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バルタンの呟き №90 [雑木林の四季]

「続・滅でなく誕を!」

              映画監督  飯島敏宏

 ♫カムカム、エーブリ、バーディ、ハウ、デュ、ユー、ドゥー、アンド、ハウ、アー、ユー、
ウオン、テユー、ハヴ、サム、キャンディー、ワン、アンド、トゥー、アンド、スリー、フォー、ファイヴ、レッツ、オール、シング、ア、ハッピー、ソング、ティン、タララッタッター!
 戦後、わが国唯一のラジオ放送だったNHK:日本放送局から、まだ米軍の空襲で焼け野原だった東京の、半地下の防空壕舎や焼けトタン(亜鉛メッキの薄鉄板)屋根のバラック(仮小屋)の家々や、辛うじてポツリポツリと焼け残った家々の町々に、五球スーパーラジオや、電柱に括りつけられたトランペット型スピーカ―から流れ出ていた、つい数か月前まで(そんなに経っていなかったかな?)敵性語だった英語の歌です。
 このカタカナ英語を一読して、「ハハン」と思い当たる方は、もう、現在、新型コロナ感染対策で、菅内閣総理大臣や、都知事、県知事が、しきりに重症化の懼れありと、再度の緊急事態宣言にも、昨2020年のGo to!ですっかりコロナ慣れしてしまった若い人たちに向けて庇護のための自覚、保護をお願いと繰り返している高齢者の基準をとっくに超えた、コロナ感染以外の「来るべき日」を、充分自覚している超高齢者です。
 何を隠そうこの僕も、なにも隠すほどの事じゃないだろう、とおっしゃるかもしれませんが、そして、いま、要請にこたえて、厳然とStay home !に準じて我が家に籠り続けている僕たち二人の、三度三度の食時(お家ごはん?)の献立に頭を悩ませているママ(カミさんの事です)も、充分その年齢に達してしまったのです。コロナ感染防止のために、せっかく近隣に暮らす子供たち孫たちも訪れることがない、なかば老々介護を過ごしている身です。
 その僕たちの愛する紙の新聞や月刊誌、週刊誌も、開いて一番に目につく見出しは、政治面、社会面、或いはついに全面にもわたる広告欄に躍る大見出しです。まあ葬祭とか、墓地にかかわるものは別として、ついにエッセイ集や小説までが、ひところ流行った断捨離どころではなく一斉に、死の準備、自身の死後の遺族の為の準備、一色じゃありませんか。老齢に達した団塊の世代が、それらの購買層の中心に置かれている現在の日本の人口構成故と、紙に書かれた文字文化に興味を持つ最後の世代という事で、広告のターゲットに置かれているせいからでしょう。
 先日の朝、もうここ十数年以上続くわが街の中央公園で行われる毎朝のラジオ体操会で、僕とほぼ同じ年齢の仲間に、そう呟いてみたところ、
「えっ? あんた、まだやってないの?」
「え? 何を? ま、まだ何も・・」
「いやだな、あれはね、そろそろ後期高齢者層の主流を占めることになる、戦後ベビーブーム生まれの団塊の世代狙いの見出し広告ですよ!我々世代は、当然もうとっくに済ませている筈ですからね・・・」
「超高齢のあなたですから、 済ませていらっしゃると思った」
いつのまにか、僕の周りは、過密の2メートル圏内近くのマスクで囲まれてしまいました。
「高齢になりますと、次第に脳内の海馬という部分が壊死し始めて、いままで表面に出ていなかった古い記憶が、蘇って来るんです。記憶が良いのじゃなくて、壊死した脳細胞が剥離して古い記憶部分が表面に露呈してくる、というか・・・」
 これは、医療用マスクをした、もと大学医学部教授の宣告です。
「と、仰言ると?つまり・・僕は」
「加齢性脳委縮症が進んでいる、という事です。ちかごろ矢鱈に眠くなりませんか?」
(もしや、僕が、いわゆる認知症という事?)
「だいぶ前から、痴呆という言葉を避けて、認知機能の衰えを、認知症と言い換えているのですがね」
(やはり・・・)
「痴呆が進んで来る前に、女房や子供たちに迷惑をかけないように、身辺のことを片づけておこうと、キャンペーンを張っているんですよ。日本の人口分布ピラミッドで一番高い年齢層である団塊の世代が、紙の雑誌や本を買うメインターゲットですからね」
 割り込んできたのは、解説好きな、もと経済記者です。
「あなたのいらしたTBSテレビも、視聴者のメインターゲットを、F2、F3、つまり20代30代の女性に絞るって話、ご存じありませんか?」
 そう言われてみれば、僕はすでに、定年後25近いという事になります。
 ちなみに、最近とみに気になる見出しを列挙すると、
 佐藤愛子(気がつけば終着駅)
 下重暁子(明日死んでもいいための44のレッスン)
 その他、曽野綾子、伊集院静、五木寛之・・・なんと言っても、一番が、内館牧子「終わった人」「どうせ死ぬんだから」「今度生まれたら」と、連発銃のように発刊されて、本屋さんに平積みです。 
 瀬戸内寂聴尼などは、もう、この世ではなく、あちらへ行ってからの境地で新聞連載中ですし、虎の皮(古い比喩ですが)ではありませんが、樹木希林さんなどは、あちらからの出版?です。
 が、家に帰りついて、僕、バルタンは、
「パパ(僕です)! 2020年に作った梅酒、すっごく美味しい!おじいちゃんのより、チヨウヤの梅酒にも負けないわよ!たまには、朝酒ぐらいやってみたら?」
 意気揚々とママが差し出した梅酒を,ぐっと一息にしてむせかえりながら、決心したのです。
「滅でなく、誕!始めるのは、今だ!」
 戦時少国民だった僕と、同年代の向田邦子さんが、再版された随筆集で、「小説と断れば、奔放なことがいくらでも書ける。私じゃない。フィクションだ、と思えばいい」と小説という分野に初めて挑んだ時の日記に記したこと、
 あの、米軍B29による「東京大空襲」を経験した半藤一利さんもあちらに逝かれたことをバネにして、こうして生きている今こそ、僕、バルタンは、乗り掛かった舟で、小説の分野に挑戦して行くのだ!と、決意したのです。
「あまり思い詰めないでちょうだいね!パパはA型だから・・・」
 血液型Bのママは、ブレーキを踏みます。
 菅総理大臣が、バイデン米国新大統領に、「東洋初の首長として直接」電話で読み上げたらしい「自由で開かれたインド太平洋」実現のリーダーという語句で、僕の海馬脳が連想した、あの愚かしい欲望と幻想の「大東亜戦争」で築こうとしたものではなく、小説という分野で、本当の平和を「大東亜共栄圏」に築くために、あの戦争の最後の語り部世代としてのメッセージを、コロナ後の、これからの世代に、娯楽作家としてのメチエを刃(やいば)にして切り拓いて行こう!と、誓ったのです。
 曲亭馬琴は、老いて目が見えなくなっても、娘に筆を持たせ口述で、「南総里見八犬伝」を書きあげたといいます。
 僕バルタンは、未だわずかに88歳、雀だって、百歳まで踊り続けるのですから・・・


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医史跡を巡る旅 №82 [雑木林の四季]

緊急事態宣言下番外編 巡査、コロナの先走り
 
        保健衛生監視員  小川 優

いやだ、いやだよ 巡査はいやだ 巡査コロナの先走り

今回も不穏な始まり方で申し訳ありません。
緊急事態宣言として予定された期限を、あと1週間ほどで迎えます。しかしながら、感染状況に明らかな改善は見られません。東京の場合、1,000人を少し下回っただけで、「あ、今日は少ないな」位にしか思わないほど、感覚が麻痺しつつある自分が悲しいです。
そのような状況に乗じて、というよりそのような状況から少しでも目をそらせようとするかと勘繰らざるを得ないタイミングで、新型インフルエンザ等対策特別措置法と感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法)の改正が進められています。国会でも論ぜられたように、大きい問題となったのが感染症改正の以下の点でした。
○入院勧告・措置の見直しとして、入院措置に応じない場合は又は入院先から逃げた場合に罰則を科することとする。
○積極的疫学調査の実効性確保のため、新型インフルエンザ等感染症の患者等が質問に対して正当な理由なく答弁をせず、若しくは虚偽の答弁をし、又は正当な理由がなく調査を拒み、妨げ若しくは忌避した場合に罰則を科することとする。

当初閣議決定された案は、以下の通りでした。
入院の勧告若しくは入院の措置により入院したものがその入院の期間中に逃げたとき、又は正当な理由がなくその入院すべき機関の始期までに入院しなかったときは、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
当該職員の質問に対して正当な理由なく答弁をせず、若しくは虚偽の答弁をし、又は正当な理由がなくこれらの規定による調査を拒み、妨げ若しくは忌避したときは、五十万円以下の罰金に処する。

懲役はもちろんですが、罰金も刑事罰とされ、交通違反反則金や、行政罰としての過料(あやまち料・代表的なものとしては、自治体の定めるタバコポイ捨て禁止条例違反で支払うものなど)とは異なり、「前科」がつくこととなります。当初は「懲役」のみをなくすという譲歩がなされましたが、罰金でも前科ですし、もちろん逮捕される可能性もあります。法律の専門家からの指摘もあり、結局刑事罰ではなく、行政罰としての過料に落ち着きました。

しかし過料とすることで、問題がないわけではありません。「実効性を担保」との主張がありますが、実際の運用上の課題として、まず誰が取り締まるのか。現場で違反の認定と処分ができるのか、そしてそもそも誰が過料を課すかという点について、はっきりとした方針が示されていません。ただでさえ人員が不足している保健所では、とてもではありませんが新たな負担を負うことができません。
報道によると、26日の予算委員会の野党質疑に対し、答弁に指名した首相や厚労相ではなく、国家公安委員長が「拘束して、体調を見ながら病院に引き戻す」旨発言したとされます。執行を警察官が行うという前提なのでしょうが、そもそも「拘束」という行為は感染症法上認められず、逮捕状なく警察官に身体拘束を行う権限はありません。近い行為としては、警察官職務執行法に依る「保護」がありますが、精神錯乱又は泥酔のために自傷他害の恐れがある場合か、適当な保護者を伴わなくて、応急の救護を要すると認められる病人に限られ、しかも本人がこれを拒んだときには適用できません。ましてや刑事罰相当でなければ現行犯逮捕も難しいでしょう。

感染症法における入院勧告および入院措置は、行政法上「即時強制」の代表的なものとされます。即時強制とは即時執行ともいわれ、緊急避難的に差し迫った状況下で、国民の自発的な対応を待てない場合に限り、その身体や財産に対して実力を行使して、行政上の目的を達することを言います。ただし即時強制とはいうものの、同意なく執行できるというだけで、どこまで実力を行使できるかは十分に議論されなければなりません。
同じような法律の建付けとしては、「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」(精神保健福祉法)と、大阪池田小学校事件を契機として整備された「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」(心神喪失等医療観察法)があります。これは自傷他害という明らかに差し迫った状況下でのみ限定的に適用されるものです。入院措置そのものが、身体の自由を奪う重大な行為であるのに、感染症法における同行為の解釈が十分に検討されているとは言えません。そもそも感染者が他の者に感染させる虞(おそれ)、そして拒否や脱走という行為の結果、社会的に緊急性・重大性のある実例があったのかどうか、その件数も示されておらず、立法事実として十分ではないと思われます。ちなみに昨年3月に報道された愛知県の事例は、自宅待機の検査陽性の男性が、感染の事実を知りながら飲食店を利用して従業員に感染させたものであり、今後同様な事例が発生しても法改正での罰則対象にはなりません。ちなみに現行法解釈でも、このような事例で威力業務妨害、そして人に故意に感染させた場合は傷害罪となる可能性があります。最高裁の判例として、傷害罪は暴行に拠らずとも、感染させる懸念のあることを認識しながら病毒を感染させた場合も成立するとしています。

立法事実として政府が挙げるのが全国知事会から出されたとする緊急提言ですが、すでに昨年の緊急事態宣言中の4月30日に「実効性を担保するため法的措置を設けるなどの改善を図ること」との要請はその当時の政権に無視され、同年12月20日の感染拡大を受けての「感染拡大防止策の実効性を高める改正を早期に行うこと」の提言もGO TO優先の元で先送りされました。そして今年1月9日、再度の緊急事態宣言に危機感を覚えての緊急提言に至り、やっと、そして拙速に改正に至ったという経緯があります。

感染症法はその前文で、「過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である。」「このような感染症をめぐる状況の変化や感染症の患者等が置かれてきた状況を踏まえ、感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ的確に対応することが求められている。」と明確に謳っています。前回ご紹介した明治時代のコレラ対策から、平成8年まで続いたハンセン病患者への迫害など、過去の感染症施策の過ちへの反省の上に成り立ったのが現行の感染症法だということは、忘れてはならないと思います。

あだしごとはさておき。
引き続き緊急事態宣言下のステイホームの一環として、疫病除け玩具第三弾、少し出遅れましたが今年の干支である「丑」を取り上げます。

「俵牛 土人形」

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「俵牛 土人形」 ~岡山 百々人形
ヒンズー教徒にとって牛は神聖なものですが、かつての日本人にとっても、牛は食用というより貴重な労働力であり、大切な財産でした。馬のような機動力こそありませんが、忍耐強く、力強いその力は運搬の手段として、また農耕の協力者として、常に庶民と共にありました。そのため神の使いとして、富をもたらすものとして信仰の対象ともされてきました。

「平河天満宮 撫牛」

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「平河天満宮 撫牛」 ~東京都千代田区平河町 平河天満宮境内
良く知られているものの一つが、天神様の使いとしての存在です。天神様と牛の結びつきについては諸説あります。天神様こと菅原道真が丑年生まれであったこと、また道真が左遷先で亡くなって、その棺を運ぶ牛車の牛が途中で止まって動かなくなった。やむを得ずその地に埋葬することとなり、そこが太宰府天満宮となったという伝説によるもの、などなど。

「牛乗天神 土人形」

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「牛乗天神 土人形」 ~江戸土人形
天神信仰の中で、境内にある牛の像を撫でることで学芸の上達が叶うという信仰に、やがて後述する撫牛信仰が結び付き、自分の体の悪い部分にあたる撫牛の部位をさすることで回復を祈るようになりました。

「平河天満宮」

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「平河天満宮」 ~東京都千代田区平河町
東京都千代田区の平河天満宮にある撫牛は、嘉永5年(1852)に奉納されたとされています。狛犬と同じく一対で奉納されたようですが、一体はいつの間にか失われてしまいました。

