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国営昭和記念公園の四季 №87 [国営昭和記念公園の四季]

Xクサキョウチクトウ  西立川口ぶらぶら坂下

クサキョウチクトウ2 のコピー.2jpg.jpg

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『知の木々舎』第287号・目次(2021年8月上期編成分) [もくじ]

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【文芸美術の森】


妖精の系譜 №8                 妖精美術館館長  井村君江

 中世ロマンスとバラッドから 3


石井鶴三の世界 №192                画家・彫刻家  石井鶴三

 花岡すみれさん休息のところ 1964年/埴輪男子 1964年 


過激な隠遁~高島野十郎評伝 №56      早稲田大学名誉教授  川崎 浹

  第八章 「晩年柏のアトリエ」 7


西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」№63 美術史研究家 斎藤陽一

 歌川広重≪東海道五十三次≫ 「日本橋雪晴」


往きは良い良い、帰りは……物語 №97  俳句・こふみ会同人  多比羅 孝

  コロナ禍による在宅句会 その12


エラワン哀歌 №7                  詩人  志田道子

 閏九月十三や


【ことだま五七五】


日めくり汀女俳句 №86                 中村汀女・中村一枝

 九月九日~九月十一日


読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №116             川柳家  水野タケシ

 7月14日、21日、28日放送分


【心の小径】


論語 №123                                                      法学者  穂積重遠

 三八八 子のたまわく、巳(や)んぬるかな、われ未だ徳を好むこと・・・


批判的に読み解く「歎異抄」№32     立川市・光西寺住職   渡辺順誠

 補足説明3


【文化としての環境日本学】


日本の原風景を読む  №30                        早稲田大学名誉教授 原 剛

 三面川の鮭文化


【雑木林の四季】


浜田山通信                                          ジャーナリスト  野村勝美

 筆者リハビリ中の為、暫くお休みします。


私の中の一期一会 №242            アナウンサー&キャスター    藤田和弘

  連日小柳ルミ子のブログ「家で“観戦”、外では“感染”」の五輪批判に同感です


BS-TBS番組情報 №239                                  BS-TBS広報宣伝部

 2021年8月のおすすめ番組(上)


じゃがいもころんだⅡ №39          エッセイスト  中村一枝

  人間満才(ばんざい)


バルタンの呟き №102               映画監督  飯島敏宏

  「しゃんとせい!」 


医史跡を巡る旅 №92            保健衛生監視員  小川 優

 番外編 富士神社の麦藁蛇


海の見る夢 №12                                 渋澤京子

 That's amore


梟翁夜話 №92                                   翻訳家  島村泰治

 「思ひの丈」


検証 公団居住60年 №93    国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

 住生活基本法は小泉構造改革の総仕上げ 3 


【ふるさと立川・多摩・武蔵】                                                   


道つづく №16                        鈴木闊郎

 海鰻荘奇談


線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №179            岩本啓介

 信越本線 青海川~鯨波    


押し花絵の世界 №139                                   押し花作家  山﨑房枝

 「BE Loved」


ミツバチからのメッセージ №49 造園業・ミツバチ保護活動家  御園 孝

 イタリア 9


多摩のむかし道と伝説の旅 №65                原田環爾

 澁沢一族が主導した飯能戦争の戦績を巡る 1


国営昭和記念公園の四季 №86

  クサキョウチクトウ 西立川口ぶらぶら坂下


【代表・玲子の雑記帳】               『知の木々舎 』代表  横幕玲子







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妖精の系譜 №8 [文芸美術の森]

 アーサー王伝説をもとにした『サー・ローンファル』

        妖精美術館館長  井村君江

 『サー・ローンファル』は十二世紀後半にマリ・ド・フランスによって書かれたものを、十五世紀初頭にチェスターのトマスがかなり自由に英訳したものといわれている。ギリシャ神話と、『サー・オルフェオ』ほどではないが、ケルト神話の金髪のニアヴに常若の国(テイル・ナ・ノグ)に連れていかれるオシーンの話とかなり通じるところがある。そしてアーサー王物語のイギリスにおける原材料である「ブリテンの話材(マター・オブ・ブリテン)」の一つとして、初期の中世騎士物語の特色をよく見せている。ローンファル卿はアーサー王宮廷の騎士となっており、王妃グウィネヴィアが憎まれ役になっている。王妃の意地悪さ、愛の押しつけ、嫉妬等の被害をローンファル卿がこうむるが、同情し愛を捧げる妖精に出会う。そして、一見悲劇に終わるようであるが、妖精の愛が二人を永遠に結びつける。
 まずストーリィを追ってみよう。アーサー王がグウィネヴィアを王妃とすることに反対したローンファル卿は、王妃の憎しみをかうことになる。婚礼の席上、ローンファル卿にだけ贈り物を与えぬという侮辱を王妃が与えたりしたので、ローンファル卿はカーライルのアーサー王の宮廷からウェールズのカーリオンへ移ることにする。気前のよいローンファル卿は接待に金を使い果たし、みすぼらしい姿となってグラストンベリーに行く。ある日、馬に乗り緑の野に出て澄んだ小川を渡ろうとすると、馬が先へ行かずふるえるので、下馬して木蔭で休んでいた。すると向こうから、目もさめるほど美しい乙女が二人やって来て、自分たちの仕える妖精女王トリアムールに会ってほしいと誘うのでついて行く。草原に豪華な天幕があり、入って行くと妖精の国である西方の島を治めるオリロン王の娘で美しいトリアムールが、百合のように真白い肌もあらわにし、金髪をなびかせて寝台に横になっていた。
 妖精女王の天幕は絹でできていて、さまざまな色彩に飾られている。「天幕の上には黄金の鷲がついていたが、豪華で高貴でどれほどの価かわからない。紐やひだ飾りはみな網で、天幕には黄金の槍がかかげられていた」とあり、妖精女王のマントは点貂(てん)の毛皮で、アレキサンドリアの貝で染めた紫のふち飾りがついており、衣からのぞいて見える肌の白きは「五月のサンザシの花よりもっと白く、けがれのないものだった」とマリ・ド・フランスは描写している(サンザシの花もまた妖精の好む花という伝承的言い伝えを知っての表現であろう)。ローンファル卿はトリアムールの美しさの虜(とりこ)となり二人は愛を交わす。そのときトリアムールは、「二人の愛の秘密を他人にもらさぬこと、それを犯せば二度と会えなくなる」というタブーを課す。そしてほしいだけの財貨が得られる絹と金でできた財布と従者と妖精馬、身を守る槍も与え、ローンファル卿が願えば、トリアムールはいつでも姿を現わして会いに来るけれど、タブーを忘れたり、また恋人の妖精女王のことを自慢したりすると、贈り物と一緒にすべては消えてしまうと、くれぐれも注意をする。
 ローンファル卿は富と愛にめぐまれ、騎士としてもさまざまな馬上槍試合に力量を示しトリアムールの愛も受けて、幸福な日々が続く。七年過ぎて噂はアーサー王まで達し、宮廷に帰るようにと呼び出しがとどく。聖ヨハネ祝祭日の祝宴のときに執事として働いてほしいというのである。(六月二十四日のこの聖ヨハネ祭は夏至(ミッドサマー)の日で魔力が効を奏する日であり、そのためにこの日が選ばれているのだろう)。祝祭は四十日続くが、ある日食事のあと芝生で踊りが始まり、ローンファル卿を見て王妃は五、六人の貴婦人と共に踊りに加わり、ローンファル卿に七年も恋していると告げ誘惑しようとする。ローンファル卿が断ると王妃は彼を罵倒したので、思わず自分の恋人に仕える一番下の侍女すら王妃より美しいと言ってしまう。ローンファル卿は部屋に戻りトリアムールに出てきてほしいと呼びかけるが、彼女は姿を見せず、財布も消え従者も馬も姿を消している。ローンファル卿は、自分が妖精が課したタブーを破ってしまったことに気づく。王妃は狩りから帰った王に、ローンファル卿に言い寄られ、はねつけたが、ローンファル卿は自分の恋人の侍女すら私より美しいと侮辱したと偽りの言葉を告げる。
 怒った王はローンファル卿を捕えたが、他の騎士の弁護で条件つきの猶予が与えられる。一年と二週間の間にローンファル卿の自慢する恋人を連れてきて、もし王妃より美しければ許すが、さもなくば絞り首にするというのであった。日数は過ぎ、約束の当日になっても、ローンファル卿は恋人を連れてくることができず、断罪をめぐって一同が意見を述べていた時、十人の美しい乙女が馬に乗って現われる。しかしローンファル卿の恋人はその中に見あたらず、さらに十人の美女がラバに乗って来る。彼女らはみな王妃より美しく、そのあとから白馬に乗ってすばらしい美しさのトリアムールがやって来る。ローンファル卿を釈放するために来たと語り、王妃に向かって「王妃よ、あなたは無実の人に偽りの言いがかりをつけましたね」と言い、その手を王妃の目にあて盲目にしてしまった(マリ・ド・フランスの物語にはない)。トリアムールはローンファル卿を白馬に乗せると、妖精王オリロンの住む妖精の島へと走り去り、それ以後誰も二人を見かけることはなかった。
しかし一年に一度はローンファル卿の乗る馬の蹄の音が聞こえ、彼の姿が見えたということである。
 ケルト神話の英雄オシーンも妖精王の娘ニアヴに白馬に乗せられて、常若の国に連れていかれてしまう。しかし彼ら英雄妖精は一年に一度ミッドサマー・イヴに姿を現わし、馬で丘をひとめぐりする妖精騎馬行(フェアリー・ライド)をする-―英雄妖精たちのこの性質をローンファル卿も備えていることがわかる。マリ・ド・フランスは物語の最後にこうつけ加えている。
「ブルトンの人たちはこの騎士が恋人にさらわれていったのだと語っている。とてもぼんやりとしたとても美しい島、アヴァロンの名で知られる島へ――」瀕死のアーサー王がアーガンテ(モルガン・ル・フェとノースガリスの女王たちともいわれる)に連れ去られる先もアヴァロンである。アーサー王ばかりでなく他の騎士が恋人に連れていかれる妖精の島も、中世には「アヴァロン」と呼ばれており.ローンプァル卿もその島で妖精の恋人と永遠に暮らすことになるわけで、騎士は不死で、妖精の女王の恋人になって、永遠に生きるという考え方がここにはあるようである。
 ローンファル卿は緑の野に馬をすすめて行き、澄んだ小川を渡ろうとすると、馬はふるえて進まなくなり、妖精たちが馬でやって来るのに出会ったが、これは小川がこの世と妖精界、異 界の境になっていることを示している。二つの世界の間を隔て、境界を作るのは水(澄んだ流れ)であることは、中世のロマンスの中では常道の設定のようである。
『ウオーリックのガイ』の物語でも、妖精に連れ去られた領主アミスを探しに出たガイの息子レインブルンが丘の中にある門を通りぬけると小川に出るが、その向こうに輝く水晶の城壁と大理石の壁に囲まれた宮殿が見える。『ヨネックの物語』でも小鳥に変身し、恋人に会いに来ていた異界の王(ヨネックの父親)が、恋人の夫に刺され、その血の跡を辿って異界に訪ねて行った恋人は緑の原に出る。その向こうに銀色に輝く町が見え、左手には森が広がりまわりには澄んだ小川がめぐり流れ、「その広い流れには三百もの船が港に錨をおろしていた」となっている。

『妖精の系譜』 新書館


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石井鶴三の世界 №192 [文芸美術の森]

花岡すみれさん休息のところ 1964年/埴輪男子 1964年

         画家・彫刻家  石井鶴三

1964花岡すみれさん休息のところ.jpg
花岡すみれさん休息のところ 1964年 (202×144)
1964埴輪男子.jpg
花輪男子 1964年 (173×124)


 **************  
【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】

明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。


『石井鶴三素描集』形文社

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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №56 [文芸美術の森]

最後の個展

      早稲田大学名誉教授  川崎 浹

 私がフランスでの一年半の滞在をおえて帰国したのは昭和四十八年(一九七三)三月。しばらくは高島さんに会えなかった。国外滞在中に溜まった給与で車を買い、やっと柏のアトリエを訪れると、小屋も片づき、着物姿の画家は元気そうな様子に見えた。その頃は武藤さん夫妻の手配で部屋の掃除にヘルパーさんが周期的に通ってきていたと、あとで知る。
 小屋からでた画家は腰に手をあて、フロントの広い黄色の車体をしばし眺めながら、「外車ではないのか」と言った。普及した大衆車ながら、貧乏学生だった私がいつのまにか車をもつ身分になってと感慨をおぼえていたのかもしれない。このときの高島さんの風姿は鮮やかに私の脳裏にあるが、かれは八十歳を過ぎてもなお呂律がしっかりしていて、「えっ?」と聞き返さねばならぬことは一度もなかった。いまにして思えば、これも驚くべきことだった。
 拙宅からアトリエが遠くなっただけに、一度訪れると五、六時間は長居することになる。
 私は高島さんに欧州体験や帰国後の多忙について話したが、とりわけ次のことを報告した。私はパリでソルボンヌ大学のスラブ科に顔を出すかたわら、ロシア語新聞社に情報をとりに出かけたが、私が出くわした思いがけぬ事態は、ロシア人の亡命は一九一七年の十月革命以降の歴史であると同時に、現在進行形で今もつづけられている。ソ連体制から逃亡してきてソルボンヌ大講師をしている詩人の教科書も、『ロシア思想』紙編集長(元公爵夫人!)の口をついてでるスクープも、すべてはソ連での生々しい出来事や報道である。それがソ連の地下文学(反体制)や思想にもつながっており、また本来のロシアの正統文化なのだ。帰国後、そのことについての執筆を依頼され、なにより私の個人的な仕事のメインになっているのだと。高島さんはこうした国際情報の裏世界にも関心をいだき、執筆を激励してくれた。

