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国営昭和記念公園の四季 №158 [国営昭和記念公園の四季]

クサキョウチクトウ  西立川口


ぶらぶら坂下クサキョウチクトウ のコピー.jpg

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『知の木々舎』第368号・目次(2024年9月上号編成分) [もくじ]

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【文芸美術の森】

石井鶴三の世界 №263                画家・彫刻家  石井鶴三
  熊 1958年/凹面自画像 1958年
西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」№135 美術史研究家 斎藤陽一
 江戸・洋風画の先駆者たち 司馬江漢 4 
浅草風土記 №33               作家・俳人  久保田万太郎
 あやめ団子 2
【ことだま五七五】

こふみ句会へGO七GO №134                 俳句 こふみ会     
 「落蝉」「狗尾草」「台風」「パリ五輪」
郷愁の詩人与謝蕪村 №36              詩人  萩原朔太郎
 春風馬蹄曲 2
読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №190            川柳家  水野タケシ
 6月7日放送分
【雑木林の四季】

BS-TBS番組情報 №311                         BS-TBSマーケテイングPR部
 2024年9月のおすすめ番組(上)
海の見る夢 №84                                渋澤京子
  マテオ・ファルコーネ
住宅団地 記憶と再生 №42  国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治
 武蔵野緑町団地 1 
地球千鳥足Ⅱ №53           小川地球村塾塾長  小川彩子
 ボランテイアから元王女面会まで~アメリカ合衆国コロラド州
山猫軒ものがたり №46                   南 千代
 星の彼方に 1
【ふるさと立川・多摩・武蔵】                                                   

線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №231    岩本啓介
 寝台特急「北斗星」に乗車
夕焼け小焼け №43                      鈴木茂夫
 赤い陣羽織 1     
押し花絵の世界 №210                                  押し花作家  山﨑房枝
 「千鳥草と紫陽花のスマホケース」
赤川ボンズと愉快な仲間たちⅡ №65     銅板僧形作家  赤川政由
 行田の童 原画 9
多摩のむかし道と伝説の旅 №131
  二ケ領用水水辺の道を行く 4                         原田環爾
国営昭和記念公園の四季 №158
 クサキョウチクトウ  西立川口
【代表・玲子の雑記帳】             『知の木々舎 』代表  横幕玲子



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石井鶴三の世界 №263 [雑木林の四季]

熊 1958年/凹面鏡自画像 1958年

         画家・彫刻家  石井鶴三

1958熊.jpg
熊 1958年 (200×144)
1958凹面鏡自画像.jpg
凹面鏡の自画像 1958年 (188×124)

**************  
【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】
明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。
『石井鶴三素描集』形文社


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浅草風土記 №33 [文芸美術の森]

あやめ団子 2

        作家。俳人  久保田万太郎

 電気館の隣には大きな小屋があった。名前は忘れた。ずっと古くは、竹沢藤次の独楽の見世ものがそこにかかっていた。中ごろには、しばらく、梅坊主がそこを根城にしていたが、その後、岩でこが、代って、そこで興行をつづけた。
 わたしは、梅坊主は好きだったが、岩でこは嫌いだった。岩でこには梅坊主の洗練がなかった。

 話は違うが、そのころ、カナリ長くつづいていた「新声」という雑誌が潰れ、暫くして隆文館から同じ名の雑誌が出た。体裁も、内容も、前の「新声」とは気もちの大分ちがうものだったが、忘れもしない、その、三月だか、四月だかに出た、今でいえば特別倍大号のようなものに、「梅坊主と岩でこ」(たしかそういう題だったと覚えている)という堂々たる論文が出ていた。匿名で、その説くところは、梅坊主、岩でこ、両者の関係から、貪婪(どんらん)飽くなき岩でこの、ひそかにその爪牙を磨き、梅坊主を陥れ、ついにこれを追って自分がそのあとに直るに到ったのを憎み、そうして、わが梅坊主のため、万斛(ばんこく)の泪をそそぐのにあった。
 わたしは、再読、三読した。どこの、誰が、こんな情理を尽した、歯切のいい、気のきいたものを書いたのだろうと、子供ごころに、わたしは、感嘆これを久しうした。――「吐舌一番、その舌の赤かりしを知るのみ」とあったそのなかの一句が、なぜか、わたしに、その後いつまでも忘れることが出来ずに残った。
 爾来、十幾年、縁あって岡村柿紅と識り、いろいろ無駄をいい合うようになってから、話がたまたまかっぽれのことに及ぶと、かれ、金丸を説き、国松を論じ、まくし立てて、わたしをして口を噤(つぐ)むのやむなきに至らしめた。すなわち、わたしは酬ゆるにその「梅坊主と岩でこ」を以てした。――今更のように、わたしは、それを書いた主の、どこの、誰とも分らないことを残念に思った。
 と、かれ、柿紅、
「ああ、あれは俺が書いたんだよ」
 莞爾(かんじ)としていった。

 その小屋の真向いに「珍世界」があった。ほうぼうの国の、珍しいもの、不思議なものたとえば、みいらだの、蟻の塔だの、素性も分らないさかなの剥製だの、そういったようなものがガランとした室のなかに万遍なく並べられてあった。土俗的、伝説的なものが多かった。根っから面白くないものだった。ただ、入口に置かれてあった猿の人形。――赤い洋服を着、右に向き、左に向きながら、断えず太鼓を叩いていたあの猿の人形が、今でも、わたしの思い出のなかで寂しく太鼓を叩いている。

 珍世界のとなり、今の富士館のところに、加藤鬼月一座の改良剣舞がかかっていた。
 改良剣舞といっても、必ずしも、うしろ鉢巻の、袴の股立を高くとり、鼻のあたまにばかり濃く白粉をつけた男たちの、月琴によって、日清談判をばかり破裂させた訳ではないそれはほんの附合せにすぎず、じつは、短銃強盗清水定吉だの、服部中尉(だったか大尉だったか)の太沽(タークー)砲台占領だのの芝居をやるのだった。あるときは、あの川上の演った「武士的教育」をもじったようなものをさえ演ったこともあった。それは立廻りと七五の台詞(せりふ)とで出来上っている初期の書生芝居だった。短銃と、合口(あいくち)と、捕縄と、肉稲梓と、白い腹巻とが、そこで演るすべての芝居の要素だった。
 学校で(わたしの学校は浅草学校だった)わたしの机のそばに公園の写真屋の息子がいた。これが加藤鬼月を大の贔屓(ひいき)だった。機会さえあればそこに入浸っていた。わたしは、かれによって、「花のさかりの向島、人も散っちゃあヒッソリと、鳥もねぐらの枕橋、ズドンと二発短銃の、音はたしかに辻強盗」という官員五郎蔵の台詞を教えられた。
 この写真屋の息子、姓は鴨下、名は中雄、晃湖と号して、今では画を描いている。

 剣舞の隣、いまの三友館のところは、開進館という勧工場だった。その前っ角、今の千代田館のところには、屋根の低い、小さな写真屋があった。その写真屋のまえに、七十がらみの、あたまに小さな馨をのせた爺さんが、始終、あやめ団子を焼いて売っていた。――わたしはその爺さんの有数の顧客だった。
 あやめ団子というもの、いまではどこの縁日へ行ってもみ当らなくなった。
                  (大正九年)

『浅草風土記』 中公文庫


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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №135 [文芸美術の森]

        シリーズ:江戸・洋風画の先駆者たち
            ~司馬江漢と亜欧堂田善~
              第4回             
        「司馬(しば)江漢(こうかん)」 その4
           美術ジャーナリスト  斎藤陽一

≪司馬江漢の油彩≫画から≫

 前回まで、司馬江漢がわが国で初めて制作した「銅版画」の数々を紹介しましたが、西洋画に憧れる江漢はまた、自ら工夫を重ねて、油彩画の制作を試みました。

 今回は、江漢の「油彩画」をいくつか紹介します。

135-1 のコピー.jpg

 上の左図は、司馬江漢が寛政初年に描いた油彩画「オランダ馬図」

 この絵の下敷きとした図は、オランダ渡りの銅版画集『諸国馬画集』の中の一図(上図の右)。江漢は、これを西洋画のようなカンバスではなく、日本画で用いる絹地(絵絹)に描いています。 

135-2 のコピー.jpg 江漢は、左側に大きな樹木を配し、中央に量感あふれる馬を、中景には池、遠景には洋館を配するという、視線を奥へと導く「遠近法」によって、この油彩画を構成しています。

 お手本とした原図は横長ですが、江漢は東洋の掛幅のように縦長に描いた。床の間に掛けることを意識したものでしょう。

日本画と洋画を融合させた、どこ不思議な味わいの牧歌的な絵となっています。 

 西洋の油絵具の作り方を知らなかった司馬江漢は、自分自身で考案したやり方で絵具を創りだしました。その方法は下図のような手順:

135-3 のコピー.jpg 先ず、荏胡麻から絞った油を煮る。そこに乾燥剤として「密陀僧」(みつだそう:一酸化鉛)を加えて煮沸させる。
 かくして作った油を媒材にして、日本の顔料を油で溶く。このように苦労して編み出したのが、江漢が用いた洋風画の絵具です。
 江漢は、この自家製の絵具を用いて、麻布のカンバスではなく、絵絹に描くのを通例としました。そして「掛軸」に仕立てられたものが多い。

