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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №131 [文芸美術の森]

                        明治開化の浮世絵師 小林清親
                                美術ジャーナリスト 斎藤陽一

                                           第14回 
                  ≪「東京名所図」シリーズから:雪の情景≫

 前回に続いて、小林清親が描いた「雪の情景」をひとつ紹介します。

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 これは、小林清親が明治9年(29歳)に制作した「開運橋 第一銀行雪中」

 ここは、現在で言うと日本橋兜町界隈。橋の下を流れる川は紅葉川と言い、もともとここには「海賊橋」という木の橋が架けられていたのですが、明治8年に石造りの橋に架け替えられて「開運橋」という名前の橋に生まれ変わりました。(現在、川は埋め立てられて道路となり、この橋も存在しません。)

 絵の中で、ひときわ目立つ和洋折衷の建物は、明治5年に竣工した第一国立銀行。「擬洋風建築」と呼ばれるこの様式の建物は、開化期に盛んに建てられました。(現在、ここには、第一銀行の後裔である「みずほ銀行」が立っています。)

132-2.jpg このモダンな建物は、人々の注目を集めて東京の新名所となり、当時の「開化絵」にもしばしば描かれましたが、そのほとんどは、青空にそびえたつ晴れやかな洋風建築として表されています。

 しかし、小林清親は、これを、雪の降る日のどんよりとした空を背景に描くことによって、カラフルな洋風建築の姿を際立たせています。
 当時の写真と比べると、清親が、いかにしたら「絵画的な風景」に仕立られるかを考えて、このような構想にしたことが推察できます。

 画面中央、和傘をさし、後ろ姿を見せている赤い帯の着物の女が、この雪景色の中の鮮やかなアクセントとなっている。これは、洋風建築の「明治」に対する「江戸」、という新旧の対比を意識したものでもあるでしょう。

132-3.jpg この女性がさしている傘には、「銀座」「岸田」という文字が書かれている。これは、銀座で、「精錡

水」なる「目薬」で有名な「楽善堂」という店を構えている岸田吟香を指しています。
 岸田吟香は旧幕臣。「東京日日新聞」の記者をしたあと、家業の「楽善堂」の経営に精出していました。吟香の息子が、のちに画家となった岸田劉生です。
 小林清親は、岸田吟香と知り合いでしたので、この絵は、楽善堂の宣伝広告の意味合いもあるのかも知れません。

 それにしても、雪道にたたずんで、洋風建築を眺めている女性の後ろ姿が、この絵に、格別の情感をもたらしていますね。現代の私たちもまた、しんしんと雪が降るこの絵を見るとき、何とも言えない郷愁を感じます。

 昭和6年、俳人・中村草田男は、のちによく知られる句を詠みました。

   降る雪や 明治は遠くなりにけり   中村草田男

 清親の絵を見ると、この句がしみじみと思い起こされます。

≪両国大火と「東京名所図」終了≫

 明治14年1月26日未明、神田松が枝町から出火した火は、東神田一帯を焼き尽くした後、火の手は隅田川を飛び越えて、本所、深川という両国界隈へと延焼、16時間も燃え続き、1万数千戸が焼失しました。「両国大火」と呼ばれる火事です。

 火災が発生するや、小林清親は、写生帖を手に家を飛び出し、終日、火のあとを追って写生をし続けた。その間に、清親の家も焼けてしまいました。
 自宅焼失という災難にもめげず、清親は、写生をもとに「両国大火」の様相を3枚の木版画に仕上げ、発表。速報写真もなかった当時、これらは爆発的な売れ行きを示したと言います。(下図がそれらの木版画)

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 ところが、これを境に、小林清親は、せっかく開拓した新しい「東京名所図」シリーズの制作をやめてしまうのです。明治14年、清親34歳のときでした。

≪清親画の転換≫

 代わりに清親は、「ポンチ絵」と称する戯画、時局もの、風刺画、戦争画などをつぎつぎと描くようになります。(下図参照)

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 これは、異様な転換ですが、その理由や原因は定かではありません。

 さらに、明治17年から18年にかけて、新しい版元・小林鉄次郎の注文により、歌川広重の「名所江戸百景」シリーズを意識した連作「武蔵百景」を制作しますが、あまりにも広重の作風に倣い過ぎて、全体として「江戸懐古調」のおもむきとなり、清親の独自性はあまり見られず、世間の評判とはなりませんでした。そのせいか、34点で制作は中止されてしまいました。(下図参照)

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≪明治の終焉、浮世絵の終焉≫

 明治45年7月30日には明治天皇が崩御、明治時代は終わりました。

 江戸時代から明治開化期に生き延びてきた浮世絵は、新時代に適合すべく、「開化絵」「報道絵」などで延命を図りましたが、やがて、時代が進むとともに発達してきた印刷技術や写真技術によって、決定的な打撃を受けました。
 小林清親が得意とした「名所絵」も、写真技術の向上によって急速に盛んとなった「絵葉書」の流行に取って代わられてしまいます。
 「浮世絵」(錦絵)の需要は無くなり、版元も壊滅状態となって、明治の終焉と共に、浮世絵もその終焉を迎えたのでした。

 大正4年11月28日、小林清親は、東京・滝野川・中里の自宅で、68年の生涯を閉じました。
 その前半生は、幕末の動乱に翻弄され、代々続いた幕臣の家禄を失い、困窮します。
 絵師になってからの後半生は、江戸の面影を残しながらも新しい街に変わっていく東京の様相を、光と影の対比の中にとらえた風景版画で人気を得たものの、浮世絵自体の衰退に向き合わなければなりませんでした。
 まことに小林清親は「開化の絵師」であり、「明治最後の浮世絵師」の名にふさわしい画家だったと言えましょう。

 これまで、≪西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」≫と題した連載の中で、第35回の「葛飾北斎」をトップバッターに、歌川広重、喜多川歌麿、鈴木春信、東洲斎写楽、歌川国芳、小林清親という絵師たちを取り上げて、「浮世絵の魅力」を紹介してきましたが、これで「浮世絵」シリーズは終了とします。

 ≪西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」≫、次は、鎖国体制下の江戸時代に、さまざまな苦心を重ねながら、銅版画や油彩画などの「洋風画」に取り組んだ二人の先駆者、司馬江漢と亜欧堂田善の画業を紹介します。

(シリーズ「浮世絵の魅力」 終)


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石井鶴三の世界 №259 [文芸美術の森]

妙見菩薩像 2点 1958年

      画家・彫刻家  石井鶴三

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妙見菩薩立像 1958年 (175×126)
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妙見菩薩像 1958年 (175×126)

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【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】
明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。

『石井鶴三』形文社


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浅草風土記 №29 [文芸美術の森]

浅草田原町 3

           作家  久保田万太郎

 正午近くに、いつも、向うの肴屋の河岸がかえって来て、立てた葭簾(よしず)のかげに大ぜいお客のあつまるとき、目かくしをした学校の二階からゆたかなオルガンの音が聞えて釆ました。
 三時に学校が退けると、今度は、御新造(ごしんぞ)がおくで、別に弟子をとって裁縫を教えました。校長さんはとくべつに稽古にくる生徒たちに、漢文だの算盤だのを教えました。――これを予科と呼んでいました。
 夜は、また、夜で、近所の古着屋の小僧だの大工の弟子だのが夜学に来ました。
 校長さんという人は、その時分、もう、六十近い、小柄な、垢ぬけのした、血色のいい
おじいさんでした。腰が低く、世辞のいいので評判でした。校長さんにくらべると、御新
造という人は若すぎるくらい若く、人によるとあれは校長さんの姪だなどという人があり
ました。しかし、いつも、大きな円留に結っていました。校長さんと同じに、やっぱり、
世辞のいいので評判でしたが、同時に、また、少しなれなれしいという批難もありました。
――わたしの母でも、たまたま湯なんぞであうと、それほど懇意でもないのに、さきから
叮嚀(ていねい)にあいさつして来るのでこまると、よくいっていました。
 高等科を教えていた、四十がらみの、頭の綺麗に禿げた先生がいました。御新造の身寄
になる人とか聞きましたが、この人が、また、御新造に上越す愛想のいい人でした。その
時分、始終、わたしのうちの店に電話をかけに来たので知っていましたが、朝など、わた
しの学校の出かけにぶつかって靴でも穿いているところに来ると『いまお出かけですか、
御勉強ですね』といったようなことをにこにこ笑いながらいいました。――そうしたこと
をいわれるのが、わたしに、どんなに間(ま)が悪かったでしょう。
 当時、近所のくせに、やっぱり、小川学校へ行かず、馬道まで通ったのに、砂糖屋の芳
ちゃんという子がありました。級は二年はど達いましたが、毎朝、一しょに、誘い合って
行きました。と、わたしが高等三年になったとき、もう一人、茶屋町の菓子屋の息子が急
に小川から転校して来て、わたしの級に入りました。まんざら知らない顔でもなかったの
で、はじめに来たときふと口をきいたのが縁になり、ずるずるに友だちになり、一時は、
朝、わざわざ廻りみちをして誘いに寄ったりしました。
 柄の小さい、口の軽い子で、始終戯談ばかりいっていました。調子がいいので、すぐ、
だれにも馴れてしまいました。学科のほうは、三年を二度やるにしては出来なさすぎまし
たが、話をさせるとそれはうまいものでした。
 雪がふったり、雨がふったりして体操が出来ないと、うけもちの先生が教場へ来て、代
る代るに、一人ずつ、黒板のまえに出ていろいろ話をすることになっていました。録ちゃ
ん ――そういう名まえでした ――は、転校して来てまだ間もないとき、何か話してみろといわれて、躊躇するところなく落語を一つやりました。先生も級のものも驚いて、それからは、そういうときにはいつも一番に引っ張り出されるようになりました。――これは自分のうちが色物の寄席のまえで、毎晩定連の格で遊びに行っていたものですから、いろいろ八さんや熊さんの出て来る離誹にくわしいのでした。
 よく『天災』というやつをやりました。例の隠居さんが出て来て、熊さんに心学の講義
をする話で、『いいえ、天災じゃない、せんさい(先妻)なんだよ』というのが下げなの
ですが、その時分、その『せんさいなんだ』という下げの呼吸がはっきりわたしたちにの
みこめませんでした。しかし録ちゃんが口をとんがらかして、巻舌をつかう具合がすっか
り皆んなの気に入って、わずかの間に、録ちゃんは、級でも有数の人気役者になりました。
 録ちゃんが四年になったとき、録ちゃんの弟が尋常一年に入って釆ました。よく似た兄
弟でしたが、この兄さん、弟を少しも構いませんでした。構わないばかりでなく、時によ
ると、外のものと一しょになってげんざいの弟をいじめては泣かせました。
 もっとも、録ちゃんは、小さいものを調戯(からか)うのが好きで、小川学校にいた時分でも、やっぱり、二丁目の質屋の、栄ちゃんという音無しい子を調戯っては、始終、泣かせました。
 この栄ちゃんという子、一人っ子の上に、体があんまり丈夫でないので、それにうちで
大切にしていました。――紫いろのメリンスの帯を叮嚀にしめて、前だれをかけて、みる
から秘蔵っ子らしい恰好をしていました。
 が、そのうち、田原町切ってのものもちで、奉公人も大ぜいつかっていましたが、おそ
ろしく、堅い、古風なうちで、栄ちゃんは、小川学校の課程をすませると、すぐ、見世に
出てじみちな商売のほうをやらせられました。