 この頃「女先生」の武藤ゆうさんは、夫の重喜から「今度の水曜日にヘルパーさんが高島さんの所に来てくださるそうだ」と聞いたので、掃除の際にまちがって捨てたりしないように、老婆心から画家の『ノート』を預かった。『ノート』はいつも高島さんの枕元の左側に置かれていた。それを後年、武藤さんが私に渡してくださったので、高島野十郎の思想心情や絵の謎を解きほぐすための欠かせぬ手がかりとなった。
 翌年の昭和四十九年(一九七四)、日本橋の丸善画廊(二月二十五日⊥二月二日)で最後の個展が開かれた。作品は大内田さんが立ち会い二十点を選んだ。この件で私も大内田さんと何度か連絡をとり、初日は私が朝早く車で相に行き、高島さんを丸善画廊まで運んだ。と記憶しているが、実際は画家を乗せたのか、挨拶をして必要な物品だけを会場に運んだのか定かではない。当時、高島さんの健康が衰えていたからだ。
 前年の秋から冬にかけて何度か、一度は講義を休講にして大内田さんとともに柏にかけつけている。休講にするというのは、画家の生活や健康のことで緊急を要する相談があったからにちがいない。最初はアトリエの所有者である本家の伊藤英三氏を訪れ、それからアトリエに行っている。いまで言えば老人ホームに入居させるのがご本人のためによいのではないか、そういう額を集めての協議だった。それから高島さんの納屋へ行き、昼の一時から夜八時半まで過ごす。それほど長時間話しこむというのは、画家にまだそれに耐えるだけの元気があったということだろう。

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍堂


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エラワン哀歌 №7 [文芸美術の森]

閏九月十三夜

     詩人  志田道子

 鶏(にわとり)は太古の巨獣の
 甲羅の匂いのする
 脚を高らかに振り上げ
 鋭い悲鳴をあげて
 疾走する
 百七十一年ぶりの自由
 卵を腹に学んだまま
 ではあるが

 人の胃袋も子宮も外皮だと
 最近気付いた
 見知らぬ幼子が女の体に入り込むことはない
 女の体の外側の一部を
 いっとき貸してやっているだけだった
 という 理屈をやっと見つけて救われた
 女は見知らぬ強欲に粉微塵に食い尽くされることはない
 なので……
 蹴る子 殴る子 怒鳴る子 泣く子
 たった一度の命を貸してやった恩義も知らず
 消えて無くなれ 此畜生

 後にも先にも
 夢だけが現身(うつしみ)を救うのだから
 岩群青の真空に漂う
 巨大な月明りのもと
 鶏よ 駆けて行け
 もういちど

『エラワン哀歌』 土曜美術社出版販売


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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №63 [文芸美術の森]

           歌川広重≪名所江戸百景≫シリーズ
          美術ジャーナリスト  斎藤陽一

          第14回 「日本橋雪晴」

63-1.jpg

≪広重最晩年の名作シリーズ≫

 安政3年(1856年)、歌川広重(1797~1858)60歳の時、自分がこよなく愛した江戸をテーマに、連作「名所江戸百景」の制作にとりかかりました。すべて縦長の大判サイズの錦絵(彩色版画)で、安政5年(1858年)に広重が62歳で世を去るまで刊行が続き、全部で119点(うち1点は二代広重画)のシリーズとなりました。江戸の町をこれまでにない新しい視点と卓抜な構図で描いたこの連作は、最晩年の名作と言われます。広重作品の中でも、とりわけこのシリーズは印象派など西洋近代絵画に大きな影響を与えました。
 
63-2.jpg これから数回にわたって、このシリーズの中からいくつかの絵を選んで紹介していきますが、その前に、「名所江戸百景」の刊行が始まった安政3年の前の年、すなわち安政2年10月に江戸を襲った巨大地震「安政大地震」のことを知っておく必要があります。

≪安政大地震≫

63-3.jpg 安政2年(1855年)10月2日午後10時頃、江戸をマグニチュード7という直下型の地震が襲いました。震源地は江戸湾付近とされています。倒壊家屋は約15,000棟、同時に各所で発生した火災により、江戸の町は壊滅的な被害を受けました。死者は7,000人以上との記録はありますが、武家屋敷からの報告は不明なので、実際にははるかに多数の死者が出たものと思われます。
 その上、翌・安政3年3月には、大きな洪水が江戸を襲い、甚大な被害をもたらしました。相次ぐ大災害によって、それまで広重が愛情込めて描いてきた江戸の姿が忽然と崩壊してしまったのです。

 「江戸名所百景」の刊行が始まったのは、その直後からです。まだ災害の現状が生々しく残る中で、再建の槌音があちこちで聞こえてくる時期でした。
 このような状況を考えれば、連作「名所江戸百景」には、広重の江戸の復興を願う気持ち、あるいは、復興しつつあることを喜ぶ気持ちなどが反映していると見てもいいのではないでしょうか。

≪雪晴の日本橋≫

 その冒頭を飾るのが「日本橋雪晴」(第1景)。
 「東海道五十三次」(36~37歳制作)の冒頭を飾ったのも「日本橋」でした。江戸の復興を祈る気持ちを込めた晩年の「名所江戸百景」(60~62歳)の最初の絵としてもふさわしい画題でしょう。

 それまで風景画(「名所絵」)と言えば、横長の紙に風景のひろがりを描くのが定番でした。「東海道五十三次」も横型でしたね。それを広重は、このシリーズ全ての絵を「竪型(縦型)」で表現しようと試みたのです。
「竪型」では、風景の横の広がりを描くことはできませんから、思い切って描く対象の左右を切断し、大胆な省略を行なって最も効果的な部分で構成する必要があります。その分、上手くいけば絵が与えるインパクトは強いものとなります。広重はそれをねらい、成功したのです。

 シリーズの冒頭を飾るこの絵では、雪に覆われた江戸の町を「鳥の目視点」(俯瞰構図)でとらえています。一見すると、ここには大胆なクローズアップや切断は見られません。
「前景」に日本橋と隅田川を、「中景」に江戸城、「遠景」に富士山を配した構図は、幕開けの最初の絵ということもあって、よくある定番通りの江戸風景図のようにも見えます。
しかし、すぐに、この絵の鮮やかさに気づきます。
左右の広がりをばっさりと切断して、日本橋と江戸の町並、江戸城、富士山を積み重なるように描いています。それにより、この絵は、横長に描いた図に比べて、モチーフがより凝縮したかたちで提示され、訴求力のあるものとなっています。

63-4.jpg 広重がこの絵に着手した時には、まだ江戸の町はこのような姿ではなかったと思います。
 広重は、江戸復興への祈りを込めて、晴れやかな雪晴の下に軒を連ねる家々や、日本橋を行き交う大勢の人々、川面に浮かぶ沢山の船などを描いたものと思われます。 右下には魚河岸の賑わいが描かれています。まことに気分が晴れやかになる幕開けの一枚です。
 この絵では、「赤と白」が効果的に使われていることにも注目を。「めでたさ」を象徴する「紅白」が暗示されます

 次回は、「名所江戸百景」の中から「浅草金龍山」を紹介します。


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往きは良い良い、帰りは……物語 №97 [文芸美術の森]

往きは良い良い、帰りは……物語
こふみ会通信 №97 (コロナ禍による在宅句会 その12)
「茅の環」「白南風(しろはえ)」「パセリ」「裸」
                俳句・こふみ会同人・コピーライター  多比羅 孝

当番幹事(一遅氏&紅螺さん)から連名で、下記のような≪令和3年7月の句会≫の案内が届きました。

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ワクチンだオリンピックだと話題の尽きない日々、皆さまお元気でお過ごしでしょうか。
今年2021年も、早や、折り返して7月です。今月も、恒例こあみ句会に、
ちょっぴりお時間と脳ミソを割いてくださいませ。
【今月の兼題】
1、茅の輪
2、白南風(しろはえ)
3、パセリ
4、裸 ★「裸婦」は季語ではありません。ご注意ください。
・投句締切:14日(水)
・投句一覧の配信:17日(土)
・選句締切:24日(土)
・結果発表:28日(水)
★選んだ天の句に関する鑑賞短文もお忘れなく。
【送り先(今月の幹事)】
紅螺mic-cc-0821@t.vodafone.ne.jp
一遅mrthjm@globe.ocn.ne.jp
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【上載の通知によって作成・投句された今回の全作品】は下記のとおり  17名  68句

【茅の輪】
海女くぐる 島の茅の輪に 天津風(茘子)
神妙に茅の輪潜りて無信心(可不可)
ワクチンの帰りにくぐる茅の輪かな(すかんぽ)
茅の輪くぐる神さまほんまにいてはるの(矢太)
誰もいぬ日の降る朝の茅の輪かな(小文)
ワクチンも茅の輪くぐりも済ませけり(孝多)
茅の輪くぐる盲導犬の淡々と(一遅)
篝火に誰とくぐらん茅の輪かな(玲滴)
お札受け茅の輪もくぐって よき未来(紅螺)
ワクチンの代わりに茅の輪ちょとくぐり(虚視)
茅の輪くぐりこの疫病を鎮めたし(弥生)
マスクして茅の輪をくぐる銀座ママ(下戸)
茅の輪をくぐるお医者と看護師と(鬼禿)
涙ふき くぐれくぐれよ 夜の茅の輪(兎子)
風一陣茅の輪目がけて吹き来たり(華松)
夕暮れの茅の輪くぐりし遠い恋(尚哉)
神などは信じてないが茅の輪あり(舞蹴)

【白南風(しろはえ)】
白南風や長き昼寝の籐の椅子(可不可)
白い紙ヒコーキ 高く 高く 白南風よ(茘子)
白南風や行方不明の兄帰る(矢太)
白南風にコロナの収束祈ろうよ(孝多)
白南風の吹き起こしたるうねりかな(玲滴)
午睡より覚め白南風の生ぬるき(虚視)
白南風やまとわる髪をかきあげつ(弥生)
白南風や初恋のアルバムに吹く(下戸)
会えぬ日々 白南風望む 彼もまた(兎子)
白南風や洗濯物をつかまえに(華松)
白南風やハバナのラムは棚に在り(尚哉)
白南風の青田撫でゆく掌(たなごころ)(鬼禿)
白南風の夕べは 野外 フェスティバル(紅螺)
白南風を命預けし女(ひと)と抱く(舞蹴)
あの人のワンピース舞う白南風の日(一遅)
白南風や江ノ島の風待つ白帆(小文)
白南風に佇てば島唄聞こえだす(すかんぽ)

【パセリ】
ニコルさんパセリの森を探検す(小文)
あの人の パセリでいいのと 笑ってた(兎子)
肉切りてパセリは少し血に触れる(虚視)
キミの名はパセリ控えめな皿の花(一遅)
食卓の花の代わりのパセリかな(可不可)
パセリつまむ爪桜貝 盲少女(紅螺)
良き水にパセリが育つ秘密あり(舞蹴)
お浸しにパセリが主役になる朝餉(玲滴)
木漏れ日やランチのパセリ小さき森(矢太)
パセリ残すそっとはずして皿(さら)の隅(孝多)
パセリ噛めば 胸に広がる青き花火(茘子)
俺料理もパセリ一枝で様になり(鬼禿)
定食のパセリは残る皿の端(尚哉)
わだかまり千々に刻んでパセリふる(華松)
残されしパセリの孤独じっと見る(下戸)
青き日の悔恨青きパセリ噛む(弥生)
あなたとは青きパセリのやうなもの(すかんぽ)

【裸】
父の撮りし水着の母の写真かな(可不可)
母と子の裸のにほい産湯かな(下戸)
早描きの 妻の裸身の 首の線(紅螺)
夕暮れの湯屋賑わふ裸かな(小文)
墨の絽に 裸 鎮めて忍草(鬼禿)
地獄見てなお美しき裸体かな(舞蹴)
鏡の前 一緒に老(ふ)けし我が裸(茘子)
銭湯の池の鯉みる全裸かな(すかんぽ)
海騒ぐ生まれた時はみな裸(矢太)
したたらせ裸を見せない海女(あま)歩む(孝多)
裸婦の肩陽ざしが踊るルノワール(玲滴)
濡れ光る刺青(しせい)半裸の男衆(虚視)
タオルもて裸の赤子抱きとりぬ(弥生)
其れは嘘 重ね続けて 丸裸(兎子)
東京の夜景にふわり裸のワタシ(一遅)
心ゆくままに夏野の裸馬(華松)
ゴヤ画集 裸のマハと目が合ひぬ(尚哉)

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【天句の鑑賞】
「天」に選んだ句とそれに関する鑑賞短文を簡潔に書くというこふみ句会の約束事。

●鏡の前一緒に老けし我が裸(茘子)
★鑑賞短文=この歳になると「鏡の中の醜態」など一番見たくない代物のはず。
 それを作者は「一緒に老けし〜」と優しく私物化しておられる。
 その御身とそれを愛おしむこころ根に『天』。(鬼禿)

●あなたとは青きパセリのやうなもの(すかんぽ)
★鑑賞短文=パセリの存在を言い得て妙。この軽さが絶妙。人をちょっと幸福にする句。
(舞蹴)

●白南風やまとわる髪をかきあげつ(弥生)
★鑑賞短文=青い空に入道雲。待ちわびた夏がやってくる!作者の方の心待ちにしている思いが伝わります。まるでわたせせいぞうの世界ですね。(小文)

●母と子の裸のにほい産湯かな(下戸)
★鑑賞短文=生まれて間もない子どもの匂いは、なんとも言えない良い匂いだ。
 夏の日の夕方なのだろう。向田邦子の短編の世界を彷彿とさせる。(虚視)

●濡れ光る刺青(しせい)半裸の男衆(虚視)
★鑑賞短文=夏祭りでしょうか、神輿を担ぐ男衆の汗に光る刺青。日本の夏の懐かしい風景。(弥生)

●肉切りてパセリは少し血に触れる(虚視)
★鑑賞短文=鮮やかな血の色と濃い緑のコントラスト、不思議で妖しい魅力を感じます。(兎子)

●あの人の パセリでいいのと 笑ってた(兎子)
★鑑賞短文=新味にあふれ、そのうえ、内容・表記・口誦性と、3拍子揃っています。
 口語俳句の傑作です。良い句を示して頂き、有難うございました。(孝多)

