SSブログ
前の20件 | -

国営昭和記念公園の四季 №80 [国営昭和記念公園の四季]

ネモフィラ  みんなの原っぱ

ネモフィラ のコピー.jpg

nice!(1)  コメント(5) 

『知の木々舎』第288号・目次(2021年4月下期編成分) [もくじ]

現在の最新版の記事を収録しています。ご覧になりたい記事の見出しの下のURLをクリックするとジャンプできます。検索の詳細については手引きをご覧ください。

【文芸美術の森】

ケルトの系譜 №1                   妖精美術館館長  井村君江
 中世の古文献にひそむ妖精 1
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-14-7

じゃがいもころんだⅡ №39             エッセイスト  中村一枝
 毎日が春の雨
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-03-14-5

渾斎随筆 №79                         歌人  会津八一
 相馬黒光といふ人 
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-14-5

石井鶴三の世界 №185                 画家・彫刻家  石井鶴三
 石山寺2点 1963年 
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-14-6

過激な隠遁~高島野十郎評伝 №49      早稲田大学名誉教授  川崎 浹
  第七章 「小説なれゆくはて」 13
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-14-3

西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」№56 美術史研究家 斎藤陽一
 歌川広重≪東海道五十三次≫ 「沼津黄昏図」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-14-2

往きは良い良い、帰りは……物語 №93  俳句・こふみ会同人  多比羅 孝
   コロナ禍による在宅句会 その8
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-03-30-3

【ことだま五七五】

日めくり汀女俳句 №80                 中村汀女・中村一枝
 八月二十二日~八月二十四日
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-14-1

草木塔  №86                         俳人  種田山頭火
 旅心 2
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-14

読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №109               川柳家  水野タケシ
 3月31日、4月7日放送分
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-13-8

【核無き世界を目指して】

はるかなる呼び声 №12                                  作家  中山士朗
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-03-12-7

【心の小径】                                                 

論語 №118                                                        法学者  穂積重遠
 三六八 公伯寮(こうはくりょう)、子路を季孫に愬(うった)う。・・・
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-12-1

批判的に読み解く「歎異抄」№26      立川市・光西寺住職   渡辺順誠
 「歎異抄」の著者(唯円)の立場  歎異抄の批判的読解
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-12

【文化としての環境日本学】

日本の原風景を読む  №23                          早稲田大学名誉教授 原 剛
 山 月の山に祈る 月山        
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-12-7

【雑木林の四季】

浜田山通信 №285                                     ジャーナリスト  野村勝美
 「生理の貧困」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-13-5

私の中の一期一会 №235              アナウンサー&キャスター    藤田和弘
 松山英樹が〝マスターズを制覇”、日本人でも海外メジャーで勝てることを実践した
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-13-6

BS-TBS番組情報 №232                                   BS-TBS広報宣伝部
 2021年4月のおすすめ番組(下)
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-13-4

バルタンの呟き №95                   映画監督  飯島敏宏
 「まん防」とは?
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-13-3

医史跡を巡る旅 №86               保健衛生監視員  小川 優
 江戸のコレラ~安政五年 浜松そして富士宮
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-13-2

海の見る夢 №5                                     渋澤京子
 大切なことはジャズが教えてくれたs                    
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-13-1

梟翁夜話 №85                                     翻訳家  島村泰治
『「桜の民」余談』
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-13

検証 公団居住60年 №77       国立市富士見台団地自治会長 多和田栄治
 小泉「構造改革」と公団住宅民営化の道 
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-12-8

地球千鳥足 №141         グローバル教育者・小川地球村塾塾長  小川彩子
 「生涯精進!(母84歳)」、「直進!(父88歳)」の遺訓、守れているかな?
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-13

【ふるさと立川・多摩・武蔵】                                                   

道つづく №8                            鈴木闊郎
 回顧
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-12-5

線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №172              岩本啓介
 しなの鉄道    
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-12-4

押し花絵の世界 №132                                      押し花作家  山﨑房枝
 「April wedding」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-12-3

ミツバチからのメッセージ №44   造園業・ミツバチ保護活動家   御園 孝
 イタリア 4
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-12-2

国営昭和記念公園の四季 №80
  ネモフィラ  みんなの原っぱ
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-15-1

【代表・玲子の雑記帳】               『知の木々舎 』代表  横幕玲子
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-13-7







nice!(0)  コメント(0) 

妖精の系譜 №1 [文芸美術の森]

中世の古文献にひそむ妖精

      妖精美術館館長  井村君江

中世に記録された妖精像
 妖精物語や妖精信仰に関して、正面から取り扱おうという意図は持たずとも、年代記や旅行記、病理学などを書いているうちに自ずと妖精に触れている貴重な記録が、古い文献のなかに見出せる。それらはもちろん当時の民間の伝承と関わりを持っているのであるが、書き記している人々が僧侶や軍人、医師などの知識人であることは、十二、三世紀頃には妖精についての話がかなり広い階級層に行きわたっていたことを示すものであろう。もちろん記述者が妖精の存在をすべて信じているわけではなく、ある者は不思議な話を聞いたという間接的な記述の仕方で自分の責任は逃れながらも興味を示しており、また学者は、妖精の話は迷信であるとして斥けたり、批判的ではあるが、例として掲げていくのである。
 しかしこれらの妖精の記述が、今となっては貴重な中世時代の妖精像の記録になっているわけである。
   こうした古い文献のうちでもっとも重要であり、興味深いと思われるものを、古いものでは十二世紀のジラルダス・キャンプレンシスが記録している挿話から、新しいものでは十七世紀のロバート・カークの華作まで八つ選び、そこに記述されている妖精像を見てみよう。なお、中世年代記のうち、アーサー王を中心に魔法使いマーリンや湖の貴婦人、モルガン・ル・フエなどを記しているウォルター・マップの友人であったモンマスのジェフリーの『ブリテン列王伝』は、「アーサー王伝説のフエ」の項で触れることになろう。
 またバラッドやロマンスに現われてくる妖精たちも、独立させて扱いたいので、ここでは主な古文献を辿りながら、中世からエリザベス朝時代、十七世紀、ピューリタンの時代までの妖精像の変遷の特色を見ていくことにする。

扉イラスト.jpg

主な古文献
(1)ジラルダス・キャンプレンシスGiraldus Cambrensis(de Barri)(一一四六~一二二〇?)『ウェールズ旅行記』(Ltirerarium Cambriae 一一八〇)
(2)ニューバラのウィリアムWilliamof Newburgh(Newbridge)(一一三六~九八?)、コギシァルのラルフRalph of Coggeshall(十二、三世紀頃)『中世年代記』(The Medieval Chronicles)
(3)ティルベリーのジャーヴァスGervase of Tilbury (一一五五~一二三五?)『皇帝に捧げる閖話集』(Otia Imperialia 一二一一)
(4)ウォルター・マップWalter Map(-一二七~一二〇九)『宮廷人愚行録』(De Nugis Curialium  一一八二~九二?)
(5)レジナルド・スコットReginald Scot(一五三五?~九九)『魔術の正体』(The Discoverie of Witchcraft  一五八四)
(6)ジェイムズ一世King James I(一五六六~一六二五)「悪魔学」(Daemonjogie 一五九七)
(7)ロバート・バートンRobert Barton(一五七七~一六四〇)『憂鬱病の解剖』(The Anatomy  of Melancholy  一六二一)
(8)ロバート・カークRobert Kirk(一六四四-九二?)『エルフ、フォーン、妖精の知られざる国』(The Story of Commonwelth of Elves, Fauns and Fairies  一六九一)

『妖精の系譜』新書館


nice!(1)  コメント(0) 

石井鶴三の世界 №185 [文芸美術の森]

石山寺2点 1963年

   画家・彫刻家  石井鶴三

1963石山寺2.jpg
石山寺 1963年 (200×144)
1693石山寺.jpg
石山寺 1963年 (200×144)

**************  
【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】
明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。

『石井鶴三素描集』形文社

nice!(1)  コメント(0) 

渾斎随筆 №79 [ことだま五七五]

相馬黒光といふ人

          歌人  会津八一

 中村屋の老夫婦といふものは、二人とも揃って、今の世の中には珍しいやうな、すぐれた人だった。旦那さんの愛蔵君の方は、知的に物を考へぬいて、科學的な見きはめをつけて、理ぜめにものをして行く人だった。しかるに黒光の方は、感情的で、いつも何かの観念を持ってゐた人。それがよく調和して今日の中村屋を築き上げてゐた。
 その愛蔵君は昨年物故し今また黒光が亡くなったが、黒光の一生は、その無鉄砲を許した偉大なる亭主のお陰で、幸福だつたと思ふ。よく世間でロシアの革命家エロシュンコを助けてやるために、自分の家を守ってゐたといふけれども、それはもちろん、愛蔵君の強い意思で時の警視廰と闘ったのだが、内部的には黒光が原動力であったのだ。その次には、印度の獨立運動を助けるため、運動の志士故ビバリ・ボースの日本亡命中あらゆる援助を惜しまなかったし、金だけでなく、自分の娘までボースに与えて興えて励ましてゐる。印度の獨立といふことは、支配者である英國にむかつて謀反させることなんだから、時の政府の顔色も良くない。それを實に烈しい感情と深い信念で押しとほしたのだ。
 もともと中村屋の若主人を中学で教へてゐた時、うんと叱って落第させたことがある。すると愛蔵君と黒光が夫婦して訪ねて来て禮をいった。いさざよく落第させて、それを非常な徳としてゐるのであった。現在、若主人は立派な人で私を親のやうに尊敬してくれるが、その両親のやうな態度は、ワイロ入学の横行する現在諸人の大いに範としてよいことだらう。それ以来、戦災で焼け出されて新潟へ引移った現在も、親交を続けてゐる。最後に會ったのは昨年十二月上京した時だが、老い果てたそのころでも、黒光は私にあふと、一時間でも二時間でも議論をし、いろいろなことを問うては議論して喜んでゐた。とにかく義侠的な人だし権威に負けず、思つたとほりにやりとげる人だつた。文章もうまかつた。
 昨年中國の李徳全がきた時、一個人が面會するプログラムはなかつたが、やかましく面會を申入れてそれを實現してゐる。黒光は李徳全のことを責任感を持つた大きい人物だと賞めてゐたが、これは新潟の人にはちよつとできない藝當だらう。その際、日本の贈物として私の書「泥土放光」の四字が入った皿を贈ったが「どうでせう?」といふから「それはよかつた」と答へたら喜んでゐた。いつか来た印度のパンディット女史にも同様面會してゐる。
 若いころの黒光はコチコチのクリスチャンだった。人間性といふか、人類愛のもととなつてゐるクリスチャニティーに徹してゐたが、晩年は佛数(浄土宗)に帰依して、佛数學者としての私によく質問を出した。毎日お経をあげてゐたし、戒名を私につけてくれと頼んだりした。年をとつてからは、人類愛とはちよつと違った「この國」といふ気特に依存してゐたが、その信念と力強さはちっとも變らなかつた。市川房枝や紳近市子などがよく訪ねてゐたが、時代が達へば代議士にもなった人だらう。晩年老夫婦が住んでゐた調布の自宅の門には、私の書いた「黒光庵」の文字がかかつてゐる。(『新潟日報』昭和三十年三月五日)

『会津八一全集』 中央公論社


nice!(1)  コメント(0) 

過激な隠遁~高島野十郎評伝 №49 [文芸美術の森]

第七章 「小説なれゆくはて」 13
 
      早稲田大学名誉教授  川崎 浹


「命のキケンさえ感じる」 2


 九月六日
 今日は廻りには労務者達来ない。

 九月七日
 老人年金受けに市役所に出かける。

 九月八日
 廻りは静かになった。一体埋めたり掘ったりくり返し何をやっているのか分からない。以前コブタの番頭が言っていたが、こんな水の湧く地で全くもてあましていると言っていたからだろう。ここは排水がむずかしい土地だ。

 九月十日
 『小説なりゆくなれのはて』の原稿が裁判所で必要かも知れないので川崎君の処に取りに行く事。池袋に出て電話したら大学の方に居るとの事。原稿も持って行っているとのことで早稲田大学に行って見る。広くて又何か騒ぎてやっていて居処が分からなくあっちこっちに行ってやっとさがし出して会って話している内に毎日工事場の中でツルシアゲをくっているようなもの、いささか頭に来ていたのか、どうやら学園らしいフンイキで落ち着いてゆっくりしすぎた。彼の授業の時間を少し後らせて悪かった。バスで新宿に出て田場川に確証、明日増尾に来る処らしいが明日私の方から行くと約束、明るい内に帰らねばと帰って来る。

