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『知の木々舎』第363号・目次(2024年6月下期編成分) [もくじ]

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文芸美術の森】

石井鶴三の世界 №258                画家・彫刻家  石井鶴三
  手向神社・面/手向神社・二舞面 1957年
西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」№130 美術史研究家 斎藤陽一
 明治開花の浮世絵師 小林清親 13 
   「東京名所図」シリーズから:一日の中の光の変化
浅草風土記 №28                作家・俳人  久保田万太郎
 浅草田原町 2
武蔵野 №8                         作家  国木田独歩
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2024-06-14-12

【ことだま五七五】

こふみ句会へGO七GO №131                  俳句 こふみ会     
 「日傘」「燕の子」「夏めく」「新馬鈴薯」
郷愁の詩人与謝蕪村 №31              詩人  萩原朔太郎
 冬の部 3
読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №185              川柳家  水野タケシ
 5月22日、29日放送分
【雑木林の四季】

BS-TBS番組情報 №307                          BS-TBSマーケテイングPR部
 2024年6月のおすすめ番組(下)
海の見る夢 №80                                    渋澤京子
  オルゴールと小津安二郎
住宅団地 記憶と再生 №37   国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治
 公団住宅の「建てかえ」事業とは難だったのか 
地球千鳥足Ⅱ №48            小川地球村塾塾長  小川彩子
 おもてなし、ワイン、温泉、えにしだ並木~ジョージア
山猫軒ものがたり №41                    南 千代
 大黒柱
台湾・高尾の緑陰で №39       在台湾・コラムニスト  何 聡明
 新総統頼清徳を迎えた台湾
【ふるさと立川・多摩・武蔵】                                                   

線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №226      岩本啓介
 敗戦・廃液巡り~石北本線及白滝駅
夕焼け小焼け №38                      鈴木茂夫
 早稲田入学式・早稲田文庫     
押し花絵の世界 №203                                       押し花作家  山﨑房枝
 「紫陽花のスマホケース」
赤川ボンズと愉快な仲間たちⅡ №60      銅板僧形作家  赤川政由
 行田の童 原画 4
多摩のむかし道と伝説の旅 №127               原田環爾
 西多摩の多摩川河畔の桜道を行く 7
国営昭和記念公園の四季 №153
 アナベル 花木園
【代表・玲子の雑記帳】                  『知の木々舎 』代表  横幕玲子

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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №130 [文芸美術の森]

          明治開化の浮世絵師 小林清親
            美術ジャーナリスト 斎藤陽一   
                第13回 
       ≪「東京名所図」シリーズから:雪の情景≫

 小林清親は、「東京名所図」シリーズの中で、雨の日の風景とともに、「雪の日の光景」を好んで描いています。

 今回は、そのような「雪の情景」を描いた作品を紹介します。

≪降る雪や≫

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 これは小林清親が明治12年(32歳)に制作した「駿河町雪」

 駿河町は、現在の中央区、室町1丁目、2丁目にあたるところ。道の両側にある黒っぽい壁の堂々たる商家は、豪商「三井越後屋」
 その奥にそびえる擬洋風建築は、明治7年に建てられた「三井組為替バンク」、すなわち「三井銀行」です。

 駿河町の三井越後屋のあるこの場所は、富士山と江戸城とを同時に見渡せる場所として、江戸時代の浮世絵にはたびたび描かれてきました。
 例をあげれば:

 下図右は、葛飾北斎が描いた連作「富嶽三十六景」中の「駿河町」
 駿河町の通りの賑わいを切り落とし、三井越後屋の屋根を下から見上げるような大胆な視角とデフォルメにより、堂々たる大屋根を強調、そこに、江戸城越しの富士山を配している。これに、大屋根の上で生き生きと働く瓦職人たちの動きと大空に舞う凧の動きを加えて、江戸の繁栄を晴れやかに表現しています。

 下図左は、歌川広重の連作「名所江戸百景」中の「駿河町」
 通りの両側に屋根を連ねる豪商・三井越後屋の建物を鳥の目視点と遠近法で構成し、奥へと視線が導かれる先に雪をいただいて屹立する霊峰富士を描いて、こちらも、町の賑わいを活写しています。

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131-3.jpg これに対して小林清親は、江戸の浮世絵師がこの場所を描くときの定番だった「富士山」は描かず、地に足のついた散策者が駿河町の街角をながめるという「生活者の眼差し」でとらえています。
 雪道を歩く人影も描かれますが、何よりもこの絵から感じられるのは、冷たい寒気と静けさともいうべき情感です。
 清親が、定番を打ち破り、駿河町を「雪の情景」として描いたことが、このような味わいをもたらしています。
 清親はまた、越後屋の豪壮な商家の建物と、三井銀行のモダンな洋風建築という「和」と「洋」を対比させることによって、いかにも明治らしい雰囲気を生み出している。さりげなく配された「ガス燈」や「人力車」も、明治開化期を象徴するものです。

 これらのものが、雪の「白」を基調とした落ち着いた色調の中で、どれも違和感なく、絵の中で調和し合っている。

 明治18年生れの詩人・劇作家 木下杢太郎も、永井荷風と同様、小林清親の風景版画の愛好者でした。

 木下杢太郎が、清親のこの「駿河町雪」について書いている1節を紹介します:

 「(東京名所図の中で)最も優れたものは『駿河町雪』といふ題のものである。これは『ゑちごや』の紺暖簾をかけた店から雪の小路を眺めたところで、おそらく、旧の東京下町の、殊に濃艶なる雪旦の光景が、これほど好く再現せられたるは他にあるまいと思ふ。・・・
 概して昔の東京の市街は、雪旦(雪の朝)、雪宵が最も美しく、清親の板画も雪の日を描くものが最も好い。」(木下杢太郎『小林清親の板画』大正14年)

 もうひとつ、小林清親描く「雪の情景」を紹介します。
 下図は、清親が明治10年(30歳)に制作した「両国雪中」

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 ここは両国橋西詰めの「両国広小路」
 明暦3年(1657年)、江戸の町を焼き尽くした「明暦の大火」をきっかけに、江戸市中には防火用の空き地である「火除け地」が設けられましたが、この「両国広小路」もそのひとつ。江戸時代、ここには、見世物小屋などが立ち並び、賑わいを見せていた。

 この絵の中にも、雪の中、たくさんの人々が往来している。しかし、その動きはスローモーションのような感じで、皆、押し黙って歩いている。音は、雪に吸い取られてしまったかのよう。
131-5.jpg 番傘に着物姿の人たちは、江戸の情緒を感じさせるが、人力車や電柱などは文明開化がもたらしたもの。しかしどれもが、雪景色の中にしっくりと溶け込んでいる。

 ちなみに、右手の商家が掲げた看板に「五臓園」という文字が見えますが、これは、この店が売り出した漢方滋養剤とのことで、現在も販売が続いているそうです。

 この絵もまた、「散策者の視点」で描かれています。
 漢方薬の店のあるあたりが「米沢町」、絵の左手は「吉川町」になりますが、実は、小林清親を起用して「光線画」シリーズを制作させた版元・松木平吉の店(絵草紙屋)は、左手の「吉川町」にありました。とすれば、この視点はまた「版元の店先」から見えた光景かもしれません。

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 次回はまた、小林清親が描いた連作「東京名所図」から、「雪の日の情景」を紹介します。
(次号に続く)


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石井鶴三の世界 №258 [文芸美術の森]

手向山神社・面/手向山神社・二舞面 1957年 

      画家・彫刻家  石井連三

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手向山神社・面 1957年 (175×126)
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手向山神社・二舞面 1957年 (175×126)

************  
【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】
明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。
『石井鶴三』形文社

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浅草風土記 №28(「27」差し替え) [文芸美術の森]

