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『知の木々舎』第285号・目次(2021年3月上期編成分) [もくじ]

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【文芸美術の森】

ケルトの妖精 №46               妖精美術館館長  井村君江
 シェイクスピアと「夏の夜の夢」の妖精 3
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-27-9

じゃがいもころんだⅡ №38             エッセイスト  中村一枝
 私の八十年 父との思い出
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-14-6

渾斎随筆 №76                       歌人  会津八一
 文化の反省
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-27-7

石井鶴三の世界 №182                 画家・彫刻家  石井鶴三
 東大寺南大門仁王 1961年/二月堂仁王 1961年 
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-27-8

過激な隠遁~高島野十郎評伝 №46      早稲田大学名誉教授  川崎 浹
  第七章 「小説なれゆくはて」 10
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-27-6

西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」№53 美術史研究家 斎藤陽一
 歌川広重≪東海道五十三次≫ 「品川日之出」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-27-5

往きは良い良い、帰りは……物語 №92  俳句・こふみ会同人  多比羅 孝
  コロナ禍による在宅句会 その7
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-27-4

【ことだま五七五】

日めくり汀女俳句 №77                 中村汀女・中村一枝
 八月十三日~八月十五日
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-27-3

草木塔  №83                        俳人  種田山頭火
 孤寒 8
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-27-1

読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №105              川柳家  水野タケシ
 2月17日、24日放送分
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-27

【核無き世界を目指して】

はるかなる呼び声 №11                          エッセイスト  関 千枝子
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-12-7

【心の小径】

論語 №115                                                        法学者  穂積重遠
 三五八 子のたまわく、その位に在らざれば、その政を謀(はから)らずと。
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-25-1

批判的に読み解く「歎異抄」№23     立川市・光西寺住職   渡辺順誠
「歎異抄」の著者(唯円)の立場  歎異抄の批判的読解
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-25

【文化としての環境日本学】

日本の原風景を読む  №20                         早稲田大学名誉教授 原 剛
 山 山岳に宿る神仏 2        
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-25-8

【雑木林の四季】

浜田山通信 №284                                    ジャーナリスト  野村勝美
 逆ワイロ
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-26-6

私の中の一期一会 №232             アナウンサー&キャスター    藤田和弘
 総務省の接待スキャンダルに絡んだ山田真貴子内閣広報官は菅首相の守護神?
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-26-7

BS-TBS番組情報 №229                                  BS-TBS広報宣伝部
 2021年3月のおすすめ番組(上)
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-26-5

バルタンの呟き №92                 映画監督  飯島敏宏
 「2030年の挑戦」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-26-4

医史跡を巡る旅 №84             保健衛生監視員  小川 優
 ワクチンを巡る
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-26-3

海の見る夢 №2                                    渋澤京子
 子どもの情景                            
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-26-2

梟翁夜話 №82                                   翻訳家  島村泰治
 「翻訳松竹梅」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-26-1

検証 公団居住60年 №74      国立市富士見台団地自治会長 多和田栄治
 小泉「構造改革」と公団住宅民営化の道 
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-26

地球千鳥足 №141       グローバル教育者・小川地球村塾塾長  小川彩子
 「生涯精進!(母84歳)」、「直進!(父88歳)」の遺訓、守れているかな?
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-13

【ふるさと立川・多摩・武蔵】                                                   

道つづく №5                         鈴木闊郎
 初芝居
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-25-6

線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №169             岩本啓介
 飯山線    
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-25-5

押し花絵の世界 №129                                    押し花作家  山﨑房枝
 「My Garden」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-25-4

ミツバチからのメッセージ №42  造園業・ミツバチ保護活動家  御園 孝
 イタリア 2
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-12-5

多摩のむかし道と伝説の旅 №57               原田環爾
 中世の軍道、深大寺道を行く 3
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-25-2

国営昭和記念公園の四季 №77
  こもれびの里の紅梅
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-28-1

【代表・玲子の雑記帳】             『知の木々舎 』代表  横幕玲子
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-02-26-8






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ケルトの妖精 №46 [文芸美術の森]

妖精の女王ティターニア

        妖精美術館館長  井村君江

◆シェイクスピアが『夏の夜の夢』のなかで、高慢で強情でコケティッシュな妖精の女王として描いたティターニアは、古典世界ではきらびやかな神話体系に属している。
 ティターニアの名は「タイタン(巨人神族)の娘」からきている。ところが「ウラノス(天)」と「ガイア(地)」のあいだに生まれた「太陽神ソル」の姉妹、「月の女神ダイアナ」もティターニアと呼ばれたので、それぞれの名前のもっている意味がひとつに重ねられて、妖精の女王と月の女神はしだいに同じキャラクターをもつようになった。
 シェイクスピアはティターニアの姿を魅力的に創りあげたが、ここでもティターニアには月の女神ダイアナの性質がつけ加えられている。妖精たちの月夜の輪踊りの場面などに、それをうかがうことができる。
「月夜の森で歌に合わせて輪踊りをしておくれ」とティターニアが言うと、妖精たちは、「災い、呪い、怪しいものは、女王さまに近寄るな」という守護の歌を歌って、安らかな眠りを誘う。
「月が、ほら、泣いているみたい。月が泣くと小さな花も一輪残らず涙を流す。きっとどこかで乙女が汚されたのよ」と、シェイクスピアはティターニアに言わせているが、処女を守護する月の女神の性格として、これは当然のことだといえる。
 シェイクスピアの妖精たちは花々や昆虫に囲まれて暮らしている。その名も「辛子種」や「蜘蛛の巣」「豆の花」「蛾の君」というように植物や花、蝶や昆虫の化身のようであり、微小で繊細で美しいイメージである。そしてティターニアのベッドは甘い香りを放つすみれや忍冬(すいかずら)、癖香いばらでできており、蛇のエナメルの皮や煽蟻のつばさの皮は妖精の服になる。妖精たちは蜂の巣からは蜜を、リスの蔵からはクルミを集めている。
 また、シェイクスピアは『ロミオとジュリエット』のなかでも、妖精マブとして妖精の女王を登場させている。ここでは妖精マブは、メノウほどの小ささで「ハシバミの実の殻の車」を「ケシ粒ほどの小人」に引かせている。妖精マブが恋人の頭を通れば恋の夢、妖精マプが弁護士の指のあいだを通れば謝礼の夢など、人間に夢をみさせる妖精(フェアリー・ミッドワイフ)とされている。
 妖精マブの侍女は蝶の羽で扇をこしらえたり、蜂の足をローソク代わりにしてそこに蛍の灯を灯したりするなど、『夏の夜の夢』のティターニアの寝所の場面に登場する妖精たちの繊細な姿につながっている。
 マブという名前は、ケルト神話の戦いの女神メイブや、コノートの女王メイブにも重なっている。ケルト神話の世界では、戦いに敗れた女神ダーナ神族が海の彼方に常若の国、地下に妖精の国をつくり、ミディール、オィングス、フィンバラ、マナナーン・マックリールなど、たくさんの神々が妖精の王になっているのだ。
 ウェールズ語の「小さい子」を意味するマブとかマベルからとられたという説もある。

『ケルトの妖精』 あんず堂


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石井鶴三の世界 №182 [文芸美術の森]

東大寺南大門仁王 1961年/二月堂仁王 1961年

        画家・彫刻家  石井鶴三

1961東大寺南大門仁王.jpg
東大寺南大門仁王・西方 1961年 (173×124)
1961三月堂仁王.jpg
二月堂仁王 1961年 (171×124)

**************  
【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】

明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。

『石井鶴三素描集』形文社

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渾斎随筆 №76 [文芸美術の森]

 文化の反省

            歌人  会津八一

 私は東京に四十年あまり暮して、それから戦災で無一物になり、學校教師をやめて故郷へ歸って来たものだが、東京に住んで居た長い間に、一度も文化の意義とか、その必要とか、向上とか、そんなことでつくづくと考へてみたこともなかった。だから自分から人の前へ出て、さういったことでお説法めいたことを、喋舌ったことはなかった。
 けれども新潟へ歸.って来て驚いたのは、そんな問題で、話をさせられることが多いことだ。何かの會とか團體とかいふものが、いい指導者を見つけて気を揃へて、たとへば農事の講習を受けるとか、洋裁のお稽古をするといふやうなことは、それは、ほんとにいいことで、三回のところを、都合が附かないために一度しか聞かれなかったとしても、その一度でも、聞いただけで、そのままほんとにためになる。だから大におやりなさるがいい。けれども文化問題といふものはそんなわけには行かない。同じ文化問題でも、枝葉末節の方なら、まだいくらかためになることがあるかもしれないが、根幹とか精神とかいふことになると、どんなに偉い指導老を擔ぎ出して来て、それに取り縋って聞いて見ても、ただそれだけで、いい効能が顕はれるといふわけには行くものでない。また憺ぎ出されて講樺をする方の身になっても、その人が正直で、誠實な人ならそんな覚束ない役目を、買って出ることをめつたに望むものでない。それを職業にして居て、話上手に、説き去り、説き来つて、進に満場喝采のぅちに説き了るといふことまでは、熟練な語り手には困難でないかも知れないが、それが面白かったといふだけでは、聞いた方の人達の文化がそれで進んだとは云へない。聞いて来た通りを、村へ歸って、友だちにも話す。それを聞いて、皆が面白がる。そんなことは、いつもあることだが、それだけで、その人なり、それをまた聞きした人たちなりが、大に文化的に偉くなったといふわけではない。いい事、新しい事、それを聞くのはいいことで、自分のためにもなるし、そのお裾分けをしてやつても、人のためにもなる。しかし、それでは、只だ「耳學問」をしたといふだけのことで、ほんとにその人の心にまで響くほどの感激を受けて居ない。そんなことでは、文化的に見て偉くなったとはいへない。心にまで深く響渡るほどの感激を受けたばかりでなく、その後は、物に對し、人に對し、自分に對して、その人の判断も、行動もが、まるで別な人を見るほどに變て来る。しかもそれが、只だ一度だけでなく、だんだんと、そんな風に進んで行く。しかも、それは何度まで行ったから卒業だといふのでなく、どこまでも繰り返し、繰り返して進んで行く。かうなって初めて文化的の本筋の生活に、はひつたと云ふのだ。馬鹿の一つ覚えのやうなことを、生兵法を振りかざして、文化人気取りもないものだ。だから文化生活の正しさ、ありがたき、願はしさ、従ってまた厳めしさ、気むづかしさ、それをこひねがふものは、請け賣りの文化講演などをやめて、もつと眞面目に、謙虚に、獣々として實行、實現の生活に、はひらなければならない。だから私などは、何十年も東京に住んで居ても、そんなことを滅多に人に向つて説いたことがなかったのだ。
 そこでこの文化生活といふことは、大金をかけて上等の設備をして、電燈會社でも起して、自分の住む地方を明るくし、それと共に大いに儲けて、たくさんの配當が出来たといふこと、それは勿論いい事であり、また大切なことであるが、それだけで、それを文化生活などいっても、何か少し物足りない。たしか昨年の年頭にも、私がこの新聞で書いたやうに、新潟では美術がよく理解されて居ない。たまに大金を投じて美術品を買ひ集めても、ほんとのところは利殖のためにやつて居る人が多いのらしい。もとより大金を掛けて、大に儲ける腹構へであれば、そのために損をせぬやうに一心になって、参考書や實物を、よく研究して、鑑識眼も人よりも鋭くなり、また正確になるのは珍らしくもない。従って滅多な骨董屋や、批評家が遠く及ばないことがある。けれども、これは営利に抜け目がないために、無暗に手堅くしてゐるといふだけのことで、よしんば、その人が正しいものを澤山に持って居たとしても、それを決して文化生活などとは申されない。
 また、今では、越後の名物となって居る良寛和尚でも、この人が存命の時に、この人の歌なり詩なりについて、果してどれだけの人が、どれだけの程度まで、ほんとに理解し、そして、この人に對して、どれだけほんたうの敬意を抱いて居たものかを考へて見たい。變った坊さんで、變った文字を書くといふほかに、大多数の人々が、あまり深い敬意を拂って居たとは思はれない。なぜかといへば、その人たちの人生観や藝術観とは、あまりに遠い良寛和尚であったから。しかるに、彼は、何處へ行つても、筆と紙とを持って、行くさきざきへ迫ひかけて来て、字を書いて欲しがる人は、遂に絶えなかった。それは、よく解らないけれども、變って居るから欲しい。謝禮がいらないからほしい。人が持ってゐるから欲しい。あとで高くなるかも知れないから欲しい。さういふ熱望者は、いつの世にも絶えないものだが、この中のどれにしたところで、決して文化的な理由だとは思はれない。
 また現代になって、良寛なら良寛、誰なら誰といふ風に、その人に専門といふか、専属とでもいふか、特別の鑑定家といふものがあって、なるほど、よく調査がしてあり、微細にわたって、時としてはつまらぬ末の末の果までも知って居り、判断は概して正しい。それはまことに感心するが、その人が、歌の一首も自分で詠めるでもなく、文字らしく文字が書けるでもなく、大昔の歌でも、良寛の同時代の歌でも、現代の歌でも、凡そ良寛の歌のほかには、歌らしい歌を知らず、良寛の書道のほかには、何一つ古今の書道を知らず、ただ良寛をたくさん手掛けた関係から、良寛だけはわかるといふのは、永い年月を白米商をやって居たので、その経験から、一撮みの白米を手のひらの上に載せてやると、すぐ正にその産地をいひあてるといつたやうなもので、その判断には敬意を表さなければならないが、その人をば、決して文化的だといって褒めるわけには行かない。ただ細かいことを、隅から隅まで知り抜いて居るといふだけでなく、それをいぢる人の心と、良寛なら良寛の心と、或はその藝術心とこちらの藝術心とが、どこの所かで、のつぴきならぬ感交がなくてはならない。
 美術品はたいてい高債なもので、貧乏人では買ふのなんのといふことは出来ない。そこで貧乏人はコロタイプの印刷かなどで、ひそかに鑑賞をして、それで満足するよりしかたがない。とにかく、そんな間にでもいくらかの鑑賞の満足が出来るのは、ありがたいことだ。しかしこの印刷物を賣り拂つても、いくらの金になるものでもないが、金儲けを目的にする骨董の賣買よりは、こちらの方が、美術に封しては、ずつと本格的の態度と云はなければならない。高い金を拂ふだけの力が無いからと云つて、それで軽蔑さるべきではない。                 (新潟日朝昭和二十八年一月一日)