 九月十一日
 朝、伊藤氏来る。昨日大崎夫人心配して来てみたが不在だから仕方なく帰ると言ってマリ夫人からの見舞物と一緒に預かった物を届けてくれた。裏の土山を越えて来ている。暫く話していて少しおそくなったが、昼頃出て田場川に行く、弁護士の話、裁判所に行って調べた処、コブタが高島の委任状を作って東急に家と敷地の住居権とを高価な金額で売り渡し、高島の代金受取書も東急に渡している由、道理で東急わがもの顔に工作侵略を始めたのだ。ひどい事をやったものだ。書類も高島の字らしく書き三文判を捺しているらしい。だからあれ程強引にやらねばならなくなったのだろう。馬鹿な奴だ。小夫田(こぶた)と田村の仕事だ。それで弁護士その偽りと工事の不当をなじる。抗議書の内容証明を社長後藤登宛てに出してそれに対する向こうの言い分が来るはずなのだから待っていたが、来ないでいる処だとの事。驚いた事だ。『なれのはて』を渡す。日記風だからいいそうだが、とにかく初めからの全部でこれを読めば凡て明白になる。弁護士さん読んで見る事。或いは裁判所にも見せることになるかも知れぬ事。・・どうやら生命のキケンが感じられ出す。コブタ連が自分達のやった事が正当となすためには偽筆偽印を見分ける高島を消すより外にないだろう。高島を消さなければならない。特に高島の住所の辺は消すに最適の処だ、これは洲の岬の新築に住まっても同様だ。どうやらあの土地はだれの名になっているか分からない。そして高島が死ねば万事好都合に土地も家も画も全部自分のものになす事が出来るだろう。だから高島を消せという事になる。あの新築に行かないでよかった。消されに行くようなものだった。
 とにかく明るい内に帰らなくてはと帰ってくる。六時に増尾について市道から帰る。森の横を通って坂を上がった処右側の森が切られた処に道に斜めに黒い自動車が止まっている。運転席に男がしゃがんで何かしている。故障でも直しているかと思ったがそうでもないらしい。あやしげの車と人、横を黙って通って行くのに向こうから大型の運搬車がつづいて二台やって来た。左の森に足を入れてよける。この辺で自動車におしつぶされたらそのままだれがやったか分からないですむだろう。とにかくやっと家に帰りついた。今月の運勢には夜間外出は止めよとある。全く家、屋敷の段ではない。生命の危険が感じ始めらる。

顛末
「西本年譜」によればこの事件は次のような形で一件落着した。
「十月二十九日、松戸簡易裁判所において、家屋を四〇〇万円で売り、西岬村に移転することで業者と和解。しかし西岬村のアトリエには結局入居することはなかった。十二月、練馬区高松二丁目四二に仮住まいする」。
 私は『小説なりゆくなれのはて』の九月十日までたどりついたとき、しばし呆然とした。殆ど忘れていたからである。自分の日誌をとりだし一覧すると「大学に高島氏来訪」とだけメモされている。私はこの一行から高島さんが来訪した一日を想いだそうと試みる。前にも高島さんは大学にきたことがある。その頃は非常勤教員の休憩室だったにちがいない。こんど高島さんが研究室に来たというのなら、そうなのだろう。どんな身ぶりで何を言ったかさえほうふつと甦るような気がする。
 『小説なりゆくなれのはて』の最後の頁は画家が大学の私の研究室を訪れた日の翌日の記述で終わっている。「小説」なので多少の誇張もあるだろうが、出だしの不安と同じ気配で幕を閉じる。
 他方で『小説』は資料を後世のために残しておきたいという画家の義憤のようなものから生じたのだろう。同時に自分の体験に我ながら興味をおぼえる自分がいて、それが画家に私のような読者を想定させながら『小説』を書かせた。しかし、これはかれが遁世の徒でありながら、いやそうであったからこそ、立ちふさがる六〇年代の風車ならぬ恐竜と闘わざるをえなかった、そのことにより逆に環境破壊というやがて襲いくる歴史の未来を予見する重要な一駒となっている。
 その生き方は、古い写実様式に属するとされる野十郎の絵が、「近代」はすでに効力を失ったと声高くいわれる現代において、妙に現代的な役割を帯びて前方にあるようにすら見えてくるパターンと似通?ていないだろうか。

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社



nice!(1)  コメント(0) 

西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №56 [文芸美術の森]

                    歌川広重≪東海道五十三次≫シリーズ

        美術ジャーナリスト  斎藤陽一

                         第7回 「沼津黄昏図」

56-1.jpg

≪一転して夜の情景に≫

 前回の「三島朝霧」図では、“早朝の朝霧”の中、旅立つ人たちの姿が描かれていましたが、今回の「沼津黄昏図」では一転して“夜の情景”になります。
 広重は、このシリーズの全体構想の中で、「連続性」とともに「逆転性」ということも試みている、ということを先に申し上げましたが、その中には、前の絵と次の絵とに朝・昼・夜の変化をつける、ということもやっています。

 広重の夜景図も、しみじみとした情趣があり、なかなかいい。

 この絵は「黄昏図:たそがれず」と題されてはいますが、既に日は沈み、空には満月が浮かんでいます。そんな夜のとばりが降り始めた頃、三人の旅人がとぼとぼと歩んでいきます。朝早くに前夜の宿を出発して、こんな時間まで歩き続けてきたのです。

≪夜の旅情と安息のイメージ≫

56-2.jpg 天狗の面を背負っている白装束の旅人は讃岐の金毘羅参りに向かう男。天狗の面は、金毘羅大権現に奉納するものです。
 この男は、町内の他の信者たちからお賽銭や米などの奉納物を預かり、皆を代表して金毘羅さんに参詣する役目です。
 その前を行く女と少女の二人連れは、「勧進比丘尼:かんじんびくに」でしょう。
 女が手にしている柄杓(ひしゃく)は、勧進の銭を受け取るための「勧進柄杓」(かんじんびしゃく)です。
 少女は、女の弟子かも知れないし、あるいは娘かも知れません。「勧進比丘尼」は、尼の姿で諸国を巡り歩き、その道中で歌を歌ったり、経文を唱えたりして勧進をおこなう者のことで、この二人連れも、何か事情があって、このような姿でさすらいながら生きているのでしょう。
 男も、女二人連れも、みな“うしろ姿”で描かれ、顔は見えません。それによって、黙々と疲れた足を運び、暗い夜道をたどるときの哀切感を表現しています。

 旅人たちが顔を見せない中、赤い天狗の面だけがこちらをにらんでいます。これは、暗い夜道で突然天狗に出くわしたかのような、ぎょっとする感覚を見るものに与えますね。広重が意図的にやった演出でしょう。
 「黄昏:たそがれ」の語源をたどると、夕方うす暗くなり「誰(た)そ、彼は」と人の顔の見分け難くなった時分を言います。その暗がりの中で、天狗がこちらをにらんでいるのです。そう言えば、「黄昏どき」はまた、なぜか禍(わざわい)が起こりそうな気分にさせるところから、古人は「大禍時:おおまがとき」などとも言いました。これが転じて「逢魔が時:おうまがとき」とも言ったりしました。「魔物が出てきそうな時刻」ということで、おそらく広重はそのことを意識して、薄暗がりの中、「天狗」の面をこちら向きに大きく描いたのでしょう。

 旅人たちがたどる夜道の彼方には、月の光に照らされて、宿場の家並みが浮かび上がっています。三人には、もう町が見えている。「あそこに辿りつけば、安息が待っている。あと一息だ。頑張ろう」と心の中でつぶやいていることでしょう。月光に浮かぶ宿場の家並みには、ホッとするような安息のイメージが託されています。

 この絵は、そのような夜の旅情を描いて見事であり、「広重の風景画には抒情性がある」と言われるのも、こんなところなのです。
 前回の「三島朝霧」図に引き続いて、今回も一句を引用して締めくくりたいと思います。広重が敬愛していたと言われる芭蕉の句です。

    くたびれて宿借るころや藤の花    松尾芭蕉

 次回は、「沼津黄昏図」(第13図)に続く「原・朝之富士」(第14図)を紹介します。

                                                                 





nice!(1)  コメント(0) 

日めくり汀女俳句 №80 [ことだま五七五]

八月二十二日~八月二十四日

    俳句  中村汀女・文  中村一枝

八月二十二日
稲妻のゆたかなる夜も寝べきころ
           『春雪』 稲妻=秋

 昭和二十二、三年頃の話だろうか。汀女と、作家大谷藤子が、下北沢の路上でつかみかからんばかりの喧嘩をしていたというのを読んだことがある。富本一枝をめぐっての女の戦いという風に書かれていた。汀女が女の人、それも綺麗な人、才能のある人を好きだったことは間違いない。大腸がんの手術を執刀した女医さん宛ての手紙など、感謝と綿々たる愛情があふれていた。だからといって同性愛の傾向があったとは言い切れない。汀女のそれはいかにも熊本的、直情径行、おどろおどろしさがまったくない。

八月二十三日
休暇はや白朝顔に雨斜め
         『春雪』 朝顔=秋

 今年の夏はまさに猛暑だった。今日二十三日は処暑、そうこうしているうちに暑さもしのぎやすくなるということか。
 八ヶ岳と東京との間を時折往復した。新宿駅に降り立った瞬間、暑いよりも何ともいえない空気のよどみが鼻をついた。私はいつもこんな空気を吸っていたのか。
 熊本の夏は暑いというが、空気は清澄。暑さの質が違うだろう。空気と水。人間が生きるのに、一番必要なのに一番なおざりにされている。都会の人間の肺は真っ黒だろうというのは実感である。そこに生きている人の多いこと。

八月二十四日
来し方に人現はれぬ丘の秋
          『汀女句集』 秋=秋

 二十日を過ぎると、別荘地は急に閑散とし てくる。子供の自転車が軒下に放り出され、虫とりの龍が転がっていて夏の日は、はや過ぎたことを思わせる。私はこの土地が好きで半分永住したいくらいで家を持ったが、大方の人は夏の一時の避難場所としてやってくる。
 広壮な大きい家を建てた人ほど建てた年はにぎにぎしく車があふれ、人のさざめきも聞こえるが、二年、三年たつうちに、ほとんどこなくなる。
 セカンドハウスブームという。上っ面の風に乗って家を建てた者はまた、風の如く去る。

[『日めくり汀女俳句』 邑書林

nice!(1)  コメント(0) 

草木塔 №86 [ことだま五七五]

旅心 2

          俳人  種田山頭火

    行旅病

  霜しろくころりと死んでゐる

    
老ルンペンと共に

  草をしいておべんたう分けて食べて右左

  朝のひかりへ蒔いておいて旅立つ

  ちよいと渡してもらふ早春のさざなみ

  なんとうまさうなものばかりがシヨウヰンドウ


『草木塔」 青空文庫


nice!(1)  コメント(0) 

読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №109 [ことだま五七五]

    読む「ラジオ万能川柳」プレミアム☆ 3月31日、4月7日放送分

       川柳家・コピーライター  水野タケシ

川柳家・水野タケシがパーソナリティーをつとめる、
読んで楽しむ・聴いて楽しむ・創って楽しむ。エフエムさがみの「ラジオ万能川柳」
2021年3月31日放送分です。
  
109-1.jpg
明日からは新年度!

「ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)が
キャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、
毎週水曜日9時5分から放送しています。
エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらから!
https://fm839.com/program/p00000281
放送の音源・・・https://youtu.be/SPestZoFL14

【お知らせ・その1】
エフエムさがみでは、5月9日(日)の母の日に、
特別番組「お母さんありがとう」を放送します!!
この番組では今、「お母さんありがとう」の気持ちを込めた川柳を大募集中です!!

