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国営昭和記念公園の四季 №66 [国営昭和記念公園の四季]

レモンブライト  みんなの原っぱ

黄色コスモス4 のコピー.jpg





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『知の木々舎』第274号・目次(2020年9月下期編成分) [もくじ]

【文芸美術の森】

ケルトの妖精 №35               妖精美術館館長  井村君江
 シルキー
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-14-9

じゃがいもころんだⅡ №33             エッセイスト  中村一枝
 私の血液型はA型からO形へ                                                        
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-14-6

渾斎随筆 №65                        歌人  会津八一
 平泉行 1 
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-14-7

石井鶴三の世界 №171                画家・彫刻家  石井鶴三
 美校 1951年/三月十四日 1951年
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-14-8

過激な隠遁~高島野十郎評伝 №36     早稲田大学名誉教授  川崎 浹
   第六章 個展の会場にて 7
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-14-5

西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」№42 美術史研究家 斎藤陽一
 葛飾北斎≪富嶽三十六景≫シリーズ 8 「両国橋夕陽見」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-14-3

祖道傳東Ⅱ №26                 水墨画家    傅 益瑤
 第二十六図 「越前立宗」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-14-4

往きは良い良い、帰りは……物語 №86                  九月こふみ会幹事
 こあみ句会葉月の兼題は「枝豆」「紙魚(しみ)」「風鈴」「香水」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-08-30-6

【ことだま五七五】

日めくり汀女俳句 №66               中村汀女・中村一枝
 七月十一日~七月十三日
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-14-2

猿若句会秀句選 №108           猿若句会会亭  中村 信
 2020年7月18日
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-07-30

草木塔  №81                       俳人  種田山頭火
 銃後 2
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-14-1

読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №95              川柳家  水野タケシ
 9月2日、9日放送分
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-14

【核無き世界を目指して】

はるかな呼び声 №1                                  エッセイスト 関 千枝子
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-12-9

【心の小径】

論語 №105                                                     法学者  穂積重遠
 三二七 子のたまわく、君子は事(つか)え易(やす)くして説(よろこ)ばしめ難し。
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-12-1

批判的に読み解く「歎異抄」№12    立川市・光西寺住職   渡辺順誠
 「本願ぼこり」(第十三条)の問題 (2)薬あればとて、毒をこのむべからず
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-12

【文化としての環境日本学】

日本の原風景を読む  №9                           早稲田大学名誉教授 原 剛
  序 まほろばの里で イザベラバードの奥州路 コラム      
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-12-10

【雑木林の四季】

浜田山通信 №273                                    ジャーナリスト  野村勝美
 アルコール不堪症
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-13-7

私の中の一期一会 №221             アナウンサー&キャスター    藤田和弘
 辞任する安倍首相の後継者は菅官房長官に決まる。
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-13-8

BS-TBS番組情報 №218                                   BS-TBS広報宣伝部
 2020年9月のおすすめ番組(下)
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-13-6

バルタンの呟き №81                 映画監督  飯島敏宏
 「自助、共助、公助?」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-13-5

医史跡を巡る旅 №73              保健衛生監視員  小川 優
 江戸の疫病~前編
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-13-4

いつか空が晴れる №91                          渋澤京子
 「ジェルソミーナ」                          
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-13-3

梟翁夜話 №71                                    翻訳家  島村泰治
 「台風の進路」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-13-2

検証 公団居住60年 №63      国立市富士見台団地自治会長 多和田栄治
 中曽根「民活」― 転換きざす住宅政策と公団の変質 3,4
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-13-1

コーセーだから №66              (株)コーセーOB  北原 保
 50歳創業の哲学 27 
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-08-30-5

地球千鳥足 №137      グローバル教育者・小川地球村塾塾長  小川彩子
 六個代払って四個残したら? ~チェコ共和国~
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-13

【ふるさと立川・多摩・武蔵】                                                   

きのこの おはなし №4            さとうそのこ・みそのたかし
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-12-6

線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №158            岩本啓介
 津軽線    
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-12-5

押し花絵の世界 №118                                  押し花作家  山﨑房枝
 「紫陽花と千鳥草の押し花スマホケース」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-12-4

ミツバチからのメッセージ №33 造園業・ミツバチ保護活動家  御園 孝
 スイス 5
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-12-3

多摩のむかし道と伝説の旅 №47               原田環爾
 伊奈の石工が江戸と往還した伊奈道を行く 43
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-12-2

国営昭和記念公園の四季 №65
 レモンブライト  みんなの原っぱ
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-15-1

【代表・玲子の雑記帳】            『知の木々舎 』代表  横幕玲子
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2020-09-13-9


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愉しく読むために読者への手引き
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発行回数・月に2回(上期・下期)ネットマガジンを発行します。
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「もくじ」・「執筆者紹介」・「代表玲子の雑記帳」・「心の小径」・「文芸美術の森」・「ことだま五・七・五」・「雑木林の四季」・「ふるさと立川」・「核無き世界をめざして」があります。
もくじ・ネットマガジンの号数・編成期(×月の上期・下期の別)を表示し、その下に最新の記事のタイトル・見出しが URLをカテゴリー別に掲載しています。
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通常は、この方法で読むのが便利です。
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ケルトの妖精 №35 [文芸美術の森]

 シルキー

           妖精美術館館長  井村君江

 ひとりのシルキーが、ノーサンバーランド城のへドン・ホール屋敷に住んでいた。シルキーはたいていが美人で、何世紀も続いた旧家に現れた。白い衣のドレスをまとい、衣ずれの音をさせながら、暖炉に薪をくべたりかたづけものをしたりなど、家事の手伝いをしてくれるのだ。
 このシルキーも、夜のうちに召使いたちがやった掃除の点検をしたり、朝食の支度をすませたり、洗濯物をたたみなおしたりとよく働いた。働きすぎるので召使いからはけむたがられるほどだった。
 家事を完壁にすませて満足すると、このシルキーは道ばたに生えている老木の枝に腰かけ、夜道を行く馬車や旅人を驚かしては楽しんでいた。
 シルキーがそんなことを繰り返しているうちに、いつのまにか時は過ぎて、雨や風にさらされながら耐えつづける旧家のつねで、へドン・ホール屋敷も傷みがひどくなった。壁が落ちたり屋根が剥がれたり、見るからに老朽化してきていた。
 一九世紀になったある日のことだった。へドン・ホール屋敷の天井がとつぜん崩れ落ちてしまった。人々が大騒ぎをしながら、屋敷のかたづけをしていると、天井裏から落ちてきた金貨の袋が見つかった。ずっとむかしから天井裏にあったものらしかった。
 ところが、だれも盗みはしないのに、その金貨の袋はいつのまにかなくなった。この日から二緒にシルキーも消え去って、それ以来どこにも姿を見せなくなってしまった。
 へドン・ホール屋敷の召使たちは、「あれだけ家事が上手なのを見ると、自分たちと同じ召使いだったんじゃないだろうか」「生きていたときに屋敷のどこかに隠しておいた金貨が心配で、幽霊になって見はっていたのではないか」と噂しあったが、なにもわからなかった。
 へドン・ホール屋敷のシルキーが腰かけて、夜ごと人々を脅かしていた老木はいまも「シルキーの椅子」と呼ばれて残っている。

◆イギリスには、何世紀もつづく古い屋敷がたくさんある。そこにはむかしの死者の霊が住んでいると考えられ、その霊たちが妖精や幽霊になって出現するのだ。
 へドン・ホール屋敷のはかにも、シルキーはニューカッスルのデントン屋敷に現れたとか、べリックシャーのハードウッド邸やノース・シールドのギルズランド館にも現れたとかの話が伝わっている。いずれもスコットランドに近い地方の由緒ある城や屋敷だ。
 幽霊といっても日本の場合とちがい、恨みや怨念や執親でどろどろしていることはない。とはいっても、いちどこの世に生を受けた者の死後の姿なので幽霊が恐ろしい存在であることはたしかである。
 ヘドン・ホール屋敷のシルキーは、家事もやれば夜は屋敷の門の外で見はりもしたが、タイン川のほとり、ノース・シールド近くに出没したシルキーは、家事はほとんどやらず、白い絹のドレスをなびかせて夜道に現れるだけだったという。こんなところから、シルキーは妖精というより幽霊といったほうがいいのかもしれないと思えてくる。幽霊と妖精の共通点は、夜を好むことであり、ニワトリの声を嫌って姿を消すこと、いつも飢えていることである。
 アイルランドでは幽霊をレヴナントまたはハヴシー(この世に帰った者)と呼び、果たせなかった仕事の未練や義務からこの世に立ちもどった者として、死者の魂とは区別している。また死者の魂は古代の宗教ドルイドの転生思想では、妖精、兎や山あらし、蝶や蛾に変わると信じられている。


『ケルトの妖精』 あんず堂




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石井鶴三の世界 №171 [文芸美術の森]

美校 1951年/三月十四日 1951年

            画家・彫刻家  石井鶴三

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美校 1951年 (198×142)
1951三月十四日.jpg
三月十四日 1951年 (200×144)

 **************  
【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】
明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。
『石井鶴三素描集』形文社

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渾斎随筆 №65 [文芸美術の森]

平泉行

              歌人  會津八一                    

                (一)

