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夕焼け小焼け №14 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

ラーメンを訪ねる

           鈴木茂夫
 
 私は立川市に住みついて55年になる。東京の渋谷から引っ越してきた当座は、赤坂の会社まで通うのは気骨が折れた。しかし住めば都である。町に親しんだ。知人友人もそれなりに増えた。定年退職してからは、すっかりわが町になっている。
 「ラーメンメンを食べ歩くのも面白いですよ」
 定期的に通っているリハビリテーション・スタジオの池島社長が言う。そしてスマホにラーメン・マップというソフトを入れてくれた。これを開くと地図が出てきて全国のラーメン店を探せる。ラーメンにもすっかりご無沙汰している。やってみようと思った。
 この際、ラーメン評論をするのではなく、素人としてラーメンに親しむのがいい。
 JR立川駅の周辺にはラーメン屋が密集したように暖簾を出している。だが店の前に並んでいる人がいれば、ここは評判なのだと理解できる。
 目にした店を手はじめに「探索」をはじめた。ラーメン屋に大きく広い店はまずない。狭い空間に中央設備と客席を設けている。入り口には券売機がある。食券を買うのも慣れがいる。座席に座ると、水は自分で確保する。
 10軒ばかり訪れたら、スープの味わいによる分類ができた。豚骨ラーメン、味噌ラーメン、醤油ラーメン、塩ラーメン、牛骨ラーメン、海鮮ラーメン。店によって味は異なる。スープで店の特色を出しているのだ。さしあたって立川の何軒かを取り上げてみた。
 ラーメンの複雑な味を言葉にするのは難しい。言葉は限られている。

「日高」
チェーン展開している店。値段を抑えてチャーハン、おつまみなど幅広く展開している。それが人気を呼んで客は多い。
中華そば(390円)を試みる。具はメンマ、海苔、チャーシューだ。鶏肉ベースの醤油味。これは昔懐かしい。あっさりした味わいだ。

 「鏡花」
立川駅南口。室内の照明を落とし、らーめんだけを浮き上がらせるような演出をしている。醤油ラーメン、芳醇なスープ。吊し焼きチャーシューが美味だ。

 「井の庄」
  立川駅南口のたま舘にある4軒の店の1軒。つけ麺が得意だ。海鮮スープ。麺の歯触りがいい。スープの濃さが麺を引き立てる。しつこくない。素直にいくらでも食べられる印象だ。ごく自然な感触で食べきってしまう。

「天下一 油そば」
油そばは初めてだった。豚骨のスープが丼の下にある。かき混ぜて食べたが抵抗はなかった。ラーメンの世界の第三の存在だ。 チャーシューも悪く無い。ラーメンとつけ麺の間に位置する感じ。飽きがこない味わいかな。

「青樹」
豚骨や鶏ガラを丁寧に下処理し、じっくりコトコト煮込み、旨味だけを抽出、スープの核となる煮干しは、さまざまな産地のものを常に吟味し、良い状態のもの数種を独自配合して土台となる動物系スープとブレンドして仕上げるとか。  
豚骨煮干しラーメンというところだ。麺は食べやすい。複雑な味わいが広がる。

「麺屋かなで」
立川駅からすこし距離がある。狭く細長い店。壁に口上が書いてある。
鶏淡麗系中華そばの店です。スープは鶏ガラ、丸鶏を使用し炊き上げ、より美味しく仕上げるため、不純物を取り除いた水を使用しております。麺は数種類の上質な厳選した小麦を配合、全粒粉。スープは鶏の味。麺に絡み合ってしつこくない。

「楽観」
立川のラーメン店をリードしている。客が堪えない。抜群の醤油味。ラーメンを、琥珀、真珠、珊瑚と銘打って提供している。丼から透き通ったスープの香りが上がってくる。醤油、塩ラーメン、どちらもバランスのとれた端麗系。甘味、塩味、苦味、酸味、旨味の五味を創ると国産の鰹節、煮干しでスープを作っている。細かい麺は固めだ。歯ごたえがあって飽きがこない。チャーシューはよく煮込んである。メンマも味が染みていてよい。
多くの客が再び訪れるのには理由があるようだ。


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線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №216 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

宗谷本線 名寄駅  

           岩本啓介
   
①名寄駅より北進列車は運転取りやめ

216宗谷本線名寄駅.JPG
宋や本線 名寄駅

大寒波襲来の中 やっとたどり着いた名寄駅。翌朝、名寄から稚内へ出発予定でしたが普通列車は運転取りやめ 特急も20時台の1本のみ やむなく名寄駅撮りで・・・失礼をホテルで夜中に起きだし 翌日の稚内方面の天気を確認し、これ以上の北進は無理で危険と判断し 稚内の温泉地2泊をやむなくキャンセルに
名寄駅2022/12/19/1408
       
②どでかいソフトみたいな雪 名寄駅

216でっかいソフトクリームのある名寄駅.JPG
でっかいソフトクリームのある名寄駅

名寄駅折り返しの旭川行の普通列車が発車を待っています 
どでかいソフトみたいな雪の塊が 列車に覆いかぶさるかのようです
2022/12/19/1411


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押し花絵の世界 №181 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「清流のほとり」

           押花作家  山﨑房枝

2023.6月上.jpg
30cm×26cm

新築祝いにオーダーしていただいた作品です。白樺を細く切って森を作り、マイクロアジアンタムの黄緑や濃い緑の濃淡で印影を表現しました。
川のほとりには、姫うつぎ、都忘れ、霞草、ノースポール、レースフラワーなどの小花が可憐に咲き誇る癒しの風景に仕上げました。
「見るたびに癒される」と喜んでいただけたので嬉しいです。


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赤川ボンズと愉快な仲間たちⅡ №33 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

おじいさん

         銅板造形作家  赤川政由

33おじいさん.jpg

前回のおばあさんと同様、普済寺の無縁物墓地にある

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多摩のむかし道と伝説の旅 №109 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

