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国営昭和記念公園の四季 №81 [国営昭和記念公園の四季]

イカリソウ  こもれびの丘

イカリソウ のコピー.jpg

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『知の木々舎』第289号・目次(2021年5月上期編成分) [もくじ]

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【文芸美術の森】

妖精の系譜 №2                   妖精美術館館長  井村君江
 中世の古文献にひそむ妖精 2
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-29-5

じゃがいもころんだⅡ №50             エッセイスト  中村一枝
 自由な時代
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-29-6

石井鶴三の世界 №186                画家・彫刻家  石井鶴三
 鳳凰堂 1963年/鳳凰堂・阿弥陀 1963年 
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-29-10

過激な隠遁~高島野十郎評伝 №50      早稲田大学名誉教授  川崎 浹
  第八章 「晩年柏のアトリエ」 1
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-29-9

西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」№57 美術史研究家 斎藤陽一
 歌川広重≪東海道五十三次≫ 「原・朝の富士」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-29-3

往きは良い良い、帰りは……物語 №94  俳句・こふみ会同人  多比羅 孝
  コロナ禍による在宅句会 その9
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-29-11

エラワン哀歌 №1                  詩人  志田道子
 あのころ
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-29-4

【ことだま五七五】

日めくり汀女俳句 №81                 中村汀女・中村一枝
 八月二十五日~八月二十七日
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-29-2

草木塔  №87                        俳人  種田山頭火
 旅心 3
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-29-1

読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №110             川柳家  水野タケシ
 4月14日、21日、28日放送分
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-29

【心の小径】

論語 №119                                                      法学者  穂積重遠
 三七一  子、磬(けい)を衛(えい)に撃(う)つ・・・
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-27-1

批判的に読み解く「歎異抄」№27      立川市・光西寺住職   渡辺順誠
 「歎異抄」の著者(唯円)の立場  歎異抄の批判的読解
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-27

【文化としての環境日本学】

日本の原風景を読む  №24                        早稲田大学名誉教授 原 剛
 コラム        
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-27-8

【雑木林の四季】

浜田山通信 №286                                  ジャーナリスト  野村勝美
 「すべては脱成長から」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-28-6

私の中の一期一会 №236           アナウンサー&キャスター    藤田和弘
 ワクチン接種率、日本がOECD加盟37カ国で最下位とは情けない!
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-28-7

BS-TBS番組情報 №233                                 BS-TBS広報宣伝部
 2021年5月のおすすめ番組(上)
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-28-5

バルタンの呟き №96              映画監督  飯島敏宏
 「満月Full Moon」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-28-4

医史跡を巡る旅 №86           保健衛生監視員  小川 優
 江戸のコレラ~安政五年 浜松そして富士宮
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-13-2

海の見る夢 №6                                  渋澤京子
 あたしはあたし                    
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-28-2

梟翁夜話 №85                                 翻訳家  島村泰治
 「横になった芝浜」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-28-1

検証 公団居住60年 №78   国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治
 小泉「構造改革」と公団住宅民営化の道 
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-28

地球千鳥足 №142    グローバル教育者・小川地球村塾塾長  小川彩子
 ミス・チリの嘆き~チリ共和国
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-29-8

台湾・高雄の緑陰で №29     在台湾・コラムニスト   何 聡明
 日米台三国同盟は可能か?

【ふるさと立川・多摩・武蔵】                                                   

道つづく №10                      鈴木闊郎
 いささむらたけ
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-27-6

線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №173          岩本啓介
 北海道 小さな駅    
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-27-5

押し花絵の世界 №133                                 押し花作家  山﨑房枝
 「春の3部作」
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-27-4

ミツバチからのメッセージ №45 造園業・ミツバチ保護活動家  御園 孝
 イタリア 5
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-27-3

多摩のむヵし道と伝説の旅 №60               原田環爾
 狭山丘陵南麓の横通り道を行く 1
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-27-2

国営昭和記念公園の四季 №81
  イカリソウ  こもれびの丘
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-30-1

【代表・玲子の雑記帳】              『知の木々舎 』代表  横幕玲子
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2021-04-28-8






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妖精の系譜 №2 [文芸美術の森]

妖精に出会った人々の記録 1

        妖精美術館館長  井村君江

 ジラルダス・ド・バリ、一般にジラルダス・キャンプレンシスの名で知られるペンブルックシャー生まれの助祭長が、『ウェールズ旅行記』(一巻八章)の中に書きとめた挿話が、妖精の国や妖精の性質を記したもっとも古い文献の一つである。ラテン語からR・C・ホアが英訳したものを、トマス・キートリーが『妖精神話集』(一八二八)の中に収録しているが、それは『エリドルス(エリダー)と黄金の球』という名で知られており、エリドルスという十二歳の少年が妖精の国に行って帰ってきた話である。エリドルスは僧侶であり、のちに聖デヴィッドの司教となった人で、実際に自分の身に起こった事件として語った経験談を、キャンプレンシスが書きとめたことになっている。
 その話の筋をまとめてみると、エリドルスはその頃学問をしていたが、教師の鞭が恐ろしいので家出をして、二日の間川辺の洞穴に隠れていた。すると二人の小人が「わしらと一緒に来れば、気晴しや楽しみがいっぱいある国へ連れていってやろう」と言うので、そのあとへついて行った。地下へは暗い小道を通るが、やがて川、牧場、森、平野のある美しい国に着く。太陽の光はなく、にぷい光に包まれ、夜は暗闇となる。
 「その国には王がいて、人々は小さく、みな金髪が長く肩まで垂れており、グレイハウンド犬位の馬に乗っていた」とあり、妖精が金髪を好む、あるいは金髪をしている(妖精の別名は金髪一族)という特色がすでにうかがえる。また性質は、嘘はつかず、真理を愛し、人間の野心や不誠実を非難すると書かれてある。動物や魚の肉は食べず、「サフランを混ぜた牛乳」が常食となっている。
 エリドルスはその妖精の国から人間界へ、しばしば戻ることができた。妖精の国や小人たちのこと、地下には黄金がたくさんあることを母に話したところ、少し持ってきてはしいと言われる。エリドルスは妖精王の息子と遊んでいた黄金の球をこっそり盗むと、母の家まで一目散に逃げ帰ろうとしたが、あとを追われ入口まで来て敷居につまずいて倒れ、球を落としてしまう。小人はそれを奪い返し、エリドルスにつばを吐きかけ笑いながら行ってしまった。それから一年近くも道を探したが、再び妖精界へ行くことはできなかったというのである。盗みをした身を恥じ、母のことを恨む複雑な気持が消えると、エリドルスは再び学問に精を出したという。そして妖精に対して悪をする人間には、妖精界の道は閉ざされるという教訓めいた道徳的結末がついている。
 ここでは妖精界と人間界が容易に地下の道を通って行けるようになっており、薄明りの照る美しい野原というのも、後年の妖精の国の特色をすでにみせているが、月日が経過する速度の差はここにはまだない。興味深いことは、エリドルスが妖精語をよく覚えていて、それがギリシャ語に似ていたというのである。例えば「塩を持ってこい」というのはHalgein udomum)で、ギリシャ語で塩は(××××)であり、古代ウェールズ語では〈Halen〉である。キャンプレンシスによれば、これはイギリスの先住民であったブリトン人が、トロイ滅亡後もギリシャに留まっていたため、二つの言語には類似がみられるのだということである。
 (2)のニューバラのウィリアムが記し、コギシァルのラルフも書いている「緑の子供」発見の話は、十二世紀の出来事として有名である。ラルフはこの他、ダッグワージー(現ダッグワース)城に出没する「モーキン」という小妖精と「男人魚」についての話も記している。これらはラテン語で書かれているが、当時の事件の一つとして、ロンドンの記録保管所のロール(巻き紙状になっているためこう呼ばれる)六八番に記されており、当時の人々が事実として信じていたことがわかる。
 この「緑の子供」は、サフォークのウルフピットで見つかった肌の色が緑色をした姉と弟の子供で、洞の入口に倒れていたところを連れてこられるが、豆しか食べず、弟の方はすぐに死んでしまう。姉の方は次第に元気になり、人間の食物に馴れてくると肌の緑色も槌せてきて、人間の言葉もわかるようになり、妖精界のことを話し始めた。それによると、向こうの国では、人も物もみな緑色で、太陽の光はなく、いつも薄明りに包まれているという。姉弟は家畜の群れを追っているうち、美しい鐘の音につられて洞穴の中に迷い込み、こちらの出口についてしまい、太陽の光の強さに気を失って倒れたところを捕まったということであった。やはりここでも、二つの世界は暗い地下道でつながっていることになっている。
 「ケルト圏では緑色は死の色であり、豆は古くから死者の食物である」と、キャサリン・プリッグズは『妖精事典』で解説を加えている。妖精と死者との結びつきを示す話のようであり、とすれば姉は甦った死者なのであろうか。のちになると妖精の服装は「緑の上着に赤帽子」ということになり、肌まで緑色に描かれた妖精像もある。緑は草や木の葉の色で、いわば保護色であり、またバッタやイモ虫など昆虫の色との連想からも緑になっているのかも知れない。ニューバラのウィリアムは、調査が進むにつれて、自分はこの「緑の子供事件」 の真実性を認めるようになった、と書いている。姉の方が、自分の国を「聖マーチンの国」 と呼んで、みなキリスト教徒であると言っていたというのであるが、ここにいたると異教の神の末裔である妖精たちを、キリスト教に改宗させたのは誰であろうか、といぶかしく思われてくる。
 「モーキン」というのはサフォークのダツグワージー城に出没する妖精で、普通は姿を見せず、一歳の子供ぐらいの声で話す。もともとは人間の子供で、母親が仕事をしてるときに麦畑に置いておかれたので妖精にさらわれたとあり、すでに妖精の人間誘拐が描かれている。城の騎士一家はモーキンの出没に初めは驚くが、次第に馴れる。仲良くなった女中にいたっては、彼が小さな子供で白いチュニックを着ているのを見たという。食べ物を出しておいてやると、いつのまにかそれが消えている。モーキンは七年間妖精界にいるが、あとの七年間は人間界に戻りたいので、人間の食物が必要だということである。このモーキンは、「取り換え児(チェンジリング)」にされた人間の子供であり、のちになると妖精の国の食物を食べると人間界に戻れなくなるということがいわれるが、ここでは逆に人間界に戻るには人間の食物が必要ということが書かれている。食物は人の生存に関わる重要なものなので、この世とあの世の生存を決める要因になっているようである。

『妖精の系譜』 新書館


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石井鶴三の世界 №186 [文芸美術の森]

鳳凰堂 1963年/鳳凰堂・阿弥陀 1963年

       画家・彫刻家  石井鶴三

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鳳凰堂 1963年 (202×144)
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鳳凰堂・阿弥陀 1963年 (202×144)

**************  
【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】

明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。


『石井鶴三素描集』形文社

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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №50 [文芸美術の森]