●白南風や長き昼寝の籐の椅子(可不可)
★鑑賞短文=一瞬で、遠い日の夏のけだるい昼さがりが思い出されました。(玲滴)

●東京の夜景にふわり裸のワタシ(一遅)
★鑑賞短文=軽やかでお洒落で、優れたポスターを見るようです。(華松)

●早描きの 妻の裸身の 首の線(紅螺)
★鑑賞短文=助詞「の」を4つつづけて使っているのが面白い。
 首の線はきっと、「の」の字そのもの、なんでしょうね。(尚哉)

●わだかまり千々に刻んでパセリふる(華松)
★鑑賞短文=わだかまりを刻む、それも千々に。句意と季語がとても響き合っていると感じました。(すかんぽ)

●白南風の青田撫でゆく掌(たなごころ)(鬼禿)
★鑑賞短文=情景が目に浮かびます。素晴らしい着眼です。そして爽やかです。(茘子

●パセリつまむ 爪桜貝 盲少女(紅螺)
★鑑賞短文=視覚的なイメージを刺激する句。そこに盲少女の意外性。とても上手いですね。(下戸)

●白南風やハバナのラムは棚に在り(尚哉)
★鑑賞短文=いい時間ですね。飲兵衛はこういう句に弱いんですよね。(可不可)

●濡れ光る刺青(しせい)半裸の男衆(虚視)
★鑑賞短文=吉田修一の名作の一場面を見る様です、鮮烈な印象を受けました。(紅螺)

●干睡より覚め白南風の生ぬるき(虚視)
★鑑賞短文=夏の午後のけだるい空気感が記憶の中によみがえりました。(一遅)

●肉切りてパセリは少し血に触れる(虚視)
★鑑賞短文=うまそうで怖い、心象風景である。(矢太)

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【今月の成績一覧】

◆トータルの天=虚視・49点
代表句=午睡より覚め白南風の生ぬるき
◆トータルの地=すかんぽ・36点
代表句=あなたとは青きパセリのやうなもの 
◆トータルの人=華松・29点
代表句=わだかまり千々に刻んでパセリふる
◆トータルの次点=一遅・26点
代表句=東京の夜景にふわり裸のワタシ

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<幹事より、ひと言。雑感>
●今回、一遅さんが全てテキパキと的確に運んで下さって 、色々とても勉強になりました。夫々の方の選句を、時間をかけて見せて頂いて、句の趣が深くなりました。幹事、楽しかったです!(紅螺)
●天句が5個。4句中3句が天という虚視さんの圧倒的な勝利で、今月も終えました。
相撲でいうと白鵬状態ですね。今回、幹事をさせていただいて、選句のむずかしさも感じました。
作るも選ぶも、自身の句の好みの方向性をしっかり持たねばいけない。のですね。(一遅)

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幹事さん、ご苦労さまでした。有難うございました。
得点・成績面では快記録も生まれました。おめでとうございます。各位のますますのご活躍を期待しております。
それにしても、東京オリンピックやら、コロナ禍やら、異常気象やら、在宅ワークやら。もう、うんざりです。早く終りますように。そして、みんなして集まって、わいわいと楽しめる日の、一日も早い再来を祈るばかりです。
来月(8月)もネット句会になりそうで全く残念ですが、皆さん、折角ご自愛のほどを。心も体も大切に。草々
              令和3年7月30日  多比羅 孝多

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日めくり汀女俳句 №87 [ことだま五七五]

九月十二日~九月十四日

    俳句  中村汀女・文  中村一枝

九月十二日
行くほどに長城しかと秋日満つ
        『紅白梅』 秋の日=秋

 汀女が、国交回復前の中国に出かけたのは昭和三十一年九月。文化訪問団の副団長格であった。十月一日の国慶節で「早朝楽起り人声町中に満つれども生憎の雨なり。天安門楼上雨中軍隊の行進を迎ふる毛沢東主席その他もうちけぶる程の大雨なり」とメモしている。着物姿の汀女は、どこへ行っても人だかりに囲まれた。終始下駄で通し、ホテルの中ではロビーのボーイに下駄を預けた。万里の長城も下駄で上ったが、下りる時はさすがに怖く足袋はだしだった。周恩来首相は、汀女と握手したままなかなかその手を離さなかったそうだ。

九月十三日
秋暑く足長蜂に澄む日かな
         『紅白梅』 秋暑し=秋

 戦争体験がまったくないわが息子と、日本のあり方をめぐり議論になった。私はやっぱりバリバリの非戦派。女性にはこの手が多いと思う。子供の時の見聞や経験から、もう二度と戦争はイヤだと思っている。もし外敵に襲われたら丸腰で降伏するの? 息子(本人は三十三歳)は、現代の享楽消費に明け暮れている若者たちを見ていると、何か間違っていると思うらしい。でも、愚かな指導者によって間違った方向に引っ張られていった過去を思うと、一足とびにはいかない民主主義の稚拙・愚鈍さも、貴重なものに思えるのだ。

九月十四日
夜の蝉の起ししかろきしじまかな
          『春雪』 蝉=夏

 生徒たちの学校崩壊へのひどさに意を決した広島の中学の校長先生が、学校内を全面公開に踏み切ったというニュース。私が子供の学校に関わっていたのは、もう十五年も前だが、その頃感じていた学校の閉鎖的体質は何も変わっていない。世の中はずい分変化したのに学校の事件が起きて見えてくるのは、旧態依然たる学校の顔である。
 息子の高校受験の時、学校を探していくつもの高校を歩き回った。なかにはこれは、と思う所も二、三あったが、その中で私の夢を少しでも満たしてくれそうな学校が一校あった。

『日めくり汀女俳句』 邑書林


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読むラジオ万能川柳 №116 [ことだま五七五]

      読む「ラジオ万能川柳」プレミアム☆ 7月14日、21日、28日放送分

     川柳家・コピーライター  水野タケシ

川柳家・水野タケシがパーソナリティーをつとめる、読んで楽しむ・聴いて楽しむ・創って楽しむ。エフエムさがみの「ラジオ万能川柳」、7月14日放送分です。
 
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これからテレビの収録。。。

「ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)が
キャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、
毎週水曜日9時5分から放送しています。
エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらから!
https://fm839.com/program/p00000281
放送の音源・・・https://youtu.be/XalCN2ie7cA

【お知らせ1】
絶好調、テレビ朝日の「川柳居酒屋なつみ」、
16日はアベマTVでゲストはお笑いコンビの土佐兄弟です!!  

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高校生あるある動画が若い人に大人気!!
あるあるが得意な土佐兄弟。
あるある、というと、川柳もある意味、
あるあるですよね。ということで、川柳も大いに盛り上がりました!!
https://youtu.be/XalCN2ie7cA

(みなさんの川柳)※敬称略  今週は175句の投稿がありました!
・増えてきた妻の体重と我がストレス(居酒屋たつみ)
・観戦はテレビで感染させぬ為(名人・よっきゅん)
・五輪ありワクチンはなし不安あり(東孝案)
・マメ主夫に主婦の座渡し趣味に精(くろぽん)
・お爺ちゃん百を目指して畑仕事(名人・やんちゃん)
・気がつけば聖火が横を走ってた(soji)
・真夜中のコールで代筆する長歌(かなさんどー)
・先の週なのにどうして前の週? (名人・わこりん)
・南国の朝が娘を呼び覚ます(美ら小雪)
・五輪まで生きて来れたがこの騒ぎ(名人・重田愛子)
・銀行に密告すすめおごる日々(大名人・東海島田宿)
・梅雨明けて洗濯物のパラダイス(初投稿・和さん)
・本を貸す友達大体しおり抜く(鈴りんりん)
・ここへ来た何しに来たか忘れたが(おむすび)
・副作用我慢しながら聴くラジオ(大名人・アンリ)
・辰句集キャンペーンだよあげちゃうヨ(辰五郎)
・前回の記者会見のビデオかと(ワイン鍋)
・スカートの中が子猫の避難場所(大柳王・ユリコ)

☆あさひろさんのボツのツボ
「ラジオ万能川柳。今週は 大谷翔平、大相撲、オリンピック、土砂災害、等の題材句が多くありました。しかし タケシ師匠が選んだ3句はいずれも違う題材でしたね。そんな中、菅首相の記者会見の様子を読み込んだ方も何人かありました。ボツの壺は『表情が金太郎飴菅総理』ユリコ。そうかこんな見方も。」

・取り合えず挨拶したが誰だっけ(まご命)
・夏草や雨の翌日また芽吹く(柳王・入り江わに)
・失敗を笑い飛ばされ救われる(名人・はる)
・復興の五輪の空にしらけ鳥(柳王・春爺)
・心にも青空運ぶ梅雨晴れ間(名人・不美子)
・このままじゃ雨を嫌いになりそうで(名人・のりりん)
・朝晴れに騙されまいと傘抱え(芭南南)
・ナベ敷きの気持ちわかるという夫(柳王・荻笑)
・子猫なぜあんなにデカイ声でなく(柳王・平谷妙子)
・結婚し溶けつづけゆくかき氷(名人・恋するサボテンちゃん)

☆タケシのヒント!
「ちょっと切ない句ではありますが、比喩に作者ならではの発見があります。かき氷を食べるたびに思い出してしまう句です。」

・会える日を待ってるうちに年を取り(柳王・けんけん)
・肩凝りと腰痛何かやったかな(もふもふ)
・納豆とゴルゴンゾーラ勝ちはどれ(バレリア)
・転んでも宇良のほっこり土俵下(里山わらび)
・数えてる予定沢山夏休み(大名人・かたつむり)  

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・ポイントを使いきる時また付いた(名人・ぼうちゃん)
・親のフンよりも小っちゃいメダカの子(名人 ・じゅんじゅん)

◎今週の一句・結婚し溶けつづけゆくかき氷(名人・恋するサボテンちゃん)
◯2席・先の週なのにどうして前の週? (名人 ・わこりん)
◯3席・ここへ来た何しに来たか忘れたが(おむすび)

【お知らせ2】
毎年夏に開催してご好評を頂いていました、北九州で行われる仲畑流万能川柳全国大会、
去年はコロナで残念ながら開催できなかったんですけれども、今年は新聞紙上で開催いたします!!
いつもだったら参加費がかかるんですけれど、なんと今年はタダ!!ハガキ代だけで、全国から
ご参加いただけますので、奮ってご参加ください!!  

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【放送後記】
先週末くらいから急に暑くなってきました。
そう、日本の夏はとんでもなく暑いんですよねえ(苦笑)。
来日したオリンピック選手たちも「ビックリシタナ~、モウ!」でしょうねえ。(タケシ拝)

○7月21日の放送です  

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これから毎日新聞(暑!)

放送の音源・・・https://youtu.be/xs9UKjeEE40

【お知らせ1】
毎年夏の恒例、第48回ぬまづ市芸術祭 文芸部門「ぬまづ文芸」、応募締め切りが近づいてきました!!7月31日消印有効ですので、どうぞ急いでご参加くださいね!! 

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https://youtu.be/xs9UKjeEE40

(みなさんの川柳)※敬称略  今週は186句の投稿がありました!
・混迷のルーツたどれば有権者(翔のんまな)
・接種券やっと来たけどまだまだだ(恵庭弘)
・じゅんじゅんの句って久喜より相模向き(くろぽん)
・焼き鳥を摘まみに水のお替りし(名人 ・キャサリン)
・スーパーと病院近くにあれば良し(ぽこにゃん)
・うっかりとちゃっかり増える嫁姑(名人・やんちゃん)
・シソパラリメニューが日本風になり(パリっ子)
・白鵬に一発張れば名があがる(大名人・東海島田宿)
・休みだと思っていたよ19日(大柳王・龍龍龍)
・一斉に梅雨明けました毛穴まで(せきぼー)
・宝くじ当たらなければ宝ぐち(名人・わこりん)
・二刀流どころじゃないわよ女って(美ら小雪)

☆あさひろさんのボツのツボ
「ラジオ万能川柳。タケシ師匠のお誕生日で、おめでとうメールがいっぱい。今週は久々に添削が入り見違える作品に。“なか八”の処理。『二刀流 どころじゃないわよ 女って』美ら小雪。は『どこじゃないわよ』で中七に。ボツのツボ『換気よく 冷房効かぬ 待合室』東孝案。このスタジオもその傾向が・・・。」

・薄味にかえて100年生きてみよう(おむすび)
・懐かしい酒場梯子で終電車(まご命)
・泡盛を飲んでわこりん思い出し(soji)
・エルボーとビンタで勝った十五日(大名人・フーマー)
・ノンアルの味の深さに驚いて(大名人・アンリ)

☆タケシのヒント!
「アンリさん、これで7回目の秀逸で柳王昇進です。おめでとうございます。前向きな発見と驚きが良いです。ノンアル嫌いの方、ぜひ一度お試しください。」

・かもめーるなくて寂しい暑中見舞(ワイン鍋)
・スランプへ柳誌散らばる夏座敷(名人・重田愛子)
・打ち終えて一目散に孫の顔(名人・じゅんじゅん)
・半年後の寒さ想像して涼む(柳王・荻笑)
・いつ死ぬか解らないから遊ばなきゃ(柳王・光ターン)
・こち亀のギネスをゴルゴ許さない(大柳王・ユリコ)
・扇風機こっち来る時粉薬(名人・不美子)
・観光で京都も行きそバッハさん(しゃま)
・わこりんの一族郎党みな投句(柳王・入り江わに)
・始まればしっかり応援する五輪(名人・のりりん)
・白鵬の勝ちにこだわるあの手この手(ベルマーレあんちゃん)
・しんとした職場をほぐす虫登場(名人・ぼうちゃん)
・いばら道這って頂上照ノ富士(里山わらび)
・やるからにゃ楽しみたいがもやもやす(芭南南)
・痛くないよ聞いていたけど痛いべなあ(大友人・かたつむり)  /
・インタビュアー本人よりも話しすぎ(柳王・平谷妙子)
・わこりんの親がやっとこわかったよ(居酒屋たつみ)
・開会式マツケンサンバいいかもね(クッピー)

◎今週の一句・ノンアルの味の深さに驚いて(大名人・アンリ)
◯2席・やるからにゃ楽しみたいがもやもやす(芭南南)
◯3席・二刀流どころじゃないわよ女って(美ら小雪)

【お知らせ2】
絶好調「川柳居酒屋なつみ」、次回は23日、テレビ朝日で放送があります!!
今回のお客様はミュージカル俳優の城田優さん。
お母様がスペインの方で、とにかく背が高くてかっこいい!
松也さんとは高校の一年後輩で、高校時代から大の仲良しだったとのこと。 

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【放送後記】
エンブレムから開幕式までトラブル続きのオリンピック、とにかく無事に終わってほしい。
メダルよりもとにかく無事に。今はただそれを願っています。(タケシ拝)

○7月28日放送  

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意外と盛り上がってるオリンピック!!

