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道つづく №10 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

いささむらたけ

         鈴木闊郎

 日暮るるも多摩の横山夏の色
 内水を呑み込む土の余勢かな

 短夜やいささむらたけ靡きをり

 宵宮の提灯孫に下げさせる

 暑気つづく五明後日とふ言葉

                                花鳥諷詠誌「駒」二〇一二年九月 二二八号


鈴木闊郎氏略歴
 1933年 立川市生まれ。早稲田大学卒。(株)立川印刷所2代目オーナー。
 立川の粋人として知られた。俳誌『駒』同人。2020年没。



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線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №173 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

北海道 小さな駅   

             岩本啓介 
                            

①留萌本線 朝陽を浴びて 北秩父別駅 

173北秩父別駅・留萌線.jpg
                            
今どき 板に墨で 手書きの駅名板 すごいなあ                            
これからも ず~っと残してほしいと願っています  

②留萌本線 ステキな駅名 北一已 
  

173きたいちやん駅.jpg
                      
なかなか読めない駅名 “きたいちやん”と読みます                                
“いちやん”はアイヌ語で 鮭の産卵場の意味とか                          

③宗谷本線 駅前は真っ白 糠南駅 
  

173糠南駅・宗谷本線.jpg
                            
本当は山の途中から俯瞰ぎみに撮りたかったのですが                                
雪で林道が通行止め やむなく 真っ白な畑から                


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押し花絵の世界 №133 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「春の3連作」

            押し花作家  
山﨑房枝

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30cm×25cmを3つ

クリニックの待合室に飾るように、春夏秋冬の4パターンをオーダーしていただいた作品の春バージョンです。
カラーペーパーをカットして制作した台紙の上に、姫金魚草、プリムラ、ノースポール、ビオラなどの春のお花をふんだんに取り入れて待合室が明るくなるように仕上げました。



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ミツバチからのメッセージ №45 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

イタリア―5

   造園家・ミツバチ保護活動家  御園 孝

   イタリア北部のドロミテ渓谷の中心部の町コルチナダンペッツオに、ドロミテの山々へ登るためにしばらく滞在しました。
   町の周り360度グルリとドロミテの山々が見渡せ、どこから登るか迷ってしまいましたが、まずホテルの真正面にそびえるトファーナ(標高3243m)へ登ってみました。
   麓から中程までロープウェイで上がり、そこから頂上まで徒歩で登りました。森林限界を超えたあたりのがれ場には、様々な高山植物に混じり黄色いケシ(パパウェルアルピニウム)の花が咲き乱れていて、美しさのあまり足が止まってしまいました。さらに登っていくと、貝や恐竜の足跡の化石などが点在しています。
   表側はハイキング気分で登ることができますが、裏側は1000〜1800m程の断崖絶壁で、クサリ場を安全帯をつけて移動しなければなりません。

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黄色いケシ(パパウェルアルピニウム)
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黄色いケシ(パパウェルアルピニウム)
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ハイキング気分とは言えないかもしれません。
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3000m級の山の頂上
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頂上に立った筆者


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多摩のむかし道と伝説の旅 №60 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