浅草田原町 2

         作家  久保田万太郎


 公園の浪花踊という見世もの、坂東なにがしという女役者の座頭のうちがありましたか、しき越して行ってしまいました。始終表の戸を閉めて簾をかけていました。あれでは随分暗いだろうという近所の評判でしたが、なかで、ときどき、立廻りの稽古なんかをしていたそうです。いまでは、そのあとに.女髪結が越して来ましたが、夏になると、二階に蚊帳を釣って、燈火をつけて、毎晩のように花を引いています.冬ばもやっているのかも知れませんか、戸を閉めてしまうから分かりません。一度手の入ったことかありましたか、相変らずやってるようです。――活動写真の弁士といったような男や、髪だけ芸者のように結った公園あたりの女か、始終出入をします。
 風の加減で、どうかすると、公園の楽隊の音がときどき、通りを一つ越して、その辺りで途切れ途切れに聞えて来ます。
 銀行もなければ、会社もなければ、役所もなければ、病院もありません。お寺もその居廻りにはありません。去年、市立の大きな学校が二丁目の中ほどに出来たので、建具屋と石屋の間に学按用品を売る見世が二三軒出来ました。学校の表の煉瓦塀と植込んだ桐の木が見えるようになっててから、横町の気合は幾分連違ってきましたか、でも、まだ、質屋の土蔵の壁がやっぱり占目につきます。
 前に書くのを忘 れましたか、三丁目の大通りの角につるやという大きな際物屋(きわものや)があります。春、凧と羽子板がすむと、すぐお雛さまにかかり、それかすむと五月人形にかかります。夏の盆提灯や廻り燈龍がすむと、すぐ御会式(おえしき)の造花にかかります。また、霜月になって、凧と羽子板の仕度にかかります。そつのない商売です。――こうしてみるち、一年という月日が目に見えて早く立ちます。
 わたしは、遡って、古い話をしようというつもりはありません。いまいった小川だの真間だのという代用学校、五六年まえまでは、かなりに繁昌していました。外にも、近所に青雲というのと、野間というのとがありましたが、やっぱりそれぞれに繫昌していました。――しかし小川し」いうと、なかでも一番古く、一番面倒かいいというので、どこよりも流行りました。
 とにかくその時分、公立の、正目(しょうめ)の正しい学匠といえば馬遠まで行かなければならなかったのです。――しかし馬遠というと、雷門のさきで、道程にしてざっと十丁ほどあります。そのあたりからでは一寸億劫です。――それに、その界隈の親たちにすると、両方のけじめか全く分らす、近所にあるものを、何も、遠くまで通わせるものはないという具合で、大抵どこのうちでも、子供をこの小川に通わせました。――だからその居廻りうちの、いまの若い主人は、そろって皆小川学校の出身です。なかには、途中でそこをよして、高等科くらいから馬道の学校に移るような向きも後になっては出来ましたか、しかしそうすると、下の級に入れられて、一年損をしなければなりませんでした。それに、代用の気の置けないところが、通う当人より親たちの気に入っていたもので、そのわりに転校は流行りませんでした.
 その間(かん)で、わたしは、はじめから小川の厄介にならず馬道の学校に入りましたか.何かあるたびにありようは、代用のみるから自由らしいところを羨ましいと思いました。そのくせ市立と私立と、国音相通ずるところが気に入らなかったのですが、うちへ帰ると、友だちは、みんな、小川へ行っているものばかりです。ときによると肩身のせまいことがありました。
 その小川学校、まえにもいったように、古着屋ばかり並んだ通りの真中にあって、筋向うには大きな魚屋かありました。半分立腐れになった二階家をそのまま学校にしたものです。通りに向って窓には目かくしがしてありました。二階が高等科で階下が尋常科になっているのだと聞いて、どんな具合になっているのかと思いましたが、あるとき、幻燈会のあると誘われて行ったとき、はじめて中に入ってみて驚きましたし 黒板が背中合せにかかっていて、一面に汚い机が並んでいるきりでした。二階にあがると、階下と同じ机が、ただ四側に並んでいるだけでした。――これが順に、一年、二年、三年、四年にっているのだと一しょにつれて行ってくれた友たちが教えてくれました。
 が、わたしには、どうしてこれで、それぞれの稽古か出来るだろうと、納得が出来ませんでした。

『浅草風土記』 中公文庫



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武蔵野 №8 [文芸美術の森]

武蔵野 8

        作家  国木田独歩

             八

 自分は以上の所説にすこしの異存もない。ことに東京市の町外(まちはず)れを題目とせよとの注意はすこぶる同意であって、自分もかねて思いついていたことである。町外(はず)れを「武蔵野」の一部に入いれるといえば、すこしおかしく聞こえるが、じつは不思議はないので、海を描くに波打ちぎわを描くも同じことである。しかし自分はこれを後廻わしにして、小金井堤上の散歩に引きつづき、まず今の武蔵野の水流を説くことにした。
 第一は多摩川、第二は隅田川、むろんこの二流のことは十分に書いてみたいが、さてこれも後廻わしにして、さらに武蔵野を流るる水流を求めてみたい。
 小金井の流れのごとき、その一である。この流れは東京近郊に及んでは千駄ヶ谷、代々木、角筈などの諸村の間を流れて新宿に入り四谷上水となる。また井頭池、善福池などより流れ出でて神田上水となるもの。目黒辺を流れて品海に入るもの。渋谷辺を流れて金杉に出ずるもの。その他名も知れぬ細流小溝に至るまで、もしこれをよそで見るならば格別の妙もなけれど、これが今の武蔵野の平地高台の嫌いなく、林をくぐり、野を横切り、隠くれつ現われつして、しかも曲まがりくねって(小金井は取除け)流るる趣おもむきは春夏秋冬に通じて吾らの心を惹くに足るものがある。自分はもと山多き地方に生長したので、河といえばずいぶん大きな河でもその水は透明であるのを見慣れたせいか、初めは武蔵野の流れ、多摩川を除(のぞ)いては、ことごとく濁っているのではなはだ不快な感を惹ひいたものであるが、だんだん慣れてみると、やはりこのすこし濁った流れが平原の景色に適かなってみえるように思われてきた。
 自分が一度、今より四五年前の夏の夜の事であった、かの友と相携たずさえて近郊を散歩したことを憶えている。神田上水の上流の橋の一つを、夜の八時ごろ通りかかった。この夜は月冴(さ)えて風清く、野も林も白紗につつまれしようにて、何ともいいがたき良夜であった。かの橋の上には村のもの四五人集まっていて、欄らんに倚よって何事をか語り何事をか笑い、何事をか歌っていた。その中に一人の老翁がまざっていて、しきりに若い者の話や歌をまぜッかえしていた。月はさやかに照り、これらの光景を朦朧たる楕円形のうちに描きだして、田園詩の一節のように浮かべている。自分たちもこの画中の人に加わって欄に倚って月を眺めていると、月は緩やかに流るる水面に澄んで映っている。羽虫が水を摶(「う)つごとに細紋起きてしばらく月の面に小皺がよるばかり。流れは林の間をくねって出てきたり、また林の間に半円を描いて隠れてしまう。林の梢に砕くだけた月の光が薄暗い水に落ちてきらめいて見える。水蒸気は流れの上、四五尺の処をかすめている。
 大根の時節に、近郊を散歩すると、これらの細流のほとり、いたるところで、農夫が大根の土を洗っているのを見る。

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郷愁の詩人与謝蕪村 №31 [ことだま五七五]

冬の部 3
       詩人  萩原朔太郎


葱(ねぎ)買(こ)うて枯木の中を帰りけり

 枯木の中を通りながら、郊外の家へ帰って行く人。そこには葱の煮える生活がある。貧苦、借金、女房、子供、小さな借家。冬空に凍(こご)える壁、洋燈、寂しい人生。しかしまた何という沁々とした人生だろう。古く、懐かしく、物の臭においの染しみこんだ家。赤い火の燃える炉辺(ろへん)。台所に働く妻。父の帰りを待つ子供。そして葱の煮える生活!
  この句の語る一つの詩情は、こうした人間生活の「侘び」を高調している。それは人生を悲しく寂しみながら、同時にまた懐かしく愛しているのである。芭蕉の俳句にも「侘び」がある。だが蕪村のポエジイするものは、一層人間生活の中に直接実感した侘びであり、特にこの句の如きはその代表的な名句である。

易水(えきすい)に根深(ねぶか)流るる寒さ哉(かな)

 「根深」は葱の異名。「易水」は支那の河の名前で、例の「風蕭々(しょうしょう)として易水寒し。壮士一度去ってまた帰らず。」の易水である。しかし作者の意味では、そうした故事や固有名詞と関係なく、単にこの易水という文字の白く寒々とした感じを取って、冬の川の表象に利用したまでであろう。後にも例解する如く、蕪村は支那の故事や漢語を取って、原意と全く無関係に、自己流の詩的技巧で駆使している。
 この句の詩情しているものは、やはり前の「葱(ねぎ)買(こ)うて」と同じである。即ち冬の寒い日に、葱などの流れている裏町の小川を表象して、そこに人生の沁々(しみじみ)とした侘びを感じているのである。一般に詩や俳句の目的は、或る自然の風物情景(対象)を叙することによって、作者の主観する人生観(侘び、詩情)を咏嘆(えいたん)することにある。単に対象を観照して、客観的に描写するというだけでは詩にならない。つまり言えば、その心に「詩」を所有している真の詩人が、対象を客観的に叙景する時にのみ、初めて俳句や歌が出来るのである。それ故にまた、すべての純粋の詩は、本質的に皆「抒情詩」に属するのである。

蕭条(しょうじょう)として石に日の入る枯野(かれの)哉(かな)

 句の景象しているものは明白である。正岡子規(まさおかしき)らのいわゆる根岸派(ねぎしは)の俳人らは、蕪村のこうした句を「印象明白」と呼んで喝采(かっさい)したが、蕪村の句には、実際景象の実相を巧みに捉とらえて、絵画的直接法で書いたものが多い。例えば同じ冬の句で

 寒月かんげつや鋸岩(のこぎりいわ)のあからさま
 木枯しや鐘に小石を吹きあてる

 など、すべていわゆる「印象明白」の句の代表である。そのため非難するものは、蕪村の句が絵画的描写に走って、芭蕉のような渋い心境の幽玄さがなく、味が薄く食い足りないと言うのである。しかし「印象明白」ばかりが、必ずしも蕪村の全般的特色ではなく、他にもっと深奥(しんおう)な詩情の本質していることを、根岸派俳人の定評以来、人々が忘れていることを責めねばならない。

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読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №185 [ことだま五七五]

    読む「ラジオ万能川柳」プレミアム☆5月22日、29日放送分

          川柳家・コピーライター  水野タケシ

川柳家・水野タケシがパーソナリティーをつとめる、
読んで楽しむ・聴いて楽しむ・創って楽しむ。エフエムさがみの「ラジオ万能川柳」
5月22日の放送です。

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今週末には5年ぶりの強運会!!

「ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)が
キャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、
毎週水曜日9時5分から放送しています。
エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらから!
https://fm839.com/program/p00000281
放送の音源・・・https://youtu.be/zPfUmZARQRA

先週のボツの中からあさひろさんイチオシの句をご紹介!!
 あさひろさんのボツのツボ
「『ついて来い』言ってたオレがついて行く」(里山わらび大柳王作)

(皆さんの川柳)※敬称略
※今週は168の投句がありました。ありがとうございます!
・貯まらない貯金通帳桁増えず(相模のトムクルーズ)
・頻尿で参加できないバス旅行(柳王・春爺)
・青過ぎる空に焦りを感じた日(矢部暁美)
・拉致被害放ったらかしにしていたの (大柳王・平谷五七五)
・パパの酒薄めクラウドファンディング(大名人・美ら小雪)
(クイズ)美ら小雪さんの妹はどこにいるでしょう?(答えは「編集後記」の後)

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美ら小雪さんの妹さんが勤めている、豊見城市の救急病院が医療型のドクターカー購入のため、クラウドファンディングを立ち上げました。よろしかったらご覧ください。
https://readyfor.jp/projects/YMC_ER_okinawa?sns_share_token=

・番付けにひるまず挑む若力士(ココナッツ)
・初夏夜中眠り妨ぐまさかの蚊(初投稿・甘利麻紀子)
・会いたいと思う人いる幸せね(大名人・やんちゃん)
・仕事中ひょっとこ顔になる夏日(柳王・せきぼー)
・妨害を自由と主張する輩(名人・大和三山)
・彼女からパックの仕方教わった(恋愛名人見習い・名もなき天使)
・台湾の工場できて村にカフェ(柳王・はる)
・カンニングしなけれりゃ受かってたかもね(柳王・ぼうちゃん)
・大盛況参加者笑顔でお教室(名人・キジバト交通)
・感謝ですあれでたったのワンコイン(シゲサトシ)
・あの世にはお金が無けりゃ良いけどな(大名人・高橋永喜)
・お祭りと相撲はおしり許される(名人・おむすび)
・じゅんじゅんにナンパされてる気分です(ナンパも大名人・soji)
・図書館へ新聞の読みに今朝も行く(とんからりん)
・転んでも軍配挙げる命懸け(大柳王・かたつむり)
・お隣りとベランダ越しにお裾分け(じゅんちゃん)
・新幹線降りてから先長い故郷(大名人・ワイン鍋)
・いとおしさおさんぽ園児撒いていく(大柳王・里山わらび)
・じゅんじゅんさん次はいつですリサイタル(大名人・くろぽん)
・ビル高く地下深い東京へ行く(柳王・荻笑)
・アン子さん八千草薫似ねと母(しゃま)
・尿漏れも入れて俺なら三刀流(全裸川柳家・そうそう)
・行けないが私もワクワク強運会(名人・のりりん)
・初句会知らぬ世界が今ここに(楠亀えり香)
・一平役誰がいいかで夫婦揉め(大柳王・ユリコ)
・新しい世界を知ったお嫁さん(柳王・咲弥アン子)
・ハグしたらやっぱり涙ありがとう(大柳王・けんけん)
・打ち上げのワンオペ店で運び屋に(柳王・ポテコ)
・すれ違う傘に意固地が見え隠れ(大名人・マルコ)

☆タケシのヒント!
「マルコさん、7回目の秀逸で柳王昇進です。おめでとうございます。日常の見逃してしまいがちな、ちょっとした出来事、そして思いをうまくキャッチしました。共感する人も多いのではないでしょうか。」

・報道が「うむ」を漢字にせぬ不思議(大柳王・入り江わに)
・良句出来今日の煮物の味もよし(大柳王・すみれ)

◎今週の一句・すれ違う傘に意固地が見え隠れ(大名人・マルコ)
◯二席・カンニングしなけりゃ受かってたかもね(柳王・ぼうちゃん)
◯三席・会いたいと思う人いる幸せね(大名人・やんちゃん)

【お悔み】
毎日新聞の名物者だった近藤勝重さんが5月10日にお亡くなりになりました。79歳でした。
このラジオ万能川柳には、関西から投句してくださる方も多いのですが、
関西では毎日新聞大阪版の「近藤流健康川柳」やMBSラジオの「しあわせの五七五」でお馴染みでした。
「なんとなく一つの時代終わった気」。
これは、18日の「しあわせの575」で紹介された近藤さんへの追悼句です。

185-3.jpg

【編集後記】
土曜日はZoom句会、日曜は相模原で講座、
月曜日は横須賀で講座と忙しく過ごしています。
週末は5年ぶりの強運会。駆け抜けます!!(水野タケシ拝)
(クイズの答え・写真上から2段目左から2番目の美人)

○5月29日の放送

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怒涛の10日間が終わりました!!

放送の音源・・・https://youtu.be/gia0YgtIRQk

先週のボツの中からあさひろさんイチオシの句をご紹介!!
 あさひろさんのボツのツボ
「生放送オンエア待つが又没に」(まご命名人作)

(皆さんの川柳)※敬称略
※今週は171の投句がありました。ありがとうございます!
・痛い目にあって初めて知る痛み(矢部暁美)
・川柳はうがちひねりと近藤流(柳王・フーマー)
・補助輪を外して我が子空へ飛ぶ(初投稿・ヴィノクロ)
・頻尿は閉尿よりも余程良い(遊子)
・洗車して安全運転気持ち込め(名人・キジバト交通)
・嫁姑八千草薫と広瀬すず(大柳王・平谷五七五)
・ジェスチャーで痛みを外科に突きつける(柳王・せきぼー)
・人生の転機はいつもひょんなこと(シゲサトシ)
・感動と出会いをくれた強運会(名人・大和三山)
・ウソつきじゃないと出来ない仲人さん(名人・グランパ)
・ファンブック次号は一句だけですね(大名人・高橋永喜)
・ドキドキのスピーチ終わり少し痩せ(柳王・アンリ)
・おままごと夫婦喧嘩を見せられる(大名人・美ら小雪)
・透き通る心色とりどりになり(名人・わこりん)
・選者キター夫婦サンドで長話し(柳王・ポテコ)
・泣いたあとなみだで咲くのは笑う顔(初投稿・小野拓海)
・元気湧くなぜか嬉しいボツのツボ(大柳王・里山わらび)
・遊戯機のぬくもり求めまたこもる(初投稿・くり)
・歯磨いて朝食食べて支度して(初投稿・小坂舞冴斗)
  (添削例)歯磨きは朝食の前?朝食後?
・竹橋が最高気温だった土曜(大名人・ワイン鍋)
・リニアより難しそうな地下トンネル(柳王・ぼうちゃん)
・握手して自然とハグへ強運会(柳王・東海島田宿)
・妻誘い久々デート墓地探し(名人・まご命)
・初なりのキュウリ一本丸かじり(大名人・くろぽん)
・ナンパされ気づけば子分sojiさん(しゃま)
・キャラメルで差し歯とれたよやっぱりな(初投稿・中田勝之)
・平等に歳は取らんと知った会(大名人・不美子)
・強運会ナンパはダメと言われちゃい(ナンパも大名人・soji)
・強運会未だ熱気と酒抜けぬ(名人・のりりん)
・懸命に生きた褒美がこの余生(大名人・じゅんじゅん)
・じゅんじゅんさんもうお友達ですねですね(大柳王・けんけん)
・ぼうっとする本当のボケか時差ぼけか(名人・パリっ子)
・東京のエスカレーター速かった(柳王・荻笑)

☆タケシのヒント!
「作者ならではの『発見』が光ります。また句の余白をうまく生かしています。きっと東京での楽しい時間も、あっという間に過ぎ去ったのでしょう。」

・渋い名の三山さんは若かった(柳王・咲弥アン子)
・通学路傘の花咲く笑みが咲く(大柳王・入り江わに)
・声かけて声かけられて若葉道(大柳王・すみれ)

◎今週の一句・東京のエスカレーター速かった(柳王・荻笑)
◯二席・透き通る心色とりどりになり(名人・わこりん)
◯三席・竹橋が最高気温だった土曜(大名人・ワイン鍋)

【ご報告】
5月26日(土)、15時から、毎日新聞の朝の顔「仲畑流万能川柳」の年に一度の全国大会、
「強運者の集い」、通称、強運会、5年ぶりに開催してまいりました!!
今回はまだコロナの影響があって、100人程度に限定しての開催だったのですが、
5年ぶりの熱気がすごくて、毎日新聞の偉い方がびっくりされていましたね。

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【編集後記】
強運会を含む怒涛の10日間が終わりました。
少しのんびりしようかなと思ったら、
インターネットテレビ出演の依頼が。しかも「なんじゃ、コレは!?」の企画!!
とにかく、がんばります、俺!!(水野タケシ拝)

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水野タケシ(みずの・たけし)

1965年生まれ。コピーライター、川柳家。東京都出身。

ブログ「水野タケシの超万能川柳!!」  http://ameblo.jp/takeshi-0719/ 




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雑記帳2024-6-15 [代表・玲子の雑記帳]

2024-6-15
◆5月に武蔵御岳神社をたずねたのが発端で、6月は東国三社巡りをすることに。

神社信仰があるわけではなく、御朱印を集める趣味などさらさらなくても、歴史や人々の向き合い方を知るのは面白いものです。。

東国三社とは、下総国(現在の千葉県北部から茨城県の一部)の香取神社、鹿島神宮、息栖(いきす)神社をいいます。江戸時代には、お伊勢参りをした関東以北の人々がその帰りに立ち寄った事で知られています。じつは、伊勢までは行かなくてもこの三社を巡る旅が江戸の庶民の大きな娯楽だったのです。

江戸の庶民が三社巡りを楽しんだのは利根川の改修のおかげでした。
東京湾に注ぐ利根川の改修を命じたのは徳川家康です。天正18年(1590)家康の江戸移封ののち利根川と渡良瀬川をつなぐ大工事はげ元和7年(1621)までつづき、銚子河口から太平洋につながる、現在の利根川になりました。

