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検証 公団居住60年 №109 [雑木林の四季]

XⅥ 規制改革路線をひきつぐ民主党政権、迷走の3年余

   国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治 

3・公団住宅にたいする国土交通省の基本的立場

 事業仕分けがはじまると国土交通省は2010年2月に「独立行政法大都市再生機構のあり方に関する検討会」を設置するとともに、「都市再生機構の現状と課題について」の文書をだし、3月1日には住宅局が「住宅市場の現状と住宅政策の課題を踏まえた都市再生機構の役割について」(未定稿)を作成した。ここには行政刷新会議の仕分け結果に「対立する」国交省の立場が表明されている。この文書に記された立場こそ、ときの内閣があれこれ閣議決定するなかで、やがて国交省官僚が収赦させていく方向性の基軸であり、公団住宅をめぐる今後の政府方針の行方をしめす指標となるとみられる。
 国交省の基本的立場は、別言すれば、行政刷新会議にむけた都市機構の「存続理由」のアピールでもある。

1)機構は、今後とも民間大手の再開発事業、自治体のまちづくりを支援する。
2)その赤字は、賃貸住宅部門の収益で埋め合わせる。
3)賃貸住宅事業は既存ストックを活用して高齢者等の弱者対策にしぼり、戸数を削減し団地を売却していく。
4)団地再開発をつうじて民間事業者をよびこみ、また地域福祉の拠点としていく。
5)定期借家制度の導入は、事業収益の向上と効率的な住宅供給に資する。

 国交省官僚にとって機構存続の理由に、賃貸住宅団地を「公共住宅」として維持発展させる理念、目標はみあたらない。住宅は市場での自力確保が基本であり、それが困難な者にはセーフティネットを整備するとの建て前から、高齢者など弱者に既存住戸の「一部残存」は容認する。しかし、あえて「まちづくりの一環としての供給は例外的」と付言する。
 低所得の高齢者だけが、団地の一部に残された住棟に暮らす。歳月をまてば残存の要はなくなる。だから、その区域には「まちづくり」の発想は不要とまで念押しをする。国交省文書からは、「セーフティネット」集落の先に姥捨て山をおもわせる陰惨な光景がうかびあがる。

『検証 公団居住60年」 東信堂



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私の中の一期一会 №257 [雑木林の四季]

   この先もまだ不透明!・・ロシアのウクライナ侵攻とオミクロン株の終息、
~ロシア人が戦争に反対することが最も早く、常軌を逸したプーチンを止める方法だ~

     アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵攻を開始したのは、2月24日のことだった。
 あれから20日間ほどの時間が経過したが、ロシア軍の激しい攻撃はウクライナ各地で続いている。
 英BBC放送は、12日にはウクライナ東部のドニプロなどで爆発音が聞こえていたと伝え、南東部のマリウポリでは,退避出来ない市民の犠牲が増えていると伝えていた。
 国連の人権高等弁務官事務所は,10日の時点で民間人の犠牲者は564人に上っていると語った。
 このうち41人は子供だと聞くと痛々しさに耐えがたい気持ちになる。
 ウクライナ国営通信は13日、東部ドネツク州で戦闘地域からの避難者を乗せた列車が攻撃を受け,乗員が犠牲になったと伝えている。
 ロシア軍に包囲され人道危機が心配される南東部のマリウポリでは、「この24時間で少なくとも22回の空爆があった。投下された爆弾は100発ぐらい。侵攻が始まって以来の住民の死者は2187人になった」と市議会が発表した。
 各地で展開されるウクライナ軍の激しい抵抗はロシア軍の進撃を足踏み状態にしているようである。
 だが戦闘が続けば、一般市民が犠牲になるのは避けられない。
 プーチン大統領は当初2日ほどで首都キエフを制圧して、ウクライナ政権にダメージを与えるというシナリオを描いていたようだ。
 しかし、予想外ともいえるウクライナ側の徹底抗戦に大苦戦する様相となった。
 ロシア国内ではルーブルの価値が下がり物価が上昇して国民の家計を直撃している。
 欧米などの経済制裁の影響から逃れようと、市民のロシア離れも出始めているらしい。
 プーチン大統領に対する批判の声も出始めているという報道もある。
 今やウクライナ侵攻は“泥沼化”した様相を呈してきたとみていいかも知れない。
 ロシアの独立系メディアは、プーチン大統領がウクライナに関する諜報活動の責任者だったセルゲイ・べセダ氏らを自宅軟禁にしたと伝えた。
 ウクライナへの軍事進攻に誤算続きが重なりプーチン大統領は苛立っているようである。
 ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワヌリ氏は13日午後、SNSを通じて「ロシア人が戦争に反対することが最も早く常軌を逸したプーチン大統領を止める方法だ」という呼びかけを行った。
 ナワヌリ氏のこの呼びかけに、ロシアの38都市で市民が応じて反戦デモが行われた。
ロシアのぺスコフ大統領補佐官は13日ウクライナとの4回目の停戦協定をオンラインで開催するという見通しを示した。
 ウクライナ側の交渉官は「我々は原則的にいかなる譲歩もしない。ロシアは今やそれを理解している。ロシアはすでに建設的に話を進めている」とインターネットに動画で投稿した。
 ロシア通信によると、ロシアの交渉官も「大きな進展があった」と発言している。
 14日の停戦協議は何らかの成果が期待されている可能性があるとのこと。
 ウクライナ側は「我々の要求は戦争の終了とロシア軍の撤退だ。それについて理解と対話が存在する」と語ったが、停戦協議が期待通りになるかどうかは何とも言えない。
 ロシア人ジャーナリストのミハイル・ザイガ―氏は「プーチン氏はコロナ禍以来、アドバイザーや友人との接触をほとんどしていない。彼は孤立している.古参の側近も彼に近寄らない」と述べている。
 ロシアのウクライナ侵攻は1945年以降、ヨーロッパにおける最大の地上戦だと書いたメディアもあった。
 戦争から得るものは何もない。破壊と殺戮によって悲しみは必ず残る。
 戦争を続けてはいけない・・・
 3年目を迎えたコロナウイルスとの戦いも、なかなか終息が見通せない。
 新規感染者数の増減傾向を示す“直近7日間平均”は全国的に減少傾向に転じているようにも見える。
 だが翌日パッと増えることもあって下げ止まり状況に見える。
 第5波のデルタ株に比べ、オミクロンの感染力は圧倒的に高いため感染者が増えてしまう。
 感染者が多くなれば、死者の数も増えることになる。
 読売新聞が各自治体で公表したデータを集計したところ、今年1月以降にコロナによる死者は7885人(3月14日現在)であることが分かった。
第5波だった昨年8~10月は3073人だったから、その2.6倍ということになる。
 岡山県の医療機関が第6波で2月までに死亡した66人の死亡診断書の分析を行ったところ、コロナで死亡した人は68%の44人であることを突き止めた。
 残りの21人は誤嚥肺炎、老衰などコロナ以外が直接の死因であった。
 一般にコロナと言えば、肺炎が悪化して呼吸困難になるケースが多かったが、オミクロンではそのようなケースは少なくなっているという。
 神奈川県の担当者は「コロナ以外で亡くなる人が増えている。高齢者や持病のある人はコロナの症状が軽くても油断できない。リスクの高い人への健康観察が重要になる」と語った。
 私の友人は、近くに住む息子一家で小学生の孫が感染したことによって家庭内感染となったと話してくれた。
 自宅療養だったが、一時は親二人が喉の痛みと39度の発熱で苦しんだという。
 友人の話では、外出できないため食事に苦労したそうである。
 友人の奥さんが毎食運んだそうだが、接触できないので玄関のベルを鳴らしてすぐに離れなければならず「もう疲れました」と言っていた。
 テレビ出演などで医療現場の実態を発信している宇都宮市の倉持呼吸器内科の倉持仁院長は「悲しいお知らせですが、ここ3日 発熱外来の受診者は増えています。陽性率も下がらない。私の疲れも取れません」とツイートしていた。
 職員を鼓舞するため特別ボーナスで頑張っていただくしかないとのこと。
 「消耗戦です、がんばれウクライナ!」とロシア侵攻になぞらえてみせた。
 トンネルの先に光が見えれば、ドクターばかりでなく我々も頑張れるのに、まだ光が見ていないのが悲しい。


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じゃがいもころんだⅡ №59 [雑木林の四季]

満八十九歳

     エッセイスト  中村一枝

 もう、あと一と月で満八十九歳になるというところへきて、とみに思考力の衰えの著しいのに驚いている。このぶんでは、今年中に頭はポロポロになってしまうのでは、と、いささか恐れおののいている。そのくせふつうの好奇心は並々ならぬものがあって、毎日のニュース、特に今は、ウクライナの情勢など、かなりの義憤をもって聞いている。地図でみても、ああいう風に国境がくっつき合っている国々では、じぶんの頭が呆ける心配なんて言っていられないのが現実だろう。戦争中は空襲の怖さも十分に味わったけれど、今のように地上で国境がくっつき合っている怖さは、幸い味あわなかった。それだけに、今、毎日のニュースのたびに、ウクライナ情勢を義憤と胸苦しさで聞いてしまう。地上を進んでくる敵の兵士の姿を刻々知らされ、怖さを味あわされる今のウクライナの人達はどんな思いでいるのか、胸が痛む。
 八十九歳という私の年齢はかなりの高齢である、その間を生き抜いてきたことに自負をもっていたはずなのに、今は全く自信もない。戦争に突っ込まなかったことはまあまあ評価できるとしても、戦争はイヤだというのは心の中の意思で、負けたのはただ幸いだったというしかない。戦争が好きな庶民などいるわけがない。家族を持ち、家をもって幸せに暮らしていたのが、いきなり目に見えない圧力で中断される。否も応もない残酷さを、為政者たちはどう思っているのだろう。今の向上したカメラの技術で、戦争の現場はすべて克明に映し出される。反戦意識がもっと高まってもいいはずなのに、高まらないのはちょっと不思議である。
 でも、権力者が戦争を自分に有利に利用しているのは、古今東西の例を見てもはっきりしているのに、なぜか、愛国という変な言葉に励まされ、協力しないのは国民ではないような意識につきまとわれる、本当におかしな話ではないか。今の日本はどんなに政治が腐敗していても、芯になるものがないという幸せ、それだけでも。どんなに有難いことだろう。 テレビという現代の魔法使いのおかげで、私たちは遠くの、目に見えない現実を知ることができる。もう、昔のように、お題目に振り回されて右往左往はしないと思っているのだが、人間の愚かさだけは想像がつかないから、いつまた、何が起こるか判らない。そのためにも、一旦ははっきりと現実を見るという習慣を決して忘れないようにしたいと思っている。


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BS-TBS番組情報 №254 [雑木林の四季]

BS-TBS 2022年3月のおすすめ番組

                             BS-TBS広報宣伝部


バギーで駆ける!絶景秘境の旅
早春の高知へ…天空の神社と仁淀ブルーを求めて

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2022年3月20日(土)よる9:00~10:54

☆バギーに乗って2泊3日の秘境旅へ!

出演:駿河太郎、瀧川鯉斗

駅やバス停から遠く離れた山奥にはスゴイ名所が隠れている!
ひと足早く春を迎えた南国・高知県。俳優の駿河太郎と落語家の瀧川鯉斗がバギーに乗って2泊3日の秘境旅へ。奇跡の清流と呼ばれる仁淀川沿いを走り、断崖絶壁に建つ謎の神社を命がけで参拝。そして平家落人伝説が残る集落では一人ぼっちの住民と心温まる交流が…。
どんな悪路も突き進める全地形対応車・バギーだからこそ辿り着ける山奥の絶景や名所。高知の郷土料理はもちろん、地元で愛される絶品秘境スイーツも堪能します。

Style2030 賢者が映す未来

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2022年3月20日(日)午前11:00~12:00

☆ジャーナリスト龍崎孝と各界の賢者が対談!新しい生き方を提案する。

出演
龍崎 孝(ジャーナリスト/流通経済大学副学長・教授)
皆川玲奈(TBSアナウンサー)

ゲスト
河瀨直美(映画作家)

#12「河瀨直美(映画作家)」
SDGsの目標達成期限2030年に私たちの社会や暮らしはどうあるべきか?ジャーナリストの龍崎孝が、国内外数々の賞を受賞してきた映画作家・河瀨直美氏との対話を通じて、新しい生き方のヒントを探る。 
昨年、東京オリンピックの公式映画の撮影で、女性選手への取材も行ってきた河瀨氏が注目したのは「ジェンダー平等の実現」。小さな声に耳を傾けることの意味について語る。
また、これまで自身の作品でも描いてきた故郷・奈良への想いから「住み続けられるまちづくり」についても着目。生活する人が町を誇りに思うことが重要だという。
「1000年後の人にも見てもらえる映画を創りたい」という河瀨氏が描く「リアルな未来」とは。
番組内で「グラフィックレコーディング(グラレコ)」という手法をつかって、対談内容をリアルタイムで「見える化」する過程にも注目!河瀨氏が描く2030年の社会を、色彩豊かに描き出す。

ゴルフONE~賞金総取りバトル~ 2時間SP

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2022年3月27日(日)よる9:00~10:54

☆ゴルフはスコアだけじゃない…スーパープレーでポイントを稼げ!
  唯一無二のポイント制ゴルフバトル!
  最高のテクニックを披露し、賞金を手にするのは!?

MC
髙橋大輔(フリーアナウンサー)、秋山真凜(タレント・スポーツキャスター)

出場者
堀川未来夢、幡地隆寛、片岡尚之、高柳愛実、阿部桃子、野田すみれ

スーパープレーでポイントを稼げ!唯一無二のポイント制ゴルフバトル!
ライバルたちとの真剣勝負、賞金獲得は優勝者のみ!
ゴルフはスコアだけじゃない…最高のテクニックを披露し、賞金を手にするのは!?
ゴルフ界の新たなポイント制バトル「ゴルフONE」がついに開幕。
その初回に相応しい2つの対戦が実現。
ショットメーカー堀川未来夢、飛距離1位の幡地隆寛、パッティング1位の片岡尚之による20代トップ男子プロゴルファー対決!
さらにプロを目指していた3名の女性タレント!高柳愛実、阿部桃子、野田すみれによる女性芸能人最強決定戦も実現。
最もポイントを稼ぎ、賞金をつかみ取るのは!?
【4/2(土)から毎週土曜夕方5時、レギュラー放送スタート!】


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地球千鳥足番外 [雑木林の四季]

悲しきお知らせとお礼のことば   

        小川地球村塾塾長 小川彩子
                                       
 知の木々舎にも投稿させて頂いていた夫、小川地球村塾村長、小川律昭は、暮れの25日、天国へ旅立ちました。最後の投稿・・・2021,06,28・・・は予感でもあったのかと思えるようなタイトル:「我がAggressive人生に悔いはなし」で人生を総括しておりましたね。その6か月後の昇天でした。小川地球村塾によく参加してくれたLisaさんは先日、「律昭さんが輝いて天国に無事辿り着いた頃よ!」と。何でもいつでも前向きに、元気な笑顔で活動していた夫でした!地球千鳥足(世界119か国バック・パックの旅)もある年からは夫婦一緒でした!急だったので親族のみでささやかな葬儀を済ませ、私は1か月泣き暮らしましたが、その後慣れないことに追われ、平常な生活にまだ戻れず、暫くは旅に出かける元気もありません。
 良いことも1つご報告させて頂きましょう。夫が2003年出版した『還暦からのニッポン脱出』が、文芸社の過去全ての出版物(約880冊とか)の中のBest 20に選ばれたのです。
 本年年女の虎ちゃん筆者ですが祝う気分はゼロ、夫が生前賜りましたご厚情に心から感謝申し上げ、休稿続きのお詫びを兼ねさせて頂きます。知の木々仲間の皆さまはお元気で! 




