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国営昭和記念公園の四季 №111 [国営昭和記念公園の四季]

カサブランカ(オリエンタルハイブリッド)  西立川口ぶらぶら坂下

オリエンタルハイブリッド2 のコピー.jpg

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『知の木々舎』第319号・目次(2022年8月上期編成分) [もくじ]

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【文芸美術の森】

妖精の系譜 №32                妖精美術館館長  井村君江
 シェイクスピアの妖精 9
石井鶴三の世界 №215               画家・彫刻家  石井鶴三
 阿修羅2点 1940年
武州砂川天主堂 №7                 作家  鈴木茂夫
 第2章 明治2年、明治3年 1
西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」№87 美術史研究家 斎藤陽一
 鈴木晴信≪機知と抒情と夢の錦絵≫ 「江戸の絵暦ブーム」
こふみ会・句会物語 №111       俳句・こふみ会同人  多比羅 孝
  「冷麦」「喜雨」「黄金虫」「片陰」
【ことだま五七五】

日めくり汀女俳句 №102               中村汀女・中村一枝
 十一月二十三日~十一月二十五日
読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №141           川柳家  水野タケシ
 7月20日、27日放送分
【心の小径】

論語 №145                                            法学者  穂積重遠
 四六〇 斉(せい)の景公(けいこう)、孔子を待つにいわく、季子(きし)・・・
【文化としての環境日本学】

日本の原風景を読む  №45                 早稲田大学名誉教授  原 剛
 あとがき 1
【雑木林の四季】

私の中の一期一会 №261          アナウンサー&キャスター    藤田和弘
 コロナ感染大爆発!行動制限のない夏休みが心配だ。
BS-TBS番組情報 №263                      BS-TBSマーケテイングPR部
 2022年8月のおすすめ番組(上)
海の見る夢 №35                                渋澤京子
  あなたのための行進曲
梟翁夜話 №117                             翻訳家  島村泰治
 「ヒルビリの思ひ出」
検証 公団居住60年 №116    国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治
 第5部 存亡の帰路に立つ公団住宅 
地球千鳥足Ⅱ №5              小川地球村塾村長  小川律昭
  針のむしろ・・英会話クラス
【ふるさと立川・多摩・武蔵】                                                   

線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №203           岩本啓介
 根室本線     
押し花絵の世界 №163                               押し花作家  山﨑房枝
 「夏色の花束」
ミツバチからのメッセージ №70   造園業・ミツバチ保護活動家  御園 孝
 東京のニホンミツバチ 4
赤川ボンズと愉快な仲間たちⅡ №14       銅板造形作家  赤川政由
 「立川の笛吹」
多摩のむかし道と伝説の旅 №82                 原田環爾
 武蔵嵐山の栄光と悲運の武将の里道を行く 4
国営昭和記念公園の四季 №111
 カサブランカ(オリエンタルハイブリッド)  西立川口ぶらぶら坂下
【代表・玲子の雑記帳】                   『知の木々舎 』代表  横幕玲子

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妖精の系譜 №32 [文芸美術の森]

 シェイクスピアの功績

      妖精美術館館長  井村君江

 これまで見てきたように、シェイクスピアは当時の民間に伝承されていた妖精のさまざまな話を豊かに用い独自の妖精たちを創造し、作品の中に生かしていった。こうした妖精たちは、エリザベス朝の一般民衆の生活感情を描き出すうえで大きな役割を果たしている。しかしながら、それがそのまま当時の民衆が妖精の存在を信じていたということにはならない。一一百年前の知識人であったチョーサーがもはや妖精を信じなかったように、エリザベス朝の民衆も妖精を信じてはいなかっただろう。ただ妖精は民衆にとって非常に親しい存在だったし、日常の話題だった。『夏の夜の夢』を人々はお伽話として見たかもしれない。けれども『ウィンザーの陽気な女房たち』では、妖精たちが当時の人たちにとって存在と非存在の微妙なはざまにおり、民衆の間で信じられていた妖精というものがいなくなってから、それほどの年月が経っていないことを教えてくれる。もしも当時の人々が「妖精は存在しない」と心の底から確信をもって言えたのだとすれば、フォルスタッフが子供たちの化けた偽妖精にたぶらかされいじめられるのは、フォルスタッフの喜劇的な性格を差し引いても、やはりおかしなことになるだろう。もしも当時の観客の一人が森の中で同じような目に.あったならば、彼はフォルスタッフと同じように、「あれはフェアリーだ、あいつらに話しかけたら殺される。目をつぶって地べたに伏せていよう。あいつらのする事を見ちゃいけないんだ」と言ったのではないだろうか。そしてあとになってだまされたとわかれば、やはり「なんだ、フェアリーじゃなかったのか。俺も三回か四回はそう思ったんだが……」などと負け惜しみを言ったであろう。あるいはフェアリーというものは常にこの存在と非存在の、信じると信じない、のはざまにいるもの、あるいはそこにしか生息できないものなのかもしれない。そして容易に頭のなかで想像することはできても、「言葉の網では捉え難いもの」なのかもしれない。これが近年に到ってフェアリーが児童文学に安住の地を見出した最大の理由ではないだろうか。
 シェイクスピアは民間に流布していた数々のフェアリーやエルフの話を、聞いていたであろう。当時のもっとも完備した民間伝承の研究書であるレジナルド・スコットの『魔術の正体』も読んでいたであろうし、オウィディウスやチョーサー、スペンサーなどの古典にも目を通して、フェアリーに関しては豊富な知識を持っていたであろう。そして彼はあくまでも戯曲作者の立場から、村人たちと親しく交わり、人々の心の中で息づいていた踊り好きの、あの月夜に浮かれ出すフェアリーたち、人間に良いことをしてくれる愛すべきエルフたちを生み出し、舞台に乗せていった。それと同時にフランス系の物語詩(ロマンス)から異国的なフェアリー像を抽出し利用した。その結果オベロンは妖精の王であってパックを従者に持ち、女王ティタエアは侍女たちにかしづかれる。二人の口喧嘩の原因である「取り換え児」は王の行列の騎士にされかかるというように、騎士道の風俗や宮廷の雰囲気がフェアリーランドの性格をある程度決めた。
 またこうも言えよう。シェイクスピアは実に正確な演劇本能ともいうべき感覚によって、イギリスのフェアリーが持つ二つの本質的な性格 ― 第一にフェアリーの神話的な起源とか、人間にはわからない恐ろしい能力といったフェアリーの民俗的、超自然的な性格、第二には文学に由来する浪漫的なフェアリーの世界、王と女王と宮廷といった上流社会のパロディとしてのフェアリーランドを一つのるつぼの中で巧みに溶かし合わせた。そして『夏の夜の夢』や『ウィンザーの陽気な女房たち』の成功は、あくまでフェアリーと民衆とのつながり、すなわち理解のための共通の背景というものに依存しているといえよう。そのためにこそ、パックは夜の空気のなかを自由自在に飛びまわることができたのだし、ペイジの女房が妖精を使ってフォルスタッフをこらしめようと提案した時、観客は事のなりゆきをじっと見守ったのである。

『ようせいの系譜』 新書館



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石井鶴三の世界 №215 [文芸美術の森]

修羅2点 1940年

      画家・彫刻家  石井鶴三

1940阿修羅.jpg
阿修羅 1940年 (182×2×142)
1940阿修羅2.jpg
阿修羅 1040年 (182×142)

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【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】
明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。

『石井鶴三素描集』形文社

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武州砂川天主堂 №7 [文芸美術の森]

第二章 明治二年・明治三年 1

          作家  鈴木茂夫

明治二年九月十九日、武州・砂川村。
 源五右衛門は、羽村の名主島田源兵衛、福生村の名主田村半十郎と、玉川上水通船について、最終の願書を提出しようと打ち合わせた。
 源兵衛が問いかけた。
 「源五右衛門さん、あなたが根回ししてくれたおかげで、役所も乗り気になってくれている感触だ。俺たちが差し出す願書で、許可になるのは間違いないと思うが、どんな案配かね」
 源五右衛門はうなずいた。
 「ひょんなことから梶懇になった江藤新平さんは、頭のまわりも早いが、手がけることも早いというもっぱらの噂だよ。あの人が、請けあってくれてるからには、大丈夫だと思うがね」
 半十郎が笑顔をみせた。
 「源五右衛門さんよ、あなたの仕事も手早いな。俺はすっかり安心してる」
 源五右衛門が問いかけた。
 「お二人に聞きたいんだが、船が走ると、俺たちの村から何を運ぶだろうか」
 「源五右衛門さん、俺たちの村には、農作物しかないぜ」
 「そうなんだ。それしかない。それを運ぶしかない。気になるのは、その運んだ農作物がゼ二になるのかどうかだ。もし、それがゼこにならないとなりや、何のための通船かということになる」
 「半十郎さん、俺はね、俺たちの村で取れた生きの良い野菜や、卵を安く届ければ、東京の人は必ず買ってくれる、そうに違いねえとは思ってるんだ。だけどそれが心配なんだ」
 「源五右衛門さん、俺もそうなんだ。野菜が売れなきや、村の衆に顔向けができねえ。村の暮らしが良くならなきや、困るんだ」
 「心配してもきりはない。腹をくくって船を走らせなきやね。船が宝船になることを信じよう。何せ、玉川上水に船を浮かべるのは、俺たちの悲願だったんだから」
 三人で何を書面に書き込むかの下請をすすめ、源五右衛門が筆を手にした。

  乍恐以書付奉願上候
  玉川御上水船筏通行御免被仰付被下置候様仕度左候得ハ武蔵野村々ハ運輸之労ヲ免シ
  御府内ハ諸色下直二相成往々甲信両州迄モ相響莫大之御国益ト奉存候
  おそれながらかきつけをもってねがいあげたてまつりそうろう
  たまがわごじょうすいせんはつつうこうおゆるしおおせつけられくだしおかれそうろう
  ようつかまつりたくさそうらえはむさしのむらむらハうんゆのろうめんしごふないハし
  ょしきげちよくあいなりゆくゆくこうしんりょうしゅうまであいひびきぱくだいのごこ
  くえきぞんじたてまつりそうろう

  明治二巳年九月
       玉川上水元   羽村名主  源兵衛
               福生村名主  半十郎
               砂川村名主 源五右衛門

 玉川上水通船により、沿岸の村々は、東京市中から購入していた肥料の価格も下がる他、村へ流入する物資の価格も安くなることで、関連する山梨、長野までを含め極めて大きな国の利益を得ることができると強調し、通船は船百般で運航すると付記した。