遥か縄文の昔からこの一帯には香取海(かとりのうみ)と呼ばれる大きな内海がひろがっていました。家康は利根川の改修と同時に、香取海の干拓も進めました。浅間山の噴火や利根川の改修による土砂の堆積もともなって香取海は姿を変えていきます。今ではわずかに印旛沼や手賀沼、水郷地帯に名残をとどめる一帯が昔は海だったとは驚きでした。
三社はいずれも香取海の入口に鎮座したとおり、三社の一の鳥居は社殿に続く二の鳥居から離れて、利根川に面して建てられています。

江戸中期からは、治水、整備が完成した利根川の水運を利用して物資の輸送がさかんになります。運ばれる年貢米の中にはもちろん香取海の干拓でうまれた田圃の米もはいっています。利根川河口の町、銚子は、関東第一の港になり、銚子で造られた醤油は江戸に運ばれて江戸の人々の食生活を支えました。当時から醤油屋といえば大店で、中でもヤマサ醤油が有名でした。町に醤油屋が何軒もあるということは豊かさの象徴でした。

水運が活発になると、往来する人も増え、利根川は次第に庶民の観光にも利用されるようになり、舟を使って三社をめぐる旅が流行しました。旅の様子は松尾芭蕉や十返舎一九も紹介、更には浮世絵にも描かれて、人気は明治以降までつづいたということです。

なぜ鹿島神宮、香取神宮、息栖神社の三社が東国三社なのか。その理由は、大国主命(おおくにぬしのみこと)の国譲りの神話に遡ります。

鹿島神宮の主祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)、香取神宮の主祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)だといわれています。この二神は天照大神(あまてらすおおみかみ)に遣われて大国主命に国を譲ってもらえるよう交渉をしました。これが「国譲り」の伝説です。
そして、その交渉を平定に導くために二神を先導し全国を案内したのが、息栖神社のご神祭である久那戸神 (くなどのかみ)と天鳥船命 (あめのとりふねのみこと) だったのです。

茨城県にある息栖神社は、香取・鹿島が神社の中でも別格の神宮であるので、比べれば格下にみえるかもしれませんが、境内もひろく、決して小さな神社ではありません。(ちなみに神宮と名のつくのは伊勢を含めて三宮だけです。)
楼門、拝殿は修理中で写真はとれず。時節柄大祓いの茅の輪がたてられています。

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息栖神社二の鳥居
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本殿前の夏越の大祓いの輪

鹿島神宮は。2600年以上前に創建された関東最古の神社であり、全国に約600社ある鹿島神社の総本社です。茨城県鹿嶋市に位置し、かつての常陸国(ひたちのくに)で最も格式が高いとされた一宮(いちのみや)にあたります。

戦や旅に出る人が出発前に安全や武運を祈って鹿島神宮に参拝していたことから、旅の安全を祈り、願いをこめて旅に出発することを「鹿島立ち」と言います。「勝運」がつくということで、スポーツ選手のお参りも多いそうです。

江戸時代、徳川家との縁は深く、徳川頼房が奉納した楼門は日本三大楼門のひとつだと「いことですが、kちらも修復中でみられませんでした。200万坪に及ぶ神宮の森は、800種を超える草木が繁茂、森そのものが天然記念物です。前日の雨も上がって静謐さはよりましているようでした。

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意外に質素な茅の輪
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静謐な鹿島神宮の森
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奥宮
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御手洗の池

千葉県香取市にある香鳥神宮は、鹿島神宮と同様に2,600年以上の歴史を誇り、全国に約400社ある香取神社の総本社です。、
武術の神様「経津主大神(ふつぬしのみこと)」を祀り、勝運・交通・災難除けなどにご利益があるとされて、人気は高い。鹿島神宮とともに関東の東を護る地域全体の守護神として、千葉県最強の霊力を持っているパワースポットです
国の重要文化財として指定されている本殿や楼門は、1700年に徳川幕府の手によって造営されました。香取神宮のシンボルともいえる美しい建築物は、見どころの一つです。

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車祓い
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総門
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拝殿
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要石

三社を巡れば近隣の名所旧跡もたどりたくなるもの。
中でも、歌舞伎役者市川団十郎が帰依した成田山新勝寺は庶民の絶大な信仰を集めました。
成田山の本尊である不動明王は、真言宗の祖である弘法大師空海が自ら祈りをこめて敬刻開眼したとあります。弘法大師が中国より伝来した真言密教の教えをつないで、千年以上つづく御護摩祈祷が有名です。

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総門
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重文の三重の塔
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経堂 経典を納めた輪蔵も輪蔵を回す猿も極彩色
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大本堂

三社をめぐったあとの最後の打ち上げは、奇岩やダイナミックな景観の連なる銚子の磯巡りでした。その果てには3億年前から20万年前の地層をみることが出来る屏風ケ浦がひろがっています。
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屏風が浦の地層

利根川観光にくりだした江戸の人々は風景だけでなく、食も楽しみの一つでした。。成田の雑魚、銚子はカツオ・・・。令和の私たちも江戸に習って、成田山参拝の後は名物の鰻をたのしみました。

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鰻は静岡産
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江戸時代から続く老舗の女将さんは12代目。



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BS-TBS番組情報 №306 [雑木林の四季]

BS-TBS 2024年6月後半のおすすめ番組

                   BS-TBSマーケティングPT部

元就。

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6月16日(日)よる11:00~深夜0:00 
☆広島県に暮らす「ひと」、「まち」との出会いから地元の隠れた魅力を再発見!

「元就流和え気道!尾道でおっ酢!かつて日本一だったお酢の産地で気合いじゃ~」
【出演】アンガールズ(田中卓志、山根良顕)

かつてのお酢づくり日本一の町、尾道ならではのお酢に和えると抜群の食材を探します。家臣山根は、明治創業の醸造酢蔵を訪ね、御酢の作り方を学びます。家臣田中は、定年後念願の農業をはじめ、人気の野菜で話題の御仁を訪ねます。

プロミス・シンデレラ

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620(木)スタート 月曜~金曜 午前9:59~10:55 
☆崖っぷちのバツイチ・アラサー女が性悪金持ち男子高校生に目をつけられ、金と人生を賭けた“リアル人生ゲーム”を繰り広げていく歳の差ラブコメディ!

【出演】二階堂ふみ、眞栄田郷敦、松井玲奈、井之脇海、松村沙友理、岩田剛典 ほか
原作:橘オレコ「プロミス・シンデレラ」(小学館) 
脚本:古家和尚 音楽:やまだ豊 主題歌:LiSA 「HADASHi NO STEP」
制作:共同テレビジョン/TBS(2021年)

第1話 「リアル人生ゲーム、スタート!」
桂木早梅(二階堂ふみ)は夫から離婚を切り出され家を飛び出すが、スリに遭い、無一文、無職、宿無し野宿生活に。そこへ金持ちの高校生・片岡壱成(眞栄田郷敦)が現れ…。

名曲をあなたに うた恋!音楽会

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6月30日(日)よる9:00~10:54
☆歌姫、由紀さおりとビタミンボイス、三山ひろしが司会の音楽番組。
華やかな歌い手達による心を奪われる、歌に恋する2時間!

#15
今回はゲストに岩崎宏美、川中美幸、市川由紀乃、藤井香愛、新浜レオン、青山新、田中あいみが登場!


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海の見る夢 №80 [雑木林の四季]

        海の見る夢
       -オルゴールと小津安二郎―
                    澁澤京子

・・すべて優れたものは稀であると同時に困難である。『エチカ』スピノザ

優れた映画というのは優れた小説と同じで、年齢を重ねてから見直してみるとその都度新しい発見がある。優れた映画も小説も人の人生経験の深さによって読解するものなのだと思う。私にとって小津安二郎の映画は、漱石やチェーホフと同じように何度も鑑賞したい映画監督の一人。

小津安二郎『麦秋』(1951)の冒頭には、陽当たりのいい縁側といくつかの鳥かご(老植物学者が小鳥を何羽か世話している)のある家の中の風景とともにオルゴールの埴生の宿が流れる。小津映画にはオルゴール音楽がよく使われているが、とてもよく似合う。

「お早うございます」「お早うございます」「いいお天気ですね」「ええ、いいお天気ですわ」こうした形式的な会話が延々と反復されるのも小津映画の特徴で、『お早う』(1959)ではそうした大人の無意味な会話の反復を揶揄して、子供たちの間ではおでこをつつくとおならで返事をするというゲームが流行る。『お早う』の舞台は、まったく同じサイズの平屋建ての家が立ち並ぶ東京郊外の小さな住宅街。ちょうどテレビや電気洗濯機などの電気製品が普及し始めた時期で、その住宅地でテレビを持っているのは子供のない夫婦(大泉晃・泉京子)だけ。オープンなその家はテレビを見たい子供たちのたまり場になっているが、近所の主婦たちにはその派手な夫婦は不良っぽく見え、なんとなく疎ましく思われている。すべてが均質のその小さな住宅地では、少しでも目立てばいろいろと噂の種にされる。きく江(杉村春子)の家では最近電気洗濯機を購入したが、近所のしげ(高橋とよ)ととよ子(長岡輝子)は、婦人会費を集金するきく江が会費を使って洗濯機を買ったんじゃないかと、ひそひそと邪推して陰口を言いあう。