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医史跡を巡る旅 №106 [雑木林の四季]

安政五年コレラ狂騒曲~戸塚宿、磯子村

    保健衛生監視員  小川 優

東海道から離れて、三崎巡りに時間が掛かりました。本筋に戻りたいと思います。
江戸に向かう東海道、藤沢宿の次は戸塚宿になります。戸塚宿は相模国の東端にあたり、江戸までは、健脚ならばあと一日の距離となります。逆に江戸を早朝に発った場合、ちょうど宵を迎えるのがこの辺り。東海道中最初の宿は、戸塚宿でとることが多かったと伝えられます。東海道中膝栗毛の弥次さん喜多さんも、ここ戸塚宿で道中一夜目を迎えます。

戸塚宿は、現在の戸塚駅周辺にありました。
明治になって鉄道が通る際、多くの町は街道筋の賑やかな場所から離れたところに停車場を作りました。機関車の噴き出す煙火による火事を恐れてという説もありますが、街並みを壊してまで、変化を受け入れることが難しかったということが大きな要因だったのではないでしょうか。そのような例が多い中で、戸塚はほぼ宿場に重なる形で駅ができ、そのまま発展していきました。そのため、その後の開発により、宿場時代の名残はほとんど残されていません。

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「戸塚八坂神社」 ~神奈川県横浜市戸塚区戸塚町

戸塚駅から国道1号線、つまり東海道沿いに藤沢方向へ10分程歩いたところに、八坂神社があります。かつての本陣もこの近く、宿場町の鎮守として江戸時代から続いている神社です。八坂神社の名で分かるように、元々牛頭天王を祭神としていました。江戸時代一時期廃れたようですが元禄年間に再興し、その後明治の神仏分離令により祭神が須佐之男命に替わりました。

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「お札まき 標識」 ~神奈川県横浜市戸塚区戸塚町 八坂神社境内

境内に標識があり、「お札まき 横浜市指定無形民俗文化財」と書かれています。
お札まきは毎年7月14日に八坂神社で行われる行事で、女装した踊り手が町内を謳い踊りながら練り歩きます。途中何カ所かで輪になって踊った後に、うちわであおいで色とりどりのお札をまき散らし、人々は競ってそれを拾います。
七月は京都の祇園祭の時期ですし、全国のお天王さんと呼ばれる神社で、十四日前後に祭祀が行われます。多くの疫病がこの時期に流行った名残でしょう。
お札まきで歌われる、伝わっているお囃子の歌詞は以下のようなものになります。

サーコイ子供。天王様は はやすがおすき、泣く子が嫌い。
けんかもきらい。わいわいとはやせ。
ここらでまこか。色色まぜて。
ありがたいお札。 さずかった者はやまいをよける。
コロリも逃げる。ソラまくまくぞ。

今年も豊年だ、豊年だ、満作だ。
お米もとれる粟も麦もとれる。野菜もとれる。木の実もみのる。
親縁寺のお小僧が椎の実とってくうとって、
蜂にチンチンさあされて、痛いともいわず、
かゆいともいわず、ただめそめそと。
ここらでまこか。色色まぜて。
ありがたいお札。 さずかった者はやまいをよける。
コロリも逃げる。ソラまくまくぞ。
~戸塚区郷土誌より

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「平成27年お札まき」 ~とつかフォトコレクションより

独特なのは踊り手が女装していることで、派手な長襦袢に襷を結んで姉さん被り、化粧した十数人の男性が歌い踊ります。音頭取りといわれる一人だけ、手拭いを被らずに高島田の鬘をつけます。なぜ踊り手が女装しなければならないかという点については、はっきりと伝わってはいません。囃し歌を引用した戸塚区郷土誌では、「昔は病弱な子供の息災を祈って赤い子供の着物をつけて踊り、終わればお札をつけて着物をかえすならわしがあった」と記しています。
この行事が疫病除けということに着目すると、疫病の犠牲者はその多くが子供であったことに気付かされます。歌詞にも「サーコイ子供 天王様は泣く子が嫌い」とある通りに、お札を授けて守る対象が、本来子供であることは間違いありません。そして疫病で理不尽に、人の命が奪われることを嘆き悲しむことはみな同じですが、母親の子に対するそれは、より特別のものだと感じます。その結果、自分の子供を守りたいという女性の強い想いが、このような祭祀のかたちとなったのではないかと思います。
つまりこの祭りには、はしか、疱瘡、流行風邪、そして幕末以降はコレラによって、自らの愛する子を失った多くの母親たちの、切実な願いと祈りが込められているのではないでしょうか。ならばなぜ、踊り手として女性が参加しないのか、替って女装した、それもかなりおどけた化粧の男性が踊り手を務めているのかということへの答えは出ていません。ただ、謂れなく女性を不浄のものとする神道系の考え方や、社会風土も影響しているのかもしれません。

お札まきについては、元禄年間に社が再建されて以降続いていると伝えられ、行事に使われる面が江戸時代中期のものとされることから、伝承については信頼性が高いと思われます。ただしお囃子の歌詞については、時代につれて変わっていき、現在伝わるものは少なくとも安政、文久以降、つまりコロリの恐ろしさを住民が身を以て体験した後に成立した歌詞と考えられます。

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「平成27年お札まきのお札」 ~とつかフォトコレクションより

お札まきでまかれる色とりどりのお札には「正一位八坂神社御守護」と書かれており、歌詞にも「病をよける コロリも逃げる」とあるとおり、疫病除けの御利益があるとされます。

№91の祇園祭のお話の中で粽を取り上げましたが、ある時代では山車から粽をまいたとされます。戸塚の八坂神社も、京都の八坂神社を起源とするとされますから、疫病退散としてのお札まきの行事は納得できます。また幕末には天からありがたいお札が降るという「ええじゃないか騒動」があったことも影響しているのかもしれません。

戸塚宿では、安政・文久のコレラの流行に関する直接的な記録を、当地に残る御用留や日記などに見つけることができませんでしたが、お祭りという地域に伝承された風習に、コレラ流行の痕跡を見出すことができます。

戸塚は内陸部ですが、海側に磯子村、現在では磯子区と呼ばれる地域があります。この磯子村の村役が残した「懐中覚」の文久二年の項に、以下のような記録があります。

文久二年壬戌年八月八日
ほふしや病はやる、俗ニ三日ころりと云、八月四日鎮守山王宮ニて御祈祷、同八日昼夜共金蔵院ニて薬師如来内拝、同十日石川村宝生寺之一切経拝借、村内軒別
一切経 拾掉
阿弥陀如来 壱躰
送り旗 拾八本
右外ニ
浅黄旗壱本 磯右衛門納申候
~武蔵国久良岐郡磯子村年寄 堤磯右衛門 幕末維新 懐中覚

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「磯子日枝神社」 ~神奈川県横浜市磯子区磯子

近くの金蔵院が別当にあたり、磯子村鎮守として山王社と呼ばれましたが、明治時代に日枝神社と改称しています。現在は境内に保育園、というより園庭に社があります。お寺と幼稚園の組み合わせはよく見ますが、神社との共存は少ないのではないでしょうか。

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「金蔵院」 ~神奈川県横浜市磯子区磯子

東国八十八カ所零場48番、薬師如来を本尊とします。日枝神社のすぐ近くにあり、広い境内の一角には立派な観音堂があります。
懐中覚の記録からは被害状況を窺うことはできませんが、鎮守であり、牛頭天王を祀って疫病除けのご加護が期待できる山王社で御祈祷をあげてもらい、昼夜を問わず薬師如来を拝むだけでは足らず、近郷の名刹からありがたいお経を借り、軒別に配るという念の入れようです。コレラが恐れていたのがよくわかります。

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「宝生寺」 ~神奈川県横浜市南区堀ノ内町

東国八十八カ所零場53番、大日如来がご本尊です。かつてはいくつもの寺院を統べる本山格であり、多くの寺宝を有していましたが、明治になって寺格が変わり往年の栄華は失せています。

なお安政五年、近隣の村々にコレラが侵入した記録があり、前述の磯子の年寄磯右衛門が綴った手記「急病療治方控帳」には、以下の記載があります。

安政五年八月中より江戸表より東海道筋神奈川宿、夫より小田原宿其他駿河邉、近くは羽根田、並本牧、森、杉田、金沢、當村にても少々、根岸村何れの病氣にて候や名前も分かり廉候病気にて人民多く死去致し、別けて江戸表は日々千俆人位宛、鶴亂之如く強きは即席、又は三日位ひ、十日位にて死去致す者数を不知、世之人風聞には異国のアメリカ・オロシア・イギリス・ダツタン・フランス右外國より始めて渡り候難病と申者も有之、又は右國より悪狐八萬餘此の日本に離し候て、人民を取殺すと云ふ人も有之、又蘭學醫師抔は「コレラメ」と申病氣と申者有之、御公儀様にても名匠の療法を畫すと□、一向手掛りも相知れ不申、國民の難渋申畫がたく、依之後代為心得之、其節之病難除ケ並に療治方左に相記し申候
門口へはり札(中略)

右之通り鶴亂の如く病氣にて即席死失人数多候故、関東御取締御出役様、保土ヶ谷宿へ参着被致、右ニ付死失人可書上旨被仰渡候ニ付其書上左ニ記し申候

磯子村
當年八月十日より九月四日迄
一死失人 五人、内男四人 女一人
右之通り相認め差上申處、相違無御座候、以上
安政五午年九月 日
  右村
    名主 平左衛門
    組頭 磯右衛門
関東御取締役出役様
~保土ヶ谷区郷土史・下巻より

これによると神奈川宿は勿論、羽田、本牧、森村(現磯子区)、杉田村(現磯子区)、金沢村(現金沢区)、磯子村(現磯子区)、根岸村(現中区・磯子区)で、名前もわからないこの奇病の患者が発生していることが記録されています。
そして磯右衛門のいる磯子村では、八月十日より九月四日迄の間に男四人、女一人が亡くなったと、関東取締役に報告しています。また蘭方医を中心に、この病気をコレラメと呼んでいたことが書かれています。

戸塚宿の次は保土ヶ谷宿です。



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海の見る夢 №27 [雑木林の四季]

          . 海の見る夢
                   -バッハ平均律クラヴィーア第一ハ長調―
                  澁澤京子

 坐禅をしていると、時折、身体の中身が空洞の仏像のようになることがある。遠くの音が自分の身体の中の空洞で響いたり、普段は頭の中にあるはずの意識?が周囲全体に広がっていて(これをとりあえず意識と呼ぶ)、内と外という感覚がまったくなくなる。アッと思ったとたんにその感覚は消え、周囲に広がっていた意識はまた頭の中にすっぽりと納まり、肉体感覚と身体の重さが戻ってくる。日常的な時間感覚と普段の意識が戻ってくるのである・・だから私にとって(日常の意識=時間=重い)という感じになる。

接心に参加して、何日か坐禅をし終わったあとは、あまり寝ていなくても頭の中がスッキリと爽快で、風景が透明にくっきりと見え、参加する前よりもエネルギーに満ち満ちて元気になってしまう。坐禅している間は、日常の重い時間意識をあまり持たないで済むせいなのかもしれない。

M・マッスィーミ、J・トノーニ、二人の精神科医と神経生理学者が書いた『意識はいつ生まれるのか』によると、人は小脳を取り去っても「意識」は残るらしい。(小脳とは、ピアノを練習して弾けるようになるなどの反射運動や、欲望などの無意識をつかさどる場所だとか)また、意識が常に過去のものしか知覚できないのは、意識が情報を統合する働きを持つのに時間がかかるからであり、その統合する性質が人の時間感覚となるのだそうだ。
人は多くの情報に取り囲まれている、意識はその多様性を一つに統合する、そのため私たちは光を光と認識し、闇を闇と認識できるのだとか。

子供の時、朝、ベッドから左足で降りるか右足で降りるかによって、まるであみだくじのように一日の流れが変わってくる、人は常に一つしか選択できなくて、なんて不自由なんだろうと思ったが、それも、意識が多様性を一つに統合する性質を持つせいか?誰しも、(あの時、ああすれば・・)という経験を持つだろう、あの時、バスに間に合えば・・とか。あの時、バスの乗り遅れたのは、寝坊したからだ・・寝坊したのは前の晩遅くまで起きていたせいだ・・遅くまで起きていたのは・・と原因はますます複雑になり、無限に遡及できる。原因というものは、ひとことで片付くほど単純ではないのだ。

~人間は自己の行為及び衝動を意識しているが、自己をあるものに感ずる諸原因は知らない~スピノザ「エチカ」第四部

原因は無限に遡及できるため、スピノザは人に自由意志はないと考えた。(遡及していくと結局、私が私であるから・・に行き着くと思う)ルターの自由意志の否定は(神のみこころのままに)であり、スピノザの自由意志の否定は(必然)となる。スピノザによるとすべての存在は神の顕れなのであり、必然を受け入れることは神を愛すること。スピノザの「自由」とは、自身の必然(本性)に沿って主体的に生きることなのであり、スピノザの神は自然の摂理であり、それゆえ、多様性と個性を尊重するのである。

^~理性はおのおのの人間の本性と一致することを必然的になすことになる。~「エチカ「第四部

必然には、善悪も完全・不完全もない。スピノザの理性は、悟性という「論理」ではなく、プラトンのイデアに対する「直観」と同じじゃないかと思う。すると、どうすれば私たちは自分自身の本性(必然)と一致して生きることができるのだろうか?