109-2.jpg


(みなさんの川柳)※敬称略 今週は198句の投稿がありました!
・風が何ささやいたのか花が散る(名人・重田愛子)
・ポテコさん遅くなったけどおめでとさん(恵庭弘)
・一人もの自由な暮らし気も引ける(くろぽん)
・無理に聖火を燃やしても気持ち燃えないな(柳王・ 雷作)
・漫画には名言だらけで救われる(金武太郎丸)
・ありがとうありがとうしか言えないが… (名人・和こころ)
・幸福の底にも何処かある不安(バレリア)
・それぞれの子に夢があり卒業式(名人・やんちゃん)
・マンボウを人の流れに放す国(せきぼー)
・パソコンがメンテひねもすのたりかな(大名人・龍龍龍)
・トーチキス初体験です聖火消え(大名人・東海島田宿)
・三四郎突然の死に絶句した(ベルマーレあんちゃん)
・引退も復活も皆モンゴルか(soji)
・ミャンマーの市民を思いつつ花見(大名人・荻笑)

☆タケシのヒント!
「荻笑さん、7つ目の秀逸で柳王昇進です。おめでとうございます。弾圧が続くミャンマーを憂う作者です。コロナ禍ですがお花見ができる日本は幸せですね。」

・打てなくて辞めた選手がなるコーチ(名人・グランパ)
・ゆったりとサンシン響くお豆腐屋(美ら小雪)
・掘って舗装掘って舗装の年度末(ワイン鍋)
・腰痛く何も頭に入らない(大名人・平谷妙子)
・映像がスローモーションしてこけた(じゅんじゅん)
・やめようと思ったことがない川柳(模名理座)
・叱られて手術血圧190(大名人・フーマー)
・春はおしゃべり花も小鳥も人間も(翔のんまな)
・沿道に密密密の警備員(柳王・光ターン)
・花びらを追いかけ風になる園児(柳王・けんけん)
・モノクロは色が無いから鮮やかだ(名人・ペンギン)
・縁側の猫の長さは温度計(名人・不美子)
・嬉しいな!今年もヤモリ現れて(のりりん)
・気になるわ沖縄のぬれちんすこう(大柳王・ユリコ)
・生きているテレビの中で志村けん(大名人・アンリ)
・sojiさん見つけ!とフォローツイッター(しゃま)
・見る度に髪型違う菅田将暉(咲弥アン子)
・パンジーがそろって私のほう見てる(名人・ぼうちゃん)
・黄砂来て桜並木の色を奪う(名人・マルコ)
・お月様きれいよ!電話くれる友(大名人・かたつむり)
・失恋のおかげラッキー今の妻(名人・どんぶらこ)

☆あさひろさんのボツのツボ
「ラジオ万能川柳。大相撲春場所は優勝した照ノ富士よりも向こう正面の端正な座り姿が素晴らしい妙齢の女性に注目が。そして先週はスマホ用語を北九州のマルコさんに教えてもらいました。“スクショ”!という語。ジュクジョならわかるんだけどね~。ボツの壺『ツイキャスとインスタライブの違い何』恵庭弘」

◎今週の一句・ミャンマーの市民を思いつつ花見(大名人・荻笑)
◯2席・春はおしゃべり花も小鳥も人間も(翔のんまな)
◯3席・マンボウを人の流れに放す国(せきぼー)

【お知らせ・その2】
絶好調、テレビ朝日の「川柳居酒屋なつみ」、
今週2日は、夜9時からアベマTVで放送されます!!
今回のゲストもミュージカル俳優で歌手の山崎育三郎さんです。

109-3.jpg

松也さんと親しいんですね。親友同士ということで大いに盛り上がりました!!
もちろん、川柳もたっぷり紹介しますので、こちらもお楽しみに!!

【放送後記】
明日から新年度、
私のまわりでもいろいろと新しいことがスタートします!!
体調に気をつけて楽しくがんばります!! (タケシ拝)  

109-4.jpg

◆4月7日の放送です 

109-5.jpg
花冷えの相模原。。。

放送の音源・・・https://youtu.be/OZwXU63jCcA

(みなさんの川柳)※敬称略 今週は223句の投稿がありました!
 ・一番を狙った投句8時5分(パリっ子)
・金持ちに限ってケチな人多い(模名理座)
・どんな世も花は季節を忘れない(名人・重田愛子)
・お祭りをエアーで楽しむ839 (まんじゅうこわい)
・ウグイスの声はすれども姿見ず(東孝案)
・同句載り才能ありと錯覚し(くろぽん)
・4月から短歌のラジオ番組す(恵庭弘)
・シーサーと目が合い私にらまれる(名人・わこりん)
・マスクなら歯に青のりも分かるまい(ぽこにゃん)
・優勝旗さがみに見事ホームイン(せきぼー)
・同じ酒今夜も同じ味安堵(大名人・龍龍龍)
・日本中璃花子と泣いた夕餉どき(柳王・光ターン)
・北国はさくらはまだまだ咲きません(初投稿・ぶたのはなこ)
・カレンダー2枚はがしたよな気候(柳王・雷作)
・断捨離を決めた次の日服を買う(芭南南)
・シーフード料理と思うちくわ天(名人・ぼうちゃん)
・詠んでみて出す句寝かす句消しちゃう句(ワイン鍋)
・悩みます謙虚に自信持て言われ(じゅんじゅん)
・春の月揺れて音する午前ニ時(柳王・平谷妙子)
・蝶とまる少し開いてる鰐の口(柳王・入り江わに)

☆タケシのヒント!
「映像的で想像がいろいろと広がる句です。あなたはこの句から何を感じますか。」

・休みたい日もあるだろう冷蔵庫(新柳王・荻笑)
・春制覇地元相模が盛り上がり(つや姫)
・ひと雨ごとにせまりくる山(大名人・かたつむり)  

109-6.jpg

・春だからつい買っちゃうの桜味(大柳王・ユリコ)
・お役所の書類にクセで歳サバし(名人・不美子)
・橋田さん沢山名作ありがとう(ベルマーレあんちゃん)
・窓からはサクラつまみはホタルイカ(soji)
・春なのに目覚めないまま青大将(柳王・けんけん)
・漫画さえ白旗あげるオオタニサン(クッピー)
・返り咲く不撓不屈の泳ぐ華(黒耀舎)
・また「おしん」じっくり見たくなってきた(のりりん)
・入籍日芸人らしく四月馬鹿(大名人・アンリ)
・テーズより強いと思ったサワムラー(大名人・フーマー)
・満開のラジオにお茶と桜もち(里山わらび)
・空気まで洗ってくれたような雨(名人・ペンギン)
・名優が北の国から天国へ(よっきゅん)

☆あさひろさんのボツのツボ
「ラジオ万能川柳。独特な存在感のある俳優の田中邦衛さんの訃報。追悼句も多数。今週、タケシ師匠が入選に選んだ句はいづれも春本番の季節が感じられる映像的な句でした。ボツの壺『お隣へ回覧なのに要るマスク』翔のんまな。翔のんまなさんのラジオネームの意味が判明!愛する者たちへのオマージュ?。」

◎今週の一句・蝶とまる少し開いてる鰐の口(柳王・入り江わに)
◯2席・断捨離を決めた次の日服を買う(芭南南)
◯3席・春の月揺れて音する午前ニ時(柳王・平谷妙子)

【お知らせ・その2】
絶好調、アベマTVの「川柳居酒屋なつみ」、
山崎育三郎さん後編、ご覧いただけましたか?
おかげさまで、「川柳居酒屋なつみ」も3年目に入りました!!
ありがとうございます!!
というわけで、先日また収録があって、テレビ朝日本社に行ってまいりました!!
今回のゲストは今注目の女性芸人、吉住さんとヒコロヒーさんでした!!  

109-7.jpg

 【放送後記】
少しずつ、少しずつではありますが、ワクチンの話を聞くようになってきました。
4月5月6月と、スムーズに行き渡るといいのですが。 (タケシ拝)
=======================================
108-7.jpg

水野タケシ(みずの・たけし)
1965年生まれ。コピーライター、川柳家。東京都出身。

ブログ「水野タケシの超万能川柳!!」 http://ameblo.jp/takeshi-0719/ 










nice!(1)  コメント(2) 

雑記帳2021-4-15 [代表・玲子の雑記帳]

2021-4-15
◆妙義神社の円空仏と名水が流れる織田家ゆかりの城下町甘楽を歩く

1682年岐阜羽島に生まれた円空は、幼くして長良川の洪水で母を亡くし、天涯孤独になります。僧を志して白山に修行に入り、修行の一つとして仏像を彫り始めました。
貧困や病気に苦しむ人々のよすがに仏像を分け与えることにしたのです。
36歳の時、12万体の仏像を発願、最後の1体は飛騨・高山の神社にあるそうです。
ナタでわり、ノミのあとも残る素朴な仏像は、琵琶湖一帯から北海道まで、広く残っていますが、現在発見されているのは約5300体。寺の秘仏ではなく、手にとって撫でて、一緒に風呂に入って、子どもにすれば友だちのような円空仏は使い古されて薪になったり、行方が分からなくなったりするのは当然かもしれません。その円空仏が今、見直されているというのです。

全国いたるところ、法隆寺にさえあるという円空仏も、琵琶湖より西にはないということから、四国出身の私には馴染みはありませんでした。亡くなった夫は美濃の人だったので円空は身近な存在だったようです。
個人では見られない円空の不動明王が妙義神社にあるときいて出かけました。

富岡市にある妙義神社の主祭神は日本武尊、豊受大神、菅原道真、桑蚕の神様でもあります。
妙義山の主峰白雲山の東山麓に位置し、創建は約1500年前とわれています。元の名「波己曽(はこそ)神社」は「イハコソ神社」に通じ、御神体は妙義の岩山だった事がわかります。初期の神祇信仰の対象が岩であることはよく知られるようになりました。
本社は全国的にも珍しい黒漆権現造り。唐門、総門と並んで国の重要文化財になっています。関東一と称される総門の高さは12m。1683年建。上州の東照宮と言われるのもむべなるかなです。

妙義神社総門.jpg
関東一の高さを誇る総門
妙義神社2.jpg
波己曽社
妙義神社.jpg
黒漆塗の本殿

神仏習合の時代、神社の境内に僧房がおかれ、別当寺と呼ばれました。妙義神社の別当、石塔寺は寛永寺の末寺でした。寛永寺の住職は代々天皇家に縁の宮様が務めており、戊辰戦争では江戸を逃れた輪王寺宮の隠居所となりました。現在の宝物殿は宮様御殿と呼ばれ、御座所の配置や城のような石垣、借景庭園など見どころは沢山あります。金具類にはすべて菊の御紋がはいっていて、格式の高さを誇っています。そこに円空の不動明王はありました。

宮様御殿御座所.jpg
宝物殿(宮様御殿)
宮様御殿不動明王 のコピー.jpg
意外に小さかった円空の不動明王

富岡市にほど近い甘楽町は織田家ゆかりの城下町です。
鎌倉時代からこの地を治めた小幡氏は、南北朝時代には上杉氏の重鎮として活躍しました。
秀吉の小田原攻めで北条氏が滅ぶと甘楽を家康に明け渡して信州にのがれました。
その後の小幡城にはいったのが、信長の次男、信雄でした。城は当時、陣屋と呼ばれていました。

信雄は、本能寺で信長と長男信忠が討たれるも山崎合戦には参戦しませんでした。このため、信長のあとに秀吉がかついだ信忠の嫡男・三坊師の後見人にとどまります。
賤ケ岳の合戦で三男信孝が柴田側に付いたのに対し、信雄は秀吉側につきます。
その後も小田原攻め、関ヶ原、大阪の陣など戦のたびに、家康についたり西軍についたり、はたまた東軍についたりと、のらりくらり。結局、大和宇陀郡と上野甘楽郡の、合わせて5万石の領主となり、4男信良に甘楽を譲って宇陀に隠居、1630年に73歳で没しています。あまり知られていませんが、長女の小姫(おとめ)は幼少の秀忠の正室でした。死別だったかどうかは定かではなく、成人した秀忠の正室はご存知、豪姫です。
のらりくらりは日和見のせいか、言われるように無能だったのか。織田氏が明治になるまで生きのびたのは無能ではなく、失敗から先を見る智恵があったのかもしれません。

その小幡藩は信良が藩主となって、7代にわたり甘楽を治めましたが、内紛(明和事件)で改易にあい、織田氏が出羽高畠に移封した後には松平氏が入りました。そのころは陣屋は城になっていたということです。

富岡と甘楽を流れる雄川から取水した水路が、小幡城下に全長20キロにわたってめぐらされていました。雄川堰は、日本の名水百選にも選ばれています。
用水は藩政時代以前にすでに「古雄川堰」が存在していたと推考されています。現存する用水は1865年(慶応元年)、7か月と250人の労力で造られ、当時の高い土木技術をしめしています。
豊かな水は感慨用水や生活用水、防火用水に利用され、両脇の208戸の家に洗い場がもうけられていました。
水を生かしたまちづくりは今に続き、各戸につながる洗い場では生活用具だけでなく、養蚕器具の洗浄にも使われました。現在でも日常的な農作物の食材洗い場として利用されています。

雄川関.jpg
名水100選にも選ばれた雄川堰 幅2mもある
雄川関2 のコピー.jpg
雄川堰に沿って裕福な養蚕農家群の街並みが続く

養蚕最盛期を象徴する建物が歴史民族資料館です。
煉瓦造りの、元繭倉庫として使われた建物は、町の重要文化財になっています。
富岡製糸場の煉瓦は甘楽町で焼かれました。
資料館の2階に円空仏が3体ありました。

歴史民俗資料館.jpg
かっては繭倉庫でもあった歴史民俗資料館

1Fには富岡製糸場絵馬や養蚕に使われていた道具類が展示されています。
2Fには織田家ゆかりの品々。小幡家の赤備具足の展示をみることができます。赤備といえば武勇のぢ名詞、彦根の井伊家、信州の真田家が有名ですが、北条氏が小幡家の武勇を認めていたことがうかがえました。

歴史民俗志朗館3 のコピー.jpg
小幡氏の赤備具足
歴史民族資料館2 のコピ.jpg
3体の円空仏

小幡の陣屋に入城した織田氏が造った庭園が「楽山園」です。
戦国時代から平和な時代に移る過渡期の大名庭園と思われます。雄川堰の水を引いて造られました。池泉回遊様式は京都の桂離宮と同じ特色だといわれています。
中央に広い池を堀り、48の大石を配して、築山に四阿を建て、周辺の山々の借景をとりいれて庭園美を盛り上げる造り方は当時の大名の趣向をよく表しています。

