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バルタンの呟き №94 [雑木林の四季]

「春!ですが・・・」

          映画館時  飯島敏宏

 春です! 一斉に、というよりも、先を争うように桜満開!という情報を各地が競って発信しています。待ちに待った緊急事態宣言が解除されて、まるで鬨の声を上げるように、各観光地が悲願の人寄せの為に発している開花情報なのです。強引とも見える緊急事態宣言解除に応えるように、そして、初夏並みと言われる気温の上昇と共に、サクラの名所ばかりか、各地の繁華街の人出も一気に増えて、新聞、テレビ、その他のメディアにその情景が映像化されて広がっています。さらに、「人類がコロナウイルスに打ち勝った証として」という決まり文句で胸を張り続ける菅総理の号砲一発、福島発の2021東京オリンピック・パラリンピック聖火リレーも、見切り発車(?)され、各地の桜だよりと交錯しながら、国内外に中継されているオリンピック・パラリンピック主催国平和ニッポンの春の情景です。世論調査では大方70パーセントもの国民が開催を危ぶむ中で・・・
その一方、対する新型コロナウイルスCovid19は、制圧されるどころか、さらに変身して伝染力を増し、すでに海外からニッポンに侵入して、第4波パンデミックを仕掛けています。
 海外からの観客は、既に望めなくなり、主要各国首脳の来場も、なんとなくあやふやな状況を見せ始め、肝心の競技大会の主戦級の海外プロ有力選手の中にも、拒否、あるいは辞退をする可能性も噂される状況です。まして、もしこのまま日本国内の感染状態が広がって行けば、観客制限どころか、無観客競技大会になりかねない情勢もうかがわれてきたような気がするのですが・・・
我が街の、桜満開の中央公園での話題も、コロナコロナです。ついに、この街からも明白な形でコロナ感染死者が出たことが露見して、この所、早朝ラジオ体操参加者が減少、震撼しているのです。
今朝、第一、第二と、ラジオ体操を終えて、さて、日々恒例の歩きに、という時でした・・・
「いっそ、この際思い切ってGo to!もオリンピックも中止したらどうなんですかねえ!」
最近顔を見せるようになった元教員という傘寿老が、周囲の常連に発した一言が、たちまち炎上してしまったのです。
「冗談でしょう!そんなことをしたら、この国は、破産しちまうよ!」
新顔の声を聞きとがめた古株の元証券会社の米寿老が、いきり立ちます。傘寿でも此処ではザラな歳なのです。
「?」
傘寿氏には、どうやらその脈絡が読めないようでした。
この街は、証券会社関連の大手不動産が分譲した住宅地ですから、50年に近い年月を経た今日では、超高齢の街であり、住民も、証券会社、銀行その他金融関係、商社OB主流の街なのです。
「すでに莫大な費用をかけて設備を整えた上に、もし、中止、つまり日本の事情でキャンセルでもしようものなら、あんた、損害賠償として絶大なキャンセル料をIOCに支払う事になるんですよ!」
「でも、今のまま、少数観客や、無観客で開催したら莫大な追加費用が掛かるでしょう?」
果敢にも、傘寿翁が反論を試みます。
「中止したら、その上に、天文学的損害が生じるのはお判りでしょう、あんた、無収入になるんですからね!膨大なテレビ放送料や広告収入が、ゼロになるわけですから比較にもなりませんよ!」
「オリンピックを当て込んでいた不動産業界、ホテル業界、観光業界、宣伝業界なんかの損失は東京都や首都圏ばかりではなく、全国的なものですからね・・・」
だんだん傘寿翁を囲む人数が増えて、マスクを吹き飛ばさんばかりの百家争鳴になってしまいました。
「それに加えて、選挙の事もあるしね・・・」
「選挙?」
とんでもない方に飛び火して、傘寿翁がきょとんとします。都議会議員選挙の事でしょう。
小池がとか、知事と対立してきたこの街を地盤とする保守系都議の名などが上がります。
「菅さんも、大変だ・・・ここへきて二階さんが・・・」
こちらは、さらに飛び火して国会議員選挙レベルの話です。近ごろでは、杖をつく人が増えて、階段を上る山道を避けるコースになってしまった「歩こうかい」に議論が持ち越されて、リベラル発言の傘寿翁は、公園に置き去りになってしまいました。
「それでいいんですよ。ありがとう」
しょんぼりしかかった彼の肩を叩いたのは、米寿の僕です。
「え?」
「誰も違う声をあげない状態は、危険だからです。あなたは、今、日本が、戦争の危機にさらされているとお思いになりませんか?」
「戦争?」
傘寿翁には、突然戦争などと言い出した僕の言葉が、突飛に響いたのでしょう。
「ある意味で、今のニッポンは、世界がうらやむほどに、平和ですが・・・なんだか、誰も声を上げようとしなくなっている気がするんですよ・・・あの戦争の時と同じように」
「あの戦争?」
「第二次世界大戦、大東亜戦争ですよ」
「はあ・・・?」
敗戦後76年、いまや、若い世代どころか傘寿翁にして、「あの戦争」と「あの敗戦」は、平和ムードの中で、他人事のように遠ざかってしまったのです。
「全国民、みんなが、見ざる聞かざる言わざるになってしまったから、ずるずるとあの戦争を始めてしまったのです。中庸を貫いている心算の僕も、この公園では、かくれ左翼と言われていますからね。でも、実はみんな耳を貸しているんです。あなたも、ぜひ、疑問がおありでしたら今日のように、声を挙げて下さい。ディベートが大切なんですよ、この街には・・・」
 北朝鮮対策には、大日本帝国を暴挙に追い込んだABCD包囲陣が、日韓米軍事同盟に日独伊三国同盟の脆さなどが重なって見える今日、この街の朝を目覚めさせるには・・・」
傘寿翁を急き立てて、遥かに遠ざかってゆく面々を追うのですが・・・僕とほぼ同年齢の半藤一利さんを偲びながらの拙い呟きですが、地道にでも続けてゆこうと思うのです。


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医史跡を巡る旅 №86 [雑木林の四季]

江戸のコレラ~安政五年 長崎、京都そして大阪

     保健衛生監視員  小川 優

「感染拡大防止に、もはや打つ手なし」との理由で緊急事態宣言が解除されて2週間。大方の予想通り、新規感染者数は増加に転じています。感染して直ちに症状が出る、あるいは検査陽性となるわけではないですから、現在新規感染者として数字が上がってきている人々が感染したのは、宣言解除前と考えられます。解除後の人出、とくに花見など季節に誘われて、または退職、転勤、卒業そして入学、入社シーズンに伴う会食機会の増加を考えると、いつ爆発的に感染者が増えても不思議はありません。

2月末を以て先行して宣言対象地区から外された関西圏では、大阪を中心に再燃傾向が明らかで、さらにその内訳も変異型が多くを占めるようになってきました。
3月30日時点の大阪府の発表によると、大阪モデルのモニタリング指標である新規陽性者における感染経路不明者の7日間の移動平均が188.43、直近1週間の人口10万人あたりの新規陽性者数は24.75、患者受入重症病床使用率が40.2パーセントという数字です。ちなみに1週間前の数字は、それぞれ80.71、12.21、27.2パーセントです。わずか1週間の間に、濃厚接触者やクラスター以外の感染経路がわからない陽性者、そして新規陽性者(感染者)全体数はそれぞれ倍になり、その陽性者のうち発症して症状が重くなる人も増えたことで重症患者病床の圧迫度が10パーセント近く高まった、ということになります。ちなみに発症数の増加は、およそ1週間後の重症患者の増加に反映する傾向があります。
もうひとつ注意すべきは、陽性者中に占める変異株の割合です。NHKの報道による大阪府のスクリーニング検査の結果では、2月14日から20日までは13.2パーセントだったものが、3月14日から20日まででは45.2パーセントまで跳ね上がっています。
変異株については、従来型に比べて感染力が強いということを以前お話ししましたが、そればかりではなく、重症化の懸念と、ワクチン有効性の疑問もあります。

そのワクチンも、相変わらず供給予定の具体的な数字が見えてきません。優先接種以外の接種計画が決まらないというのに、薬事承認も未了なファイザー社製以外のワクチンを、本人希望により選択可能であるなどとワクチン担当大臣補佐官が先走って明言し、慌てて担当大臣が否定するドタバタもありました。モデルナ社製、アストゼネカ社製、シノバック社製ともに、まだ日本における安全性が確認されておらず、具体的な供給の目途もたっていない段階で、情報をミスリードすることは、国民のワクチンへの信頼性と、期待を裏切ることにほかなりません。
ならば早く他社のワクチンも承認してしまえばいい、すでに外国で相当数の接種実績があるにもかかわらず、なぜ日本でも独自の審査を行わなければならないのかという疑問もおありだとは思います。それは残念なことにワクチンの効きめ、安全性について、人種の差がある可能性があるからです。例えばワクチンによる重篤なアレルギー反応とされるアナフィラキシーの発生状況ですが、アメリカでは100万回あたり4.7件、イギリスでは同じく18.6~19.4件なのに対して、日本では47件(3月21日までの578,835回接種中)、100万回あたりに換算すると81件報告されています(3月26日開催、厚労省審議会資料より)。※ただし、集計の方法や症例定義が必ずしも一致しないため、単純に比較することはできない、とのコメントあり。
現在接種が進められているファイザー社のワクチンは、承認前の大規模な臨床テストがアメリカ、アルゼンチン、ブラジルで行われ、アジアの国では実施されませんでした。これらの国の臨床試験では白人が58パーセントを占め、ヒスパニック・ラテン系が26パーセント、黒人が10パーセント、アジア系にいたってはわずか5パーセントしか行われておらず、アジア系に対する十分な臨床例が集まっていなかったのです。その後国内でも臨床試験を行ってデータが集められ、安全性を確認したうえで承認に至ったという流れです。

あだしごとはさておき。
江戸のコレラ、序章文政篇に引き続き、安政篇になります。

1840年に始まり、収束までに20年を要した3回目のコレラ・パンデミックは、日本にも大きな影響をもたらします。その頃の日本は、嘉永6年(1853)にペリー来航、翌年の日米和親条約および下田条約の締結を経て、安政5年(1858)6月19日アメリカ軍艦ポーハタン号艦上での日米修好通商条約の調印と対外的に翻弄されている時期でした。また条約締結は朝廷の意志を無視する形で行われ、大老井伊直弼は反対派の弾圧のために安政の大獄を強行したため、幕府に対する反発が強まり、攘夷思想の広まりと倒幕のうねりが生じます。
政治的な激動ばかりではなく、嘉永7年4月京都大火で禁裏が炎上、同11月安政東海地震、翌日に安政南海地震が発生、安政2年2月には飛騨、10月には江戸、翌3年7月には八戸沖と大地震が頻発し人災、天災が相次ぎます。
一方以前から欧米列強で唯一、日本と交流のあったオランダからは安政3年(1857)、海軍伝習所教官として軍医ヨハネス・ポンペ・フアン・メーデルフォールトが派遣され、彼と門下生の松本良順らの尽力により医学伝習所が設立されます。

条約調印1か月前の安政5年(1858)5月21日アメリカ軍艦ミシシッピ号は、上海寄港の後長崎に入港します。ミシシッピ号は嘉永6年に、ペリー東征艦隊として来航した黒船の一隻です。同艦には上海でコレラに感染した乗組員がいて、乗組員の上陸とともに長崎で広まります。
医学伝習所のポンペと、松本良順ら門下生は予防と治療に努めますが、当時の再先端医療である西洋医学の知識をもってしてもコレラを効果的に治療する術はなく、長崎で700人以上が犠牲になったとされます。それでも罹患者中の死亡者数は、明治になってからの流行時の死亡率より低くかったようです。ポンペは最新の知見であるウンデルリッヒの治療法に基づいて治療指針をまとめ、松本良順がこれを日本語に訳してひろめました。この中では治療薬として、マラリアの特効薬であり、キナの樹皮から得られるキニーネと、アヘンを用いていました。またこの時に治療のために開設されたのが長崎養生所で、初の西洋式近代病院と言われます。またポンペの助言により、7月にはアジ、サバなど一部の食品の売買を禁止するお触れが出されています。

「松本良順墓」

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「松本良順墓」 ~神奈川県中郡大磯町東小磯 妙大寺

5月に長崎から日本に侵入したコレラは、その後九州各地や山陰・山陽を席巻し、一説には6月に京都まで達したといわれます。ただし「日本疾病史~コレラ記事」には「安政五年戌午、仲夏より深秋に至り、諸国にコロリ病大に流行す、八月下旬に至りて京師初めて行わる」、「彦根市史 中冊」には「安政五年九月中旬ヨリ大阪ノ辺ヨリ一日転ト云フ疫病京都エ渉リ」との記述があり、寺院の過去帳から超過死亡者を割り出した研究によれば7月中旬と9月上旬にピークが見られることから京都で感染が始まったのは7月以降とみるのが妥当と考えられます。
この時の流行は年を越して翌年にまで続き、に安政6年7月には猖獗を極めます。朝廷のお膝元だけあって、幕府も傍観することもできなかったようで、施政者の対応の流れを追ってみましょう。
京都町触集成によると安政6年「未七月」に「流行病除方之御法書」という心得が発せられます。現在の「三密防止」や「新しい生活様式」のようなものですね。続いて未八月十二日付けで、「流行病并外病にして相果てし候者、先月十二日より今十二日まで洩れず」届ける旨、また今後は死亡者あるたびに届けるようお達しがあります。これは江戸時代版HER-SYS(新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム)とでも言えるでしょうか。
このほかにも禁裏の医師に治療薬を調合させて市中に配布したり、困窮者に対する定額給付金にあたる、「鰥寡孤独貧窮もの」や「一人暮ニ而世話いたし候もの無之」者などへの救済の指示を出したりしています。因みに救済も町年寄に対する指示であって施策ではなく、町民の相互扶助に頼るなど、まずは自助、共助に頼る現政権と同じやり方です。結局は今も昔も変わらず、後手後手で無策に等しく、効果的に感染を抑制したり、民衆を安心させられるような効果はほとんど見られませんでした。
役所が当てにならぬならと、頑張ったのが町衆です。現在も続く筆、墨、紙を商う鳩居堂の当主熊谷直恭は、感染者を収容し、看護するために病人世話場という施設を木屋町御池に設けました。しかし自らもコレラに感染し、安政6年9月に亡くなります。
更に人々は祇園祭でもないのに、町ごとの山車を祇園社に繰り出したり、踊りながら上御霊社、北野天満宮、伏見稲荷に詣でたりしました。その様子は「神いさめ都の賑」という刷り物に残されています。刷り込まれた説明文には、以下の一文があります。

きのふ見し娘もけふは あら男 ころりと替る 神のいさをし

諦めを通り越して笑いに転じる、なんと諧謔に富んだ文章ではありませんか。これは流行真っ最中の安政6年8月に発行されたものです。
最終的に京都における死者は洛中1,869人、洛外835人との記録があります。

