と離反された麻原の精神が完全に壊れてしまったのも納得できる。彼の荒唐無稽な世界観と陰謀論を共に支えていたのは弟子たちだったからだ。オウムに最も欠けていたのは成熟した人格だったのではないだろうか。

江川紹子さんはその著書の中で「オウムは時代のカナリアだった」と書かれているが、本当にその通りで、政治家がどんなにウソをついても不祥事を起こしても、メディアも国民もかつてのオウム信者のようにおとなしく従順な人が多くなった。

藤原新也さんの本『黄泉の犬』で、熊本県八代市で生まれ育った麻原の弱視が、水俣病認定を申請したにもかかわらず却下されていたことを初めて知った。(最近は水俣病被害者に対しても匿名の嫌がらせメールが届くというのには驚く)また、子供の時に全寮制の盲学校に自分を入れた両親を麻原が恨んでいたとか、なぜオウムがあのような反社会的な犯行を起こしてしまったのか、様々な角度の視点から憶測が流れているが、どれもがこれが決定的な原因とは言い切れない。また、決して麻原だけに問題があるわけではなく、麻原を教祖に持ち上げてしまった取り巻きの弟子たちにも問題があると思う。麻原はお気に入りの弟子たちにとっては優しい父親であり母親でもあり、その反面、教団を守るために自分に対する批判者や離反者は平気でポアできる独裁者でもあった。強いて言うとオウム事件というのは、外側からの情報に乏しい閉鎖的なヒエラルキー集団が暴走してしまった事件であり、それは条件さえ整えば、どんな集団でも組織でも、あるいは国家であっても十分に起こりうるということじゃないだろうか?人の孤立化が進めば進むほど、集団に埋没したがる欲望はより大きくなっていくだろう、そこでなおざりにされてしまうのは、個人の生なのである。個人というものが深く掘り下げされない限り、人と人との真の絆は決して生まれないのではないだろうか?

昔、恵比寿の駅前で選挙演説をしている麻原を見かけたことがある。麻原は、テレビで見るよりもずっと小柄で、象の帽子をかぶったオウムシスターズに取り囲まれ、『ショーコ―、ショーコ―、ア・サ・ハ・ラ・ショーコ―』と歌っていた。その歌がしつこいCMソングのようにしばらく耳にこびり付いてなかなか離れなかったが、今ではどんな曲だったのかは全く思い出せない。


   参考文献
『オウム真理教裁判傍聴記』江川紹子 
『終末と救済の幻想』ロバート・リフトン(オウム真理教と太平洋戦争での皇軍との比較が興味深い)
『A3』森達也
『黄泉の犬』藤原新也
『オウム事件17年目の告白』上祐史浩
『現代オカルトの根源』大田俊寛
『慟哭』佐木隆三

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住宅団地 記憶と再生 №35 [雑木林の四季]