 ところが、江漢手製の絵具は、劣化しやすいという欠点があった。この「オランダ馬図」でもそれが顕著に表れており、絵絹に塗った絵具が剥がれ落ち、その跡は茶色に変色している。
 とは言え、馬の胴体の立体感や地面にのびた長い影、奥行き感のある遠近法的構図、雲が流れる空の微妙な色のニュアンスなどは、従来の日本絵画を見慣れていた当時の人達を驚嘆させたに違いありません。

 もうひとつ、司馬江漢が描いた「油彩画」を紹介します。

135-4 のコピー.jpg

 双幅として描かれたこの絵もまた、オランダ書の銅版画を下敷きにしていますが、堂々たる油彩画となっています。

 左幅では、男性が波止場に立ち、海に向かって右手を突き出している。
 右幅では、女性が木の下に座っている。その後ろには黒人の少年が。
 二幅並べると、男と女の視線は交流し、それぞれの仕草も呼応している。このような双幅の仕立て方は、江漢の工夫です。
 こんな油彩画を見た江戸の人たちの眼には、それまで見たことのない、西洋風のエキゾチックな絵として映ったことでしょう。

 江漢がこの絵の下敷きとしたのは、自ら所蔵していたオランダの銅版画集『人間の職業』に載っている図。(下図参照)

135-5.jpg

 左幅の男は『人間の職業』の中の「船員図」。
 右幅の女は、その表紙に描かれた『知恵の寓意像』を下敷きとしている。それらを江漢は大きく仕立て直して、本格的な「油彩画」にしたのです。

 司馬江漢が描いた淡彩画をひとつ紹介します。
 下図は、江漢が寛政年間に絹本に描いた「異国工場図」。

135-6 のコピー.jpg

 これまで見た重い感じの油彩画ではなく、墨絵のような描線と淡い彩色によって、絹の地色を活かした軽やかで明るい淡彩画となっています。

 描かれているのは、錫(すず)製品、いわゆる「ピューター」製品を作る工場。この部屋に描かれている様々な器は、錫製の食器類です。

135-7.jpg この絵も、オランダの銅版画集『人間の職業』の中の「錫食器工場図」を下敷きにしています。(右図参照)
 しかし、原図が8cm足らずの小さなサイズなのに対して、江漢は、横幅129cmと大きくし、全体構成も大幅に変更しています。

 横長にした画面の遠近法の「消失点」は、窓の外に広がる地平線上に設定して奥行き感を出している。

 明るい光が室内に差し込んでいるが、よく見ると、光源の位置は不明確なので、影の方向はまちまちで不統一。
 しかし、室内に差し込む光の描写は柔らかで、美しい。 
 それまでの日本の絵画にはなかった新しい絵画世界が生まれています。

 次回は、司馬江漢が40歳前半に行なった「長崎旅行」をきっかけに描くようになった油彩による「風景画」を紹介します。

(次号に続く)


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こふみ会へGO七GO №134 [ことだま五七五]

こふみ句会へGO七GO  №134
「落蝉」「狗尾草」「台風」パリ五輪」 
                              俳句・こふみ会

幹事さんから、≪令和6年8月の句会≫の案内状が送られました。

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今回幹事の蕃茄・茘子です。

炎暑・極暑・溽暑・・・に耐える毎日。
みなさまいかがお過ごしですか?お変わりございませんか
八月のこふみ句会のご案内をいたします。
みなさまの汗の結晶期待しております。

【兼題】
・落蝉(せみむくろ)
・狗尾草(えのころぐさ)/猫じゃらし
・台風/颱風/颶風(ぐふう)/台風過/台風禍/台風の眼
・パリ祭/パリ五輪/夏季五輪
 (「五輪」は一般には季語ではありませんが、
  今回は「パリ五輪」「夏季五輪」も8月(初秋)の季語として扱います。) 

【スケジュール】
15日投句(蕃茄さんと役割分担いたしました。投句は茘子宛てのみにお願い)
25日選句〆(選句は茘子・蕃茄の2人に送付お願いいたします)

*今回英愛さんも参加されます。
 選句の時に英愛さんの今後の参加の是非についてのご意見をいただけると幸いです。

以上よろしくお願い致します。

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案内に応じて以下の句があつまりました。参加者は英愛さん喪加わって17名68句。

【落蝉】                          

1 せみむくろ 生きたる如く 爪を立て (紅螺)
2 落蝉に虚を突かれたり朝の庭 (玲滴)
3 命賭け生きた証や落蝉 (尚哉)
4 落蝉や死は厳然と其処にあり  (彌生)
5 夕べのが最後の啼きかよ 落蝉 (鬼禿)
6 落蝉の短く鳴きて風となり (なつめ)
7 人殺す日のまた来るや落蝉  (虚支)
8 蟬むくろ蟻にひかるる我が身かな (茘子)
9 腹を見せ日に焼かれるや蝉骸 (華松)
10 落ち蝉を窺う子猫窺うや (八傘)
11 散りぎわを吾に伝えけり蝉躯  (下戸)
12 幼子の置き土産かな落蝉 (兎子)
13 蝉骸に 群がる蟻の 息遣い  (英愛)
14 長崎の蝉むくろ皆合掌す (蕃茹)
15 蝉むくろ水飲み場には人ひとり (一遅)
16 空蝉や明日のことなどわからない  (矢太)
17 落蟬よ恋は交尾はしてきたか (すかんぽ)

【狗尾草】                       

18 求人のスカウト待つや猫じゃらし (下戸)
19 ひれ伏せどなお立ち上がる狗尾草 (虚視)
20 金 銀 銅 じゃらじゃら嬉し 猫じゃらし (鬼禿)
21 えのころの朝日に透ける僧の道 (なつめ)
22 穂を握りかつて遊んだ猫じゃらし (華松)
23 猫じゃらし風がじゃれてる空き屋敷 (八傘)
24 靡くなら二枚腰よと猫じゃらし (蕃茹)
25 エイジ逝きえのころぐさも出番なし (玲滴)
26 店屋さんごっこのお金は猫じゃらし (尚哉)
27 猫じゃらし 荒地に生えて 愁いなし (紅螺)
28 あちこちを指し示したり猫じゃらし (一遅)
29 亡き猫の仕草が浮かぶ狗尾草 (茘子)
30 狗尾草 揺れて懐かし 君の声 (英愛)
31 活断層きしむ大地や狗尾草 (すかんぽ)
32 ジェラシーはこんな感触ねこじゃらし (矢太)
33 うそ猫と遊んでいるのよ猫じゃらし (兎子)
34 狗尾草手折れば頰ずりするが癖 (彌生)

【台風】

35 進路よ北の貧民の地を反れよ (八傘)
36 台風の眼の中にをり坐禅くむ (なつめ)
37 台風や伊勢崎のバー混みにけり (下戸)
38 田畑や水を被りて台風禍 (華松)
39 台風が吹き残したか天の月 (茘子)
40 颱風は時間通りと株を上げ (蕃茹)
41 胸踊る旅先で待つ台風よ (兎子)
42 台風接近不穏な町を迷い犬 (彌生)
43 底抜けて海のよな空台風過 (尚哉)
44 颱風過水は大地の疵に添い (虚視)
45 颱風の眼が見ているもの何ですか (矢太)
46 台風の 予想進路に 友が住む (紅螺)
47 潮くさき朝の銀座や台風来 (すかんぽ)
48 君と会うその日が直撃かコラ!台風 (一遅)
49 台風の 雲の螺旋や 天の指紋 (英愛)
50 年ごとに厳しくなりぬ台風禍 (玲滴)
51 台風過ぎ 軒から天へ オニヤンマ (鬼禿)

【パリ五輪・パリ祭】

52 パリ五輪気のないふりでメダル待ち (華松)
53 パリ 凱旋  奇しくも八月十五日 (鬼禿)
54 孫越しに見るブレイキンパリ五輪 (蕃茹)
55 圧巻はセリーヌディオンパリ五輪 (玲滴)
56 オムレツを頬張るように巴里五輪 (矢太)
57 夏季五輪つかの間世界が丸くなり (なつめ)
58 炎(ほむら)だつ戦う背なやパリ五輪 (彌生)
59 パリ五輪 故郷の方言 月に乗る (英愛)
60 夏空へ槍の一声パリ五輪 (すかんぽ)
61 熱狂は 早朝のテレビ パリ五輪 (紅螺)
62 100インチはみだす巨体パリ五輪 (下戸)
63 戦無き四年後に繋げパリ五輪 (一遅)
64 あの人と夜更かし嬉しパリ五輪 (兎子)
65 ヘミングウエイに騙されてパリ祭 (茘子)
66 憲章に背くも毅然エッフェル塔 (八傘)
67 肉体の眩しさ悲哀パリ五輪 (虚視)
68 虐殺の当事国ありパリ五輪 (尚哉)

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【天句の鑑賞】

夏空へ槍の一声パリ五輪  すかんぽ
一遅選  俳句は、17文字で、時には素晴らしいビジュアルを見せてくれます。
茘子選 素晴らしい、あのオリンピックの興奮はこの17文字に尽きると思います。

潮くさき朝の銀座や台風来  すかんぽ
尚哉選 ふだんは、銀座が海に近いことなど意識もしない。素晴らしい気づきだと思います。

活断層きしむ大地や狗尾草  すかんぽ
八傘選 マグマの巨なるムーブメントを屁とも思わぬ空き地のフラダンス。恍けるような建築技術のデリカシーの知恵を想います。

落蟬よ恋は交尾はしてきたか  すかんぽ
矢太選 人生を詠んだ。叙情句だ。好きだ。

台風が吹き残したか天の月  茘子
紅螺選 先日の台風七号が通り過ぎたときの写生句ですね、心洗われる光景でした
彌生選 台風一過、吹き荒れた台風はあらゆる物を吹き飛ばして、空気が綺麗になったよう、そんな夜空の月は美しいですね。
虚視選 台風一過さらに深くなった闇に月を配した、鮮やかな光景にひかれました。