二月七日、甲州・鰍沢(かじかざわ))。
 源五右衛門の姿は、氷雨(ひさめ)の中、甲州・鰍沢にあった。ここは富士川水運の拠点である。
 鰍沢から駿州岩淵までの十八里(約七十二キロ)を結ぶ。信州、甲州から幕府への年貢米を下り船に積み、上り船は塩などの海産物を運んで、約三百般の高瀬舟が運航している。船だまりでは、船頭や船子が、積み荷を納屋に運び込んでいた。
 源五右衛門は、とある納屋を訪ねた。
 「何か御用ですかな。主人の天野屋勘兵衛(あまのやかんべえ)です」
 物静かな初老の男が声をかけてきた。
 「申し遅れて失礼しました。私ことは、武州からやって参りました砂川村の名主砂川源五右衛門と申します。突然の来訪でありますが、こちらの丹那衆のお知恵を拝借しにまいりました」
 「ほう、それはそれは、では座敷へお上がりください」
  納屋に隣接した屋敷、その座敷からは、鰍沢の用港が一望できる。
 源五右衛門は、居住まいを正して一礼した。
 「突然のお願いです。手前どもは、多摩川から東京市中へ水を送っている玉川上水に船を浮かべ、荷物と人の運搬を手がける予定であります。船の手配、船頭の確保、船の運航、これらにつき、全く経験がありません。お知恵を拝借するだけでなく、人の手配についてもお願いしたいと存じます」
 勘兵衛は、おかしそうに笑みを浮かべている。
 「いやあ、お話しは、船仕事の一切合切をひっくるめて面倒見てくれないかということのようですな」
 「その通りです」
 「あなたはおもしろいお人だ。私天野屋にも、いささか人を見る眼はあります。話に乗りましょう」
 「ありがとうございます」
 「船を走らせるには、船がいる。船は持ち運びできないから現場で造らなきやならない。それには船大工がいる。腕の良いのを四五人お貸ししましょう。この連中が、そちらの大工をしこめばいい。船を走らせるには、船頭と船子がいる。一般の船に船頭一人、船子二人が必要です。これには六人回しましょう。身柄を引き取ってください。最後は番頭役です。船を運航する段取り、荷物の引き受け、運賃のやりとりをこなします。船が順調に運航され、利益が出るかどうかは、この番頭役の腕次第。これは一人、お貸ししましょう。そちらの人が要領をつかんだら戻してください」
 「ありがとうございます。良いお方におめにかかれて助かりました」
 「源五右衛門さん、鳥が飛び億つような急なお話、しっかり片付けましょう。早速、人を選んで、四五日のうちに砂川村へ差し向けましょう」
 話がまとまると、勘兵衛は、手を叩き、酒を持ってくるようにと家人に伝えた。

『武州砂川天主堂』 同時代社



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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №87 [文芸美術の森]

                   鈴木晴信≪機知と抒情と夢の錦絵)≫シリーズ
         美術ジャーナリスト  斎藤陽一

         第1回 江戸の絵暦ブーム

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≪絵暦交換会の流行≫

 今回からしばらくの間、江戸時代中期に錦絵の世界に新風を吹き込んだ鈴木春信の作品を鑑賞していきます。鈴木春信は、これまで取り上げた歌麿、北斎、広重に先立って、明和年間(1764~70年)に活躍した浮世絵師です。

 鈴木春信(1725?~70)が脚光を浴びるきっかけとなったのは、明和年間に江戸で大流行した「絵暦」の交換会でした。
 まず、江戸時代の暦はどんなものだったのか、を知っておきたいと思います。

 江戸時代は、「太陰暦」が用いられたため、30日ある「大の月」と、29日ある「小の月」の順番が、毎年、変化しました。
 そのため、毎年、「月」の大小を記した暦が必要とされました。これを「絵」の中に記したものが「絵暦」(えごよみ)です。

 下図は、そんな「絵暦」のひとつです。これは、比較的わかりやすく実用的な絵暦の例で、右側の縦の列に「大の月」が、左側の縦列には「小の月」が並び、それぞれの月は、サイコロの目(数字)で判る仕組みになっています。

87-2.jpg

 当時、江戸の裕福な階層の人たちの間では、新年のあいさつに、その年の大小の月を記した美しい「絵暦」を配る、という習慣がありました。
 これがついに、明和期のはじめには、暦としての実用を離れて、その図柄の優劣を競い合う「絵暦交換会」となって、大流行します。

 「より美しい絵暦を制作し、自慢したい」「自分の絵暦を交換会に出して、より豪華な絵暦を手に入れたい」という人たちが競い合うようにして、絵師たちに「絵暦」の制作を注文しました。この競い合いの中から、木版多色摺り技法を用いた「錦絵」が大きく開花し、その第一人者となった絵師が鈴木春信でした。

≪あれ、夕立が・・・暦はどこに?≫

 冒頭に掲げた絵は、春信が描いた「絵暦」のひとつ「夕立図」(明和2年)です。

87-3.jpg にわか雨が降って来たので、若い娘があわてて洗濯物を取り込もうとしていますが、あまりに急いだため、片方の下駄が脱げてしまった。それどころか、着物が風にあおられて、胸や足があらわになってしまった・・・
 その華奢な身体つきや仕草からは、若い娘らしい、ほんのりとした色香が匂いたちます。

 「錦絵」(多色摺り木版画)とは言え、春信が用いる色彩は、抑制の効いた中間色が中心となり、品のいい画面になっています。
 このような華奢な人体の描き方や、洗練された彩色が、春信独特の画風です。

 このような絵を見るだけでも、なかなか楽しいのですが、では、どこが「絵暦」なのか?
 実は、干されている着物の図柄に、「月の大小」が分かるようなしるしが描かれているのです。
87-4.jpg
 裾の部分に「メイワニ」、つまり「明和二年」。
 袖の上部に「大」の字。つまり、ここには「大の月」が記されているという表示。
 その下あたりから、「二・三・五・六・八・十」という数字。

 これにより、「明和2年の大の月は2月、3月、5月、6月、8月、10月」ということが分かり、「小の月」が描かれていなくても、これで分る仕掛けです。

 ここには、美しい錦絵の中に、あえて「判じ物」のように描かれた暦を読み取るという、江戸の通人たちの遊びと洒落の精神が感じられます。

 明和年間の「絵暦交換会」のブームが去った後も、その競い合いの中から生まれた「錦絵」の技法が、その後の浮世絵の発展に大きく寄与しました。

 次回は、これまた、機知と遊びの精神が持ち込まれた鈴木春信の「見立て絵」を紹介します。
(次号に続く)


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こふみ会・句会物語 №110

こふみ会・句会ものがたり  
行くも良い良い、行かぬも良い良い……コロナ禍による在宅句会その24 
「冷麦」「喜雨」「黄金虫」「片陰」

      俳句・こふみ会同人・コピーライター  多比羅 孝

幹事のなつめさんから、≪令和4年7月の句会≫の案内状が送られました。

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例年にないほどの酷暑続きの1週間でしたが、皆さまお変わりないでしょうか。
7月の幹事を務めます、なつめです。
スマホ一つでの対応となります故、至らない点が多々あるかと存じますが宜しくお願いいたします。
●兼題 【黄金虫】【片蔭】【冷麦】【喜雨】
●投句締切は7月12日(火)?7月14日(木)です。
●選句の締め切りは20日を予定しています。
●投句先は幹事(なつめ、尚哉)まで
それでは皆さま、エアコンを上手く使い、こまめな水分補給をお忘れなく…

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【上載の通知によって作成・作句された今回の全作品】は下記のとおり。14名 56句

【冷麦】
旅の荷もとかず冷麦茹でし日も (弥生)
冷麦や三日に一度は家風かな (下戸)
冷麦を食べきれずにいる暑い夜 (兎子)
薬味無し冷麦喉に流し込み (なつめ)
絵日記のクレヨンの指冷やし麦 (茘子)
冷や麦の喉のすべりが風を呼ぶ (玲滴)
そうめんより冷麦が好きな父なりき (矢太)
冷麦の紅一筋が箸の先 (紅螺)
冷麦畷る銃声2発ひと一生? (鬼禿)
冷麦よ存在意義を述べてみよ (一遅)
冷麦の飛沫もろとも畷リけり(すかんぽ)
せせらぎも冷麦も良し友と居て (孝多)
まあ一応言うけど俺って冷麦派(虚視)
冷麦を二束茹でて嘆息す (尚哉)

【喜雨】
喜雨となり天掴みをリ花芽かな (なつめ)
シンメトリな姿で喜雨は川に降る (矢太)
さし芽した花ありて暮雨を待つ夜かな? (玲滴)
喜雨慈雨に見放されたか熟大陸 (鬼禿)
灼熱の底をたたいて喜雨到る (尚哉)
山一つ大口開けて喜雨受くる (茘子)
牛と鳥ならんで囁くや喜雨の里 (下戸)
喉あけて喜雨のみはすやアスファルト (虚視)
書雨が来て野兎走る婆走る (紅螺)
飛び出して暮雨浴びる子の輝きて (弥生)
打ち付ける喜雨憎らしき帰り道 (兎子)
ポッと来てたちまち激しき喜雨となり (孝多)
芳しきペトリコールや暮雨来たる (すかんぽ)
喜雨という魔物か線状降水帯 (一遅)

【黄金虫】
黄金虫小さく鳴いて外は闇 (紅螺)
時々は君になりたし黄金虫 (なつみ)
夜も更けて電柱に惑うか黄金虫 (玲滴)
黄金虫骸となりても虻の色 (茘子)
黄金虫歩け歩けと肘枕 (一遅)
かなぶんぶん家族だんらん乱入す (すかんぽ)
樹洞(うろ)のそこ黄金虫(おうごんちゅう)の轟けし (虚視)
黄金虫飛んで闇夜に吸われけり (孝多)
黄金虫一寸先の闇知らず (矢太)
黄金虫夜灯の王に君臨す (尚哉)
無自覚にあおりつづけるかなぶんよ (兎子)
何事もなかったように黄金虫 (下戸)
黄金虫お前も比例に出てみるか (鬼禿)
黄金虫羽音が遠き日連れてくる (弥生)

【片陰】
片陰に道譲り合ふ傘ふたつ (尚哉)
片蔭を鳩居堂から伊東屋へ (すかんぽ)
片陰を選びてバス停までの道 (孝多)
片影の無き正午寺町無人 (虚視)
片影を拾って歩く野犬かな (矢太)
片影に一休みする忍者あり (下戸)
駅までの片陰あそぶ街オセロ (鬼禿)
犬や猫虫けらまでも片陰に (なつめ)
片影にステテコの爺過疎の街 (茘子)
片陰を行く老い猫や昼下がり (玲滴)
片蔭のようよう嬉し峠道 (一遅)
片蔭を辿った先に父母の家 (紅螺)
故郷の片影の道かく狭き (弥生)
片蔭の徴かな闇に救われている (兎子)

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【天句の鑑賞】
「天」に選んだ句とそれに関する鑑賞短文を簡潔に書くというこふみ句会の約束事。

●喉あけて喜雨のみほすやアスファルト(虚視)
鑑賞短文=喜雨という本来稲田の季語を、都会人の渇望として見事に生かした。(矢太)

●喉あけて喜雨のみほすやアスファルト(虚視)
鑑賞短文=暖簾に腕押し、糠に釘、そしてアスファルトに喜雨。とてものみほせない量が降ることも。(尚哉)

●山一つ大口開けて喜雨受くる(茘子)
鑑賞短文=火山だろうか、すっぽりと開いた火口に雨を受け入れる。地熱と雨の衝撃。地球活動の壮大なスケールの中で季語が光っています。(すかんぽ)

●山一つ大口開けて喜雨受くる(茘子)
鑑賞短文=スケールの大きさと、文字面の美しさで選びました。喜びがあふれていますね。(下戸)

●冷麦の飛沫もろとも啜りけり(すかんぽ)
繊細な素麺との違いが、見事に表現されています。豪快だなあ!(虚視)