一方、民子(三宅邦子)の長男・実と次男・勇はテレビを買ってほしいとせがむが、父親(笠智衆)に「お前は口数が多い」と叱られ、子供たちは無言のストライキを始める。「大人は無意味な挨拶とか会話ばかりしているじゃないか」という文句を言う中学生の実に対し、近所で英語を教えている平一郎(佐田啓二)は「大人の無意味な会話が、人間関係の潤滑油にもなるんだ。」と諭す。ついに、親に反抗して家出した実と勇を探しに行くのは、平一郎と、叔母の節子(香川京子)で、以前から二人は何となく惹かれあっている。暗くなってから、駅前の電気屋のテレビで相撲を見ていた二人の子供は発見され、二人が戻ってきた家の廊下の灯りの下には届いたばかりのテレビが箱に入ったまま置いてある。翌朝、駅のプラットフォームで会った平一郎と節子は恥ずかしそうに「いいお天気ですね」「ええ。いいお天気ですわ」という会話を繰り返して映画は終わる。噂話や陰口の好きな長屋のおかみさん役を杉村春子、長岡輝子、高橋とよが好演。小さなコミュニティの出来事をユーモラスに描いた小品。なんという事のない話だけど、戦後の日本社会に対する批判もさりげなく入っている。(均質な社会では、目立つと足を引っ張られ疎ましく思われる)大人の挨拶や会話は、ほとんどが(何も考えない)反復によって成立するものであって、子供の(おならゲーム)とたいして変わらないのかもしれない。

小津安二郎の映画で、時間に逆らうのは『晩春』の原節子で、彼女はいつまでも「父と娘」の娘でありたいために結婚を拒絶する。『麦秋』では家族に逆らってお見合い相手とは違う結婚相手を選ぶ。黒澤明監督『わが青春に悔いなし』でもそうだが、原節子という女優さんはあえて周囲に逆らい困難な人生を選ぶ意志の強い女性の役がよく似合う。そして『東京物語』では、戦死した次男の妻で、上京してきた年老いた両親(笠智衆・東山千栄子)を優しく世話する紀子を演ずる。

『晩春』で時間に抵抗する原節子は、『お茶漬けの味』で小暮美千代が女子高時代の同級生と温泉に行き「菫の花咲くころ」を皆で楽しく歌うように、あるいは『淑女は何を忘れたか』で栗島すみ子が遊びに来た同級生に甘えていつまでも家に引き留めるように、やはり「娘」や「女学生」時代の気楽な時間を失うことを恐れる。小津安二郎の映画では、年取っても中学の同級生とゴルフに行ったり、小料理屋に集まったり、温泉で同窓会をするおじさん仲間がよく登場する。昔の同級生と会えば思わずその時代に精神年齢が戻ってしまう大人の姿を描くのが実にうまい。

『晩春』で父と嫁入り前の娘の京都旅行で夜になって電灯を消した後、床の間の壺が月明かりにうっすらと浮かぶシーンがある。いつまでも父親に執着する娘が、父親に抱く近親相姦願望とかエディプスコンプレックスとよく言われるあのシーン。確かに『晩春』の原節子は妖しいまでに色っぽくて美しい。しかし、あの壺のシーンは、ラストの原節子がいなくなった家で、笠智衆が一人で夜リンゴを剥くシーンがあるが、あのリンゴと呼応しているんじゃないかと思う。消灯してからうっすらと月明かりに見える床の間の壺も夜のリンゴも、静まり返った夜中に見る静物というものには、人を圧倒するような妙な存在感があり、壺もリンゴもエロスの象徴というよりは、むしろ静物であることによって、笠智衆の老いと孤独というものを一層強調していないだろうか?そして、原節子が『晩春』で結婚に抵抗するのは父親に対する執着もあるが、大人になることを忌避しているようにも見える。『東京物語』で末娘の香川京子が、大人を軽蔑して嫌悪感を抱いたように・・

『麦秋』で原節子は、家族みんなが薦める(良い条件の)お見合いの相手を断り、戦死した兄の友人である子持ちのやもめを選んで一緒に秋田に行く決心をする。原節子の決意を聞いて、母親(杉村春子)が思わずうれし泣きをするが、原節子の結婚の決意は恋愛感情からというよりも、むしろやもめの息子を心配する母親(杉村春子)に対する思いやりに見えないこともない。そして、そうした思いやりに満ちた意志の強い女性像は、『東京物語』の紀子に続いてゆく。

尾道から、年老いた両親(笠智衆・東山千栄子)が子供たちに会いに東京にやってくるのが『東京物語』である。町医者である長男(山村聡)も、美容院経営の長女(杉村春子)も狭い家に住んでいて仕事が忙しい。実の子供であるだけに甘えがあるせいか、年老いた両親の滞在を次第に疎ましく思う気持ちを隠そうともしないが、戦死した次男の嫁である他人の紀子だけは、田舎から出てきた年取った両親を優しくもてなす。長男(山村聡)の子供たちは、まるで大人の本音を代弁するかのように、年老いた両親に対して残酷な態度をとる。長男(山村聡)と長女(杉村春子)は両親を熱海に行かせることを思いつく。自分たちにとって都合の良い、エゴイズム混じりの善意であるが、熱海に追いやられた年取った両親は騒がしい宿でろくに眠ることもできないので結局、早々に尾道に引き返すことになる。東京から帰省して間もなく母(東山千栄子)は急死する。尾道に集まってきた子供たち。堪えきれずに号泣する長女(杉村春子)、医師として冷静を保つ長男(山村聡)、遅れてやってきた三男(大坂志郎)の肉親を失ったそれぞれの悲しみ方は自然である。そして葬式の会食の時には、「お母さんの一番いい着物、あれ欲しいから出しておいてちょうだい」とケロッとして末娘に頼む長女(杉村春子)。長女は「ハハキトク」の電報を受け取った時から喪服の心配をするような、悪気はないが現実的な女でいかにもリアリティがある。

末娘(香川京子)「いやあねえ、世の中って。」
紀子(原節子)「そう、いやなことばっかり。」

長男も長女三男も仕事が忙しいため、早々と帰ってゆくが、紀子(原節子)だけが一人しばらく残ることになる。末娘(香川京子)は姉や兄たちの見せたエゴイズムに腹を立てる。それに対して「でも、大人になって家庭を持てば、誰だって自分のことしか考えられなくなるのよ。みんなどうしてもそうなってゆくのよ。」と優しく諭す紀子。『戸田家の兄妹』でも同じテーマで、家父長亡き後、邪魔者扱いされた母と末妹(高峰三枝子)は兄妹の家を転々とたらいまわしにされ、そうした兄や姉たちのエゴイズムを激しく非難するのは外地から帰ってきた次男(佐分利信)だったが、『東京物語』で怒るのは末娘(香川京子)で、紀子は誰のこともジャッジしない。さらに自身のエゴイズムをも自覚している人間として登場する。
義理の父(笠智衆)は、紀子がとても親切にしてくれたことに感謝し、妻の形見の時計を紀子にプレゼントする。「あんたは本当にええ人じゃ」と褒めるが、紀子(原節子)はその言葉に対して「いいえ、違うんです、私はずるいんです、偽善者なんです。」と激しく否定して泣き出す。笠智衆が唖然とするほど号泣するが、なぜ原節子はあんなに号泣したのか?紀子の親孝行は甘えのない他人だからこそできた、というのももちろんあるだろう。しかし、紀子の美徳が「偽善」に思われるほど、戦後の日本社会にはすでに利己主義が蔓延していたということもあのシーンは示唆していたのではないだろうか。(そして今もそれは続いている)紀子の号泣には、日に日に忘れさられてゆく戦没者への思い、そして戦後の日本人社会の変わりように対する小津安二郎の秘かな抵抗がこめられていたのではないだろうか?(小津安二郎は中国戦線に送られた。友人の山中貞夫は戦死。女優原節子を発掘したのは小津の後輩である山中貞夫監督だった)

人が自然のままに流されるということは、それは利己主義・エゴイズムに流されるということでもあるだろう、そこにくさびを打ち込んで抵抗したのが紀子(原節子)の存在ではないだろうか?利己主義に流されないためには、おそらく彼女のような強い意志が必要なのだろう。『晩春』では、紀子は大人になることに抗った。『麦秋』で紀子は家族や世間の世俗的価値観というものに抗った。そして『東京物語』で紀子はあえて偽善者であろうとも、世の中の利己主義の風潮に抗ったのである。つまり『東京物語』の紀子は心情でもなく感覚でもなく、ただ「理性」に従ったのだ。そうした紀子の理性を支えていたのは、戦死した次男の存在だろう。紀子という理性的存在は、エゴイズムにあふれた混沌とした世俗世界には、聖女のような輝きを見せる。そして、原節子の明るい美しさと爽やかさはこの役柄にピッタリなのである。

『東京物語』の紀子のようにあくまで人間らしく生きようとするものも、機械人形のように惰性で生きる人間もすべて、ゼンマイを巻かれたオルゴールのように、時がたてばやがて静かに止まってゆくのである。


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住宅団地 記憶と再生 №37 [雑木林の四季]

iv 公団住宅の「建て替え」事業とは何だったのか?