そのころ大阪では緒方洪庵が治療に奔走しています。

「緒方洪庵像」

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「緒方洪庵像」 ~大阪府大阪市北浜3丁目 適塾

弘化2年(1845)現在も保存されている適塾の建物に転居、開業し、診療の傍ら医学教育と、種痘を広めることにも多忙な日々を送っていた洪庵も、コレラ禍に巻き込まれます。大阪でコレラが流行しだしたのは、安政5年8月。直ちに洪庵は洋書を調べ、コレラについての治療法が記載してある三書を選び出します。すなわちモストの「医家韻府」、コンラジの「病学各論」、カンスタットの「治療書」でこれらを抄訳、更に伝え聞いたポンペの治療法を比較検討します。

「虎狼痢治準」

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「虎狼痢治準」 ~復刊本 著者蔵

更に自分の治療経験を踏まえ、ポンペの治療法により供給が追い付かなくなっているうえ、病期の進行状況では却って危険であるとしてキニーネの濫用を戒めます。こうした内容を同月中には「虎狼痢治準」にまとめて100部を刊行、治療に当たる医師に無料で配布します。

「虎狼痢治準」

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「虎狼痢治準」 ~復刊本 著者蔵

洪庵の治療法で優れているのは、一辺倒に同じ治療を行うのではなく、患者の病態をよく見極め、状況に応じた治療を施すとした点、塩類の静脈注射を採用した点、さらに薬に頼らず、体を温めたり、温湯、米の煮汁(重湯のこと?)や、コーヒーを与えるなど、看護法についても言及している点です。

「虎狼痢治準」
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「虎狼痢治準」 ~復刊本 著者蔵

長崎に始まった流行は、大阪、京都を経て東海道または中山道を伝わって東上したと考えられていましたが、参勤交代の宿地毎に飛び火的に、あるいは廻船の寄港地に侵入し、その周辺に広がった可能性も否定できません。
次回はそのあたりの謎に迫ります。


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海の見る夢 №4 [雑木林の四季]

April in Paris

                                          澁澤京子

 昔、犬の散歩の途中、しゃがんで犬のウンチをビニール袋に入れようとしていたときの事だった。「なんてかわいいワンちゃんかしら!」と上の方で声がして、見ると目の前には一部破れのある網タイツにハイヒールを履いた足が見える。見上げるとジーンズの短パンを履いた年配のゲイのおじさんがこちらを見下ろしていた。おじさんの顎にはうっすらと髭が生えていた。
「ねえ、ワンちゃん触ってもいい?」
「どうぞ、どうぞ。」家族以外の人にはめったに慣れないうちの犬が珍しくしっぽをふって歓迎しているではないか。

「あたしねえ、犬が好きでとっても飼いたいのね・・でもあたしの住んでるアパートは犬飼えないし夜はお仕事があるしょう・・」やがて、人懐こい彼女?は私と犬と一緒に歩き始めた。子供の時から動物が好きだったのだとか、いろいろな話をはじめておしゃべりがなかなかとまらない。おしゃべりが止まらないところが女っぽい。やがて商店街に出て人通りが増えてくると、前から歩いてくる人たちの視線が、まず一斉に私の隣を歩いている彼女に釘づけになり、それから私を見る。一方、並んで歩いている私には彼女の短パンと大胆な網タイツ姿は見えないし、第一、話しているうちに彼女が繊細なさびしがり屋であることがなんとなくわかってきたので、彼女に対する違和感はまったくなかった。

「あたしはね、昔、パリに住んでたことがあるのよ。」と彼女は話し始めた。
「まあ、素敵。」
「・・すごく楽しかったわよ・・あたしはパリが好き。できれば、もう一度行きたいわ・・春のパリってすごくいいのよ、お花がたくさんあって・・」
「・・いいわねえ・・」
恋人がフランス人だったのか、あるいは恋人と一緒に一時期パリに住んでいたことがあるのだろう。パリだったらこんな風に好奇の目で人からじろじろ見られることもなかったのじゃないだろうか?それから彼女は商店街で私の買い物に付き合ってくれて、また一緒に戻ってきてからようやく私の家の近くで別れた。まだ私とおしゃべりをしたそうだったけど、その頃子供が小さくて、私は急いで夕食の支度をしなくてはならない忙しい主婦だったのだ・・またこの辺でばったり会ったらおしゃべりしようね、と約束してから別れた。その後、夕方の同じ時刻に何度も犬を連れてその近辺を歩きまわったけど、彼女とはもう二度と会えなかった。

『チョコレートドーナツ』という映画を観て、その彼女の事を思い出した。捨て子のダウン症児を引き取って育てたというゲイの実話をもとにした話。映画ではゲイであるために親権を獲得することができず、法に訴えるが負けてそのために悲劇が起きる。
主人公のマルコを演じた子供がとても可愛い、子供を引き取って育てるクラブ歌手のゲイ役のアラン・カミングという俳優の優しく温かな感じもよくて、ゲイであるというだけで世間の偏見と差別に傷つけられているクラブ歌手が、障害を持った無垢な少年に癒されていく過程がじわじわと伝わってきて、二人の交流がとてもいい。

この映画を観ると、常識や偏見を振り回す世間一般の人々の狂気と暴力が逆に浮き彫りにされ、実際は誰がまともで誰がまともでないのか、とても考えさせられる。(頭の堅い人ほど自分が常識的でまともであることを信じて疑わないのだ・・・)

ホーソンの『緋文字』は私生児を生んだだけで額に焼印を押され村八分になって生活する女性の悲劇だったけど(アメリカの田舎町で起こった実話を元にした小説)こういった差別と排除は形を変えて続いていくのかもしれない、誰かを非難することが、自分は道徳的でまともであるという安心感につながり、誰かを非難したり排除することで人と団結する(国家は意図的に仮想敵をつくることで偽の団結を図ろうとする)・・信頼のない、バラバラの人間関係ではこういった仮想敵による絆しか持てなくなるのだろう。

同性愛に対する差別も、恐らく黒人差別・人種差別と同じように、これから何年たっても解決されることは難しいかもしれない。警官に取り押さえられて死亡した黒人の理不尽な事件はついこの間のことだったし、ビリー・ホリディの歌った「奇妙な果実」に見られるような人間の狂気は形を変えて続いていくのかもしれない。(その頃の、リンチで吊るされた黒人を囲んでお祭り騒ぎのアメリカ人の写真を見たことがある・・)

ようやくテレビから消えてくれたけど、白人至上主義で保守主義、女性蔑視、人種差別者のトランプを支持する人々はいまだに多い・・「お金がすべて」というわかりやすいイデオロギーも差別心も排外主義もトランプが堂々と正直に代弁してくれるからだろう。(マイケル・ムーアによるとその率直さが民衆に受けるところがヒトラーと似ているらしい)
トランプという人は(売上のためなら手段選ばず・弱者切り捨て)のアメリカ型自由経済の究極にはこういう人間が出来上がるという見本のような人じゃないだろうか。これを書いている今も、アメリカでのアジア人襲撃がニュースになっているけど、差別というものは誰かが先陣切って過激な発言をするとイモヅル式にあとからあとから湧いて出てくるものかもしれない・・

しかし、今アメリカで、グレタさんと同世代くらいの若い子たちが立ち上がり、銃規制問題や人種差別、政治や環境問題に積極的に取り組んでデモしたり発言したりしているのは、民主主義の健全さが保たれているようで実に頼もしい。

正義は時には暴力になりやすい。フランス革命がそうであったし、文革もルサンチマンによる残酷な暴力でしかなかった。国家の正義というものがただのプロパガンダで暴力でしかないのは、理不尽なイラク戦争があったことで私たちの記憶に新しい。しかし、ポストモダン以後の野放しの相対主義(正義の相対性による基準の喪失)もまた暴力と差別の温床になっているだけじゃないだろうか。理性や判断力を喪失すれば、人は集団同調を起こしやすくなる、あるいは誰かを否定することが己のアイデンティティの確認になる、見せかけの平等社会では、自分の不安を弱者にぶつける人、誰かを見下すことでかろうじて自分の優越感を維持しようとする人が多くなるだけで、こういった差別と暴力はなかなか根絶できないのかもしれない。普遍や理念を喪失すれば、自分を計るモノサシは常に他人との比較だけ。何の目的も考えも持たず、自己保身と他人より優位に立つことだけが唯一の目的の、不毛な競争社会になるのかもしれない。

差別を問題にすると必ず出てくるのが「偽善者」という批判であって、確かに人には個人的な好き嫌いはある。しかし、差別となると単なる社会的な、あるいは教育や文化の刷り込みでしかないのではないだろうか?もちろん個人の好き嫌いも、取り巻く文化や周囲からの刷り込みであることは多いが・・大切なのは自分がどういう偏り、価値観を持っているのか、自分自身を客観的に見る視点を持つことなのかもしれない。

頭のいい人ほど、物事や人に対して(先入観抜きの)白紙で向かうことができて、それゆえ的確に対象を理解できるように、明晰で洞察のある人ほど、こういった差別や偏見、思い込みから自由になれる人が多いような気がする。

『ヴィクトリア女王最後の秘密』は晩年のヴィクトリア女王とアブドゥルというインド人従僕との友情の実話をもとにした映画で、映画でインド人の青年アブドゥルは女王の信頼と寵愛を受けたために女王の周囲の宮廷の人間や貴族たちから大変な嫌がらせを受けるけど、実際インド人であるという理由だけでも、宮廷では差別や陰険な嫌がらせをずいぶんと受けたのだろう。(しかも、アブドゥルはイスラム教徒であった)しかし、ヴィクトリア女王はアブドゥルから素直にイスラム教の教えを聴いてその教えを尊重する・・アブドゥルを、なんとか実の息子や臣下たちの悪意や陰謀から守ろうとするヴィクトリア女王の毅然とした態度と、アブドゥルに対する変わらない愛情と信頼が心を打つ。

ロックフェラーの娘で男爵夫人だったニカも、そういった偏見や差別からは自由な一人で、セロニアス・モンクのパトロンとして面倒を見て、最後まで看取った。ある日、ラジオから流れてきたセロニアス・モンクのピアノを聴いて、天啓を受けたような気持ちになってそのままジャズにのめり込んだのだ。セロニアス・モンクのピアノって、荒々しいけど本質を摑んだ確かなデッサンみたいで、その魅力にとりこになった気持ちはわかる。(ニカはチャーリー・パーカーの最後も看取っている)

セロニアス・モンクはニカと一緒にアメリカ南部をドライブしていたときに、洗面所を借りただけで不審者扱いされて不当な逮捕をされる。(ニカの奔走によって無事に釈放されたが、ニカはそのために自分の実家とは縁を切ることになる)ヴィクトリア女王やニカのように、つまらない差別・偏見と闘う勇敢な人たちはいつの世にもいる。
しかし、差別といっても、トランプのような人種差別者を差別することは決して「差別」にはならないだろう・・そして、差別や偏見から自由だということは人の本質を見抜けるということなのかもしれない。それは臣下のお世辞や悪意ある告げ口など、腹黒い人々にとり囲まれたヴィクトリア女王が、たった一人のインド人の青年に正直さと真の友情を見つけたように。

結局、愛だけが人を本当に理解する鍵であるということを、『チョコレートドーナツ』のゲイの青年、そしてヴィクトリア女王とニカは教えてくれる。

セロニアス・モンクの『April in Paris』のピアノソロが好きだ。春の雨の降る静かな日に、じっと雨だれの音を聴いているようで、とても優しい気持ちになれるからだ。


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梟翁夜話 №84 [雑木林の四季]

「新Nボックス来たる」

           翻訳家  島村泰治

これはひたすら拘りの所為で、私奴(わたくしめ)は車はホンダと決めてゐる。宗一郎氏の一徹さとこの会社が作り出す車の面白さに惹かれて、帰国以来一貫してホンダの車に乗ってきた。

ほんのいっときは、乗り口の出っ張りが気に入ってビートルならぬフォルウスヴァーゲンに傾き、小粋なミニクーパーに惚れ込みもしたのだが、誰だかに誘はれて3ドアの初代アコードに試乗しておやと気が変わった。暫く乗ってみてくれとの誘いに乗せられて、この車にひと月タダ乗りしてすっかりホンダ贔屓になった。路面に吸い付く感覚が何ともいい。即座にブラウンのアコードを買い求めた。

あのブラウンの3ドアアコードが、私奴が乗った初めてのホンダ車、今では名車として殿堂入りのしてゐる車だ。それからシビック、インスパイア、レジェンド、キャパ、インサイトと乗り継ぎ、直近がNボックスとホンダ一辺倒だ。これが妙に肌身にあって何と十年乗り回し、まだいけるぞと買ひ替えは思っても見なかったのだが、店の巧みな売り込みもあり、昨今のIT化で安全機能が進んでゐることに愚妻の目が眩んで、急に替へることになった。

そして決めた新車が新モデルのNボックス。

その納車が決まり今日、三月十四日、二人揃って店に出向いた。折角の買ひ替えなら他の車種をといふ想ひは毛も浮かばなかったところが粋とは思われぬか。このNボックスといふ車、いま軽自動車市場を席巻してをり、他社が似非車を作って追随するほどの人気だ。ホンダ車特有の視界の広さ、ハンドルの操作性が抜群なことからこれは当然、糅(か)てて加えてわが家の主席運転手である愚妻が、この車をいたく気に入っていることが何よりなのだ。

思へば、私奴の運転歴は延べ五十年、在京時代も電車は乗らず車一辺倒の生活で、隅田川の東こそ疎いが東京を隈なく乗り回し、なお貰ひ事故以外は事故なしの名伯楽ぶりだったが、寄る何とやら、この数年はハンドルを握ることがめっきり減ってゐる。それと言ふのも、生まれつき車好きの愚妻が、これ幸いと運転席を乗っ取ったからだ。

半世紀も車を転がしてゐれば、助手席に踏ん反り返ってゐれば何処へでも行けるのは、これ将に贅沢。味を占めれば止められない。そんなこんなで、わが家の運輸大臣は外務、大倉を兼務する愚妻で、私奴はいまや浮世離れの境地、どうせITまみれのこの新車は手に負へまいと観念してゐる。

この新Nボックス、見れば何とも優雅なメタリックな深緑色、我らの齢相応に落ち着きがあり、乗れば十年の差は明らか、居住性は抜群だ。センシングがどうの、オートクルーズはかうなってゐるなど、新装の装備を確認しつつ驚き喜ぶ愚妻をみれば、これはなかなかよき買い物をした、と実感しきり。

ことと次第によっては、私奴の運転歴も程なく終焉することになるやも知れぬ。IT重装備の新Nボックスを操って愚妻の運転技能がさらに冴へ、私奴は事もなく助手席生活を全うできれば、それはそれでよし、とせねばなるまい。




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検証 公団居住60年 №76 [雑木林の四季]