~人間は受動という感情にとらわれる限り、相互に対立的である。「エチカ」第四部

スピノザにとって、理性のない受動的な生は悪に傾きやすいものなのである。ここで私が連想するのは「ヨブ記」。周知のように、ヨブは正しく生きる人であった、悪魔に試されたヨブには次々と災難がふりかかり、ついに、ヨブは神に抗議する。不幸のどん底にいる人間がそうであるように。切実なヨブの神への訴えが、いつ読んでも感動的なのは、そこには赤裸々な一人の人間がいるからだ。人が本当に自分自身に正直になるのは、そういった切羽詰まった状況にある時なのであって、ヨブは自分の運命をすべて受け入れた時に初めて、自身の真の主体性を見出したのだと思う。どん底に落ちる前のヨブは正しい人であったが、あくまで社会の規範に沿った受動的、表面的な正しさでしかなかったことに気が付いたのだ・・スピノザの(必然)とは生きる力なのであり、人がそれぞれに持つエネルギーの形であり、本当の自由は人それぞれが、本来持っている必然(エネルギー)に気が付くことからはじまり、理性に導かれて主体性を持つとは、プラトンの言う「正義は自分のなすべきことをなす」ことなのである。ヨブは神と出会う事により、はじめて本当に生き始めたのだと思う。

~精神の最高の徳は神を認識することである。~『エチカ』第四部

スピノザの考えは、世界を関係性で捉えるところとか、仏教に似ているところがある。昔、「エチカ」の読書会に参加した時はさっぱりわからなかったけど、坐禅するようになってから、ところどころわかるようになってきて嬉しい。もちろん、スピノザと仏教は違うところがある。仏教は無自性で本質を否定するが、スピノザは本質(本性)は同一としながら、自然が多様性に富んでいるように、個々の違いを重視するのである。また、スピノザは仏教やキリスト教のように「死」を見つめない。スピノザはあくまで生を肯定する「生」の哲学者なのである。スピノザの哲学は音楽に似ている。

スピノザは欲望を否定しなかった。欲望とは「自分の有に固執しようと努める力」だからだ。この、自分の有に固執する力の源は、現在の神経医学では中核意識というらしい。ずっと昔から変わらない一貫した自己の感じがそうで、「自己」の根源にあるのは言語ではなく、この生命を維持する働き、ホメオスタシスなのだという。こうした自己が破壊されると人間の身体は危険な状況になるとか・・『意識と自己』アントニオ・ダマシオ著 参照

スピノザの言う理性的な人間は、自分の本質を知っているのであり、自分にとって必要以上の欲望を持たない。すべてを懐疑するデカルトと違い、スピノザの真実は人と人、人とモノの関係にある・・スピノザの真実とは身体感覚を通して知覚する「生」そのものであり、デカルトのように身体の存在まで懐疑しなかった。(デカルトの懐疑・此の世は脳の見る夢?みたいな)スピノザの蔵書には医学書が多かったという。

SNSの登場による、身体感覚を喪失した言語とイメージだけのコミュニケーションが、むしろ人を分断化したのは、言語が、物事や人の微妙な違いを無視して同一のものにしてしまうからだろうか。言語のみのコミュニケーションにより、ますます自分にとって都合のいい情報、自分と同質の意見を持つ人間同士でかたまるようになり、そうした偏りから陰謀論などが生まれてきたのだと思う。AIには虚構と現実の区別がつかないが、バーチャル社会で詐欺やフェイクニュースが横行するのも、もっともだろう。ウクライナ報道のすぐ後にグルメの紹介とか、ますます世界は狂気じみた虚構のようではないか。リアルな共感や感動という身体を基礎にした感受性が失われるという事は、次第に倫理も失われることなのじゃないだろうか。倫理が失われるという事は、共通の基盤も失われるという事で、プーチンの狂気と誇大妄想(偉大なロシア?)も、そうしたリアル感覚の喪失から生まれたとしか思えない。

ウクライナ攻撃で、東京のロシア料理店が嫌がらせされるとか、SNSは、人間性や、人と人との微妙な違いを無視するところがある。文字とイメージだけの安易な判断は、どんな国にも様々な人間がいることを忘れて容易に一括りにしてしまう。どんな国にも自国が誤った方向に進んでいること、自国の過去の過ちを批判できるまともな人間がいるのであって、イメージで一括りにされた人間など存在しないのである。存在するのは生きている個人だけなのだ・・暴力は多様性を一括りで捉えようとするところに、すでに潜んでいるのじゃないだろうか。

言葉というのは、わからないものを(わかったつもり)にしてしまうところがあり、それは凶器にもなりうる。対立感情は、イメージや言葉だけのほうが増幅しやすいし、また、「みんなちがってみんないい~金子みすず」も言葉のみで捉えれば、何でもありの世界になってしまう。子供が殺されるとか、動物が虐待されることや自然破壊に対する不快感は生理的なものであり、倫理のベースには、そうした身体感覚があるのだと思う。

スピノザの理性は「汝自身を知れ」に尽きる。理性は私たち人間が自然の法則の一部であることを教えてくれる。しかし、自分を知ることほど難しいことはなく、たいがい、他人の偏りは目についても自分自身の偏りには盲目的となる。自分の偏りに気が付くためには、他者の視点が必要になってくる。人はどうしても、他者を排除した同質の集団でかたまる傾向があるが、苦しみや痛みや歓びの共有が他者との絆になることもある・・特に苦しみや痛みの共有というのは、文化・価値観を超えた他者との通路になることが多い。多くの苦しみの経験をした人が他者に対して寛大さを持つのは、たくさんの通路を持っているせいなのかもしれない。

~徳を教えるよりも欠点を非難することを心得、人々を理性によって導くかわりに恐怖によって抑え、悪を逃れるように仕向ける迷信家たちは、他の人々を自分と同様に不幸にしているのにほかならない~『エチカ』第四部

オードリー・タンの母親は「自律した子供を育てる」ユニークな学校を経営しているが、先生を選ぶ基準は「何か夢中になるものを持っていること」と「はっきりした自分の倫理基準を持っていること」なのだそうだ。二つとも、主体的に生きることで自発的に芽生えてくるものだろう。外側から強制されたのではない、自発的な倫理感覚を持っていることは重要で、どんなに年とっても倫理というのは経験によって自分の中で育てていくものじゃないかと思う。というのは、年取ると逆に無意識の中に潜んでいたガラクタのような偏見が出てくることもあるからだ。(無意識というのは玉石混合なのである)

原因が否定されるので未来を志向せず、スピノザの哲学には必然的に希望も目的もない。しかし、今、この瞬間を子供の様に無邪気に歓ぶ明るさがスピノザの「善」なのであり、社会のような外側から強制されるものはむしろ善を損なうものなのだ。スピノザによると、強制と抑圧からは、高慢、卑下、自己憐憫、後悔、嘲笑、阿諛追従、恫喝、憎しみや妬みといった悪が生まれやすいのである。自分自身であること、主体的に生きることが逆に周囲と調和することなのであり(抑圧がかからないのでストレスをためにくい)、それはちょうどフリージャズで、各プレイヤーが自由でありながら同時におのおのの規則に従って周囲と見事に調和するような感じに似ているんじゃないかと思う。

~「ジャズの場合、演奏者はあらかじめ自分で定めた規則の中で自由に演奏できるわけだけど、その規則を時間の流れとともに自由に変更できるので、より自由度の高い演奏、あるいは場合によってはより自由度の低い演奏を選択することができる。そうすることによって、演奏の起伏や高揚感、そして始動感や終結感が生まれてくるのだと思う。」←友人談

世の中では、状況に合わせて柔軟な対応していかないと生きていけない。決して周囲に流されることなく柔軟に生きるためには、自発的な倫理・価値観(すなわち自分で定めた規則)を持っていることはとても大切だと思う。そうしたものは、身体感覚・経験であるとか直観が教えてくれると思う。

スピノザと同時代に生きたバッハ。バッハというとルターのキリスト教信仰がよく出て来るが、バッハの音楽はリズミカルで、非常に身体的な音楽と思うのである。(バロック音楽がダンスのための曲が多いせいだろうか?)バッハがスピノザを知っていたのかどうかはわからないが、磯山雅さんの『バッハ』によると、バッハはすでに時代遅れとなったポリフォニー音楽をかたくなに守った。デカルト以後、人間の「主観」というものが重視され、人間中心主義になるにつれ、主旋律が中心となるホモフォ二―音楽が主流になっていくらしい。バッハはポリフォニーを守ることによって人の主観とは別の神の視点を音楽に取り入れたという。多様性とは客観性を持つことであり、それは様々な視点を想定することなのである。私たちはミツバチの見る世界すらよくわかっていないし、自分自身の中にも、善も悪もすべてを抱えているという意味でポリフォニックな存在なのだ。

^~バッハにとっては数学への挑戦こそ、自由への挑戦そのものであった。-中略―~本当の自由とは多元的価値を許容するものでなくてはならない。人間に許される自由とは基本的にポリフォニックなものでなくてはならないのだ。~『バッハ』磯山雅

世界も、私たちの身体も、本来は多様でポリフォニックな、精妙な働きを持つのである。

もやもやとした気分の時にバッハを聴くと、心が安らぐ。平均律という人工的な音階が人の気持ちを安らげるのは、人の身体というものが秩序と正確なリズムを好むせいだろうか。あるいは、バッハという人がその深いキリスト教信仰によって、人間というものを見据えていたせいだろうか?

数学という抽象に挑んだバッハの音楽が、なぜこれほどまでに人を感動させるのだろうか?

バッハの平均律第一のハ長調のシンプルな曲が好きだ。なんだか明るい気持ちになる。人それぞれの本性(エネルギー)も、ハ長調、ロ短調という具合にあらかじめ性質が決まっていて、人の人生というのは、それぞれのエネルギーの性質に従い、まるで音楽のように様々なバリエーションで反復して展開されていくものじゃないかと考えてしまう。

スピノザの「必然」。音楽には、あらかじめ決められた規則があり、規則があるからこそ人はいくらでも自由に演奏できるように、人は自身の必然を知ることによって、はじめて自由に生きることができるのかもしれない。演奏家にできるのは、いかに与えられた限りある生を自由に美しく演奏するかなのである。バッハの美しさも、ジャズの躍動感も、各々の規則に沿っているからこそ生命感にあふれているのである。限定があるからこそ、人には無限の自由がある。

バッハの平均律を聴くと、漱石の「一度起こった事は形を変えて、また繰り返す・・」『道草』という言葉を思い出す。個人にはそれぞれの性質、癖のようなものがあって、人生ではそれが様々な形となって、反復するんじゃないだろうか?そして、それは人間の歴史のような長いスパンで見てもそうなのかもしれない。

 

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梟翁夜話 №107 [雑木林の四季]

「免許証返上の儀」

        翻訳家  島村泰治

ご記憶だらうか、何年か前に池袋の交差点で、高齢の老人ドライバーが親子を轢き殺した事件があり、謂われなく命を落とした哀れな親子に同情が集まった。この老人、元政府高官とやら、状況から明らかにペダルの踏み違えが原因の惨禍なのに、何を血迷ったか車の不備が原因と強弁、大いに世の顰蹙を買った。今年になって、この老人、流石に死なせた母子への罪の意識に耐え兼ねたか、自分の運転の至らなさを認め自白して罪に服す覚悟を決めた、とか。

いや、いまにして思へば、この事件が筆者の神経にずしりと突き刺さり、運転免許の返上を決心させたのだ。確か九十歳を越えてゐたか、あの老人は紛れもなく高齢者ドライバーで、あの事件の状況が高齢運転の危ふさの典型例に思へた。同歳までには二、三年はあっても、筆者にはあの一件が明日のわが身に重なってはいまいか、とえらく気が重くなったのを記憶してゐる。

悪いことに、こと運転に掛けては筆者には只ならぬ自負があり、ホンダの初代アコードを手始めに、ホンダ車のみ何台も乗り継ぎながら、事故は貰いもの数件のみ、五十年を無事故で運転してきてゐたから、おいそれと運転を止める気はなかった。池袋の老人の事件までは・・・。

これが良きことか悪しきことか、わが女房どのは様々口実を設けて筆者を運転席に座らせない策を講じてきた。こちらも助手席の気楽さに感(かま)けてこれに応じ、一年、二年とハンドルから遠ざかり、数へるとハンドルを握らぬ時が五年にもなった。そこに今年の二月、誕生日に免許更新が迫り、さらに池袋の老人の有様が重なる。更新手続きか返上か、熟慮数ヶ月、昨年秋にその決断を迫られて筆者は決然と返上を決め、女房どのにさう宣言した。応じる様子がよく決めてくれたとの風情なので一件落着、更新手続きを遣過(やりすごす)すことに決める。その一瞬ぐらっと迷ったのが、いま思えば後ろ髪を引かれる思ひだった。

年改まって二月二十五日、誕生日の前日を期して最寄りの警察に卒然と出向いた。

高齢者に特化した手続きの列に並ぶ。高齢者ばかり数人が一つ置きの椅子に座る。占めて十人ほど、持ち物を見ればどうやら大方は更新者のやうだ。見るからに老いた男の姿がひとりふたり、彼らが更新するのか、と不思議な感覚に見舞われた。早まったか、と云ふ後悔の念とお主ら気をつけよとの綯交ぜな感覚、なにを今更と気を取り直して目を閉じる。

奇態なものだ。八十七歳ながらまだまだと自覚してをる自分が免許返上を申請し、かくも危うい風情の老人たちがいそいそと更新手続きをする。C'est la vie.世の有様は如何ともし難い。

順番が来て一連の書類作りを済ませる。何でも身分証明にも使える運転経歴証明書というカードを作ると云ふ。写真を撮りデータチェックが済んで、カードの出来上がりを待つ時間がえらく鬱陶しく感じられた。これで車と縁が切れる、運転ができなくなる、迂闊に運転しやうものなら後ろに手が回る、云々。

暫時して担当のお役人が、何と、さっきまで自分が零(こぼ)していた繰り言を改めて公言、筆者に「・・・ですから呉々もお気をつけて」と念を押して、証明書のカードを手渡した。付属してリストが一式、見れば返上者を対象に設けられるサービス類が列挙されてゐる。もう一点、ハガキ大のカードに長年の安全運転を讃える美辞麗句がひと流れ、それに添えて反射材が一枚、曰く「ありがとう」。

この頃が旬なのか、献血車が玄関先に陣取り係がかん高い声で献血を呼びかけていた。

「愛の献血をお願いしまぁす」。

さりげなくそれを聴きながら思ふ様、流石にこの歳になると献血は勘弁願ふが、代はりに今日只今、免許の返上で路上での万一を僅かなり無くせるぞ、世間様を愛おしむ気持ちが微かなり顕せたぞ、と声なき言葉。

外は梅なら疾(と)ふに咲かう時期にまだ肌寒く、随所に春っ気が滲みながら、今ひと息の陽気が漂わぬ。足を取られた不便さが、不図、頭を過(よぎ)った。


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検証 公団居住60年 №108 [雑木林の四季]

 XⅥ 規制改革路線をひきつぐ民主党政権、迷走の3年余

   国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治 

2009年8月30日の総選挙で民主党が大勝し、政権について3年余、その間つぎつぎ自らの公約をやぶり国民の期待を裏切って12年12月16日の総選挙で敗退した。
 この3年余の民主党政権下における都市再生機構とその賃貸住宅事業にたいする政策対応にかぎって特徴点をみていくことにする。

1.「事業仕分け」で仕掛けた公団住宅廃止・民営化戦略

 民主党のマニフェストは、国民の期待にこたえるいくつかの公約にあわせ、独立行政法人の「全廃をふくむ抜本的見直し」をかかげていた。9月16日に鳩山由紀夫内閣が発足するとすぐ、18日の閣議で内閣府に行政刷新会議の設置をきめ、自公政権の「構造改革」路線継承をあらわにした。その始まりが行政刷新会議による11月11日からの「事業仕分け」であり、劇場型パフォーマンスを打ち上げた。
 10年4月23日に事業仕分け第2弾がはじまり、2日目の26日、都市機構について、審議するには無理なレベルの仕分け人たちの放言と、これに答える国土交通省の、主として住宅局長のもっぱら受け身の言いわけと妥協的な回答に終始した約3時間のやりとりの末に下した評決は、「高齢者・低所得者むけ住宅の供給は自治体または国に移行、市場家賃部分は民営化に移行する方向で整理」であった。
 翌27日には早々と所管の前原誠司国交大臣は仕分け結果にたいする政策判断を示唆し、「この結果にもとづいて改善策を講じていきたい」「10兆円ほどの負債がありますので、いくらで売却できるのか、残すべき事業を何に限定するのかといった整理も必要」と記者会見でのべ、同日衆院国土交通委員会では、都市機構の廃止、民営化を求めたみんなの党の委員にたいし、「解体的見直しが、ぼくはいちばん適切だと思っている」と答弁している。事業仕分け結果については、国交省に設ける「都市機構のあり方に関する検討会」に検討をゆだね、その報告をまって政治判断すると言明した。
 事業仕分けに先だち4月11日のテレビ番組で枝野幸男行革刷新担当大臣は「UR後は一部民営化、一部廃止」を公言していた。