 昨晩つきました。今晩この店の若主人に連られて平泉に向ひます。昨日は雪で眞日な清水峠を越えて沼田のあたりまで来ると、こちらは、もう雪どころでなく、青々とした麦畑の土は白く乾いて、梅が咲ききって居ました。ずゐぶんのちがひです。しかし先月の今ごろ奈良へ行った時にあちらでは、梅はもう過ぎかけて居ました.京都と奈良は底冷えがして新潟よりも、かへって寒いやうに私などもいってゐましたが、だいぶ見當外れでした。それについてまた思ひ出すのは、昨年二月の末に坪内先生の奥さんの葬式に、熱海へかけつけた時には熱海では櫻が咲いてゐました.あそこでは十二月の二十七、八日頃に梅園の日當りのいい所では、もう咲きかけてゐるのを見たことがあります。廣くもない日本でもこれくらゐちがふ、そして越後のお百姓は一番お骨が折れることも、つくづく考へられます。
 上野驛へは、ここの主人と、あるクレーオン曾社の社長と、早稲田の先生が一人迎へてくれました。例の部屋- ちか頃では、まるで私のもののやうな感じがする部屋にのびのびとしました。こちらでは二十日から三日間、私の古稀の祝いのためにこちらの三回のホールで開かれる私の若い友人たちの、書畫展覧曾の作品がもうぼつぼつ届いてゐました。畫の方では曾宮一念、小泉清、杉本健吉、山田正平といったところ、この人たちは、近頃その方面で人気をあつめて居られるが、不思議にも、永い間私に因縁の深かった人たちです。この中で山田君は新潟出身で、篆刻家としては日展の審査員として光ってゐるが、畫は郷里ではあまり知られてゐないけれども、私などの見るところでは、なかなか偉いものです。このほかに中田瑞穂さんにも御出品を願ってあります。牡丹の古木が赤い芽を吹いた寫生をお出し下さるはずです。この人の迫眞の態度はかならず人を驚かすでせう。また東大寺の趣味家として知られてゐる上司海雲檜正、岡山の法界院の松坂歸庵僧正などの近作も出るといふことです。
 畫の中に、日本美術院の彫刻の同人喜多武四郎君の私の顔のスケッチも出るはずです。この人には別にリリーフで私の大きな銅像がお頼みしてあるのですが、先月私が上京中に、同君のアトリエに三四遍通ってモデルになった。その時に、私は毎日の出歩きにつかれてついうとうとと居眠りをした。その秋艸道人を、手早くスケッチしておかれたのが、この会で発表されるのらしい。お恥しいことです。
 私の肖像のことをいへば、喜多君のこれのほかに、濱谷浩君、三浦寅吉君、入江泰書君、小熊義人君などの手でうつされた寫眞が出る筈です。濱谷君のうつされた私の顔が、昨年中に発表された人物寫眞のうちで、全國的に、これが白眉だといふ評判なので、入江君、小熊君あたりで兢事の形になって来たやうです。その顔の持主としては、少しくすぐったい気拝です。
 それから書道の方では、テニスの福田雅之助君、歌人の吉野秀雄君。福田君は私の字にあまり似過ぎていけないといつも私がいふくらゐ、それに反して吉野君は、鵜の毛ほども私に似てゐない。こんなコントラストを自分の同人の中に見出すことも、私自身としてはほんとに面白いことです。福田夫人の冨美子さんも歌を書いて出されるといふし、横山美智子さんからも何か来るといふことです。
 陶磁器研究の學者として小山冒士夫君は知らぬ人もないが、この人は二十年も前から、自分でも作って焼いてをられた。こんどの曾にも、その近作の茶碗が現はれる筈であり、同じ陶器學者の料治熊太君は版書を出してくれるさうです。
 ここまで書いたところへ、ドアをノックして喜多君が迎へに来られました。これから午前中を二時間ばかりモデルになりに行くのです。
                            『新潟日報』夕刊昭和二十五年三月二十八日


『會津八一全集』 中央公論社




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じゃがいもころんだⅡ №33 [文芸美術の森]

私の血液型はA型からO型へ

               エッセイスト  中村一枝

 人間って、誰でもそうだとは思わないが、自分については大目に見るというか、ひいき目に勘定する傾向が強いのでは、と思う。
 自分がそんな高齢になったとは思いもせず、、いまだにけらけらと笑ったり、遊んだりは当たり前と思っているおろかさである。だからどんなに年をとってもあまり変わらずに、そのままずっと生きていられるという得点がある。
 今も、四年前に死んだ娘のことはよく思い出す。娘の部屋も改装したが、ピアノだけはそのままだ。あとは、以前と全くちがっているのは、この部屋に入ると、どうしても娘がそこいらから声をかけてくるような、元気でいるような思いに駆られるから妙である。
 娘が重い乳がんをわずらっていたことも、亡くなってから市ったことである。もちろん当時いろいろ事情はあったにせよ、母親として今だにざんきの念にさいなまれる。
 私は幼い時からひどい小児喘息で、両親はこのままでは育たないだろうと嘆いていたらしい。それだけに、いわゆるおかいこぐるみで大事に育てられた。それが四十を過ぎてテニスを始めてから信じられないほど丈夫になった。溺愛してくれた両親を恨むつもりは全くないが、それにしても、変な妙薬を飲まされたり試されたりしたものである。廊下の隅にぶらさがっていたトンボの羽もその一つだった。
 四十五を過ぎて始めたテニスに熱中し、朝から晩までテニス詰めの毎日だった。不器用で運動神経のとろい方だから、いくらやっても上手にならないのに、それでも四十有余年テニスに熱中していた。自分の住んでいる家がテニスコートの隣だと気付いたのは、住んでから十年くらいたってからだった。自分とは全く無縁だと思っていたテニスをすすめてくれた友人がいて、ラケットをくれた。テニスを始めた時、母などは無茶だといって激しくとめた。夫にいたっては私に好きなものができて自分も勝手ができると喜んでいたふしがある。
 とにかくテニスは私の後半生を変えた。
 朝、ゴミを捨てるときに、集積場の左を見ると、いやでもテニスコートが目に入る。すぐにでも飛んでいきたい思いは今でもある。それなのに、テニスは上手にはならなかった。下手である。そんなに下手っだと自他ともにみとめているのにテニスが好きだった。
 テニスを通じてできた親しい友人も何人もいる。それが足が悪いことでやれなくなったのは今だになんとしても口惜しい。もう一度ラケットを持ってテニスコートに立ちたい。きっと私は生きている間中思い続けているに違いない。
 テニスを始めてもう一つ変わったことがある。小さいことにくよくよしなくなった。性格がおおらかになったことである。テニスをやめてもそれは同じだから、テニスは私の嫌な性格までO型に変えたのかもしれない。




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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №36 [文芸美術の森]

第六章 個展の会場で

        早稲田大学名誉教授  川崎  浹

超自然的なものへの視線

 昭和四十年(一九六五)一月の個展はまだ終わっていない。当時の私の日誌にはこう記されている。
 「野十郎の個展、殆ど日参。すばらしいものだ。たいていの者が禅ふうの〈凄さ〉に圧倒されるが、ほんとうの〈凄さ〉は、外見上の〈凄さ〉が消え、ふわっと浮いている所にあるのではなかろうか。野十郎の絵には〈迫力〉がないという人がいる。しかし迫力以上の静謐がある」。
 かれの多くの絵には超自然的なものへの視線が静寂の内に漂っている。ときには超自然そのものが羽根を休めて留まっているようにすら感じられる。それは何ものでもないかのように、また何ごとも生じていないかのように軽く淡くとまっているので、本来、私たちがそれとともに連ばれている真に速いものは止まっているようにも見え、またそれに伴う真に力強いエネルギーは空気のように掴みどころがない。この神秘の力は私たちからはつねに秘匿されている。
 しかもさらに画家は迫力という「強さ」だけでなく、私たちが気にもとめず使用している「深さ」という観念もしりぞける。

  芸術は探さとか強さとかを取るべきではない.「諦」である.(傍点は高島)

 かつて私の友人は野十郎を評して、岸田劉生に似ているが劉生のような重厚さがない表層的で実在感もうすいと言ったが、野十郎は重厚さを慎重に避けようとしている。これはひじょうにユニークな方法ではなかろうか。
 後半生の野十郎の世界では強さや深さがしりぞけられ、「諦」がそれに取って代わる。私たちの社会では「諦」をあきらめと読み、数種の経典もそう解釈している。しかし大方の経典で諦(たい)といえば、「明らかにする」「正しく見る」、さらには「真理」という意味で用いられる。野十郎の『ノート』にはこの「諦」にふれたもうひとつの成句がある。

冥土への一路 芸術の眞諦(しんたい)。

 「眞諦」とは「真理のなかの真理」であり、ある場合には「絶対」という意味も含まれる。現代では「真理」は「正義」と同じく何を基準に真理といい、何を基準に正義というのか基準をもたぬ言葉になってしまった。それでも、右の成句は「芸術の真実とは死と向きあうことである」と読むことができる。
 一九五〇年代後半、院生の私はハイデッガーの『存在と時間』を愛読書にしていた。いまでも日本語の表題を忘れたときはドイツ語の「Sein und Zei((ザイン ウント ツワイト)」を想いだし、サルトルのまぎざらわしい表題の本『存在と無』(L'eyre et le neantn)と区別する。私は初期文法でこなせる部分は要点をドイツ語で読んだ。ハイデッガーは私にとっての父親だった。そこには、「良心的にかつ真実に生きるためには」ひとまず時間に先駆けて死をつかみ、そこから生をふりかえることだと書いてある。
 野十郎は「死」と書くかわりに「冥土」という言葉を使ったにすぎず、そこで掴んだものが「強さ」や「深さ」とは反対のものだった。だから画家は以前の個展(一九五九年)のときに《春の海》を前にして、「空気を描いたのです」と私に説明した。「空気を描く」という表現は私にひどく新鮮な印象をあたえ、同時に絵の裏側にあるものが見えるような気がした。一九五二年の作で五三・二×七二・五のサイズだが、私たちの前にあるのは「空気」といってもおかしくない空間である。
 画面のもっとも手前は線の草原、そこから有明海の干潟がひろがり、はるかに雲仙の山並みが春霞の向こうに、干潟の先にある海と同系の淡紫色で彩られている。空の色はもつと薄い。山並みの高低が虚実のあわいでみごとな曲線を創り、緻密な筆が手前の潮の引いた複雑な干潟を表している。写実様式でありながら写実ではない空間。高島さんが「空気を描く」と言うにふさわしい。画家から聞いたのは五十年前だったので、「空気」はまだ十分に独創的で透明だった。


『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社




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祖道傳東Ⅱ №26 [文芸美術の森]