楽山園.jpg
楽山園
楽山園2.jpg
築山の四阿

織田家は武勇の家柄だとばかり思われていますが、有楽斎に代表されるように、実は、茶の湯に通じた文化人の側面があることを思い出さなくてはなりません。
楽山園の名は「論語」の「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」からとったといわれています。複数の茶屋があることからも「織田氏と茶事」の関係がうかがえます。信良は大叔父の有楽斎に師事していました。

楽山園は明治以降、畑同然になっていたのを近年復元し、園内には拾九間長屋も復元されています。
近辺には今も人の住む武家屋敷が連なります。城下で上級武士と下級武士が出逢ったとき、顔をあわさなくてすむように作られた「食い違い廓」も残されていました。

楽山園十九間長屋.jpg
復元された拾九軒長屋
武家屋敷.jpg
大名屋敷の石垣

元和元年(1615年)から織田氏の所領となって以来152年、初代信雄から七代信富に至る7代の墓が崇福寺の旧境内にあります。風化を防ぐため墓石はそれぞれ屋根のある囲いに納まっていますが、かっては7基の五輪の塔が並ぶ姿が見られたそうです。
4代目信久の時に織田家の菩提寺になりました。

崇福寺.jpg
遠景に7代の墓石が並ぶ
崇福寺2.jpg
信良の五輪の塔が中にある

織田家の最初の菩提寺は菩提寺です。
有楽斎に茶道を習った信良が寄進した茶釜を見せてもらいました。
200本の桜、1500株のアジサイ、300本の紅葉を有して、東国花の寺とよばれています。
鎌倉時代に天台宗の寺として創建され、室町時代からは曹洞宗になりました。建物は230年前のものです。

宝積寺.jpg
花の寺・宝積寺
宝積寺茶釜.jpg
親良寄進(?)の茶釜

旅の最後は雄川堰取水口です。豊かな水量は今も絶えることがないようでした。

雄川関取水口.jpg
雄川堰取水口





nice!(1)  コメント(0) 

私の中の一期一会 №235 [雑木林の四季]

  松山英樹が〝マスターズを制覇”、日本人でも海外メジャーで勝てることを実践した
  ~日本人で初めて手にしたグリーンジャケットは「マスターズの重圧」に耐えた証だ~

           アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 米男子ゴルフのメジャー大会,第85回マスターズ・トーナメントの最終ラウンドが11日、ジョージア州のオーガスタ・ナショナルGCで行われた。
 2位に4打差の単独首位でスタートした松山英樹は、4バーディ、5ボギーの73と後半苦戦したものの、通算10アンダーの278で回り〝日本男子初の海外メジャー優勝”という歴史的な偉業を成し遂げた。
 松山は2017年8月以来4年振りに、アメリカツアー6勝目を挙げたことになる。
 日本中が朝早くからこの朗報に湧き、涙と興奮に包まれたのである。
 11日の深夜から生中継で、〝松山英樹のマスターズ初制覇成るか?”の激闘を伝えたTBSの「マスターズゴルフ2021」は、最終日の平均視聴率が12.1%だったことが分かった。
 スポニチアネックスの記事によれば、1976年に始まったマスターズ生中継では、歴代最高の記録である。
 瞬間最高視聴率は月曜日の午前8時5分にマークした17.7%だった。
 8時3分、すでに優勝を決めた松山が移動する姿が映し出され、その後ウイニング・パットのシーンがリプレーされていた。
 ニュース速報で松山の優勝を知って人が、急いでチャンネルをTBSに合わせたのかも知れない。
 月曜日は未明から日本中で、松山英樹の苦闘をハラハラしながら見守っていた人が多かったことが分る。
 実は、私もその中の一人であった。
 2019年に渋野日向子がAIG全英女子オープンに勝った時、寝ないでテレビを見ていたから、私はあのウイニングパットと共に〝シブ子の笑顔を”見ることが出来たのである。
 マスターズ最終日を前に、ジャック・二クラウスが「4打差のリードは有利だ」とツイートしたのを知って、私の中で「勝つ確率は高い」という思いが強くなっていた。
〝日本にとっての歴史的瞬間”が訪れたのに「いや、見てなかった」と言いたくなかった。
 だから、最終組をスタートからウォッチすることにした。
 2位に4打差をつけて単独首位とはいえ、松山英樹が米ツアーのメジャー大会で最終日を最終組でプレーするのは初めての経験だった。
 松山がよく口にするのは「マスターズの重圧」である。
 メジャー大会の重圧はゴルフに限らないだろうが、世界の名手たちが集結する「マスターズゴルフ・トーナメント」の重圧は格別で、経験した者にしか分からないものらしい。
 1番ティに現れた松山は、表情に険しい感じもなく落ち着いているように見えたが、実際は朝からナーバスになっていたらしい、「一日中緊張のしっ放しだった」と試合後に打ち明けている。
 1番の第1打を右の林に入れ、パーパットも外していきなりのボギースタートになった。
 だが、2番のパー5で絶妙のアプローチをみせ、楽々バーディを取り返し4打差に戻した。
 これで自分を取り戻したのかも知れない。
 以後はピンチもあったがショットやパットで何とか凌いだ。
 8,9番に連続バーディがきて、フロント9を2アンダーにまとめてで切り抜けたのである。
 「プレッシャーのかかる前半をアンダーパーでしのいだのはメンタル的にいい流れだ」という解説の中島常幸のコメントもあった。
 本当の優勝争いはサンデーバックナインから始まる・・とよく言われるが 難関の12番パー3をボギーにしたことで、試合の流れが変わり松山は苦戦を強いられることになった。
 同じ組のザンダー・シャウフェレ(米)が追撃を開始してきたからだ。
 試合後の松山のコメントによれば、「12番でつまずいてから、ボギーを重ねる苦しい展開になった。リードが一気になくなってしんどかった」と本音を吐露した。
 テレビを見ている私はハラハラ、ドキドキの連続で息苦しささえ感じていた。
 15番パー5に来た時シャウフェレと松山の差は、まだ3,4打差はあった。
 一方のシャウフェレは3連続バーディできていて流れがいい・・
 ここは積極的に攻めようと松山は決心する。
 「2打目はピンまで227ヤード。4番アイアンはいい当たりだった。だがアドレナリンが出過ぎたのか、飛びすぎて、ボールはグリーン奥の池に入ってしまった」
 15番のパー5で、松山の積極性が裏目に出てボギーにしたため、シャウフェレとの差は一気に2打まで縮まっていた。
 残り3ホールでの2打差。
 松山がまだリードしているとはいえ、にわかに〝優勝の行方”は分らなくなってしまった。
 ところが、ホールインワンもあり得る16番のパー3で、またドラマが起きた。
 先に打ったシャウフェレが、1打目を池に入れてしまったではないか。
 これをみた松山は安全にいったそうだが、結果はボギー。
 シャウフェレは何とトリプルボギーを叩き、優勝争いから脱落してしまった。
 粘り強く戦った松山は、最後18番のティショットをフェアウエイに打てて、やっとホッとしたというが実感だろう。
 松山がウイニングパットを決めた瞬間は安堵と同時に感動がこみ上げて、私は涙をこぼしていた。
 ディフェンディング・チャンピオンのダスティン・ジョンソンから、念願のグリーンジャケットを着せられて、両手を広げて喜びを表した松山だったががいいシーンだった。
 「これまで日本人は海外メジャーに勝てないと言われてきたが、僕が勝つことで日本人も変わっていくと思う」とインタビューに答えている。
 松山はマスターズ最終日の深夜にオーガスタを飛び立ち、13日の夕方に一時帰国した。
 コロナ感染拡大防止のため、まだ誰とも会えないでいる。
 オンライン会見で「日本でニュースを―見るたびに、自分は凄いことをしたんだと実感する」と話しているといた。
 グリーンジャケットを手にして「本当に、これを着られる初めての日本人になれたことがすごく嬉しい」と語り、穏やかな表情を見せた。
 メジャー初勝利の直後なのに、周囲からは早くもグランドスラムへの期待が寄せられている。
 「そういう気持ちがない訳ではないが、マスターズでは本当に疲れた。今までにない感情もある。まだ次の目標を決めるところに達していない」と笑顔。
 PGAツアーには5月6日からの「ウェルズファーゴ」か翌週の「バイロンネルソン」を予定しているようだが、まだマスターズの余韻を楽しんでいればいいと思う。
 「終わったばかりで、まだあまりクラブを握りたくないなという心境。まだ全米プロに頭が切り替わっていない。
 またメジャーに勝てるようように、いい報告が出来るように頑張りたい」と話す。
 歴史的偉業による盛り上がりは喜びつつ、しばらくはそっとしておいて欲しいのではないか。
 でも、〝ムリ”だろうなあ・・・
 松山が手にしたグリーンジャケットは、1年後オーガスタ。ナショナルクラブに返却するのが習慣だそうだ。
 ジャケットはクラブに保管され、チャンピオンはクラブに来たときだけ着ることが出来る。
 以後、何度優勝しても体形が変わらない限りジャケットの新調はない。
 
 寝ずに、松山をテレビを観戦したくなる機会が来るといいなと思っている。

nice!(1)  コメント(0) 

浜田山通信 №285 [雑木林の四季]

「生理の貧困」

        ジャーナリスト  野村勝美

 NHKの夜のニュース番組を見ていたら「生理の貧困」というタイトルが出てきて、一瞬何のことやらわからなかった。卒寿の男?にとって女性の生理なんて事自体があまりにかけ離れていることであり、ましてそれが貧しいとは何を指摘するのかピンとこなかったので。要するに毎月の生理用品にカネがかかって女性は大変だということだった。
 昔から血は不浄とされ、お産や生理の際は産小屋など別火の食事をする習わしなどもあり、一方で初めての生理の際は赤飯を炊いて祝ったりもしたらしい。私は妹が3人いたが、いずれも所長の時は進学のため状況していて赤飯のお祝いにあずかったことはなく、若い頃は、女は面倒で大変だなあと同情はしていた。それどころか結婚したての頃は、生理の時は安全だと無留やり交渉を迫ったこともあり、いまにして亡き妻に謝ることが多すぎる。
 その生理の貧困というのは、文字通り生理用品に金がかかり、貧しい女性には耐え慣れないということだ。90年間男として生きてきてこんなことは一度も考えたことがなかった。生理用品がいくらで、月にどれだけかかるか。 見たことも聞いたこともなかったと思うので見当もつかないのだが、新聞記事によると生涯50万円のナプキン代がかかるという。たいしたことないではないかと男は思うかもしれないが、男女格差の大きい現代社会では大問題だ。
 なによりこんなうっとうしいことに女だけに費用がかかり、おまけに消費税までかかるとしたら、女性の不利益、男女格差の大きさに唖然とする。いうまでもなく女性も人間だ。女がいて男がいて人間だ。動物の社会にカネはない。雌には動物でも生理があるのだろうが、彼らの社会には金銭なんて面倒なものはない。人間だけが血を汚いものと思うから生理用品が必要になる。
 地方自治体や学校などでは、生理用品の無償配布を進めているところもあるらしい。「生理の貧困」などという表現は即刻返上するのが、政治の勤めではないか。女性もといういより、女性がいるから人間であり、人間の存在が可能なのだ。女性は男性より大事な存在であり、男にとっても女性なしの生き方は考えようがないのだ。
  諸外国でもこの問題はまだ始まったばかり。アメリカでも2019年にピリオドという団体が「生理の平等化」を求めてデモを行ったのが始まりらしい。日本では東京都内で足立区など10区6市がすでに無償配布を始めており、全国的にも札幌、さいたま、甲府などで実施されている。
 女性こそ人間であり、なぜ彼女たちにだけ特別の費用がかかり税金までとるのか。すべからく、直ちに生理用品は無償交付すべきだ。「生理の貧困」などというスローガンでは生ぬるい。生理の無償化こそ直ちに実行するのが政治の勤めだ。


nice!(1)  コメント(0) 

BS-TBS番組情報 №232 [雑木林の四季]

BS-TBS 2021年4月のおすすめ番組

                              BS-TBS広報宣伝部

三波春夫 歌藝の軌跡 終わり無き我が歌の道

232三波春夫歌芸の軌跡.jpg

2021年4月23日(金)午後9:00~10:54

☆日本人に愛され、自らも日本を愛した三波春夫の足跡を豪華ゲストの熱唱と貴重なアーカイヴ映像で振り
返る2時間スペシャル!