2.借家法と公営住宅制度の改意の動き

 行政刷新会議は「独立行政法人の聖域なき見直し」をきめ、事業仕分けにあわせ「規制・制度改革」「地域主権改革」を慌ただしく進めた。
 2010年3月末をもって設置期限がくる自公政権期の税制改革会議をひきついで、「規制・制度改革に関する分科会」(のちに「規制・制度改革委員会」と名称変更)を発足させた。委員には税制改革会議の議長、議長代理の草刈隆郎と八田達夫をはじめ安念潤司、翁百合などがここでも名をつらねている。第1回会合では、税制改革会議が提出した「税制改革の課題」「更なる税制改革の推進に向けて-今後の改革課題」(げれも2009年12月4目付)をもとに「官業の廃止・縮小、民間開放の促進」が検討された。
 規制改革は「新成長戦略」に不可欠として、公営・公団住宅については定期借家契約の導入、さらには「借地借家法における正当事由制度」改革を緊要の検討テーマにあげた。「建物の老朽化、耐震性、再開発など」それだけで明渡し請求の正当事由とする(=借家契約を解除できる)ことの経済効果に言及し、積極的な姿勢をみせた。
 地域主権改革一括法は、09年12月15日の閣議決定「地方分権改革推進計画」にもとづいて関係42法律の改正が強行された0「地域のことは地域に住む住民が責任をもって決める地域主権への転換」を理由に、国民生活のあらゆる分野にわたって提起された。公営住宅や福祉施設にかんしていえば、設備・運営基準の国からの「義務づけ」をやめ、つまり国は責任を放棄して地方の条例にゆだねていく。国の政策が貧弱なうえ、国の最低限基準(ナショナル・ミニマム)さえ取り払い、地方自治体まかせになれば、施策はさらに後退し、市場の食いものになっていくことは目に見えている。自治体は公営住宅を建てない、整備水準を下げる、入居の資格要件をせばめて居住者追い出しをはかることがいっそう危惧された。

『検証 公団居住60年』 東信堂



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私の中の一期一会 №256 [雑木林の四季]

   スキージャンプ女子。傷心の高梨沙羅に元気が戻ってきていないのが気懸かりだ
 ~「ジャンプという素晴らしい競技の場に立つために前進していきたい」とコメント~

     アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 スキージャンプ女子のW杯がオーストリアのヒンツェンバッハで25日の団体戦から再開されている。
 日本はアンカーの岩渕香里が2回目を飛び終えると、全員でテレビカメラに向かって「沙羅ちゃん元気?」と調整中の高梨沙羅に呼びかけたとスポーツ紙が伝えている。
日本は伊藤有希、岩佐明香,勢藤優香、岩渕香里の順で飛んで、合計746.1点で4位に終わった。
 高梨沙羅は代表チームに同行していなかった。
 日本チームは1回目を終えて3位につけていたが、スーツ違反で失格者が出たスロベ二アに35ポイント差で逆転されてしまった。
 岩渕香里は「4位という結果は受け止めなくてはならない。完ぺきとは言えないが全員でベストを尽くしている。エース不在だが、いい試合だったと思う」と胸を張った。
 北京五輪でスーツの規定違反による失格で、失意のどん底に沈んだエースへの呼びかけは、温かい心遣いだと記事は書いている。
 高梨沙羅は五輪が終わっても日本に帰ってきていない。 
 JOC理事でもある原田雅彦総監督が北京で「沙羅は元気になった.今後のW杯で元気な姿を見せたいと思っていると思う」と語ったが、心に負った深い痛手はそう簡単に癒えるものではないだろう。 
 日本スキー連盟は24日、「高梨沙羅の今後の大会出場は未定だ」と発表して、今後は出場予定が決まり次第発表する方針であることを明らかにした。
 岩渕香里は「沙羅とは同郷で、小さい頃から一緒に練習してきた。沙羅がいたから自分も頑張れたというのもある。
 他のたくさんの仲間も沙羅の影響を受け頑張るという気持ちになってきた。
 少しでも早くW杯に戻ってきてくれたら嬉しい」と語った。
 3月2日にノルウエーのリリハンメルでW杯個人の第14戦が行われる。
 高梨沙羅がリリハンメル大会に出場を予定していることが分かったという情報をネットで見た記憶があるが、全日本スキー連盟は沈黙のままである。
 一時は引退すら囁かれただけに、ホントにノルウエー大会から高梨が競技に復帰するのであれば嬉しいニュースになる。
 高梨沙羅はこれまでのW杯で、歴代最多の通算61勝を記録している。
 表彰台記録110回という偉業も成し遂げてきた。 
 高梨沙羅はまだ25歳で老け込む歳ではない。
 エースジャンパーの再起を心待ちしているファンは日本中、いや世界中にたくさんいる。
 ポーランドのメディアは「サラ・タカナシがヒンツェンバッハ大会の3連戦を欠場する」と残念がって伝えたそうだ。
 今シーズンのW杯は、オーストリアのマリタ・クラマーが10戦で6勝をマークする好調さで995ポイントを獲得、1位を独走中である
 2位は北京で銀メダルのカタリナ・アルトハウス(ドイツ)、3位と4位はスロベニア勢が続き、高梨は6位にいる。
 ポーランドのメディアは「欠場で差を縮めることが出来ずにシーズンが終わるとしたらザンネン」と嘆いている。
 25日から再開されたヒンツェンバッハ大会の団体戦から、1位を独走する20歳のマリタ・クㇻマーがW杯に戻ってきた。
 マリタ・クㇻマーは北京五輪の女子ジャンプでも金メダルの最有力候補に挙げられ、高梨沙羅の強力なライバルであった。
 ところが、マリタは思わぬ悲劇に見舞われた。
 北京に向かう直前のPCR検査で“コロナ陽性”が判明して“五輪不参加”を余儀なくされてしまった。
 北京で飛ぶことを念頭に4年間努力してきたのに、突然それが水泡となって消えてしまった。
 「心に穴が開く心境だった。最悪だった」と述懐している。
 スーツの規定違反が相次ぎ、オーストリアの仲間達も予想外な茶番に巻き込まれ5位に終わったことを嘆き、抜 き打ち検査には不信感を抱いたとコメントしている。
 五輪には参加できなかったマリタ・クラマーはW杯復帰について「調子は徐々に上がってきているが、精神的に 難しくモチベーションもそう簡単にはいかないだろう」と本音を洩らした。
 高梨沙羅は2011~12年シーズンから4度、年間優勝を果たしている。
 ここ10年は、常にトップジャンパーとして世界の女子ジャンプ界を牽引してきた実力者だ。
 サラ・タカナシの再起を期待して、「温かく優しい言葉で励ましてくれた各国、地域の選手やスタッフの皆さんにはホントに助けていただいた」と高梨は感謝している。
 高梨沙羅は北京五輪の閉会にあたって「たくさんの方々が純粋に喜び会えるスキージャンプという素晴らしい競技の場に立つために、現状を鑑み前進していきたい」とJOCを通じてコメントを出した。
 今シーズンのW杯も残り少なくなってきた。 
 3月2日     リリハンメル  (ノルウエー)
  5日,6日  オスロ      (ノルウエー)
 12日、13日 オーベルホフ  (ドイツ)
 19日、20日 ニジニタギル  (ロシア)
 26日、27日 チャイコフスキー(ロシア)
 残るは9試合いだが、ウクライナ情勢の緊迫化が続けば、ロシアの4試合は中止になる可能性が高い。
 「長いこと世界のトップクラスを維持してきた高梨沙羅。
 今シーズンの最終順位は何位でもいいではないか。
 無理して危険を冒すより、精神的に安定するまでゆっくり休んだほうがいい。
 五輪で失格した後、あの状態でも素晴らしいジャンプをみせてくれた。
 責任感の強さは敬服に値する。
 とに角、無理は禁物。
 長い目で見れば、ここで休むことは今後のために必要な休養なのではないだろうか」
 これは、ネットで見つけた高梨沙羅へのメッセージである。
 このメッセージを高梨が目にしたら、ホットした気持ちなっただろうと私は思った。
 W杯に早く戻って欲しいという気持は私にもあるが、“精神的に安定するまでゆっくり休め”というアドバイスは適格で素晴らしいと思っている。


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BS-TBS番組情報 №253 [雑木林の四季]

BS-TBS 2022年3月のおすすめ番組(上)

        BS-TBS広報宣伝部

池波正太郎原作 武士とその妻

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2022年3月12日(土)よる7:00~8:54

☆武士の誇りと、夫婦の絆を描く人情時代劇!時代劇初主演・工藤阿須加&相手役に志田未来。

原作:池波正太郎「へそ五郎騒動」(新潮文庫) 
脚本:金子成人 
監督:服部大二 
製作協力:(株)松竹撮影所 
プロデューサー:王堂健一(BS-TBS)、足立弘平(松竹)、岡村紘野(松竹)

出演
平野(山崎)小五郎…工藤阿須加(松代藩士) 
山崎恵津…志田未来(山崎家娘) 
関口市太郎…渡辺大(松代藩士) 
関口喜兵衛…本田博太郎(松代藩重役) 
山崎源右衛門…甲本雅裕(松代藩お納戸方) 
原正盛…波岡一喜(松代藩家老) 
お杵…財前直見(旅籠『小松屋』女将) 
成聞和尚…火野正平(大信寺住職)

武家の次男に生まれたがゆえ、役立たずの誹りを受け“へそ者”として生きてきた小五郎(工藤阿須加)。厳格な武家の一人娘としてまっすぐに育ち、藩内でも噂が立つほどの美貌をもつ恵津(志田未来)。 
縁あって夫婦となった2人は、つつましくも小さな幸せを掴むはずだった。
しかし、突然起きた事件によって夫婦は引き裂かれてゆく… 。
武士の封建制度の中で、お互いをまっすぐに愛し合い、夫婦としての絆を育んでいく姿を描いた池波正太郎短編小説を映像化。 

ハンターシェフ2〜生命をいただく究極料理人〜

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2022年3月6日(日)よる9:00~10:54

☆自ら狩り、ジビエ料理を提供する「ハンターシェフ」たちが登場。狩りから調理に至るまで、その暮らしに密着する。

出演
竹林久仁子(東京都世田谷区「beet  eat」)
宮井一郎(大阪府島本町「RISTORANTE  Co.N.Te」)
國井克己(愛知県名古屋市「百獣屋 然喰」)
草野貴弘(大分県日田市「奥日田獣肉店」)

ナレーター
佐藤政道

“最高に美味いものを食わせたい”
野生の生き物を狩り、極上の一皿に仕立てる男たち。
雪深い真冬の猟は危険が伴う壮絶なものだった。
命と向き合う彼らの仕事に密着した。

ハンターシェフ。それは、みずから、野生鳥獣の猟に赴き、仕留めた獲物でジビエ料理を提供する狩猟料理人。
食材について深い知識を持ち、その味わいの魅力を最大限に客に提供する。自然の偉大さ、命の尊さ、人間が原初から続けてきた狩りという営みの深淵に触れるハンターシェフたち。
ジビエ料理の本場、ヨーロッパでは当たり前の存在だが、近年は、日本でもハンターシェフを名乗る者が少しずつ増えてきている。
第2弾となる今回は、4人のハンターシェフを密着取材。狩猟や調理はもちろん、地元の協力者との関わりや道具選び、ジビエと組み合わせる食材へのこだわりなど、その生き方・暮らしぶりに迫る。
▽竹林久仁子さん
自ら狩猟で得た肉を使い、ジビエカレーを作る。お店は数々の賞に輝き、有名グルメサイトのカレー百名店にも選出されている。今回は北海道でのエゾシカ猟に密着。
▽宮井一郎さん
ジビエも野菜も豊富な食材の宝庫、大阪・島本町でイタリアンレストランを営む。車で10分程の猟場に毎朝欠かさず出かけ、仕掛けた罠を見回る。
▽國井克己さん
石川で、強力な助っ人と共にジビエの王様・ツキノワグマを狙う。普段は猟場の近くに宿をとるが、今回は車中泊ができるように改造した車で夜を明かす。
▽草野貴弘さん
罠で鹿や猪を狙う。夫婦で作る猪肉のメンチカツはお客さんに大人気。最近では地域住民に信頼され、猪の駆除も任されている。

吉岡里帆と行く!至福の“ならまち”旅
奈良ふしぎ旅図鑑スペシャル

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2022年3月6日(土)ひる12:30~1:00

☆奈良ふしぎ旅図鑑の特別編!至福のならまち旅を吉岡里帆がご案内。

出演:吉岡里帆

奈良市の中心街“ならまち”。
世界遺産・元興寺の旧境内を中心とした、長い歴史を持つ町。古い町家が立ち並ぶ風情ある小道を散策すると…映えかき氷店や、かわいい雑貨屋など、トレンドなスポットもたくさん!
さらに、ならまちの夜景を一望できる豪華ホテルで、贅沢な時間を満喫!歴史と現代が融合する“ならまち”を巡る、至福の奈良旅をお届け。

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医史跡を巡る旅 №105 [雑木林の四季]

安政五年コレラ狂騒曲~浦賀終章

    保険衛星監視員  小川 優 

感染者数は減少傾向にはありますが、その下がり方は緩慢です。先に山場を迎えた欧米各国では、ピークを過ぎて減少と増加を繰り返してから収束するというパターンが多く、日本もこのまま順調に減り続けるかどうかは微妙なところです。

106画像①.png
「人口1万人あたりの感染者数(7日間移動平均)」 ~Our World in Data

そして遅れて上昇しはじめ、今まさに増え続けているのが死亡者。人口当たりの比率では、イギリス、カナダを上回っています。

106画像②.png
「人口1万人あたりの死亡者数(7日間移動平均)」 ~Our World in Data

医療機関のひっ迫も解消せず、重症化してからの経過にはまだまだ注意が必要です。

さて、あだしごとはさておき。
想定外に浦賀篇が長引きましたが、今回で何とか幕を引きたいと思います。

前回の御触れの食禁をご覧になった主筆から、「当時こんなに贅沢なものがいろいろ食べられていたんだ」との感想をいただきました。いくら海産物が手に入れやすい三浦半島とはいえ、ここに挙げられていた食品を、日常的に庶民が食べていたかどうかは微妙なところだと思います。
三浦郡篇で引用した太和田村豪農が記した「浜浅葉日記」に、文久二年九月四日に来客にふるまった本膳の献立が残っています。
○皿:あじ、から芋、けん生が ○茶碗;椎茸、冬瓜、焼かます、海老、玉子とじ
○平:椎茸、肴、菜、茄子、麩 ○汁:冬瓜 ○小皿:沢わん、茄子 ○飯
○猪口:こんにゃく、かつ男ぶし掛 ○大引:海老、あじ塩焼
○鉢肴:いなだ作身、生かけん、から芋、しその実、あじすし、玉子、きす、あし丸積(ママ)、生が
所謂ハレの日の食事になりますが、魚介類ではカマス、エビ、イナダ、キスなど、特にアジが多用されています。
御触れを出した当の奉行所の与力、同心については、日常的に廻船問屋のもてなしを受けていたことがうかがわれ、水主の検死や時間外の船改めなどの際には、「酒肴一ト通」出したとの記載がたびたび見られます。禁食の食べ物、庶民というよりは、彼らお役人が普段口にしているものだったのかもしれません。

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「浦賀奉行所再現模型」 ~神奈川県横須賀市西浦賀 浦賀郷土資料館展示

浦賀奉行というものが、どういう立場であったかについても少しふれておきます。江戸幕府における奉行は、寺社奉行のように大名が任命される現在の大臣職にあたるもの、勘定奉行のような有力旗本が任じられる中央官庁長官級、さらには町奉行のような地方行政の長官まで幅広く呼称されていた役職です。いわゆる町奉行は江戸にだけおかれ、主要直轄地には長崎奉行、京都奉行など、遠国奉行と総称される役職がありました。浦賀奉行も遠国奉行のひとつで、奉行所が下田から浦賀に移転するにあたって下田奉行から改称されました。
当初は地域の民政のほか、東京湾へ出入港する船舶、その船員、乗客、積荷の検査、取締が仕事の大半を占めましたが、幕末には外国船のたびたびの来航に伴い、江戸の海防の任も担うようになります。
浦賀奉行は旗本から選ばれ、最初の頃は1000石、500俵の役職でした。一名体制で基本的に江戸住まいのため有事に浦賀にいないことがあり、のちに二名に増員され、一定の期間ごとに交代で浦賀に住むようになりました。また重要性も増したことで石高も2000石に加増されています。格的には伊勢神宮がある山田奉行や奈良奉行などより下ですが、時代劇ではありませんが廻船問屋など商人からの付け届けも多かったようで、正規の手当以上に美味しい役柄であったと伝えられます。奉行所の体制は、天保10年の時には与力が18人、同心が74人、ほかに足軽、水主が配されました。
安政五年八月時点で浦賀奉行を任じられていたのは、のちに外国奉行となる溝口直清と、前職が先手火付盗賊改加役であった坂井政暉でした。

