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論語 №147 [心の小径]

四六四 子路従いて後(おく)る。丈人(しょうにん)の杖を以て篠(あじか)を荷うに遇う。子路聞いていわく、子、夫子を見たるか。丈人いわく、四体勤めず、五穀分(わか)たず、孰(たれ)をか夫子と為すと。その杖を植えて芸(くさぎ)る。子路拱(きょう)して立つ。子路を止(とど)めて宿せしめ、鶏を殺し黍(きび)を為(つく)りてこれを食わしめ、その二子を見えしむ。明日子路行きて以て告ぐ。子のたまわく、隠者なりと。子路をして反(かえ)りてこれを見しむ。至ればすなわち行(さ)れり。子路いわく、仕えざれば義なし。長幼の節は廃すべからず。君臣の義これをいかんぞ、それこれをこれを廃せん。その身を潔くせんと欲して大借を乱(みだ)る。君子の仕(つか)うるや、その義を行わんとなり。道の行われざるは、すでにこれを知れり。

         法学者  穂積重遠

 子路が孔子様のお供をしての旅行中、道におくれて孔子様を見失った。たまたま杖の先にアジカ(モッコの頬)を引っかけてかついだ老人に出会ったので、「あなたは私の先生を見かけませんでしたか。」とたずねた。老人は、「口ばかり動かして体を働かせず、いね・むぎ・きび・ひえ・まめの五穀の区別も知らぬくせに、先生もないものじゃ。」と言い放ち、杖を地に突き立てて草刈を始めた。子路のことだから定めしムッとしたろうが、相手が老人なので、手を組み合せて敬意を表しながら、なおも答を待って立っていた。老人もそれに好感をもったか、もう日も暮れるから今から追いかけてもだめだろうと、家に連れ帰って一泊させ、鶏を料理し、きび飯を好いてもてなし、二人の息子を呼び出して、長者を拝する礼を行わせた。翌日子路が孔子様に追いついてそのことを申し上げたら、孔子様が、「世を避けた賢人だろう。わしの本意を知らせたいものじゃ。」とおっしゃって、子路に今一度引返して様子を見させた。行ってみると老人は留守だったので、子路はふたりの息子に向かい、こう言いおいて帰った。一人たる者出でて仕えなければ君臣の義がないことになる。昨夜ご尊父が両君に拙者を拝させたのは、長幼の序を重んじられたのでござろうが、長幼の序さえ捨ててならぬのに、それよりも更に大事な君臣の義をどうして廃することができましょうや。ただ乱世にけがされざらんことのみを欲し、一身だけをいさざよくしようと思って君臣の大義を正すべきではありますまい。君子が出でて仕えるのは、
名門利禄(みょうもんりろく)のためではなく、全く君臣の大義を行わんためでござる。今日の天下に正しい道の行われぬことは、とくに承知覚悟致しております。」

 前章に孔子様が「天下道あらば丘(きゅう)は与(とも)に易(か)えず。」と言われ、本章に子路が「道の行われざるはすでにこれを知れり。」と言ったのが、やむにやまれぬ孔子様の本音と思う。孔子様は「道あればあらわれ道なければ隠る」という中国流の理論を説き(一九七)、かく行った人を賞賛されるが、しかしそれは孔子様のがらにないことで、「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ」救国済民(きゅうこくせいみん)の悲願こそ、孔夫子(こうふうし)本来の姿なのである。それ故孔子様としてはむしろ、伝統的中国思想にこだわらず、当初から「君子の仕うるやその義を行わんとなり」と打ち出された方が徹底したと思う。惜しいことだ。

『新訳論語』 講談社学術文庫



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