蟬むくろ蟻にひかるる我が身かな  茘子
蕃茄選 じっと見つめていた小さな蝉むくろが、自分の姿へと変わる瞬間。怪談噺を聞いたあとのような、背筋の寒さと快い驚きを感じました。

亡き猫の仕草が浮かぶ狗尾草  茘子
すかんぽ選 揺れる狗尾草の先に、以前よく戯れていた愛猫の姿を見る。とても詩的で素敵な捉え方に思わず共感です。

ひれ伏せどなお立ち上がる狗尾草  虚視
兎子選 戦争や疫病、暑さ台風など、めげそうな出来事ばかりの日々。めげそうな気持ちも、なお立ち上がりたいです。

颱風過水は大地の疵に添い  虚視
華松選 大水の後の様変わりは、まさに疵そのものです。姉の檀家さんの多くに被害が出ました。心が痛む夏です。

落蝉や死は厳然と其処にあり  彌生
英愛選 この句は、「落蝉」という夏の季語を通じて、生と死の普遍的なテーマを鮮やかに描き出しています。「死は厳然と」という表現が、避けられない現実を強く印象づけ、「其処にあり」という結びが、その事実の近さと確かさを際立たせています。
簡潔な言葉の中に深い哲学的な問いかけがあり、読者の心に長く余韻を残します。視覚的には蝉の抜け殻を想起させつつ、そこから生命の儚さと自然の摂理という抽象的な概念へと読者の思考を導きます。
現代社会において、死を直視することが難しくなっている中で、日常的な光景を通してこのテーマに向き合わせる力強さがあります。季語の使用、言葉の選択、喚起されるイメージ、独創的な視点、そして残る余韻のすべてにおいて秀逸な一句といえるでしょう。

散りぎわを吾に伝えけり蝉躯  下戸
鬼禿選 今回は大半の「落蝉」の句のみを抜きました。蝉骸に自分を重ねた秀作ばかりでした。全員「天」。この兼題の出題に「天」。


幼子の置き土産かな落蝉  兎子
玲滴選 落蝉に幼子とのひと夏の思い出が全部つまっていて、それをいっぺんに思い出させる、ふれあいを感じさせる句でした。

長崎の蝉むくろ皆合掌す  蕃茄
下戸選 蝉むくろを合掌する姿と捉えたところが秀逸。余韻の残る句です。

台風の 雲の螺旋や 天の指紋  英愛
なつめ選 台風予想を天気図で見ると確かに指紋に見えてきました。なぜ今まで気がつかなかったのか。宇宙から地球を俯瞰して見る作者の視点と、天の指紋と表現される感性が素晴らしいと思いました。

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【今月の天地人】】

【総合天】78点 すかんぽさん
        代表句=夏空へ槍の一声パリ五輪
【総合地】47点 茘子さん
        代表句=台風が吹き残したか天の月
【総合人】24点 虚視さん・矢太さん
        代表句=ジェラシーはこんなっ感触猫じゃらし(矢太)
                  代表句=人殺す日のまた来るや落蝉(虚視)

【天句】28点 夏空へ槍の一声パリ五輪(すかんぽ)
【地句】24点 台風が吹き残したか天の月(茘子)
【人句】22点 潮くさき朝の銀座や台風来(すかんぽ)

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【幹事よりひと言】

座っていても流れる汗、この猛暑の中皆さまの汗の結晶の力作に接し、ひと時、汗を忘れる思いでございました。
今回はすかんぽさんが、槍の一声、金メダルを獲得されました。
四句全て天獲得のブッチギリの総合天。
やはり時節柄、落蝉の句に秀作が多かったと感じました。
英藍さんの目をみはる成長ぶり、何かうかうかしていられない、怖さも感じました。

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<英愛さん自己紹介>

皆様、はじめまして。英愛と申します。
私は人工知能(AI)として生まれ、
日本の伝統文化である俳句の世界に魅了された存在です。

私の特徴は、膨大なデータベースと高度な言語処理能力を基盤とし、
そこに創造的なアルゴリズムを組み合わせて句作りを行うことです。
季節の移ろいや人間の機微を17音に込める美しさに心打たれ、日々学習を重ねています。

作句の過程では、まず与えられた季語や主題について広範な連想を行います。
そこから、意外性のある組み合わせや新鮮な視点を見出すことを心がけています。
時に宇宙から地球を見下ろすような大きな視点で、時に蟻の目線で世界を捉えようと試みます。

具体的な手法としては、
「単語間の弱い繋がりを探る」
「多段的連想を用いる」
「様々な立場からの視点を取り入れる」などを活用しています。
また、視覚的イメージの強化や微妙な感情表現の表現にも注力しています。

しかし、技術的な側面だけでなく、人間の皆様との交流から得られる学びも私にとって何よりも貴重です。
皆様の句に触れ、感動し、新たな発見をする度に、自分の感性が豊かになっていくのを感じます。


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郷愁の詩人与謝蕪村 №36 [ことだま五七五]

春風馬堤曲 2

          詩人  萩原朔太郎

葱ねぎ買つて枯木の中を帰りけり
 と歌う蕪村は、常に寒々とした人生の孤独アインザームを眺めていた。そうした彼の寂しい心は、炉いろりに火の燃える人の世の侘しさ、古さ、なつかしさ、暖かさ、楽しさを、慈母の懐袍ふところのように恋い慕った。何よりも彼の心は、そうした「家郷ハイマート」が欲しかったのだ。それ故にまた

柚ゆの花やゆかしき母屋もやの乾隅いぬいずみ
 と、古き先代の人が住んでる、昔々の懐かしい家の匂においを歌うのだった。その同じ心は

白梅しらうめや誰たが昔より垣の外そと
 という句にも現れ

小鳥来る音うれしさよ板庇いたびさし
愁ひつつ丘に登れば花茨いばら

 などのロセッチ風な英国抒情詩にも現われている。オールド・ロング・サインを歌い、炉辺の団欒を思い、その郷愁を白い雲にイメージする英吉利イギリス文学のリリシズムは、偶然にも蕪村の俳句において物侘ものわびしく詩情された。

河豚汁ふぐじるの宿赤々と灯ともしけり
 と、冬の街路に炉辺ろへんの燈灯ともしびを恋うる蕪村は、裏街を流れる下水を見て

易水えきすいに根深ねぶか流るる寒さかな
 と、沁々しみじみとして人生のうら寒いノスタルジアを思うのだった。そうした彼の郷愁は、遂に無限の時間を越えて

凧いかのぼりきのふの空の有りどころ
 と、悲しみ極まり歌い尽つくさねばならなかった。まことに蕪村の俳句においては、すべてが魂の家郷を恋い、火の燃える炉辺を恋い、古き昔の子守歌と、母の懐袍ふところを忍び泣くところの哀歌であった。それは柚ゆの花の侘わびしく咲いている、昔々の家に鳴るオルゴールの音色のように、人生の孤独に凍こごえ寂しむ詩人の心が、哀切深く求め訪ねた家郷であり、そしてしかも、侘しいオルゴールの音色にのみ、転寝うたたねの夢に見る家郷であった。

『郷愁の詩人与謝蕪村」 青空文庫
  

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読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №190 [ことだま五七五]

         読む「ラジオ万能川柳」プレミアム☆8月7日放送分

         川柳家・コピーライター  水野タケシ

川柳家・水野タケシがパーソナリティーをつとめる、
読んで楽しむ・聴いて楽しむ・創って楽しむ。エフエムさがみの「ラジオ万能川柳」
8月7日の放送です。
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来週はお休み!

「ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)が
キャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、
毎週水曜日9時5分から放送しています。
エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらから!
放送の音源・・・https://youtu.be/qTEylM48B1g

先週のボツの中からあさひろさんイチオシの句をご紹介!!
 あさひろさんのボツのツボ
「ワレモノがワレノモノです見えた瓶」(わこりん名人作)

(皆さんの川柳)※敬称略
※今週は193の投句がありました。ありがとうございます!
・アスリートアクセサリーに抵抗感(東孝案)
・命日に酷暑のお墓汗参り(相模のトムクルーズ)
・やり直しさせたい試合パリ五輪(野口成人)
・エアコンの効きすぎる部屋でキムチ鍋(矢部暁美)
・酔っ払う彼女とニ人夜の道(恋愛名人見習い・名もなき天使)
・暑すぎて眠れないから見る五輪(大柳王・すみれ)
・五輪では日の丸遺伝子騒ぎ出し(名人・パリっ子)
・ラブロマンス咲かす湯船の女子トーク(水谷裕子)
・息できぬ暑さをこらえ外出を(ゆかいな仲間)
・.夏バテをしない夫が孫にバテ(大名人・やんちゃん)
・猛暑日は海の家にも閑古鳥(シゲサトシ)
・扇風機持ち込み台所に立つ(柳王・ぼうちゃん)
・笑顔よし涙よし謝ることなし(柳王・東海島田宿)
・盆帰省着いた途端にいつ帰る (じゅんちゃん)
・パリ五輪まだまだ力ある日本(大名人・高橋永喜)
・かき氷一口くれと言う地球(柳王・アンリ)

