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夕焼け小焼け №33 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

新聞『葦笛』

            鈴木茂夫
 
 昭和22年(1947) 4月 12日土曜日。
 午前中だけの授業が終わった5年1組。みんな昼飯をおえると帰っていった。がらんとした教室に、いつも語り合う4人がなんとなく教室に居残った。
  服部、増井、小原、そして私だ。いつも議論する。
 新聞やラジオで問題としている「天皇制」を取り上げたこともある。
 天皇の権限を縮小して,将来は大統領制にするのがいいと、服部、鈴木で主張した。  日本は天皇を憧れの中心として、心の繋がりを持っている国家なのだと小原、増井が反論した。
 「天皇の姿を思い出したよ」 
 小原が呟いた。

 昭和21年(1946年)2月から天皇の発案により、近県を手はじめに各地を巡幸されている。背広姿でソフト帽をかむつた天皇は笑顔で手を振っていた。戦災に痛めつけられた国民感情は、天皇の飾らない親愛の思いに接した。人びとは辛い思い出を抱きながら、天皇と一体感で結ばれていた。天皇はまぎれもない国民の天皇だった。
 10月22日、天皇は名古屋を訪問。私たちも歓迎の列に加わった。天皇を目の当たりにして感動した。日本人として心のつながりを感じたのだ。

「天皇は大切にするべきだ」
 増井が言い切ると、議論は止まった。
  夢中になって議論するのだが、服部が新聞や総合雑誌からの受け売りしているに過ぎないと指摘し、バカバカしくなって止めた。

 増井士郎が口を開いた。
 「1年先輩の山下さんが,われわれの学校新聞『惟信週報』と名付け、手書きの原稿を謄写版(鉄筆でロウ紙原紙に字を書く。その原紙を木枠の刷り台に取り付け、インクをつけたローラーを原紙に転がし印刷する)で制作していただろ。山下さんは今年卒業したから、『惟信週報』はなくなる。これの代わりを出すのはどうだろう」
 「謄写版印刷は手間がかかりすぎる。やるなら活版印刷が良いぞ」
 「活版には賛成だ」
 服部英二がうなずいた。題名はどうすると、つぎつぎに意見が出た。
 『惟信中学新聞』こ『新聞惟信』『惟信週報』『惟信タイムス』『新聞ひいらぎ』
 増井が黒板に書き出した。
 「それぞれもっともな題名だが、なんとなくぴたっとせんな」
 小原重二が頭をふりながら呟いた。
 「学校のそばを流れる庄内川には葦が茂ってる。『葦笛』はどうだろう」」
 これは私・鈴木茂夫の意見だ。
 「葦笛は女学校の新聞みたいな感じがするが、在来の枠にはまらない新鮮さがある」
 「まあええわ。それでやろまいか」
 服部の一声で題名は決まった。
 発行は月に1回。タブロイド判。200部刷ろう。先生の協力も求める。定価は5円。4年生の岡本の家は印刷所だから、お願いしよう。創刊号の売り上げで、印刷代は払う。
 「ところで誰が編集長をやるんだ」
  「鈴木、君がやれ」
 私はうなずいた。
 「会計は小原頼むぞ」
 残る2人は、さしずめ論説委員と記者だ。服部が、
 「俺は詩というか随筆というか,そんなのを書きたい」
 「僕は英語の詩を訳して載せたい」
 増井の頭には、すでに対象としているのがあるようだ。

 創刊号の1面を飾るのには何がいいと考えていたら、愛知一中とのバスケットボールの試合があった。勝てば金沢で開かれる第2回国民体育大会の愛知県代表として参加できるのだ。われわれ「葦笛」編集部は全員応援に参加した。
 試合は惟信中学体育館で行われた。愛知一中から選手のほかに数十人の生徒が応援にと同行していた。
 試合に先立ち、体育の桜井義高先生は、
 「愛知一中にはバスケットボールの伝統がある。これまで試合してわれわれは勝ったことがない。きょうも必ず勝つつもりで来ているはずだ。君たちには何があるかな。これまで練習してきた成果に自信を持て。勝つと思うことだ。私は君たちを信じる」
 体育館は応援の生徒で身動きできない。
 試合開始。双方5人の選手がコートに入った。
 第1クォーター。一中の選手はみんな背高だ。軽やかにパスを回す。ロングシュートで6ポイント獲得。惟信は動きが鈍い。
 第2クォーター。桜井先生に指示されて動きが活発になる。ボールを保持し、ランニングシュート、ロングシュートを決め6点。
 第3クォーター。一中も猛反撃。相次いでシュート。8点獲得。惟信押され気味。う
 第4クォーター。惟信も立ち直って攻勢。動きが敏捷になりシュートが決まる。12点。
一中も選手を替えて攻勢に立つ。4点獲得。惟信の動きは一中を上回る。シュートで8点。