        多摩のむかし道と伝説の旅(№26)
   -御岳渓谷、鳩ノ巣渓谷、数馬峡を辿る奥多摩への道-3
              原田環爾

 1kmほど行くと神塚橋という古びた小さな石橋があり、続いて綺麗なコンクリートアーチの大正橋という大丹波川に架かる橋の袂に来る。橋の袂に庚申塔と大橋供養塔がそっと佇んでいる。大正橋は元は文化11年109-1.jpg(1814)川井村の名主中村庄蔵により造られたという。当時は「大橋」又は「沢井之橋」と呼んだそうだ。山梨県大月市の猿橋に似た肘木橋で橋長7間(14.5m)、巾4尺(1.2m)の木橋だっ たという。大正8年(1919)架け替えがあったことから大正橋という名が生まれた。当時は赤煉瓦の味のある橋だったという。なお大正橋の傍らの小道を上がるとそこに川井駅がある。一方大正橋の左手渓谷に忽然と巨大な白い吊橋の奥多摩大橋が全貌を現す。あまりの大きさに圧倒される。奥多摩大橋は平成8年に竣工した新しい橋だ。
 109-2.jpg奥多摩大橋を渡る。大橋から深い川井の渓谷と遥か下の川井キャンプ場をしばし眺めて後、対岸の吉野街道へ回る。大橋の袂には「梅沢」の標識が掛かっている。梅沢はこの辺りの土地の名だ。人気の無い吉野街道を古里に向けて進む。沿道右に千島わさび園の奥多摩わさび直売所が現れる。やがてぽつぽつと民家が立ち並ぶ様になる。そのうち沿道左に「丹三郎」と記したひときわ古風な店構えのそば・うどん屋が目に入る。通称丹三郎屋敷と呼ばれている旧家だ。由緒書によれば、丹三郎屋敷は明応・天文の頃、丹三郎集落を拓いた原島丹三郎友連、その末裔により集落の庄屋名主として代々受け継がれたもので、建てられて二百余年たつ旧家という。ちなみに丹三郎の兄、原島丹次郎友一は日原を拓いている。彼らは元は埼玉県大里郡原島村からやってきた一族で、奥多摩地方開拓の祖と言われる。古くは武蔵七党の武士団の一つ丹党ゆかりの人達という。
109-3.jpg やがて万世橋の袂に来る。橋上から渓谷を横目に見ながら渡り終えると青梅街道に丁字路でぶつかる。ここは古里の中心部で正面土手の上に古里駅はある。青梅街道に沿って100mばかり進めば沿道左に「奥多摩福音の家」「奥多摩町消防団第1分団第1部」があり、その傍らから左手集落へ入る分岐道がある。分岐点に「大多摩ウォーキングトレイル」の案内板が立っている。分岐道に入って再び渓谷の道を目指す。この分岐道はかつての旧青梅街道なのだ。
109-4.jpg
静かなたたずまいの集落の 坂道を下って行くと、右手土手の中腹に石塔1基と石燈籠が立っている。石塔は聖徳109-6.jpg109-5.jpg太子塔で弘化2年(1845)と刻まれている。この辺りは昔から林業を生業とする杣職人が多いことから、古くから林業・建築の神として崇敬された聖徳太子を祀っているのであろう。また隣の石燈籠は秋葉大権現・愛宕山大権現、榛名山大権現と刻まれている。更に旧青梅道を進むと分岐点にさしかかる。その角地に小さなお堂があり、中に高さ1mばかりのコケシの様な形状の石塔が祀られている。石塔をよく見ると上部に複数の地蔵が彫り込まれている。通常六地蔵と呼ばれている。その堂宇の筋向いの一段下がった所に小屋があり、中に湧水を称えた大釜が鎮座している。「釜の水」といっ109-7.jpgて、青梅街道を行き交う旅人がここで喉を潤したという。分岐点を左に採り、更に下って行くと、下りきった所に沢に架かる石橋がある。石橋は清見橋という。古い書物では古里附橋、更に昔は垢離尽橋と称し、小丹波村と棚沢村の境界をなしたという。橋の下を流れる沢は入川で、橋の上から右手を見ると入川の滝壷になっていて激しい水音を立てている。不動滝とも呼ばれている。伝えるところによれば、御岳参籠をする信者は、まずこの不動滝に浴して垢離を取り、潔斎してから登山したという。そのことから、垢離尽(古里附)の名が起109-8.jpgこったという。一方橋の左はと見ると入川が多摩川に向かって流れ下り50mくらい先で多摩川に注いでいる。多摩川の景観は木立で阻まれてすっきりは見えないが、この辺りの河原はかなり広い。実はこの河原、筏流しが盛んな頃は多くの筏が組まれた土場なのだ。幕末から明治にかけてこの辺りは杣職人や筏師で大いに賑わっていたのであろう。橋の近くにある石仏は磨滅してよくわからないが、これも聖徳太子像ではなかろうか。(この項つづく)


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夕焼け小焼け №13 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

 ラーメンを楽しむ その2

            鈴木茂夫

 TBSも東京・赤坂に本拠をかまえて3年、町の中になじんで来た。
 昭和33年(1958)のある日、地元の情報に明るい坂元が、嬉しそうに口を開いた。
 「うまい料亭があるんですよ」
 「ここは料亭の町だ。どこのだって、うまいに決まってるよ」
 「中華料理の赤坂・栄林(えいりん2022年閉店)です。昼なら俺たちも食えますよ」
 坂元を先頭に一ツ木通りからみすじ通りへ出た。栄林は立派な構えの店だ。丁寧な女性の挨拶を受け、テーブルに着く。
 「この店は、料亭栄林(りょうていえいばやし)だったのですが、中華料理・栄林に改めました。ご贔屓にしてください」
 メニューを眺める。料理はそこそこの値段だ。坂元の顔を見ると、
 「スーラータン麺お願いします」
 と注文した。10分ほどすると丼が運ばれてきた。
 とろっとした仕上がりのスープ。口につけると、酸と酸と辣が入り交じって酸味を強く感じる。爽やかな感触。麺は細めで柔らかい。具は椎茸、タケノコの細切り、溶き卵の甘みと酸味が舌に優しく絡む。
 誰も黙って食べている。先に食べ終えた坂元が、口を拭って、
「スーラータン麺は、酸辣湯麺と書くんですよ。ここのシェフが創り出したので、これはここにしかないんです」
 「ご馳走さま、うまかったなあ」
 誰もがうなずいた。私もその一人だった。栄林の麺はこれだけではない。豚肉あんかけ焼きそば、豚肉つゆそば、青菜つゆそば、五目つゆそばなど。それらを食べるのにせっせと通ったものだった。通算で30年を超えるつきあいだった。
 スーラータン麺はカップラーメンとなっている。明星 中華三昧 赤坂榮林 酸辣湯麺 (スーラータンメン)
 栄林・赤坂店は2022年に閉店。栄林・神楽坂店に移転、東京都新宿区袋町3-6 神楽坂センタービルANNEX 2F 電話050-5589-2383として営業している。
 榮林・軽井沢店は、毎年4月中旬から11月初旬までの季節営業

 昭和35年(196011月、ある夜、取材先からハイヤーで帰社する途中、千駄ヶ谷の国立競技場の近くに、タクシーが10数台も停車しているのを見かけた。運転手に、
 「どうしたんだろう、何かあったのかな」」
 「ラーメン店があるんですよ。私もときどき食べてます」
 「有名なんだ。ここは。食べていこうか」
 車は道路脇に駐車した。
 「ホープ軒」の看板。店のカウンターに席はない。立ち食いするのだ。メニューを手にし、ワンタンメンを注文した。空いた席に座る。丼が出された。
 スープは濃い味だ。うまい。太めの麺は腰がある。予期していたよりも、上質のラーメンだ。ふうふう言いながら食べ終わった。この日の夕食はこれで間に合う。
 「ご馳走さま、美味しかったよ」
 カウンターの中にいる鉢巻きした親父に声をかけると、
 「ありがとうございます」
 良い笑顔で応えた。それから数日して、仕事仲間とお昼にやってきた。たまたま、客が少なかったので、親父さんが牛久保英昭と名乗って話してくれた。
 昭和35年に、屋台で商売をはじめたとか。ラーメンの作り方は我流で勉強しました。
  昭和50年(1975)に、この店を構えました。豚の背脂を入れたスープ。麺は中太で腰があります。今は4階建てにして、自前の製麺所で生産しています。
 おかげさまで多くのお客様に支えられ、繁盛しています。店は若い者と一体になり、店の味を良くしていくつもりです。
 24時間営業のホープ軒は、賑わっている。