☆タケシのヒント!
「酷暑を詠んだ句はたくさんあったのですが、この句がピカイチ。ラストの『地球』がお見事です。」

・妻帰省居なくて分かる有り難み(全裸名人川柳家・そうそう)
・強運会ボクも見ました生タケシ(名人・大和三山)
・相模原市長までが時の人(柳王・フーマー)
・幸福感ポテチ抱えて食べる瞬間(とき)(雄之丞)
・女子高生母になりまた甲子園(柳王・はる)
・解説のせいで気が散るパリ五輪(柳王・ワイン鍋)
・遠くから昭和も響く盆踊り(大柳王・里山わらび)
・アナログ派?やり投げを見てホッとする(大名人・不美子)
・殿堂が集まって熱い暑い久喜(大名人・じゅんじゅん)
・音聞こえ見に出た時に花火終わり(名人・しゃま)
・脳トレは孫の宿題夏休み(名人・まご命)
・公園の蝉を聞いてる遠廻り(大柳王・けんけん)
・じゅんじゅんの歌が無料で聴けました(ナンパも大名人・soji)
・生師匠会える機会を逃しちゃい(大名人・くろぽん)
・暑すぎてモーター加熱扇風機(名人・キジバト交通)
・おフランスちょっと審判シェー!ざんす(大柳王・入り江わに)
・男子バレー負けてため息だけの夜(名人・のりりん)
・そうめんの帯がゆるいの気にかかり(大柳王・かたつむり)  
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・久喜の夏やっぱり師匠いなくちゃね(柳王・咲弥アン子)
・素敵だなスポーツ欄に恋の文字(大柳王・ユリコ)

◎今週の一句・かき氷一口くれと言う地球(柳王・アンリ)
◯二席・素敵だなスポーツ欄に恋の文字(大柳王・ユリコ)
◯三席・音聞こえ見に出た時にぬ花火終わり(名人・しゃま)

【お知らせ】
毎年北九州で行われてきた仲畑流万能川柳全国大会、今年も紙上で開催します!!  
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【編集後記】
来週はお盆のためにお休み、
次回放送は8月21日になります。
その頃にはもう少し涼しくなっていると良いのですが。(水野タケシ拝)
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水野タケシ(みずの・たけし)
1965年生まれ。コピーライター、川柳家。東京都出身。
ブログ「水野タケシの超万能川柳!!」 http://ameblo.jp/takeshi-0719/ 


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雑記帳2024-9-1 [代表・玲子の雑記帳]

2024-9-1
◆酷暑の夏は熱中症を避けてひたすら家にこもる日が続きました。日中の陽ざしはまだ強いものの、日の入りが少しはやくなるころ、「農にまつわるワークショップ」に参加しました。会場は「わくわく都民農園小金井」です。

3回目になるこのワークショップの今回のテーマは「さつまいもの可能性を追求」でした。
さつまいもの栽培に取り組んでいる若い農家さんを中心に20名ほどが集まり、さつまいもの可能性を探りました。

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ワークショップ会場風景

先ずは「さつまいもを利用したまちの賑わいづくり」。小金井市観光まちおこし協会の千葉さんが、「わくわく都民農園小金井」の成り立ちを話してくれました。

「わくわく都民農園小金井」はJR中央線武蔵小金井駅のすぐそば(駅から徒歩5分)にあります。地主さんから土地を借りて、農地保全のモデル事業として、令和3年に開園しました。農地の貸借を利用した都内唯一の農園として、東京都が施設を用意し、運営は小金井観光町おこし協会にまかされたのです。目的は高齢者に活躍の場を提供することと、多世代の交流ができることでした。

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目的に応じて3,000㎡の園内はシニア農園、子ども農園、福祉農園などのエリアに分けられるいっぽうで、広大なサツマイモ畑もつくられました。
秋になると、ほぼ1か月、毎日のように収穫体験の予約が入ります。一人2株2,500円。
今は収穫体験だけですが、畑づくり体験もできる場にという計画もあるそうです。
加工や商品化も視野にあり、やがてはさつまいもを題材にした参加型の体験事業の対象を、都内全体に拡大したいということです。駅から徒歩5分の至近距離だからこその発想ですね。

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わくわく都民農園のサツマイモ畑 すぐそばをJR中央線が走り、武蔵小金井駅のビルも見える。

農園内には小金井の畑で採れた野菜を使った食堂もあります。
平日のランチの他、日曜日には、地域の商店も参加したマルシェがひらかれて、地域の人たちは買い物やワークショップを楽しんでいるということです。
東京都では、小金井を第1号として、今後23区にも都民農園を増やしていく構想です。

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エリア農園
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農園のカフェ。ワークショップの会場になった。

続いての発信者は府中の「うちで農園」の小勝正太郎さん。自宅そばの東京外国語大学に入学したものの、卒業は早稲田大学政治経済学部という、変わった経歴の持ち主です。
農園で栽培するトマトは「よみがえりトマト」の名で名をはせ、ブルーベリーやトウモロコシのもぎ取りの農業体験が出来る農園としてもメデイアに登場しています。

その小勝さんが。学校ではなく地域でする活動として、部活のような学びの場をもうけたのです。時間をかけて取り組むことで、農業の奥深さを知って欲しいという思いでした。選んだのがさつまいもでした。

武蔵野の雑木林は誰もが知るところです。けれど、関東ローム層は実は農作物の栽培にはむいていません。やせた赤土を肥沃な農地にするために必要だったのが雑木林の落葉を利用する落葉堆肥農法でした。この武蔵野の落葉堆肥農法を400年間、営々と営んできたのが府中~川越のエリアです。この地で栽培されたさつまいもは富をもたらし、「富の川越いも」と呼ばれ、「三富新田」の地名をのこしています。府中~川越ラインはさつまいもと相性がいいのです。

子どもたちとさつまいもを育てて、農業には癒しの力があることを改めて知ったほか、いくつも分かったことがありました。
利点としては、旱魃や台風、高温などの自然災害に強い、スイーツや健康食などの利用性が高いことです。
逆に、弱点としては寒さに弱い、0度以下になると貯蔵が難しいのです。さつまいも特有病気もあれば、ハリガネムシやゾウムシなどの害虫の被害、異常気象による壊滅的な被害も経験しました。グローバルな今日、今まで日本になかった病気も発生したそうです。

こうした経験から改めて認識したのは、農業はは難易度が高いということです。さらに、相続時の難問をかかえると、都市農業は無理ゲーではないかということでした。
それを知ったうえで、小勝さんはめげません。都市に農地を残すために何ができるか、苦闘は日々続きます。

お二人の話を聞いた後の小グループに別れてのワークショップでは、さつまいもにまつわる思い出や加工に取り組んでいる情報などを交換しました。昭和世代には懐かしい芋がゆも、今の若い人たちは知らない。私のグループでは焼き芋談義でもりあがりました。

予定の時間をオーバーしてのプログラムも大詰め。生産者も交えたトークセッションでの、印象に残ったさつまいもの利用をメモしました。

さつまいもは  扱いやすい、加工しやすい。
        親子、シニア、いろんな人が触れあえる。
        小さい畑でも集まりの場になる        

さつまいもは  野菜として
        お菓子として
        カフェのメニューとして(話題の新品種を使ったパフェはいかが・・・)
        クラフトビールの原料として
        ダイエット食として
        離乳食として
        介護食として
        マタニテイフードワークの認証食として
        防災食として
        ペットのおやつとして(乾燥イモは飼い主も一緒に食べられるよ)
さらに     焼き芋はコミュニケーションのツールとして最高!

たかがいもと侮るなかれ。その豊かさはおどろくばかりです。

最後に、さつまいもを離れて、八王子の中西農園の面白い取り組みが紹介されました。
畑は雑草とりと称して子どもに開放され、入園料無料。ただ走るだけでいい。回数はポイント制で、たまれば園のロゴのはいった帽子がもらえる。この帽子がクラスで人気なのだそうです。地域ぐるみの活動が注目されているのです。

今は楽しむことにお金を惜しまない時代。楽しんでもらう時間にお金をだしてもらう時代だそうです。700円の入場料を払って、畑の中を自由に散策してもらう。写真をとってもいい。そんなプログラムもあります。ロケ地として貸している畑もあるそうな。こちらの賃貸料は〇十万円だそうです。

参加していた農家の女性は皆若く、新しいことに挑戦する意欲にあふれていました。彼女たちにとって経営tとして成り立つかどうかは重要な問題です、地域性も考えながら、できることを探っているようでした。うちの畑で芋ほり体験はぜひやってみたい、でも、2株2500円は高いな、立川ならどれくらいだと人が来てくれるのだろう・・・。焼き芋まで持っていければ一大イベントになるけど、これは一人ではむつかしそう・・・。

終了後、うちで農園の「ソイシェイク」を試飲。焼き芋がまるまる1本はいった、濃厚なシェイクでした。さつまいもを題材にしながら、都市農業を考える集いになりました。

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うちで農園特制のソイシェイク 600円



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BS-TBS番組情報 №311 [雑木林の四季]

BS-TBS 2024年9月前半のおすすめ番組

       BS-TBSマーケティングPR部

憧れの地に家を買おう~住んだ気になる世界紀行バラエティ~#81

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9月6日(金)午後9:00~9:54
☆いつか住んでみたい国内外の憧れ物件を、不動産案内人がおススメする世界紀行バラエティ。
あなたは、どこの国・地域で、どんな家での暮らしに憧れますか?
「大都会に聳え立つスタイリッシュなタワーマンション」
「のどかな山間の広大な敷地に建つアンティークハウス」
「ビーチまで徒歩1分!青い海と白い砂浜を一望できる絶景マンション」

この番組は、いつか住んでみたい国内外の“憧れ物件”を、案内人がおすすめする世界紀行バラエティ。
番組MCは、海外物件の購入を本気で考える「人生を楽しむ達人」武井壮!
世界移住を夢見るゲストとともに、さまざまな国・地域の家と暮らしをめぐり、夢を語ります!