21・補記 ライネフェルデの団地 Leinefelde Sudstadt (37327 Leinefelde-Worbis,Thuringen) 1

     国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

 わたしが訪ねた第2次大戦後建設の団地はベルリンとデッサウだけだが、ドイツの団地再生のモデルとしてわが国でもよく知られているのは、ライネフェルデの団地である。その記録と成果は、ヴオルフガング・キール『ライネフェルデの奇跡』にまとめられ、本書はライネフェルデ=ヴオルビス市の認定を得ている。訳書の宣伝コピーには、「老朽化団地の問題に悩む人々には、ライネフェルデの視察を薦める。減築や撤去ばかりが有効だったわけではない。ライネフェルデは“成長なき時代のまちづくり”のポジティブ・メッセージ」とある。表題もしめすように、奇跡の成功例なのだろう。
 これまで書いたわたしの見聞は、ドイツの団地再生事業を伝えるにはごく限られており、理解を広げるため『ライネフェルデの奇跡』から一部を紹介して補うことにする。
 ライネフェルデはテユーリンゲン州の北西部、北にハルツの山並み、西に大学町ゲッティンゲン、ドイツのど真ん中に位置する。とはいえ大戦が終わり東西に分裂して東ドイツの西の端になった。交通の要路にはあるが、中小企業が立地する人口2,500人の田舎町だった,。1961年にヨーロッパ最大の紡繚工場が建設され、64年に操業した。60年代末に 6,000人、86年には16、500人へと人口はふくれあがり、さらなる人口増が見込まれていた。,しかし1990年10月、ドイツが統一して暗転、紡績コンビナートは閉鎖、短期間に4,000人がこの地を去った。近くのカリ鉱山も閉山され アイヒスフェルト郡で4分の3の職場を失った。
 この時期のライネフェルデの特徴を2つあげると、ニュータウン(団地)の斬人口14,000人の平均年齢は25歳と若く、旧市街の2、500人と対照をなし、パネル工法の団地が市域の住宅の90%を占める点である。1990年代半ばにかけて団地は荒廃し、バンダリズムが横行、「パネル住宅はゲットー」とまでいわれた。94年の市による転出者調査によると、新しい職場へは5.3%、14・7%が高家賃、11%持ち家希望、26%、4人に1人が同地の不健全な社会環境からの脱出をのぞんでいた。10%が空き家になった。
 再出発を期してライネフェルデ市の取り組みは、他の自治体にさきがけ早かった。当初の私有化の試みは早々に失敗し、その教訓が再出発の土台となった。住宅ストックのほとんどはライネフェルデ住宅公社Wohnungusbau-und Verwaltungs GmBh Leinefelde=WVLと住宅組合Lelinefelder Wohnungsbaugenos~senschaft  c.G.=LWGの所有、ほぼ市の管理下にあった。1990年の東ドイツ初の自由選挙で選ばれたゲルト・ラインバルト市長は「われわれ自治体の責任において、どんな結果も引き受け、その状況を打開していく」と決意をのべた。92年には旧東ドイツ各州と連邦政府による大規模団地再生プログラムが施行された。市と議会、設計者との調整は迅速にすすみ、93年には総合戦略プラン(マスタープラン)の作成をダルムシュタットのヘルマン・シュトレ-プ率いる都市計画グループGRASに委託した。93年に作成されたマス々-プランは明確に、ドイツではその後も「都市の縮退」がタフ一視されていたなかで、大規模な撤去、滅築を打ちたした。
 しかし住民感情が過激な改造ブランをうけいれるか。実施にあたっては「シグナル効果」のあるプロジェクトから若手した。手始めにボニフアティウス広場を改修して周辺の雰囲気を一変させた。第2段階は、ちょうど1995年秋、2000年開催のハノーバー万博では「場外会場」が設置されるとの情報を入手、ハノーバーを流れるライネ川の源流はここ、万博へのの場外参加である。参加を決めることで、動かせないタイムリミットと国際的舞台のスポットライトという試練を自らに課し、プロジェクト実施に弾みをつけ、同時に世界の注目と評価をうけることで住民意識の転換の効果をねらった。
 ライネフェルデの都市開発は、1996年におこなった国際コンペによって新局面を開いた。48社の設計事務所が、旧東ドイツのどこにでもあるパネル工法住宅への提案を競い合った。提案はフィジカー(物理学者)街区とディフィター(詩人)街区の建物を対象とする撤去と減築による解決法だった。残る建物についても住戸平面の多様化、設備やエネルギーの改良とともに、街区の形状変更、地上階に店舗やサービス施設の設置なと、住戸ブランから都市計画まで幅広い課題にわたっていた。審査の結果、2事務所が選ばれ、デザインコンセプトが大きく異なる提案の実施に取り組むことiこなった。コンペの結果だから尊重し即刻実施に移すが、審査会では、建物を撤去、減築した後のこの街がそもそも「都市」といえるのか、住宅が散在するだけの集合住宅地になってしまうのかについてのコンセンサスさえ得られないままだった。115ペーシ上図は1994年フイジカー街区の航空写真で、撤去と減築の対象住棟を表示している。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂


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地球千鳥足Ⅱ №47 [雑木林の四季]

