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国営昭和記念公園の四季 №106 [国営昭和記念公園の四季]

シャーレーポピー  花の丘

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『知の木々舎』第314号・目次(2022年5月下期編成分) [もくじ]

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【文芸美術の森】

妖精の系譜 №27                妖精美術館館長  井村君江
 シェイクスピアの妖精 4
石井鶴三の世界 №210               画家・彫刻家  石井鶴三
 倉田白羊氏 1933年/将棋 1933年 
武州砂川天主堂 №2                 作家  鈴木茂夫
 第1章 慶應四年 明治元年 2
西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」№82 美術史研究家 斎藤陽一
 喜多川歌麿≪女絵(美人画)シリーズ≫第10回「北国五色墨」
行くも良い良い、行かぬも良い良い句会物語 №106 
                    俳句・こふみ会同人  多比羅 孝
  コロナ禍による在宅句会 その21
エラワン哀歌 №25                 詩人  志田道子
 ふやけたままなのに……1960秋
【ことだま五七五】

日めくり汀女俳句 №105               中村汀女・中村一枝
 十一月八日~十一月十日
読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №136           川柳家  水野タケシ
 5月11日放送分
【心の小径】

論語 №141                                                        法学者  穂積重遠
 四四七 子のたまわく、古者(いにしえ)民に三疾(さんしつ)あり。・・・
現代の生老病死 №17               立川市・光西寺   寿台順誠
 質疑応答
【文化としての環境日本学】

日本の原風景を読む  №49                     早稲田大学名誉教授  原 剛
 甦る宮沢賢治~ 花巻 1
【雑木林の四季】

私の中の一期一会 №259         アナウンサー&キャスター    藤田和弘
 山梨県道志村のャンプ場から行方不明になっていた美咲さんは死亡していた

BS-TBS番組情報 №258                                     BS-TBS広報宣伝部
 2022年5月のおすすめ番組(下)
医史跡を巡る旅 №106           保健衛生監視員  小川 優 
  安政五年コレラ狂騒曲~戸塚村、磯子村
海の見る夢 №31                                  渋澤京子
  ドン。ジョバンニ~モーツアルト
梟翁夜話 №111                                翻訳家  島村泰治
 「鶏たちが飛んだ!」
検証 公団居住60年 №112  国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治
 規制改革路線をひきつぐ民主党政権。迷走の3年余 6 
台湾・高雄の緑陰で №32      コラムニスト・在台湾  何 聡明
   ウクライナ戦争と台湾
【ふるさと立川・多摩・武蔵】                                                   
線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №198           岩本啓介
 富山地方鉄道     
押し花絵の世界 №157                                   押し花作家  山﨑房枝
 「Bouquet of roses」
ミツバチからのメッセージ №66 造園業・ミツバチ保護活動家  御園 孝
 ブータン 12
赤川ボンズと愉快な仲間たちⅡ №10     銅板造形作家  赤川政由
 「セロ弾きのゴーシュ 第1号」
国営昭和記念公園の四季 №106
 シャーレーポピー  花の丘
【代表・玲子の雑記帳】               『知の木々舎 』代表  横幕玲子

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妖精の系譜 №27 [文芸美術の森]

月の女神の性質を持つ妖精女王ティタニア 2

     妖精美術館館長  井村君江

 ここで注意すべきは、シェイクスピア以後の詩人たちのおかげで妖精はロマンチックなかわいらしいものになったが、それ以前の形としては、この場合のように人間に害をなす恐ろしい性質も持っていたということである。
 また、『ハムレット』の「(降誕祭が近づくと鶏が一晩中歌うので)どんな精霊も出歩かず、夜は安全になる、星の力もとどかないし、妖精に憑かれることもない、魔女の魔力も失われるということだ」という一節は、こうした妖精の性質を表わしており、人世のなりゆきをこのようなさまざまな仮想の因果律で説明しようとするのは、中世以前の人間にすれば極く当然のことだし、その中に妖精が含まれているのもまた自然のことであろう。この例はまたシェイクスピアが、民間伝承としてのフェアリーが文学としてのフェアリーに脱皮する、ちょうどその時に居合わせ、皮を脱ぐのを手伝ったのだということも教えてくれる。
 「さては君は一夜をマプの女王と過ごしたな、あいつは妖精の産婆だ」(『ロミオとジュリエット』)。
 ここで言われている「妖精の産婆」(フェアリー・ミッドワイフ)とは妖精の子を取りあげるのではなく、人間の夢をひきだす、人間に夢を見させるの意であって、マキューシオはこれから延々とさまざまの夢のことを話す。「恋人たちの頭を通れば恋の夢、宮廷人の膝を通れば敬礼の夢、弁護士の指を通れば謝礼の夢、御婦人の唇を通ればキスの夢……、軍人の首筋を通れば敵兵の首をあげる夢……」。妖精の産婆が人間に夢を見させるということは古くから言われたことであるが、シェイクスピアはこれをマプと結びつけて彼女の性格をよりくっきりとさせた。マプ女王には夢魔としての属性の他に、あらゆる種類の人間に夢を見せる能力が与えられており、夢を見る原因がマブの仕業になっているのであり、この点はシェイクスピアの独自な創意といえよう。「夢は空想」、「空想は空気のように実体が希薄」という言葉、さらには「われわれ人間は夢と同じもので織りなされている」
という台詞や、「人生は鋤く影法師にすぎない」という青葉を思い合わせる時、人間を形成している夢は影の存在である妖精たちが作っているわけで、言い換えればマプ女王や妖精たちは、シェイクスピアの劇の世界にとって、夢や想像力の動因としての重要な位置を与えられているわけである。
 また伝承の妖精、とくにエルフの特性のひとつ「夜中に馬のたてがみを編んだり、無精娘の髪の毛をもつれさせる」のは、民間伝承では「エルフ・ロック」(エルフの髪束ね)と呼ばれており、従ってマプ女王はエルフィン・クィーンに属するとも見られる。「マブ」(Mab)の語源を見ると、ウェールズ語で「子供」(chiild、infant)の意を持つMabb、及び(Mabel)(=boy)が短縮してできたものとみられ、キートリーによればHabundiaの縮小と言われる。また、ケルト神話の戦いの女神メイブやコノートの女王クィーン・メイブ、糸紡ぎ妖精スキャントリー・マプの響きもそこにはあるよぅに思われるが確証はない。一方、同時代のベン・ジョンソンが戯曲『サティール』の中で、マプを「妖精の女主人(
ミストレス・フェアリー-)」として、ティタニアと同じような妖精女王の位置を与えて登場させている。

  これはマブ、妖精の女主人の仕業、
  夜ともなれば搾乳場で盗みを働き、
  ミルクをかき回すのを手伝ったり邪魔したり、
  区別もなしに楽しんでやる。

  田舎の娘たちをつねるのもマプ、
  椅子を綺麗に磨いていないなら、
  燃えさしを火かき棒でかき出していないなら、
  鋭い爪で思い出させる。
  だけビマプをもてなせば、
  娘の靴の片方に六ペンス銀貨を入れておく。

 このほかマブ女王が、子供をさらいゆりかごにひしゃくを入れておくという「取り換え児(チェンジリング)」をやった。、夜道を行く人を水たまりに落としたり、眠っている娘たちに未来の夫を夢見させたりすることが描かれているが、シェイクスピアのいたずら者パックと、夢魔である妖精至の性格を一緒にしたような、民間伝承の妖精の性質を、ベン・ジョンソンはクィーン・マブにもたせている。
 『サティール』が一六〇三年六月二五日に、「女王陛下ならび王子様のわが国への初のご訪問に際し、アルソープのスペンサー脚家における特別の余興」として書かれたとするなら、『ロミオとジュリエット』の初版の出たのが一五九七年以前と推定されるので、シェイクスピアがマブ女王を台詞の中や舞台の上で登場させたのは、ベン・ジョンソンより六年ほど早いことになろう。
 また、女王の身体は貴重で高価な宝石のように極めて小さく「役人の指で光る瑪瑠ほどの大きさ」しかない点は特徴的である。伝承の妖精の属性のひとつである昆虫の馬に乗ったり、その馬に引かせた車に乗るということも、この女王の描写にそのまま表現されており、マブ女王は、「ハシバミの実の殻の車」を「罌粟粒ほどの小人の一団」に引かせ、「御者は灰色の服を着たブヨ」となっている。
 その車のつくりは華著で美しく、みな昆虫でできている。

  車輪の幅(や)は、足痍蜘蛛の脛(すね)、
  車の覆いは、イナゴの羽、
  引き綱は、蜘妹の細糸、
  首輪は、ぬれた月の光、
  鞭はコオロギの骨、鞭縄(むちづな)は薄糸、  (第一幕第四場)