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線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №215 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

根室本線

           岩本啓介

①根室本線 金山ダムの端っこから

215★金山ダム.JPG

5月の連休にはエゾヤマザクラが満開になるのですが・・・・
退院が遅れて、エゾヤマザクラではなく、雪景色でご勘弁ください・・・・
東鹿越~金山
2022年12月17日9:16    

②いつの鉄橋は吹雪いています

215 (2)金山湖with篠崎.JPG

昔務めた会社の後輩と富良野で合流、早朝にも関わらず、私の宿に来てもらいました
趣味の取り持つ縁は不思議な縁ですね。吹雪の中で折り返しの列車を待ちました
東鹿越~金山
2022年12月18日14:52


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押し花絵の世界 №180 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「ミニ薔薇と春の小花達」

             押花作家  山﨑房枝

2923・5月下.jpg
38cm×18cm

新築祝いのプレゼントにオーダーしていただいた作品です。
ピンク色の可愛いミニ薔薇、アリッサム、ノースポール、わすれな草などの春を彩る小花達を主役に、可愛らしく華やかな雰囲気に仕上げました。


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赤川ボンズと愉快な仲間たちⅡ №32 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

おばあさん An elderly woman


       銅板造形作家  赤川回由

32おばあさん.jpg


玄武山 普済寺
立川市富士見町


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多摩のむかし道と伝説の旅 №108 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

        多摩のむかし道と伝説の旅(№26)
   -御岳渓谷、鳩ノ巣渓谷、数馬峡を辿る奥多摩への道-2
             原田環爾

108-1.jpg 多摩川を左に見て青梅街道を西へ進む。アンティーク煉瓦等の販売する店を過ぎると道路脇に青い金網のフェンスが現れる。フェンスに沿って50mも進めば「御岳渓谷遊歩道入口」と記した道標があり、左手に渓谷へ下る細い道筋が現れる。林の中を細い階段を辿って降りて行くと渓流の傍らを縫う遊歩道に出る。涼風を頬に受けながら川面から眺める渓谷の風景は格別だ。この辺りは時折釣り人が竿に糸を垂らしているほかはほとんど誰もいない。遊歩道は1~ 2m幅で多少の石ころや凹凸はあるものの、よく整備されていて歩くのに特に支障は無い。やがて前方に楓橋というグリーンの吊橋が見えてくると沢井108-2.jpgだ。楓橋のすぐ下流辺りは塚瀬と呼ばれ、かつて筏を組んだ土場があった所という。沢井の界隈は行楽客の集まる所で、地酒「澤乃井」で知られる元禄15年創業という小澤酒造がある。楓橋の袂には澤乃井直営の料亭「ままごと屋」が豆腐や湯葉料理を楽しませてくれる。ままごと屋の前には同店の澤乃井園があり、園内の売店では地酒をはじめ、わさび漬けや酒饅頭など様々のお土産が販売され食事も出来る。庭園の片隅には詩人北原白秋 の歌碑が立っている。
108-3.jpg「西多摩の 山の酒屋の鉾杉は
 三もと五もと 青き鉾形」
 鉾杉とは鉾の形をした杉のことを言うそうだが、大正12年白秋が友人達と一緒に御岳山を登山した際に、途中この蔵元に立ち寄って見た酒造りに感銘を受け作られた歌という。一方楓橋の対岸の山肌には昭和5年中国蘇州の寒山寺を模して造られたという奥多摩寒山寺が佇み、水墨画に見るような景観を見せてくれる。
 楓橋を後にし、民家を右に見ながら渓谷の道を進む。この辺りからは渓流をカヌーで楽しむ人たちが目立つよう108-4.jpgになる。赤や青や黄色の色とりどりのカヌーを巧みに操りながら岩の間を滑る情景はいつまで見ていても飽きないものだ。小さな鵜の瀬橋を過ぎると「ゆずの里」というカフェがあり、その玄関口に『お山の杉の子記念碑』が立っている。佐々木すぐる作曲、吉田テフ子作詞の昔懐かしい童謡の記念碑だ。佐々木すぐるの自宅は都心にあったが、戦争中この地に疎開していたことから、当地で作曲したのだという。
「むかしむかしそのむかし 
   椎の木林のすぐそばに
     小さな小山があったとさ
         あったとさ  ・・・・・・・」
108-5.jpg ところで、鵜の瀬橋とカフエ「ゆずの里」の中間辺りに細い路地がある。路地を北に採り急坂を上るとすぐ青梅街道で、筋向いに丘陵を背景として大きな石の鳥居が立っている。ここは清和源氏の祖である源経基の伝説を残す青渭神社だ。上り坂の参道を400mばかり辿れば拝殿があるので時間があれば立寄ると良い。青渭神社は延喜式内社の古社で、ここ山裾には拝殿があり、本社は裏山の惣岳山の山頂にある。
108-6.jpg 青渭神社にはこんな伝説が残されている。承平天慶の乱のあった10世紀、将門追討の命を受けて京より東国へ下ってきた清和源氏の祖源経基が、将門を追ってこの辺りまでやってきた時のこと、多摩川の水が急に青く変わった。奇妙なこともあるものだとしばらく佇んで眺めていたら、神社の方から一人の童女が現れて、経基に「神のご加護により、必ず戦に勝つであろう」と告げた。経基はこのお告げに大いに力を得て、やがて将門を討ち反乱を鎮圧したという。
 元の道を進む。ほどなく比較的広い川原の横を通る。川原の端に「名水百選御岳渓流」と刻んだ大きな石碑が立っている。やがて前方に再び吊橋が見えてくる。御岳小橋だ。ここも行楽のポイントで橋の袂はちょっとした公園108-7.jpgになっている。対岸には奥多摩を愛した日本画家川合玉堂の作品を収めた玉堂美術館がある。木の間から見え隠れする古びた美術館は辺りの深い緑とあいまって、なかなか味わいのある景観を呈している。奥多摩小橋を後にするとすぐ前方に巨大なコンクリート製の御岳橋が渓谷の遥か上方を大きく跨いでいるのが見える。御嶽駅のすぐ前に架かっている橋だ。御岳橋の界隈は谷が一段と深く昼間でも 薄暗くひんやり感じられ、晩秋の頃は燃えるような紅葉が素晴らしい。カヌーも一段と増えて賑やかになってくる。御岳橋を抜けてすぐの所で、何気なく見上げると見事な石垣の遺構が目に入る。旧御岳万年橋の跡で、昔はここに橋脚の無い木製の太鼓橋が架かっていたという。文政3年(1820)の「御嶽山一石山紀行」によれば、長さ24間(約43.63m)、幅4尺5寸(約1.36m)、橋杭なし、牛馬の通りなしとのこと。天保13年(1842)、安政6年(1859)、明治31年に再架され、大正6年までここにあったという。
108-8.jpg 御岳万年橋跡を後にし、杣の小橋を過ぎると対岸に発電所が現れ、川筋は右へ大きく湾曲する。川筋に沿って右へ回り込むと前方に神路橋という吊橋が見えてくる。御嶽駅から徒歩で御岳山へ向かう際によく通った人道橋だ。神路橋を通り過ぎると広い河原が開け、川筋いっぱい迫っていた山は後退し、一瞬渓谷の雰囲気はなくなる。 そこに奥多摩フィッシングセンターの鱒釣り場があって、多くの釣り客が釣りを楽しんでいる。やがて遊歩道はゆったり左へ曲がり民家の並ぶ水辺の道になる。そのまま進むと青梅街道に出る。出口には以前は蕎麦懐石の「丹縄」があったが今は「せせらぎの里美術館」に変わっている。御岳渓谷遊歩道はここで終わる。
 ここからはしばらく青梅街道を進む。街道は大きく右へカーブする。惣岳山からの支脈が急傾斜で多摩川に落ちる。伝説にいう「尾崎の柵」とはこの辺りを指すのであろうか。
108-9.jpg 伝説によれば、承平年間平将門がここより上流の棚沢に居住した折、家臣の尾崎十郎が川井に尾崎の柵を、また対岸に浜竹五郎が浜竹の柵を構えたという。その柵にまつわる伝説に姫ヶ淵伝説がある。尾崎十郎の息子と浜竹五郎の娘は相思相愛の仲であった。娘は笛が上手で、夜毎娘の笛の音を合図に、若武者は藤蔓橋を渡り、浜竹の川辺で逢瀬を重ねていた。これに嫉妬した浜竹五郎の家臣が藤蔓橋の蔓に鉈目を入れたため、それとは知らない若武者はたちまち蔓が切れて谷へ落ちて死んでしまった。悲しんだ娘は以来笛を吹くことも無く、ある夜家を抜け出し淵へ身を投げてしまった。淵にはただ笛が一管漂っていただけだった。娘の死を哀れんだ村人は、この淵を姫ヶ淵と呼ぶようになったという。(この項つづく)