中欧の秘宝リヴィウの石畳みに映える美男美女
   ~ウクライナ②~

       小川地球村塾塾長  小川彩子

 ウクライナは美男美女の国、外観はもちろんのこと、内面から輝いているし怪しさとプライドで。
 ロシアとヨーロッパの挟間、ウクラィナでは、ウクライナ人としての誇りからロシア語を使わないという人々に会ったが、特にリウィウではロシア語を聞くことはなかった。キエフからリヴィウに飛んだがリウィウはなんと良い街であろう。ここでもホテル従業員その他誰もかも親切で笑顔がチャーミングな美男美女ばかり、流行りの言葉ではブッチギりだ。
 13世紀にルーシーの一公国として発展し、その後ポーランドやハプスブルグ帝国の支配を受けたリヴィウはなんとも懐かし味のある古都、中欧の秘宝とも表現したい街で旧市街まるごとが世界遺産だ。ある土曜日、新婚さんが写真家の注文に応じてユニ一-クなボーズをとっていた。教会の前、石畳の露地、城壁の前と、街中に写真家を引き連れた新婚さんが溢れていたが、毎週土曜目に見られる光景だそうだ。ポーズの最中私に「こんにちは!」と挨拶をしてくれた。この街では旅行中アジア人には出会わなかったがとても親日的だ。
1735年別業以来ここで売っているという、万病に効く鉄ワインを買った。私は9月末から10日間、ウクライナを旅したが、出発直前に皆から「右腎臓で”第三細胞”活動中!(腎う癌発見!)」という警告を受けた。ひるまず出かけたが、旅の間中気のせいか背中が痛んだ。だがこの鉄ワインを飲んだら痛みが消え、気分良く旅ができた。1瓶10グリヴナ、100円ほどだ。18世紀の街並みにどっぷり浸れる石畳の街、リウイウに出かけて是非一度お試しあれ。
 リヴィウでは、夫が下痢で1日半寝た。夫に消化の良い食料を買ってホテルに帰る時、スヴアポーディ大通りのシェフチェンコ像の真上に満月が、オペラ座も浮かび上がらせて。中欧の秘宝、リヴィウという古い街で、難病の疑いを秘めた女が、病気の夫への買い物抱えて見た月! 二度とは来ることのないだろう街で見上げた満月の、煌々と冴えわたる孤高の美しア、忘れない。         (旅の期間:2012年 彩子)

『地球千鳥足』 幻冬舎


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山猫軒ものがたり №39 [雑木林の四季]

タヌキの赤ちゃん

             南 千代
 
「いいモン持ってきたよ。これ、何だか当ててみな」
 吉山さんがやってきた。手にダンボール箱を持っている。不安な予感。私はおそるおそる、箱を開いてみた。中には、十センチほどの小さな黒い塊が。動物だ。
「何ですが、これlU クマの仔、じゃないよね」
「タヌキの仔だ」
 山で木を倒し、根返しをしたら根元が巣になっていたらしく、タヌキが飛び出したと言う。
「そいてもってよく見たらよ、仔がいたんだ」
「親は連れて逃げなかったの?」
「いや、一匹はくわえて行ったみたいだな。しばらくあたりをウロウロしてこっち見てたけど、あきらめて、どっか行っちまった」
 そのまま、そっとおいておけば親が連れに来たかもしれないのに。地元の人は、そういう動物を見つけると、そっとしておくということを、あまりしない。
 吉山さんではなかったが、野ウサギの仔を、草刈りしてて見つけたから飼え、と言って持っ来られたこともあった。それも親切に、立派なウサギ小屋まで造って一緒に持って来られると、断るのはなかなか難しい。いったんもらっておいて、二、三日したら山に放した。持ってきてくれた人には悪いけれど、逃げてしまったとウソをついた。
 野生のウサギは、ペット用に改良されたウサギとは違って、人間が見ている昼間は絶対に草を食べない。見ているからではなく、夜行性をのかもしれない。いずれにしても、野生の動物は自然の中にいるのが一番良い、と私は思う。
 それにウサギは山猫軒でも飼っていたが、死んだのをきっかけに、ウサギは飼わないことにしていた。犬や描みたいに人とコミユニケーションが図れなかった。かといって毛皮を出荷することもなく 食用でもないので、家畜ではない。
 ウサギはケージの中でエサを食べ続けるだけ、人間はエサをやり続けるだけ、の関係は、飼い続けていると辛いものがある。飼う方も、飼われる方も、そこに何らかの相互関係がないと、ただウサギを閉じ込めているだけ、という不毛な気がして罪悪感がある。
 ダンボール精の中のタヌキは、目が開いたばかりらしく、開いてはいるもののまだ見えてはいないようだ。片手のひらに、すっぽりおさまるほど小さい。
「どうだ、かわいいだろ。飼ってみな」
「そりゃかわいいけどねえ。どうやって飼うのよ」
「ヤギの乳かなんか飲ませれば、育たねえかな」
 いくら野生動物は自然の中にいた方が、と言ってもこのまま放り出せば死んでしまうのは目に見えている。飼つて、大きくなったら山に帰そう。でも、うまく、育てることができるだろうか。
 箱に入れたまま、半日ほど様子をみていたが、ふと気づいた。ウンチもオシッコもしない。腹をさすっても出ないタヌキの仔はどうやって排せつするのだろうか。えーと、赤ちゃん、赤ちゃん……。犬の華が赤ちゃんを育てている時は……。そうだ、なめてやっている。刺激を与えてみよう。
 ティッシュを湿らせ、おしリを刺激してみた。出た。ウンチもオシッコも、まだ自分ではできないんた。あーあ。大変な仔を引き受けてしまったなあ。
 次はミルク。スポイトでヤギの乳を口元に与えてみる。何度試しても飲もうとしない。
哺乳瓶がいいのだろうか。きっそく買ってきたが、人間用で乳首が大きいのかこれもダメ。棒物用の噛乳瓶があるだろうか。きっとあるに違いない。でも、この町にはぺットショップなどない。夫が車を走らせ、犬猫用の哺乳瓶を捜し求めてきてくれた。
 飲んだ、成功。やれやれ。しかし、問題はまだあった。ミルクもオシッコもマメに面倒を見なければならない。私も夫もでかけて不在の時がある。誰がクヌちゃんの世話を、どうやってするか。
 私は思いがけず話か大きくなってしまった家造りの建築資金を作るために、コピーの仕事を積極的に受けつつあり、都心に出かける頻度が高くなってきていた。
 夫は実際に家を造る仕事にかかりきりである。結局、二人とも不在のときは夫にミルクを持たせ、車にタヌキを乗せて出てもらうことにした。早く大きくなって、木の葉を一万円札に変えてくれるといいのだけれど。
 一週間はどすると、タヌちゃんはゴソゴソと這い出した。何しろ、ネズミぐらいの大きさしかない。土問で育てているが、ちょっと目をはなすと油断ができない。姿が見えないので捜していると、薪ストーブのそばで眠りこんでしまったのが、勲すぎてグッタりとなり、ひっくりかえってしまっていたこともあった。
 そのうちタヌちゃんは、同じく土間に一緒にいるガルシィアの、長い毛にもぐりこんで眠るようになった。時おり、寝返りを打ったガルシィアの大きな体の下敷きになってしまい、キィーッと叫び声を上げている。