放送の音源・・・https://youtu.be/aeYmQYVDubA

(みなさんの川柳)※敬称略  今週は201句の投稿がありました!
・北海道クーラーないのに熱帯夜(恵庭弘)
・中八で出してしまった芸術祭(美ら小雪)
・きれい事ばかり言っている口に虫(名人・わこりん)
・過去形を足して大きくなるよ愚痴(名人・恋するサボテンちゃん)
・夏風邪を甘く見ていて悪化させ(初投稿・お日様)
・冷凍庫在庫からからよく売れる(ぶたのはなこ)
・長嶋さん花道飾る競技場(名人・キジバト交通)
・知らぬ国読めぬ国あり開会式(大名人・東海島田宿)
・夕暮れの雨上がりカナカナの声(名人・やんちゃん)
・元気です口が悪くて意地悪い(柳王・平谷妙子)

☆タケシのヒント!
「『元気です』の後に『口が悪くて意地悪い』がいかにも川柳的で吹き出してしまいました。こんな本音の句、暑中お見舞いに書き添えたいなあ。」

・始まれば応援したくなる五輪(おむすび)
・やまゆりに起こりし事を忘れずに(居酒屋たつみ)
・去年より素直になれぬ夏休み(せきぼー)
・入選で治ったボクの不眠症(翔のんまな)
・サーファーを描き加えたい北斎画(柳王・入り江わに)
・薬より手からの飲まれた山の水(バレリア)
・真夏こそラジ川いいよおすすめさ(ベルマーレあんちゃん)
・テレビ局掌返し空騒ぎ(大名人・フーマー)
・奪うのか球児の夢を憎い奴(新柳王・アンリ)
・お隣りの庭が好きかい向日葵よ(ワイン鍋)
・日本のゴールに手を上げ声を上げ(名人・重田愛子)
・遅くまで見たんだアナの眉薄い(大名人・かたつむり)  

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・川柳は老いを追いやる予防薬(まご命)
・マスク下にしっかり生きている鼻毛(名人・じゅんじゅん)
・160送りましたゼ辰句集(辰五郎)
・さがみはら楽しかったなボランティア(金☆玉三郎)
・五輪より俺は観たいな大谷を(soji)
・感染者増えるな増えろメダリスト(名人・よっきゅん)
・連休は副反応に寄り切られ(しゃま)
・無観客やたらと多い関係者(柳王・光ターン)
・皮肉かなバッハの長ーいスピーチは(大柳王・ユリコ)
・見ていたら負けそうなのでテレビ消す(名人・のりりん)
・蝶々は大丈夫かな雨宿り(柳王・けんけん)
・金色に13歳もみじ咲く(柳王・鵜野森マコピイ)
・両論の中で輝くアスリート(名人・はる)
・始まればみんなまーるく観る五輪(里山わらび)

☆あさひろさんのボツのツボ
「ラジオ万能川柳。東京都では、新型コロナウィルスの1日の感染者数が過去最多となるなか、東京オリンピック でのアスリートの躍動にも川柳子の眼が注がれました。ボツの壺『すっぴんの時なら親に似ている娘』ぼうちゃん。最近は一目で親子と分る顔つきの家族を見かけることは少なくなった気がします。」

◎今週の一句・元気です口が悪くて意地悪い(柳王・平谷妙子) 
◯2席・遅くまで見たんだアナの眉薄い(大名人・かたつむり)
◯3席(添削しました)・薬より手ずから飲んだ山の水(バレリア)

【お知らせ】
夏の風物詩、TOTO「第17回トイレ川柳」、現在絶賛募集中です!!
日常のホッとした出来事・思わず笑ってしまった出来事など、
人になかなか伝えられない今だからこそ、川柳で表現してみませんか?
ということで、今回は「ほっとする・笑える賞」を設けました。

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【放送後記】
コロナにオリンピックに台風のうえにオータニさんと
まーもー「なんだかな、もう」の日々ですが、
川柳ファーストでこの夏を乗り切りたいとおもいます。
みなさまもどうぞご自愛くださいね!(タケシ拝)
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水野タケシ(みずの・たけし)
1965年生まれ。コピーライター、川柳家。東京都出身。
ブログ「水野タケシの超万能川柳!!」  http://ameblo.jp/takeshi-0719/ 




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雑記帳2021-8-1 [代表・玲子の雑記帳]

2021-8-1
◆青山霊園には外人墓地があるのを知っていますか。

地下鉄千代田線乃木坂駅の近くにある青山霊園は、明治5年(1872)に日本最初の公営墓地として開かれました。広さは東京ドーム5.5個分。都心にあり、交通の便にすぐれていることから、大変な人気で、1区画440万円の墓地には、公募の度に10倍以上の応募があるそうです。開園当初は神道のみを受け入れていましたが、まもなく宗教を問わなくなりました。

一角に外人墓地があって、ここを巡れば何人もの興味深い人物に出逢うことができます。ガイドさんが最初に連れて行ってくれたのが、ジョセフ・ヒコ(浄世夫彦)の墓でした。
ジョセフ彦は日本名浜田彦蔵。13歳のとき、乗っていた漁船が嵐で難破、アメリカに渡って教育を受け、帰国して通訳も務めたという、ジョン万次郎とほぼ同じ時代を生きた人です。(万次郎のほうが帰国が10年早い)

時代は幕末、ペリーの日本来航とダブって帰国に際してはいろいろ紆余曲折ががあったものの、運よくスポンサーに恵まれて洗礼を受け、時の大統領リンカーンにも会って言葉をかわしたりもしています。アメリカの民主主義を肌身に感じ取ったことが、のちに日本で初めての新聞「海外新聞」の発行につながりました。彦は日本の「新聞の父」なのです。

日本人にとってジョセフ彦の名はジョン万次郎ほど知られてはいません。
帰国の時期や係わった人物・事件が万次郎を有名にしました。ジョセフ彦は主に貿易商人として活躍し、神戸に住んで多くの事業をてがけましたが、帰化したアメリカの国籍を終生変えることはありませんでした。そのことで日本人の偏見にさらされることも少なくなかったようです。アメリカ人ジョセフヒコとして、彼の墓は外人墓地にあるのです。

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ジョセフヒコの墓

ヘンリー・スペンサー・パーマーは日本初の近代的水道である横浜水道を完成させた、イギリス陸軍の工兵少将です。当時のお雇い外国人のひとりでした。
住民わずか数十名だった寒村が開港して外国人の居留地となった横浜にとって、水の確保は喫緊の課題でした。300年前に家康が幕府を開いて江戸のまちづくりに着手したのと同じです。海辺なので、掘れば塩分の混じった水の出てきたという状態も江戸そっくりです。相模川支流の道志川から引いた水道の巣水にはイギリスから取り寄せた蛇口が使われました。完成後も横浜港、横浜ドック、大阪水道、神戸水道、函館水道、東京水道など、日本の近代化に足跡を残しました。退職後は日本に落着き、日本人女性と結婚しています。

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パーマーの墓

お雇い外国人といえば、グイド・フルベッキの名に思い当たる人は多いのではないでしょうか。
ガイドさんはふれませんでしたが、ヘルマン・フルドリン・フェルベックは大隈重信の英語の先生です。余り知られていないものの、大隈重信の英語力は本場でも非常に高く評価されています。通訳を交えず対外交渉にあたり、長時間議論を戦わせてほぼ完ぺきな英語だったと相手が舌をまいたという話が伝わっています。佐賀藩士だった彼の英語能力を開花させたのは、当時長崎で私塾をひらいていたフルベッキだったのです。
その縁で、もともとは宣教師として来日したにもかかわらず、明治政府の下で、法律の整備や学校の設立にかかわりました。多くの政府要人と関係を持ち、東京大学の前身の開成学校で教師を務めたり、早稲田大学では開学の祖とも呼ばれています。彼の華々しい活躍は宣教師仲間からは大いに嫉妬されることになったのですが・・・

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フルベッキの墓

青山霊園には外人墓地のほかにも、多くの著名人や一族の墓があります。たとえば、斎藤茂吉や志賀直哉の一族の墓、乃木希典の乃木家の墓など。中でも大久保利通の墓は出色です。

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大久保利通の墓は鳥居の億に

維新の立役者、大久保利通は紀尾井坂で暗殺されました。西南戦争で亡くなった西郷隆盛と比べられることの多い人物ですが、生涯、友としては変わらず、最期の懐にも西郷からの手紙をしのばせていたそうです。明治政府の事業はほぼ大久保の借金で始められたので、死後莫大な借金の証文がでてきたといいます。大久保自身のくらしは贅沢なものではなかったようです。
神式の墓は、巨大な墓石を亀(贔屓)が背負っている形をしています。中国では碑文の石の下で支える亀を「贔屓」と呼んでいました。俗にいう「ひいき」の語源とされていますが、もちろん特定の人の肩を持つという意味上の語源ではありません。

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墓を背負っているのは亀(贔屓)

大久保が暗殺されたとき、乗っていた馬車を曳いていた馬も殉死(?)しました。大久保家ではその馬を供養して隣に墓を建てています。

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暗くて写真にはうまくとれなかったが、億のほうが馬のレリーフのある墓

青山霊園を出て、外苑のイチョウ並木を横目に青山通り行くと、オリンピック開幕前の国立競技場が見えて来ました。
準備段階から出鼻をくじかれたTOKYO 2020ではありました。世界中の建築家が競った競技場のデザインは、採用されたのちにお金が掛かりすぎると白紙撤回され、隈研吾氏らのデザインに落ち着きました。高度成長を象徴する壮大な建築は、もはや時代暮れになっていたのでした。新しい競技場は高さを抑えて木材を多用し、外壁にも全国から集められた各県を代表する木が使われています。ゆったりとした観覧席は満員でなくても気にならない、まるで密を避けたコロナ禍を先取りしたようです。ご本人も「これからの建築は環境と調和したものでなければならなり」と言っています。一方で、競技場を「黄昏の時代の象徴」と言った建築批評家もいました。建築が時代を映すことを人々が改めて認識したことはレガシーになり得ると思います。競技場に限らず、現在の五輪の負の側面がさまざまな形で露呈されたこと、それこそがTOKYO 2020のレガシーではないでしょうか。ともあれ、アスリートには責任はなく、この稿がアップされる8月1日はオリンピックの真っ最中。人々がテレビ観戦に一喜一憂していることはまちがいないでしょう。

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競技場のコンクリートのように見えるポールは全国から寄せられた各県の木

この日は(7月10日)4回目の緊急事態宣言が出る直前、オリンピックミュージアムも中に入る事はできません。テレビで毎日目にする五輪のモニュメントだけは、写真を撮る家族連れでにぎわっていました。

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ミュージアム横の五輪のモニュメント

五色のモニュメントと並んで、競技場前の芝生には、近代オリンピックの父・クーベルタンと、少し離れて、嘉納治五郎の像がたっています。昨年の大河ドラマのおかげで、嘉納治五郎が柔道だけの人でないことが知られるようになりました。彼が日本に招致しようと奔走したオリンピックが、その後も政治に翻弄され、今や金まみれになった状態を見たら何と思うのでしょうか。

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嘉納治五郎の像

競技場を後にして明治通りへすすむ途中で立ち寄ったのは鳩森神社です。860年に慈覚大師(円仁)が正八幡宮として創建したという、鎌倉の鶴岡八幡宮よりもずっと古い八幡さまです。境内にある「千駄ケ谷の富士塚」は東京都の有形文化財になっています。本殿前には時節をうつして茅の環がたてられていました。この夏、須佐之男命を祭神とする神社は、コロナという疫病退散を願う恰好の場になるのでした。

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千駄ケ谷の富士塚
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鳩森神社の茅の環

鳩森神社のとなりには将棋会館。藤井聡太君の活躍でいちやく人気の出た将棋界です。将棋盤の脚にくちなしが使われているのは、「将棋刺しに口を出すな」という意味からだと教えてもらいました。

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将棋会館の2階は将棋道場になっている

TOKYO2020では、ソフトボールやサッカーで,日本はメキシコと対戦しました。目白通り、トルコ大使館の近くにメキシコ料理のレストラン「フォンダ・デ・ラ・マルガレーダ」があります。1993年にオープンしました。シェフがメキシコ人という店の内装もメキシコ風。これでも日本人向きにアレンジしたという、スパイシーな味とボリュームたっぷりの皿を堪能しました。

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前菜奥左 グアカモレ(アボガドのディップ)とトトポス(トルティーヤのチップ)
メキシコの代表的なアボガドのデイップ。チップにしたコーンのトルティーヤに漬けて食べる。トルテイーヤは世界遺産。メキシコはアボガドの生産量世界一です。
前菜右 ケセデイーヤ  大きめのタコスの皮にチーズを包んだメキシコのファストフード
前菜手前 プルポアルアビージョ(タコの唐辛子炒め) ニンニクたっぷり、辛い!
この3点だけでおなか一杯になりそう。

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コンソメデポジョ 鶏肉、アボガド、米、トマトのはいったコンソメ味のチキンスープ