安政五年八月二十八日の東浦賀の記録から続けます。

一、同廿八日 曇天・北風、御停止中ニ付御番所御礼無之、御役所・御組頭共御機嫌伺申上ル、
同日藤井清三郎様ゟ御内意ニ御座候は、先達而町方神輿巡行之儀ニ付而は御組頭様殊之外御懇命被下候故、御礼可差上旨東西江被仰聞候ニ付、相談之上御上江金壱両也、御用人様江金弐朱、御聞次江金壱朱、右東西ニ而差上相済、
~「相州三浦郡東浦賀村文書 諸日記」

藤井清三郎は奉行所同心のようです。この同心の言うことには、今回将軍死去に伴う鳴物停止中にもかかわらず、疫病退散の神輿巡行が認められたのは、奉行所次席である組頭が口利きをしたおかげだぞ、と。商人たちは御上に1両、御用人に2朱、御聞次に1朱包んで渡しました。なかなかに赤裸々な記録です。

八月廿九日 晴天・北風
一、御役所ゟ三方年寄御召之上、御老中間部下総守様より御渡被下候薬方書、左之通、
 (以下略)
~「浦賀書類 浦賀詰下田廻船問屋 諸御用日記」

当連載97「藤沢宿と周辺の村々 其の壱」で相模国鎌倉郡小塚村「御用留」八月廿二日の記述から引用したと同じ「芳香散」に関する御触れになります。同じ内容ですから、ここでは省略します。このあと奉行所から薬が配布されます。

一、同廿九日 晴天、北風、先達而干鰯問屋ゟ施米高御目付土屋栄五郎様ゟ内々書出候様仰聞候ニ付、則、左之通書出ス、
新井町 一、家数五拾軒 人数百九十八人 内 病人八人 外 死人壱人
洲崎町 一、家数九拾四軒 人数三百六拾八人 内 病人拾四人 外 死人弐人
新町 一、家数三拾六軒 人数百拾□人 内 病人八人 外 死人五人
大ヶ谷町 一、家数百拾弐軒 人数三百九拾四人 内 病 (ママ)廿四人 外 死人四人
築地新古両町 一、家数五拾三軒 人数九拾三人 内 病人壱人 外 死人弐人
〆家数三百弐拾五軒 人数千百七拾人 大人八百九人、但、壱人ニ付 玄米壱斗ツゝ
小人三百六拾壱人、但、壱人ニ付同五升ツゝ
此米石数九拾八石九斗五升
右人数之病人壱人ニ付金壱分ツゝ五拾五人、外死人壱人ニ付金弐分ツゝ拾四人
此金弐拾両三分也
外ニ
一、□川□多     一、番人五兵衛
家数拾八軒 人数弐拾人但、手下共 人数百弐人
〆家数拾九軒
人数百廿弐人 内 大人七拾七人、但、壱人ニ付 玄米三升ツゝ
小人四拾五人、但、壱人ニ付壱升五合ツゝ
此米石数弐石九斗八升五合
右之通御座候、以上、
一、同日地方御役所ニ而被仰渡候は、此節流行病ニ而廻船水主共多分死去いたし候ニ付、西壱番組商人ゟ施薬差出し候間、東壱番組商人ニ而も同様差出候様地下ゟ心付可遣旨被仰聞候ニ付、木市を呼右之趣申渡ス、然ル処、東ハ干鰯問屋ゟ差出度趣申参ル、
~「相州三浦郡東浦賀村文書 諸日記」

うってかわって東浦賀の方は干鰯問屋が中心となって、市中の被害状況を調査し、それに基づいて施米、施薬、そして見舞金の給付と、対策を次々と打ち出します。

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「干鰯問屋宮井与右衛門碑」 ~神奈川県横須賀市東浦賀 乗誓寺

干鰯問屋は浦賀に奉行所が移転してくる前から浦賀に店と倉を構え、主に干鰯の流通販売と、米などの物資の流通拠点として栄えてきました。干鰯は綿や藍など商品作物の栽培に必要で、人糞、堆肥に比べても輸送しやすく、近世においては重要な商品となっていました。

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「干鰯と綿花」 ~神奈川県横須賀市西浦賀 浦賀郷土資料館展示

大阪、大津、江戸が一大集散地でしたが、房総半島で漁獲されたものを上方に輸送する拠点として、元禄年間頃から浦賀が重要な地位を占めるようになります。ところが江戸時代後期になると、他地域からの参入、独占的であった房総半島における集荷先の散逸などにより、徐々に優越的な位置は脅かされるようになります。東浦賀の乗誓寺には干鰯問屋の墓地があり、往時の繫栄を窺うことができます。

九月朔日 晴天・北風
一、御役所江御停止中ニ御座候ニ付、今日御礼は御免、三方年寄・東西漁船頭・三方行事御機嫌御伺申上、御支配御組頭江も同断申上候、
一、此度諸国又は当町之悪病多流行候ニ付、浜町八良御神輿、御組様町内ゟ紺屋町迄岡方不残御廻り御座候、
~「浦賀書類 浦賀詰下田廻船問屋 諸御用日記」

日記中の記載は「八良」となっていますが、これは源為朝の別称である「鎮西八郎」のことかと考えられます。すなわち浜町にあった為朝神社の御神輿を、御組様町つまり奉行所海側にあった与力・同心屋敷から、隣の紺屋町まで担いで回ったと言うことかと思います。
続いて九月一日の、東浦賀の記述です。

一、(九月)朔日 晴天、大北風、御役所・御組頭御機嫌伺相済、御奉行様月割金先月廿八日上納可致処取込延日致、今日宮与ゟ出金三拾両也納ル、堀芳次郎ゟ仰渡之趣、此度ゟ証文之儀は其方名前ニ而御下ケ被成候間、其段相心得可申旨被仰渡候、
同日干鰯問屋ゟ町方井船々江芳香散施薬致候ニ付、其段地方御役所江御届申上候、猶五町町頭呼右之趣申渡し、病人有之候ハゝ施薬宮次江参貰ひ可申旨申渡し候、
同日新井町町頭久七跡役彦八江申付ル、同日廻船問屋ゟ町方安全・船中安全之護摩今日ゟ三日之間奉納いたし候ニ付、町々江御神燈、参詣之儀町頭序ニ申渡ス、
~「相州三浦郡東浦賀村文書 諸日記」

東西浦賀に被害状況の報告を求めた堀芳次郎とは、浦賀奉行所の与力です。翌日には書上げられ、奉行所に報告されます。

九月二日 晴天・北風
一、堀芳次郎様ゟ三方へ、先達中諸廻船水主共悪病流行ニ付、当地ニて病死致候人数三方共書上候様被仰渡候ニ付、今日書上申候、左之通
西廻船 四人 八月晦日迄
東廻船
下田廻船 弐拾壱人 九月二日迄
東西病死人調
西 六十八人
東 七十九人 九月二日迄
一、御番所ゟ行事御召出、此度流行之病気ニ付御役所より御薬被下置候ニ付、病人等御座候節ハ早速御番所江御願可申上候、尤、御薬ハ御番所迄参居候、
一、地下ゟ仲間へ申参候ニは、此度御薬町中分役人迄相下居候間、入用之節は年寄権左衛門預り居候ニ付、此段心得居候様申参候、
一、御番所江三方老分之者御召出、今日御役所ゟ御下被下置御薬之儀、諸廻船会所江船頭上陸之節、船中ニ病人等無之哉之趣承、若有之候節は早速御番所江御薬御願可申上候、尤、御薬に代料記有之候得共、代料ニハ不及申候間、此段相心得可申渡候と被仰渡候間、部屋々々江相触置候、
一、浜町八良大明神御神輿、先日町内ゟ紺屋町迄悪病流行、右ニ付御廻り被成候処、又々田中町・宮下町・築地古町、右町々ゟ相願候ニ付、今日御廻り被成候処、宮下町ニて夜ニ入候間、御掛り様江御願申上候故、同夜ハ明神様御社江御神輿御泊被成候、明三日御残り之町々江御廻り被成候趣、浜町一同引取申候、
~「浦賀書類 浦賀詰下田廻船問屋 諸御用日記」

一、同二日 晴天、北風、地方御役所ゟ八月八日ゟ晦日迄死人町々ニ何人、外廻船水主何人取調可申出旨被仰付候ニ付、左之通書上ル、
新井町死人拾五人内 男拾人 女五人  洲崎町拾六人内 男拾人 女六人
新町廿壱人内 男八人 女拾三人  大ヶ谷廿四人内 男□□ 女□□
古町三人内 男弐人 女壱人  〆七拾九人内 男四拾三人 女三拾六人
外廻船水主・東問屋問船斗り五人
右書上相済、
~「相州三浦郡東浦賀村文書 諸日記」

この一節は浦賀前篇でも取り上げましたが、東西浦賀住民と廻船水主の病死者数が明らかになります。
ところで平時であれば、船中病死、あるいは事故死した廻船水主の遺体は、附舟宿が寺院に葬りました。

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「常福寺」 ~神奈川県横須賀市西浦賀
浦賀奉行所から愛宕山を挟んだ位置にある常福寺は、御用寺院として奉行交代の際に利用された格式の高い寺院です。

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「客船之墓」 ~神奈川県横須賀市西浦賀 常福寺

境内には「客船之墓」と刻まれた2基の墓碑があり、一方は天明から天保にかけて14人、もう一方は安政四年に建立されて「亀竜丸」および8名の名が記されています。前者は没年月日がバラバラですから病死か事故死、後者は全員が安政4年5月18日で、船名も書かれていることから、海難事故でもあったのでしょうか。

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「大衆帰本塚の碑」 ~神奈川県横須賀市西浦賀

ところが安政五年(1858)は住民にも多くの死亡者が出たせいで、おそらく埋葬が追い付かず、水主の供養までは手が回らなかったことが考えられます。旧浦賀警察署隣に「大衆帰本塚の碑」があります。碑文には、町はずれ、山辺の荒れ野に身寄りのない遺体や、客死した遺体が放置され、荼毘の煙もたなびいていたが、町が広がって、近くに人が住むようになった。そのため元治元年(1864)に、墓地と火葬場を移転させて、散乱する骨を一カ所に集めて供養した、と書かれています。安政五年に病死した水主の遺体も、この中に含まれていたことでしょう。

九月初旬には、流行は下火になったようです。医薬品の配布に続き、被害状況を把握した上で、官民力を合わせて救済に努めます。

一、同四日 晴天、北風 地方御役所ゟ東西浦賀病気流行後極々難渋之者可有之候間、書上候様被仰付候ニ付、昨日定御廻り衆江書上候通り五町書上申候、
一、同六日 晴天、北風、地方御役所江書上候極々難渋人江御救米廿日之間被下置、尤、大人壱人一日五合・小人壱人一日三合宛、被仰渡書左之通り、
流行病気井米価高値ニ付、極難渋、□□□名面之者江御奉行御手元米為御救日数廿日分之飯米被下置、
但、大人壱人一日五合、子供壱人一日三合之積り、
右之通被下候間、夫々割賦頂戴可為致候、(以下略)
~「相州三浦郡東浦賀村文書 諸日記」

疫病により米価が高沸している中、一家の稼ぎ頭を失って困窮している家庭に奉行所から二十日間分の食糧が交付されます。

一、同十一日 晴天、北風、祭礼当番ニ相当り候得共、御停止中之事故日延御願、左之通り、
乍恐以書付奉願上候
一、鎮守叶明神祭礼之儀、隔年御輿町方巡行可致旨被仰付、然ル処、当年年番ニ相当り候得共、御当節柄之事故何卒当十一月迄日延仕度、尤、当日御輿巡行日限之儀は其節ニ至り御届奉申上度趣、小前一同ゟも此段御聞済被下置候様奉願上候、以上
安政五午年九月十一日 年寄 惣兵衛 同 三郎兵衛
浦賀 御奉行所様
右願書御聞済ニ相成候ニ付、永楽寺・五町井両船手世話人江申渡ス、
同日御差紙ニ付罷出候処、三郎兵衛名主役・八太郎年寄役被仰付候、委細別帳ニ有之、尤、先例と事替り候事、
~「相州三浦郡東浦賀村文書 諸日記」

九月十五日 雨天・北風
一、御役所江御礼之儀は御停止中ニ付、西・下田年寄・行事御機嫌御伺申上、御支配
御組頭様江も同断申上候
一、今日明神御祭礼ニ付、拝殿ニて御神楽御座候て相済申候、尤、当年ハ西ハかげ祭・東浦賀ハ年番ニ候得共、流行之悪病ニて病死人多、火ニ掛り祭礼出来不申に付、十一月迄相延し御願申上候由承り候、
~「浦賀書類 浦賀詰下田廻船問屋 諸御用日記」

九月も半ばになると、記録にコレラ流行をうかがわせる記述はなくなります。ただし残された傷跡は深かったようで、鎮守である叶神社の祭礼を十一月に延ばすことを、奉行所に願い出ています。こうして安政五年浦賀のコレラ騒動は終息したのでした。



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海の見る夢 №26 [雑木林の四季]

-That Old Black Magicー

       澁澤京子


~偉大なジャズミュージシャンがやっていたことは、自分自身であり続けたことだ~
                      ロバート・グラスパー

ある時、中目黒から渋谷に向けて散歩がてら歩いていると、長い脚とかっこいいお尻の黒人の女の子が二人、絶え間なくおしゃべりしながら歩いている。同方向を歩いている私は追い抜いたり、追い抜かれたり。彼女たちの歩くリズムと絶え間ない言葉のかけあいが、見事にヒップホップミュージックになっていた。

ライプニッツは「音楽は霊魂の数学」と言ったけど、「音楽は身体の数学」でもあるのかもしれない。ラジオから流れてくる歌声で、すぐに黒人歌手とわかるのは彼等の声質がなめらかで弾力があってリズム感が優れているせいだ。ナットキングコールの演奏するピアノは、その歌声のようになめらかで、そのなめらかさは身体運動のしなやかさと関係あるんじゃないかと思う。(もちろん、ダンスの下手なアフリカ人を昔見たことがあるので一概にいえないが)

「音楽は身体で聴くもの」という事を教えてくれたのは、ソウル、ジャズ、ブルーズなどビートのきいた黒人音楽。フラメンコ音楽に夢中になったのも、やはりその複雑なリズムに魅了されたからだ。アフリカ音楽には、高度に複雑で洗練されたリズム(ポリリズム)がある。独身の時、最後に行ったのが、宮益坂に出来たばかりのヒップホップ専門の小さなディスコ。フロアでは、その頃は目新しいヒップホップダンスが披露されていて、すでに自分が時代遅れになっていることを痛感したのであった・・ヒップホップの単調なリズムはそのうち飽きられるだろうと思ったら今も続いていて、常に新しく言葉のメッセージが込められるからだろうか・・それに対して、ジャズは言葉ではなく、音楽そのものがメッセージ。

ジャズ→ブルーズ→ワーキングソング・・と遡っていくと西アフリカに行きつくらしい。ボサノバ、サンバのルーツと言われるのもヨルバ族(西アフリカ)の宗教で、西アフリカは人類の音楽の宝庫の地か。