「牛嶋神社 撫牛」

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「牛嶋神社 撫牛」 ~東京都墨田区向島 牛嶋神社境内
東京都墨田区にある牛嶋神社は、天神系ではなく須佐之男命を祭神とする本所の総鎮守です。境内に文政8年(1825)に建立されたという牛の像があります。当社と牛の結びつきについては、戦災で記録を焼失したため定かではありませんが、江戸時代にはすでに病気平癒の霊験ありとして、撫牛が人気であったようです。

「牛嶋神社」

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「牛嶋神社」 東京都墨田区向島
牛嶋神社では、丑年ごとに牛のお守りを授与しています。すべての干支ではなく、丑年のみの牛の授与だけですから、今年を逃すと次の入手の機会は12年後になります。

「牛嶋神社 牛のお守り」

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「牛嶋神社 牛のお守り」 ~東京都墨田区向島 牛嶋神社
牛嶋神社の撫牛に通じる撫牛信仰は、江戸時代中期に始まったといわれます。自分の体の具合の悪い部分を撫で、次に牛の同じ部位を撫でることにより、病気の平癒を祈るという信仰、まじないです。病や病の原因としての穢れを神体や形代に移すことにより、祓うことができるという考え方です。

「臥牛 伏見人形」

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「臥牛 伏見人形」 ~京都府京都市
伏見人形は日本における全ての土人形の源流といわれます。伏見稲荷の参道で売られていた土人形が土産物として各地にもたらされ、製法が全国に広まったとされます。撫牛信仰の中で、自宅に祀るという発想が生じ、その形代として伏見人形として牛を模ったものが造られました。

「一文牛 伏見人形」

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「一文牛 伏見人形」 ~京都府京都市
その中で独特な意味合いを持たせられたのが、伏見人形の一文牛です。丸に十文字が描かれた素朴な牛で、お腹に小さな穴が開いているのが特徴です。江戸時代、この穴に米粒を詰めて川に流すことにより、子供が疱瘡に罹っても苦しまないように祈りました。
もちろん天然痘が絶滅された現在ではその風習はすたれましたが、その意匠を活かした香合がつくられています。

「寝牛 日前宮摂社深草神社」

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「寝牛 日前宮摂社深草神社」 ~和歌山県和歌山市秋月
和歌山にも疱瘡に霊験のある牛の玩具があります。牛が草を食むことから、草=瘡(かさ・くさ)に掛けて、子供の疱瘡の瘡蓋にあてて、ケガレを移し、病気が治ると深草神社に納めたとされます。
「寝牛・瓦牛」

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「寝牛・瓦牛」 和歌山県和歌山市
天然痘はなくなりましたが、腫物や皮膚炎に効くとして現在も市内津秦の津秦天満宮に信仰は受け継がれ、瓦牛としてつくられています。額に宝珠を頂いているのが特徴です。

「赤べこ大集合」
 
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「赤べこ大集合」
コロナに苦しめられて明けた今年が、丑年であるのも不思議な縁です。牛のご加護で、コロナ禍が終わることを切に願わずにはいられません。


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いつか空が晴れる №100 [雑木林の四季]

            いつか空が晴れる
          -チマッティ神父と良寛禅師ー
                  澁澤京子

 去年から寝た切りの父はテレビを見ることもほとんどなくなり、一日中、ベッドから落ち葉の積もった庭をぼんやりと見ていることが多くなった。父が見る庭の景色は私が見るのとはまた違ったものなのだろう。年を取るという事は年々赤裸々になっていくことなのかもしれないと、寝たきりの父を見ると思う。身体が思い通りに動かなくなっていくにつれ、もしかしたら余計なものが取れて、本当の自分に出会うのかもしれない。人は自分が無力の時に、最も真実の近くにいるのだと思う。

最近、私を慰めてくれるのは親しい友人とのやりとりと、寝る前によく聴いている「チマッティ神父のアヴェ・マリア」。偶然you tubeで見つけたもので、讃美歌のようなシンプルな曲と映像に出てくるチマッティ神父の優しいお顔を見たくて何度も何度も聴いた。
年を取るにつれて逆にますます清らかになっていく人というのが時たま存在する。私が師事しているシスターキャサリンも輝くような清らかな雰囲気でその場を浄化する「生きるパワースポット」のような方。一緒にいるだけで柔らかな優しい気持ちになれるのだけど、チマッティ神父もそういう人の一人なのだろう。

清らかさは、狭量な潔癖とは反対のおおらかで自由な感じにある。シスターキャサリンもチマッティ神父もその生涯を他人のために身を粉にして捧げてきた人たちなのであって、彼等の清らかさも自由も、その並はずれた忍耐力と利他心によって培われてきたものなのだろう。

1879年、チマッティ神父はイタリア中部の貧しい家庭に生まれた。子供の時に聖歌隊で歌っていると、感動したイタリアの有名な詩人パスコリが駆け寄って思わず抱きしめたというから天使のような歌声を持っていたのだろう。サレジオ会に入り、神学校の教師となり、自然科学や農学を教え、特に音楽では名教師であった。(彼が作曲したスコアは950以上)主に貧しい家庭の子弟を教え、学校が終わると頼まれれば病人の看護をした、まるで病気の子供を見守る母親のように献身的に祈り徹夜で看護することが幾夜もあったという。
「彼が教室に入るとただちに退屈さ、不快さ、争いが消え、皆が心地よく兄弟のようになる。私たちにとって一番の罰は先生の微笑みが消えることだった・・」
「チマッティ神父様がいて、その音楽と微笑みだけで僕たちは幸せだった。」
当時のイタリアの教え子の証言にあるように、生徒たちからとても愛される教師だった。

1926年、46歳のチマッティ神父は宣教師として日本にやってきた。日本へ来る途中の寄港地は殆ど植民地であったので現地の人の過酷な扱われ方に激しい嫌悪感を覚えた。「・・自然の傑作と対照的なのは、人間の労働における悪質な搾取、行き交う客船に見られる華々しい空虚な生活などです。」

当時、赴任先の宮崎の信徒には、迫害された長崎殉教者の子孫が多かった、多くは貧しくて、他人に警戒心を持ちやすい閉鎖的な性格で、最初はチマッティ神父を悩ました。宮崎信徒たちを励ますために、チマッティ神父は奔走した・・年譜で見るとスペイン風邪が収束したのが1920年、1923年には関東大震災、1930年には金融恐慌。1920年代と言うとジャズエイジ。ニューヨークでフィツジェラルドとゼルダ夫妻が華々しかった消費の時代で銀座あたりでもモボ・モガの贅沢でお洒落な風俗が流行する一方、大震災や金融恐慌があったりして、のちの2.26につながるような農村・漁村の窮乏もすでにあったのに違いない。その頃の日本の経済格差は今よりももっとひどかったかもしれないと思う。チマッティ神父が日本に到着した1926年には治安維持法が発令され、時代はファシズムの方向に流れていた。外国人は警察の監視下で、不自由な思いをせざるを得なかった・・

イタリアで校長先生をしていたとき、ある生徒から卒業式の場で学校を激しく批判されてもその生徒の勇気と正直を讃えてしまうほど民主的なチマッティ神父。(その生徒は後に立派な弁護士になったらしい)誰とでも対等な関係を結んで自由を愛するチマッティ神父は、上から命令を下すような強圧的で権威主義的なファシズム体制とはさぞかし相性が悪かっただろう。イタリアのムッソリーニ体制下でも、日本の軍国主義の中でもチマッティ神父は肩身の狭い思いをした。日本が軍事政権で神道一色になってきたとき、「・・これは一種の病気です。」と手紙に綴っている。
サレジオ神学校で天塩にかけて育てた日本の生徒たちが出兵し、戦地から訃報が次々に届くたびにチマッティ神父は泣いた。

チマッティ神父は人の上に立つ役職を嫌って拒否した。
「・・ピアノを弾いたり歌ったり踊ったりするのが私にはふさわしいのです・・モンシニョーレ(閣下)のような称号や飾りなど芝居がかって見えます・・私は自由な神の子でいたいのです。」
わけへだてせずにどんな人のことも丁寧に大切に扱い、どんなに偉くなっても皆と一緒に働き、人の嫌がるような仕事を率先して引き受けていたチマッティ神父。まるで禅の高僧のように一日中黙々と労働して、人の上下関係だの、権威やヒエラルキーを嫌ったのだ。日本の禅寺にある階級制度を嫌って批判した僧には一休禅師のほかに良寛禅師がいる。

いかなるが苦しきものと問うならばひとをへだつる心と答へよ~良寛

水上勉の『良寛』によると、良寛が反発した寺の身分制度を管理する厳しさは、幕府のキリシタン弾圧と関係があるものだったらしい、そしてチマッティ神父の最初の教え子のほとんどは長崎のキリシタン殉教者の子孫だった。

チマッティ神父と同じく、良寛もまた何も言わずに坐禅しているだけで、その場の人々を幸せな明るい気持ちにすることができる人だった、そして良寛の朗らかで明るい読経の声を聴くと、誰でも自ずと敬虔な気持ちになったらしい。チマッティ神父も良寛も多くの人々から愛され慕われる人だった。良寛の滞在した家はなんともいえない和やかな春のような雰囲気が漂い、良寛が去ってからもその暖かく和やかな空気はしばらく残っていたというから、修行を積んだ人は場の空気をガラッと浄化してしまうようなある種の力をもつものなのかもしれない。

チマッティ神父は子供と歌を歌ったり、サッカーをしたりして子供と遊ぶことが何より好きだった。良寛も子供と遊ぶのが好きで手毬をついたり、時には葬式ごっこもしたらしい、良寛が死体の役をやるとまるで本物の死体のようで(・・さすが禅僧)息を吹き返すところなどは迫真に迫っていて、子供が大喜びしたらしい。

作曲家で演奏家でもあったチマッティ神父は日本にいる間に2000回ものコンサートを開いた。裕福な日本人を対象にして、あくまで貧しい信徒の利益にするためだった。

「私は骨の髄まで日本人になりたい。」
ある女性は5歳の時にチマッティ神父のコンサートに連れて行かれて、母親にいくら「あの方は外国の方なんですよ。」と説明されてもチマッティ神父が日本人にしか見えなかったという。日本人の中でも一番良い日本人に見えたのだそうだ。
確かにチマッティ神父の穏やかな母性的な優しさは日本人的かもしれない。子供と一緒に無邪気に遊ぶ天真爛漫なところも良寛のようだし、他人には優しく自身は非常に厳しい修行をしているところも、つましく清貧に徹したところも似ている。
唐木順三が述べたように、良寛には日本人の原型のようなところがある。そして良寛禅師に似たチマッティ神父は、5歳の女の子にはどう見ても一番良い日本人にしか見えなかったのだ・・

第一次大戦のころ、イタリアでボランティアをしていたときに心無い噂を流されても釈明せずに黙々とボランティア活動していたところも良寛に似ている、良寛も誤解されて無実の罪で人から危害を受けることがあってもいい訳ひとつせずに念仏を唱えていた。チマッティ神父は他人を貶めたり、陰口を言う人間をとても嫌悪したらしいが、こうした苦い経験があるからだろう。すぐに言い訳したり、他人のせいにしたり、愚痴をこぼすこともない、まさに己に打ち克つ高潔な人だったのだ。「強くなければ優しくなれない・・」(フィリップ・マーロウ)は真実なのであって、国や文化、宗教も超えて、二人の生き方は純粋・誠実で優しい人間とはどういうものか、ということを教えてくれる。そしてこうした強い精神に支えられた優しさも、純粋な清らかさも、とても一朝一夕でできるものじゃないという事を考えると頭が下がる思いなのである・・

46歳で日本語の勉強を始めたチマッティ神父は日本語習得に大変苦労したらしい、当時の漢字の練習帳をみると良寛禅師の有名な「天上大風」を連想する。まるで子供のように夢中で練習しているだけに、チマッティ神父のおおらかで邪気のない人柄が逆によく表れているような字なのだ。チマッティ神父の説教が大変評判がよかったのも、日本語がたどたどしいために逆にもっと大切な、言葉を超えたものが人々の心に直接伝わったのかもしれない。

かにかくに止まらぬものは涙なり人の見る目も忍ぶばかりに
    -新潟三条地震の被災地の惨状を見て

良寛禅師の詩歌には歓びや悲しみ、彼の体温が直接に伝わってくるようなものが多い。人々の苦しみはまた彼の苦しみでもあったことがよくわかる。こうした共感能力があって、あの有名な「災難に遭う時節は災難に遭うがよき候・・」があるのだと思う。

「自分自身をごまかしてはなりません。苦しみ、十字架あるいは自分自身につりあった試練なしに完徳への道を歩むことはできません。」チマッティ神父

チマッティ神父は人の心の奥底が読めた。(修行した仏教のお坊さんにも人の心を読める方は結構いらっしゃいます)だから弟子たちは神父には一切隠し事はできなかった。人がわかるだけに、人の悲しみや苦しみも直接感じることができただろう。やがて、チマッティ神父は病に倒れ、小金井の病院に入退院を繰り返し、衰弱して寝たきりになっても周囲の人々を明るく励ましていたという。ご遺体は今、調布のサレジオ神学院に安置されている。

誰よりも多くの十字架を背負い、そして誰よりも高く飛翔した良寛禅師とチマッティ神父。母性愛に似た二人の柔らかな優しさ。男にとっても女にとっても、人間にとって一番大切なのは母性なのかもしれないと最近しみじみと思う。

良寛禅師はある人に「道とは何か?」と聞かれ、「道というものは母が身籠ると自然に母乳のでるようなものだ」と答えたという、~『良寛』持田鋼一郎

「歌ったり楽器を弾きながらも祈らなければならないことを忘れてはいけません。音符一つ一つは神のため、神とともなる愛の行為であるべきです。」チマッティ神父

チマッティ神父のアヴェ・マリア。まだイタリアにいた若いころに作曲したものだけど、どこか日本的な感じを受けるのは私だけだろうか?チマッティ神父はたくさんの曲を、良寛禅師はたくさんの詩歌を私たちに残してくれた。そして二人の心そのものである音楽と詩歌は今も私たちを慰めてくれる。






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梟翁夜話 №80 [雑木林の四季]

「信長は啼かぬホトトギスを殺したか」

             翻訳家  島村泰治

某テレビの大河ドラマとやらが晒す児戯的な光秀像に啓発されて、不図、信長を思ひ出す。戦国の雄と云へば、十人が十人、まず織田信長。それはさうだ、武田、今川がともに京を目指してゐた大きな歴史の流れに棹を差して、その流れを大きく変へた人物だからだ。

桶狭間がなかったら、日本史はその後どう流れただらうか。ぞくぞくする仮定だが、ここではあへてそれは語るまい。ここでは、桶狭間に賭けた信長の脳裏にはどんな思惑があったのか、いや、この人物がどんな性格だったから桶狭間ほどの暴挙に出られたのか、と云ふ話しをしてみたい。