●冷麦の飛沫もろとも啜りけり(すかんぽ)
鑑賞短文=豪快です。ヒマツと呼びましょうか。それともシブキでしょうか。この中七にて勝負アリ!好きなのですね。こう食べられる冷麦のほうも幸せ。良い句をお示しいただき有難うございました。(孝多)

●片影の無き正午寺町無人 (虚視)
鑑賞短文=夏の正午の無人の寺町が私の中に鮮やかに浮かびます。(弥生)

●灼熱の底をたたいて喜雨到る (尚哉)
鑑賞短文=今まで熱く乾ききった地面に叩きつけるような雨足。底を叩いてという表現が斬新で、雨足の強さ、吹き上がる風、情景が浮かぶ秀句です。(茘子)

●片陰のようよううれし峠道(一遅)
鑑賞短文=暑さのなか、ようやっとたどり着いた、浮世絵の峠の茶店を思い起こさせました。(玲滴)

●片影に一休みする忍者あり(下戸)
鑑賞短文=大笑いのお礼の天です。真っ昼間にそれとわかる装束のまま、日陰で休む忍者。およそ手練れの者ではないことがわかります。(一遅)

●喜雨という魔物か線状降水帯 (一遅)
鑑賞短文=いまTVで豪雨の映像を見ながら選句しています。今地球上の大雨突風旱魃落雷大火事・・どれを取っても『喜雨』は出てこない(鬼禿)

●片陰に道譲り合ふ傘ふたつ (尚哉)
鑑賞短文=私も同じ情景を詠みたいと思いましたが下5がでませんでした。
傘ふたつですか素敵です? (紅螺)

●黄金虫骸となりても虹の色(茘子)
鑑賞短文=死してなお、存在感を放つ黄金虫の、美しさと侘しさを感じました。
黄金虫のようになりたい。(兎子)

●何事もなかったように黄金虫(下戸)
鑑賞短文=良い時も悪い時も泰然自若。こんな句のように生きていきたい。(なつめ)

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≪今月の天地人≫

今回は天地人は、兼題『喜雨』の天地人句にも選ばれました。

天:茘子さん(45点)
  代表句=山一つ大口開けて喜雨受くる 
地:虚視さん(41点)
  代表句=喉あけて喜雨のみほすやアスファルト
人:尚哉さん(38点)
  代表句=灼熱の底をたたいて喜雨到る

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≪幹事より、ひと言≫

この度は勝手を申して一人で務めさせていただきました。
集計に間違いが無いよう、家人のPCを拝借しExcelで集計いたしました。
隣りにいる家人から「あなたはまだまだだね」と言われ落ち込み、
皆さまから届く投句に感動し、そしてまた落ち込み(笑)。
楽しく勉強させていただきました。
ありがとうございます。

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≪孝多より、ひと言≫

友人から、言われました。
キミの所属するこふみ会って、変わっているね。
投句した自作がみんなに読めない、分からない、そんなことでは困る。だから、漢字にルビを付けて読みやすくする。そんな普通のことが、こふみ会では“ご法度”な行為と、みなされる。
えっ、ホント? むずかしい漢字にルビ(読み仮名)をつけるのがホントにダメなの? ホントです。
というのですから、変わってる。
こふみ会は「ヨコ書き句会」ですから、ルビを付けるとすれば、たとえば、マルカッコに入れて、下記のような表記になるでしょう。
? 『〇〇〇〇や 〇〇〇〇〇〇に 東風(こち)吹かん』
 『文身(いれずみ)に 〇〇〇〇〇〇の 〇〇〇かな』
 『〇〇〇〇ぞ 〇〇〇〇〇〇に 哭(な)くを聴(き)け』
名調子!!と叫びたくなりました。
それなのに何故ルビはいけないのか。ご法度なのか。
ルビ禁止の『事のおこり』は何だったのか?? いつ頃からなのか? みんなで調べたり、考えたりするのも悪くないと、私・孝多は思っています。皆さん、如何ですか。
勿論、短冊や色紙の室内装飾品や外国の美術品などとの関連性も考えながらです。
投句の世界を広げましょう。

一時代をリードして1994年に亡くなった山口誓子氏には、たくさんの「読み方ルビつき」の句があります。いいですね。
●夏の河赤き鉄鎖のはし浸(ひた)る
●住吉に凧揚げゐたる処女(をとめ)はも
●せりせりと薄氷(うすらひ)杖のなすまヽに

       令和4年7月末日     多比羅 孝多


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日めくり汀女俳句 №111 [ことだま五七五]

十一月ニ十三日~十一月二十五日

    俳句  中村汀女・文  中村一枝

十一月二十三日
枯れ切って菊美しや一葉忌
     『薔薇粧ふ』一葉忌=冬 枯菊=冬

 汀女の墓のある、築地本願寺和田堀廟所には樋口一葉の墓もある。一栗は、汀女より二十八も年が上で、汀女の生まれた時は既にこの世には亡い。女学生時代、西洋の戯曲、小説を読み漁った汀女が、一葉を好んだふしはない。むしろ泉鏡花のことをはっきり好きだったと書いているくらいだから、一葉はらち外だったらしい。その生まれ育ち、性格をとっても一葉と汀女に接点はない。仮に同時代に生きたとしても相見(まみ)え、研鑽し合いという事はきっとなかったろう。その二人が、奇しくも同じ寺の中で、それぞれ案内板をたてて眠っている。寺へ行く度に私はいつも不思議に思う。

十一月二十四日
枝跳(は)ねて紫式部雨後の照り
        『芽木威あり』 紫式部=秋

 今年は天候が不順である。十二月と言えば穏やかな日和が何日も続くのが普通なのに、一日晴れては二日ぐずつき、抜けるような青空が半日と続かない。人間は天気で気持ちを左右される。雨上がりの晴れた日、誰もが箒(ほうき)を持ち出し、庭から玄関を掃きまわり、いろんな物を干したくなり、犬の毛布までずらり。乾いた風に洗濯物がはためいていると、それだけで一種の満足感がある。
 主婦の生きがいとか今は上段に構えて力むむきも多いけど、ほんのささやかな幸せの連続こそ、真の生きがいなのだ。

十一月二十五日
打晴れて今日の落葉の急ぐこと
         『芽木威あり』 落葉=冬

 キャッシュカードで引き出す列に並んでいると、以前はモタモタするおばさんが多かった。最近はおじさんもこれに加わる。
 男は、女に比べてキカイには強いのかと思っていたが、間違い。女性は、すぐに係員を呼ぶが、男性は自分で対処しようとして「オソレイリマスガモウイチドハジメカラ」の声にモタモタしている。そういう人が四人もいると、まるでその場で銀行の機能が一時停止したような暗い雰囲気になる。
「コノキカイハアナタダケノモノデハナイ」。
 そういう音声を入れてくれないかな。

『日めくり汀女俳句』 邑書林



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読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №141 [ことだま五七五]

             読む「ラジオ万能川柳」プレミアム☆ 7月20、27日放送分

        川柳家・コピーライター  水野タケシ

川柳家・水野タケシがパーソナリティーをつとめる、
読んで楽しむ・聴いて楽しむ・創って楽しむ。エフエムさがみの「ラジオ万能川柳」
7月20日の放送分です。

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「ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)がキャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、毎週水曜日9時5分から放送しています。
エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらから!
https://fm839.com/program/p00000281
放送の音源・・・https://youtu.be/e32lHVtER9I

【あさひろさんのボツのツボ】
先週のボツの作品から、あさひろさんセレクトの1句をご紹介!!
今週は「何かしら価値が出そうなアベマスク」(名人・不美子さん)

(皆さんの川柳)※敬称略 今週は159句の投稿がありました!
・若いねと言われ素直にありがとう(翔のんまな)
・仏壇に手を合わすこれも宗教(柳王・春爺)
・暑いねと言えば10円チョー貯まり(初投稿・とんからりん)
・元総理自民大勝おき土産(初投稿・ふうれんもうろう)
・身長は縮んでいるのに重さ増(カラリ)
・千人斬りにしたよと豪語する外科医(大名人・龍龍龍)
・電気代抑えて医療費高くつく(名人・キジバト交通)
・ヤシの木とウージが映える青い空(大名人・美ら小雪)
・汗かいて眉無き顔に扇風機(名人・ やんちゃん)
・また俺を泣かす球児とTVK(名人・せきぼー)
・国葬を認めぬ我は非国民(柳王・入り江わに)
・小盛腹うな重半分持ち帰る(くろぽん)
・結びでの緩んだまわし逃がす金(柳王・アンリ)
・ご近所のケンカも風が運ぶ夏(柳王・光ターン)
・三段目からの飛び級ないのかな(大名人・東海島田宿)
・喧嘩して今日のキャラ弁雪景色(ぽこにゃん)
・白鵬は話好きだと知りました(柳王・平谷五七五)
・自分だけ苦労してると思いがち(高橋永喜)
・この夏乗り切るためだ食って寝る(名人・じゅんじゅん)

☆タケシのヒント!
「『いつからか乗り切るものとなった夏』という川柳があるのですが、このごろの夏は本当に実感ですね。吐き捨てるような「食って寝る」がいいですね。迫力があります。」

・話し合い私の好きな言葉です(名人 ・不美子)
・待ち詫びる雲ひとつない青い空(大名人・咲弥アン子)
・水飲んじゃダメと言われた遠い夏(soji)
・スリランカ明日の日本かも知れず(しゃま)
・観光客ちょい上を見て歩いてる(大柳王・ユリコ)
・宿選び妻は美人湯俺女将(名人・まご命)
・停戦も終息もまだ靄の中(柳王・けんけん)
・身がすくむ大粒の雨窓を打つ(そうそう)
・防災のアラームとライン同時鳴る(柳王・かたつむり)
・暑いけど茹でなきゃ出来ぬ冷やソーメン(名人 ・のりりん)
・入り口の消毒スルー客増加(大名人・ポテコ)
・梅雨明けと言ってた人よ出て来なさい(柳王・フーマー)
・明けたのに空もニュースも晴れぬまま(新大名人・里山わらび)
・公立高行かせるための塾費用(名人・ぼうちゃん)
・家計簿をじっと見ているただ見てる(柳王・荻笑)
・大笑いクスクス笑いファンブック(柳王・重田愛子)

◎今週の一句・この夏を乗り切るためだ食って寝る(名人・じゅんじゅん) 
◎2席・家計簿をじっと見ているただ見てる(柳王・荻笑)
◎3席・ご近所のケンカも風が運ぶ夏(柳王・光ターン)

【お知らせ】
毎年夏に開催してご好評を頂いていました、北九州で行われる仲畑流万能川柳全国大会、去年同様、今年も新聞紙上で開催いたします!!
いつもだったら参加費がかかるんですけれど、なんと今年もタダ!!
ハガキ代だけで、全国からご参加いただけますので、奮ってご参加ください!!  

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【放送後記】
暑くなって、とても日中は走れないので、早朝走っています。
去年日中のランに戻ったのが10月23日。
今年はどうかな?とにかく、まだまだ長い夏が続きます。
どうぞご自愛ください!!

○7月27日放送分です。 

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今日も暑くなりまする~!!

