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地球千鳥足Ⅱ №45 [雑木林の四季]

死の谷、死のスピン

       小川地球村塾村長  小川律昭

 ワイフとラスヴェガスで待ち合わせをし、カリフォルニア州のデス・ヴアレー(死の谷)をドライブすることにした。私は成田からラスヴェガスに向かった。飛行機で見下ろすと砂漠に突然灯火の海が現れ、きらびやかなことこの上ない。これもアイデアと財宝投入して.-つの街を造った人間の業、目標意識と行動がセイジ・ブラシ(やまよもぎ)しか育たない砂漠を都会に変化させた際立った例であろう。
 空港やホテル、どこに行ってもスロットマシンが設置してある。さすがはギャンブルの街である。フラミンゴ・ホテルに一泊、真似事程度のギャンブルをした。ルーレットで二〇〇ドルを失うのに時間はかからなかった。やり方次第で楽しむことも出来ただろうが、面倒くさくなって賭ける札数を増やしたのは、止める潮時だったようだ。経験することに意義あり、だ。

 翌朝セイジ・ブラシ以外何もない荒地を走ること三時間、目的の死の谷に着いた。谷底を走る一本の道を挟んで白っぽい荒地が広がっている。奇妙な形の山肌あり、砂丘あり、乾いた塩の河や渓谷あり、涌き水あり。最北端のスコッティ・キャッスルとバッド・ウオーター問での七五キロに見どころが点在、もちろん、死の谷といえども小部落の民家も存在している。これは鉱山跡の名残であろうか。
 中心部ファーナス・クリークから一二マイル地点のストーン・ブリッジを見ての帰りだった。下りのジヤリ道で突然ブレーキがきかなくなった。加速して車が滑って行くではないか。どうしよう! どうして? どうしてブレーキがきかないの? 右足に力が入るが、車はさらに加速するのみ.ああ、横転するぞ。もうだめだ! ああ……。
 ハンドルにしがみついた剥郡、轟音とともに車がストップした。 一瞬意識を失っていた。気がつくと、フロント・ガラスがもうもうとした埃で真っ白になり、何も見えなくなった。ああ、何と車が止まったではないか。窓が閉まっていた車の中も攻でもうもうとしているJ何が起こったのか? ここは何処? 車はどちらを向いているのか、何もわからない。ワイフも「死ぬんだ!」と思ったのち意識が失せていた、と言う。

 動くかな、とエンジン・キーを回した。エンジンはかかり、アクセルを踏んだら前進した。その時フロント・ガラスの埃が取れた「何と車は逆に坂を上がる方向を向いているではないか。バックして車の方向転換し、さて前進しようとしたら車の前面から埃がドーッと内部に人づてきた。ワイフが「車が壊れたのでしょう!」と叫んだ。降りて調べたら、前輪左側タイヤのホイールとゴム部がはずれ、潰れてジャリの中に沈んでいる。同じ側の後輪もホイールとタイヤ間にジャリが数個食い込みパンクしそうな状態になっている。ようやく状況を把握した。ブレーキがきかなかつたのはローリング現象、スピ-ドとともにタイヤの表面のジャリが、一緒にくっついて回転し、摩擦抵抗が小さくなったせいだろう。さらにタイヤがジャリ道に食い込んで、かなりのジャリがタイヤ内に食い入り、パンクさせたのだろうか。下り坂ゆえ加速も手伝ってハンドルを取られ、スピン{回転)し、それで止まったことがわかった。「駄目だ!」「これまでか!」と剥那に去来した恐怖を思い出しゾーッとした。場合によっては横転を繰り返して車はつぶれ、「死の谷」の名のごとく死への旅立ちとなったに違いない。
 さて、パンクだけの被害とわかったものの、これからが大変。タイヤとジャッキを取り出した。アメリカでは初めての体験ゆえ、ジャッキの固定さえ不慣れで思案していたところ、通りかかったジープのおじさんたちが手伝ってくれた。というより、さっさとやってくれてタイヤ交換がほどなく終了。日本のスナック数袋を咄嗟にワイフが差し上げた。アメリカに住んでいたワイフのために日本から持参して車につんでいたものだ。おじさんたちはニコニコと手を振って走り去った。この出来事は我が運転生涯初めての経験であったしあのような恐怖の一瞬では理性も判断も利かない、ということを知った。ただ、運だけで救われた。神のご加護で「生」をいただいたと感謝した。

 ショックから覚めやらなかったが、途中、死の谷きっての景観地、ダンテス・ヴュー見学を抜かすわけにはいかない、とワイフが言い、上通路から外れること一三マイル、標高一六六五メートルの高地に向かった。標高差一〇〇〇メートル、夕暮れ時に上る車は私たちの一台のみ、もう七時近くですれ違う車は一台もない。二人とも心細さほひとしおながらも口に出きず、遅い時間を気にしながらなんとか頂ヒの見晴らし場に着いた。それでも三台の先客の車があった。とっくに日は沈み、山陰からの残照に映える紅色の雲の美しいこと。見晴るかす裾野には谷を埋め尽くす塩の河があった。白く浮き立って薄暗い山間と調和し、表現しきれぬ雄大な光景、死のスピンからの生還と、静寂の中のスペクタキュラーな大自然を短時間のうちに経験し、言葉にならない感動で立ち尽くした。立ち去りがたい余韻に後ろ髪をひかれつつそこを山発した。

 一路帰路へ、あとは、カー・ジャツクに怯えながら、左右にくねった道を暗闇の中一気に下山するのみ 二人とも心中の複雑な興奮と緊張で身を固くし言葉少なであった。

 その日モーテルに落ち着いたのは九時過ぎ、田舎のカジノを兼ねたレストランで、無事であったことに乾杯した。人間の生命とは宿命づけられたものがあるのだろうか。
                                                             (一九九六年十月)

『地球千鳥足』 幻冬舎


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