『会津八一全集』 中央公論社


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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №46 [文芸美術の森]

第七章 「小説なれゆくはて」 11
 
      早稲田大学名誉教授  川崎 浹

「私はすでに死んでしまっているのです」

二月三日
 東急本社勤めの、開発課係長というのが来、川名に行って新築を見て来た、内には入れなかったが田端氏にも会って話を聞いて来た。どうやらコブタが失礼な事を言ったようでまことにすみません。あの男は実は東急とは何の関係もないのです。彼のやっている事は本社の委託でも契約でもなく、彼独自の仕事です。とにかく以来彼の本社への出入り禁止にしています。色々失礼したようですが、とにかく田端氏がお気の毒です。田端さんも先生の事を心配しています。先生も田端氏の立場を考えたらどうかと思っています。これから度々私もお伺いしてご相談する事になると思いますが社員の田村もお伺いさせます。コブタはもちろん、東急の人にも最早だれにも会いたくないと思っている処です。田村君は何度か私にウソをついている、彼には最早会いません。だれにも会いたくないし又会う必要もなくなったのです。私がここに居る居ないはただここの地主との問題だけで外に何も関係ある人はありません。(省略)
…係庭は何のために来たのが言わないで行ったが謝りの文句をいいに来たのが田端氏のことで来たのか、玄関に送って私を無理にでも川名へ追い出そうと手を替え品を替えてやってみるが、もしここから私を追い出すなら一番てっとり早い方法がある。教えてあげましょう。あそこに井戸がある。私は毎日あの水を飲んでいる。あの井戸に少しでいいからセイサンカリを入れる事だ、それで難なく片づいてしまい、だれも分からないし、文句も言われないですむ、そんなことはおっしゃらないがいいですよ、先生の人格に関しますから。でも私はすでに死んでしまっているのです。
 ▲木の節ひとつたがわずアトリエを建てろと注文したのは、自然を破壊する開発業者への批判、その現場をになう者たちの態度への嫌気から出た行為だろう。自分から望む移転と新築ではないので、新アトリエの所有者は開発業者の名義にして、市に寄付する。自分は管理人として居住する。税金など市民としての義務は高島が果たす。高島の死後はアトリエを市に返還する。これが画家の考えついた大義名分であり、抵抗だった。

二月五日
 能登から琵琶湖、京都への旅に立つ、三泊、留守中たいした変わりもなかったらしい、家の廻り。

二月十日
 裏で木炭を切っていたら睡蓮池の向こう側に急にブルドーザーがやって来て地ならし土盛りを始めた。見向きもしないで炭を切りつづける。

二月十一日
 作業の親方裏口に来て、りつばな家が出来ているそうだが早く引っ越したほうがいいのではないかと言った。こちらが提案したとおりではなく逆ばかりやっているので引っ越すわけに行かない、ここに居つづける。君等が困るようなことはしない、君等もここだけのこしてさっさと工事を進めたらいいだろうと言ってやる。

二月十四日
 南方地所へ侵入、二間位こちらを食った、山ほどの土を盛った、この事、一応地主に手紙で通知。

二月十九日
 番頭と東急社員田村とが来た。来たら会わないと追い返してやろうと思ったが何を言うか一寸聞いてもいいと入れてやる。先日本社の係長というのが来たが田村君はウソつきだから会わないと言っておいた。あの係長の命で来たのか。あれは私達の上役ですが今日はその命令ではありません。川名に行って来ましたがあちらは暖かいですよ。行かれたらいいと思うんです。これほんとうに心からですよ。私は高島さんのためにやっているのです。ウソなんかつきません。実を言うと私達の立場が一番つらいのです。本社からは安く上げろとガミガミ言われるし、地主さんの方からは高く高くと言われるし、実の処地主さんの味方になった気でまとめないと成り立たないし、むしろ地主さんのために頑張っているようなものです。高島さんの問題だって事実本社を向こうに廻して頑張りけんかしているようなものです。つらいですよ。だから文句なしでもう止めたほうがいいだろう。

三月一日
 田端と請負師から手紙来る。田端氏は南方作戦に従軍して幸い復員して帰って来たら父は一ケ月前に死んだと初めて知り、孝行したいときには親は無しと感無量であった。高島先生は死んだ父にそっくりよく似て居られる。父のような気がしてならないと書いてある。請負師は房州はすっかり春になりました、とても暖かいです。菜の花が盛りと咲きみちておりますとある。だから是非早く引っ越していらっしゃいとは書いて無い。

三月十九日
 番頭と東急の田村来る。

三月二十一日
 伊藤氏来る。先日コブタが来た由、色々ここの高島の様子をさぐり聞きして行ったとのこと。
▲文中に伊藤氏とあるのは、最初に奥さんと遠に土地探しで相談にのった伊藤武氏のことと思われる。

四月八日
 南風吹いて団地の土を吹きこんで来て室中土だらけ。

四月二十五日
 歌舞伎座でケガ。救急車で木挽町病院に運ばれる。
▲高島さんが劇場の階段から転落して足を骨折したとの知らせを受けたので、私は五月十二日に画家を見舞った。当時私は腎炎に握っていたので二度目は行けなかった。六月十二日に、画家から前月末に退院したとの知らせを受けとる。

五月二十九日
 退院帰宅。

六月二日
 柏市役所に出かける。まだ足が丈夫でないからそろそろ行く。納税、老人年金帳、帰りに伊藤宅に一寸立ち寄ったら、先日東急の男来たそうだが、とにかく個展やるまではだめだと伊藤氏言っといたと。館山市から新築の納税通知書来る。ほうっておこう。新築には高島宛て納税命令が来たが、地所への納税は通知なし、地所はどうしたのか。

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社


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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №53 [文芸美術の森]

                      歌川広重≪東海道五十三次≫シリーズ

          美術ジャーナリスト  斎藤陽一

                           第4回 「品川日之出」

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≪「続きもの」という趣向≫

 「東海道五十三次」の2番目に描かれたのは「品川・日之出」。

 当時の品川は、ご覧のように、海が間近に迫った宿場。街道に沿って宿が立ち並んでいますが、海に面した旅籠(はたご)では、江戸湾から房総半島までを一望できるという眺望を楽しめたようです。

 今しも、品川宿を通過しているのは「大名行列」。画面に描かれているのは、その殿(しんがり)、つまり最後尾です。
 旅の振り出しである「日本橋」を大名行列が旅立った時刻は「七つ頃」(午前4時頃)です。その行列が、この絵の題名にもある通り、「日の出」の時刻、つまり「明け六つ」(午前6時頃)に品川宿に差しかかった、と見ればよいと思います。俗謡「お江戸日本橋七つ立ち」にもある「こちゃ高輪(品川)、夜明けの提灯消す・・・」というその時刻です。

53-2.jpg

 日本橋から品川宿まではおよそ2里(約8km)といいますから、この「日の出」時刻を午前6時ごろとすると、「七つ立ち」(午前4時ごろの出発)をした大名行列は、この距離を約2時間かけて歩いてきたことになる。つまり時速4kmというところ。
 ということは、結構、速足で歩いていることになり、よく映画やテレビで見るような「下にぃ、下にぃ」という掛け声とともに、毛槍を振りながらゆっくりと歩んでいくイメージではありませんね。何しろ、なるべく早く国元にたどり着かなければならないという藩の財政事情があるのですから。

≪連続性と逆転性≫

 こんな具合に、広重は、旅の時間の推移を感じさせることを意図して、この旅シリーズの第1図にあたる「日本橋」と第2図の「品川」を、いわば「続きもの」として描いています。
 広重は、「東海道五十三次」シリーズの全体構想の中で、時に隣り合う図どうしに連続性を持たせたり、あるいは逆転して思い切った変化をつけたりする、ということをやっています。

 このあとの回でも、途中の宿場を描いた図を見ていきますが、その中には、季節の変化、朝・昼・夜という時刻の変化、晴・雨・風・雪といった気候の変化、さらには、老若男女の違い、士農工商といった階級の違いなどを自在に配分し、全体構想に組み込んでいます。
 そのことにより、このシリーズの愛好者が、あたかも自分が東海道を旅する旅人になったかのような気分を味わえる、ということをねらっているのです。
 広重の「東海道五十三次」の人気の秘密のひとつは、そんなところにもあったのでしょう。

≪日常光景の描写≫

53-3.jpg ところで、品川宿の入り口に、文字が書かれた道路標のようなものが立っていますね。これは「榜示杭:ぼうじぐい」と呼ばれる宿場名を知らせる標識です。旅を続けてきた旅人は、この「榜示杭」を見て、どの宿場にたどり着いたのかを知ったのです。

 それにしても、日本橋を出発してわずか2里(8km)のところに次の宿場「品川」があるのはなぜなのか、と思うかも知れません。

 当然ながら、江戸を発った旅人は53か所もの宿場ごとに泊まるわけではなく、その日の夕方にどの宿場に辿り着いたかで、宿を決めることになります。
 品川宿は、ひとつには、京や大阪など西の方面から江戸にやってきた人が、江戸入り前に休んだり、身を整えたり、訪ね先に連絡をしたりするのに泊まるところであり、もうひとつは、品川には遊郭があったので、江戸市中から遊びに来る男たちも多く、それで賑わうところでもあったからです。

 また、この絵を見ると、大名行列を見送る人たちが、道端に身を寄せてはいますが、決して土下座したり平伏したりしていないのに気がつきます。左側にある茶店の女などは、店の前に出て、立ったまま笑って見送っています。