放送の音源・・・https://youtu.be/r4ri-JlLwcA

【あさひろさんのボツのツボ】
先週のボツの作品から、あさひろさんセレクトの1句をご紹介!!
今週は「梅雨明けに書いてあったか(仮)」(柳王・アンリさん)

(皆さんの川柳)※敬称略 今週は178句の投稿がありました!
・エンディングノート駄目出しする娘(東孝案)
・水落ちるノド張り付いたまま錠剤(大名人・龍龍龍)
・眠れずにゴロゴロゴロと朝が来る(カラリ)
・ニュース見て腹立ててたら身が持たぬ(アカエタカ)
・わこりんの中でコロナが大暴れ(大名人・美ら小雪)
・仲畑流全国大会応募する(恵庭弘)
・高熱が出ても母さん食べざかり(名人・わこりん)
・よく見ようフリマ安いと限らない(りんご)
・みさ錦桟敷席にてPR(柳王・平谷五七五)
・ワクチンをのみ込むような第七波(名人・せきぼー)
・物価高何とかしてよドラえもん(金星玉三郎)
・上京時エフエムさがみ寄りたいな(高橋永喜)
・遠い地の孫を近くにするライン (柳王・光ターン)
・掃除機をすぐ目の敵わんこちゃん(バレリア)
・AIのおすすめマンガおもろない(柳王・入り江わに)
・鳥だけはせめて歌っていて下さい(柳王・重田愛子)
・国葬をめぐり夫婦で喧嘩する(名人 ・ワイン鍋)

☆タケシのヒント!
「不謹慎ですが、笑ってしまいました。国葬がぐっと身近になりましたね。こんなご家庭、けっこうあるかも。」

・父の血の所為でおいらも浮気性(名人・どんぶらこ)
・歳月は重ねるごとに速度上げる(名人・じゅんじゅん)
・アナまでが勝負間違う珍放送(柳王・フーマー)
・長い夜明けて陽のさす朝乃山(大名人 ・里山わらび)
・だれもみなスマホ病とは気づかない(翔のんまな)
・夏祭り無しの高校3年間(名人 ・はる)
・小為替を用意したけど句が出来ず(居酒屋たつみ)
・川柳のバトルロイヤルだよ「ぬまづ」(そうそう)
・災害も恵みもくれる大自然(大名人・咲弥アン子)
・雨がへり慌ててセミが鳴きはじめ(しゃま)
・そのうちに絶滅危惧種となるかセミ(名人・不美子)
・蕾咲くさん私にほしいつぼみ咲く(くろぽん)
・お日さまの笑った顔が悪らしい(soji)
・素麺を茹でる現場を見て欲しい(大柳王・ユリコ)
・みんな診て貰えているか救急車(柳王・けんけん)
・鰻の日鰻のチラシ見てただけ(名人・のりりん)
・にんにくをたっぷり効かせた夏料理(もふもふ)
・腰痛みあらゆる薬効果ゼロ (大名人・ポテコ)
・元総理宿題ひとつ置いていき(柳王・アンリ)
・サイレンの音はあの日に連れ戻し(柳王・かたつむり)  

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◎今週の一句・国葬をめぐり夫婦で喧嘩する(名人・ワイン鍋)
◎2席・お日さまの笑った顔が憎らしい(soji)
◎3席・みんな診て貰えているか救急車(柳王・けんけん)

【お知らせ】
毎年夏の恒例、
第49回ぬまづ市芸術祭 文芸部門「ぬまづ文芸」、現在川柳を募集中です!!
6月1日から募集していましたが、
締め切りは、7月31日、消印有効!皆さん奮ってご応募ください!!

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【放送後記】
あっという間に7月も終わり、
来週はもう8月なのですね。
今年はセミが鳴かないかわりに、救急車が走りまくっていますね。
みなさん、コロナにも熱中症にも気をつけましょうね。
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水野タケシ(みずの・たけし)
1965年生まれ。コピーライター、川柳家。東京都出身。
ブログ「水野タケシの超万能川柳!!」  http://ameblo.jp/takeshi-0719/


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雑記帳2022-8-1 [代表・玲子の雑記帳]

2022-8-1
◆埼玉県は『鎌倉殿の13人』ゆかりの地です。『知の木々舎』』では、原田感爾さんの『多摩のむかし道と伝説の旅』で、武蔵嵐山一帯の、悲運の武将の里道が紹介されました。

北条氏を執権として悪府を動かす体制が固まるまでには。NHK大河ドラマで見るような抗争が繰り返されたことが推察できます。
『吾妻鏡』以外に正史のないこの時代は謎の部分が多く、小説家や劇作家の縦横無尽な想像力と相まって誠にドラマッチック。史実でなくとも伝説を訪ねてみたくなりますね。

武勇に優れ、「坂東武者の鏡」と称された畠山重忠は、頼朝の鎌倉幕府創立に大いに活躍しましたが、頼朝亡き後は宿老による合議政治に加わらず、中枢とは距離をおく選択をしました。が、実権を握った北条氏に謀反の疑いをかけられ、討ち死にしました。鎌倉に異変ありとの知らせに居城から鎌倉へ向かう途中の二股川(現・横浜市旭区)で大軍のまちぶせにあい、非業の死を遂げたのです。

時政の娘を妻とし、武勇だけでなく文芸にも秀で(今様を謡ったり、静御前の舞にあわせて銅拍子を演奏するなども)、人望もあった、それでも、生き残ることが出来なかった。まさに悲運の武将です。『吾妻鏡』では、重忠の死が時政の謀略だったことに気づいた義時が時政を伊豆に追放したとあり、事件は、義時が時政に代わって幕府を動かしていく重要な場面になるのです。

鎌倉殿の13人の一人になったものの、御家人たちの反感を買って追放され、命を落とした梶原景時とは対照的で、後世、景時がが讒言を用いて同僚を陥れる悪徳的な人物として描かれるのに対し、重忠は優れた武将、かつ誠実で思いやりのある人格者として描かれています。
ちなみに、立川市の隣、国分寺にある姿見の池に縁の人物が畠山重忠であったことを、今、思い出しました。

畠山重忠の父、重能は秩父氏の出。重能がかまえていた居館跡が、現在の深谷市にある畠山重忠公史跡公園として整備されています。重忠の産湯に使われた井戸や、二股川で討ち死にした重忠主従の5基の五輪の塔が残されています。
木曽義仲を慕い、義仲寺(滋賀県大津市)で句を詠んだ松尾芭蕉は、ここでも重忠を偲んだ句を残しています。「むかしきけ ちヽぶ殿さへ すまふとり」。
朝の目の前で、相撲取りを負かしたこと事があるそうな。義経に従軍した一の谷の合戦では、愛馬を背負って崖をかけおりたという逸話のある重忠です。当時としてはなかなかの偉丈夫だったに違いありません。

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愛馬を背おう重忠の像
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畠山主従の五輪の塔
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芭蕉の句碑

重忠の居城、管谷館(すがややかた)は、武蔵嵐山町にありました。県立嵐山博物館がたっています。遺構は戦国時代のものとされ、重忠時代のものはまだ発掘されていませんが、空堀のいくつかははおそらく菅谷館時代から引き継いだものと思われ、本丸は鎌倉時代の館の中心部だったと推定されています。

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館あと全体はほぼ山林状態のまま
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二の廓あと 写真奥は県立嵐山博物館
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空堀跡が随所に遺っている

嵐山町にある班渓寺(はんけいじ)は木曽義仲、義高親子の墓があります。義仲の妻山吹姫が創建しました。。
山吹姫は「平家物語」にもその名が記されており、巴御前と共に義仲軍に従軍していたが、体を壊して京都に残ったという記事があります。義仲の息子、義高の母親ともされ、非業の死を遂げた義仲・義高の菩提を弔うために寺を創建したのでした。
寺には山吹姫のものとされる位牌や、墓とされる五輪塔があり、毎年3月には義仲等を弔う慰霊祭が行われているそうです。

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班渓寺
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本堂の屋根に義仲の家紋(五七の桐)が見える
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墓所

平家討伐に挙兵し京都に攻め込んだ木曽義仲が嵐山の生まれであったことは意外でした。出生の地は、大蔵館跡(大蔵神社)にありました。
義仲の父、源義賢は、源氏の棟梁、源為義の次男として生まれ、近衛天皇が皇太子の時に東宮警護にあたるも、部下の不始末によって職を追われ、、北陸から上野と回って武蔵に進出、秩父重孝の娘をめとって、大蔵館に移り住みました。当時武蔵の国で大きな力を持っていた秩父氏と義賢が結んだことで、関東で義賢の力が増大することを恐れた兄、義朝は息子の善平に義賢を討たせました。(大蔵合戦)この時2歳の駒王丸(のちの木曽義仲)は畠山重能らの計らいで乳母父・中原兼遠に抱かれて信濃国木曽谷へ逃れ、兼遠の庇護の下に育ったことが『吾妻鏡』に見えます。

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雑草の茂る原っぱに大蔵管跡の説明版だけが立っている

さて、宿老の一人となった比企一族は、頼朝の乳母だった比企尼いらい、源家とは深い繋がりを持っていました。能員(よしかず)の娘若狭の局は頼朝の長男頼家に嫁ぎ、長男一幡をもうけています。能員は比企の尼の甥にあたり、頼家の乳母夫でもありました。
一方、、幕府内には頼朝の妻・政子の父・北条時政を頂点とした北条家の勢力がありました。北条と比企はまさに宿敵の立場にあったと言えるでしょう。
頼朝の源氏再興の旗揚げまでは比企が。旗揚げ後は北条が頼朝を支えた形ではありますが、共に天をいだかぬ運命。頼朝亡き後、3代将軍を巡る抗争の中で、比企氏は敗れ、頼家は出家して修善寺に幽閉されました。比企氏の乱とよばれています。
先の畠山重忠がこの乱で功のあったことが『吾妻鏡』には記されています。

その頼家も暗殺された後、頼家の妻だった若狭の局が位牌とともにたどり着いたのは、かって父能員の館のあった比丘尼山((東松山市)。若狭の局はここに夫・頼家の追福のため、壽昌寺を建立しました。
1592年(文禄元年)に、関東を治めていた徳川家康から武蔵国比企郡を与えられた森川氏俊が比丘尼山の壽昌寺を現在地・扇谷に移して再興し、宗悟寺と改め菩提寺としました。市指定の森川氏の墓地が整備された寺には、頼家の位牌や蛇苦止観音像が残されています。境内には地元有志による比企一族顕彰の碑がたてられていました。
また、近くの串引沼には彼女が頼家の形見の櫛を捨てたという伝説も残されています。

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扇谷山・宗吾寺
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墓地

滅亡したとはいえ、能員の一子である員茂はかろうじて逃れ、岩殿観音堂の別当の子として養育されたのちに北面の武士となり、1221年承久の乱に敗れた順徳院に従って佐渡へ渡ったとされ、その子員長は密かに越後から比企郡にもどったことが伝わっているのですから、何とか命脈はたもっていたのですね。

比企氏に縁のある金剛寺が比企郡川島町にあります。天正年間に15代比企則員が中興したとされ、15代以降の一族の墓があり、比企氏位牌堂の大日堂は国登録有形文化財になっています。

寺のご住職が作った系図によると、比企尼と夫、比企遠宋の長女・丹後局が薩摩家初代当主・島津忠久を産んだとあります。28代の島津斉彬の家臣、西郷隆盛らが活躍し江戸幕府をたおすことになるのを思えば、武家政治の始まりにも終わりにも比企一族はからんでいたのかと驚きます。ちなみに比企家滅亡の1203年に生まれ、万葉集研究に功績のあった仙覚律師は比企能員の内室の子という伝承もあります。
寺の本堂は最近建替えられた様子で、寄進者の名盤には比企一族の名がつらねてありました。