                          -狭山丘陵南麓の根通り道を行く-1

                原田環爾

 東京都北部に連なる東村山市・東大和市・武蔵村山市・瑞穂町は、埼玉県の所沢市・入間市と接しており、その都県境に東西十数キロにわたってなだらかな丘が横たわっている。比高差僅か100mにも満たないこの丘は狭山丘陵と称し、古くは村山三里などと呼ばれた。丘陵は広大な雑木林で覆われ、玉川上水や野火止用水が出来る前までは、茫漠たる不毛の武蔵野台地にあってここだけは緑をたたえた潤いのあるオアシスだったという。その狭山丘陵の南麓を街道が走っている。志木街道と青梅街道である。街道沿いの山裾にはいくつもの集落があり、それらの集落と集落を結ぶ里道すなわち根通り道が入り組んでいる。青梅街道が整備される以前の青梅道はこれら根通り道がその役割を担っていたと筆者は考えている。根通り道沿いには大小様々な社寺がいくつも佇み、ここが東京かと見紛うほどの鄙びた里風景を見せてくれている。今回はそんな狭山丘陵南麓の街道界隈に枝分かれしている根通り道を辿り、村山三里の里風景を楽しみたいと思う。
 ここでは西武多摩湖線武蔵大和駅から東大和市域の志木街道に入り、これを西へ進みつつ街道から分岐する丘陵南麓の根通り道に入って散在する社寺を巡る。奈良橋に至れば青梅街道に入り、同様に街道から枝分かれする根通り道に入って、散在する社寺を巡りながら芋窪に至る。次いで谷戸川に架かる大橋辺りから武蔵村山市域の青梅街道に入り、これを西へ進み、中藤、横田、三ツ木、岸の根通り道を辿る。この後は殿ヶ谷、石畑の里道に点在する鄙びた社寺を巡りながら、終着点箱根ヶ崎駅へ至るものとする。

 まずは東大和市域の丘陵南麓の根通り道を巡ることにする。

狭山丘陵1-1.jpg

 武蔵大和駅を出て駅前の志木街道に入る。埼玉の志木へ通じる道であることからこの名がある。街道を西へ向か狭山丘陵1-2.jpgうとすぐ交差点「武蔵大和駅西」にくる。いささか変形した五差路になっている。手前の小道は武蔵境から伸びてきた多摩湖自転車道だ。交差点を横切り、緩やかに右方向へカーブしてゆく道が志木街道だ。程なく沿道右にこじんまりした堂宇が見える。清水観音堂という。狭山三十三観音霊場の第十五番札所である。天明8年(1788)の創建と言われる。本尊は行基作の像高約45cmの聖観音菩薩立像である。境内の中にはいくつかの石仏石塔があり、その一つに観音堂の裏を流れる前川に架けた清水本村橋の天保4年(1833)造立の石橋供養塔がある。狭山丘陵1-3.jpg
 更に街道を少し進むと道は大きく左へカーブする。そこに左に入る街路の角地に小さな地蔵堂がある。伝兵衛地蔵という。伝兵衛という人が神隠しにあった分家の子供が帰ってくるように造立したという。子供は無事見つかったことから霊験あらたかな地蔵として信仰を集めたという。
 続いて沿道右に豆腐屋があり、その左横の路地を北へ入る。街道裏の静かな集落の道を道なりに進むと、程なく丁字路帯の北西角地にこじんまりした狭山神社がある。いつ創建されたかは詳らかでない。元は天宮大明神と呼ばれていたといい、大正時代狭山丘陵1-4.jpgには今の貯水池内にあった御霊神社もここに移され合祀されたという。特に特徴もない平凡な神社である。筋向いの南西角地には狭山公民館がある。公民館を右に見て丁字路帯の南の道を採ると再び丁字路でぶつかる。そこを左へ時計回りに回り込むと右手に円乗院という綺麗な寺の前に来る。鐘楼門を構えた実に立派な寺である。真言宗智山派の寺で正式には愛宕山医王寺円乗院東円坊と称す。本尊の不動明王狭山丘陵1-5.jpgほか薬師如来、如意輪観音が祀られている。明治17年の火災で庫裡、本堂を焼失し古記録が失われ創建当時の事情は定かでないが、寺院の歴代塔には平治元年(1159)寂の賢誉法印を始祖とするとの記録があり、また鎌倉時代の板碑が残っていることから、かなり古い寺と考えられている。鐘楼門は寛延2年(1749)に建てられたという。多摩四国八十八ヶ所霊場や武蔵野三十三観音霊場の札所にもなっている。境内には仏足石もある。
 円乗院を後にし南へ下って再び元の志木街道に復帰する。続狭山丘陵1-6.jpgけて街道を西へ進み次に高木神社を目指す。コンビニを右にやり過ごし尾崎商店を過ぎた辺りで左手斜めに入る路地を採って迷路のような集落の中の小道を縫って向かう。程なく火の見櫓の建つ児童公園の前に出る。公園の北側に高木神社の社務所があり西向こうの小階段を上がればそこが高木神社の境内で、高木神社と塩釜神社が並んで建っている。境内には祭礼に奉納されたという「高木の獅子舞」の碑が立っている。神社の創建年代は詳らかでないが、本堂は宝暦12年(1762)に建てられたという。祭神は高皇産霊神。元は尉殿権現と呼ばれ、明楽寺という寺が別当であったが、明治の神仏分離令で寺は廃れ、高木神社と呼ばれるようになったという。ちなみに明楽寺は社務所の辺りにあったといい、先の円乗院の住職の隠居寺であったという。また同境内に建つ塩釜神社は江戸時代に尾崎金左衛門という人が塩釜市の本社から持ち帰ったお札を屋敷に祀っていたものを、明治10年にこの地に移したという。安産の神様である。
 ところでこの高木神社に隣接する公園はかつての高木村五ヶ村連合戸長役場跡という。明治17年、町村制度改正により高木・清水・狭山・奈良橋・蔵敷・芋窪の6ヶ村が作った連合組織で現在の東大和市の原型となった。当時の役場の名残としては書類庫として使われた土蔵が社務所の左隣に残されている。
 ついでながら公園手前の丘のある角地に小さな地蔵堂がある。松っこごれ地蔵という。松っこごれとは松ぼっく狭山丘陵1-7.jpgりのことだ。いぼ取りに御利益のある地蔵といい、願いがかなうと松ぼっくりを奉納したことからこの名がある。元は志木街道沿いにあったが道路整備で移設されたという。また松っこごれ地蔵のすぐ前には大日如来と6地蔵の石仏が、何故か青天井のまま雑草に埋もれる様に立っている。廃寺となった明楽寺のものと思われる。土地の人の話ではこの小丘には明楽寺の墓地があったという。(つづく)