第二十六図 「越前立宗」

     
画  傅 益瑤・文  曹洞宗大本山永平寺

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《紙本墨画》 九〇×一二五 軸装

 道元禅師の深草輿聖寺での布教活動は、「馬車往来絶えず」ほどの輿盛をみせておりました。けれども道元禅師の本心は、安閑の地を他に求めて、如浄禅師の言われた「深山幽谷において、一箇半筒を教育する」にありました。
 この越前は、早くから藤原氏の荘園があって、とくに春日大社の荘園は崩川と呼ばれ、今日の九頭竜川流域の坂井平野でした。当時、坂井平野で収穫されたお米などは三国湊から敦賀の津、琵琶湖、大津を経て、京都・奈良に運ばれた水路が確立されていました。おそらく、道元禅師もこの水路を経ながら、如浄禅師の教えのとおり、深山幽谷の場所をここ越前に定めたものと思われます。
 道元禅師に多大な影響を与えた如浄禅師の言われる、「一箇半筒を接待して、わが宗を断絶させることのないようにして欲しい」と委嘱したことへの、実践でもあります。

『祖道傳東』大本山永平寺


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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №42 [文芸美術の森]

          葛飾北斎≪富嶽三十六景≫シリーズ
           美術ジャーナリスト  斎藤陽一

第8回 「御厩河岸両国橋夕陽見」
   (おんまやかしよりりょうごくばしせきようをみる)

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≪残照の墨田川≫

 今回は、「富嶽三十六景」中の江戸を描いた風景のひとつ「両国橋夕陽見」を見ましょう。

 時刻は夕方、それも既に日没後の隅田川の光景なので、夕闇が迫る中、すべてがぼんやりとほの暗く見えています。
 今しも、一艘の渡し船が、墨田川東岸から対岸の御厩河岸(現在の台東区蔵前)に向けて出発しようとしている。対岸に見えている家並みは御厩河岸、そこから左に見えている橋が両国橋です。次第に色彩と形を失っていくこれらのものを、北斎は、輪郭線を用いずに摺る「無線彫(むせんぼり)」で表現しています。

 このような対岸の風景の彼方には富士山が・・・既に日は沈んでいるので、微かな逆光の中、濃紺のシルエットとして描かれています。
 こちら側の河岸近くの川面には、波のうねりが藍色の濃淡の線で美しく描かれています。この絵でも「ベロ藍」を効果的に用いています。

 両国橋の欄干をよく見ると、小さな点のようなシルエットが、端から端までびっしりと描かれていることが分かります。橋の上には、大勢の群衆が集まっているのです。川面には、何艘もの船も浮かんでいます。してみると、これから花火大会が始まるのかも知れません。

 おそらく北斎は、夕闇迫る中で刻一刻と色彩を変えていく隅田川の情緒を描きたかったのでしょう。

≪点対称の構図≫
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 この絵の「構図」で注目すべきは、船頭の頭を回転軸として、両国橋の弧線と渡し船の弧線が、それぞれ反対の曲線となっているところです。これは、幾何学で言うところの「点対称」です。(右図参照)

 勿論、北斎がそのような用語を知っていたはずはありませんが、これまでの回でたびたび指摘したように、もともと彼は、描く対象を瞬時に幾何学的に把握する資質
を備えていた絵師でした。


42-3.jpg 北斎は五十代半ば頃に、いくつもの「絵手本」を刊行しています。「絵手本」とは、絵を学ぶ者たちへの手本、という性格をもった絵入り冊子です。
その中には、定規とコンパスを使って絵を描く方法を図解した「略画早指南(りゃくがはやおしえ)」のような絵手本もあります。(右図参照)
 北斎は、幾何学的なデザイン感覚を持った絵師だったことがわかります。
 渡し船に注目してみましょう。

42-4.jpg 船頭は後ろ姿で描かれ、後頭部を見せているので、その視線の先に富士山がある、という趣向となっています。
これにより、この絵を見る私たちの視線も富士山に誘導されます。

 また、船頭の丸い頭とバランスをとるように、船の舳先には丸い笠をかぶった旅人が座っています。この両端の二つの円と呼応するように、船中には、笠や唐傘、桶などの円形が配され、ポンポンポンと弾むような円のリズムが演出されています。

 舟には、旅人、行商人、按摩、鳥刺し、武士などが乗合っていますが、一日の仕事を終えて家路に向かうのでしょうか、どこかくたびれたように押し黙っている雰囲気が感じられます。北斎は、それらの一人一人を巧みにとらえて配置しています。

 次回は、「富嶽三十六景」シリーズの中から、“風”を描いた「駿州江尻」を紹介します。


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日めくり汀女俳句 №66 [ことだま五七五]

七月十一日~七月十三日

       俳句  中村汀女・文  中村一枝

七月十一日
父思ふ縞(しま)の浴衣(ゆかた)はなど悲し
            『薔薇粧ふ』 浴衣=夏
 「奥さん、『北の国から』やってるしょ、見ないと終わっちゃうよ」。ガスの点検に来た人に言われて思わず「あなたもあれ好きなの?」と言ってしまった。二十年前から続いているテレビドラマ「北の国から」、もう何度見たことか。
 若者のファンも多いそうで、それも地方出身、高卒の子が見ているそうだ。田中邦衛の、かっこ悪い、誠実なお父さんに人気がある。
 見栄も張らず、あるがままのぶざまな生きざまを見せる父親は今、少ないのかも知れない。何につけてもかっこうにこだわる時代への反語だろう。

七月十二日
遊船の指し来し小島蛙鳴く
           「汀女初期作品」 遊船刊夏
 川まつりは、汀女の少女時代の最大の行事だった。いわゆる水神さまのお祭りである。
 水神さまを祭るとき、心の中にだれもがカッパを想ったという。お供えに瓜を竹に突き刺し、川の真ん中に立てたらしい。
 「夜、舟を出すとね、江津湖でね、舟がぐるぐる、ぐるぐる廻ってなかなか帰れないのよ。どうもカッパがついてたろうってな」
 伝説の妖怪は、ここではとても親しみのある、温かいものに変わっている。子供の心には、自分たちの守り神でもあり、遊び友達でもあった。

七月十三日
蟇(ひき)歩く到りつく辺(へ)のある如く
              『汀女句集』 蟇=夏
 鼠の行方という小説でも書いたら、と思うほど鼠の出没はまだ続いている。例の鼠仕掛人の工作でしばらく鳴りをひそめていたのが、青葉の風と共にまたまた天井裏を騒がせ始めた。さらに行動はエスカレート。エアコンの管に大穴をあけ、電気のブレーカーの壁にも。いたずらは網戸にまで及ぶに至って再度仕掛人の登場となった。古い家が取り壊される度に住家を求めてわが古家にやってくるらしい。
 鼠の出る家に地震はないと聞くのだが。

『日めくり汀女俳句』 邑書林


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草木塔 №72 [ことだま五七五]

銃後 2

           俳人  種田山頭火

   戦死者の家

ひつそりとして八ツ手花咲く

   遺骨を迎ふ

しぐれつつしづかにも六百五十柱
もくもくとしてしぐるる白い函をまへに
山裾あたたかなここにうづめます
凩の日の丸二つ二人も出してゐる
冬ぼたんほつと勇ましいたよりがあつた
雪へ雪ふる戦ひはこれからだといふ
勝たねばならない大地いつせいに芽吹かうとする

『草木塔』 青空文庫


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読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №95 [ことだま五七五]

読む「ラジオ万能川柳」プレミアム☆ 9月2日、9日放送分
               川柳家・コピーライター  水野タケシ
川柳家・水野タケシがパーソナリティーをつとめる、
読んで楽しむ・聴いて楽しむ・創って楽しむ、エフエムさがみの「ラジオ万能川柳」、
2020年9月2日放送分です。  

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急に涼しくなってちょっと夏バテ。。。

ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)が
キャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、
毎週水曜日9時5分から放送しています。
エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらから!
放送の音源・・・https://youtu.be/ZkvOHE5WB0g

【お知らせ】
皆さん、テレビ朝日で大好評放送中の
「川柳居酒屋なつみ」ご覧いただいていますでしょうか?
先ほど終わった放送には、
なんと、今話題の半沢直樹で、大和田常務こと香川照之さんとの
「顔芸」で日本中の話題となった、
東京中央銀行・証券部の伊佐山部長こと市川猿之助さんがゲスト!!
スパイラルの瀬名社長・尾上松也さんとの夢の共演が実現しました!!

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(みなさんの川柳)
※敬称略  今週は164句の投稿がありました!
・口元のマスクで10才若返る(和こころ)
・やる気なら無いがねる気はめっちゃある(わこりん)
・三密とあれこれ隠し辞職する(名人・キャサリン)

☆タケシのヒント!
「「三密」の使い方が巧みです。こちらの「密」は秘密の密なんですね。森友に加計、桜といったところでしょうか。」 
・最長の在任期間を決め辞める(よっきゅん)
・空気読み出馬する人やめる人(名人・グランパ)
・災害に備え外せぬ乳バンド(たごティ)
・50年に一度が三年続き降る(名人・龍龍龍)
・レガシィは改ざんされた公文書(司会者=名人・あさひろ)

☆あさひろさんのボツのツボ
「ラジオ万能川柳。突然の首相辞任会見。今週はこの題材句が多数。中で、このテーマはこれだけ。『みずほ 紙の通帳に 千百円』模名理座。今週の没の壺。銀行で通帳記入が趣味!と言う人も。我が亡母は通帳に出納の記録をこまめに記入していたっけ。預金通帳はある種の個人史・家族史の記録でもあるのに。」 

・希望って凄い力と知らされる(名人・不美子)
・ぽこぽこと句ができる日とできぬ日と(ワイン鍋)
・このままじゃ何も変わらぬ令和秋(大名人・東海島田宿)
・ラジ川を軸に私の一週間(重田愛子)
・温暖化どころではない熱帯化(ぼうちゃん)
・寝室でチロリンの声聴いて寝る(模名理座)
・家飲みは何かが足りずもう一杯(名人・六文銭)
・いきなりの椅子取りゲーム次わたし(里山わらび)
・安倍よりもやめてほしいわこの残暑(柳王・入り江わに)
・熱中症よりも恐いな電気代(大名人・光ターン)
・コロナさん口紅売れず困ります(鵜野森マコピイ)
・練習の祭囃子がせぬ九月(柳王・ユリコ)
・ライブ毎髪が増えてた老ロッカー(辰五郎)
・コロナから総裁選へワイドショー(つや姫)
・観光地閉鎖で菓子も半額に(名人・はる)
・暑いわと言えてるうちはマシだった(soji)
・10分の突発花火で夏終わる(居酒屋たつみ)
・合唱で秋が近いと虫の声(大名人・アンリ)
・今週は敢えて安倍ネタ止めておく(のりりん)
・池江さん強い心が美しい(大名人・けんけん)
・辞めるのに支持率アップビミョーだな(大名人・秦野てっちゃん)
・テレビ局美化ばかりするアベ辞任(大名人・フーマー)
・夫婦かな二匹のハエが台所(大名人・平谷妙子)
・主婦業を辞意表明叫ぶ妻(恋するサボテンちゃん)
・陽が落ちて涼しくなってセミが鳴く(大名人・荻笑)
・小田急会またもコロナにうっちゃられ(しゃま)
・半沢が二倍返しで全沢に(パリっ子)
・台風にコロナインフル腹いっぱい(名人・かたつむり)  

