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地球千鳥足Ⅱ №44 [雑木林の四季]

原発の国で夫婦下痢道中
   ~ウクライナ①~

         小川地球村塾村長  小川律昭

 乗り継ぎて立ち寄ったモスクワはセレメチーボ空港で会った日本人団体が、「あなたは何のためにウタラィナに行くの? 観光の見所は何もないよ!」と言った。彼らには日本人夫婦のウクライナ・バックパックの旅は珍しかったようだ、「旧ソ連邦から独立した諸国を旅している」と告げたが、「他にはもう行く国が少ない」とは言わなかった。彼らは26年前のチェルノブイリ原発事故の跡を辿り、その後遺症で病んでいる人たちを見舞うため、金品を携えて来た団体だった。福島原発事故後の参考にする調査か、東北方面の人が多かった。「予約がないと事故現場周辺には行けない」と知らされた。旧ソ連邦から独立した発展途上の国ウタライナ、西欧寄りなのか入団にビザも不要で、街も新旧の建造物が入り交じって調和していた。人々は開放的で明るい。街を闊歩している若い女性やビジネスマンは垢抜けのした服装でスマートきが感じられた。しかし商店では旧共産圏の名残か笑顔が乏しく無表情、「売ってあげる」態度でサービス業に徒事している人たちを見かけた。道端で手を差し出す人は僅か、秋に首都キエフでサッカーのヨーロッパ遣手権が開催される。
 旅人に不便だったのは道を訊いても逃げられてしまうことだ。日本もそうだが英語が喋れぬ人が多いのか、観光客に慣れていないせいもあるだろう。ホテルのボーイが黄金の門街の正面玄関への行き方を遠回りで説明してくれた。多分英語が聞き取れず他の建造物と間違えたのだろう。坂道の多い街で徒歩の観光には限界を感じたが、やたら歩いたお蔭でキエフ最古の教会、世界遺産のソフィア太聖堂を見ることができた。頂上の塔が鮮やかな緑と黄金色で彩られた派手な建造物だ。「有名なロシア正数の殿堂ペチュールスカ大修道院には「聖」と「俗」とが共存する。広大な敷地に由緒ある教会の逸物群が配置されており、内部の壁画はフレスコ画で埋め尽くされている。市内の見学は3路線ある地下鉄を利用したのだが、地底への深さが2段階に分かれて100メートル以上もあるエスカレーターだ。スピードは早く、騒音は大きい。車内は混んでいる。ソ連時代の遺産だ。
 ウクラィナと言えはキエフ郊外のチェルノブィリ原発事故だ、今になって関心が山たのか博物館で日本人の医者グループの団体に会った。後遺症とその対応状況を調べるためのようだった。館内は写真中心、亡くなった子どもたちの顔写真や防護服をつけた係官の作業婆だけ。事故後3日経ってソ連の調査団が入り住民たちに事件を知らせたという。当時の状況は闇の中、徐々に被害状況の恐ろしさがわかって海外に脱出した人たちもいた。シンシナティでチェルノブィリから避難して来た一家に会ったが、将来を熟考して避難したのだろう。
 元気だったワイフがダウンした。前夜の寿司が原因か。食事を絶ってホテルで2日間安静にした。体力が疲弊した頃にやってくる病気だ。生野菜には気をつけているのだが運の悪い時はこんなもの、彼女はどの同に行っても下痢を止めるのに寿司だ。寿司はおまじないみたいに腸を回復させるのだが、初めての逆効果だった。次の街リヴィウでは私も同じ下痢でダウンした。ホテルで食べたステーキ肉かその付け合わせか。同じように絶食で下痢に耐えた。薬は現地で調達したほうが症状に合うと その都度買い求めて服用する「レセプションで薬の有無を問い含わせたら、キエフのホテルでは近くの薬局の場所を教えてくれただけ。リヴィウのホテルでは4錠無料でくれた。同じ四つ星ホテルでも対応が異なった。アルゼンチンのコルドバでは医者を呼んでくれて無料だたことを思い出した。優雅な中世見本の街、リヴィウで1日半寝ていたのは悔しい.リヴィウは中欧の古都、旧市街地はリノック広場を中心に石畳の広がる古風で優雅な街並みだ。中欧の「埋もれた宝石」とガイドブックにあるが、徐々に脚光をあびつつあり、ぶらぶら歩きには快適だ。
         (旅の期間:2012年 律昭)

『支給千鳥足』 幻冬舎


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