 等々とある。小蛇が光る皮を脱いで彼女の身体にかけたり、蠣癌の翼で侍女の服を作ったり、蝶の羽で扇をこしらえたり、蜂の足を蝋燭がわりにしてそれを螢の火でともしたり、というティタニアの寝所の場面によく似ている。この二人の女王はどちらも柄が小さく、昆虫や花に囲まれて暮している。『夏の夜の夢』の妖精たちも「ドングリの実の中にもぐり込んで身を隠す」し、「麝香薔薇のつぼみにもぐりこんだ毛虫を退治したり」、「蠣幅と戦って、妖精の上着を作るために皮の巽をはぎとったり」しているし、ティタこアの侍女たち「からし種」「豆の花」「蜘蛛の巣」「蛾の君」も小さな身体に描かれている。しかしティタニアやオベロン、そしてパックが極小に描かれていないのは、舞台上で人間の役者(時には子役、人形)が演じたからであろうと推定される。これはシェイクスピアの妖精の大きな特色である。
 確かに昔から、スカンディナヴィアのライト・エルフは香りの良い花の中に住んでいて、身体も極く小さいと云い伝えられているし、デンマークの民謡の中にもアリぐらいの大きさの妖精が描かれている。イギリスの民間伝承でも、サマセットには老母が作ったケーキの上で妖精が踊ったので、靴のかかとで穴がたくさんあいてしまったという話があるし、バンプシャーの百姓の家で小屋を掃除していたのも、ごく小さい旺盛であったという。
 しかしながら中世末期におけるフェアリーの標準的な大きさは、背の高さが約六十センチだったり、一メートルぐらいだったり、二、三歳の子供の大きさだったりであって、シェイクスピアの妖精よりはだいぶ大きい。舞台では実際の人間の役者(時には子役だった)が演じたのだから修辞にすぎないといえばそれまでだが、それでも薔薇の花や桜草の花の中にもぐり込んだり、どんぐりの穀に隠れたり蠣幅と戦ったりするほど小さなフェアリー、優しい自然の中で楽しく踊り歌い飛びはねる陽気で美しくてかわいらしいフェアリーを創出したのは、やはり詩人としてのシェイクスピアの卓越した才能だった、と言えるだろう。彼の筆によって、イギリスのフェアリーが新しい時代を迎えたのは事実である。シェイクスピアがマブ女王を夢の女王として、短いマキューシオの台詞の中に凝縮して描写したことによって、後世の詩人たち、ドレイトンやヘリック、ミルトン(『フェアリー・マプ』)やシェリー(『マブ女王』)が、妖精の女王としての位置をマプに与え、自在に描いていく結果になったのだといえよう。

シェイクスピア.jpg
ウイリアム・シェイクスピア
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「夏の夜の夢」の木版画より「テイターニアとボトム」


『妖精の系譜』 新書館

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石井鶴三の世界 №210 [文芸美術の森]

倉田白羊氏 1933年/将棋 1933年

        画家・彫刻家  石井鶴三

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倉田白羊氏 1933年 (132×178)
1933将棋.jpg
将棋 1933年 (140×182)
 

************** 
【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】
明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。


『石井鶴三素描集』形文社


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武州砂川天主堂 №2 [文芸美術の森]

第一章 慶應四年・明治元年 1

         作家  鈴木茂夫

一一月十八日、仙台城下。
                                      
 仙台の町に小雪が舞う。しんと静まりかえった武家屋敷が軒を連ねる細横町元立町(ほそよこちょうもとだてまち)。
 「戻ったぞ」
 藩医(はんい)竹内寿彦(としひこ)が青葉城から帰宅した。鍼(はり)を専門とし、二百五十石を給(きゅう)されている。
 普段着(ふだんぎ)に着替え、火鉢に手をかざし、差し出された茶に口をつけた。
 「一段と寒さが沌みるのう」
 嫡子(ちゃくし)・寿貞(としさだ)がその前に坐りこんだ。当年二十四歳、俊敏な顔立ちの若者だ。
 「父上、殿さまのご様子はいかがですか」
 「うむ、きょうも鍼を打たしていただいた。ご心労が重なっておられる」
 「殿様は、何をお悩みなのですか」
 「お前も知っての通り、徳川将軍家が大政奉還され、王政復古となり新政府が生まれた。新政府は、徳川と会津藩を朝敵として、武力で討伐するとしている。一月半ばから、再三にわたり、わが藩に会津追討の先陣に立てと言ってきている。すでに徳川は大政を奉還しているのだから、野心があるとは言えない。王政復古のときにあたり、戦乱を起こすのは、天皇の真意であろうか。それにより、わが国とかかわりのある諸外国から、どのような侮りを受けるかはかりしれない。これが殿様の考えだ」
 「父上、私もとのさまのお考えに同感であります。見込みはどうですか」
 「問題は、会津藩の処遇だ。会津藩は五年間にわたり、京都守護職に任じ、尊王攘夷派と対決してきた。今や、新政府の中枢に入り込んだ長州藩は、会津を宿敵としているからな」
 「父士、われらは会津と戦うことになるのですか」
 「われらには会津と戦う名分はない。しかし、新政府は戦えと命じてきている。それは理不尽だ。ところがこの難局に際し、重臣の意見が二つに割れている。一つは新政府の意向に添わないと、わが藩も朝敵とされるという。後は殿と同じ意見だ。これを取りまとめるのはむずかしい。このため殿もはっきりとした、藩の方向を打ち出すことができないでおられる」
 「ただならぬ気配が刻一刻と迫ってきているのですな」
 父寿彦は、口をつぐんだ。

 二月二十二日、フランス・オートマルヌ県ティヴエ村。
                                さなか
 パリの東南東約三〇〇キロ、オートマルヌ県ティヴエ村は冬の最中だ。東の地平線が明るい。日の出はもうすぐだ。雪の気配だろうか、鈍色の厚い雲が空一面をおおっでいる。ゆるやかな丘陵地帯に広がるブドウ畑と小麦畑は雪に包まれている。温暖な気候に恵まれ、古くから農耕が営まれてきた。葡萄酒シャンパンの生産地として名高い。
 村はコンミューンと呼ばれる。百戸あまりの農家で村を形成している。テストヴイド家は、その中の一軒だ。
 ジュルマン・レジェ二テストヴィドは、十九歳の少年だ。長身の頭に、黄金色(こがねいろ)の髪、銀色の瞳が光る。身繕いして牛小屋で乳を搾る。朝の日課だ。温かい乳が乳缶にほとばしり出る。ジェルマンは干し草を牛に与えた。
 それが終わると五人家族でお祈りを済ませて朝食。父親のブローシユ、母親のコリーヌ、長男のジェルマン、長女のロレーヌ、次男のセザールだ。朝食を終え、ジェルマンは急いで村の教会へ駆けつける。司祭の室は、ストーブで暖まっていた。
 初老のボランスキー神父が、笑顔で迎えた。
 ジェルマンは机をはさんで、神父の前に坐る。ジェルマンの優れた資質を見て、神父が個人的に神についての授業をしようとはじめたのだ。もう二年になっていた。
 「ジェルマン、おはよう。課業をはじめよう。最初は、永遠の生命(いのち)について考えよう。これについて何を思うかな」
 「永遠の生命とは、神を知ることです。ヨハネ伝福音書第十七章第三節に永遠(とこしえ)の生命は 唯一の眞の神にいます汝と なんぢの遺し給ひしイエス・キリストとを知るにあり(文語訳聖書・以下聖書の引用は同様)と記されてあります」
 「そうだ、よくできたよ。神を知ることは、この世ではじまり、来世において完成する。私たちがこの世での「生活を終え、死後の世界で神に出会う。ヘブル人への書第十一章第一節には
 それ信仰は望むところを確信し 見ぬ物を真実とするなり
とある。眼には見えない物を真実とする態度です。眼に見えない物とは、われわれの五感を超えたところに存在される神こそが真実であるとすることだ。これが神を知る道筋だ。私たちの肉体が亡びても、私たちの霊魂は亡びない。その霊魂が永遠の生命として生き続けるには『望むところを確信』することだ。そこで何を確信するのか」
 「人が良く生きることです」
 「それには学べば良いのだろうか」
 「良く生きる指針、つまり永遠の生命は、学んで得られるのではありません。信仰によってのみ得られるのです」
 「そのとおりだ。では信仰とは何かね」
 「神をあるがままに認識することです。神の言葉を受け入れることです。何の注釈もつけることなくです」
 「信仰は良く生きるための心の糧だ。信仰は、良く生きるために必要なことをすべて教えてくれる」
 「神父様、見えないものを信じるのは愚かであり、見えないものは信じるにたりないという意見もあります。これはどう考えるべきでしょうか」
  「ジェルマン、それは悪くない質問だ。見えるものは輝かに信じることができる、見えないものは信じられないというのは、なぜだろう。それはわれわれ人間の知性が完全なものだという立場に立つ。しかし、われわれの知性は完全ではない。われわれの五感の一つである視覚は、しばしば誤った認識をすることがある。視覚も完全ではないのだ。もちろん、われわれの知性は、努力することで理解できることも多くある。と同時に理解できないことは、理解できるものより数多くある。神はわれわれ人間を超えた存在だ。だからこそ、ヨブ記第三十六章第二十六節には、
 神は大(おおい)なる者にいましてかれを知りたてまつらず その御年の数も計り知るべからず
とある。神の存在は無限なのだ。その無限である神の言葉であるから、われわれはあるがままに、それを受け入れる。見えるか見えないかの問題ではない」
 「神父様、信仰の意義については、これまで何度もお話して頂いています。何度聞いても、私には新鮮なことです。信仰することの根本がここにはあると思えるからです」
 「ジェルマン、信仰とは、神の言葉を受け入れ、神の言葉にしたがうことだ。君はこのことを理解している。そうであるから、神とは何かを考えてみよう。神とは、世界の創造者であり、支配者であり、摂理(せつり)をはたらかす存在である。われわれが神によって生み出され、神の摂理の中に生きていることを信じる者は、同時に神が存在されることを信じる人である。このような人をキリスト者という」
 「神父様、私はキリスト教についての勉学をするにつけ、神の使徒として生きたいという思いが強くなっているのです、そのためには、まだまだ多くのことを学ばなければいけないでしょう。ですが、私はそうしたいのです」
 「ジェルマン、うれしいことを言ってくれたね。君の希望を実現するには、神学校で学び、宣教師として活躍することだ。私は、喜んでその手伝いをしよう」
 「そうなんです。宣教師となることは、私の夢です。両親の許しを得て、ぜひそうしたいと思うのです」
 「私の教区から、君が立派な宣教師となって巣立ってくれればとてもうれしい。そのためには、ラングルの神学校で学ぶことが求められる。神学校では、聖書を学ぶほかに、ラテン語が必修科目とされる。教会の公文書は、すべてラテン語で書くことになっているからだ」
 「神父様、私にラテン語を教えてくれますか」
 「喜んで教えてあげるよ」
 ボランスキー神父は、立ち上がって書棚から分厚い一冊の書籍を取り出した。
 「ジェルマン、これが教科書だ。これに入る前に、ラテン語とは何かを話しておこう。ラテン語は古代ローマ市民が話していた言葉だ。もちろんローマ市民だけではなく、ローマ帝国の公用語として使われていた。だがローマ帝国滅亡の後は、それぞれの地域ごとに言葉が変化したといわれる。私たちが今話しているフランス語もラテン語から生まれ出たものだ。イタリア語、スペイン語などもその仲間だ。だからラテン語にはフランス語と通じる点が多い。しかし、今やラテン語を自分の言葉として話す人はいない。ラテン語は学ぶ言葉だ」
 「神父様、ラテン語は私が学ぶ最初の外国語ですね」
  神父は手元の紙に文字を書いた。
  Dei te ament, Ut valess Gratias ago 
 「書いたのは三つの挨拶文だ。君の思うように発音して」
 「デイテアメント。ウトヴァレス。グラティアス アゴ」
 「悪くない発音だよ。これはね、『今日は』、『お元気ですか』、『ありがとう』なんだ。この次から、教科書ではじめよう。ラテン語を口にした気分はどうだい」
 「うれしいです」 