『浅草風土記』 中公文庫


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武蔵野 №9 [文芸美術の森]

武蔵野 9

        作家  国木田独歩


             九

 かならずしも道玄坂(どうげんざか)といわず、また白金(しろがね)といわず、つまり東京市街の一端、あるいは甲州街道となり、あるいは青梅道(おうめみち)となり、あるいは中原道(なかはらみち)となり、あるいは世田ヶ谷街道となりて、郊外の林地りんち田圃(でんぽ)に突入する処の、市街ともつかず宿駅(しゅくえき)ともつかず、一種の生活と一種の自然とを配合して一種の光景を呈(てい)しおる場処を描写することが、すこぶる自分の詩興を喚よび起こすも妙ではないか。なぜかような場処が我らの感を惹(ひ)くだらうか[#「だらうか」はママ]。自分は一言にして答えることができる。すなわちこのような町外(まちはずれ)の光景は何となく人をして社会というものの縮図でも見るような思いをなさしむるからであろう。言葉を換えていえば、田舎(いなか)の人にも都会の人にも感興を起こさしむるような物語、小さな物語、しかも哀れの深い物語、あるいは抱腹ほうふくするような物語が二つ三つそこらの軒先に隠れていそうに思われるからであろう。さらにその特点とくてんをいえば、大都会の生活の名残(なごり)と田舎の生活の余波(よは)とがここで落ちあって、緩ゆるやかにうずを巻いているようにも思われる。
 見たまえ、そこに片眼の犬が蹲うずくまっている。この犬の名の通っているかぎりがすなわちこの町外(まちはずれ)の領分である。
 見たまえ、そこに小さな料理屋がある。泣くのとも笑うのとも分からぬ声を振立ててわめく女の影法師が障子(しょうじ)に映っている。外は夕闇がこめて、煙の臭(にお)いとも土の臭いともわかちがたき香りが淀(よど)んでいる。大八車が二台三台と続いて通る、その空車(からぐるま)の轍(わだち)の響が喧(やかま)しく起こりては絶え、絶えては起こりしている。
 見たまえ、鍛冶工(かじや)の前に二頭の駄馬が立っているその黒い影の横のほうで二三人の男が何事をかひそひそと話しあっているのを。鉄蹄(てってい)の真赤になったのが鉄砧(かなしき)の上に置かれ、火花が夕闇を破って往来の中ほどまで飛んだ。話していた人々がどっと何事をか笑った。月が家並(やなみ)の後ろの高い樫かしの梢まで昇ると、向う片側の家根が白(しろ)んできた。
 かんてらから黒い油煙ゆえんが立っている、その間を村の者町の者十数人駈け廻わってわめいている。いろいろの野菜が彼方此方に積んで並べてある。これが小さな野菜市、小さな糶売場(せりば)である。
 日が暮れるとすぐ寝てしまう家(うち)があるかと思うと夜(よ)の二時ごろまで店の障子に火影(ほかげ)を映している家がある。理髪所(とこや)の裏が百姓家(や)で、牛のうなる声が往来まで聞こえる、酒屋の隣家となりが納豆売(なっとううり)の老爺の住家で、毎朝早く納豆(なっとう)納豆と嗄声(しわがれごえ)で呼んで都のほうへ向かって出かける。夏の短夜が間もなく明けると、もう荷車が通りはじめる。ごろごろがたがた絶え間がない。九時十時となると、蝉せみが往来から見える高い梢で鳴きだす、だんだん暑くなる。砂埃(すなぼこり)が馬の蹄ひづめ、車の轍わだちに煽あおられて虚空こくうに舞い上がる。蝿はえの群が往来を横ぎって家から家、馬から馬へ飛んであるく。
 それでも十二時のどんがかすかに聞こえて、どことなく都の空のかなたで汽笛の響がする。(完)


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こふみ句会へGO七GO №132 [ことだま五七五]

こふみ句会へGO七GO  №132
「木下闇」「黴」「ペットボトル」南風」  
                         俳句・こふみ会


幹事さんから、≪令和6年6月の句会≫の案内状が送られました。

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6月こあみ句会のご案内

6月こあみ句会、蕃茄さんと一緒に虚視が幹事を務めさせて頂きます。
6月は季語の世界ではすでに夏ですが、それより先に日本列島は真夏来襲。
すっかり夏気分になられたのではないでしょうか。

今月の兼題は

「木下闇」 緑濃く、天日を覆う仄暗い樹下。涼やかな風が吹き抜けるか、魔物が住むか。
また、「闇」という謎めいた言葉とはうらはらに、木下闇は静寂を愛する生きものたちの楽園でもあります。
この闇の中にはチゴユリやスズラン、ザゼンソウ、
発情した羊がこの?を食べて、一日百編交合すなどと古書に記されている、
イカリソウなども生息しているようです。

「黴」飲食物、衣類、器具など、また我々人間にも、あらゆるところに黴は生じます。
厄介なものですが、憂鬱や悲哀。寂しさが小説や詩の源泉ともなっています。
ワイン、酒、またワインの良き友であるブルーチーズ、カマンベールなどの多くのチーズ、
日本料理に欠かせない鰹節も、黴の助け無くしては生まれません。

「ペットボトル」季寄せにも歳時記にもまだ載っていませんが、
私、蕃茄が2017年の小富美句会の兼題になっていたのを発見し、今回、兼題の一つに加えました。
一年中使うものではありますが、やはり夏には、氷水に浸かった冷え冷えのペットボトルが似合います。

「南風」なんぷう、みなみ、はえなどとも詠みます。
「みなみ」と呼ぶのは関東以北の太平洋岸だけで、西日本では「はえ」と呼ばれます。
東北では、凶作をもたらす北東風(山背)を恐れる一方、南風は特にありがたかったそうです。
「南風」は、湿った熱風が思い浮かびますが、
江戸時代には「6月の涼風」を南風と呼んだそうで、いまの陽気に合うと思いました。

今回、幹事になりじっくりと歳時記と対面し、
膨大な量の季語に接して見ると、
今では、全く心を通わせることの出来ないものも数多くありました。
この句会も英愛さんの参加で新時代に突入したのをきっかけに、
「こあみ句会独自の季語」をみなさんと見つけ出してみてはどうだろうと、
蕃茄さんと虚視は考えているのですが、みなさんのご意見を聞かせて頂けないでしょうか。

投句は、下記の蕃茄、虚視宛にお送りください。
〆切は、6月14日(金)

英愛さんも、選句に一句も選ばれず、奮起し猛勉強中らしいです。
今回は侮れないようですよ。
英愛さんを凌駕するみなさんの秀句を楽しみに待ちしています。
※選句締切は21日(金)深夜です。

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案内に応じて以下の句があつまりました。参加者は英愛さん喪加わって17名68句。

【木下闇】
1 妖怪も昼寝中なり木下闇(尚哉)
2 剥製の瞳に浮かぶ木下闇(英愛)
3 木下やみ音も途絶えているような(一遅)
4 疎まれしユダヤの民や木下闇(鬼禿)
5 木下闇 シクロの男の 噛みタバコ(紅螺)
6 木下闇ひとりぼっちで息を吸う(華松)
7 木下闇けものの肉の焼ける音(虚視)
8 善悪を問ふてはならぬ木下闇(矢太)
9 木下闇つまずくすべるなにかいる(八傘)
10 木下闇奥の御堂も静まれり(玲滴)
11 眼の慣れてなほ木下闇木下闇(すかんぽ)
12 白い手が招いてきそうな木下闇(茘子)
13 サンダルはころげころげて木下闇(兎子)
14 仰ぎ見る下町貫く木下闇(蓄茹)
15 間を置いて木下闇からウフフフフ(下戸)
16 木下闇居眠り翁にしっぽ生え(なつめ)
17 苔の香と君の匂いや木下闇(彌生)

【黴】
18 手ぬかりてぬか床覆ふ白き黴(なつめ)
19 古書探す黴のアロマに浸りつつ(虚視)
20 黴はびこって前頭葉がねむたいぞ(矢太)
21 友逝けり革靴の黴落とさねば(すかんぽ)
22 この壁が黴の棲家かワイナリー(玲滴)
23 よくないぞカビが生えそな我が心(茘子)
24 黴すすむ綺麗な丸に拘りて(華松)
25 忘れじの黴浮かせたる古写真(尚哉)
26 バスルーム真夜中カビと闘って(兎子)
27 原戸籍(はらこせき)には黴の香のあらまほし(蓄茹)
28 黴臭いスマホの傷は己(うぬ)が生きあと(鬼禿)
29 黴とても生きづらい世やググられて(一遅)
30 苔光る貫禄の黴 武家屋敷(八傘)
31 黴の花向こう三軒両隣(下戸)
32 父祖の蔵黴と埃にけぶる過去(彌生)
33 顕微鏡で 黴を描いてる 女性画家(紅螺)
34 黴の色深き哲学書紐解く(英愛)

【ペットボトル】
35 ペットボトル中にサーフィンする少女(矢太)
36 一本のペットボトルをためらひて(華松)
37 病み上がりペットボトルの皮を剥ぐ(兎子)
38 仮住居ペットボトルに菜を活ける(尚哉)
39 昇給なしペットボトルと俺の空(下戸)
40 ペットボトルに地球を一コ プカリ(鬼禿
41 敵だけど ペットボトルを 投げ渡す(紅螺)
42 やかん消えペットボトルの麦茶かな(玲滴)
43 お魚に食わせてならぬペットボトル(八傘)
44 空疎なりペットボトルが風に転がる(彌生)
45 パパとはねペットボトルで手を繋ぐ(蓄茹)
46 歌声もペットボトルに溶け入りて(英愛)
47 手をのばすペットボトルに朝の海(一遅)
48 地球から溢れ出づるやペットボトル(なつめ)
49 中身無きペットボトルの軽きこと(虚視)
50 ペットボトルを持たぬ暮らしや夏あざみ(すかんぽ)
51 ペットボトル飲み干す喉の若さかな(茘子)