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大日堂
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比企一族の墓

私たちが学校で歴史を学んだ頃、鎌倉時代と言えば、頼朝ら3代の将軍と執権の北条氏くらいしか出てこなかったので、比企氏など知る由も無かった。それが今、ちょっとしたブームになるなんぞ、さすが大河。地元の期待は大きいようです。

小川町にある割烹旅館二葉は創業200年を数えます。千坪の敷地には登録有形文化財の築80年の数寄屋創りの建物、離れ茶室等が立ち、回遊式の日本庭園も見事です。

名物の「忠七めし」は旅館の主と親交の深かった山岡鉄舟が名付けたそうで、忠七とは8代当主八木忠七の名前です。

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二葉の庭
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鉄舟ゆかりの展示室もある

忠七めしは海苔を加えた温かいご飯に、つゆをかけてお茶漬けのように食べる料理で、わさび、柚子、さらし葱などの薬味がそえられていました。
東京・深川めし、大阪・かやくめし、などと並び、「日本五大名飯」の一つだそうです。。天下の鉄舟が気にいったくらいですから、なるほど、味はお墨付き。おいしかったです。

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土瓶に入ったつゆをかけて食べる

ちなみに、日本五大名飯とは、下の5つをさすようです。
忠七めし(埼玉・小川町)・深川めし(東京・深川)・さよりめし(岐阜・山岳地法)・かやくめし(大阪・難波)・うずめめし(島根県・津和野町)



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私の中の一期一会 №262 [雑木林の四季]

      日本全国でコロナ感染大爆発!行動制限のない夏休みが心配だ。
 ~「BA・5」は重症化率が低い。感染症法の位置づけを5類にすべきだ~

      アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 連日の猛暑でエアコンはつけっ放し、もし故障したら「二人とも死ぬな」と私は老妻に言った。
 部屋の換気のため窓を開けても、命の危険がある暑さだから吹く風も熱風に近い。
 エアコンを休ませるには外出するしかないが、オミクロンが爆発的に広がって「高齢者は外出自粛を」だから家にいるしかないと諦めた。
 WHOの24日の集計によると、日本の一週間のコロナ感染者数が前週比73%増の96万9068人となって世界最多であった。
 この期間の世界の新規感染者数は凡そ660万人だったから、その約15%を日本人が占めた計算になる。
 今後も、行動制限のない夏休みが始まって人の動きが大幅に増えるだろう。
 東京都は28日、新規感染者が4万人を超えた。
 この日だけで4万406人が感染、7人の死者が出た。
 28日は全国で23万3094人の感染者が出て2日連続で過去最多を更新している。

愛知県、福岡県などで1万人を超えるなど18都道県で過去最多を記録した。
 東京から遠く離れた小笠原村でもコロナ感染者が出ているようだ。
 去年も“小笠原村緊急事態宣言”を出して「島に来ないで!」と声を上げていた小笠原村だが、行動制限無しだから今年も感染者が増える心配が絶えない。
 それでも岸田首相は「新たな行動制限は現時点で考えていない」と言い続けてきた。
 政府は新規感染者数より、「重症者数」、「死者数」や「病床使用率」のほうを重視しているからだと言われている。
「第6波」では流行の中心になったオミクロン株の重症化率が低かった。
 でも感染者数の増え方が異常に多い現実は無視できない状況になっているのではないか。
 オミクロン株の変異種「BA・5」による感染拡大の影響が、世界で最も大きく出ているのが日本であることは間違いない。
 日本医科大の北村義浩特任教授は「感染拡大はウイルス自体の感染力が強いことがあるが、人間がどれだけ対策をしているか。どれだけ免疫を持っているかで決まってくる」と指摘する。
 「BA・5」に免疫を持つ日本人が少ないことが感染を広げ「第7波」になった。
 つまり日本のコロナ対策は“そこそこ”しかしてこなかったのではないか。
 ワクチン3回目を打ってない人が、まだかなりの数いる。
 4回目を受けたという人は極めて少ないのが現状だろう。
 医療現場からは「全ての患者を診ることはできない。現場が破綻する」と悲鳴が聞こえるようになった。
 現場の医師によると、「BA・5」は第6波で主流だった「BA・2」に比べて発熱や喉の傷みが強く、症状が強く出る期間も1~2日長い。
 軽症者が多いことは変わらないが、夏の暑さもあって脱水症状になる危険がある。 
 入院して点滴が必要な患者がいても、すぐに病床が見つからない。
 街には検査を受けたくても受けられない“検査難民”が溢れているようだ。
 スポーツの世界でも大相撲の名古屋場所は関取が21人も休場する異常な状態で場所を終えた。
 後半戦が始まったプロ野球も巨人はコロナ感染者が多く出て、中日との3連戦は全て中止になった。
 社会活動も大きく影響を受けている。
 今月中ごろから業務を休止せざるを得ない郵便局が増え始め、27日現在全国で154郵便局が業務の停止を余儀なくされた。
 郵便局に限らないが、コロナ感染者が出ると濃厚接触者まで出勤できない。
 業務に支障が出ている企業も少なくないに違いない。
 電車の運転士やバスの運転手がコロナに感染すると、濃厚接触者まで休むから乗務員が足りなくなる。
 運行本数を減らした交通機関もあった。 
 医療現場の声を発信し続ける呼吸器内科の倉持仁医師が30日夜、ツイッターでこんな発信をした。
 「現在、感染症法上の2類に分類されているコロナを5類相当へ変更する議論がおきているが、“治療薬の確保”、“検査の迅速化”、“相談窓口”などをきちんと整備してから決めるべきだ」というものだった。
 「連日20万人の新規感染者が検査を求めて医療機関にあふれる状況だが、各都道府県に数か所のPCR検査センターを作ればいい。その体制を作った上で5類にすればいい。
 とに角。治療薬を確保し一般流通経路に乗せ、検査が速やかに出来ることが大事だ。
 医療に関わらない門外漢が出てきて適当なことを言う、これでは、医療機関はたまったものではない」と怒っている。
 コロナが感染症法の「2類相当」に位置付けられていることは、上から2番目に厳格な対応がとられているとうことらしい。
 「2類相当」は全ての感染者を確認する“全数把握”が必要になる。
 外来診療は発熱外来に限られ、一般の医療機関に診てもらうことが出来ない。
 濃厚接触者の特定と待機要請も必要になる。
 感染拡大の度に保健所と発熱外来の業務が逼迫し易いのだ。
 「5類相当」になれば、季節性インフルエンザ並みになり、全数把握は不要になる。
  濃厚接触者を特定する必要もなくなり、一般医療機関での診療も可能になるのだ。
 「BA・5」は重症化するケースが低い、第7波の感染状況次第だが見直すチャンスが来ていることは確かだと思う。
 知り合いの医者から電話がかかってきた。
 「これだけ暑いと体調管理が難しい。食事、水分補給、十分な睡眠をとることが大事ですよ」と言われた。
 分かっているけど・・・
 暑い、暑すぎる・・



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BS-TBS番組情報 №263 [雑木林の四季]

BS-TBS 2022年8月のおすすめ番組(上)

     BS-TBSマーケテイングPR部

ヒロシのぼっちキャンプ Season5
「俺の沖縄2時間スペシャル」

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2022年8月3日(水)よる9:00~10:54

☆沖縄を旅したヒロシのぼっちキャンプを初めての2時間スペシャルで描く。

出演:ヒロシ

梅雨が明けたばかりの沖縄へやってきたヒロシ。夏の沖縄キャンプは初めての体験だ。ヒロシがまず立ち寄ったのは米軍払い下げ品を扱うミリタリーショップ。キャンプで使えそうな品を選ぶうち、新品のまま何十年も倉庫で眠っていたジャングルブーツを発見して無骨心を鷲づかみにされてしまう。
思いがけず長居したミリタリーショップをあとにしたヒロシは沖縄北西部の本部町(もとぶちょう)へ。町の中心部にある町営市場で豚の骨付きアバラ肉を調達し、海を見晴らす山の中腹にあるキャンプ場へ。強烈な陽射しのもとでなんとか居場所を決めたものの夕方になっても一向に涼しくなる気配を見せず暑さはすでに夏本番の様相。ここで頑張ったら危険と察知したヒロシはヒロシなりの沖縄時間を過ごそうと心を決めるのだった…。
紺碧の海に沿って車を走らせ、ゆったり沖縄を旅したヒロシのぼっちキャンプを初めての2時間スペシャルで描く。

走る別荘!車中泊の旅 北の大地をゆく!夏の道央560キロ

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2022年8月7日(日) よる9:00~10:54

☆まるで“走る別荘”!自由で楽しい「車中泊」の旅、第5弾!馬場ちゃんが 夏の北海道へ!

出演:馬場裕之(ロバート)

2019年10月に第1弾を放送。第2弾、第3弾、第4弾も好評を頂いた「車中泊の旅」の第5弾!
車中泊用にカスタムされた自動車を自ら運転して、自由気ままな旅へ。
旅人は、第1弾からすべて出演している「車中泊の旅の達人」ロバートの馬場ちゃん。
車中泊をしながら日本全国の美味しい旬や特産品をゲット!そして、自慢の料理の腕を生かして、美味しく食べる「車中泊の旅」。
今回の舞台は、初の北海道!
北海道といえば、南は函館から東は釧路や知床、北は稚内など、旅心を掻き立てられる場所ばかりだが、馬場ちゃんが今回巡るのは「道央」と呼ばれるエリア。
東京からの玄関口である新千歳空港や札幌、小樽など大きな都市がある一方で、洞爺湖やリゾート地として有名なニセコなど、豊かな自然も楽しめる。
外国人観光客の受け入れも始まり、ますます注目される人気のスポットをめぐりながら、馬場ちゃんならではの“唯一無二の旅”をお見せします!
▽苫小牧…東京からの車旅の玄関口である苫小牧フェリーターミナルから出発!全国の水揚げ量日本一の「ホッキ貝」など旬の食材をゲット!
▽白老…洞爺湖サミットで一躍全国にその名がしられたブランド牛「白老牛」や、太平洋を望む虎杖浜(こじょうはま)地区の特産品「たらこ」など、楽しみながらの食材探し。どんな料理に!?
▽登別…北海道屈指の温泉地「登別温泉」で、足湯に浸りリラックス。
▽室蘭…室蘭のRVパークに宿泊。夕食のメニューは!?
▽洞爺湖…2日目は室蘭を出発し洞爺湖へ。地元の夏野菜や名産のホタテ、洞爺湖町のソウルフード「ぐるぐるソーセージ」などをゲット。有珠山ロープウェイに乗って洞爺湖や昭和新山など眼下に広がる絶景を一望!お昼ご飯は洞爺湖の食材で。
▽留寿都…大根や長芋など根菜の生産が盛んな山間の村、留寿都。馬場ちゃんは長芋をどんな料理に?
▽真狩…「蝦夷富士」を一望できるという露天風呂へ!
▽ニセコ…冬は世界各国からスキー客が訪れるリゾート地。熱気球係留体験「ニセコバルーン」に挑戦。
※内容は変更する場合があります