『武州砂川天主堂』 同時代社


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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №82 [文芸美術の森]

        喜多川歌麿≪女絵(美人画)≫シリーズ
         美術ジャーナリスト  斎藤陽一
          第10回 「北国五色墨」

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河岸見世の遊女≫

 今回は、寛政6年~7年に歌麿が描いた「北国五色墨」(ほっこくごしきずみ)シリーズを見ます。
 「北国五色墨」は、吉原遊郭の女を主題とした異色の「大首絵」5枚のシリーズです。

 「北国」とは、江戸城から見て北方にあった吉原遊郭の別称。ちなみに深川の遊里は、江戸城の東南(つまり辰巳)の方向にあったので「辰巳」と言われ、品川の岡場所は南の方角にあったので「南」と呼ばれました。

 シリーズの題名「北国五色墨」には、多種多様な墨の色になぞらえて、吉原に生きる各階層の女を描き分けるという意図が込められており、「花魁」(おいらん)「芸妓」「切りの女」「河岸」(かし)「てっぽう(鉄砲)」という5人の遊女が描かれています。

 上図は、「河岸」(かし)と題するその中の1枚。これは、吉原の遊女の中でも下級の遊女のことを言います。

83-2.jpg 吉原遊郭は、遊女が足抜けできないように周りを幅2間(3.6m)の掘割(「お歯黒どぶ」)で囲った、およそ2万坪の面積を持つ、幕府公認の遊郭でした。
 弘化3年(1846年)に町役人が町奉行所に提出した報告書によると、吉原の総人口は8、778人。そのうち遊女は4,834人でした。

 遊郭の中には、いくつかの町があり、いくつもの通りに面して、大見世、中見世、小見世など、高級、中級の遊女を抱える「妓楼」が軒を連ねていましたが、「西河岸」や「羅生門河岸」と呼ばれた裏通りには、下級の遊女たちが商売をする「河岸見世」や「切り見世」「鉄砲見世」と呼ばれる小さな家が連なり、安い値段で男たちの相手をしました。

 上図に描かれた女は、「河岸見世女郎」と呼ばれた、2朱(銭で500~600文)で商売する下級遊女です。

 吉原の遊女は、泊りの客を早朝に送り出すと、しばし仮眠、そのあとに入浴して昼食をとり、午後からの商売(「昼見世」)に備えました。
 この遊女は、入浴して昼飯をすませたのだろうか、着物を片肌脱ぎにしたまま、楊枝を加えている。髪もまだ乱れたまま。下級の遊女にまで転落してしまった女のすさんだ日常生活がうかがえるような描写です。
 女の目つきや口元には、この女の気の強さやたくましさのようなものも伝わってくる。歌麿の観察はなかなか鋭いのです。

≪「てっぽう」~局見世の遊女≫

 「北国五色墨」シリーズからもう1点、「てっぽう」と題された絵を見ておきましょう。

82-3.jpg

 吉原の狭い路地や河岸通りには、「局見世」(つぼねみせ)と呼ばれる一間(ひとま)だけのごく小さな部屋が立ち並ぶ一角もありました。ひとつの部屋には一人の遊女だけが営業しており、これらの遊女を「てっぽう」(鉄砲)と呼びました。
 鉄砲に込める弾のことを「百目玉」(ひゃくめだま)と呼んだことになぞらえ、「局見世」の遊女の値段が「一発百文」(数千円くらい)だったことから、「てっぽう」が遊女の名称になったらしい。

 歌麿の描く「てっぽう」は、胸を大きく広げて、懐紙を口にくわえ、手を伸ばしています。髪の毛は乱れ、その眼が見つめる先には客の男が・・・と想像すると、かなり生々しい描写です。

 この遊女はかなりの年増でしょう。
 大見世や中見世などにつとめる遊女たちでも、年季が明けても、身請けしてくれるような男がいなかったり、故郷とも断絶していたりする者は、生きるために、もっと下級の遊女に身を落とす女も多かった、と言います。
 そのような状況を知ってこの絵を見ると、なんとも哀れな気持ちになります。

 次回は、吉原の遊女の中でもトップクラスの「花魁」を紹介します。
(次号に続く)


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日めくり汀女俳句 №105 [ことだま五七五]

十一月八日~十一月十日

    俳句  中村汀女・文  中村一枝

十一月八日
われとわが冷えてゐし身に懐手
        『都鳥』 懐手=冬

 犬の散歩をするようになって二十年余。毎朝、その人の出勤時問にぶつかった。いつも黒塗りの車が迎えにきていた。腰の低い感じのいい運転手にも、彼はふんぞり返って短くこたえるだけ。どこかの官庁の役人だそうだ。何てイヤな奴と思っていたが、二、三年前から車を見なくなった。
 いつからか頭ははげ上がり、時々徒歩で朝出かける。天下りでもしたのだろうが、昔ほどの地位ではないのかも。その彼がゴミ出しを始めた。雨の中を両手にゴミ袋を持っている。昔よりずっと穏やかでいい顔だった。

十一月九日
銀杏(ぎんなん)が落ちたる後の風の昔
           『春暁』 銀杏=秋
 
 汀女の夫重喜が亡くなったのは、昭和五十四年二月三日。一週間前自宅で倒れ入院、そのまま戻らなかった。頑固で融通のきかない偏屈な一面、どこかとぼけたユーモアもある人だった。
 子供のころの話をしてほしいというと、納々と語ってくれた。陽炎の立つ道を、父親と二人で歩いた話をしながら、思い出をさぐる優しい目をした。
 「美人は三日一緒におれば、どれも同じですよ」と言った時は何となく実感があった。私は汀女が夫にほれていたより、むしろ重喜が終生ひそかに彼女を愛し続けた気がする。

十一月十日
初時雨カトレヤ命ながき花
        『紅白梅』 初時雨=冬

 NHKの教育でやっている″しゃべり場”。中高生を中心に、大人のゲストを交えて若者の直面している問題を話し合う。人によっては今の若者は甘ったれているとか、自己中心的過ぎるとか、批判が多いが、私には知らない世代の素顔がのぞけて面白い。シラケているようで、やはり若者らしく熱い思いもある。表現の仕方、物の見方が未熟なのは当然だし、そこが魅力。
 大人たちは一度胸の中に宿している自分たちの若い目と正面切って向き合ってみるといい。今どきの若い者は、という言葉が出てくるかどうか。

『日めくり汀女俳句』 邑書林



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読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №136 [ことだま五七五]

          読む「ラジオ万能川柳」プレミアム☆ 5月11日放送分

            川柳家・コピーライター  水野タケシ


川柳家・水野タケシがパーソナリティーをつとめる、
読んで楽しむ・聴いて楽しむ・創って楽しむ。エフエムさがみの「ラジオ万能川柳」、5月11日放送分です。  

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間もなく梅雨入り??


「ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)がキャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、毎週水曜日9時5分から放送しています。
エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらから!
https://fm839.com/program/p00000281
放送の音源・・・https://youtu.be/UGhTvCY1cqw

【あさひろさんのボツのツボ】
先週のボツの作品から、あさひろさんセレクトの1句をご紹介!!
https://youtu.be/UGhTvCY1cqw

(皆さんの川柳)※敬称略  今週は203句の投稿がありました!
・桜ちるあっという間に葉っぱだよ(ぶたのはなこ)
・青さます街路に映える赤い躑躅(初投稿・橘高けいこ)
・3年ぶりに締めるネクタイ母の葬儀(初投稿・田中栄一)
・ツイッター返信来たのが2年後よ(恵庭弘)
・春がまだ入場できずマリウポリ(バレリア)

☆タケシのヒント!
「ウクライナ人のバレリアさんならではの一句です。理不尽すぎる包囲戦が1日も早く終わり、マリウポリにもまぶしい春が訪れてほしいものです。」

・定年し大型連休懐かしい(柳王・鵜の森マコピイ)
・ダイヤより新玉ねぎが高すぎる(大名人・恋するサボテンちゃん)
・白ダイヤなんて言われそ玉ねぎが(柳王・光ターン)
・ねえあなた後ろのホック下げてみて(柳王・平谷妙子)
・隣国に逃れる術の無いお国(高橋永喜)
・新緑の中で至福のにぎり飯(名人 ・やんちゃん)
・二年ぶりで手渡しできたカーネーション(まご命)
・チャレンジで柳友と過ごすこれ出会い(秀クリーム)
・わこりんと美ら小雪さん想う夏(soji)
・沢山の方に出逢った6周年(柳王・かたつむり)

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・新緑もえる市役所通り(柳王・アンリ)
・生きてるともらえぬ白いカーネーション(たごティ)
・水玉やしましまマワシ見たいけど(柳王・荻笑)
・てんでんに生きて人類共に生き(大名人・マルコ)
・草取りもワクワクするか食えたなら(名人・ワイン鍋)
・世間体ふまえて贈るカーネーション(名人・じゅんじゅん)
・くしゃみしてやばいよ居留守バレちゃった(ぽこにゃん)
・5月こそ昇格したいラジ川に(ベルマーレあんちゃん)
・最大の親孝行は生きること(柳王・入り江わに)
・川柳で広がっていく輪がすげえ(そうそう)
・強運会またも待ったをコロナかけ(しゃま)
・句が詠める平和があるよラジ川に(居酒屋たつみ)
・戦争のないこの地球(ホシ)を見てみたい(紗月めい)
・副反応お陰で体重2キロ減り(名人・のりりん)
・ニュースから逃げてお笑いなど見てる(大名人・咲弥アン子)
・師匠ブログコメント欄の温かさ(大柳王・ユリコ)
・リニューアル師匠のツッコミあたたかい(名人・重田愛子)
・五月場所増えたね白いワンピース(柳王・けんけん)
・ LL(ツーエル)を鼻で笑ったアサヒロ氏(名人・メン子ちゃん)
・異文化の交流嬉し川柳は(大名人・ポテコ)
・えげつないカーブ娘に投げられる(名人・美ら小雪)

◎今週の一句・春がまだ入場できずマリウポリ(バレリア)
◯2席・沢山の方に出逢った6周年(柳王・かたつむり)
◯3席・ダイヤより新玉ねぎが高すぎる(大名人・恋するサボテンちゃん)

【お知らせ】
【第2回 仲畑流万能川柳Zoomファンミーティングのお知らせ】
5月28日(土)午後2時~3時30分に、オンラインイベント
「第2回 仲畑流万能川柳Zoomファンミーティング」を開きます。
同日に予定していた「万能川柳強運者の集い」は中止となりましたが、
代わりにオンラインで集まりましょう。仲畑さんももちろん参加されます。
今年は「Zoom仲畑流万能川柳大句会mini」と銘打って(最初で最後の?)
オンライン句会も開催予定(これはファンミーティング参加者限定)。

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去年の模様

【放送後記】
2週間ぶりの放送、たくさんのご投稿ありがとうございました!!
来週はついに6周年、おかげさまで放送7年目に入ります!!
これからも引き続きよろしくお願いいたします!!
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水野タケシ(みずの・たけし)
1965年生まれ。コピーライター、川柳家。東京都出身
ブログ「水野タケシの超万能川柳!!」 http://ameblo.jp/takeshi-0719/




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雑記帳2022-5-15 [代表・玲子の雑記帳]

2022-5-15
◆立川に「けやき座」という名の大衆演劇場がオープンしてまもなく7年になります。

大衆演劇は、日本の演劇におけるジャンルの一つ。一般大衆を主な観客とする娯楽性を重視した演劇のことで、剣劇、軽演劇、レビュー、ミュージカル、ストリップなどが当てはまります。今では伝統芸能とされる歌舞伎や人形浄瑠璃も、実は、その成立まで遡れば大衆演劇と言えるでしょう。昭和20年代に当時「寄席芝居」や「旅芝居」と呼ばれていた劇団が、自らの劇を「大衆演劇」と読んだことから言葉が定着しました。

大衆演劇の黄金時代は、昭和10年(1935)から昭和16年(1941)、そして第二次世界大戦後の昭和20年(1945)から昭和28年(1953)頃まで続いたと言われています。最盛期には日本全国に600を越える劇場がありました。

 昭和28年(1953)はテレビ放送の始まった年です。テレビの普及にともなって、大衆演劇の人気は低迷します。例えば関西では1960年には55館あった常打ちの劇場が、1965年には20館、1973年には5館にまで減ったそうです。これに危機感を覚えた団体の努力で、九州、関西、東京に新しい大衆演劇の常設小屋が復活しました。

東京に常設の小屋は数えるほどしかありません。そのうちの一つが、なんと立川にあるのです。浅草の木馬館、北区十条の篠原演芸場とならんで、立川にあるのがけやき座です。東京都の大衆演劇場では38年ぶりとなる2015年8月にオープンしました。月替わりに人気劇団を招致して、ほぼ毎日、公演を行っています。

5月は長谷川劇団。総座長は愛京花という名の女性です。座員は子役も入れて15名。昼と夜、3時間の公演をほぼ毎日打っています。出し物も日替わりで、日によっては劇団同志のゲストの出演もあるようです。芝居の演目は昼と夜でも変わります。連休の一日、昼の部をのぞいてみました。

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江戸時代を思わせるような外観
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のぼりや花が飾られた華やかなエントランスは雰囲気も抜群です。

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場内
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客席と舞台の距離感も近く、しっかりした花道も設けられていて、役者の舞台を目前で楽しむことができます。

開園前、椅子席でお弁当を広げる人もいます。お目当ての俳優さんがいるのか、被り付きの桟敷に陣取る人も。定員170名という会場は、結構、自由な雰囲気です。

休憩をはさみながらの3時間の構成は、芝居と歌謡・舞踊ショーです。芝居の、この日の演目は古典落語の「紺屋高尾」でした。
神田紺屋町の染物屋の奉公人、久蔵の一途な愛に、吉原一の太夫、高尾が応えるハッピイエンドのお話です。主役2人を演じるのは一座の花形、長谷川一馬と京未来です。一馬君は高橋一生風のハンサム男子。可愛い未来ちゃんは、他の旦那に目もくれず職人の久蔵といっしょになる花魁の心意気を上手に演じていました。

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「紺屋高尾」の舞台から

開園直前に、若い女の子が二人かけこんできました。
となりの席にすわったのを幸い、幕間にちょっとおしゃべりをしました。

「若いけど(あっ、こんな言い方はハラスメントかも。ごめんなさい)、よく来るの? 誰か贔屓の役者さんでもいるの?」
「はい、よく来てます。押しは一馬君。俳優さんみたいにきれい。」
「やっぱりね。(私みたいな)おばさんだって美男子見るのは気分いいものね。」
「初めてなんですか?」
「そうなの。大衆演劇ってどんなのか、一度見てみたいと思って。昔、競輪場の近くの路地に、大衆劇場の看板を出してる小屋があったのよ。だけど、いつのまにかなくなってしまって。そしたらここにけやき座というのがあるよと教えてくれた人がいてね。」
「立川の人なんですね。おうちは近いんですか。」
「自転車で15分もかからないくらいよ。」
「それじゃあ、これからも是非来てあげてください。夜は特にお客も少ないみたいだし。私、(隣に座る友人らしき女性を差して)今日はこの人を連れてきたんです!」
(その友人)「連れてきてもらいました!」
「どう?」
「ちょっとドキドキしてます。一馬くん、ハンサムですねえ。」
若いのに(また言ってしまった)好きな役者のために宣伝もするなんて、しっかりしてる。仮にYさんと呼びましょうか。

芝居のあとの花形役者のショーにつづいて、最後は一座の座員全員の繰り広げる賑やかな舞台です。歌に踊りにコントに、役者は花道や舞台から下りて観客のそばを歩いてもくれる、サービス溢れる時間です。

ここで、Yさんはすばやく、一馬君の着物のの襟に1万円札をクリップでとめました。そのしぐさがいかにも自然で、あっという間だっだのです。このために彼女は花道のすぐそばの席を予約していたのでした。気がつくと客席の後ろからも、レイをもったおじさん、おばさんたちが次々に花道へ寄って来る。おひねりはYさんのように裸のばあいもあれば、のし袋にいれて役者の懐に差し入れる人もいる。ちなみに裸の1万円は新札でした!