啼かぬホトトギスについては、現代の感覚では啼くまで待たうとする家康の沈靜な理性がよしとされるのだが、殺せと言った信長は理性とはほど遠い、映像でステレオタイプに描かれる、ただ野性的な人物だったのか。野性味だけで藤吉郎を心服させられたか、家康を従はせえたかとなると、筆者は迂闊には頷(うなづ)けない。

かう思ふからだ。信長は心底から近代的な感覚の持ち主だったのではないか、西欧的な合理主義を、それと気づかず持ちあわせてゐた人物ではなかったか。後年になって、彼が安土でワインを嗜(たしな)み、地球儀を眺めながら国際感覚を身につけたかのように考えるのは、とんだ錯覺ではないのか。

信長は桶狭間ですでに理性的であり、合理的だった。病む信玄、公家趣味の義元に先はないと見抜いての「暴挙」だった。ともに、一つ日本を統べる器ではない、世界の中の日本を意識し、国のあるべき姿を予見して上での「暴挙」だったのでは。自らが乗り出す天与の時と確信しての桶狭間だったでは、と思ふのだが・・・。

啼かぬホトトギスは殺せの感性は、至極西欧的だ。家臣群の扱ひにしても、信長は一貫して合理主義、功利主義をとった。つまり、桶狭間から本能寺までの信長は、それまでの古典的な思考回路からは抜け出た、日本的なファッジネスのない合理主義者だった。それが、まだまだ脱皮できずにゐた日本の社会に、いや、自らの軍団にすらしっくり同化できなかった。だからこその本能寺だった。

信長は、本能寺で誰やらの企みで命を落とすまでもなく、その合理性が故に自らの死を招いたのだ。




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検証 公団居住60年 №72 [雑木林の四季]

第4章 小泉「構造改革」と公団住宅民営化の道

   国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

 公団改組の変遷、公団住宅の危機、居住者の居住不安の火の手はいつも、1981年の第2臨調にはじまる行革審や住宅審、規制改革会議等の答申、提言から上がった。その内容は財界の要求そのものであった。国民が政治の構造的な腐敗汚職に反発し、期待をよせた「政治改革」の矛先は、逆に国民生活に向けられ、「行政改革」の名で公共部門が縮小されていった。
 前章までは、中曽根政権が「行革」「民活」を旗印に、公団住宅にたいしては家賃の定期的値上げ、市場家賃化を方向づけ、地価バブルに便乗して建て替えに追い立ててきた経緯をのべ、そのもとでの団地住民の生活と闘いに言及した。中曽根路線は行きづまりをみせ、政局は混迷して、ついに1993年に自民党一党支配は終わりを告げ、非自民党内闇が出現した。しかし連立基盤の政権も活路を行政改革にもとめ、自民党が久しぶりに首相をとりもどした橋本政権は「火だるま行革」をうちだし、公団住宅をやり玉にあげた。橋本内閣は98年参院選で大敗し退陣をよぎなくされたが、住都公団廃止によって公団住宅の民営化と定期借家制導入に道を開いた。
 21世紀の幕開け、2001年の自民党総裁選挙に立候補し、「自民党をぶっ壊す」を叫んで人気をあつめた小泉純一郎が総裁につき、4月26日に小泉内閣(自民・公明・保守3党連立)が発足した。小泉首相が真っ先にかかげたのは「聖域なき構造改革」であり、ぶっ壊そうとしたのは、国民生活をまだそれなりに守ってきた公共部門、さまざまな規制、政策体系であった。住宅政策も例外ではなく、これまで執拗に準備されてきた住宅政策体系の大転換が本格化しはじめた。新自由主義「改革」への全面展開である。
 戦後の住宅政策における最大の転換点は、住宅建設計画法の廃止、住生活基本法の制定であり、公団住宅にとっての画期は、それに先だつ公団制度から独立行政法人(独法)への移行である。小泉内閣は、早くもその年の12月に都市基盤整備公団廃止の方針をきめ、03年6月には独立行政法人都市再生機構法を成立させた(機構設立は04年7月1日)。公団住宅「改革」への段取りをつけると、大転換への動きはいっきに強まり、公共住宅政策の3
本柱すべての除去にとりかかり、05年2月には住宅関連3法案を閣議決定した。3本柱を骨抜きにしたあと、住宅政策全体の枠組みを支えてきた住宅建設計画法を廃止し、その更地のうえに組み立てたのが、06年6月1日成立の住生活基本法である。住宅政策の基本理念と国民居住にたいする国の責任のあり方をすっかり転換し、住宅政策における小泉構造改革は、いちおうの仕上げをみた。
 ここで「公団住宅」の呼び名について断っておきたい。公団住宅はもともと正式名称ではなく、公団制度廃止のあとでは、都市再生機構の英文名称アーバン・ルネッサンス・エイジェンシーの頭文字をとって「UR賃貸住宅」とか「UR住宅」とよばれている。本書では、歴史的にも広く親しまれ普通名詞に近い呼び名として、また公共住宅として守っていきたいという思いもこめて、ひきつづき公団住宅と呼ぶことにする。
 公団住宅にたいする小泉路線は、その後、06年9月に発足した安倍晋三内閣にひきつがれ、公団住宅は「規制改革推進のための3か年計画」の名において売却・削減、民営化の道を強いられることになる。この「計画」の大筋は、09年9月に政権交代した民主党内閣になって、むしろ積極的に推進されたが頓挫し、いま第2次後の安倍・自公内閣のもとで新たな局面をみせている。
 ここでは、とくに都市公団を都市機構に改組する時点での財務状況とバランスシートの組み替え操作に注目した。改組を機に、都市再開発、土地事業によって財務構造を悪化させてきた宿病を、公団で唯一安定的に純利益をあげている賃貸住宅部門に移し替え、賃貸住宅事業のさらなる増益をはかって財務「健全化」に充てようとした魂胆がみえる。改組を機にというより、高家賃化のためのバランスシート組み替えが、改組の重要な目的の一つではなかったのか。あわせてこの時点での財務状況を眺めてみることで、政府が公団住宅経営を借金漬けにし、家賃収入から5割以上もの利息を取り立てている実態を明らかにしておく(賃貸住宅勘定2003年度決算:家賃収入5,399億円、支払利息2,956億円)。
 歴代の公団、現在の都市機構の財務構造をゆがめ、不健全にしている原因に、公団・機構の無策、失策はもちろん数多くあろうが、その主要な根源は、「改革」を叫びつづけてきた内閣、政府にある。機構財務の異常な構造にたいする団地住民の指摘にたいしては、向き合おうとしない。この問題にメスをいれ、真の改革をとげることで、公団住宅に将来展望が開ける可能性も確信できる。

『検証 公団居住60年』 東信堂


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私の中の一期一会 №229 [雑木林の四季]

        菅政権のコロナ対策は、危機感に欠け、遅い、手緩い、場当たり的・・
  ~「菅首相は現状把握能力が超お粗末。宣言再発令時も目線は下向きのままだった~
 
           アナウンサー&キャスタ^  藤田和弘                 
                      

 年末から年始にかけてコロナの感染拡大は全国に広がり、医療崩壊も現実味を帯びている。
「ガースーです」とニャニヤしながらネット番組に出演して炎上した菅首相は、GoToの停止を求める分科会の提案にも耳を貸さず「それは考えていない」と冷たく言い放っていた。
 ところが、「年末年始の期間、GoToを全国一斉に停止する」という発表は突然に出てきた。
 そして、年末に感染拡大を止めるための「勝負の3週間」と強調しておきながら何の対策もしなかった。
 当然ながら感染拡大は一向に収まらず、むしろ爆発的に全国に広まってしまった。
 それにしてもヒドイ。自称ガースーの〝危機感のなさ”には呆れるばかりで絶望的にさえ感じる。
 国民の健康と命を守る対策より経済支援対策を優先したのは順序が逆ではないかと批判しても、その「指摘は当たらない」と言うのだろうか。 
 感染症の専門家たちも「ボヤで済むものを〝大火に”してしまったな」と呆れたていたのである。
 ネットにも「政府は何をしてるんだ、ガースーの顔なんか見たくもない」という声もあった。 
〝8割おじさん”の名で親しまれる京都大学の西浦教授は「感染症対策は早め早めに、打てば打つほど対策期間は短くて済むだろう。
 1日1000人を超えるまで、目立った対策を打たなかった菅政権や厚労省は明らかに〝判断が遅い”と言わざるを得ない」と述べている。
 大晦日に1337人感染が分かり、それまで最多だった12月26日の949人を一気に上回った時点で宣言を発出すべきだったのではないかという声は多い。
 実際は、正月2日に小池都知事と黒岩神名川県知事、森田千葉県知事、大野埼玉県知事の4人から宣言の再発令を要請された。
 4日の会見で「正月三が日も感染者数は減らず極めて高い水準だ。1都3県で全国の半分という結果が出ている」として7日に発令すると発表した。
 大晦日から数えて8日目である、やはり菅首相の動きは鈍く「またも後手だ」というほかない。
 GoToトラベルの全国一時停止にしても12月14日に決めたのに、実際の停止は28日からであった。
 首相は年末25日の会見でも「緊急事態宣言などしなくても国民の行動変容は可能だ」と相変らずの頑なな姿勢を見せていた。
 菅首相の背後に二階幹事長の影をチラホラ見た人がいるのをネットニュースが教えてくれる・・
 安倍政権のコロナ対策はかなりの悪評だったが、安倍政治の継承を公言した菅政権も似たり寄ったりの評判で、滅茶苦茶だという声さえある。
 政府が〝静かなクリスマスを”と呼びかけたのに,クリスマスの人出はあまり減らなかった。
 首相は緊急事態宣言の再発令を表明したとき、「経路不明の感染原因の多くは飲食によるもの」と専門家の見解があったとして、飲食のリスクを避けたいので〝夜の会食は控え、飲食店の営業短縮に協力して欲しい”と国民に訴えた。
 いつものように、目線を下に向け台本を読みながらの訴えでは,首相の思いがどこまで伝わるか分からない。
 GoToイーとで、国民に会食を煽っていたクセによく言うよ!・・と苦笑した人のほうが多かったのではないだろうか。 
 国民には会食の制限をしておきながら、自分たちは銀座の高級ステーキ店で、二階幹事長らと〝8人会食”をしたことが報道でバレてしまった。
 コロナ慣れ、気の緩みがあったにしても、号令をかけた大将自らがルールを破るようでは〝示しがつく筈がなく”謝罪に追い込まれた。 大晦日の新規感染者が1337人と過去最多になり、年が明けて2000人を越えたと思ったら、アッという間に3000人を越えてしまった。
 感染力が70%も増すというウイルスの変異種がイギリスで猛威を振るっていることが伝わってきた。
8日にテレビ出演した菅首相は、〝ビジネス関係者の入国を制限していない”ことについて「安全なところとやっている。国内で変異種が1株でも見つかったら、その国とは即時停止する」と述べた。
 しかし、いつも対応が遅れ、手ぬるい首相では国民からなかなか信用されない。
 SNS上に批判の声が溢れた。
「何故、入国を全面的に止めないんだ」
「変異種は発生したらでは遅い。発生前ではないのか」
「日本のビジネスマンはテレワークなのに、なんでビジネス客は来るんだ?」
「先手の対応をすべきだ」
「ザル入国はやめろ!」・・・などである。
 首相はテレビに出演したとき、イギリスからの入国者を水際で防ぐ考えを示したが、現状で「イギリスからの入国者は何人ぐらいか」と問われて「1日1人か2人だ」と答えていた。
 だが、加藤官房長官によれば、正しくは「平均して150人」だったのである。
 首相の答えとは〝余りにも差があり”、現状を把握していないのがハッキリ分る。
 国のリーダーが現状を正しく把握していないとは、呆れたハナシだが、それが事実であった。
 NHKが9~11日に行った世論調査で、菅内閣の支持率が40%にまで低下したことが分かった。
「支持しない」が41%へ上昇したから、支持と不支持の逆転になった。
 原因はコロナ対策での対応の不味さにあるのは明白だろう。
 コロナへの対応について、〝大いに評価する”はたったの3%しかなかった。
〝ある程度評価する”の35%を加えても40%に届いていなかった。
〝まったく評価しない”の17%と〝あまり評価しない”の41%を足すと58%になり半数を越える。
 国民の半分以上は評価していないことになる。
 緊急事態宣言を出すタイミングについても79%が〝遅すぎる”と回答していた。
 他の地域にも宣言を出すべき・・47%
 全国で宣言を出すべき・・33%だった
 宣言の解除期限2月7日については、80%が「解除できないと思う」と答えている。
 ところが、ガースーは新聞のインタビューに答えて「1カ月で感染症を絶対阻止し、〝ステージ3”に戻るよう全力で取り組む」と強調したのだ。
 口先ばかりで、対応は〝緩く”いつも〝後手。後手”なのにである・・
 ガースーの言う事なんて誰も真に受けないのではないだろうか。
 14日、東京都は1502人の感染を確認した、
 木曜日としては過去2番目に多い。
 重症者は前日から6人減ったが医療体制の厳しさは変わらない。
 西日本新聞は14日の紙面で、長崎県医師会の森崎会長がコロナに感染したことを伝え、感染経路は不明だとしている。
 医師として啓発の先頭に立つ森崎会長は、〝家の中でもマスクをしよう”と言うくらい慎重な人だという。
 人一倍気をつけていたその人が、いつの間にか感染していたのだ。
 ということは・・「誰が,何処で感染するか分からない状況だということ」を新聞は訴えているのである。
 コロナウイルスには、夏も冬も関係ない。
 朝も夜も、夜8時前も8時過ぎも関係ない。
 新型コロナウイルスは、常に「人間」を狙っている。
 ガースーでは、手強いウイルスには勝ツことは出来ない、
 退陣?・・一日も早くお願いしたい。

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浜田山通信 №281 [雑木林の四季]