第八章 晩年柏のアトリエ

   早稲田大学名誉教授  川崎 浹

漂泊人生の通路

 『小説なりゆくなれのはて』のアトリエ立ち退き事件が解決した昭和四十五年(一九七〇)の十二月、高島さんは、ひとまず仮住まいして、終の棲家をさがすことにした。私の母が通う教会の付属幼稚園の園長さんがアパートを経営していたので、高島さんはそこに部屋を借りた。画家の藁のベッドはふつうの住居では使用に耐えなかったので、布団やなにやかやが必要となり、私の友人の車で運んだ。新築同様のこぎれいな部屋だった。
 立ち退き事件のせいで秋の個展は開けないまま、前後まるまる七年間、昭和四十一年(一九六七)三月から四十九年(一九七四)二月までを過ごすことになった。もし立ち退き事件がなければ画家は増尾のアトリエでさらに数十点の佳作、名品を描いていただろう。これは高島野十郎一個人ではなく、貴重な文化財遺失の問題であり、いまも変わらぬ企業のエゴや無定見な開発を黙認する行政・司法や政治家たちの問題である。東京都内でさえ自然な緑の里山が年々消えてゆく現象は、増尾のアトリエ立ち退き事件以来、解消されることがない。
 話は戻るが、企業側が高島さんのアトリエ移転に積極的に立ち入り始めた昭和四十四年(一九六九)四月、増尾で女医の武藤ゆうさんが歯科医院を開業している。診療者から「すばらしい絵かきさんがいる」と聞いて、絵の好きな彼女がアトリエを訪れ、秋空を背にした枝先の真っ赤な柿が措かれている絵につよい印象をうけている。
 彼女は翌週夫の重喜をつれて行った。重喜さんは石川島播磨重工業のエンジニアで、ガストン・バシユラールの『蝋燭の焔』などを読み、画家の話し相手になった。高島さんは旅先から武藤氏にこんな手紙を出している。

 「京都は妙に心の袖を引く。行って見て帰って来ればすぐに行きたくなると言っても別に行きたい処はない。駅について何の気もなく自然に足の向かう処はきまっている。東山長楽寺の石段を登ってだれも居ない大きくもない閉め切られたお堂の前で一礼し横の鐘楼に行ってその釣鐘をつき鳴らしその響が京都市街の上空に渡って行った事をたしかめればそれで安心又駅まで下りて行きそれでおしまい。丁度出ようとしている東行きの汽車に飛び乗る。
 今日はまだ日も高いので大和路行きの電車に乗ってみる。新の口との叫び声にああそうかと急いで下車、駅から遠くない村の古いお寺で梅川忠兵衛の墓をさがしだす。来る人もなさそうで荒れてはいるがどうやらいささか大きな墓。住職の話では今年から中学の教科書に新の口村を出しているそうでこれから若い男女の来参がふえるだろぅと喜んでいた。暫く止んでいた梅雨がふり出してお線香の火が消えるので傘を差しかけていたがやっぱりぬれるままにしておく。その線香の煙が消えゆく先そのはるか彼方に青野山が雨にかすんでかすかに見える。大降りになった梅雨の中を急いで駅に行き吉野行きに乗る。青野山は花時でもなく紅葉の期でもないのでひっそりしている。遊覧客の影も殆どなく旅館や店は戸を閉め切ったまま、どこか奥の宿をさがして一夜を過ごすに好適、夜になると外に一つの燈火も見えず何の物音も聞こえてこず窓の電気を消すと窓の外黒い峯の上に十三夜の月だけが独り輝いている。どこからかキツネのつづみの音が聞こえて来るから心をすましていたらいつの間にか自分がねむりに落ちてしまった。
 ここは元来役の行者達が庵室を開いた処、この奥にはその行者の修験道場大峯険峯が連なっている。その先一たん熊野灘に落ちてその先に海ははてもなし。
 民衆は春は花秋は紅葉と集り来たって狂酔しているがそれはたぶらかされの空しい事、ここの冬山深雪の中に独り置き残された自拍子が打ち鳴らす鼓の音の狂乱が岩や樹々にしみ込んでこりかたまったのが春秋の期を得て咲き出すまでの事、ここのさくらは皆な白っぽい、陽色でない。
 役の小角はお母さんを鉢にのせてはてしない飛行に去って行ったそうだが海を越え海上冥土と過ぎアンドロメダの渦巻きに乗ったと思ってふと下を見るとそこは麓の久寺の上であった。そこでそっと鉢を下ろして据えたのがその寺の多宝塔、その塔女性の多宝不可思議の業を色々に示現しつづけて行き、寺の横を流れる小川の岸で小娘に洗濯させ雲の上の久米仙を射落としたり何とかかんとか。空海はその塔の下を掘ってみて大毘盧遮那成仏神変加持経を得て真言密教を開く事となる。
 吉野大峯高野は同じ一連の山系、久米寺は高野の根本道場
 南無大師遍照金剛」

 近年私は吉野山の桜をいちどは見たいと叶わぬ夢のつもりでいたが、春秋の花や紅葉はじつは冬の深雪の化粧にすぎないと知って、心が収まった。

『過激な隠遁~高島弥十郎評伝』 求龍社


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じゃがいもころんだⅡ №41 [文芸美術の森]

自由な時代

        エッセイスト  中村一枝

 今、テレビを見ていると、テレビというのは朝から世間のいろいろのことを残らずしゃべっているものだ。今の子どもは随分小さい時から世の中の事、大人の世界の話、何でも承知しているのだろう。それに比べると、私の幼い時代は情報というものがほとんどなかった。我が家はそれでもよその家より客が多かったから、その分、いくらかは幼な心にも世間の風が入ってきてはいたものの、大人の話から子どもなりに推測するしかなかったのだ。体の弱い私は家にいることが多かったから、その分、大人の話を聞いては自分なりにあれこれ考えもし、楽しみにしていたらしい。
 子どもの頃、父親が小説家だということに誇らしさと同時に、一種のひけめを感じていた事はどこかに書いた。よそのお父さんは白いワイシャツに背広を来て鞄を持ち、毎朝お勤めに出かけていく。うちのお父さんは朝遅く起きてきて、前を開けたままのドテラ姿で(子どもにはだらしない格好に見えた)起きてくる。(夜中に原稿を書いているなどと思ったこともない)父親の職業が小説家だということに一種の引け目を感じていたのだ。毎朝、白いワイシャツにかばんを持って出かけて行くお父さんはとてもかっこよく思えたものだ。 小説家などよりお父さんが勤め人げあることの方が身分が上だと思っていた。子ども心に背広を着ている人の方がどてらを着ている人よりも上等な人間だと思っていたふしがある。前にも一度書いた気がするが、一度、父の昔からの知り合いの男が、お手伝いさんと私が二人だけでいるときに玄関から上がりこんできてとても怖い思いをした。お手伝いさんと近くの交番に駆け込んだ。そのことで父が烈火の如く怒って、男を立ち入り禁止にしたことがある。
 父の子どもの育て方は行儀作法は二の次で、いやしいことだけはすべきではないという、それにつきるようだった。その教えは幼な心にも染み込んでいた。男の子だから、女の子だから、という感覚は父の中になかった気がする。そういう育てられ方をした覚えがまるでない。自由といえばこの上なく自由だったし、うるさい制約は、母からはあっても、父からはまるでなかった。
  母は昔気質の女性で、余りお転婆なこととか外遊びとかは禁止しないまでも、女の子は女の子らしくというのが本音だったのではないか。
 そのくせ、料理とか味付けは母よりも父の方が上手で、父の舌の絶妙さは子どもこころにも感じていた。
 もう何十年も前に亡くなった父のことを時折思いだすのは、多分、私がその父の時代に近づいた来たせいなのだろう。(年齢で言えば私のほうがずっと年上だ)今、あんな人はいないと思う。あの時代にしては、世間や時代の流れに左右されない、自分なりの識見を持っていたのだとつくづく思い知らされる。古き良き時代という言葉もあるが、古き良き時代は今よりすっと偏見がなかったと、つくづく思う。s

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エラワン哀歌 №1 [文芸美術の森]

あのころ

              詩人  志田道子
 
 かがみとかがみを合わせて
 かたがわから顔を突っこむと
 いくつものわたしの顔がそこにあった
 三人もいたし 五人もいたし
 それぞれが少しずつ違って
 わたしにはいっぱい
 きょうだいがいるみたい
 だれもいない家に帰っても
 きょうだいたちが待っていた
 それぞれがわれ血肌をもりていて
 しけんのときには答える役をぶんたんした
 算数のとくいな やすえ
 国語のせんせい なつこ
 お絵かき上手な かりん
 庭にはぶどうの棚があって
 かなぶんがやって来て
 葉っぱに穴がいっぱいあいて
 レースみたいになっていたけど
 秋にはむらさき色の実もつけた
 いっぱい いっぱい
 実をつけた

『エラワン哀歌 志田道子詩集』 土曜美術社


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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №57 [文芸美術の森]

                        歌川広重≪東海道五十三次≫シリーズ
            美術ジャーナリスト  斎藤陽一
                            第8回 「原・朝之富士」

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≪一転して朝の情景に≫

 前回の「沼津黄昏図」(第13図)の次に続くのが、この「原・朝之富士」(第14図)。沼津の夜景から一転して、晴れ渡った朝の光景となり、広重の場面転換は鮮やかです。このように広重は「東海道五十三次」シリーズを、「連続性」と「逆転性」を意識しながら制作しています。

 この原の宿あたりでは、ご覧のように雄大な富士山を眺めることが出来ます。現代の私たちも、東京から新幹線に乗り、京都や大阪に向かう時、右側に富士山が見えると何だか嬉しくなりますが、三島から沼津にかけて富士山が見えないところがありますね。東海道を西に旅する人も同じような気持ちだったのではないでしょうか。
 三島から沼津の東あたりの地形的に低い地域では、富士山は愛鷹山に隠れて見えないので、「富士隠れ」と呼ばれていました。ここに描かれた「原」は、沼津から1里半(約6km)ほど西に行ったところなので、ここに来ると、雄大な富士の姿を仰ぎ見ることが出来ます。
 広重は、画面の時間を「晴れやかな朝」に設定することで、その爽快な気分を表現しています。

 旅人と富士山との間にあるのは、「浮島ヶ原」という湿原です。現在は「浮島ヶ原自然公園」になっていますが、古来、富士山を背景にした風光明媚な場所として「歌枕」の地にもなっていました。ここを詠んだ西行の歌を紹介しておきます。

  いつとなき思ひは富士の煙にて起き伏す床(とこ)床や浮島が原   西 行

 (いつまでも思い焦がれるあの人への思いは、絶えることのない富士の煙のよう・・・私が起き伏しするところは浮島が原のように涙に濡れている。)

≪人物の描き分け≫

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 この絵では、浮島ケ原に足を止めて、富士を見ながら休んでいる3人の旅人が描かれています。旅をする二人の女と荷物をかつぐ供の男です。女たちは母娘のように見えます。年配の女性は煙管(きせる)を持っていますから、素晴らしい風景を見ながら一服しているのでしょう。ここは「歌枕」の地なので、広重は定番通り、二羽の鶴を配しています。

 広重はこの絵には「旅する女たち」を登場させました。この連作では、各図ごとに登場する人物もさまざまに描き分けられ、大人から子ども、男と女、武士から町人、農民と、ヴァラエティに富んでいます。

≪画面突き破りの構図≫

 広重は、朝日を浴びてほのかに赤く染まる富士山頂を思い切って画面の枠から突き出す、という構図にして、枠に納まり切れないほどの壮大さと、それを仰ぎ見る気分を表現しています。
 それにしても、この富士山のかたち、先輩・北斎描く「富嶽三十六景」中の「凱風快晴」(赤富士」や「山下白雨」(黒富士)とそっくりですね。

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 葛飾北斎(1760~1849)が「富嶽三十六景」シリーズを刊行したのが天保2年から3年にかけて、北斎71歳ごろのことです。このシリーズは、爆発的な大ヒットとなりました。
 37歳年下の歌川広重(1797~1858)が「東海道五十三次」シリーズを世に出したのが、天保3年から4年。当時36~37歳。
 すなわち、北斎の「富嶽三十六景」と広重の「東海道五十三次」の刊行は、わずかに数年の違いしかない。ほとんど同時期と言ってもいい。
 ですから、後輩の広重は、当然ながら、北斎の「富嶽三十六景」を意識していたに違いありません。彼は、当時、浮世絵の大家となっていた北斎を尊敬していたようですし、その影響も受けています。一方では、今や自分の得意分野となった「名所絵」(風景画)では、先輩を乗り越えようというライバル心もあったに違いありません。
 枠を突き出して描いた富士山の姿には、広重のそんな思いも感じられます。