53-4.jpg 庶民が大名行列に出会ったとき、土下座をしなければならないのは、徳川将軍家と水戸・尾張・紀州の御三家などに限られており、通常の行列は道の端に寄って、失礼がないよう見送るだけでよかったと言います。考えて見れば、行列が通るたびに土下座をしたりしていたのでは、商売にも支障がでてきますし、武士階級の生活を支えてくれる農民たち農作業を妨げてしまうことにもなります。
 広重は、そのような当時の日常の光景を織り込んで描いており、それも見どころのひとつです。

 次回は、「東海道五十三次」シリーズの第11図「箱根湖水図」を紹介します。

                                                                  



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往きは良い良い、帰りは……物語 №92 [文芸美術の森]

こふみ会通信 №92 (コロナ禍による在宅句会 その7)
「春が来た」「鷽(うそ)」「春炬燵」「水曜日」

                俳句・こふみ会同人・コピーライター  多比羅 孝

連名で、2人の幹事さんから下記のような≪令和3年2月の句会≫の案内が届きました。

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鬱陶しい緊急事態宣言下の中にも、季節は立春。もう春の句会です。
今回は、勝手に鬼禿と一遅が幹事を務めます。よろしくお願いいたします。
●在宅句会です。
●投句の締切は2月10日といたします。
●兼題:①【春が来た】来た、来る、来いなど、言い回しは自由。
     ②【鷽(うそ)】
     ③【春炬燵】
     ④【水曜日】この語は無季です。各自、季語を選んで作句をお願いします。

●投句先:大谷鬼禿<h-otani@amber.plala.or.jp>
        〒231-0023横浜市中区山下町58-1304
     森田一遅<mrthjm@globe.ocn.ne.jp>
        〒113-0031文京区本駒込2-28-1B-1505

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【通知によって作成。投句された今回の全作品】 16名  64句

【春が来た】 
手の平に乗るほどの幸春が来る(舞蹴)
整然と針目が並び春が来た(華松)
命あれば各人停車で春は来る(尚哉)
ゲルニカに一輪の花春が来る(弥生)
鬼が来る春が来ぬ鬼が来る(矢太)
春が来た パステルで描く 妻の背な(紅螺)
万物も少し狂わせ春来たる(虚視)
春来るや猫のおなかのもふもふと(すかんぽ)
大太鼓ふるえる夜に春がくる(下戸)
春が来て 子等の裸足が 土を蹴る(茘子)
なくしもの 数え数えて 春が来た(兎子)
グンググンと伸びし球根春が来た(小文)
春が来てもどこか歪んだ地平線(鬼禿)
春がきた君のスキップ軽やかに(玲滴)
春が来た日本一の 朝寝かな(孝多)
テレワーク気になる人いて春よ来い(一遅)

【鷽(うそ)】
ささやかな幸福の予感鷽の頬(小文)
嘘つきの 男に惚れて 鷽替えし(茘子)
嘘なら知ってるが鷽なんて知らん(矢太)
鷽鳴きて人間界は面白き(舞蹴)
天平の 乙女香し 鷽の声(紅螺)
恐竜の進化形かや鷽渡る(尚哉)
鷽が来て何やらついばむ母の家(一遅)
鷽鳴きてなほ静けさの深まりぬ(虚視)
鷽替えて深く息するホーム端(華松)
ひょうきんな友かと向けば鷽の声(すかんぽ)
たはむれに口笛吹いて鷽をよぶ(弥生)
壊れゆく函庭のいろ鷽の朱(鬼禿)
鷽だけど 私のままで 好かれたい(兎子)
言葉と言うおそろしきもの嘘の鷽(孝多)
ごめんねと鷽替え誘うにくい人(下戸)
鷽鳴いて胸の赤きに思いよせ(玲滴)
◆残念な句がありました。「鷽替え」は新年の季語。「鷽」は春です。

【春炬燵】
馴れ初めを聞かされてをり春炬燵(弥生)
春炬燵心配性のバロメータ(華松)
春こたつ猫背となりて蹲り(虚視)
ものぐさが逃げ込んでいる春炬燵(孝多)
ワクチンを射つの射たぬの春炬燵(すかんぽ)
屋形船 炬燵の下で 魚(ウオ)跳ねる(茘子)
夢甘し春の炬燵や脚の指(鬼禿)
北斎の終のアトリエ春炬燵(下戸)
生きるのも死ぬのも嫌な春炬燵(舞蹴)
友待つや 春の炬燵で ソーダ水(紅螺)
春炬燵の底に巨きな岩眠る(矢太)
パソコンとプリンタ載せて春炬燵(尚哉)
ねこの居たときの名残や春炬燵(玲滴)
旅の夢 搭乗ゲートは 春炬燵(兎子)
コショコショと内緒話の春炬燵(小文)
あれにそれ亭主に根が生え春炬燵(一遅)

【水曜日】
ミャンマーの放水二月の水曜日(矢太)
水曜日あとは在宅フリージア買う(華松)
春の風邪寝ていたいまだ水曜日(小文)
猫の恋ながめて暮らす水曜日(下戸)
春ショールわたし水曜ノーワーク(尚哉)
在宅を 抜け出し走る 水曜日(兎子)
流れくる野焼きの匂い水曜日(虚視)
水曜日セールに菜花見つけたり(玲滴)
水曜日今日は五時間光る風(弥生)
余寒とは誰とも会えない水曜日(鬼禿)
雪降れば幼児となりて水曜日(舞蹴)
水曜日 休診の女医の 春セーター(紅螺)
水曜日 退院延びて 春逃げる(茘子)
水曜日人生後半不甲斐なし(一遅)
もう水曜日まだ水曜日山笑ふ(すかんぽ)
水曜日 週の真ん中 眠き春(孝多)

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【天句鑑賞】 

●万物も少し狂わせ春来たる(虚視)
観賞短文=寒い冬からやっと春へ。しかしこの今の閉塞感は初めての体験かも。万物もそりゃ狂いたくなるでしょう。「少し狂わせ」ていうところが絶妙!(舞蹴)
観賞短文=こんな春の捉え方があるのですね。東洋医学では自然と人間は相似関係にあるといいますが、人間だけでなく万物そうであると思います。春にはめまいや情緒不安定が多いそうです。春は生物を元気 にする一方少し狂わせるのかもしれません。(弥生)

●北斎の終のアトリエ春炬燵(下戸)
観賞短文=描きかけの絵が散らばる北斎の部屋が、眼の前に展開するようでした。(虚視)

●大太鼓ふるえる夜に春が来る(下戸)
観賞短文=大太鼓・夜・春の取り合わせがセンス抜群、すっきりしているのに余韻があります。(華松)

●鷽鳴きて人間界は面白き(舞蹴)
観賞短文=すこし引いた、客観的な視点がいいな、と思いました。鷽=嘘を軽く感じさせる程度に抑えているのもいいかな、と。(尚哉)

●ごめんねと鷽替え誘うにくい人(下戸)
観賞短文=サラッとできるこういう人に弱いのです。(小文)

●水曜日 休診の女医の 春セーター(紅螺)
観賞短文=「水曜日」お題がとても難しい中、素敵に切り取られたと思います。休みの女医さんの解放された気持ち、春セーターの色やテクスチャーまでイメージがひろがる、素敵な句。(茘子)
観賞短文=何でもない普通の現象を、驚きの念をもって捕えて表現したお手柄。秀句を示して頂き、有難うございました。(孝多)

●鷽鳴きてなほ静けさの深まりぬ(虚視)
観賞短文=鷽の鳴き声を聞いたことはありませんが、甲高く鋭く鳴いて、鷽が飛び去ったあとの早春の爽やかな空気を表現して鮮やかです。(紅螺)

●馴れ初めを聞かされてをり春炬燵(弥生)
観賞短文=男の考える春炬燵とは違って、女性らしいよくある光景、いかにも春の句です。(鬼禿)
観賞短文=自分はストーリーを感じる句が好きですが、これはまさにそれ。「聞かされてをり」のやむなく感が面白い。(一遅)

●生きるのも死ぬのも嫌な春炬燵(舞蹴)
観賞短文=春炬燵から離れづらい気持ちを、俳諧味をもって見事に詠まれていると感服しました。(すかんぽ)

●手の平に乗るほどの幸春が来る(舞蹴)
観賞短文=ほのぼのと身に染みていいなあ。(玲滴)

●春炬燵の底に巨きな岩眠る(矢太)
観賞短文=うららかだけど、不穏と始まりの予感が秘められている。(兎子)

●あれにそれ亭主に根が生え春炬燵(一遅)
観賞短文=ほのぼのとした家庭の雰囲気が伝わってくる名句。今となっては「昭和」の風景ではあるが、そうだからこそ味わい深い。「あれにそれ」の5文字は、何気ないようでいて、こちら側の想像力を刺激する。こんな春炬燵、私もしてみたい。(下戸)

●命あれば各人停車で春は来る(尚哉)
観賞短文=そうありたいなあ。(矢太)

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【今月の成績一覧】
トータルの天=虚視・59点
    代表句=鷽鳴きてなほ静けさの深まりぬ
トータルの地=舞蹴・41点
    代表句=手の平に乗るほどの幸春が来る
トータルの人=弥生・38点
    代表句=馴れ初めを聞かされてをり春炬燵
トータルの次点=下戸・33点
    代表句=北斎の終のアトリエ春炬燵

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近ごろ、オンラインでは、とても熱心に、いろいろな意見が交わされているようです。たとえば、当番幹事役の決め方。たとえば、天をもらった人が天に選んでくれた人へのお礼の気持ちを伝える方法。また、たとえば、オンリーアナログの人への対処の仕方。などなど、嬉しいことです。有難いことです。これからも、新鮮な風を会に吹き込んで頂けるよう、よろしくお願い申しあげます。では、また3月。皆様お元気に。(孝多)

……と書いて、そのすぐあとに、心配のお知らせです。奥様からのご連絡によると、田村珍椿氏が体調を崩され、2月10日、入院されたとのこと。ご快癒の一日も早からんことを祈りあげるばかりです。どうぞ、どうぞ、お大事に。
                   令和3年2月28日  多比羅 孝

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日めくり汀女俳句 №77 [ことだま五七五]

八月十三日~八月十五日

    俳句  中村汀女・文  中村一枝

八月十三日
日盛を盆提灯の売れてゆく
        『都鳥』 盆=秋

 「私、どうも背中にリュックってあのスタイル嫌いなの」。その年齢にしては、きわ立ったベストドレッサーであるSさんの言葉だった。とうに八十を超えているはずなのに、いつ逢っても、どこで逢ってもあれっと思うほど若い。小柄だが均整のとれた体に足のきれいなこと、彼女はいつも小さいショルダーを小粋に肩から。でも荷物が重いとこぼすので、ついリュックをすすめたらそういう返事だった。
 気がつくと、リュックは今やおばさんの必需品。大抵まるくなった背中にこんもりとリュックだ。かく言う私もリュック愛用者。鏡に出逢う度にさりげなく背中を映してみる。

八月十四日
窓の外(と)に燃え果てざりし流れ星
            『汀女句集』 流れ星=秋

 別荘地で小さな講演会があった。講師は窪島誠一郎氏。信州・上田にある美術館「信濃デッサン館」「無言館」の館主、戦争や病気で天折(ようせつ)した不運な画家を発掘し収蔵している。信濃デッサン館には、日系二世の画家野田英夫の作品も収められている。野用の父母は熊本県人で、その縁で平成元年県立美術館で展覧会を開いた。
 講演会は二時間近い熱演で、深い感動を聞者に与えた。骨っぽい語り口の中に彼の生き方への真筆(しんし)な問いかけ、心悩みし者、傷つきし者への共感がひしひしと胸を打った。

八月十五日
草いきれ秋より滋(しげ)き昼の虫
          『花影』 昼の虫=秋

 八月十五日を知らない若者が増えている。先の戦争を正当化する声も聞こえてくる。戦争についてはっきりしたケジメをつけずにきた五十五年。つけは今、確実に回ってきている。
 その朝、ひとしきり仏壇の前で泣いた後、私は母と町へ行った。男が「戦争は負けたんだ。もうモンペなんかはくな」と叫んでいた。家に帰って、押し入れから取り出した白い夏服、手を通すと足の間を風が抜けていく。さっきまでの悲しみが少しずつ解放感に。明日から空襲がない。電気も明るい。嬉しかった。

『日めくり汀女俳句』 邑書林


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草木塔 №83 [ことだま五七五]

孤寒 8

            俳人 種田山頭火


  春が来たいちはやく虫がやつて来た


  啼いて二三羽春の鴉で


  咳がやまない背中をたたく手がない


  窓あけて窓いつぱいの春


  しづけさ、竹の子みんな竹になつた


  ひとり住めばあをあをとして草


  朝焼夕焼食べるものがない


『草木塔』 青空文庫

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読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №105 [ことだま五七五]

         読む「ラジオ万能川柳」プレミアム☆ 2月17日、24日放送分

      川柳家・コピーライター  水野タケシ

川柳家・水野タケシがパーソナリティーをつとめる、
読んで楽しむ・聴いて楽しむ・創って楽しむ。エフエムさがみの「ラジオ万能川柳」、
2021年2月17日放送分です。

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これからテレビ朝日にいきま~す!

ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)が
キャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、
毎週水曜日9時5分から放送しています。
エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらから!
放送の音源・・・https://youtu.be/I08etABSXGs

【話題】
森さんが五輪組織委員会の会長を辞めましたね。
森さんというのはある意味凄い人で、2000年に総理になったんですけれども、
その後20年以上ずっと川柳のネタを提供し続けてきた人なんですね。

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(みなさんの川柳)
※敬称略 今週は217句の投稿がありました!
 ・会長を今からする人居らんやろ(名人・どんぶらこ)
・返信の字の乱れから見る不安(模名理座)
・まだ騒ぐ血がある春のスニーカー (名人・重田愛子)
・どんな危機にもスーチーの耳飾り(翔のんまな)
・作り行く川柳ばかりで元気出る(初投稿・川柳大好きっ子)
・木ばかりで森が見えない元総理(初投稿・ 一号)
・受験生番号見つけ風光る(外科系)
・お粗末なココアがダメならカフェオレで(司会者=名人・あさひろ)

☆あさひろさんのボツのツボ
「ラジオ万能川柳。季節を感じさせる暖かい句も。新型コロナのワクチン接種が今日から始まりました。とは言えまだ緊急事態宣言発令中。句会や勉強会それに飲み会も早く顔を合せて行えるようになるといいですね。ボツの壺『スカイプで帰らんちゃよかと言う母』東考案。故郷への帰省も、もうしばらく我慢。」

・おい背中お前もギックリしちゃうのか(パリっ子)
・済ませたよPCRねえ抱いて(大名人・平谷妙子)
・日曜日チョコをもらえぬ理由でき(おむすび)
・アラエイトみんなあんなじゃありません(柳王・雷作)
・10万キロ車と長寿競い合い(名人・龍龍龍)
・頼むからラジ川やって!休刊日(離らっくす)
・正座してエフエムさがみ聴く水曜(じゅんじゅん)
・10年かまだ10年かあの地震(がんにんぼうず)
・ボツかなと思った週の確かなボツ(ワイン鍋)
・コロナ禍に豪雨大雪大地震(名人・はる)
・東北はまた眠れない夜を過ごす(柳王・光ターン)
・たしなむと言う奴かなりやっている(柳王・入り江わに)
・生ラジ川なのに苛つく宅配便(大名人・フーマー)
・いらねえいらねえいいらねえわ宿題(名人・わこりん)
・楽しみです辰五郎さん第2句集(名人・ぼうちゃん)
・春近しそこまで来てるワクチンも(恋するサボテンちゃん)
・川淵氏ヤル気マンマン肩透かし(金☆玉三郎)
・喋り過ぎたのは男の方でした(柳王・ユリコ)

☆タケシのヒント!
「ユリコさん秀逸10個目で大柳王昇進おめでとうございます。次は秀逸15個の師範代めざして楽しく頑張ってください。『女性は話が長い』といった森前会長への強烈な皮肉ですね。新会長候補の川淵さんも喋り過ぎてしまいました。」

・停電をしてませんかにほろほろり(大名人・かたつむり)
・ひと騒動絶対あるぞワクチンで(のりりん)
・あっ地震妻に被さるほどの愛(咲弥アン子)
・淵野辺の上司に海老名バカにされ(しゃま)
・ディスタンスとっても絆忘れない(soji)
・むずかしい貧乏クジは誰が引く(大名人・アンリ)
・春の海ひねもすヴィヴァルディヴィヴァルディかな(バレリア)
・禁止令孫に接近ぺットだけ(大名人・ポテコ)
・アラートから揺れが始まるまでの鼓動(ペンギン)
・手を胸にオレの中にも森さんが(里山わらび)

◎今週の一句
・喋り過ぎたのは男の方でした(柳王・ユリコ)
◯2席・手を胸にオレの中にも森さんが(里山わらび)
◯3席・どんな危機でもスーチーの耳飾り(翔のんまな)

【お知らせ】
絶好調!アベマTVの「川柳居酒屋なつみ」、
2月12日金曜日21時からの「ぺこぱ」さん後半編ご覧いただけましたでしょうか?
ネットニュースにも上がっているくらい話題になりましたね!
19日まで見逃し配信中ですのでどうぞご覧くださいませ!

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【放送後記】
春めいてきて花粉症の症状が出てきました。
耳鼻科に行って驚いたのは、患者さんの少なさ。
毎年この時期には席なくなるほどの患者さんだったのに……。
こんなところにもコロナ禍の影響が出ているのかもしれませんね。(タケシ拝)

◆24日の放送です
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寒い日が戻ってきてしまいました~~(涙)
放送の音源・・・https://youtu.be/eDX0ygg6ijM

【質問】
タケシ先生、私には日本語の575のリズムが一番難しいです。
何か外国人に向けたアドバイスがありませんか?どうぞ教えてください。
ありがとう!(バレリアさん)

(みなさんの川柳)
※敬称略 今週は194句の投稿がありました!
・ペンを持つとおしゃべりになる話し下手(名人・重田愛子)
・よく効くな貧乏神と湿布薬(がんにんぼうず)
・宿題がはち切れそうなランドセル(翔のんまな)
・ぼけてると落ち込むうちはぼけてない(りんご)
・席替えをするよに就いた同じひと(黒耀舎)
・家庭的そんな体のうちの猫(桐山榮壽)
・詠みたいなコロナ時代もあったよね(まご命)
・貴女しかいないと言われ栗拾い(司会者=名人・あさひろ)

☆あさひろさんのボツのツボ
「ラジオ万能川柳。今週は、日中の気温が20℃を超え、大型連休期間の頃の気温になった日も。春らしい題材句も多数。このコロナ禍に花粉症の方にはつらい季節。マスク、手洗いは欠かせません。ボツの壺『もう5店入口出口手を洗い』龍龍龍。そしてこんな事にも。『手が荒れて指認証にはねられる』東孝案。」

・次々に禍起きるこの世かな(模名理座)
・できるかな腹の内まで透明化(大名人・東海島田宿)
・街中がマスク美人でメロメロに(恵庭弘)
・フルメイクしてパソコンでミーティング(じゅんじゅん)
・豪邸に住んでいたよなゴミの量(美ら小雪)
・背景が生活感を出すZoom(おむすび)
・かんたんに言うんじゃないよゲーム無し(名人・わこりん)
・ラジ川で笑顔溢れる水曜日(名人・やんちゃん)
・日本語で句をひねてみるリルケ道(バレリア)
  (添削例)川柳ひねる リルケの小道

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・日南のコップ一杯氷だけ(大名人・ポテコ)
・あの父とあの母を持つこのロン毛(ワイン鍋)
・春陽気されど政治はいまだ冬(柳王・光ターン)
・7万円何を食わせた菅息子(大名人・フーマー)
・幸せだな妻のパンツを干すときが(辰五郎)
・2月でも何この暑さ異常かな?(ベルマーレあんちゃん)
・スイッチON寒くないのに手が伸びる(柳王・けんけん)
・久しぶりスカートはいた四温の日(名人・ぼうちゃん)
・指を折り創り出したら句は我が子(大名人・かたつむり)
・Lサイズ履いてるうちにLL化(新大柳王・ユリコ)
・「うっせーわ」つい面談で言いかける (しゃま)

☆タケシのヒント!
「大人気のAdoさんの「うっせぇわ」を活かした句です。コロナ禍ならではの流行歌、「うっせーわ」とつぶやくとなんとなくスカッとした気分がしますね。」

・AIよ月が綺麗と訳せまい(パリっ子)
・祝日が入ると締切り混乱す(のりりん)
・陽だまりの猫によく似た祖母の顔(soji)
・いつだって風を読んでる小池さん(大名人・アンリ)
・コロナ禍で見た目わからぬ花粉症(クッピー)
・贅沢はいい人たちに囲まれる(大名人・平谷妙子)
・形容詞副詞ばかりの討論会(名人・マルコ)
・アウトかな男のくせに思うのも(咲弥アン子)

◎今週の一句
・「うっせーわ」つい面談で言いかける(しゃま)
◯2席・スイッチON寒くないのに手が伸びる(柳王・けんけん)
◯3席・指を折り創り出したら句は我が子(大名人・かたつむり)

【お知らせ】
絶好調!テレビ朝日の「川柳居酒屋なつみ」、
2月26日金曜日0時50分から
「ももいろクローバーZの百田夏菜子」さん編が放送されます。
テレビ朝日が終わり次第今度はアベマTVで後半編が配信されます!!
テレビ朝日&アベマTV、どちらもぜひご覧くださいね!!

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【放送後記】
早いものですねえ……。
2月の放送もこれで終わり。次回からは3月です!!
3月は皆さんにじかにお会いして句会できたらいいのですが。
さて、どうなりますか。(タケシ拝)

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水野タケシ(みずの・たけし)
1965年生まれ。コピーライター、川柳家。東京都出身。
ブログ「水野タケシの超万能川柳!!」 http://ameblo.jp/takeshi-0719/ 


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雑記帳2021-3-1 [代表・玲子の雑記帳]

2021-3-1
◆今年は近場で雛祭り。

立川には市指定文化財の古民家があります。川越道に接する緑地にある古民家園には、江戸時代に組頭を務めた小林家の住宅と須崎家の内蔵が移築復元されています。
麦刈や脱穀など昔の農作業の体験学習や、毎月のお茶会などの市民参加の年中行事も、コロナの昨年からはすべてとりやめになっていましたが、令和3年の今年は桃の節句が公開されました。

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ナカノマに飾られていた八段飾り(上部は神棚)
古民家2.jpg
オカッテに飾られていた内裏雛

小林家は江戸時代、砂川九番組の組頭を務めていました。住宅の母屋は、六間型(むつまがた)と呼ばれ、台所をのぞいて6部屋(ザシキ・ナカノマ・トバノオク・ナンド゙・オカッテ)で構成されています。母屋北西の「オク」と呼ばれる座敷は、床の間・違い棚・付書院が配置され、当時の武家屋敷に匹敵するほどの高い格式をもっていました。

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建築されたのは嘉永5年(1849)とのことですが、この年は徳川幕府12代将軍徳川家慶の時代で、ペリーが浦和に来航する1年前にあたります。江戸後期の優れた建築技術と材料が使われています。
平屋に見える住宅は実は3階建てで、2階はここで働いていた男衆と女衆の部屋、3回は物置で、江戸末期の富裕な上層農家の生活様式を今に伝えています。

古民家小林家 のコピー.jpg

砂川八番組の組頭を務めた須崎家の内蔵は、江戸時代末期から明治時代初期頃に建てられた、数少ない木造3階建ての土蔵です。須崎家はかっては質屋を営み、蔵は質蔵として利用されていたものです。
この時代、砂川村は、養蚕業、とりわけ桑苗の特産地として栄えました。以前にも雑記帳で紹介しましたが、砂川の桑苗は全国の養蚕農家から取引されていた時期もありました。蔵はその時代の盛んな商業活動を象徴する建物です。もとは内蔵でしたが、移築復元の際に、外蔵になりました。