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◎今週の一句・三密とあれこれ隠し辞職する(名人・キャサリン)
◯2席・暑いわと言えてるうちはマシだった(soji)
◯3席・希望って凄い力と知らされる(名人・不美子)

【お知らせ】
笑いあり、しみじみありの「シルバー川柳」最新刊の第14弾
「いつでも夢を」編が、8月20日に出ました!!
今回は全国の60歳から101歳までの大傑作195句を掲載。
101歳の方の作品はもううまいへたじゃないですね。
ただただ、めでたいありがたい一句です。

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【放送後記】
コロナにおびえているうちに早くも9月。
カレンダーも残り4枚になってしまいました。
あまりにも早く過ぎすぎて、ゾッとします。
残り4カ月もあっと言う間なんでしょうね。
一日一日たいせつに、充実した日々にしたいものです。(タケシ拝)

◆9月9日の放送です  

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テレビ朝日「川柳居酒屋なつみ」よろしくねッ!!
放送の音源・・・https://youtu.be/yUTxupIn9j0

【お知らせ1】
これまでもお知らせしてきましたが、
来週16日のラジオ万能川柳にはお題があります!!
おじいちゃんおばあちゃんありがとう!「敬老川柳です」。

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秀逸から3席までの3作品にはステキな賞品がありますので
奮ってご応募ください。川柳だけでなく、賞品の送り先もどうぞよろしくお願いしますね。
なお、優秀作品は21日(月)に放送される、エフエムさがみの敬老特番でも放送されますよ!!

(みなさんの川柳)
※敬称略 今週は163句の投稿がありました!
・迫力の顔しか記憶に無いドラマ(うさぎの小雪)
・この歳で胸躍るって変ですか(名人・重田愛子)
・新総理ネタにならない人望む(東孝案)
・台風だ分かっちゃいるけど大騒ぎ(初投稿=おむすび)
・コロナより熱中症が命取り(名人・キジバト交通)
・買いたいなステキなオカミいる飲み屋(居酒屋たつみ)
・台風に地震にコロナそして核(辰五郎)
・報道も勝ち馬に乗る総裁選(司会者=名人・あさひろ)

☆あさひろさんのボツのツボ
「ラジオ万能川柳。台風10号による被害の心配をしてくださる方が多数。九州、四国地方の川柳子から無事ですとの報告も。台風の他に総裁選、コロナ関連句がありました。ボツの壺『おじいちゃん貯金じゃないよ除菌だよ』鵜野森マコピイ。さ~て来週のラジ川は・・。お題《敬老川柳》です。じゃ~んけ~ん!」 

・災害に目こらし探す友の土地(大名人・平谷妙子)
・突然の雨より怖いゲリラ義母(ワイン鍋)

☆タケシのヒント!
「「ゲリラ義母」のワンワードにやられました(笑)。たしかに雷雨より怖いですね。」 

・居酒屋に行きたい気持ち膨らんで(大名人・ポテコ)
・特別を夏から秋に引き継いで(大名人・アンリ)
・穏やかに過ごせる日本にしてくれよ(恵庭弘)
・記者座り病気の総理立つ会見(模名理座)
・継承しまた捨てるのか公文書(柳王・雷作)
・合流はしない党首のままがいい(大名人・東海島田宿)
・格差より段差が老いの敵になる(名人・やんちゃん)
・つきすぎたウソの整理が追いつかず(名人・龍龍龍)
・シミとシワ消えてきました老眼で(じゅんじゅん)
・台風に乗っ取られたねNHK(大名人・光ターン)
・メルマガに敬老の日を煽られる(柳王・入り江わに)
・夢を見るマスクはずして大笑い(里山わらび)
・昨今は備えにラジオよりスマホ(柳王・ユリコ)
・暑くてもお菓子コーナーにはハロウィン(ぼうちゃん)
・わが上司まとめるほどに課はばらけ(しゃま)
・嵐まえ養生テープ大人気(名人・はる)
・台風の真っ最中に投句する(のりりん)
・葬儀にも早割があり唖然とし(名人・不美子)
・怖かったでしょう紀凛さん(大名人・けんけん)
・台風も来るのを自粛してほしい(よっきゅん)
・この頃は弱い台風聞かないね(soji)
・誤魔化しのきかぬ相棒影法師(素人)
・菅さんの鏡に映る安倍の貌(大名人・フーマー)
・ご無事です?皆々さまはご無事です?(大名人・かたつむり)

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◎今週の一句
・突然の雨より怖いゲリラ義母(ワイン鍋)
〇2席・菅さんの鏡に映る安倍の貌(大名人・フーマー)
◯3席・記者座り病気の総理立つ会見(模名理座)

【放送後記】
九州からの参加者も多いこの「ラジオ万能川柳」、
この度の台風の被害に遭われたすべての方にお見舞い申し上げます。
まだまだ避難所で不自由な暮らしをされる方もいるとのこと、
一日も早く元の生活が戻るようにと心からお祈りしてます。(タケシ拝)
=====================================
水野タケシ(みずの・たけし)
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1965年生まれ。コピーライター、川柳家。東京都出身。
ブログ「水野タケシの超万能川柳!!」


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雑記帳2020-9-15 [代表・玲子の雑記帳]

2020-9-15
◆「プラスチックなくしたい!~レジ袋削減の先に」のオンライン交流会を実施しました。

2012年から多摩地域で活動する消費者団体が連携して行う、年に一度の交流会のテーマはプラスチックに決まりました。

この7月からスーパーーやコンビニなどのレジ袋が有料になりました。長年、有料化が求められていましたが、客が離れるという業界の強い反対もあって実現しませんでした。しかし、レジ袋を使わない日常が始まってみると、コンビニでのレジ袋辞退率は75%という意外な結果、なかなかの好発進です。

9月7日の開催にはコロナの為草々にオンラインでの実施が決まりました。
一緒に活動している仲間は高齢者も多く、パソコンやスマホの扱いに慣れていない不安はありましたが、呼びかけには90名を超える参加がありました。

多摩交流会チラシ.jpg

当日はDVD「プラスチックの行方~リサイクル日本の幻想」視聴と、東京農工大学教授・高田秀重さんの講演、流通と生産を扱う生協の取り組み紹介という組み立てでした。

DVDは「日本がプラスチックごみを海に流しているというのは誤解です」という安倍首相のパフォーマンス画像から始まります。(安倍さんは本当かどうかは別として、両手を広げて世界にアピールするのが好きです。オリンピック誘致の時に福島が完全にunder controlだと言った時もそうでしたね。)
それこそが誤解であることはすぐにわかります。確かに日本の海岸に打ち上げられた大量のプラスチックごみの中にmade in Japanはみあたりません。しかし、海はつながっており、ハワイ島の海岸で見つかる一番多いプラごみは日本製なのです。

1950年代200万トンだったプラスチックの生産量は今や4億トン、200倍です。
それに伴って大量に廃棄されたプラスチックをとおして魚の体内にとりこまれる環境汚染が問題になりました。
その危険性にまず注目したのは実はルワンダ、タンザニア、ケニアなどアフリカの、途上国と呼ばれる国々でした。 アメリカではカリフォルニア州がそのあとに続き、2016年には900か国が使い捨てプラスチック容器の規制をしています。

その動きの中で、中国は資源としてプラスチックごみを受け入れてていました。日本の分別されたプラスチックごみは中国に輸出されることで処理されていたのです。その中国でさえ2017年に輸入禁止をしたのは周知のことです。

日本では1995年に容器包装リサイクル法が施行され、2017年には900万トンの86%が有効利用されていることになっています。
2019年にはG20サミットで、大阪ブルーオーシャンビジョンが示され、(先の安倍首相のパフォーマンスはこのときのものです)使い捨てプラスチック削減ももりこまれました。
一見、日本はプラごみの先進国のようにみえますが、実はここで言われる「リサイクル」の殆どが焼却だということを私たちは知らなければなりません。真のリサイクルはほんの一部にすぎないのです。

容器包装リサイクル法は、使用済みのプラスチックを回収する仕組みを作ったものの、問題をかかえながらの出発でした。
回収・処分の費用は企業に対して市町村の負担がはるかに大きく、負担に耐えられない自治体はサーマルリサイクルに頼らざるをえません。焼却で発生する熱を地域に還元するという側面はありますが、CO2発生という別の環境問題を抱えることになるのです。
海外の流れを見ると、日本はむしろ後進国です。
ドイツでは容器包装の回収費用は企業が負担しています。

中国だけでなく、東南アジアの国々でも規制が始まって、プラスチックごみを処理コストの安い途上国に依存していた日本は、行き場を失ったごみがたまりはじめました。結果、焼却による問題を抱えたまま、環境省は焼却をすすめています。
輸出や焼却への依存を脱するためには、つくってしまうと将来につけをまわすことになるという認識をもって、脱プラスチックのために選択肢を増やすことが必要です。

現在、プラスチックが石油生産量に占める割合は8~10%ですが、2050年には20%になるといわれています。最もリサイクル率の高いペットボトルでさえ回収率は89%ですから、1%が海に出るだけでも数千万本になるのです。

流れている間に紫外線によって劣化し細片化したプラスチックが、マイクロプラスチックです。マイクロプラスチックは使い捨ての容器だけでなく、スポンジや人工芝、タイヤ、化粧品のマイクロビーズなどさまざまなものが原因になります。化学繊維は洗濯のたびにマイクロプラスチックを生じています。
こうして世界の海には今50兆個ものマイクロプラスチックがあるといわれています。
このマイクロプラスチックを海洋生物が餌と間違えてとりこんでいることが昨年多くの人々の関心をあつめました。さらに食物連鎖によってマイクロプラスチックは生態系のすみずみにおよんでいます。