 「原・朝之富士」(第14図)の次は、吉原宿の手前あたりで一か所だけ富士山が左手に見える場所があり、そこを描いた「吉原左富士」(第15図)です。この絵には馬に乗って旅する子どもたちが描かれているのですが、絵だけを下に示すにとどめて解説は省略します。

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 次回は、「蒲原夜之雪」(第16図)を紹介します。

                                                                  





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往きは良い良い、帰りは……物語 №94 [文芸美術の森]

往きは良い良い、帰りは……物語
こふみ会通信 №94 (コロナ禍による在宅句会 その9)
「朧/朧月」「囀)」「目刺)」「竹の秋」
                俳句・こふみ会同人・コピーライター  多比羅 孝

当番幹事(すかんぽ氏&茘子さん)から連名で≪令和3年4月の句会≫の案内が届きました。
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●日程:出題  4月1日
    投句〆切は、4月14日(水)です。
    投句一覧は、4月17日(土)を目処に送信いたします。
    選句〆切は、21日(水)を予定しています。
    天句には、鑑賞コメントを簡潔に書いてください。
●兼題 ① 朧/朧月(おぼろ/おぼろづき)全般
    ② 囀(さえずり)
    ③ 目刺(めざし)
    ④ 竹の秋(たけのあき)
●投句先:すかんぽ iguana@love.email.ne.jp
     玲子 yokko@me.point.ne.jp
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【上記の通知によって作成・投句された今回の全作品】 17名  68句

【朧/朧月】
訪ねたる友不在なり月朧 (虚視)
迷い道どっちに出てる朧月 (舞蹴)
惚けたる母に添い寝の朧月 (鬼禿)
満開の枝を渡るやおぼろ月 (尚哉)
孫寝かし我も寝落ちす朧かな (小文)
芳香の 元をさがせば 朧月 (紅螺)
読み終えて朧障子に金の道 (下戸)
肩寄せる人あり月もおぼろにて (孝多)
山の端(は)もかすみてあわしおぼろ月 (玲滴)
角曲がるまで子ら見送れば月朧 (弥生)         
月島の朧曲ればまた朧 (すかんぽ)
朧月卒寿の母が手を合わす (華松)
見つめても見つめても見つからぬ朧かな (矢太)
君の手を探る探れど朧の夜 (茘子)        
朧夜の酒は手酌の温(ぬる)き燗 (可不可)
朧月ゆるりと流るシテの舞 (一遅)
商店街 シャッターかすかに 朧月 (兎子)

【囀】
囀を抱(だ)きかかえたる大樹かな (孝多)
囀りに舞踏への勧誘聴こえたり (尚哉)
囀りを 目を細め聴く 病み上がり (紅螺)
青春の甘き囀モーツアルト (舞蹴)
覚めてなほ囀り聞こゆ夢うつつ (弥生)
友を呼ぶ囀り哀れ窓を閉め (華松)
カタカナの声ひらがなの声囀れり (すかんぽ)
囀や木漏れ日踊る白き皿 (茘子)
こどもらが 走って笑って 囀って (兎子)
囀りを聞く人生の端々で (可不可)
囀や瞼閉じれば君がいる (矢太)      
女人来て今朝は囀りかまびすし (一遅)
鶯の初さえずりや藪の中 (玲滴)
銃声の途切れし空に囀れり (下戸)    
囀りやポニーテールの先揺らし (小文)
さえずりは一羽こそ良し群れるなよ (虚視)
囀りに誘はれ昇る 天の窓 (鬼禿)

【目刺】
ほほ刺しもありてあはれや目刺焼く (弥生)
骨のある奴めと呟き目刺食む (可不可)
残念です良いヤツでした目刺焼く (孝多)
日本酒と 目刺がくれる 幸福が (兎子)
見えるもの見えざるものや目刺の目 (矢太)
死に行くは所詮他人か目刺焼く (舞蹴)
目刺焼く朝の食卓侘び住まい (玲滴)
海荒れてやることもなし目刺食う (下戸)
眼玉無き頭からまず目刺喰う (虚視)
串を抜く痛み伝わる目刺しかな (華松)
行儀よし前へ倣えの目刺しかな (小文)
大海で育ち目刺し いま網の上 (鬼禿)
今は目刺 速い潮に乗った日々 (紅螺)
これ目刺逆向くやつはおらぬのか (尚哉)
海の香を残して青き目刺焼く (茘子)     
庭に七厘マイステイホーム目刺し焼く (一遅)
生きてきた証しぞ目刺反り返る (すかんぽ)      

【竹の秋】
夜をこめて風さわぐなり竹の秋 (玲滴)
命懸けのデモ続きけり竹の秋 (可不可)
柔道着一列駆け行く竹の秋 (孝多)
人に言えぬ恋捨てにきし竹の秋 (茘子)
雨が来て何かが変わる竹の秋 (舞蹴)
迷い込む 里山の先の 竹の秋 (兎子)
青空を底から見上げ竹の秋 (一遅)
又一人くるくるくるちる 竹の秋 (鬼禿)
生き方は消え方らしき竹の秋 (下戸)      
さわさわと花に被さる竹の秋 (華松)
竹の秋土竜の塚の柔き土 (小文)
笹砕き当て無く歩き竹の秋 (虚視)
白髪は白髪のまま竹の秋 (すかんぽ)        
手をつなぎ ぬかるみ歩く 竹の秋 (紅螺)
縦棒のつよく並びて竹の秋 (尚哉)
天に向かって逃げて行きたし竹の秋 (矢太)
風早峠越へて一村竹の秋 (弥生)
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【天句鑑賞】
●山の端(は)もかすみてあわしおぼろ月(玲滴)
鑑賞短文=まるで一幅の日本画を見るような古典的な美しい句。(弥生)

●見つめても見つめても見つからぬ朧かな(矢太)
鑑賞短文=朧なるもの正体や如何に(可不可)

●朧夜の酒は手酌の温(ぬる)き燗(可不可)
鑑賞短文=こんな夜は熱燗でも冷酒でもないんです。一人ゆるゆると温燗で酩酊するのです。でもお供したいです。(小文)

●朧月ゆるりと流るシテの舞(一遅)
鑑賞短文=夢かうつつか、それとも、生と死の重なり合うところの情景か。(尚哉)

●囀を抱(だ)きかかえたる大樹かな(孝多)
鑑賞短文=耳を刺す大群の囀も、大樹に抱かれれば天上の調となる(虚視)
鑑賞短文=大樹を塒にしている小鳥たちの姿が想像でき、さえずる小鳥と大樹の対比がいいと思いました。(玲滴)

●カタカナの声ひらがなの声囀れり(すかんぽ)
鑑賞短文=敬服します。手垢のついた表現を避けようとする追究心。芭蕉さんも言って居られます。『新しみは俳諧の花』と。秀句を示して頂き、有難うございました。(孝多)

●囀りを聞く人生の端々で(可不可)
鑑賞短文=この季節、当り前のように鳥は毎朝さえずっているはずだ。でも、それを耳にして囀と感慨深く感じる事は、そうはあるものではない。「人生の端々」でが、絶妙と感服しました。(すかんぽ)

●これ目刺逆向くやつはおらぬのか(尚哉)
鑑賞短文=この句があれば、ただの目刺の顔がとぼけた政治家の顔に見えてくる。ユーモラスでいて、奥深い滋味がある。とても印象深い句です。(下戸)

●海の香を残して青き目刺焼く(茘子)
鑑賞短文=かつて目刺しは海にいた、という類句はいくつかありましたが、これがいちばんきれい。目刺しを焼く人物の、暮らしの美を感じます。(一遅)
鑑賞短文=晴れやかな余韻です。コロナの鬱々も生臭さも消してくださいました。(華松)

●生きてきた証しぞ目刺反り返る(すかんぽ)
鑑賞短文=目刺って考えてみると、すごい名前。小さいのに精一杯生きてきたこの魚の意地が見事に出てる。目刺という題から逃げずに読んだその心意気にも拍手。(舞蹴)

●雨が来て何かが変わる竹の秋(舞蹴)
鑑賞短文=季語「竹の秋」の持つ繊細さ違和感を「雨が来て~変わる」という日常的な事項で不安感に繋いでいる 怖い句です。今日的・うまい。
又【地句】の月島~朧の句の「月尽くし」の巧妙さに敬服。(鬼禿)

●青空を底から見上げ竹の秋(一遅)
鑑賞短文=閉塞感からの希望を感じました。空は青く、みずみずしく、目に痛いようです。(兎子)

●又一人くるくるくるちる 竹の秋(鬼禿)
鑑賞短文=ここ数年の逝った友がくるくると、蘇る。悲しいぞ。(矢太)

●生き方は消え方らしき竹の秋(下戸)
暗誦短文=どきっとしました。この句はとても印象深く、新緑の中、秋を迎えるその心、深い句だと思いました。(茘子)

●竹の秋土竜の塚の柔き土(小文)
鑑賞短文=早春の原、土竜が塚から顔を出す  心安らぐ情景を詠んで秀逸です。(紅螺)
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【幹事より、ひとこと】
17名の皆さんが、それぞれの思いによって「天」の句を選びました。それぞれです。ですから『天』に輝いた句が15句にも及びました。選が割れた、という、表現がよろしいかどうか、ですが、そんな伯仲した中で、やはり4句とも何らかの選に入った句を作った、孝多さんが抜け出したという結果です。割れるって貴重なことだと思います。(すかんぽ&茘子)
【今月の成績一覧】
トータルの天=孝多・41点
 代表句=囀りを抱(だ)きかかえたる大樹かな
トータルの地=すかんぽ・38点
  代表句=カタカナの声ひらがなの声囀れり
トータルの人=茘子・35点
  代表句=海の香を残して青き目刺焼く
トータルの次点=下戸・33点
  代表句=生き方は消え方らしき竹の秋
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◆俳句は座の文芸である。と言われて居ります。オンラインも良いのですけど……みんなと顔を合わせて、やいのやいのが、楽しいんですよね。座の復活を祈るや切!! お元気に。(孝多)

◆追伸・お願い◆
次回、幹事を勤めてくださる方にはお願いがあります。
今月のこのページに載っているような『幹事より、ひとこと』について、です。
「トータルの結果」とか、「兼題を決めたときのウラ話」とか、「3密にならない吟行の試案」とか、「句集の出版計画」とか、「短冊の復活案」とか、「幹事として味わった様々なこと」とかを200字ほどの文章にまとめて書いていただけませんか。もちろん、これまでにも「トータルの結果」の感想などは選句結果と一緒に送ってくださっていましたね。ネットのこあみ句会も形が整ってきましたので、次回からは『幹事より、ひと言』を『往きは良い良い帰りは……物語』の定番のコーナーにしたいと思うのです。
こふみ会の更に一層の面白さUP のために、どうぞよろしく。お頼み申します。
                                    多比羅孝多敬白  (令和3年5月1日)
                                                       


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地球千鳥足 №142 [雑木林の四季]