ⅩⅢ 独立行政法人化して都市再生機構に改組

 
    国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

 4.公団住宅「改革」と公共住宅制度の破壊

 国土交通省は閣議決定にもとづく法案作成を急ぎ、2002年7月には、03年の法案提出、公団廃止を1年早め04年7月の都市再生機構設立の意向を固めた。都市公団は03年4月からの第7次家賃値上げを発表した。
 小泉構造改革が真っ先にねらったのが公団住宅制度と住宅金融公庫の廃止であり、わが国公共住宅政策の解体宣言であった。したがって、閣議決定にもとづく検討、新機構法案の作成をまつまでもなく、ただちに実施に移され、2002年度の住宅予算にあらわれた。04年の都市再生機構、05年の住宅金融支援機構の設立につづき、住宅政策体系の大転換を期する06年の住生活基本法の成立にむかう小泉路線の方向を見定めるうえで、02年当時の住宅予算、郡市公団の事業、地方自治体(東京都)の住宅行政の特徴をみておく必要が
ある。

 住宅予算の大幅削減
 2002年度の国の住宅予算(当初)を前年度対比でみる。住宅対策費(住宅金融公庫をのぞく)は国費9,278億円、10%減、事業費は1兆7,901億円、22%減と大きく削減している。うち公営住宅等は国費3,739億円、11%減、事業費8,312億円、12%減。とくに都市公団の予算減は際立ち、国費(出資金)は136億円、27%減、補助金・補給金は02年度からゼロ、事業(居住環境整備)費は5,064億円と25%も削られている。このうちの住宅整備計画の内訳をみると、その特徴がはっきりする。
 住宅整備費4,067億円のうち、公団賃貸住宅に8,500戸分、2,181億円、再開発関連住宅に2,500戸分、1,741億円をあてる。前年度にくらべると、賃貸住宅は4,200戸減、予算は1,808億円減、じつに45.3%の減である。再開発関連は2,500戸と変わらず、しかも予算は805億円増、85.9%もの増額である。1戸当たり額で新たな再開発関連には2・6倍もの予算計上である。施設整備は事業費が半減、予算も68・3%減となり、団地内施設の衰退がいっそう懸念された。
 公団事業予算が17.6%減のなかで、居住環境整備は25%減と大きく、都市整備は7.6%減にとどめたのにたいし、土地有効利用の35・1%増が目につく。
 ここで国の住宅対策費(国費)の推移をみておくと、橋本内閣が終わる1998年度は1兆6,714億円(歳出予算総額に占める比率は1・90%)、以降年々実額、比率ともに下落しつづけ、とくに小泉内閣2年目の2002年度9,799億円(1.17%)を境に急落して、最後の2006年度には7,179億円(0・9%)へと削減されている。ちなみに、住生活基本法が制定されて後の10年度は2,017億円(0.22%)、15年度1,527億円(0・15%)である021世紀の15年間に国の住宅対策費は、なんと10分の1以下への大激減が現実である。公共住宅政策は撤退にもひとしい。

 公団事業の変質と「都市再生」への暴走
 郡市公団「改革」は、「特殊法人等整理合理化計画」の閣議決定を先どりして進められ、2003年度予算概算要求にすでに具体的な姿をあらわした。2、000年3月に策定したばかりの「中長期業務運営方針」も01年に大幅改定するとともに、「ストック再生・活用計画」(2001~05年度)を作成した。改定方針は、公団業務の基本に「構造改革の重要課題の一つである都市再生に貢献」を打ちだし、業務内容として、①「市街地の整備改善」、②「賃貸住宅の供給および管理」をあげた。ストック再生・活用計画では5年間に4万戸着手、3万戸の建て替えのほか、新たに「トータルリニューアル」をかかげた。棟単位に全世帯の明け渡しをもとめて大規模改修をする検討にはいったが、結果として実現をみることはなかった。
 「都市再生」は小泉構造改革の目玉の一つである。小泉内閣は発足するとすぐ、01年用に首相を本部長とする都市再生本部を設置し、牧野徹が都市公団総裁をやめ、首相補佐官として担当した。小泉政権のもとで23の「21世紀型都市再生プロジェクト」が指定された。環状道路をはりめぐらし、空港をひろげ、都市部に超高層ビルをどんどん建設していこうという計画である。このうち第3次決定(01年12月)は、「公共賃貸住宅約300万戸について今後10年間の建替え、改修、用途廃止等の活用計画」を2002年度中に策定するよう求めた。
 従来型のばらまき型公共事業には国民の批判が高まっていた。「効率化・重点化」と称して形をかえた大都市集中の公共事業であり、ねらいは局地的なバブルの再現であった。02年に都市再生特別措置法を成立させ、都市再開発法等を改正した。この法律で「都市再生特別地区」「緊急整備地域」に指定されると、日照権や容積率などほとんどの規制がはずされ、都市開発が民間企業に丸投げされ、住民を追い出しやすくする仕組みがつくられた。都市公団が実施する市街地再開発事業も、一部は「緊急整備地域」の指定をうけ、都市再生の実現にふみだしていた。
 東京では超高層ビルの建設ラッシュとなり、早くもオフィス「バブル」の崩壊がいわれていた。ヒートアイランド現象、学校も公共施設も近くにないマンション建設など住宅環境の破壊は深刻になっていた。住民にとってコミュニティがこわされ、再開発事業から追い出され、あとに「再生」される地域が人間の住み働く生活空間になるのか。

 地方自治体の住宅行政の後退
 住宅「問題」は一般的に、利潤を求めて資本が集中する大都市に固有の問題であり、住宅確保を住民各自の「自助努力」に負わせるのは欺瞞もはなはだしく、住民の身近な守り手であるべき地方自治体の役割と責任は大きい。2001年にはいっての東京都の住宅行政の現状をみておく。
 東京都は01年5月の「住宅政策ビッグバーン」答申にもとづく形で「東京都住宅マスタープラン」(第3次)を作成した。時代状況の変化を理由に、市場の活用(住宅供給は民間が基本)、ストック活用(新規建設をやめ、既存住宅の建て替え・活用に重点)、既成制度の見直し(都営住宅制度の抜本改革)を柱にした政策転換を提言し、市場原理万能主義と行政の役割縮小論をとなえた。
 東京の持ち家率は41.5%、借家が全住宅数の55.6%をしめる(全国平均60.5%、38.1%)。居住面積は狭く、最低居住水準に満たない世帯は、民営借主では19.3%、公的借家で17.4%あり、住居費負担率も高く(民間借家で22..8%)、いずれの点でも全国最悪である(1998年住宅・土地統計調査)。都営仕宅への応募倍率に都民の切実な住宅要求があらわれている。空き家募集で10倍以上、新築では30倍以上、50倍、200倍の例もみられる。石原慎太郎郁政が新規建設ゼロをきめた2000年以降、この倍率は上がりつづけている。これにたいし東京都は、都営住宅の絶対量の不足はそのままに、「不公平感」をなくす名目で収入基準を引き下げ、入居を期限つきにするなど、重大な制叱改悪にのりだした。
 都営住宅を民設・民営方式に移行していく。都営住宅とその敷地(1,900ha)を有民間市場に放出する。期限つき入居制度の導入、入居にあたり課税所得以外こ資産調査、使用承継制度の見直しなど、都営住宅制度の改悪をはかり、公営住宅法のさらなる改悪をうながした。行政組織の上でも、02年度から都営住宅の管理業務を住宅供給公社に全面的に委託を拡大し、建設・管理に「経営的視点の強化等が可能となる」特別会計を導入するはか、住宅局の再編をすすめた(04年4月に住宅局を廃止、都市整備局に再編した)。

『検証 公団居住60年』 東信堂


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私の中の一期一会 №233 [雑木林の四季]

      世界の111か国でコロナ変異種が流行、それでも東京五輪を強行するのか
      ~国民の80%が五輪開催反対なのに、海外の観客なしでも開催に拘る~

      アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 男子プロゴルフの世界ランク1位、ダスティン・ジョンソン(米)が13日、東京五輪が開催されても参加しない意向を示したとゴルフダイジェスト・オンラインが伝えた。
 五輪のゴルフ男子大会は7月29日からの予定だが、「PGAの大きな大会の中間に五輪大会がある。日程が複雑だし、酷暑の中の移動は容易ではない」と言うのが欠場の理由である。
 言われてみれば、確かに大変だなと思う。
 全英オープンの11日後に五輪大会があり、五輪の翌週が世界選手権シリーズのセント・ジュード招待というスケジュールになっているからだ。
 PGAツアーを優先させるためにアメリカ代表を辞退することにしたと述べている。
 D・ジョンソンは2016年のリオデジャネイロ五輪でも代表を辞退しているが、あの時は現地の〝ジカ熱”への心配があり、健康上の理由からだった。
 今回もコロナ不安が一番の理由なのかと思ったがそうではではないらしい。まあ本当のところは分からないが・・・
  今月25日に福島県相馬市から聖火リレーがスタートするようだが、ランナーとして参加する筈だった著名人やタレントの辞退が、ここへきて相次いだ。
 歌手の五木ひろし、女優の常盤貴子、将棋の藤井聡太二冠、大相撲の大関正代など続々で、〝辞退ドミノ”が止まらないと報じたメディアもあった。
 2012年のロンドン・パラリンピック競泳の金メダリストで伊勢原市の秋山里奈さんも辞退した。
「五輪の開催に疑問がある」というのが辞退の理由であった。
 五輪から遠ざかる人が増えているというのに、政府やIOCは「絶対に開催する」という姿勢を変えていない。
 しかし、ホントに五輪を開催する自信なんてあるのだろうか?
 このほど大手広告代理店が緊急アンケートを実施した。
 テレビ視聴者(14歳以上)の男女900人ずつの合計1800人に、東京五輪の開催を支持するかどうかについて回答を求めた。
 年代にバラつきがあるが全体としては・・・
「積極的に開催を支持する」は7.5%で、無観客や一部開催などの「条件付き開催支持」が9.8%だった。両方を合わせても「開催を支持する」は20%にも満たない結果であった。
 一方で「開催に反対する」は70.3%に達しダントツに多かったのである。
「どちらとも言えない」が12.4%あったが、〝多くの国民はこの夏の五輪を望んでいない”ことが確かめられた。
 東京都は11日、335人の感染を発表した。前日と2日連続で300人を越えた。
 この時、ネットに「PCR拡充もダメ。ワクチンは遅い。変異株追跡はままならない。打つ手と言えば〝お願いCM”だけ。これじゃ第4波は防げない。五輪なんてこの政権にはとてもムリだ」という投稿があった。
 国民の多くがガース-政権に〝不信感”を抱き、〝不満満載”なのがネットを除いていると分かってくる。
 オリンピックを強行して、そのオリンピックが原因で更にコロナが蔓延したら、一体誰が責任を取るのだろうか?
 IOCは日本任せだろうから責任をとるかどうか分からない。
 政治家は任期切れで「俺は知らん」とソッポを向きそうだ。
 菅政権も「ご指摘はあたらない」とか何とか言ってウヤムヤにしそうではないか。
 誰も責任をとらない!・・それが安倍&菅政権の得意技だ。
 世界の111カ国で〝変異株が流行しているのが現状だ”そうだが、それでも五輪開催にこだわるなんて「日本はクレージーだ」と海外では呆れているだろう。
  21年7月23日に開会式予定の東京オリンピックまであと4カ月に迫っている今。首都圏のコロナ感染拡大は収まる気配が見えてこない。
  一時より感染のスピードは衰えたようにも見えるが、日本でも変異種による感染があちこちで確認されていて、楽観したくてもその根拠を見つけにくい状況が続いている。
 その中で、ガースー政権は、海外からの観客受け入れを見送る方向で五輪の調整に入った。
 五輪組織委の橋本聖子会長は、有観客での開催は「安全・安心が保たれる実感が国民になければ難しい」との見解を示し、観客の受け入れは3月25日までに決断を下すことに決めたと表明した。。
 英ロンドンタイムズ紙などは、リチャード・パリー編集長が「五輪大会は中止すべきだ」という厳しい主張を発信している。
 この夏、東京に海外から大勢のアスリートが集まるオリンピックは、コロナの感染を広げてしまう可能性がある。
 コロナ感染拡大のリスクは、日本だけでなく世界にとっても大き過ぎるリスクになると主張した。
「開催に向けて突き進む日本は、〝止められない暴走列車”に等しい。しかし、世界最大の都市で開く4週間のイベントは〝明白に中止すべき”である」と強調。
 ロンドンタイムズは1月にも、日本の政府与党の情報として政府が内密に〝東京五輪中止を決定した。2032年に東京五輪開催プランが水面下で進行中・・」という特ダネ記事を報じていた。
 日本政府は、この報道を直ちに否定したが、火のないところに煙は立たないから・・・
 また、米ワシントンポストは「海外からの観客は禁じられる可能性が高い。国内の観客も人数制限することになりそうだ」と伝えている。
 海外からの観客をシャットアウトする理由は「アスリートは合宿地や選手村の大部分で隔離されるだろうが、海外の観光客は東京周辺を出歩くだろう。外来変異種への感染不安は都民を脅えさせることになるのは必定」だからだ。
 安全・安心な大会を確かなものにするには、海外の観光客を入れないことが一番なのである。
 菅政権は五輪で訪れる100万人規模の観客のインバウンド効果を期待していた。
 GoToでも分かるように。ガ-ス―首相はインバウンドを経済の起爆剤にと目論んでいたに違いない。
 哀れ、その目論見は外れたことになる。
 首相は、五輪の安心・安全について何の対策も説明しないから、五輪はコロナ禍の今、安全‣安心を脅かすものと見られているかも知れない。
 ワクチン接種を義務づけても、ワクチンを打っていれば感染しないという保障はないのだ。
 ワクチンを接種していても感染することがあり、感染すれば他人に移す懸念もあるのだ。
 だからワクチンを接種した善意の感染源が、もしあちこちにいたら都民は溜まったものではない。
 日本を含めて世界がコロナウイルスの感染拡大と戦っている最中であり、多くの国がワクチンを手にしていない。
 次々に変異するウイルスに、五輪期間中なんて関係ない。
 今夏に、安全・安心の五輪を開催しようとすることには無理がある。
  無理なら、「中止する」しかない。



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浜田山通信 №285 [雑木林の四季]

もろい鉄筋コンクリート造

         ジャーナリスト  野村勝美

 我が家のマンション団地は京王井の頭線の浜田山駅から百メートル弱のところにあり、一棟が1階に3戸、2,3階で一戸が4戸の計7戸、メゾネットタイプという。広い敷地に10棟あり、 駅前からの中心通りの両側には商店街もある。築40年、去年の夏頃から大規模修繕工事が進んでいる。一棟すっぽり足場が組まれ、網目のシートがかぶさっている。壁面に飾られている煉瓦タイルがはがれたり、継ぎ目のセメントがボロボロになったので雨水が染み込んで台風の時など天井にまで入り込んでくる。
 セメント、コンクリートというものは実は弱いものだ。鉄筋コンクリート造は半永久的なものだとばかり思っていたが、たかだか40年だ。
 浜田山の駅から西永福寄りに7、80メートル行ったところにあるイイダヤという中堅スーパーのビル(2F)は、昭和60年定礎と金属板がはめこまれているからまだ36年しかたっていないが、家主は全面建て替えで3月末から一年数か月スーパーは休業する。 
 ヨーロッパの古い建物は、ローマで見た石造建築など30年ほど前に旅行した時、いまだに使用していると言っていた。石造と鉄筋コンクリート造は全然別物だ。ヨーロッパは地震もなく地盤がしっかりしているので、2000年前の、鉄筋なしの石造建物がどっしりと建っている。
 それにしてもコンクリートがこんなにもろいとは思わなかった。タワーマンションなどどうなるのだろう。まったく人間の作るものなどロクなものはない。その最悪な物は原爆だ。そして原発だ。フクシマはどうにも手をつけられないで、現状のまま凍結させておくしかない。原爆被害の生き証人だった関千枝子さんは中山士朗君との往復書簡を残して先立った。核廃絶を訴え続けた関さんは、早大露文科卒の私と中山君の一つ年下で、毎日新聞でも一年下の入社だった。私は会社が倒産の危機に陥ったとき、肩叩きにあって退社したが、関さんはミッチーブームの取材の後退社している。彼女との繋がりは、それだけではない。『県立広島第二高女二年西組』は筑摩書房から出版されたのだが、その時の編集者は中川美智子さんというベストセラー作りの敏腕編集者だった。私は彼女と能、狂言、文明批評家として有名だった戸井田道三先生の所で知り合い、今も時折、おもしろそうな本があると推薦してもらっている。持ち込み原稿や無名の人の作品を取り上げるのは、編集者として頭の痛いところだが、『県立広島高女二年西組』が文庫となり、10刷ぐらいまで行ったのは筑摩書房のためにも良かった。私は関さんや中山君と比べると、文章といい論旨といい、ボヤけたものしか書いてこなかったので、恥じ入るばかりだ。ことしの関さんからの年賀状に「浜田山通信、怒っていますね。楽しみに読んでいます」と添え書きがあった。情けない一年先輩へのシッタ激励だった。中山君との往復書簡、実にみごとなものです。もっともっと多くの人にすすめてください。      

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BS-TBS番組情報 №230 [雑木林の四季]

BS-TBS 2021年3月のおすすめ番組(下)

                          BS-TBS広報宣伝部

脇道ヒミツのお楽しみ 盲腸線の旅

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2021年3月20日(土)よる11:00~12:00

☆大路線とは違う独自の魅力がある「盲腸線」の旅!