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夕焼け小焼け №12 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

 走れホンダのアコード 

          鈴木茂夫

 私は1931年生まれの92歳。60数年間、自動車を愛用していた。数年前に車を孫娘に譲り、電動アシスト自転車に乗り換えた今も自動運転技術の進歩には関心がある。
 私は自動運転草創期にあったホンダのアコードとのつきあいを忘れられない。
これは約20年前の単なる自動車好きの懐古だ。

 わが愛車はアコードセダン2005年式24-TL。最高出力200PS、最大トルク23.7k、10モード燃費12.0kml。そして何よりの特色はHIDSを搭載していることにある。
 HIDS (Honda Inteligent Driver Support System)を、ホンダは「ホンダ運転負荷軽減システム」と言う。まことにしかつめらしく、取っつきにくい名称ではある。それを単純に言えば、「定速走行」と「車線維持」の二つの機能で構成されている。そしてこの機能は、主に高速道路の走行時に真価を発揮するのだ。

 私の住居は都心から約36キロ、東京・立川市にある。
5月の連休明け。家内と2人、一泊旅行にと磐梯高原をめざした。
 東京都・立川市の自宅から一般道を20キロ走り、所沢インターからETCゲートを抜け、関越自動車道上りの走行車線に入る。
 そこでハンドル右手のHIDS スイッチをオン。
 メーター内に「HIDS作動」を示す緑色の表示灯が点灯。
 軽くアクセルを踏み込む。
 制限速度の時速80キロに達したところで、SET/DECELスイッチをオン。
 アクセル・ペダルから右足を離す。
 メーター内に設定速度80キロと設定車間距離(長・中・短)の白い横線が表示。
 車間距離を「長」に設定してあったから3本の白い横線が表示されている。
 横線を挟んで「車線維持」機能の作動開始を知らせる2本の白い縦線が表示される。
 ちょうど、漢字の「日」のような形になる。
 その上に、白い車のマークも表示されている。先行車がいるのだ。
 ハンドルに軽く握っていると、車は車線の中央に位置しながら走る。
  HIDSの機能開始。
 先行車の速度が遅くなった。こちらもシステムが瞬時に対応して速度を落とし、設定した車間距離を保っている。
 道路の流れが良くなった。先行車の速度が上がる。こちらも設定車間距離を保ちながら、それに対応して設定速度まで速度が上がった。
 この間、運転者である私自身は、ハンドルを軽く握っているだけだ。他には何の操作も行っていない。システムの機能を信頼して、車の走行と道路状況を把握しているだけでいいのだ。

 関越道を走って9キロ弱、大泉から外環道に移る。急ぐ旅ではない。走行車線を選ぶ。この道路はいつでも交通量が多い。このため、速度は設定速度より遅くなりがちだが、それなりに流れて約17キロ、川口から東北道へ入った。
 郡山JCTまで約220キロの長丁場の始まりだ。
 浦和の料金所を過ぎると制限速度は100キロとなる。RES/ACCELスイッチを一度押すと5キロずつ加速する、このスイッチを数回押して設定速度を100キロとする。
 車は車線を維持して設定速度の100キロで走る。道路がカーブしていれば、ハンドルが軽く動いて確実に車線を維持する。そのハンドルの動きが、手のひらに感じ取れる。
 運転者の私が車線を維持しているのではない。システムが維持しているからだ。

 川口から30分、佐野SAで一息入れる。燃費は12kml。
 この日は快晴、道路は新緑の山に見守られながら延びている。タコメーターは2100rpm~2200rpmを表示している。家内と2人きりの移動し続ける空間そして時間。とりとめもなく話したり、景色に見とれたり。

 HIDSは、ただそれだけのシステムだ。ただそれだけを確実に行ってくれる。
 特別な走り方をするわけではない。高速道路を走る多くの車に混じって通常の走り方をしているだけだ。助手席に座っている人も、あらかじめこのシステムのことを話しておかなければ、ときどき発生するブザー音以外には、システムが作動していることに気づかないだろう。
 HIDSは自動運転システムの一種なのだろうか。それはまったくそうではない。厳密に自動運転の車を定義するなら、人が行く先を入力してキャビンに座れば、後は車が安全に道路を走って目的に到着するものをさすことになるだろう。
 HIDSは、運転席に座って主体的に車を操作する人をサポートするシステムだ。
 HIDSをセットすると、運転者である私は、先行車との車間距、車線の維持から解放される。
  HIDSは、高速道路走行時に求められる配慮の相当部分を軽減してくれる。別の言葉で言えば、緊張を和らげてくれるのだ。この緊張の緩和によって、他の車線の車や後続車の動向、さらに前方の道路状況を落ち着いて観察できる。運転技量の確かな助手の運転を監督している気分と言っても良い。単なる想像なのだが、航空機の主操縦士と副操縦士の関係に似通っているのかなと思ったりもする。そのおかげで、疲労感が少なくなる。
 親しい友人の一人は、私がHIDS搭載のアコードを買うと言ったとき、
 「そんなシステムを使うと、車を運転する楽しみがなくなるよ」
 と笑った。
 私は、敢えてそれに反論しなかった。確かに、車を運転するときの機械を操作しているという楽しさは格別だからだ。
 とはいえ、HIDSを伴侶とすることで、私は在来の運転環境とは異なる異次元の感覚を楽しんでいる。
 高速道は、緊張を体感する場ではなく、安定を実感する空間と変化したのだ。
 それから2年。車での旅も回を重ねた。