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道つづく №8 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

回顧

           鈴木闊郎


 初芝居栄蔵伊十郎の大薩摩

 貞丈の義姉討入りを言立つる

 夕立や大寺学校ほの暗し

 数へ日の志ん生掛取り詰りをり

 冬菊や山城少掾引退す


                        花鳥諷詠誌「駒」 二○一二年七月 二二六号


鈴木闊郎氏略歴
 1933年 立川市生まれ。早稲田大学卒。(株)立川印刷所2代目オーナー。

 立川の粋人として知られた。俳誌『駒』同人。2020年没。



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線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №172 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

しなの鉄道   

             岩本啓介                                  

墨絵の世界に湘南色 
 
172湘南色・線路用.jpg
                                  
色の無い墨絵のような世界 オレンジの湘南色115系が引き立ちます                                   
快晴 妙高 

172横須賀色。妙高山・黒姫~妙高高原・線路用.jpg
                                    
快晴 雪化粧の妙高を背に雪原を行く横須賀色115系 
  

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押し花絵の世界 №132 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「April wedding」

       押し花作家  
山﨑房枝 

2021・4月下.jpeg
 
54cm×45cm
友人の結婚式のウエルカムボードを制作させていただきました。
ホワイトやグリーンが好みとの事で!
白い薔薇とクリスマスローズをメインに使用し、その上に切り抜いた文字を並べて、周りをアイビーやハートカヅラで囲んで爽やかなイメージで仕上げました。

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ミツバチからのメッセージ №44 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

イタリア―4

   造園家・ミツバチ保護活動家  御園 孝 

 ジェロからさらに徒歩で2時間ほど山を登っていくと、フォーシ村にたどり着きます。ここがこの辺りで一番高い山で、春になると野原一面にクロッカスや白い水仙やシクラメンが咲き乱れます。もちろん全て野生のもので自生しています。
 日本のガーデニングに欠かせないクリスマスローズもたびたび見かけますが、ヨーロッパではヘレボレスとよばれていて、食べると死ぬという意味なのです。実は猛毒植物で昔戦をするときに、敵の水源にヘレボレスをたくさん流し、敵兵を弱らせてから戦ったそうです。日本の庭には沢山の猛毒クリスマスローズが植えられていますが、知らぬが仏とはこのことですね。
 ジェロから違う道を登っていくと、コログラーナ村に行くことが出来ます。その辺りはクリの名産地でクリの博物館があります。クリの花は良い蜜が沢山出るので、ミツバチの巣箱が沢山設置されています。