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華やかな舞台の役者たち 一番下の写真が一馬君

役者はみんな芸達者。おひねり貰った役者さんは、舞台がはねて帰る客の所にやってきてお礼を言ってくれます。ハンサムな一馬君に流し目されたらYさんもきっとドキドキするでしょう。そんな客と役者の交流を見ているのがこれまたおもしろい。
1800円の入場料を払っただけの私は、流儀を知らない新参者だと、肩身の狭い思いをしたものでした。今度行くときはおひねり用意しなきゃ、ね。

友人に宝塚の大ファンがいます。
コロナで中止になった公演も多かったようですが、ようやく復活したようです。
贔屓の組の舞台は出待ち、入り待ちは勿論、ファンクラブの集いに参加するのが生きがいなのだそうです。そこでは、スターがファンを徹底的に大事にしてくれる。一人一人をおぼえてくれて、ファーストネームで呼びかけてくれる、おばさんでさえ、自分が大切にされていると感じられる場所は大事なのだと思います。

◆まもなく梅雨の季節です。今年は例年より早いそうです。久々に一茶の句をひろいました。

  塀合に卯の花降し流けり            寛政句帖   寛5
  里の女や麦にやつれしうしろ帯      享和句帖   享3
    入梅晴や二軒並んで煤はらひ        八番日記   政2    
    五月雨や二階住居の草の花          享和句帖   享3
    草刈のざくり ~ や五月雨          七番日記   化11

◆梅雨入り前の国営昭和記念公園の花たちです。

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イチハツ(日本庭園)

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トチノキ(花木園)

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ベニトチノキ(花木園)

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スイレン(花木園)

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シャクナゲ(日本庭園)

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エゴノキ(花木園)

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私の中の一期一会 №260 [雑木林の四季]

   山梨県道志村のャンプ場から行方不明になっていた美咲さんは死亡していた
  ~捜査関係者「道に迷って滑落したか?散々探したのに見つからなかった~

         アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 少学1年生の女の子が神隠しに会ったように山梨県のキャンプ場から姿が消えたのは、2019年9月21日のことだった。
 千葉県成田市に住む小倉美咲さん(当時7歳)は、母と姉の3人で、その日の昼頃山梨県道志村のキャンプ地に到着した。
 「子育てサークル」で知り合った家族27人も一緒だった。
 美咲さんの父親は翌日に参加する予定だったという。
 皆で天ぷらそばを食べた後、子供たちはテントを張った広場近くで遊んでいた。
 午後3時半頃、友人たちはキャンプ場の西側にある沢に向かった。
 美咲さんは5分程遅れて、友人たちを追って沢へ行くため一人でテントを離れた。
 20分ぐらいして友人たちは戻ってきたが、その中に美咲さんはいなかったのである。
 山梨県警に家族が通報したのは5時ごろだったという。
 県警はすぐ捜索を開始したが、最初は「すぐ見つかるだろう」と思ったのに見つからない。
 地元の消防団や近くに住むボランティアが加わっていき、ついには自衛隊までが派遣されるという大捜索が行われた。
 警察犬や体温を感知するセンサーを搭載したドローンなども投入された。
 16日間に延べ1700人が参加した捜索にも関わらず、手掛かりになるようなものは一切見つからなかった。
 美咲さんが行方不明になって2年8カ月程が経った今年の4月23日、キャンプ場から600メートルほど離れた場所で人骨のようなものが見かって、警察が調べた結果“子どもの頭蓋骨の一部”と判明した。
 そこで、山梨県警は25日から改めて発見現場付近の捜索を開始した。
 すると美咲さんの履いていたものと同じ運動靴や靴下などが見つかった。
 5月に入ると、肩甲骨やシャツなどが見つかり、いずれも美咲さんと関係がありそうだった。
 山梨県警が肩甲骨の細胞核からⅮNAを採取し鑑定を行なっていたが14日、美咲さんとⅮNA型が一致したこと明らかにした。
 県警は「生命維持に欠かせない部位の骨で、美咲さんは死亡していると判断した」と説明した。
 そして、発見した骨を小倉美咲さんのものと特定したことを母親とも子さんに伝えたという。
 しかし、美咲さんの死因や行方不明後の足取りなど分からないことも多く、県警としては事故、事件の両面で捜査を続けていく。
 キャンプ場の近くに住む女性(85)は「行方が分からなくなってから、ずっと美咲ちゃんのことを気にかけてきた。お母さんの気持ちを考えると・・」と目を伏せた。
 また猟師をしている男性(76)は「現場の沢まで行く道は、子供には歩き難い筈なのに」と疑問を投げかけていた。
 県警は今後、美咲さんがどういう経緯で死亡するに至ったか解明を急ぐことになる。
 道志村の多くの場所では尾根や沢が入り組んでいて、地形の複雑さが捜索を難しくしているとも言える。
 ロープを使わないと立ち入れない急な崖、足場がもろい岩場は崩れやすく滑落の危険もある。 
 ある県警幹部は「道に迷ってキャンプ場に戻れなくなり、どこかに滑落してしまったのでは・・」と推測する。
 骨や靴などが複数の場所で見つかっていることについて「死後に野生動物が運んだ可能性がある」とも語った。
 4日に見つかった肩甲骨はキャンプ場の近くにある水の枯れた沢で堆積した落ち葉や腐葉土の中に埋もれていた。
 運動靴が見つかった周辺は沢が多く、大雨で流されてきた可能性も考えられる。
 人が遺体を埋めた可能性は低いという。
 15日も40人体制で捜索しているが発見はない。
 ジャーナリストの大谷昭宏さんは、「事故死や病死であればすぐ見つかる筈だ。誰かの手によって遺棄された事件の可能性が高い」と述べている。
 村でキャンプ場を経営する男性(76)は「事件か事故か。何故美咲さんは亡くなったのか。判明するまで終わらないだろう。しばらく平穏な状況は無理だろう」と語った。
 母親のとも子さんは「あの日一緒に行ってあげれば良かった.悔やんでも悔やみ切れない」と自分を責める言葉しか出てこない。
 親が子を失う悲しみは、失った者にしか分からない。
 運命も時には過酷なものであると思った。


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BS-TBS番組情報 №258 [雑木林の四季]

BS-TBS 2022年5月のおすすめ番組(下)

                            BS-TBS広報宣伝部

博物館の車、走らせます!

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想い出よ甦れ!名車が紡ぐ感動物語

2022年5月22日(日)よる9:00~10:54

☆あの頃憧れたあの名車…再び公道で走らせます!

山口智充
皆川玲奈(TBSアナウンサー)

子どもの頃に出会い、憧れ、いつかは手に入れたいと願った名車たち。
そんな車に今も出会える場所が「博物館」だ。
だが、展示されている名車たちは、普段は動くことはなく、ただ静かにたたずむのみ…。
「もう一度、公道を走っている姿が見たい!」
そんな名車を愛する人や、かつての所有者たちの願いを叶えるべく、博物館との交渉。
いざ動かそうとすると判明する不具合…。
それらを乗り越え、名車たちが博物館を飛び出し、公道を颯爽と走る姿は、まさに感動の一言。
MCをつとめるのは、旧車をこよなく愛する山口智充。
▽亡き夫が愛した名車「メッサーシュミット」
▽湯布院「九州自動車歴史館」に展示中の「ダットサンフェアレディ2000」
▽1964年東京五輪の聖火リレー伴走車「プリンス グロリア」

アドベンチャー魂

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毎週火曜 よる9:00~9:54

☆東野幸治が冒険家と“ガチ”なアドベンチャーを体験!

出演:東野幸治、岩垂かれん
我々の常識を遥かに超え、特別な経験を積んだ冒険家たち。彼らの生きざま、言葉、そして、人間力には思わず魅了されてしまう。そんな一流の冒険家たちと一緒に、都会では絶対に味わうことのない大自然を前に這いつくばってみませんか。東野幸治が完全ガチで冒険の旅に出る。
洞窟体験にトライアスロン、山登りからウィングスーツでの飛行体験まで、命知らずの冒険家となった東野幸治がガチで挑む全く新しいアドベンチャーバラエティ。

■5月17日(火)
#20「冒険家・海谷一郎:カヌー」
冒険家:海谷一郎
今回の冒険は、カヌーで極北を中心に単独行するカヌー冒険家の海谷一郎とともに、岩垂かれんが過酷なカヌーアドベンチャーに挑む!