~良い音楽家の音楽には善い聖霊が、悪い音楽家の音楽には悪い聖霊がひきよせられる。
~私たちは此の世で努力しなければいけない、というよりアフリカの過酷な気候が怠惰を認めないのである。
『アフリカの智慧、癒しの音』ヤヤ・ジャイロ著(西アフリカ・マリ共和国出身の音楽家)

西アフリカでは、音楽は見えない世界とつなぐ神聖なもの。音楽とダンス(アフリカ人にとって音楽=ダンスで不可分のもの)によって人々はトランス状態になって見えない世界と交信する。西洋のように聖と俗の分離のないアフリカでは、聖なるものも美も、すべては生活の中にある。ヤヤ・ジャイロが育ったミニアンカ族では、悪霊は人と人を仲たがいさせたり、人を狂気に導く邪悪なものとされるらしい。悪霊に近寄らせないための最良の方法は、人と人との調和と信頼関係で、そのために、音楽の持つ調和はとても重要なものなのだ。ミニアンカの音楽家は医師(特に精神病の治療を行う)であり、立派な人格を備えていないと治療者になれないという。水の精霊がいたり樹木の精霊がいたり、火の精霊、動物の精霊・・彼等は神話のような世界に住んでいるのである。動物を殺したり樹木を伐採すると、ニャマという呪いにかかるので、狩人や木こりは注意深く仕事をする。アフリカの音楽が素晴らしいのも、彼等が、言葉が通じなくとも他人の心の動きに非常に敏感といわれているのも、いつも厳しい大自然とコミュニケーションしながら暮しているからかもしれない。

~奴隷制度以後、自分の生活からできるだけニグロ文化を消そうとしはじめた黒人は、まさにこの行為ゆえにあるタイプの「ニグロ」になったのだ。~『ブルース・ピープル』リロイ・ジョーンズ

共同体の生活をしていて「個人」という概念を持たなかったアフリカ人は、西洋文化に接することによって「個人」にならなければいけなかった。そして「個人」としての黒人の悲しみや喜びを表現したのが、初期のブルースで、黒人文化の共同体の伝統を消すことによって、逆に彼等の個性と魅力が発揮されることになった。

ストラヴィンスキーも絶賛したクラシックピアニスト、ドン・シャーリーと彼のお抱え運転手兼ボディガードであるトニー・リップの友情を描いた『グリーン・ブック』(グリーンブックはアメリカ南部の黒人専用のホテルを載せたガイドブック)は何度も観た好きな映画。天才少年として子供の頃から白人上流社会にファンを持つ黒人ピアニスト、ドン・シャーリーと、貧しい育ちで喧嘩早いイタリア系のトニー・リップという、育ちも教養も何もかも正反対の二人が、黒人差別の激しい南部を旅しながら、何度も喧嘩したり、御互いを守ろうとしているうちに、

様々に友情が育ってゆくという実話を基にしたもの。クラシックピアニストとして白人社会でちやほやされながらも黒人としては差別されるドン・シャーリー。そのため、人を寄せ付けないような構えた気取りのポーズで、常に自身を防御している。裕福なために、黒人の本当の貧しさを知らず、また、同性愛者であるために誰にも気を許せず、どこにも自分の居場所を見いだせない孤独なドン・シャーリー。そして、彼が何処にも自分の居場所を見いだせず、すがるアイデンティティなどどこにもないことを悟った時に、はじめて彼は独自の演奏スタイルを見つけるのだ・・

人は自分の外側にあるものにしがみつこうとしている限り、決して本当の自分には出会えない。人種であるとか出自とか肩書きなどの世間体は、その人の仮面にしかならないだろう。(最初は仮面のような気取った表情のドン・シャーリーが、トニー・リップとやりとりしているうちに怒ったり笑ったり、徐々に人間らしくなってゆくところがこの映画の見所)

そして、トニー・リップもドン・シャーリーと出会う事によって、やはり変わる。イタリア系移民としてやはり差別されているトニー・リップ。彼とドン・シャーリーはお互いを合わせ鏡のようにして、差別されて傷ついているはみ出し者の自分の弱さを知る。二人は御互いを観察することによって、御互いの中に自分の弱さを見つけ、それを受け入れられるようになるのだ。自分のあるがままの弱さを受け入れられないと、いつまでも虚勢を張り、他人には素直に心を開けず、他人に無関心のまま、頑なに自分の殻に閉じこもるということになる。自分の弱さと向かい合い、すべてを受け入れた時にはじめて人の精神は成熟するのだと思う。

マイルス・デイヴィスは決して他人をジャッジしなかった。(その代わり気に入らないとバッサリ縁を切ったらしいが・・)それどころか、演奏中の仲間のミスを、即興で新しい音楽に創作する事も出来た。私の周囲を見ても、成熟した精神の人ほど他人をジャッジしないし、他人の美質を見抜く目を持っている、常に、自分の事だけじゃなく、全体を見ることができるからだろう。そして、ジャズミュージシャンが周囲の人の状況に敏感なのは、そこにはしっかりした信頼関係があるからで、状況を的確に察知する能力も、人を(わかる)のも愛なんだと思う。

ブルースから派生したジャズが、アフリカ音楽でもなく西洋音楽でもない、きわめて独自のスタイルを持つのも、演奏者が全員,個人個人の自律を求められ、一つになった音楽のうねりの中で自由な演奏をするのも、皆が芸術的な表現を追求しているからであって、ジャズの中では、民族・文化の違いなどは払拭される。他人と競争して優劣を競うよりも、自分の本当の居場所を見つけた方がずっと幸福なのだ。そして、居場所というのは空間ではなく、目に見えないが居心地のいい、人と人との信頼関係にあるのだと思う。

ドン・シャーリーとトニー・リップ。まさに運命的としか思えないこの二人の出会いと友情は死ぬまで続いた。


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梟翁夜話 №106 [雑木林の四季]

「時の有機性を考える」

       翻訳家  島村泰治

いま将にAI時代真っ盛り、巧みなDG技術を駆使して人間並のロボットが登場してをる。生の人間と並ぶと、一瞬戸惑うほどに精巧だ。が、じっと見つめれば流石に生の人間を見誤ることはない。見分ける鍵は有機性だ。生々しいさ、血が通っている感がポイント。

さう、有機無機の分かれ目は血流の有無、つまり生体感の有る無しが決め手だ。何を今更と訝る向きもあろうが、実は二つの“機”を取り違えることがままあるのだから、人の感覚とは不思議なものだ。本稿で触れる事柄は、歳の違いで見え隠れするもので、年齢層に依っては納得できぬとしても不思議ではない。

それは、かう云ふことだ。

「大きな古時計」と云ふ哀感豊かな歌がある。時を刻み続けてきた大きなのっぽの古時計が、お爺さんが百歳(原詞では九十歳とか)で亡くなると動かなくなった、と。口ずさめば、お爺さんの後を追うかのやうに止まった時計が、あたかも生きものに思えてくる。二本の針が腕のやうに、振り子が心臓のやうに、ある日それがはたと動きを止める・・・。詩情溢れる有り様だ。

この歌の妙なる魅力は、どうやら仄かに滲む生体感にある。時計は時間の流れを刻む絡繰(からくり)、時の経過の尺度にすぎぬ無機物そのものだ。さて、この無機のツールを生きもの、つまり有機物と感じる情感は詩人だけの特性か。ひと様々に分かれやうが、この感覚は詩情云々もあらうが年齢に正比例して強まるやうに思へてならぬ。

誰方(どなた)でもさうだと同意されやうが、時を知らぬ幼時にはそんなもの無限にあるやうに思った、と云おうか、時そのものを意識していなかったと云ふべきか。自律性も未だ育たぬころは更なり、生活とはただ時々の状況に対応するだけの作業で、時の存在など埒外だった筈だ。

十代から二十代へ、周囲に小社会が出現し物ごとが時間単位で動くのを見知って、「時の存在」を初めて意識する。時間の長短と密度の有り様を学び、その活用如何の功罪を知る。そして実社会に出る、そして時間を座標に動いている現実を見る、やがて管理社会の動力としての時間の素顔に気付くのである。

そして定年、追々に、退職なり退官なり、現職を退くなりすると、ある日不図「時」が止まる、否、消えるというのが実感か。それまで定率でこつこつと動いていた時がはたと途絶える。手持ち無沙汰という名の惰性が横行する。その齢(よはい》に達すると、無神経な輩はいざ知らず「時」に敏感なものはじっと沈み込む、矢鱈に月日が早く過ぎると感じるやうになるものだ。

もの思うものはそこで考える。残り少ない年月がかくも素速く経過していいものか、これはうっかり出来ぬぞと考え込む。かく云ふ筆者が将にその域に来ており、日々と言わず日夜そのことが意識を離れない。時速は定値ならず、幼時のそれと今のそれとは、あたかも似て非なる生きものの如し。全く流れる速度が違うのだ。

このような感覚は歳を取って初めて判るもので、若いものの窺い知れぬ境地だ。有り余る時間に埋もれるものにはそれを客観視できぬが道理、筆者自身にして四、五十の働き盛りには歳の角々の出来事には毛程の記憶もない。が、いま傘寿の半ばを過ぎ、五入すれば白寿も臨める域に来ると、何と「時」がミリ単位で刻むのが見えるのだ。残る余命を年単位は云ふに及ばず、月日でもなく、何と時分秒の単位で測らうと思ふやうになる。耳元に秒針の音が常に聞こえる、そんな境地なのだ。

この域に住まふ更に神経の細かい輩は、これではならぬ、如何に過ごしべきやとて思ひを巡らす。彼らは残余の時を投じて成せる業は何かと自問自答、「時」を裁量塩梅してその成就に日々勤しむ。彼らが過ごす時間はグラム幾ら程に貴重だ。努力の実りをしかと結ぼうと、百歳など然るべき年齢を指標として掲げ、人参を追う驢馬の如く、それを目指して貴重な時を刻むのだ。

何ともテンションの高い話だ。


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検証 公団居住60年 №107 [雑木林の四季]

XV「規制改革」の名の公団住宅削減・売却、民営化方針
 
   国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

11.2009年4月家賃値上げ「当面延期」

 2007年9月から翌08年9月までの1年間に安倍、福田、麻生へと政権が揺らぎ、大看板の「規制改革」路線そのものが与党代表から公然と批判をあびる政治状況のなかでの公団住宅削減・民営化方針であった。団地住民の自治協側も反対運動に一定の手ごたえを感じていた。しかし緊張を緩めることはできなかった。機構は団地再生・再編方針の実施と定期借家契約拡大にむけて動きだし、くわえて第10次継続家賃改定の09年4月実施をめざし準備をすすめていた。
 全国的には市場家賃の下落傾向がみられるなかでも、とくに東京都心部については大幅な家賃値上げも予想され、東京23区自治協は緊急に、09年4月の家賃値上げの中止を要求する署名をあつめ、6月26日に12,130世帯分を機構東日本支社に提出した。署名には3,941世帯が切実な声を記している。築43年になる東京都港区南青山3丁目第2住宅の3Kにすむ高齢女性は2003年に11,100円、06年9,900円と毎回大幅に値上げされ、住みつづけられないと訴えていた。
 機構の継続家賃値上げ表明にたいし、自治協、各自治会は、団地生活アンケート活動にとりくむ一方で、「値上げ見合わせ」をもとめ、地方議会には意見書採択の請願・陳情を、地元選出国会議員へは要請活動を展開した。
 各団地では家賃値上げに反対する意見書採択の請願・陳情を9月、12月地方議会におこなった。東京23区4区議会、東京多摩13市議会、千葉茨城3市議会、埼玉7議会、神奈川1県5市議会、関西5市議会、計38議会が意見書、ほかに5市の市長が要望書を提出した。
 党派をこえて各党国会議員は、全国および地方自治協の「家賃値上げ中止」の要請にこたえ、金子一義国交大臣に積極的に働きかけ、ついに「家賃値上げ当面延期」を実現した。この要請活動では、集計したばかりの第8回団地アンケート調査結果の活用が大いに力となった。
 2007年の「規制改革3か年計画」をめぐる運動の盛りあがりをそのままに、自治協は08年6月以降、家賃値上げ中止要求を中心に団地再生・再編、定期借家問題もあわせて国会要請をかさね、各党議員は国交大臣への働きかけを強めた。
 08年6月11日、自民党・公団住宅居住者を守る議員連盟の会合が衆院第1議員会館でひらかれ、伊藤公介議連会長、臼井日出男副会長、菅義偉事務局長をはじめ衆院議員12人、18人の議員代理が出席、関東地区の団地自治会役員93人が参加した。また都市機構から尾見理事ほか、国交省から和泉住宅局長、川本審議官他が勢揃いした。この席で全国自治協は「居住の安定」と「家賃」ににしぼった要望内容を説明し、各団地から切実な訴えがだされた。
 11月27日にも自民党議連の総会がひらかれた。機構理事が値上げの槻頻を説明すると、各議員から異論がだされ、伊藤会長は「いまは値上げすべきではない。国交大臣、総理につたえる」とのべ、臼井副会長の提案で「家賃を値上げしない」決議をした。翌28日、同議連の伊藤会長ら16人の議員が金子国交大臣をたずね、決議文を提出し要請をした。
 家賃値上げの中止と求める要請は、民主党が11月12日、公明党は11月28日に国交大臣にだした。日本共産党は10月2日、機構本社に家賃値上げ中止や団地削減・再編計画の撤回を申し入れた。社民党、国民新党の両党も国会議員が12月4日の総決起集会に出席し、値上げ当面延期を評価し今後の活動への協力を約した。
 こうした経過をへて12月2日、金子国交大臣は記者会見で「きびしい経済状況を考慮したうえで対応するよう再検討を機構に指示した結果、来年4月からの継続家賃値上げは当面延期することとなりました」と語った。同日機構も家賃改定(引き上げ)の当面延期を記者発表した。

『検証 公団居住60年』 東信堂                

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私の中の一期一会 №255 [雑木林の四季]

