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海の見る夢 №72 [雑木林の四季]

    海の見る夢
        ―Sky Lark-                                                       
               澁澤京子

いまだ停戦せず、ますます虐殺非道の続くパレスチナ。正義なんてないんだ、と思いながらCDを整理していたら、『真夜中のサヴァナ』クリント・イーストウッド監督の映画のサントラ盤が出てきた。クリント・イーストウッドのものにしては、異様な雰囲気の映画だったけど、さすがクリント・イーストウッド、映画で使われるジャズ音楽が私の好みだったので以前CDを買ったのだ。特に、「スカイラーク」ってこんなにいい歌だったのか、と感心したのがK.D.ラングというジャズシンガーで、ジャケットには、両手に皿を持って首を傾げた女の子の銅像の写真。あの映画に出てきた、公園の女の子の銅像は「正義」のシンボルだったんだ、と今更ながら気が付く。そこでもう一度映画を見直す事に。サヴァナで起こった事件をもとに書かれた小説が映画化されたもので、「ムーン・リバー」「スカイラーク」「酒と薔薇の日々」「フールズ・ラッシュイン」など数々のジャズの名曲の作詞家であるジョニ―・マーサーの生家で実際に起こった殺人事件。ジョニ―・マーサーのジャズ詩は何となくデカダンなものが多く、ジャズをこよなく愛するクリント・イーストウッドがこの小説を映画化したのも頷ける。

「・・悲惨な話を隠すのがサヴァナ流だ。」~『真夜中のサヴァナ』映画より

ジャーナリストのジョン(ジョン・キューザック)が、サヴァナの名士ジム(ケヴィン・スペイシー)にインタビューするために街に着くところから話は始まる。サヴァナというアメリカに実在するこの港町が実に美しい。街路樹は生い茂り人々に木陰を提供し、歴史ある美しい建物と公園、明るい陽射し、抜けるような青空・・しょっちゅうどこかの家ではパーティが催され、住人は中流階級の裕福な人々が多く、まるで、もてなし上手の老練なマダムのような街なのである。かつてのジョニ―・マーサーの邸宅は、今は骨董商で名を成したジムがそれを買い取って住んでいる。

ところが、ジムのパーティの最中に殺人事件が起こる。ジムと痴話喧嘩になった自動車整備士で男娼でもあるビリー(ジュード・ロウ)が激昂して暴れ、撃ち殺されてしまう。後半は法廷ものになり、犯人とされたジムは優秀な弁護士を雇って無罪になるが・・この映画は、最初に犯人がわかってしまうので謎解きでもない、むしろ映画全体から浮かび上がってくるのはそうした事件の究明よりも、不自然な街の人々の姿。パーティの最中に殺人が起こっても、見て見ぬふりで無関心のまま談笑し続ける人々・・死んだ犬の散歩をする紳士、いつもペットのアブを顔の回りに飛び回らせている男、醜聞をひそひそ囁きあう奥さんたち・・つまり、社交的だが他人に無関心、奇妙な街の人々の姿が浮き彫りにされる。そのため、この街の青空が抜けるように透明であるほど、逆にその明るさが不気味に見えてくる。そして、殺された貧しい青年ビリーの死を悲しむのは、街の人々から密に侮蔑されている男娼仲間のレディ・シャブリだけ。この街の裕福な人々は、男女を問わずビリーと肉体関係を持った人が多いのに,ビリーのような貧しい若者の存在は、社交生活では空気のように無視される。

クリント・イーストウッドが描きたかったのは、起こった犯罪よりも、むしろこの街の人々の異様さだったんじゃないかと思うと、両手に皿(天秤)を持った、銅像の女の子が暗い表情なのも腑に落ちる。社交では何事でも他人事のように語られ、無関心が蔓延、ジムのような権力者がその財力によって罪に問われないのは日常茶飯事のこと。そうすると人々は、理不尽を理不尽とも思わないほど感覚がマヒしてしまうのかもしれない。

「死者と語らないと、生者のことはわからない。」

良心の呵責に苦しむジムの唯一の相談相手、ヴ―ドゥ呪術師のミネルバの言葉。タイトルの『真夜中~』は、ミネルバの呪術が真夜中に行われる事からくる。死者との語りは、内省であり、祈りでもあり、また、音楽の根源もそこにあるんじゃないかと思う。世の中には、他人の苦しみのわかる人と、わからない人がいるだけなのかもしれない。法廷で無罪判決が出てから、ジムは心臓発作を起こして死ぬが、最期の瞬間にジムが見たのは、殺されたビリーの微笑む姿で、それはビリーがようやく復讐を遂げた微笑みなのか、それともジムへの愛なのかは神のみぞ知る、だろう。

一見、人種差別もなく平和、多様性に寛大でリベラル、経済的にも豊で美しい街サヴァナ。しかしその裏には経済格差と貧困、人種差別、ゲイ差別というものが密に隠されていて、原作のタイトルは『Midnight Garden of Good and Evil』。クリント・イーストウッドは、原作にはなかった、両手に皿を持つ女の子の銅像(正義の象徴)を登場させた。正義というものが不均衡なものでしかない今の世界で、この銅像の少女の暗い表情は妙に脳裏に焼き付く。もしかしたら、正義は死者との語りの中に存在するものなのかもしれない。

※ここまで書いていたら今、(2月26日夕)、アーロン・ブシュネルさん(25)米兵が、ワシントンのイスラエル大使館前で抗議、パレスチナ解放を叫びながら、焼身自殺するという痛ましいニュースが飛び込んできた。今、パレスチナで連日起こっている虐殺が、感受性の強い一人の優しいアメリカの青年の心を踏みにじったのだ。さっそく、ブシュネルさんに対し「精神疾患」というレッテル貼りする人々が出てきたが、もしそうであるならば、おそらく世界は、彼よりもずっと狂っているのに違いない。

アーロン・ブシュネルさんの魂が安らかでありますように。


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