足りないスピード感

              ジャーナリスト  野村勝美

 緊急事態宣言発動といったところで一部の飲食店と呑ん兵衛以外何のインパクトも感じない。私は”アルコール不堪症”だからもう何十年も飲み屋に入ったことがないし、同窓会や慶弔の集まりがあっても盃を手にしない。昔は、私の若いころは、先輩に飲みに連れていかれ、「おれの盃をうけられないのか」と憤られたが、いまはそんなこともさすがになくなっているだろう。だから飲み屋の営業時間の「夜8時まで」には何の痛痒も感じないが、んなにしろ世の中の飲めない人は二割ほどらしいから、たいていのことは飲める派の言い分が通ってきた。それが8時でお開きとなれば、これから日が長くなるというのにどうしてくれるんだということになる。飲食店だって夏場にかけては、陽が長くなって、これからと言うときになるのだから、やっちゃおれないということになる。
 いまの政府は何事も自分の持ち出しを少なくしたい。ものすごくケチにできているというより、できるだけ自分の出費を少なくしたい。もうける方は、GoToキャンペーンのように大宣伝し、いっぺんにコロナ感染者を増やした。加えてコロナの変異種が現われてヨーロッパや南ア、アメリカ、南米で猛威を振るっている。日本にも上陸しているが、感染力はこれまでの1.7倍だとか。
 大変なのは、医療関係者だ。クラスターが発生する危険はあるし、第一毎日増えている患者の治療法、対策が確立していない。医療崩壊も目前だというのにわが政府は何をしていたか。
 緊急事態宣言も一都三県じゃ足りないからと大阪、京都、兵庫、愛知、岐阜に福岡、栃木も追加した。政府は本質的にケチなのだ。自分の出費はできるだけ少なくしたい。飲食店への補助も同様。それも様子を見ながらちびりちびりと出している。こんなやり方では全国への感染拡大は必至だ。
 国民の方も昨年の緊急事態の時のような緊張感がない。盛り場の人出は、軒並み最初の時より4、50% 多かったそうだ。そもそも最初のころの宣伝の仕方が悪かった。年よりは感染したらいちころだが若者は大丈夫だといわれ、事実、新宿歌舞伎町の歓楽街は大したことはなかった。それが今や感染者は壮年者に増え、医療従事者も病院も足りなくなってきた。2月になるとワクチンもくると、昨年から言ってきたが、政府にどうも緊張感、スピード感が乏しい。ワクチンは欧米ではすでに打っているが、、日本では大分前に2月からと言ったきり何も言わない。
 すべてにケチだし、少しでも経済の足しになるようにしたい。何度も言うが、GoToキャンペーンが感染拡大の原因だったことは明かだ。この期に及んで少しでも”経済”の足しになるように考えるようでは感染はますます増える。
 内閣支持率もNHKでさえ不支持が支持を上回った。緊急事態宣言も、ちびりちびり増やしていくやり方では、いつまでたっても感染者が減るわけhがない

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BS-TBS番組情報 №226 [雑木林の四季]

BS-TBS 2021年1月のおすすめ番組

            BS-TBS広報宣伝部

諸説あり!邪馬台国スペシャル~古代ミステリー 幻の国は“ここにあった!”~

226諸説あり邪馬台国SP.jpg

2021年1月16日(土)よる7:00~8:54

☆森羅万象に諸説あり!諸説の裏に新たな真実あり!

出演:堀尾正明、吉川美代子
ゲスト:夢枕獏(作家)
ナレーター:鈴木省吾
3世紀頃、日本に存在したとされる古代国家「邪馬台国」。その所在地に関しては謎が多く、「九州説」と「畿内説」の2つが有力とされ300年に渡る論争が続いている。
しかし、今年になって驚くべき発見、遺物が見つかった!この論争に終止符を打てるのか?堀尾・吉川が現地に飛び、徹底検証を行った。
吉川が向かったのは九州・吉野ヶ里遺跡。ここで出土した卑弥呼の時代の石器が、“すずり”だと判明したのだ。文字を持たなかったとされてきた弥生人だが、この時代の九州に高度文明があったのか。
堀尾が向かったのは、奈良・纏向遺跡。付近の山で、3世紀頃に「水銀」を採掘した痕跡が見つかった。水銀は中国との交易に重要なもので、豊富に採れる場所に国の中心があったはずだという。
さらに取材班は、「邪馬台国」の存在を唯一記した中国の書「魏志倭人伝」を読み解くため中国へ。漢字学・歴史学など中国の4人の権威に検証を依頼。
邪馬台国があった本当の場所とは…。そこで導き出された答えは驚くべきものだった!
※初回放送:2019/5/10

うた恋!音楽会

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2021年1月22日(金)よる9:00~10::54

☆歌謡曲・演歌・ポップス…時代を超える名曲だらけの音楽会!

出演:由紀さおり/三山ひろし
ゲスト:布施明、中川晃教、福田こうへい

ゲストは布施明、中川晃教、福田こうへい。
布施明は、自身の代名詞ともいえる「シクラメンのかほり」を披露。中川晃教はデビュー曲の「I WILL GET YOUR KISS」を、福田こうへいはヒット曲「峠越え」を熱唱する。時代を飾った名曲に携わった“偉人”の楽曲に迫る「うたの偉人伝」は、宮川泰を特集。宮川の軌跡を貴重映像とともに振り返り、由紀さおりが「ウナ・セラ・ディ東京」を、三山ひろしはダーク・ダックスの「銀色の道」を見事に歌い上げる。
ゲストによるスペシャルライブは今回も2本立て!まずは福田こうへい&三山ひろしがセリフ入り歌謡浪曲の名曲を披露!さらに、デビュー55周年を祝して布施明が、由紀さおり・中川晃教とともに自身の名曲を熱唱する。

【予定曲】
「シクラメンのかほり(布施明)」歌:布施明
「I WILL GET YOUR KISS(中川晃教)」歌:中川晃教
「峠越え(福田こうへい)」歌:福田こうへい
「ウナ・セラ・ディ東京」歌:由紀さおり
「銀色の道(ダーク・ダックス)」歌:三山ひろし
「無法松の一生〜度胸千両入り(村田英雄)」歌:福田こうへい
「俵星玄蕃(三波春夫)」歌:三山ひろし
「愛は不死鳥(布施明)」歌:中川晃教
「君は薔薇より美しい(布施明)」歌:布施明
ほか

作曲家・遠藤実 ベストヒット!独学我流の旋律 (仮)

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2021年1月29日(金)よる9:00~10:54

☆ヒット曲の裏側に秘められた苦悩と波瀾の音楽人生に迫る!

昭和歌謡を彩る数々のヒット曲を手掛けた作曲家・遠藤実が76歳でこの世を去ってから、はや12年。2020年12月6日は、その13回忌であった。

舟木一夫「高校三年生」、千昌夫「北国の春」、島倉千代子「からたち日記」、森昌子「せんせい」、山本リンダ「こまっちゃうナ」、こまどり姉妹「ソーラン渡り鳥」、牧村三枝子「みちづれ」、杉良太郎「すきま風」、渥美二郎「夢追い酒」、渡哲也「くちなしの花」、小林幸子「雪椿」など、手掛けたヒット曲は数知れず。まさに昭和代表する作曲家であった。
遠藤は言う、「歌は人生の友」。赤貧の中で青春時代を過ごした遠藤にとって、歌は生きる糧であり、光であった。涙もろく、常に歌に対する熱き心を持ち続けた。そして、次々にやって来る苦難と向き合う時、歌魂は泉のごとく旋律を生み出した。「独学我流」。音楽の理論とは趣が違う独自の旋律は“遠藤メロディー”と言われた。手掛けた曲は、およそ5000曲。そのひとつひとつに、遠藤実の人生ドラマがある。
遠藤実は昭和7年に東京生まれた。だが戦争で両親の故郷、新潟に疎開。そこで青春時代を過ごす。生活は貧しく音楽だけが支えだった。中学を卒業すると地元の工場に就職。17歳で上京し演歌師として活動。その間、独学で作曲法を習得、24歳の時、「お月さん今晩わ」(藤島桓夫)が作曲家として初のヒットとなる。以来、日本の原風景や人情を原点として作家活動を続け、「青春歌謡」という分野も確立した。新潟市にある遠藤実記念館実唱館には、ゆかりの品の他、遠藤の心の現われである仏像も数多く置かれている。
番組では、遠藤実のヒット曲の裏にあった苦悩と波瀾の音楽人生を、TBSの秘蔵映像とともに紹介していく。
▽生い立ち、そして歌との出会い
▽流しの演歌師と独学我流の作曲術
▽はじめてのヒット曲
▽名曲誕生秘話
▽歌手・五木ひろしとの絆
▽歌手・美空ひばりとの絆
▽「浪曲子守唄」の真実!名曲は遠藤メロディーだった!




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バルタンの呟き №89 [雑木林の四季]

「滅から誕へ!」

            映画監督  飯島敏宏

 令和二年、西暦2020年は、「2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会」で世界に輝く筈の日本でした。が、年初に中国武漢で新型ウイルスの発生が伝えられて、対岸の火事と見ているうちに、やがてCOVID 19と名付けられる新型コロナウイルスは、民族の大移動とも称されてきた中国の春節休暇でやってきた膨大な(インバウンドと歓迎されて来た)人々、さらに、燎原の火のようにCOVID 19が広がった欧州各地からの帰国者などによって、日本国内に持ち込まれ、とどのつまりは、香港経由で、船内パンデミック(爆発感染)を引き起こしたまま日本に寄港停留した巨大クルーズ船「ダイアモンドプリンセス号」での水際防疫も叶わず、遂に、孤影を保っていたかに見えた日本も、世界的なコロナ禍の渦にまき込まれてしまいました。
 その後は、ご承知の通り、安倍政権が遅ればせに放った、全国の公立校全面休校、飲食店の夜間営業制限などを含む緊急事態宣言も不手際に終わり、さらに、コロナ下での経済振興を狙って打ち出したGOTO政策の矛盾、宿願の「2020東京オリンピック・パラリンピック」の一年延期、さらに自らから噴出した疑惑等で、体調不安を理由に安倍長期政権が終焉、衣鉢を継ぐ形で頓出した菅新政権も、当初の高支持率も空しく、いまや全地球が危機に瀕しているコロナ禍の、第二波、第三波の対策が後手々々に追われるうちに、極上ステーキ一枚という象徴的マターで惹き起こされた支持率の凋落と共に、年を越してしまいました。
 令和二年の〆は、滅。御存じ吾峠呼世晴原作、赫灼の子竈門炭治郎、禰豆子兄妹が力を併せ、一家を惨殺した仇敵鬼舞辻無残を、お館様産屋敷耀哉率いる鬼殺隊員となり苛酷な修行に耐え、「鬼滅の刃」日輪刀で討ち殺すという、剣戟奇譚「鬼滅の刃」が、コロナ禍の年の民心とともに、マスコミを捕らえ、幼児までを含めてブーム化し、遂には、当初の高支持率を失った菅総理の国会での苦策答弁にまで、「全集中して・・・」などという語句が飛び出して、蓮舫議員の刃に斬り返されるという椿事に至る、将に「滅」の年として終わってしまいました。
 実のところ、僕、バルタンとしては、西暦2020年、令和2年こそは、54年前、僕らの創った空想特撮番組「ウルトラQ」が「2020の挑戦」として想定した近未来の年でした。西暦2020年の日本には、自然破壊と肉体劣化で異形な宇宙人と化した地球人ケムール人が、健全な肉体を備えた地球人を拉致しに現われる「ウルトラQ・2020年の挑戦」、さらには、続く「ウルトラマン・侵略者を撃て!」に登場して、SF宇宙人として延々と今日まで永らえてきた、無謀な原子核爆発実験や、核戦争で自らの星を居住不能に陥れ、宇宙漂流の挙句、地球に漂着して、人類との共生を拒絶され、地球侵略を企てるバルタン星人が、過当な経済活動と核をめぐる戦乱で、地球を居住不能な惑星にまで破砕し、今や、小惑星では飽き足らず、月に荒廃物や軍事拠点を、火星には希少鉱物を求め移住まで漁ろうと試み始めた地球人の未来を暗喩する宇宙人として活躍すべき年、の筈、だったのですが、当時、想像さえし得なかった、人類自らが産み出してしまった極微小人為ウイルスCovid19僅か一粒のもたらした抑制のきかない現実の禍のうちに、計画されたすべてのイベント、全てのチャンスが中止となるに至って、万事休す、文字通りの「滅」に終わってしまったのです。嗚呼、88歳の翁となった僕、バルタンにとっては苛酷な現実に晒されてしまったのです。
 しかし、然し、バルタンは、不滅です。滅とは本来、自ら滅ぶことです。どんな刃で斬りつけられようと、自らは決して滅びません。
 令和三年、西暦2021年の今年こそは、バルタン星人誕生55周年の記念すべき年なのです!新しい年を迎えて、僕バルタンは、いま、蘇ります。蘇っては、さらに呟き続けます。
 現在、「コロナとの勝負の三週間」、「GOTOの一時停止」は、歯が立ちませんでした。
 都知事の「おうち正月」の願いも、一端緩んでしまった若年層の意識改革には及びませんでした。医療破綻も、現実となりました。そして今日、与論に押されるように、菅政権が漸く抜き払った秘刀「再度の緊急事態宣言」の刃も、COVID 19に跳ね返されるかもしれません。さらに、この夏には、菅総理が「人類がコロナに打ち勝った証として」行うと言い続ける2021東京オリンピック・パラリンピックを控えて、令和三年は、さらに苦悩を求められる年になるかも知れません・・・

 でも、僕、バルタンは、敢えて、「蟷螂之斧」ではなく、「蟻が象を倒す」小さな呟きを試みることを生き甲斐にして、この年を、「滅」でなく、「誕」の年と捉えて、呟き続けることをここに宣誓して、誕生します!




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医史跡を巡る旅 №81 [雑木林の四季]

緊急事態宣言下番外編 もういくつ寝ると?