■5月24日(火)
#14(再)「冒険家・関口裕樹:極地冒険」
冒険家:関口裕樹
最果ての地を一人、重いソリを引きながら氷の上を歩き続ける男。極地冒険家 関口裕樹(セキグチユウキ)。その冒険は、極地へ赴き人力のみで横断を目指す「極地冒険」。
「冒険をしてみたい」という漠然とした思いから高校卒業後、徒歩で日本縦断。
北海道宗谷岬(そうやみさき)から沖縄県最南端の喜屋武岬(きゃんみさき)まで109日間かけて2715kmを踏破した。
その後、舞台を海外へ移し、1400kmのアラスカ自転車縦断や、凍結したカナダ・マッケンジー川400kmを踏破など地球を相手に冒険を続けている。
過酷な極地と対峙する孤独な冒険その魅力とは?
今回はそんな関口と共に岩垂かれんが、氷雪上を人力で渡る「極地冒険」に挑む!
本当の自分と向き合う為の冒険…
一体、何を感じるのか…

裸のアスリートⅡ

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毎月第3・4・5日曜 ひる12:00~12:30

☆アスリートたちの等身大の姿に迫るスポーツドキュメンタリー。

見る者の魂を震わせる、アスリートたちの素晴らしいパフォーマンス。
その裏には、血のにじむ様な努力や過酷なトレーニング、数多くの失敗、苦悩の日々、そして選手たちを支える人々の存在があります。
この普段は見えない裏側、アスリートたちの「裸」の部分に番組はこだわり、丁寧に描くスポーツドキュメンタリー番組。
アスリートたちをより良く知っていただく事で、アスリートたちの一瞬のパフォーマンスに感じる、震えるほどの感動がより一層深まります。

■5月22日(日)
#238「バレーボール男子日本代表 高橋藍」
男子バレー界のニューヒーロー、高橋藍。
チーム最年少で出場した東京五輪。攻守に渡る活躍で29年ぶりに8強入りに貢献した。
生まれ故郷、京都で過ごしたバレーボールの原点、そして、さらなる飛躍を目指し挑んだイタリアリーグでの武者修行に密着した。

■5月29日(日)
#239「バレーボール女子日本代表監督 眞鍋政義」
2012年ロンドン五輪で銅メダルに輝いたバレー女子日本代表。その監督を務めた眞鍋政義が5年ぶりに帰ってきた。
「危機感を感じている」不退転の決意で、チーム再建へ動き出した名将に迫る。


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海の見る夢 №31 [雑木林の四季]

        海の見る夢
        -ドン・ジョバンニ~モーツァルトー
                澁澤京子

   ~おまえはおのれから逃げ去ることはできない~ゲーテ

 映画『アマデウス』で、「ドン・ジョバンニ」の最後に登場する石像(騎士団長)が、指揮しているモーツァルトには自分の亡くなった父親に見えるというシーンがある。まるで自分自身と現実から逃避するかのように性愛や美食の快楽を追及してきたドン・ファンの前に、ついに重く固い大きな石像が立ちはだかる。ドン・ファンは石像にがっしりと手につかまれて、いくら手を振り切ろうとしても振り切れない。『アマデウス』の、「石像=父性」は、世界というものを夢幻のように無責任に観照する人生を歩んできたドン・ファンの前に、いきなり現実の重さと厳粛さが立ちふさがる感じだろうか。 
昔、キルケゴールの『反復』を読んでも、さっぱりわからなかった。かつてキルケゴールには恋人がいたが、結婚直前になってなぜかキルケゴールのほうでいきなり婚約を解消する事件があった。『反復』というからには恋人と再会したのに違いない・・ではなく、キルケゴールの場合、婚約を解消したところで終わる難解な哲学小説になっている。

『反復』で重要になるキーワードは「想起」と「反復」。想起はプラトンの想起(イデア)であり、さらに「反復」。その二つが一体何を指すのか、さっぱりわからなかったのである・・

―エレア派の学徒たちが運動を否定したとき、周知のようにディオゲネスは反対者として歩み出た。彼は本当に歩み出た。つまり、一言も口をきかずに二,三度、右へ左へ行きつ戻りつしたばかりであった。―

冒頭に来るのがこの文章。エレア派のゼノンは、有名な「飛ぶ矢は飛ばない」で物質の運動を否定した。そこでヘラクレイトス「万物は流れる」の変化運動の流れをくむディオゲネスがそれに対して無言で反論したのである。エレア派の「静止した飛ぶ矢」がプラトンのイデア、つまり静止した一点だとすると、それに反論するディオゲネスの右往左往の運動が「反復」ということらしい。

―ギリシャ人はあらゆる認識は「追憶(想起)」であると教えたが、同じように新しい哲学は全人生は「反復」であると教えるだろう。この点にうすうす感づいていたのはライプニッツただ一人であるー

ライプニッツの瞬間は、過去にも未来にも依存するものであり、瞬間には過去も未来も含まれる「開かれた状態」で運動が起こる。ライプニッツのモナドは内側に外界の情報を抱合しながら(樹木に年輪があるように)世界と関係するものであり、個人の場合だと「各人の個体の概念はその人にいつか起こることを一度に含んでいる」(モナドロジー)、多様性を含んだ個人が、外側の多様な世界と関係(情報交換)する、ということになる。(ニュートンの普遍的な絶対時間に対し、ライプニッツの時間は存在個々の関係性によって決まる)

―まるで自分自身と話してるかのような、一つのイデアと話をしているかのような気がするのです・・-『反復』

キルケゴールの婚約者レギーナは非常に聡明な女性だった。話をするとまるでキルケゴールは自身の心の奥底の言葉を聴いているような気分になったらしい。相性がいいと相手の言葉は心の奥底まで届いて自覚につながる、御互いに心が開かれているからだ。キルケゴールは理想的な婚約者に対して、次第に臆病な気持ちを抱くようになる・・彼にとって、彼女は人間というよりもイデアに近いものだったからだ。キルケゴールは聖職者の道を選ぶため、彼女を永遠の存在(イデア)にするために、彼女の元を去った。

人は己から逃れるためにはなんでもする。手っ取り早い方法として、読書、映画、音楽鑑賞や旅行、掃除や仕事に熱中する、SNSの書き込みなど気晴らしになるものだったらなんでも己から逃れる方法となるし、スピリチュアルや自己啓発、精神世界の本なども、一時的に(自分が変わったような)気分になる方法となる。レベルの高いものとして、芸術活動に専心するなどがあるが、坐禅や瞑想も己を忘れるための手段なのである。

つまり、星空を見上げて自分の小ささを知るように、誰でも簡単に人生を夢幻の様なはかないものとして鳥瞰図的に眺める視点を持っているのである。しかし、己から逃げるだけのこうした受動的・消極的な生は人生を(夢のようなものとして)ただの傍観者として終わるだけだろう。(ドン・ジョバンニのように)特にSNSのある今、生も死も軽いものとなり、ますます人生に傍観的、受動的ゆえに他人に影響されやすい人が増えているような気がする。他人志向が強く、人間関係でも個人で対峙することができず必ず他の人間を巻き込んで複数にして対峙する、流行のアニメを追い、自分の考えを持たず、他人の意見をうのみにし、自分と違う意見には相対主義者となってまったく耳を傾けず、結局(みんながいいと思うものはいい)という価値観を持つだけ。そのため言葉は表層的なものになり、自身に対しても表層的な言葉でごまかしていれば、それだけ他者とのつながりも稀薄になるだろう。

―愛の業は愛のない仕方で、利己的な仕方でさえなされることがあるー

見せかけにこだわる人間は(穏やかで優しく)他人に見えさえすればよいのであって、実は人間関係をギブアンドテイクや役に立つ・立たないでドライに割り切って考える人が多い。彼等にとって愛というのは他人に表面的に優しくするだけのことなのであり、陳腐な言葉で自分をごまかすことなのである。自我が未熟であると本気で他人と深い関わりを持つことができない(自己愛が強く傷つくのを恐れるから)自我が未熟であるのと、自我がないのとは全く違うことなのである。(いったん成熟した自我を消去するのが無我だろう)

―自己自身を理解することが、ほかのすべてを理解するための絶対条件であるー

能動的・倫理的に生きるためには、まず単独な個人としての自覚と自律が重要になってくる。「反復」はまさに厳粛な人生そのものなのである・・

―反復とは、何か新しいものになるだろうと何も期待しない人だけが幸福になることー『反復』

つまり幸福とは、自分から逃げずに自身を十全に生きる人だけに与えられるものなのである。ここで「ヨブ記」が出てくる。キリスト教の学校に通ってよかったと思うのは、宗教倫理が社会道徳とは(十戒とも)別のもので、自分で追及するものであるという事に気が付いたことだろうか。子供の時「ヨブ記」を読んでも(次々と災難がふりかかる可哀そうな善人の話)でしかなかったが、自分が困窮した時にはじめて「ヨブ記」がすごくリアリティのある話であることに気が付いた。失敗したり困窮した時に限って、お説教好きの人間が寄ってきて、お説教されて(善意ではあるが)ますます傷つくところも同じなのだ・・聖書や小説の言葉がはじめて(腑に落ちる)感じがキルケゴールの時間を超えた「反復」なのである。つまり、レギーナの言葉が彼の心の奥底にいつまでも生きていたように、書物の言葉が自分の経験として生き始める。ヨブの訴えの言葉に比べると、友人たちの(因果応報)などのしたり顔のお説教がどんなに偽善的な空々しい言葉に見えるだろうか?倫理とは、まず自分の心に正直になることなのであり(正直とはトランプのように己の下品な本性を暴露することではない)自分の怒り、苦しみや哀しみに正直に向かい合うことなのである。