出演:西村和彦、山口智充

運行する距離が短く、起点・終点が他の路線に接続していない“行き止まり”の路線「盲腸線」。日本には現在、280路線ほど存在しているというが、大路線とは違う独自の魅力があり、鉄道ファンの間で盛り上がりを見せている。
番組では、全国の盲腸線で行き止まり駅まで向かう。枝分かれした路線だからこそ育まれた文化や、そこでしか見られない風景と出会い、紹介していく。

笑い!涙!感動! 博多大吉の追跡!投書物語

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2021年3月28日(日)ひる12:00~12:54

☆「投書」にまつわる心温まる物語をお届けします。

出演:博多大吉

TV、新聞、ラジオ、雑誌...。
古今東西ありとあらゆるメディアの片隅にそっと存在し続けてきた“投書コーナー”。
投書に綴られているのは、「人生の一大事」から「日常のふとした疑問や悩み」、ときには「社会への問題提起」まで、いま人々が感じている率直な気持ち、日常生活での「気づき」や「教訓」が、投書コーナーにはあふれています。
番組では気になる投書を紹介し、投書したご本人にも取材。
いったいどんな人が、どんな思いで投書をしていたのか...。
さらに気になる投書の“その後”まで。
心温まる時間を届けます。

ゴルフ3キングダム春の大感謝SP
男子vs女子vsシニア プロNo.1決定戦Ⅱ

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2021年3月28日(日)夕方5:00~6:54

☆ゴルフ界を代表するスター選手が夢の共演を果たす第2弾!男子、女子、シニアのプロゴルファーがチームを結成して対決。プロNo.1の称号はどのチームに?!

【男子プロチーム】矢野東プロ、塚田陽亮プロ、塩見好輝プロ <応援団長:レッド吉田(TIM)>
【女子プロチーム】金田久美子プロ、永井花奈プロ、北田瑠衣プロ <MC・応援団長:コカドケンタロウ(ロッチ)>
【シニアプロチーム】深堀圭一郎プロ、田中秀道プロ、桑原克典プロ <応援団長:芹澤信雄プロ>

解説:菊地智哉(「月刊ゴルフダイジェスト」編集長)

ゴルフ界を代表するスター選手が夢の共演!賞金100万円をかけて、男子、女子、シニアのプロゴルファーが3人1組のチーム戦で対決します。
男子プロチームはツアー3勝の矢野東、国内メジャー勝者の塚田陽亮、若手の塩見好輝。

女子プロチームは美女ゴルファー金田久美子、シード選手の永井花奈、初代女子ワールドカップチャンピオン北田瑠衣が参戦。
そしてシニアチームは、国内メジャーを含むツアー8勝をあげた深堀圭一郎、USPGAでも戦った田中秀道、日本プロマッチプレーを勝った桑原克典。
普段は個人で戦う選手たちがチームを組んでどう戦うのか。プロならではスーパーショットはもちろん、選手同士の作戦会議やラウンド中のトークも必見。
トップアスリートの楽しくも熱い戦いをご覧ください!





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バルタンの呟き №93 [雑木林の四季]

「九官鳥」を知っていますか?

               映画監督  飯島敏宏

 「九官鳥?」ご存じない方が殆どでしょう。近頃、全くお目にかかることがなくなってしまった、忘れられた鳥、ですから。ちなみに手元の辞書(広辞苑)を引くと、スズメ目ムクドリ科、全身が黒紫色、嘴はオレンジ、全長約30センチメートル、巧みに人語や物音を真似る。とあります。戦前、つまり、今から76年以上前の都会の街々では、あちこちの家や遊園地に吊り下げられた鳥籠の中で、人々から掛けられた声や歌を、見事に似た声色で鳴き返してみせる鳥だったのです。僕の通った小学校の、小使室(常勤用務員の部屋)の軒先にもその鳥籠が吊り下がっていて、行き帰りに声を掛けたりしたものです。クラス一番のおどけ者のBちゃんなどは、当時人気の喜劇俳優高瀬実の声色で「ワシャかーなわんよ!」なんて声を掛けたものですが、見事な声色と抑揚で、「ワシャかーなわんよ!」と返したものです。
 九官鳥と聞いて、すぐに思い当たる方は、恐らく、超高齢の方々で、「それは、鸚鵡(オウム)と、違うの?」と思われるのが大方の人、すでに鸚鵡の物まねさえ、若い人たちには忘れられてしまっているかもしれません。
   鸚鵡返しという言葉があります。相手の言ったことを、そのまま真似て言い返すことで、歌舞伎には、名台詞を書きぬいた鸚鵡石というものもあるらしい(広辞苑)のですが、それでも、良くお分かりにならなければ、ぜひ、最近の国会中継をご覧になって、閣僚や、官僚の方々の答弁をお聞きになれば、直ちに、納得がいきます。官僚が作った文章や、上司の答弁をまるで鸚鵡のように、そっくりそのまま読み上げて答弁する、あれです。昨今は、鸚鵡はいても、なかなか九官鳥にはお目にかかれないのですが・・・
 ところで、昭和一桁生まれの僕ら昭和の子は、どこかで九官鳥や、鸚鵡に出逢うと、必ずと言っていいほど、大きな声で、「オターケサーン!」と呼びかけて、「オターケサーン!」と、そっくり真似て鳴き返すのを期待したものです。なぜ「オタケサン」なのかは、知りませんが、察すると、多分、当時は、どの家庭にもざらにいた女中さん(行儀見習いのお手伝いさんの差別語)にたけという名が多かったのでしょう。それに続けて、「オバーカさん!」とやると、「オバーカさん!」と返ってきて、周りにいた人も、一緒になって笑うのです。
 国会答弁だけではなく、与論という大きな声が、ジェンダー、と言ったとたんに、大臣から官僚から委員会から、地方選の立候補者まで一斉に女性になってしまうのも、ちょっと鸚鵡返しと言った感じがするのですが。
 ところが、僕、バルタンは、鸚鵡はそうであっても、九官鳥は、ちょっと違うと申し上げたいのです。なるほど九官鳥も「オターケサーン!」と言えば、鸚鵡に負けないほどそっくりの声で「オターケサーン!」と鳴き返しては来るものの、九官鳥からは、なぜか一筋縄ではいかない感じを受けるのです。体形が、鸚鵡のように円くなく、カラスに似て瘦せ身で黒く、体色と極端に対比的な黄色い嘴も尖っていて、奥まった目には、何かの思いが潜んでいる気がするのです。この鳥が名付けられた「九官」の由来は、中国の、舜の時代に定められた九つの官の総称で、政、法、農から、汎く音曲に至る万事を司る万能という意味ですから、この鳥を、九官と名付けたのは、この鳥が、よほど巧みに人語や物音、音曲を真似たからではないでしょうか。鸚鵡には申し訳ありませんが、「オターケサーン!」と返して、あとは黙りこくって褒美に貰った豆粒を噛んだりしている鸚鵡と違って、九官鳥は、声を掛けた僕らが立ち去った後に、自分本来の持つ美しい声を思い切り大きな声で鳴くのではないか、という気がするのです。ひょっとすると、中国からやってきたこのムクドリ科の真似上手な鳥を九官鳥と名付けた人は、その声を、九官鳥が自分自身の美しい声で鳴くのを聞きつけたからこそ、この鳥の名に九官と冠したのではないか、と。
 西暦2021令和三年の今年、コロナ騒ぎと、過剰な経済競争、民族と宗教、気象変動・・・全地球が揺れています。地上、海上はおろか、宇宙にまで戦争が広がろうとしている事実に、気づかなければならない時なのです。
米英撃滅!一億一心火の玉だ!本土決戦!一人一殺!ラジオも、映画も、絵画も、文学も、歌も、ポスターも、全      国民が声をそろえて、軍国主義政権の呼びかけを、鸚鵡返しに叫んで、滅亡への道を突き進んで行きました。後方からは自国軍の銃剣で追い立てられ、上陸した連合国軍の火炎放射器と連発銃に、無手で立ち向かって殲滅された沖縄戦線の一般人、あるいは、現在も引き続いているミャンマー国軍が自国同朋の市民を無差別無容赦に撃ち殺す映像を見るたびに、もし、75年前のあの時、少年戦士として教育され、洗脳されたぼくら少国民が、鸚鵡のように声をそろえて竹やり、火叩き、鳶口で、上陸した連続速射砲や連射拳銃で装備された兵士や、陸揚げされた装甲車、戦車の火砲の掃討射撃に立ち向かっていたら・・・当然、僕の一生は終わっていました。
 鸚鵡のように、自国繁栄の為に戦争をいとわない国々と同じように鳴き返していては、危険なのです。覇権を争う戦争は、今も、身近にあります。今こそ、決して戦争をしないと誓ったわが国は、叡知を絞って、双方に非戦を説く道を選択する時ではないでしょうか。それこそが、先の首相が称え、現内閣が継承したいわゆる積極的平和主義の真髄ではないでしょうか。今こそ、宇宙にまで戦争を持ち込もうとしている今こそ、九官鳥は、自分の声で、高らかに鳴かなくてはならないのだと・・・


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医史跡を巡る旅 №85 [雑木林の四季]

江戸のコレラ~パンデミック・パニック 序章

           保健衛生監視員  小川 優

延長された緊急宣言の期限まで、あと1週間。数値的には一進一退、否、むしろ反転劣勢の状況にあります。一番の懸念は、変異株の感染増加です。
3月3日に国立感染症研究所が発表した「感染・伝搬性の増加や抗原性の変化が懸念される新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の新規変異株について(第7報)」によると、「VOC(Variants of Concern;懸念される変異株)はウイルスの感染・伝搬性が増加している可能性があることから、主流株としてまん延した場合には、従来と同様の対策では、これまで以上の患者数や重症者数の増加につながり、医療・公衆衛生体制を急速に圧迫する恐れがある」としています。
懸念される変異株としては現在、英国で最初に検出されたVOC-202012/01、南アフリカで最初に検出された501Y.V2、ブラジルからの帰国者において日本で最初に検出された501Y.V3の3つのタイプが注目されています。
イギリスから広まった変異株については、ジョンソン首相が、感染力が最大70パーセント高いと発言している通り、一人の感染者から何人に感染するかを数値化した実効再生産数が、従来のタイプより0.52から0.72高いといわれます。現在までの日本国内の状況では最大で1.5程度とされますから、この数値が2を超えることとなります。つまり、今までは1人の感染者が1.5人に感染させていたのが、2人以上に感染させることとなりますから、倍々ゲームで感染者が増えることとなります。
南アフリカ型、ブラジル型は、イギリス型同様、感染力が強まっている恐れがあるほか、中和抗体からの逃避性が高い、つまり従来型に感染した後でも、再感染を阻止する力がうまく効かない可能性が指摘されています。これはワクチンの効果を左右することともなります。
問題の国内のVOCの状況ですが、新規変異株症例情報(2月26日現在)と感染症発生届(3月8日現在)のデータによると、国内症例158例、検疫症例49例となっています。内訳は国内症例で英国株152例(96パーセント)、南アフリカ株4例(3パーセント)、ブラジル株2例(1パーセント)であり、国内症例において渡航歴ありは6パーセント、渡航歴無しは94パーセントでした。つまりこれらの変異株がすでに国内に入り込み、感染増加の経過が見られるということを示しています。
緊急事態宣言解除については単に数値だけではなく、こうした状況を見極める必要があり、解除後日をおかずに再発令するような事態を避けなければなりません。

あだしごとはさておき。
83号から始まった江戸のコレラ騒動記ですが、未知の新感染症という意味で現在の新型コロナウイルス感染症に通じるところがあり、当時の為政者の対応、民衆の動向など、今と対比することもできそうですので、もう少し詳しく書きたくなりました。
すでに掲載し始めた記事がありますが再編成し、お届けしたいと思います。

今現在、国内ではコレラは恐ろしい伝染病という認識はありません。もちろんワクチンをはじめとする予防法、経口補水および輸液などの治療法の確立という効果が大きいですが、むしろ公衆衛生上の観点、つまり下水道の完備という社会環境の整備により、爆発的に感染が広がる懸念がなくなったことが大きいといえます。
社会的インフラが確立していないアジア、アフリカを中心に世界では今でも毎年数百万人(最大推定430万人)が感染し、数万人(同14万人)が亡くなっています。特に幼児・小児における感染と死亡率の高さは問題で、コレラ感染と確定されない潜在的な感染者、死亡者が多数いることが懸念されています。
コレラの主症状は下痢です。学生時代、「米のとぎ汁状の下痢をみたら、コレラを疑え」と教わりましたが、まさにその通りです。下痢は1日数十回痛みを伴わず、まさにシャーという感じで、1日当たり数~10リットル、時に数十リットルを排出します。下痢により水分と共に電解質を喪失するため、脱水と同時にアシドーシスに至ります。外見上も、急激な脱水は皮膚の乾燥と弾力の消失、目が落ち込み、老人様の顔貌への変容(コレラ顔貌)、低カリウム血症による痙攣などを引き起こします。感染から発症まで数時間から数日、重症で効果的な治療がなされない場合は、発症当日あるいは数日中に死亡することもあります。なお現在日本で見られるのはほとんどエルトール菌といわれるもので、比較的症状が軽いのですが、古典コレラ菌あるいはアジア菌といわれるタイプが、上記のような重篤な症状を引き起こします。