ミス・チリの嘆き ~チリ共和国~  

   グローバル教育者・小川地球村塾塾長  小川彩子 

 南米チリの北方、サン・ペドロ・デ・アタカマはチリにおける最古の町で、アタカマ砂漠にあり、アタカマ砂漠は世界3大砂漠の1つだ。海抜2400mの不毛の荒地に人がやってきて、お金が集まる時代になったのだ。自然に出来た地形が月面のクレーターのように見えるので「月の砂漠」とも呼ばれる。岩肌の表面を掘ってみれば岩塩の層で形成されている。この乾燥地帯に髪黒々とした少女のミイラが発掘されてこの地が一躍有名になった。博物館ではミス・チリと親しまれており、周辺には岩塩湖、温泉、間欠泉群もある。
 異様な風景を期待してやってきた筆者だが、山岳地ならさほど珍しくない風景に、観光的希少価値があるのだろうかと現地に来て疑問を感じた。ある写真家の山岳写真が月面に似ているということで宣伝に一役買い、観光業者が目をつけたのだろうか、溢れる観光客をさばき切れず、適当な対処で儲け主義に徹した対応が目立った。旅行客対応しかり、粗末な宿泊施設、埃だらけのじゃり道、砂漠なのにエアコンの無いミニバス、等にひきかえ、周辺の宿屋食堂を含めてお値段だけが先進国並みだった。地球観光に飽きて、もう行く所のなくなったお客ならいざ知らず、宣伝に踊らされて来てがっかりした客も少なからずいた。我々夫婦が訪問したのは10年以上前だが、現地の観光案内所でクレーム投書の多さに驚いた。「注意しろ!」、「警告!」の行列で、エゲツない商売への指摘で溢れていた。
 我々夫婦は別行動で観光の申し込みをした。山岳方面を選んだ夫はホテルでのピック・アップを忘れられ、その日1日を棒に振ってしまった。約束の日の早朝4時に待機していたというのに。サンライズから始まり、この地の名所の殆どを含む観光だった。会社の言い訳は、「出発日を間違えていた!」と。そして、「明日どうですか」と。遠隔地からの旅行者にとって1日がいかに重要か!常識を逸脱した態度に、「開いた口がふさがらなかった!」と夫。筆者の方は時間通りに迎えに来た。だが砂の舞う砂漠を何度も歩かせるのがこの地の観光法、高い観光費の割にはエアコンの無いバスに満杯の乗客、窓際は直射日光を遮るカーテンも無く、強烈な陽光が当たりっぱなしで病人や病気寸前の人が続出した。
 それにしても草木も無い殺風景な岩漠だけの地へなぜこうも世界中から人がくるのか?
筆者には少女のミイラの霊が地域活性化のために人々を招くのではないかと思えた。彼女が育った時代の貧しい暮らしを人々に知ってもらいたくて。だが、月の表面のような異次元的風景だけが強調され、彼女や当時の生活事情は紹介されない。村のメイン・ストリートになっている土地で、ミス・チリたちはどんな暮らしをしていただろう?当時の生活を伝える工夫のない観光業者の暴利商法合戦をミイラたちは嘆いているに違いない。ミス・チリの額にケンが見られたのは気のせいだっただろうか?
 その後とある新聞記事で、この少女ミイラがアタと命名され、ブラックマーケットで売られ個人所有になったと知った。アタの額のケンはより深くなり、「アタカマ恋しやチーリチリ」と、嘆きの涙に明け暮れているのではなかろうか?「ミス・チリはやはりアタカマに戻してあげたいなあ!」と同情が止まない今日この頃だ。

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月の表面のようなアタカマ砂漠
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ミス・チリ
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San Pedro de Atacamaにある考古学博物館で入手した記念品

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日めくり汀女俳句 №81 [ことだま五七五]

八月二十五日~八月二十七日

   俳句・中村汀女・文  中村一枝

八月二十五日
晩涼やひとりは去りぬいさざよく
          『芽木威あり』 晩涼=夏
 この夏に別荘地の中でカモシカに出逢った。この辺は昔は野生動物が数多くいたが、今では、狐、狸、兎、鹿も折々見かけるが、カモシカは珍しい。
 犬を連れて歩いていると傍らの草原の中に何かが仔んでいる。一瞬剥製(はくせい)が置いてあるのかと思った。モミアゲがぼさぼさっとしていて鹿ではない。犬は少しも気がつかない。
 彼女(?)はほんの少し私と目を見交わした後くるりと踵を返しより深い森の方に歩いていった。
 あっ、カモシカだと思った途端不思議な感動が胸をつつんでいった。

八月二十六日
子供等が露を叩いてやって来し
           『汀女句集』 露=秋
 子どもの頃、私は世の父親たちが毎朝、白いワイシャツにカバンを提げ、決まった時間に家を出ていく姿をとても羨ましく眺めていた。
 私の父(尾崎士郎)は朝からドテラだの浴衣の裾を引きずって、酒だと言うこともある。玄関には客がきていて、朝ご飯も慌ただしい。
 父はほとんど毎日、机の前で原稿用紙を広げきびしい顔で小説を書いている。それでわが家の暮らしが成り立っているなど考えたこともなかった。ひたすら、背広を着て全社に通うお父さんに憧れた。いつかそういう人と結婚したいと、ずっと思っていた。

八月二十七日
晩涼や運河の波のややあらく
          『汀女句集』 晩涼=夏
 汀女の句の中でも秀句の評判が高い。汀女は随筆にこう書いている。
 ……私は車窓から見えたことを書きたくても句帳を出すことが気がひけ、又こんなに揺れてゐては書けさうになくて、やっと今出来た空席に腰をおろした主人にそっとたのみました。「波たかくでせうか、あらくでせうか」
 「たかくなんていはないよ。あらくだね」…‥
 汀女と重喜は、決して仲のいいばかりの夫婦ではなかったと思うが、こういう光景はほほ笑ましい。この頃重喜は、妻の俳句の才能をひそかに誇りにもし嬉しくもあったはず、只男尊女卑の肥後の男は表向きは渋い顔だった。

『日めくり汀女俳句』 邑書林


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草木塔 №87 [ことだま五七五]

旅心 3

       俳人  種田山頭火

   宇平居

 石に水を、春の夜にする


   福沢先生旧邸

 その土蔵はそのままに青木の実

 ひつそり蕗のとうここで休まう

 人に逢はなくなりてより山のてふてふ

 ふつとふるさとのことが山椒の芽

 どこでも死ねるからだで春風


『草木塔』 青空文庫

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読むラジオ万能川柳 №110 [ことだま五七五]

   読む「ラジオ万能川柳」プレミアム☆ 4月14日、21日、28日放送分

       川柳家・コピーライター  水野タケシ

川柳家・水野タケシがパーソナリティーをつとめる、
読んで楽しむ・聴いて楽しむ・創って楽しむ。エフエムさがみの「ラジオ万能川柳」、
2021年4月14日放送分です。

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久しぶりの雨。。。

「ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)が
キャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、
毎週水曜日9時5分から放送しています。
エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらから!
https://fm839.com/program/p00000281
放送の音源・・・https://youtu.be/X18R8Gx37tQ

【お知らせ・その1】
エフエムさがみでは、5月9日(日)の母の日に、
特別番組「お母さんありがとう」を放送します!!
この番組では今、「お母さんありがとう」の気持ちを込めた川柳を大募集中です!!

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https://youtu.be/X18R8Gx37tQ

(みなさんの川柳)※敬称略  今週は232句の投稿がありました!
・川おとを聴きたくなって春の土手(名人・重田愛子)
・ 4割も支持が有ったとホッとする(名人・キャサリン)
・FMいーにわ短歌の番組(恵庭弘)
・誕生日ごとに一つ外れる蝶番(翔のんまな)
・シワたるみプチ整形じゃ収まらず(くろぽん)
・ジイと呼び返事しないのうちのパパ(名人・六文銭)
・わこりんの10倍書いても句は載らず(美ら小雪)
・朝一番大谷選手見て楽し(模名理座)
・何もしてないのにゴキブリたたかれる(名人・わこりん)
・新学期みんなマスクで自己紹介(名人・やんちゃん)
・春なのに北の空にはなごり雪(ぶたのはなこ)
・手術より心配になる入院費(大名人・フーマー)
・ぽんぽんとたんぽぽ踊る散歩道(芭南南)
・新入りの人柄を見るマスク柄(せきぼー)

☆タケシのヒント!
「『メガネは顔の一部です。(実は私の叔父が作った)』というキャッチコピーがありましたが、今ならマスクですね。「新」がつく季節ならではのお見事な一句でした。」

・本当にうまいものには声が出ず(おむすび)
・思い出は心へ残す記憶術(大名人・ポテコ)
・赤福は賞味期限が短すぎ(柳王・平谷妙子)
・さあこれでCM殺到松山に(味野素子) 
・三度目の正直になれ禁足令(パリっ子)
・眠気飛ぶ感動くれた英樹君(クッピー)
・手を合わせさいごのおねがい言う園児(じゅんじゅん)
・シケタ賞シケているからこそ嬉し(辰五郎)
・美智子さまお元気ならばそれだけで(桐山榮壽)
・現状に満足したら光見え(名人・はる)
・プールにもゴルフ場にも神がいた(柳王・春爺)
・布団から起き出す前に詠む一句(soji)
・沖縄の風を感じるわこりん句(大柳王・ユリコ)
・社の愚痴をタケシ師匠にぶちまける(しゃま)
・諦めぬ心が大事いつの日も(柳王・けんけん)
・相模原夜に増えそう県跨ぎ(大名人・アンリ)
・春眠やマスクはみ出す大あくび(名人・マルコ)
・花粉症治まりホントの春到来(のりりん)
・そのうちに「お釣り」も死語になるんだね(咲弥アン子)
・人脈は広く友達ないタイプ(柳王・荻笑)
・ 5時だけどめざまし嬉しホーホケキョ(名人・ペンギン)
・たんぽぽの飛べぬ綿毛もやがて咲く(柳王・入り江わに)

☆あさひろさんのボツのツボ
「ラジオ万能川柳。アベマTVの見方を教わり「川柳居酒屋なつみ」を見ることができるようになりました。最近はタケシ師匠も松也さんやゲストからいじられているようですねぇ。師匠も、常連客の雰囲気で早く画面に登場してもらいたいものです!今週のボツの壺『居酒屋の師匠の出番少な過ぎ』居酒屋たつみ。」

◎今週の一句・新入りの人柄を見るマスク柄(せきぼー)
◯2席・思い出は心に残す記憶術(大名人・ポテコ)
◯3席・赤福は賞味期限が短すぎ(柳王・平谷妙子)

【お知らせ・その2】
 絶好調、アベマTVの「川柳居酒屋なつみ」、
 おかげさまで、「川柳居酒屋なつみ」も3年目に入りました!!ありがとうございます!!
 女性お笑い芸人、ヒコロヒー&吉住前編、ご覧いただけましたか? 