受動的に流されて生きるだけでは決して平和を実現することはできないどころか、集団の価値観に巻き込まれて気が付かないうちに他人を排除したり、暴力的になることも往々にしてある。SNSによって、多くの人とつながりながら実は「孤独」な人がすごく増えたと思う。何も考えずに他人に表面的に同調するだけではますます孤独を深めるだけである。

『反復』は、個人個人がアトム化した閉ざされた世界で、あるいは表層的な死んだ言葉による浅いつながりしか持てない今の時代に、個人が自分自身を掘り下げて自律することにより、逆に他人に対して開かれた柔らかい心を持てるようになることを教えてくれる。他人に流されない成熟した自我を持たない限り、他者との本当のコミュニケーションも信頼関係も持てない。人と人は生きた言葉によってはじめてつながるのである。


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梟翁夜話 №111 [雑木林の四季]

「鶏たちが飛んだ!」

        翻訳家  島村泰治

わが庵には猫の何やらのやうな菜園、一間四方の花壇それに程々の鶏舎がある。葉物はほぼ自前で賄い、日によっては初夏を思わせる陽気に合わせるかのやうに、いまチューリップが競い咲き、鶏たちは日にいくつかの卵を産んでくれる。世にはまさに事もない。

畑の散水を済ませ、芝にスプリンクラーを仕掛けておいて、さて、鶏たちや如何にと鶏舎を覗く。二世代が左右に分かれて飼われており、姉御たちはやや広め、妹たちは狭めの遊び場に群れて、砂浴びやら地面を啄むやら、それぞれに忙しげだ。女房どのがピー太と呼び習わす老いた雄鶏は、今日は姉御たち側に混じって所在なく辺りを睥睨(へいげい)してゐる。

この鶏たちの面倒は女房どのの専科で、日々の給餌から採卵、鶏舎の管理まで仕切ってゐる。しげしげと眺めれば、鶏舎の地面は鶏たちの土掘りで起伏が激しい。鶏舎を建てた頃に備えた止まり木は、哀れ、或いは折れたり抜けたり、いまはすべて脇に追いやられて機能喪失だ。その結果、鶏たちは平面移動だけで飛び上がるものがない。そこで、はたと気付いた。陽気も良くなったいま、鶏舎の整地を兼ねて止まり木を新調してやらう。この二年ほど敷地内の樹々を伐採、整枝した折の枝木を生かして、一丁自然味豊かな止まり木を組んでやれば、鶏たちはさぞや喜ぶだらうと提案すれば、女房どのは一も二もなく乗り気、費用は厭わないとまで曰うではないか。

いや、何とか手持ちの自然木で賄うからと、早速に材料を物色、あれこれ仕組みを思い巡らす。空を飛び回らぬまでも鶏も鳥、一間ほどは楽に羽ばたき上がる。高さを変えて何種か考えてやらうか、何ならジャングルジム擬きの・・・。元来ものを拵えることが嫌いでないから止まり木づくりの構想は果てしなく広がった。

何年になるか、芝の広がりを企んで周囲の古樹から何本か葉陰がきついのを選って伐った折に、いずれ何かの役に立つべしと横枝などを取り揃えておいた。それらがいま、止まり木の材料になるから妙だ。田舎暮らしの余慶がこんな処にもある。横木用に格好な枝を二本、途中の余分の枝を払ってほぼ一間に切り揃える。それを両端で受けるY字状の枝が四本、これも高さを決めて鋸を入れる。これで高さ二尺ほどの止まり木がふた組できる。

鶏はどれほど飛び上がるものかと問えば、
鶏専科の女房どの曰く人の肩ほどか、と。ならばと、T字状の小高い止まり木をこれもふた組、雑木から選び抜いて切り揃える。さらにもうひと組ずつ考えてやりたいものだ。空かさず女房どの曰く、ブランコは如何。ぐらつく枝に止まれるものかどうか、それが楽しみ、と。これは若鶏たちに備えてやることに衆議一決。おば鶏たちにと思いついたのが鼎(かなへ)の三角止まり木、安定度抜群、あわよくば三方三羽で都合九羽が同時に止まるなどもありやなしや。

止まり木の取り付けには、天候などの都合で二日を要した。立木部分はそれぞれ裾に支え木を打ち込み、長めのビスでしっかり固定、Y字状の又には横枝を放り込んだままの自然を生かした。例のブランコは人の頭ほどの高さ、若鶏とはいえ地上からは無理か、T字状から飛びつくウルトラCを見せてくれるか、さて。鼎の三角止まり木は絶品だ。九羽止まりはさておき、この鼎はおば鶏たちの和みの場にはなるだらう。

折しもわが庵辺り、柿の葉たちが勢いよくそそり立ち、山椒の葉群れが賑やか、精魂込めて抜き去った雑草の影もなし。これで今年の芝はさぞや心地よく広がるだらう。北足立の初夏、真っ盛りである。

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検証 公団居住60年 №112 [雑木林の四季]

XⅥ 規制改革路線をひきつぐ民主党政権、迷走の3年余

   国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治 

6.国土交通省「都市機構改革の工程表」

 2010年4月の行政刷新会議による都市機構の事業仕分け評決、それをうけての国交省の機構あり方検討会の10月4日の報告書、この報告書内容を事業仕分け評決の線に巻きかえしをはかる12月7日の閣議決定「独立行政法人の事務・事業の見直しの基本方針」をならべてみると、方針の実施にむけての進捗、具体化というより、行きつ戻りっの迷走ばかりが目立つ。迷走の背熟こは、消費税増税のまえに「身を切る改革」を演出してみせたい、とくに岡田克也行政刷新担当大臣のあせり、利権を手放したくない国交省官僚たちの思惑、その綱引きが見られる。しかし迷走のなによりの原因は、公団住宅廃止・民営化方針に大義はなく、方針そのものの矛盾、反国民的な本質にあり、くわえて閣僚の一角、与党議員をも巻き込んでの居住者自治会・自治協のねぼりづよい運動が立ちはだかっていたからといえる。
 検討会報告書についてコメントした際、馬渕国交大臣は「都市機構の事業・組織の見直しについては、年度内に工程表を策定し、より具体的な道筋を明らかにしたうえ、機構改革を不可逆的に進めていきたい」と語った。工程表策定は、年度末の3月11日に東日本大震災が起こって延びのびになったせいもあろう。11年7月1日に国交省は「独立行政法人都市再生機構の改革に係わる工程表」を発表した。
 迷走はとどまらない。工程表は、国交省の検討会報告書とその後の閣議決定にもとづくとしながらも、機構の改革は「検討会報告書で示された方向に沿って行うものとする」と言いきり、民主党政権の「政治主導」とは名ばかり、官僚丸投げの実体をうかがわせた。
 機構改革の工程表は、賃貸住宅部門「改革」の基本を「機構の役割はすでに終わった。賃貸住宅ストックは縮小していく。公的部門の役割は民間市場の補完である」におき、既存ストックの活用に民間資本、経営方式を導入し、市場家賃化をすすめるとして、つぎの事項をあげる。

①「UR賃貸住宅ストック再生・再編方針」は着実に実施していく。
 あわせてPPP(公共・民間共同)手法を活用して団地の収益力の維持・向上につとめる。
②都心部の高額家賃物件は、機構財務の改善につながる価格で売却する。
③4大都市圏の地方公共団体について、順次、買い取りや借り上げ等の意向を確認し協議をおこなう。
④家賃は近傍同種の住宅の家賃の額と均衡を失しないよう定め、家賃減額措置については国 費投入の理由と投入対象を明確化する。
⑤定期借家契約は、建て替え予定の団地以外においても新規入居に導入する。

 この工程表は、居住者を住みなれたコミュニティから追いだす「団地再生・再編」、収入実態を無視した「収益本位の市場家賃化」、居住の権利をうばう「定期借家契約の導入」をならべる。公共住宅としての公団住宅解消の工程表にはかならない。しかし、そう列記したあとでも、具体的な方策は示さないまま、「居住者の居住の安定を害することがないよう配慮するものとする」と書く。団地居住者自身の主張と運動は政府も認めざるをえない存在であることの証しである。

『検証 公団居住60年』 東信堂



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日本の原風景を読む №49 [文化としての「環境日本学」]

蘇る宮沢賢治-花巻 1

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

「賢治の家」を訪れた人々

 東日本大震災の直後から、岩手県花巻市にある宮沢賢治記念館、県立花巻農業高校の「賢治の家」を訪ねる人がともに増えた。備え付けのノートに記された訪問者の所感から、賢治の詩「雨ニモマケズ」が人々の心を奮い立たせ、救援活動に向かわせた様子がうかがえる。賢治の遺志で仏教の経本が埋められた丘の頂にある記念館から、賢治の作品の舞台となった眼下の光景に見入る人々が絶えない。
 「賢治の家」の訪問帳に、京都府宇治市から岩手県大槌町に救援に向かった、男性とみられる六十五歳の人物の所感が記されている。