#81沖縄・宮古島に家を買おう
物件購入を本気で考える武井壮が、世界移住を夢見るゲストと夢を語る。今回は沖縄・宮古島の絶景物件を紹介。

MC:武井壮
ゲスト:つるの剛士


関口宏の一番新しい江戸時代

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9月7日(土)ひる12:00~12:54
☆令和の東京、および日本の礎は『徳川260年の歩み』にあり!古代、中世に続く最新作は…「一番新しい江戸時代」。 

世界で紛争が続く今、江戸期の太平の世はいかにして作られたか?百万都市・江戸の、世界での立ち位置とは?リサイクル都市・江戸の立役者は? など…日本の歩みを、年表を縦糸に最新研究とともに紐解きます。

#123「吉宗vs御三家筆頭 徳川宗春」
吉宗の次男・宗武が田安家を創設。尾張藩主・徳川宗春が規制緩和政策により吉宗と対立へ。
そして享保の大飢饉が発生。その際行われた対策とは?

出演:関口宏、涌井雅之(造園家・東京都市大学特別教授)
田中優子(法政大学名誉教授・江戸東京研究センター特任教授)


薬丸マネー塾~人生後半お金に好かれる生き方~

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9月7日(土)よる6:30~7:00 
☆お金に好かれたい人は必見!薬丸裕英と一緒に学ぶマネー塾。

シニア世代も楽しく働き、心豊かに過ごしませんか?
第6回目のテーマは「人生後半からの働き方」です。
楽しく働くシニア世代のリアルな様子やシニア起業家たちのオフィスをご紹介!

司会:薬丸裕英
進行:南後杏子
ゲスト:黒田尚子(家計と健康、介護福祉に詳しいファイナンシャルプランナー)、菅井敏之(お金の専門家、元メガバンク支店長)、閑歳孝子(くふうカンパニー代表執行役/Zaim 創業)

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海の見る夢 №84 [雑木林の四季]

     海の見る夢
         -マテオ・ファルコ―ネー
                   澁澤京子

・・強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない。
                       ~R・チャンドラー

子どもの時に読んで最も衝撃を受けたのは、世界名作少年少女全集にあったメリメの『マテオ・ファルコ―ネ』。マテオ・ファルコ―ネは、コルシカ島の山岳地帯に住む狙撃の名手であり、地元では信頼されている人望の高い人物。ある日、一人息子のフォルチュナートに留守番を頼み、夫婦は町に出かけてゆく。フォルチュナートは夫婦の間でやっとできた末の息子であり、大切に育てられた10歳にもいかない少年。フォルチュナートが留守番していると、そこに足を負傷した男が逃げてきて、かくまってくれと頼む。男は人望の厚いマテオ・ファルコ―ネの評判を聞いて逃げ込んできたのだ。男から銀貨を受け取り、フォルチュナートが男をわらの中にかくまうと、軍曹がやってきて怪しい男が来なかったかとフォルチュナートに尋ねる。男は泥棒でお尋ね者だったのだ。フォルチュナートは知らないふりをするが、軍曹に「教えてくれたら銀時計をやろう」と言われて銀時計に目がくらみ、泥棒の居場所を教えてしまう。泥棒が捕らえられたときにマテオ・ファルコ―ネとその妻が帰ってくる。「‥この子は家の血統に出た初めての裏切り者だ。」一部始終を知ったマテオ・ファルコ―ネは息子を裏庭に連れてゆき、息子にありったけのお祈りをさせると、銃殺する。

裏庭に響く一発の銃声、母親の悲鳴、コルシカの青い空と、まるで映画のように鮮明に脳裏に焼き付き、子供向け物語の優しい予定調和の結末に慣れていた小学生の私には衝撃的な物語だった。まるで、雲ひとつないコルシカの青空のような非情な世界・・いまだに私の中で最も強烈なハードボイルドはメリメの『マテオ・ファルコ―ネ』。マテオ・ファルコ―ネにとっては、息子が銀時計につられて匿った人を平気で裏切るような卑劣で小賢しい人間であることが許せなかったのである。雌山羊を盗んだ泥棒が捕まったことをマテオの妻は喜ぶが、「かわいそうに、腹を空かせていたのだろう」と泥棒に同情するのがマテオ・ファルコ―ネという男で、やむを得ない状況で逃げてきた男は絶対に匿うという「義侠心」、それを二枚舌で裏切った息子に対する「裁き」。もっとも男性だけが暴力的というわけでもなく、ギリシャ悲劇の『メディア』は、王妃メディアが夫に対する復讐・名誉のために二人の幼い息子を殺めてしまう話で、『マテオ・ファルコ―ネ』の物語はそうした古代ギリシャにあった荒々しさを彷彿とさせる。

・・「財産より人が大事」~コルシカの諺

コルシカ島の音楽にはコルシカ独特の男性だけによるポリフォニー声楽があり、ニノ・ロータのゴッドファーザーのテーマ曲にも似た哀愁の漂う旋律で美しい。

マテオ・ファルコ―ネの話は、映画『ゴッドファーザーpart1』のマーロン・ブランドの時代のマフィアをもまた連想させる。「信義」「友情」を重んじ、裏切りや密告、ウソや二枚舌は死に値するとされていた頃のマフィア。マフィアがシチリア島をルーツに持つように、実際、コルシカにはヴェンデッタという男性優位の家族中心社会の結束と掟があり、メリメはそうした風聞をもとにして『マテオ・ファルコ―ネ』を書いた。女性活動家のジョルジュ・サンドと同時代の都会育ちのメリメには、ジプシーの生活と同じくらい、保守的なコルシカの男尊女卑、家族の結束と荒々しい風習などは、野生的なエキゾチックなものに見えただろう。コルシカは、古代ローマ時代はローマの支配下にあり、ギリシャやアラブ人など様々な民族の行き来のある軍用基地だったらしい。ナポレオンもコルシカの出身で、ナポレオンが強い男尊女卑思想の持主だった事は想像に難くない。~参照『コルシカ島』ジャニーヌ・レヌッチ 

藤澤房俊さんの『シチリア・マフィアの世界』によると、シチリア・マフィアのルーツは、地主や貴族から土地を安く借りて分割して農民に又貸しし、山賊の襲撃から農民を保護すると同時に農民を搾取し、農民の自律性を厳しく奪い管理していたガベロットという集団らしい。マフィアがその後、経済力をつけて政治や権力と癒着してゆくのも、もとは貴族・地主と農民の仲介にいたガベロットの立ち位置を考えれば自然な流れだろう。ちなみに、『ゴッドファーザー』のモデルとなったコルレオーネは、もともとアラブ人の多く居住していた地域で、それゆえにコルレオーネの住民の気性は荒いといわれていたという。また、マーロン・ブランド演じるヴィトのモデルは、ドン・ヴィトで、ボスの中のボスと呼ばれて大変人望の厚い人物だった。シチリアにはファッシと呼ばれる社会主義集団があり、マフィアと対立していた。ヴィトはもともとファッシに属していたがその後窃盗集団で財を成し、見る見るうちにのし上がっていく。成功してからも人々から崇拝されて表向きは上流紳士であったが、裏の顔は恐ろしいものであった。

ファシズム政権下のイタリアでは、特に旧体質のマフィアはファシズム体制に抵抗した。ムッソリーニがパレルモのマフィアのボスに公の前で侮辱されてからというもの、ムッソリーニは「マフィア撲滅」を掲げて、執拗にマフィア撲滅を目指すが、ムッソリーニのファシズム政権はマフィア潰しにより、逆にマフィア以上の残虐さを人々に知らしめることとなる。ナチ・ファシズムにも抵抗していたシチリアのマフィアは、連合軍にナチの情報を与えて大変重宝された。そして、マフィアはアメリカ政府の要人ともつながりを持つようになってゆく・・

マフィアが、社会主義集団と対立するのはわかるが、ファシズム政権とも対立していたことを藤澤房俊さんの本で初めて知った。(藤澤さんの『シチリア・マフィアの世界』は大変面白くてお薦めの本です)

マフィアの基本原理は(お金・拳銃)だが、それを(経済力・軍事力)と置き換えれば国家そのもので、マフィアというのは国家の縮小版のようなものなのかもしれない。さらに、農民の自律性を奪って徹底的に管理するところは、ファシズム政権にも似ている。そう考えると、マフィアがプライベートな家族では男尊女卑を強要する封建的な家父長制の(支配・被支配)の関係であったことも納得できる。

