SSブログ

地球千鳥足Ⅱ №42 [雑木林の四季]

こんなところで日本人5人と会った!
~べリーズ~    

            小川地球村塾村長  小川律昭

 ベリーズは全体的には安全な経済成長過程国で、カリブ海の水はコバルト色だ。だが空港のあるベリーズ・シティは少々治安が悪い。我々は恐れず第一夜をここに取り、着いた早々まず市内を散策した。街角でビニール袋売りの裁断マンゴーを食べている、痩身の若い日本人女性に逢った。テレビ取材の手伝いで半日雇われたという。彼女はTさんといい、「キーカーカー島に住んでいる」と言った。忙しそうだったのでそれで会話は終わり。日本人男性2人がその傍におり、カメラマンと渉外係のようだった。テレビ番組、「世界の村で発見! こんなところに日本人」の取材中とのことだった。この取材陣に「ご夫婦とマイアミからの航空機で一緒でした」と言われたがこちらは記憶になかった。リュックを担いだ合計156歳の夫婦は目立ったのだろう。
 ベリーズ・シティは壊れかけた建築物やバラック建ても多く、街並みは汚い。空港も古くて質素、航空機への乗降は徒歩だ。首都のベルモパンには空港がないのでここが国際空港、うらぶれた都市である。200年前宗主国イギリスから運ばれたレンガで建造されたセント・ジョーンズ教会と、カリブ海に面した総督官邸を見学したが、現今は迎賓館、熱帯植物に囲まれた優雅なたたずまいだ。刑務所だった博物館は厳重な鉄格子塀に囲まれていた。政策として強調しているのはカリブ海のレジャー観光とリゾート産業のようだ。
 頭髪をアフリカン・アメリカン状に編んだ女性から声がかかった。「日本人ですか?」と。2時間半バスに揺られ、サン・イグナシオに着いたところだった。ワイフと日本語を交わしたのを聞いたのだろう。黒く日焼けした、日本人にしては大柄な女性で、10ドルかけてネイティヴのように髪結いしたという。ここ、サン・イグナシオでは最高のホテル、カル・ペチ・リゾートを選んだ。
 ベリーズを代表するシユナントゥニッチ遺跡は密林に覆われた丘の上にある。9世紀頃繁栄した神殿都市という。高さ40メートルのピラミッドは保存状態もよく壁面には神や踊る人、怪物や貝殻なども刻まれており当時の文明を偲ばせる。ホテルから見下ろせるカル・ペチ遺跡は歩いて数分の距離、紀元前3世紀から紀元後8世紀にかけてのものが混在し、独特のマヤ・アーチ状の構造が特徴だ。
 南のリゾート地プラセンシアのスーパーで会った日本人女性はワイフが私を「お父さん!」と呼ぶ声を聞き、話しかけて来た。夫はアメリカ人、政府系の仕事をしていて定年後ここに来て家を建築したと言う。日本人が懐かしいのか30分も立ち話をした。物価も安いしカリブ海の温暖気候が気に入ったのだ。この国には16人ほどの日本人が居住するとのことだ。
 プラセンシアは昔の漁村、今は高級リゾート地でホテルもレストランも高価だ。その関連で仕事もある。シーズン・オフで人影を見かけない海水浴場だった。砂浜沿いの貸小屋は空家。ホテルのカヌーやサイクリング車で楽しめた。
 キーカーカーは俗化していて砂の小島ではなくなった。サン・ペトロも桟橋やマリンレジャーに人が集まり過ぎて海辺を汚している。バリア・リーフやブルー・ホールへ船で出かけて珊瑚礁の海底を覗くほうがいいだろう。
                     (旅の期間‥2013年 律昭)

珍遇が取り持つ縁は地球の一角から
                          
 「事実は小説よりも奇なり」といわれるが、誰しも体験があるだろう。人と人は見えない糸で繋がっていると思わざるをえない事件がままある。人生行路はある時重なり合い、交友範囲が拡大し、生きる楽しみも増える。覚えている範囲の珍遇、奇遇を紹介しよう。
 成田からの国際線ダラス行きの機中、飛び立って2時間後、フライトアテンダントが我が隣の空席に客を連れて来てよいか尋ね、了解したら日本人女性が座った。驚いたことに、彼女はシンシナティの我が家のご近所イーナおばさんの所に以前寄宿していた。その後日本で結婚したが、高校、大学時代ともイーナおばさんと暮らしたという。我々夫婦もイーナと付き合っているが、そもそも彼女とのご緑は、別の寄宿人をイーナが空港に迎えに出た折、私が近所と知り同乗させてくれたことが始まりで、今も信頼感で結ばれている。
 エストニアのタリンで、隣国ラトビア行きのバスの切符を求めていた時、小柄な女性が列の後ろに。ブラジルから来た日本人夫婦だった。私の元勤務先のブラジル支社駐在員が共通の友だちだった。バスがすぐ出るので名前を交換しただけで別れたが、隣国ラトビアの中心街リーガの街中で「小川さ~ん!」と呼ぶ女性の声。よくも同じ時間に同じ街の一地点をすれ違ったものだ! 5分ずれたら会えてはいなかった(ラトビア共和国の項参照)。この国はホテル探しが大変な国だった。やっと見つけた小ホテルのエレベーターで「やあ、小川さん」と今度は旦那さん。これが何の打ち合わせもなしで3度目の出会いだった。朝食を共にして話をしたら、お互い日本に生活拠点を置き、定年後彼らはサンパウロ、我々夫婦はシンシナティに活動拠点を置く元駐在員だった。似た夫婦同士、バルト三国をうろついていたのだから奇遇だろう。再々会は打ち合わせをして、ブラジルはサンパウロの日本人開拓時代の博物館で。もちろん日本でも国分寺で会食を楽しんだが、世界各地で計5回も会ったのだ。
 彼らとの出会いは霊感に導かれた必然的偶然とでも言えるのではなかろうか。海外で日本人らしき人に会えば私はよく話しかける。好奇心が働くからだ。「地球の一角でいつ人との出会いや緑が始まるかわからない」と期待しつつ、行動する我が好奇心とその果実に乾杯!                      (2015年執筆 律昭)

『地球千鳥足』 幻冬舎


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。