    国立市富士見台団地自治解消  多和田栄治     

 旅行者だから現に存在する団地を見るだけで、その建設、改修等の経過は記録にたよるしかない。ここに書いたのは、19世紀後半以降に建てられ現存するドイツの住宅団地についてである。建て替えられた団地があるかは知らない。団地にかぎらないが、ドイツにもスクラップ・アンド・ビルトを意味する「皆伐的再開発」Kahlschlagsanierungという用語があり、いまでは「保全的都市更新」が唱えられているから、全面建て替えもあるのだろう.。ここでのわたしの関心は、建物所有主の公共・民間を問わず、かりに取り壊し、
建て替えをするさいの、居住者との協議、継続居住の保障、さらにいえば景観の連続性についてである。
 住居の明け渡し請求はもとより、建物の建設・改修をはじめ家賃設定・変更に規制のきびしいドイツでも近年、賃貸住宅の市場化、独占化がすすみ、新たな住宅問題がおこっているのは見逃せない。室内の「リモデル」などして規制をかわし.家賃値上げをする動きが顕著となり、住居を奪われる低所得層の市民たちの悲鳴、抗議の運動が広がっている。2019年4月6日の「ドイチェ・ボーネン社没収」デモについては、85~86ページにも述べた。
 日本の公団住宅(現庄の都市再生機構の賃貸住宅)では、ここを終の使家と暮らしていた居住者が、思ってもみなかった団地「建て替え」を突如言いわたされ、多大の苦難を強いられてきた。団地住民はいまも建て替えをおそれ、不安をいだく。都市機構にも「既存往棟や住戸の改修」とか「リノベーション」といった文言はあるが実施しているとは言い難い。実施をすればただちに家賃値上げとなるから、居住者は一概に期待しているわけではない。「団地再生とは、つまり建て替えか集約」と事業者に説明しており、居住者にたいしては「移転先のあっせん」につきる。機構は団地処分を任意にすすめるため、最近とくに「定期借家契約」の拡大をはかっている。
 本書の主旨は、機構が進めている「団地再生」なるものを問うことにある。ドイツの団地にみる「保全と改修」の経過と現状をつたえ、公団住宅の「建て替え」とは何だったのかをまず検証して、対比と考察は読者にゆだねる。

公団住宅の概況

 はじめに公団住宅の建設と建て替え事業の概況を確認しておく。
 日本住宅公団が1955年に設立され、建設してきた住宅には賃貸と分譲がある。賃貸には、小規模な100戸規模の一般市街地住宅(いわゆる「下駄ばき住宅」)と、郊外型の500戸前後から1,000戸、2,000戸、それ以上の新しいまちづくりともいうべき団地、65年からは既成市街地の工場跡地などを大規模開発して建設した面開発市街地団地がある。分譲には普通分譲と特別分譲のほかに、企業の給与住宅(社宅)や民営賃貸事業用の特定分譲がある。
 日本住宅公団は、1981年に住宅・都市整備公団へ、1999年に都市基盤整備公国へと改組をくりかえし、2004年には公団廃止、独立行政法人都市再生機構となって現在にいたっている。公同期1995~2004年度こ管理開始した住宅区分はつぎのとおりである。
  賃貸 団地             531,358戸
     一般市街地           64,819戸
     両開発市街地         247,977戸
        計            844、154戸(55、6%)
  分譲 特定分譲 民営賃貸用      161、684戸
          社宅用        230、995戸
       小計           392、679戸(25.9%)
     普通分譲            38,598戸
     特別分譲            35,770戸
     長期特別分譲          207,413戸
      小計             281、781戸(18,6%)
      計      ′         670、460戸(44,4%)
      合計            1,528、614l戸(100%)
         出典『都市基盤整備公団史』2014年

 一般に「公団住宅」とは、郊外型団地と再開発市街地団地の賃貸住宅をさす(2004年6月現在約77万戸)。公団の表看板はあるが建設総戸数の半分でしかなく、持ち家、企業の社宅、さらには民営賃貸事業用の住宅までも大量に建設し、持ち家推進、大企業奉仕に与してきたことが分かる。なお公団事業には住宅建設以外に、市街地再開発、宅地・ニュータウン開発、工業用地・流通業務用地の整筒、研究学園都市の建設から鉄道事業にまでおよんでいる。
 そのうち賃貸住宅だけを管理開始の年代別にみると、昭和30年代(1955~64年)171、628戸、40年代(1965~74年)は324、003戸、50年代前半(1975~79年)110,150戸、50年代後半(1980年~84年)48.657とであるから、1970年代末までの25年間に60万戸以上を建設、2003年度までの管理戸数84,4万戸の70%以上を占めている。その後建設戸数は、1981年の住都公団への改組とともに際立って減少していった。
 公団の建て替え事業は1986年、公団住宅第1号が建設されて30年目こはじまり、10年余にして着手戸数の伸びにかげりをみせながらも、建設戸数は年間4千戸台から5千戸台と順調に進捗した。1999年年都市基盤整備公団に改組して新規建設から撤退し、建て替え事業にシフトするが、これも公団終期とともに明らかに衰退にむかう。1986~2,004年度の建て替え事業の集計は、205地区の108,550戸に着手し、79,927戸を用途廃止、72,027戸の賃貸住宅を建設して、64、312戸を管理開始した。その間建て替え団地内に1,987戸の公営住宅を併設している。公団期は取り壊した戸数の90%を公団賃貸 として建設したことになる。,
 都市再生機構になっての2005年以降、着手、用途廃止とも戸数が減少するなかで、賃貸住宅の建設戸数は目立って激減していった。公団が認めるとおり「高家賃化にともなう本人居住宅が増加し、建て替えによる機構賃貸の建設は進んでいない。2019年度までの実績でいえば、315地区で138,339戸を壊し、84,373戸を供給している。
 建て替えがはじまり、用途廃止、民間譲渡等もあって、管理戸数はすでに10戸を大きく上回って削減され、現在の管理開始年代別戸数は、つぎのとおりである(2019年3月31日時点)。なおカッコ内は1955~2003(昭30~平15)年度当初の管理戸数合計である,

                 2019年末現在     管理開始
昭和30年代(1955~64年)   115団地  32,988戸  (171,628戸)
昭和40年代(1966~74年)       328団地  309,341戸  (324,003戸)
昭和50年代(l975~84年)    314団地  149,508戸    (158,507戸)
昭和60年~(1985~94年)        348団地  78,396戸  (81,384戸)
平成7~15年(1995年~2003年)332団地  103,815戸    (108,332戸)
平成16年~(2004年~)     95団地  44,008戸
  全  体                        1532団地 718,056戸 (計844,154戸)

 ここで「公団住宅」の呼び名について断っておく。2004年7月に都市再生機構が設立されて、公団住宅は機構の英文名称アーバン・ルネッサンス・エイジェシシーの頭文字をとって「UR賃貸住宅」とか「UR住宅」と引乎ばれている。URの由来は、東京都心部の地価高騰をあおった中曽根首相の1983年「アーバン・ルネッサンス」計画である。「公団住宅」はもともと正式名称ではなく、歴史的に広く親しまれてきた普通名詞に近い名称としてひきつづき用いることにする。’

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂


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地球千鳥足Ⅱ №48 [雑木林の四季]

おもてなし、ワイン、温泉、えにしだ並木
   ~ジョージア~

       小川地球村塾塾長  小川彩子

 アルメニアのイェレヴァンから国際バスでジョージアのトビシリに入った。バスで一緒だったイランの若い旅行者、アミールとムトゥクバリ川に沿って中心部の自由広場へ。三方を山に囲まれ、この川を中心に開けたトビシリはなんと美しい街だろう。彼と一緒にホステル「ネスト」に狛まったが、母孝行息子経営のこのホステルは巣のごとく温かかった。
 夕食は家族同士のように和やかで自家製ワイン付きの大ご馳走。干し葡萄もとびきり美味だ。聞けばジョージアはワイン発祥の地、ワインという語はグルジア語の「ghvino」だという。遥々一緒に来てここで寝食を共にしたアミールと別れる時彼も寂しさを隠さなかった。
 ジョーージアの紹介パンフには「ヨーロッパはここで始まった」とある。「欧州最古の人骨が出た、最初のヨーロッパ人はこのグルジアでドマ二シ原人として骨が見つかった、欧州最高山頂はここで最高地定住もここ、葡萄の品種数は世界一、品種最高のワインで最高のおもてなしをする国」とも。フレスコ画の豊富な教会はもちろん、温泉もある。
 ホスピタリティーは最高だ。道端で困った顔でもしていたら必ず近くから「メイアイヘルプユー?」が聞こえる、バスの行き先表示が英語でなくて困っていたら、ある紳士がアメリカ英語で「カモン!」を連発、、バスに乗せてくれ、降りる場所を運転手に依頼、お礼を言う間もなく去った。散歩中の中年女性が、「日本の震災孤児を養子にして育てたいんです!」温泉浴場を探していたら、片目がつぶれ、首にも手術跡のある青年が一緒に探しあて、値段を確認し、「Royal Bathは高いから一般用の浴場へ行きましよう」とSulfer Bathへ案内してくれた。トビリシは「温かい」という意味で、語源は温泉だ。昔、王に撃たれた雉が温泉に落ち、癒えて飛び立ったことから王がその温泉の周りに作った都がトビリシだとか。良い浴場で地元民と交流できた。熱々のチーズパンをかじりながら近くのナリカラ要塞に登った。ムトゥクパリ川。丸屋根の温泉、ゴーリキーが幽閉されていたというメテヒ教会、グルジア正教の総本山シオニ教会等、美しい国際親善都市トビリシの街が眼下に聞けた。
 自由広場近くの地下鉄出口で客待ちしているマムカのタクシーは3回利用した。1回目は古き良き時代のジョージアを見るため民族建築村に行った。ここで小学生の遠足と一緒になったが、アルメニアやアゼルバィジャン出身の小芋生がいたので引率の先生に質問しつつ見学した。トビリシでは多くの民族が仲良く暮らしていると話してくれた。旧市街にはユダヤ街、アゼル街、アルメニア街があり、共生してきた歴史がある。2008年のロシア・グルジア紛争から丸3年経つが、この紛争はロシアと欧米間の非難含戦の様相を呈している。
 マムカの車でムツヘタに出かけた。イベリア王国の首都で世界軍産、力士「栃ノ心」の郷里でもある、ロシアに続く軍用道路の一部を通りジョージア最古のスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂へ。薄暗い大聖堂内で聖像、壁画やィベリリア国土の写真が神々しい。グルジア正教の聖堂は上品な採光法でひっそりとした趣、欧州の教会のように威圧しない。世界遺産の他の一つ、山頂の小さな教会ジュヴェリ聖童は6世紀建立の素朴なものだがグルジア正教のシンボルで、上から見ると十字架の形をしているという。この教会から見下ろす風景は雄大だ。眼下に大河の三叉路が見え、延長線上はロシアとトルコとアゼルバィジャンだ。山肌には可愛い家や教会の尖塔が張り付いて美しい集落を作っている。三叉大河の行方と山肌に巣を作っている人々の幸せを見守っているのがこの十字架教会なのである。
 道中のえにしだ並木の見事さ。日本のえにしだの数倍の大ききで、並木のアーチを作り、黄金色が辺りを染めていた。マムカに空港行きの予約をした時、おまけだと言って、ライトァッブした夜の教会に案内してくれ、お礼も拒否した。空港で強くハグし合って別れた。
トビリシ空港には大きく「Tbilisi is the city that loves you」とサインがあった。
                   〈旅の期間:2011年 彩子)