『山猫軒ものがたり』 春秋社


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BS-TBS番組情報 №304 [雑木林の四季]

BS-TBS 2024年5月前半のおすすめ番組

       BS-TBSマーケティングPR部

関口宏のこの先どうなる!?

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5月5日(日)ひる12:00~12:54 
☆日曜のお昼は関口宏と未来について考える!世界が抱える〝今〟の問題と日本の〝未来〟を紐解いていく。

<司会> 関口宏  
<オブザーバー> 川口盛之助

#3「人類の食料危機」
いま世界では異常気象や紛争により、“史上最大の食料危機”がおきている。
日本国内では高齢化に伴い農家と漁師の数が減り、食料自給率の低下がとまらない。このままでは主食がイモの時代に逆もどり!? 
世界では人口増加に伴い肉が不足し、2030年には深刻なタンパク質不足代に…。
さらに異常気象でコーヒーの生産地が激減、2050年には1杯1000円の時代になる可能性も!
私達にとって身近な「食」の問題、その解決策は…?人類の食料危機の「この先」を考えるー
【ゲスト】齊藤三希子(PwCコンサルティング合同会社)

ラーメンを食べる。

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5月7日(火)よる11時~11時30分 
☆仕込みから閉店まで…ラーメン店に密着。最後はラーメンを愛する芸能人が珠玉の一杯を食す!

#9「Ramen FeeL(青梅)」
神奈川・湯河原の名店「らぁ麺 飯田商店」が唯一公認した独立店「Ramen FeeL」に密着。情熱を持ちストイックにラーメン作りに取り組む店主。その店主が素材にトコトンこだわって生み出す究極の一杯を俳優の森愁斗が食べる。森は、1日3回ラーメンを食べることもあるという筋金入りのラーメン好き。また、ラーメン店勤務の経験もある森が思わず唸った一杯とは?

X年後の関係者たち あのムーブメントの舞台裏

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5月13日(月)よる11時~11時54分
☆大ヒット企画の“関係者同窓会”を開催!なぜブームになったのか?ヒットとなる過程には何が?その舞台裏に迫る!
#65「駄菓子業界の3M」
遡ること65年。戦後間もない時代に、日本では駄菓子メーカーが次々と誕生。

その中で低価格で勝負し、空前の大ヒット商品を生み出したのが「チロルチョコ」の松尾製菓、「ベビーラーメン」の松田産業、「マーブルガム」の丸川製菓。この3社は社名の頭文字が“ま行”で始まることから「駄菓子業界の3M」と呼ばれ、今も昔も変わらぬ「味」と「値段」で子ども達を夢中にさせ、ヒット商品を世に送り出しています。
今回は各社の看板商品の誕生秘話から独創的過ぎて受け入れられなかった失敗作まで、数々の開発現場の苦悩を告白!さらには、駄菓子大好きな丸山桂里奈が選抜した「究極の駄菓子イレブン」を発表。