「コレラ菌とコレラ病変」

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「コレラ菌とコレラ病変」 ~標本模型 筆者蔵

コレラが歴史の表舞台に出たのは、19世紀になってからです。もともとアジアの各地で散発的に発生していたと思われますが、1817年にベンガル地方のカルカッタ(現コルカタ)に端を発し、瞬く間にアジア全域からアフリカに広がり、1823年まで続きます。一地方病であったコレラが、瞬く間に世界に広まった理由の一つに、梅毒もそうですが帝国主義の台頭による植民地の拡張があります。イギリスは、1757年にフランスとのインド植民地化指導権をめぐる戦いに勝利し、東インド会社による土地支配を経て、自由貿易主義による貿易相手地域としてではなく、その土地と人間を収奪するという植民地支配に転換する途上にありました。インドで収奪された富はイギリス本国に運ばれ、そして本国から艦隊と軍隊が新たに植民地となった地域に派遣されました。こうして世界にコレラが広がりました。
これが1回目のコレラ・パンデミックと言われています。パンデミックの余波は当時鎖国中の日本にまで及びます。

文政5年(1822)、おそらく中国か朝鮮を介して対馬、下関あるいは長崎から侵入。萩、広島から関西方面に広がりました。初めて見る下痢を中心とした激烈な症状、急速な病状の悪化から死に至ることから、対馬では「見急」、豊後で「鉄砲」、芸州では「横病」、浪華の「三日コロリ」などと呼ばれました。
この時の流行では、萩城下で8月に死者は600人に近く、広島、大阪でも多くの感染者と死者を出しました。大阪では「千日の墓地に荼毘で附したもの二千八百三十一人に及び」との記録があります。昨年8月に梅田地区で再開発にあたり1,500体にも及ぶ人骨が出土した際には「墓地内の北側は石垣で区切られて一段低くなっており、土をかけたりしただけの埋葬や、穴に何人もまとめて入れた埋葬例が複数あった。発掘担当者は「疫病で一度に亡くなった人などが埋葬された区画かもしれない」と推測している」との報道もされており、先の記録を裏付けるものかもしれません。

「少彦名神社」

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「少彦名神社」 ~大阪府大阪市道修町 少彦名神社(2002年)

大阪道修町の少彦名神社の神農祭は、文政5年に大坂でコレラが流行した際に、薬種仲間が病除けの薬として「虎頭殺鬼雄黄圓」(ことうさっきうおうえん)という丸薬を作り、「神虎」(張子の虎)の御守と一緒に神前祈願の後施与したことに由来するといわれています(神社由来)。

「五葉笹と張り子の虎」

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「五葉笹と張り子の虎」 ~大阪府大阪市道修町 少彦名神社

明治時代になって薬事法が施行され医薬品が管理されるようになると、「虎頭殺鬼雄黄圓」を配布することが出来なくなりました。現在では五葉笹に張り子の虎と少彦名神社の御札をつけ、家内安全無病息災の御守として授与しています

「張り子の虎」

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「張り子の虎」 ~大阪府大阪市道修町 少彦名神社

やがて9月となり、気温の低下と共にコレラ感染の勢いが沈静化したため、東海地区を最後にそれ以上東上せず、東日本には広がりを見せなかったと考えられます。当時睨みを利かせていた箱根の関所も一役買ったのかもしれません。

2回目のパンデミックは1826年に始まり、アジア、アフリカばかりかヨーロッパ、南北アメリカまで広がりましたが、幸いにも日本には侵入せず、1837年まで続きます。フランスでは、ブルボン朝最後のシャルル10世がこのときコレラにり患して死亡しています。

3回目は1840年から1860年まで20年も続き、またも世界中で猛威を振るいます。アメリカでは第11代ポーク、第12代タイラーと、2人の大統領の命を奪ったほか、イギリスの首都ロンドンでは10,000人以上が亡くなります。このとき、ソホー地区のブロードストリートではわずか2週間で700人が死亡します。患者の発生に地域の偏りがあることに気が付いた医師のジョン・スノウは発生状況を綿密に調べて、一つの井戸に注目します。多くの反対をうけながらも井戸のポンプを使えなくしたところ、急速に同地区における感染は収束しました。後の調査で、その井戸の近くに患児のオムツを洗った水を捨てたことが、この地域における流行を引き起こしたことが判明します。これが科学的な疫学調査の始まりとされ、公衆衛生の礎となります。

この時のパンデミックは安政5年(1858)5月21日、日本にも侵入し、各地に大きな傷跡を残します。次回はその道筋を追います。


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海の見る夢 №3 [雑木林の四季]

       -明烏夢淡雪(あけがらすゆめのあわゆき)―

                澁澤京子

 宮城道雄のエッセイに、列車に乗ると隣の席に座ったお婆さんがずっと浄瑠璃節を口ずさんでいるということが書いてあって、明治時代には、今のポップスや歌謡曲をくちずさむ感覚で浄瑠璃を口ずさむ人がまだ結構いたらしい。芭蕉の俳句も、謡曲からとったものが多いらしく、謡曲の一節が当たり前のように頭の中にふっと浮かんでくる芭蕉の時代の日本人も、浄瑠璃の一節が自然に浮かんできて口ずさむ明治の日本人も、今の私たちと同じ日本人でありながら言語感覚も音楽に対する感受性も相当に違ったのでは?と思う。

外国映画を観ていると、会話の中によくシェークスピアだの詩の一節をすらっと引用したりするけど、教養というより音楽のように肉体化された言葉って、おそらくどの民族にもあるのであって、そうした連続している日本語の古典を私たち今の日本人は失ってしまったのじゃないだろうか?

私は文楽を観に行っても、横に出る字幕の映像を見ないと、途中で何を言ってるのかよくわからなくなる、というレベル。演者のせいではなく、あくまで私の教養のないのが原因。高校生の時、同級生のK子ちゃんと今はなき青山van99ホールに正蔵(8代目)を聴きに行きましたが、私には猫に小判だったと思う・・義太夫の故・住大夫の本によると、義太夫を語るにはまず大阪弁を学ぶことから始めないといけないらしい、ところが住大夫の孫世代になると、大阪で育ってもちゃんとした大阪弁を語ることができない、と言うことが書いてあった。古い文化を大切にする大阪でさえそうなのだから、東京の変わり方はもっとすごいだろう・・

子供の時、祖父に「最近の若い人は濁音の発音がなんだか汚いね。」と注意されたことがあった、「ガ」ではなく「グヮ」と鼻に抜けるような発音が正しい日本語なのだそうだ。そういえば昔の本を見るとルビは「グヮ」とふってある・・漱石の小説を読むと「料簡」だの「按配」だの、祖父は使っていたけどもう使われなくなった言葉がたくさん出てくる。
永井荷風によると東京の庶民は父親のことを「おとっつあん」母親のことを「おっかさん」と呼び、少し上流階級になると「お父(とと)様」「お母(かか)様」と呼んでいたのだそうだ。

「ボキャ貧」と自称する政治家がいたけど、明治期の日本人に比べると明らかに今の日本人の方が、古典の教養がないという意味では「ボキャ貧」なのかもしれない。

~春雨の 眠ればそよと起こされて 乱れそめにし浦里は~『明烏夢淡雪』

浄瑠璃と清元の区別もつかない私が(イヨー!という掛け声があるのが清元?)もっとも粋筋の音楽である新内節について語るのもおこがましいかもしれませんが・・

山田五十鈴と長谷川一夫の『鶴八鶴次郎』を観た。いつも芸のことで喧嘩しては別れ、やっと仲良くなったかと思うとまた芸のことで大喧嘩という新内節のコンビの話。芸にかけてはプライドのある二人、決して御互いに譲りあうことができない。二人とも幼ななじみで、子供の時から一緒に音楽を学んでというところがシューマンとクララのシューマン夫婦に似ている・・
『鶴八鶴次郎』では、喧嘩別れしているうちに鶴八(女)はパトロンと結婚してしまう。鶴八という最高の相棒を失った鶴次郎はどんどん落ちぶれて・・という切ない話。高田浩吉・淡島千景コンビの『鶴八鶴次郎』のほうは、最後のシーンの高田浩吉のダメ男ぶりが哀しく、一途な淡島千景がかわいいけど、こっちの方は、山田五十鈴がいかにも芸のたつ三味線弾きという感じがかっこよく、長谷川一夫と火花を散らして喧嘩するシーンや、喧嘩のきっかけになる男と女の間の微妙な心理と二人の意地の張り合いが迫力ある。長谷川一夫は落ちぶれても陽性で華があるせいか、あまり哀しいダメ男と言う感じがしないが、たとえ女に嫌われても女の身の上をそっと思いやるという男気がかっこいい。

『鶴八鶴次郎』の鶴次郎は、新内節の岡本文弥さんがモデルとされているらしい。岡本文弥さんは1895年、東京下谷生まれ。生まれた時はまだ樋口一葉が同じ町内に住んでいた・・その頃の下谷は自然が残っていてマムシがよく出て、根津のあたりにも何軒か遊郭があったらしい。最後の吉原で新内を流して歩いていると上からおひねりが飛んできて、それが桜の木の枝に引っかかりゆすって落として拾ったのだそうだ。桜の花びらがはらはらと・・まるで歌舞伎みたいではないですか・・呼ばれて三階に上がることもあり、多くはお客と遊女の恋のBGMとして新内節を唄ったのだそうだ。

岡本文弥さんのエッセイが文章がうまくてすごく面白いのは、俳句をたしなんでいるせいかもしれない。文章にも人柄の良さがにじみ出ていて、遠慮深く控えめで、他人に恥をかかせない洗練された気遣いがあり、決して開き直ったり、人を押しのけたり、人を見下すとか、図々しく人を利用することのできないデリケートな神経の持ち主で、弱気を助け権力には反抗する、と言う江戸っ子気質。そのため戦前からずいぶん警察には睨まれていたらしい。しかし、この人はどんな状況でもゆったりと構えることのできる、心のゆとりと遊びを持った洒脱な人だったのだろう。
幸田露伴が、どんなにお金がなくても楽しめるのが本当に教養のある人だというようなことを書いていたけど、そういう意味では岡本文弥さんは教養豊かな清貧の人なのかもしれない。

・・芸の上でも日常生活でも、それこそ自分の正体というものを摑んで、それに打ち込めたらこんな幸せはないでしょう。
・・身を捨てるとは、具体的には他人に尽くすことでありましょうか。
・・芸はある一線までは誰でも行きつくことができる。それを超えることはなかなか難しくそれを超える人はきわめて少ない。(中略)その一線を超えると風格が出てくる。芸には風格がなくてはいけない。
・・戦争中、新内は色っぽいものとしていち早く虐待されましたが、害毒は色っぽくないものの中のほうにこそあとからあとから生まれたようでありました・・ 『谷中寺町・私の四季』岡本文弥

岡本文弥さんのエッセイを読んでいると思わず抜き書きしたくなる箇所がたくさん出てくる。尊敬するのは世阿弥と芭蕉だそうです。人を見る目も鋭くて、粋の世界に身を置いていると、人を見抜く目も鋭くなってくるのだろう・・

・・「夜色楼台」です。ああと思わず唸りました。写真を買いましたが原作の濃淡が出ず、凄いほどの寂しさは伝わりません。それでもその写真を見ていると何といいますか、人生の深さに触れます。こんな新内が語れたらと地団太踏みたいような焦りさえ感じるのです・・

岡本文弥さんが「こんな新内が語りたい」と言う蕪村の「夜色楼台図」。夜の闇の中に、雪景色の京都の街並みがぽうっと白く浮かんでいる墨絵。夜汽車の中から、ぽつんと遠い家の灯りを眺めているような、何ともいえないさびしい感じがある。

花柳界に長い間身を置いていると、普通の人よりもずっと生きることの寂しさに敏感になるのかもしれない。恋とは切っても切り離せない世界だけに、生きることは夢のようなものだという感覚が普通の人よりもずっと強くなるのかもしれない。




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梟翁夜話 №83 [雑木林の四季]

「我かく生まれき」 

           翻訳家  島村泰治

えぐい見出しだが、俺はこうして生まれたと云ふ述懐のつもりだ。これには乙な切っ掛けがある。如何にも八十六年の歳月が滲む小さな桐箱がそれで、寸法はセンチなら5×8×1.5、手に取れば重みはなきが如く、繁々と眺めればじわっと齢の香がする。

それは小さいながら真面目な桐箱で、表面に金箔の文字が消え掛かってゐる。亡くなった母が「臍の緒があるはずだ」と、折に触れては話していたもので、ごく最近不図したことで見つかった。金箔は文字を探り見れば、上段一行「寿」と、下段に二行「御臍帯納」、「御産毛納」とあり、分娩直後に切り取った臍の緒と産毛のひと房を収めてある。

箱の裏は枠取りがあり、細かいデータが黒ペンで書き込んである。

出生地は東京蒲田出雲町とあるから、幼時の住まいとして覚えてゐる南六郷に引っ越す前の場所で生まれてゐたやうだ。「何男女」と云ふ枠には「長男」とある。何男女とはレトロな字並びだ。(実は三つ目の女の文字は薄れ過ぎて難読なことから判読)

父母の名前枠に「父名」「母名」とあるのも古めかしい。それぞれ廿八、廿四とあり、そうか、親たちにも二十(いや廿十)代があったのかと奇妙な感慨が走る。

続いてわが姓名、島村泰治が来て生年月日から時刻まで書き込まれてゐる。昭和十年二月十七日(戸籍上の二十六日は届出の遅れから)、午前十一時四十五分。何かの掛け違ひで、早朝「四時十五分」と思ってゐたのだが、分の四十五を聞き違ってゐたことがひょんなことで分かる。

さて、その後のデータが何とも言えず面白い。目方と背の高さが貫匁と尺寸で書き込まれてゐるのだ。それぞれ〇八貫四匁、一尺六寸五とあるのを手尺で計り、生まれたばかりの己の体付きを描いて悦に入った。

枠の最後は「扱者名」と云ふ、これもレトロな字面で今なら◯◯病院か。この欄には、大森、笠原としとある。畏れば助産婦、又の名を産婆、親しみを込めて「お産婆さん」の住所氏名が載ってゐる。記憶にもないこのお産婆さんにわが臍の緒を切られたのか、と、暫し思ひに沈んだ。

いよいよわが臍の緒らとの面会である。

自分の臍の緒など見たことがある訳も無し、産毛なども想像はできても、どんなものか見当もつかぬ。体液の滴る臓器が出るはずはないが、八十六年を経た自分の体の一部と云ふだけで、不思議な興奮を覚える。

箱の中は二つに仕切られ、それぞれ和紙で包んだものが入ってゐる。すっかり乾き切っており、体液云々の懸念はない。静かに開けると肌理の細かい別な和紙が絡まった包みがある。管状の組織が二重半ほど折り曲がってゐる。臍の緒だ。

