SSブログ

浅草風土記 №22 [文芸美術の森]

隅田川両岸 1

        作家・俳人  久保田万太郎

       吾妻橋

 浅草に住むわれわれ位の年配のものは、吾妻橋の、いまのような灰白色の、あかるい、真ったいらな感じのものになったことをみんな嘆いている。なぜなら、かれらの子供の時分からみつけて来た吾妻橋は、デコデコの虹梁をもった、真っ黒な、岩畳(がんじょう)をきわめたものだったから。……見るからに鬱然たる存在だったから。
 ということは、雷門に立って遠く東をみるとき、つねにその真っ黒な、岩畳をきわめたもの、か、その鬱然たる存在か、郵便屋のまえの大波のかなたに、せせッこましくその行く手を遮っていたのである。……そんなにそれが、そのせせっこましさが、かれらに、浅草めぬきの部分の「名所的風景」を感じさせたことだろう。……
 勿論、この場合、「かれら」という言葉の代り仁「わたくし」という言葉をつかってもすこしもさし支えないのである。

       一銭蒸汽

 勿論、いまは、「一銭蒸汽」ではない。そして、経営者が変わったことによって、船の恰好も、いまでは昔と全く違ったものになっている。……が、「一銭蒸汽」とそう呼んだほうが、船の恰好の違ったいまなお消えないその、存在についてのゲテな感じをはっきりさせていいのである。           
 吾妻橋の袂から出て、かの女は、言問により、白髯橋により、水神により、鐘ヶ淵により、汐入によったあと、千住大橋に到着し、再びそこから同じ航路を吾妻橋へと引返すのである。が、それにしても、東京のあらゆる交通機関のなかで、かの女ほど、わびしい、さんすいな感じをもつものはないだろう。……その乗客層からいっても、その発着所の所在感からうっても……
 以前はしかし、白髯橋という発着所はなかって。その代りに小松嶋という発着所があった。そしてその小松嶋のつぎが鐘ケ淵で、鐘ヶ淵のつぎがすぐ千住大橋だった。……その時分、冬になると、その小松嶋の発着所のまえにも、鐘ヶ淵の発着所のまえにも、枯葦(かれあし)のむれが日に光りつつ、しずかに、おりおりの懶(ものう)い波をかぶっていたのである。……その感傷に触れたいばかり、二十代のわたくしは、用もないのにしばしばかの女を利用したのである。‥‥‥

       隅田公園

 隅田公園の土曜日の夕方ほど男と女の、……くわしくいえば、若い会社員と、それに準じた年齢の事務員との一対ずつのもつれ合いつつ歩いているところはないだろう。……と、しみじみそう感じられるほど、かれらは、おたがい同士、無知であり、ほしいままである。……雨の降らない七月の未の.風のない、曇った空の下でのぱさぱさに乾いた芝生、真っ白に埃をかぶった値込み、それらのまた、何んとかれらに無関心なことよ。……しかも、そこには、河に沿った柵のそとのスロープに、浴衣がけの一人の若い男あって、しきりにそのとき尺八をふいているのである。……上げて来ている湖の、かれのなげ出したその足の下に、しきりに塵芥を運びつつけていることでも、かれは、かれの耳にはさんだ、バットの吸いかけとともにことことくすべてを忘れ切っているのである……それほどかれは夢中でふいているのである。……

        隅田公園

 隅田公園の売店で何を売っているか御存じですか?

 西瓜。
 ラムネ。
 うで玉子
 塩せんべい。
 キャラメル。

 以上かそのおもなろものであります。……蜜パンと焼大福のないことを残念におもいます。……
 所詮は浅草といところの、西瓜であり、ラムネであり、うで玉子であり、塩せんへいであり、キャラメルであります。……

        今戸橋

 聖天山(しょうてんやま)の工事の出来上らない限り、今土橋について何かいうりは無駄である。……が、それにしても、山谷堀のお歯黒といってもない水のいろについてだけは哀しみたい。
 今戸橋塵芥取扱所。
 そうした掲示をもった建物が……トボンとした感じの建物が、真っ黒な、腐ったその水にのぞんで立っているのである。そして、そのまえに、一号から十二号までの塵埃車が。
出勤命令を待つ犬の如く忠実に、しかも油断なくならんているのである。
 とはいうものの、問もなく、そこから十足とはなれない日本堤署今戸橋巡査派出所の裏に……すずかけの葉をその前面に茂らせたコンクリートの交番の裏に、手ずさみの朝顔の蔓のつつましく伸びているのをわたくしはみいだした。……そして、その蔓のさきに、みえない夕月のほのかにやさしいかげをわたくしぼ感じた。

『浅草風土記』 中公文庫


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。