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浅草風土記 №21 [文芸美術の森]

続吉原附近 6

        作家・俳人  久保田万太郎

                         六
…………
…………
  まあおとうさんお久しぶり、そっちは駄目よ、ここへお坐んなさい・
  おきんきん、時計下のお会計よ…・
  そこでね、をぢさん、僕の小隊がその鉄橋を……
  おいこら酒はまだか、酒、酒……
  米久へ来てそんなに威張っても駄目よ……
  まだ、づぶ、わかいの……
  ほらあすこへ来てゐるのが何とかいふ社会主義の女、随分おとなしいのよ……
  ところで棟梁、あっしの方の野郎のことも……
  それやおれも知ってる、おれも知ってるがまあ待て……
  かんばんは何時……
  十一時半よ、まあごゆっくりなさい、米久はいそぐところぢやありません……
  きび/\と暑いね、汗びっしょり……
  あなた何、お愛想、お一人前の玉にビールの、一円三十五銭……
  おっと大違い、一本こんな処にかくれてゐましたね、一円と八十銭……
  まあすみません……はあい、およびはどちら……

  八月の夜は今米久にもう/\と煮え立つ。
  ぎっしり並べた鍋台の前を
  この世でいちばん居心地のいい自分の巣にして
  正直まつたうの食慾とおしゃべりとに今歓楽をつくす群衆
  まるで魂の銭湯のやうに
  自分の心を平気でまる裸にする群衆、
  かくしてゐたへんな隅々の暗さまですつかりさらけ出して
  のみ、むさぼり、わめき、笑ひ、そしてたまには怒る群衆
  人の世の内壁の無限の陰影に花咲かせて
  せめて今夜は機嫌よく一ばいきこしめす群衆、
  まつ黒になってはたらかねばならぬ明日を忘れて
  年寄やわかい女房に気前を見せてどんぶりの財布をはたく群衆、
  アマゾンに叱られて小さくなるしかもくりからもん!~の群衆、
  出来たての洋服を気にして四角にロオスをつ、く群衆、
  自分のかせいだ金のうまさをぢつと噛みしめる群衆、
  群衆、群衆、群衆。
  八月の夜は今米久にもう!~と煮え立つ。

 読者は、薮から棒に、わたしが何をいい出したかと不思議におもうかも知れない。が、ここへもって来たのは、いまの時代でわたしの最も敬愛する詩人高村光太郎氏の「米久の晩餐」という詩の一部である。――どんなに、わたしは、この詩の載った古い「明星」を今日までさかしたことだろう。――今日この文章を書き終ろうとしたとき、ゆくりなくわたしはそれを手に入れることが出来たのである。
 わたしは、この詩を、「吉原附近」の「千束町」のくだり、資本主義的色彩のそれほど濃厚な「草津」に対しての、いうところの大衆的の牛肉屋「米久」を説く上で是非そこに引用したいと思ったのである。~が、それには間に合わなかった。――それには間に合わなかったが、けど、わたしはいま、むしろこの詩をもって、この文章を終ることの機縁をえたことを歓びたい。――それほど、わたしは、この詩の中に、わたしのいう「新しい浅草」の、強い、放慈な、健康な、新鮮な、生き生きした息吹をはっきり聴くことが出来るからである。――そうしてその、強い、放慈な、健康な、新鮮な、生き生きした息吹こそ、これからの「新しい浅草」を支配するであろうすべてだからである。

  むしろ此の世の機動力に斯る盲目の一要素を与へたものゝ深い心を感じ、
  又随処に目にふれる純美な人情の一小景に涙ぐみ、

 と、この詩の作者はそのあとにまたこう歌っている。
「新しい浅草」と「古い浅草」との交錯。――そういったあとで再びわたしはいうであろう……つぶやくように、寂しく、わたしはこういうであろう。
 ……忘れられた吉原よ!
(昭和四年)

『浅草風土記』中公文庫



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