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メイン左 ポジョコンモーレ 30種類のスパイスとチョコレートを使ったモーレソースで食べるグリルチキン
 メイン右 カマロネスアラテキーラ  エビにテキーラをきかせたクリームソースをかけている。ライスと混ぜて食べる

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デザート カサデフラン   卵、コンデンスミルクを使って焼き上げたたメキシコのホームメイドプリン




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私の中の一期一会 №242 [雑木林の四季]

  連日小柳ルミ子のブログ「家で“観戦”、外では“感染”」の五輪批判に同感です。
  ~この異常事態に“政府は何を考えているのか”、人の命が最優先なのに・・~

       アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 歌手で女優の小柳ルミ子(69)が27日、「家で観戦、外では感染」と題する自身のブログを更新した。
 この日、都内の感染者は1日で2848人を数えた。
 今年の1月7日に記録した2520人を上回る驚くべき感染者数だと報じるメデイアも多かった。
 ネット上には「もう、どうにも、止まらない」、「もはやお手上げ状態だ」などと悲観的なコメントも溢れる始末・・
 そんな折だからだろう、小柳ルミ子のブログ「家で観戦、外では感染」は嫌でも目に付いた。
 “懸念していた最悪の事態”と彼女が言う通り、東京では従来の1.4倍の感染力を持つというデルタ株が凄い勢いで感染を広げている。
 2848人の中に10代未満の感染者が97人もいたというのは新しい驚きである。 
 なのに、デルタ株の検査を拡充するという気配は感じられない。
 政府は何を考えているのか?
 指をくわえて見ているだけなのだろうか。
 ・・・(小柳ルミ子の“怒りブログ”は続く)・・・
 4連休の結果が反映される来月初旬が恐ろしい。
 バブル?・・冗談じゃない、とっくに弾けて機能していませんよ。
 五輪関係者や選手のコロナ感染も150人を超えている。
 総理、小池さん、バッハ会長、橋本会長などの皆さん、この異常事態をどう捉えますか?
 東京ではコロナの感染拡大に歯止めがかかる様子もない。
 緊急事態宣言から2週間が経過したのに感染予防効果はゼロに等しいではないかと批判するブログである。
 小池都知事は、開催中の五輪に引っ掛けて「東京大会のウイルスとの戦いで金メダルを取りたい」などと話したが状況は悪い、最悪と言っていいかも知れない。
 東京五輪は競技が始まれば、テレビで観戦するしかない。
 強引な開催に疑問を持つ人でも、自国の選手の健闘に拍手するのは自然な成り行きだろう。
しかし五輪といえども、コロナ感染と想像を超える暑さの中で命の危険に怯えながら競技する必要があるのか疑問が残る 。 
「安心・安全の五輪」をオウムのように繰り返してきた菅首相は、官邸で記者団に次のように語った。
「感染は20代以下が7割を占めている。40代、50代の入院が増え、デルタ株の割合も急速に増えているが4連休を含めて現状を分析していく。さらに各自治体と連携しながら警戒感をもって感染予防にあたっていく」・・
 感染爆発の状況なのに、首相の口から危機感に溢れる発言が聞こえてこないから問題なのだ。
「国民の皆様におかれましては、不要不急の外出は避け、オリンピックはテレビ等で観戦してほしい」・・まるで他人事、ネット上に非難の声が溢れた。
 アットランダムに拾ってみよう。
「自分に不利なことは認めない。官房長官時代からぶれてない。もう何も期待しない」
「人の動きも読めない。国民の声は聞かない。支持率29%。今まで例を見ない最低の総理だ!」
「人流は全然減ってないよ。海外から人が来てむしろ増加している。東京の1日2848人?驚かないよ。
今すぐ辞めて欲しい」
「このおっさん何もわかっていない。あんたが“人が減った”と言えば、出歩く人は増えるんだよ。人が増えれば感染も増える。だから軽々しい発言はやめたほうがいい」・・と散々である。
 29日、全国で新たなコロナ感染者が1万693人出たことが確認された、新規感染者が1万人を超えたのは初めてだ。
 東京都はこの日、3865人感染で過去最多の更新であった。
 都のモニタリング会議はこの日、「これまでに経験したことのない爆発的な感染拡大に向かっている」と警告を出している。 
 連日、気温30度を超える猛暑日が続く東京都内、アスリートにとって危険な気候コンディションであることは間違いない。
 驚いたことに招致に際して、「7,8月のこの時期、東京は晴れることが多く、温暖であるためアスリートにとって最高の状態でパフォーマンスを発揮できる・・」と招致委が説明していたことが分かった。
この日本の無責任な非常識が、今世界中で大ヒンシュクをかっているという。 
 男子テニスの世界1位、セルビアのジョコビッチ選手は「暑さは非常に厳しい。東京に来る前にある程度話は聞いて覚悟していたが、想像以上だった」と不満を語っている。
 もう一人の男子テニス選手、世界2位のメドベージェフ(ROC)はあまりの暑さに切れて「試合中に死ぬかもしれない。誰が責任を取るのか」と審判に詰め寄ったという。
 女子アーチェリーや女子やり投げで、選手が熱中症で倒れる事故が起こっている。
 26日朝に行われたトライアスロンのゴールは「まるで戦場のようだった」とか。
 暑さで倒れこむ選手が続出、嘔吐してトレーナーに介助される選手などもいて大混乱だったという。
 海外メディアは「ニッポンの組織委は気候についてウソをついた。アスリートはその代償を払わされている」という非難の声を世界中に流している。
 IOC側は「暑さは我々のせいではない」と強調しているようだが、これから陸上競技やサッカーなど屋外競技が数多く行われる。
 大会出場にあたってIOCに提出する同意書に、「選手はコロナ感染や猛暑により身体に重篤な影響があっても、また死亡のリスクについても“自己責任”とする」という表記を今回初めて盛り込んだ・・と知って吐き気を覚えた。
 IOCは、端から責任を取るつもりなどなかったのである。ヒドイ奴らだ。
 菅総理は五輪の中止は考えていない。パラリンピックの中止もなさそうだ。
 ぼったくり男爵の思惑は順調に進行しているのが口惜しい。
 政府は30日、神奈川、千葉、埼玉の3県と大阪府に、8月2日から31日まで緊急事態宣言を発令することを決めた。
 宣言発令中の東京都と沖縄県も8月31日まで延長になった。
 新たな日常を取り戻せるよう全力を尽くしたい。
 これまで経験したことのない速さで感染が拡大している。
 テレビで五輪を観戦する人が増え、人流が抑制されている。五輪は感染拡大の原因になっていない。
 ワクチンの接種状況、重症者の数、病床使用率などを注視していく・・・
 最後に、「今回の宣言が最後となるよう対策を講じていく」と強調した。
 突然、「コロナ対応に失敗したら、辞任する考えがあるか」という質問が飛んだ
「私は、対応出来ると思っている」と菅首相は応じた。
 お手並み、拝見!・・と言うしかない。


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BS-TBS番組情報 №239 [雑木林の四季]

BS-TBS 2021年8月のおすすめ番組(上)

           BS-TBS広報宣伝部

うた恋!音楽会

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2021年8月6日(金)よる9:00~10:54
☆歌謡曲・演歌・ポップス…時代を超える名曲だらけの音楽会!

司会:由紀さおり/三山ひろし
ゲスト:五木ひろし、田原俊彦、早見優
今回のゲストは五木ひろし、田原俊彦、早見優。

五木ひろしは、日本レコード大賞受賞曲の「夜空」を披露。田原俊彦は人気ナンバーの「哀愁でいと」を、早見
優はヒット曲「夏色のナンシー」熱唱する。
時代を飾った名曲に携わった“偉人”の楽曲に迫る「うたの偉人伝」は、親しみあるメロディーで人々を魅了し
た作曲家・服部良一を特集。その軌跡を貴重映像とともに振り返り、由紀さおりが高峰三枝子の「湖畔の宿」
を、三山ひろしは、藤山一郎の「青い山脈」を見事に歌い上げる。
ゲストによるスペシャルライブでは、日本を代表するエンターテイナー、五木ひろしと田原俊彦がヒットメドレー
をはじめ、自身の曲をとっておきのパフォーマンスとともに披露する!
【予定曲】
「夜空(五木ひろし)」歌:五木ひろし
「哀愁でいと(田原俊彦)」歌:田原俊彦
「夏色のナンシー(早見優)」歌:早見優
「青い山脈(藤山一郎)」歌:三山ひろし
「銀座カンカン娘(高峰秀子)」歌:早見優
「東京ブギウギ(笠置シヅ子)」歌:田原俊彦
「湖畔の宿(高峰三枝子)」歌:由紀さおり
「胸の振子(霧島昇)」歌:五木ひろし
ほか

Style2030 賢者が映す未来

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2021年8月15日(日)午前11:00~12:00
【毎月第3日曜放送】
☆ジャーナリスト龍崎孝と各界の賢者が対談!新しい生き方を提案する。

出演:龍崎 孝(ジャーナリスト/流通経済大学副学長・教授)、皆川玲奈(TBSアナウンサー)
ゲスト:宮本亞門(演出家)

SDGsの目標達成期限2030年に私たちの社会や暮らしはどうあるべきか?ジャーナリストの龍崎孝が、国内
外の舞台で活躍してきた演出家・宮本亞門氏との対話を通じて、新しい生き方のヒントを探る。
宮本亞門氏が注目したのは「ジェンダー平等の実現」、そして「人や国の不平等をなくそう」。
日本の女性やLGBTQの現状から「知らない」ことが生む恐怖について語る。また、差別や偏見のない多様な
世界の実現について「あるべき姿を共に考える」きっかけとなりうる演劇の可能性についても力説する。
番組内で「グラフィックレコーディング(グラレコ)」という手法をつかって、対談内容をリアルタイムで「見える
化」する過程にも注目!宮本亞門氏が、演劇界の経験から語る“平等な世界”を、色彩豊かに広がる。

生放送!夜空に輝け希望の大花火~諏訪湖・長岡・伊勢 真夏の祭典~

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2021年8月15日(日)よる7:00~8:54 
☆長岡・諏訪湖・伊勢 大花火が夢共演!ニッポンに元気と勇気をお届け!

日本屈指の花火大会のひとつ「諏訪湖祭湖上花火大会」を生中継!
さらに、過去にBS-TBS4K で放送した長岡、伊勢の花火を厳選して放送。
花火でニッポンに元気と勇気をお届けする。
解説:冴木一馬(花火写真家・ハナビスト)
※BS-TBS 4K では高精細な4K映像でお楽しみ頂けます。



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じゃがいもころんだⅡ №39 [雑木林の四季]

人間満歳(ばんざい)

              エッセイスト  中村一枝

 家のとなり同志の付き合いのむずかしさといううのはよくある話だ。つかず離れず、ほどよく、仲良く、というのは理想にしても、なかなかそううまくいかないのが現実だ。まして、今は、狭い土地を漸く見付けて一軒家というのが多いから、なお更である。
 S家と私の家もそうやって、始まった仲良しのとなり同志だった。近所で出逢った、同じ会社の男同志が、おたがい、こりゃまずい、ともならずに、何となくとなり同志で住むことになり、以来何十面はおろか、子や孫の代までれんめんと続くつき合いになっていったのも、縁と言えばまさにそうである。
 S夫人と私とは年は5つくらい違ったが、とても気持ちが通い合って、毎日窓をあけては一時間しゃべっている間柄だった。娘同志がこれ又姉妹以上に中がよく、幼い頃はどっちもぴったりくっついて離れなかった。姉妹以上の友だちであった。
 S夫人は引っ越すとき「あなたにふさわしい人を探すのにずいぶん苦労したのよ」と、茶目っ気たっぷりに言ったものだが、S家のあとに越してきたのが、今おとなりにいるKさんである。
 そのKさんとのつき合いも、いつしか50年までになった。
 今年Kさんのご主人が亡くなられて、Kさんも又一人になった。Kさんとは同い年生まれの、昭和八年組。偶然、残されてみると、いろいろのことが共通している年代でもあった。そんなわけで、生き残りの昭和八年組は、戦中戦後さまざまの時代を生き抜いてきた思いを共有しながら、それまで知らなかったお互い同志を知ることになった。
 太平洋戦争真っただ中に、小学生であった世代、下町生まれのKさんはそのまま東京に残ったそうだ。私は伊豆の伊東に疎開した。食べ物、住居、学校などに共通するものはあっても、その体験は又、別々である。ただ、あの苛烈な時代を生き抜いてきた共通の思いは、お互いの胸の内にある。今や、八十八歳、華麗なるおばあちゃんたちである。
 それにしても、その世代がのりこえてきた時代の重さと大きさは、かけ替えがない。
 体験というものが、どのように人間に影響を与えるかは私は知らないが、私たち世代が、いろいろの形で身をもって経験したことが、多分このまま一代でついえていくのかと思うと、ちょっともったいない気がする。
 しかし、これも又人間の運命、歴史の波の中にいたことがあったというだけのことなのだと、私たち世代は銘ずべきなのかなと思ったりもする。
 となり同志というまったくの偶然に始まって、今やの瀬戸際に同じ町にたたずむ偶然、これも又、人間の姿であり、面白さでもある。
 人間が人間を続けていく限り、人間同志の持つ親和性、経験の面白さ、憎悪も含めて、だから人間って好き、という言葉が、自然に出てくる気がするのだ。



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バルタンの呟き №102 [雑木林の四季]