「これが俺の臍の緒か。」

これがこう繋がって、などと妄想しつつ己が世に出た瞬間の空気を探った。産婆以外の人たちの姿を想像しながら、自分という個体の誕生を目撃する世間の有様をしきりに描いてみた。乾ききった臍の緒が、気無しかぴくりと動く。

もう一つの包みには、これも二重の和紙に包まれた茶色っぽいか細い毛がひとつまみ入ってゐる。首筋あたりから採ったものだろう、二、三センチほどが、さっくり切られて収まってゐる。

あれから八十六年、百まで生きるとしてあと十四年、思えば残り僅かだ。期して時の浪費はすまいぞ、の思ひに身を引き締める。


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検証 公団居住60年 №75 [雑木林の四季]

ⅩⅢ 独立行政法人化して都市再生機構に改組
 
    国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

 3.公団住宅売却・民営化に反対する公団自治協のたたかい

 閣議決定までの経過を、小泉首相が主導する改革推進事務局の提案と、これに「抵抗」をみせた官僚と政治家たちの動きに分けてたどってみる。その根底・背景には、全国の各団地自治会の結束したねばり強い活動をはじめ、国民共同の運動や世論があった。その反映が、国政舞台での「対立」や「妥協」となって現われ、政府「計画」が決められてくることを実感した。団地居住者の運動のもり上がりや世論の広がりこそが「矛盾」を露わにさせ、政治に動きをつくりだした。
 公団住宅についていえば、行革事務局は当初、ほぼ無条件に「新規建設は行わない」「既存住宅は順次売却する」方針をだしていたのにたいし、閣議決定では、「自ら土地を取得して」の建設は行わない、「居住の安定に配慮しつつ、入居者の同意を得た上で」売却に「努める」と、限定句を挿入せざるをえなかった。
 とはいえ、政府が基本方針として公団賃貸住宅の新規建設の中止をきめ、国民の居住不安をかえりみず貴重な国民資産である公団住宅の民間事業者への売却をうちだしたことは決定的に重大である。

 全国自治協は2001年6月30日、7月1日の両日、第28回定期総会をひらいた後、緊急に各自治会によびかけ、まず7月に小泉首相あて「公団賃貸住宅を公共住宅として存続させることを要請する」団地自治会の会長署名(243団地)を振出。9月11日には国会内で自治会代表者要請集会(参加87自治会150人)をひらいた。集会では朝日、NHK、TBSなどマスコミの取材をうけた。ニューヨークで同時多発テロのあった日である。その前後、地方自治協ごとに地元選出議員への要請をくりかえした。全国自治協代表は、内閣の行革推進事務局、国交省の都市公団監理官室、自民党ほか各党の政策担当者と恕談し積極的に意見をのべてきた。
 また各団地自治会は、9月、12月、翌年3月の地方議会にたいし「公共住宅としての存続」をもとめる意見書採択の陳情・請願にとりくみ、全国38議会から意見書、東京、埼玉、千葉、愛知、大阪、兵庫の9市長からは要望書が小泉首相ほか関係大臣、公団総裁に提出された。東京多摩では12市の市長から自治協機関紙にメッセージがよせられた。
 その間、各団地では「公団住宅の存続」「売却・民営化反対」と染めぬいたのぼり旗をはためかせ、宣伝学習活動をつよめた。住民の一一人ひとりが小泉首相と国会議員に万を数える要請のはがき・手紙を書いておくった。全国の団地で住まいの不安と怒りが高まるなかで全国統一行動を展開し、10月26日と12月7日の2次にわたって全国居住者総決起集会を東京・日本教育会館太ホールでひらき(参加154自治会837人、143自治会868人)、それぞれ約35万人の署名を提出し、行革推進事務局特殊法人等改革推進室、国交省住宅局、都市機構本社に要請をおこなった。集会には自民、民主、公明、共産、社民各党の国会議員が出席し、協力のあいさつに立った。
 小泉内閣が「特殊法人等整理合理化計画」を閣議決定した12月19日には、全国自治協はこれにたいする見解を発表した。またその前日の12月18日に全国自治協、日本住宅会議など住宅問題・住宅運動関係の10団体は、「国民の住まいを守る全国連絡会」(略称「住まい連」)を結成し、翌02年2月24日には緊急集会を東京・日本教育会館大ホールでひらき、931人が参加、会場から神田神保町の大通りを錦華公園までデモ行進をした。

 閣議決定にもとづき国交省は公団廃止・独法化法案づくりを急ぎ、公団は新法人設立準備にはいる一方、03年4月の第7次家賃値上げ実施にむけて動きだしていた。全国自治協は2002年6月22~23日の第29回定期総会で当面する活動方針を確認しあった。
 7月16日には全国団地自治会代表者集会をひらき、222団地13.7万世帯、32万人の署名を国交省に提出し、要請をおこなった。地方議会への意見書採択の陳情・請願、首長要望書の提出要請もつづけ、02年度にはいって新たに10市長、4市長会から小泉首相に要望書が送られた。政府の公団住宅廃止方針、公団の家賃値上げが居住者の生活不安をさらに深めるなか、9月におこなった全世帯対象の第6回全国団地生活アンケート調査結果(11月1日に発表)は、その後の活動の重要な場面で大きな役割をはたした。さらにまた12月5日の全国公団住宅居住者総決起集会にむけては全戸署名にとりくんだ。集会には各党代表も出席、会場いっぱいに148団地874人が参加した。代表団が220団地からよせられた約30万人の署名をそれぞれ都市公団総裁と国交大臣あてに提出し、集会参加者は九段下の公団本社玄関前に移動し、「本社前集会」をひらいた。

『検証 公団居住60年』 東信堂


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私の中の一期一会 №232 [雑木林の四季]

    総務省の接待スキャンダルに絡んだ山田真貴子内閣広報官は菅首相の守護神?
  ~首相記者会見で司会の山田広報官は、政権に批判的な社の記者は指名しないかも~
 
      アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 26日夕方、NHKテレビを見ていた人は首相官邸で始まった菅首相のぶら下がり会見を生中継で見ることになった。
 大阪、京都、兵庫、愛知、岐阜、福岡などの6府県では3月7日の期限を待たずに2月28日で緊急事態宣言を解除することに決まったことを説明するための会見が行われていた。
 ぶら下がり会見だからか・・何時も首相会見の進行役を務める山田真貴子広報官はその場にはいなかった。
 菅首相は1人で記者団と対峙していたのである。
「6府県では今月末をもって宣言を解除することに決めたが、引き続き緊張感をもって感染防止対策に全力をあげたい」と時々メモに目を落として、言葉を区切りながら発言していた。
 東京、神奈川、千葉、埼玉の首都圏については、「感染者は減っているが医療体制は依然として厳しい、飲食店の時短営業は徹底していきたい」などと説明が続く。
 宣言の解除をめぐって、記者から「専門家から再拡大の懸念も出ているようだが・・」と聞かれると「決めた基準はクリアしている」と少しだが苛立ちを見せた。
 都合の悪いことを聞かれると、すぐに顔や態度に出るのは安倍前首相と同じだがこの日、菅首相が冷静に見えたのはこのあたりまでだったかも知れない。
 取り囲む記者たちから、宣言で協力を求めた国民には丁寧な説明が必要なのに「何故今日、記者会見をやらなかったのか?」と聞かれると・・
 「今日こうして、ぶら下がり会見をおこなっているじゃないですか」と少しムッとしたように答えた。
 「高額な接待を受けた一人の山田真貴子広報官の問題が影響したのですか?」と追い打ちがかかる。
 「山田広報官は全く関係ない。昨日の国会で答弁されたのが事実じゃないでしょうか」と無表情に吐き捨てた。
 「山田広報官は続投で変りはないですか?」・・
 「政治責任は?」・・
 矢継ぎ早に記者の質問が飛んでくる・・〝宣言解除”から”総務省接待スキャンダル”に記者たちの関心が変異(?)していく。 
 首相は不機嫌な表情に怒りが加わっていたかも知れない・・・
 「記者会見のタイミングは、最後まで状況を見極めた上で判断し、緊急事態宣言全体についてきちんと会見すべきだ」と事前に決めあった通りの答弁であった。
 「正式な記者会見とぶら下がり会見はどう違うのですか?」と質問が出る。
 「それは皆さんが考えることじゃないのか。首都圏で解除の方向性はまだ出ていない。そういう中で内閣総理大臣として国全体の発言は控えるべきだと思う」とぶっきら棒に答える。
 「次の会見では最後まで、質問を打ち切らずに答えてもらえますか?」
 首相は「私には時間があるから・・大体、皆さんも出尽くしてるのでは?・・先ほどから同じような質問ばかリではないか」と苛立ちを隠さず、記者団とのヤリトリを打ち切った。
 ぶら下がり会見は18分ほどで終了した。
 官邸で首相記者会見を取り仕切る山田真貴子内閣広報官(60)は13年に、当時の安倍首相から女性で初めて首相秘書官に起用されて頭角を表し、菅政権では内閣広報官として重用されてきた。
 週刊文春によると、山田広報官は総務省審議官だった19年11月6日に、東北新社の関連会社で役員を務める菅首相の長男らから1人当たり7万円を超える接待を受けていた5人の内の1人であることが判明した。
 菅首相は「私の長男が関係して結果的に違反行為をさせてしまったことについては大変申し訳なく、国民の皆さんにお詫びしたい」と陳謝したが、山田真貴子氏については「真摯に反省しているので今後も職務の中で頑張って欲しい」と述べた。
 山田真貴子氏は月収の6割に当る70万5000円を自主返納したそうだが、、内閣広報官は続投に決まった。
 この人が名前を知られるようになったのは去年10月、菅首相が「NHKニュース9」に生出演した時、有馬キャスターから事前の打ち合わせにない厳しい質問をされ「答えられることと答えられないことがある」と答えに窮したことがあった。
 放送の翌日山田真貴子広報官はNHKの政治部長に電話をかけ、「総理、怒ってますよ。あんなに突っ込むなんて事前の打ち合わせと違う。どうかと思いますよ」と猛抗議したことが知れ渡った。
 有馬キャスターはこの3月で降板すると報じられたのは、この電話の後である。
  聞くところによると、山田広報官は会見に参加する記者たちから、事前に事細かに質問内容を聴き出し、官僚がそれを基に答弁書を作るのだ。
 会見では司会を務め、質問希望者がいるのを知りながら「次の日程がありますから・・」と会見を打ち切ってしまう。
 記者たちには悪評らしいが、ガースー首相にとっては最も頼りになる「守護神」と言えるだろう。
 ガースー首相はお得意のペーパーを棒読みするだけで記者会見は成立する。
 安倍政権時代と変わらぬ〝茶番首相会見”がガースー政権でも展開されているのである。
 「女性の広報官として期待している」と発言した菅首相について野党の小沢一郎議員は「こんな総理と、その奉仕者のような異様な人物の下で記者たちは、今後も首相会見など出来るのか?」と広報官続投に怒りをみせる。
 「政権に批判的な社は絶対に指名しないだろうし、まともな会見が成立する訳がない。国民の知る権利が奪われようとしている」とツイートは続いた。
 山田真貴子広報官が、国会で「同席したのが菅首相の長男とは分からなかった。たとえそうであっても私にとって大きな事実ではない」と発言したと知ったとき、「これは首相と打合せ済みの発言ではないか」と感じたことを思い出した。
 それは以下のような投稿を読んでいたからである。
 「官僚が利害関係にあるマスコミの顔と名前は絶対分っている筈だ。まして総理の長男に気付かないとか、いたかどうか分からないなんてあり得ない。5人しかいなかったのだから・・
 そんな人がいたかどうか憶えていないのに、〝事業に関する話しはしていない”って、そこだけは憶えているんだ。苦し紛れの答弁に笑っちゃう。
 ガースーさんも就任当時、パンケーキ好きで、国民に近いことをアピールしていたのにメッキが剥がれましたね。結局首相の器ではなかったということです。
 叩き上げと持ち上げたのはマスコミ。今となっては恫喝、いい加減などの資質が出ている。
 誰かと同じで、身内に甘く他人に厳しいなんて総理としては不適格です。
 早く衆院選をやって欲しい、新しい人に期待したいから」
 自民党の中堅議員が「日本学術会議の任命拒否問題、与党議員による緊急事態宣言下での銀座通い、そして接待スキャンダル・・こういうのはボディブローのように効いてくる」とタメ息をついていたという。
 山田真貴子広報官の広報官続投は、国会でしばらく尾を引くだろう。
 ガースー首相には身内からも冷たい風が吹き付けるかも知れない。自業自得だが・・

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浜田山通信 №284 [雑木林の四季]

逆ワイロ
 
       ジャーナリスト  野村勝美

 賄賂(わいろ)というのは、公務員などが職権を利用して仕事の便宜をはからってやり金品を受け取る不正行為をさす。総務省の幹部11人が放送事業会社「東北新社」から高級レストラン、料亭などで多数の飲食接待を受け、減給や戒告などの処分を受けた。近い将来の次官候補がズラリ、もうどうしようもない。こうなったのも接待した側に菅首相の長男、菅正剛氏がいたからだったのは、もう国民皆が知っている。
 総理の嫡男に呼ばれたら役人たるものよほどの勇気がなければ断ることはできないだろう。宴会の場でああしてほしい、こうしてもらいたいなどのヤボな話は出ないが、放送事業関係でいずれ要望がなされてくる。東北新社というのは、電通のような企業で、CM制作など放送事業全般に関係してくる。TVを見ていると、総務省を退職し、処分の対象にならない山田真貴子内閣広報官だけが大きくとりあげられている。彼女は年の割にはスレンダーで若く見える。内閣広報官としては適任といってよい。処分された総務省の役人連中は、首相長男との繋がりも薄い。しかし、だからこそマスメディアは内閣広報官を取り上げる。総務省の役人は次官候補もバタバタ減給処分になったが、権力者にとってはこんなものはへでもない。
 かんじんの贈賄側の東北新社や同社部長の首相長男のことはその後一切マスコミに登場しない。東北新社は、メディアにCMを提供する企業である。民間放送はここからのコマーシャルをとめられたらやっていけない。生殺与奪の権(古いなあ)を握られているのだ。
 菅ソーリの長男がどうやってそんな力をもつ企業に入り、若くして部長職になったのか。総務省に長く君臨した父親の仕事、権力を直接見てきて、父親の権威を体現できるマスメディアの中枢に入り込もうとしたのは当然だろう。この親にしてこの子あり。子は親の監督下にある役人たちを接待づけにした。一人当たり7万円の飲食がどんなものか、高級レストランや料亭などもう何十年も離れている私には見当もつかない。
 菅ソーリは当初、「長男は別人格」ととぼけたが、さすがにそんなへりくつが通るわけもなく、のちに「私の長男が関係して結果的に違反行為をさせてしまったことについては大変申し訳なく、国民の皆さんにおわびしたい」と陳謝した。往生際の悪いのはこのソーリの得意芸で、役人がワイロを受けて減給処分で一巻の終わり、接待側には何のおとがめもない。
 こうして権力の監視役だったマスメディアは、権力をサポートする側に廻り、東北新社同様、権力に不都合な報道はしなくなる。菅ソーリの長男に7万円のごちそうを接待された高級官僚たちは言うことをきかないとこうなるぞというみせしめにされた。接待というワイロにまんまと乗った役人が悪いのか、のせた奴が悪いのか。ワイロには逆の場合もある。
 

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BS-TBS番組情報 №229 [雑木林の四季]

BS-TBS 2021年3月のおすすめ番組(上)

           BS-TBS広報宣伝部

五木ひろしが選び歌う 永久保存版“股旅演歌”大全集

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2021年3月5日(金)よる9:00~10:54

☆五木ひろしが“股旅演歌”の名曲を次世代を担う歌い手とともに熱唱!