マイクロプラスチックの問題だけではありません。
プラスチックには、性能を維持したり、使いやすくするために多くの化学物質が添加されています。色や柔らかさを奪う紫外線の吸収剤は欠かせません。 劣化を抑えるための紫外線吸収剤はペットボトルのふたにまでつかわれています。
添加材の一部は水や食べ物にとけ、環境ホルモンとして、生殖に関係するだけでなく、アレルギーや免疫力の低下をひこおこすといわれています。

プラスチックの半分を占める容器包装の廃棄は、管理して海へ流れるのを止めなければなりません。そのためにはどうすればいいのか。
埋め立てれば土中で分解して有害物資が染み出し、川を汚染することになります。
焼却すれば、(現在日本では7割がサーマルリサイクルとして焼却されています)CO2発生による温暖化を促進することになります。
さらに高性能の焼却炉はダイオキシンの発生は防ぐことはできますが、高温の焼却炉の寿命は30年しかなく、一基100億円もかかるという、きわめてコストの高いものなのです。
今話題になっている植物由来の生分解性プラスチックも、完全に分解するすることはなく、中途半端に分解して細かくなったものはマイクロプラスチックになってしまいます。

リサイクルも完全ではありません。                      
まずリサイクルには手間も費用もかかることを覚悟しなくてはなりません。
そしてリサイクルするたびにポリマーの質は低下するので、無限にリサイクルできるわけではないのです。

結局のところ、使用量を減らすことしかありません。
まず、3R(reduce(減らす)>reuce(再利用する)>recycle)を徹底し、優先順位をつけることです。先ず減らすことを最優先する考え方です。
使い捨ての弁当箱、ポケットテイッシュ、液体洗剤などを断る(refuse)ことも必要です。
詰め替え容器はボトル容器に比べて環境にやさしいと考えてはいけません。プラスチックを何層も重ねた詰め替え容器は決してエコではないのです。

リサイクルが最後とはいえ、大切です。リサイクルしやすい商品のデザインや流通の仕組みは徐々にできつつあります。
たとえば、化粧品会社のLUSHは、液体の化粧品を固体化することで、パッケージをなくしました。

7月から有料になったレジ袋について、プラスチック総量のわずか2%にすぎないレジ袋を有料化することにどんな意味があるのでしょうか。
実はレジ袋は他のプラスチック製品よりも多くの有害な添加物がつかわれており、レジ袋自体が直接海洋生物に影響をおよぼしています。それが削減されることは、思っていた以上に効果があることがわかりました。
レジ袋有料化から始まる他のプラスチックごみ削減への道を開くために、環境省はその道筋を示してほしいものです。

農工大では上記の3Rにrenewable、resaearchを加えた5Rキャンパスとして脱プラ宣言をしました。キャンパス内に給水器を設置して、ペットボトルを0(零)に、レジ袋も廃止。プラスチックフリーや再生可能な(renewable)素材のグッズを採用する。バイオマスの研究(research)を通して3Rを進める。それらの取り組みが今、各方面から注目されています。

コープデリの宮川さんからは生協の取り組みを紹介してもらいました。客の利便性を優先する現場では一気に削減を進めることが難しい場面もありますが、SDGSの取り組みに貢献したいと、refuse、reduce、reuse、ecycle、renewableの意識がが根付いていることを学びました。メーカーや流通の現場でも脱プラスチックの動きは始まっているのです。

◆今年もアールブリュット立川展が開かれました。2015年に始まった同店は今年で6年目になります。

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アールブリュットとは、「加工されていない、生(き)のままの芸術」という意味のフランス語で、画家のジャン・デュ・ビュッフェによって考案された言葉です。
英語では「アウトサイダ―」と称され、伝統や流行教育などに左右されず自身の内側から湧き上がる衝動のままに表現した芸術と言われています。
日本では、知的障害者の制作する美術を指すことが多いようですが、世界でも高く評価されているということです。
9月2日から15日までは市内の高松学習館で、9月16日からは伊勢丹で開かれます。

実行委員長の松島ゆかりさんによると、始めた当初はアール・ブリュットについて知らない人が多かったが、毎年開催したことで多くの方に、その魅力を知ってもらえるようになったそうです。特に今年はコロナの関係でアート展示が中止になることが多く、開催を喜ぶ人も多いということです。

今年のテーマは「エコ」。廃材、段ボール、糸くず、フルトップ、新聞紙などを使った作品も出品されました
学習館に伺って写真をとらせてもらいました。
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会場で一案の大作『カンブリア』
作者の鈴木晧平さんはヒラメの独特の世界観があり,それをモチ-フにした絵を描くことが多いそうです。

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私の中の一期一会 №221 [雑木林の四季]

                辞任する安倍首相の後継者は菅官房長官に決まる。
        ~16日に招集される臨時国会で第99代総理大臣に指名される運び~

       アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 安倍首相の後継者を選ぶ自民党の総裁選が14日、都内のホテルで行われた。
 両院議員総会で国会議員らによる投票が行われ、377票を獲得した菅義偉官房長官(71)が新総裁に選出された。
 岸田文雄政調会長は89票、石破茂元幹事長は68票という結果で,事前に分っていたことだが菅官房長官の圧勝に終わった。
 菅氏は7年8カ月の長期にわたって、安倍政権の”番頭”として首相を支えてきた。
 安倍首相は「長い間,官房長官として国のため人のために黙々と汗を流してきた菅さんの姿を私はずっと見てきた。この人なら間違いない。令和時代にふさわしい自民党総裁ではないか」とかなり持ち上げた。
 続いて壇上に上がった菅義偉新総裁は次のように挨拶した。
「安倍総理が病気のため、道半ばで退かれることになりました。
 しかし新型コロナウイルスが拡大するという国難にあって、政治の空白は許されません。
 この危機を乗り越えて、国民一人一人が安心して、安定した生活が遅れるよう、そのために安倍総理が進めてきた取り組みを継承し進めていかなければなりません。私にはその使命があると認識しております。 
 この総裁選を共に戦い、論戦を繰り広げてくれた石破候補と岸田候補にも敬意を表し、改めてお礼申し上げます。
 総裁選が終わった今、会場のすべての皆さん、全国の党員・党友の皆さん、自民党の旗のもとに一致団結して、この日本の国を前へ進めようではありませんか。
 私の目指す社会像は、自助、共助、公助、そして絆であります。
 まず自分で出来ることは自分でやってみる。そして地域で、家族で共に助け合う。
 その上に立って政府がセーフティネットでお守りする。
 そうした〝国民から信頼される政府”を作っていきたい。 
 そのためには役所の役割、既得権益、悪しき前例主義、こうしたものを打破して規制改革を進めてまいります。
 そして国民の皆さんのために働く内閣を作ってまいります。
 私は秋田の農家の長男として生れました。
 地縁も血縁もない政治の世界に飛び込み、まさにゼロからのスタートでありました。
 その私が歴史と伝統がある自由民主党の総裁に就任することが出来ました。 
 私のすべてを傾けて、この日本のため、国民のために働くことをお誓い申し上げます」・・・
 多くのメディアも指摘しているが、安倍政権は敵と味方を峻別して、首相官邸に異を唱える議員や非主流派を徹底的に冷遇してきた。
 その結果、物を言わない議員や忖度する官僚ばかりが数を増やしてきた。
 そんな安倍総理が進めてきた取り組みを継承し進めていくだなんて・・
 よしてくれ!と釈然としないものがあるが、挨拶を聞いて私は菅義偉という人物を少し見直している。
 官房長官の定例会見では、批判されると「その批判は当たらない」という短い決まり文句で記者の追及を躱すのが常だった、
 政策の不備を指摘されても「その指摘は当たらない」と木で鼻をくくったように答えることも多かった。
 何故、批判や指摘が当たらないのかの説明は一言もなかったのではないか。
 天敵の東京新聞、望月衣塑子記者を徹底的に無視する姿勢は大人気ない印象すらあった。
 菅義偉という男は、冷酷非情な「鉄仮面」と呼ばれたことがあったようにも記憶している。
 そうした負の面影をほとんど感じさせない挨拶だったと私は思った。
 短いコメントや答弁でも官僚の作文を読み上げるだけだった安倍首相と違って、この人は〝自分の言葉”を持っている人に思えたからだ。
 国会での答弁で、平気でウソをついたり、まともに答えないではぐらかす〝不誠実さ”を継承してはいけない。
 国民はちゃんと見てますよと私は言いたい。
 毎日新聞は15日の社説で、国民の声に耳を澄ませ、批判を真摯に受け止め、開かれた議論をする。
 そんな政党に自民党を近づけることができるか。菅義偉新自民党総裁は重い責任を背負っていると書いている。
 党の役員人事では、二階幹事長と森山国会対策委員長の留任がすでに決まっており、下村博文政調会長と、佐藤勉総務会長の新任も決まったらしい。
 菅新総裁は、16日に招集される臨時国会で第99代総理大臣に指名される予定である。
 そして直ちに組閣という段取りが予定されている。
 公文書改ざん問題で夫を亡くした赤木雅子さん(49)は、「菅さんもこのままずっと隠そうとし、隠せると思っているなと感じる。でも私は絶対許さない」と発言している。
 2年前、財務省の公文書改ざんに関与させられたのを苦に、夫は自ら命を絶った。
 妻は35万人を超える署名を集め政府に提出して、問題の再調査を求めている。
「菅さん、逃げないで!安倍さんのように逃げるのはやめて欲しい」・・これは〝叫び”と捉えるべきだろう。
 拉致被害者の家族会も、18年10月から拉致問題担当を兼務してきた菅新総裁に問題の解決を期待した。
 めぐみさんの母、早紀江さん(84)は「菅さんは安倍さんと同じ路線でやってきた方だ。
 問題をよく分かっている方が総裁になって良かった。菅さんはとてもまじめな方という印象で問題を解決しなければと思っている筈。
 私達も信頼している。早く行動を起こして成果を見せて欲しい。期待している」と話している。 
 家族会代表の飯塚繁雄さん(82)も「一刻も早く具体的に手を付けていただきたい」とコメントを出した。
 国民に信頼される政府、国民のために働く内閣を作ると約束した以上、こうした国民の、しかも切実な声に答えないと、前任者のように「やってるフリ首相」と言われるだろう。
 それにしても、徹底的に石破茂総裁候補をいじめた尽くした自民党には呆れもしたし、失望感すら覚えた。
 国民は見ている。野党が小異を捨てて本気になれば、チャンスかも知れない。
 