 カーナビゲーターの表示していたとおりの1時間で那須高原SAに立ち寄る。車の外に出て、両手を上に伸ばし背伸びする。腰を大きく回す。気分は爽快だ。疲労感はさしてない。さあもう一走りだ。
 
 自動車での旅とは何だろう。日帰りであれ宿泊旅行であれ、片道100キロから400キロ内外というのが多いのではないだろうか。この場合、一般道路のみを走ることはまれで、通常は、高速道を走ることとなる。

 わが家から、行楽地までの行程を計算してみた。そのいくつかを挙げてみよう。
 最寄りの山中湖までは、距離約90キロ、そのうちの高速区間約77キロ、距離における高速区間の割合(高速割合)は約88パーセント。
 箱根までの距離約104キロ、高速割合約71パーセント。
 軽井沢まで距離約140キロ、高速割合約70パーセント。
 草津まで距離約165キロ、高速割合約95パーセント。
 鬼怒川までの距離約185キロ、高速割合約80パーセント。
 赤倉までの距離約260キロ、高速割合約93パーセント。
 猪苗代湖まで距離約290キロ、高速割合約90パーセント。
 高速道路網が整備されてきている現在、多少の数値は変動するにしても、多くの人にとって、似たような事情になるだろう。

 そこではっきりしてくることは、自動車の旅の大部分は、高速道路の走行に費やされることになることだ。
 では、運転者にとって高速道路の走行は、楽しいものなのだろか。高速道路は、信号や交差点によって停車しなければならない障害がないから、渋滞しない限り、走り続けられる。しかし、あの無機質で単調な道路は、楽しめるようなものだろうか。私にとって、楽しい走りの思い出は、高速道を下りてからの山道であったり、ひなびた里の道につながっていた。
 しかし、HIDSは在来の、現在も大半の車がそうであるのとは、まるで異なる異次元の運転感覚を創り出してくれた。そのおかげで、高速道も信頼して走れる安心な道となったからだ。

 磐梯高原ICまで小1時間。それから約30分、緩やかな山道を上った。
 五色沼は、晩春から初夏へと移り変わっている。この時季特有の柔らかいかすむようなミズナラやブナの新緑の芽吹き。ウグイスやカッコウの鳴き声。林間の小径をたどり、私たちは山の精気を味わった。

 往復約600キロを走って、燃料消費は14.6kmlを記録した。(搭載燃料消費計による)
HIDS使用で時速100キロ走行の場合、定速走行の効果が現れているのだろう。300キロを超えるHIDSの使用走行の際、悪くても13kmlにはなる。カタログに記載されている10モードの燃費12.0kmlを超えるのだ。

 HIDS で私の車の旅の態様は変化した。
 団塊の世代、熟年世代の人たちにはお勧めである。
 ただ、難点がないわけではない。
 車はホンダ製品、しかも車種は限られてくる。レジェンド、インスパイア・アコードだけだ。システムが工場での装着となるから、注文時に指定しなければならない。後付は不能なのだ。 それになんといっても高価である。
 でも、やはり勧めたいのだ。カーナビゲーション、ETC、車の新製品が登場したとき、性能・効果よりも、価格の高さが問題になった。しかし、価格よりも、もたらされる利便の大きさが認められて普及した。
 HIDS は、疑いもなく明日の自動車運転の幕開けに位置している。であるにもかかわらず、そのことはあまり知られていない。
 このHIDS について、自動車評論家の論評を雑誌・インターネットで見かけたことはまずない。これは私には実に興味あることだった。あれほど自動車について、さまざまな批評を展開するのに、なぜ、HIDS を批評しない、あるいは批評していないのだろうか。
 評論家は、外装、エンジン、ブレーキ、回転性能、乗り心地などにつき、自らの見識を発揮して書きまくり、語ったりもしている。だのになぜ、このシステムには触れないのか。
 私はHIDSで長旅をしてみて、その理由が分かったように思う。このシステムは安定している。システムをセットすると、車は安定して設定車速と車線を維持して走る。それだけだ。それ以上でも、それ以下でもない。だから、システムの基本や効能について論評しづらいのだ。

 熟年世代のあなた、ぜひ、HIDS搭載車に試乗してみませんか。きっと、あなたは、違和感に近い驚きを体感するはずです。
 それはあなたが、従来の自動車によくなじんでいるからの戸惑いです。私もそうでした。
 定速走行を設定すると、右足をどうすればよいのかと迷いました。
 車線維持が機能しはじめると、思わずハンドルを握る手が汗ばんできました。
 そして、何度かこうした体感を味わった後に、システムとなじみます。
 あなたがシステムを制御しはじめるのです。
 その時、きっとあなたは、高速道の走りを満喫していることでしょう。                                                              
 今や昔のアコードでさまざまな度を楽しみました。アコードは自動運転の先駆けでした。
 これは一人の老人の回顧録からの報告です。


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押し花絵の世界 №179 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「愛と感謝」

        押花作家  山﨑房枝

愛と感謝.jpg
55cm×45cm

母の日のプレゼントに制作した作品です。
河原母子の葉を交互に重ねて編んだ花籠の中に、カーネーションをメインに、ミニ薔薇、マーガレット、ノースポール、ムスカリなどの花材をアレンジして明るく可愛いらしい印象に仕上げました。



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赤川ボンズと愉快な仲間たちⅡ №31 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

母子像

     銅板造形作家  赤川政由

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「父と子」と同じく、普済寺の共同墓地においた「母子像」です。
 共同墓地は家族のいない人のためのお墓です。
「父と子」ではお父さんは子供を肩車していました。
「母子像」ではお母さんは子供をひざにだっこしています。



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多摩のむかし道と伝説の旅 №107 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