司会:高橋英樹、堀井美香(TBSアナウンサー)
ゲスト:細川たかし、市川由紀乃、三山ひろし、彩青
VTRゲスト:宇崎竜童、武田鉄矢、さだまさし
昭和を代表する大歌手・三波春夫が天国に旅立って今年で20年。
晴天を衝く歌声と春を呼ぶ笑顔でたくさんの日本人に愛された国民的スターだった。
62年にわたる芸道人生の中で三波春夫が世に送り出した歌の数は1000曲以上にものぼる。
そのいずれもが音楽ファン、あえて言うならば日本人の心に寄り添うものばかりだった。
「お客様は神様です」お馴染みの決めゼリフをひっさげ、たった一人で夢の舞台に立ち続けた三波春夫。

日本人に愛され、自らも日本を愛した三波春夫の足跡を豪華ゲストの熱唱と貴重なアーカイヴ映像で振り返
る2時間スペシャル!
「チャンチキおけさ」細川たかし・市川由紀乃・三山ひろし
「おまんた囃子」三山ひろし
「男の峠道」市川由紀乃
「忠太郎月夜」細川たかし
「船方さんよ」市川由紀乃
「旅笠道中」三山ひろし
「桃太郎侍の歌」細川たかし・彩青
「一本刀土俵入り」市川由紀乃
「長編歌謡浪曲 元禄花の兄弟 赤垣源蔵」三山ひろし
「大利根無情」細川たかし・彩青
「東京五輪音頭」細川たかし・市川由紀乃・三山ひろし
「世界の国からこんにちは」細川たかし・市川由紀乃・三山ひろし

生中継!にっぽんの桜2021~日本が誇る満開桜の共演~

232生中継!にっぽんの桜2021.jpg

2021年4月24日(土)午後7:00~8:54

☆日本人の心の風物詩「桜」づくしのスペシャル番組!
「お花見」は、1000年を超える歴史を紡ぐ、日本人の心の風物詩。

平安の世から、清少納言も豊臣秀吉も、桜を愛でてきました。
しかし、コロナ禍の2021年、桜の名所への旅はできません。
この番組は、テレビを通じて「桜」を楽しんで頂く、お花見スペシャル企画。
日本各地の桜の絶景映像はもちろん、歴史的人物が愛した桜や、名画の桜、桜に人生を捧げる人など、日本人と桜にまつわる物語をも交えながら、「日本人はなぜ桜に魅せられるのか?」を多角的に紐解きます。
▽日本各地の桜の絶景(今治市伯方島・開山公園、奈良・吉野山、京都・仁和寺、伊那・高遠城址公園、ほか)
▽天下人・豊臣秀吉の桜物語
▽伝説の「桜守」佐野藤右衛門さん、桜に捧げた人生の物語
▽お花見ヒストリー~日本人はいつから花見を楽しむようになったのか~
▽桜にまつわるトリビア集
ほか
※番組内容は予定のため、変更になる場合があります。
※BS-TBS4Kでは高精細の4K映像でお楽しみ頂けます

うた恋!音楽会

232うた恋音楽会.jpg
2021年4月30日(金)午後9:00~10:54

☆歌謡曲・演歌・ポップス…時代を超える名曲だらけの音楽会!

司会:由紀さおり/三山ひろし
ゲスト:前川清、川中美幸、純烈
ゲストは前川清、川中美幸、純烈。
前川清は、内山田洋とクールファイブ時代から歌い続けている名曲『恋唄』を披露。
川中美幸は人気曲『女 泣き砂 日本海』を、純烈は『愛をください〜Don’t you cry〜』を熱唱する。
時代を飾った名曲に携わった“偉人”の楽曲に迫る「うたの偉人伝」は、作曲家・中村泰士を特集。
その軌跡を貴重映像とともに振り返り、由紀さおりがいしだあゆみの『砂漠のような東京で』を、三山ひろし
は、松崎しげるの『黄色い麦わら帽子』を見事に歌い上げる。
ゲストによるスペシャルライブでは、前川清が三山ひろし&純烈を従え、一夜限りの“前川清とホット・ファイ
ブ”を結成!『長崎は今日も雨だった』、『東京砂漠』といったクール・ファイブの名曲を披露する。
「うたのタイムマシーン」では、1967年をフィーチャー。川中美幸が美空ひばりの『真赤な太陽』を熱唱する。
【予定曲】
『恋唄(前川清)』歌:前川清
『女 泣き砂 日本海(川中美幸)』歌:川中美幸
『愛をください〜Don’t you cry〜(純烈)』歌:純烈
『砂漠のような東京で(いしだあゆみ)』歌:由紀さおり
『黄色い麦わら帽子(松崎しげる)』歌:三山ひろし
『長崎は今日も雨だった(内山田洋とクールファイブ)』歌:前川清・三山ひろし・純烈
『東京砂漠(内山田洋とクールファイブ)』歌:前川清・三山ひろし・純烈
『真赤な太陽(美空ひばり)』歌:川中美幸
ほか


nice!(1)  コメント(0) 

バルタンの呟き №95 [雑木林の四季]

「まん防」とは?

              映画監督  飯島敏宏

爛漫の春、全国各地のサクラガ咲き揃って、山々は、緑に萌えています。山笑う、という季語がありますが、わが街を取り囲む丘陵も(火事を怖れて多数の老木を伐採したので、かなり浅くなりましたが)濃く、薄く、緑に輝いています。今年は、筍が豊作なのでしょうか、毎年この時季に筍を売り出す地元の山持ち農家ばかりか、今年は、なんと街にただ一軒残る本屋さんまで、「朝採れの」と銘打って、大根などと一緒に巨きな孟宗竹筍を店前に並べているのです。それとも、筍の作柄とは関係なく、際限なく長引いているStay home! の影響で、「筍料理にでも挑戦してみようか」というお宅が増えたのでしょうか、本屋のおばさんの話では、「売れてるよ!」ということです。
米寿を過ぎて、小説という新たな分野への挑戦を試みている僕、バルタンの呟きとしては、筍料理ばかりではなく、時間があるなら、ぜひ、紙の本を買い求めて読んでくれないかなあ・・・という所なのですが、
「おっ!店内から子供連れの若いお父さんが出てきた!」
と、思いきや、手にしているのは、「鬼滅の刃」と「ドラえもん」の漫画版なのでした。
聞けば、高校の今年度検定国語教科書から、ついに文学作品が消えてしまったとか・・・
プレゼンの技能開発の為というならば、必要な決まり文句などは、PCやAIからポンと打ち出せばいいのに、味もそっけもない勉強で、情操などは不要という時代なのでしょうか。
執筆中の小説の為に、僕自身の少年期の記憶を呼び起そうと(コロナで図書館行きが怖くて)改めて取り寄せた文庫本で「樋口一葉・たけくらべ・にごりえ」を耽読して、まだうら若い樋口一葉の綴る旧い日本語が持っていた熟度や、簡潔さと読みのリズムに感嘆しながら、ふと「そうか、一億総デジタル化ニッポンのpay pay ! カード支払いなど、菅内閣の目玉政策であるデジタル改革で、5,000円札が不要になったら、樋口一葉も忘却の彼方へ、か」と、ため息を吐きました。

ところへ、今回のコロナ感染対策で放った菅内閣のキャッチフレーズ「まん防」です。「まんぼう」という音から「蔓延防止等重点措置」という聞きなれない言葉に連想が届きますか? むしろ、その音から、僕の頭の中には、あの、水族館のプールでガラス越しに見る、マンボウの漂い浮かんでいる姿が、描かれてしまうのです。「まん防」が、新型コロナウイルスCovid 19変異型の急増感染予防のために、緊張感の緩みを防止する目的で発動される措置のキャッチフレーズとは、到底思えないのです。
しかも、総理と官房長官、各大臣の口から、異口同音に発せられる「緊張感をもって」とか「スピード感をもって」の感とは、どういう効果を持つ言葉なのでしょう。どうせカタカナ英語を使うならば、「スピーディーに」と言えばいいでしょうし、緊張して、と直截に言えばいいものを、なんだか及び腰の言葉で、責任を曖昧にしている感があるのです。ともかく、「まん防」は、いただけません。「国民の生命と財産を守る」ための「非常事態宣言に至らないために」造り出したキャッチフレーズとしては、緊張感がありません。間もなく始まるまさしくゴールデンな長期一斉休暇に、「国民の皆さんのコロナ感染に対する緩みを改めて、緊急事態宣言に至らないように発動するのです。ぜひマンボウにご協力をお願いいたします」と頭を下げられても、一端はGo!to travel,eat!と散々煽られた末に、国民の「気の緩み」が感染を拡げたと責任転嫁されながら「まんぼう!」と叫ばれても、譬え感染してもただの風邪、と蜜を怖れずに歓楽街に押し寄せたりする若者ばかりか、当の庇護されるべき高齢者までが、数名での会食や、カラオケに興じ続ける緩みを是正する期待は空しく消散してしまうのではないでしょうか。「まん防」なる冗漫で意味不明なキャッチフレーズで、Go ! to travel以来、独り身の侘しさを紛らわし、他人との交流を求める気持ちからでしょうか、幾何かの私鉄株を保有して、株主優待券を利用したり、各駅停車限定のJR青春割引切符を手に、有り余る時間を過ごすために全国の名勝地を旅する孤独高齢者の増加などを留めることは、不可能ではないでしょうか。
感染防止よりも経済活性化を優先強調するかに見える長期間の緊急事態宣言よりも、短期間の完全封鎖いわゆる「ロック・ダウン」を決然と行い、出遅れたワクチン接種を、「スピード感をもって」でなく、迅速に実行して、「人類がコロナを克服した証として2021東京オリンピック・パラリンピック競技大会を迎える」のではなく、巧みに新型コロナウイルスCovid 19との共生を実現して、「国民の皆様の生命と財産を守る」ことこそが、真の幸福な未来志向ではないでしょうか。
間もなく、菅総理大臣が、主要各国の首脳との直接会談に旅立つようです。まさに、FOIP「自由で開かれたインド太平洋」を言葉通りに実現するために、同盟国米国を軍事的に偏重して中国包囲網を敷くのではなく、中ロ鮮はじめ、東南アジア諸国に真の「自由で開かれたインド太平洋圏実現」を説いて回るのが、正しく非戦争国日本が、悲惨な戦禍に巻き込まれるのを免れる「一本の道」ではないでしょうか・・・BON VOYAGE ! 
 憲法を押し曲げて実現する超高価な敵基地攻撃可能な武器生産や購入、今や宇宙戦争に奔ろうとする軍事同盟に偏重せずに、何れの側にも、グローバルな平和への道を説く日本・・・夢物語でしょうか。いえ、それこそが、平和大国ニッポンが自信を持って誇るべき大道です。
 戦争の悲惨を、僅かながら身に染みて経験した僕、バルタンの空耳であってほしいのですが、このところ、夢現に戦争の足音が聞こえるのです。未知未経験の、悲惨な戦争の・・・
 


nice!(1)  コメント(0) 

医史跡を巡る旅 №87 [雑木林の四季]

 江戸のコレラ~安政五年 浜松、そして富士宮

           保健衛生監視員  小川 雄

医療従事者のワクチン接種も終わらず、相変わらずワクチン輸入の確実な目途も不透明なままですが、なし崩し的に高齢者へのワクチン接種が、一部の自治体で開始されました。政府は予定通り実施できると言い張りますが、今回の都道府県への配布は100箱だけです。都道府県へは箱単位の発送で、1箱には195バイアル(瓶)、1バイアルあたり注射5回分となりますから、1箱975回分です。つまり開始当初に打てるのは、限られた自治体の合計19,500人だけですから、先行的、試行的な意味合いが強いと言えます。次の配布分は今週後半に500箱、来週後半500箱、今月中に約1700箱というペースです。
1回目の接種後2週間たったら、2回目を接種しなければならないので、新規に打てる人数は制限されることになります。したがって全ての市町村に1箱以上配布されるのは、今月中になんとか間に合うか、どうかという計算になります。
なお医療従事者を対象としたワクチン接種は、4月9日までに49万人が2回接種迄終わっていますが、対象者は480万人とされており、まだ10分の1程度に止まっています。希望する医療従事者全員への接種完了、免疫獲得には5月一杯かかるとみられます。高齢者への注射を担当する医師がまだ接種を済ませていない、という笑えない状況が生ずることもあり得ます。会場における集団接種はもちろん、医療機関で実施する場合においても、不特定多数の対象者が集まることによる、被接種者、医療従事者の新型コロナウイルスへの感染リスクは否定できません。特に高齢者の場合、感染が重症化の懸念にもつながることから、ワクチン接種そのものが、クラスター機会となることだけは絶対に阻止しなければなりません。現場の混乱を避けるためにも、単なる人気取りともとれる高齢者への先行接種は諦め、当初定めた優先順位に従って、粛々と計画を進めるべきだったと思います。