               スキージャンプの高梨沙羅がスーツの規定違反でまさかの失格
~「私の失格のせいでみんなの人生を変えてしまったことは変わりようのない事実です」~
 
       アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 冬の北京オリンピックは後半戦に入り、日本選手の健闘が続いている。
 7日夜に行われたスキージャンプの「混合団体」は今大会から登場した新種目で、日本、カナダ、オーストリア,ノルウエーなど10カ国、40人の選手がエントリーしていた。
 1チームは男女2人ずつの混合4人で、2回飛んで合計得点を争うというもの。
 1回目の8位までが2回目に進むことが出来る。
  日本は1回目の1番手で高梨沙羅が103メートルの大ジャンプを見せ幸先良いスタートを切った。
 日本チームの大喜びは当然だったが、事態は直後に暗転する。
 高梨沙羅のジャンプスーツが規定違反と判定され失格となってしまった。
 日本チームのスタッフによると、“高梨の太もも周りが規定より2センチ大きかった”というのである。
 新聞によれば、検査を終え取材エリアに来た高梨沙羅は両ひざに手をついて30秒ほど頭を下げていたという。  
 翌日、高梨はインスタグラムを更新して「私の失格のせいでみんなの人生を変えてしまったことは変わりようのない事実です。
 謝ってもメダルは返ってくることはなく、責任をとれるとも思っていませんが、今後の私の競技に関しては考える必要があります。
 それほど大きなことをしてしまったこと、深く反省しております」と謝罪する事態になった。
 ジャンプの世界では、これまでもスーツの規定違反は度々問題になってきた。
 国際スキー連盟の規則では「直立姿勢で計測する。スーツの寸法はボディにぴったりでなければならない。スーツのあらゆる部分に対し最大許容差は“ボディから1~3センチとする”と決められている。
 選手たちはシ-ズン初めに計測して、数値を国際スキー連盟に提出するそうだが、長いシーズンには気温や体重の変化などで多少の誤差が出ることが多いのだ。
 スキージャンプは空中で浮力を味方につけて遠くへ飛ぶことを目指すスポーツである。
 選手はルールの中でなるべく風を受けたいと考えるもの。
 連盟は、股下とか両脇の部分を広げて浮力をつけられないように厳しくルールで規制するのだ。
 スーツの規定をめぐっては、何度もルール改正が行われてきた。
 98年の長野五輪当時はスーツの生地の素材やパーツの形状も自由だった。
 しかし、その後は“生地の厚さ”とか“ゆとり幅”に制限が加わるようになっていた。
 高梨は「計測のやり方がいつもと違ったので、測り直して欲しいと伝えたが認められなかった」と言っていた。
 普段はスパッツを履いたまま太もも周りを測るのに、今回はスパッツなしであった。
 腰回りの測定も、普段は両腕を“ハの字”のように身体から30センチ離して測るが、今回はバンザイの状態で測った」と話している。
 1回目のジャンプが失格にならなければ、高得点が加算され銀メダル相当だっただけに高梨が受けたダメージは想像以上に大きかったに違いない。
 失格は高梨沙羅ばかりではなかった。
 五輪2大会連続で銀メダルに輝いたドイツのカタリナ・アルトハウス(25)やソチ五輪の銀メダリスト、オーストリアのダニエラ・イラシュコ(38)、スロベニアのニカ・クリジュナルなど5人が高得点ジャンプを飛んだ後に失格になり波乱を呼ぶ展開になったのである。
 原田総監督は13日の会見で「高梨沙羅は責任感の強い選手の一人です。彼女の気持ちを考えると言葉もないが、高梨の置かれた状況を考え、心のケアを全力でサポートしたい」と語った。
 さらに「高梨沙羅はチームのみんなや多くの国民の皆さんに励まされ、W杯で元気な姿を見せたいと思っていると思う。彼女はすでに選手村を離れてヨーロッパに向かった」と付け加えた。
 高梨沙羅をはじめ多くの選手が涙した今回の問題は、いまだに決定的な原因究明に至っていない。
 選手やチーム関係者の困惑が解けていない現状を見ると、余波は当分続きそうである。
 カーリングの日本代表ロコ・ソラーレが1次リーグのデンマーク戦で大逆転勝利を成し遂げた。
 12日の午前中に行われたこの試合は一進一退の攻防が繰り替えされた。
 日本は後半の第7エンドで、デンマークに2点を奪われ次第に苦しい展開に追い込まれ、5-7と劣勢で最終の10エンドを迎えていた。
 日本チームはみんなで意見を出し合い、シンキングタイムの全てを使いきって、スキップ藤沢五月に最後の一投を託すことになった。
 1番内側と内側から3番目にあるデンマークのストーンをはじき出し、自分のストーンを内側に残すダブルテイクアウトが成功すれば逆転できる。
 スキップにとって、プレッシャーのかかる最後の一投を決めるのは簡単なことではない。
 藤沢のラストショットは、まずナンバー3のストーンに当ててはじき出し、さらにナンバー1もはじきだした。自分のストーンは内側に残ったのである!
 このダブルテイクアウトの成功で一挙に3点を奪った日本は8-7で大逆転勝利を成し遂げた。
 敗色漂う大ピンチをスーパーショットで切り抜けて、バンザイして喜んだ藤沢五月は「スキップのここぞという場面でのショットが試合を大きく左右する。ああいうショットを投げるのは大会前からイメージしていた。その通り決まってよかった」と澄ました顔で答えた。
 日本代表のカーリング史に残るであろうナイスショットをテレビで見た時、ゾクッとして鳥肌がたったのを覚えている。
 14日午前中の中国戦には10-2と大勝したが、夜の韓国戦では相手スキップのキム・ヨンジュンにスーパーショットを連発され5-10で敗れてしまった。
 選手からは「相手というよりアイスにやられた、夜の試合の難しさが出た。もう少しコントロールしたかった」という声が出たが、チームの要の藤沢は「負け試合のほうが学ぶことが多い。そこからいかにカムバックできるかだ」と次戦の英国戦を見据えていた。
 14日終了時点でスイスが5勝1敗で首位、日本、アメリカ、スウェーデンが4勝2敗で続いている。
 上位4チームが準決勝に進むが、4強争いは大混戦である。
 平昌五輪に続いて金メダル連覇を狙っていたスピードスケートの小平奈緒は、500メートルでまさかまさかの17位に終わった。
 スタート直後、踏み込んだ左足が氷に引っかかって出遅れたのが致命的だった。
 「頭が真っ白になった」そうだが、会場で38秒09というタイムを確認すると下を向いてしまった。
 「自分にこんなにガッカリしたのは、後にも先にもない。ここまでタイムが落ちると思っていなかった。正直どう答えていいかわからない」と呆然状態だった。
 「覚悟を持ってやり遂げるだけです」とは17日の1000メートルに向けて立ち直ろうと必死に前を向く小平奈緒35歳だ。“怒った猫”の頑張りを期待したい。

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浜田山通信 №299 [雑木林の四季]

金まみれのオリンピック

    ジャーナリスト  野村勝美

 北京冬季オリンピックのスノーボード男子ハーフパイプで平野歩夢が優勝した。1998年長野五輪でスノーボードが採用されて初めてらしい。平野は2014年のソチ、08年の平昌五輪の銀に続き、冬季では日本勢初の3大会連続のメダル獲得。まずはめでたいことだが、見ていてはらはらしどおしだった、まるで軽業ではないか。実際、地上から高さ7.2メートルのU字型の雪の壁を滑りあがり空中に飛び出す。壁の縁からの最高到達点は6m近くになる。しかも空中で体の軸を斜めにして、縦に3回転、横に4回転するトリプルコーク1440などは、4年前に比べ、縦回転が1回ふえ、世界のトップ選手でさえ恐怖を感じるという。実際見ていてはらはらのしどおし、壁の外へ跳び出してしまうのではないかと思う。
 スポーツはどれも自然条件に合わせてつくられている。わざわざ自然にない競技場を造って新しい競技をやることはない。競技場を見ると数百メートルに渡って雪の壁が半円状になっている。この間を右へ行ったり左に行ったり、こんな競技場を誰が造るのか。平野の場合は父親が全部自分で造ったそうだ。いくら金持ちだからといってあのようなバカでかいものを息子の為に作るというのはちょっと考えられないことだ。夏はスケートボード、冬はスノーボードに使用するというが、競技人口だってそんなに多くはない。建設費が回収出来るとは思えない。
 それでも父親はあのようなものを造ってしまった。金持ちには彼らなりの生産があるのだろう。オリンピックもすべて金がらみになっている。世界中から大勢の人を集めて開催するのだから仕方がないのだろう。
 老人はつい昔は良かったという。私も冬季オリンピックといえば、昔の札幌オリンピックを思い出す。ヒデとロザンナの2人が歌ったオリンピックの歌が口許に出てくる。歌詞はわすれてしまったが、メロディだけはいまでもすんなり出てくる。歌いやすくて札幌オリンピックといえばこの歌になる。ロマンチックなのがよい。雪ノ地平ヲハルバルトだったか、軽快なメロディだ。年表を繰ってみると1972年2月3日第11回冬季オリンピック札幌大会開催とある。笠谷幸生選手が70キロ級で日本勢初の優勝、2位、3位も独占し、日の丸飛行隊と呼ばれた。もう50年の昔の話で、いまや話のタネにもならない。
 日本中が熱狂した。今回の平野歩夢の優勝を誰が熱狂的に喜んだか。私は老骨でスキースケートの類いはもう何10年も前から見ていない。日本代表なんてことも一切関係ない。なんだか危なっかしいことをやるなと心配になるだけだ。でもすべてが金まみれになるのは、いくら万事金の世の中といいながら、おもしろくない。江戸時代、元禄の御代も西鶴が言ったように色と欲の時代だったらしいが、色さえいつか消えて、全てが金設け一色になってはつまらなさすぎる。春はもうすぐ。春がきた。春がきた、どこにきた、山にきた、里にきた、野にもきた――。


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BS-TBS番組情報 №252 [雑木林の四季]

BS-TBS 2022年2月のおすすめ番組(下)

       BS-TBS広報宣伝部

精神分析医(サイコセラピスト) 氷室想介の事件簿
~超高層ビル密室殺人の謎~

252氷室想介の事件簿.jpg
2022年2月26日(土)よる7:00~8:54

☆小泉孝太郎主演!精神分析医・氷室想介が関係者の心理を読み解き難事件を解決!

原作:吉村達也「遠隔推理─精神分析医 氷室想介の事件簿」より
脚本:山岡潤平
演出:本田隆一
出演: 小泉孝太郎 美村里江 大河内奈々子 筧美和子 小野真弓 松本岳 山崎銀之丞 永井大

BS-TBSでは2022年1月から、3ヶ月連続で新作2時間ミステリードラマを放送!
第1弾「ホテルマン東堂克生の事件ファイル」に続く第2弾が、この「精神分析医(サイコセラピスト) 氷室想介の事件簿~超高層ビル密室殺人の謎~」。
主人公の精神分析医・氷室想介を演じるのは小泉孝太郎。民放BSのオリジナルドラマで主演をつとめるのは今回が初。氷室のバディ・刑事の田丸有希役には美村里江。
原作は、作家・吉村達也の推理小説「遠隔推理─精神分析医 氷室想介の事件簿」。2012年に60歳で亡くなるまでに225作の小説を世に送り出した吉村氏の作品群の中でも1、2を争う人気作「氷室想介シリーズ」だが、映像化は今回が初。
「氷室想介クリニック」の氷室想介(小泉孝太郎)は、イケメンかつ頭の切れる優秀な精神分析医だが、どこかとぼけていて憎めない側面もある人物。そんな氷室にいつも事件の捜査協力を依頼しているのは、警視庁捜査一課警部補の田丸有希(美村里江)。氷室は精神分析を駆使して関係者の心理を読み解き、難事件を解決していく。
シリアスなストーリーの中にも、中学高校の同級生という二人の関係性から、マイペースな氷室と強気の有希が、さながら「ボケとツッコミ」を思わせるコミカルな場面もあり、新しい「名コンビ」の誕生が期待できそうだ。

【あらすじ】
心療内科「氷室想介クリニック」の氷室想介(小泉孝太郎)は、イケメンかつ頭の切れる優秀な精神分析医。どこかとぼけていて憎めない側面もあるのだが、ひと癖ある人柄のせいか、クリニックの予約はいつもスカスカ…。イマドキ女子の受付・川井舞(筧美和子)からは、毎日何かしらお小言を頂いている始末。
そんな氷室にいつも事件の捜査協力を依頼しているのは、警視庁捜査一課警部補の田丸有希(美村里江)。ふたりは中学高校の同級生。精神分析を駆使して関係者の心理を読み解く氷室の能力を有希は信頼している。シングルマザーの有希にとって、氷室と舞は、息子のはじめ(市川陽夏)も一緒に近所の中華料理店で食事を共にする、よき仲間でもある。
ある日、超高層ビルのワンフロアにオフィスを構えるアパレル会社「パノン」で殺人事件が発生。創業者である社長の秋元貢太郎(井上肇)が社長室内で死亡しているのが発見された。死因は青酸カリによる中毒死。社長室は内側から鍵がかけられていた。有希と後輩刑事の君島太一(松本岳)は、氷室に捜査協力を依頼。有希・君島と氷室は関係者への聞き込みを開始する。
第一発見者はパノン経理担当取締役の望月伸介(山崎銀之丞)、社長と経営方針で衝突していたという。さらに、社長の息子・秋元景太郎(植木祥平)、望月と不倫の噂がある総務部の三浦佳奈(小野真弓)、派遣の経理担当・米沢理恵子(大河内奈々子)、広告代理店の大沢裕翔(永井大)など、疑わしい関係者は多いが、解決の糸口はなかなか見えない。
そんななか、望月の横領疑惑が浮上。第二の殺人事件が起きてしまう…。

白鵬ドキュメント 日下開山、最後の十五日

2022年2月20日(日)よる6:00~6:54

☆「日下開山」の称号にふさわしく、最強のまま現役を退いた力士…大横綱、白鵬。進退をかけた最後の名古屋場所十五日に迫る。

力士の手形は古来より魔除けとして人々に大事にされてきた。その手形に横綱だけが押すことを許された印がある。それが「日下開山(ひのしたかいざん)」の印だ。「日下開山」とは「天下一」や「天下無双」または「最強」を意味し、相撲の世界では「横綱」の別称でもある。
その「日下開山」の称号にふさわしく、最強のまま現役を退いた力士がいる。それが大相撲の歴史に名を残す大横綱、白鵬だ。しかしその白鵬も15歳でモンゴルから日本にやってきた当時はただのやせっぽちの少年に過ぎなかった。まだ何者でもなかった白鵬は、新弟子時代に通った相撲教習所のノートに1枚の絵を描いた。それは自分の未来の姿を思い描いた夢の絵だった。大きな夢を叶え、数々の記録を打ち立てた白鵬は、天下無双の「日下開山」であり続けるために、人知れずもがき続けた。
進退をかけて臨んだ最後の名古屋場所。白鵬を支えたのはいつもの仲間達と突然現れた古き友。蘇る勝負師の本能。引き際を悟り仲間たちに伝えた夜のこと。そして勝利への執念を貫き通したあの千秋楽の激闘と、目に見えない不思議な力。日下開山、最後の十五日。
写真提供:宮城野部屋

めざせ!健康マイスター 新時代のおクスリ活用術

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2022年2月26日(土)午後2:00~2:54

☆今回のテーマは『新時代のセルフメディケーデョン』!

