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論語 №142 [心の小径]

四五三 子のたまわく、飽食終日、心を用うる所なきは難いかな。博奔(ばくせき)というものあらずや。これを為すは猶(なお)己(や)むに賢(まさ)れり。

          法学者  穂積重遠

 「博」は昔の墜ハの類。「奔」は囲碁、すなわちここで「博奔」というのは賭博(ばくち)ではない。

 「終日腹いっぱいたべてただぶらぶらしており、何にも心を働かせないのも困ったものだ。双六とか碁とかいうものがあるではないか。あんな暇つぶしの勝負事でも、何もしないよりはましじゃ。」

 もちろん勝負事を奨励するのではないが、孔子様は碁・将棋もいけないというほどの「やぼ」ではない。(参照⁻ 三九二)

四五四 子路いわく、君子は勇を尚(たっと)ぶか。子のたまわく、君子は義以て上と為す。君子勇ありて義なければ乱を為す。小人勇ありて義なければ盗を為す。

 「君子」には「有徳者」「有位者」の二義があると前に言ったが、本草中第一第二の「君子」は前者、第三は後者。

 子路が、「君子は勇をたっとぶものでござりますか。」とおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「君子は勇をたっとぷが、勇よりもさらに義をたっとぶ。すなわち為すべきところと為すべからざるところの判別に重きをおくのじゃ。上級者に勇があって義がないと反乱を起し、下級者に勇があって義がないと盗みをするぞ。」

 子路らしい問いであり、そして孔子様が子路に答えられそうな答えだ。(参照- 一八六・四三九)

『新訳論語』 講談社学術文庫


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