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海の見る夢 №73 [雑木林の四季]

    海の見る夢
         -柳宗悦のラブ・レター―
                    澁澤京子

 アインシュタインとフロイトの往復書簡『人はなぜ戦争をするのか』で、アインシュタインの質問に対し、フロイトは戦争を抑制するものとしてまず「文化」を挙げ、「知性を強めること」と「攻撃本能を内に向けること」が人にとって最も重要であると答えている。昔、この本を読んだときはピンとこなかったけど、ヘイトスピーチ、差別と暴力のあふれる今読み返してみると、フロイトの言っていることは実に正しい。

飢餓状態に追い込まれ、やっと届いた小麦粉に群がったパレスチナ人を撃ち殺す(100人以上が亡くなった)イスラエル兵士の残虐な行動と、ヘイトスピーチに共通するのはまさに「知性の欠如」と外に向けられた「攻撃性」以外の何物でもない。今のイスラエル兵士が、まるでターミネーターのような非情さを発揮し、ヘイトスピーチが虚勢や嘲笑の形をとるのは、彼らが人を見下すことによって、辛うじてあるかなきかの己の優越心を保とうとするからだろう。(それが集団化すると暴力に)逆に今のパレスチナの人々が、優れた人間性を見せるのは、民族性もあるのかもしれないが、彼らがすべて奪われた無防備な状態に置かれているからではないだろうか。

それでは「知性」とは何だろうか?

・・・日本が神の国において罪深いものとして見られる事は、私の忍び得ることではない、私は日本の栄誉のためにも、我々の故国を宗教によって深めたい。私は目撃者ではないとはいえ、様々な酷い事があなた方の間に行われたのを耳にする時、私の心は痛んでくる。それを無言のうちに堪え忍ばねばならないあなた方の運命に対し、私は何を言うべきかを知らない。~『朝鮮の友に贈る書』柳宗悦1920年

韓国映画やドラマを見て気が付くのは、時々セリフにハッとさせられるような詩的表現が多いこと。少女の交流を描いた『わたしたち』ユン・ガウン監督や、『それから』ホン・サンス監督、『ペパーミント・キャンディ』イ・チャンドン監督などを観ると、こういう繊細な、人情の機微や人の痛みを表現できる韓国っていったいどういう国なんだろう?と思う。晩年、詩人の茨木のりこさんが朝鮮詩を原語で読みたくて、韓国語を勉強し始めた気持ちもわかるような気がする

朝鮮の陶磁器や仏教美術を通して、朝鮮半島の人々の繊細さと芸術性のレベルの高さに魅入られたのが柳宗悦。エッセイ『朝鮮の友に贈る書』が書かれたのはちょうど朝鮮半島の3・1独立運動を日本総督府が弾圧したころのことで、関東大震災が起こり朝鮮人虐殺があったのがその三年後になる。日本人の朝鮮人に対するむごい扱いと差別を人づてに聞き、いたたまれない思いで書いたのだろう。この美しいエッセイは、目の前に置かれた李朝の器を通して朝鮮の人々に語りかける、柳宗悦の熱烈なラブ・レターである。

支那もすぐに降伏すべしと思ひ足らんが、案外長く抵抗する―朝鮮も後には追々苦情を申し立て我に背くあらん。自分ばかり正しい、強いと言ふのは日本のみだ。世界はさう言わぬ。                     ~『氷川清話』勝海舟
この頃、人が世に処し事に従う様子を見ると、その目的とするところは自己の利益を得るためかそうでなければ名誉権威を求めることであって、精神誠意国を想い、道を行うものは甚だ稀である。                 ~嘉納治五郎