駄菓子業界を牽引してきた関係者たちが、その知られざる秘密を語り尽くします。

MC:カズレーザー(メイプル超合金)
<立会人>丸山桂里奈(元サッカー日本女子代表)
<関係者>
松尾裕二(チロルチョコ株式会社 代表取締役社長)
中村元洋(株式会社おやつカンパニー 常務執行役員 営業本部長)
田中依子(丸川製菓株式会社 代表取締役)


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海の見る夢 №76 [雑木林の四季]

    海の見る夢
        -鳥のカタログ―
                澁澤京子

  ・・光は裂け目から射し込んでくる
                  『Anthem』レナード・コーエン

左の股関節を悪くして不自由している。足が悪くなると、うちからバス停までの距離を、うちから吉祥寺駅くらいの距離に感じ、吉祥寺駅まで行くのに、新宿に行くくらい遠くに感じるようになった。歩く速度が遅くなることによって距離感覚が変わったのだ。のろのろと歩いていると青信号の時間が短いことに気が付くし、手押し車を押して歩いているお年寄りの気持ちがよくわかるようになってきた。

桜の時期に、うちの近所の桜を立ち止まってぼんやり見ていたら(足が痛かったので立ち止まっていた)、桜の花がいきなり大きくなって目の中に飛び込んでくるように見えたので驚いた。毎年、桜の花を見ているが、こんな見え方をしたのははじめて。たまたまその時の私の波長が桜にピッタリと合ったのかもしれない。健脚だと、もっといい桜を、いい場所に行こうと考えておそらく通り過ぎてしまうところを、痛くて歩けなくなったために、普段では見えなかった桜の声が見えたのだ。

自然と会話ができるというと連想するのは、小鳥に説教したという聖フランチェスコの逸話。昔は、小鳥に説教したというのは作り話だろうと思っていたが、鳥を飼い始めてから実際にそういう事はあったのだろうと思うようになってきた。去年オカメインコを探しているときに気が付いたのだが、野鳥というのはこちらが口笛を吹いたり話しかけると、必ず返事をするのである・・返事されるとその度にうちのオカメインコかと思い、何度も樹上を見上げて探すはめになったが。

シジュウカラの言語の研究をされている鈴木俊貴さんによると、シジュウカラは20余りの単語を使い分け出来るそうで、危険な生物である蛇やカラスの場合はそれぞれを指し示す単語を持ち、また同じ単語でもアクセントの違いで別の意味として聞き分けることができるのだそうだ。鳥が意味ある言語を持っているという考え方は、鳥を飼っている人にとっては「ああ、やっぱり」となるだろう。シジュウカラの言葉の聞き分けができるということは、鈴木さんはシジュウカラとある程度のコミュニケーションがとれると言う事で、実にうらやましい。今うちにいるウロコインコ(9か月)は、朝、歯を磨いていると、洗面台にとまってしきりにこちらに話しかけてくることがあるが、哀しいかな何を言っているのかよくわからない・・しかも時折、急に攻撃的になるのは、鳥というのは犬や猫と同じように人の気分を察知する能力も優れているのでイライラするのかもしれない。もちろん、鳥は人とは別の世界に住んでいる、しかし両者を結ぶ「通路」は確実に存在する。 

 ―小鳥は言葉を使わずに音楽で 天使のように囀ります
        ~『アッシジの聖フランチェスコ』オリヴィエ・メシアン

人の音楽の好みというのが一体何によって決定されるのかよくわからないが、音楽ではまず、恋愛のような一目?ぼれ現象が起こり、明けても暮れても恋の相手を想うように、同じ曲を何度も繰り返して聴いたり、同じ作曲家や演奏家の曲を続けて聴くことになる。「これだ!」という感じでまるで天啓のように脳天を直撃するのが音楽なのである。

鳥に恋して世界中の鳥の鳴き声を採譜し、鳥類学者のように鳥の生態も研究していた作曲家オリヴィエ・メシアン。メシアンはその鋭い聴覚で500種類以上の鳥の声を聴き分けることができ、シジュウカラの研究をしている鈴木さんと同じように、鳥が意味ある言語でお互いに会話していることをよくわかっていたのである。博物学者であったハドソンは逆に、鳥類観察者は一流の音楽家になれるくらいの鋭敏な聴覚で鳥の鳴き声を聴き分けると書いている。