関口宏のもう一度!近現代史SP
本土復帰50年  沖縄の過去と今

263近現代史SP沖縄.jpg
2022年8月14日(日)よる6:00~6:54

☆「慰霊の日」そして「沖縄の本土復帰の日」から沖縄の過去と今を考える終戦企画。

出演:関口宏、保阪正康

終戦から77年。そして、沖縄が本土復帰してから50年の節目をむかえる今年、2022年。
唯一、県民を巻き込んだ地上戦が行われた沖縄では、8月15日以外にも2つの忘れられない日があります。それが「慰霊の日」と「沖縄の本土復帰の日」です。
この二つの日を中心に、あの日沖縄で何があったのかを振り返る、「もう一度!近現代史」の特別番組です。
昭和史研究の第一人者、保阪正康氏とともに、関口宏が沖縄の長きにわたる苦難の道について振り返ります。
                         

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海の見る夢 №36 [雑木林の四季]

   海の見る夢
       -あなたのための行進曲ー
                    澁澤京子


最近、『タクシー運転手』チャン・フン監督 を見てはじめて、韓国の「光州事件」がどんなに悲惨で大変な事件であったのかを知ったのである・・さらに『光州5・18』キム・フジン監督、『1987』チャン・ジュナン監督を見るに及び、お隣韓国の人々が、朴政権、全政権の軍事政権の圧力により、いかに苦しんでいたかを知ったし、それこそ韓国の学生運動、市民デモが命がけのものであったことも、韓国の民主化は自発的な市民運動の力(タクシー運転手も怪我人を運ぶために活躍した)がとても大きかったことも初めて知ったのであった・・

1980年5月。光州事件は起こった。当時22歳の私はまだ学生で、ちょうど日本はバブルに突入する頃。私がアース・ウィンド&ファイアーなど聴いて浮かれて踊っていた時期に、お隣の韓国の学生・市民は死にもの狂いで軍事政権の圧力に抵抗し、民主化のために戦っていたのである・・

韓国映画を観ていると、田舎の風景が日本の田園風景にとても似ている、映画の中では雨のシーンが多いけど、雨の匂いまで伝わってくるような風景なのである。男も女も、日本人にもいそうな顔が多いことに気が付く。同じアジアでも中国の女優さんが妖艶な美人が多いのに対し、韓国の女優さんの清楚で可愛らしい感じは日本の女優さんに近いし、なんといっても、車のラジオや街頭で流れる歌謡曲や演歌が、日本の歌謡曲、演歌に似ているのだ。ある民族の大衆音楽が似ているという事は、その心情も似ているところがあるという事じゃないだろうか?

今の韓国映画のレベルの高さを考えると、韓国のナショナリズム運動が、特に文化・芸術と教育に力を入れてきたというのも納得できる。そして、やはり第二次大戦後に続く朝鮮戦争、南北分断、そして軍事政権による弾圧、つい最近まで韓国がそうした苦難の歴史を経験してきた事は何よりも大きいだろう。敗戦直後に作られた、かつての日本映画に素晴らしい作品がたくさんあるように、苦難を経てきた人の方が、訴えたいものをたくさん抱えているのでこちらの心に伝わってくる。映画が素晴らしいと、この国はこれからきっと発展していくだろう、と思ってしまう。韓国の詩に魅了されて、晩年の茨木のり子さんは韓国の詩を翻訳するために韓国語を習っていた。韓国に優れた詩人が多いというのは、映画を見るとセリフのセンスが光っているものが多く、なんとなくわかるような気がする。格差問題でも、極貧ではなく、塾やお稽古事に行けない子供の寂しさと哀しみなど、日本でもどこでもありそうな相対的な貧困で子供の心が傷つく様子など、視点が鋭く、繊細な心理描写がとても優れている。

日本の学生運動に比べると、南北分断された軍事政権下の韓国の学生による民主化運動はまさに命がけで、80~90年代まで「赤狩り」と称し、学生が集会を開いているだけで一方的にスパイ、反乱分子と決めつけ、一般市民、大学教授、学生に対して、拘留、拷問、虐殺が行われた。韓国でも、反共親米の保守VSリベラルという政治構造で、そうした構造はほぼ日本と同じだが、保守派の軍事政権、KCIA,警察による暴力のすさまじさは、日本とはくらべものにならない。日本で反共と言えば勝共連合だが、韓国では反日教育とおなじくらい反共教育も徹底していた。日本の「特定秘密保護法」と同種類である戦前の「国防保安法」のような厳しい言論弾圧が韓国では日常的に行われていたのだろう。(韓国では右派が韓国政府の起源を分断後の1948年の反共国家とするのに対し、左派は1919年3・19、朝鮮半島分断前の独立運動を韓国政府の起源と考えるらしい~『日韓関係史』木宮正史)

1950年 朝鮮戦争勃発
1953年 休戦 軍事境界線38度線
1959年岸信介による日本からの「北朝鮮帰還事業」により、日韓関係は悪化するが(この時、李承晩ラインができる)、朴政権になり経済協力が必要とされてから日本と韓国の関係は回復する。ちなみに賠償金が支払われたのも、朴政権の時。(大平総理)賠償金3億ドル、借款2億ドルなどで話が決まり、朴軍事政権に支払われたが、賠償金が個人に支払われることはなかった・・出兵した在日韓国人は日本政府からも韓国政府からも年金を貰えず困窮し傷病兵となった(子供の頃、渋谷駅など大きなターミナル駅でよく手足のない傷病兵を見かけた)、慰安婦問題がこじれたのもどちらの政府からも賠償金がもらえなかった事に原因があると思う。朴政権は用日ナショナリズム、経済的に日本を利用する道を選んだ。朴政権、KCIAが支援する形で勝共連合(笹川良一・岸信介)ができたのは1968年。

朴政権の時に出来あがってしまった「用日ナショナリズム」の関係により日本政府は、今度は全斗煥大統領の時に100億ドル要求されるが(鈴木首相)、結局日本は40億ドルの公共借款を韓国に提供することになるのである・・朴政権時代に出来た悪しき習慣、用日ナショナリズム、「謝罪=お金」で、日韓関係は逆によけい複雑にこじれてしまったのではないだろうか?

1973年、東京で金大中拉致事件が起こり、監禁される。(この事件により一部の日本人は誘拐された金大中を支援した)

1979年、朴大統領は部下であるKCIAの情報部長により暗殺されるが、政府は再び戒厳令を敷き、全斗煥が中心となり事故の調査にあたった・・特に共和党のようなアメリカのタカ派にとっては全斗煥のような軍事政権が政権を握ってくれる方が、反共政策をとるために利用しやすく都合がよかったのだ。

民主党で人権派のカーター大統領でさえ、北朝鮮の脅威と「赤狩り」を真に受けたのか.光州での全斗煥による市民弾圧と暴力を黙って見過ごした。そのため、光州事件で市民を見殺しにされた韓国は反米となってゆく。

~選挙の前になると、韓国の保守タカ派の政治家はリベラルな政治家(金大中)を落とすため、大金を抱えて金正日に頭を下げて頼みに行くのである。北朝鮮からミサイルを発射してもらうためであり、北朝鮮のミサイル発射や脅威により、タカ派、軍事力の存在価値が明確になって韓国の大統領選挙に有利に働くからだ。もちろんこの多額のお金は金正日の懐に入るだけで、北朝鮮の庶民は貧しさと飢餓状況のまま放置なのである~『工作 黒金星』ユン・ジョンピン監督より

『工作 黒金星』は、実在した韓国の工作員の実話を元にした映画で、この映画を見てはじめて、金正日の時代に、北朝鮮が時々思い出したようにミサイルを発射していた理由がわかったのだった。つまり、北朝鮮(金正日)は韓国の保守タカ派政治家から多額のお金を受け取り、その代りに「仮想敵国」役を引き受け、ミサイルを発射していたのだ・・要するに北朝鮮の脅威がなくなると、困る人々がいるからだ。タカ派の政治家たち、KCIA、軍隊、など・・結局、映画のラストでは金大中が逆転して大統領に当選(1998)する事になるが、その頃の実話だから1997年ごろの話だろう。

戦後、高度成長期の波に乗って、一時は経済大国となった日本。80年代バブルの時代には、海外でブランド品を派手に買っていた日本人。私たちが命を懸けて民主主義を守ることもなく過ごせたのは運がよかったのかもしれない・・しかし、日本には韓国のような理不尽な圧政と暴力がなかった代わりに、バブルがはじけた頃から、徐々に真綿で首しめるようなファシズムな閉塞的雰囲気が広がり、政治に無関心か、あるいは(お上の言う事に間違いはありますまい)のアイヒマン的な思考停止の従順な人が多くなったような気がする。政治に批判的であり、民主主義を能動的に支える市民が育ったのは、むしろ圧政に抵抗し続けた韓国の方だろう。少なくとも、韓国は自国の保守政治家と北朝鮮の裏のマッチポンプを暴露できる言論の自由を持っているではないか。「統一教会」と自民党の関係にちょっと触れただけで、ヒステリックに反応したり、「物言えば唇寒し・・」でテレビ局に抗議や嫌がらせの電話が殺到するのって、民主主義国?光州事件で80年代になっても「赤狩り」という言葉が残っていたのも驚いたが、今回のまるで言論弾圧のような雰囲気にも驚いている。今、陰険な圧力にめげずに告発しているジャーナリストやメディア、弁護士、識者も少数いて、心から応援しているのである。日本は戦後から続く「反共親米」保守を脱却して、もっと中立的な視点を持ってもいいのでは?

1987年 大韓航空機爆破事件
1998年 金大中とリベラル派の小渕首相により、日韓関係は良好になる。
2002年 小泉首相の訪朝。10月 拉致被害者帰国 小泉首相に期待がかかるが、靖国参拝により、日韓関係は再び悪化。~韓国大統領は穏健派のノムヒョン
2011年・金正日死去
2012年 暗殺された、朴大統領の娘パク・クネが大統領になり国情院(旧KCIA)などが再び強化されるようになり国民から反発されるが、セウル号事件をきっかけにして、国民からの反発と追及がひどくなりパク・クネは辞任。

日本と韓国の経済が互角になるころから、日本の戦争責任問題が持ち上がり、日韓関係が再びこじれるようになってきた。ネットでの韓国・中国に対する罵詈雑言が凄まじいと思っていたらついにヘイトスピーチは公道に出現するようになった。凄まじい差別・侮蔑の暴言を吐くのは、一見大人しく目立たないような人々だった。「嫌韓流」とか「慰安婦の嘘」的な本を書店でよく見かけたのもその頃。

昔、『日本残酷物語』宮本常一編 を読み、明治期の炭鉱労働のあまりに悲惨な状況に衝撃を受けたことがあった、人権なんて言葉が軽く吹き飛ぶほどの、炭坑夫に対する残酷な家畜以下の扱い。確か、ほとんどが朝鮮から連行された労働者だったと記憶している。脱走しないように繋がれて監視されていたというから、強制的に動員されたといわれても無理はないだろう・・