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【放送後記】
前にもお話ししましたが、4月5月と大きなイベントが続きます。
発表できるようになりましたら、当ブログでも告知させていただきますので、
どうぞ見逃さずにチェックしてくださいね!! (タケシ拝)

◆4月21日放送分です。 
 
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終わったらテレビ朝日に行きます〜す(汗)

放送の音源・・・https://youtu.be/fvhPtoHYS_M

(みなさんの川柳)※敬称略  今週は203句の投稿がありました!
・電子音に返事しながら台所(名人・重田愛子)
・返納し徒歩で健康無公害(まご命)
・いい加減この世におさらばしてコロナ(浮世っ子)
・ピッカピカ祖父の頭とランドセル(東孝案)
・Gなんか札幌地下街居るらしい(恵庭弘)
・マスターズアナまで泣いたその瞬間(初投稿・ぽこにゃん)
・ワクチンの接種できるか不安だな(模名理座)
・阪神が勝つと野球が盛り上がる(おむすび)
・タンポポの畑渡っているゴジラ(バレリア)
・ヨシとジョー成果おそろの黒マスク(柳王・光ターン)
・コロナでもめげずご主人会いに行く(名人・龍龍龍)
・素朴だがタケノコ飯は祖母の味(名人・やんちゃん)
・脛はかじらぬが遺産は考える(たごティ)
・メール句会頭がさがるまとめ役(大名人・東海島田宿)
・Amazonに指一本で本を出す(柳王・入り江わに)
・耐える日が強さになる日来ますよに(ワイン鍋)

☆タケシのヒント!
「実感そして大共感の一句。今日の日が、強さになると信じて、前向きに生きていきましょう。川柳でつながりましょう。」

・おばさんも頭撫でられたい時が(柳王・平谷妙子)
・木を見たら桜が咲いた春が来た(ぶたのはなこ)
・孫自慢するから負けず倍返し(じゅんじゅん)
・マスクせず大きく泳ぐ鯉のぼり(名人・キャサリン)
・女子アナの出産ニュース要らんやろ(名人・どんぶらこ)
・コート脱ぎ鶯色のストールを(芭南南)
・赤福が気になりまして一週間(大名人・かたつむり)
・口角を上げる練習マスク内(名人 ・ぼうちゃん)
・無人販売 不快なカメラ(名人・不美子)
・フィリップの良さを夫に力説し(大柳王・ユリコ)
・小田急会師匠の票に超歓喜(しゃま)
・ゴールデンウィーク仕事しようかな(soji)
・打ってないワクチン打ってくれる医療者(ひと)(名人・ペンギン)
・朝は冬昼間は真夏体調変(のりりん)
・お食い初めたくさん呑むとはしゃぐ爺(大名人・アンリ)
・私の眼盗んで時計早まわり(柳王・けんけん)
・人間が飲めないものを海が飲む(咲弥アン子)
・フォローされラジオネームにキュンとする(恋するサボテンちゃん)
・イラストが万柳文庫載る予定(辰五郎)

☆あさひろさんのボツのツボ
「ラジオ万能川柳。コロナ禍でもZOOM句会がお盛ん。川柳子は(平均年齢の割に)IT技術を使いこなしておられます。今週のボツの壺『当たらずも遠からずでしょその顔は』おむすび。幼いころよくおふくろに言われました。さ~て そこで来週は久しぶりのお題です。 母の日にちなんで“母”。秀作期待してます。」

◎今週の一句・耐える日が強さになる日来ますよに(ワイン鍋)
◯2席・打ってないワクチン打ってくれる医療者(ひと)(名人・ペンギン)
◯3席・人間が飲めないものを海が飲む(咲弥アン子)

【お知らせ】
毎日新聞の万能川柳クラブ事務局がzoomミーティングを使ったイベントを考えてくれました!
5月22日(土)14時から開催の「仲畑流万能川柳zoomファンミーティング」です!
仲畑さんはもちろん世界中から参加されますよ!
zoom未体験の方もどうぞお気軽にご参加くださいね!

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【放送後記】
のりりんさんの句にもありますが、朝晩と日中の気温差がきついですね。
今日はほぼ一日中働き詰めなので、体調管理にはいっそう気を使おうと思います。(タケシ拝)

◆○4月28日の放送  

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明日からゴールデンウィーク

放送の音源・・・https://youtu.be/fL0y-6Gzpdk

【お知らせ・その1】
ライフルホームズでは昨日より
「おうち時間あるある」の川柳を大募集中!!
私も審査に参加しますよ!!
投稿はツイッターからのみ。

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(みなさんの川柳)※敬称略  
今週はお題「お母さんありがとう」で179句の投稿がありました!
・夢の中母の姿は若き日の(がんにんぼうず)
・まだ起きてもう起きていたおっかさん(翔のんまな)
・三世代の母マトリョーシカの如く(味野素子)
・お見合いで母の笑顔に惚れた父(名人・やんちゃん)
・ミシンふみ服を作るよ夜明けまで(ぶたのはなこ)
・大自然全てが母のように見え(美ら小雪)
・これ食べろあれ持っていてそれが母(大名人・荻笑)
・母想う自慢の息子なれたかな(金☆玉三郎)
・未使用の肩もみ券を捨てぬ母(東孝案)
・母さんの小言の意味が分かる歳(恵庭弘)
・嫌だった母の小言が欲しくなる(まご命)
・母の味再現出来ぬカジキ照り(パリっ子)
・母の日に健康感謝墓参り(くろぽん)
・雨が降る迎えの母の傘ひとつ(じゅんじゅん)

☆タケシのヒント!
「じゅんじゅんさん、これで3回目の秀逸、名人昇進です。おめでとうございます。映像が見えてきて、雨の音も聞こえてきて、しかもお母さんのやさしさまで伝わってきます。素晴らしい句です。おめでとうございます。」

・わたくしの介護に耐えてくれた義母(たごティ)
・旨いのは母の握りし塩むすび(模名理座)
・ありがとう句が浮かばない親不孝(柳王・入り江わに)
・夢に出た母と話をしてみたい(名人・六文銭)
・母ちゃんと用もないのに呼んでみる(柳王・春爺)
・今日だけはお仏壇にもカーネーション(名人・どんぶらこ)
・児がくれた紙の指輪は宝物(名人・はる)
・母親の愛を感じた反抗期(大名人・アンリ)
・母だって試行錯誤の日々だった(ワイン鍋)
・母美人娘(オラ)が似たのは大根脚(ふといあし)(メン子)
・パソコンもスマホモなしに母独居(大名人・フーマー)
・鼻歌にハモってくるのうちの母(柳王・光ターン)
・別れ際母の握手が長くなる(名人・マルコ)
・カーネーションごときじゃ足りぬありがたさ(大名人・龍龍龍)
・親孝行母より長く生きたこと(soji)
・お煮しめと洗剤のにおいの割烹着(司会者=名人・あさひろ)

☆あさひろさんのボツのツボ
「ラジオ万能川柳。お題【お母さん ありがとう】に179句。シルバー世代も母の句は半世紀前の子供目線に戻り、その頃の“味と小言”は身に染みているようですね。ボツの壺『母の日と気付き電話を切る詐欺師』雷作。尊敬・感謝の表現の中にこの言葉がこようとは。特番『お母さんありがとう』は9日AM11時~。」

・臥す母が苺の匂い嗅ぎ笑う(咲弥アン子)
・母がしてくれる耳掻き好きでした(大柳王・ユリコ)
・母の日に贈ったセーター今わが身(初投稿・ のん)
・マダムジュジュだけでも綺麗だった母(柳王・けんけん)
・千里眼持っていたのねお母さん(名人・ペンギン)
・まだ言えぬ実家の母に倒産を(恋するサボテンちゃん)

◯今週の一句・雨が降る迎えの母の傘ひとつ(じゅんじゅん)
◯2席・わたくしの介護に耐えてくれた義母(たごティ)
◯3席・別れ際母の握手が長くなる(名人・マルコ)

【お知らせ・その2】
絶好調「川柳居酒屋なつみ」、
今週金曜日夜0時50分から、テレビ朝日で、
いま日本で一番忙しいお笑い芸人、
マヂカルラブリー前編が放送されます!!
後編はすぐ、アベマTVで放送されます!!
川柳も大変盛り上がりましたので、ぜひご覧くださいね!!

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【放送後記】
本当に残念なことに二年連続の緊急事態のゴールデンウィークとなってしまいました。
来年こそは外でパーーッ!と楽しjくやりたいなあ(タケシ拝)
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水野タケシ(みずの・たけし)
1965年生まれ。コピーライター、川柳家。東京都出身。
ブログ「水野タケシの超万能川柳!!」 http://ameblo.jp/takeshi-0719/ 










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雑記帳2021-5-1 [代表・玲子の雑記帳]

2021-5-1
◆江戸城外堀歩きは4回目。漸く古地図が読めるようになりました。今回はJR四谷駅から水道橋駅までを歩きます。

前回、JR中央線の四ツ谷駅の麹町口で四谷門の石垣を見たところからの出発です。
四谷門は江戸城外堀の門のなかでも大きい門でした。現在の新四谷見附橋の場所に橋がかかっており、その東粟にありました。今も城門の一部が残っています。

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四ツ谷駅
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四谷見附橋からJR中央線を見下ろす

江戸時代、五街道の一つ、甲州街道は江戸から甲府を経て下諏訪まで続いていました。四谷門をう回して道は直線ではなかったのですが、大正2年(1913)に四谷門跡の道の敷き直しが行われ、それまでの屈折した道から一直線になったのでした。
甲州街道の敷き直しにともなって、四谷見附橋が外堀に架けられました。

橋をわたった四谷駅の北側の外堀は埋め立てられて鉄道用地と外堀公園になっています。
外濠公園は、江戸城外濠の土手や濠の跡を利用して作られており、堀に沿ってJR中央線四谷駅北側から飯田橋駅付近までの約2kmにわたって細長く続いています。

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外堀公園入口

公園入口に立って道路向かい側に一番に目にはいるのが、ひときわ高いCOMORE YOTSUYAです。
約2.4ヘクタールの土地にオフィスやマンション、商業、教育などのはいる複合施設です。災害時には帰宅困難者の一時滞在場所や地域住民の一時集合場所にもなります。名前は「木漏れ日」と「common 」をかけた造語だそうです。元四谷第三小学校跡に建ち、工事中に江戸時代の町や糀室が出土しましたが、埋め戻されています。

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COMORE YOTSUYA

入口を入ってほどなく土木学会の建物が見えてきました。
土木事業の発展と技術者の育成目的とする土木学会は、全国の橋梁の状態を定期的に調査し、必要があれば整備の要請もするという所です。その土木学会の本部がこの外堀公園にあるというのも縁を感じますね。

外堀は四谷門のあった場所が最高地点で、そこから南北に水が流れ下っていました。従って、外堀沿いの道も下り坂になっています。現在メグミルクの本社がある所に旗本高力家の屋敷があったことから高力坂と呼ばれていました。長い、緩やかな坂です。

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高力坂

まもなくJR市ヶ谷駅。駅は市ヶ谷門の跡地にたっているのです。地下鉄南北線市ヶ谷駅構内には江戸歴史散歩コーナーがあり、南北線建設工事の時に発掘された江戸城の石垣が復元、展示されています。

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堀のむこうに見えるのがJR市ヶ谷駅

亀岡八幡宮は全国に数多くありますが、市ヶ谷の亀岡八幡宮は太田道灌が鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請して建てたと伝えられています。令和の今も地域住民の信仰を集めているほか、新宿区に残る江戸時代唯一の銅の鳥居や狛犬、境内の力石、几号水準点(水鉢台座)など、見るものはたくさんあります。(ちなみに都内には37か所の几号水準点が現存しています。)周辺は尾張徳川家の屋敷跡、辿っていけば佐内坂です。

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亀岡八幡宮

外堀側から見れば、この辺りから東に向かって神楽坂まで、台地がせり出しているのがよくわかります。それに伴って幾筋もの坂が見えます。いわく、左内坂、浄瑠璃坂、逢坂、庚嶺坂(ゆれいざか)、神楽坂の中にも坂は何本もあります。そして、それぞれに係わった人や事件が伝わっているのです。
奈良時代の武蔵守と少女の悲恋が伝わる逢坂。近くには平将門伝説の残る築土神社。中国の梅の名所に因んだ庚嶺坂。浄瑠璃坂の仇討は、赤穂浪士が吉良邸に討ち入る30年前のことでした。この事件では仇討に成功した主人公を召しかかえた藩主がいましたが、忠臣蔵ではそうはいきませんでした。
庚嶺坂の上にある若宮八幡宮は、この神社の御神楽の音が坂まで聞こえたからだという、神楽坂の由来にもなっています。

神楽坂はかって花街として栄えました。今もお洒落な店や飲食店が立ち並び、若者でにぎわっています。
坂の上にある善国寺は商売や技芸の神様、毘沙門天として知られ、江戸時代から参拝客がたえません。毘沙門天は寅年のとらの刻生まれということから門前にいるのは狛犬ならぬ狛虎です。

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善国寺の狛虎(!)
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神蔵坂に4軒残る料亭のひとつ「うを徳」