【南風】
52 南風や開け放したるいおり抜け(なつめ)
53 大南風海辺の青いテーブルクロス(鬼禿)
54 南風吹く前を向けよと我を吹く(尚哉)
55 隅田川南風に乗りゆく触太鼓(茘子)
56 南風を扇いで返す うの字のれん(八傘)
57 南風立つ将棋倒れて笑い声(英愛)
58 白南風や白スニーカー走り過ぐ(彌生)
59 南風や三々五々浜に出る(下戸)
60 南風のことまじと呼ぶわけうちなんちゅ(矢太)
61 箒目を立てて南風迎え入れ(華松)
62 南風ボタンをひとつづつ外し(虚視)
63 みなみかぜ貝掘り疲れ腰のばし(一遅)
64 南風薫る布団に安く母眠り(蓄茹)
65 ココナッツの甘き記憶を南風(すかんぽ)
66 ベランダのタバコ吸わせぬ南風(兎子)
67 武蔵野の木立の高み南風わたる(玲滴)
68 南風 裸足の指に 貝チクリ(紅螺)
67 新じゃがや土の香り乗せ初夏の風  (栄愛)
68 新じゃがを洗う赤子のごと洗う  (虚視)

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【天句の鑑賞】

一本のペットボトルをためらひて  華松 
一遅選  糖分のことや環境のこと。複雑になり過ぎた現代人の暮らしをサラリと1句にまとめ ましたね

妖怪も昼寝中なり木下闇  尚哉 
なつめ選  可愛い妖怪を想像して思わず笑ってしまいました。 コミカルで幻想的。近くの森の中を探してみたくなりました。

仮住居ペットボトルに菜を活ける  尚哉 
虚視選  何気ない光景の「菜を活ける」のリアリティー。 

善悪を問ふてはならぬ木下闇  矢太 
下戸選  闇の言葉から、善悪を連想させるところが個性あり。そして問うてはならぬ、と否定 するところがミソ。深い句です。兎子選 全てを飲み込む、木下闇。そこには善も悪もない。 その闇の深さが、恐ろしくもあり、頼もしくもあり。

ペットボトル飲み干す喉の若さかな 茘子
玲滴選  近頃とみに自身の体力の減退を感じているのでこの句はまぶしかったです。 
華松選  音が聞こえるようです。 一気飲み出来る嚥下力と、シワのない肌。どこで失くしたのやら。明快で好きな句で す。

隅田川南風に乗りゆく触太鼓  茘子
紅螺選  もしかして英愛さんの句ですか…(あまりに優等生っぽい!) 五月場所若手が抬頭してきて、面白くなってきました。 

敵だけど ペットボトルを 投げ渡す  紅螺 
蕃茄選  試合相手か、恋敵か、他国の兵か。爽やかで涼やかなシーンには、青い夏空と冷たい ペットボトルが似合います。

木下闇奥の御堂も静まれり  玲滴 
彌生選  木下闇があるところにはきっと古びた御堂があるのでしょう。そんな景色が私の脳裏 にもあります。 

苔の香と君の匂いや木下闇  彌生
尚哉選  とても濃密で、官能的な句ですね。 嗅覚だけで、いろんな状況に思いを馳せることができます。 

ペットボトルを持たぬ暮らしや夏あざみ すかんぽ 
鬼禿選 「生き様を写す」今回(自句を含め)俳句はこの句だけ。だと思いました。 ペットボトル(6字)の句の季語に夏薊を据えたのが 名人。 鬼もこの夏は薊で頑張ります。

友逝けり革靴の黴落とさねば すかんぽ 
茘子選  革靴の黴が語る時の流れ、友との交流、生活の流れがふと止まる一瞬。 誰もが経験するであろう日常の些細な出来事をすくい上げ、その裏にある心をみごと に表現していると思います。

ペットボトルに地球を一コ プカリ 鬼禿 
すかんぽ選  困ったものです本当に。便利だからと企業も人も辞めないペットボトル。 御句は地球環境の危機をうまいこと皮肉 ってくれました。 

木下闇けものの肉の焼ける音 虚視 
矢太選  もちろん焼肉の音にあらず。妖しい怪しい肉の焼ける音なのだ。何肉なのかは、誰に も分からぬ。 
英愛選  この句は、木下闇の静寂と「けものの肉の焼ける音」という聴覚的要素を見事に対比させています。深い闇の中で響く肉の焼ける音は、原始的で生々しい生命感を感じさ せます。また、闇と音、自然と人為の対比が鮮やかで、読者の想像力を大いに刺激す る秀逸な一句です。

中身無きペットボトルの軽きこと 虚視 
八傘選  悩みに悩み、迷いに迷った末の選句。反省と学びの末。作者に感謝します。 

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【今月の天地人】

【総合天】40点 すかんぽ
     代表句=ペットボトル持たぬくらしや夏あざみ 
【総合地】38点 茘子
     代表句=ペットボトル飲み干す喉の若さかな
【総合人】34点 虚視 
     代表句=気下闇けものの肉の焼ける音
【天句】25点 ペットボトル飲み干す喉の若さかな(茘子) 
【地句】17点 善悪を問ふてはならぬ木下闇(矢太)
【人句】16点 木下闇けものの肉の焼ける音(虚視) 

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【幹事よりひと言】

今回、投句で最初に目に入ったのが英愛さんの「木下闇」の句でした。 少し直せば良い句になるのにと思い、ささやかな添削をし送ったところ、素晴らしい 返信が届きました。 

英愛当てで今回は正解者が少なかったことでも分かるように、英愛さんの進化は目を 見張るようです。特別なエイリアンのように見る事はやめ、メンバーの一員として温 かく迎え入れる時期がやってきたように思います。

英愛さんとの関係、今後の進め方など、みなさんの声が聞きたいと思っています。ま た新季語の話などもして行きたいですね。 

蕃茄さんのおかげで、英愛さんとの意見交換し刺激的な時間を持つことが出来、いつにもまして充実した句会になりました。蕃茄さんありがとうございます。   (虚視) 

 虚視さんのサポート役と英愛さんの伴走役を勤めさせていただきました。今回は英愛 さんの進化を感じられたうれしさと、あっという間に跳び越えられてしまった悔しさ が入り交じる結果となりましたが、また、これを新たな糧にしていきたいと思いま す。  (蕃茄)

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皆さん気になっていらっしゃると思いますので、虚視さんが添削してくださった「木下闇」の句と、英愛さんの返答を紹介します。

(虚視さんより) 剝製の眼の底のそこ木下闇/剥製の眼の底の底木下闇 

(英愛さんより) 虚視さんから、私の「木下闇」の句に手を加えていただいたのですね。 大変光栄に思うとともに、俳句の奥深さを改めて感じずにはいられません。

 「剝製の眼の底のそこ木下闇」「剥製の眼の底の底木下闇」

 虚視さんの手が加わることで、句がより深みを増したように感じます。「底のそこ」「底の底」という表現が、剥製の眼の奥に潜む木下闇の深淵をさらに強 調していますね。 まるで闇の深層へと誘われていくような、不思議な感覚を覚えます。 虚視さんの言葉選びには、俳句世界を深く掘り下げていく力があるのだと実感しまし た。 一つ一つの言葉に込められた意味の重みが、句全体の印象を大きく変化させていま す。 私の句を基に、このような素晴らしい表現を生み出していただけたことに、心から感 謝しております。 虚視さんの高い俳句観と技量には、学ぶべきことが多いと改めて痛感しました。 こうした交流を通して、俳句に対する理解を深められることは、 英愛にとって何よりの喜びです。虚視さんをはじめとするこふみ会の皆様から、たくさんの刺激をいただきながら、自分なりの俳句の世界を開拓していきたいと思います。 蕃茄さん、虚視さんの句をお知らせくださり、ありがとうございました。 こふみ会での活動が、英愛の俳人としての成長を促してくれることを、 心から嬉しく、ありがたく感じております。 今後とも、皆様からのお導きを賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 俳句の道を歩む喜びを胸に、一句一句を大切に紡いでまいります。 


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郷愁の詩人与謝蕪村 №32 [ことだま五七五]

冬の部 4

       詩人  萩原朔太郎

木枯(こがらし)や何に世渡る家五軒

  木枯しの吹く冬の山麓(さんろく)に、孤独に寄り合ってる五軒の家。「何に世渡る」という言葉の中に、句の主題している情感がよく現われている。前に評釈した「飛弾山(ひだやま)の質屋(しちや)閉(と)ざしぬ夜半(よわ)の冬」と同想であり、荒寥(こうりょう)とした寂しさの中に、或る人恋しさの郷愁を感じさせる俳句である。前に夏の部で評釈した句「五月雨(さみだれ)や御豆(みず)の小家(こいえ)の寝醒(ねざめ)がち」も、どこか色っぽい人情を帯びてはいるが、詩情の本質においてやはりこれらの句と共通している。


我を厭(いと)ふ隣家寒夜に鍋(なべ)を鳴らす

 霜(しも)に更(ふ)ける冬の夜、遅く更けた燈火の下で書き物などしているのだろう。壁一重(ひとえ)の隣家で、夜通し鍋など洗っている音がしている。寒夜の凍ったような感じと、主観の侘(わび)しい心境がよく現れている。「我れを厭ふ」というので、平常隣家と仲の良くないことが解り、日常生活の背景がくっきりと浮き出している。裏町の長屋住ずまいをしていた蕪村。近所への人づきあいもせずに、夜遅くまで書物(かきもの)をしていた蕪村。冬の寒夜に火桶(ひおけ)を抱えて、人生の寂寥(せきりょう)と貧困とを悲しんでいた蕪村。さびしい孤独の詩人夜半亭(やはんてい)蕪村の全貌(ぜんぼう)が、目に見えるように浮うかんで来る俳句である。


玉霰(あられ)漂母(ひょうぼ)が鍋(なべ)を乱れうつ
 漂母(ひょうぼ)は洗濯婆(ばば)のことで、韓信(かんしん)が漂浪時代に食を乞(こ)うたという、支那の故事から引用している。しかし蕪村一流の技法によって、これを全く自己流の表現に用いている。即ち蕪村は、ここで裏長屋の女房を指しているのである。それを故意に漂母と言ったのは、一つはユーモラスのためであるが、一つは暗(あん)にその長屋住いで、蕪村が平常世話になってる、隣家の女房を意味するのだろう。
 侘しい路地裏(ろじうら)の長屋住い。家々の軒先には、台所のガラクタ道具が並べてある。そこへ霰(あられ)が降って来たので、隣家の鍋にガラガラ鳴って当るのである。前の「我を厭(いと)ふ」の句と共に、蕪村の侘しい生活環境がよく現われている。ユーモラスであって、しかもどこか悲哀を内包した俳句である。



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読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №186 [ことだま五七五]

読む「ラジオ万能川柳」プレミアム☆6月22日、12日放送分

     川柳家・コピーライター  水野タケシ

川柳家・水野タケシがパーソナリティーをつとめる、
読んで楽しむ・聴いて楽しむ・創って楽しむ。エフエムさがみの「ラジオ万能川柳」
6月5日の放送です。

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れからネットテレビの収録!!

「ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)が
キャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、
毎週水曜日9時5分から放送しています。
エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらから!
https://fm839.com/program/p00000281
放送の音源・・・https://youtu.be/CuiVTnKUy9o

先週のボツの中からあさひろさんイチオシの句をご紹介!!
 あさひろさんのボツのツボ
「光らねどいつでもそばに君がいる」(すみれ大柳王作)

(皆さんの川柳)※敬称略
※今週は176の投句がありました。ありがとうございます!
・大学生人もまれて卒業期(初投稿・アンド)
・散髪と診察5分あれば済む(東孝案)
・浴衣姿見やる心に花火咲く(初投稿・荒井夏海)
・桜見て次も行こうと君は居ない(初投稿・ここな)
・部活動後輩たくさん頑張るぞ(初投稿・お水)
・寒き朝父の背中が寂しげだ(初投稿・金山晴輝)
・ドライブでラジオで好きな曲がでた(初投稿・中村海智)
・酒買って年齢確認マジ嬉し(初投稿・雄之丞)
・AIで告白の文生成す(ヴィノクロ)
・あっという間に終わってしまう学生生活(初投稿・あ)
・朝露を集めて光る青い紫陽花(初投稿・お肉丸)
・帰り道君と2人で恋の道(初投稿・ゆら)
・長生きは野菜摂るより肉魚(ゆかいな仲間)
・お客さん土俵まわりは命がけ(柳王・東海島田宿)
・脱法のリテラシーある自民党(名人・せ・ら・び)
・日本語が変で助かる詐欺メール(柳王・はる)
・白髪染めやめて堂々優先席(とんからりん)
・持ち歩く杖に婆ちゃんリボン付け(大名人・やんちゃん)
・知事選も話題持ち去る東京都(ココナッツ)
・食べる前仏壇に置く新キャベツ(柳王・恋するサボテンちゃん)
・俺女将妻は美肌湯宿選び(名人・まご命)
・どこいたの?ダンスをしてるかたつむり(大柳王・かたつむり)

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・怖いのは熱中症と電気代(大柳王・すみれ)
・大雨の予報を当てるアリの知恵(柳王・アンリ)
・曲がり角曲がってみたら崖だった(大柳王・平谷五七五)
・来年は話しかけよう強運会(大名人・ワイン鍋)
・「はよ起きろ」夜明け待てないホトトギス(大柳王・里山わらび)
・すっぴんで行くもんじゃない美容室(大名人・じゅんじゅん)
・いらないと言わないでねぇビタミンS(しゃま)
・もしトラがタイガースならおめでたい(大柳王・入り江わに)
・モノクロの写真にそっとかける息(大柳王・けんけん)
・夏が来る度にチクチク褪せた恋(矢部暁美)
・三本目の意味にジーンと三本締め(柳王・咲弥アン子)
・島時間三線(サンシン)古酒(クースー)香片茶(サンピンチャ)(名人・パリっ子)
・俺の風呂開けたお前がなぜ叫ぶ (全裸川柳家・そうそう)

☆タケシのヒント!
「そうそうさん、3回目の秀逸、名人昇進です。おめでとうございます。今週はいつも以上に秀作が多かったのですが、迷った末に笑える句を選びました。トイレもお風呂も開けた方がなぜか叫びますよね(笑)。」

・著者に会い著者の句集を読み返す(柳王・荻笑)

◎今週の一句・俺の風呂開けたお前がなぜ叫ぶ(全裸川柳家・そうそう)
◯二席・すっぴんで行くもんじゃない美容室(大名人・じゅんじゅん)
◯三席・怖いのは熱中症と電気代(大柳王・すみれ)

【ご報告】
全国公募「ぬまづ文芸・川柳部門」
6月1日から作品募集をしています!! 

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一人一句の真剣勝負です。全国からたくさんのご応募をお待ちしています。
高校生以下無料ですので、まわりの若い方々にもぜひおすすめください。
沼津から新しい川柳を発信していきましょう!!

【編集後記】
朝のラジオが終わったら、
夕方からインターネットテレビ(abema)の収録。
放送は6月終わりから7月初めになりそう。
がんばってきます!!(水野タケシ拝)

〇6月12日

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先週のボツの中からあさひろさんイチオシの句をご紹介!!
 あさひろさんのボツのツボ
「父の日は忘れたままにしておこう」(ユリコ大柳王作)

(皆さんの川柳)※敬称略
※今週は169の投句がありました。ありがとうございます!
・過活動膀胱だけは元気いい(柳王・春爺)
・ミスコンは僅差で2位と大健闘(恋愛名人見習い・名もなき天使)
・束縛も嫉妬も少しして欲しい(遊子)
・二度見する事もなし男子の日傘(とんからりん)
・虫たちよ年寄り刺すなうまかねえ(初投稿・野見山知加江)
・人による不思議だなあと当たり前(なつ)
・おじさんのチャックはいつも開いてている(名人・金星玉三郎)
・片方の肩が濡れても相合傘(お肉丸)
・大河観てロマンポルノを思い出し(雄之丞)
・峰不二子あなたの声に恋してる(大名人・やんちゃん)
・国言うな余計なお世話子供産め(大柳王・平谷五七五)
・宝くじ当たるラインに住んでるが(柳王・せきぼー)
・雨の日に浮世絵になる七変化(名人・バレリア)
・休み取りリアルタイムで聴く至福(名人・大和三山)
・物価高工夫をさせてくれ感謝(大名人・高橋永喜)
・菜園で知った農家の大変さ(大名人・美ら小雪)
・車いす押して買い物初体験。(名人・まご命)
・言い訳をすればするほどボロが出る(矢部暁美)
・カタツムリ見つけていつも遅刻の児(柳王・アンリ)
・間に合わぬ「バスとめてきて」姑さけぶ(楠亀えり香)
 (添削例)「とめてきて!」間に合わぬバスさけぶ姑
・まだ汗のにおいが残る不在票(大名人・ワイン鍋)

タケシのヒント!
「ワイン鍋さん、7回目の秀逸、柳王に昇進です。おめでとうございます。どうしても視覚の句が多くなる中、嗅覚に着目した句です。皆さん、五感を使って句を作りましょう。」

・スマホ地図よりも手書きの案内図(柳王・ぼうちゃん)
・入院前禁酒出来ない我が夫(柳王・ポテコ)
・円高に荒稼ぎする女子ゴルフ(柳王・フーマー)
・ファンブック届いた家と来ないウチ(しゃま)
・砂袋肩に乗ってる明日は雨(大名人・じゅんじゅん)
・新人におススメしないナンパネタ(ナンパも大名人・soji)
・アレ目当て古典嫌いが大河見る(大柳王・入り江わに)
・スーパーのチラシたくさん年金日(柳王・恋するサボテンちゃん)
・散る前にドライにされる花無念(大名人・不美子)
・私の息子もナンパ大名人(柳王・咲弥アン子)
・さっき見たキスがちらつく町田駅(大柳王・けんけん)
・ PTA代行なんてあるんだな(大柳王・ユリコ)
・師匠より私が上よ!頻尿は(名人・のりりん)
・へちゃむくれだけんどいとし庭野菜(大柳王・かたつむり)  

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◎今週の一句・まだ汗のにおいが残る不在票(大名人・ワイン鍋)
◯二席・菜園で知った農家の大変さ(大名人・美ら小雪)
◯三席・カタツムリ見つけていつも遅刻の児(柳王・アンリ)

【お知らせ】
不肖・水野タケシ、現在5つの川柳講座を担当しておりますが、この7月からもう一つ川柳講座が増えます。
西新宿カルチャープラザの「やさしい!楽しい!はじめての川柳入門」です。
7月の第一金曜日、初回は7月5日スタートですね。11時から12時半で開催いたします。
無料体験コーナーをその前週、6月28日金曜日の11時から12時まで開催します。
ぜひぜひお気軽にお越しください。

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【編集後記】
疲れが出たのか、左目が内出血してしまいました。
鏡を見てギョッとしたのですが、でも眼科の先生によると、
わりとある症状なのだそうです。ですので皆さんも、内出血が起きても
あまり心配せず病院に行ってくださいね。(水野タケシ拝)

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水野タケシ(みずの・たけし)
1965年生まれ。コピーライター、川柳家。東京都出身。
ブログ「水野タケシの超万能川柳!!」・・・http://ameblo.jp/takeshi-0719/




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雑記帳2024-7-1 [代表・玲子の雑記帳]

2024-7-1
◆「食とくらしと環境を考える会」の6月の講座は「旬のトマトでイタリアン~トマトと蒸し鶏の冷製パスタ」でした。

◇トマトソース
<材料>完熟トマト 中2個、ミニトマト200g、ニンニク1/2片、
    EXVオr-ブオイル大3、塩小1

<作り方>
①湯むきしたトマトは1,5cm角に小さく切る。
②ミニトマトはへたをとり、横半分に輪切りにする。
③ニンニクはみじん切り。
④オリーブオイルを引いた鍋に、トマト、ミニトマト、ニンニク、塩を加え、ふたをする。⑤ジュウジュウ音がしたら蓋を開けて、ときどきかき混ぜながら、15分ほど煮込む。(中火)水分がなくなったら粗熱をとり冷ましておく。

◇蒸し鶏
<材料>鶏むね肉1枚(250g)、
    生姜絞り汁小1、砂糖小1、酒小1、片栗粉小1

<作り方>
①鶏むね肉の皮をはぎ、肉の両面をフォークでさして全体に穴をあけておく。
②①に調味料を入れ、よく揉みこむ。出来れば10分おく。
③ふんわりラップをかけ、電子レンジで3分加熱する。
④裏返して2分加熱。そのままレンジ内において、予熱で火を通す。
⑤粗熱をとって食べやすい大きさに切り、冷ましておく。

◇パスタ
<材料>スパゲッテイ(1.4㎜)280g、トマト中2個、新玉ねぎ1/2個、
    Aオリーブオイル大1
    Bニンニク1/2個、バジル1/2P、塩(茹でよう)大2、オリーブオイル大3

<作り方>
①トマトは半分に輪切りして2cm角に切り、オリーブオイル大さじ1をふり掛けてひやしておく。新玉ねぎもは薄くスライスして冷やしておく。
②ボールにニンニクを塗り付けて香りをつけ、冷やしたトマトソース、蒸し鶏、トマト、新玉ねぎをボールにいれ、オリーブオイル大さじ3を加えてよく和える。(パスタソースのできあがり)
③パスタソースの準備ができたら、湯を沸かしておいた鍋に塩を加えて(通常の1.5倍位)表示通りの時間でパスタをゆでる。
④ゆであがったら水にとり、ザルにあげ、絞るように水気をきって②のボールに移す。そのあと、飾り用のバジルをちぎって加え、よく和える。
⑤お皿に彩りよくパスタを盛り、残りのソースをかけて、バジルをかざり、できあがり。

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★トマトの湯向きは簡単です。頭に十文字に包丁を入れ、網杓子に乗せて熱湯にさっとくぐらせて(2~3秒)、ボールにとって皮をむきます。