小泉元首相の訪朝・拉致問題解決に尽力した、田中均(国際戦略総合研究所理事長)は、安部政権の自己中心的な右傾化に警鐘を鳴らしていたが、最近のインタビューでは、「日本の外交の内向化」(毎日新聞2022・7・20)で、国民受けばかり考える政治家ではろくな外交ができないということを述べている・・これは戦後、重光葵(外務大臣・A級戦犯)が、その獄中の手記で日本の敗戦の一番の原因を「国民受けのパフォーマンスばかり考え、何の戦略を持たなかった日本の政治家にある」と述べたのと、まったく同じことだろう。要するに、状況を読んでヴィジョンと戦略を持つのではなく、自分の人気取りのことしか考えられない(見せかけの仮面と目前の利益だけ気にする)政治家が日本を滅ぼすのである。

今回の山上容疑者を見ると日本のカルト宗教に対する取り締まりの甘さ、そして経済的貧困も問題だが、それ以上に貧しいのは、家庭が崩壊すれば完全に孤立してしまうような、今の日本の、横の人間関係の貧しさと居場所のなさ、なのである。外を見ない日本の内向きな政治と同じように、日本の家族もまた閉鎖的に孤立してしまうような、冷たい無関心な社会・・

ある国の普通の人の暮しが一番よくわかるのは文学や映画であって、そういう意味で韓国の文化戦略は、その効果を発揮している。たとえば、漱石の小説が明治時代のベストセラーで新聞小説だったことを考えると、当時の日本人の平均的な知的レベルの高さがわかるし、また、映画ほど、ある国のある時代の一般の人々の精神レベルがよく反映されるものってないかもしれない。やはり国を根本から支えるのは言葉、教育であり文化なのだと思う。

タイトルの「あなたのための行進曲」は光州事件で30歳の若さで拷問により亡くなったユン・サンウォンの友人たちが彼のために捧げた曲。(この歌は天安門事件遺族の会でも毎回歌われるらしい)市民抗戦の中心人物であったユン・サンウォンは1950年生まれ。銀行員をやめて、あえて過酷な工場で肉体労働をはじめたところなど、シモーヌ・ヴェイユを彷彿とさせる純粋で一途な青年。写真を見ると、他人のために生きる人特有の清らかな表情をしていて、それを見ていると、80年代には日本からの「妓生観光(売春観光)」がおおっぴらに行われていたことが恥ずかしくなるし、また、その頃、何も知らずに浮かれていた自分も恥ずかしい。拷問されたユン・サンウォンの遺体の上半身は生きたまま焼かれた黒焦げの状態で原型もとどめぬほど損傷していたという。そんな暴力的な政府に日本政府は多額の経済支援をしていたのだ・・(光州事件で殺された市民は政府発表だと207人、外国人団体、民主化運動団体によると600人~2000人とまちまちで正確な市民の死亡者数は不明)この光州の惨状は、サンウォン自身が外国人特派員に連絡、それから戒厳令の光州市潜入に成功したドイツ人ジャーナリスト等によって、世界中に写真が送られ知られることになった。

昔、よく骨董を見て歩いていた時期があって、その時に中国の骨董より韓国の骨董品に親しみを感じたのを覚えている。中国のものに比べると色彩が渋くて素朴でシンプル、日本人の好みに近い。李朝の白磁を初めて見たのも骨董屋だった。白というよりもミルクのような柔らかな白、少しいびつな丸みを帯びた形といい、なんて温かい色と形だろう、と暫く見惚れたことがある。(もちろん、すごく高かったので買えなかった)朝鮮の骨董の質のいいものには品の良い「ぬくもり」のようなものがある。作り手の心が、まるで体温のようにこちらに伝わってくる感じ。

骨董を見るようになってから、人を見るときも骨董を見るときと同じように見るようになった。私がレベルが高いと評価する人には必ず、上質の骨董品のような品の良さと温もりがあるものだ。

それと同じように、韓国の上質の映画にも人の温かさが底流に流れている。そう感じるのは、彼等に似た感受性を、私も持っているせいなのかもしれない。日本に近いのに遠い国、韓国。いつか訪れてみたいと思っている。


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梟翁夜話 №116 [雑木林の四季]

「ヒルビリの思ひ出」

      翻訳家  島村泰治

若き日、私はアメリカに留学した。アイダホ州の首都ボイシ、日本人の気配のないのが取り柄の、とあるカレッジだった。1950年代半ばのことだ。あれは学生寮でのある日、つかの間の暇をつぶさんとギターを探り弾いてゐた私は、不図、何時かな部屋の戸口に佇むひとりの同僚に気づいた。地元感豊かな風貌と振る舞ひに懐っこさを感じ、私はまだ不自由な英語で挨拶めいた一言二言を散らし、何か用かの意味を伝へた。

それに応えて彼はゆったりと部屋に入って来るや、私のギターを取り上げて、バランとハ調の和音を叩き出し、小首を傾げるや何やらひと節唄ひ始めた。
♪ Your cheatin' heart....
二拍子の単調な和音進行で、あるいは高くあるいは低く、土臭い旋律が辛うじて聞き取れる言葉に乗せて坦々と続く。
♪ ... will make you weep...
You cry and cry...you try to sleep...
やがて、
♪ ......will tell on you.
ジャーンと締めて曲が終はる。

彼はどうだと云ふ風情でにっとこっちを見る。進駐軍放送のラジオで聞いた覚えがある。いい唄だと褒めれば。彼はにっと笑って、
”This is what we call hillbily.”
ヒルビリとな?聞き慣れない言葉だ。聞いた途端は安っぽい音のする言葉で、語彙に加えるほどのものじゃないと思った。

”Never heard of it, but I say it's fancy."
程度のお愛想はして見たのだ。それを受けて奴さんが滔々と語った物語が圧巻だった。土地の唄好きなら知らぬものはない、この国に来たなら覚えにゃならぬ、と。いまにして思へば、所謂カントリミュージックの原点で、さっきの奴は大御所ハンク・ウイリアムスのヒット作、泥臭いのを直に聞いたレアな機会だったと云ふわけだ。

ハンク・ウイリアムスは知る人ぞ知る唄芸人で、奇声を発して疑似ヨーデル混じりで唄ふ、何とも泥臭い日本なら民謡の唄ひ手だ。その日の不意の訪問者はハンク張りの奇声で一曲を披露したわけで、聴いた音楽好きの私は堪らない。
立て続けに二、三曲を頼めば気を良くした奴《やっこ》さん、よし来たとばかりハンク・ウイリアムス擬《まがい》の枯れた喉を大いに振るわせる。

一頻《ひとしき》り唄ってギターを置き、彼は私に日本の唄を唄って聴かせろとせがむ。さっき弾いてゐたのは何だと云ふから、あれはクラシックギターの小曲で日本の唄ではない、と。何を聞かせやうかと思案しきり、思ひ付いて童謡の「赤とんぼ」を弾き語って見せた。
”You yeah-kay koyeah-kay no Akar toe’n beau…"♪・・・
歌詞を英語風に書き換へて見せ、純綿の日本語で朗々と唄ふ。♪ 竿の先 ... と唄ひ切って様子を見れば、奴さんえらく感じ入った様子。感に入った風情で曰く、
" Kind'a sad n'lonlely, but it sounds pretty good, I say it's lovely..."

「赤とんぼ」は私の好みの童謡だから、ギターでしんみり唄へばそれなりに聞ける。どうやら日本の童謡が気に入った様子。ぜひ覚えたいと云ふから、ならばとその日は手取り足取り「赤とんぼ」を日本語で口伝えに教え込んだ。ギターの分散和音も器用に覚えて、ひとしきりで一端《いっぱし》の「赤とんぼ」をものした。何度か唄はせてみたが、カウボーイ紛ひの唄ふ「赤とんぼ」が何ともいい味で、私は暫しその味に痺れたのである。

あれから幾星霜、細かいことは疾ふに忘れたが、奴さんの「赤とんぼ」は鮮明に覚えてゐる。が無念や、奴さんの名前が何としても思ひ出せぬ。あれから暫く行き来はあったのだが、真面《まとも》な音楽の道へ進んだ私を敬遠したか、彼は何時かな私の前から消えた。立居の残像は微かながら瞼の裏に、奴さんの唄ふ異国情緒の「赤とんぼ」の余韻は、嬉しや辛うじて今も耳底に残ってゐる。
半世紀余も前の昔の仄かな思ひ出だ。了


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検証 公団居住60年 №117 [雑木林の四季]

第5部 存亡の岐路に立つ公団住宅

   国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治
 
3.機構賃貸住宅「改革」のシナリオー団地統廃合と継続家賃総値上げ

 今回の閣議決定が従来と大きく異なる特徴は2つある。1つは「民営化」の文言が消えたこと、もう1つは、都市機構を5年ごとに組織および業務を見直し、廃止までの橋渡しを使命とする「中期目標管理型の法人」としながらも、この先20年、2033年度までの経営戦略をかかげ、「持続的な機能実施」を強調しはじめたことである。
 政府年来の機構賃貸住宅「民営化」方針も高額家賃物件の売却方針も、現実にはその見通しも立たず、破たんを認めざるをなくなったのだろう。「民営化」とは、公共が担うべき事業を外部の民間企業に移すこと。当面外部化はできず、機構そのものの営利企業化を強めることで完全民営化を先延ばしする、せざるを得なかった。いわば「政府の民営化」に踏みだしたといえる。
 都市機構の存在にかんしては独立行政法人の使命を変え、業務内容は変更しても組織自体の廃止は視野から外した。国土交通省住宅局長も機構理事も口をそろえて、民主党政権から自公政権にもどり今回の閣議決定のおかげで「もう民営化も機構廃止の心配もなくなった。あとは経営体として生き残るだけ」と語っていた。都市機構が「経営体として生き残る」こと、閣議決定の実施が、公団住宅居住者にとっては何を意味し、何をもたらすか。
1)賃貸住宅ストック再生・再編への実施計画
 閣議決定が団地再生・再編の「具体的な実施計画」を2014年度内に策定するよう指示したのにたいし、機構は今後の検討方針だけを述べた文書を「実施計画」と題して発表し、個別団地ごとの「方向づけ」は2018年度までに先送りした。
 ストック再生・再編方針は2007年12月の発表以来、18年度までの12年間に約10万戸着手、5万戸削減を計画、実績は13年度時点で、7年間に5万戸着手、2万戸削減したという。その間1.8万戸を新規建設しているから、実際に削減したのは3.8万戸である。
 賃貸住宅の総管理戸数では、06年度末の76.9万戸が13年度末で74.8万戸、18年度末には72.2万戸に減少する。つまり以後5年間に新規0.5万戸増、3.1万戸を削減する計画である。15年後の2033年度末には65万戸程度を目標とする。
 2018年度末までに団地ごとの具体的な再編計画を確定するにあたっては、従来の団地別整備方針を見直し、つぎの新たな2つの視点から評価、方向づけるという。①団地ごとの収益性に着目した評価と投資の実施、②同一生活圏とみなすエリア単位での団地再編とその加速化。この視点から現在約75万戸の団地をつぎの2つに大別する。
 ①「戦略的に投資を検討して収入増を図る団地」47万戸(うち「収益性が高く、集中投資を検討する団地」17万戸)
 ②「エリア単位の団地再編や団地単位の集約等により規模縮小を検討する団地」28万戸(このなかに「近接地建て替え」の新たな項目をふくめている)
 機構が示した投資型、縮小型の団地2分法は、団地経営の考え方の2本柱でもあり、すべての団地について収入増と資産縮小の二兎を追うことになる。これにたいし居住者は、正当事由制度に守られた借家権、居住の権利への自覚を高め、自治会は「当事者」と.して、また「団地の主人公」として自治体をふくめ機構の3者でねぼり強く協議し対応する構えと力量が求められている。

