山猫軒ものがたり №35 [雑木林の四季]
炎 1
南 千代
南 千代
能ヶ谷川での釣りが解禁になった。川は三年おきに禁漁と解禁をくりかえす。これまで、川をのぞき込んでは魚が泳ぐのを「早く大きくなあれ」と眺めているしかなかったのだが、いよいよ釣ることができるのだ。
といっても、釣りは子どもの頃以来である。敵は渓流の女王であるヤマメ。さっそく、釣りの名人である時次郎さんに教えを請いに行った。時さんは、この川の管理を任されており、禁漁中に釣りをしている人を見かけると、葵の御紋のごとく漁業組合の監視員証を見せるのが自慢である。
明日から解禁というその日、時さんの顔はイキイキと輝いていた。懇切ていねいに釣り万を教えてくれ、おまけに釣竿ひとそろいを貸してくれた。翌朝、夜が明けるのを持って川へ降りた。いた、いた。ヤマメが泳いでいる。泳いでいる口元に釣糸を垂れるのだから、釣れないわけがない。またたく間に五匹釣れた。まだ小さな一匹は、キャッチアンドリリース。
必要以上に釣ることはない。すぐに家に引きしけて竹串に刺し、囲炉裏で焼く。まず一匹を山猫軒の主である黒猫のウラに献上し、残り三匹を私たち二人と絵筆で食べる。うまい。身は引き締まっていて、透き通るように白い。
この日の朝は和食。玄米ご飯にフキノトウの味噌汁。まだほんのり温かい産みたて玉子に。たくあえ、梅干し、材料から梅干しにいたるまで、すべて自家製のいつものメニューに、久々の新鮮な魚がついた豪華版である。
この春からは、田の近くに新しく二反の畑も始めることになっていた。地元の人たちと親しくなると、畑地の話は向こうからいくらでもやってきた。
高齢者の多いこの集落では、耕していない田畑が多い。耕してはいなくても、周り近所の迷惑を考えると草刈りなどの管埋はきちんとしておかなくてはならない。作物を作るための草刈りならまだしも、ただ放置しておくだけの土地の手入れは、精神的にもかなり辛い。
きちんと作物を作り、管理し、周りの百姓たちともトうブルを起こさずうまくやってくれる人なら、ただでも貸したいと思っている土地の人は少なくない。が、いったん貸して返してほしくなったときなどに、面倒がおきるような人だと困る。だから、どこの誰ともどんな人ともわからない最初からは、ふたつ返事では貸さない。もっともだと思う。家の場合と同じだ。
そういう点では、私たちは紹介者もいて、ほんとに恵まれていた。「三キロの近くに借りられることになった佃は、元は田んぼだったリ、土砂を埋め立てた地であったりと、それなりに開墾や石除け等を行い、畑にするまでのきつい作業はあったにせよ、向うから「使ってくんねえか」と言われるのは、ありがだいことであった。
冬の間に、借りることになった畑の開墾はすませておいた。玉川村をはしめ、あちこちに少しずつ間借りしていた小さな畑は返した。今年からは、まとまった畑で存分に野菜を作ることができるのだ。
ギヤラリイの方では、ひさ子さんの作品展を開催している間に、次々に新しい企画が生まれてきた。この町の出身だというので訪ねてきてくれたのは、バロックリュートなどの古楽器奏者である立川さん。夫の古くからの友人であるジャズベーシストの井野さんもやってきた。
すると、山猫ギャラリィは今度は猫の目のように早変わりして、コンサート会場に。数十個の椅子は、太い丸太を総動員。時には囲炉裏端お座敷ジャズのスタイルで。古い家は、建具を外せば大広間になり、七、八十人と予想外の人数を受け入れてくれる。
鶏のコケコッコーやヤギのメエメ工、犬のワンワン、蝉しぐれ、とアドリブ参加もあり人も楽器も動物も風も、今、ここにあるすべての状況と生をひっくるめての、山猫ライブである。
やろうとしさえすれば、ほんとになんでもやれるものだ。生越町に住む若手作家たちで、
合同展をやろうという話も持ち上がった。地元作家の作品を、地元の人々にも観てほしい。第一回目の参加作家は十一人。絵画、彫刻、染色織物、陶芸、草工芸、写真、金属、木工などジャンルもさまざまだ。
「この町にも、こんなにいろんな作家がいるんですね。自分の町を何だか見直しちゃった」
町の駅東に住む中川さんが言った。.読女は、牛乳パックの回収などリサィクル活動をこの町で地道に着実に続けている人で、借りているこの家の遠戚にあたる人でもある。うれしかった。
『山猫軒ものがたり』 春秋社
『山猫軒ものがたり』 春秋社
2024-03-14 08:29
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