 思いもかけず惟信が勝利した。選手に涙が光る。

 試合から3日、選手は名古屋駅に集まった。金沢をめざすのだ。
 見送りに来た永田正一が、
 「惟信中学校歌を歌うぞ」

  ここは尾張の 広野のもなか 富と文化の 新たに栄え
  国の柱と 立つ中京の中にも若き 町のまなびや

  新興の気を 身に負いしめて 堅実勤勉 二つの旗を
  旗色著るく かゝげて進み われらの校風 高くも揚げよ

 選手は整列して頭を下げていた。
 スクラムを組んで歌う。私ははじめて聞く校歌だ。 惟信中学も悪くないなと思った。

 「葦笛」の1面トップは惟信の勝利だ。
惟信中学が勝った
宿敵愛知一中を撃破 
 「撃破は戦争中の用語だけど、これでいいか」
 服部がうなずいて了解したようだ。
 小原が学校教育制度が新しくなり、63制になる解説記事を担当した。
 現在、われわれの在籍している5年制の県立中学は今年度で終わり、来年度つまり昭和23年には新制の高等学校になる。現在の5年生は進級して高校の3年生になる。現在の4年生は2年生、3年生は1年生になる。2年生と1年生は、惟信高等学校の併設中学の生徒になる。

 私はふと思いついた。
 「今はなんでも民主主義と言わないと通りが悪い。俺たちも民主主義を載せよう」
 服部がいぶかしげな顔だ。
 「民主主義を話すのにどの先生がいいんだ」
 「うちの学校の先生だと、なかなか決まらない。俺の思いは、民主主義さんに話してもらうんだよ」
 「わからんな。民主主義さんてなんだ。どういう意味だ。簡単に言えよ」
 「俺たちは占領されてるよな。占領しているのはアメリカさんだ。名古屋の軍政部がある。アメリカの兵隊に話してもらうんだよ」
 「それはいいけど、ボクらは知らんぞ」
 「訪ねりゃいいんだよ。そろっていこまいか」
 そこで私たちは、軍政部を訪ねようと出かけた。県庁と市役所の向かい側にこじんまりした建物があった。増井がここは海軍が使っていたところだという。
 Nagoya Military Governent Civil Infotmation and Education と標識があった。
入り口に一人の日本人が受付に立っていた。
 「僕らは民主主義の話を聞きに来たんです」
 「何っ、民主主義だと。分かったちょっと待ってて」
 男は二階に駆け上がっていった。しばらくすると、男は一人のアメリカ兵を連れてきた。
 背格好はそんなに高くない。明るい笑顔で、
 「やあみんな、僕はBruce  E Robinsonだ。corporalだ」
 はじめて聞くアメリカ人の英語だ。通訳の人がいるものと思っていたのだ。
 僕たちは顔を見合わせた。目顔で増井にしゃべるようにうながした。増井は頬を紅潮させているが、首を振った。三人に押し出されるように私が前に出た。
 「僕たちは惟信中学の生徒、5年生です。今、学校の新聞をだそうとしている。その第1号に民主主義とは何かを載せたい。あなたにそれをお願いしたい」
 私は知っている単語を並べた。文法のことなぞ、かまっていられない。話さなければ。
 Bruce は右手の拳に親指を立ててうなずいた。
 「わかった。2階においで」
 2階は事務室だ。20人近い人たちが事務を執っていた。
 Bruceは僕たちを座らせると、リンカーンの話をはじめた。
 「ゆっくり話して」
 僕たちはあわてて、ノートに書き込む。
 Bruceは僕たちの顔をみつめ、話が理解されているのを確かめるように話した。その気配に数人の兵士がわれわれを取り巻いていた。その中の一人が、われわれにガラス瓶を差し出した。飲んでごらんという顔だ。それは甘苦い。病院でくれる水薬に似ている。気持ちが悪くなりそうだったが飲み干した。顔をしかめる。
 「それはコカコーラだよ。慣れると美味しいよ」
 Bruceが笑った。コカコーラにもアメリカの民主主義にも、初めての出会いだった。


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