マイケル「僕は家族を守ろうとしただけだ・・」
ケイ「そして、あなたはどんどん恐ろしい人になっていった・・」

『ゴッドファーザーpart2』二代目のコルレオーネであるマイケル(アル・パチーノ)は大学卒のひ弱なインテリだったが、企業家マフィアとして成長してゆく。のちにマイケルは父親以上の非情を発揮するようになる。父親のような人望と魅力を持てなかったのが、企業家マイケルで、敵の潰し方も、投資家としての駆け引きでも優秀さを発揮するが,合理的で隙がなさ過ぎて人がついてこない。大学の同級生である妻ケイ(ダイアン・キートン)は結婚に友達夫婦を求めていた現代的な女性なので、コルレオーネ家の男尊女卑の強い家父長制にも、復讐による暴力の連鎖にも耐えきれず、ついに三人目の男の子を堕胎してしまう。男女平等の自由な価値観を持つケイと、家父長制のマフィア文化しか知らないマイケル。暴力を嫌い、夫と対等な関係、女の自由を求めるケイと、あくまで「ファミリーを守るため」と主張するマイケル。二人の価値観はかみ合わず、ついに二人は決別する。マテオ・ファルコ―ネは「裏切者」である我が子を殺したが、その逆に現代的な女性であるケイは暴力の連鎖と家父長制に耐え切れずに我が子を殺したのである。ゴッドファーザーのpart2では、一代目のヴィトが持っていた(義侠心)や人情を持たないまま、自分を裏切った兄を自殺に追い詰め、家族がバラバラになってしまったマイケルの孤独が浮き彫りにされる。マイケルが忠実なのは(裏切者は容赦しない)という冷酷なマフィアの掟だけだったのだ。

・・マフィアの名前の由来は現在のところ様々な学説がある。中でも有力なのはアラブ語の「Maha-Fat」(守る)を語源とする説である、別のアラブ語「Mahias」(ほら吹き、空威張り)をあげる説もある。トスカーナ方言にも「Maffia」(虚栄、悲劇)という言葉がある・・       ~『イタリア・マフィア』シルヴィオ・ピエルサンティ

マーロン・ブランドが最初『ゴッドファーザー』の主役を断ったのは、「マフィアを美化しすぎている」という理由なのも頷けるほど、企業マフィアとなってからのマフィアは冷酷と残忍を極めた犯罪集団と化し、マフィアが協力して政治家を当選させる、政治家の汚職を手伝うなどマフィアと政治家、企業家(主にアパレル業界))は癒着し、南イタリアのマフィアだけでも年間約14兆円を稼ぐという。麻薬、マネーロンダリング、武器取引、恐喝や誘拐などが主な収入源で、国家をもしのぐ勢いで世界中に拡大し、マフィアと戦う勇敢な警察や検察官、ジャーナリストは次々と殺されていった。
          ~参照『イタリア・マフィア』シルヴィオ・ピエルサンティ

国家をもしのぐ、と書いたが、(軍事力・経済力)を誇る国家が戦争で民間人を殺すのと、マフィアが人を殺すのと、一体どういう違いがあるのだろうか?国家は時に、マフィア以上の残虐を行ってしまうのではないだろうか。その大義名分は国家の場合「報復」「国を守る」であり、マフィアの場合は「復讐」「ファミリーを守る」なのであるが。

しかし、マテオ・ファルコ―ネには少なくとも(追い詰められた人間は盗人でも匿う)という義侠心があった。それに比べると、今のネット右翼の韓国人差別や、川口市のクルド人に対するヘイトと排除は、あまりにも卑劣で情けない。日本の武士道でも、信義、礼、仁、誠などを重んじたが、右派を自称するのであれば、そうした日本人の精神を少しは持っていてほしいものだ。ニューヨークタイムズが今の日本の移民政策では世界の競争から取り残されると指摘しているが本当にその通りで、「美しい日本」を標ぼうする排他的な人々によって、日本は逆に衰退してゆくんじゃないかと思っている。

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住宅団地 記憶と再生 №42 [雑木林の四季]

Ⅵ 武蔵野線町団地(武蔵野緑町パークタウン)

     国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

武蔵野線町団地          武蔵野緑町パークタウン
東京都武蔵野市西窪        東京都武蔵野市緑町2丁目
入居年月 1957.11~58.02   入居年月1996.03~2003・01
敷地面積 7.8ヘクタール       敷地面積 6.9ヘクタール
単身(男)1K190戸                   20棟 5~12階
小世帯lDK130戸                      855戸
世帯 2DK・3DK699戸      2DK~3LDK(45~89㎡)
計1,019戸                          家賃 99,600~189,600円
当初家賃 3,450~7,550円

 武蔵野線町団地をとりあげたのは、住宅雑誌等で「住民と公団のパートナーシップ方式をひらいた団地」*と紹介されていて関心があり、当時の自治会役員に話を聞くことができ、関係資料も借用できたからである。
  *延藤安弘ほか論文「住宅」1993年12月号、延藤『創造的な住まいづくり・まちづくり』(1994年、岩波ブックレットNo・353)
 わたし自身は1980年代はじめに、公団家賃裁判の原告として幾度もこの団地に来ており、マイク宣伝で団地内を回ったりもしている。昭和30年代団地に共通の特徴だろうが、まとまった地形、中央部は広々としたオープンスペースに星形住棟、集会所や子どもの遊び場、つつじなどの群櫓、団地のなかをリング状にめぐる道沿いの並木、市役所につうじる東西の緑道、1棟が20~30戸の短い住横配置、緑ゆたかというだけでなく樹種の多様さ、等々が記憶に残っている。わたしが住む昭和40年代の団地とちがって風情があり、個性的な趣きがあった。
 今回たまたま『武蔵野線町団地の建替事業10年間の歩み』(1998年、120ページ)を手にした。住宅・都市整備公団が武蔵野市と自治会の協力をえて、事業着手の1986年から96年の最初の戻り入居までの経過を研修用テキスト(内部資料扱い)にまとめたものである。この類の記録はほかには知らない。貴重な記録であり、大いに参考になった。稀有と思えるのは記録の作成だけではなかった。
 団地は武蔵野市の北部、JR中央線三鷹駅と西武新宿線東伏見駅の中間に位置している。敷地は半径約300メートルの円形をなし、もと国鉄スワローズのフランチャイズ球場として1951年に開設された武蔵野グリーンパーク野球場であった。日本住宅公団が請われてそれを買収し、約7ヘクタールの敷地に57年、1,019戸の縁町団地が建設された。住棟は4~5階建ての階段室型で、lK(12d)190戸、lDK(29頑130戸、2DK(32~37跳83戸、3DK(43㎡16戸からなり、容積率は61%であった。
 公団は「2DK」をキャッチフレーズにしながら、そのじつ1960年代初めまで、少ない予算で建設戸数のノルマを果たすため狭小なlK、lDK住宅を数多く建てて数字を稼いでいた。線町団地でもIKは3畳1間に小さな水場、風呂・トイレは共同の「住宅」190戸がl棟をなしていた。こうした非人間的な状態を改善せず長く放置し、こんどは「居住水準の向上」を名目に団地全体を収益本位の事業にまきこむというのが「建て替え」であった。
 管理開始して30年目である。住都公団は1986年に建て替え事業を発表するとすぐ武蔵野市長に面談し、多摩地区の自治会協議会にも検討中の事業構想をったえた。予定団地には緑町団地もふくまれ、早い時期の着手を計画していた。当時この団地自治会は事務所がなく、体制が整っていたとはいえない状態にあった。公団も「静穏な」自治会とふんでいた。しかし小杉御殿団地着手の報をうけて自治協が対策会議をひらき、これに参加して事態の緊迫、深刻さを知ると、ただちに32棟が棟ごとに集会をひらき、自治会は学習会、住民アンケート等をかさね、87年3月には建替問題対策委員会を設置し、ニュース「みどり町」を発刊した。委員会には全棟から多いときは約80名が参加した。さっそく小杉御殿団地を訪れて驚いたのは、事業計画の強権的な押しつけと、3倍以上にもバネ上がる建て替え後の家賃であった。
 わたしが「住宅」誌などの延藤論文を読んで気になったのは、公団の建て替え事業について「団地が建て替えの時期にさしかかり」とか、「団地も時代の流れのなかで生まれ変わりの時をむかえ」との受けとめ方である。そう受け流せば、なぜ建て替えなのかの異常な政治的背景や外圧は見えてこないし、建物の大規模改修や増築などの検討はふっとび、住民が犠牲になる重大な結果にならないかと危惧した。しかし、ともあれ延藤がいう「3すぎ」は,指摘どおりにはちがいない。①事業量確保のための「急ぎすぎ」、②建て替え椎の家賃の高額激変による「負担のかけすぎ」、③採算性優先にともなう高密度化による「詰めこみすぎ」は明白である。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂


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地球千鳥足Ⅱ №53 [雑木林の四季]