背景となる感染拡大自体も、いよいよ暗雲垂れこめてきました。先にまん延防止等重点措置が適用された大阪において、前回示した数値がどう変わったかを見てみましょう。
4月14日時点の大阪府の発表によると、大阪モデルのモニタリング指標である新規陽性者における感染経路不明者の7日間の移動平均が601.43、直近1週間の人口10万人あたりの新規陽性者数は74.11、患者受入重症病床使用率が97.8パーセントという数字です。前回の記事、3月30日時点の数字は、それぞれ188.43、24.75、40.2パーセントでした。患者数の急増が、半月たって重症病床使用率を圧迫、すでに限界に達していることがわかります。
もちろん東京をはじめとして、首都圏も楽観できません。陽性者数の増加は勿論のこと、東京都における3月29日から4月4日におけるスクリーニングの結果、変異株の割合が、74.1パーセントに達しています(4月8日発表、東京都健康安全研究センターによるスクリーニング)。内訳はN501Y変異株が32.5パーセント、N484K単独変異株が41.8パーセントです。いわゆるイギリス株、南アフリカ株、ブラジル株がN501Y変異株で、感染力や病原性が従来株より高く、免疫も効きにくいといわれます。もう一方のN484K単独変異株は、感染性、病原性が変化した根拠は未だありませんが、理論的には従来株によって得られた免疫が、有効に働かない可能性があります。つまり再感染したり、ワクチンが効きにくくなったりするということです。なおN501Y変異株においても、南アフリカ株、ブラジル株についてはN484K変異という特徴も併せ持っており、免疫逃避能力があるといわれます。
感染力が高まれば陽性者数は増加、それを追って重症者も増え病床を圧迫します。そして免疫逃避能力が高まれば、ワクチンの効果は落ち、社会的免疫の獲得も難しくなります。

あだしごとはさておき。
安政5年5月に長崎に上陸したコレラ、前回で京都、大阪まで東上しました。ここから先の流行の広がりは、各地の史跡や記録を追いながら、詳しく見ていきたいと思います。

当時、江戸、京都間の重要な交通路といえば東海道と中山道。しかし中山道は街道全域が山道、一方の東海道はほぼ平坦ながら、大井川のような大河には技術的、戦略的な意味から架橋されず、そのうえ天下の険で、かつ往来に厳しく目を光らせる関所を擁する箱根があり、大量の物資の移動に適しているとはいえませんでした。そのため江戸後期には菱垣廻船、樽廻船といった廻船網が発達し、物流の中心となります。

次に安政5年までに、駿河国に関係した大事件をおさらいしておきます。
嘉永7年(年内に安政元年となる。1854年)3月に日米和親条約が締結され、下田が開港します。10月にはロシアのプチャーチンが条約締結を求めて下田に来航。そして11月、遠州灘を震源として、推定マグネチュード8.4の巨大地震が発生します。その32時間後に、今度は南海道沖で同規模の地震が発生。太平洋側の広い範囲に津波が襲来、沿岸部に多大な被害をもたらします。下田に停泊していたプチャーチンのディアナ号も被害を受け、修理のため戸田へ回航中に沈没します。幕府との交渉の結果、戸田において代船ヘダ号が建造されることとなり、建造中プチャーチンは安政2年3月まで日本に滞在します。安政3年7月には、ハリスがアメリカ駐日総領事として下田に到着、8月には玉泉寺に総領事館が開かれます。安政4年5月には下田協約が、安政5年6月には日米修好通商条約が締結されます。
この一時期、長崎に替わって静岡、伊豆周辺が、海外に向けての日本の表舞台に躍り出た時代ともなります。このことが、安政コレラ騒動における民衆感情にも影響してきます。

東海道名古屋以東で、最初に安政コレラの傷跡が見られるのが浜松です。浜松は天竜川の手前にあたり、夏場は川止めにあった参勤交代の一行が逗留することがあったためか、患者の発生を見たようです。浜松駅のほど近く、夢告地蔵尊が祀られています。

「夢告地蔵尊」

87画像①.jpg
「夢告地蔵尊」 ~静岡県浜松市中区中央

安政5年、コレラで亡くなった人々を供養するために建立され、その後も疫病退散に霊験あらたかとして信仰を集めたと伝えられています。

「夢告地蔵尊御堂」


87画像➁.jpg
「夢告地蔵尊御堂」 ~静岡県浜松市中区中央

ところが明治となり、廃仏毀釈のあおりを受けて埋められてしまいました。大正8年(1919)になって、町民の夢枕にお地蔵さまが立ち、世に出たいと告げたため、古老の記憶に頼って掘り起こし、再びお祀りしたとの謂れから夢告地蔵と呼ばれています。その後戦災にも見舞われましたが、都度復興して現在も手厚く奉られています。
地蔵尊の明確な由来が伝わっておらず、だれが、いつ建立したのか、またこの地域の安政コレラに関する記録も明らかになっていないので、そもそも浜松に安政5年にコレラが入り込んだのがいつで、どれ程の感染者が出たかについてはわかりません。

さて浜松以東の主な宿場町を列挙してみましょう。
浜松―掛川―金谷―島田―藤枝―府中―江尻―興津―由比―蒲原―吉原―沼津―三島
安政5年の「疫癘雑話街廼夢(チマタノユメ)」には、「元来此病の起りハ上方筋より流行来り東海道一圓なれども其中に金谷嶋田の両宿甚敷又府中江尻蒲原小田原に至りとは七月二十二日より八月四日十二日の間に三百九十一人死する由」とあります。

「疫癘雑話街廼夢」


87画像③.jpg
「疫癘雑話街廼夢」 ~京都大学貴重資料デジタルアーカイブ

徳川のお膝元である駿府、宿場名でいえば府中はもちろん、街道筋の宿場街悉く患者が出ていることが記されています。前回京都で流行が始まったのが7月中旬、感染が増えだしたのが9月ではないかと述べましたが、7月下旬には駿河の国に達していたことになり、感染は単純に東海道東上し、次第に汚染地域を広げていったのではなく、飛び火的に感染を広げ、流行の波が逆に西進した可能性もあります。

東海道からは外れますが、伊豆半島を含む周辺の村々でのコレラ患者発生状況が韮山代官所の記録、「豆駿州宿村疫病にて死亡人届書」として残されています。韮山の代官は江川家が務め、幕末にはお台場や反射炉の築造で有名な江川英龍(担庵)を輩出しています。

「江川邸」

87画像④.JPG
「江川邸」 ~静岡県伊豆の国市韮山

記録によると流行開始以来、安政5年10月までの数字は以下のとおりです。

三島宿 人口4,715人 うち病死247人、病人193人
網代村(熱海市網代) 人口998人 うち病死55人
新井村(伊東市) 人口905人 うち病死32人、病人55人
熱海村(熱海市熱海) 人口1468人 うち病死36人、病人17人
吉原宿(富士市) 人口2,036人 うち病死213人、病人6人

ひたひたと自分の地域に近づく疫病の気配に対して、住民はどう対応したのでしょうか。各地の名主や商人が日記として記録を残しており、次第に高まりゆく緊張と、併せて侵入予防に奔走する様が伺い知れます。

まず吉原宿の北西にあたる駿河国富士郡大宮町、現在の富士宮市で、酒造業を営んでいた横関家の「袖日記」を見てみましょう。(幕末民衆の恐怖と妄想 高橋 敏~国立歴史民俗博物館研究報告第108集)

コレラと思われる記事の初見は七月十六日となります。

十六日 昨日ゟ近在急病人多しと申噂あり
十七日頃ゟ時候悪敷、近村急病流行、下方ニ多しと申事 
 吉原宿三日コロリと申病流行と申事、噂承る

七月二十日を過ぎると実際に被害が見聞きされるようになり、記述も具体的になってきます。

二十日 吉原 □野甚兵衛の倅善二郎死去
二十一日 吉原辺急病流行ボウショ
二十四日 昨日吉原ニて葬式十三軒ありと申事、岩本・久沢・入山瀬辺昨日九件葬式あり
  廿日吉原ニて鍬を取ながら倒死ス 廿一日富士川船頭棹を取ながら倒死ス

八月三日には病死者の具体的な数字が示され、猖獗を極める様子が記録されています。と同時に、「狐」というキーワードが出てきます。

吉原宿斗リにて三百拾八人死亡、加島郷吉原迄先月下旬・流行病ニて死するもの千六百人と申事、病人へ狐とり付もの多しと申事

善いとされる様々な手段を試すものの、感染は防げず、疫病の広がりは止まらない。まずは日頃信心する神仏や、まじないにすがります。町内ごとに題目、念仏、送り神の儀式が繰り返されますが、当然の如く感染の勢いは収まりません。
次々とつい先程まで元気であった人が急に斃れ、それも今までに見たことのない症状で、死に至る転帰も早く、死亡率も高い。その死相は苦悶に満ちて、風貌も生前とはかけ離れている。これは「なにか悪いもの」が憑いたに違いないと考えます。

東町方ノ人下ヘ行ニ高原を通る時くだ狐七ツ岩本へ下るを見たと申事
是ハ地熊と申物のよし

此度の一日ころりの急病ハくだ狐のわざなるよし評判

まずは「なにか悪いもの」に取敢えず、「くだ狐」と名前が付きました。呪術的には名前は正体、魂を縛るものと考えられますから、名前がわからないものほど怖いものはありません。さらに目撃談まで現れ、信憑性を高めます。八月十日の記載には、以下のように書かれています。

根方川尻村ニて異獣ヲとらへると申事
大サ猫のことく馬ノ貌ニテ胴ハハエ毛
足ハ人の如く赤子の足ノ如シと申事
右之ことくの怪獣ヲ蒲原宿ニても千年モグラ壱疋とると申事、十三日ニ実説聞
一説ニ異国ノ廻シ者僧トナリテ狐ヲ数千船ニノセ来り、此近海辺ヘハナツ、右怪僧三島宿ニて壱人捕ルゝト申噂あり

また八月晦日には、また新しい異獣の噂が記されます。
或ハ噂に此船ヘ外国ノ疫兎をふうじ込乗せ来り、日本へ放シ捨て逃帰りしと見へたりと申評判あり

「くだ狐」、「地熊」、「千年モグラ」ときて「疫兎」も出てきました。その上、先に挙げたように海外との係わりの多かった土地柄、外国の陰謀説までまことしやかに囁かれるようになります。

こうした妖怪もどきの異獣原因説が広まるにあたり、その対抗手段として急浮上したのが元々あった狼信仰です。日本武尊の眷属としての狼、大口真神は田畑の獣除けとして、転じて火防、盗賊除け、諸災除けとして篤く信仰されてきました。

「大口真神のお札」

87画像⑤.jpg
「大口真神のお札」 ~三峰神社

大口真神を祀る神社としては三峰神社、武蔵御嶽神社が有名で、参詣団体である講が組まれ、かわりばんこに代参することが、一種の当時の娯楽でもありました。特に秩父にある三峰神社は、関東一円に広く信仰され、江戸市中を始めとして各地に講が結成されていました。

「三峰神社」

87画像⑥.jpg
「三峰神社」 ~埼玉県秩父市三峰

もともとは御犬様拝借として、生きた犬(狼)を借り受けていましたが、借出す数が増えたために、御犬様のカゲになる御札を頂戴することになります。これは御眷属拝借として現在も続いています。

流行続く八月六日、大宮町は三峰神社の御犬様拝借を決めます。

今夜中宿ニて寄合、今日金蔵之病死ノ様あまり不思議ニ付、狐のわざニてハ無之哉と相談いたし、三峰山の生の御犬ヲ御かり申度儀神田丁・神田橋・山道へも及相談ニ皆々承知之上明朝惣代之者出立ノ積り

長くなりました。次回に続きます。




nice!(1)  コメント(0) 

海の見る夢 №5 [雑木林の四季]

    海の見る夢
      -大切なことはジャズが教えてくれたー
               澁澤京子

 よく晴れた春の日、S君と海を見に行った。港には大きな外国船が停泊していて、空にはカモメが飛んでいた。

「若い時と違って集中力がなくってさ、最近・・」というS君の話を聞きながらブラブラと街を散歩する。特に数学に取り組んでいると、体力の衰えに気が付くのだそうだ。若い時のS君は、いったん集中すると暴走して止まらなくなって、幾晩も徹夜して平気だったし、身体の事なんか何も考えない人だったから余計そうだろう。並はずれた集中力も持続力も、体力の問題もあるけど、ピュアだから持てるものなんだろうなあ・・・と、瞬発力だけあって気の散りやすい私は考える。

運河にかかる橋のたもとには桜があって、川沿いには小さな居酒屋がハモニカの歯のようにズラッとひしめいて並んでいる。モーターボートがゆっくり運河を下っていて、やがて軒の低いアーケードの、まるで昭和30~40年ごろのような懐かしい商店街が続く。居酒屋が多いのは昔から歓楽街だったせいなのか、『ヨコハマメリー』というドキュメンタリー映画に出ていた風景はこの辺だったかもしれない。(元進駐軍相手の老娼婦メリーさんのドキュメンタリー映画)

まるでタイムスリップしたような街のはずれにあるジャズ喫茶「ちぐさ」に入る。店内は暗くてひんやりしていて、初めて来たジャズ喫茶だけど、ああ、この外の明るい陽射しと店内の暗い感じのギャップがなんだかすごく懐かしい…。

「ちぐさ」は戦前からある老舗の名門ジャズ喫茶。移転して今は有志の人たちと協力して営業している。出された珈琲がすごくおいしい。店にいるお客さんは私たちと同世代か少し年上の男女がちらほらと。