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浜田山通信 №273 [雑木林の四季]

アルコール不堪症

           ジャーナリスト  野村勝美

 菅義偉首相が、酒が呑めないと聞いてなんとなく親近感を抱いた。実は私も酒に弱く、新聞社に入ったころは苦労した。人間の集団はどこでも派閥をつくろうとして、学校や地方別に先輩が後輩に働きかける。そのとき連れて行かれるのは、会社の近くの呑み屋だった。私はビールならコップに半分ものまないうちに心臓が機関銃を撃ったようになり、死ぬ思いをした。
 酔っ払いを見ると羨ましくて仕方がなかった。なかには愚痴ばかりいう人もいたが、大部分はすっかりいい気分になり、大言壮語したり踊ったり歌ったり、心底羨ましく思った。
 お医者さんに相談すると、酒が呑めないのは、アルコールを分解する酵素が、日本人や東アジアの人間の2、3割になくて、いくら練習しても呑めるようにはならない。アルコール不堪症とでもいうべき一種の病気だと言われた。昔はよくTVのCMにアルコールが登場したが、酒が呑める薬をつくれば売り上げはグンとふえるだろうにと思った。とにかく酒飲みのあのいい気分、おれは人生の楽しみの半分を知らないで過ごさねばならないと思うと悔しくもあり、情けなくも思った。
 政治家で酒を呑まずに勤まるということが私には理解できない。酒の呑めない首相や有名政治家を思い出せない。TVのうわさ話によると菅首相は、酒どころ秋田の山の中で生まれたが、地元でも一滴も呑まず、高校を出ると上京、授業料の一番安い法政大学に入り、政治を志し、横浜市の市会議員に出て当選した。絵に描いたようなたたき上げだ。明治の初代内閣総理大臣伊藤博文以来、首相になった人間は70人ほどだが、新首相のような文字通りのたたき上げは他にいない。秋田県も初めてだ。
 甘いものに目がなく、ケーキや和菓子をむしゃむしゃ食べるそうで、私としてはつい同類項と思ってしまう。90年生きてきて、甘党で酒が呑めず、気のつよい力持ちに会ったことがない。
 安倍晋三前首相の父親晋太郎氏は、私が毎日新聞社に入った頃、政治部の遊軍みたいなことをしていていつも社内をぶらぶらしていた。同じ頃、いま立憲民主党の長老格になっている海江田四郎氏の父親は労農記者をやっていた。二人ともいい人で、後輩の面倒をよくみてくれた。安倍晋三首相は、母方の祖父岸信介にかわいがられて育ったので、戦争中東條内閣に反対した父方の祖父のことを知らなかったのだろう。どこに「アベ一強」などといわれた力があったのか、私にはわからない。
 とにかく前内閣が積み残した課題の多さには晋三氏ならずとも病気になるしかない。新型コロナはもちろん借金で、ニッチもサッチもいかなくなった国家財政、アベノミクスでうけに入っていた経済もGOTOキャンペーンくらいではどうにもならない。頼りの日米同盟だってどっちが選挙に勝ってももっと金寄こせと言ってくる。中国や韓国に対しても、まして人口減少、異常気象、まともな人間なら首相になどなりたいと思わない。

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BS-TBS番組情報 №218 [雑木林の四季]

BS-TBS 2020年9月のおすすめ番組

                                   BS-TBS広報宣伝部

JNNふるさと紀行
「EVER BLUE 柏木由紀×高知の夏」

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2020年9月19日(土)午前10:00~10:54

☆AKB48柏木由紀が等身大で巡る初めての高知旅。これまでもこれからも在り続ける普遍的な高知の夏を体感。

出演:柏木由紀(AKB48)

AKB48柏木由紀が等身大で巡る初めての高知旅!

日曜市では高知の食材の豊富さと土佐人のおもてなしの心に触れ、仁淀川エリアでは高知が誇る伝統文化や土佐茶の魅力を五感で堪能。

最後に訪れた大月町では故郷鹿児島を感じる風景をバギーで駆け抜ける。そしてその先に待っていたのは一面、蒼の世界。

カナヅチだという柏木が初の水中アクティビティーに挑戦!

アイドルという殻を脱ぎ捨て全力で楽しむ姿を見られる。そして旅が終わり、彼女が抱いた思いとは?

これまでもこれからも在り続ける普遍的な高知の夏を体感する。

制作:KUTVテレビ高知

うた恋!音楽会

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2020年9月19日(土)よる7:00~8:54

☆歌謡曲・演歌・ポップス…時代を超える名曲だらけの音楽会!

出演:由紀さおり/三山ひろし

ゲスト:五木ひろし、天童よしみ、城之内早苗

今回のゲストは五木ひろし、天童よしみ、城之内早苗。

五木ひろしは、日本レコード大賞曲「夜空」を披露。天童よしみは、名曲『道頓堀人情』を、城之内早苗はソロデビュー曲「あじさい橋」を熱唱する。

歌謡曲全盛の時代のある年のヒット曲をフューチャーした「うたのタイムマシン」では、1985年のヒット曲、小林明子の「恋に落ちて」を城之内がカバー。

時代を飾った名曲に携わった“偉人”の楽曲に迫る「うたの偉人伝」は、中山大三郎を特集!中山大三郎の軌跡を貴重映像とともに振り返り、三山ひろしが尾形大作の「無錫旅情」を、由紀さおりは島倉千代子の「人生いろいろ」を見事に歌い上げる。

さらにゲストスペシャルライブでは、五木ひろしと天童よしみが、二人で紅白歌合戦を実現!?

新・地球絶景紀行

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毎週(水)よる10:00~10:54

☆悠久の時を刻む自然美、人智が到達し得た創造美。

心を揺さぶるかけがえのない景色を求め、地球を駆け巡る。

旅人(ナレーター):吉田羊

▽2020年9月16日放送

#40 「クロアチア」総集編

今回はクロアチア。旅は首都ザグレブからスタート。中世の佇まいを残す町並みを散策。歴史あるモザイク屋根の美しい聖マルコ教会を見た後は、朝食の定番であるミートパイ「ブレク」をいただく。アドリア海を一気に南下し、クルカ国立公園へ。全長800メートルにも及ぶ迫力満点の巨大な滝を見に行く。旅の最後は、世界遺産・要塞都市ドゥブロヴニクで、オレンジ一色に染まった夕景の町並みを眺める。

▽2020年9月23日放送

出演:吉田羊、宮本亞門

新・地球絶景紀行スピンオフ特番!

毎回、旅のスペシャリストが登場し、旅、そして旅で見た絶景、その素晴らしさを余すところなく語る。

「人生の転機となった絶景とは?」「どうしても忘れられない絶景とは?」そして「あなたにとって旅とは?」。

記念すべき、第一回のゲストは、世界的な演出家・宮本亞門。

旅人・吉田羊が、心に残る旅のエッセイを朗読、番組の絶景アーカイブ映像もたっぷりお届けする。

▽2020年9月30日放送

出演:吉田羊、アンミカ

新・地球絶景紀行スピンオフ特番!第2回のゲストは、タレントのアンミカ。

旅人・吉田羊が、心に残る旅のエッセイを朗読、番組の絶景アーカイブ映像もたっぷりお届けする。




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バルタンの呟き №81 [雑木林の四季]

     「自助共助公助、そして絆ですか?」

              映画監督  飯島敏宏

九月と言えば、涼風と名月、の筈ですが、中旬だというのに、いまだに熱中症にご注意という具合で、クーラーも廻りっぱなしの有様ですし、マスクも息苦しい状態で。
早朝ラジオ体操で、わが街の中央公園にやってくるメンバーは、始まってから20年も経っているので、もうそろそろ平均年齢80歳余になろうという旧来の方々に加えて、近ごろは、行くな、集うな、の都知事令でコロナ休暇?で、三度三度の食事作りでストレスの嵩じはじめた奥様方に起こされて、ゴルフにも行かれず、身の置き所を失った新老人の人たちが、増えてきました。
「なにしろ、一日中、誰とも口をきく機会が無くて」
という按配で、この人たちに捉まったら最後1・5メートルのソーシアルスタンスぎりぎりに迫ってきて、熱弁を振るわれてしまいます。戦争は勿論、戦後の苦しさも、幼すぎて知らなかった、高度成長下育ちの新老人たちですから、戦後75年、という話題は全くなくて、もっぱら、コロナ後のリモート社会の生き延び方とか、株価、景気の話しです。最近の日韓関係の話題でも、「さきの戦争」の反省など全くない「韓国文政権けしからん」一辺倒です。50年近く前に大規模開発された戸建て分譲のこの街の老人は、現役時代には、大部分が一部上場企業勤務で、順調なベースアップと昇進に恵まれた方々が殆どですから、
「自助共助公助そして絆?自助が出来るくらいなら、とっくに困窮から脱却しています。天がなんて言っても、あの民主党時代のデフレは二度と御免・・・」
であり、
「アベノミクス? まあ、そこそこ良かったんじゃないすか?」
という具合で、保守革新に亘る政治談議盛んな。僕たち超高齢世代とのディベートなどは、
「叱られそうで・・・」
と、もっての外、試みることもないようです。
「どこどこのパンが・・・行列が出来て・・・」
「300坪の敷地に隠れ家的な、素敵なレストランが・・・」
とやっている所に近づいて、つい、
「でもね、このまま行くと、必然的に、戦争に巻き込まれちまうんじゃないかな?」
と、いまや米寿となった僕が呟きかけると、
「だいじょぶですよ。北朝鮮は脅すだけで」
「なんだかんだって言っても、日米同盟は、確固としていますから」
「北朝鮮がミサイル攻撃でもしたら、米軍が徹底的に反撃するのが解ってるから、自爆行為です。金正恩は、そんな馬鹿じゃないです。中国習近平政権だって同じで、戦争なんかしたら自己崩壊しますからね」
(この老人は、何を心配してるんだろう?)
という風に、屈託なく僕を説得するのです。
「でもさあ、陸でも海でも、イージスをいくら並べても、一時に何百発も弾導ミサイル撃ち込んで来たら・・・百発百中したって、防ぎきれないんじゃあないの?それに、ミサイル撃ち込まれてから、米軍が反撃する時には、日本の米軍基地は消滅しているわけでしょう?厚木基地は、ここからすぐ近くだしね」
「トランプさんと安倍さんで購入の約束を交わした、まだ開発中で、超高価なステルス戦闘爆撃機には、誰が乗って戦うの?その頃には、迎撃する相手は、ミサイルや無人機やドローン機じゃないかなあ?」
「・・・・・?」
「積極的平和主義ってのは、軍事強国と同盟を結んで圧力を保つ平和ではなくて、対立する国があれば、積極的に間に立って、平和を説くことじゃないのかなあ?」
「僕はこう思うんだよ。 今こそ、日本は、積極的平和主義を称えて、アジア各国を説いてまわり、一国が主導するものではなく、各国が経済的にも均衡できる真の大東亜共栄圏を築き上げる好機だと・・・」
立て続けに質問しながら。ふと、気がついてみると、
もう公園広場には誰もいなくなって・・・最早巨木になった桜の木から、熱気に負けた病葉が、風に吹かれて、中空に漂っていましたっけ・・・
昭和なんて、ずうっと遠くに行ってしまったんですね・・・でも、
「ねえ、菅さん。自助、共助、公助じゃあなくて、公助、共助、自助じゃないの? 自助なんか絶対出来ない人を先ず公が救ってから、家族、近所が助け合って、そこから先は、自分で出来ることは自分でやってなんとかするのが・・・?」
ふと気がつけば、最早巨木と化した公園の桜の木々から、病葉がちらほらと、散っているだけで、すべて世は事もなし・・・