出演:五木ひろし、橋幸夫、市川由紀乃、三山ひろし、福田こうへい、朝花美穂、彩青、堀井美香(TBSアナウンサー)

五木ひろしが自ら選び歌うシリーズ。
今回のテーマは、日本人の心にずっと生き続ける“股旅”。
昭和の時代、人々の心を躍らせた股旅演歌はまさに日本人の心のふるさと。五木がゲストとともに令和に歌い継ぐべく心を込めて熱唱します。
♪潮来笠 ♪中山七里 ♪妻恋道中 ♪旅姿三人男 ♪ひばりの三度笠 ♪名月赤城山 ♪瞼の母 ♪伊太郎旅唄 ほか

マー君の冬休み5

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2021年3月13日(土)よる11:00~11:54

☆今年、東北楽天ゴールデンイーグルスに復帰した田中将大投手の冬休みに密着するスペシャル番組、第5弾!女子プロゴルファー・渋野日向子選手とゴルフ対決&アスリート対談!さらに番組独自のインタビューも!

出演:田中将大、渋野日向子、小島瑠璃子

メジャーリーグ、ニューヨーク・ヤンキースから今年、古巣の東北楽天ゴールデンイーグルスに復帰したことで大きな話題になっている田中将大投手。そんな「マー君」こと田中投手が冬休みを楽しむ姿に完全密着するスペシャル番組「マー君の冬休み」を今年も放送!
第5弾となる今回は、女子プロゴルファー・渋野日向子選手とのゴルフ対決が実現!大好きなゴルフに興じるマー君の“素の姿”をたっぷりお見せします。さらに、田中将大投手と渋野日向子選手のアスリート対談も!今年はどのような話で盛り上がるのか?!
番組独自のインタビューも敢行。日本球界への復帰を決めた思いや今シーズンへの意気込みなどについて、長年取材を重ねてきた小島瑠璃子が迫ります。

麺鉄

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2021年3月7日(日)よる11:00~12:00
2021年3月14日(日)よる11:00~12:00

☆鉄道大好き芸能人が、各路線と沿線の魅力を紹介しながら「駅メン」を堪能!

出演:六角精児、市川紗椰

“乗り鉄”“撮り鉄”“収集鉄”と様々な鉄道の楽しみ方があるが、最近鉄道ファンの間で注目されているのが「駅そば」だ。
昔から忙しいサラリーマンに「安くて早い」と重宝されてきたが、地域文化と融合することで独自の発展を遂げ、個性的な一杯が続々全国に誕生している。
鉄道ファンはもちろん、B級グルメ界でも注目のジャンルとなり、リーズナブルな値段と場所が駅構内、駅前という利便性から、新たな食べ歩きグルメとして注目の一品となっている。
この番組は、鉄道大好き芸能人が、各路線と沿線の魅力を紹介し、その路線を代表するそば、うどん、ラーメンなどの「駅メン」をいただく。
第一弾、第二弾共に、旅情感たっぷりの北海道冬景色と、この季節だから“映える”湯気香る一杯をお茶の間にお届け。この冬要注意の‘飯テロ’番組が誕生!

▽3月7日(日)
第一弾:メン食い鉄道 絶景の旅 冬の北海道・留萌本線&根室本線編
六角精児が留萌本線、根室本線にある、鉄道ファン羨望の歴史ある駅そばを味わう。車窓からダイナミックな太平洋の絶景を楽しみ、極寒の湖で伝統の氷下待ち漁にチャレンジ!果たして結果は?

 ▽3月14日(日)
第二弾:メン食い鉄道 絶景の旅 冬の北海道・釧網本線編
市川紗椰が乗車するのは釧網本線。雪化粧をした広大な湿原をSLで疾走!摩周湖の足湯で体を温め、向かった先は流氷を望む無人駅。駅舎を改装したこだわりのラーメン屋さんで、食通もうなる駅メンを豪快にすする。



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バルタンの呟き №92 [雑木林の四季]

「2030年の挑戦?」

           映画監督  飯島敏宏

 西暦2021年2月19日、アメリカ合衆国NASAの宇宙船PERSEVERANCEが、約4億7200万キロという旅を終えて火星に到達したというニュースが、僕、バルタンの目に留まりました。でも、歓喜に沸くNASAの光景とは逆に、昭和7年生まれの僕の反応は、「ああ、とうとう火星が・・・」という、嘆きだったのです。少年時代から抱き続けてきた火星という赤い妖星のベールが、また一枚、剥がれてしまった嘆きです。
 僕だけでなく、同じ世代の昭和少年にとっては、当時、地球よりも、遥かに発達した文明を持つ謎の星だった火星が、いまや地球人類の果てしない欲望の対象になり、稀少金属の獲得、宇宙戦略の基地として、植民地化されてしまうのが、さらに現実味を帯びてしまった、という思いがあるのではないでしょうか。

 たしかに、現在では、不撓(サーベイ)不撓不屈(ランス)不屈と名付けられたこの宇宙船が、火星には、かつて水があり、何らかの生命が存在した、という定説を裏付ける物質を、今から10年後、2030年には地球に持ち帰るというのですから、生命の発祥、微生物から動植物、人間への進化を探る上で特筆されるべき出来事かもしれません。
 しかし、すでに、火星の周回軌道には、中国の宇宙船「天問1号」が存在していて、これも又、火星の探索、着陸の先兵として機会を窺っているといいます。最近、急速に、陸、海、空の軍事力を強化してきた一党独裁政権の中国に対抗して、アメリカ合衆国も、トランプ大統領時代に、宇宙軍を創設して、強力な軍事力を宇宙空間に広げようとしているのです。さらに、世界数か国が、月に続いて、火星にも宇宙基地建設を模索している、というのですから、遂に、地球人類は、地上では飽き足らず、自ら宇宙戦争勃発の危機を孕もうとしている、と言っても差し支えない状況ではないでしょうか。それとも、僕、バルタンの杞憂にすぎないのでしょうか。
 西暦2021年現在、地球人は、造物主の禁を冒して、許された物質存在の最小単位である原子核を分裂して、エネルギーを獲得したり、爆弾を製造したりして、自らの住む地球という星でのSDG‘sをほとんど不可能にしつつあります。それらが招いた環境破壊、恒常化した異常気象による災害から逃れるために、月には廃棄物を捨て、火星には稀少物質を求め、さらに、全地球はおろか、宇宙戦争への軍備増強に狂奔する事態です・・・
 今回の、PERSEVERANCE火星着陸成功の情報は、歓声を上げる段階を過ぎて、考えるだに恐ろしい道を突き進み始めた、と、僕、バルタンの目には映ってしまうのです。それとも知らず、ハヤブサⅡの成功に、無邪気に歓声をあげている我が日本の子供たちの、宇宙への夢、憧れを、絶対に裏切ったりしないで欲しいのです。

 今から、55年前、僕、バルタン星人は、SFテレビ映画ウルトラQ「2020年の挑戦」で、当時の近未来であった西暦2020年の地球を擬したケムール星から、環境悪化で肉体が劣化したケムール人が、地球人の健全な肉体を拉致しにやってきたのを引き継いで、次回作ウルトラマン「侵略者を撃て!」で、自らの天体を原子核爆発で損壊、居住不能にしてしまった宇宙流民として登場、地球に漂着して、極く微小なバクテリアほどの生命体として人類との共生を望んで拒否され、やむなく巨大化して地上を破壊、ウルトラマンに撃退される未来の地球人類の反面教師として登場した異星人でした。
 しかし、いま、現実の西暦2020年を迎えてみると、どうでしょう、かつて僕が、文系SFで想像した西暦2020年の地球では想像も出来なかった、遥かにシビアな現実(リアル)現実に直面しているではありませんか。世界中が為すすべもなく苦慮している、新型ウイルス、コロナの災禍です。人類自らが生み出してしまったとも疑われる、奇しくも太陽光(コロナ)太陽光と名付けられた、バクテリアよりはるかに微小なウイルスCovid 19が、地球上にグローバルな病疫と争乱の危機をまき散らし、僕自身がその恐怖に脅かされている・・・まさに、絶句、です。 

 そして、2020東京オリンピック・パラリンピックです。すでに、延期一年間の半ばを経ても、一向に、終息が見通せない国内感染の緊急事態を抱えながら、国民の65パーセントが開催を危ぶむ状況を押して、「人類がコロナウイルスに打ち克った証として、2020年東京オリンピック・パラリンピックを成功させる」という惹句を、まるで鸚鵡返しのように読み上げ、世界に宣言するわが国の宰相が何を根拠に宣言しているのかが、悲しいかな、僕、バルタンには、まったく理解できないのです。
 もともと宇宙からの来訪者ではなく、地球上に存在した、あるいは人類そのものが作り出したとも疑われるCovid19コロナウイルスは、すでに、変異型にまで姿を変えて、人類と共存しはじめているではありませんか。つまり、とっくに、人類は、コロナに「うち克たれて」いるのです! 
 まあ、僕、バルタンとして地球人に提案するとすれば、人類が生み出してしまったウイルスcovid19とは、ワクチンの手を借りてでも、なんとか病変性を抑えて共存を図り、今後、月や火星、そのたの星から、いかなる生命をも持ち帰らない、ということです。
 55年前の2020年に、バルタン星人が、「ウルトラマン」の科学特捜隊員ハヤタに、「セイメイトハナニカ?」と問いかけたように、日本のハヤブサが手をそめたイトカワにも、ハヤブサ2号が砂を持ち帰ったリュウグウにも、宇宙に無限に存在する惑星には、地球人が生命と規定する生命とは異なるセイメイが、存在するに違いないのです。
 まして、陸軍、海軍、空軍だけで飽き足らず、宇宙軍まで組織して、地球はおろか、宇宙までも、大金掛けて戦争を拡げようとする地球人・・・本当に、困った存在です。
西暦2030年、PERSEVERANCEが火星から持ち帰ると言われている火星の岩塊と共に地球に来訪するセイメイが、どうか、侵略者でなく、ウルトラマン、ウルトラセブンのように、子供たちの夢を育む光の国からの平和の使徒であってほしい! というのが切なる願いです。
 その頃、僕のセイメイが、僕の肉体を離れて、何処にあって、見つめているかは分かりませんが・・・


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医史跡を巡る旅 №84 [雑木林の四季]

「医史跡を巡る旅」 №84 ワクチンを巡る

                保健衛生監視員  小川 優

新型コロナウイルス感染症に関しては、緊急事態宣言の部分的前倒し解除と、ワクチン供給の遅れが話題となっています。

緊急事態宣言の部分的前倒し解除に介しては、切に今後に禍根を残さぬことを祈るばかり。
一方ワクチン接種計画の遅れに関しては、国民を安心させるためとはいえ、根拠も確約もなくあたかも既定路線のように話すこと自体、いい加減にやめるべきだと思います。ますます国民は政府を信用しなくなり、ひいてはワクチン接種に対する信頼性も下がりかねません。
ただでさえ、1948年のジフテリア無毒化不良トキソイド接種による乳児84人死亡、1989年以降のMMRワクチンによる無菌性髄膜炎の症例集積、2013年のHPV(ヒトパピローマウイルス。このウイルスに感染することにより子宮頸がんを引き起こすといわれている)ワクチンの接種後の多様な症状などにより、日本人には予防接種に対する根強い不安感があります。また日本人に特有で、危機管理上では良い意味の日和見、横並び精神、いわゆる「まわりの人が打ったら自分も打つ」的な感情も根底にあります。

新型コロナウイルス感染症に関しては、ワクチンによる集団免疫獲得のためには、全人口の最低でも60パーセントへの接種完了が条件になるといわれています。そもそも妊婦や子供には安全性が十分確認されていないため接種が勧められないほか、医学的所見から接種が推奨されない方々がいるので、もともと人口中に一定数、接種できない割合があります。また集団免疫についても、不安材料があります。2月21日現在、世界中で突出してワクチン接種率の高いイスラエルの状況です。すでに全国民の71.6パーセントに接種されたとされますが、ワクチン接種後60歳以上の高齢者では、感染者が49パーセント、入院者は36パーセント減少した一方、59歳以下では感染者は19パーセントしか減少せず、入院者に至っては逆に増加しています。同時期の同国の感染状況、対照となるべき非接種者集団の感染率が示されていないなど、そのままデータとして信用するわけにはいきませんが、集団免疫の獲得の目安について、ワクチンの接種率をそのまま用いるのには注意が必要です。
それに加えてワクチンへの信用低下が進み、接種忌避が広がれば集団としての免疫が得られなくなります。ワクチン接種は個人を守るばかりでなく、社会全体を守ることになることを、もっと積極的にアピールすべきところです。しかし優先接種以外の接種計画が不透明な中では、実際の接種がいつになるかわからない国民にとっては、絵空事に聞こえることでしょう。

少しでも新型コロナワクチンについて事実を知ってほしいので、ワクチンの安全性について、今現在わかっていることをまとめてみます。

現在日本で接種が進められているワクチンは、ファイザー社のものだけです。
アメリカではすでに1,000万人以上に接種されています。信用度の高いアメリカ医師会誌に投稿された査読後の論文によると、接種後の強いアレルギー反応、アナフィラキシーは、100万回に5回程度の頻度で発生するとされます。性別では女性が94パーセントと多くを占め、また77パーセントは過去になんらかのアレルギー反応を起こした経歴がありました。
反応は15分以内に76パーセントが、さらに89パーセントは30分以内に起こっています。全例において、適切な治療により回復しているので、接種後30分、緊急対応がとれる場所で待機し、経過観察をうければ安心です。
アナフィラキシーまで至らない副反応では、頻度が高い順に接種部位の痛み、倦怠感、頭痛、筋肉痛、関節痛、悪寒、発熱となります。

ワクチンの有効性については、査読済み、つまり第三者により論文の信用性が高いとされたものが世界でふたつあります。
ひとつがNEJMに投稿されたファイザー社の臨床結果の報告。
2回接種して、1週間以降に新型コロナウイルスを発症したのは、18,198人中8名。一方偽薬を接種した対象群では17,511名中162名が発症。ワクチン接種により発症が20分の1に抑えられ、有効性は95パーセントとされます。この有効性、単純に100人に打って95人に効く、ということではないことには注意が必要です。
もうひとつがLancetに投稿されたイスラエルでの病院職員への追跡調査。
1回のみの接種でも、新型コロナウイルス陽性者の数が85パーセント減少した、との報告です。
また、どちらのケースでも被験者全員のPCR検査は実施していないため、正確な感染者数が反映されていない可能性があります。
なお、ワクチンの安全性、有効性に関する情報は、山中伸弥先生のホームページ「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」から引用させていただいています。