お昼は路地の「鳥茶屋」で親子御膳を。江戸風のしっかりした味付けは、関西風とは言っているものの、これはくだらない味かなあと思いました。

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鳥茶屋の親子御前

「くだらない」は決して差別用語ではありません。江戸時代、上方から荷揚げされる品々は下り物と呼ばれ、対する江戸産の品々はくだらない物でした。初期にはくだらない物はその名の通り、品質は劣っていましたが、江戸の人口がふえるにつれて made in Edoも腕を磨き、下らない物は次第に上方の下り物を凌駕していくことになったのです。

JR中央線の飯田橋駅は長かった改修工事を終え、すっかり明るくなっていました。
ここには牛込門がありました。牛込の名はかって牛の牧場があったことに由来しています。台地の名前も牛込台地。明治27年に御門跡に牛込駅ができ、関東大震災後に飯田橋駅になったのです。
駅に隣接する飯田橋セントラルプラザ(通称ラムラ)の1階には、千代田区と新宿区の境をしめすプレートが床に埋めこまれています。
そして、現在のJR中央線と総武線は外堀の土塁の上に敷かれているのです。

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ラムラのステンドグラスは今の若者には珍しいとあって人気らしい。
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新宿区と中央区の区境のプレート

水戸徳川家の上屋敷は外堀の北側にありました。明治時代にはそのほとんどが陸軍の兵器工場である東京砲兵工廠になりました。関東大震災で砲兵工廠は小倉に移転、その跡地は現在、東京ドームやホテルになっています。

その上屋敷の庭園が今の小石川後楽園です。東京ドームに隣接する、東京で最も歴史のある都立庭園です。上屋敷が兵器工場になるにあたり、工場建設に係わったフランス人ジョルジュ・ド・ボーンが時の宰相、山形有朋に保存を強く訴えたことにより、現在まで庭園が残ることになったのでした。この小石川後楽園の塀の石垣には江戸城外堀の石垣の石が使われています。

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小石川後楽園の塀には外堀の石が使われている。

水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて築いた庭園を、嫡子の光圀が改修、明の遺臣朱舜水(朱之瑜)の選名によって「後楽園」と命名して完成させました。名前の由来は中国の「岳陽楼記」の「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から名づけられたといわれています。光圀の中国趣味は随所に現われています。コロナ禍で残念ながら休園していましたが、隣接する遊歩道を歩いて庭園を偲びました。

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小石川後楽園横の緑道公園

水戸徳川家の門の正面には小石川門がありました。そのあと地に架けられている鉄橋は1904年製のドイツ、ハーコート社のものです。
明治時代、鉄道建設が始まった日本では、土木技術を諸外国にたよっており、ハーコートは甲武鉄道にも採用されました。会社はなくなりましたが、技術は100年以上たった今でも現役です。旧甲武鉄道の昌平橋や万世橋に同じものがあるということです。
土木技術を頼られた当時のお雇い外国人技術者たちは、競って自国の技術を導入しました。面白いところでは私の郷里、愛媛県の別子銅山(今、マイイトピア別子)にもハーコート社の鉄橋が残っています。

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水道橋駅近くのハーコート社聖の鉄橋

この地点で、日本橋川と神田川が合流しています。先日の日本橋川クルーズでは川面から合流点を見ましたが、今度は橋の上から眺めることができました。橋の名前は三崎橋。おなじみのゴミ運搬船も橋の上から撮ったほうがきれいに撮れました。

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ゴミ運搬船と曳舟

ここまでくれば終点の水道橋駅はすぐそばです。
駅は明治37年に甲武鉄道がお茶の水まで延長したときに、江戸城外堀の土塁の上にできました。

今回の旅の終わりは水道橋駅そばの三崎稲荷神社。
2代将軍秀忠の時代、神田川の改修・整備を命じられたのは伊達藩でしたが、そのおり、藩主伊達綱村は工事の無事を三崎神社に祈願しました。無事完成したのちに綱村は新たに土地を寄進し社殿を新築しました。その場所が外堀の土塁の上にあったことから、明治37年の水道橋駅建設あたり、現在の場所に移転したのでした。旅の安全を祈ったり、無事の帰還を報告するにぴったりではありませんか。

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三崎稲荷神社

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私の中の一期一会 №236 [雑木林の四季]

        ワクチン接種率、日本がOECD加盟37カ国で最下位とは情けない!
    ~ワクチン接種の遅れに国民は苛立っている。五輪より感染拡大防止が先だ~

        アナウンサー&キャスター  藤田和弘                                        

 最近、友人たちから「ワクチン接種、予約はとれたか?」という電話やメールが届くことが多くなった。
 東京目黒区に住むアナウンス部同期の女性は「娘がライン予約で大きな体育館での予約をしてくれた。
5月12日に接種です」というメールを寄越した。
「2回目もとれたよ」という友人の電話もあり、思わず「ウソ!」と声が出てしまった。
 私の住む千葉市は,80歳以上の高齢者を優先に〝医療機関での個別接種”か〝公共施設での集団接種”のいずれかでワクチン接種が行われることになっている。
 4月21日から高齢者への接種が始まったのに、私の所にワクチン接種券が届いたのはギリギリの4月20日であった 
 22日はかかりつけ医の受診日だったので、早速申し込んだが「接種は6月下旬になるでしょう。でも早いほうですよ」と言われ、拍子抜けの気分を味合わされた。
 英オックスフォード大学の研究者等がまとめたデータによると、4月25日までに世界全体のワクチン接種回数は約10億回を超えている。
 しかし、その殆どが先進国で、所得の低い途上国などでの接種は殆ど進んでいない。
〝ワクチン配分の不均衡”は、世界の現実だということが分った。
 今月25日までに投与された凡そ10億1000万回のうち・・
 2億2500万回がアメリカでの接種回数で、モチロン世界で1位だ。
 2億2000万回の中国が第2位。
 3位のインドは、1億3800万回。
 英国が4500万回で続く・・・
 その中で、接種率が最も高いのはブータン王国だと知って、ちょっとビックリした。
 ブータンでは3月下旬に投与を開始、全人口の75%が少なくとも1回のワクチン接種を経験しているという。ワクチンはインドから提供されたものとのこと。
 オックスフォード大学の統計サイトをみると
 人口に占めるワクチン接種者の割合は4月20日現在で、日本はOECD加盟37カ国の中では最下位である。
、この国はたったの1.1%でしかない。ガックリくる・・というより情けないデータだと思った。
 人口に占めるワクチン接種者の割合は、イスラエルが62%で世界中で最も高い。
 英国は48.7%、チリ40.7%、米国39.9%などが上位を占めている。
 日本がたったの1.1%だなんて・・・こんなことでいいのか!
 ワクチン接種の大巾な遅れに、いま日本国民は苛立っているとみて間違いない。
 安全性に慎重過ぎたかも知れないが、日本のワクチン接種開始が主要国の中では際だって遅かったのは事実である。
 アメリカでは昨年12月24日に接種を開始している。
 今年の1月26日時点のデータを見ると、アメリカは約1カ月ですでに2184万回のワクチン接種を済ませていた。
 日本で医療従事者への先行接種が行われたのは2月中旬だったから、高齢者を含む一般国民に接種の順番が回ってくるのが遅れている。
 今は緊急事態宣言の真っ只中だが、宣言の効果を期待している国民は少ないのではないか。
 コロナ危機を乗り切るには、今のところ「ワクチン」しかないというのが世界共通の常識だろう。
 中国は世界で2番目に接種回数が多い国だが、自国製ワクチンを東南アジア諸国に提供して「ワクチン外交」を展開している。
 英国、イスラエル、ドイツ、イタリア、ロシア、インド、インドネシアなどは〝ワクチン先進国”になっている。
 厚労省が公表しているコロナの発症動向によると、コロナで死亡した人の96%は60歳以上が占めている。
 一般に高齢者は持病を抱えている人が多く体力、免疫力も衰えている。
 感染症に対する抵抗力も低い。
 こうしたリスクの高い人達の治療にあたる医療機関の負担を減らすためにも、高齢者へのワクチン接種は欠かせない。
 だとすれば、ワクチン接種率を上げていくしかないのではないか・・それも急いで!
 ワクチン接種の調整役は河野太郎担当大臣だが、菅首相の「全ての高齢者が、7月末までに2回の接種を終えるよう取り組みたい」という23日の発言を受け多忙を極めているらしい。
 これまで、ワクチン接種の完了時期については、全国の市町村の計画がバラバラなため一律の日程を示せなかった。
 全国の自治体の3分の1は接種完了を〝8月以降”としていたという。
 変異株による感染拡大でワクチンへの期待はますます高まっている。
 にも拘らず、4月のワクチン供給量は極めて限定的だった。
 一部の高齢者にしかワクチンが届かなかったのである。
 そうした現状を見た政府から「7月末までに・・」という指示が出されたものとみられる。
 河野大臣によると・・
 日本が2月にワクチン接種を開始した頃、ファイザー製ワクチンの需要が世界的に増え続けていた。
 ファイザーは一旦製造ラインを止め、増設に踏み切っていたのである。
 日本はその時期にぶつかったため必要量が揃わなかった。
 やっと、ラインも立ち上がったと聞くので、ゴールデンウィーク明けからは、毎週1000万回分づつ日本に入ってくる予定だ。
 これは3600万人の高齢者の半分が1回目を打てる量になる・・・
 今週から1741市町村の全てに、少なくともワクチン1箱が届くとのこと。
 連休中にも4000箱、5月10日からの週には1万6000箱(1872万回分)が各自治体に行きわたる予定だ。
 予定通りならば・・5月中旬から高齢者のワクチン接種が本格化することになる。
 接種の具体的なスケジュールなどはまだこれからではないのだろうか。
 東京・大阪に大規模接種会場を開設する計画だってどうかなるか、まだ分からない。
 医療体制が逼迫する中で、医師や看護師の応援がなければ迅速な接種など出来ないだろう。
 予定通りワクチンが供給されなかったらどうするんだろう・・・
 29日、東京で1027人の感染が確認された、1000人超えは1月28日以来3カ月ぶりだ。
 高齢者は84人、重症者は前日より5人増えて58人だった。
 千葉県内では152人が新たに感染、80代と90代の男性2人が死亡している。
 政府関係者でさえ「市町村や医師会が政府の要請についてきていない。ワクチン完了の7月中という期限は一種の賭けだ」という冷めた声もあると聞く。
「ワクチンを供給したのだから、あとは自治体の責任だ」というのだけはヤメテくれ!