『検証 公団居住60年』 東信堂



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地球千鳥足Ⅱ №5 [雑木林の四季]

針のむしろ‥英会話クラス

    小川地球村塾村長  小川律昭

 祖先が移民による多文化国家のアメリカではク難民のための義務教声というような意味合いで、ボランティアが英会話を教える無料のクラスが結構たくさんある。ボランティアといっても、教師の資格のある人が教えている。公立の小学校、中学校、高校などでもその建物の一角で、また企業経営の語学校でも昼、夜に分けて行われ、修了式まである。テキストはさまざまで、どちらかといえば生活に必要な実用的、コミュニケーション重視の英語だが、文法も書くことも教える。きまって質問されるのが、「週末は何をしたか」である。答え易い質問だと思っているのだろう。

 クラスのメンバーは家庭の主婦が結構いるが、主婦といっても子供のいない若い女性が多く、駐在員の奥さん風、留学生やその夫人、就労している友達のところに不法滞在しているようなちゃらちゃらした連中や、子供と同居している父母、中年の男性など。夜のクラスは昼間働いている若い人たちで、その風采からして店員やサービス業に従事している人が多いようだ。昼間のクラスには日本人駐在員の奥さん連中が多いが、友達を求めて暇つぶしにやってくる感じである。勉強後の昼食やおしゃべりぺりが楽しみようだ。

 州立入学の中にもこれら移民対象のESL (第二外国語としての英語)があり、昼間無料で教えている。教師のエイミーは大学所属ゆえ授業内容もきびしく、とにかく発言させるのが主目的のようである。生徒は、二時間半の授業中七、八回は当てられる。場所がダウンタウンで、半分以上がバス利用者ということは、車が持てない生活困窮者か、ビザなしの若者か、大学入学希望者か、いずれ誰かを頼って来ている人たちであり、スペイン語圏が圧倒的に多い。もちろん夫に連れられて入ってくる奥様連もいるが、総じて若い。クラスも初級、中級と分かれているが、初級でも結構しゃべる人がいる。でも発音となるといいかげんでよく聞き取れない。その点エイミー先生は大したもの、くせのある発音を聞き取って応答する。注意を与えることも忘れない。クラスは二十人強、欠席も多く、新旧の出入りの激しさにもかかわらず、よく生徒の呼び名が覚えられるものだと感心する。

 私の場合、二年間中断したのにもかかわらず、タダアキと名前を覚えていたのだから驚く。覚えにくい名だと思うのに。
 会話の方は、満足に出来ないのを承知で恥をかくことが自分を刺激することだと思って、懲りずに過二回通う。若者からは、「この馬鹿、懲りずによく来るなあ」と白い目で見られていることもよく承知している。教師から引導を渡されるまで、厚かましく行くつもりだ。この年になると、恥をかくことは良いことだとしか思っていないから。たまにスペイン系の若者たちから、「お前はチャイナか」と聞かれることがある。日本人に見えないのか、私がしゃべれないので、チャイナと思うのか。中国人の彼らが聞いたら立腹ものだ。私に言わせれば中国人は、彼らよりよっぽど言葉が得意で、しゃべれない人はアメリカに来ていないと思う。自分もしゃべれないで偉ぶるなと言いたい。でも日本人の恥を代表しているのがこの私かも知れん。
 授業で教わった対比語や、関連語を使って作文を書かせ、発表させられることが月二回はある。「それが出来ればここには来ない」と言いたいのだけど、今は「ソーリー」で人の発表を聞くだけだ。屈辱もここまでが限界かなといつも自分に言い聞かせながらも、恥を忍び、針のむしろに座らされている。
                          (一九九九年四月)

『『万年青年のための予防医学』文芸社



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日本の原風景を読む №45 [文化としての「環境日本学」]

「日本はかならず 日本人がほろぼす」  ――あとがきにかえて 1

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

瀟洒、秩宕、美を想う
 富士山初冠雪の翌朝、私は河口湖畔に立つのが習わしである。それから本栖湖、田貫湖へ向かう。
 穏やかな水面を前景とする富士山は、「瀟洒」(すっきり、あかぬけている)、「扶宕」(奔放、堂々としていて細事にかかわらない)、「美」(美しく立派なこと。感覚を刺激して内的快感を呼び起こす)を表現してやまない。日本風景美の三要素とみた地理学者志賀重昂の『日本風景論』(一八九四年、明治二十七年) が思われる。
 「自然は芸術を模倣する」とは、皮肉屋オスカー・ワイルドの逆説めく言である。だが、和服の彩りや修験道者の道場にとどまらない。富士山の形象美は私たち日本人の美意識と精神の形成に深くかかわってきた。芸術を含む「文化は自然を模倣する」と私は考えている。世界遺産委員会が「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」を世界文化遺産への推薦の正式な名称としたゆえんである。ワイルドと同じ英国の作家ロレンス・ダレルは「人間は遺伝子の表現というよりは、風景の表現である」と記している。なるほど、かのアメリカ大統領の言動などは、アメリカ合衆国的原風景、カウボー イ(あるいはガンマン)の戯画を思わせるではないか。

カウボーイ大統領よ
 あなたが唾を吐いた温暖化防止条約のルーツを思い返すがよい。一九八〇年夏、巨大な高気圧がアメリカの穀倉地帯に二か月間居すわった。中西部の干ばつによって、この年の穀物生産量は一億九〇〇〇万トンにとどまり、アメリカ国内で年間に消費される二億六〇〇〇万トンを満たせなかった。高気圧が長期間居すわるブロッキング現象について上院公聴会で問われたハンセン海洋大気局長は、「二酸化炭素の温室効果による高温化と降雨パターンの変化により、干ばつが繰り返される可能性が高い」と警告した。同時にハワイ島マウナロア山観測所での海洋大気局のデークーが、毎年ほぼ1ppmのスピードで大気圏内二酸化炭素濃度の上昇を記録していることも明らかにされた。温暖化防止条約の原点である。
 資源、環境の制約などありはしない。炭鉱労働者の雇用のために火力発電所を増やせ、環境省など邪魔だ、予算を付けるな、といわんばかり。イケイケ、ドンドン、二丁拳銃を振りかざし、ドンドン、パチパチ、カウボーイ経済に戻って、無限な経済成長を遂げることこそがアメリカの国是である。そのゴルフ仲間と称する日本の首相も、負けずにこちらも戦国時代の故事〝三本の矢″にちなんだ何とかミックス政策(三本の矢は分解寸前だが)を掲げ、その同類相集う衆議院選挙に圧勝した。
 カニは甲羅に似せて穴を掘り、国民は自らにふさわしい政府をつくる。「瀟洒」「秩宕」「美」とは莫逆の日本社会と日本人の姿が二〇一七年のこの年露呈したのである。

温暖化は文化を破壊する
 皆してハメルンの笛吹き男にくっついて、行き着くところまで行くしかない。安倍晴明のご託宣を待たずとも、首都圏直下型だのトラフ型大地震とやらで、向こう三〇年間に八〇パーセントの確率で日本列島は沈没を免れないと予測されているではないか。自分の明日ある幸福などに関心は持てないし、それを信ずる手がかりもないのだから。
 しかし人間がその生命を依拠している自然環境は、人間の勝手な振る舞いを許さない。寺田寅彦の言ではないが、自然には自然の論理がある。人為の事情とは関係なく、地球の温暖化とトラフ型地震が一例であるが、自然は常にその固有の論理を科学的に貫徹しようとしている。
 二〇一七年、山火事はわが愛飲するカリフォルニアワインの谷を燃やし、フロリダ・キーウエスト在の敬愛するヘミングウェイの館を、史上最強のサイクロンが襲った。
 気候変動枠組条約は、ジュームズ・ワットの蒸気機関発明以来、二百余年に亘る自然破壊行為に対し、人類が示したささやかな反省の白旗である。だが、アメリカ伝統の宗教的反知性主義の権化である大統領は、それすらへし折ってしまった。
 気象庁は、地球温暖化による海面水温の上昇により、日本の南海上で猛烈な台風の発生頻度が増 えると警告している。自然災害の頻発に耐え切れず二〇一九年、損害保険会社は保険料金を一斉に値上げした。
 大気の変化は元に戻すことが著しく困難か、不可能な「不可逆変化」である。この認識が国連気候変動枠組条約を実現させた。
 自然界の固有の論理は、温暖化による気候の変化が比較的少ないとみられる中緯度にある日本列島でもジワリ、ジワリと現実に現われつつある。稲の高温障害による未熟米が全国で発生している。出穂後に高温が続いたためだ。害虫の多発、胴割れ粒の発生も相次いでいる。ぶどうの着色不良・日焼け、温州みかんの浮皮、野菜と花の生育不良、開花時期のずれも著しい。稲の高温耐性種への切り替えは、農業界の常識となってきた。温暖化が進むと主要な穀物は減収する恐れがあると農水省は予測している。農業は文化の集積である。温暖化は餓死を招く前に、究極として文化を破壊する。京都の紅葉が十二月も間近にずれ込んで久しい。直後に雪、そして正月を迎えなくてはならない。

『日本の「原風景」を読む』 藤原書店

                               

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線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №203 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

根室本線   

         岩本啓介                                  

①頭を雲の♫♪上に出し♫♪ 愛別岳   

FI6A3347 (2)根室本線下金山カーブ芦別岳●下金山~山部 のコピー.jpg
                              
国道を外れた林道で気動車待っていましたら  徐々に雲が去り                        
気動車が来る頃には 愛別岳が頭を出してくれました                                
2022年7月1日 山部~下金山14:35                                             

②五郎さんの駅 廃線へ     

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ドラマ『北の国から』で五郎・純・蛍の3人が最初に降りた布部駅                    
ラベンダーに バックの山々 ステキな駅 でも これで見納めです                  
2022年7月5日布部駅9:43                                          


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押し花絵の世界 №163 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「夏色の花束」

      押し花作家  
 山﨑房枝

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25cm×25cm

親友のお母様が病気で入院された際に、お見舞いでプレゼントした作品です。
早く元気になってほしいと願いを込めて向日葵、デルフィニウム、かすみ草で爽やかに仕上げました。
「病室が明るくなった!」と喜んでくださり、退院後はご自宅の玄関に飾ってくださっています。
今は体調も良く、元気いっぱいの笑顔を見る度に幸せな気持ちになります。


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ミツバチからのメッセージ №71 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

東京のニホンミツバチー4

    造園家・ミツバチ保護活動家  御園 孝

少々外れてしまいますが、埼玉県春日部市で困った場所にニホンミツバチが住み着いてしまい、殺したくないので見てほしいと依頼がありました。
建設用の作業車のキャタピラの内部に住み付いて、動かせなくなってしまいました。ミツバチ仲間たちも追い出す方法が考えつかず、困っていました・
こういうケースではミツバチが嫌がることをして、追い出す以外に方法がありません。ハチの出入り口から大量に煙を吹き込んで、しばらくそっとしておくと、火事と間違えて一斉にミツバチが脱出して、横の木の枝に蜂球を作りました。女王バチも確認でき巣箱に収め終了しました。

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結構大きい作業車
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キャタピラの中に住み着いた
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煙を吹き込む
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蜂球ができた


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