現在の状況として、新型コロナウイルスワクチン、商品名コミナティに対して厚労省により承認された効能効果は、「SARS-CoV-2による感染症の予防」となっていますが、実のところ、もともとの有効性の臨床検査で検証されたのは発症を抑えることであり、それについては十分な有効性が認められていることになります。
リスク対効果の意味からも、新型コロナウイルスワクチンは有効性が高く、個々だけではなく社会を維持するためにも、多くの人への接種が望まれます。

あだしごとはさておき。
ワクチン接種の普及に対する苦労は、今に始まったことではありません。
世界初のワクチンであり、ワクチンによりその病気そのものの制圧に成功したのが、種痘であり、天然痘です。ところがその普及には、多くの医師の苦難がありました。
今回はそのごく一部をご紹介します。

以前「秋月藩の種痘」でご紹介した緒方春朔。

「種痘の始祖 緒方春朔」記念顕彰碑

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「種痘の始祖 緒方春朔」記念顕彰碑 ~福岡県朝倉市来春 朝倉医師会病院

エドワード・ジェンナーが牛痘による種痘法を編み出す6年前、秋月藩藩医であった緒方春朔は、中国で行われていた人痘法を試します。牛痘はもともと牛の感染症で人間の病気ではなく、人が感染しても軽症ですむこと、それでいて獲得できる抗体は人の天然痘にも有効に働くことに着目したもので、安全性が高く全世界に広まりました。

「緒方春朔顕彰碑」

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「緒方春朔顕彰碑」 ~福岡県朝倉市秋月城址

一方の人痘法、天然痘に罹患した人の回復期の膿、瘡蓋を(痘痂)を乾燥・粉末化したものを匙に乗せ、鼻から吸い込ませる方法です。現在の弱毒化ワクチンと同じ考え方ですが、感染性は残っているため発症する危険性は多く、通常の感染同様、重篤な症状を呈することもあります。

「種痘の父 緒方春朔顕彰の碑」

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「種痘の父 緒方春朔顕彰の碑」 ~福岡県朝倉市秋月

有効性と安全性の見極めが、まさに「匙加減」。人の命を救うことを使命とする医師にとって、その苦心たるや想像に絶するものがあったと思います。

種痘を広めた功労者としては、大阪除痘館、そして西洋医学所の緒方洪庵を外すことは出来ません。

「除痘館発祥の地」

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「除痘館発祥の地」 ~大阪府大阪市中央区道修町

牛痘は安全性が高いのですが、牛の病気を人に罹らせることに対する人々の抵抗は強く、「牛になる」という噂すら広まったとされます。現在の風評被害と何ら変わりません。また初期の種痘は善感した患児の瘡蓋を、また次の接種者に植え継ぐといった方法で維持するしか方法がありませんでした。接種希望者が途絶えると、ウイルスが不活化し、種痘が出来なくなります。洪庵は袂に菓子を忍ばせ、言葉は悪いですが、ぐずる子供を懐柔して種痘の維持、普及に努めたと伝えられます。

「除痘館跡」

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「除痘館跡」 ~大阪府大阪市中央区今橋

除痘館は最初嘉永2年(1849)道修町に開設されますが、万延元年(1860)、適塾の近くの今橋に移転します。
緒方洪庵は種痘以外にも多くの業績がありますので、いずれまた詳しく取り上げます。

江戸からも一人。

「桑田立斎先生種痘所之跡」

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「桑田立斎先生種痘所之跡」 ~東京都江東区清澄

桑田立斎は文化8年(1811)、新潟県新発田に柴田藩士の子として生まれます。16歳の時江戸に出ましたが、天保4年(1833)23歳の時一旦新発田に戻ります。新発田で蘭方医島津圭斎に師事して西洋医学の道を志し、天保8年に再び江戸に出て、島津圭斎の友人坪井真道の医学塾、日習堂に入門します。
天保13年(1842)深川で開業、嘉永2年(1849)、蘭館医モーニケによって日本に牛痘苗がもたらされると、いち早く分苗を受け、江戸で種痘を広めます。洪庵と同じく、民衆の反発をうけますが、独自の普及活動で種痘を広めることに成功します。
それが現代にも通用するチラシや冊子を用いた、パブリケーションによるパブリック・リレーションズ。絵に加え、分かり易い標語を加えた木版画を刷らせ、市中に配ります。
「種時は寒か暑もいつもよし 日の善悪もなきものぞかし」
「親の苦もぬけてたのしむみどり子の 千代の命をむすぶたうとさ」
また蝦夷地、北海道での疱瘡の流行、拡大を防止するため、幕府に命じられて蝦夷地に赴き、数千人に接種を行ったとされます。

「桑田立斎 供養墓」

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「桑田立斎 供養墓」 東京都台東区板場 保元寺

立斎は慶応4年(1968)亡くなりますが、最期まで種痘針を手放さなかったと伝えられます。


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海の見る夢 №2 [雑木林の四季]

子供の情景

              澁澤京子

 父が昔、「年を取るということは、中身は大して変わらないのに外側だけどんどん老けていくという事だ。」という事をよく言っていて、それは私も年取ってから実感できるようになってきた。私の場合、外側に比べて精神が未熟である、と言う感じであるが。

この間、you tubeでまだ20歳を超えたばかりのジャズピアニスト小曽根真さんのバークリー留学、そしてその才能が若くして評価されてカーネギーホールでコンサートを開くまでのドキュメンタリーを見た。まだ22,3歳なのに、インタビューの受け答えが非常に大人で、すでに十分に老成した考え方を持っている。今、同じ質問をされてもやはり似たような答え方をするのじゃないだろうか。才能の開花も早かったけど、若い時から成熟した精神の持ち主だったのだ・・

考えてみると、私の友人で非常に成熟した精神の持ち主というのは10代のときもやはり早熟で大人の判断力と洞察を持っていた。人の精神の成長というのはなかなか遅々として進まず、もしかしたら世の中にはほんの一握りの、柔軟な大人の「成熟した精神」とその他大勢の「未熟な精神」がいるだけなんじゃないだろうか?そして精神年齢というものはあまり実年齢とは関係ないのだ・・成熟した精神の持ち主はかなり若い時期にすでに老成してしまうものなのかもしれない、そして未熟な精神の人は年をとっても未熟なままだったりするのだ・・

そうすると、政治家の失言だのごまかしだのは、その他大勢の「未熟な精神」のなせるわざと考えれば、なるほど、と納得するではないか。無神経な失言も、自己保身に汲々とするのも、人に流されやすいのもただの「未熟な精神」。要するに自律的な判断力と、責任を引き受ける主体性がないのが「未熟な精神」だろう。政治家としてヴィジョンと意志を持つのではなく、国民の人気をとりたい、人を愛するのではなく、愛されたい、理解するのではなく、理解されたい、と常に受け身の立場を好むのも「未熟な精神」だろう。

「・・天国は幼子のようなじゃないと入れない」の「幼子」と、「未熟な精神」はまったく別のものなのである。成熟した精神は、理性的で自律していて、同時に傷つきやすく無防備な「幼子の心」も同居する精神なのだと思う。それはシューマンの『子供の情景』のような、成熟した大人の中の子供の感受性であり、理性には子供のような柔らかい感受性が必要なのだと思う。

ホロヴィッツのピアノを聴いていると、傷つきやすく無防備のままでいいのだ・・という感じになってくる。成熟とは、世間体や人目を気にしてとりつくろうとか、他人の事を気にしたり、人より優位に立とうとすることではない・・それらは他人の目に依存した「未熟な精神」なのであって、常に真実から自分をごまかしてしまう。人生の真実はもっと深いところにある。

~「私はあなたには時々子供のように見えるでしょう」と言ったことへのこだまなのです。―つまり私は子供のエプロンをつけていた頃の気持ちにかえって三十もの奇妙な小曲をつくりました。そのうちから十二曲を選んで「子供の情景」と名付けました。~クララにあてた手紙・シューマン

クララの父親にいやがらせをされながらも、なんとか幼馴染のクララと一緒になる希望がでてきた時にシューマンが作曲した曲。シューマンがクララだけにあてたラブレターのようなピアノ曲。クララの両親に反対されずっと妨害されていた辛くて苦しい恋だっただけに、シューマンの飛び回りたいほどの歓びが伝わってくる。

子供の時、ガールスカウトの夏のキャンプで歌っていた『山の朝』が大好きだったけど、あれはクララ・シューマンの作曲で、山の朝の清々しさが直接に伝わってくるような歌。クララ・シューマンは少女の時にすでにゲーテやショパンに絶賛される早熟な天才だった。クララはシューマンを生涯、献身的に支えたが、ノクターンの演奏を積極的にしてショパンを有名にしたとも言われている。シューマンの陰に隠れてしまうクララだけど、クララ・シューマンの曲は繊細で切ないものが多い。

クララの父親の娘に対する病的な独占欲は後々まで、シューマンとクララ二人を苦しめることになる。そのため、クララとシューマンの恋愛は、まるで苦労と忍耐の末に幸せになる童話の中の王子様とお姫様の様になった。しかし、一緒になってめでたしめでたしとい落ち着くわけにもいかなかった。その後、シューマンは自殺未遂、発狂という悲劇的な最後を遂げる。そして、束の間の幸福の時間に作曲されたのが『子供の情景』。もしかしてシューマンが愛していたのは、クララの中にいる子供だったのかもしれない。

少年や六十年後の春の如し  永田耕衣

私の祖父は、同窓会はマメに出席する人だった、祖父の小学校の時の同窓会の名前は確か「忘れた会」(忘れたかい?の洒落か)という会だったと思う。ある日、同窓会が終わって会場を出ると、春の雪がかなり降っていてだいぶ雪が積もっていたらしい、積もった雪を見て思わず皆でうれしくなって雪投げをしながら帰ってきたという話を聞いたことがあった。
雪を見て、思わず子供にかえって雪投げをしてはしゃぐお爺さんたち。その話を聞いて、子供心になんていい光景だろう・・と思ったのだ。お爺さんの頭の中にはいつもひっそりと少年が住んでいる。

そして、お爺さんの頭の中に住んでいる少年は淡雪のようにはかない。

私の祖父は気が短くて我儘なところもあったが、ネガティブな感情をいつまでも引きずらない人だった。子供の私の人格も尊重して対等に扱ってくれるようなところがあり、成熟した大人の寛大な視点と、子供のように無邪気なところを両方持っていた。祖父は若い時に息子を亡くしていて、その深い悲しみが祖父を、人生の真実を知る大人にしたのかもしれないと思っている。

晩年のホロヴィッツが『子供の情景』を演奏しながら涙を流しているのをyou tubeで観る。ホロヴィッツは人を引きずり込むような天性の魔性と、非常に理知的な大人の部分と両方持ったピアニストで、彼もまた人生の深い悲しみと真実を知っている、成熟した精神の人だろう。成熟した精神は老人であると同時に子供でもあるのだ・・

―あらゆる子供の中には驚くべき深さがあるー『音楽と音楽家』シューマン

父もまた、年取るにつれて子供時代の話をすることが多くなった。それは決して「昔はよかった」式の回想をしているわけでもなく、年取ってから人が子供時代を回想しがちなのは、子供というものが光り輝く生の神秘の最も近くにいて、まだ新鮮な感受性を持っているからじゃないだろうか。
そして芸術家の想像力の源泉も子供時代の記憶の中に豊富に埋もれているような気がするのである。

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梟翁夜話 №82 [雑木林の四季]

翻訳松竹梅
            翻訳家  島村泰治

鰻は松竹梅、ときに特上、並みなどと格付けをして、魚の大きさで値を違える。当然ながら職人の技倆で上下もするが、およそ鰻の値段は大小で決まるとしたものだ。わが好みの目黒の「にしむら」は、健気にも長いこと松を2700円で食わせてくれた。彼処の鰻の舌触りを慕ってしげしげと通ったものだ。いや、脱線はならぬ。

さてその松竹梅だが、わが生業の翻訳にもどうやらその気配があるのだ。まして、鰻なら大小に相応する質の上下ならいざ知らず、全く愚劣な尺度で翻訳が松竹梅と格付けされてゐる気配を、筆者は甚だ心穏やかならぬ思ひで憂えてゐるのだ。

知る人ぞ知る、翻訳は創作とは一味違う知恵と趣が求められる芸だ。比較文化の分析能力は言うに及ばず、言葉と云ふ生き物への対応能力が不可欠で、ただ単に言葉を右左(みぎひだり)する芸では決してない。学術書ならひたすら正確無比、文学書なら一方の思いを他方に移し替える感受性こそが要だ。

さて、読者諸兄姉にお伺いしたい。左様なまともな翻訳論には埒外なある技術が、他ならぬ翻訳と対比して扱われてゐる現状にお気付きだらうか。お察しの如く、それはAI(人工知能)、多彩な機材に取り込まれていま市井の便宜に活用されてゐる技術だ。それはいい。いいのだが、それが人間翻訳の適否を格付ける尺度とされ、鰻ならぬずばり「翻訳の松竹梅」が出現したとすれば只事ではない。

誤解のなき様願いたいのは、翻訳の松竹梅は定着したものではなく、あくまで筆者の恣意的な言葉遊びに過ぎない。あくまで本来の翻訳力で緻密に拵えた翻訳を「松」、機械翻訳で荒訳した「翻訳原稿」にシンタックスの手直しを加えたものを「竹」、荒訳そのものの打ちミスを直したものを「梅」と称する格付けだ。

筆者がたださう思ふといふだけなら罪もない話だが、この格付けで翻訳者を求める慣習が近頃CS(クラウドソーシング)上で頓に蔓延ってゐるから事件なのである。流石に松竹梅と銘打って募集はしてをらぬまでも、それぞれを前提として価格を提示してほしいと求めるに至っては、語るに落ちるも甚だしい。

人間翻訳はAIに勝てるかとのテーゼに「勝てる」と踏んだキンドル本、『AI時代に人間翻訳は生き残るか?』の著者としては、この趨勢は見逃せない。翻訳を比較文化の舞台と看做す筆者の目には、翻訳は松に限るのだ。まして「思ひ」を左右する文学の世界なら尚のこと松でなければならぬ。百歩譲って、昨今のAIの機能進化を斟酌してデータ指向の学術ものなら「竹」もありか、と思へる。「梅」となれば歯牙にもかけぬ。これは最早翻訳の範疇には足の指先さえも入らない。鰻なら、即突っ返すか塵箱に放り込む。

ランサーズなどCS上で依頼を受ける筆者は、この手の不埒な依頼者を避けやうとレートを上げて対応してゐる。そんなレートでは竹も梅もなからうと発注者のオリエンテーションを図ってゐるのだ。この世界に踏み込んで数年、やうやく翻訳市場の空気を嗅ぎ分けることができるやうになった。

できるやうになって悟ったことがある。AIは確かに進化してゐる。並みの駄文なら学生の下訳ほどには捌く力があるから、日常のユティリティー目的ならAI翻訳で十分だ、と。ならば、凡そ翻訳家を謳う者は改めて心を定め、期して「松」を貫く気概に生きることこそ心意気と云ふものではなからうか。





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