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山猫軒ものがたり №36 [雑木林の四季]

焔 2

           南 千代

 ギャラリィを始め、たくさんの人が集まるようになると、山猫軒の台所もこれまでのようにかまどにつきっきり、というわけにはいかない場合も出てきた。かまどに加えてプロパンガスを入れることにした。
 ガスレンジを入れ、スイッチをひねる。ポオ!と青い炎がつく。すこい、つまみをひねるだけで、一秒だけで火かつくなんて!いいのかしら。私は、ほんとに感激してしまった。 炎は、匂いも煙もなく、赤くもなく、ちょっとすました顔をして整然と燃えている。火の大木さの調整も、つまみの回し加減ひとつで、ずっと思いのままに保ってくれる。かまどの火が、田舎の元気な強い子だとすれば、ガスの火は都会の洗練された賢い子。
 両方の暮らしを併せ持つことで、洗練された強さで元気に賢く、暮らしていければよいのだけれど。
  丈二さん、伊野さん、清太郎さん、自由の森学園の子どもたち、佐藤さん、笠原さん、などなど。二度目の田植えは、新しくできた大勢の友人たちも加わり、にぎやかにあッという間にすんでしまった。田植え仕事というより田植え遊び。みんな元気な、泥ん子たちになった一日。
 「ああ気分がスッキ目したわ。ずっと家に閉じこもって制作してたから、少し体の調子が良くなかったのよ。自然の中で体を動かすって、いいなあ」
 笠原れい子さんが言っている。彼女は、同じこの町に住んでいる彫刻家である。
 夏の合同展の後、秋は、彼女の作品展であった。仮面を作る彼女が、作品展の最中に言った。
 「私ね、こうして作品を展示するだけでなく、実際に仮面をつけて扮装して、一度でいいから外を、町を、歩いてみたいのよ」
 作家の意図が何なのか、私は彼女ではないのでわからないが、私は私で、その提案をおもしろいと思った。仮面をつけることで、ふだんは自分の顔に囚われている自分の、ほんとうの顔を見いだすことだってあるかもしれない。それに何だか、楽しそう。
 さっそく、やることにした。しかし、まだセブンイレブンさえないこの町で、ある日、ある時、突然に、町の中を異様な仮面の集団が練り歩いたら、人騒がせになるかもしれない。
 囲炉裏端でみんなで腕組みをしていたら、利治さんが回覧板を届けにきた。十一月三日、越生町の文化祭とある。これだ。この日に乗じてやれば、「文化祭の催し」になる。誰も不審には思わないだろう。コースは、越生梅林前から、町役場まで。
 私は古い時代がかった着物や仮面を用意し、その日を待った。夫は、宇宙人のような銀色のコスチューム。歩行訓練ができているガルシィアも参加させることにして、紫色の風呂敷に銀の水玉を貼りつけて、素敵なマントを作ってやった。
 当日。祭日なので、ギャラリィにはお客さまもいっぱい。そろそろ扮装の支度をと、集まった仲間たちと着替える時になって、夫と私はハタと気づいた。ギャラりィは誰が預かってくれるのか。やむなく、私は残ることになってしまった。
 れい子さんをはじめ、都内から来てくれたまゆりさん、飯能から参加したダンサー、町の北村きんに長谷部さん、音楽隊の井野さんにサックスの林栄一さん、など。総勢十五人。それぞれに、大根娘やスケアクロウなどと称しながら山猫軒を出発。みんな、私の分まで楽しんでね。ガルシィアも軽トラりクに乗り込み、マントをなびかせながら町に去った。 夜は、山猫軒でパーティーの予定だ。俳優座養成所の小笠原さん、美術評論家のヨシダヨシエさんなど、夜の参加組を迎えながら、私は一行が戻るのを待った。
 しかし、遅い。何かあったのだろうか。ようやく、みんな帰ってきた。楽しそうに疲れている気配だ。ホッとしたところに、夫がそばにきて小声で言った。
  「ガリシィアが、いなくなったんだ」
 役場の広場で行われていた吹奏楽の、シンバルの音に驚いて走り出し、姿が見えなくなったと言う。私が悪かった。可愛そうなガルシィア。参加させるんじゃなかった。
 「途中で僕は抜けて、ずいふん捜し回ったんだけどね。参加してくれたみんなの世話を放り出して、犬を捜し続けるわけにもいかないがらね。みんなも待たせていると思ったし」
 夫はそう言い、交替して捜しに行くと言った私に、
「大丈夫だよ、また明日の朝早く、捜しに行くから。きっと役場の裏の山に逃げたんじゃないかと思うんた。それより、早く。乾杯をみんな侍ってるよ」
 と続けた。乾杯。即興で歌う人、踊る人。パーティー1は盛り上がっているが、私は笑って話を聞きつつもガルンィアのことを思うと、後悔と心配でたまらない。動物まで巻き込むんじゃなかったなあ。電話が鳴った。
 「役場の者ですが。お宅で、今日パレードに出てた犬が、広場に坐ってじっと待ってるようなんですがね。引取りに来てくれますか」
 あわてて迎えに行った。人影ひとつなくなった役場前の広場。街灯が、マント姿のガルシィアの長い影を作っていた。
 「シンバルがバァーンって鳴ったの? びっくりしたね、ほんとにごめんね」
 帰ってきたガルシィアが土間に、安心して寝そべっている。薪ストーブの炎が、燭台の蝋燭の炎が、トロトロとみんなの横顔を包み、チクタクチクタクと振子を揺らす柱時計の音が、笑い声が次第に遠く伸びていく。
 窓の外には、しんとして白い月。群青色の空を、群れ飛ふ烏のように木の葉が渡っていく。外は、風が強いのだろ。しかし、ここは暖かい。友達、夫、ガルシィア、みんな、みんな温かい。

『山猫軒物語』 春秋社


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