柳宗悦は1889年、東京・麻布で藩士の家に生まれた。叔父が嘉納治五郎、母方の父が勝海舟と懇意な関係にあり、のちのバーナード・リーチ、河井寛次郎等との交友関係も含み、宗悦の植民地主義に抵抗する思いや今でいう人権意識の高さは彼を取り巻く人間関係の影響が大きかった。勝海舟は日清戦争にも強固に反対し、日米修好通商条約が不平等なまま、朝鮮半島を植民地化して不平等を押し付けることにも反対し、好戦的な薩長を頂点とする新政府とは対立していた。(今の自民党の欧米には弱腰、その逆にアジア諸国を見下すといった構図はこのころからあったのか・・・)勝海舟は、欧米列強の植民地化に対抗するには、中国、朝鮮半島、日本とアジアの国でお互いに共存、連帯するしかないと考えていたのである。勝海舟の構想していた「儒教文化圏構想」。それは、その後の仏教がベースになっている西田幾多郎の大東亜共栄圏構想とも、国家神道がベースの八紘一宇とも違う。植民地化した朝鮮半島に神社を建立し、日本語教育を押し付けることになったのは、道義的世界統一の理念を示したのは神武天皇という、田中智学の八紘一宇思想によるもの。勝海舟は、儒学者である横井小楠から影響を受けていたため、そうした誇大妄想的な国粋主義や差別による排他主義とは無縁だった。

昔、朱子学と陽明学の本を集中して読んだことがあって、「用」とか「体」とか禅で使われる言葉が頻繁に出てきた事を覚えている。陽明学のほうが「頓悟」(一気に悟る)で、朱子学が「漸梧」(次第に悟る)に似ていたと把握している。禅は陽明学と似ているが、横井小楠が重要視したのは、陽明学の主観主義ではなく、朱子学の「格物致知」であり、合理性と客観性だった。中国の易姓革命(能力主義)は日本では無視され、世襲制になったが、横井小楠は、日本の血縁世襲制度を批判し、能力主義を奨励した。易姓革命の理論では幕府のみならず万系一世も否定されてしまうが、横井小楠は日本人には珍しい純粋な思想家であり妥協がなかったためか、暗殺された。(日本人は、状況に応じて適当に周囲に自分の意見を合わせるご都合主義者が多く、特にそうした修正主義の長州人には小楠のことは到底理解できないだろう、と勝海舟は述べた)また、横井は日本の政治の本質は「鎖国主義」とも、批判している。彼は西洋のキリスト教に対抗できるのは、儒学しかないと考えていたのである。横井小楠は利他を説くキリスト教をとても評価していた。
~参照『横井小楠』松浦玲著

横井小楠の日本批判はとても鋭く、今の日本にもそっくりそのまま当てはまる。「血縁世襲制度」「鎖国政治」と言えば、世襲議員が多く、派閥のことばかり考え、自己保身のことしか頭になく、大衆受けのパフォーマンスしか考えない与党を連想させるし、興味の対象が内向きで視野が狭く、うちわの人間関係や物事に拘泥しがちの日本人の欠点もよくとらえている。利益第一の欧米のやり方は「仁」ではないと批判し、また、ヨーロッパの植民地政策も「仁」の観点から批判し、さらに「開国」を主張した横井小楠。彼は徹底的に朱子学を学ぶことによって道義とともに近代的合理性をも身につけていた。勝海舟は、頭の切れる横井小楠を「天下第一流」と絶賛した。

『幕末の水戸藩』山川菊栄著によると幕末のころには、無学で乱暴な武士、屋敷に押し入り主人を切り殺して書庫の本に火をつける荒くれもの、農家にお金を無心に行く武士、また武士でありながら占い師を信用するなど、堕落した武士やならず者の多い物騒な時代だった。世の中が混乱し、今の言葉でいうと「反知性主義」と暴力が蔓延していたのだろう。  

横井小楠から影響を受けた勝海舟や嘉納治五郎も極めて近代的、合理的な判断力を持っていた。勝海舟は蘭学を学び咸臨丸でアメリカに渡っているし、フェノロサに教わった嘉納治五郎はヨーロッパに遊学している、二人とも儒教の合理精神をベースにした欧米文化に対する理解力を持っていたため、土着的な血縁主義や排他主義にはならなかった。嘉納治五郎も平等思想の持主で、学習院院長に任命された三浦梧楼(長州藩)の国粋主義や階級意識の強さとは反りが合わず、三浦による朝鮮の閔妃暗殺事件をきっかけに学習院を辞職、外遊に出る。~参照『柳宗悦と朝鮮』韓永大 