『地球千鳥足』 幻冬舎


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山猫軒ものがたり №41 [雑木林の四季]

大黒柱

       南 千代

 八王子の半田さんが、ロシアからの来客を連れ、泊りがけで遊びにやってきた。アレクサンドル・B・オルイヨーノフ、通称サーシャ。彼は、モスクワ大学で経済学を教えているとか。
 春の花見以来、二度日の山猫軒訪問だ。サーシャヤは、畑作業を楽しみにしてきたのだが、あいにくの雨。室内で遊ぶことにした。
 まず教えたいのが、かまどでの日本式ごはんの炊き方。はじめチョロチョロ、中バッパなんてロシア語でどういうのだろう。火吹き竹を見て、尺八かと聞いてくる。とにかく、やって見せたらわかってくれた。蒸れるまで、絶対に釜の蓋をとってはいけないと教えたのに、彼は誘惑に負けて釜の中を覗いてしまった。
 囲炉裏瑞で膳を囲んだ後、次に数えたのが花札。花札は、私と夫の好きな唯一の室内ゲームである。私は、このカードの図柄が大好きで、古びた山猫軒の襖間を、いつか花札模様にしたいと思っていた。
 正月は松桐坊主 春は、梅に鶯、桜に幕、初夏になれば菖蒲に雨の襖絵なんていいと思うけどなあ。雨のカス札なんて真っ赤に黒で、すごく斬新なデザインだ。しかし、この裏はギャラリィを始めたことでボツになってしまった。作品とバランスのとれないバックでは都合が悪い。
 サーシャは、花札がすっかり気に入ってしまい、どこで売っているのかと聞くので、プレゼントすることにした。花札をやりながら、結婚式の話題になった。まだ、日本の結婚式を見た二とがないという。花嫁姿なら見せることができるかもしれない。写真館の山口さんに連結すると、すぐ近くの厚生年金センターで、結婚式の花嫁を撮影するという。さっそく、出かけた。
 日本では、通常、結婚式にとても費用がかかることを説明すると驚いている。彼の国では、「新婚宮殿」という施設に行って二人でサインし、夜、レストランで食事をするだけだそうだ。もちろん、地方では村中で祭りのように祝ったりもするそうだが。
 しばらくして、今度は井野さんがドイツからの客、ホルストを連れてやってきた。徒はミュンへンでエンヤレコードというレコード会社を経営している。好物であるマグロのトロを持参して囲炉裏端にやってきた。
 大きな男たちが座り込むと、質素な囲炉裏が火鉢のように縮こまっているようだ。翌朝、私たちの家造りに興味を持ったホルストは、作業場で刻みを入れた材木や、基礎を打った現場を子細に見て回っている。
 家造りは、すでに現場に基礎を打つところまできていた。一帯はゆるやかな斜面である。考えた末に、大変だけど現場の元の地形をなるべく壊さず、斜面にそのまま建てようというプランになっていた。.
 「次に日本に来た時は、建った家が見ることができる。楽しみだ」
 ホルストが言った。.家造りは中盤戦にさしかかっていた。
 現場での基礎工事に入る前に、どうすればよいのか悩んだのが地鎮祭である。神主を頼んで世間一般通りに行ってもらえば簡単なのだが、ではそうしようと、すんなりことを運べない気持ちがどこかにある。
 私たちが住む家を建てることで、虫や植物や動物など私たち以外の多くの生き物は、命や住処を奪われてしまう。ほんとうにすまないと思う。地形を変えずに建てることにしたのも、土地が持つこれまでの状況をなるベく変化させたくないためではあったが、彼らが暮らしを続ける役には、たいして立たないだろう。
 すまないとは思うが、住まいに限らず食べ物にしても、他の命を奪いながら生きる。これが私が自然に対して成し得ることの事実だとも思う。
 それら諸々の命には、神主の神聖なおことばには遠く及ばないにしても、自分できち人と心を伝えておきたい。
 ちょうどその時、ギャラリィでは田中活太郎さんの画展を行っていた。活太郎さんは、牧師だったこともあってヒマラヤの山奥やフィリピンに出かけて絵を描いているが、土をこねて薪のの野焼きで器を造ることもやっていた。そこで、建築現場の土を掘り、その土で人形を焼成してもらった。
 それを割り、大黒柱が建つ予定の場所や、家の四隅に埋めた。酒と塩を盛り、土地に立つ。
 「すみませんが、ここに家を建てさせてください。もともと棲んでいた多くの命には惑いのですが、私も人間に生まれたので仕方がないのです。出ていける虫たちは、早く出ていってください、ごめんなさい。無事に家を建てさせてください」
 地面の上で、手を合わせながら私は願い続けた。
 現場に基礎を打ち、仕口もほぼ刻み終えた。刻みを終えた材木には、一本ずつ防腐や着色のための塗料を塗っていく。塗装は主に、れい子さんと私の作業であった。それも終えると、ようやく建前のめどが立った。
 建前に入る前に、地組といって本屋の上に乗る小屋の部分だけを、地面の上で組んでみる。建前のリハーサルのようなものだ。当日になって、仕口が合わなかったりするようなことがあると、建前がストップしてしまうので、地組で子喜通りできることを確かめる。
 地組には、川合さんや東松山でBASALAという店を開いている蓮沼さんも加勢にやってきた。私は、その日都内の仕事で参加できなかった。できることなら夫と一緒に、すべての工程に携わりたかったが、それぞれの役割があるので仕方がない。
 いよいよ本番の建前だ。家は、技術的にも予算的にも、とにかくまず器を造ることで精一杯なので、まるで四角の箱に三角屋根だけというようなシンプルな設封である。斜面のため、高い所では、地面から屋根の上まで十メートル近くもなってしまう。建前の日は、夫たち素人だけではなく、この日ばかりはトビ職などプロの手も借りなければならない。
 三月二十五日、その日がやってきた。夫はいつもより念入りに作業ズボンの上に脚絆を巻き、私は朝早くから、おにぎりをむすんだりお茶の用意である。現場には水道も電気もまだ引かれていない。一足先に家を出た夫と為朝を追い、たくさんの仕出しをバィクに積んでガルシィアと一緒に現場に向かう。華ちゃんは、九回日の妊娠で留守番である。トビの頭が、建前に入る前に清めをするという。知らなかったので、あわてて酒と塩を取りに家に戻る。建前が始まった。
 この工法は、おおまかにいうと、まず大黒柱を立て、それを中心に他の主要構造部材を組み立てていく。すべての部材が組み含わせ構造であるため、材の継手、組子の仕組みを頭に入れた上での作業手順となり、はたで見ていると、難易度百%知恵の輪パズルのようだ。
 トビの頭である酒本さんか、言った。
 「この建て方は、オレでも、昔一度ぐらいしか見たことがねえな」
 高橋さんも夫も緊張している。家造りの顧問として何かと相談に乗ってくれている吉田さんも今日は助っ人だ。川合さん、れい子さんをはじめ、写真館の山口さん、夫のカメラマン仲間の青木さんも手伝いに来てくれた。作業記録のビデオ係は、皮工芸家の佐藤さん。
 クレーンで吊り上げた、高さ七メートルの大黒柱がドーンと立った。大黒柱はヒノキ。夫が、大黒柱を見上げながら、うれしそうだ。
 私をはじめ、見学組も多い。都内から山猫軒の前の別荘にやってくる、渡辺さん夫妻も差し入れを持ってきてくれた。渡辺さんには、昔、宮大工をしていた親戚が遺したという大工道具まで頂いており、夫はそれを刻みに使っていた。
 建前は、延べ二日に亘って行われた。私は、高い所で作業をする夫をはらはらしながら見続けた。怖くないの? と聞いた私に、夫は言った。
 「最初は怖かったけど、そんなこと言ってられないよ。それにだんだん慣れてくるんだ」
 誰一人ケガをすることもなく、無事、棟上げが終わった夜、山猫軒でみんなで侃盃を上げながら私たちはほんとにひと息ついたー
 プランが持ち上がり、木を伐り始めてから一年半が経っていた。しかし、これで終わったわけではない。棟上げ後は、床や壁、屋根を張る。内部を造る、塗装をする、などの作業が始まる。建築両軍約四十坪の家を仕上げるには、まだまだ、時間がかかりそうだ。