「今、かかっているのはエリック・ドルフィ。ピアノがなんかダメだけどな・・(ピアノはマル・ウォルドロンでした)」と解説するS君。ちょっと聴いただけで、アルバム名も演奏メンバーもわかってしまうS君は、音楽も集中力を発揮してじっくり丁寧に聴くし、文章も丁寧に読む、人の事でも何事でもとてもじっくりと丁寧に観察するのでかなり的確に把握していることが多い。そういえば、音楽ってこうやってじっくり聴くものだったなあ・・。本当に音楽が好きだとただのBGMとしては聴き流せない、ましてや、お洒落なBGMとして音楽を小道具に使うのも邪道だろう。(コルトレーンは一曲を最低五回は聴くのだそうだ)音楽に敬意を払うってそういうことだし、それは他の事に関してもそうなのであって、敬意を払うという事は、表層的な部分だけでわかったつもりにならず(自分の狭い知識で判断せず)、早急に結論を出さないで丁寧に見たり聞いたりすることなのだ。何事にも敬意を払わねば・・物事でも人のことでも、わかったつもりになるよりも、わからないままに保留にしておくほうが余程知性の力が必要となる。それにしても、一人で聴くのもいいけど、友人と一緒に聴く音楽ってやっぱりいいよね。

最近は(60分でわかる)式の要約本が多いし、映画も早送りで飛ばして観る人が多いのだそうだ。哲学の要約だったらまだわからなくはないけど、小説って要約して読むものなの?という疑問はある。いい映画も小説も音楽も何度か観たり読んだり聴いているうちに新しい発見があったりわかったりするものじゃないだろうか。自分の人生経験によってはじめて(腑に落ちる)箇所があるのであって、小説は、あらすじを追うだけのものではないし、要約ではうれしい発見も、微妙な情景や心理の味わいもまったくないじゃないの。音楽も丁寧に何回も聴くことによってやっとわかることがあるし、人生経験を積んで初めて心にストンとくる音楽もあるのであって、そうした、芸術を味わうためのゆったりした豊かな時間を喪失するということは文化が衰退してゆくことなのかもしれない・・・文化って無駄な贅沢な時間から生まれてくるものだと思うし、特に芸術の場合、決して頭だけの理解では「わかる」にはならないものだろう・・美術でも音楽でも文学でも、基本は「経験」するものだと思っている。

・・俺の音楽にレッテルを貼るな。~マイルス・デイヴィス

レッテルを貼ったり、カテゴライズしたり、言葉の理解で(わかったつもり)になると、逆に見えなくなるもの、わからなくなるものは多い。

人生をまだ知らない若い時に聴いたジャズの影響は、結構大きかったと思う。その頃のジャズ喫茶に集まっていた友人たちはそれぞれ違う人生を歩んだけど、皆に共通するのは何よりも「自分自身であること」であって、個性が強くて自分の世界をはっきりと持っているために、逆にあまり競争心は持たないマイペースの人が多かった。

ジャズは全体から個ではなく、バラバラの個から全体の調和という方向に向かっていくせいか、いい意味でみんな個人主義。他人から支配されるのも、もちろん他人を支配するのも嫌い。人とは基本的には対等な関係を持つ人ばかりで、上から命令される上下のある縦の人間関係は苦手。他人にへつらったりする人も、見下す人もいないし、相手によって平気で態度を変えるような人もいない。私にとっては付き合って楽な友人ばかり・・要するに正直でフェアな人が多いし、年齢の割に世俗に毒されてない人が多いのは、他人から影響を受けることがほとんどないほど皆の個性が強烈なせいか。

コルトレーン、ビル・エヴァンス、ハービー・ハンコック・・マイルス・デイヴィスが育てた才能あるミュージシャンは数知れない。マイルスの周囲には、まるで磁石に引き寄せられるように才能ある個性的なミュージシャンが集まってきたのだけど、マイルス・デイヴィスは人の才能を伸ばすことにかけても最高の人だった・・

能力が低い人は他人の才能やスキルを発見することも評価することもできないけど、マイルスは自身の能力が高いので他人の才能を誰よりも早く発見することができたし、それを引き出して伸ばすこともできた。
マイルスは自身に限界を設けなかったので、他人の可能性を見つけて伸ばすことができたのだ。

小心者ほど他人を非難したがるものだけど、マイルスは他人のミスにケチつけるとか非難することをしなかっ・・(その代わり、気に入らなければあっさり縁を切る非情さもあったが・・)最高にのっている演奏中、ハービー・ハンコックがコードを間違えた時も、マイルスは何気にその間違えたコードに合わせて演奏を始めた・・・つまり、彼は仲間のミスを黙って引き受けてカヴァーができるほど能力が高かったのであり(かつ優しかったのもある)、状況に対して偏見をもたず、それゆえ臨機応変に新しい音楽を創造できる柔軟さも持っていたのだ・・かっこよすぎるぜ・・マイルス。

・・「自分の外側から聞こえてこない音楽を演奏せよ」~マイルス・デイヴィス

これが一番難しい。音楽も舞踊も、毎日の血のにじむようなストイックな基礎練習と努力が必要とされる。そして、基礎の練習の積み重ねから自分なりの秩序、内的で自発的な音楽を徐々に発見していくのじゃないかと思う。それはちょうど、ビル・エヴァンスのピアノの音が、心の深い底から出てきた音であるように・・彼は自分の音を発見して持っていた・・グレン・グールドも、音楽は内側にあることをある日偶然に発見したし、ラ・チャナというフラメンコダンサーは自分の内部にあるコンパス(リズム)に従って自然に踊るだけだという事を言っていた。(ダンスを教えてくれたのは自身の内なるコンパスだったのだ)画家であったら「他人には見えないものを見よ」となり、詩人だったら「内なる声と言葉を探せ」になるのだろう。

芸術家が、自身の内部に創造力の源泉を模索することは、どうしてもプラトンの「想起」に似ているような気がしてしまうのだけど。

独りきりでいれば独創的になれるものでもなく、無知でいればいいかと言うと逆にステロタイプの思い込みにしがみついてしまうことが多い。自身を掘り下げてゆくのに一番邪魔になるのは雑念や自惚れや余計な思い込み、つまりガラクタのような様々な自身の観念と思いなのであって、それがどんなに邪魔になることか・・最も悪いのは、ただの思い込みや他者からの刷り込みを自分の言葉として錯覚してしまうことなんだけど・・

「大切なのは自分のスタイルを持つこと」~マイルス・デイヴィス

マイルス・デイヴィスはピカソのように、何度も何度も確立した自分のスタイルを破壊しては、再び一から創造していった。相当なエネルギーの持ち主でしかも天才だったのだと思う。一度スタイルを確立すればそこからなかなか抜けられなくなるのに・・・もちろん、自分のスタイルを持つことすらなかなか凡人にはできないことではあるが・・

スタイルを持つという事は成熟した自我を持つということと同じで、それは芸術と関係なく生きている私たちの人生にもあてはまると思う。芸術家がスタイルを確立するまでに、気が遠くなるほどの鍛錬が必要なように、成熟した自我には深い感情の経験、悲しみや歓び、苦しみの経験が必要なのだと思う(修道院の僧や尼僧が、毎日朝晩、詩篇のような激しい感情表出の詩を繰り返し朗誦するのは、自身の深い感情を引き出す効果があるのだろう・・)

そして成熟した自我(スタイル)を持ってはじめて、自我(スタイル)を破壊したり消去したり、新しく再生したりクリエイティブに自由にふるまうことができるのであって、成熟した自我とは、己を知る自我なのだ。

未熟な自我のままではただの大人しいコピー人間が生まれるだけで、自由も創造性もない。ただの未熟な自我は無我とはまったく違うし、本当の意味での無我、つまり創造的にはなれないだろうと思う。成熟した自我を破壊して初めて、無我というものが生まれるのではないだろうか。

昔、S君から「制約があるから制約を超えることができる」という事を教えてもらったけど、己を知ることはすごく難しい。己を知るのは、挫折したり壁にぶち当たったり悩んだ末に、ようやく朧に見えてくるものなのかもしれないけど・・

・・失敗を恐れるな。失敗なんてないんだ。~マイルス・デイヴィス

・・10代~20代の初めにかけて、ジャズを子守歌のように毎日聴いていた私たち。結果はともあれ、恐れることなく様々なことに挑戦することができたのも、身体に無意識に沁み込んだジャズのお蔭なのかも知れない・・そして何かに挑戦するとき、先が不確実で不安定であるそのことがまさに輝くばかりの勇気と力となったのは、若くて向こう見ずだったせいもあるけど、ジャズが身体に教えてくれたことだったのかもしれない。

泣きたくなるほどの優しさも恋の痛み、孤独、生きる辛さも歓びも教えてくれたのはジャズだったし、人生には陶酔の瞬間があることを教えてくれたのもジャズだった・・ そして、どんな状況でもアドリブで切り抜けられることを教えてくれたのも、ジャズだった・・

リクエストしたコルトレーンの『Selflessness My Favorite Things 』を、S君と並んで座って黙って聴く暖かい春の日であった。




nice!(1)  コメント(0) 

梟翁夜話 №85 [雑木林の四季]

『「桜の民」余談』

          翻訳家  島村泰治

それは思ひ詰めて言ったことではなく、何かを企んでの言ひ方でもなかったのだが、ある言葉が大向ふの喝采を浴びた話をご披露しやうか。

汚れた選挙を何とかものにしたバイデンが、大統領選を乗り切って就任式に漕ぎ着けたアメリカの話がyoutubeを賑はし、すこぶる付きの保守である筆者が推したトランプが一敗地に塗れて悄然としてゐた折、たまたま同じ視点からアメリカ話をしてゐたあるサイトに立ち寄った。見れば、主宰者が支那名、それが中共を大いに貶し「トランプさんは残念なことをした」と、保守臭豊かな話っぷり。座り直して耳を澄ませば、一くさりのトランプ話に続いて何と武士道の話をし始めたではないか。戦に敗れたトランプを惜しみ中共を貶し武士道を讃へる支那人、これは只ならぬ取り合はせだ、と筆者はどんと座り込んで彼の話に聞き入った。

〇〇と云ふ支那人と思いきや、当の主宰者は名前はふた文字の支那名だが、今や帰化して日本人、それも鮮やかな日本語を操ってゐるではないか。それも大時代な漢字でなく和風漢字を巧みに操る様子に好感を覚える。何でも日本への憧れは武士道への傾倒が切っ掛けで、それが遂に帰化へと昇華したと云ふ。

その日の話は武士道と桜、武士道は修行と悟りながら「桜」がこれにどう結びつくものか、とんと判らなかった、と語る。並の花は蕾から花になり、やがて弱り姿が崩れて落ちるものだ、とは知らぬでもない。桜も花なら変わることも無かろうと思ってゐたのだが、と彼は振り返る。

某夜、夜桜を愛でる場で、薄明かりに咲く桜を見上げその美に嘆息してゐたが、そこに来たった一陣の風に桜の花びらが一斉に散った。まだ弱りもせず、姿も崩れてはいない花々が燦然と散った。それを見た〇〇氏ははっと胸を打たれたと云ふ。さらに、数年前、ある踏切である老女を助けながら自ら命を落とした村田某なる女性の話を続けて語り、仁義のため弱きもののために、燦然と命を捨てる気概に武士道の真髄を見た、侍なきいまも日本人の心に武士道の魂が息付いてゐる、と彼は飄然と語った。

たまたま聞き入った〇〇氏の語りに、筆者は久し振りに心を揺さぶられた。帰化したとは云へ支那人の血が流れる彼の心に沁みてゐる武士道とは、と考えて一瞬思考が停止した。時を同じくして、昨今の日本人のらしからぬ振る舞いの数々が思ひ出され、中央の政府に蔓延るらしからぬ挙動に思ひが至って、筆者は咄嗟に〇〇氏にひと言あるべしと、キーボードを叩いた。

「〇〇さん、昨今の軽薄な日本人に失望しかけている八十六歳の老爺の目にあなたがどう映ってゐるか、ご想像なさってください。桜の民の一人として、あなたに満腔の謝意を表します。深謝。」
数刻後、このサイトから知らせが入った。それが何本も知らせがあって、筆者の書き込みに文字の拍手が寄せられた。
曰く、「凄い。私も86歳になってもネットしていたい(^^♪」
曰く、「「桜の民」良いですね⸜(*ˊᵕˋ*)⸝」
曰く、「貴方様も素晴らしいです。素晴らしいお言葉です!」
そればかりではない。あれから4時間ほど経った今、見れば筆者の書き込みに何と1000個の「いいね」が寄せられている。
唖然と云ふのはこのことか、筆者はいま陶然としてゐる。たまたま宣長を読みかけながら、漢心(からごころ)より大和心(やまとごころ)ぞ、と戒める日々ながらも、不図綴った桜の民のひと言に1000もの賛意を得やうとは愉快な心外、改めてこの国に生を受けたことの幸せをしみじみ思ふ。


nice!(1)  コメント(0) 