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医史跡を巡る旅 №73 [雑木林の四季]

江戸の疫病~前篇

           保健衛生監視員  小川 優

江戸時代、はやり病として恐れられたのは天然痘(疱瘡)、麻疹(はしか)、水疱瘡(水痘)でした。庶民はこの三つの病のことを「お役三病」と呼び、恐れました。いずれもウイルスが原因で一度罹ると免疫を獲得することができるため、原則として二度罹りません。そのため感染自体は恐れられながらも、流行を生き延びて初めて一人前、つまり通過儀礼とみなされていた節があります。積極的な予防策がなく、効果的な治療方法もない(因みに、現代でも坑ウイルス薬はなく、解熱剤投与などの対処療法のみです)時代ですから、ある意味諦念観が感じられます。現在のコロナ禍の状況とよく似ていますね。

「少彦名神社」

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「少彦名神社」 ~大阪市中央区道修町 少彦名神社

大坂中央区道修町にある少彦名神社は、少彦名命と神農炎帝を祀る医薬の神様です。道修町には江戸時代から薬種商が集まっており、株仲間を作っていました。この株仲間が安永9年(1780)、京都の五條天神社から祭神として少彦名命を勧進したのが始まりとされます。

「少彦名神社御朱印帳」

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「少彦名神社御朱印帳」 ~大阪市中央区道修町 少彦名神社

今般の新型コロナウイルス感染症の流行収束を祈願した、少彦名神社2020年夏バージョンの御朱印帳です。

「疫病退散の赤虎」

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~大阪市中央区道修町 少彦名神社

疫病退散を祈願する、赤虎が描かれています。

天然痘は種痘の普及により減少し、1980年5月にはWHOが根絶を宣言しました。かつては致死率の高い病気として恐れられ、日本でも1946年には18,000人程の患者が発生し、約3,000人が死亡しています。ワクチンによって予防できても、治療は難しく、統計的な死亡率は20~50パーセントに上りました。江戸時代でも貴賤を問わず感染し、宝永元年(1704)徳川綱吉長女の鶴姫、天保11年(1840)徳川家慶六女の暉姫、嘉永2年(1849)尾張藩主徳川慶臧、慶応2年(1867)孝明天皇と、幕府要人だけでも多くの人が命を落としています。

「疱瘡神社・疫神社」

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「疱瘡神社・疫神社」 ~東京都中央区佃 住吉神社

もんじゃ焼きですっかり有名になった佃は、江戸時代は漁村でした。家康の江戸開府の際、摂津佃村の漁民を呼び寄せたのが始まりとされ、住吉神社も同地にあった神社を勧進したと伝えられます。境内には、疱瘡神社と疫神社があります。それぞれ素戔嗚尊と疫神を祭神として、鎮座は嘉永3年(1850)とされます。文久2年(1862)、江戸で麻疹とコレラが大流行した時、7尺の船に藁の人形(ひとがた)を乗せ、沖に流したという記録があるそうです。疫病流行時にその原因を疫神と捉え、人形に移して、集落から外に送り出す行為は各地に見られ、疫神送り、疫神流しと呼ばれています。

天然痘は潜伏期の7~16日を経て、前駆期は40℃を超える発熱が2~4日続き、解熱するとともに発疹が生じます。発疹は部位に関わらず、規則正しく紅斑→丘疹→水疱→膿疱→結痂→落屑と移行し、異なる状態が同時に現れることがありません。この点が後述の水痘とは大きく異なります。また膿疱となった時期に再度発熱するほか、発疹部の疼痛や灼熱感が強いという特徴もあります。瘡蓋(かさぶた)が完全に落ち、熱が下がるまでは感染の恐れがあり、瘡蓋そのものにも暫く感染性があります。また落屑後も色素沈着や、瘢痕(痘痕・あばた)を残します。このため「美目定めの病」とも呼ばれました。

「瘡守稲荷神社」

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「瘡守稲荷神社」 東京都世田谷区瀬田

用賀駅から暫く歩いた住宅地に鎮座しています。祭神、由来は記録がなくはっきりしませんが、少なくとも江戸時代から病平癒、特に瘡(かさ)治癒の霊験ありとして、近郷農民の信仰を集めました。願掛けとしては、神前に供えられた多摩川の石を持ち帰り、無事治癒した時には新たに川原で石を拾い、倍にして返す習わしであったそうです。

稲荷信仰は字の示すとおり、農民の間で広まった農耕神信仰で、そのお使いが狐とされます。狐は米を食害する鼠を捕食しますし、生態も神秘的なためお使いとみなされ、場合によっては自身が神格化します。やがて商業が盛んになると商売繁盛も願われるようになり、庶民の身近な万能神とみなされるようになります。

中でも何度も大きな疫病の流行を経て、疫病から守る役割に特化した信仰を得る稲荷神も生じ、「瘡守」、「瘡護」(かさもり)を名乗るようになります。また同じ音からの連想、もしくは音が同じものの、敢えて異なる字を充てたのかはわかりませんが、「笠森」もまた、同じ御利益をもたらすとして信仰されました。

麻疹は現代でも重要な感染症で、先進国であっても患者1,000人あたり1人の割合で死亡する可能性があり、小児死因においては世界統計で1.2パーセントを占めています。さらに大人になって麻疹に罹ると、重症化する傾向があります。江戸時代では麻疹が25~30年おきに流行しており、「麻疹で知られる傾城の年」という川柳があります。これは麻疹が流行っているにもかかわらず、若い筈の遊郭の遊女がなぜか罹らず、遊女の実年齢がばれてしまった、ということを謡っています。有名どころでは、生類憐みの令で悪名の高い徳川綱吉が麻疹で命を落としています。

江戸時代麻疹は、記録で確認できるところでは13回、流行しています。
慶長12年(1607)
元和2年(1616)10月
慶安2年(1649)3月
寛文10年(1670)2月
元禄3年(1690)3月上旬~4年5月
宝永5年(1708)秋~6年春 徳川綱吉死去
享保15年(1730)9月~? 幕府が麻疹薬を無料配布
宝暦3年(1753)4月~9月 
安永5年(1776)3月末~初秋
享和3年(1803)3月下旬~6月
文政6年(1823)11月~7年3月
天保7年(1836)7月 小規模流行
文久2年(1862)6月~閏8月 大流行 江戸の死者1万人余
(鈴木則子 日本医史学雑誌 第50巻第4号 2004)より

「大圓寺薬王殿(瘡守堂)」

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「大圓寺薬王殿(瘡守堂)」 東京都台東区谷中

享和年間に大阪、高槻市にある笠森稲荷を旗本大前氏が勧進したもの。笠森(かさもり)は瘡守(かさもり)に通じ、疱瘡に効能ありとされました。向かって左側が本堂で、右側が瘡守薬王菩薩を祀る薬王殿になっています。

「瘡守薬王菩薩」

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「大圓寺薬王殿(瘡守堂)」 東京都台東区谷中

もともとは瘡守稲荷を祀っていたようですが、神仏分離の折に薬王菩薩として祀ることで、存続を図ったようです。近隣には笠森稲荷を名乗る社があと2か所あります。そちらと勘違いしたものか、あるいは同じ名前という所以からか、後述する「笠森お仙」の碑があります。

麻疹の潜伏期は10~12日間、38℃前後の発熱が2~4日間続き、咳、鼻水などの上気道炎症状や、結膜炎症状を伴います。症状が現れる1日前からウイルスを排出していて、発疹出現後4~5日目位までは人にうつす可能性があり、かつ感染力が極めて強いので注意が必要です。その後口内炎に似たコプリック班を生じ、続いて発疹を生じます。発疹は耳の後ろ側から始まって次第に広がり、一旦下がった熱も再度上がります(39.5℃以上)。発疹は隆起し、斑丘疹となりますが、水疱や膿疱になることなく退色し消失、7~10日後には回復します。

「笠森稲荷」(功徳林寺)

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「笠森稲荷」(功徳林寺) 東京都台東区谷中 功徳林寺境内