「しゃんとせい!」

             映画監督  飯島敏宏

やれ線状豪雨だ土砂崩れだと、各地に記録的な雨を齎した梅雨が明けた途端に、今度は、屋内でも熱中症を心配しなければならない高温と熱帯夜、さらに早々と台風の襲来です。これも、もとを糺せば人類が地球を虐め抜いた人災なのでしょうが、ここで僕、バルタンが断然呟きたいのは、いま、厳密にいえば、今朝までは、テレビ、新聞など、ニッポンの全てのメディアが、金メダルラッシュの感動報道に沸きたっていた2020TOKYOオリンピック・パラリンピック大会です。
その間の僕は、副反応に怯えながらも、恐る恐るファイザー製ワクチン接種の第一回を指定接種センターで受け、供給不安定を心配しつつ迎えた接種第二回を終わり、現在は、数日を経てなお軽快しない倦怠感に、もしやこれが、いましきりに一部週刊誌やネットで喧伝されている隠された副反応か、それとも、すでに米寿越えをしたわが肉体に、自然に訪れたフレイルか、と案じながら、十年以上続けている我が街の中央公園早朝ラジオ体操通いさえ控えて、ひたすら、お上(政府のことです)のお達し通り、家に引きこもって、テレビとPCと読書で日々を過ごしていたのです。
折角、高齢化した僕たちの為も考え、それぞれ近くに居を構えてくれた子供たちも、コロナ感染を危惧してそれぞれの核ごとに暮らして、近寄りませんし、もちろん、親しい友人や、知己との会食は慎んで、言葉を交わすのは、うちのママ(カミさんのことです)だけです。それも、再々の都知事の懇請に応えて、外食を避けての家食ですから、大型スーパーでの買出しさえ控えて、三度三度の食事のたびに、通販に頼る献立の工夫を余儀なくされるママ(カミさんのことです)の機嫌が良いわけはありません。お上(カミ)とカミさん、両お上の狭間で、僕の体内のマグマがもうそろそろ限界、というところまで煮えたぎってきています。
ところへ、昨日、遂に、TOKYOのコロナ新感染者が3800人を超え、専門家の予想では、未だ嘗て経験したことのない、危機的状況である!となり、様相が一変しました。
さすがに、ワクチン漬けを頼りに。コロナ禍をおして2020東京オリンピック・パラリンピックを強行し続けてきた政権が、いまや危機的状況に置かれた道府県知事からの要請に押されて、漸く、抜き放ったのが、既に錆の回った鈍刀、緊急事態宣言の追加と延長です。
僕は、この感染爆発の元凶は正しく、「人類が新型コロナウイルスを制圧した証として、安心、安全な、2020東京オリンピック・パラリンピックを行ったことを発信したい!」と、大多数の国民の反対を押し切って、ワクチン頼りで強行開催した2020東京オリンピック競技大会である!と思っていました。
ですから、昨夜、テレビに登場した菅総理の緊急会見は、当然、「国民の皆さんの生命と、生活、経済の破綻を犠牲にして、これ以上、オリンピック競技大会を強行するわけにはいきません!」と、頭を挙げて、胸を張り、いさぎよく中止宣言をする、ことまでは、ないだろうけれど、どんな効果的な対策を講じるのだろう、という期待は無きにしも非ず、だったのです。
が、テレビ画面に登場した菅総理は、マイクの前に、あたかも商家の手代風に、腰前で両の掌を合わせて立ち、頭を下げるでもなく、国民にまともに視線を合わせずに、「オリンピック競技大会と、日本国内各地での感染拡大は、パラレル・ワールドである」という、いまや、かのクーベルタン男爵が創設した近代オリンピックの憲章と打って変わって商業主義的興行団体に堕したIOCと同じような見解を述べた上で「・・・そうした中で、政府としては、感染拡大防止に、緊張感をもって全力を尽くします」と、いつも通り、何ら具体的な説明もなく終わってしまったのです。
「さあ、いよいよ、夏休みだ!藪入りのお盆休みだ!海水浴だ!温泉だ!山登りだ!久しぶりの故郷(さと)帰りで、お爺ちゃんお婆ちゃんに孫を!」
「オリンピックをやってるくらいだから、大丈夫だよ!」
観光地へ、故郷へ、大移動が始まるのは、当然です。パラレルワールドでいるのは、オリンピック村の中だけなのです。
「しゃんとせい!」
僕は、思わず、テレビの中の菅総理の立ち姿に浴びせてしまいました。
実に怖かったけれど、僕の人間形成に大きな影響を残している小学校時代の先生、久保次郎座衛門という、当時でも珍しかった侍みたいな名前の、九州男児の先生が、叱る時に使った言葉です。
「しゃんとせい!」
そのあとに、横ビンタ(掌での頬打ち)が飛んでくるのです。
今ここで、この国の為政者たちに、国民の皆さんに、僕、バルタンはあえて、呟くのではなく、
「しゃんとせい!」
と呼びかけたいのです。
皆さんには、オリンピックの向こうから、コロナ禍の向こうから、もっと恐ろしいもの、地球上の全世界はおろか、宇宙にまで及ぼうとしている、戦争の足音が聞こえませんか?
いま、しゃん!としなければ、いまここで、しゃん!とした態度を示さずに、その足音を立てている二つの勢力の一端に曖昧に追従していると、この国は、日本は、真っ先に二大勢力の交戦場になってしまうのが明々白々だと思うのです。これは、劇画アニメの世界ではなく、蟄居する僕の幻夢でもなく・・・


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医史跡を巡る旅 №92 [雑木林の四季]

番外編 富士神社の麦藁蛇

             保健衛生監視員  小川 優

「安全安心なTOKYO2020」とは名ばかりの、医療体制的には綻びだらけの世紀の祭典が始まって1週間。直接関係ないと為政者は声高に叫びますが、日本全体が感染爆発に突入しています。7月31日の東京都の新規陽性者数は、4,000人を超えました。7月29日に開催された東京都のモニタリング会議で、専門家から出された8月11日の新規陽性者数予想値は4,532人。ちなみに1週間前の7月21日のモニタリング会議における7月27日の予測値は1,743人で、実際の28日時点7日間移動平均値は1,936人でした。4,532人という数字だけでも衝撃的ですが、現時点ですでに専門家による予想を上回って感染が拡大している状況ですから、8月11日の実際の陽性者数も更に増える可能性があります。

オリンピックについては職務上、複数の競技場内の医務室に対する指導という立場で関わりました。無観客での実施が決まった時には、不謹慎にも大きく安堵したものです。競技場内での観客への医療体制は心もとない、というより惨憺たるもので、もしこの感染急拡大の状況下、夏日に万を超える観客が競技会場に集まっていたらと思うと、心底震えおののきます。ボランティアだけでも連日熱中症患者が出ていることでもわかる通り、この酷暑です。厳しいセキュリティのために会場に入るまでは炎天下で待たなければならず、その間も密な状態となります。さらに発熱状態で医務室に担ぎ込まれても、直ちに熱中症なのか、感染症なのか直ちに見分ける方法もなく、下手すると数人が狭い部屋で待たされることになった筈です。さらにさらに観客用とはいうものの、選手以外のスタッフ、プレス、ボランティアも利用するのが前提で、この中には勿論日本在住でない人々が含まれます。バブルは、はじけるのがさだめなのです。

便宜的に第五波という言葉を使いますが、今回の第五波で顕著なのが、リスクコミュニケーションの欠如、というより凋落です。リスクコミュニケーションとは、ご記憶にあるかどうか微妙ですが、狂牛病ことBSE問題や、福島第一原発事故の時に盛んに使われた言葉です。為政者は正確で最新の危害情報(リスク)をバイアスがかからないように提供し、一方で受け取る国民側からも質問や疑問を返してもらい、さらに十分に意見を交換(コミュニケーション)することで、相互に理解を深めたうえで施策の方針を決定します。これによって風評被害やフェイクニュースを防ぎ、施策に対する国民の理解を得て、対応を進めるのです。ところが現在国民の意は施策に反映されず、専門家の情報も良いとこ取りで、実質為政者の一方的な発信ばかりとなり、それも明らかにバイアスがかかっています。もはやコミュニケーションとして成り立っておらず、プロパガンダに近いものがあります。
さらに共感を求め、国民に協力を求めるためのメッセージ性の強い情報発信を行うことも不得手で、精神論ばかりが独り歩きしています。7月29日のぶら下がり会見のやり取りが良い例です。「強い危機感を持って対応いたしております」という言葉の後に、具体的な対応策は示されず、センテンスは変わるものの「そうしたことで、対応はできているだろうというふうに思います。」と続く。なんだ。じゃあ、なにも対応する必要がないんだ。危機感なんて、ないじゃん。オリンピックもやってるし。

コロナ対策で強く感じるのは、パンデミック以後の施策に対する事後検証と、それに基づく改善、再発防止、政策変更が全く行われていないということにあります。
令和2年2月3日に横浜港に入港したダイヤモンド・プリンセス号における感染拡大は、いわば国内における防疫体制の予行練習と、当時まだ乏しかった感染に関する科学的知見を得る貴重な機会でした。発生初期の疫学的知見や船内環境調査の結果については国立感染症研究所から、患者104名が搬入された自衛隊中央病院からは所見、治療例および診療体制についての報告がされて、その後の現場での対応に大きく資することとなりました。しかしながら対応全体を総括する公的な報告は見つけることはできず、その後の市中における感染拡大において、有益な情報・知見として活かされたという話は聞きません。邦人帰国作戦、水際対策、一斉休校、アベノマスク、GO TO トラベル、そしてなにより緊急事態宣言ですら、その効果を多面的に検証し、活用されていません。いや、唯一の反映は宴会の禁止ぐらいでしょうか。一方で新型コロナ対応民間臨時調査会が調査・検証報告書を令和2年10月に取り纏めました。その内容、そして提言にはうなずかされるところが多いのですが、あくまで「民間」の立場で自主的にまとめられたもの。議員や政府関係者、自治体関係者にどこまで読まれたのかはわかりません。その報告書、最後の言葉が重く響きます。
「学ぶことを学ぶ責任が、私たちにはある」

未知の感染症による、未曽有の感染拡大、さらにスピード勝負ですから、取敢えず思いつく限りの取り得る策を実施するのは止むを得ないと思います。躊躇して、何もしないよりはましです。ただ、一区切り着いたところで振り返り、見直さなければなりません。トライアル・アンド・エラーです。

現在「ワクチン接種が終わるまでの辛抱」、あるいは「ワクチン接種が進む以外に対策はない」との意見が聞かれますが、ワクチン接種の進んだ諸外国の状況を見る限り、それは疑問です。確かにワクチンにより重症化率は抑えられているように見えますが、絶対数の問題であり、決してワクチンによって感染しなくなるわけではなく、かつ全く重症化しないわけでもないということです。感染拡大抑止の方法として、社会的免疫は理論上可能ですが、ワクチンによって得られる人体の中の抗体は時間と共に低くなりますし、ワクチンそのものも変異していきます。多面的、具体的に、強力な対策を推し進めない限り、感染を押さえることは難しいでしょう。

さて、あだしごとはさておき。今回もあだしごとが長くなりました。
京都の祇園祭が終わりました。終わりにかけて、京都の感染者数が増え続けていることが気にかかります。
一方東京の夏の始めのお祭りといえば、三社祭。浅草神社のお祭りで、五月に執り行われます。その浅草神社の兼務社の一つに浅草富士浅間神社があります。

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「浅草富士浅間神社」 ~東京都台東区浅草

木花咲耶比売命(このはなさくやひめのみこと)をご祭神として、元禄年間に創建されたといわれます。富士講を起源として、浅間神社が勧進されたもので、境内には富士塚があります。
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「富士浅間神社」 ~静岡県富士宮市宮町

富士山山開きに合わせて旧暦にあたる6月晦日と、新暦の7月朔日に行われる合計4日間の祭日の縁日には、木花咲耶比売命を祭神とすることから、植木市が立つことで有名です。
そして、このお祭りで頒布される縁起物が特徴的です。

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「麦藁蛇 浅草富士浅間神社」 ~筆者蔵

麦藁蛇と言います。神社公表の由緒に曰く、

麦藁細工の蛇は、宝永年間(約250年前)駒込の百姓喜八という人が夢告により、疫病除け、水あたりよけの免府としてひろめてから、霊験あらたかと評判になり、浅草でも出されるようになった。

富士土産舌はあったりなかったり 古川柳

雑踏で麦藁蛇についている赤塗りの附木で出来た舌をどこかに落としてしまったという意味の句で、参詣者のにぎわいがわかる昭和初期頃までは境内において植木市の風物として頒布されていたが、戦後には姿を消してしまった。
そもそも蛇という生き物は、古来日本において水神である龍の使い(仮の姿)であると考えられ、水による疫病や水害などの災難から守ってくれると信仰されていた。
水は人間の生活に決して欠かせない命の源であり、蛇をモチーフにした麦藁蛇を水道の蛇口や水回りに祀ることにより、水による災難から守られ、日々の生活を無事安泰に過ごせるとされている。
この度、この失われかけた風習・文化を保守し、後世に継承していくことを目的として、麦藁蛇を浅草富士浅間神社の御守りとして再現する運びとなった。5月6月の植木市と、元旦から1月3日までの間に頒布をおこなっている。

昭和6年の「いろは引 江戸と東京 風俗野史」には「水毒を消すと云ひ伝ハる。台所に掛ける」とあり、疫病除けとしても効果が期待されていました。

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「麦藁蛇 昭和40年年賀切手」

郷土玩具シリーズとして、昭和40年の年賀切手の図案にも採用されています。
この蛇、枝に巻き付き、舌を出した状態が形どられているのですが、かなり意匠化というか抽象化されすぎていて、蛇の原型をうかがい知ることがかなり難しいです。

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「麦藁蛇 駒込富士神社」 ~筆者蔵

同じように、他の富士神社でも麦藁蛇は縁起物とされており、中でも駒込の富士神社のものはずっと蛇らしくなっています。

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「麦藁蛇 裏側 駒込富士神社」 ~筆者蔵

表からではわかり辛いですが、裏返してみると、たしかに木の枝に蛇が巻き付いているように見えます。

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「麦藁蛇 顔 駒込富士神社」 ~筆者蔵

こちらが顔のアップ。ユーモラスですね。目があって、確かにちょろちょろ赤い舌を出しています。また口の両端には麦穂の口ひげがあり、なにやら角のらしきものも生えています。この辺りは水神としての、龍の影響を受けているのでしょうか。