『山猫軒ものがたり』 春秋社



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夕焼け小焼け №38 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

早稻田入学式・早稻田文庫

           鈴木茂夫

 昭和24年(1949年)4月1日金曜日。快晴。
 きょうは早稻田大学の11の学部の入学式だ。大隈講堂で行われる。午前10時からの第一政経学部、第一法学部、そして第一文学部だ。講堂の前は角帽をかむった新入生で埋まっている。
 私は一階の中程に席を占めた。隣に座った男が笑顔で話しかけてきた。
「僕は岩丸太一郎、ロシア文学科です。君は」
「僕は鈴木茂夫、東洋哲学科、名古屋の惟信高校からです」
 肩幅の広い岩丸は、
「僕は東京、都立青山高校。学校新聞を作っていた。『くまんばち』っていうの。君は」
「僕たちは『葦笛』です。僕が編集長だった。月に一度出す」
「『くまんばち』は月に2回出していたんだ。忙しかったけど」
 定刻だ。舞台の緞帳が開くとガウンにた角帽をかむった教授が並んで席についた。舞台下のオーケストラ・ボックスには、学生のブラス・バンドが待機している。
 島田孝一総長が演壇に立った。
「新制早稻田大学は、ここに最初の君たち新入生を迎える。おめでとう。今度の戦争で
  約4500人の学生が学園から戦いに出かけた。戦時中の空襲によりいくつもの被害を受けた本学は、学園復興に取り組んでいる。君たちがわが学園の伝統を受け継ぎ、孜々として勉学に励んで欲しい」
  第一文学部長谷崎精二が訴えた。
「早稻田の文学は坪内逍遙先生にはじまり、多くの文人・作家を生んで今日にいたっている。その流れを汲んで欲しい。君たちはその歴史の後継者だ」
 文学部長の訴えは胸に響いた。
 ブラス・バンドが前奏を開始。1000数百の学生が起立し校歌の斉唱だ。
  
  都の西北 早稲田の杜に そびゆる甍はわれらが母校
     われらが日ごろの抱負を知るや 進取の精神学の独立
     現世を忘れぬ久遠の理想 輝くわれらが行く手を見よや
     早稻田 早稻田 早稻田 早稻田 早稻田  早稻田  早稻田
 
 みんな懸命に歌っている。私も声をあげた。夢中で歌った。故郷の山に何度も歌った。でもそれとは違う。総長が歌っている。教授も斉唱している。大勢の学友と歌っている。私は陶酔していた。この学校の一員に晴れてなったと嬉しかった。

    東西古今の文化の潮 一つに渦巻く大島国の 大なる使命を担いて立てる
    われらが行く手はきわまり知らず

  私たちはこうして、早稻田の一員になったことを自覚したのだ。私は作家かジャーナリストをめざそうと改めて心に刻んだ。

 式典が終わり、みんな外へ出た。それをまとまるように一人の若者が整理している 。
 その前に三脚を立ててある。記念写真だ。400人以上が講堂の入り口には階段に並んだ。
  「いいですか。いきますよ。目を開けて」
 写真技師は大声だ。いつも集団の写真を撮り慣れているんだ。三回シャッターを切って終わり。その場で撮影料を支払う。

 なんとなく文学部の前まで来ると、年期の入った顔つきの女性が前に立ちはだかった。 「あなた新入生でしょ。わたしは旧制の英文科の二年柳瀬従子。あのね、新しくつくる早稻田文庫のメンバーになってよ」
 「はあ、なんですかそれは」 
 「そこのね、南門を出ると高田牧舎があるでしょ。その裏手のこじんまりした家があるの。国文科の富安先輩の家よ。そこにね。仏文の新庄先生、小林先生が賛同して蔵書の一部を持ち込んだの。おばさんがコーヒーを淹れるわ。あなたたちは基本金1000円を払ってメンバーになる。月々の会費は1000円だわ」
 私は反射的にうなずいたようだ。 柳瀬女史は並んで門を出た。路地を入る。こじんまりした一軒家があった。柳瀬さんが扉を開けた。
 「新入生一人連れてきたわよ」
 女学生が3人拍手した。
 20坪ほどの大谷石を敷き詰めた部屋。2面の壁は天井近くまで書籍で埋まっている。椅子が10脚はある。腰をおろした。
 「君、じゃあ、払って」
 2000円払うと、コーヒーがでてきた。 私のたまり場ができたのだ。
  外に出て行った柳瀬女史が、新しい学生を連れてきた。顔見知りになっている大河内昭爾君だ。大河内君はニコニコしながら、
 「おや君も拉致されたの。僕は新人じゃないよ。去年旧制の第二高等学院に入学していたんだから」
  「あらそうなの。でも新制には間違いないでしょ」
 柳瀬さんは自分が旧制のお姉様であることを強調すると同時に、新制のわれわれを若く言う。
 コーヒーを口にしてから、大河内君は話し出した。
 「僕は国文科だ。早稻田の先輩の作家を何人も訪ねたんだ。今は丹羽文雄さんのところに入り浸っている。僕の家は宮崎県の浄土真宗の寺院だ。丹羽さんの実家も浄土真宗の寺院ということがあって出入りしている。丹羽さんのところでは、月の15日に集まる。十五日会という。そして同人雑誌『文学者』を主宰しているんだ。君もその気があるなら、いつでも案内するよ」
 大河内君はすでに文壇の片隅に登場しているんだ。

 週明けに早稻田文庫に顔を出す。10数人の顔があった。大河内君が同人雑誌の『流』の連中に呼びかけたらしい。  これらの人の後の職業を書き出してみた。大河内昭爾君(武蔵野女子大学学長),安倍徹朗(脚本家・鬼平犯科帳)、久本(文藝春秋編集部)山路(日本経済新聞)

 コーヒーを飲んで何時間でもいられる場所だ。噂がちらばって、ぼつりぼつりと会員が増えていった。

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線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №226 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

廃線・廃駅巡り 

          岩本啓介

227石北本線旧白滝駅2016年3月25日廃駅 のコピー.jpg
   
石北本線・旧白滝駅2016年3月25日廃駅
実は JR北海道はもっと早く廃止したかったようなのですが
この「旧白滝駅」から「遠軽駅」まで通学する一人の女子高校生が卒業するまで
というJR北海道の「粋な計らい」があったようです(*^.^*)



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押し花絵の世界 №203 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

紫陽花のスマホケース

       押し花作家  山﨑房枝


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お母様から娘さんへのプレゼントにオーダーしていただきました。
ピンクが大好きな娘さんに、旬の紫陽花をたっぷり使い、パールやキラキラ光るストーンで装飾して可愛く仕上げました。
「お花を持ち歩けて嬉しい!」と喜んでいただけたとお聞きして、胸がいっぱいになりました。

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赤川ボンズと愉快な仲間たちⅡ №60 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

行田の童 原画 4

       銅板造形作家  赤川政由」

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『知の木々舎』第362号・目次(2024年6月上期編成分) [もくじ]

現在の最新版の記事を収録しています。ご覧になりたい記事の見出しの下のURLをクリックするとジャンプできます。

【文芸美術の森】

石井鶴三の世界 №257                画家・彫刻家  石井鶴三
  広隆寺・千手観音/大安寺・楊柳観音 1957年
西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」№129 美術史研究家 斎藤陽一
 明治開花の浮世絵師 小林清親 12 
   「東京名所図」シリーズから:一日の中の光の変化
浅草風土記 №27              作家・俳人  久保田万太郎
 浅草田原町 2
武蔵野 №7                      作家  国木田独歩
【ことだま五七五】

こふみ句会へGO七GO №131               俳句 こふみ会     
 「日傘」「燕の子」「夏めく」「新馬鈴薯」
郷愁の詩人与謝蕪村 №30               詩人  萩原朔太郎
 冬の部 2
読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №184              川柳家  水野タケシ
 5月8日、15日放送分
【雑木林の四季】

BS-TBS番組情報 №305                          BS-TBSマーケテイングPR部
 2024年6月のおすすめ番組(上)
海の見る夢 №79                                   渋澤京子
  鶴八鶴次郎
住宅団地 記憶と再生 №36   国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治
 補記 ライフフェルデ団地 
地球千鳥足Ⅱ №47           小川地球村塾村長  小川律昭
 悪魔の塔は呼ぶ/迷ってみたい白い砂丘
山猫軒ものがたり №40                    南 千代
 タヌキのあかちゃん 2
台湾・高尾の緑陰で №39       在台湾・コラムニスト  何 聡明
 新総統頼清徳を迎えた台湾
【ふるさと立川・多摩・武蔵】                                                   

線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №225       岩本啓介
 根室本線・幾寅駅/旧国鉄広尾線幸福駅
夕焼け小焼け №37                        鈴木茂夫
 岡崎高師不合格・新制高校3年生 2     
押し花絵の世界 №202                                       押し花作家  山﨑房枝
 「紫陽花のコンパクトミラー」
赤川ボンズと愉快な仲間たちⅡ №59      銅板僧形作家  赤川政由
 行田の童 原画 3
多摩のむかし道と伝説の旅 №127                原田環爾
 西多摩の多摩川河畔の桜道を行く
国営昭和記念公園の四季 №153
 ハナショウブ 日本庭園

【代表・玲子の雑記帳】                   『知の木々舎 』代表  横幕玲子

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