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野生シクラメンが群落で咲いている。
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猛毒クリスマスローズはヘレボレスと呼ばれている。
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サフランも咲き乱れている。(クロッカスの写真が見当たらず)
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プリムラ?
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カラフルなミツバチの巣箱
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カラフルなミツバチの巣箱

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道つづく №7 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

道つづく
          
           鈴木闊郎  

    中々に納杯ならぬ春夕
    寒村の道つづきをり春時雨
    寄席の灯も消え淡雪の路地拾ふ
    糸櫻山河相聞夢ニ館
    雪囲とる明るさを見入りをり

                      花鳥諷詠誌「駒」二〇十二年四月 二二三号

鈴木闊郎氏略歴
 1933年 立川市生まれ。早稲田大学卒。(株)立川印刷所2代目オーナー。
 立川の粋人として知られた。俳誌『駒』同人。2020年没。


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線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №171 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

しなの鉄道   

          岩本啓介                                  

ピンクの黒姫山 
 
171長野色線路用.jpg
                              
朝陽に染まる ピンクの黒姫山 昨日は桃の節句でした                              
長野色3連+しなの色2連  珍しい5連結115系                                      

屋根から雪は滑り落ち 

171赤い屋根の古民家.jpg
                                  
晴天 ゆるんだ雪は 赤い屋根から 滑り落ちちゃいましたが                        
それでも てんこ盛りの雪を間を横須賀色115系が抜けていきます                  


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押し花絵の世界 №131 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「桜色のスマホケース」

      押し花作家  山﨑房枝

2021・4月上.jpeg

お母様への誕生日プレゼントでオーダーしていただいた作品です。
ピンク色の河津桜をメインに、プリムラ、ノースポール、バーベナなどの春のお花達で制作しました。


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ミツバチからのメッセージ №43 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

イタリアー3

        造園家・ミツバチ保護活動家  御園 孝

アオスタはイタリアの北のはずれですが、そこからしばらく南下するとルッカにつきます。車で30分ほど山の中へ入ったセレにはプッチーニの家族が住んでいた建物があり、その一部がプッチーニの博物館になっています。
プッチーニはここでオペラ蝶々夫人を作曲したのですが、彼の作曲に使ったピアノが展示されています。友人はドイツの楽団に長く所属していた音楽家です。彼女はそのピアノで蝶々夫人を演奏しました。CDとは比べ物にならないほど素敵でした。
セレから裏山を徒歩で1時間ほど登っていくとシェレロ村に到着します。その辺りは栗林が多く栗の名産地として有名です。林床には最高においしいキノコのポルチーニが生えます。栗は優秀な蜜源なので、養蜂が盛んです。色とりどりの巣箱に沢山出会うことが出来ます。

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セレ
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プッチーニの博物館
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プッチーニの写真
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蝶々夫人を演奏
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ボルチーニ
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色とりどりの巣箱

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多摩のむかし道と伝説の旅 №59 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