古民家内蔵2 のコピー.jpg
竹林の向うに見える蔵

古民家園に収納されているもう一つは砂川十番組の大幟(のぼり)です。
幟は神社の祭礼時に参道や氏子区域にたてられました。今から170年前に制作された幟は長さ14.6メートル、幅2.2m。近隣のものに比べて大変大きなものだったようです。今なら機械の力を借りなければたてられないほどの大きな棹と幟を、どうやって作り、たてたのか、昔の人の智恵と心意気をおしはかるだけですが、当時の地域共同体の社会経済活動を知る貴重な資料です。
現在、立てた幟はめったに見ることはできませんが、昭和記念公園のこもれびの里では砂川5番組の幟のレプリカを毎年春と秋に1種間ずつ掲揚しているそうです。

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幟が収納されている

◆歴史民俗資料館でも雛祭り。
この時期、古民家園の本館にあたる歴史民族資料館でもロビーで市民から寄付された雛飾りを公開しています。
こちらも大正時代以降のもの。御殿びなは昭和30年代に流行したそうです。

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立川市歴史民俗資料館
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御殿びな
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2月の市の広報で羽衣町の向郷(むかいごう)遺跡が紹介されました。
JR南武線西国立駅周辺に広がる26,000㎡もの大遺跡で、多摩川に面する段丘の上にありました。南には湧水を集めた矢川が流れており、日当たりの良い段丘は古代人にとっても快適な住宅地だったようです。
歴史民族資料館では小規模ながら、遺跡の出土品を常設展示しています。市内には他にも二十か所に及ぶ古代・縄文時代や奈良平安時代の遺跡のあることがわかりました。

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向郷遺跡の墓穴からは縄文土器や石器の他に、コハク製の垂飾りが出土しています。コハクは千葉県の銚子や岩手県の久慈が主な産出地でしたから、縄文時代の人々の往来を思い起こさせて興味をひきます。
そのほか、縄文の住居跡だけでなく、奈良・平安時代の住居跡もみつかった遺跡もある一方、下大和田遺跡の掘建柱建物は小古代の役所跡と推測されています。

◆日野宿本陣の雛祭り。
古民家と歴史民俗資料館をまわって、隣の日野市まで足を延ばしました。日野宿本陣でも恒例の雛が飾られているのです。

日野本陣13 のコピー.jpg

床の間に飾られているのは、日野市の旧家、有山家の古今雛です。明治時代のものだということです。カラフルな装束をまとい、歌舞伎役者のような顔立ちの、江戸生まれの古今雛は、上方の雛より人気があり、今のお雛さまの原型になりました。
雛段の前には雛祭りのルーツである流し雛が再現されていました。                    
会場には手作りのつるし雛も随所に飾られています。大根は毒消し、兎は神様のつかい、柿は長寿、ヒョウタンは無病息災など、つるし飾りもそれぞれ意味があるそうですが、建物全体を使っての雛飾りはなかなか見ごたえのあるものでした。

日野6 のコピー.jpg
明治の古今雛
日野5 のコピー.jpg
米粒で流しびなを再現
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各地の土雛もそろっています

日野宿は江戸時代、規模の大きい宿場ではなかったものの、多摩川の渡し場を管理する、甲州街道の重要拠点でした。そのため、幕府の支配は緩やかで、2人の名主と配下の組頭による農民自治の伝統が長くつづきました。本陣には江戸末期、名主の佐藤彦五郎の開いた佐藤道場があり、新選組の隊士たちが稽古に励んだ事は広く知られています。

彦五郎の日記によると、既に京都で活動していた土方俊三や近藤勇がこの建物を訪れたことが記録されています。京都から所用で江戸へ戻る土方は何度か日野宿に足を運んで義兄と語り合いました。鳥羽伏見で敗れて江戸にもどった近藤勇や土方俊三が、甲陽鎮部隊として甲州へ向かう途中でこの本陣で休憩したという建物を見ようと、訪れる新選組ファンの若者は多いようです。

現存する本陣は、嘉永2年の火災で焼失した後に再建されたもので、築150年余。都内に残る、唯一の木造本陣として、市指定の有形文化財になっています。
有山家は先の日野宿の名主佐藤彦五郎の四男彦吉の養子先です。明治36年の大火で焼失したため、本陣の母屋の一部が有山家に曳屋されて、今に至っているということです。

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◆2月21日、関千枝子さんが亡くなりました。
『核なき世界をめざして』に連載中だった関千枝子さんが亡くなりました。広島で被爆し亡くなった女学校の同級生を訪ねて書き残すことが自分の使命だと、生涯、核のない世界を呼びかけました。『知の木々舎』には、『広島第二高女二年西組』以来、絶えることなく原稿を届けてくださいました。同じ被爆者だった作家、中山士朗さんとの往復書簡はまとまると本になり、西田書店から出版されました。その落穂ひろいのような『はるかなる呼び声』が2月15日号で最後になりました。『知の木々舎』にとっても、創刊以来大切にしてきたこのコーナーを守りたいと思っているのですが・・・。ご冥福をお祈りいたします。合掌。

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私の中の一期一会 №232 [雑木林の四季]

    総務省の接待スキャンダルに絡んだ山田真貴子内閣広報官は菅首相の守護神?
  ~首相記者会見で司会の山田広報官は、政権に批判的な社の記者は指名しないかも~
 
      アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 26日夕方、NHKテレビを見ていた人は首相官邸で始まった菅首相のぶら下がり会見を生中継で見ることになった。
 大阪、京都、兵庫、愛知、岐阜、福岡などの6府県では3月7日の期限を待たずに2月28日で緊急事態宣言を解除することに決まったことを説明するための会見が行われていた。
 ぶら下がり会見だからか・・何時も首相会見の進行役を務める山田真貴子広報官はその場にはいなかった。
 菅首相は1人で記者団と対峙していたのである。
「6府県では今月末をもって宣言を解除することに決めたが、引き続き緊張感をもって感染防止対策に全力をあげたい」と時々メモに目を落として、言葉を区切りながら発言していた。
 東京、神奈川、千葉、埼玉の首都圏については、「感染者は減っているが医療体制は依然として厳しい、飲食店の時短営業は徹底していきたい」などと説明が続く。
 宣言の解除をめぐって、記者から「専門家から再拡大の懸念も出ているようだが・・」と聞かれると「決めた基準はクリアしている」と少しだが苛立ちを見せた。
 都合の悪いことを聞かれると、すぐに顔や態度に出るのは安倍前首相と同じだがこの日、菅首相が冷静に見えたのはこのあたりまでだったかも知れない。
 取り囲む記者たちから、宣言で協力を求めた国民には丁寧な説明が必要なのに「何故今日、記者会見をやらなかったのか?」と聞かれると・・
 「今日こうして、ぶら下がり会見をおこなっているじゃないですか」と少しムッとしたように答えた。
 「高額な接待を受けた一人の山田真貴子広報官の問題が影響したのですか?」と追い打ちがかかる。
 「山田広報官は全く関係ない。昨日の国会で答弁されたのが事実じゃないでしょうか」と無表情に吐き捨てた。
 「山田広報官は続投で変りはないですか?」・・
 「政治責任は?」・・
 矢継ぎ早に記者の質問が飛んでくる・・〝宣言解除”から”総務省接待スキャンダル”に記者たちの関心が変異(?)していく。 
 首相は不機嫌な表情に怒りが加わっていたかも知れない・・・
 「記者会見のタイミングは、最後まで状況を見極めた上で判断し、緊急事態宣言全体についてきちんと会見すべきだ」と事前に決めあった通りの答弁であった。
 「正式な記者会見とぶら下がり会見はどう違うのですか?」と質問が出る。
 「それは皆さんが考えることじゃないのか。首都圏で解除の方向性はまだ出ていない。そういう中で内閣総理大臣として国全体の発言は控えるべきだと思う」とぶっきら棒に答える。
 「次の会見では最後まで、質問を打ち切らずに答えてもらえますか?」
 首相は「私には時間があるから・・大体、皆さんも出尽くしてるのでは?・・先ほどから同じような質問ばかリではないか」と苛立ちを隠さず、記者団とのヤリトリを打ち切った。
 ぶら下がり会見は18分ほどで終了した。
 官邸で首相記者会見を取り仕切る山田真貴子内閣広報官(60)は13年に、当時の安倍首相から女性で初めて首相秘書官に起用されて頭角を表し、菅政権では内閣広報官として重用されてきた。
 週刊文春によると、山田広報官は総務省審議官だった19年11月6日に、東北新社の関連会社で役員を務める菅首相の長男らから1人当たり7万円を超える接待を受けていた5人の内の1人であることが判明した。
 菅首相は「私の長男が関係して結果的に違反行為をさせてしまったことについては大変申し訳なく、国民の皆さんにお詫びしたい」と陳謝したが、山田真貴子氏については「真摯に反省しているので今後も職務の中で頑張って欲しい」と述べた。
 山田真貴子氏は月収の6割に当る70万5000円を自主返納したそうだが、、内閣広報官は続投に決まった。
 この人が名前を知られるようになったのは去年10月、菅首相が「NHKニュース9」に生出演した時、有馬キャスターから事前の打ち合わせにない厳しい質問をされ「答えられることと答えられないことがある」と答えに窮したことがあった。
 放送の翌日山田真貴子広報官はNHKの政治部長に電話をかけ、「総理、怒ってますよ。あんなに突っ込むなんて事前の打ち合わせと違う。どうかと思いますよ」と猛抗議したことが知れ渡った。
 有馬キャスターはこの3月で降板すると報じられたのは、この電話の後である。
  聞くところによると、山田広報官は会見に参加する記者たちから、事前に事細かに質問内容を聴き出し、官僚がそれを基に答弁書を作るのだ。
 会見では司会を務め、質問希望者がいるのを知りながら「次の日程がありますから・・」と会見を打ち切ってしまう。
 記者たちには悪評らしいが、ガースー首相にとっては最も頼りになる「守護神」と言えるだろう。
 ガースー首相はお得意のペーパーを棒読みするだけで記者会見は成立する。
 安倍政権時代と変わらぬ〝茶番首相会見”がガースー政権でも展開されているのである。
 「女性の広報官として期待している」と発言した菅首相について野党の小沢一郎議員は「こんな総理と、その奉仕者のような異様な人物の下で記者たちは、今後も首相会見など出来るのか?」と広報官続投に怒りをみせる。
 「政権に批判的な社は絶対に指名しないだろうし、まともな会見が成立する訳がない。国民の知る権利が奪われようとしている」とツイートは続いた。
 山田真貴子広報官が、国会で「同席したのが菅首相の長男とは分からなかった。たとえそうであっても私にとって大きな事実ではない」と発言したと知ったとき、「これは首相と打合せ済みの発言ではないか」と感じたことを思い出した。
 それは以下のような投稿を読んでいたからである。
 「官僚が利害関係にあるマスコミの顔と名前は絶対分っている筈だ。まして総理の長男に気付かないとか、いたかどうか分からないなんてあり得ない。5人しかいなかったのだから・・
 そんな人がいたかどうか憶えていないのに、〝事業に関する話しはしていない”って、そこだけは憶えているんだ。苦し紛れの答弁に笑っちゃう。
 ガースーさんも就任当時、パンケーキ好きで、国民に近いことをアピールしていたのにメッキが剥がれましたね。結局首相の器ではなかったということです。
 叩き上げと持ち上げたのはマスコミ。今となっては恫喝、いい加減などの資質が出ている。
 誰かと同じで、身内に甘く他人に厳しいなんて総理としては不適格です。
 早く衆院選をやって欲しい、新しい人に期待したいから」
 自民党の中堅議員が「日本学術会議の任命拒否問題、与党議員による緊急事態宣言下での銀座通い、そして接待スキャンダル・・こういうのはボディブローのように効いてくる」とタメ息をついていたという。
 山田真貴子広報官の広報官続投は、国会でしばらく尾を引くだろう。
 ガースー首相には身内からも冷たい風が吹き付けるかも知れない。自業自得だが・・