・・今の外交家のする仕事は、俺の目には小人島の豆人間が仕事をするように見えるのだよ。
                            ~『氷川清話』    

新政府の外交が目先の事しか見えてない、と批判する勝海舟だが、西郷隆盛の人物はとても高く評価している。朝鮮征伐ではなく、礼節正しい外交をと主張した西郷は、大久保らと対立し辞職した(これが西南戦争につながる)当時からアジアに対する「弱腰外交」を嫌う、故・石原慎太郎のような好戦的、タカ派の日本人が多かったのだろうか。道義を重んじた横井小楠。新政府に対して批判的だった嘉納治五郎と、勝海舟。彼らの「仁」を大切にする考え方は、今の、法を無視した何でもありの時代に生きていると、逆にとても新鮮に見えてくる。

・・こうして書いてみると、日本人の本質は幕末のころから大して変わっていないんじゃないかという気もするが、裏金問題を起こしても平気で開き直る、すれっからしの今の自民党議員と比べるのは、さすがに維新政府の人々に対して失礼というものだろう。

そうした二人の影響を受けた柳宗悦。柳宗悦の自宅は朝鮮人の出入りが激しかったので、周りには常に特高の監視があったが、少しもひるまずに宗悦は朝鮮を擁護し、日本政府による同化政策や日本人による人種差別に徹底的に抵抗した。

‥ある国のものが、他国を理解しようとする最も深い道は、科学や政治上の知識ではなく、宗教や芸術の内面の理解だと思う。~『朝鮮とその芸術』

相手の国の文化や芸術を尊重できない人間は、自国の文化・芸術の良さも結局わからないだろう。柳宗悦が朝鮮李朝の磁器を通して知ったのは朝鮮の人々の温かさと寂しさであった。知性というのは、そうした柔らかな感性をベースにして生まれるものだと思う。

幕末、明治、大正時代と違い、私たちはいくらでも情報を入手できる時代に生きている。恵まれた状況にありながら、SNSの悪意あるデマや噂に安易に飛びつくのではなく、つまり、勝手に決めつけたりせずに、まず、白紙になって相手のことを理解しようとするのがフロイトのいう「知性」なのではないかと考える。

※最近、You tuberとして人気ある、30歳になったばかりの若いバックパッカー、バッパー翔太君のファンでよく見る。バックパッカー特有のブロークンな英語でいろんな国のいろいろな人にインタビューしてゆくのだが、その質問の仕方や対応が、どんな人に対する時も彼のリスペクトが感じられて、感じがいい。天然の天真爛漫さで、ロスのギャングだろうがホームレスだろうが、メキシコ国境やインド、インドネシアの未開民族、どんな場所に行っても、相手の懐になんの抵抗なく飛び込んでいく。しかも、番組最後に語る彼の感想が、毎回なかなか深い。インドネシアに世界中のゴミが押し付けられていることも、アメリカのラストベルト地帯に住む人々のことも、ゴミの問題から貧困と格差の問題まで彼のレポートで知った。元々の素質もあるが、おそらく彼の「知性」をはぐくんだのは学校ではなく、彼が今まで出会った世界中の多くの人々なのだろう。こういう生きた知性を持つ若者にどんどん出てきてほしいと、もう二度とバックパッカーというハードな旅ができなくなった年寄りは思う。バックパッカーにはリスクは伴うが、その代わり安宿でいろんな国の大学生と話しをしたり、現地の人と話す機会が多いので、若かったら手軽なパックツアーに参加するのではなく、バックパッカーになってほしい。

若い時の、いろんな人とのいろんな出会いはその人の「知性」となり、また一生の宝物になるだろう。



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