メシアンは『鳥のカタログ』など鳥の鳴き声をベースにして何曲か作曲しているが、同時に敬虔なカトリック教徒でもあったのでオペラ『アッシジの聖フランチェスコ』を作曲した。そこで聴いてみたが、とにかく難解だし長い・・長時間に及ぶこのオペラを全曲聴くのはかなりの忍耐力を要する。しかもyou tube画面には楽譜しか出てこないし。(字幕は出てくるが)。オペラの後半になってくると、聖フランチェスコの口を借りて自分の鳥に対する熱い思いを打ち明けているんじゃないかと思うほど、鳥に対する賛美が続き、メシアンにとって、地球上で最も優れた音楽家であり、また最も洗練された美しい生物は鳥だったのだ。

ところで、オペラ『アッシジの聖フランチェスコ』を聴いて忍耐力を付けた後にメシアンの『おお聖なる饗宴よ』(O Sacrum Convivium)を聴いてみたら、思わず鳥肌がたったのであった。こんなに神秘的で荘厳な聖歌ってあるだろうか?・・私にとっては桜が親しく目に飛び込んで見えたのも、この曲を聴いて感動したのも足が悪くなったおかげで、普段だったらメシアンをここまでじっくりと集中して聴かなかっただろうし、その魅力もわからなかっただろう。メシアンの音楽は一人でいる時にしんみりと聴くのにいい。メシアンのほうがラヴェルのピアノ曲より瞑想的であり、俗世間の汚れを洗い流してくれるような浄化作用を持っているが。

 -音楽は真理に欠けている私たちを神に導きます。
                       ~メシアン

メシアンの『鳥のカタログ』を聴いていると、鳥の群れの動き・・まったく予測不可能でいながら全体では統制の取れている、活き活きした鳥の群舞を連想する。そしてそれは流れる雲の動きと同じで、二度と同じ瞬間がやってこないことも思い起こさせるし、鳥の囀りの持つ自然の調和が、私たち人間が持っている調和のイメージとも違う事にも気が付く。

毎朝、起きると紅茶を飲むためにヤカンを火にかける、そうするとうちのウロコインコは私の肩にとまってお湯が沸く前に「ピーッ」とお湯の沸いたヤカンの音を再現してみせる、紅茶にお湯を注ぐ前に「ジュウッ」と注ぐ音を再現する。鳥の音に対する記憶力と予測能力は素晴らしく、それゆえ「ゴアン」(ごはん)、「ルーちゃん」(寂しい時、ケージから出してほしい時)など様々な鳴き声で人に訴えるのである。窓の外でムクドリやヒヨドリの群れが騒いでいると、しきりに「ルーちゃん」と連呼して自分の存在を懸命にアピールしているのが愛らしいのと同時に、決して野生には戻れないことを考えると可哀そうでもあるが。

鳥を飼っている方なら、鳥がどんなにか賢く、また素早いテンポで生きていて、時折予測不能な動きをするのかをご存じだろう。ストラヴィンスキーの「火の鳥」や「ペトリューシ-カ」のテンポの速さはかなり鳥のテンポに近いが、メシアンの『鳥のカタログ』には間というか余白があって、余白があるために鳥の囀る風景全体も、聴いている人に想像できるようになっている。

メーテルリンクの『青い鳥』では、チルチルとミチルが大喜びで夜空を飛ぶ青い鳥の群れを追いかけて、捕まえたとたんに死んで黒くなってしまうというシーンがある。また、聖フランチェスコの逸話で、兄弟レオが「真の歓びは何ですか?」とフランチェスコに尋ねる。すると、すべての人を回心させても、奇跡を起こしたとしてもそこに真の歓びはない、と聖フランチェスコは答える。人が窮乏した、最もみじめな状態に置かれたときに、初めて真の歓びがわかるだろう、と言うのだ。真の幸福は自己満足の状態にあるものではなく、むしろその反対の欠乏した状況で初めて見えるということ、つまり真の幸福は、自分の意志によって獲得されるのではなく、神の恩寵のみにあるということだろう。

愛というのは、完全なものが不完全な人間に与えるようなものではなく、むしろ両者が対等であるときにはじめて成立するのかもしれない。メシアンがその教室で多くの優れた弟子(クセナキス、ピエール・ブーレーズ、シュトックハウゼンなど多数)を育てることができたのも、彼があくまで生徒と対等な立場をとれる「愛の人」だったからであり、メシアンは自分の追随者を嫌った。(鳥の社会には上下関係がないように)