         保健衛生監視員  小川 優

いつもにもなく静かで、お目出度いと言い難いお正月が開け、そして再び、緊急事態宣言が発令されました。
ところが今回の宣言、魂の入っていない仏様のようで、見た目はありがたいですが、御利益は期待できそうもありません。
当てつけのように飲食業だけを悪者にし、全国の患者の増加状況を分析しないまま、1都3県のみを対象にしてスタートはしました。ところが現実は厳しく、次々と対象地域を増やさざるを得なくなったのは、ご承知のとおりです。
さらに感染を抑え込む具体的なロードマップもないまま、「一か月」と期限を設定してしまったのも、好手といえません。指標となる数値的なゴールを設定すると、いつまでたっても解除できないことを恐れたのかも知れません。しかしこのやり方ですと、科学的ではなく、政治的判断でゴール地点が動かされてしまい、その場しのぎの理屈で解除され、結局抑え込みは成功しない。そのまま次の感染拡大を招く。そして、再々度の緊急事態宣言。という負のスパイラルに陥り、拡大抑制ができなくなってしまいます。

「緊急事態宣言」はいわば伝家の宝刀で、最後の手段だったはずです。しかし今回は国民にとっては失望感しかなく、積極的に取り組もう、従おうという感情は醸成されていないように感じます。政府は従わなかった場合の罰則規定を検討しているようですが、過去の事例を顧みても、規制だけで感染拡大を抑えることはできません。

いやだ、いやだよ 巡査はいやだ 巡査コレラの先走り

幕末に日本に入ったコレラは、明治に入っても度々流行し、猖獗を極めました。感染拡大時に政府は感染者の隔離、消毒といった手段を警察力を用いて推し進めます。ところが隔離先の避病院の環境は劣悪で、さらに適切な治療が施されなかったこともあり、民衆に収容=死のイメージが定着、忌避が広がります。先に挙げた小唄が、この時にはやったものです。こうして強制的な隔離も、拡大防止には多少の効果があったにせよ、全体としての死亡率の改善には繫がらず、予防政策としては失敗であったと言えるでしょう。
結局、感染経路をどうやって断つかという環境整備と、治療体制の確保、そしてなによりひとりひとりが正しい知識を持つことが、最善の感染拡大防止策なのです。

いずれにせよ、折角の伝家の宝刀をなまくら刀にしてしまったことは、痛恨の極みです。

あだしごとはさておき。
緊急事態宣言下、史跡巡りという不要不急の外出は自粛し、お正月に引き続いておうちの中で過ごすこととします。全国の病除けの玩具巡り、第二弾です。

「富士土人形 だるま」

81画像①.jpg
「富士土人形 だるま」 ~富山県高岡市
前回もご紹介した「だるま」。全国に様々な形で伝承されています。もともとは赤い衣をまとい、張子の「起き上がり」が病気からの回復を暗示する瘡除けの玩具として、江戸時代に生まれたといわれます。

「三原張子 だるま」

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「三原張子 だるま」 ~福島県田村郡三春町
一方で養蚕が盛んになるにつれ、「起き上がり」の様が、蚕が繭糸を吐き出す姿に似ているとして養蚕の守り神となり、やがて願いをかなえる縁起物となっていきました。

「清水張子(いちろんさん) だるま」

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「清水張子(いちろんさん) だるま」 ~静岡県清水市清水区
天然痘が過去のものとなった今、だるまも疱瘡除けの役割は晴れてお役御免、といったところでしょうか。

「おころりん」

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「おころりん」 ~愛知県豊川市
だるまさんと似ていますが、こちらは三河玩具の「おころりん」。子供が生まれると、無病息災を祈り、ころりんころりんと起き上がって人生を全うするように神棚に祭ったと伝えられます。

「張子の虎」

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「張子の虎」 ~大阪府大阪市中央区道修町 少彦名神社
コレラのことを江戸時代は「虎狼痢(コロリ)」といいました。Choleraの当て字ではありますが、まさしく「前門の虎、後門の狼」、逃げようのない病だったことがよくわかります。そんなこともあってか、特効薬とされたのが虎の頭骨。「虎頭殺鬼雄黄圓」という薬に配合され、張り子の虎のお守りと共に配布されたのでした。

「五葉笹(神虎)」

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「五葉笹(神虎)」 ~大阪府大阪市中央区道修町 少彦名神社
明治になって薬としての販売は出来なくなりましたが、今でも無病息災のお守り、縁起物として神社で頒布されています。11月の神農祭で頒布される神虎は、丹波大江山でとれる五葉の笹を用いており、葉が落ちない縁起物とされています。

「五色鈴」

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「五色鈴」 ~名古屋市中区栄 須崎神社
江戸時代に疫病が流行った時に、尾張徳川家が須崎神社に神鈴を納めて疫病が治まるように記念したのが始まりと伝えられます。ご神木の銀杏の実をかたどり、五色に彩色されています。

「法華寺お守り犬 土鈴」

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「法華寺お守り犬 土鈴」 ~奈良県奈良市法華寺町
大変由緒正しい御守です。奈良時代に聖武天皇のお后、光明皇后がお手ずから犬のお守りを作り、無病息災を祈願して人々に授けられたのがはじまりとされます。ただし法華寺で尼僧が手作りされているものは土人形ですが、画像のものは土鈴です。法華寺のお守り犬をアレンジして作成されたものと思われます。

「木葉猿」

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「木葉猿」 ~熊本県玉名郡玉東町木葉
こちらも起源を辿ると奈良時代、養老年間と言われます。都の落人が夢のお告げに従って春日大明神を祀り、奉納する祭器を作るため赤土を練り、残りの土を捨てたところ猿となった。そのとき流行っていた疫病も消え去った。という言い伝えがあるそうです。悪病除け、子孫繁栄のお守りとされています。日本最古の郷土玩具の一つとされます。

「麒麟獅子」

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「麒麟獅子」 ~鳥取県鳥取市
日本各地に残る獅子舞は、いわゆる獅子、ライオンを模したものですが、因幡地方の獅子は中国の想像上の生き物である麒麟を模しています。ですから他の獅子頭と比べて面長で、どことなくユーモラスなのが特徴。そして獅子の胴体は深紅。さらに獅子を導くのは赤い猩々。そう、因幡地方の獅子舞は、悪疫が入らぬようにする清めの舞なのです。
病に対してなすすべを持たなかった人々が、心の拠り所としてすがったのがこれらのお守りや玩具。しかしながら科学がいかに高度になろうと、人の力ではどうにもならないことはなくならず、今も昔も変わらないと痛感されます。
そして今も昔も変わらないものがもう一つ、悪疫を収めること、これすなわち政を治めること、ということです。


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いつか空が晴れる №99 [雑木林の四季]

      いつか空が晴れる
           -春の海― 
                 澁澤京子
   
(健康のためなら死ねる)の筋肉芸人中山きんに君によると、人間の身体というものはだいたい18歳くらいまでに、何が自分の身体に合って何が合ってないかを学習するものらしい。食事の好みであるとか味覚についていうと確かにそういうところがあるなあ。もしかしたら、人間関係なんかでもそうかもしれない。どういう人と波長が合って、どういう人とは合わないかも、18歳くらいまでに決まってしまうような気がする。
類は友を呼ぶ(似た者は似た者と容易に交じり合う)で、人は自分と同じものを共有していたり、似ている人間を引き寄せてしまうのだろう。

・・最後まで待たなくとも最初の一瞥で、友達になれるかどうかはわかります。なぜならすべての人が音楽であるから・『音の神秘』ハズラト・イナーヤト・ハーン

聴覚の優れた鋭い直観の持ち主には、最初に波長の合う・合わないがわかってしまうらしい。箏奏者で作曲家であった宮城道雄は、さらに相手の声を聴いただけでその人の気分や状況、頭の良し悪しや性格、あるいは美人かそうではないかまでわかったという。
そこまで鋭敏でない普通の人にも、言葉とは関係なく声の調子と雰囲気で相手の好意や悪意は容易に伝わってくることはある。相手が善意の人であるとふわっとしたやわらかい温かさ、すがすがしさ、そして包容力と大きさがあるが、隠していても悪意があると不自然な感じ、狭量でなんとなく品のない感じが漂う。人の持っている独特の雰囲気というのは、音楽のような感じとしてこちらの身体(無意識)に伝わってくるのである。その人の普段心の中で考えていることとか言動、その人の性格は隠しようもなく雰囲気としてにじみ出てくるものなのかもしれない。

コロナで「おうちで踊ろう、ひとりで踊ろう」の状況になっているけど、人とのコミュニケーションも音楽もダンスも、リアルで時間も空間も共有しないと本当の事は伝わってこないと思う。
特にバイオリンやギターなどの弦楽器などは室内で生で演奏されるのを聴くのと、CDやyoutubeで聴くのとは全然違う。生で聴くと空気の振動まで伝わってくるので、耳で聴くというより、身体、全身で聴くという感じになる。
それは人とのコミュニケーションも同じで、ビジネスはともかく、私たちは友人や恋人、家族など親しい人とはイメージと言葉のみでコミュニケーションしているわけじゃなくて、その人と会っている場所であるとかその日の天候であるとか季節や昼か夜かとか、隣にいる相手から伝わってくる雰囲気とか、すべてと関係してコミュニケーションしているのだ。
ネットでは言葉、イメージ、音で情報を伝えるけど、それだけでなんでも伝えられると思ってしまうのはそれ以外の(言葉を超えたもの)の存在に鈍感になっていくことじゃないだろうか。「聴く」というのは聴覚だけじゃなく、もっと大きな全体を感じる感覚なのだと思う。

論語の「六十にして耳順う」ほど難しいことは無くて、人の話をじっくり聞ける人というのは実はとても少ない。もちろん、話が伝わりやすい伝わりにくいには相性もあるけど、一般的に人の話をじっくりと聴くためには無心じゃなくてはできないのであって、私の知っている数少ない「じっくり聴く人」というのは、注意深く聴いて相手の言わんとすることを的確に把握できる明晰な人。じっくり聴ける人の言葉はそれゆえ人に対しても簡潔な言葉で説得力も持つし、人の洞察も鋭い。エゴの少ないほうが人のトーンを微妙に聞き分けることができるし、相手のトーンにも合わせることができるので、相手の心にすっと入りやすい。「じっくり聴く人」はゆったりしていて、人に命令したり強要する必要はない、相手の自発性を尊重して待つことのできる器の大きさがあって、「じっくり聴く」という行為は相手の人格を尊重する謙虚さの表れなのだ・・決して人に流されたり周囲に妥協することではなく、成熟した自我と余裕がないと逆に「じっくり聴く」は難しい。調和するという事は無意識レベルでおこる自然なことなのであって、顔色を読むとか忖度のような意識レベルでの不自然さとはまったく別の次元の事なのだ・・・そして相手のトーンがわかるということは、人の苦しみや痛み、歓びにも敏感で共感能力に優れ、世界の美しさも醜さも人よりずっとわかるということなのだろう。

我が強くて余裕がないと、人の話を途中でさえぎって自分の主張を強引に押し付けてしまうなど「じっくりと聴く」は難しくなる・・・まあ、他人のエゴはよく目につくけど、自分のことになると時折ハッと気が付く程度。しかも私など、興味のない話題になると頭のスイッチが自動的にオフになり、相手の語りがいつの間にかBGMに切り替っていることがよくあります・・

相手の微妙なトーンを聴きわけて無意識で受容し、的確にアドリブで応答するのはジャズミュージシャンがやっていることで、早逝したジャズピアニスト守安祥太郎は演奏中、他の仲間の頭に浮かんだ別の曲がすぐにわかって何も合図しなくても次には自然にその曲を演奏できたらしい。

優れた聴覚を持つ盲目のミュージシャンは少なくない。有名なのは、レイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダー、知らなかったけどネットで検索してみたらバッハもヘンデルも白内障の手術の失敗により晩年は盲目だったらしい・・
まだ若い辻井伸行さんのピアノは本当に素晴らしいし、日本の盲目のミュージシャンと言えばなんといっても宮城道雄だろう。一昔前のお正月はどこかに出かけて、ホテルで珈琲を飲んだりすると、必ずこの『春の海』がBGMとして流れてきた。小泉文雄の『日本の音』によると宮城道雄は(検校)で、これは盲人社会のヒエラルキーの中でも最高位にあたり、最下位のほうは(座頭)と呼ばれていたらしい、勝新太郎の座頭市の座頭である。明治初期までは江戸幕府は盲人の生活を保護するために、あんま、はり、きゅう、筝曲を盲人専有の職業として保護していたのだそうだ。

宮城道雄は、雨の音が好きでいつも自然の音にじっと耳を傾けていたという。人や世界に対して開かれた耳を持つということは、いつもやわらかな静かな心を持つことなのであって、宗教の基本はもしかしたら心を開いてじっと「耳をすます」ような徹底的な受動性にあるのだろう。一つの感覚器官を失っても、人は全体で感受できる感受性を持っていて、他の感覚器官がより鋭敏になるのだろうか。そして、視力を失っても耳の感受性が洗練されて他人の苦しみや痛みや歓びなど、人の繊細で微妙な感情にもとても敏感になってくるのかもしれない。

・・あなたのほうからみたらずいぶんさんたんたるけしきでせうが
  わたくしから見えるのは
  やっぱりきれいな青空と
  すきとほった風ばかりです。~『目にて云ふ』宮沢賢治

吐血によって声を奪われた時の心境を詠んだ宮澤賢治の詩。

事故だったのか自殺だったのか、いまだのその死因は謎のままの宮城道雄。彼のような優しく繊細な感覚を持つ人間にとって、この世界は生き辛かったのに違いない。しかし、宮澤賢治が修羅の中にも(すきとほった風)を見ていたように、宮城道雄も他の人には聴きとれないような美しい音楽を聞いていたのに違いない、と思うのである。


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梟翁夜話 №79 [雑木林の四季]

「齢は取るもの」

             翻訳家  島村泰治

齢は取るものだ。体のあちこちに不具合が出ようとも、齢は取っておくものだ。齢を取れば、若かった頃は思ひもしなかったことが起こるものと気付いて、やはり齢は取っておくことだ、と思ふ。

さう思ふには曰くがある。

ものを書き翻訳などをしながら、近ごろしばしば思ふことがある。言葉を紡ぎながら気無しか淀みが少なくなってゐる。言葉を選ぶ苦労がなくなった・・・。どう云はうか、書き悩むことがめっきり少なくなってゐるのだ。初っ端こそ工夫するが、筆が(いや、キーボードだが)走りだすや一瀉千里、とんとんと捗って句読点から終止符へ、布ならさらっと織り上がるやうになってゐる。

はて、これはどう云ふことか。確かに昨日今日の話ではなく、さう、ここ五、六年ほどの間にじわじわと感じるやうになったことを思へば、如何(どう)やら理由を二つほど思ひつく。一つは、ネット上でHPを介して書き始めたこと。カテゴリーを数編起こしてあれこれ書く経験から、確かに筆まめにはなった。なったが、言葉選びに苦がなくなったと云ふのは解せない。軽い言葉でさらさら書くことなら昔から苦にならなかったからだ。ここぞと云ふ要の言葉、言い回しがいとも軽く湧き出るやうになったことが、ネット上の執筆量に関わるとは思へぬ。

そこで不図気づいた。どうやら年の功と云ふ奴ではなからうか。ひと月ほどで八十六歳になる。思へば齢を取った。ここまで読んだ書物、耳にした逸話、目撃した状況、どれをとっても半端でない時間いや齢の経過を実感する。いずれも言葉の絡まぬ経験はない。どうだらうか、多年仕込んだ酒が発酵し、樽の継ぎ目から芳香たるエキスと香りを辺りに放つ様に、これだけの齢を経て仕込んだ言葉の精が発酵して筆先いや指先から迸り出てゐるのでは?