         中世の軍道 深大寺道を行く 5

              原田環爾

 庚申堂を後にして東久留米市と新座市の都県境を北上する。交差点「神宝町一丁目」で通りを横切ると深大寺道は急な上り坂となる。上りきった所は丁字路帯で東久留米市立第四小がある。小学校を左に見てうねうねと道なりに進むと、沿道左は東久留米団地が広がる。団地の端で狭い車道を越えて新座市に入る。数軒の民家を抜けるとのどかな畑風景が展開する。道は畑の真ん中を真っ直ぐに北に突き進み、民家の前の通りで丁字路でぶつかる。かつての深大寺道はこのまま直進したのであろうが、今は消えてしまっている。右折して100mばかり東へ進んで再び北へ向かう富士見新道と称する道筋に入る。道幅が狭い割りに車両の通行が多いので注意が必要だ。ほどなく深大寺道5-1.jpg「西堀公園」の道標の掛かる水道通りと交差する。水道通りの南側に沿って一条の用水路と遊歩道が走っている。遊歩道は馬喰橋通りといい、用水路は野火止用水である。知恵伊豆の家臣安松金右衛門が開削した水路だ。橋の傍らには古びた堂宇があり、庚申塔と馬頭観音が祀られている。野火止用水は江戸時代の明暦元年(1655)、玉川上水開削工事を指揮した老中で川越藩主の松平伊豆守信綱がその功績により玉川上水の水量の3/10を不毛の野火止原野に分水することを許され開削した用水路だ。小平で分水され東村山、清瀬、東久留米、埼玉県の新座を通り、一部は平林寺に注ぎつつ新河岸川に至る全長25kmに及ぶ用水路である。野火止新田開発に尽力した伊豆守をたたえ伊豆殿堀とも呼ばれる。実際の開削工事は信綱の家臣で数理に秀でた土木技師安松金右衛門によって行われた。三千両の資金で一度も失敗することなく40日余で開削したと伝える。彼はまた玉川上水開削工事に二度の失敗を繰り返し難渋する玉川兄弟を技術面で陰ながら支援した人物としても知られている。
 富士見新道を北に進む。やがて沿道左には広大な米軍通信隊基地が広がり、右手には総合運動場が展開する。まさに辺り一面武蔵野台地といった景観になる。その広大な空間をただひたすら北上すると、やがて家屋が現れ「本多庭球場」の道標のかかる辻で陣屋通りと交差する。「陣屋通り」の名はこの通りがここより東にある平林寺の傍らにあった陣屋に通じる道であったからだ。程なく車の行き交う志木街道に丁字路でぶつかる。左折して100mも西へ進めば、道標「清瀬旭が丘団地」の掛かる丁字路帯に来る。ここから北へ向かう道が恐らく深大寺道の続きであろう。恵山通りを右にやると程なく旭が丘団地南縁の車道に出る。ここより新座市から清瀬市に移る。深大寺道は団地で消えているので左へ迂回する。車道を左にとるとすぐ団地の西側を南北に走る旭が丘通りにでる。角の団地の一角にはこんもりと雑木林で覆われた小公園になっている。旭が丘通りを北へ進むと柳瀬川通りと交差する。交差点の北東角地の土手の上には鎮守の杜があり、上宮稲荷神社になっている。交差点を渡り緩やかな坂道を上ると、上がりきった 所で右手方向に分岐する細い下り坂の路地がある。観音坂といって坂の100m 先には寺の屋根が見える。清瀬の古刹清水山円通寺だ。清水山圓通寺は真言宗豊山派の寺で、南北朝時代の暦応3年(1340)の創建で、清瀬では最も古い寺とされる。清瀬古道に面する寺の山門の横には重厚な造りの長屋門が目を惹く。寄棟瓦葺(もとは茅葺)で天保15年(1844)の再建という。山門のそばには地蔵や道祖神など石仏・深大寺道5-2.jpg深大寺道5-3.jpg石塔が佇む。