論語 №156 [心の小径]
四九三 陳子禽(ちんしきん)、子貢に謂いていわく、子は恭を為すなり。仲尼(ちゅうに)あに子より賢(まさ)らんや。子貫いわく、君子はい一言以て知ト為し、一言以て不知と為す。言は慎まざるべからざるなり。夫子の及ぶペからざるや、猶(なお)天の階して升(のぼ)るべからざるがごときなり。夫子にして邦家(ほうか)を得ば、いわゆるこれを立つればここに立ち、これを導けばここに行き、これを綏(やすん)ればここに来(きた)り、これを動かせばここに和(やわら)ぎ、その生くるや栄し、その死するや哀しむ。これを如何ぞそれ及ぶぺけんや。
法学者 穂積重遠
子禽(しきん)は孔子の門人か子貢の弟子かと前にいったが(一〇・四三〇)本章でみると後者らしい。
子貢がしきりに孔子様を要して、とうてい及ぶところにあらずと言うのを聞いて弟子の陳子禽が子貢に向かい、「先生はあまりご謙遜が過ぎます。仲尼大先生だって何も先生よりそう立ちまさっていられたわけではありますまい。」と言ったので、子貴がこれをたしなめて言うよう「君子たるもの、一言で智恵が知れまた一言で無智が知れるのだから、言葉はつつしまねばならぬ。お前もそんな総革なことを言うな。大先生がわれわれの及びもつかぬえらい方であったことは、正に天がはしごをかけても登れぬようなものだ。もし大先生が天下の政治に当り得たならば、昔の言某にいわゆる『民を養えばその生活が確立し、民を指導すればその教えのままに附き従い、民を撫で安んずれば遠方の人も来たり集り、民を激励すれば喜び勇みやわらぎ楽しむ。その生ける時は民はこの人と共に栄え、その死する時は民が父母を失えるごとく悲しむ。』ということになったであろう。どうしてどうしてわれわれ風情の及ぶところであろうぞ。」
古註に「生くるや栄え、死するや哀しむとは、聖人の一世に関係あるの形象を言う。聖人の生くる、邦家皆立ち、皆行き、皆来り、皆和ぐ。太陽のひとたび出でて万物皆忻然(きんぜん)として色を生ずるが如し。これ栄ならずや。聖人死すれば、邦家立たず、行かず、来らず、和がず、太陽のひとたび没し万物色を失いて闇黒なるが如し。これ哀しからずや。その広大なることかくの如し。いかんぞそれ及ぶぺけんや。」とある。この「死するや」とあるところをみると、この問答は孔子様没後のことだろうと思う。死後時経ると、その人を見ず、またはよく知らなかった者は、そんなにえらい人だったのだろうか、などと言い出すことにもなるものだ。孔子様についてもそういうことがあったらしい。すこし釣り合いのとれぬ話かも知れぬが、私は子供の時に九代目市川団十郎を見せておいてくれたことを、両親に感謝している。そして絶世の名優を見たことのない近ごろの劇評家がややもすれば、団十郎団十郎というが大したことはあるまい、などと言うのを聞いてかたはらいたく思う。まして師匠思いの子頁が、お前の方がまさっているだろうと言われて、喜ぶどころか憤慨するのは、もっともなことだ。そして編者が子貴の孔子絶賛辞四章をもって『論語』の実質上の結びとしたのは、大いに意を用いたところと思われる。
『新訳論語』 講談社学術文庫
『新訳論語』 講談社学術文庫
2023-02-14 14:06
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