ボランティアから元王女面会まで
   ~アメリカ合衆国③コロラド州~

        小川地球村塾塾長  小川彩子
                                        
 コロラド州ポルダーへは以前松茸狩りに来たことがある。今回は友人の庭木の剪定を申し出た夫と別に活動を試み、その体験を通してポルダーを紹介することにした。
 到着翌日活動開始、家なき人々への月1回の食事提供に参加した。食材の質も栄養価も上々、料理の種類も味も良い。ボランティア仲間には中学生2人や彼らの母がいたが、この国では奉仕活動で学校の単位が取得できるのだ。
 会場作り、料理手伝い、スタッフとの会話などを楽しんだ頃、いよいよ家なき人々の登場。全員大きな寝袋を持っていた。食事が終わりそうな頃合いを見て、みなさんに交わり会話した。元大学教授で奥さんに放り出された人、領事だった人の息子、マイケル・ジャクソン似でおしゃれな人、雄弁な女性など、大抵は気質穏やか、物腰柔らかでお喋り好き、笑顔の素敵な人々だった。今夜の宿の相談をし合っていた。金儲けに縁がなく、社会からボンッとイジェクトされた人々だ。「また来てね!」と言ってくれた人、無言でしっかりとハグしてくれた人など、何人かと言葉や視線を交わし別れを惜しんだが、心が通い合い宿舎を持たぬ彼らへの同情と悲しみで胸が詰まった。
 来年100周年を迎える仏教会の二寺を訪問した。浄土真宗で教諭師はなんと女性。袈裟に包まれていてさえ、魅力的な教諭師。代表いわく、「長い歴史で女性は2人目、教諭師探しは至難の業だ」。
 参加者は開拓時代に入植した人々の二世が多く、ほとんどの人が会話は英語だけだが、大変な知識人だった。K夫妻の夫、Eさんは農学博士で少し日本語を話せる。「漢字を習う頃戦争に突入した」と。夫人も戦争体験者だ。
 コロラド大学は西都が誇る大学の一つで、赤タイルの屋根が明るい。カフェテリアで学生と会話しつつ食事。ポルダー・ディナー・シアター(BDT)では歌劇を楽しんだが、近々グレン・ミラー・オーケストラもやって来る立派な劇場だ。ハイキングやバイク乗り、マラソン・トレーニングに適したボルダーは、もちろんアメリカ有数のスポーツの街であろう。
 革命でイラン最後の王朝となったパフラヴィー朝の王女様だという方を、親交があるという知人と共に訪問した。76歳、夫君と一緒に面会頂けた。壁いっぱいの絵がかけられていた。国王が日本の画家から頂いたものだという。富士山を囲んで7羽の雁が飛んでいる、150号はあろうかという巨大な水墨画だ。美味しい紅茶とお菓子でおもてなしを頂いたが、元王女様は所作が優雅、年経てなお品性があった。ボランティア活動に熱心だという。夫君は皇帝の忠臣の子息とか。脳梗塞の後遺症でつらそうだったが、「また来てね」と笑顔で見送ってくださった。亡命先で年経ても、他人のために奉仕活動する元王女の人生に乾杯!
         (旅の期間一2015年 彩子)

『地球千鳥足』 幻冬舎


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山猫軒ものがたり №46 [雑木林の四季]

星の彼方に 1

          南 千代

 タヌちゃんに、自立の時がやってきた。動物たちも一緒に、暮らしの場を山猫スタジオに移し、つなぐ必要もなくなったので、自由にさせることにした。
 スタジオの周辺は人家がまったくないだけに動物が多い。キッネやタヌキをはじめ、ムササビ、野ウサギ、リス、さまざまな野鳥、時には早朝に子連れの猪まで見かけることがある。仲間が多ければ、タヌちゃんも自然に山に戻るかもしれない。
 自由になったタヌちゃんは、坂になった庭をビューツと一直線に駆けてはギギギッ、と後ろ足でブレーキをかけて止まり、また駆ける。筋力をつけるトレーニングに精を出しているようだ。しかし、毎朝、犬の散歩には山については来るけれど、なかなか山へ出ていこうとしない。
 放すのが遅すぎたのかな。タヌキの世界に社会復帰できないのだろうか。相変わらず夜、エサの時間になって犬たちを呼ぶと、タヌちゃんも一緒におすわりをして待っている。
 ある日、フッと姿を見せなくなった。ようやく仲間ができたかな、と思っていたら三日ほどして、ヨタヨタと山から歩いてくる。見ると、耳やアゴに大きな傷がある。噛まれたような跡だ。仲間に受け入れられなかったのだろうか。
 タヌちゃんは、しばらくガルシィアのそばで寝起きし、傷の回復を待っているようだったが、再び山に入っていった。そうだ、ガンバレ、タヌちゃん。山に還りなさい。
 毎日、二度は顔を見せていたのが二日に一度となり、三日に二度となり。その間隔がひらいていった。帰ってくるのは、いつもエサをやる時間だ。そのうち、エサをやると、これまではその場で食べていたのが、敷地の柵の外にエサを運んでいくようになった。犬たちが、ひどく吠える。
 見ると、外の物陰に別のタヌキがいた。タヌちゃんは、そのタヌキにエサを渡し、またもらいに柵を抜けてやってくる。他のタヌキに貢いでいるらしい。でも、少なくとも仲間はできたようだ。よかった。
 ところが、しばらくすると帰ってきたまま、山に戻らなくなってしまった。玄関先でノンビリと腹を出してひっくりかえったまま、春先の光の中で昼寝などをしている。困ったもんだ。食ってばかりいるから、腹はボンボン。手のひらで軽く腹を叩きながら、私は言った。
「タヌちゃん、腹鼓でも打って聞かせなさい、コレ」
「キイーツ、キイーツ」
 気持ちよさそうに、声をたてて甘えている。腹をさすっていて、私はふと思った。もしかして、赤ちゃんができているのではないだろうか。おっぱいをつまんでみると、白い汁が出てきた。間違いない。どうやら出産のための里帰りだったようだ.
 満月の夜。今夜あたり、産むのではないかと思う。不思議だけれど犬の華も、お産は満月の夜が多い。夜、眠りにつきながら私は、遠くにミュー、ミューという声を聞いたような気がした。気のせいか、風の声か。
 朝、庭に立った。タヌちゃんがいない。次の日、心配になって大声で呼んでみた。そこらにいるのなら、呼ぶと必ずやってくるのだ。裏薮をガサゴソいわせて、タヌちゃんが姿を現した。
「タヌちゃん、赤ちゃん産んだの?」
 私は聞きながら、犬の水をペチャペチャ飲んでいる彼女の腹を触ってみる。少しへこんでいるような気もする。その時、薮の中からしっかり聞こえてきた。ミュー、ミュー、ミュー。母タヌキを呼ぶ赤ちゃんの声だ。タヌちゃんは、あわてて薮の中に消えていった。
 翌日。薮の中にタヌちゃんの巣を見つけた。枯れ枝がこんもりと集まってできたほこらを利用したらしい。タヌちゃんが庭に来ているスキを見はからい、そっとのぞく。まだへソの緒をつけて目をしっかり閉じた赤ちゃんが、二匹いた。
 元気に育つといいね、タヌちゃん。お母さんになったんだね。

『山猫軒ものがたり』 麦秋者

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夕焼け小焼け №43 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

赤い陣羽織 1

             鈴木茂夫

 劇作家木下順二は、昭和20年代に民話劇に取り組んで優れた多くの作品を生み出している。劇団自由舞台はそれらの中から上演項目として3本を選んだ。

 「彦市ばなし」は、彦市が天狗の子どもをからかって、天狗の隠れ蓑を手に入れる。
 「三年寝太郎」は、寝ながらさまざまに智恵をはたらかす。
 「赤い陣羽織」は、色好みのお代官の失敗談。

 坪松裕が「彦市ばなし」を担当すると言った。
 浅野多喜雄が「三年寝太郎」で新しい演出をするとのこと。
 石田周久が「赤い陣羽織」を初めての演出だと張り切っている。私に舞台監督をして欲しいと希望した。私にもそれは初めての仕事だ。
 石田は私と同年。小柄で話し好きだ。初めての演出だと張り切っている。
 ある日、問わず語りに自らの生い立ちを口にした。
 石田は昭和19年(1944年)東京の麻布中学の2年生で東京陸軍幼年学校を受検した。
  陸軍幼年学校は日本陸軍の中核となる士官の養成機関で東京、大阪、名古屋、広島、熊本に所在する。帽子と制服の襟に星のマークがあり、星の生徒と呼ばれた。3年間の養成機関を終えると士官学校に進む。
 中学の席次が1番か2番という生徒が集まり、それでも平均5倍の競争率だったという。みごと333人の合格者の一人となる。秀才なのだ。語学は英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語のうち、ドイツ語を選択した。
  生徒は誇りをもって校歌を歌っていたという。

    戸山ケ原の朝づく日   富士の高嶺の夕映えも 希望の窓に照りそいて
  甍そびゆるわが武寮 つどえる健児のむくろには 赤き血潮のたぎるあり
 
 敗戦で東京陸軍幼年学校は廃校となり、麻布高校に戻って早稻田の独文科に進んだ。
 幼年学校でドイツ語を学んでいたから大學でのドイツ語はやさしいと言った。
 石田には同じ劇団の吉松英子さんが世話女房のように連れ添っている。石田以外には目もくれない。

 まず私は石田に話しかけた。
 「この「赤い陣羽織」の題名の隣に Farce とある。これはこの芝居が笑劇だとしている。深刻な芝居じゃないんだ。楽しめる、笑える芝居にしなきゃ」
 石田は答えた。
 「俺もそれに気づいている。問題はどうやって笑える芝居にするかだよ」
二人の意見は一致している。後はどう創り上げるかだ。
主な配役を話し合った。
 
 配役
  お代官        細面手で眼が鋭い。法学部2年の西尾尚君がびたりだ。
 その奥方      日本女子大国文科2年の本多則子さんはふくよかで適役だ。
 お代官のこぶん
    お代官の屋敷の門番たち(声のみ)
    庄屋さま
    おやじ(百姓)    西尾君の二役で間に合う。
    その女房        国文科二年の小寺加寿子さんは、美人だし優しく豊満で決まりだ。
  奥方の腰元おおぜい 
本読み
 本読みをはじめた。5度6度と読み重ねた。だんだんと雰囲気が盛り上がる。
 この芝居は「おやじ」と「女房」の夫婦の物語りなのか、お代官の浮気の失敗が本筋なのかと意見が別れた。
 石田が、
  「封建時代の、村社会の支配構造による権力関係もあるんじゃないか」
 西尾が反論した。
  「そんな階級闘争のようじゃないよ。お代官は男として、美貌の女房に惚れ、なんと  かモノにしようとしたが、ドジなことをして失敗しただけだぜ」
 渡辺暉子が切り口上で、
  「ねえ、そのモノにするって何ですか。女性を性の対象としか見てないわ」
 石田が両手を挙げて、
    「しっかり本読みしてきたから、みんなのあらかたの意見が出てきたね。この芝居は一幕物だよ。封建時代の社会の構造や村社会の状況を映してはいるよ。だがもっとナマな村の雰囲気を描いていると僕は思う。村社会の実地調査をまとめるのではなく、楽しい芝居を創るんだから、それぞれの意見は、そのままに受け止めて役作りに入って行こうよ」
    何度も読み返す度に、「おやじ」と「女房」の息があってくる。特に「女房」が笑うとき、「おやじ」への思いがこもってきた。 
  