余談だが、最近私のHPを読まれたある御仁が、私の筆捌きに感じて作文指南を求めてこられた。不肖を顧みず私は諾としてこれに応じ、今嬉々としてその御仁に我流の文章指南を施させていただいてゐる。嗚呼、楽しからずや。

思えば、文章を綴る趣に比類がない。それは音楽も負けずに趣が深からうが、作曲するならいざ知らず、聴くのみの音楽なら文章を綴るに遙かに及ばない。言葉にしてからが、綴る趣は読むそれに遙かに勝る。

言葉の泉が齢を追って豊潤になるものなら、加齢大いに結構、寄る齢波など如何にも愚か、目指すと公言する百歳ももの足らず、泉の更なる豊潤を目指して、願わくば齢忘れの仙境に遊びたいものだ。喝。


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検証 公団居住60年 №71 [雑木林の四季]

第三章 中曽根民活
 Ⅶ 住宅政策大転換のはじまり一都市基盤整備公団へ再編

    国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

 7.都市公団5年間の事業を検証
 1999年10月に「住宅」の表看板をおろし、再開発事業に重点化して設立したばかりの都市基盤整備公団にたいし、半年もしないうちに「改革」の動きが浮上した。2000年3月に経済団体連合会が「特殊法人等に関する第1次提言」をおこなうと、11月には与党3党(自公保)が議員立法として「特殊法人等改革基本法案」を衆議院に提出、12月1日に政府は「行政改革大綱」を閣議決定した。2001年度中に、都市公団をふくめ全特殊法人の廃止、民営化、独立行政法人への移行などの計画を策定し、遅くとも2005年度末までに実行のための法整備をおこなう方針をきめた。
 発足して2年後には新法人準備室を設置した5年足らずの都市公団は、その間にどのような事業実績をのこしたのか。以下、『都市基盤整備公団史』にそって、都市公団の事業の特徴をみておく。
 都市公団は法29条にもとづいて「中長期業務運営方針」をさだめ、「事業展開の基本的な方向」「分野別の業務展開の方向」をしめし、「適切な業務運営」上の目標をかかげている。
 住都公団を都市公団にかえた最大の目的は、「住宅・宅地の大量供給」から「都市の基盤整備」への転換、なかでも市街地の整備改善事業への重点化にあった。市街地の整備改善は、市街地再開発、土地区画整理等の事業手法で進められる。基本方針を検討した公団のメモ文書には端的に「①虫食い土地等(経済対策関係)、②臨海部、③密集市街地」をあげていた。都市公団移行の1年前に公団土地有効利用事業推進本部を設置して、虫食い土地や臨海部などの遊休地の買い上げをし、整地・基盤整備した用地は民間ディベロッ
パーに安く卸し、儲け仕事づくりを支援する事業に走りだしていたことは、すでにのべた。
 第1にあげているのは再開発事業である。市街地再開発事業と土地区画整理事業に大別し、前者の代表的プロジェクトとして、公団が直接施行した晴海lT日東(2001年度完了)、大泉学園駅前(02年度完了)、川崎駅西口(03年度完了)など、民間ディベロッパーとの協調型の東五反田2丁目第1(01年完了)、東品川4丁目(03年度完了)、後者としては、みなとみらい21中央地区、さいたま新都心地区、その他をあげている。都市公団の廃止、都市再生機構構設立にむけては、東京「大手町連鎖型都市再生プロジェクト」(国有地を活用した連鎖的な建て替えによる国際ビジネス拠点の再生)をはじめ、あまがさき緑遊新都心地区、蘇我臨海地区、豊洲2丁目地区等をあげ、「大都市圏における重厚長大産業用地の再編支援」着手を前面にかかげている。
 第2の都市整備事業については、宅地政策が転換をせまられる状況のもとで、都市公団設立後、つくばエクスプレス関連の新市街地区、中部国際空港関連の事業等の認可、完了をみたものの、2001年12月の閣議決定で新規ニュータウン事業からの撤退、継続事業の速やかな終了をもとめられ、プロジェクトの見直し、事業の中止にいたっている。
 公団による宅地処分の減少がつづき、1989年度の664ヘクタールをピークに99年度には157ヘクタールにまで落ち込んだ。住宅整備地区の宅地供給だけをみると1990年度の417ヘクタールから99年度の134ヘクタールに激減している。公団はこれを契機に定期借地の供給拡大、民間事業者との連携をはかっている。しかし、いずれにせよ取得して処分できない土地の地価は下落し、金利負担がかさんで損失を出しつづけることになる。
 第3には居住環境整備事業として、①市街地の整備、②賃貸住宅事業、③賃貸住宅の建て替えをあげ、住宅管理事業には賃貸住宅の管理と住宅の供給がある。ここで特徴的なのは、前身の『住宅・都市整備公団史』まで第一にかかげてきた「住宅の建設」の章はなく、その小項目、統計数字さえも見当たらないことである。ここの「住宅の供給」の項では、都市公団になって家賃を市場家賃化したことにつづいて、たとえば「超高層住棟の上層階の住宅は家賃が高額化し、アクティ汐留の第2次募集(2004年1月)においては、公団としては最高額となる家賃額340,400円の住宅を供給した」と誇らしげに記しているのが目につく程度である。
 都市公団の住宅事業は、旧公団から引き継いだ賃貸住宅の管理とその建て替え事業に限定し、市街地再開発にともなう新規供給を除いて直接建設・供給からは撤退した。公団は既存賃貸住宅のストック活用を中心に、現地管理業務は外部化、民間委託の範囲を拡大しつつ、外にたいしてはもっぱら民間事業者の支援、土地所有者との共同事業に方向転換していった。
 第4に土地有効利用事業は、バブル崩壊後の不良債権処理がねらいだった。不良債権化した虫食い土地の持ち込み、企業リストラによる大規模な工場跡地等の買い取りが目立った.これを整形・集約化、基盤整備をおこなったうえで民間ディベロッパーに譲渡する政府は総合経済対策として公団に臨時に出資金をだし、財政投融資を貸し付け、1998年度から2004年度までの7年間の土地取得費は5,585億円、うち新規出資金は2,950億円にのぼった。しかし譲渡できた土地は、取得した土地の3分の1程度(金額ベース)にとどまった。土地譲渡は進まず、地価は下がりつづけ、巨額の欠損金が都市機構にくり越されていく。

 公団はほかに、鉄道事業、防災公園街区整備事業、都市施設整備事業、公園緑地事業をおこなっている。
 鉄道事業についていえば、公団は千葉ニュータウンでおこなった。鉄道沿線にはじまった公団の宅地開発は、鉄道建設をしての宅地開発にまで拡大した。当初は千葉県の単独事業であったのを公団がひきつぎ、1984年3月に小室・千葉ニュータウン中央間4.0kmが開業、2000年7月に印旛日本医大までの12・5kmを完成させ開業した。投資の回収まで長期におよぶニュータウン鉄道の特性にくわえ、千葉ニュータウンの入居が当初の計画を大きく下回り、苦しい経営がつづいた。輸送人員が予想を下回り毎年十数億円の赤字をだし、02年末現在で約260億円の累積欠損金だという。01年12月の特殊活人等整理合理化計画において公団の鉄道事業の見直しがもとめられ、撤退に決した。公団鉄道は京成電鉄(株)が新設した千葉ニュータウン鉄道(株)に譲渡された。
 千葉ニュータウン事業は鉄道事業をふくめ、多摩ニュータウンとともに多大の欠損をもたらし、今日も公団経営を圧迫している。

『検証 公団居住60年』 東信堂


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地球千鳥足 №140 [雑木林の四季]

壁の中:山羊の頭と裸の男   ~モロッコ~   

      グローバル教育者・小川地球村塾塾長  小川彩子

 門をくぐると迷路が始まる。ここはモロッコ、フェズのメディナ(旧市街)、狭い通路の道端に野菜、果物、魚、香料の山がひしめき、シシカバブーを焼いているどの店にも、かいがいしく働く子どもの姿がある。どの路地も人で混みあい、角を曲がると限りなく迷路が続く。たまげたことに、殺したばかりの山羊の頭が7、8個、切り口を下に血を流して、けれども生きているような安らかな表情で売られていた。通りを向いて。1人の旅人がカメラを向けた。すると男が血の滴る首の角を持ち、その頭を振りかざして旅人を追いかけた。彼は金切り声をあげ、「ご免なさい!」と謝りながら走り、羊売りの男が消えてからも走り続けた。

 迷路の奥の一角にタネリー(なめし皮工場)はあった。速い流れのフェズ川の近く、異様な臭気のするところでヒョイと塀をくぐると別世界、見渡す限りコンクリートやモザイク貼りの水槽が、丸型、角型、大あり小あり、段々畑のように何段にもわたって並び、赤や青の、いつ変えたともしれぬ水が入っている。男たちが澱んだ水に浸かって皮を水に浸している。滑りやすい細い通路を注意して上がる時、見ると建物はいくつもの小部屋に分かれ、天井は低く、光の射さないプリズンの独房さながらの部屋があった。上半身裸の男が背を曲げて皮をなめしており、私の目は彼の顔に引き寄せられた。彼も私をチラッと見た。初恋の人に似ていた。

 「こんにちは!」と思わず挨拶した。驚いたことに彼も低い声で、「やあ」と言った。けれどもそれっきりであった。彼は仕事に戻り、2度と顔をあげることはなかった。丸めた背は語っていた。興味や同情に違いない私の親密さをきっぱり拒絶する、と。彼がこの小さな石室をさよならする日があるだろうか。一生ここから出られないのではないか?

 こことは一転、市場は華やかな雰囲気だ。美しく仕上がったジャケツ、スカートなどが売られ、客は値切って買うのが常識だ。売り手のおじさんたちは海千山千、負けたふりして要領よく稼ぐ。だが、あの石室に隔絶されて一番大変な部分を受け持つ裸の男たちの手にはビタ一文流れていきはしないであろう。外国の商人たちはたたきに叩く。その場合の採算調整は石室の男たちが受け持つのだろう。なめし皮職の男たちの姿はメディナの入り口付近で売られていた山羊の首の列以上に私の胸を締め付けた。

 山羊の血、男たちの汗と吐息で地面がぬかるんだ「塀の中」から私はもとの迷路に出てフェズ川を見下ろした。一昔、いや、二昔前か、このメディナに入った外国人は2度と帰ってこなかったという。挽肉にされたのかな。そうならなかった幸運を喜びながらもメディナの外への私の足取りは重かった。裸同然で皮をなめしていた男に後ろ髪を引かれて。数年前の出来事ながら今もこの男の顔は我が脳裡に鮮明に生きている。

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タネリーの水槽




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サンパウロの街角から №21 [雑木林の四季]

Dear All,
謹賀新年

          在サンパウロ  ケネス・リー

めでたし、めでたし! 2020年も余すところ1週間足らずとなった。何と言っても2020年は占い師すら見抜けなかった“Chinese Virus”に散々虐めつけられた一年であった。「三密」、「Wear Face Mask」、「Keep Social Distance」,「Wash Hands」と護身に明け暮れた一年であった。生まれた時から非常時の中に鍛えられて生き抜いてきた我々には、そこらでヘこたれない芯の強さを持っている。

ああついに菊人形までマスク掛け
水道代ぎょっとするほど手を洗い
(注:この川柳は日本、「知の木木舎のネット・マガジン、No279」より)

と川柳を楽しむ余裕を持つ。だがこのパンデミックは人間の人情味の生活を奪い取った。しかも出口が見えない酷さである。許せない!

2021年は我輩には「めでたし」を祝う年である。昭和6年早生まれで諸友に一年遅れてやっと卒寿の仲間入りすることができた。人生50年から25年と言われたのが卒寿まで生かされた神の恩恵に感謝する次第である。残念ながらただ生きているだけで、最早新しきに挑戦するだけの元気はない。食後にソファーに休んでTVを見ていれば、いつしかコックリ、果ては粗大ゴミと。唯一の抵抗はソファーには常時部厚な本(難読であるほど良し)を置き、それを手にしてソファーに座ることである。事が起きれば「勉強しているのがわからんか!」と怒鳴り返すことだ。男の意地である。本は読まなくてよし。だがソファーの安楽は我々をして過ぎし日々の思い出に駆る。周囲を忘れて走馬灯のごとく駆け巡る思い出に・・・そは清らかな青少年時代に引き戻されるのである。まだ覚えているだろうか、「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、技を習ひ、以て知能を啓発し、徳器を成就し、進て公益を広め、世務を開き、常に国憲を重んじ、国法に遵い、一旦緩急あれば義勇公に奉じ」、教育勅語の一部である。これは今も通ずる「修身」である。「天皇制」「軍国主義」と言われ、GHQ、マッカーサー司令部から廃除されたが、政治的なところを無視しても、人間の社会に生きる基本的な道徳であることは間違いない。我々はこれをモットーに生きて来た。ただ「夫婦相和し」は条件付きで理解するが、これらは我々の人間形成に大きな影響を与えたことは否定できない。

中学に入学したまでは人並みのコースを歩んだが、中学にての授業は一年生までで、二年生に進級した時は戦争たけなわにして、学徒動員の毎日、鍬を担いで林徳官の芋畑の手伝い、小港飛行場整備に駆り出されていた。だが入学後一年の授業はチンピラどもを惑わせるに十分だった。各学科の先生が異なり、各々先生には綽名がついていた。先生に名指しされると緊張してしまうほど先生が怖かった。授業の学科は新鮮な印象を与えた。小学校の授業とは全く異なる。例に「漢文」の科目、五重要科目「国、漢、英、数、理」の一つだが、漢字が並んでいるだけで、返り点、送り仮名が付いていて、下の字を上に持ってきて読み、脇についた仮名を加え読む。最も我々が学んだ「漢文」は論語の片言から始まった。「有朋自遠方来不亦楽乎」の類である。後に漢詩が入ってきた。漢詩は読むに韻があり、唸るように読むと恰好がよい。さらに抑揚をつけて吟ずる「詩吟」なる読み方もある。まだ記憶に残っている漢詩二首記す。諸友もまだ覚えているだろう、元気いっぱいの少年の意気を煽るものがあった詩である。

  男児立志出郷関       少年易老学難成
  学若無成死不還       一寸光陰不可軽
  埋骨豈惟墳墓地       未覚池塘春草夢
  人間到処有青山       階前梧葉已秋声

素読になるが、諸友頑張って読み下せよ。但し、北京語読みは規則違反。

ソファーに微睡のうちに過ぎし純情な自分の影が浮かび上がり、ふと目覚めてえ現実に引き戻され、あの時に夢見た自分と床から起き上がった儘の寝巻き姿の自分を発見して微苦笑・・・
所詮、人生は成るようにしか成らないのである。それを知るに90年の歳月がかかった?
来たる新しき年は、諸友には、ご家族にもよき年であるよう遠くから祈り申し上げます。半世紀以上の真の友情に感謝しつつ、またも愚痴が出るが、人生の殆どを異郷に、それは、「俺、お前」の言葉のない生活の中に過ごしてきた我輩、「宿命」の一語にて片付けられるを拒否する頑固な我でもある。今の俺にあるのは諸友との真実の交わりの懐古だけかもしれない。
何時までもご健勝有らんことを祈りつつ。
宗謙