MC:政井マヤ
解説・監修:山浦克典(慶應義塾大学薬学部教授)
コーナー出演:羽田洋行(富士薬品取締役執行役員)
VTR出演:川島眞(東京女子医科大学名誉教授)、安部恵(日本大学医学部薬剤師教育センター准教授)

ウィズ・コロナと言われる昨今となり、また、2022年は団塊の世代が75歳を迎え、超高齢社会が進む。そんな時代に求められるのが、お薬を上手に活用し、自分自身で健康を守るセルフメディケーション。そこで今回は、私たちがセルフメディケーションを実践するための知識と、世の中の様々な最新の取り組みを紹介する。
ここ数年、コロナ禍でより高まった健康意識。実は、私たちのニーズに合わせ、世の中のお薬を取り巻く環境が徐々に進化している。
医師が近くにいる安心感!スマホでのお薬相談に、全国の医師がすぐさま回答!最新の医療相談アプリ。
顧客のお薬情報を一括管理してカウンセリング!富士薬品が力を入れる『お薬の専門家体制』。
さらに、セルフメディケーションを実践するために必要な「健康リテラシー」を養うために、子供たちに向けた、ちょっと珍しい『お薬教室』。
そして、未来の私たちの健康を担う、薬剤師さんの奮闘にも密着した。



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医史跡を巡る旅 №103 [雑木林の四季]

「医史跡を巡る旅」№104 安政五年コレラ狂騒曲~浦賀後篇ひとつ前

      保健衛生監視員  小川」 優

感染拡大、というより感染爆発といえる状況が続いています。どうにも時間が取れず、2月前半の記事はお休みさせていただきました。
現状は、オミクロン株がデルタ株に比べると重症化率が低く、若年層の感染が多いということで油断していたところを見事に突かれたという態で、医療機関が圧迫されるようになりました。重症化率が低いと言っても、分母が増えれば相殺されるのは自明の理、すでに病床はひっ迫し、救急搬送が必要な時に搬送先が見つからない状態となっています。そして死者数は増加しており、あれほど騒がれた第3波、第4波、第5波をすでに上回って、1万人あたりの死亡者数は過去最高値となっています。

105画像①.png
「人口1万人あたりの死亡者数(7日間移動平均)」 ~Our World in Data

陽性者のあまりの多さに感覚が麻痺し、多少の減少にピークアウトとざわめく一方で、あいかわらず「オミクロン恐れるに足らず」、「せっかく上向いた経済を止めるな」との強気の発言が多々聞かれます。相手の力を見くびり、蛮勇を鼓舞した大戦時の勇ましいだけの掛け声に似て、うすら寒い感じがするのは私だけでしょうか。

一日あたりの感染者数の、これ以上の爆発的増加は抑えられたようにも見えます。しかし急激に減少する傾向も見えず、暫くは高止まりが続くことが予想されます。
感染者の多さは、濃厚接触者、つまり感染者の周囲の、感染させてしまった可能性のある人間も増やすこととなり、オミクロン株の感染性の高さも関係して、大きな問題となっています。こうした濃厚接触者が医療従事者などエッセンシャルワーカーの場合は、彼らが出勤できなくなることによって社会基盤の維持が難しくなります。
濃厚接触者の問題は、自宅療養で家族が適用される場合に顕著になります。例えば家族のうち一人でも感染した場合には、同居家族全員が7日間、濃厚接触者として健康観察の対象となります。ただこれも症状がない場合の原則で、濃厚接触者が感染者に移行する可能性は現状でも高水準です。
例えばABCDの四人家族で、Aに症状が出て15日に確定、遅れてBが17日に症状が出て19日に確定、Cは19日に発症して21日に確定となると、Dさんは15日起算ではなく21日起算で7日間、つまり28日迄自宅で待機しなくてはならなくなります。決して机上の空論でなく、Aがお兄ちゃんで保育園に通っており保育園も閉鎖、続いて通園できずに家にいた妹のBが発症、さらに看病していたCことお母さんも感染という例はごく普通です。この場合、お父さん、つまりDは感染しなくても半月近く出勤できないこととなります。
なおこの日数計算の方法や濃厚接触者の捉え方は、地域の感染状況(というより、保健所のひっ迫度)により、さらに日々変わっていますから、現時点での全国共通の考え方ではありません。万が一ご自身がこのようなケースに直面した場合には、地元の保健所の指示に従ってください。

さて、あだしごとはさておき。
浦賀中篇に引き続き、安政五年八月二十三日から、残された記録より東西浦賀の動向を辿ります。

八月廿三日 晴天・北風
一、悪病流行ニ付西浦賀町之神送り、蛇畠町・浜町一昨夜両町共相済、夕刻之事ニ而軒別ニ戸〆至候、
一、仲間稲荷様江灯明上、赤飯煎、部屋惣灯明ニ而両三度感応院相招、祈祷致貰候、
一、西叶大明神、明廿四日市町御神輿御廻り之積り被仰出候由承り申候、一、御役所ニ而三方年寄御召出之上、此度流行之病気薬法御書付を以被仰渡候、(以下略)
~「浦賀書類 浦賀詰下田廻船問屋 諸御用日記」

105画像➁.jpg
「西叶神社」 ~神奈川県横須賀市西浦賀

まずは西から。神送りとは、疫病を依代に移して集落から送り出す儀式のことと考えられます。また十二日の記載に引き続き西叶神社別当の感応院がでてきます。翌日には西叶神社の神輿が町内を巡ることを触れているほか、再び奉行所からコレラ治療薬の新たな処方が示されます。
浦賀には湾を挟んで叶神社が2カ所あり、それぞれ東叶神社、西叶神社と呼ばれています。西浦賀の叶神社がはじめにあり、天保年間に東浦賀に勧進されたとのこと。

一、八月廿三日 晴天、北風、此程中ゟ市中悪病流行いたし候ニ付、東西共申合神輿町方巡行いたし為消除、銘々神楽奉納いたし度段小前ゟ申出候ニ付、定御廻り衆江内々御伺申上候所、御聞届ニ而御役所江之願書は御停止中之事故拝殿ニ而拝礼為致候積りニ而、町方巡行は定御廻り衆御含ニ而御聞届被成下候、
乍恐以書付奉願上候
一、此度悪病流行仕候ニ付、諸人為御救鎮守明神[不読]御仰付難有仕合奉存候、[不読]迄本社ゟ神輿相下ケ、於拝殿拝礼為致奉存候、尤、御当節柄之儀ニ御座候間、窃仕度奉存候、何卒右之段御慈悲を以御聞済被下置候様奉願上候、右願之通被仰付被下置候ハゝ村方一同難有仕合奉存候、以上、
 安政五年八月廿三日 東浦賀年寄 三郎兵衛
 浦賀御奉行所様
右願書即刻御聞済相成申候、依定御廻り衆へも右為念御届申置候、猶日限之儀は追而定日申上候積り、
一、同日干鰯問屋ゟ五町困窮人井病人死人等迄施米差出ス、委細は別紙帳面ニ有ル、但シ町々町頭宅ニ而配当いたす、
~「相州三浦郡東浦賀村文書 諸日記」

続いて東。東西申し合わせて叶神社の神輿が巡行することが記され、十三代将軍家定死去に伴う鳴物停止令の中ながら、町年寄の嘆願により許されたこと、患者の出た家については、干鰯問屋から救済のために施米を行うことなどが書かれています。

八月廿四日 晴天・北風 未刻ゟ南風
一、西叶明神御神輿市中御廻り被遊、尤、御役所・御組へは御廻り不被遊候、此度重御停止故町方斗穏便ニ而御廻り、□部屋、○部屋弐軒ニ而御初穂上・神酒備、御神楽上り候、並木・稲取最合ニて同断、
~「浦賀書類 浦賀詰下田廻船問屋 諸御用日記」

同廿四日 晴天、北風、五町町頭・世話人一同施米礼ニ参ル、同日 明廿五日神輿山下ケ拝殿ニ而拝礼為致候様御役所井御目付定御廻り衆江御届申上候、尤、定御廻り衆[不読]は出役先ニ而願ひ可申[不読]途中泊り之儀も同様出役先ニ願ひ可申趣被仰聞候ニ付、五町頭江右申渡シ、刻限正五ツ半時と申渡ス、
~「相州三浦郡東浦賀村文書 諸日記」

翌二十四日から、予定通り東西叶神社の神輿が町々を巡りはじめます。

八月廿五日 晴天・北風
一、東叶明神御神輿市中御廻り被遊候、尤、二日之由承り申候、西浦賀同様悪病流行故之事ニて、色々御祈祷有之候、
~「浦賀書類 浦賀詰下田廻船問屋 諸御用日記」

同廿五日 晴天、東風、神輿山下、正五ツ半時拝殿迄御下ケ申、夫ゟ餝付いたし、直様表門内迄御下ケ申、一同昼飯、御掛り定御廻り衆共徳田浜二階、御役所御用人は永楽寺、御目付宅ニ而御仕度差上申候、九ツ時ゟ町方巡行、尤、以来例ニは不相成候へ共、此度は畢意悪病退散之ため巡行致候義故、老人・子供ニ致迄町方勇メながら神楽可致様被仰付候、依之新井町ハ中障子切リニ而若者引取、跡は町頭世話人斗り御供いたし候、外町ニも右ニ准し候事、付而は此度は以来例ニは不相成候へ共、ツキシ古新町も御巡行、是又若者一同ニ而勇、喜之助脇ゟ白蝶江相渡し、干鰯場神楽、夫ゟ海岸通り、白蝶ニ而御帰館ニ相成申候、但、夜五ツ時迄、
~「相州三浦郡東浦賀村文書 諸日記」

二十五日も神輿の巡行が続きます。

一、同日(編注、廿六日)御奉行様ゟ十七日之間護摩被仰付有之、右決願ニ付町方御神燈井参詣可致様廻状差出ス、
~「相州三浦郡東浦賀村文書 諸日記」

二十六日になると奉行所のお沙汰で護摩祈祷がおこなわれるようになります。

八月廿七日 雨天・南風
一、御役所ゟ三方年寄御召、御書付を以流行病症禁物薬法書、左之通被仰出候ニ付、部屋々々為触置候、下田表江も書付差出候、末ニ記、
~「浦賀書類 浦賀詰下田廻船問屋 諸御用日記」

一、同廿七日 雨天、北風、御役所江永神寺自身ニ護摩札・御供物上納いたし候、
干鰯問屋ゟ村方安全之護摩奉納、尤、三日之間依之町々江御神燈参詣之廻状出ス、
~「相州三浦郡東浦賀村文書 諸日記」

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「永神寺不動尊」 ~神奈川県横須賀市東浦賀
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「永神寺説明板」 ~神奈川県横須賀市東浦賀

東浦賀で護摩を行ったのは東叶神社別当の永楽寺。廃仏毀釈で廃寺となりましたが、本尊は東叶神社に安置されており、似姿の像が境内に設置されています。

八月廿八日 曇天・北風
一、御役所より三方年寄江御渡書付、此節悪敷流行病ニ付てハ、養生方を始食禁之儀、医師は勿論、時之災を恐れ慎候者ハ心得形を守り、伝方を以人々へも申示候由ニ候得共、兎角下々之内ニは、元気を養候得は宜敷可有之との心得違ニ而も候哉、都而魚類厚味のものを求、惣而酒食とも常ゟハ分量を過し、夫を快しと致候者も有之哉ニ相聞、扨々以の外なる心得違ニ有之候、抑養生之儀は飲食を節ニ致すを第一と申候得は、いつとてもほしいまゝにハ有之間敷事、別而当節柄ケ様之所行有之候は、自病を醸し候者と何とも欺ケ敷事ニ候、自今以後医師申示は勿論、心得有之者之申伝ニも等閑ニ不相心得、無油断養生いたし、第一食禁止を守、飲食之量も程能いたし可申候、且又、家業其外難去所用は格別、成丈夜行も慎可申候、邪気充満之折柄を求而夜行いたし陰鬱之気に触候儀も、是又病を招き候端ニて誠ニ恐れて慎事ニ候、別紙弐通猶為心得相渡候間、夫々申触、別而重立候者ニは厚相心得置、此上とも末々心得違之者も候ハゝ、信切ニ申諭、成丈病災をのかれさせ候様、清々心配可致候、
右之通被仰渡候、午八月
食禁
鰯 萬久呂(まくろ) 松魚(かつを) 鱇魚(このしろ) 馬鮫魚(さめ)
宇留女(うるめ) 栄螺(さざえ) 敗卵臭(小にてもいたみたるたまご)
柿 大凝天(ところてん) 松茸 梨 蓮根
右外猶有へし、都而膏梁(あぶらこき)之美味(うまきもの)・硬物(かたきもの)・生涼品(なまものつめたきもの)忌へし、勿論淡薄之品物とても多食すへからす、
流行暴吐瀉預防方井治法
此節の流行病ハ毒気外より身内ニ入、腸胃(ハラワタイブクロ)に悪敷物を生し、肝胆(きもい)の液汁沸き(シルハキ)、腸胃ニ入ては吐瀉(ハキクダシ)し血脉(チスジ)ニ入ては、血液凝滞して忽死する病なれハ、平日腸胃を清くし、難化易敗食を禁して軽淡品のみを用ひ、湿気を避くるを第一とすへし、此頃世上杜松実ニ砂糖を加へ服せは此病を免るゝといへとも、前々いふ養生をせされは益なし、但、平生胃のよハき人は杜松実に限らす、橙皮(トウヒ)・茴香(ウイキョウ)・薄荷・加察列(カミルレ)・縮砂(シクシャ)・木香(モクコウ)・藿香(カクコウ)の類・疎条(クダシ)天磠砂・舎利塩・大黄・芒硝・孕礬(タイハン)・酒石・石鹸の類を用ふへし、是も預防(ヨウシン)の一つならん、又最早病を受て俄に吐瀉する後は、老他扭母・磠砂加石灰精・各服用外用甘酒石・忽布満(ホフマン)・鎮痛散・純砕酒石・酒石散・鎮痙散・鎮嘔散・放血・吉理私父多児灌腸方・全身浴・脚湯・微温単湯・白芥子湯、
右之法其症ニ従て用ふへし、一方ニて此病を治するといふ薬ハ更にこれあらず、
~「浦賀書類 浦賀詰下田廻船問屋 諸御用日記」

二十八日になると、奉行所から再び予防法、養生法、治療法が示されます。長々と養生訓を述べ、あげくに漢方薬をつらつらと書き連らねていますが、最後になって「一方ニて此病を治するといふ薬ハ更にこれあらず」。う~ん…。

今回で浦賀篇を終わらせるつもりでしたが、浦賀奉行所のお触れのように閉まりませんでした。もう少しお付き合いください。


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梟翁夜話 №105 [雑木林の四季]

「石原慎太郎逝く」

      翻訳家  島村泰治

1956年の半ば、私は積年のアメリカ留学の望みを叶えて渡米した。同じ頃に「なんでも見てやらう」の小田実(まこと)もどこかを放浪していたと知ったのはぐんと後のこと、前年にはある作家が衝撃的なデビューを果たしてゐた。その作家は石原慎太郎、若干23歳の一橋大生が「太陽の季節」なる先鋭的な作品で芥川賞を得て世に出た。胸に一物持つ若者たちが羽を広げていたのがあの頃だった。

2月1日、その石原慎太郎が身罷った。心中の糸がぷつりと切れた思ひがする。

石原慎太郎をどれほど知ってゐるかと問はれて、ぐっと言葉が詰まる。話題の「太陽の季節」を読んでおらぬし、その後の作品も真面目に読んだものが一冊もないからだ。つまり作家としての石原慎太郎を私は知らない。知らないから、もの書きとしての彼は私には異色人種のワンオブゼムでしかないのだ。が、身罷られたいま、彼が矢鱈に気になるのは何故か。さう、去られていま石原慎太郎がしきりに心に残るのだ。

さう考え込んで気付いたことがある。文字ではなく吐かれた数々の言辞を記憶するわが耳どもが、石原慎太郎の姿を鮮やかに浮き彫りするのだ。爽やかな保守だった彼が日本の在り方かくあるべしと語る口振り然り、東京の空が汚れていると黒い粉を振り撒く姿然り、それぞれに背筋の通った快男児の風情が漂っていた。その姿がもはや見られぬ憂いが、古典的な伝統主義者たる私の心に残るのだ。

もの書きの有り様を語るなら、石原慎太郎と大江健三郎の鮮やかな対比を思はずには居られない。共に芥川賞作家ながら、片や受賞作はおろか他に一冊も読んでいない石原と受賞作「飼育」を文藝春秋誌上で読んだ大江とを、同じ位相で論断はできない。しやうなら、両者の社会的いや社会政治的なインパクトだらう。漢心よりは大和心に身を寄せる私には、一挙手一投足に朱色が滲む大江よりは竹林の潔さを思わせる石原の言動に惹かれるのだ。

都政を小説を綴る思ひで果たした、と都知事を退いた日に石原は呟いた。言葉尻を取れば不遜にも思はれる言葉が、引いて聞けばごく一理ある。成し遂げた事業を拾ひ上げてみれば、ときに序破急ときに起承転結が見事に紡がれて、十数年に及ぶ彼の都知事期は一巻の物語に見えてくるから妙だ。東(あずま)の周到、美濃部の狂騒、鈴木の平穏、青島の無音ときて石原の物語と、都政は行く水の流れ宛(さなが)らに行方が定まらぬ。首長の誰彼は忘れられやうが、ディーゼル規制や東京オリンピックをめぐる経緯は流石に記憶されやうから、小説「首都物語」が長く読み継がれるだろうことは間違ひない。

残された遺族たちも作家たる父に思ひを残してゐるやうだ。逝かれたいま、私も座り直して石原慎太郎を読んでみやうか。あわよくば、言葉遣いや言の葉魂に触れて己れを振り返る縁にならんかな。

好漢石原慎太郎の魂よ安かれ。合掌。

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