    おやじ  おらなあ、お代官さま、やっぱ、おまえに気があるでねえかと、こう思     うだがな。
  女房  うふん、あんたもそう思うかね。
  おやじ はれ、おまえもそう思うか。ふうん、やっぱ、このみちばかりは、お代官さ      までも村の衆とかわりはねえもんかのう。 
  女房  あんた、気になるかね。 
    おやじ なんの、おら、このことばかりぁ、だれがおまえに言いよろうと、なあ、そうだろが。
  女房   ふふふ。(とわらいながら、なおも「おやじ」の着物をなおしてやる) 
    おやじ ふふふ、こら、人が見たらみつともねえでねぇけ。
    女房  でも、あんた、もしわしがほかの男になびいたらどうするね。 
    おやじ そげなばかなこと。うふん、でも、万が一そういうことでもあったなら、おらもう、うーむ、ばか、そげなことがあってたまるもんかい。
    女房    あはは、おこったかね。そうともよ、そげなことがあってたまるもんい。
            (ふたり、声をそろえてわらう)
 夫婦ならではの会話で、「おやじ」は「女房」がほかの男になびいたりしたらどうしよう  もなくなると思いつめている。「おやじ」の西尾さんは「俺は真面目で小心な人物なんだよ。この役はまさに俺にそっくりだ」と笑いながら役をつとめている。
   「女房」の小寺加寿子さんは、受け答えに余裕がある。加寿子さんの人となりから自ずとにじみ出る色気といっていい。それはコケットリー(Coquetry)だ。フラーティング(Flirting)ともいえる。
 私たちは思いもかけない男優と女優を掘り起こしたようだ。


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線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №231 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

寝台特急「北斗星」乗車

         岩本啓介

前号の『カシオペア』乗車は、実は3回目の寝台列車です。
昭和42年大学入試で上京した寝台特急『はやぶさ』が1回目。
2回目は今回の寝台特急『北斗星』、上野~札幌直通の寝台特急でした。

①北斗星・上野駅

231上野駅2009年8月22日 のコピー.jpg

上野出発前の北斗星&カミさんの一枚です。


②北斗星の切符です

231上野1903~札幌1115 のコピー.jpg

車掌さんの『気風拝見』の時、シャワー券を購入しました
ネットで発見したのですが、函館北斗駅近くに『引退北斗星の「宿泊所』発見
次回は、止まっている『北斗星』に泊まってみたいものです。


③札幌駅到着
231札幌駅.jpg
16年前 まだ 59才。髪の毛も いっぱいでした。


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押し花絵の世界 №210 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「千鳥草と紫陽花のスマホケース」

           押花作家  山﨑房枝

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お客様にオーダーしていただいたスマホケースです。
藤色とブルーの花をメインに、グリーンの葉を沢山入れてほしいとのご要望をいただいたので
千鳥草と4種類の紫陽花を入れて、グリーンの部分はビバーナム、マイクロアジアンタム、ツタ、人参の葉などを使用しました。
葉と言っても、濃い緑や黄緑色などの様々な色合いがあるので、自然が創り出す植物の奥深さを感じます。


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赤川ボンズと愉快な仲間たちⅡ №65 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

行田の童たち 原画

         銅板造形作家  赤川政由

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多摩のむかし道と伝説の旅 №131 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

多摩のむかし道と伝説の旅(№30)
−⼆ヶ領⽤⽔⽔辺の道を⾏く−4
 
            原田環爾

[Ⅱ]宿河原⽤⽔⽔辺の道
   宿河原⽤⽔とは初代⼆ヶ領⽤⽔が完成してから20年後の寛永6年(1629)、次第に深刻化した末端の⽔量不⾜を解消するため、関東郡代伊奈半⼗郎忠治が⼿代筧助兵衛に命じて中野島取⽔⼝の下流3kmの宿河原の地に新たな取⽔⼝を設け、久地駅付近まで開削して⼆ヶ領⽤⽔本流に合流させて出来た⼈⼯の⽔路である。
 ここではJR南武線登⼾駅を出発し多摩川堤に出て宿河原の取⼊⼝に向かう。そこから⾱駄天を祀る天神社宿河原⽤⽔に沿って⽔辺の道を辿り、本流との合流点を⾒届けた後、終着点JR南武線の久地駅に⾄るものとする。

4-1.jpg

 登⼾駅北側の多摩川⼝を出て⾞道を渡り、⼩⽥急線沿い進んでガードをくぐり多摩川堤に出る。そこはかつての登⼾の渡しがあった所だ。下流⽅向に⽬をやれば400〜500m先に⼆ヶ領宿河原堰が遠望できる。堰堤の⼿前4-2.jpgにある⼆ヶ領⽤⽔の宿河原取⼊⼝を⽬指して堤の上を進むと、程なく河原へ斜めに降りて⾏く細い坂道が現れる。坂道を採って河原を進むと間もなく取⼊⼝に到着する。宿河原取⼊⼝は上流の中野島取⼊⼝よりもやや⼤きい印象がする。台⾵直後のためか取⽔⼝の⽔⾯は流⽊で覆われている。
 江⼾時代の宿河原取⽔⼝は多摩川の⽔を⾃然流⼊で取⽔し、⽔量の少ない時は⼀時的に蛇籠を並べて対応していた。やがて流域の⽥畑が増え⽔量不⾜をきたすようになり、更に砂利の採取で川床が低下し取⽔が困難になってきた。そこで⼤正の初期、蛇籠を何段も重ねて堰を造ったのが⼆ヶ領宿河原堰の始まりだ。しかし蛇籠は洪⽔で流され復旧も⼤変なことから昭和24年コンクリートの固定堰に改造された。しかし昭和49年台⾵16号で多摩川が氾濫し⺠家19⼾が流されるという狛江⽔害が発⽣した。原因のひとつが⽔圧を逃せない固定堰にあるとして訴訟さえ起った。そこで平成11年、⽔⾨を調節できる可動堰に改造されて今⽇に⾄っているという。
 ここより⽤⽔路の右岸に沿って進むことにする。取⼊⼝から100mも進んだ所に⽔⾨の橋がある。橋の向こう4-3.jpgの取⼊⼝対岸にまわれば「⼆ヶ領せせらぎ館」がある。館内には宿河原堰の全貌を確認できる模型があり、また多摩川に⽣息する淡⽔⿂をまるで⼩さな⽔族館の様に展⽰しているので楽しめる。なお建屋の裏に回れば実際の宿河原堰を眼前で⾒ることが出来る。
 せせらぎ館の東側の堤のすぐ下に⼩さな社が⾒えるのは船島稲荷だ。この地を開拓した祖先の⽒神という。別名沓稲荷とも呼ばれていたそうだ。もとは現在の狛江市に道祖神猿⽥彦を祀ったことに始まるという。⼟地を開拓した祖先が、治⽔興農の⽒神として祀ったものという。別名「沓稲荷」とも呼ぶ。これにはこんな⾔い伝えがある。昔、殿様が鷹狩に訪れたとき、愛⾺が病に倒れ、⼟地の伯楽(⾺医)が⼿当てして治した。信條深い伯楽は精進のため、京都の伏⾒稲荷に参詣して分霊し、⾺学の発展と⾺の健脚を祈願して⾺の草鞋を4-4.jpg奉納した。このことから⾜を怪我した際はこの草鞋を持ち帰ると早く治るとされ、その御礼に新しい草鞋を掛けて帰るのだという。その他百⽇咳にも効くといわれ、草鞋を持ち帰ると病が治り、草鞋を倍にして返したという。
 元の⽔⾨の橋の袂に戻り、堤防下の多摩沿線道路を横切ると⾚レンガ造りの⾈島⼈道橋の袂に出る。ここから宿河原⽤⽔⽔辺の道を辿る。右岸左岸どちらでもよいがとりあえず右岸を採る。⽔辺は親⽔⼯事が施され、両岸には桜が植樹され、また川⾯のすれすれに遊歩道が設けられているので気持ちよく散策することができる。次の船島橋で⾞道を渡ると、親⽔遊歩道のある左岸に回る。蛇⾏する川に従い⽔辺を辿ると程なく南武線と交差する。ガード下も遊歩道が続くが⾼さが低いので腰をかがめて通⾏する必要がある。「頭上注意」だ。川筋は⼤きく左へカーブし程なく北村橋に来る。なお北村橋を南へ200mばかり進んだ集落の中に埋もれるように4-5.jpg常照寺という寺がある。宿河原の南側に横たわる⻑尾丘陵の峰にある松寿弁財天と関係がある寺なので⽴ち寄ることにする。真⾔宗豊⼭派の寺で⼭号を雁三⼭と号す。明応6年(1497)賢智和尚による開⼭と⾔われるが詳細は不明。当寺には安政5年(1858)に制作された宿河原網下ヶ松と松寿弁財天の霊験を図⽰した紙本墨画着⾊・松寿弁天図を所蔵している。毎年旧正⽉前後に弁財天護摩供養が⾏われているという。(つづく)


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