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浜田山通信 №286 [雑木林の四季]

全ては脱成長から

        ジャーナリスト  野村勝美

 緊急事態宣言もまん延防止をはさんで三回目となると最初の頃に比べなんとなく緊張感が欠ける。盛り場は若者で溢れ、近くの公園も行き場のなくなった家族連れでいっぱいだ。東京都のコロナ感染者数は今回の第3波で4月28日発表で925人、増加傾向は変わらない。昨年の春頃、新型コロナは老人がかかるといちころだが、若者はカゼ程度で大したことはないと盛んに言われ、新宿歌舞伎町などが話題になった。その後変異ウイルスが発生し、若年層にも患者がふえ重症化するケースも出てきたが、いまも20~30代は新宿、渋谷など盛り場に溢れている。
 全国の感染者は合計4月27日現在577466人、うち死者も10087人。まさに非常事態なのだが、途中少しでも下火になったかのように見せかけようとマンボウなんて気楽なものをはさんだがだめ、あわてて第三次緊急事態を宣言せざるをえなくなった。奈良県などはGoToイート再開を宣言したが、これもひっこめることに。もっとも緊急事態宣言も、東京、大阪、兵庫、京都など4都県だけ。小池都知事などは「大阪で困っているならヘリコプターで東京に運べばいい。2時間で到着する」と。東京は重症患者の病床は、確保病床の37,8%で、余裕しゃくしゃく。
 TVのワイドショーーなどを見ていると、米大リーグ、エンジェルス大谷翔平選手のホームラントップで先発登板、ベーブルースの記録に100年ぶりに並ぶとか、40年を越えた福井県の関西電力美浜・高浜原発の再稼働を決めたとか、ビッグニュースが飛び込む。なんとなく違和感が残るのは、3年ばかり前”紀州のドン・ファン”事件で元妻が加害者として逮捕されたというニュース。新型コロナ、変異型コロナばかりだとうんざり感もあり、TVはこれに飛びついた。
 一方で、私がびっくりしたニュースもある。もっともこれはTVではない。斎藤幸平さんの『人新生の「資本論」』が20万部も売れ、新書大賞を受賞したこと。浜田山のサンブックスという書店では大賞受賞で10部ばかり入荷したが、すぐ売り切れた。坂本龍一、白井聡らに絶賛され、あっという間に時代の寵児になった。1987年生まれだからまだ30代前半、大阪市大の准教授だ。 気候変動、コロナ禍・・・だからこそ読者の気持ちにぴったりはまる。白水社のクセジュ文庫から出たセルジュ・ラトゥーシュ『脱成長』など帯に「『人新生の「資本論」』の斎藤幸平氏推薦!」と、まるでおんぶだっこだ。S.ラトゥーシュはパリ南大学名誉教授。1940年生まれ、フランスの脱成長運動の指導的存在だが、訳者中野佳裕によると「老いはどうにもならない」とひと言返事をうけたそうだ。私と10歳以上違うからよくわかるが、ラトゥーシュ『脱成長』も<持続可能な成長>のインチキ性を暴く論稿としてもっと読まれてよい。

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BS-TBS番組情報 №233 [雑木林の四季]

BS-TBS 2021年5月のおすすめ番組(上)

                                BS-TBS広報宣伝部

Style2030 賢者が映す未来

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2021年5月2日(日)午前11:00~12:00
2021年5月16日(日)午前11:00~12:00
★BS-TBSでSDGsのレギュラー番組がスタート!ジャーナリスト龍崎孝と各界の賢者が対談!新しい生き方を提案する。
出演:龍崎 孝(ジャーナリスト/流通経済大学副学長・教授)、皆川玲奈(TBSアナウンサー)
▼5月2日(日) #1
ゲスト:ヤマザキマリ(漫画家・文筆家)
SDGsの目標達成期限2030年に私たちの社会や暮らしはどうあるべきか?
ジャーナリストの龍崎孝が、「テルマエ・ロマエ」の作者であり、「異文化交流の賢者」である漫画家・ヤマザキマリ氏との対話を通じて、新しい生き方のヒントを探る。
ヤマザキ氏が注目するのは、「真の教養・教育」とは?さらに「平和と公正」をもたらす社会とは?
自身の海外生活の体験を通じて、古代ローマからコロナ禍の現代社会まで、時空を超えたユニークな視点で語る。
番組は「グラフィックレコーディング(グラレコ)」という手法をつかって、対談内容をリアルタイムで記録。ヤマ
ザキマリ氏の提言内容が、生き生きとした色彩豊かなイラストでまとめられる過程にも注目!
▼5月16日 #2
ゲスト:福岡伸一(生物学者)
SDGsの目標達成期限2030年に私たちの社会や暮らしはどうあるべきか?ジャーナリストの龍崎孝が、生物学者の福岡伸一氏との対話を通じて、新しい生き方のヒントを探る。
福岡伸一氏は自身のガラパゴス諸島滞在の経験などから、「海の豊かさ・陸の豊かさ」の重要性を力説。「必要以上に消費しない、所有しない」生物と「増え続ける生物」としての人間との比較や生物の進化の過程など、ユニークな視点から、未来の社会の在り方を論じる。「グラフィックレコーディング(グラレコ)」という手法をつかって、対談内容をリアルタイムで「見える化」する過程にも注目!福岡伸一氏が提言する「海と陸の豊か
さ」と人間との関係が、色彩豊かに広がる。

SDGs海洋スペシャル「ブルー・アース 生命の海」

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2021年5月2日(日)よる10:00~11:54
★海のメカニズムと生き物の営み、そこから見えてくる地球の未来とは!?
出演:毛利衛、さかなクン、山本里菜(TBSアナウンサー)
100万種に及ぶ生物を育み、地球環境を維持するのに重要な役割を担っている海。
宇宙から地球の青さを体験し、深海6500mに潜った毛利衛とさかなクンが、海の豊かさと生命の素晴らしさを伝える大型ネイチャー・ドキュメンタリー。
様々な海のSDGsから見えてくる地球の未来とは!?
番組では、クジラ母子の壮大な旅や、温暖化で危機に瀕したペンギン、ホッキョクグマの過酷な営みに密着。
温暖化の危機で、南極と北極の海にいま何が!?
JAMSTEC(海洋開発研究機構)の深海・北極海の調査や、さかなクンの東京湾プラごみ調査で明らかになった衝撃の事実とは?
日本の最先端技術が開発した「自然に還るプラスチック」なども紹介する。

皇室2021秘蔵映像SP 「愛」と「祈り」…妃殿下たちの新時代

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2021年5月15日(土)よる7:00~8:54
☆「愛」と「祈り」をテーマに秘蔵映像を発掘。上皇后美智子さま、皇后さま、プリンセスの華麗なるお姿と知られざるヒストリーを紐解きます。
司会:安住紳一郎(TBSアナウンサー)
昨年、天皇皇后両陛下はオンラインにより新型コロナ感染症に関して最前線の医療従事者から報告をお受けになりました。また東日本大震災10年の節目に際しては被災地にオンラインご訪問されました。コロナ禍の時代、直接ふれあうことが出来ない中でも困難な立場にいる国民に心を寄せる両陛下のお姿がありました。
眞子さま、佳子さまもオンライン公務で活動されています。このように皇室においてオンラインによる新たなご交流が生まれています。
番組では「愛と祈り」をテーマに秘蔵映像を発掘して、上皇后美智子さま、皇后さま、プリンセスの華麗なるお姿と知られざるヒストリーを紐解きます。
【安住アナウンサー宮内庁新浜(しんはま)鴨場を初取材…】
安住アナウンサーが訪れたのは千葉県市川市にある保護区の一部で、宮内庁が管轄している新浜(しんはま)鴨場。この鴨場は29年前天皇陛下が雅子さまにプロポーズした場所として知られるようになりました。鴨場はとても歴史のあるところで、伝統的な鴨猟が受け継がれ国際親善の場所として用いられてきました。おととしには秋篠宮家の眞子さまと佳子さまそろって外交団のおもてなしをされ話題になりました。鴨場とはいっ
たいどういうところでしょうか?番組では安住アナウンサーが初取材して紹介します。さらに伝統的な鴨猟とはどういうものか実演、そして鴨場にまつわる皇室秘話をお伝えします。
【ご成婚62年 美智子さま運命の出会い テニス仲間が語る秘話】
上皇さまと上皇后美智子さまのご成婚までの道のりを知るテニス仲間の福井淳之助さん。ご成婚前の知られざるエピソードが明かされます。当時皇太子殿下だった上皇さまが美智子さまと出会ったのが昭和32年に開かれた軽井沢のテニス大会でした。運命の出会いの翌年東京でテニスのミックストーナメントが開かれ、美智子さまと福井さんがペアを組むことになり上皇さまのペアと3回戦で対戦しました。その試合に勝った美智子さま福井さんペアは、美智子さまのご活躍で見事優勝します。実はこの時上皇さまが優勝カップを寄贈され、美智子さまと福井さんがそれぞれ持つことになりました。この貴重な優勝カップを見せて頂くことができました。
当時は民間から皇室にはいることが考えられない時代、この後ご結婚に至るまでは困難な道のりがありました。番組では美智子さまの苦悩と決意を紐解いていきます。


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バルタンの呟き №96 [雑木林の四季]

満月Full Moon

           映画監督  飯島敏宏

昏冥の中天に、まん丸な月が浮かんでいます。眼下には、疎らに並ぶ一筋の街灯と、幾何か漏れ出る家々の窓明かりの他には、灯る光もなく、見降ろせば、蒼い月光が、数々の屋根に降り注ぐ我が街が広がっています。眼下の街には人影もなく、ひたすらに、まるで息をひそめているように、静まり返っています。
深夜ではありません。このところ引き続いている乾ききった晴天がもたらした、見事な夕焼けが、ひとしきり、沈みゆく日の名残りのように、富士の頂を、あたかも白磁の皿一枚を頭上に置いたかと垣間見せて連なる丹沢の山並みのシルエットを際立たせて消えたばかりの、まだ宵の口なのです。
第三次緊急事態宣言とやらのゴールデンウイーク出だしの効果が、大方の予想を裏切ることなく、思わしくない感染蔓延状態で、Stay home ! の都府県知事の悲痛な声明に準じて(殉じて?)、あるいは、バイデン米大統領初の外国首脳直接招請に欣喜して飛び立った菅総理大臣初の直接外交経験の効果の不発、ファイザー薬品CEOとのワクチン交渉の曖昧感、その追い打ちに、直近の選挙戦で対野党三戦全敗、で連打されて、このところ頓に低姿勢(視線?)になった総理の、国民に対する声明ならぬお願い会見に、不承不承、或いは同情で、この街の住民の皆さんが、鎮(しん)と息を潜めて、何処へも行かずに、自家でお造りになったか或いは出前、宅配、お持ち帰り、での食事などなさっている光景なのです。 
僕の場合、ママ(カミさんのことです)が、ため息つきながら(かどうか不確かですが)宅配された素材に添付されて来た、電子レンジで自動簡単チン出来レシピ、を無視して、永年かけて会得した我流の味付けで造ってくれた食事を、昭和男の、口には出さねど感謝のこころ、をこめて済ませ、すでに一年間を超えた蟄居で、或いは加齢で、昨今殊さらに衰えた足腰のために、我が家からほんの100メートルほどの、昇る私道地道の、真ん中が、東京都と神奈川県の境となる森の石段を上り切って、昨秋の落ち葉枯れ敷くまま、古木は蔦に巻きつかれるままの丘の頂上に置かれた誰方かの善意の古びたプラスチックベンチに倒れ込んでの、息継ぎがてらの月見休憩、という訳なのです。
先ほどから、人通りが全くないのは、東京都知事神奈川県知事切望のリモートワーク、人間移動休止通達の徹底のせいなのでしょうか。最寄り駅まで徒歩15分の峠道です。僕が50年近く前(ああ!)にこの住宅地を買った時には、たった15分の道でも、雉や鶉、時には狸という尾根伝いの並木道でしたが、峠の先は、いまでは駅まで家が連なり、車も通り、小型ですが地域のバスも走るコンクリートの道を、ようやく30分で駅に至る程度の歩きざまになってしまいました。
ところで、卒爾ながら、full Moonが、満月の英語だとご存じでしたか? 恥かしながら、僕は、なんとこの歳になるまで、この見事に造形的な英単語を見知りませんでした。フルムーンとは、かつて交通公社(JTB)が新幹線旅行の目玉商品?として、熟年夫婦のグリーン車割引と温泉旅行を特典的に扱って普及したネーミングだったと思いますが、その比喩が単語と馴染みすぎて、満月の英語名だという事を、僕は、失念したのか、それとも全く知らなかったか、フルムーンがfull Moon由来で、満月の事だと、今にして気が付いたのです。