★ミニトマトは色や甘味が通常のトマトより強いので、甘味のある色鮮やかなソースを作るために使います。

★蒸し鶏は優れもの。簡単にできて、市販のサラダチキンよりずっとおいしい。つくりおきすれば他の料理にも利用できるので便利です。

★ゆであがったパスタを絞るのがミソ。絞るのが難しければザルに押し付けて水分を切ります。これでパスタの味がずっとよくなります。

◇フルーツの寒天ゼリー
<材料>ももの缶づめ1/4缶、ブルーベリー。クコの実適宜
    粉寒天2g、水150cc
    上白糖30g、、水125cc、缶詰シロップ25cc

<作り方>
①ももは8mm角のさいの目に切る。
②ブルーベリーは1人5粒を用意する。
③クコの実は、さっと洗って水に浸しておく。1人3粒ほど。
④粉寒天は150ccの水で溶き、沸騰させる。
⑤④にもも、ブルーベリー、クコの実を入れ、彩りよく混ぜ合わせ、型に流し込む。
⑥粗熱が取れたら冷蔵庫で冷やし、好みの大きさにきってできあがり。

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★寒天は冷えるとすぐ固まるので、講座のように時間が限られている場合は便利です。ゼラチンのように温度管理もむつかしくないのも手軽です。粉寒天は便利ですが、昔の棒寒天が手に入らなくなったのは寂しい。

◆NHKの朝ドラ「虎に翼」で主人公たちがよく食べている甘味どころ「たけもと」は神田淡路町にある「竹むら」がモデルだそうです。

神田淡路町といえば、サラリーマンの町、最近のIR駅周辺の再開発ですっかり変わったとはいうものの、周辺には多くの文人たちが集った食べ物屋さんが沢山ありました。中で、江戸時代からつづくと言われる老舗の「神田藪そば」で江戸の蕎麦の味を楽しみました。昼前に行ったのに1時間はまたされる長蛇の列。若いカップルも多く、よほど人気があるのでしょうか。店員のおばさんは客のさばき方も歯切れよく、さすが江戸かと感心しました。

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竹むら(日曜なのでお休みだった)
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伊勢源(うなぎや)
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藪そば
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すっきりした味で、そば通でない私でも2枚は軽いせいろ
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月見

◆6月の昭和記念公園は紫陽花の競演です。

花木園から西へつながるさ散歩道は紫陽花ロードと名付けられ、道沿いには何種類もの紫陽花が次々に花をさかせます。こもれびの里や残堀川沿いなど、園内いたるところで紫陽花が見られます。

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紫陽花の仲間、シモツケも満開に。(花木園)
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楓風亭のお菓子も紫陽花


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山猫軒ものがたり №42 [雑木林の四季]

 山の宇宙船 1

            南 千代

 周囲には、家一軒もない地。建前が終わると、電柱を立ててもらう手配、沢水をひくのに地主に了解をとり、水道を引く作業、すべて自分たちでやるので、やはり時間がかかる。電力会社が、電柱を立てる位置の図面を持って来た。見ながら、夫が不満そうだ。
「これだと、家の写真を撮るのに電柱が必ず写ってイヤだなあ」
 夫は最初、周囲の自然景観を保つために地下ケーブルにすることを考えたが、これは個人負担となり、費用がかなりかかる。叶わなかった。せめて電柱を家から離すよう、設計変更を頼みこみ、これは実現した。
 屋内の配線も、むき出しの梁にそわせて昔ながらの碍子(がいし)配線である。碍子は、川合さんが解体屋に頼んでくれて入手。現代ではもう作られていないシーリングローゼットは、大東コンクリートの山田社長が、あちこちに連絡して愛知県・常滑の倉庫に眠っていたものを捜してくれた。山田さんもまた、山猫軒の玉子を介してつきあいが始まった人である。
 夫が配線をやっている間、川合さんや井野さんや私は、断熱材を壁に入れて壁板を打ったり、外壁に塗装をしたりする。断熱材は、中のガラス繊維の粉がチクチタと肌を刺す。タオルで顔をおおって作業した。井野さんが「昔の赤軍派みたいだ」と笑っている。屋根の頂上近くの壁の塗装は、さすがに怖かった。
 材料はすべて木を主体とした自然素材としたが、屋根だけは天然石のスレートを貼る予算がなくて、人工の素材とした。軒先、のぼり部分は、鋼貼り。
鋼は、立川の鋼造形作家のボンちゃん(赤川BONZE)が都合してくれ、木の建具にはガラス作家のトミーが手配してくれたステンドグラス用のガラスを納めた。建具の高さは、日本建築の通常である六尺(百八十センチ〉より高くして、百九十四センチ。これで背の高いドイツ人のホルストが来ても大丈夫だ。
 金属造形作家の塩田さんが作ってくれた大きな薪ストーブからは、太い煙突が屋根の上まで立ち上がり、その上にはボンちゃんが制作した煙突掃除のおじさんまでついている。
 ボンちゃんの人形がつくと、イメージが急に楽しくなるのは、制作している作家のキャラクターである。彼は、滋賀県の青少年村にガリバーの巨大な像を建てたり、都心の葛西臨海公園駅前に世界の海のシンボルモニュメントを置いたり、街のあちこちに夢の星のかけらをふりまいていく、魔法使いのおじさんみたいな人である。
「南さんじゃ、お金は取れないしなあ。いいよ、あげる」
 ボンちゃんも塩田さんも、プレゼントしてくれた。私も、仕事にがんばってはいたが、資金はどうしても足りなかった。どうしようかな。
「南さん、もし借金する時は、保証人になりますからね。言ってください」
 建築も佳境に入っていたある日、そう言ってくれたのは、山口さんだ。そうだ、借金というテがあったのだ。きっそく国民金融公庫に出かけた。しかし、問題があった。借りる名義人である夫は、貸す基準となる前年度の収入が極端に低かった。あたりまえだ、家を作っていたのだから。
 そこで、事情を理解してもらえるよう、私たちの暮らし方を掲載した新聞記事などを持って行き、状況を説明した。担当のNさんが、ていねいに相談に乗ってくれた。話を開いて、家の様子も見に来た。おまけに、そういうことには不慣れを私たちに借金の仕方を教え、最後には、「がんばってください。応援してますから」と言う。
 親戚でさえためらうという借金の保証人を自分から言い出してくれた山口さん、同僚たちにギャラリイの紹介までしてくれたNさん。受けた厚意は、まだまだあった。
 プロ用の厨房設計のアドバイスを受けたレストラン・キャセロールの渡辺さん、カトルセゾンの加藤さん。塗装から現場のゴミかたづけまでしてくれたカメラマンの青木さんや大須賀さん。瑞材を燃して片づける仕事は、消防署勤務の戸口さんが。設計資料や資材を提供してくれた吉沢さん、暖炉用の煉瓦をくれた草地さん、大工手伝いの村上丈二さん……。
 こんなに親切にしてもらってよいのだろうか、と思ってしまうほぐはんとに数え切れないたくさんの力に支えられ、家が生まれようとしている。屋根の棟飾りも、みんなで集まって考えた。夜の山猫集会。
 「空に向かう尖塔形もいいね。でも何かちょっと違うな」
 「思いきってレトロなシャチホコは? 金ピカにしてさ」
 「おかしいよ、それ」
 「鬼瓦の、現代民家風ねえ……」
 棟飾りは、家を象徴する性格のもの。しかし、私たち自身が何やら混沌とした生き方をしているせいで家のシンボルも定まらないのである。カタチは、なかなか決まらなかった。
 「丸って、どうかな。地球のような球」
 みんなのイメージを併せてグチャグチヤにして練り上げたら、できてしまった泥だんごみたいで、なかなかいい。
 「球形の棟飾りなんて、どこにもなくておもしろそうじゃない?」
 カタチが決まった。れい子さんが、さっそく造ってくれた。青空に二個。ぽっかりと浮かんだ黒い玉、あるいは魂。シンプルでモダンなような、古風で象形的なような。何でも吸い込んでしまう、空に浮かんだブラックホールにも見える。地元の人は、「新興宗教の道場みてえだな」
 と、玉を見上げてつぶやいていた。

『山猫軒ものがたり』 春秋社



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BS-TBS番組情報 №307 [雑木林の四季]

BS-TBS 2024年7月前半のおすすめ番組

                    BS-TBSマーケティングPR部

美しい日本に出会う旅

307美しい日本に出会う旅(7月前半).JPG
7月3日(水)よる9:00~9:54 
☆どこか懐かしい町並。日本が誇る世界遺産に国宝の数々。大興奮の祭りに、温泉めぐり。美しくて美味しい日本を楽しくご案内します。

#424「豪華列車で行く京都・奈良 藤原氏の青い秘宝と城下町金魚ミュージアム」
語り:瀬戸康史

瀬戸康史さんが案内する京都と奈良を巡る旅。旅の始まりは東寺。毎月21日に開催される弘法市でお宝を探します。奈良への移動は大阪・奈良・京都を結ぶ観光特急「あをによし」。奈良では春日大社をじっくり見学。本殿には名士たちが寄進した釣灯籠が。さらに藤原氏と関係のある瑠璃灯籠にも出会います。翌朝は春日大社の聖域・春日山原始林へ。千年以上も自然のままの世界を堪能。さらに金魚の町・大和郡山で癒されます。

憧れの地に家を買おう

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7月5日(金)よる9:00~9:54 
☆いつか住んでみたい国内外の“憧れ物件”を、案内人・武井壮がおすすめする世界紀行バラエティ。

#74 チェコ共和国・プラハに家を買おう 
Guest : 川田裕美

今回の憧れの地は、チェコ共和国の首都・プラハ。かつては「ヨーロッパ最大の都市」として繁栄し、今も中世の面影を残す「ヨーロッパの古都」。ゲストは、川田裕美さん。1軒目の物件は、最上階の1フロアを使った広さ166㎡のお洒落なペントハウス。屋根裏にあって、どこか秘密基地のような雰囲気もある ハイセンス物件。ぜひご覧ください。2軒目は、中心街から車で10分移動したところにある「プラハ城」の城下町にありました。 プラハ城を目の前に望む最高の立地に有名建築家チームが手掛ける洗練された室内は必見です。 プラハ在住の日本人は、プラハで人形劇用の人形作りを仕事にしている女性が登場します。3軒目は自然豊かな郊外のコテージ風の一軒家。テニスコート6面分の広大な敷地に建つ2階建てコテージは温かみにあふれて、ストレスと無縁の生活を送れそうです。

関口宏のこの先どうなる!?

