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海の見る夢 №74 [雑木林の四季]

         海の見る夢
        -Highway Star-
                澁澤京子

~最も人道的な人々は革命を始めません。彼らは図書館を始めます。
                         ~『わたしたちの音楽』ゴダール

一日中、遠くからサイレンの音やヘリコプターの音が聞えていた。終礼の時間に、まだ興奮を隠せない若い担任の女の先生が三島由紀夫の自決を告げたのは、中学一年の秋だった。

70年代は三島由紀夫の自決と共に始まった。そのころ、Gパン屋に入るとお店のBGMによく流れていたのはディープパープルで(昔のGパンは藍の染料の匂いがした)、本屋に行くと新潮文庫のサルトルが充実していて(背伸びしてサルトルやジャン・ジュネを読んでいた)「なんでも見てやろう」小田実、「書を捨てて街に出よう」寺山修司、「見る前に跳べ」大江健三郎など、やたらと「行動」を呼び掛けるタイトルの本が多かったのを覚えている。同級生と銀座の映画館で「燃えよドラゴン」を見て衝撃を受けたのも70年代だった。

実家の本棚にあった三島由紀夫の「午後の曳航」を読んだのは小学校高学年の時。それから家にあった三島由紀夫の本は夢中になって片端から読んだ、三島由紀夫の本は、思春期の自意識の不安定な時期にしっくりとしたが、三島由紀夫ほど「観念的」と批判される作家もいなかった。三島由紀夫にはチェーホフのような恋の哀しみと滑稽さは書けなかったと思うし、三島由紀夫の好きなダヌンツィオの『死の勝利』のような、腐れ縁の男女関係のどうしようもなさも書けなかっただろう、出征した丸山真男の『超国家主義~』の底辺に流れるやり場のない怒りも、彼の経験したことのないものだった。『三島由紀夫VS東大全共闘』は、三島由紀夫自身の育ちの良さと、誠実な人柄がよくわかるドキュメンタリー映画だが、彼は、早熟な天才少年の心のままこの世を去ってしまったのではないだろうか。

70年代は「肉体」「暴力」という言葉がやたらと氾濫した時代だった。東大全共闘の芥正彦氏と三島由紀夫の対話で、芥氏が、(我々を束縛する)イメージ・観念を乗り越えるための(空間・時間からの自由)を主張するのに対し、三島由紀夫はあくまで国体(天皇)を目指すのである。三島由紀夫があくまで「絶対」を希求しアイデンティティのよりどころを求めていたのに対し、世界をドラマツルギーとして見る演劇人である芥氏は「絶対」などは存在しないという相対主義の立場。常識や既成観念をひっくり返し、人に不安を与えたい」と三島由紀夫は語っていたが、それは全共闘もまた目指しているものであった。しかし、人は自分の価値観からそんな簡単に自由になれるものではなく、無意識状態になれば、ほとんどの人が自分自身の(習慣や価値観の)奴隷になっているのである。

肉体というのは混とんとした理不尽なものである、三島由紀夫が横尾忠則を高く評価したのも、初期の横尾忠則の絵には日本人の泥臭さというものがかなり意図的に描かれていたからだ。柳田国男がブームで、東北旅行がしきりと宣伝(そのころのJRの中吊り広告)されていたのも70年代だったし、やくざ映画や任侠ものの流行も70年代だったと記憶している。藤圭子「夢は夜開く」が大ヒットし、日本人の原点は東北や演歌、任侠モノにありといった時代風潮があり、まだ貧しさの残る日本の風景を、ノスタルジックな美しさとして描いたのはつげ義春だった。かつて永井荷風が向島を逍遥したように、生活感のある風景が徐々に日本から失われつつある時期だったのだと思う。

「荒野にて」という三島由紀夫のエッセイに、ある晩、頭のおかしくなった三島ファンの青年がガラスを割って家に侵入してきたという話があって、その青年がまるで自分の無意識からやってきたような気がした、と書いてある。人の無意識は荒野のようなもので一体、何が潜んでいるのか本人にもわからないと締めくくってあって、昔、そのエッセイがとても印象深かったので覚えている。

ニーチェが好きで、弱者のルサンチマンが嫌いだった三島由紀夫は、学生運動の時代を「女子供の時代」といったが、観念→行動という観念的である点で三島は全共闘に親近感と愛情を持っていた。三島由紀夫が最も嫌ったのは、今の世の中にもたくさんいる冷笑主義者で、変に醒めたことを言ってマウントを取り、それを「知的」と勘違いしている人々(ネット右翼に多い)。三島由紀夫は今の、うそとごまかしで「美しい日本」を掲げる、右派政治家たちをどう思うだろうか?お金に汚い今の議員や、三島由紀夫の大嫌いな「寄らば大樹の陰」「集団化」を好むネット右翼をどう思うだろうか?都合の悪い情報はフェイクと決めつけ、平気でデマを垂れ流し、(これが正直だ!)といわんばかりに、パフォーマンスとしての差別発言を行う右派の政治家たちをどう思うだろうか?