閑話休題、ここで、Go!to travel!to eat! キャンペーンに思いは跳びます。それにしても、この始末を、この第4波では,どうつけたら良いのでしょうか。いや、それよりも何よりも、2020改め2021東京オリンピック・パラリンピックです。
返上、或いは4年先へ、との声もあった昨年、2020を2021にと延期した安倍総理の衣鉢を継いで、つい先日まで、「人類が新型コロナウイルスを克服した証拠(あかし)として、開催します」と胸を張ってきた菅総理ですが、あと100日も切ってしまった今、新型コロナの方は、そうはさせじと、次々に変異しているにも関わらず「国民の皆さんの命と暮らしを守る・・・」こともままならず、経済効果インバウンド(inbound)どころか、開催によって、とんでもない変異コロナウイルス持ち込みのリバウンド(rebound)まで危ぶまれるゴールデンウイーク入りになってしまいました。今こそは、「鬼滅の刃」のためにではなく、「コロナ滅」の為に、専門家の方々のご意見を、「ながら聞き」するのではなく、おっしゃる通りしっかりと「全集中」して聴いて、対策に臨んで頂きたいものです。

以上が、フルムーン旅行も断念して、ママと二人、子も孫も訪ねることもできない、いまや手狭どころか広すぎるリビングホールで、ささやかにワイン一杯自家飲みして、小声での呟きです。 間違っても、知事が「来ないで!」と叫ぶ都心に、すでに手の足りない自衛隊医療班を都心に派遣して、テレワークの現役老人や、退役老人がワクチン求めて都心に押し寄せるような奇手の矛盾を、大声で叫びたいのを押し殺して・・・マスクしての呟きです。


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海の見る夢 №6 [雑木林の四季]

          海の見る夢
        -あたしはあたしー
            澁澤京子

 昔、友人Aがよく家に泊まりに来ていて(連泊もよくしていた)、ある日、私の部屋にあるプレヴェール詩集を見つけ、これはフランス語?と聞き、本をパラパラめくって短い詩を見つけた。
「これはなんて発音すればいいの?」
「ジュ スィ コム ジュ スィ・・っていうんじゃないの?」
高校の時、イギリスに留学していたAは英語は堪能だったけど、フランス語はまだ知らなかったのだ。

「ジュ スィ コム ジュ スィ・・ジュ スィ フェト コムサ!(あたしはあたし、あたしってこんな女よ!)」プレヴェールの『私は私よ』という詩。
Aは本を片手に、腰に片手をあてたり広げたりのジェスチャーを交え、いきなり蓮っ葉なフランスの女っぽく詩の朗読を始めた。Aのその様子があまりに可笑しかったので、私は涙を流して笑い転げた・・Aは中学からの同級生。かなりいい歳をした大人になっても、二人はまだごっこ遊びをしていたのだ・・「見栄っ張りで気取り屋の奥様ごっこ」「ダンディな叔父様ごっこ(これはAが得意で、眉をしかめて低音でしゃべるのが、ダンディな叔父様らしく見えると思っていた)」「男の子ごっこ(語尾に~だぜ、ぜ、をつけるだけ)」・・その他いろいろなごっこ遊び。フランス人ごっこもその一環。結構二人ともその気になって、役に成りきって陶酔していたものだった・・はっきり言って、すごいバカだったと思う。しかも、まさかその後Aが本当にフランス人と結婚するとは、いったい誰がその時想像したであろうか?人生って先がどうなるかまったくわからない・・

声色を真似るのがうまかったAは、その後フランス語も堪能に。Aを見ていると、語学上達にはモノマネの才能も案外役に立つのかもしれない、と思ってしまう。

この間『フランシス・ハ』と言う映画を観ていたら、仲のいい女子大生二人が「ねえ、久しぶりに喧嘩ごっこやらない?」と言って二人が路上でいきなり喧嘩ごっこをやるシーンがあり、アメリカにもいい歳をして、こういう幼稚な遊びをする女の子たちがいるんだ、となんだか懐かしかったのだ・・『フランシス・ハ』は、なかなか大人になりきれなくてもがいている女の子を描いた、秀逸な映画だと思う。なぜ「フランシス・ハ」というタイトルなのかはラストにわかるけど、オチもなかなかお洒落。

少女から大人の女になる途中の、一体何になったらいいのかわからない中途半端な時期。その気持ちはよくわかる・・音楽とか舞踊は才能の開花がとても早い。十代、二十代のごく早い時期に一生の仕事が決まってしまうようなところがあり、才能があって早くに道が決まり、それに向かって懸命に努力する人々を、若い時、私はとても羨ましく思っていた。(努力も才能の一つというけど、才能のある人にとって努力は苦でもなんでもないものなのだ)だから、『フランシス・ハ』の主人公がパッとしないダンサーという設定であるのも、なんだかとても共感できる・・

20歳を過ぎた頃、女友達でも優秀な人達は着々と好きなことを仕事にするための努力をしていたし、早くに結婚をして、すでにこのまま結婚生活を続けるか仕事をはじめるかで悩んでいる友人もいた・・「女の自立」が盛んに言われている一方で、私の周囲にはお見合いで結婚が決まっている友人もいた。また、いい人を見つけて結婚するのが女のゴールという、ジェーン・オースティンの小説のような時代の価値観を持っている女の子も少なくなかった。(18世紀イギリスの女性に相続権はなかったので)ジェーン・オースティンはそういった18世紀英国の保守的な価値観の中で、懸命に自由に生きようとする女性を描いたので時代を超えた今読んでも新鮮だし、男性の奴隷には決してならない彼女の小説の主人公たちは、自分をしっかりと持ってイキイキと生きているので今も十分に魅力的なのだ。

ちなみにジェーン・オースティンの小説を読んでいると、両親が出かけている留守に若い女の子や男の子たちが皆でシェークスピアなどの戯曲を自宅で練習し、衣装を縫い本格的に舞台を設置して、音楽の伴奏をつけて舞台を演じるシーンが出てきて、とても楽しそうなのである。ジェーン・オースティンはそういった18世紀英国の若い男女の遊びの時間に、さぞかし自作の戯曲でその才能を発揮したのだろう・・ジェーン・オースティンの従妹はマリー・アントワネットと舞踏会で一緒になったことがあるそうで、彼女はちょうどフランス革命前~革命後のイギリスに生きていたのだ。

ある時、やはりAが私の家に暫く泊っていたときのこと。私の両親はどこかに出かけていて、二人で「新春・かくし芸大会」をテレビで観ていたからお正月だったと思う。
「ああ・・芸人が羨ましいわ・・」とAがふとつぶやいた。テレビでは誰か芸人が綱渡り芸を披露していた。
「だって、綱渡りをやれと言われたら一生懸命それだけ練習すればいいのよ?・・私は綱渡りでもなんでもいい、一生懸命何かに打ち込みたい・・」Aの気持ちはわかる、と思った。何が美しいって、人が命がけで何かに打ち込んでいる姿ほど美しいものはない・・要するに二人ともこんな風にダラダラ毎日を過ごしているのが嫌だったのだ・・その頃、私もAもあまりに自由すぎて、とても空虚な日々を送っていたのだと思う。
「何というか、神の使命、ミッションみたいなものでしょう?」
「そう、神様にこれだって命令されたら、私、なんだってそれを命がけでやるわよ・・」
二人は並んで座って黙りこくったまま、「かくし芸大会」を見ていた。

それからしばらくたってAはフランスに行くことになり、私は結婚した。フランスから夫と子供を連れて帰ってきたAとよく御互いの子供を預けたり預かったりした・・子供が小さかったあの日々もすでに夢のように遠い。

成熟するとは、人と人が理解し合うのは困難であることを知ること。どんなに仲が良くても御互いに理解できないことはある。それがわかったときにはじめて、人の苦しみと悲しみには黙って寄り添うしかすべがないことがわかる。

「あたしはあたし」

「私」とは遺伝子の記憶の遠い過去から今までの歴史の総体なのである。それは決定されていて、同時に私たちは予想不可能で不安定な存在でもあるのだ。私の中にある膨大な記憶の倉庫、それが唯一無二の私であり、また想像と創造力の源泉にもなっている。

予想不可能を抱えているということは 絶えず不確実で不安定であるということだけど、不確実と不安定は同時に希望と力にもなるのだ。

そして、本当に幸福なのは、「あたしはあたし」、私のあるがままの状態でいるときだけだと知ることだろう・・そしてその唯一無二の私を黙って丸ごと受け入れてくれるのが、本当の愛なのだと思う。


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梟翁夜話 №86 [雑木林の四季]

「横になった芝浜」

           翻訳家  島村泰治

古典落語にこんな噺がある。

棒手振りの魚屋が、酒に溺れて身上を傾ける。ある年の暮れ、賢い女房に上手く仕組まれて浜に出た奴さん、八十両入りの財布を拾って帰る。またも賢い女房、企んで夢で拾ったと言ひ包めて亭主の尻を叩き浜へ追ひ返す。

酒を絶って魚屋稼業に精を出す奴さん、表通りに店を出すまで稼ぎまくる。三年後の年の暮れ、賢い女房が実はと拾った財布を見せる。酒っ気がなくなってゐた奴さん、聞いて鼻白んだものの、もういいからお飲みよとの女房の奨めに、それじゃと3年目の盃を捧げ酒に無沙汰を詫びて、いざ口に持っていくが、

「いや、止めとこ。また夢になっちゃいけねえから」

粋なオチが身上のこの噺、ご存知「芝浜」だ。名人三代目桂三木助の十八番で、芝の浜に日が上がる情景描写は、その水際だった話芸の凄さから他の噺家たちが怖気付いてこの噺を語らないといふ神話を生んだものだ。

その古典落語の真髄「芝浜」を英語の語り物に仕上げた奴がゐる。他ならぬこの筆者だ。仕上げるからには訳があり、それなりに成算もある。あるからこそ、「芝浜」の前後に名だたる古典落語の名作を横にして(英訳して)広く世界の落語好きのご機嫌を伺っている。

何を大仰なと腐す前に、筆者がそう思う根拠をお聴きくだされ。

まず原点に「英語は習うより慣れろ」というテーゼを認識願ひたいのだ。卑近な例で大相撲、碧山や照ノ富士など外つ国の力士の日本語の見事さに感じいらぬものはいなからう。きめの細かい言ひ回しから語り口まで、日本人かと聞き紛ふ日本語を操るのに驚く。あれは文句なしに学んだものではない。学んだのではなくひたすら慣れて覚えたものだ。

話の流れで、照ノ富士をネタに話を進めよう。序二段まで落ちて這ひ上がり、何と、華の大関の地位まで戻ってきた怪物である。落ちて這ひ戻った過程で辿った多難な道は想像を絶する。苦労の日々は汗と涙の日本語漬け、習うも覚えるもない、土俵の砂ごと擦り込まれた日本語は伊達な日本人の生半可な日本語をはるかに超えた「生活臭のある生の生活語」だったに違いない。相撲を落語に例へるならば、照ノ富士は落語特有な言葉を知り尽くした噺家になれる最右翼だ。

筆者が営々と古典落語を横にしている理由《わけ》がここにある。英語圏の潜在噺家向けに「生活臭のある生の生活語」を駆使した台本を創り、何時の日か、彼らの口から語られる古典落語の出現を夢見る、という想ひに凝り固まったのである。

さて、未来の外つ国噺家たちのために、一席伺えるような「生活臭のある生の英語」のネタ本が創れるか。筆者の夢はそこにある。圓朝の「心眼」を皮切りに、「井戸の茶碗」、「火焔太鼓」、「宿屋の富」と来て今「芝浜」。これから先さらに十二席を積み重ねる所存だ。

眼を閉じれば、わが身は疾うに世に亡きある未来、落語の粋に惚れ込んだ外つ国の噺家が、この中から「芝浜」いや、どれでもいい、好きな噺を語り込み、どこやら外つ国の寄席でうかがってる姿が浮かぶ。落語好きの外つ国人が満ち足りた様子で聞き惚れる様子も。

何の因果か英語の絡繰を覗き見たが故の、これは果てぬ夢、頃もよし、ひとひらの春の夢か



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