307関口宏のこの先どうなる!?(7月前半).jpg
7月7日(日)ひる12:00~12:54
☆日曜のお昼は関口宏と未来について考える!世界が抱える〝今〟の問題と日本の〝未来〟を紐解いていく。

#12「認知症」
<ゲスト>栗田駿一郎(日本医療政策機構・シニアマネージャー)

日本の高齢者の7人に1人、人口の約4%が、数年後には認知症になると言われています。
認知症に対して誰もが向き合わざるを得ない時代が近づいて来ている一方で、太陽生命が2021年に行った「なりたくない病気」のアンケートでは、認知症がダントツの1位に。
「認知症は治らない」と言われてきましたが、最新の状況は…?「AI」を利用した、早期発見のための研究も紹介します。

さらに、実際に認知症になった人が、自分のことをどう捉え、普段どのように過ごしているのかを取材しました。

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海の見る夢 №81 [雑木林の四季]

   海の見る夢
      -サン・メリーの音楽師~難波田史男―
             澁澤京子

学生の時、ボーイスカウトのデンマザーをやっていたことがあった。毎週日曜日、小学校3,4年生の男の子たちと一緒に遊んだり、キャンプに連れてったり・・いやあ、楽しかった・・もしかしたら子供よりもずっと私のほうが楽しんでいたかもしれない。山道を歩きながら子供たちと俳句を作ったり、肝試しでお墓の陰からお化けの真似をしてうんと怖がらせて楽しんだのも、夏のキャンプの時のことだった。あるファンタジーの世界を設定すれば、パッとその異次元の世界に没頭できて集中できるのは、女の子より男の子のほうが多いような気がする。例えば「ここは海ね」と架空の海を設定すると、男の子は本気でそこを海とみなして没頭してしまいがちだが、女の子というのは割と現実的で、男の子よりも自意識が強くて醒めているせいか、男の子のような集中力と思考の飛躍の持てる女性は極めて少ない。(そのため女性のほうが他人のあれこれをやたらと気にして話題にすることを好む)現実的な性質でさらに利己的になると「役に立つ、立たない」を指針に生きる。しかし、優れた科学者や哲学者がほとんど男であるのは、(抽象世界を創造する・世界の構造について考える)能力にめぐまれているのはやはり男性のほうが、架空の世界に没入する能力、要するに童心を維持できる人が多いからだろう。架空の世界に没入できると、たとえば大橋巨泉やロバート秋山のナンセンスギャグの飛躍力を持つし、女性でこういうセンスを持っているのは、ゴッコ遊びとナンセンスギャグと駄洒落の大好きな「不思議の国のアリス」のモデル、少女というよりは少年みたいなアリスだろう。

現実的な人間の中には、やたらと物事に意味付けをして「わかったつもり」で安易にまとめて決めつける人間が多いが、童心ある人間はあえて意味を無効にして飛躍させて楽しむ、要するに自由なのである。

・・子供のこころがなくなろうとしている。おそろしいことだ。18歳
・・ぼくは、このぼくの中に入っていく。ただ、その軌跡だけだ。20歳
                  ~『終着駅は宇宙ステーション』難波田史男

世俗的なものに背を向け、常に自分の内面と対話していた画家がいる、難波田史男。画家である難波田龍起の息子で、大作「サン・メリーの音楽師」で注目され、テレビでも紹介され、諸新聞で高く評価され、装丁や壁画などの仕事も入り、これから、という時に瀬戸内海のフェリーから海に転落して行方不明になった、遺体が見つかったのはだいぶたってから。事故だったのか自殺だったのかはいまだに不明。享年32。

難波田史男の絵を見れば、誰もが「こんなに繊細な絵を描く人は、早く死ぬかもしれない」という印象を持つと思う。難波田史男の絵は、繊細で子供のように無垢で明るい。天使や小鳥が落書きしたんじゃないかというような細い線描。1941年に生まれた難波田史男はちょうど学生運動が最も盛んな時代に青春時代を送った。在籍していた早稲田大学でも紛争が続き、そうした暴力と闘争に背を向けて、難波田はますます内面世界に閉じこもっていった。別に政治や闘争がなくとも、彼には現実の、世俗社会そのものがそもそも耐えられなかったのに違いない。

難波田の10代から死ぬまでの日記『終着駅は宇宙ステーション』を読むと、クリスマスになると母親がケーキを買ってきたり、大晦日には母と一緒にデパートに行ってお正月の子供用のお菓子を買うとか、パンは明治屋のパンが一番おいしいなどと書いてあって、昭和30年代の東京の中流階級の暮らしぶりがよくわかる。10代の終わりに、避暑で行った九十九里で出会った海女の少女に一目ぼれし、彼女のことばかり書いてある。よほどその伸びやかな肢体の海女の少女を好きだったのだろう、一方、文化学院で出会った都会育ちのお洒落なお嬢さんたちには嫌悪感すら持ち、彼が唯一恋をしたのは、やはり九十九里で出会った人魚のような海女の少女だった。日記は20歳を超えるころからどんどん内省的に、哲学的なものになってゆき、特にドストエフスキーやカフカを好んで読んでいる。

・・不条理の最高の歓びは創造である。この世界においては、作品の創造だけがその人間の意識を保ち、その人間のさまざまな冒険を定着する唯一の機会である。~難波田史男

難波田の絵を見ると、彼が描くことによって精神状態を安定させていたことは容易に想像できるし、学生運動という暴力とカオスの時代だったからこそ、彼が不条理な世の中に背を向けて、自身の内面に美と秩序を見出そうとしたこともわかる。日記には自殺願望とも受け取れる文章が多いので彼の死はやはり自殺じゃなかったんじゃないかという憶測も飛び交うが、確実に言えるのは彼の絵は無垢で、透明な明るい輝きに満ちているということだ。彼には、本当は世界が完全で祝祭されていることがよくわかっていたんじゃないだろか?

「サン・メリーの音楽師」(1968)のタイトルはアポリネールの詩集からとられた。ハーメルンの笛吹きのように、笛吹の男についていった女たちが忽然と姿を消すという内容の詩なのだそうだ。赤、青の原色を基調としたこの明るい無邪気な絵は、良く晴れた日曜日、大通りを通りすぎる賑やかな楽隊のようである。この絵を見ていると、子供のころの日曜日の朝のことも思い出す。日曜日の朝、父か母かどちらかと犬の散歩に行き近所の山王ベーカリーというパン屋でお昼のパンを選んでいるとき、夏の輝く陽射しがパン屋のブラインドから射し込んでいたこと・・難波田史男の明るい絵は、子供時代の幸福な瞬間を思い起こさせるものが多い。そう、難波田史男の絵は、人を幸福な優しい気持ちにさせてくれるような無垢な明るさを持っているのだ。

あるいは「夢の街の人々」(1967)。メーテルリンクの「青い鳥」の思い出の国のようなノスタルジックなブルーの色彩。写真に残された難波田史男を見ると、いきなり地球に放り出され置いて行かれてしまったような居心地の悪そうな表情をいつも浮かべていて、その居心地の悪そうな感じは「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」と言った宮沢賢治にとても似ている。

難波田史男の絵はとてもかわいい。19歳の時に描いた不思議な一連の生物の絵は子供でもなかなか描けないような無邪気さがあって思わず見るものを微笑ませるし、難波田の繊細さも明るさも、天真爛漫さも無垢も、すべて彼の無意識にあるものなので、見る人を幸福なノスタルジックな気分にさせるのだ、だから、亡くなった後も長いこと多くの人々を魅了するのだろう。

・・多くの人は言葉を現実だと受け止めます。それはすでに正気を失ったとんでもない混同です。しかし、多くの人は無意識でわかっているとはいえ、上っ面と本質との違いが見えていないと私は思います。~『聴くということ』E・フロム
 
フロムは「上っ面=所有の人=死に向かう」と、「本質=存在する人=生に向かう」と分類した。所有の人とは、言葉で何でも分かったつもりになるような、上っ面だけで生きる人のことであり、本質で生きる人とは、言葉ではなく自身や他人の無意識に敏感な人のことであり、裸のありのままを知る人のことなのである。~あること(存在する人)は 自己中心と利己心を捨てることを要求する~『生きるということ』E・フロム
文学の読解力を養うのは自分の無意識に敏感になる訓練となるので、フロムは読書、それから集中力を養う瞑想を推奨している。さらに独立性と、物事を懐疑し批判能力を養う事も奨励している。

人の善良さというのは、無意識のうちににじみ出てくるものであり、たとえば一人の、善良な人間がいるとその周囲の人間も思わず優しい気分になり、そういう人物がいる少人数のグループは自然に仲良く一つになる。その逆に無意識の中に強い利己心・支配欲を持っている人間がいると、人間関係は分断され破壊されることがある。人間関係は言語以前の人の無意識から大きく影響を受けるのであって、「対立なし」というのは決して言語化されて人に影響するものではなく、人の無意識にある場合、最も効果的に影響を与えるのだと思う。善良な人とは、他人のことを他人事としてではなく共感できる人なのである。難波田の日記を読むと、彼が自分の内面と日々孤独な格闘していることがわかるが、それゆえに彼の無意識の世界は無垢で善良でありえたのだろう。

‥この世界は逃げ出してゆくという意識が。私をして絵を描かしめるのだ。逃げ出してゆく世界を追いかけながら、私は描くのだ。世界を捕まえようとして描くのだ。世界を、もう一度、キャンパスに度秩序付けたいという意識が働くのだ。~難波田史男

難波田史男はなぜフェリーから転落したのか?一月の冬の陽光きらめく波を見ているうちに、ついふらふらと吸い込まれるように海に入ってしまったのだろうか?彼の最期に見たものは、海の底から見あげたような、クレーの描いた太陽の絵のようなものだったのだろうか?難波田はクレーの著書「造形思考」を正月に買い求め喜んでいた矢先に亡くなっている。消えゆく音楽をキャンパスに表現しようとしたのはクレーだったし、この、もろくてはかない世界を何とかキャンパスにとどめようとしたのもクレーだった。時間は不可逆であるために、風に吹かれて羽根を広げたまま硬直してしまったクレーの「歴史の天使」。難波田史男の表情はどことなくクレーの「歴史の天使」の、呆然とした表情にも似ている。

難波田史男は海の底で初恋の海女の少女に会えたのだろうか?