先にご紹介した瘡守堂に程近いため混同しやすいのですが、直接の関係はないようです。むしろ、この後にご紹介する養寿院の笠森稲荷とは複雑な関係があります。江戸時代は天王寺福泉院があった場所で、同寺が明治になって廃寺となったあと、明治26年に功徳林寺が設けられました。福泉院時代は境内に笠森稲荷があり、こちらも笠森=瘡守として疱瘡や梅毒治療に効果ありとして信仰を集めていました。参詣客を目当てに門前には茶屋があり、看板娘がいたそうです。江戸三美人といわれた彼女の名前は「お仙」。笠森稲荷の名を冠して笠森お仙と呼ばれました。笠森稲荷も福泉院の廃寺とともに一旦はなくなりましたが、現在再び元の場所である功徳林寺境内に勧進されています。

水痘すなわち水ぼうそうは、私が子供の頃は、子供が一度は誰でもかかる普通の病気という感覚でしたが、現代では子供の感染症というよりも、大人、それも中高年者が罹患し、難儀する帯状疱疹の原因としてのイメージが強くなっています。水痘自体は致死率が低いので、「お役三病」のひとつとするのには違和感がありますが、19世紀終わりになるまで天然痘との区別が明確にはされていなかったせいかもしれません。症状はよく似ているのですが、水疱の状態が「ヘソがあるのが天然痘、ヘソのないのが水ぼうそう」と伝えられています。

「笠森稲荷」(寛永寺養寿院)

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「笠森稲荷」(功徳林寺) 東京都台東区上野桜木 寛永寺養寿院境内

養寿院は寛永寺の子院として、最初上野山西辺にありましたが、大火や維新時の戦乱で二転三転し、大正6年に現地点に落ち着きました。一方、先の功徳林寺にあった福泉院が廃寺となるときに、笠森稲荷のご神体が当寺に移されます。そして養寿院境内に再建されたのが、こちらの笠森稲荷になります。

実はもうひとつ、江戸時代の庶民を苦しめた「かさ」があるのですが、そのお話はまた次回に。




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いつか空が晴れる №91 [雑木林の四季]

   いつか空が晴れる
         -ジェルソミーナ-
                澁澤京子


 今は渋谷区が完全に撤去してしまったけど、昔、線路沿いの宮下公園にはホームレスのテントがたくさんあった。学生のとき、そこにいるホームレスの叔父さんたちと仲良くなった私はよく公園のベンチに座っておしゃべりをした。(なぜか若い時、私はよくホームレスの叔父さんから声をかけられた。きっと何か波長が合う所があったのだろう)

「あいつら、俺たちとそんな変わらない癖に、エラそうなんだよ!」ホームレスたちから嫌われているのは(手配師)と呼ばれている、日雇い仕事をあっせんする男たちだった。

夏でも冬でもいつも黒いブーツを履いていて、立ち止まっては布でブーツを磨いているショートカットの女の人は皆から(トシ子)と呼ばれていた。

トシ子さんは時折、一人で大声で怒鳴りながら歩く。炎天下、ブツブツと怒りながら片足をベンチにかけて、黒いブーツを布で丁寧に磨いているトシ子さん。

「・・・人間、ああなったらおしまいだねえ・・」彼女を横目で見ながら私の隣でつぶやくホームレスのおじさんは、ワンカップ大関を飲んでいた・・・

私が若い時、宮下公園にいたホームレスの叔父さんたちもトシ子さんも、もうこの世にはいないだろう。

コロナ自粛で家にこもっている時にすっかりはまったのが、清野とおるさんの『東京都北区赤羽』というエッセイ漫画。すべて彼と交流のある赤羽の住人(実在)とのエピソードで、登場人物の中でもとりわけ魅力的なのがベッティ(自称)さん。赤羽で神出鬼没のベッティさんは、まるでフェリーニ『道』のジェルソミーナみたいな無垢な人。赤羽という街が、彼女の登場によって一気に幻想的な雰囲気になる。ベッティさんは、時々、赤羽の商店街のちんどん屋にこづかれたり、いじめられたりしているのを目撃されるらしい、まるでフェリーニの映画のようではないか。作曲もするベッティさんは、ちんどん屋の演奏を聴いて思わずうれしくなって踊ったのだろう。バカにされても乱暴な扱いを受けても、まったく無抵抗で途方に暮れた感じのジェルソミーナ。ベッティさんが恥ずかしそうな顔で写っている写真か漫画の中で紹介されているけど、ジェルソミーナのようにも見えるし、あるいは寒山拾得のようにも見える・・

フェリーニの映画音楽には、よく、物哀しい楽隊の音楽が流れてくるけど、あれは彼が子供の時に聴いたものなのだろう。あの底抜けに明るくて淋しい楽隊の音色は、不思議と国境を越えたノスタルジックな何かを持っている。フェリーニの映画はほとんどが自身の記憶のコラージュで、記憶というのは、人の情緒や想像力と深い関係があるのかもしれない。

ジェルソミーナを演じたジュリエッタ・マシーナは、実際はすごいインテリ。ああいう役は、かなり高度な知性と、天賦の才能がないと難しいのじゃないだろうか。知性と、自我の殻を一瞬で壊して異世界にジャンプする能力と、そして何よりも子供の心と、人を観察して本質を見抜く力。

フェリーニもジュリエッタ・マシーナも、清野とおるさんも現実と夢の境界線上にいる人たちなので、夢と交信できる人たちなのだ。

ベッティさんはアーティスト。もちろん、ベッティさんには自我の殻は、ほとんどないので、公園でビニールのゴミ袋を両手に持って地面にたたきつけリズムをとり、それを伴奏に歌も歌う。英語でつぶやいたり、詩のようなものも書くし、かなりいい感じの絵も描ける。(彼女の作品は漫画の中で紹介されている)

自我が壊れて天真爛漫に生きているベッティさんには人を癒す能力があるので、清野とおるさんがベッティさんを好きな気持ちは、とてもわかる。

ベッティさんと、彼女に一目を置いている清野とおるさんとの交流が、実にほのぼのとしていていい。奇妙で奇抜で大胆だけど、実はとても遠慮深くて優しいベッティさん。もしかしたら、もともとは育ちのいいお嬢さんだったんじゃないか?という気さえしてくる。

清野さんがお小遣いを渡せば、必ず何か自分の作品を一生懸命に探して渡すベッティさんには、アーティストとしてのプライドがある。この漫画を読んで、ベッティさんのファンになり、実際に赤羽に行って彼女を探した人も結構いるのではないだろうか?

ベッティさんと波長が合ってしまう清野とおるさんも素晴らしくて、清野とおるさんと彼の才能を見初めた壇蜜という女優さんは、かなり優れた感性を持った女優さんなのだろう。

波長が合う、合わないは不思議で、どうも、その人の中の(子供)と関係あるような気がするし、その人が本来持っている旋律のようなもの、とも関係があるような気もする。

もう一人、とても気に入っているのが、山本さほさんという若い女性漫画家。

小学校の時からの親友が結婚することになり、もともと親友のために私的に描いた『岡崎に捧ぐ』というエッセイ漫画がとてもいい。

親友の家庭は実は崩壊家庭なのだけど、子供の視点から見ると自由のパラダイス。子供の頃の思い出のあれこれや、思春期の女の子の傷つきやすさもみっともない面も、その描かれ方が繊細でユーモラスで、上質の純文学を読んでいるような気持ちになる。

清野とおるさんも山本さほさんも、子供の自由な視点を持っていて、それとユーモアの質が、とても品がいい。それは彼らが、偏見のほとんどない、柔らかな優しい心を持っているからだろう。彼らのようなオープンで柔らかい心を持っていると、詩というものは星だの花だの雲だの、ありきたりなものだけじゃなく、その辺にいくらでも転がっているものなのかもしれない。

若い時と違って、街を歩いていても、ホームレスから話しかけられることのなくなった私。なんだかとても大切なものを失ってしまったような、淋しい気持ちになる。




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梟翁夜話 №71 [雑木林の四季]

「台風の進路」

               翻訳家  島村泰治

誰の書き物だったか、川の流れと獣道は土地の起伏に沿って自然に決まるものだ、と云ふ意味のことを読んだ。なるほどさう云ふものか、と頷いた記憶がある。植物でも空間を縫うやうに育つわけだし、直に育てるには敢えてその空間を按配すればいい。子供なども、…などと生活哲学まで話を広げる気はさらさらないが、この伝で最近気になる現象がある。

唐突だが、台風のルートがそれだ。九月から十月へ、南の海で育った台風が次々と日本列島を襲ふのが常のことで、中には変わった進路を取るのもあるが、大方は九州沖縄まで北上して列島に沿って右折するとしたものだ。右折の角度で本州のどのあたりかが暴風雨の洗礼を受ける。台風の発生ごとに稲作地帯は一喜一憂するわけだが、どうやら恒例の台風の進路に変化が見られるのだ。

月が改まって九月も十日、それまで四、五本の台風がすべて直進し、これは流石に右折するかと思ひきや、直近の十号までもが朝鮮半島から支那大陸へ真っ直ぐに突っ走った。たった数本ながらすべてが直行型だと云ふことになる。さてこうなれば、今年の台風の振る舞いは奇怪な現象にすら見える。

この現象が何かの原因で起こっているとすれば、それを是非知りたいものだ。気象学などは縁がなく全くの門外漢だが、地球温暖化の影響などでもあるとすれば、話は単純ではない。大陸では何やらダムの決壊や水害が懸念され、台風が来ないとなると日本列島も水害とは真逆の水不足に悩みはしないか、云々。

私事だが、筆者は台風が嫌いではない。穏やかでない言い草だが、台風が直撃するときのダイナミックな風雨の変化に惹かれる。特に、目に入った瞬間に風が一瞬止まる様子が好きなのである。自然の息遣いを感じる瞬間が例えやうもない。あまり人様にはひけらかせない話だが。

台風の進路の話に戻るが、もしこれが異常気象の一環だとすれば、太平洋の水温の上昇もあらう、海流の変化も絡んで来はしないか、もしさうだとしたら秋刀魚の不漁にも関わってはゐまいか、と憶測を逞しくする。九月も深まれば台風も本番、さて気になるところではある。

ところで、迷惑な台風にも乙な季節感がある。野分けと云ふのは台風のことだから、俳句を嗜む向きには、まるでこないのは不都合にもなる。とまれ、今年の秋は台風とコロナが気になることだ。生活環境の多様化と云ふことか。


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