あなた様の時代には漢文の科目がありました?素読できる人はもう卒寿です。過去帳に記された人たちでしょう。




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私の中の一期一会 №228 [雑木林の四季]

「安倍晋三の不起訴処分に抗議します」ハッシュタグ付きツイートが20万件
~「結局、全部秘書がやりましたかよ」、「しらじらしい」など批判が集中~

           アナインサー&キャスター  藤田和弘

 安倍晋三前首相は25日、衆参両院の議院運営委員会に出席し「桜を見る会」前夜祭の費用補填問題について、首相在任中に「結果として事実に反するものがあった」と述べ、誤り(ウソ)を国会の場で認めた。
 首相経験者が、国会で過去の答弁を訂正するのは極めて異例だと新聞は書いている。
 前首相は、「事務所側が補填した事実は全くない」などとした過去の答弁を訂正したのである。
 そして、会計処理についても「私が知らない中で行われいたとはいえ、道義的責任を痛感している。深く深く反省するとともに、心からお詫び申し上げたい」と陳謝した。
 首相在任中に「責任を痛感する」という発言を国民は何度も耳にしているが、ホントに〝責任をとったこと”は只の一度もなかった。
 だから近いうちに〝道義的責任を取る”と信じている国民などは皆無ではないだろうか。
 野党議員から〝議員辞職を”求められても「国民の信頼を回復する為にあらゆる努力を重ねていきたい」と述べ、心から反省したようには見えない。
 道義的責任をとって〝議員辞職する気など”毛頭ないことは丸見えであった。
 国会で計118回も事実と異なる〝ウソ答弁”をしてきたくせに、信頼回復を・・とは余りにも国民をなめた言いぐさだと言わざるを得ない。
 しばらく首をすくめていれば、「国民は忘れてくれる」と国民軽視の姿勢は相変らずである。
 安倍氏は「この場で改めて事実関係を説明し答弁を正したい」と発言したそうだが、〝何処がどう間違っていたか、正しくはどうであるのか”を全く説明しなかった。
 答弁の中で「事実に反するものがございました」と発言したが、〝どの部分が事実に反していたのか”も説明していない。
 従って、事実はどうであったのかは何も説明されないから、〝答弁の訂正になった”とは言い難いのではないかと指摘されている。
 それなのに国会終了後、安倍氏は「説明責任を果たすことが出来たのではないか。知り得る限りのことは全て話した」と述べ、悪びれた様子は見られなかったというから呆れてしまう。
 26日の朝日新聞も、安倍氏自ら「説明したい」と申し出て行われたのに、詳細を語る場面はなかったと書いている。
〝秘書任せ”で、〝他人任せ”の姿勢ばかりが目立ったとも伝えている。
 森友にしても、加計にしても、そして桜にしても、不都合は全て部下に押しつけ、自分は関わっていないと言って責任はとらない、
 これでは〝卑怯で汚い上司だ”と言われても仕方がないだろう。
 人間的には”小心”で”我儘”、もう一つ言うなら”幼稚な凡人”と言うところだろうか?
  安倍晋三前首相は、「桜を見る会」前夜祭の費用補填問題で、公職選挙法違反と政治資金規正法違反という2件の違反容疑で告発されていた。
 東京地検特捜部は、不記載に就いて”安倍氏の共謀を裏付ける証拠”を見つけることが出来なかったという「嫌疑不十分」を理由に、不起訴処分とした。
 24日のツイッター上は「安倍晋三の不起訴処分に抗議します」とハッシュタグのついた抗議のツイート
が相次いだ。
 タレントのラサール石井は「国会で軽く謝罪して幕引きかよ!薄汚い幕切れだ」と怒っている。
  芥川賞作家の平野啓一郎氏もツイッターで「もし安倍氏のような主張が罷り通るなら、全部秘書がやったことにすれば政治家はやりたい放題になる。秘書のせいにするのではなく政治家自身が責任を取るべきだ。最低でも議員辞職だろう」と投稿した。
 捜査関係者によると、不記載の総額は、4年間の収支を合わせて3022万2392円に上るという。
「これだけの多額を秘書の一存だけで動かせる筈がない。知らない訳はない」と安倍関与は間違いないと見る人の声も多かった。
「検察は恥ずかしくないのか、情けないぞ!」など検察を叱るツイートも多くみられた。
 東京地検の処分が下された24日は、夜11時の時点で「不起訴処分に抗議する」投稿は21万件を超えていた。
「最低でも議員辞職だな、反省の色もないなんて最低な男だ。クリスマスに国民を更に不愉快にしただけじゃないか」となかなか厳しい。
 朝日新聞によれば、2017年に「桜を見る会」に参加した下関市の70代の女性は「反省すべきはして、もっと頑張って欲しい」と話し、安倍氏の説明を素直に受け止めていたという。
 60代の後援会関係者も「本当に知らなかったのではないか。不起訴という検察の判断がすべてだ」と庇う。
  だが、「説明責任を果たして貰わないと国民の不信は取り除けない」と更なる説明を求める声もあった。
 どう見ても、安倍氏の説明では〝納得する”が拡がったとは言えないようである。
 大坂維新の会の橋元徹氏は「政治資金規正法違反は、秘書が略式起訴になって、政治家本人は不起訴処分になるのが大体の慣例だ。
 国会は国権の最高権威の機関であって、そこで発言するというのは相当確認の上やらなければならない。
 その国会で事実と違う答弁を繰り返していた責任は重い。
 国会でそういうことがまかり通るのであれば、国会議員はみんないい加減な発言をするだろう。
 今回は、議員辞職もやむを得ないのではないか」とテレビ番組で語っている。
 ネットに表れたツイートもほとんどが厳しいものであった・・・
「自分は知らなかったと言い逃れて、〝まるで他人事”じゃないか。説明責任を果たしたとは到底思えない」・・・
「信を問うと言うが安倍さんは信じるに値する人ではない。安倍さんの言葉は国民から見て信じられない部分が多すぎろ」・・・
「出馬して信を問う? 違うだろう! 今まで利益供与してきた選挙民に〝私を当選させて貰うため”信を問うんじゃないの?」・・・
「説明責任を果たせたのではないかだって? 答えはNOですよ。あなたが説明したのは一部のマスコミだけで、国民にではありません」・・・
「現職の総理大臣が国会で虚偽答弁をして、それを自ら認めたのに議員を続けるなんて教育上良くない。
 説明責任を果たせたとも思えない。
 次期衆院選に立候補するのは自由だから勝手にすればいいが、その前に国会議員を辞職すべきだ。
 理由はどうあれ、国会で118回のウソはあり得ない。国会発言のウソは絶対許されることではない」・・・
「山口の皆さん、それでもおらが国の総理を守るなら日本中から笑いものになりますよ。
近代日本は山口が築いたと思っているかも知れないが、さすがこの男だけはダメです。
 皆さんのご先祖が築いたものは全てこの男が破壊しました。この男を二度と政治家にすべきではありません」・・・
「選挙に出たら山口4区は結局、安倍を支持しそうだが,こんなんで世の中いいんだろうか」・・・
 明日から2021年がスタートする、
 1月20日にはバイデン新大統領の就任式があるが、アメリカで共和党政権から民主党政権に変わる年に、日本では自民党政権に崩壊現象が起るという不思議な巡り合わせが、これまでに2度あった。
 1993年にブッシュ(父)政権からクリントン政権に代わった時、日本では政治改革を巡って自民党が分裂し細川政権の誕生に至ったのが1回目だ。
 この時、自民党は初めて野党を経験することになった。
 2度目は2009年で、アメリカはブッシュ政権(息子)からオバマ政権に交代した。
 この年、日本の麻生政権が総選挙で大惨敗を喫して、民主党の鳩山政権が誕生している。
 2021年の日本は必ず総選挙をしなければならない。
 菅政権が続くかどうかは、今のところ不明である。
 コロナ対策、モリカケ、桜、河井元法相の買収事件、吉川前農水相の政治とカネ他・・
 〝2度あることは3度ある”かも知れない。  
 
 


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浜田山通信 №280 [雑木林の四季]

『脱成長』と『人新生の「資本論」』

           ジャーナリスト  野村勝美

 コロナ、コロナで年を越した。おかげで暮も正月もない。昨年の半分はアメリカのトランプさんが大活躍して大いに私たちを楽しませてくれた。まだ大統領らしいが、年があけたらいやおうなくバイデン新大統領になる。人間のやることは、どこか滑稽なところがあるが、自然のやることは抵抗するのが難しい。新型コロナは変異種が発生してヨーロッパで猛威をふるっており、やがて極東にもやってくる。そうなると経済もなんとかしなきゃとGoToキャンペーンをはってすぐ中断せざるえなかったガースー氏も日本の主要都市をロックダウンせざるをえなくなる。
 私はもともと卒寿をとっくに越して、脚も痛み、散歩や買い物にも不自由しているから、毎日TVのニュース番組を見るのが仕事(?)だ。トランプさんの時は、コロナとWって時間がつぶれたが、ガースー氏のやることなすこと腹立たしいので、あの御仁が出てくるとチャンネルをかえる。第一ガースーって何のこと? 私はスマホとかSNSの類は一切無縁なので、どうせガースーもそのあたりから始まり、自ら宣伝に役立つと思って言いだしたものだろう。それにしても意味がわからない。言葉には意味があるはずだが、ガースーは単なる記号でしかない。中身がない人にはいい表記かもしれない。
 一国の宰相には申し訳ないが、私はスカ総理と呼んでいる。辞書を引くと【俗】肩すかしを食わされる意。あてがはずれること、とある。新年早々にスカ話もいいかげんにして昨年読んだ2冊の本を推奨して新年の挨拶にします。
 一冊目はいまや論壇の超売れっ子になった斎藤幸平さんの『資本論』。初版が昨年9月22日に出て、たちまち6万部を越えた。昨年はその前にスエーデンの15歳の少女グレタ・トゥーンベリさんが「資本主義が経済成長を優先する限り気候変動を解決できない」と主張、一人で学校ストライキを行った。世界中で若者がグレタに同調、支持した。斎藤さんの本は同じころ店頭に出た。まだ33歳の斎藤さんは一躍論壇の売れっ子になった。白井 聡、坂本龍一、水野和夫、松岡正剛らそうそうたるメンバーが「気候変動、コロナ禍・・・文明崩壊の危機を解決する唯一の方法は脱成長経済だ」と主張する斎藤さんを支持した。基本にはマルクスがあるが、「資本論」のとらえ方がこれまでとまるで違う。マルクスは最後の段階で何年もかけて脱成長コミュニズムという到達点に達した。これで気候変動や格差問題も解決される。
 もう一冊は、セルジュ・ラトゥーシュの『脱成長』だ。この本は昨年出たばかり。われわれはなぜ消費社会から抜け出さなければならないのか、持続可能な開発というスローガンが経済成長という名の宗教を守るためのスローガンにすぎないこともわかりやすく教えてくれる。著者はまだ80歳。「老いはどうにもならない」と訳者に言ってきたそうだが、「まだまだ頑張ってもらわなきゃあ」とひと回り上の小生は言いたい。2著は新書版。読みやすい。

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BS-TBS番組情報 №225 [雑木林の四季]

BS-TBS 2021年1月のおすすめ番組

                                        BS-TBS広報宣伝部

ふれあい!乾杯!日本ご当地はたらき旅

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2021年1月1日(金)よる7:00~8:54
2021年1月2日(土)よる7:00~8:54

☆人とふれあい、共にはたらき、そして食べる。「はたらくこと」の素晴らしさを再発見する旅の第6弾!

出演:杉浦太陽、貴乃花光司、高橋礼華、村上佳菜子
※「高」の漢字は正式には「はしごだか」です。

2夜連続放送大型特番!
今回で6回目の放送となる「はたらき旅」。全国津々浦々、その土地ならではの「仕事」が根付く日本。そんな「ご当地仕事」を本気で体験しに、芸能人や一流アスリートが、数日間、各地に出発!昼は地元の方々と一緒に働いて、夜はその日払いのお給料でふれあい!乾杯!大宴会!忘れかけていた人との絆や、お金をもらうことの大変さ、日本各地の豊かな文化など、いろんなことに気づく旅番組です。
今回「はたらき旅」に挑戦するのは、杉浦太陽(俳優)、貴乃花光司(第65代横綱)、高橋礼華(バドミントン元日本代表)、村上佳菜子(プロフィギュアスケーター)の4人。杉浦太陽は北海道・十勝で酪農に挑戦。貴乃花光司は能登で寒ブリ漁。高橋礼華は春日部の羽子板作りの職人さんのもとへ。村上佳菜子は下関のたけのこ農家で働く。
▽1月1日(金)
「第1夜」
プロフィギュアスケーター・村上佳菜子が山口県・下関でタケノコ農家に弟子入り!
元ウルトラマン・4児のパパの杉浦太陽が北海道・十勝で酪農家に変身!
▽1月2日(土)
「第2夜」
第65代横綱・貴乃花が石川県・能登で寒ブリ漁師に!
バドミントン・リオオリンピック金メダリスト・高橋礼華が埼玉県・春日部で押絵羽子板職人に弟子入り!

新・地球絶景紀行フランススペシャル 
           吉田羊が旅する愛のパリ夢のカンヌ

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2021年1月3日(日)よる7:00~8:54

☆地球を旅し、そこで出会った絶景を紹介。今回はフランススペシャル!

旅人:吉田羊

吉田羊が、フランス・パリ&カンヌを訪れる2時間スペシャル。
今回の旅は観光とはちょっと違う目線、映画とゆかりある場へ…パリの街をめぐる。
バレエの最高峰オペラ座では、建築物としての歴史を感じつつ、普段はなかなか見ることの出来ない屋上からの絶景を観賞!
憧れの街カンヌでは、先祖代々『カンヌ映画祭』を撮り続けている写真家のアトリエを訪ねる。
そして、映画スター御用達の老舗ホテルへ。
スイートルームの窓からは、映画祭のレッドカーペットが見ることが出来る。

※BS-TBS 4Kでは高精細の4K映像でお楽しみ頂けます。

ゴルフ3キングダム新春スペシャル 
    男子vs女子vsシニア プロNo.1チーム決定戦

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2021年1月3日(日)よる9:00~10:54

☆ゴルフ界を代表するスター選手が夢の共演!男子、女子、シニアのプロゴルファーがチームを結成して対決!プロNo.1の称号はどのチームに!?