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浜田山通信 №284 [雑木林の四季]

逆ワイロ
 
       ジャーナリスト  野村勝美

 賄賂(わいろ)というのは、公務員などが職権を利用して仕事の便宜をはからってやり金品を受け取る不正行為をさす。総務省の幹部11人が放送事業会社「東北新社」から高級レストラン、料亭などで多数の飲食接待を受け、減給や戒告などの処分を受けた。近い将来の次官候補がズラリ、もうどうしようもない。こうなったのも接待した側に菅首相の長男、菅正剛氏がいたからだったのは、もう国民皆が知っている。
 総理の嫡男に呼ばれたら役人たるものよほどの勇気がなければ断ることはできないだろう。宴会の場でああしてほしい、こうしてもらいたいなどのヤボな話は出ないが、放送事業関係でいずれ要望がなされてくる。東北新社というのは、電通のような企業で、CM制作など放送事業全般に関係してくる。TVを見ていると、総務省を退職し、処分の対象にならない山田真貴子内閣広報官だけが大きくとりあげられている。彼女は年の割にはスレンダーで若く見える。内閣広報官としては適任といってよい。処分された総務省の役人連中は、首相長男との繋がりも薄い。しかし、だからこそマスメディアは内閣広報官を取り上げる。総務省の役人は次官候補もバタバタ減給処分になったが、権力者にとってはこんなものはへでもない。
 かんじんの贈賄側の東北新社や同社部長の首相長男のことはその後一切マスコミに登場しない。東北新社は、メディアにCMを提供する企業である。民間放送はここからのコマーシャルをとめられたらやっていけない。生殺与奪の権(古いなあ)を握られているのだ。
 菅ソーリの長男がどうやってそんな力をもつ企業に入り、若くして部長職になったのか。総務省に長く君臨した父親の仕事、権力を直接見てきて、父親の権威を体現できるマスメディアの中枢に入り込もうとしたのは当然だろう。この親にしてこの子あり。子は親の監督下にある役人たちを接待づけにした。一人当たり7万円の飲食がどんなものか、高級レストランや料亭などもう何十年も離れている私には見当もつかない。
 菅ソーリは当初、「長男は別人格」ととぼけたが、さすがにそんなへりくつが通るわけもなく、のちに「私の長男が関係して結果的に違反行為をさせてしまったことについては大変申し訳なく、国民の皆さんにおわびしたい」と陳謝した。往生際の悪いのはこのソーリの得意芸で、役人がワイロを受けて減給処分で一巻の終わり、接待側には何のおとがめもない。
 こうして権力の監視役だったマスメディアは、権力をサポートする側に廻り、東北新社同様、権力に不都合な報道はしなくなる。菅ソーリの長男に7万円のごちそうを接待された高級官僚たちは言うことをきかないとこうなるぞというみせしめにされた。接待というワイロにまんまと乗った役人が悪いのか、のせた奴が悪いのか。ワイロには逆の場合もある。
 

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BS-TBS番組情報 №229 [雑木林の四季]

BS-TBS 2021年3月のおすすめ番組(上)

           BS-TBS広報宣伝部

五木ひろしが選び歌う 永久保存版“股旅演歌”大全集

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2021年3月5日(金)よる9:00~10:54

☆五木ひろしが“股旅演歌”の名曲を次世代を担う歌い手とともに熱唱!

出演:五木ひろし、橋幸夫、市川由紀乃、三山ひろし、福田こうへい、朝花美穂、彩青、堀井美香(TBSアナウンサー)

五木ひろしが自ら選び歌うシリーズ。
今回のテーマは、日本人の心にずっと生き続ける“股旅”。
昭和の時代、人々の心を躍らせた股旅演歌はまさに日本人の心のふるさと。五木がゲストとともに令和に歌い継ぐべく心を込めて熱唱します。
♪潮来笠 ♪中山七里 ♪妻恋道中 ♪旅姿三人男 ♪ひばりの三度笠 ♪名月赤城山 ♪瞼の母 ♪伊太郎旅唄 ほか

マー君の冬休み5

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2021年3月13日(土)よる11:00~11:54

☆今年、東北楽天ゴールデンイーグルスに復帰した田中将大投手の冬休みに密着するスペシャル番組、第5弾!女子プロゴルファー・渋野日向子選手とゴルフ対決&アスリート対談!さらに番組独自のインタビューも!

出演:田中将大、渋野日向子、小島瑠璃子

メジャーリーグ、ニューヨーク・ヤンキースから今年、古巣の東北楽天ゴールデンイーグルスに復帰したことで大きな話題になっている田中将大投手。そんな「マー君」こと田中投手が冬休みを楽しむ姿に完全密着するスペシャル番組「マー君の冬休み」を今年も放送!
第5弾となる今回は、女子プロゴルファー・渋野日向子選手とのゴルフ対決が実現!大好きなゴルフに興じるマー君の“素の姿”をたっぷりお見せします。さらに、田中将大投手と渋野日向子選手のアスリート対談も!今年はどのような話で盛り上がるのか?!
番組独自のインタビューも敢行。日本球界への復帰を決めた思いや今シーズンへの意気込みなどについて、長年取材を重ねてきた小島瑠璃子が迫ります。

麺鉄

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2021年3月7日(日)よる11:00~12:00
2021年3月14日(日)よる11:00~12:00

☆鉄道大好き芸能人が、各路線と沿線の魅力を紹介しながら「駅メン」を堪能!

出演:六角精児、市川紗椰

“乗り鉄”“撮り鉄”“収集鉄”と様々な鉄道の楽しみ方があるが、最近鉄道ファンの間で注目されているのが「駅そば」だ。
昔から忙しいサラリーマンに「安くて早い」と重宝されてきたが、地域文化と融合することで独自の発展を遂げ、個性的な一杯が続々全国に誕生している。
鉄道ファンはもちろん、B級グルメ界でも注目のジャンルとなり、リーズナブルな値段と場所が駅構内、駅前という利便性から、新たな食べ歩きグルメとして注目の一品となっている。
この番組は、鉄道大好き芸能人が、各路線と沿線の魅力を紹介し、その路線を代表するそば、うどん、ラーメンなどの「駅メン」をいただく。
第一弾、第二弾共に、旅情感たっぷりの北海道冬景色と、この季節だから“映える”湯気香る一杯をお茶の間にお届け。この冬要注意の‘飯テロ’番組が誕生!

▽3月7日(日)
第一弾:メン食い鉄道 絶景の旅 冬の北海道・留萌本線&根室本線編
六角精児が留萌本線、根室本線にある、鉄道ファン羨望の歴史ある駅そばを味わう。車窓からダイナミックな太平洋の絶景を楽しみ、極寒の湖で伝統の氷下待ち漁にチャレンジ!果たして結果は?

 ▽3月14日(日)
第二弾:メン食い鉄道 絶景の旅 冬の北海道・釧網本線編
市川紗椰が乗車するのは釧網本線。雪化粧をした広大な湿原をSLで疾走!摩周湖の足湯で体を温め、向かった先は流氷を望む無人駅。駅舎を改装したこだわりのラーメン屋さんで、食通もうなる駅メンを豪快にすする。



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バルタンの呟き №92 [雑木林の四季]

「2030年の挑戦?」

           映画監督  飯島敏宏

 西暦2021年2月19日、アメリカ合衆国NASAの宇宙船PERSEVERANCEが、約4億7200万キロという旅を終えて火星に到達したというニュースが、僕、バルタンの目に留まりました。でも、歓喜に沸くNASAの光景とは逆に、昭和7年生まれの僕の反応は、「ああ、とうとう火星が・・・」という、嘆きだったのです。少年時代から抱き続けてきた火星という赤い妖星のベールが、また一枚、剥がれてしまった嘆きです。
 僕だけでなく、同じ世代の昭和少年にとっては、当時、地球よりも、遥かに発達した文明を持つ謎の星だった火星が、いまや地球人類の果てしない欲望の対象になり、稀少金属の獲得、宇宙戦略の基地として、植民地化されてしまうのが、さらに現実味を帯びてしまった、という思いがあるのではないでしょうか。

 たしかに、現在では、不撓(サーベイ)不撓不屈(ランス)不屈と名付けられたこの宇宙船が、火星には、かつて水があり、何らかの生命が存在した、という定説を裏付ける物質を、今から10年後、2030年には地球に持ち帰るというのですから、生命の発祥、微生物から動植物、人間への進化を探る上で特筆されるべき出来事かもしれません。
 しかし、すでに、火星の周回軌道には、中国の宇宙船「天問1号」が存在していて、これも又、火星の探索、着陸の先兵として機会を窺っているといいます。最近、急速に、陸、海、空の軍事力を強化してきた一党独裁政権の中国に対抗して、アメリカ合衆国も、トランプ大統領時代に、宇宙軍を創設して、強力な軍事力を宇宙空間に広げようとしているのです。さらに、世界数か国が、月に続いて、火星にも宇宙基地建設を模索している、というのですから、遂に、地球人類は、地上では飽き足らず、自ら宇宙戦争勃発の危機を孕もうとしている、と言っても差し支えない状況ではないでしょうか。それとも、僕、バルタンの杞憂にすぎないのでしょうか。
 西暦2021年現在、地球人は、造物主の禁を冒して、許された物質存在の最小単位である原子核を分裂して、エネルギーを獲得したり、爆弾を製造したりして、自らの住む地球という星でのSDG‘sをほとんど不可能にしつつあります。それらが招いた環境破壊、恒常化した異常気象による災害から逃れるために、月には廃棄物を捨て、火星には稀少物質を求め、さらに、全地球はおろか、宇宙戦争への軍備増強に狂奔する事態です・・・
 今回の、PERSEVERANCE火星着陸成功の情報は、歓声を上げる段階を過ぎて、考えるだに恐ろしい道を突き進み始めた、と、僕、バルタンの目には映ってしまうのです。それとも知らず、ハヤブサⅡの成功に、無邪気に歓声をあげている我が日本の子供たちの、宇宙への夢、憧れを、絶対に裏切ったりしないで欲しいのです。

 今から、55年前、僕、バルタン星人は、SFテレビ映画ウルトラQ「2020年の挑戦」で、当時の近未来であった西暦2020年の地球を擬したケムール星から、環境悪化で肉体が劣化したケムール人が、地球人の健全な肉体を拉致しにやってきたのを引き継いで、次回作ウルトラマン「侵略者を撃て!」で、自らの天体を原子核爆発で損壊、居住不能にしてしまった宇宙流民として登場、地球に漂着して、極く微小なバクテリアほどの生命体として人類との共生を望んで拒否され、やむなく巨大化して地上を破壊、ウルトラマンに撃退される未来の地球人類の反面教師として登場した異星人でした。
 しかし、いま、現実の西暦2020年を迎えてみると、どうでしょう、かつて僕が、文系SFで想像した西暦2020年の地球では想像も出来なかった、遥かにシビアな現実(リアル)現実に直面しているではありませんか。世界中が為すすべもなく苦慮している、新型ウイルス、コロナの災禍です。人類自らが生み出してしまったとも疑われる、奇しくも太陽光(コロナ)太陽光と名付けられた、バクテリアよりはるかに微小なウイルスCovid 19が、地球上にグローバルな病疫と争乱の危機をまき散らし、僕自身がその恐怖に脅かされている・・・まさに、絶句、です。 