山門をくぐれば、正面に銅板葺の本堂、右に鐘楼があり、傍らに弘法大師像が立っている。本尊は木造観世音菩薩立像で別名「駒止観音」と呼ばれている。駒止観音にはこんな伝説が残されている。この観世音菩薩像は建武中興戦争で活躍した新田義貞の弟脇屋義助が、劣勢の南朝を立て直すため北畠顕家と再挙をはかるべく奥州へ下向する途中、鎌倉松ヶ岡の東慶寺から守り本尊として奉持したもので、初め圓通寺の門前に堂を建てて安置したという。ところがそれ以来馬に乗ったままここを通ろうとするとなぜか必ず落馬した。このことから別名駒止観音と呼ばれる様になったという。そして観音像はいつしか圓通寺の本尊になったという。圓通寺に通じる観音坂の名はこの観世音菩薩像に由来すると言われる。
深大寺道5-4.jpg 円通寺を後にして旭が丘通りに復する。間もなく柳瀬川に架かる城前橋の袂に来る。城のデザインをあしらった趣のある橋だ。下を流れる柳瀬川は狭山丘陵の北麓を水源に、清瀬市と所沢市との都県境を流れる川だ。北岸には中世の山城滝の城址のある城山が望見できる。上杉氏の重臣大石氏の城で、川越城と深大寺城の中間点に位置する。城前橋を渡り滝の城址を目指す。橋の北詰めから右手に分岐する土の側道に入るとすぐ、滝の城址公園の駐車場に入る。駐車場を抜けて高い武蔵野線のガード下をくぐるとそこが城址公園になっている。公園は鬱蒼と樹々で覆われた城山を背景に、野球グランドやテニスコートが深大寺道5-5.jpg広がる落ち着いた公園だ。園内の小道を進むとすぐ城山の麓にぶつかる。そこから石垣に沿って城址へ向かう階段がある。階段を左回りに回り込み城山の中腹へ上がると、右手に「城山神社」と刻んだ石柱と鳥居が立っている。鳥居の先は細い急階段で、ここを上がり再び鳥居をくぐるとそこが城山の頂上だ。頂上は平坦な削平地でここに神社の本殿があり、城の本丸跡でもある。本丸の南側は断崖絶壁で、眼下を望むと柳瀬川を挟んだ清瀬市内を見渡すことが出来、戦国の城にふさわしい要害の地と言える。本丸の社殿に向かって左手にある大きな石の鳥居をくぐると左に社務所、右手前方に二の丸がある。その二の丸の手前を右へ入る小道は三の丸へ向かう道だ。空堀の遺構が見事に残されている。
深大寺道5-6.jpg 滝の城は室町から戦国時代にかけて、自らを木曾義仲の後裔と称し、関東管領上杉氏の重臣として多摩に勢力を振るった大石氏が築城した。第12代大石定重の時、八王子の多摩川沿いの加住丘陵に滝山城を築きこれを本城とし、また柳瀬川の北岸に滝の城を築きこれを支城とした。文明10~18年(1478~1486)のことと推定される。しかし次の大石定久の時、上杉氏が小田原北条氏との関東の覇権をめぐる争いに敗れると、定久は北条氏の圧力に抗しきれず、北条氏康の次男氏照を娘婿に迎え入れて滝山城を譲り、自らは五日市の戸倉城に隠棲した。これに伴い滝の城も同様に北条氏照の持ち城になった。しかし天正18年(1590)、天下統一を目指す豊臣秀吉の攻撃によって、関東各地の北条氏の支城は次々と落城、小田原本城も落とされて北条氏は滅亡した。太田下野守の守備する滝の城が一戦交えて落城したのか、戦わずして開城したのか不明であるが、いずれにせよ戦国の終焉とともに廃城となった。
 城址を出て東所沢病院を左にやると東西に走る広い車道に出る。ここは地名が「城」と呼ばれる所で古い土地柄だ。深大寺道はここから更に北を目指して川越へ向かうのであろうが、本稿ではここで終わりとする。帰路はここから西へ2kmばかり離れたJR武蔵野線東所沢駅へ向かえばよい。(完)