検証 公団居住60年 №77 [雑木林の四季]

ⅩⅢ 独立行政法人化して都市再生機構に改組

 
    国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

5.都市再生機構法案と国会審議

 独立行政法大都市再生機構は、都市基盤整備公団を廃止し、地域振興整備公団の一部を統合して設立される。法案は2003年2月12日に閣議決定、第156国会に提出された。機構の組織、運営、財務の大枠は独立行政法人通則法(01年1月施行)できめられており、新法は第3条(機構の目的)のほかは、おもに業務の範囲と実施方法等をさだめている。
 通則法によると、法人の長と監事は主務大臣が任命し、解任する権限をもつ。制度上の要となるのは、主務大臣が決定する「中期目標」(3~5年目標)であり、これをうけ法人が「中期計画」を作成する。計画は「業務運営の効率化」「財務内容の改善」を図るものでなければならない。総務省のもとにおかれる「評価制度委員会」は、たえず法人の組織・業務を評価し、定期的に(3~5年ごとに)中期目標にてらして「当該独立行政法人の存廃・民営化にっいて検討する」ことになる。独法化の目的は、公共的な事業を「効率的かつ効果的に行わせ」、やがて廃止ないし完全民営化していくための中間段階、橋渡し役にしており、会計処理は「企業会計原則」による。ただし余剰金の使途は主務大臣の認可を要し、「企業の自由」は制限される。
 都市再生機構法案の提案理由をつぎのように説明している。
 大規模な工場跡地や地上げによる虫食い地等の土地利用は適切に転換できておらず、密集市街地については権利関係が複雑なため民間だけでは整理改善が困難な状況にあり、民間による都市再生の条件整備を図ることが大きな課題となっていると前置きして、機構の目的をかかげる。
 1.すでに市街地を形成している区域において都市再生に民間事業者を誘導するための条件整備として、権利関係の調整等のコーディネート業務や関連公共施設の整備をおこなう。
 2.賃貸住宅の供給は民間事業者にゆだね、機構は敷地を整備し提供する。
 3.都市公団から承継する賃貸住宅を管理し、必要な建て替え等をおこなう。
 4.新たな市街地整備を目的とする宅地開発、政策的に機構が実施する必要のない業務は新規に着手しない。
 全国自治協は法案審議をまえに国会各党に要望事項をしめし、協力要請と懇談をかさね、各地方自治協でも地元選出議員に要請をつづけた。各党もこれを重視し、自民党には「公団住宅居住者を守る議員連盟」、民主党では「公的貸賃住宅の将来を考える市民・議員懇談会」が結成され、かつてない状況が生まれた。これら議員連盟はいまも続いている。
 都市機構法案は2003年4月18日に衆院国土交通委員会で審議にはいり、6月13日の参院本会議で可決成立した。委員会審議は衆院で5月7、9、14日、参院も6月10、11、12日の各3日間ひらかれ、うち各1日は参考人質疑がおこなわれた。両院各委員会とも賛成多数で可決した後、全会一致で政府と機構にたいする付帯決議を採択した。
 数多くの特殊法人が審議らしい審議もないまま、ほとんど一括で独法化されてきたのにたいし、都市機構法案については両院とも各3日間、委員会審議と自治協代表をふくむ参考人質疑がおこなわれたことは、当時の国会状況のなかでは大きな成果といえよう。審議にあたっては各委員とも自治協の要清をうけとめ、有効な大臣・政府答弁を引き出すことができた。委員会室に各自治会から延べ700人以上の傍聴者がつめかけ、大臣をはじめ各委員の注目をあつめた。「こんなに多くの方が傍聴される委員会は数少ない。それだけ心配されているんです」との発言がその場の雰囲気をったえている。
 法案審議は冒頭から「新法人になっても住みつづけられる権利が守られるかどうか」との質問に、扇千景国交大臣は「ぜひご安心いただきたい。現に入居している居住者の安定に最大限に配慮することだけはきちんと担保させていただく」と答えた。既存公団住宅の役割と居住の安定確保にかんするかぎり審議はこの基調ですすんだ。
 参考人質疑には、衆院は岩沙弘道(三井不動産株式会社社長)、山口不二夫(育帽院大学教授)、多和田栄治(全国自治協代表幹事)、参院には伊藤滋(早稲田大学教授)、原田敬美(東京都港区区長)、片岡規子(全国自治協幹事)が立った。
 参考人の冒頭発言で岩沙は、新法人にたいし民間ディベロッパー事業に先だつ都市基盤整備と、公団既存住宅の建て替えによって生まれる余剰敷地の提供に期待を表明した。経営分析が専門の山口は、借入れ過多依存のなかで不適切な資産を増やしつづけ、不良資産化している都市整備部門の不健全な経営と、賃貸住宅部門で稼いだ毎年3,000億円弱の利益が支払い利息ですべて消えてしまう構造についてのべた。多和田は全国自治協の調査をもとに、居住者の生活と家賃負担の実態を紹介しながら、収入に見合った家賃制度への改善をもとめ、新法人が管理の民間委託拡大や住棟売却ではなく、住宅と住環境の保全、コミュニティの形成に寄与するよう訴えた。

『検証 公団居住60年』 東信堂


nice!(1)  コメント(0) 

日本の原風景を読む №23 [文化としての「環境日本学」]

月の山に祈るー月山

 早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

母の胎内へ
 巨木、巨岩に宿る日本の神々と大陸渡来の仏が今も密度濃く共生している祈りの山、月山。「東日本大震災の後、月山を訪れる人が増えました。皆さん心の拠りどころを求めているように思えます」(出羽三山神社・吉住登志喜禰宜)。大自然への憧れ(アニミズム)と畏れ(マナイズム)の記憶がともに蘇り、聖域を訪れ、祈る人々が増えているのでは、と吉住禰宜は共感を深める。
 出羽三山の神は、山の神信仰の古層に仏教、修験道が習合したものである。羽黒山で現世、月山で死後、湯殿山で未来のそれぞれの体験を経ることで人は生まれ変わる、とされる。開祖は崇峻天皇の御子・蜂子皇子(はちのこおうじ)。人間の苦悩を一身に背負ったとされる異形の容貌は忘れ難い。
 なぜ、あなたは今、月山に詣でるのか。白装束に金剛杖の山伏たちは即座に答える。「母の胎内に入って、修行し、再びこの世に生まれ変わる擬死再生のためです」(羽黒三山神社祝部・早坂大進坊さん)。お椀型の巨大な山容に包まれ、神と仏が混在する山岳風景と対面する時、山伏たちに眠っていた本能と野性が蘇り、心の拠りどころを確信するに到るという。
 ―-山岳は人間の現世とは異なる空間であり、生まれる以前の胎内であると同時に、死後の世界ともなる。そして生と死の相互は浸透して、人間の生から死へという、一方的で終わりのある時間・終わりなき時間・循環する時の流れへ、とっくり変えていくのが修験道の時間認識なのである。(鈴木正崇著『山と神と人』淡交社)
 出羽三山神社の門前町手向(とうげ)で宿坊を経営する早坂さんは、山伏体験(修験道)を語る。最近では個人で体験修行に訪れる人の六割が女性だ。
 五月半ば、豪雪の出羽三山はようやくすべての道を冬から解放する。羽黒山(四一四メートル)、月山(一九八四メートル)、湯殿山(薬師岳五〇四メートル)からなる出羽三山は、渓流とどろく山麓から隆々と岩の稜線を連ねる残雪の山腹まで、ブナの鮮烈な新緑とほとばしる水に沸き立つ。

すべての吹きの 寄するところ
 鶴岡市、山形市などを起点に整備された道をたどり、出羽三山の聖域を回れば、日本のカミの素顔と間近に接し、私たち自身の心情、暮らしの流儀に繋がる原風景と再会することが出来る。
 月山には極楽世界を司る阿弥陀如来が宿り、過去の世界の表現とされている。羽黒山は現世の象徴である。国宝羽黒山霊の塔、月山、羽黒山、湯殿山の三神を祀る三神合祭殿などは見慣れた風景だ。推古十三年(六〇五年)空海により開山されたとされる湯殿山は、未来の世界を物語る。
 湯殿山の谷底に鎮座している山岳信仰の神は、温泉が噴き出し、全面に流れ続ける茶褐色の巨岩である。神と仏以前の自然信仰の現場、修験者たちの聖域である。

 真言宗大日坊瀧水寺の真如海上人、作家森敦の『月山』(昭和等-九年芥川賞受賞)の現場、真言宗・注連寺の鉄門海上人など、湯殿山周辺の寺には六体の即身仏(ミイラ仏)が安置されている。木喰を経て命を絶ち、浄土に到ろうとした僧侶たちの行動の激しさに、たじろがざるを得ない。
 火炎が上がり、祈繭の経が朗々と響きわたる大日坊瀧水寺で遠藤宥覚買主は語る。「拝む対象は一つ。天照大神は大日如来であり、八幡さまは阿弥陀様です」C明治元年の神仏分離令から一五〇年、神と仏が習合した信仰の場が、なおこの土地に脈々と息づいている。日本最大の財閥の中心人物が生前この社に通ったという。
 「すべての吹きの寄するところ これ月山なり」。月山と対する注連寺でひと冬を過ごした作家森敦は、うめくように記した。
 「吹き」は日本海からのシベリア烈風の景であろうが、山岳信仰に発し、神道、仏教、道教を交えた修験道が混沌と重なり合う日本文化の基層の暗喩とも思える。
 「月山は月山と呼ばれるゆえんを知ろうとする者にはその本然の姿を見せず、本然の姿を見ようとする者には月山と呼ばれるゆえんを語ろうとしないのです」。
 森敦は友人と共に注連寺から十王峠を越え、月山籠りと決別しようとする前夜の思いを記した。
 ――私にはもう十王峠から傭撤する庄内平野が、ひょうびょうとして開けて来るのです。いちめんの緑とはいえ鳥海山はまだ白く、あの秀麗な富士に似た姿をその果てにそばだてているであろう。そこには最上川や赤川がこの月山の雪から生まれ出たとも知らぬげに、流れるともなく流れているであろう。(中略)
 十王峠は幽明の境のように言われ、じじつそんなところと聞かされていたせいか、そこを越え戻ろうとするまさにこの世であるべきそうした眺めが、かえってこの世ならぬもののように浮かんでくるのですが。(『月山』)      
 昔人は峠に不思議な呪力がこもると感じ、峠を畏敬して道祖神を祀った。今も十王峠には赤い布をまとった道祖神が鎮座している。

峠は決定をしいる
 湯殿山信仰が盛んだった室町時代から約五百年、今、再び海辺の鶴岡市から内陸の山形市へ到る信仰の道「六十里越」、「出羽の古道歩き」に人気が高まっている。注連寺、十王峠(鶴岡市)などを訪れるルートを時間と脚力に合わせて選べる。
 国道一一二号と山形自動車道からも車で六十里越街道と直接交わり、名所を訪れることが出来る。この世とあの世を分けるとされる十王峠で、突然ま正面から向かい合う残雪の月山は、たとえ私たちが神仏への記憶を忘却していたとしても、神々しさに心揺さぶられることであろう。
 山形市出身の詩人、真壁仁の詩「峠」の一節を思わずにおれない。

  峠は決定をしいるところだ。
  峠には訣別のためのあかるい憂愁がながれている。
  峠道をのぼりつめたものは
  のしかかってくる天碧に身をさらし
  やがてそれを背にする。
  風景はそこで綴じあっているが
  ひとつをうしなうことなしに
  別個の風景にはいってゆけない。
  大きな喪失にたえてのみ
  あたらしい世界がひらける。 
  (『真壁仁研究』第4号。東北芸術L科大学東北文化研究センター刊)

 「大きな喪失にたえてのみ/あたらしい世界がひらける」。峠からの風景は、立ち往生している私たちに、大きな選択と決断を強いているのかもしれない。十王峠を擁する鶴岡市と西川町は、「峠」の詩碑を建てる計画である。

神・自然・人をつなぐ山伏
 ――山伏は霊山に籠り、山々を駆け、谷を渡り、難讐行を体験し、勤行を重ねることで、山岳が持つ自然の霊力を身につけるとされている。また現代における山伏は「半聖半俗」であり、神と人、自然と人、人と人をつなぐ役割をはたしているといえる。(月山・新八方十日プロジェクト「月山聖地巡礼ノ旅」から)
 羽黒町観光協会の山伏修行体験塾への志願者は絶えることがない。
 手向(とうげ)の宿坊(旅館)街には、寺と見まごう豪壮な構えの宿坊が並ぶ。坊と坊との間には立派な鳥居が立ち並び、独立の神社の様式を表現している。神仏習合の日本文化の基層が一見して理解される。習合とは異なる教理を折衷、調和することである。

『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店




nice!(1)  コメント(0) 
前の20件 | -