 そして、2020東京オリンピック・パラリンピックです。すでに、延期一年間の半ばを経ても、一向に、終息が見通せない国内感染の緊急事態を抱えながら、国民の65パーセントが開催を危ぶむ状況を押して、「人類がコロナウイルスに打ち克った証として、2020年東京オリンピック・パラリンピックを成功させる」という惹句を、まるで鸚鵡返しのように読み上げ、世界に宣言するわが国の宰相が何を根拠に宣言しているのかが、悲しいかな、僕、バルタンには、まったく理解できないのです。
 もともと宇宙からの来訪者ではなく、地球上に存在した、あるいは人類そのものが作り出したとも疑われるCovid19コロナウイルスは、すでに、変異型にまで姿を変えて、人類と共存しはじめているではありませんか。つまり、とっくに、人類は、コロナに「うち克たれて」いるのです! 
 まあ、僕、バルタンとして地球人に提案するとすれば、人類が生み出してしまったウイルスcovid19とは、ワクチンの手を借りてでも、なんとか病変性を抑えて共存を図り、今後、月や火星、そのたの星から、いかなる生命をも持ち帰らない、ということです。
 55年前の2020年に、バルタン星人が、「ウルトラマン」の科学特捜隊員ハヤタに、「セイメイトハナニカ?」と問いかけたように、日本のハヤブサが手をそめたイトカワにも、ハヤブサ2号が砂を持ち帰ったリュウグウにも、宇宙に無限に存在する惑星には、地球人が生命と規定する生命とは異なるセイメイが、存在するに違いないのです。
 まして、陸軍、海軍、空軍だけで飽き足らず、宇宙軍まで組織して、地球はおろか、宇宙までも、大金掛けて戦争を拡げようとする地球人・・・本当に、困った存在です。
西暦2030年、PERSEVERANCEが火星から持ち帰ると言われている火星の岩塊と共に地球に来訪するセイメイが、どうか、侵略者でなく、ウルトラマン、ウルトラセブンのように、子供たちの夢を育む光の国からの平和の使徒であってほしい! というのが切なる願いです。
 その頃、僕のセイメイが、僕の肉体を離れて、何処にあって、見つめているかは分かりませんが・・・


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医史跡を巡る旅 №84 [雑木林の四季]

「医史跡を巡る旅」 №84 ワクチンを巡る

                保健衛生監視員  小川 優

新型コロナウイルス感染症に関しては、緊急事態宣言の部分的前倒し解除と、ワクチン供給の遅れが話題となっています。

緊急事態宣言の部分的前倒し解除に介しては、切に今後に禍根を残さぬことを祈るばかり。
一方ワクチン接種計画の遅れに関しては、国民を安心させるためとはいえ、根拠も確約もなくあたかも既定路線のように話すこと自体、いい加減にやめるべきだと思います。ますます国民は政府を信用しなくなり、ひいてはワクチン接種に対する信頼性も下がりかねません。
ただでさえ、1948年のジフテリア無毒化不良トキソイド接種による乳児84人死亡、1989年以降のMMRワクチンによる無菌性髄膜炎の症例集積、2013年のHPV(ヒトパピローマウイルス。このウイルスに感染することにより子宮頸がんを引き起こすといわれている)ワクチンの接種後の多様な症状などにより、日本人には予防接種に対する根強い不安感があります。また日本人に特有で、危機管理上では良い意味の日和見、横並び精神、いわゆる「まわりの人が打ったら自分も打つ」的な感情も根底にあります。

新型コロナウイルス感染症に関しては、ワクチンによる集団免疫獲得のためには、全人口の最低でも60パーセントへの接種完了が条件になるといわれています。そもそも妊婦や子供には安全性が十分確認されていないため接種が勧められないほか、医学的所見から接種が推奨されない方々がいるので、もともと人口中に一定数、接種できない割合があります。また集団免疫についても、不安材料があります。2月21日現在、世界中で突出してワクチン接種率の高いイスラエルの状況です。すでに全国民の71.6パーセントに接種されたとされますが、ワクチン接種後60歳以上の高齢者では、感染者が49パーセント、入院者は36パーセント減少した一方、59歳以下では感染者は19パーセントしか減少せず、入院者に至っては逆に増加しています。同時期の同国の感染状況、対照となるべき非接種者集団の感染率が示されていないなど、そのままデータとして信用するわけにはいきませんが、集団免疫の獲得の目安について、ワクチンの接種率をそのまま用いるのには注意が必要です。
それに加えてワクチンへの信用低下が進み、接種忌避が広がれば集団としての免疫が得られなくなります。ワクチン接種は個人を守るばかりでなく、社会全体を守ることになることを、もっと積極的にアピールすべきところです。しかし優先接種以外の接種計画が不透明な中では、実際の接種がいつになるかわからない国民にとっては、絵空事に聞こえることでしょう。

少しでも新型コロナワクチンについて事実を知ってほしいので、ワクチンの安全性について、今現在わかっていることをまとめてみます。

現在日本で接種が進められているワクチンは、ファイザー社のものだけです。
アメリカではすでに1,000万人以上に接種されています。信用度の高いアメリカ医師会誌に投稿された査読後の論文によると、接種後の強いアレルギー反応、アナフィラキシーは、100万回に5回程度の頻度で発生するとされます。性別では女性が94パーセントと多くを占め、また77パーセントは過去になんらかのアレルギー反応を起こした経歴がありました。
反応は15分以内に76パーセントが、さらに89パーセントは30分以内に起こっています。全例において、適切な治療により回復しているので、接種後30分、緊急対応がとれる場所で待機し、経過観察をうければ安心です。
アナフィラキシーまで至らない副反応では、頻度が高い順に接種部位の痛み、倦怠感、頭痛、筋肉痛、関節痛、悪寒、発熱となります。

ワクチンの有効性については、査読済み、つまり第三者により論文の信用性が高いとされたものが世界でふたつあります。
ひとつがNEJMに投稿されたファイザー社の臨床結果の報告。
2回接種して、1週間以降に新型コロナウイルスを発症したのは、18,198人中8名。一方偽薬を接種した対象群では17,511名中162名が発症。ワクチン接種により発症が20分の1に抑えられ、有効性は95パーセントとされます。この有効性、単純に100人に打って95人に効く、ということではないことには注意が必要です。
もうひとつがLancetに投稿されたイスラエルでの病院職員への追跡調査。
1回のみの接種でも、新型コロナウイルス陽性者の数が85パーセント減少した、との報告です。
また、どちらのケースでも被験者全員のPCR検査は実施していないため、正確な感染者数が反映されていない可能性があります。
なお、ワクチンの安全性、有効性に関する情報は、山中伸弥先生のホームページ「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」から引用させていただいています。

現在の状況として、新型コロナウイルスワクチン、商品名コミナティに対して厚労省により承認された効能効果は、「SARS-CoV-2による感染症の予防」となっていますが、実のところ、もともとの有効性の臨床検査で検証されたのは発症を抑えることであり、それについては十分な有効性が認められていることになります。
リスク対効果の意味からも、新型コロナウイルスワクチンは有効性が高く、個々だけではなく社会を維持するためにも、多くの人への接種が望まれます。

あだしごとはさておき。
ワクチン接種の普及に対する苦労は、今に始まったことではありません。
世界初のワクチンであり、ワクチンによりその病気そのものの制圧に成功したのが、種痘であり、天然痘です。ところがその普及には、多くの医師の苦難がありました。
今回はそのごく一部をご紹介します。

以前「秋月藩の種痘」でご紹介した緒方春朔。

「種痘の始祖 緒方春朔」記念顕彰碑

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「種痘の始祖 緒方春朔」記念顕彰碑 ~福岡県朝倉市来春 朝倉医師会病院

エドワード・ジェンナーが牛痘による種痘法を編み出す6年前、秋月藩藩医であった緒方春朔は、中国で行われていた人痘法を試します。牛痘はもともと牛の感染症で人間の病気ではなく、人が感染しても軽症ですむこと、それでいて獲得できる抗体は人の天然痘にも有効に働くことに着目したもので、安全性が高く全世界に広まりました。

「緒方春朔顕彰碑」

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「緒方春朔顕彰碑」 ~福岡県朝倉市秋月城址

一方の人痘法、天然痘に罹患した人の回復期の膿、瘡蓋を(痘痂)を乾燥・粉末化したものを匙に乗せ、鼻から吸い込ませる方法です。現在の弱毒化ワクチンと同じ考え方ですが、感染性は残っているため発症する危険性は多く、通常の感染同様、重篤な症状を呈することもあります。

「種痘の父 緒方春朔顕彰の碑」

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「種痘の父 緒方春朔顕彰の碑」 ~福岡県朝倉市秋月

有効性と安全性の見極めが、まさに「匙加減」。人の命を救うことを使命とする医師にとって、その苦心たるや想像に絶するものがあったと思います。

種痘を広めた功労者としては、大阪除痘館、そして西洋医学所の緒方洪庵を外すことは出来ません。

「除痘館発祥の地」

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「除痘館発祥の地」 ~大阪府大阪市中央区道修町

牛痘は安全性が高いのですが、牛の病気を人に罹らせることに対する人々の抵抗は強く、「牛になる」という噂すら広まったとされます。現在の風評被害と何ら変わりません。また初期の種痘は善感した患児の瘡蓋を、また次の接種者に植え継ぐといった方法で維持するしか方法がありませんでした。接種希望者が途絶えると、ウイルスが不活化し、種痘が出来なくなります。洪庵は袂に菓子を忍ばせ、言葉は悪いですが、ぐずる子供を懐柔して種痘の維持、普及に努めたと伝えられます。

「除痘館跡」

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「除痘館跡」 ~大阪府大阪市中央区今橋

除痘館は最初嘉永2年(1849)道修町に開設されますが、万延元年(1860)、適塾の近くの今橋に移転します。
緒方洪庵は種痘以外にも多くの業績がありますので、いずれまた詳しく取り上げます。

江戸からも一人。

「桑田立斎先生種痘所之跡」

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「桑田立斎先生種痘所之跡」 ~東京都江東区清澄

桑田立斎は文化8年(1811)、新潟県新発田に柴田藩士の子として生まれます。16歳の時江戸に出ましたが、天保4年(1833)23歳の時一旦新発田に戻ります。新発田で蘭方医島津圭斎に師事して西洋医学の道を志し、天保8年に再び江戸に出て、島津圭斎の友人坪井真道の医学塾、日習堂に入門します。
天保13年(1842)深川で開業、嘉永2年(1849)、蘭館医モーニケによって日本に牛痘苗がもたらされると、いち早く分苗を受け、江戸で種痘を広めます。洪庵と同じく、民衆の反発をうけますが、独自の普及活動で種痘を広めることに成功します。
それが現代にも通用するチラシや冊子を用いた、パブリケーションによるパブリック・リレーションズ。絵に加え、分かり易い標語を加えた木版画を刷らせ、市中に配ります。
「種時は寒か暑もいつもよし 日の善悪もなきものぞかし」
「親の苦もぬけてたのしむみどり子の 千代の命をむすぶたうとさ」
また蝦夷地、北海道での疱瘡の流行、拡大を防止するため、幕府に命じられて蝦夷地に赴き、数千人に接種を行ったとされます。

「桑田立斎 供養墓」

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「桑田立斎 供養墓」 東京都台東区板場 保元寺

立斎は慶応4年(1968)亡くなりますが、最期まで種痘針を手放さなかったと伝えられます。


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海の見る夢 №2 [雑木林の四季]

子供の情景

              澁澤京子

 父が昔、「年を取るということは、中身は大して変わらないのに外側だけどんどん老けていくという事だ。」という事をよく言っていて、それは私も年取ってから実感できるようになってきた。私の場合、外側に比べて精神が未熟である、と言う感じであるが。

この間、you tubeでまだ20歳を超えたばかりのジャズピアニスト小曽根真さんのバークリー留学、そしてその才能が若くして評価されてカーネギーホールでコンサートを開くまでのドキュメンタリーを見た。まだ22,3歳なのに、インタビューの受け答えが非常に大人で、すでに十分に老成した考え方を持っている。今、同じ質問をされてもやはり似たような答え方をするのじゃないだろうか。才能の開花も早かったけど、若い時から成熟した精神の持ち主だったのだ・・