【男子プロチーム】堀川未来夢プロ、浅地洋佑プロ、時松隆光プロ <応援団長:小山武明プロ>
【女子プロチーム】木戸愛プロ、藤本麻子プロ、松森彩夏プロ <応援団長:柴田英嗣(アンタッチャブル)>
【シニアプロチーム】芹澤信雄プロ、藤田寛之プロ、原川光則プロ <応援団長:コカドケンタロウ(ロッチ)>
解説:菊地智哉(「月刊ゴルフダイジェスト」編集長)

ゴルフ界を代表するスター選手が夢の共演!賞金100万円をかけて、男子、女子、シニアのプロゴルファーがチームを結成して対決します。
男子プロチームは選手会長の時松隆光に、浅地洋佑、堀川未来夢の3人。
女子プロチームはレギュラー放送でも活躍した藤本麻子に、木戸愛、松森彩夏が参戦。
そしてシニアチームは、芹澤信雄が愛弟子でツアー18勝を誇る藤田寛之と原川光則を率いて戦いに挑みます。
お正月にスターたちが笑顔でラウンドと思いきやプレーはいたって真剣。アスリート魂に火がついた9人のプロゴルファーがスーパーショットを繰り出します。
普段は個人で戦う選手たちがチームを組んでどう戦うのか。トッププロの楽しくも熱い戦いをご覧ください!
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バルタンの呟き №88 [雑木林の四季]

「初夢を見た夢」

              映画監督  飯島敏宏

 令和三年2021! 明けましておめでとうございます! 

 令和二年2020は、東京オリ・パラリンピック大会で世界に輝くJAPAN!の筈でしたが、とんでもない春の椿事で、折からの春節で中国から寄せてきた人海の波と、超豪華クルーズ巨船とで新型コロナウイルスCovid19が来寇、あれよ、あれよ、という間に、日本ばかりか世界中が感染の渦中に巻き込まれ、ついに地球人類史上特筆すべき災いの年になってしまいました。

 さて、コロナに翻弄された思わぬ失政と疑惑に突然足元をすくわれて斃れてしまった安倍長期政権の衣鉢を継いで、「国民のために働く」菅新内閣が帆を上げて、まずは無難に巡行、コロナ小康を潮目とみて打ち出した経済優先政策の目玉Go to!travel, eat, and&!が、コロナ第三波襲来で突然のStop!赤信号で立ち往生、高く掲げた帆を降ろすこともならず、呻吟のうちに、新らしい年を迎えることになってしまいましたが、果たして令和三年は、菅首相が、質疑無くうつむき加減のメモ読み上げ会見ではなく、決然と面を上げて宣言したように、「新型コロナウイルスに打ち勝った証として、2021東京オリンピック・パラリンピックを完璧に成功させる!」年になるのでしょうか。
 残念なことに、大方の国民感情は、年末に及んで、一向に鎮まる気配の見えないコロナ感染の蔓延を抑えてからの経済振興ではないか、というもので、宣言後、言論の自由に関わる人事問題と併せて、菅内閣は支持率の急落を招いたままの越年です。
 僕、バルタンとしては、今年こそ、日本はもちろん、グローバルに、「あらゆる人智を傾けて新型コロナウイルスとの融和共存を遂げるとともに、人類が存続可能な地球のSDG`sに近づく年」になってくれれば、と呟きたい新年です。残念ながら、日本を含めて、世界の現況は、自国自民族優先の、勢力伸長のための経済、軍事力強化の道をたどり続けているようにしか見えません。遂に、宇宙軍まで創設して、宇宙の乱開発を競うその道の行く手は暗黒でしかないのでは・・・

 昨夜、ここまで書いたところで、ママ(カミさんの事です)が、テレビから「Stay home! 静かな年末年始を!」と訴え続けるやや窶れの見える東京都知事の声が流れる中で、年越しの掃除と正月料理を、女性の特技の複眼を効かせて、掃除も料理もパラレルに同時進行でせっせとこなしながら、
「あー、黒豆煮たり、数の子作ったり、お節なんか、せっかく作っても、コロナで、子供たちも孫たちも、誰も来られないんだから、おうち正月なんて言われても老々二人じゃねえ・・・」
とぼやくのを聞きつけて、PCに向かったままの僕が、
「ならば、孫たちにお年玉も無しってことで良いんじゃないかな?ははは」
と混ぜ返したのがいけませんでした。
 八面六臂で忙しく動いていたママの手が、止まります。
「パパ!(僕の事です)神棚の掃除やお飾りは、パパの責任でお願いよ!大晦日の一夜飾りになったら困るわよ!29(ニク)も苦がつくからだめかな。〆飾りも門松も買ってあるからね!」
とまあ、商家育ちのママに、遠い遠い昔、学生時代におふくろにやられたように、外堀も内堀も埋められて、落城です。
 遂に賽ならぬマウスを投げました、せっかく頭の中に降臨しかかっていたミューズの神は、いずれかに飛び去ってしまったのです。いやいやながら、とは見えないように立ち上がります。
「水引はあるし、あ、半紙なんかは、あるよねパパの方に・・・・・・」
言われて気が付いたのですが、そういえば、最近ママは、僕に対して敬語を使う事がなくなった気がしているのです。
「サラリーマンにとって、定年てのはなあ、授精交尾を終わった雄(おす)のお蚕さんみたいなものでねぇ・・・」
そう自嘲してみせた先輩に、情けないことをいうなあ、僕は第二の人生を有意義にすごすぞ、と内心で期してから、はや20年もの月日が過ぎてしまった今日この頃です。
(随分と消費してきた第二の人生、僕は、何ほどの事を成し遂げたか・・・)
述懐しながら、ママに命じられたことのみを成し遂げ、夕餉の食卓についたという訳です。
「飲みすぎちゃだめよ、逆流して、誤嚥性肺炎起こしたら、コロナで、病院は大変なんだから」
近ごろすっかり弱くなった僕は、Xmasに知り合いから贈られたグリュワインの残りを持て余して、床についたのですが、寝しなにふと手にした怪奇物語が、脳内に滞留していたのでしょう。妙な、夢を見たのです。夢の中の夢、複層夢というのか、初夢を見た夢、なのです。
 年が改まらないうちに初夢を見てしまった夢です。
 僕の見てしまった初夢は、ここでご開陳するのも憚られる恥ずかしいものですが、戦中戦後食に飢えた昭和少国民に根深く残り続けている消しきれない後遺症が、八十八翁となった僕に齎した夢の中の初夢は、分厚いステーキにありついた夢です。フォークの肉を、口に運んで、
「ああ・・・」
ことによると、嘆息さえ漏らしたかもしれません。
舌の上で、とろけるような上等な牛フィレ。情けないことに、いまだに、目を閉じれば、
その味が未練にも脳裡に残って・・・いるのです。過去形ではなく、いま現在、コロナと共に、絶えない戦禍と飢餓に見舞われている国々の子供たちに比べたら、取るにも足らない、小さな小さな、戦争の傷跡に過ぎません。でも、深く深く、墓石の中にまで・・・消え去ることはないのです。

 いま、「わずか一枚の極上ステーキが、ニッポンの政情を一変した!」ニュースが、「日本映画史上最高の収益を上げた鬼滅の刃!」と共に、テレビ、電波、ネット上で地球上を駆け巡っているらしいですが、ステーキに慚愧する宰相の初夢も、僕の初夢と同じく、この令和三年2021新年の本番の初夢は、希望あふるる、明るい明るい夢の実現!であることを心から祈りつつ・・・




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医史跡を巡る旅 №80 [雑木林の四季]

年の始めの 試しとて

           保健衛生監視員  小川 優

終わりなき疫 哀しみよ
例年になく、静かな新年をお迎えのことと存じます。

昨年後半は江戸の疫病を史跡で辿り、同時に現在進行形の疫病についての情報を、私情を交えて提供させていただきました。ただでさえ気が滅入る情報ばかりの中で、さらに暗い話題ばかりとなり、明るいお話はお伝え出来ず、申し訳ない思いでいっぱいです。
結局、懸念していた通り、最悪の予想に近い形で、年が明けてしまいました。

このような中ですが、せっかくの新年初めての記事ですから、少しでもメインは明るい内容にしたいと思います。

疫病に抗う手立てを持たなかった江戸時代、庶民は大切な人を守るために様々な手を考えます。特に疫病に弱かったのは、子供でした。江戸時代の平均寿命は30歳代半ばといわれますが、意外と「長屋のご隠居」に代表されるような高齢者も多くみられます。ではなぜ統計的に平均寿命が短かったのか。ひとえに乳幼児の死亡率が高かったためと考えられます。乳幼児の死亡率を左右するのは、衛生や栄養、教育状況や、母子保健サービスの充実度、治安・貧困の度合いなどです。現在(2018年)の5歳未満児死亡率(出生1,000人あたりの死亡数)中央値を見ると、日本は2ですが、ソマリア122、ナイジェリア120、チャド119など、アフリカ諸国の状況は深刻です。ちなみに年間1,000人あたりの死亡者数では、インド882人、ナイジェリア866人、パキスタン409人となり、上位陣の顔触れが変わるという統計のマジックが発生します。

あだしごとはさておき。
今も昔も子供思う親心は変わらず、我が子が病に罹らないように、また罹ったとしても軽く済むように祈ります。子供の身近なものが願掛けの対象となり、病除けの玩具が生まれ、受け継がれていきます。
今回は子供たちを近くで見守った、病除けの玩具をご紹介します。

「疱瘡絵 為朝と疱瘡神」

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「疱瘡絵 為朝と疱瘡神」 ~一勇斎国芳 複製

以前もご紹介した、江戸時代の絵師一勇斎国芳の「為朝と疱瘡神」です。源為朝に向かって前列手前二人が疱瘡神であることはお話ししましたが、奥の兎と後列の面々は、為朝同様に疱瘡除けの立役者であり、疫病除けの玩具の題材としても用いられました。

「達磨 羽前山形と仙台」

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「達磨 羽前山形と仙台」
まず手前の達磨さん。
達磨大師の座禅の姿を模ったものですが、赤色の衣から疱瘡除けに効き、倒れても起き上がることから、病床からの回復をイメージして、病児の枕元に置かれました。

「達磨 各地の姫達磨」

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「達磨 各地の姫達磨」
ここでの達磨はよく知られる大願成就によって目を入れるタイプのものとはデザインが異なっています。また土人形もありますが、張子のものが多いのも特徴です。張子は型に紙を貼り付けて形作る技法で、中空で軽いのが特徴。病気が「軽く」すむことに掛けているからです。

「赤みみずく」

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「赤みみずく」 ~江戸玩具・川越張子
その奥が、みみずく。
ミミズクの特徴は大きな目と、耳。天然痘、疱瘡の後遺症で多かったのが失明です。独眼竜正宗の通り名で有名な伊達政宗が片目を失明したのも、幼少時の疱瘡が原因だといわれています。一方でミミズクにしては誇張された耳ですが、前列奥の兎にあやかったのではないかといわれます。飛び跳ねて元気の象徴でもあり、その血肉を薬として用いた素性もあるといわれます。また仏のご加護を祈って、胸に宝珠を描いたものもあります。疱瘡、天然痘の絶滅と共にその使命を終え、今ではほとんど見られなくなった玩具の一つです。

「犬張子・土鈴」

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「犬張子・土鈴」
奥の二頭は犬です。
犬はよく人に使え、魔性を退けるといわれます。また安産の象徴でもあります。

「犬張子 江戸玩具・日枝神社」

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「犬張子 江戸玩具・日枝神社」 ~江戸玩具・東京都日枝山王神社
出産祝いとして贈られるほか、各地の神社でも、縁起物として頒布されています。背にデンデン太鼓を背負っているのも、子供の健康を守るからとされます。

「ざる犬 江戸玩具・鳥越神社」

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「ざる犬 江戸玩具・鳥越神社」 ~江戸玩具・東京都鳥越神社
犬張子でも、すっぽりとざるを被っています。ざるには魔除けの霊力があるといわれることから、また、よく水を通すことから鼻の通りが良い=風邪が良くなるに掛けています。東京の鳥越神社の縁起物としても知られていて、「竹」に「犬」で「笑」となります。また小さな傘を背負っているものもあり、こちらは「傘も軽い」から「瘡も軽い」を表しているとか。

「鯛車」

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「鯛車」 ~鴻巣赤物ほか
一番奥の犬ですが、よく見ると釣竿らしきものを肩にしており、そこには鯛が掛かっています。そう、鯛は縁起が良く、鮮やかな赤色は魔除け、殊に疱瘡除けの霊力を持ちます。

「鯛車」

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「鯛車」 ~鹿児島県鹿児島神宮
同じ鯛車でも、鹿児島神宮のものは神話に由来します。海幸彦山幸彦のお話で、山幸彦の釣針を飲み込んでいた鯛を形にしています。

「赤べこ」

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「赤べこ」 ~福島県会津地方
このほかにも各地に疱瘡除けに使われていた玩具があります。有名なところで、赤べこ。
黒い斑点は疱瘡の瘡蓋をあらわしているといわれます。後に種痘のもととなった牛痘は牛の病気だというのも、不思議な縁です。今年の干支でもあります。

「さるぼぼ」

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「さるぼぼ」 ~飛騨地方
続いて、さるぼぼ。「ぼぼ」は飛騨の言葉で赤ん坊。つまり猿の赤ちゃん。病が「去る」ように、子供が健やかに成長することを祈って作り与えられたものです。

「黄ぶな」

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「黄ぶな」 ~栃木県宇都宮市
江戸時代、この地に天然痘が流行った時に、罹った子供に釣ってきた金色の鮒を食べさせたところ、病気が治ったという故事にちなみます。

「鴻巣赤物」

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「鴻巣赤物」 ~埼玉県鴻巣市
桐の大鋸屑に正麩糊を加えて練り型に入れて成型したもので、赤く彩色されます。達磨や獅子頭、熊乗り金太郎(熊金)や鯛車、天神などを題材とします。かつて子供の命に関わる疫病の疱瘡除けとして用いられました。

「奉公さん(ほうこさん)」

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「奉公さん(ほうこさん)」 ~香川県高松市
最後にご紹介するのは、悲しい素性を持つ玩具です。昔、お姫様のそば仕えをしていたおまきという少女が、お姫様が疱瘡に罹った時に、お姫様の病気をわが身にうつし、自分は一人離れ小島で世を去った。それ以降、疱瘡に罹った子におまきを模った人形を抱かせ、その人形を海に流すと病気が治る、との伝承が広まったとされます。
多くの医療従事者が、まさに今この瞬間にも、自己犠牲ともいえる献身的な対応で医療を支えてくれています。物言わず、ひたすら子供の命を守ったこれら玩具もまた、時代を超えて疫病の恐ろしさを伝えてきます。
ステイホームのこのお正月、もう一度、この疫病の拡大に対して自分ができることは何か、ひとりひとりが自分なりに、そして真剣に考える時としたい。切にそう思います。


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