          多摩のむかし道と伝説の旅(№26)
   -御岳渓谷、鳩ノ巣渓谷、数馬峡を辿る奥多摩への道-1

             原田環爾

 多摩川の上流部は青梅に入ると深い山々が両岸に迫り、徐々に深い谷筋を流れる渓流へと変貌する。やがて御岳渓谷、続いて鳩ノ巣渓谷を形成し、更に上流部に遡れば惣岳渓谷や日原渓谷などが続く。これらを総称して奥多摩渓谷と呼ぶ。古くは青梅、奥多摩を支配した領主三田氏の名に因んで三田谷と呼ばれた。渓谷には至る所巨岩や奇岩があふれ、渓流は逆巻き、時に深い淵が神秘的な様相を呈している。春は新緑秋は紅葉が渓流に映え、訪れる者に素晴らしい渓谷美を提供してくれる。しかし渓谷の自然は荒々しく容易に人を寄せつけず、一般的には谷の上から眺めるしかないのが普通だ。ところが御岳渓谷や鳩ノ巣渓谷は渓流のすぐ傍らに遊歩道が整備されていて、まさに谷の底から渓谷美を楽しむことが出来る。一方奥多摩には単に渓谷美だけでなく、古代から中世にかけての歴史と伝説を多く伝えるところでもある。10世紀初頭に活躍した坂東の英雄平将門、中世の三田谷を支配した三田一族の伝承などである。また幕末から明治にかけて盛んであった多摩川の筏流しの筏師達の故郷でもある。今回は青梅の軍畑から奥多摩へ可能な限り渓谷の道を辿り、深山幽谷の渓谷美を楽しみたいと思う。
 ここではJR青梅線軍畑駅から青梅街道を経て御岳渓谷遊歩道に入る。沢井、御岳と左岸の道を辿り、川井で奥多摩大橋を渡って対岸の吉野街道に回り古里に出る。古里からは旧青梅街道に入って寸庭橋まで進み、再び青梅街道を辿って棚沢を経て鳩ノ巣へ至る。雲仙橋の袂から鳩ノ巣渓谷遊歩道に入り、鳩ノ巣小橋で右岸に回り、白丸湖畔の道を経て数馬峡橋で今回の終着点白丸駅へ向かうことにする。

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107-2.jpg 鄙びた無人の軍畑駅を降りると新鮮な山の風景が眼前に広がる。駅の南側は急勾配の下り坂で見晴らしがよく、遥か下に多摩川上流部がゆったりと蛇行し、正面対岸には標高646mの三室山の山塊がどっしりとそそり立っている。一方左手遙か下方には戦国の遺構鎧塚が見える。道端に広がる畑風景を見ながら坂道を下り降りると多摩川沿いの青梅街道に出る。そこには軍畑大橋といういかにも頑丈そうなエンジ色のアーチ橋が架かっている。橋の上に出て渓谷の風景を眺めてみてもよし、あるいは橋の袂の階段を下りて河原から風景をみるのもよい。

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107-4.jpg ところで軍畑とはいかにも奇妙な名前だが、ここは鎌倉街道山ノ道の多摩川渡河点という要衝で、ここで戦があったことによる。近くの鎌倉道沿いには戦死した武者の亡骸や武具を埋めたという鎧塚がある。戦国時代、東青梅の北寄りにある勝沼城を本拠に自らを平将門の後裔と称し奥多摩渓谷を支配した三田氏は、関東の覇権を狙う小田原北条氏の侵攻を阻止するため、軍畑の隣の二俣尾の山上に辛垣城を築いた。永禄6年(1563)三田弾正忠綱秀の時、滝山城主北条氏照は大軍を率いてこの軍畑の多摩川南岸に対峙した。今の軍畑大橋下付近と思われる。渓谷を渡河してきた北条軍を三田軍は迎え撃ち、激しい攻防戦を展開した。三田氏はよく奮戦したが武運つたなく敗れ、辛垣城は炎上した。綱秀は岩槻城主太田氏をた107-5.jpgよって岩槻に落ち延びたが、ついにはそこで自害して果て、三田氏は滅亡した。落城にあたって綱秀はこんな歌を残したと伝えられる。
「からかいの 南の山の 玉手箱
 開けてくやしき わが身なりけり」
 歌の背景はよくわからないが、あるいは辛垣山より遥か南方にある五日市の戸倉城主大石定久の援軍を期待したのに、得られなかった口惜しさを詠んだものかもしれない。なお軍畑に橋がなかった頃、ここに軍畑の渡しがあった。川の水が多い4月から11月にかけては渡し舟が使われ、水の少ない季節は丸太で組んだ仮橋が架けられたという。(この項つづく)


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夕焼け小焼け №11 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

ラーメンを楽しむ その1 

             鈴木茂夫

 昭和29年(1954)、ラジオ東京(現・TBS)に入社。スタジオは有楽町の毎日新聞社の七階だ。録音ニュースを担当するようにいわれた。肩掛け式の携帯用録音機(愛称デンスケ)を担いで、さまざまな現場に出かけた。必要な音を録音し、編集して放送するのだ。
 そんなある日、先輩が昼飯に行こうと誘ってくれた。有楽町のガード下の一軒に入る。
 数人の先客がいた。毎日新聞のバッジをつけている。
 「鳥藤」(2021年閉店)と看板が出ている。カウンターの奥にいる女将が笑顔を見せた。注文は聞かない。手際良く手を動かしている。
 「はい、どうぞ」
 丼が差し出された。白味がかった薄茶色のスープだ。
 「これがミルクワンタンなんだ」
 先輩が言った。一息入れるとさらに語った。
 「鍋で牛乳を温めて塩で味付けをして、豚のひき肉のワンタンを入れる。さらに鶏のモツの煮込みを入れる。鶏ガラのスープをまぜてできあがったのがこれだ」
 牛乳と鶏ガラのスープが混じりあって美味だ。
 女将の藤波須磨子さんが、
 「あんた、よく知ってるわね」
   と笑った。そして、これは亭主の音吉さんが戦後に独創したのだと補足してくれた。
おかげさまで、有楽町名物になり、繁盛しているという。
 私はそれ以後、よく通うようになった。

 昭和30年、私はテレビニュースに転属していた。この頃、赤坂は料亭の町だった。勤め人が行ける手頃な飲食店はあまりない。少ない人数で仕事をしていたから、いつも忙しかった。よく会社の近くの中華料理店「珍楽」で、ラーメンかチャーハンを食べていた。

 昭和32年(1957)、冬。
 夕方の「テレビ夕刊」の放送を終えるとスタッフの一人が、
 「荻窪にうまいラーメン屋あるよ。みんな並んで席の空くのを待ってるんだ」
 「そこで食べたのかい」
 「いや、まだ食べてはいない。荻窪の文化人が激賞しているんだって」
 「それじゃ、今から行こう」
 数人と連れ立って出かけた。
 中央線荻窪駅の北口には、約三十軒の小さな木造の店が一画を形成している。すぐにその店は分かった。店の前に人だかりがしているからだ。
 「春木屋」
 私たちもその行列に加わった。店の中は10人ほどのカウンター席。その後ろに立って席の空くのを待っている。30分も待ったろうか、席に座れた。注文は聞かれない。できるのはラーメンだけのようだ。
 ラーメンが差し出された。まずスープを吸ってみる。味わい深い醤油味だ。麺を箸でつかむ。腰がある。噛むと奥行きがある。まさに中華そばの特徴がある。スープによく絡む。
 ゆっくりしていては待っている人に悪い。熱いスープを飲み、麺を懸命に噛んだ。
最後のスープを飲み終わり、勘定をすませると、後ろの客がさっと座った。
 「うまかったね」
 一人が口の周りを拭うと、それぞれがうなずいた。
 それから何度もこの店を訪れた。
 昼時を過ぎ、店が空いていたとき、主人が語ってくれた。
 中華そばは、既製の店のものは使わず、自家製にしている。毎日、数種類の小麦粉を混ぜ合わせ、水とかん水で練り上げ、手もみして仕上げるという。
 スープも煮干しと削り節、野菜を混ぜ、醤油だれを加えて完成します。
 春木屋には、職人の意気込みが息づいている。