考えてみると、私の友人で非常に成熟した精神の持ち主というのは10代のときもやはり早熟で大人の判断力と洞察を持っていた。人の精神の成長というのはなかなか遅々として進まず、もしかしたら世の中にはほんの一握りの、柔軟な大人の「成熟した精神」とその他大勢の「未熟な精神」がいるだけなんじゃないだろうか?そして精神年齢というものはあまり実年齢とは関係ないのだ・・成熟した精神の持ち主はかなり若い時期にすでに老成してしまうものなのかもしれない、そして未熟な精神の人は年をとっても未熟なままだったりするのだ・・

そうすると、政治家の失言だのごまかしだのは、その他大勢の「未熟な精神」のなせるわざと考えれば、なるほど、と納得するではないか。無神経な失言も、自己保身に汲々とするのも、人に流されやすいのもただの「未熟な精神」。要するに自律的な判断力と、責任を引き受ける主体性がないのが「未熟な精神」だろう。政治家としてヴィジョンと意志を持つのではなく、国民の人気をとりたい、人を愛するのではなく、愛されたい、理解するのではなく、理解されたい、と常に受け身の立場を好むのも「未熟な精神」だろう。

「・・天国は幼子のようなじゃないと入れない」の「幼子」と、「未熟な精神」はまったく別のものなのである。成熟した精神は、理性的で自律していて、同時に傷つきやすく無防備な「幼子の心」も同居する精神なのだと思う。それはシューマンの『子供の情景』のような、成熟した大人の中の子供の感受性であり、理性には子供のような柔らかい感受性が必要なのだと思う。

ホロヴィッツのピアノを聴いていると、傷つきやすく無防備のままでいいのだ・・という感じになってくる。成熟とは、世間体や人目を気にしてとりつくろうとか、他人の事を気にしたり、人より優位に立とうとすることではない・・それらは他人の目に依存した「未熟な精神」なのであって、常に真実から自分をごまかしてしまう。人生の真実はもっと深いところにある。

~「私はあなたには時々子供のように見えるでしょう」と言ったことへのこだまなのです。―つまり私は子供のエプロンをつけていた頃の気持ちにかえって三十もの奇妙な小曲をつくりました。そのうちから十二曲を選んで「子供の情景」と名付けました。~クララにあてた手紙・シューマン

クララの父親にいやがらせをされながらも、なんとか幼馴染のクララと一緒になる希望がでてきた時にシューマンが作曲した曲。シューマンがクララだけにあてたラブレターのようなピアノ曲。クララの両親に反対されずっと妨害されていた辛くて苦しい恋だっただけに、シューマンの飛び回りたいほどの歓びが伝わってくる。

子供の時、ガールスカウトの夏のキャンプで歌っていた『山の朝』が大好きだったけど、あれはクララ・シューマンの作曲で、山の朝の清々しさが直接に伝わってくるような歌。クララ・シューマンは少女の時にすでにゲーテやショパンに絶賛される早熟な天才だった。クララはシューマンを生涯、献身的に支えたが、ノクターンの演奏を積極的にしてショパンを有名にしたとも言われている。シューマンの陰に隠れてしまうクララだけど、クララ・シューマンの曲は繊細で切ないものが多い。

クララの父親の娘に対する病的な独占欲は後々まで、シューマンとクララ二人を苦しめることになる。そのため、クララとシューマンの恋愛は、まるで苦労と忍耐の末に幸せになる童話の中の王子様とお姫様の様になった。しかし、一緒になってめでたしめでたしとい落ち着くわけにもいかなかった。その後、シューマンは自殺未遂、発狂という悲劇的な最後を遂げる。そして、束の間の幸福の時間に作曲されたのが『子供の情景』。もしかしてシューマンが愛していたのは、クララの中にいる子供だったのかもしれない。

少年や六十年後の春の如し  永田耕衣

私の祖父は、同窓会はマメに出席する人だった、祖父の小学校の時の同窓会の名前は確か「忘れた会」(忘れたかい?の洒落か)という会だったと思う。ある日、同窓会が終わって会場を出ると、春の雪がかなり降っていてだいぶ雪が積もっていたらしい、積もった雪を見て思わず皆でうれしくなって雪投げをしながら帰ってきたという話を聞いたことがあった。
雪を見て、思わず子供にかえって雪投げをしてはしゃぐお爺さんたち。その話を聞いて、子供心になんていい光景だろう・・と思ったのだ。お爺さんの頭の中にはいつもひっそりと少年が住んでいる。

そして、お爺さんの頭の中に住んでいる少年は淡雪のようにはかない。

私の祖父は気が短くて我儘なところもあったが、ネガティブな感情をいつまでも引きずらない人だった。子供の私の人格も尊重して対等に扱ってくれるようなところがあり、成熟した大人の寛大な視点と、子供のように無邪気なところを両方持っていた。祖父は若い時に息子を亡くしていて、その深い悲しみが祖父を、人生の真実を知る大人にしたのかもしれないと思っている。

晩年のホロヴィッツが『子供の情景』を演奏しながら涙を流しているのをyou tubeで観る。ホロヴィッツは人を引きずり込むような天性の魔性と、非常に理知的な大人の部分と両方持ったピアニストで、彼もまた人生の深い悲しみと真実を知っている、成熟した精神の人だろう。成熟した精神は老人であると同時に子供でもあるのだ・・

―あらゆる子供の中には驚くべき深さがあるー『音楽と音楽家』シューマン

父もまた、年取るにつれて子供時代の話をすることが多くなった。それは決して「昔はよかった」式の回想をしているわけでもなく、年取ってから人が子供時代を回想しがちなのは、子供というものが光り輝く生の神秘の最も近くにいて、まだ新鮮な感受性を持っているからじゃないだろうか。
そして芸術家の想像力の源泉も子供時代の記憶の中に豊富に埋もれているような気がするのである。

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梟翁夜話 №82 [雑木林の四季]

翻訳松竹梅
            翻訳家  島村泰治

鰻は松竹梅、ときに特上、並みなどと格付けをして、魚の大きさで値を違える。当然ながら職人の技倆で上下もするが、およそ鰻の値段は大小で決まるとしたものだ。わが好みの目黒の「にしむら」は、健気にも長いこと松を2700円で食わせてくれた。彼処の鰻の舌触りを慕ってしげしげと通ったものだ。いや、脱線はならぬ。

さてその松竹梅だが、わが生業の翻訳にもどうやらその気配があるのだ。まして、鰻なら大小に相応する質の上下ならいざ知らず、全く愚劣な尺度で翻訳が松竹梅と格付けされてゐる気配を、筆者は甚だ心穏やかならぬ思ひで憂えてゐるのだ。

知る人ぞ知る、翻訳は創作とは一味違う知恵と趣が求められる芸だ。比較文化の分析能力は言うに及ばず、言葉と云ふ生き物への対応能力が不可欠で、ただ単に言葉を右左(みぎひだり)する芸では決してない。学術書ならひたすら正確無比、文学書なら一方の思いを他方に移し替える感受性こそが要だ。

さて、読者諸兄姉にお伺いしたい。左様なまともな翻訳論には埒外なある技術が、他ならぬ翻訳と対比して扱われてゐる現状にお気付きだらうか。お察しの如く、それはAI(人工知能)、多彩な機材に取り込まれていま市井の便宜に活用されてゐる技術だ。それはいい。いいのだが、それが人間翻訳の適否を格付ける尺度とされ、鰻ならぬずばり「翻訳の松竹梅」が出現したとすれば只事ではない。

誤解のなき様願いたいのは、翻訳の松竹梅は定着したものではなく、あくまで筆者の恣意的な言葉遊びに過ぎない。あくまで本来の翻訳力で緻密に拵えた翻訳を「松」、機械翻訳で荒訳した「翻訳原稿」にシンタックスの手直しを加えたものを「竹」、荒訳そのものの打ちミスを直したものを「梅」と称する格付けだ。

筆者がたださう思ふといふだけなら罪もない話だが、この格付けで翻訳者を求める慣習が近頃CS(クラウドソーシング)上で頓に蔓延ってゐるから事件なのである。流石に松竹梅と銘打って募集はしてをらぬまでも、それぞれを前提として価格を提示してほしいと求めるに至っては、語るに落ちるも甚だしい。

人間翻訳はAIに勝てるかとのテーゼに「勝てる」と踏んだキンドル本、『AI時代に人間翻訳は生き残るか?』の著者としては、この趨勢は見逃せない。翻訳を比較文化の舞台と看做す筆者の目には、翻訳は松に限るのだ。まして「思ひ」を左右する文学の世界なら尚のこと松でなければならぬ。百歩譲って、昨今のAIの機能進化を斟酌してデータ指向の学術ものなら「竹」もありか、と思へる。「梅」となれば歯牙にもかけぬ。これは最早翻訳の範疇には足の指先さえも入らない。鰻なら、即突っ返すか塵箱に放り込む。

ランサーズなどCS上で依頼を受ける筆者は、この手の不埒な依頼者を避けやうとレートを上げて対応してゐる。そんなレートでは竹も梅もなからうと発注者のオリエンテーションを図ってゐるのだ。この世界に踏み込んで数年、やうやく翻訳市場の空気を嗅ぎ分けることができるやうになった。

できるやうになって悟ったことがある。AIは確かに進化してゐる。並みの駄文なら学生の下訳ほどには捌く力があるから、日常のユティリティー目的ならAI翻訳で十分だ、と。ならば、凡そ翻訳家を謳う者は改めて心を定め、期して「松」を貫く気概に生きることこそ心意気と云ふものではなからうか。





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検証 公団居住60年 №74 [雑木林の四季]

ⅩⅢ 独立行政法人化して都市再生機構に改組

    国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

2.国土交通省の都市公団「民営化」案と独立行政法人化決定

 国土交通省が提出した都市公団民営化案は、民営化を2段階にわける。ステップ1で(2、3年を目途に)、根幹的業務をのぞく住宅の管理業務を全面的にになう株式会社を設立・移管して「先行民営化(速やかに)」をすすめる一方、関連のニュービジネスと協働して高齢者や子育て支援サービス等の業務を拡大する。ステップ2では(10年後に)、公団本社の経営改善努力を結集し、条件整備がととのい次第すみやかに政府全額出資の特殊会社に移行するとしながら、この組織は「都市再生の実施部隊」として「不可欠な存在」と強調する。行政の継続性を打ちこわす小泉構造改革に批判し抵抗する国交省の姿勢には、国交省官僚の利権構造の温存、さらには権益業務と組織の拡大、、「焼け太り」さえ図るしたたかな底意が読みとれた。この改革案はすぐに撤回されるが、公団住宅廃止・民営化にむけてその後もくりかえし国交省が振起する実施プランの原型をここに見ることができる。
 10月30日に自民党住宅土地調査会は、(力大都市地域における賃貸住宅の現状にたいする認識の欠如、②200万居住者の生活を無視した公団賃貸住宅の売却、③都市再生の推進を阻害する都市公団の廃止・解体、④根拠の不明確な公団含み損等の計算、を理由に正面から事務局案に反論した。
 行革推進事務局案にたいする懸念と抵抗がひろがるなかで、内閣は突如11月27日、まず道路4公団、住宅公庫、都市公団、石油公団の「先行7法人の改革の方向性」をしめし、12月18日には「特殊法人等整理合理化計画」をまとめ、19日の臨時閣議で決定した。
「特殊法人等整理合理化計画」は、都市公団の賃貸住宅事業についてつぎの2つの改革方針をさだめ、既存賃貸住宅は新法人に引きつぎ、新組織は独立行政法人とすることをきめた。

○自ら土地を取得して行う賃貸住宅の新規建設は行わない。
○賃貸住宅の管理については、可能な限り民間委託の範囲を拡大し、効率化を図る。また、居住の安定に配慮しつつ、入居者の同意を得た上で、可能なものは棟単位で賃貸住宅の売却に努める。

●集中改革期間中(2005年度まで)に廃止することとし、都市再生に民間を誘導するため、事業施行権限を有する新たな独立行政法人を設置する。上記のとおり措置をした上で独立行政法人に引き継ぐ。

 閣議決定にもとづき国交省当局は法案作成を急ぎ、都市公団廃止を1年早め2004年7月独法化の意向を固めた。

『検証 公団居住60年』 東信堂


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