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「麦藁蛇 駒込富士神社?」 ~筆者蔵

筆者が所有するもう一つの麦藁蛇です。駒込のものに似ていますが、微妙に違いがあります。年代の違いなのか、作り手が違うからなのかはわかりません。

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「麦藁蛇」 ~筆者蔵

竹谷靱負氏は著書「富士塚考続 富士祭の「麦藁蛇」発祥の謎を解く」の中で、麦藁蛇は江戸期の竹飾りの麦藁蛇を起源とし、昇竜に因み童子の出世祈願がもともとの信仰だったのではないかと推理されています。それがやがて広く水神としての役割を期待されるようになり、現在まで伝わる御利益とされたのでしょう。
特に江戸後期、コレラなどの水系感染症が海外からもたらされ、明治に入って猛威を振るうようになると、疫病除けとしての色合いが濃くなっていったのかもしれません。

疫病が深く人々の暮らしに影響を及ぼしていたのが、判るような気がします。


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海の見る夢 №12 [雑木林の四季]

       海の見る夢
        ―That’s amore-
                                 澁澤京子

  苦しみの事で間違えたためしはない、
  昔の大画家たちは。彼等はその人間的位置を
  知り抜いていたのだ。誰かが苦しんでいる時にも
  他人はものを食べたり窓を開けたりのろのろ歩いていたりする。
                          『美術館』W.H.オーデン


シモーヌ・ヴェイユは、遠い海の向こうの戦地の悲惨な記事を読んだだけで食事ができなくなるような、極めて繊細な感受性の持ち主だったと言われている。テレビの夕方のニュース、交通事故だの災害だの悲惨なニュースを見ながら平気で夕食を食べることができる私たちの方が鈍感なのかもしれない、と時々思う。

ボーヴォワールはシモーヌ・ヴェイユのその鋭い感性をとても羨ましがった。本当の「感性のよさ」とはもしかしたら、ヴェイユのような感受性をいうのかもしれない。
あまりにも敏感すぎた彼女が早逝したのも無理はないと思う。ある程度他人に鈍感にならないと私たちは生きていけないからだ。そして、そうした他人の感覚・感情に鈍感になることによってどんどん失われていくものがあるとしたら、それは、生のリアリティではないだろうか。

オーデンの詩にあるのは、苦しんでいる人の苦しみと同時に、苦しんでいる人がいて同時に笑ったり、ものを食べる人がいるような、この世界の理不尽だろう。
人が基本的に、他人に無関心のまま存在するようなこの世界だろう。

・・・世界が距離を克服し、様々な考えを大気に乗せて伝播するようになれば、世界はもっともっと一体化され、もっともっと兄弟愛に満ちた社会に結ばれると考える人たちがいる。しかし悲しいかな、このような結合があると信じてはならない。・・・『パフォーマンスとメディア』グレン・グールド

このグールドの言葉は、芸術家の鋭い直観による、今日のバーチャルなコミュニティ社会に対する予言のようにも見える。人との接触を恐れたグールドにとって今日のSNSの仮想現実のコミュニティ社会は、一見好ましい空間のように思えるけど果たしてどうだろうか?SNSでは「いいね」を多く獲得するのが善いとされ、集団同調や意見の画一性が起こりやすくなっている。グローバルに開かれているようで閉鎖的なSNSのコミュニティでは、顔の見えない匿名性による書き込みが多くて信頼関係が育たない為に、集団同調や意見の画一性が起こりやすくなるのだろう。グールドが、SNSのそういう現象を見たら、嫌悪するのじゃないだろうか。

奇行で有名で、ひきこもりの生活を送ったグールド。人と接触することを恐れ、他人の感情に無関心だったとも言われているけど、グールドは子供時代、魚釣りのボートで、自分の釣った魚がもがき苦しむのを見て自分も同じように苦しみ泣き叫んだという。彼はシモーヌ・ヴェイユと同じように他者の痛みや苦しみに敏感で、共感能力がありすぎたために人との接触を避けて、孤独な生活を送ったのじゃないだろうか、と思ってしまう。グールドのピアノを聴いていると、人とのコミュニケーションを拒絶しているというより、むしろその反対に、とても深いコミュニケーションのできる人にしか見えないからだ。つまり、表層的な薄っぺらな人間関係を嫌い、もっと温かく生気に満ちた、人との深い関係を望んでいたのじゃないだろうか?彼は「生のリアリティ」を切実に求めていたんじゃないだろうか、という気がしてならないのである。

シモーヌ・ヴェイユやグールドのように感受性の鋭い人間にとって、この世界はとても生き辛い世界だろうと思う。

フロイトが言うように私たちには他人どころか自分自身のことすらよくわかっていない。わかっていないのに、私たちは一体どうしたらもっと生き易い世界に変えることができるだろうか?
・・・私たちの日常は欺瞞に満ちているという事です。私たちはいつも賞罰の論理の中で生きています。・・・『自由こそ治療だ!』フランコ・バザーリア

イタリアに、フランコ・バザーリアという、閉鎖的な精神病棟を開放した素晴らしい精神科医がいた。病棟を開放するだけではなく、患者たちと一緒に床張りのビジネスまで立ち上げるのである。バザーリアはまず、精神病棟の患者を拘束する規則と薬漬けの習慣と戦う事から始めた・・どんな精神病者とも根気強く対等に付き合っていくうちに彼等は次第にバザーリアに心を開いていき、人間らしい感情を取り戻していく。(バザーリアの精神病棟開放運動は『人生ここにあり(邦題)』と言う映画になっている)

もちろん、患者たちの実にユニークな床張りの仕事を現代アートとして喜んで受け入れる、イタリアという国の美術に対する柔軟な姿勢というものがある。果たして、真面目で保守的な日本はどうだろうか?

バザーリアの運動を見ていると、これは精神病棟だけの問題じゃなく私たちの話でもあることに気が付く。いかに私たちが不自由な世界にいるか、つまらない差別や偏見に満ちた社会にいるか、そしていかに管理された社会が閉鎖的であればあるほど、人を病んだ存在にしてしまうことか、それと反対に、人の自由を尊重することが、いかに人間らしさを取り戻すことと関係があるかがわかってくる。

バザーリアの運動は実にシンプルで、「相手の個性を尊重し、自分の個性も生かす」たったこれだけだけど、これを、実践するのは案外難しいかもしれない。
「相手より優位に立たない」「人に先入観を持たない」「人をジャッジしない」「誠実である」「どんなに小さくても相手の才能や美点を見つけて伸ばす」「相手と同じように歓んだり悲しんだりする・・」人の個性を尊重して、対等に付き合うって、なんて素晴らしい事だろうか!人の個性を尊重することは相手にも自分にも両方に幸福をもたらすことなのだ・・

優秀な人は、周りの人間の能力をレベルアップさせる力を持っている。善良な人はその場の空気を明るく友好的なものに変える力を持っている(それらの逆もまた真なり)、おそらくバザーリアは両方持っていたのだろう。さらに恐れることなく、人に対して誠実に本気で付き合う事のできる勇敢な人だったのだ。(彼は患者に殴られて鼻を折られてもひるまなかった)それは人間に対する根本的な信頼感と愛情、並はずれた忍耐強さがなければとてもできないことだろう。

それに比べると、当たり障りのない事しか言わず、まるで他人事のように話す政治家や、支配・被支配の人間関係、忖度が多く集団同調しやすい人間関係など・・何て空虚で醜悪なんだろうか・・

私たちはこの世界に生まれ落ちた時から否応なく、社会制度に組み込まれている。精神病棟を開放したバザーリアが何より嫌悪したのは、「賞罰の論理」の承認欲求の中に潜む人の権力志向だろう。承認欲求の強い人間は、自分がどう生きるかよりも、人にどう思われるか評判ばかり気にするような人間が多い。承認欲求の強い人ほど、支配被支配の人間関係を好むのは、自分の判断力など主体性というものを持たないで済むからだ。バザーリアは権力欲・名誉欲が、その人間性をひどくゆがめるということに気が付いていた・・

医師である彼は患者とも看護師とも、まるで友人のように対等に接触した、そしてまず、医師である自分が権力をもたないこと、人を決して自分に都合よく管理したり支配しないこと、相手と同じ目線を持とうとすること、人の個性を尊重することによって、悲惨な精神病棟の状況を、まるで枯れた植物に水と太陽を与えるようにイキイキとした、明るいものに改善させたのである。(それはどんなにか骨の折れる仕事だったろうか・・本当に優しい人間は、どんな他人の面倒事も平気で引き受けられるということだろう。)

最近の気候変動の問題と資本主義の関係を、斉藤幸平さんは『人新世の資本論』でマルクス主義をベースに自由経済を批判しているが、バザーリアもやはりマルクス主義をベースにしたやり方で管理型の精神病棟を改革し、自由に開放した。バザーリアが医療をビジネスとしてではなく、本気で患者の立場を考え、果敢に精神医療の改革に取り組むことができたのは、彼が経済的な問題をあまり気にしないですむ貴族の出身だったからかもしれないが・・

・・・問題は何かと言えば、患者の役に立つためには、私が自分の主体性を表現するのと同じように、あなたも自らの主体性を表現しなければならないということです。『自由こそ治療だ!』フランコ・バザーリア

この「患者」という言葉を「社会」に置き換えてもいいと思う。自分の主体性を大切にすることは、他人の主体性を尊重することにつながってゆくだろう。どんなに科学技術や医療が発達しても、人間にしかできないことがある。

バザーリアが目指した、「生のリアリティ」のある社会。それには、まず私たち自身が主体性と自由を取り戻すという、自分自身の見直しから始めるのがいいのかもしれない、私たちが「生のリアリティ」を取り戻すために必要なのは、知性ではなく心なのだと思っている。私たちに必要なのは、社会に抑圧されたりゆがめられていない開かれた心、柔らかで傷つきやすい無防備な心じゃないだろうか。

シモーヌ・ヴェイユ、グレン・グールド、フランコ・バザーリア、哲学者、ピアニスト、精神科医、と専門は違う三人の事を書いた。
ヴェイユやグールドのように他者の痛みや苦しみを我がことのように感じる芸術家的な感受性(グレタさんタイプ)。バザーリアのように精神病者とも真摯に対等に付き合えるような、自由なオープンマインドの持ち主の改革者。
これからの変革の時代には、以上の三人のような、他人の事を他人事としてすますことができないような感受性の持ち主や、改革者が必要じゃないかと思っている。

要するに、三人ともきわめて人間らしい『心』を持った人たちなのである。



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梟翁夜話 №92 [雑木林の四季]

「思ひの丈」

          翻訳家  島村泰治

やや異色な話しをお聴きいただく。思ひの丈(たけ)と云ふ言葉、何とも快い余韻を響かせる日本語ではないか。丈とは寸法で長さのこと、ちょっと膨らまして、限りなどとしてもいい。だから、思ひの限りとは思ひの及ぶ限りと云ふことで、艶のある話では、口舌(くぜつ)の極みの意にもなる。

本稿は、その「思ひ」をめぐって日本語と英語を比べてみやう、云ふなら言葉の丈を測ってみやうと云ふ趣向だ。日英どちらでも、思ひに左程の違ひはあるまい、とのご意見には合点致しかねる。まず、そもそも英語には「思ひの丈」などと云ふ小粋な言ひ回しがなく、 extentとかdegree,levelなどで敷衍もできやうが、どれも丈と云ふ“寸法感”はない。

話を膨らませば、日本語は思ひを深める意味合ひで陰影の深浅をさまざまに言ひ表す言葉を派生させる。思ひなら、動詞だけでも思ひ由来の表現がいくつか即座に口をついて出る。思ひ切る、思ひつく、思ひ残す、思ひ出す、思ひ返す、などなど。英語とくに米語の場合は、思ふthinkの後に前置詞などをぶら下げて意味を広げる便法があるにはある。think back, think up,think of, think~over,think outなどがいい例だが、いずれも意味が思ひから離れ、思ひから直に派生する日本語とは違い一貫性に欠け、覚える側には要らぬストレスを課すだけ野暮だ。思ひ出すなど、think~では意を尽くせずrememberじゃなればならない。思い返すはたしかにthink backとでも言えさうだが、この意味は振り返るに近くrecallとでも言はないとしっくりこない。それが日本語では、これをすべて思ひから派生して言ひ回すところが、なんとも粋なのである。この点だけをとっても、わが日本語は英語(に限らず大方の外国語)よりも機能的で、表現力豊かな言語であることがわかる。

それほど表現力豊かな言語を使ひこなす日本人が、英語(に限らず大方の外国語のどれも)を覚えるのに苦労するのは何故か、覚えたにしても何とも拙く、上手く使いこなせないのはどうしてだらうか。

ここまでの指摘が、あることを示唆してゐることにお気づきだらうか。日本語では思ひを語幹に数々の派生語が生まれ、思ひ絡みの語彙が多彩になる。魚取りに例えるなら、網(思ひ)で魚たち(思ひ切るなどなど)を掬いとる感覚で表現の世界が広がるわけだ。それが英語の場合、thinkそのものの意味がごく狭いから、think絡みの語彙(派生語)は生まれない。生まれないから、recallやgive up、rememberなど他の単語を覚えねば収まらないと云ふ手間がかかるわけだ。このことだけにでも、日本人に英語など外国語が苦手な理由が垣間見られる。

思ひに拘りすぎたやうだが、実は構文的にも似たようなことを指摘できる。日本語の融通無碍が身に付いた日本人には、あれこれと約束事が多い英語は苦手だ。何匹でも犬といえば大方済む日本語の大らかさには、いちいち単複を明らかにせねばならぬ英語はひたすら面倒だ。冠詞のある無しなど、日本人には責苦でしかない。フランス語などでは名詞をすべて性別に分けねばらぬなど、日本語から見れば愚にもつかぬことを覚えねばならない。英語でも船は女性名詞なのはその影響だ。

つまり、日本人が英語(外国語)を上手く操れないのにはもっともな理由があることが分かる。日本の着物は大袈裟に言へば「布切れを帯で締めた衣服」だが、外国のドレスは布の裁ち方から縫ひ方、あれこれの装具の有り様まで細々と決まりがあるやうに、言語にも同じやうな対照が見られるのだ。言葉にも衣装にも、日本的な融通無碍さが通奏低音のやうに流れてゐることに気づくことが肝要だ。