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押し花絵の世界 №179 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「ヴェネツィアの風景」 

              押花作家  山﨑房枝

2023・4月上.jpg
 55cm×45cm

「水の都ヴェネツィアの風景を押し花アートで作ってほしい!」
とご依頼をいただいたので、クリスマスローズ、ギンポプラ、アリッサム、葡萄の葉、高菜、など合計25種類の植物を豊富に取り入れて制作しました。
建物に使用した高菜や百合は、あえて褪色した物を選び、アンティークな雰囲気を演出しました。


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赤川ボンズと愉快な仲間たちⅡ №30 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

父と男の子

         銅板造形作家  赤川政由

30父と男の子.jpg

立川市柴崎町  普済寺


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地球千鳥足Ⅱ №20 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

歩いても歩いても眼前に虹、霊感の大藩布
   ~ジンバブエ共和国~

         小川地球村塾塾長  小川彩子

 世界三大瀑布はイグアス、ナイアガラとここヴィクトリア、私にとって3つ目のここに、やっと本年来ることができた。ヴィクトリア・フォールズ空港に着くやいなやバスでキングダム・ホテルへ。バスを降りる時「さよなら」と運転手のロから日本語がこぼれた。続いてホテルのベルボーイが「私の名前は“マジメ(日本語)″です」と私の反応をうかがいながら自己紹介、もちろん、「最高のお名前ね!」と会話を楽しんだ。どの国に行ってもホステル級の安ホテルか精々三ツ星ぐらいまでに泊まる私たちだが、ジンバブエは「かなり危険」という情報に依拠し、「かなり良い」ホテルを予約しておいた。危険の理由はインフレや高い失業率に起因するが、雄大な自然の中を歩く間に危険を感ずることはなかった。しかし物価は高い。通貨は米ドルや南アフリカ共和国のランドが使われており、滝の入園料30ドルだ。先に飛び出した夫は「そんなお金払わなくても見られるよ!」という人について行き、やがて「滝はなかったがとても美しい風景だった」と戻って来た。ザンベジ川上流へと自然保護区をガイド付きで散策し、象や鰐を見て来たのだ。
 何はさておき滝へ突進、入園料2人で60ドル、ビニールコート2つと傘1つを借りて11ドルと結構なお値段。観光はこの国の重要な収入源なのである。
 盛り上がり迫りくる滝と水煙には恐怖を覚えた。滝にかかる虹には神秘性があり、周りの森林も砦の威力を高める絶好の背景だ。人間が造った社会の無力さを思い、「自然は人間より偉大なり」と唱えつつ、大雨のような水飛沫でずぶ濡れになりながら歩き進んだ。だが風景は期待したものとは異なり、迫力はあるものの「写真で見るあの、水と虹のバランスの美しいヴィクトリアの滝はどこ?」と首をひねった。4月中旬は水量が多すぎて美観が落ちるのだろうか。滝から距離のある遊歩道でも飛沫に打たれる。困ったことに2人ともデジカメに水が入ってしまい、体も冷えてきて、ほうほうの体でホテルに戻り、夫はカメラの内部を乾燥させるのに必死だった。
 夕食時には太鼓とダンスのショーを観た。毛皮の腰布と帽子の男性コーラス・グループがダンスと太鼓の伝統音楽を披露、実にアフリカ的だ。客の中から希望者を募ってダンスに参加させる。おめでたい私も飛び出した。盆踊りとディスコダンスをミックスした奇妙キテレツな踊りに、見よう見まねのアフリカダンスも混ぜた3種ちゃんぽんダンスは唯一の日本人客へのお義理もあってか拍手喝乗だった。余韻さめやらぬ私の目に、鬱蒼と茂る樹木の上に満月が見えた。あ、そうだ!満月の夜には滝のゲートが開く。私はホテル従業月のフアプリエを誘ってまたまた滝へ。玲瀧(れいろう)の滝にかかる満月と虹と雷鳴、これほど幻想的な光景があろうか。ヴィクトリア大瀑布の満月の夜を私は忘れえないだろう。
 翌日は夫と別行動で街を散策、土産物屋が侘しく佇み、点在するホテルも華やかさがなかった。昨夜のショーグループの練習風景に出くわし、言葉を交わしてまた滝へ。現地の人に「滝を見るのは午後がいい」と言われていたが理由がわかった。午前の滝はこの時期は逆光のため写真は難しい。その上昨日よりひどいシャワー(飛沫)、まるで大雨だ。そのせいか、今日の虹は滝の前にはない。遊歩道を歩く私の眼前に、身の丈程度の小さい虹が次々と現れる。歩いても歩いてもまた次の虹がある。信じられず何度か後戻りして確かめたが同じ場所に虹はあった。
 1時間の歩行中10回は現れただろうか。全身濡れ鼠で「歩いてもォ、歩いてもォ、虹は目の前にイ~」と歌いながら虹のアーチを次々とくぐり続け、道の反対方向からやって来る人々にも小さな虹の存在を教えた。小川彩子というちっぽけな人間がいよいよ小さく思え、幼児が縄跳びをするように虹のアーチをくぐつた。子どもに帰った私は霊感を受けながら、未来への小道を足取り軽く歩き続けた。シャワーはもはや脅威ではなかった。
                        (旅の期間‥2011年 彩子)

『地球千鳥足』 幻冬舎



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山猫軒ものがたり №14 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