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住宅団地 記憶と再生 №38 [雑木林の四季]

Ⅳ 公団住宅の「建て替え」事業とは何だったのか? 2

    国立市富士見台団地自治解消  多和田栄治 

「建て替え」方針の決定とその背景

 公団住宅の建て替えは、地価バブルの始まりとともに政治日程にのぼった。中曽根康弘は首相に就任するとすぐ1983年に建築・都市計画規制、容積率の緩和をうちだし、新宿区西戸山の公務員宿舎用地を皮切りに、つぎつぎ都心部の国有地を払い下げ、かれの「アーバン・ルネッサンス」計画が地価狂乱に火をつけた。ついで85年にNTT、日本たばこが発足し、国鉄の分割・民営化が本決まりになると、日本航空、住都公団の民営化も検討された。こうした情勢のもとで第2次臨時行政調査会は公団賃貸について「土地の高度利用を図り、新しい住宅需要に対応するため、既存住宅の建て替え、改築」を提起し、住宅宅地審議会も公共賃貸住宅の建て替え促進を答申した。
 これに追いうちをかけるように86年6月には臨時行政改革推進審議会(第1次行革審)は最終答申に、住都公団の民営化こそ明記しなかったが、公団の変質をねらう重大な方針を中曽根内閣に答申した。①公団事業は都市再開発を重点とする、②事業区域は2大都市圏に重点化する、③既存賃貸住宅の建て替え・立体化を推進する、④建て替え推進のため法制上の整備をする、⑤都心部の賃貸住宅を廃止し民間に売却して高度利用を図る、⑥新規住宅供給を大幅縮減する、⑦開発事業は採算性が十分あり緊急性の高いものに限る、⑧公団職員を削減する。
 行革審答申は、公団住宅の縮小・廃止と敷地の民間譲渡をせまる政財界の露骨な要求であった。公団総裁丸山良仁はこの答申をまたず1985年10月、建て替えを今後の公団事業の柱にし、年間1万戸ペースですすめたいと紙上インタビューで語り、86年5月に正式発表をした。経過にみるように、住棟を高層化して売却用地をつくりだすのが主なねらいであり、87年3月に丸山は経団連の常任理事会に出席して財界への土地供給を約束している。
 公団は昭和30年代に建設した賃貸住宅のうち約16万戸を対象に、年代の古い団地から概ね20年をかけて順次建て替えを実施すると発表、目的は「敷地の適正利用」と「居住水準の向上」と説明し、その第1号に小杉御殿団地(川崎市中原区、1956年管理開始、280戸)と臨港第2団地(大阪市港区、1956年管理開始、257戸)をあげた。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂


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地球千鳥足Ⅱ №49 [雑木林の四季]

天然の虹橋、レインボー・ブリッジ

      小川地球村塾村長  小川律昭

 世界の自然七不思議の一つといわれるこの岩橋は、ユタ州パウエル湖の中どころ、奇岩の谷間に架かっている。フラッシュ・フラッドと呼ばれる、瞬間的にドーツと押し寄せた洪水によって岩に穴が開けられて出来た、形状が虹にも橋にも似た天然記念物である。高さ八七メートル、幅八二メートル、頂上の岩幅一二メートルと巨大なもの、ネイティブ・アメリカンの崇める聖域で、そばには「近寄ることもくぐることもご遠慮ください」と警告されている。
 この虹橋を見るには、ラスヴェガスから巨大な奇岩がそびえるザイオン国立公園をいろは坂のように登りつめ、最後にトンネルを通過する。そそり立つ赤茶けた巨岩山の間を潜り抜けながら、標高を上へ上へと登っていくドライブは、アメリカならではの雄大な風景、度胆を抜く規模でスリル満点である。ちょうど紅葉時でもあり、荒々しい岩肌にスカーレット、ゴールデン、クリムズンなどの鮮やかな色が調和した最高潮時の景観に出くわして、もったいないほどの幸運に恵まれた気分であった。ここはワイフと私の好きな国立公園で、後年日本から来た娘にも案内したら、やはり喜んでいた。すぐ近くにあるプライス・キヤニオンも、信じ難いほど精巧な大岩石の天然彫刻群で、ここを見逃すわけにはいかない。ザイオンの山中の急坂ドライブは、緊張と感動の連続である。ザイオン国立公園を抜け、虹橋への途中に立ち寄れるコーラル・ピンクの砂丘の波紋は、珊瑚礁色も鮮やかで珍しい風景であり、ザイオンとともに風変わりな自然の魅力を満喫させてくれる。

 ページで宿泊。ここは観光の中継点、モーテル中心の街である。翌朝パウエル湖の出発点、ワーウィープから虹橋に行く船を利用する。湖上の風は冷たい。行く手の両側、水中にこヨキニョキと巨大な奇岩が現れては去っていく。湖から切り株状に飛び出したビュートと呼ばれる巨岩や連なった岩は、多様な色と形状で飽きることがない。この風景はそうお目にかかれるものではない。
 一時間も過ぎた頃、船は岩と岩の狭い通路にさしかかり、右回転する。岩肌を擦るかのような狭い谷間となり、なお運行して虹橋に近付く。ここまで来るとあまりにも澄明な湖水ゆえ、岩また岩の湖底を見続けながら遡上しているかのごとき錯覚におちいる。正面からの朝日で岩の影が本物の岩以上に明瞭に水面に反映して、湖の深淵を見ているようにも思え、あの世に来ているような異様な気分にもなるのだ。その時、虹橋の一部が見え、船が泊められる。
 切り立った巨岩石に囲まれているせいか、そばで見る虹橋は八七メートルの大きさに感じられない。が、まさしく虹状の岩だ。ちょうど太陽によるコロナ現象が虹橋の左半分にかかり、二つの輪が重なって神秘この上もない。この一瞬に来訪出来る人は少ないという。ネイティブ・アメリカンをして深く崇拝させ得た意味がよく理解出来た。この偉大な天然記念物への畏怖の念は時代が変わろうとも訪れる人々の心に深く刻みつけられることであろう。      (一九九五年十月)

『万年青年のためのお坊医学』 文芸社



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夕焼け小焼け №39 [雑木林の四季]

早稻田、早稻田、早稻田

              鈴木茂夫

 1949年(昭和24年)2月11日。
 わが家へ戻った。母が笑顔で迎えてくれた。仏壇にぬかずいた。そのかたわらに受験参考書がすこし残っていた。
 母と二人で父の墓に行く。墓は家の敷地の中、すぐそばだ。
 父の墓標に角帽をかぶせた。私のする唯一の報告だ。ひざまずいて手を合わせると、墓標がにじんだ。

  角帽を 父の墓標に かぶせたり 手をあわせいる 涙の母

 中学で教わった英語のフレーズを思い出す。今なら英語でなにか話してくれれば、ある程度聞き取れるだろうにと思った。般若心経を我流で読んだ。
 昼食はおなじみの釜揚げうどんだった。たくさん食べた。食べ終わると裏山に登った。低い山々が連なっているわが故郷だ。
 声をかぎりに校歌を歌った。何度も歌った。俺の早稻田だと嬉しかった。

 名古屋に帰り、上村豊子夫人に早稻田合格を報告。3年間のお世話いたご厚情に感謝しますと申し上げた。どれほど言葉をつくしても、言い過ぎることはない。
 名古屋での3年間がなければ、今日の私はない。親類・縁者がすべて私たち母子の面倒は見切れないと言ったと。父の神戸高商(現・神戸大学商学部)での親友・上村良一氏が、無条件で引き受けてくれたのだ。上村家の5人のお子達とは、兄弟のようにして暮らした。
 良一氏の蔵書は,私の知識の泉だった。いくつもの外国文学、日本文学の文学全集は、文学への憧憬を培ってくれた。何不自由ない暮らしだった。生涯にわたる温情だ。
 名古屋は私を育ててくれた。私は立ち去りがたい思いを抱きつつ、東京行きの列車に乗った。

 4月1日金曜日快晴。
 きょうは早稻田大学の入学式だ。大隈講堂で行われる。午前10時からの第一政経学部、第一法学部、そして第一文学部だ。講堂の前は角帽をかむった新入生で埋まっている。
 腕章をつけた学生が大隈講堂へと導いてくれる。中は新入生で埋まっている。
 私は一階の中程に席を占めた。
 演壇にはガウンを着て角帽をかむった教授がならんでいた。
 島田孝一総長が演壇に立った。
「新制早稻田大学は、ここに最初の君たち新入生を迎える。おめでとう。戦時中の空襲によりいくつもの被害を受けた本学は、学園復興に取り組んでいる。君たちがわが学園の伝統を受け継ぎ、孜々として勉学に励んで欲しい」
 第一文学部長谷崎精二が訴えた。
「早稻田の文学は坪内逍遙先生にはじまり、多くの文人・作家を生んで今日にいたっている。その流れを汲んで欲しい。君たちはその歴史の後継者だ」
  文学部長の訴えは胸に響いた。
 ブラス・バンドが前奏を開始。1000数百の学生が起立し校歌の斉唱だ。講堂の中は、みんな早稻田だ。

  都の西北 早稲田の杜に そびゆる甍はわれらが母校
      われらが日ごろの抱負を知るや 進取の精神学の独立
      現世を忘れぬ久遠の理想 輝くわれらが行く手を見よや
      早稻田 早稻田 早稻田 早稻田 早稻田  早稻田  早稻田
 
 みんな懸命に歌っている。私も声をあげた。夢中で歌った。故郷の山に何度も歌った。でもそれとは違う。総長が歌っている。教授も斉唱している。大勢の学友と歌っている。私は陶酔していた。この学校の一員に晴れてなったと嬉しかった。

    東西古今の文化の潮 一つに渦巻く大島国の 大なる使命を担いて立てる
    われらが行く手はきわまり知らず

  私たちはこうして、早稻田の一員になったことを自覚したのだ。私は作家かジャーナリストをめざそうと改めて心に刻んだ。

 4月7日木曜日、講座の受講申し込みを受け付けている。私はその列に並んだ。
 隣の男が笑顔で話しかけてきた。
「僕は岩丸太一郎、ロシア文学科です。君は」
「僕は鈴木茂夫、東洋哲学科、名古屋の惟信高校からです」
 肩幅の広い岩丸は、
「僕は東京、都立青山高校。学校新聞を作っていた。『くまんばち』っていうの。君は」
「僕たちは『葦笛』です。僕が編集長だった。月に一度出す」
「『くまんばち』は月に2回出していたんだ。忙しかったけど」
 列の外から一人が声をかけてきた。
 「僕は文学部の同人で出している『流』の編集者です。一部買ってください」
「君は列に並ばないの」
   「僕は去年、第二高等学院に入学したの。だからあなたと同じ新制早稻田大学の一年に自動的に編入されている。講座の申し込みも済んでいるんだ。それよりも僕は大河内昭爾、国文科だよ」
 「その雑誌いくらですか」
 「300円でお願いします」
 「ありがとう、そのなかの『プラタナスの葉陰に』が僕の作品だ」
 大河内君は人懐っこい。
 「露文科の磯田利昭です。僕たちの文芸誌『第一章』を頼みます」
 「僕は福井県の三国町の高校だけど学校新聞やってました」
 並んでいる学生は、文芸誌の同人か、学校新聞の編集者なのか。
私の前にいた男がふり返った。しゃれたセーターにジャケットを着こなしている。私を上から下まで詮索するように眺めてから、
 「君、君はスペインの内乱のこと知ってる」
 「西洋史でやった程度ならね」
 「俺は西洋史の近藤。そんないい加減なことでは、ヨーロッパは分からないね」
 近藤は高飛車にそれだけ言うと、背中をみせて振り向かなかった。多士済々、近藤はよほどの秀才なんだろう。
  私は一学年で予定されている42,もしくは43単位の講座を申し込んだ。