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道つづく №6 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

冬籠

           鈴木闊郎

  冬木立天地の間を睥睨す

  籠居の埋火ちらと跳ねにけり

  凍て土を破りて芽吹くもののあり

  冬蕎麦の献上の冽高尾山

  冬籠大地喜和子のシネマ見る

         花鳥諷詠誌「駒」二〇十二年三月二二二号

鈴木闊郎氏略歴
 1933年 立川市生まれ。早稲田大学卒。(株)立川印刷所2代目オーナー。
 立川の粋人として知られた。俳誌『駒』同人。2020年没。


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線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №170 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

しなの鉄道   

            岩本啓介
 

国鉄の近郊型車両115系は製造から50年、首都圏から姿が消え 
第3セクターの“しなの鉄道”からの引退も近かづいているようです 

朝は墨絵の世界 

170横須賀色・黒姫~妙高高原.jpg

雪はやんでも まだ陽がささない山沿いの鉄路は墨絵の世界 
懐かしい 横須賀色にリバイバル塗装された115系は走ります 
      3月3日 10:01 

午後は鮮やかな色絵の世界
 

170線路用★黒姫~古間.jpg

雪化粧の木々 田んぼも新雪が積み増し まぶしく鮮やかな世界 
懐かしい 湘南色の115系も一段と輝いていて走ります 
      3月3日 15:39 


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押し花絵の世界 №130 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「春をあなたに」

         押し花作家  山﨑房枝

2021・3月下.jpeg
  
27cm×27cm
私の花生活No.93号 掲載作品

河津、染井吉野、枝垂れの3種類の桜を入れて桜づくしの春色のプレゼントとして仕上げました。


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多摩のむかし道と伝説の旅 №58 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

     中世の軍道 深大寺道を行く 3

           原田環治

深大寺道4-1.jpg 富士街道を横切り榎ノ木通りに入る。因みに富士街道を東に200mも進めば西武新宿線の西武柳沢駅がある。榎ノ木通りは集落の中をうねうねと縫う細い街路だ。ほどなく車の行き交う新青梅街道と交差する。新青梅街道を渡り更に進むと保谷街道に出る。保谷街道を横切り泉町に入ると左手北西方向へゆるやかにカーブする。すると右手後方から関道が合流する。合流点のすぐ先に三差路があり、その一角に古びた庚申堂が立っている。堂内には青面金剛像が祀られている。傍らの由緒書によれば、この辺りは榎の木と呼ばれ、当初は江戸時代の高札場であり、上保谷村の中心であったことから、榎の木の庚申様と呼ばれたという。台石には二鶏と三猿が刻まれ、その上に邪鬼を踏みつけた青面金剛の全身像が立っている。 江戸八丁堀松屋町のいずみや三郎左衛門の作で、正徳4年11月22日(1714)武州新倉郡上保谷村の18人深大寺道4-2.jpgの講中によって造立されたとなっている。もとは6腕であったが、昭和20年(1945)、米空軍の爆撃で、向かって右2腕と左1腕が失われたという。
 庚申堂を後にして泉町の集落の中を進む。ちなみに沿道右手100mばかり入った集落の中に江戸時代中頃創建の宝樹院という真言宗智山派の寺がある。山号を慈光山と号し保谷四軒寺の一つと言われる。やがて横山道と称する道と交差する。横山道の名の由来についてはこの道筋が横山(現八王子)に通じる道筋であったからという。すなわち平安末から鎌倉時代初頭にかけて横山は武蔵七党の一つ横山党の本拠地であった。横山党は多摩丘陵(古くは多摩の横山と呼んだ)を望む八王子の横山を本拠に活躍した武士団で、鎌倉幕府草創期に重要深大寺道4-3.jpgな役割を演じた。横山道とはそんな横山から保谷を経由して新座を結ぶ古道であり、中世の武士達や軍馬はこの道筋を往還したのであろう。なお横山道に沿って北東方向へ100mも進めば沿道に寶晃院、東禅寺、尉殿神社、如意輪寺と寺社が軒を並深大寺道4-4.jpgべている。寶光院と東禅寺、如意輪寺、それに先の宝樹院を加えた四ヶ寺を保谷四軒寺と呼ぶ。保谷四ヶ寺の寶晃院は真言宗智山派の寺で正式には金輪山寶晃院明王寺という。 尉殿神社の別当寺である。東禅寺は祥高山東禅寺という曹洞宗の寺で、元は田無にあった西光寺が移転してきたものという。如意輪寺は真言宗智山派の寺で山号を光明山と号す。創建年代は不詳であるが江戸時代初期と思われる。なお尉殿神社は永正2年(1505)の創建との社伝があるが、建長年間(1249~1256)の創建とも言われる。祭神は級長戸辺命(シナトベノミコト)と天照大神。江戸時代終りまで本地垂迹思想に基づき尉殿権現と称され、水の神ジョードノを祭ったことに始まる。本地の神体は水の守護神倶利伽羅不動明王であり、垂迹(権現)の神は龍田風神の祭神級長津彦命(シナツヒコノミコト)と級長戸辺命の男女二座という。