英語と付き合って八十六歳になる筆者には、このことが骨身に染みて分かる。この骨身に染みた経験則を生業の翻訳、とくに和英翻訳に存分に活かしてをる。日本的な英語を書いて、英語圏の人々に日本語の、いや日本の文化的な融通無碍を解らせやうとの趣向だ。


思ひの丈が英語圏にわかるかどうか、あわよくば浸透して日本への関心が言語的なレベルで深まるかどうか、老ひ先長からぬ翁の妄語と聴かれるか、ひょっとして先になって跳び出る瓢箪と見るか、これは筆者だけの密かな愉しみである。




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検証 公団居住60年 №93 [雑木林の四季]

ⅩⅣ 住生活基本法は小泉構造改革の総仕上げ

   国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

 3.公共住宅政策を骨抜きにした住宅関連3法

 住宅政策の分野でも公共責任から市場原理への転換をめざした小泉「構造改革」は、以上みたように、官民あげての答申、提言等々の大合唱を背景に、まずは公営、公団、公庫の各法をひとまとめにして骨抜きをはかった。それが、2005年2月8日に閣議決定した住宅関連3法案である。

1)公的資金による住宅及び宅地の供給体制の整備のための公営住宅法等の一部を改正する法律(公営住宅法等一部改正)
 「公営住宅法等一部改正」と称して、公営住宅法、住宅金融公庫法、都市機構法、地方住宅供給公社法などの法律を一括しての乱暴な改正であった。
 公営住宅法と公社法の一部改正では、公営住宅の家賃収入補助は2005年度をもって打ち切ることをきめ、管理を他の地方公共団体または地方住宅供給公社が代行できるようにする一方、公社は自主的に解散してよいことにした。住宅金融公庫法は2007年3月31日廃止までの経過措置として改正した。
 都市機構法については、資産の含み損が約3兆円にのぼったニュータウン事業の中止にともない特別勘定を設けて造成宅地等の早期処分をおこない、財投資金の繰り上げ償還をすること、家賃収入が大部をなす都市再生勘定から宅地造成等経過勘定への利益の繰り入れをさだめた。居住者から過重な家賃徴収をして10%をこえる純利益をあげ、これを大企業奉仕の事業が出しつづける赤字の穴埋めにまわす法改正であった。

2)地域における多様な需要に応じた公的賃貸住宅等の整備等に関する特別措置法(地域住宅特別措置法)
 この特別措置法は、多様な需要にこたえる公的賃貸住宅の整備の推進をとなえながら、すべて国および地方自治体の「努力義務」としている点に特徴がある。都道府県、市町村は、「国が定める基本方針に基づき」地域住宅協議会を組織し、地域住宅計画を作成することが「できる」(「しなくてもよい」)。地域住宅計画を「提出した自治体」にたいして国は、予算の範囲内で交付金を交付することが「できる」。国には「基本計画を定める」以外、公的賃貸住宅整備の義務はいっさいない。国庫補助または負担を廃止して交付金制度にかえ、その整備の責任を主として市町村まかせにし、国は責任から撤退する方向をしめしている。この法律で、国庫補助とともに「公営住宅」の名は消え、2005年度住宅予算は、「公営住宅等」の項目は「住まいの安心確保」にかわり、国費、事業費とも年々ひきつづき目立って削減されている。ちなみに「住宅対策」全体では前年度にくらべ、国費6%、事業費18%の減少にたいし、「市街地整備」に限っては、それぞれ33%、18%の増加であった。地域住宅交付金制度の創設、ごく少額の交付金計上とひきかえに国の住宅予算はばっさり切られていくことになる。

3)独立行政法人住宅金融支援機構法案
 住宅金融公庫は廃止、個人向けローンは、災害対応等を除きすべて民間金融機関まかせになる。新法人は、債権の証券化等により金融機関の支援にあたる。持ち家をもとうとする人は、民間金融の厳しい選別のもとにおかれ、先行き不安定なローン返済を強いられることは避けられない。

 さきの2法案は、2005年4月22、26、27日に衆院国土交通委員会で審議された。関東の5公団自治協を中心に連日60名、延べ180人をこえる団地自治会役員が早朝から駆けつけ、傍聴席を埋めた。質疑のあと27日に賛成多数で可決、10項目からなる法案にたいする付帯決議が採択された。法案は5月10日の衆院本会議で可決され、審議は参議院に移った。
 参議院の委員会審議は6月9、14、1(;日の3日間おこなわれた。14日には参考人の意見聴取があり、浅見泰司(東京大学)、川崎直宏(市浦ハウジング)、多和田栄治(全国自治協代表幹事)がまねかれ、多和田は居住者の立場から公共住宅の重要性を強調する意見をのべた。
 傍聴には6月9日90人、14日110人、16日86人、3日間で延べ286人がつめかけ、田名部委員長の計らいでいちばん広い委員会室で審議をおこない、熱心な傍聴が委員に感銘をあたえた。両法案は賛成多数で可決、10項目の付帯決議が全会一致で採択された。
 両法案は05年6月22日に本会議で可決、成立した。独立行政法人住宅金融支援機構法は7月6日に成立、住宅金融公庫は廃止された。

『検証 小段居住60年』 東信堂




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日本の原風景を読む №30 [文化としての「環境日本学」]

三面川の鮭文化

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

鮭と人が一体に

 東北の屋根、飯豊・朝日連峰のブナ原生林から湧き田す三面川は、わずか五〇キロの間に標高差約二五〇〇メートルをいっきに下り、新潟県村上市郊外で日本海へそそぐ。弁慶ゆかりの多岐神社が鎮める河口一帯に、北限に近いタブの木の見事な「魚つき保安林」をめぐらせる。早春放流されて間もない鮭の稚魚が、長旅に備え森蔭に密集してくる。
 山・川・森・海が連なる壮大な自然の営みと、村上藩の昔に遡る人々の英知が、この地に類まれな「鮭文化」を生み、現代に脈々と引き継がれている。
 三月から四月にかけて八〇軒の町屋が、四千体ものひな人形を飾り人々を迎える。
 越後弁での会話も楽しめる町屋の「人形さま巡り」だ。
 その一角、伝統の漆喰塗り土壁、黒一色の田格子、面格子に昔風の大きな木製看板を掲げた鮭加工業「喜っ川」が、大町通りで村上名物の塩引鮭つくりに熱中している。
 「お早う。ありがとう!」。朝一番、店をあずかる吉川真嗣さんは、通り土間の高い天井からぎっしり吊り下げられた鮭に挨拶する。
 寒気鋭い土間の正面に、鮭を塩漬けにした巨大な桶はんぼ(半鮭)が。吉川さんは語る。
 「はんぼはもともと神様への御供え物用の尊い器です。私たちにとって鮭は、長旅から村上へ戻って来ていただいた神のような存在です」。
 十一月、塩引鮭の仕込みが始まる。一、二月の寒風で乾燥、三月から五、六月は湿度を吸って発酵させる。「つるした鮭の鼻さきからポタポタ体液が滴ります。鮭が泣くと言います」(吉川さん)。
 七月梅雨の湿気、八月盛夏の高温、そして九月の秋雨と出合い、塩引鮭は年間を通し発酵、熟成を繰り返す。それぞれの季節が絶妙の味を提供してくれるのだ。
 それが「村上鮭文化」と讃えられるのは、季節の節目に行われる伝統の生活行事を鮭が彩っているからだ。
 大晦日、食卓の主役は塩引鮭である。カマの下一番目のひれ(一のひれ)は、一家の主に供される。酵化して四年間、一瞬の休みもなく鮭は一のヒレを動かし続ける。そこには不屈の生命力が宿ると考えられ、一家を支える主に供される習わしだ。
 十一月の七五三には男の子の「袴儀」に塩引鮭が料理される。
 「たくましく育って、戻ってこい、との願いが込められています。鮭と人が一体になった村上の鮭文化です」(郷土史家、大場喜代司さん)。
 酒に浸して柔らかくした塩引鮭、飯寿司、ひずなますなどは定番だが、バンビコ(心臓)の塩焼き、ドンガラ(中骨)の煮込み、はは肉を味噌であえたホッペタミソ、内臓ごった煮のカジニとなるとうなってしまう。

切腹を忌む塩引き鮭

 三面川と鮭の歴史を支えたのは、村上藩の土木工事を取り仕切る郷村役の下級武士、青砥武平治(一七一三~八八年)である。江戸時代に陥った不漁の原因を探っていた青砥は、鮭が生まれた川に戻ってくることに気付き、自然産卵の数を増やす〝種川″つくりに着手、三五年かけて完成した。
 中洲を利用して川の流れを分かち、一本を本流、もう一本を分流(種川)とし、本流では漁を続けて運上金を得つつ、種川では産卵、醇化に拠る回帰数を飛躍的に高め豊漁を取り戻し、藩の財政を安定させた。世界で初の鮭醇化増殖は石狩川(北海道)、庄内藩(山形)、アメリカ、ロシア、カナダに相次ぎ取り入れられた。
 明治十五(一八八二)年、村上藩の旧士族たちは三面川の漁業権を国から継承し、「村上鮭産育養所」を設立した。「育養」の名称が示すとおり、収益は教育と慈善事業にも充てられた。大正六年には約四万六〇〇〇円の基金で財団法人を設立し、本格的に教育事業を進めた。村上ではこの育英制度で勉学した人たちを「鮭の子」と呼んでおり、多くの英才が輩出した。
 三面川で獲れた鮭の塩引きは、尾に向けて腹をすべて切開せずに、一部を残し内臓を取り出す。城ド町村上では〃切腹″のイメージを嫌ったのである。初冬、民家の軒先には、半開きの腹をさらした鮭が盛大に吊るされる。室内干しはマイナス四度に保ち、人間は厚着をして鮭に付き合う。

村上鮭の子-稲葉修の生涯

― 稲葉さんの郷里、三面川に鮭が帰ってくる季節になりましたね。
稲葉さん それで二月九日に東京の帝国ホテルへ天Fの名士三〇人を招いて、恒例の「三面川の鮭を食べる会」をやるんだよ。
 もう四〇年にもなるかな。私は毎秋、三南川で獲れた鮭を味噌漬けにしたのと塩引きにして干したものと二つ、天皇・皇后両陛ト、皇太子殿下を始め各皇族方に差し上げてきた。「日本一の三面川産鮭の味噌漬け樽ご愛嬌に献呈仕ります。新潟県村上市鮭鱒堂二代目主人、稲共修」と書いてね。初代の主人は私の長兄、圭亮だった。

 怖いものなし。〃稲葉節″とよばれた率直な発言と高潔な人格で親しまれた稲葉修衆議院議員(法務大臣)に、私がインタビューした折の記録である(一九八九年十月)。
 「我が旧藩内藤藩は歴代藩主が名君で、鮭を藩の産物とし、その利益を英才教育に使った歴史がある。私も〃村上鮭の子〟だった」と語り、目を輝かす稲輿さん。
 有数の鮭川、三面川の畔に生まれ育った稲葉さんは、四歳のころから三人の兄に、釣りを教え込まれる。豊かな山林からにじみ出た水が奔流となって万物のいのちをはぐくむ原風景を、〝稲葉少年〟は自己形成の空間として今も魂の奥に固く守り続けているようだ。川の自然の素晴らしさ、湧き出る感動を他に伝えずにはおれない-。「わしは村1鮭の子だ」と目を輝かす稲葉さんから、そういう気迫が伝わってくる。稲葉さんは田中角栄内閣で文部大臣、三木内閣で法務大臣をつとめた。

稲葉さん それでロッキード事件の頃たまたま一÷木内閣の法務大臣をやらされておったものだから、思い切って政界浄化になればと思いああいうこと(昭和五十一年七月二十七日田中角栄前首相を逮捕)をやった。ところが闇将軍みたいなことになっちゃって、ますます政界浄化はダメだ。せめて水でもきれいにしようと思ってね(「日本の水をきれいにする会」の会長に)。正しいことでも長く、粘り強くやらなければいかんもんだな、というのが教訓でしたな。
 北海道知床半島の鮭番屋のヤン衆が、鮭は生まれた川の紅葉の香りをかぎに戻ってくスのだ、と言ってました。
稲葉さん そう、そう、全問の河川でも海岸でも、水のよしあし、自然の貧富はその付近に住んでいる人間の品格によるね。悪い所は川の自然もだんだん悪くなっていく。鮭でも密漁なんかする奴が沢山いる所はダメだな。
 愛知県が推進した長良川河口堰について。
稲葉さん 三面川が一例だが、いっぺん川の自然を壊したら復元するのは大変なんですよ。
水を愛し、魚を愛せよ。フィロソフィ(哲学)のフィロは「愛」、ソフィは「知」なんだ。愛知県なんかもっとその辺を考えなきゃ(笑)。本当の意味の科学精神だが、まあ海部(総理)程度ではね。愛知県もな(笑)。
(一九八九年八月、稲葉さんは郷里の荒川でカジカ獲りの最中に脳内出血で倒れた)

 川畔の三面川鮭産漁協事務所で、佐藤健吉組合長は「村上鮭の子」の秘話を明かした。稲葉さんの遺骨は、夫人の手で秘かに上流に散骨されたという。釣り歴七〇年、「日本の水をきれいにする会」の会長を長年つとめた稲葉さんの夢がたゆとう三面川の風景である。
 初秋の三面川に戻った鮭は、タブの木の森が連なる右岸伝いにブナ林の上流に向かう。「鮭が三面川の用水の味を覚えているからでしょう」と佐藤組合長。かって林野庁が上流域のブナ林を伐採した時、反対する鮭漁師と市民たちが「鮭の森づくり」に集い、森からの実生の苗を集めて、朝日連峰山麓で植林を始めた。水と養分を供給するブナの木は森のいのちの源とされ、欧州では〝マザーツリー″と呼ばれている。日本の古い諺「ブナの実二升、金一升」も森と鮭の物語に托され、現代に生き続けている。

『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店




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