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多摩のむかし道と伝説の旅 №121 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

          多摩のむかし道と伝説の旅(№29)
            ー西多摩の多摩川河畔の桜道を行く-
                   原田環爾

 多摩には桜の名所と呼ばれる所が幾つもある。とりわけ水辺の桜は清々しい周囲の景観と相まってことのほか美しい。そんな水辺の桜の一つに多摩川河畔や玉川上水水辺の桜がある。総延長数十kmに及ぶ河畔には、上流から下流にかけて各所に見ごたえのある桜処が散在する。そんな中、西多摩の福生熊川の睦橋から羽村堰にかけての多29-1.jpg摩川河畔と、更にそれに続く上流の多摩川河畔には桜並木が切れ目のなく続き、まさに桜の回廊とも言える道筋になっている。都心から遠く離れているだけあって、それらを取り巻く緑溢れる山河の風景とあいまって一層桜を引き立たせている。更に福生熊川や羽村は古い土地柄だけあって、そこかしこに歴史的な遺構、文化財、伝説が散在している。例えば熊川分水や多摩川の渡し跡、旧鎌倉道に酒蔵、中世の西多摩を支配した三田氏や坂東の英雄平将門と伝説の将軍藤原秀郷らの伝承を伝える社寺などがある。今回はJR青梅線の拝島駅から小作駅に至るまでの西多摩の多摩川河畔に連なる桜道を辿ってみたいと思う。ただ歩くと相当な距離になるので、ここでは前編に拝島駅から羽村駅までのコース(桜:睦橋~羽村堰)を、後編に羽村駅から小作駅までのコース(桜:羽村堰~阿蘇神社)と2コースに分けて実踏経験を解説する。

[前編]拝島駅から羽村駅まで(桜:睦橋~羽村堰)
 本コース概略は次の通り。JR青梅線拝島駅から明神通りを経て旧村の集落に入る。熊川神社、熊川分水、下の川緑地せせらぎ緑道を経て睦橋の袂に出る。睦橋からは福生南公園を経由して多摩川河畔の桜堤に入り、多摩川中央公園を経て福生柳山公園へと桜の道を進む。 福生の地酒の老舗田村酒蔵を経て玉川上水の宮本橋の袂に出る。宮本橋からは上水沿いに、かに坂、加美上水公園を経て羽村に入り、上水の桜堤を進んで羽村堰へと向かう。帰路はJR羽村駅へ至るものとする。詳細地図を次図に示す。

29-2.jpg

 拝島駅を出て駅前の道を右へ進み、突き当たりの稲荷の前を左に曲がる。そのまま直進してもよいが、車が多いのでコンビニの横で右折して山王橋通りに入る。すぐ 国道16号東京環状の武蔵野橋のガードをくぐり、そこから2つ目の丁字路帯で左折して真っすぐ直線的に延びる明神通りに入る。通りの名はこの先の熊川神社(熊川明神とも呼ばれている)に通じる道だからであろう。200mも進めば車が激しく行き交う新奥多摩街道に出る。街道の筋向いにファミリーレストラン「BigBoy」があり、その左隣りから集落へ入る狭い路地が見える。街道を横切りその路地に入るとすぐ左右2つに分岐する。右の小路をとると傍らに幅1m足らずの用水路に清澄な水が流れている。玉川上水から分水された熊川分水だ。目をあげて小路の前方に目をやると、こんもりと茂った林を背景に鳥居が立っている。それが熊川の鎮守熊川神社だ。鳥居の前まで来ると神社の玉垣の外周を沿うように熊川分水が流29-3.jpgれている。鳥居の前左手には神社が運営する「杜の美術館」がある。土日祝日のみの開館で拝観料は500円となっている。境内に入ると正面に拝殿があり、裏にまわると骨組み柱だけの覆殿に納められた本殿がある。そのほか琴平神社、「村人の資料館」といった建屋もある。また七福神のすべてを祀っているのも面白い。なお熊川神社がいつ創建されたかは不詳だが、平安時代の初めに多摩川の砂鉄を産鉄していた部族が鉄神として宇賀神を祀ったのが始まりという。その礼拝塚が後に神社になったという。江戸時代は礼拝大明神と称し、熊川村の鎮守であった。祭神は大国主命。本殿は現存する棟札から慶長2年(1597)に建てられたもので、都内に現存する本殿としては2番目に古い建物という。境内に奉られている琴平神社は讃岐の金毘羅宮から明治13年に勧請したもので、当時熊川にあった製紙工場の女工達の憩いの場として毎月10日の縁日は賑わったという。なお正面鳥居横の「杜の美術館」は文政8年(1825)に建立された村の寄合所という。
29-4.jpg 熊川分水はここより北約500mの所にある牛浜幸楽園辺りの玉川上水から分水され、熊川地区の中央を流れ下って福生南公園のどうどう橋付近から下の川に流れ込む全延長約2kmの分水だ。比高差10mもの拝島段丘上にある熊川村は水が乏しく村民は難渋していた。承応3年(1654)玉川上水の開削後も分水は容易に行われず、明治になって石川酒造の当主石川弥八郎等の尽力により分水が許可され、明治20年(1887)から工事を開始、明治23年ようやく完成した。工事には述べ7000人余りが従事したという。経費一万五百円の約4割を石川家が負担したという。分水された水は飲料水、生活用水、水田の灌漑用水、酒造、製紙業などの工業用水として使われた。
29-5.jpg 熊川神社の西鳥居を出て熊川通りに入る。熊川通りは拝島段丘の断崖上に沿う道のため、多摩川低地に広がる住宅街を一望の元に見渡すことができる。通りを南へ50mも戻れば段丘下へ降りる坂道がある。坂道を下り降りると、そこはせせらぎが流れる瀟洒なハケ下の遊歩道となっている。かつては味気のない用水路であったが、その後整備され、平成16年に「下の川緑地せせらぎ公園」としてオープンした。遊歩道を南へ進む。所々ハケ上へ上がる階段や下り階段が備えられている。ハケ上には見晴らしのいい展望台がある。この先遊歩道は睦橋通りぶつかって終わる。(つづく)


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