~心を空にせよ  型を捨て形をなくせ 水のように~
~良き人生は過程であって、結果ではない。方向性であって目的ではない。~
ブルース・リー

三島由紀夫と東大全共闘の対談に出てくるのが「認識・肉体」「言語・肉体」の一致についてで、三島由紀夫の認識(言語)→肉体とは全く逆のコース、肉体の鍛錬によって、肉体→認識に至ったのが、ブルース・リーだった。三島由紀夫が常に「死」「無」を意識していたのに対し、ブルース・リーは常に「生」を生きていた。ブルース・リーの映画を見て衝撃受けるのは「こんなに美しい身体の動きがあるなんて・・」という驚きであり、実際ブルース・リーはダンス大会でも優勝している。その流れるような体の動きと言い、ブルース・リーは天才的な身体感覚を持っていた。十代の時にボートを漕いでいて、オールで叩いても水は傷つかないことに気づき、忽然と武術の本質がわかったというのだからすごい。老荘思想というのは本来、身体感覚で「理解」するものなのかもしれない。子供の時から喧嘩が強く不良だったブルース・リーは、武術を習うことによって徐々に変わってゆく。そして32歳で突然死するまで、修行僧顔負けのストイックな肉体の鍛錬に励んだ。もし突然死がなかったら、ブルース・リーはその後、瞑想家になっていたんじゃないだろうか。作家だった三島由紀夫が切腹自殺したのに対し、格闘家だったブルース・リーは逆に精神の中に静かな場所を発見していた。そして、二人とも「唐突に」この世から姿を消した。

三島由紀夫のボディビルで鍛えられた肉体、ブルース・リーの鍛錬された無駄のない肉体。彼らの盛り上がった筋肉を見ていると、肉体というのはなんて孤独なものだろうと思う。「全共闘VS三島由紀夫」の冒頭で「他者」の問題が出てくる。他者、そして自分の肉体の「モノ化」がエロティシズムと暴力の始まりなのである。しかし「肉体」の鍛錬から精神的な境地に至ったブルース・リーからわかるように、「肉体」そのものに問題があるわけじゃない、問題は肉体の「モノ化」なのであり、肉体のモノ化、人のモノ化は結局、今のイスラエル政府や、あらゆる国の分断と残虐、セクハラ問題までつながってゆくだろう。
三島由紀夫は自決せずに、肉体→精神のプロセスをたどり、もう一度作家に戻ったほうがよかったんじゃないかと思う・・

インターネットの登場とともに、ますます肉体のモノ化(自他含めて)はひどくなり、同時に言葉(知性)の劣化も始まった。自分自身や他人を単純にキャラ化したりカテゴリー化して安心し、人の無意識の深さと複雑さは尊重されるどころか闇に葬られるようになった。言葉というのは安易に使えば多様性を抹殺するが、同時に言葉は世界の多様性に対して開かれるものでもあると思う。物語が延々と紡がれてゆくのはそのためなのだ。

パレスチナ問題を扱ったゴダールの映画『わたしたちの音楽』には、イスラエルに暗殺された詩人ダルウィーシュの話が出てくる。詩は暴力より強いのか?と映画は問いかける。イスラエルが真っ先に爆撃したのがパレスチナの大学と病院だったが、イスラエル政府が恐れているのはパレスチナ人の知性であり、これから大人になる子供たちなのだろうか?今のパレスチナ停戦デモは60年代の学生運動とは全く違う。むしろ、警官の警備のほうが強制的で暴力的に感じるほどで、「暴力肯定」の全共闘世代のデモと違うのは、革命ではなく是正を目指すからだろう。今は、「人に不安を与えたい」と三島由紀夫が語った高度成長期の70年代のように「安定」した時代じゃなく、イデオロギーというものも消失し、日本経済の落ち込みや異常気象などでむしろ私たちは、「安定」した日常を脅かされている時代に生きている。異常気象が世界中に影響を及ぼしているのと同じように、アメリカやパレスチナで起こることは、同時にどこの国でも起こりうる、というグローバルな時代。憲法を改正したところで日本の軍隊はアメリカの指揮下だろう。そして、今の時代の「反知性主義」は70年代の「肉体の復権」「混沌」などではなく、もっと劣化したものであって、何でも単純化することにはじまって、野蛮な差別や分断と排外主義、ヘイトスピーチという言葉の暴力なのであり、それは人間性の喪失と野蛮への退行だろう。

今の時代に必要なのは、むしろ繊細な感受性を伴った「言葉の復権」、つまり「知性」ではないかと思う。知性を持つということは、他人の痛みに対して敏感な身体感覚を持つ事であり、他人に耳を傾けることであり、世界に対してオープンな心を持つ事であり、また、世界の理不尽に対して目を閉じないことだろう。少なくとも書物、映画や哲学、文学や芸術は、世界も人もそんなに単純なものではないことを教えてくれるだろう。


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