無言のいのち 2

             南 千代


 家探しが始まった。大家も地元を何かとあたってくれたが、場所はなかなか見つからなかった。そうしている間にも、出ていかなければならない期限はせまってくる。それにしても、大家に言ってくるのが期限の一カ月前だなんて。
 私たちは、残土処理業者に頼んで、早く出ていきたいのだけれど、適切な土地が見つからないこと、ついては期限を延ばしてほしいこと、同時に、協力して一緒に引っ越し先を捜してくれるよう頼んだ。
 すでに、埋め立ては始まり、家の裏の竹林は伐られ、下り道は姿を消してブルドーザーが唸りながら残土やガラを運び、這い回っている。谷を埋めた上に家をカサ上げするという案も出て、曳屋である集落の峰岸さんが家を見にきた。
 建物は、そのまま移築することができるが、同じ要領で、埋め立てたその上に、家をそのまま持ち上げることができるのだとか。私は、それはいい案だと思ったが、夫は反対だった。「家はそのままでも、環境は変わるんだよ。工事は一年で終わるものやら三年かかるものやらわからないし、その間ずっとダンプのこのひどい音を聞きながら、土ぼこりの中で暮らすのはいやだ」
 もっともだ。かといって、引っ越し先は見つからない。さしあたり、年内に引っ越すことは免れそうだった。私たちが頼まなくても、工事は実質的に遅れていた。谷を流れている、湧き水の水脈の水抜きが、問題になっているらしい。
 残土処理業者は、大きなパイプを埋め込んで水の流れ道を作り、大丈夫であることを、地主たちに説明していた。地質に詳しくない私には、大丈夫であるのか危ないのかわからないが、夫の言うように、環境が変わるのは確かだ。この地に住むのは、やめた方がよさそうだ。でも、家は見つからない。
 明日のことを考えると何も手につかなくなるので、家捜しも含めて私は「今日」を愉しむことにした。先のことを思い煩い、一日を無為のうちに過ごすよりは、今、やりたいことをやろう。私が生きているのは、明日でも昨日でもなく、「今」なのだから。
 「ねえねえ、お味噌をつくらない?」
 電話をかけてきたのは、八王子の半田さんだ。
 「やっと大豆も積れたし、作りたいと思ってたのよ。でも、むずかしくない?」
 「簡単よ。教えてあげるからやってみたら」
 彼女は映画が大好きで、児童映画の会とやらで、モスクワやパリまでひょいひょいと出かけていく行動派である。通称オリーブ。ご主人はアニメーターで、Tプロダクションでジャングル大帝レオやひとつ目君などを描いている。
  私たちがここに引っ越したことで、彼女の住まいと近くなり、蛍の夕べや月見の会など、さ まざまな墟びを企てるごとに、ジュン君とマリちゃん、二人の子どもを連れて山猫軒にやってくる。
 半田さんに教えられた通りに塩や麹を用意し、味噌を詰める大きなカメも買い込んだ。作り方はほんとに簡単だ。柔らかく煮た大豆をつぶし、塩にまぶした麹に混ぜてカメに入れるだけ。塩蓋をして後は味噌が熟成するのを待つ。十カ月もすれば食べられるという。
 代わりに、半田さんに私が教えたのは豆腐づくり。夜、水に浸けておいた大豆を朝、ミキサーにかけ、煮て絞る。汁は豆乳でカスほおから。豆乳にニガリを入れれば豆腐で、これまた実に簡単。豆腐はざるに入れて、湧き水の所にさらしておく。
 豆腐の型は、陶器が入っていた木箱を利用して作ったが、豆乳にニガリを入れてオポロ状に固まったところをすくい上げ、そのまま熱々に醤油をたらしてたべてもおいしい。
 同じ固めるならひと工夫、と刻んだネギやカツプシを混ぜて固めてみた。薬味がすでに入っているので、食べる時は醤油だけですむというわけだ。しかし、これは夫には不評であった。いいアイデアだと思ったのに。
 たくさん出るおからは、うの花やコロッケ、ケーキに使う。あまったら鶏にやって、卵に変えてもらう。
 豆腐は、半田さんの家でも好評だったとか。私の味噌も十カ月後が楽しみだ。
 「引っ越し先もないのに、味噌を仕込んでどうするの? こんなにカメを並べちゃって」
 夫のあきれ顔を横に、正月を前にして、私は障子も張り替えた。三十日にはまたみんなで餅っき大会をし、二度目の正月料理を作った。年越しそばも作ったが、麺が長くつながらずにポロポロのそば汁になった。それでも夫は、おいしいと言って食べてくれた。
 犬の華ちゃんのおなかが、だんだんふくれてきた。もしかして。やっぱり。初めての妊娠らしい。もうじき、仔犬が生まれそうだ。父犬は為朝である。めでたい。

『山猫軒ものがたり』 春秋社



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夕焼け小焼け №10 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

 愛犬ケンちゃん

              鈴木茂夫

 書斎の机にケンちゃんの写真を置いてある。十数年前になくなった愛犬だ。耳を立て伏せてこちらを見ている。白い日本犬のようだ。純血かどうかはわからない。中学の校門の近くに捨てられていた子犬を、授業を終えた長女のあきこ子が連れてきたのだ。人懐っこい犬だ。頭をなでると、尻尾をふってその手をなめる。
 「シロ」「チビ」と呼ぶと、走ってきた。
  子犬はおなかがすいていたのだろう。牛乳をたくさん飲んだ。急いで買ってきたドッグフードもよく食べた。
  家族の誰もが文句を言わなかったから、すぐに無条件で家族の一員となった。
  動物病院に行き、狂犬病はじめ混合ワクチンの注射をした。少し緊張していたが、そばにいて頭をなでてやると静かにしていた。
 家の中を歩き回る。すべての部屋を点検して、食堂で休む。
 家の中で暮らすとなると、排泄の決まりを教えなければならない。それは散歩に出かけると連動している。なんどかしくじったが、うまくいくようになった。
 夜は私の布団の上で寝る。私の胸の横に位置を占める。私が目覚めると顔を合わす。
   食事は家族の食卓の下で、1日2回、ドッグフードのビタワンを食べた。人間の食べ物は与えない。食事を終えると、ソファの上で伏せている。
  私が机を前にして書き物をしていると、私の太ももに頭を乗せ横になる。
 「この子は勉強するのが好きなんだね」
 妻の貞子がそう言ったから。
  「これはインテリゲンチャかもしれないな」
と私が応じたことから「ケンちゃん」の呼び名が定着した。 ケンちゃんもすぐにその呼び名を覚えた。
 飼い犬だからしつけが必要だ。妻と二人がかりで根気よく教育した。
 「来い」「すわれ」「立て」「待て」「よし」「寝て」「ゆっくりいけ」「お預け」「お手」「ハウス」これだけは覚えて欲しかった。ケンちゃんはのみ込みが良かった。よく覚えると褒美にチーズをもらえるのがよかったのかもしれない。まあこれでいいだろうとした。しかし、よくないことをしたときの「反省」が大事だと、これを加えた。苦労したが、ようやく身につけた。
  「反省」と命じると、座って頭を下げるのだ。「よし」というまで、じっとしている。
 これはケンちゃんの得意技になった。
 ケンちゃんは旅が好きだった。必ず私たちの旅には同行した。
 「ハウス」と車をさすと、後部座席に飛び込んだ。
 東北道を走り、遠野市の五百羅漢で停車すると喜んで走り回った。東名高速道を行き、法隆寺に参詣したとき、門前で座って待機していた。 磐越自動車道で瓢湖を訪れると、白鳥の群れをじっと眺めていた。北陸自動車道で弥彦山を訪ね、ロープウエイにも乗った。
 上信越道に道をとり、上越市で、上杉謙信や親鸞聖人ゆかりの場所に立った。数え上げればきりがない。
  冬のある日、箱根へ出かけた。ケンちゃんはいつものとおり、車に乗り込んだ。動きに変わったことはない。  八王子から中央道に入る。道は空いていた。談合坂のサービスエリアで小休止。ケンちゃんは軽く用を足した。
 1時間半前後善後で箱根に到着。仙石原を散策。後ろの荷物置き場に、早めに夕食を出しておく。なぜか食欲はないようだ。私と妻は旅館の部屋に入った。
 あくる朝、車のドアを開けてもケンちゃんは動かない。横になって息を引き取っていた。
 「ケンちゃんが死んだよ」
 「じゃあ、帰りましょう」
 私たちは黙って帰途につく。寂しい道中だった。 
 ケンちゃんとは、16年間、共に暮らしたのだ。
 わが家の庭に埋めてあげようと、次女の子どもたちも加わって穴を掘った。ケンちゃんはもういない。



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