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浅草風土記 №24 [文芸美術の森]

隅田川両岸 
         作家・俳人  久保田万太郎

     白髯の渡し

 白髯の渡し……隅田川に残っているたった一つの渡しである……といっても、それとて、むかしのまんま残ってはいないのである。……むかしのことにして、いまは、七八間川下にその位置を占めているのである。そこには、「白髯の渡し」としるしたものの代りに 「土木局浅草出張所材料置場」としるした棒杭が立っている。……はっきりいえば、だから、そこは決して「白髯の渡し」の上り場ではなく、「土木局浅草出張所材料置場」の一都に、たまたま「白髯の渡し」がその桟橋をもっているのである。
 が、そんなことはどうでもいい、それよりも、ある夕方、「十年まえ紐育(ニューヨーク)て乗ったきりついぞ渡しというものに乗ったことかないという一人の紳士とともに、わたくしは、その桟橋のすぐ上の岸に馬鹿な額をして立ったのである。……矢っ張、七月の末の、風のない、曇った日だった。
 五分、十分、十五分、用捨なく時間は経って行った。が、みえるはずの舟のかげはいくら待ってもみえて来なかった。……はげしく桟橋をあらいつつ上げている汐のいろと一しょに、あたり、みるみるうちに暗くなったということは、それまでは、でも、おぼっかなく読めていた制札の、乗客金二銭、自転車金二銭、乳母車金二銭、人力車金二銭、そうした個条書の文字がわずかな間に、ばったりと全く見えなくなってしまったのである。
「来るんですか、たしかに?……」
 紳士は心細そうにいった。
「来ます」
 自信をもってわたくしはいった。
 どうしてわたくしに、自信をもってそういえたかということは、わたくしたちの外に、わたくしたちよりもまえからそこに立っている二人の女性かあったからである。二人とも浴衣形(ゆかたなり)の、一人は髪を引っつめにして、大きな新聞紙包みを抱え、一人は銀杏返しの、小さな袱紗包みを抱えた片っ方の手に、音無しく日傘をもちそえていた。……ともに、さすがに足袋をはいていないことに徴しても、うたがいなく土地っ子の、始終この渡しに乗りつけている人たちと私は鑑定した。……すなわち、わたくしは、その二人をたよることによって、その自信を得たのである。
 そのあと、また十分はどすぎた。……依然、てがかりをさえ、わたしはもたなかった。
「行きましょう。……あきらめましょう、もう」
 紳士はまえよりも一層心細そうにいった。
「大丈夫。……」
 どこまでも、わたくLは、強情を張った。
 と、そのとき、突然その引っつめの一人はわれわれのむれをみ捨てた。通りのほうへ向いてさっさとあるきはじめた。そして、あとに、女一人、男二人、「土木局浅草出張所材料置場」といえば聞えがいい、要は製氷会社の裏の、ガランとした、真っ暗な、震災の名残をいまなおとどめている焼野原のような中に、謎のように残されたのである。
 二分、三分、五分。……
「行きましょう。通りへ行って、早く自動車に乗りましょう」
 逆に、紳士、今度は勇気を出してこうし言った。
「口惜しいな、けど……」
 半ば自分にいうようにわたくしはいった。……わたくしとていつまても、そうしているこよの下らなさは知っている。……が、それにしても、その銀杏返しの人の、しずかに、っそういっても安心しきったさまに、河の上をみまもったまま動かないことである。……
それをみると、わたくしに、いまさらあとに引けないものか感じられるのである。
「五分、……あと五分」
 わたくしはれたくしの連れの紳士にいった。
 その五分。……あとのその五分に於てしかし、暗い水の上にポツリと一つ、赤い火がうかんでいたのである。そして、だんだんその赤い火のわれわれのほうに近づいて来たとき、われわれは、われわれの待っていた舟の、音なつかしい櫓の音をはっきり感じたのである。
……同時に、問もなくその舟の着いたとき、そしてそのと桟橋を上って来たその舟からの客の、お内儀さん風の女の人一人だったのをみたとき、いかにその舟の、向河岸からの来方に手間がとれたかということがわたくしにはッきり分ったのである。……渡しというもの、そんなにも乗りてがなくなったのであろうか?……
 このあと、四五日して、わたくしは、鏑木清方さんに逢う機会をもった。……わたくしは詳細にその話をして、鏑木さんに、その銀杏返しの女性をわたくしがもし日本画家なら描くがといい意味のことをいった。
「しかし、描けば、夕方にはしません、日ざかりにします。……そして『日ざかり』という題をつけます」
 あきらかに、そのとき、焼野原の、土管だの、煉瓦屑だの、ごろたいしだのの散乱したけしきをわたくしは意識していたのである。……とはいってもしかし、そこに描きそえるであろう棒杭に、「土木局浅草出張所材料置場」とは、わたくしといえども書かないであろう。うそにも「白髯の渡し」と書くだろう。
 鏑木さんはわらっていた。

[浅草風土記』 中公文庫


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