 5/22
 午後12時半、小学生の時より頭の中に練り込まれた詩、雨ニモマケズ、風ニモマケズ……
 三月の東北大地震、大津波、自分が初めて東北・岩手に来る機会がこんな大変な時になって、まず脳裡に映ったのが、
 雨ニモマケズ……丈夫ナカラダヲモチ、東ニ……
 岩手大槌の山の中にテントを張り、三〇日間働かせてもらいました。
 そして多くのものをいただきました。人生観そのものも大きく変り、結局は自分とは、他者とはなんだ!という事を深く考えさせられました。そして岩手を離れるに当たって宮沢賢治さんの仕事部屋、勉強部屋を見せていただき有難く思っています。
・…‥ケッパレ東北、ケッパレ岩手!   (京都・宇治 六十五歳 T・K)

「東に……」 の部分は次のように加筆できる。
 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ     のはらのまづのはやしのかげの
 小サナ菅ラキノ小屋ニヰテ  ちいせかやぶぎのこやさいで
 東二病気ノコドモアレバ   ひがしさぐえわりやろいだら
 行ッテ看病シテヤリ     えってめんどうみでやって
 西ニッカレク母アレバ    にしさこえぐなたかかがいだら
 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ   えってそのいねのたばしょって
               (宮沢賢治記念館・牛崎敏哉学芸員)

デクノボーへのあこがれ

 「雨ニモマケズ」の〝サウイフモノ(者)″(デクノボー)は、災厄の傍らに「行く」ことを切望する。
 東に病気の子どもあれば、南に死にそうな人あれば…:・と続く。
 東日本大震災と東京電力福島原発メルトダウン事故で壊滅した三陸の海岸域には、およそ一二〇万人がボランティア活動に赴いた。T・K生の原像である。デクノボーとは、多くの日本人が心底に養い伝承してきた生き方の美学ではないだろうか。
 宮沢賢治は農芸化学の専門科学者、技術者であった。同時に、父親譲りの信仰心の篤い法華教徒でもあった。科学と宗教が同一人に体現された人格をはぐくみ、「みんなのほんとうのさいわい」を求めてイーハトーブ(理想像としての岩手県)に到る。その願望を込めた詩「雨ニモマケズ」が、この緊急時に人々の心の拠り所となっている社会現象を、私たちはどのように理解したらよいだろうか。
 「雨ニモマケズ」にこめられた、賢治の思いを読み解く手がかりとなるのは、キーフレーズ「みんなにデクノボーとよばれる」存在である。
 童話「虔十公園林」の主人公、虔十にうかがえる「デクノボー」の原型、モデルを賢治は誰に見出していたのだろうか。重病の床で手帳に記された「雨ニモマケズ」の終句、すなわち「サウイフモノニ ワタシバナリタイ」 に続けて
  南無無辺行菩薩
  南無上行菩薩
  南無多宝如来
  南無妙法蓮華経
  南無釈迦牟尼仏
  南無浄行菩薩
  南無安立行菩薩
と記されている。それは「法華経」の文言で、原文の文字の配列どおりに図示すれば、中央に一段高く置かれた法華の本尊の右傍を固める上行、無辺行、左側に侍る浄行、安立行の四菩薩に他ならない。四菩薩は大地から湧き出した無数の菩薩たちのリーダーとして法華経の流布教化を司る菩薩である。
 法華経に釈迦の高弟常不軽菩薩が登場する。すべての人々に仏性が宿ると、ことごとく他人に向かい合掌礼拝し、世間の攣塵をかう。お人よしのいささかノロマな人物とみられたのであろう。しかし釈迦はその資質を見抜き、高弟に招いた。
 デクノボーとは常不軽菩薩に他ならない。

『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店


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線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №198 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

富山地方鉄道  

       岩本啓介   
                             

せっかく富山に来たので 雪の立山 できれば剱岳を狙ってみました                  

①お昼の青い剱岳     

198剱岳・地鉄オリジナル色.jpg

                                 
前日は剱岳の頂上付近は雲がかかり 今一つの状態                                  
今日の剱は雲も無く クッキリ スッキリ 威風堂々の姿                            
越中美郷~越中荏原 常願寺川橋梁                                 
2022年3月9日12時22分                                    

②夕方の赤い剱岳         

198剱岳夕景★越中三郷~越中荏原・常願寺橋梁.jpg
                              
お昼から日没近くまで居座続けました。赤みを帯びた剱岳もゲット                   
越中美郷~越中荏原 常願寺川橋梁                                        
2022年3月9日16時47分            


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押し花絵の世界 №158 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「Bouquet of roses 」                 

     押し花作家  山﨑房枝

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54cm×45cm
友人の結婚式の薔薇のブーケです。
いつまでも幸せでいてほしいと願いを込めて、花弁を1枚ずつ丁寧に乾燥させて、お花の型に組み立てました。
思い出づくりのお手伝いができて幸せです。



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ミツバチからのメッセージ №66 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

ブータンー12
 
    造園家・ミツバチ保護活動家  御園 孝

 パロの田んぼで代掻きと田植えを終え、首都ティンプーへ移動して、町を街を見物してからホテルに泊まりました。翌朝早く散歩をすると、巨大なテントの中で多くの人たちがお経を唱えていて、私たちも参加させていただきました。
 首都ティンプーでは王宮殿裏の実験圃場で、代搔きと田植えをしました。前回作ったため池にはたっぷりと水がたまり、今後の水不足を少しは解消できそうに思いました。
 王宮殿を眺めながらの田植えは、なかなかけいけんできるものではありません。

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首都ティンプーの街
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街中にもダル審がたなびいている
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王宮殿裏の実験圃場に集合したメンバー
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田植えをするメンバー
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代搔きするメンバー
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王宮殿裏で記念撮影 


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赤川ボンズと愉快な仲間たちⅡ №10 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

セロ弾きのゴーシュ

    銅板造形作家  赤川政由

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ボンズが最初につくった作品、セロ弾きのゴーシュです。このあと、47体制作しました。
幸学習館にある「カワセミとセロ弾き」の原型になった小さな作品です。
この作品から全てが始まりました。


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論語 №141 [心の小径]

四四七 子のたまわく、古者(いにしえ)民に三疾あり。今や或いはこれこれなし。古(いにしえ))の狂や肆(し)、今の狂や蕩(とう)、古の矜(きょう)や簾(れん)、今の矜や忿戻(ふんれい)、古の愚や直(ちょく)、今の愚や詐(さ)のみ。

        法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「昔の人に狂・矜・愚の三癖があったが、その癖さえも今では堕落してしまった。狂は気位が高過ぎることで、昔の狂は小節に拘泥せぬ程度だったが、今の狂はでたらめである。矜はおのれを持することが厳に過ぎることで、昔の矜は物事に角が立つのだったが、今の矜は強情我慢である。愚はすなわちばかだが、昔の愚はばか正直であり、今の愚はばかずるいのじゃ。」

四四八 子のたまわく、巧言令色鮮(すく)なし仁。

 これは全然重出(三)なので、すべてを略して、思い出した江戸笑話を一つ書いておこう。儒者の塾に忍び込みし盗人を内弟子たちが捕えて突き出そうとするを、師匠が止めて懇々説諭(せつゆ)し、過(あやま)って改むるに憚(はばか)るなかれと、銭そくぱくを握らせて放してやる。盗人手をあけて見て「鮮し仁」と言った。

四四九 子のたまわく、紫の朱を奪うを悪(にく)む。鄭声(ていせい)の雅楽を乱すを悪む。利口の邦家を覆すを悪む。

 孔子様がおっしゃるよう、「間色たる紫がそのなまめかしさの故に正色の赤を圧倒することがにくむべきと同様、鄭国の俗楽が耳に入りやすきが故に先王の正楽を混乱し、多弁の偉人が君にへつらい、善人を陥れて国家を危くするは、にくむべき極みである。」(参照~三八六)

四五〇 子のたまわく、われ言うことなからんと欲す。子頁いわく、子もし言わずんば、すなわち小子何をか述べん。子のたまわく、天何をか音うや、四時(しいじ)行われ、百物(ひゃくぶつ)生ず。天何をか言うや。

 孔子様が、「わしはもう何も言うまいと思う。」 と言われた。子貢が驚いて、「もし先生が何もおっしゃらなかったら、私ども門人は何を拠り所として先生の教えを宣伝致しましょうや。」と言った。そこで孔子様がおっしゃるよう、「天は何か言うかね。天は何も言わぬけれども、春夏秋冬の四季は時を違(たが)えず、百物は日に日に成育する。天は何か言うかね。」

 伊藤仁斎は本章を説明して、「これ学者の言語に求めずして深くその実を務めんことを欲するなり。それ実ありて言うことなきは以て患(かん)と為すに足らず、言うことなしと雖も必ず行わるるを以てなり。もし言うことあるも耐かもその実なければ、すなわち巧文麗辞天下の弁を極むと雖も益なし。」といっているが、少々見当違いではないだろうか。本章はむしろ「われなんじに隠すことなし」(一七〇)と対応する。すなわち口で言って聞かせずともわしの一挙一動をそばで見ているのだから、わしの趣旨はわかるはずじゃ、と言われたのだと思う。自らを天に比したところに孔子様の抱負の大なるを見る。

『新訳論語』 講談社学術文庫


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