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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №126 [文芸美術の森]

           明治開化の浮世絵師 小林清親
             美術ジャーナリスト 斎藤陽一

                   第9回 
        ≪「東京名所図」シリーズから:夜の光景≫

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 これまで見て来た小林清親の絵の中にも「夜の光景」がいくつもありましたが、「東京名所図」シリーズ全体の中でも「夜景」シーンは目立って多い。同シリーズ93点のうち、「夜景」は25点(27%)に及んでいます。

 小林清親は「夜の光」に強い関心を持っていた絵師でした。彼にとって、「夜」はたんなる「暗闇」ではなかった。そこには、提灯や行燈の光があり、ランプのほかに新時代のガス燈の光もあった。
 夏には花火もあり、川岸を飛ぶ蛍の微光があった。清親にとって、燃え盛る火事の炎さえも夜空と川面を輝かせる光だった。彼は、これらの「光」をみんな絵にしている。
 小林清親にとっては、「夜」こそが「光」の存在を最も効果的に見せることができる時刻だったのではないでしょうか。

 これからしばらくは、清親が描いたさまざまな「夜景」を鑑賞していきます。

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 上図は、小林清親が明治12年(32歳)に制作した「隅田川夜」

 宵闇迫る時刻、静かに流れる隅田川のほとり、ステッキを持ち帽子をかぶった男と着物姿の女が、黒いシルエットで描かれている。対岸の景色も輪郭線を使わないシルエットで表わされ、朧な夜の雰囲気が醸し出される。
 男が手にしている小田原提灯の光が、わずかに足もとを照らす。
 対岸の家々から洩れる灯りは水面に映り、揺れている。

 男と女は、静かに流れる隅田川と街の灯を眺めながら、たたずんでいる。夜の光と影が織りなす情景は、明治の小説にでも出てきそうな文学的香りを漂わせている。
 二人はひそやかに語り合っているのかも知れない・・・・
 「お前様、東京になってから街のようすも変わってしまいましたね。」
 「そうだね、“お江戸は遠くなりにけり”だなぁ。」

 明るい都会の光に慣れた現代の私たちをも、旧き時代への郷愁に誘う絵ですね。

 次は、浅草・浅草寺境内の「夜見世」(よみせ)を描いた作品。

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 これは、小林清親が明治14年(34歳)に描いた「浅草夜見世」
 左に大きく仁王門、右隅に五重塔が見える。ここに描かれている仁王門と五重塔は、昭和20年の東京大空襲によって焼失してしまった。現在、浅草寺で見る建物は、戦後、再建されたもの。

127-4.jpg 筆者が子ども時代を送った北関東の地方都市でも、夏の夜店は、アセチレンランプの匂いとともによみがえる懐かしい思い出ですが、明治初年頃の照明はまだローソクだったでしょうね。

 出店が灯すローソクの灯りが暗い境内のあちこちを明るくしている。
 そぞろ歩く人々の姿は黒い影で表わし、店の呼び声に引きつけられた女や子どもの顔は灯りの中に浮かび上がる。
 清親は、夜見世の情緒を「光と闇の対比」によって表現しています。

 次も、隅田川河畔の夜の光景を描いた作品。

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 この夜の絵は、小林清親が明治13年(33歳)に制作した「大川岸一之橋遠景」
 隅田川の西岸の浜町河岸を走る人力車と、川向うの両国界隈の家並みを描いている。対岸に小さく見える橋が題名にある「一之橋」。

 夜空には満月が浮かぶ。その周りは明るい円のかたちにぼかされ、月が煌々と輝いている情景が表現されています。
 柔らかな月の光、対岸の家並みから洩れる灯りは、川面に映り、ゆらめいている。

 そんな満月の夜、浜町河岸を「二人引き」の人力車が走ってゆく。その姿は、逆光のなか、黒いシルエットで表わされる。
 人力車に乗っているのは女性。髪は、芸者衆に好まれた「つぶし島田」に結っているようなので、粋筋の女性か。「二人引き」の人力車は急ぐ時に仕立てられたので、お座敷に呼ばれた芸者が急いで駆けつけるところかも知れない。まことに情緒纏綿たる月夜の風景です。

 明治6年、浜町河岸に料亭「常盤」が開店してから、ここは花街となりました。
 戦前に芸者の市丸姐さんの唄で流行った歌「明治一代女」では、そんな浜町河岸の情緒を次のように歌っています。
 「浮いた浮いたと浜町河岸に 浮かれ柳の恥ずかしさ
  一目忍んで小舟を出せば すねた夜風が邪魔をする・・・」

 次回もまた、小林清親の「東京名所図」シリーズから「夜の風景画」を鑑賞します。

(次号に続く)


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