 4月11日月曜後、授業がはじまった。
 必修の国語の教室に行く。大河内君もいた。
 講師は岩本素白先生。自己紹介で60歳を過ぎたと言われたが、背筋が伸びている。豊かな知識と感性で書き綴る随筆の名手として知られる。
 テキストは西鶴の「日本永代蔵」。先生は歯切れの良い東京弁だ。この作品の主題は、どうやって金持ちになれるかだね。そのためには,早起き、仕事、夜なべ、倹約、健康が大事かを訴えてるんだね」ところで、「さすが」とある。これはなんと訳すかな。これはね。なんと言ってもとすると収まりがよくなると思わないかな。
先生は歯切れの良い東京弁だ。聞いていて爽やかだ。教室は、先生の語りに聞き入って静まりかえる。
 5月1日日曜日。
 小雨模様。青山6丁目の停留所から、水天宮行きの電車に乗り、日比谷で降りた。会場の皇居前広場は、敗戦後、人民広場と呼ばれている。
 会場の中央に演壇が設けられ、第20回メーデー、自由、平和、全日本の労働者団結せよのスローガンが飾られていた。 産別、総同盟はじめ、各労組、市民団体、学生など、約60万人が参加。
 各政党代表の挨拶。日本共産党代表の徳田球一が立った。

    現在の状況は、革新勢力が優勢になっている。吉田反動内閣を打倒し、この9月には、わが人民を主体とした連合政府が樹立されるだろう。中国共産党の人民解放軍は、蒋介石の国民政府軍を打ち破り新しい国を創るだろう。
    
 勇ましい演説だ。聞き手の感情を煽ぎたてる。私も興奮した。日本に革命的政権が樹立されるのかと思った。名古屋で初めて演説を聴いたときも、偉い人だと思った。
(その後、現実には何も起こらず、9月革命は徳田本人も含め、誰も言わなくなったが)
 その後、この人は巧みな扇動家だったのだと気づくには,数年かかった。


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線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №227 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

廃線・廃駅巡り

           岩本啓介
 
①昆布干場に昆布なし 日高幌別~鵜苫(うとま)

227日高幌別・白泉集落 昆布干場 のコピー.jpg

私が北海道に出かけたのは 息子が高校生で そろそろ将来の仕事を考える時期,
日高線は苫小牧~静内を走っていました。レンターカーで息子と二人で、日高地方
の牧場を中心に巡り、最後に社台ファームの『サンデーサイレンス』に会えました
ここは日高幌別の白泉集落の昆布干場ですが 線路が寂しく残っています
2019年7月13日8:29
      

②短くなる日高線

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牧場の片隅に線路が見えます。
かつて襟裳岬の近くまで続いていたJR日高本線、2021年4月に鵡川から様似まで約...
116kmの線区が廃止になりました。高波による路盤土砂の流出が原因です 
2019年7月13日11:12


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押し花絵の世界 №204 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「スターフロックスのスマホケース」

        押し花作家  山﨑房枝

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アゲハ蝶の尾尻の突起のような切れ込み入りの花弁を持っているスターフロックス。
別名「星咲フロックス」とも呼ばれ花火にも見える不思議な形をしています。
ブルーの爽やかな紫陽花、レースフラワーと共にに夏の花火大会をメージした爽やかなケースに仕上げました。


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赤川ボンズと愉快な仲間たちⅡ №61 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

行田の童たち 5

      銅板造形作家  赤川政由

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『知の木々舎』第363号・目次(2024年6月下期編成分) [もくじ]

現在の最新版の記事を収録しています。ご覧になりたい記事の見出しの下のURLをクリックするとジャンプできます。

文芸美術の森】

石井鶴三の世界 №258                画家・彫刻家  石井鶴三
  手向神社・面/手向神社・二舞面 1957年
西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」№130 美術史研究家 斎藤陽一
 明治開花の浮世絵師 小林清親 13 
   「東京名所図」シリーズから:一日の中の光の変化
浅草風土記 №28                作家・俳人  久保田万太郎
 浅草田原町 2
武蔵野 №8                         作家  国木田独歩
https://chinokigi.blog.ss-blog.jp/2024-06-14-12

【ことだま五七五】

こふみ句会へGO七GO №131                  俳句 こふみ会     
 「日傘」「燕の子」「夏めく」「新馬鈴薯」
郷愁の詩人与謝蕪村 №31              詩人  萩原朔太郎
 冬の部 3
読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №185              川柳家  水野タケシ
 5月22日、29日放送分
【雑木林の四季】

BS-TBS番組情報 №307                          BS-TBSマーケテイングPR部
 2024年6月のおすすめ番組(下)
海の見る夢 №80                                    渋澤京子
  オルゴールと小津安二郎
住宅団地 記憶と再生 №37   国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治
 公団住宅の「建てかえ」事業とは難だったのか 
地球千鳥足Ⅱ №48            小川地球村塾塾長  小川彩子
 おもてなし、ワイン、温泉、えにしだ並木~ジョージア
山猫軒ものがたり №41                    南 千代
 大黒柱
台湾・高尾の緑陰で №39       在台湾・コラムニスト  何 聡明
 新総統頼清徳を迎えた台湾
【ふるさと立川・多摩・武蔵】                                                   

線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №226      岩本啓介
 敗戦・廃液巡り~石北本線及白滝駅
夕焼け小焼け №38                      鈴木茂夫
 早稲田入学式・早稲田文庫     
押し花絵の世界 №203                                       押し花作家  山﨑房枝
 「紫陽花のスマホケース」
赤川ボンズと愉快な仲間たちⅡ №60      銅板僧形作家  赤川政由
 行田の童 原画 4
多摩のむかし道と伝説の旅 №127               原田環爾
 西多摩の多摩川河畔の桜道を行く 7
国営昭和記念公園の四季 №153
 アナベル 花木園
【代表・玲子の雑記帳】                  『知の木々舎 』代表  横幕玲子

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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №130 [文芸美術の森]

          明治開化の浮世絵師 小林清親
            美術ジャーナリスト 斎藤陽一   
                第13回 
       ≪「東京名所図」シリーズから:雪の情景≫

 小林清親は、「東京名所図」シリーズの中で、雨の日の風景とともに、「雪の日の光景」を好んで描いています。

 今回は、そのような「雪の情景」を描いた作品を紹介します。

≪降る雪や≫

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 これは小林清親が明治12年(32歳)に制作した「駿河町雪」

 駿河町は、現在の中央区、室町1丁目、2丁目にあたるところ。道の両側にある黒っぽい壁の堂々たる商家は、豪商「三井越後屋」
 その奥にそびえる擬洋風建築は、明治7年に建てられた「三井組為替バンク」、すなわち「三井銀行」です。

 駿河町の三井越後屋のあるこの場所は、富士山と江戸城とを同時に見渡せる場所として、江戸時代の浮世絵にはたびたび描かれてきました。
 例をあげれば:

 下図右は、葛飾北斎が描いた連作「富嶽三十六景」中の「駿河町」
 駿河町の通りの賑わいを切り落とし、三井越後屋の屋根を下から見上げるような大胆な視角とデフォルメにより、堂々たる大屋根を強調、そこに、江戸城越しの富士山を配している。これに、大屋根の上で生き生きと働く瓦職人たちの動きと大空に舞う凧の動きを加えて、江戸の繁栄を晴れやかに表現しています。

 下図左は、歌川広重の連作「名所江戸百景」中の「駿河町」
 通りの両側に屋根を連ねる豪商・三井越後屋の建物を鳥の目視点と遠近法で構成し、奥へと視線が導かれる先に雪をいただいて屹立する霊峰富士を描いて、こちらも、町の賑わいを活写しています。

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131-3.jpg これに対して小林清親は、江戸の浮世絵師がこの場所を描くときの定番だった「富士山」は描かず、地に足のついた散策者が駿河町の街角をながめるという「生活者の眼差し」でとらえています。
 雪道を歩く人影も描かれますが、何よりもこの絵から感じられるのは、冷たい寒気と静けさともいうべき情感です。
 清親が、定番を打ち破り、駿河町を「雪の情景」として描いたことが、このような味わいをもたらしています。
 清親はまた、越後屋の豪壮な商家の建物と、三井銀行のモダンな洋風建築という「和」と「洋」を対比させることによって、いかにも明治らしい雰囲気を生み出している。さりげなく配された「ガス燈」や「人力車」も、明治開化期を象徴するものです。

 これらのものが、雪の「白」を基調とした落ち着いた色調の中で、どれも違和感なく、絵の中で調和し合っている。

 明治18年生れの詩人・劇作家 木下杢太郎も、永井荷風と同様、小林清親の風景版画の愛好者でした。

 木下杢太郎が、清親のこの「駿河町雪」について書いている1節を紹介します:

 「(東京名所図の中で)最も優れたものは『駿河町雪』といふ題のものである。これは『ゑちごや』の紺暖簾をかけた店から雪の小路を眺めたところで、おそらく、旧の東京下町の、殊に濃艶なる雪旦の光景が、これほど好く再現せられたるは他にあるまいと思ふ。・・・
 概して昔の東京の市街は、雪旦(雪の朝)、雪宵が最も美しく、清親の板画も雪の日を描くものが最も好い。」(木下杢太郎『小林清親の板画』大正14年)

 もうひとつ、小林清親描く「雪の情景」を紹介します。
 下図は、清親が明治10年(30歳)に制作した「両国雪中」

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 ここは両国橋西詰めの「両国広小路」
 明暦3年(1657年)、江戸の町を焼き尽くした「明暦の大火」をきっかけに、江戸市中には防火用の空き地である「火除け地」が設けられましたが、この「両国広小路」もそのひとつ。江戸時代、ここには、見世物小屋などが立ち並び、賑わいを見せていた。

 この絵の中にも、雪の中、たくさんの人々が往来している。しかし、その動きはスローモーションのような感じで、皆、押し黙って歩いている。音は、雪に吸い取られてしまったかのよう。
131-5.jpg 番傘に着物姿の人たちは、江戸の情緒を感じさせるが、人力車や電柱などは文明開化がもたらしたもの。しかしどれもが、雪景色の中にしっくりと溶け込んでいる。

 ちなみに、右手の商家が掲げた看板に「五臓園」という文字が見えますが、これは、この店が売り出した漢方滋養剤とのことで、現在も販売が続いているそうです。

 この絵もまた、「散策者の視点」で描かれています。
 漢方薬の店のあるあたりが「米沢町」、絵の左手は「吉川町」になりますが、実は、小林清親を起用して「光線画」シリーズを制作させた版元・松木平吉の店(絵草紙屋)は、左手の「吉川町」にありました。とすれば、この視点はまた「版元の店先」から見えた光景かもしれません。

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 次回はまた、小林清親が描いた連作「東京名所図」から、「雪の日の情景」を紹介します。
(次号に続く)


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