メシアンは鳥の研究を通して、神(自然)の秩序に限りなく接近しようとした。(敬虔なカトリック教徒であったメシアンにとって「偶然」は存在しない)幼い時、教会のステンドグラスの色彩に音を感じるという共感覚の持主だったメシアン。メシアンはやはり、天上の音楽(調和)を信じたピタゴラスの末裔の一人だったのだと思う。


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住宅団地 記憶と再生 №34 [雑木林の四季]

20.デツサウのツオーバーベルク団地Siedlung Zoberberg (06847 Dessau-Roβlau〕 1

       国立市富士見台団地自治会長 多和田栄治

 2019年はバウハウス設立100周年にあたり、デッサウに「バウハウス美術館デッサウ」が9月9日に開館した。9月初めにベルリンに行くので、デッサウまで足をのばし、新美術館を見学し、近郊のツオーバーベルク田地を訪ねる予定をしていた。開館日の混雑をさけて翌10日に出かけた。ベルリンからマルティン・ルターの町ヴイツテンベルクで乗りかえデッサウまでは約1時間である。
 デッサウは旧東ドイツ、いまはデッサウ・ロシュラウ市、人口8万人をこえザクセン・アンハルト州第3の郡市である。エルベ川とムルデ川の合流点に近く、ベルリンとライブツイヒの中間地点にあたる。デッサウは中世から開け、18世紀の啓蒙君主の治世、「ヴェルリッツ庭園王国」Gartenreich Dessau Worlitzの造営など由緒ある歴史をもっている。20世紀にはいってはユンカース、航空機とエンジン、ガス工業の軋工業が栄えて町は発展し、
1925年にバウハウス造形学校がヴァイてルから移ってくる.。しかしバウハウスは、1931年にナチス党員がデッサウ市長につくと32年に閉鎖された。ナチス政権の戦略的要衝であったデッサウは、第2次大戦で空爆の標的となり、破壊しつくされた。
 戦後、工業の復興は多くの労勧者を必要とし、人口増に対応して住宅建設は最優先の課題となった。1980年代から低コストのプレハプ工法によって、伝統的な建築様式などはかえりみず高層の団地建設がすすめられた。
l80年代末まで工業も人口も上向き値向にあったが、ドイツ統一後は反転、工業は衰退、町の主要企業は倒産、転出がつづき、大量の雇用を失った。雇用の喪失は人口減少をうながし、空き家を生みだしたばかりか、地域コミュニティを崩壊させる,。都市の「縮小」と「再生」という困難な課題に向きあわざるをえずザクセン・アンハルト州は、10ページに書いた1BAエムシャーパークと同様に、2002年にlBAザクセン・アンハルト事業をはじめることを決め、州開発公社とバウハウス・デッサウ協会が協衝した。都市縮小・改造計画の検討と提案がつづけられた。デッサウ・ロシュラウ市の具体的な縮小政策は「東の都市改造」プロジェクトを中心こ展開された。その象徴ともいえるヅオーバーベルク団地の一部撤去は2013年に指定された。
 片やバウハウス美術館デッサウの新設は、市にとっては画期的な「都市再生」のモニュメントといえよう。
 そんな経緯は、デッサウ駅に降り立って感じたわたしの第一印象にはすくには結びついてこない。壮大なアンハルト劇場を右に見てアントアネット通りをすすみ、木立ちにかこまれた市立公園に接して建つ完成したばかりの新美術館に着くまでの短い間、整然とした美しい街並みに目をみはるばかりである。,わたしにとっては文献上の記憶でしかないが、しかしここ15年間の郡市改造の進展に思いをいたすとき、感銘はずっと重いものとなる。
 新美術館は外面すべてガラスのカーテンにおおわれて何の装飾の類もなく、まわりの公園、市街の全景を映し出しているだけである。心おどらせ入ったが、チケットは人手できなかった。入館は1時間に150人のみ、本臼分は売り切れとのことであった。残念、、またいつの日かを期して、つぎの予定、近郊のツオーバーへルク団地にむかった。トラムでユンカース・パーク行き、デッサウ駅から約15分である。l断っておくが、わたしがツオーバーベルク団地に関心をもったのは、もっぱら服部圭郎「ツオーベーベルク団地(デッサウ)の撤去事業の関する研究」(『明治学院大学産業経済研究所年報』第33号/2016年)に〉負っている。以下に書くのも、筆者の許しを得ないで借用し紹介しながら、わたしの見聞をくわえたものである。
 市は2013年に「東の都市改造」プロジェクトの対象地区を数か所指定し、地区ごとの戦略(マスタープラン)を策定した。そのコンセプトは、、A維持優先、B維持、C更新優先、D更新、E経過観察、F安定地区に分類される。A:安定的にこ維持することが重要、さらに改修、近代化すべき地区、H:安定化を図るべき地区、C:撤去を優先させ、跡地はランドスケープ・ゾーンを形成する地区、D:修繕、再開発などをしたが問題は解決されず、将来的に撤去の検討もする地区、E・F:制作的干渉も対策もしない地区である。ツオーバーべ凡クはC地区に指定された。
 このプロジェクトは、さきに書いたとおり、2012年から16年までの時限的な施策でその後とうなっているか調べていないが、空き家率の高い戦後建設団地の撤去にあたっては費用の半分を連邦政府が、軍律半分を州政府が負担する施策メニューである。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂


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地球千鳥足Ⅱ №46 [雑木林の四季]

変動と新生のイエロ1・ストーン公園

      小川地球村塾村長  小川律昭

 日本人が富士山に心の郷愁を感ずるように、ロッキー山脈を中心に広がる天然モニュメントの数々は、アメリカ人のみならず世界各地から人を引きつける。その代表イエロー・ストーンは、海抜二〇〇〇メートルの山岳高原で天然魔可不思議の百貨店である。渓谷、特色ある滝、二十を越す三〇〇〇メートル級の山々、何千個の温泉、冬には一メートルの氷の張る湖など、知りうる限りの自然の形態がそこにはある。アメリカで最初に国立公園に指定されたこの公園の名の由来だが、露出した地層に苔が生え、それが黄色く見えたことからつけられた。熊、大鹿、狼等、多くの動物が生息し、車の目の前で見ることが出来る。

 十年前、西から入国してすぐショックを受けたのが山火事の跡の真っ黒焦げの樹林だった。一〇キロ走ってもまだ続いた。愕然となった心は、道のど真ん中に座るバイソンによって慰められ、そのうち風景が豊かな緑に変わった。十年後の二〇〇一年、再び訪れた時には焼け跡は縁の若木に変わっており、バイソンの群れは健在だった。朝霧に包まれた木々の問を陽光が貫き、谷川にシルエットを描く様は幻想的だった。

 一定間隔で空中高く吹き上げる間歓泉はツーリストの呼びもの。次の噴出の瞬間をこの目で見ようと待っている人たち、池や湖の底から湧き上がる温泉群が点在し、流出するお潟の流れ込む熱い川から意気が昇る。野原一帯でもあちこちに蛸壺のように大小の穴ぼこ温泉が群をなし、その湯気が閻辺を霞のように巻いている。洞窟の奥で竜の咆哮のごとく音が反響する温泉もある。湖のほとりで銀色になった枯れ木がたたずんでいる様は、抽象画の世界で、立ち去りがたい。温泉のミネラル分を吸い上げ百年朽ちず耐えているという。
 他の呼びものは重畳する石灰石のパレットだった。受け皿から受け皿へ湯が溢れ、流れ落ちていたが、ここも十年後の二〇〇一年には変わっており、お湯は滴れ果て、パレットは一部こわれて過去の栄光いずこに、であった。その上方では突出した岩のど真ん中から湧き出した温泉が、塵れたローソクのように石灰層を作っていて、ここが新コースになっていた。新たに湧いた温泉群や空中に惜しみなく真珠が吹き上げられるような豪華な間駄泉も出現し、以前にはなかった遊歩道も作られていた。

 この公園が与えてくれる感動は大自然の変動と新生。何百年もの間、火事と蘇生を繰り返し、動植物の生息体系を変えて行く。山火事による枯れ木群の根元には実生の幼木が息づき、育っている。今豊かな森林も数十年後にはどうなるか。温泉これしかり。
 大小のすり鉢状の穴が至る所に見られ、盛んにブクブク湧いているもの、湯が滴れ、悲しげに語りかける穴もある。森羅万象が活動と枯渇を繰り返しながら新しいものに形態を変え、再び出現するのだ。人間社会も同様でありたい。先達の遺産は必ずや形を変え、発展的に再生されて行くべきことを、この大自然公園で学んだ。変動と新生のイエロー・ストーンに来て生の息吹きに触れ、十年後も生きてここを訪れようと心に誓った。
                         (二〇〇一年十二月)

『万年青年のための予防医学』 文芸社 


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