 横山道を越えると街路は一段と狭くなり、左に直角に折れて数10m進めば南北に走る、いささか広くなった谷戸住吉通りに入る。おそらくここで元の深大寺道の道筋に復したものと思われる。ひばりが丘中を右にやり、小さな住吉第4公園を右にやりすごすと、やがて東西に走る広い車道に出る。前方には背の高いマンションが望見できる。西武池袋線のひばりが丘駅の界隈に来たのだ。車道を渡りうねうねと道なりに進むと、ほどなく高層マンショ深大寺道4-5.jpgンの裏手に丁字でぶつかる。左へ折れて50~60mも進めばひばりが丘駅へ向かう都道112号線に出る。右折して通りを北に採れば正面がひばりが丘駅で、左右に西友やパルコ等賑やかな駅前のビル群が現れる。
 駅の西側のパルコ前で踏切を渡り「ひばり銀座商店街」の路地に入る。賑やかな商店街を抜ける辺りにミラーのある辻がある。その辻を右折した後再び北へ向かう通りに入る。通りは西東京市を離れ東久留米市と新座市の都県境に沿う道となる。集落を抜けるとやがて広い県道234号線に合流する。合流点の左50mばかりの所にこんもりと鎮守の森に覆われた小さな浅間神社がある。合流点に戻り、S字状に蛇行する県道を右へ100mばかり進んでヤオコーのある丁字路帯で再び北へ向かう深大寺道4-6.jpg通りに入る。通りに入ると程なく沿道左に古びた堂宇がある。中には馬頭観音の文字塔1基と刻像塔1基がある。刻像塔の台座には栗原と刻んであることから、この辺りの栗原村の講中が造立したものであろう。用水路のある集落を抜けると前方に橋が見えてくる。黒目川にかかる神宝大橋だ。橋上から黒目川の上流に目をやると支流の落合川が合流している様子が望見出来る。因みに黒目川は都立小平霊園内の遊水池「さいかち窪」を水源とし、小刻みに蛇行しながら東流する。一方落合川は黒目川の支流で南沢緑地の4箇所の湧水を水源に北東方向へ流れ、深大寺道4-7.jpgこの神宝大橋のすぐ上流で黒目川に合流している。合流後の黒目川は新座市南部を蛇行を繰り返しつつ流れ下り、朝霞市に入って新河岸川へ注いでいる。
 神宝大橋を渡ると右手路傍に小さな堂宇がある。中には摩滅した庚申塔が1基納められている。栗原では庚申塔が多く、その多くが三叉路に立っていた。村内に流行病等が進入しないように村の三方に祭られたのが始まりだという。戦前までは庚申の日に住民が集まって一晩中お祭りをしたというが、今はその風習はなくなってしまったとのことだ。(つづく)


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道つづく №5 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

初芝居

          鈴木闊郎               


  豆を打つ馴れぬ袴をつけてをり

  水仙の四五本ありてけなげなり

  寒稽古固き畳の広々と

  初芝居石切梶原吉右衛門

  長岡の「八一」なる酒拳にぬくし


           花鳥諷詠誌「駒」二〇十二年二月二二一号


鈴木闊郎氏略歴
 1933年 立川市生まれ。早稲田大学卒。(株)立川印刷所2代目オーナー。
 立川の粋人として知られた。俳誌『駒』同人。2020年没。

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線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №169 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

飯山線  

               岩本啓介                                

積雪7.85m日本記録・秋山郷     

169森宮野原~横倉.jpg

秋山郷の最寄り駅・森宮野原駅に記念碑があります                          
昭和20年2月12日の記録ですから ずいぶん昔                               
でも 豪雪地帯の雰囲気は 今でもありますね                              
森宮野原~横倉                          

雪の棚田と志賀高原の山並み 

169蓮~替佐・.jpg

千曲川と飯山線に囲まれた小さな棚田                              
すっぽり 雪に覆われています                            
蓮~替佐                                




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