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論語 №155 [心の小径]

四九一 叔孫武叔(しゅくそんぶしゅく)、太夫に朝(ちょう)に語りていわく、子貢は仲尼(ちゅうに)より賢(まさ)れりと。子服(しふく)景伯(けいはく)以て子貢に告ぐ。子貢いわく、これを宮牆(きゅうしょう)に譬うるに、賜の牆や肩に及べり。室家(しつか)の好きを窺い見る。夫子の牆は数仞(すうじん)なり。その門を得て人らざれば、宗廟(そうびょう)の美百官の富(ふ)を見ず。その門を得る者或いは寡(すく)なし。夫子の云うこと、亦宜(うべ)ならずや。

         法学者  穂積重遠

 「夫子」~初めのは孔子、後のは叔孫武叔。

 魯の太夫の叔孫武叔が、朝廷での大夫仲間の雑談の際、「子貢は師匠の仲尼よりすぐれている。」と言った。同僚の子服景伯ががヂ聴鮒個が後にそのことを子貢に告げたところ、子貢の言うよう、「飛んでもない話です。先生と私とはまるで人物の桁が違います。御殿の塀に譬えてみますと、私の塀はヤット人の肩に届くくらいですから、塀越しに中の家作の小ざれいなのが見えます。ところが先生の塀は高さ数丈〔一丈は約三メートル〕ですから、入口の門をさがしあててそこから入らなくては、その中の御霊屋(おたまや)の美しさ、そこに百官が袖をつらねた盛んな光景を見ることができません。そしてその門に入り得る人が事によると少ないのですから、叔孫武叔がさように言われるのも、無理からぬことではありませんか。」

 暗に叔孫武叔が人を知らざるの甚だしきを遺憾としたのである。古註にいわく、「賢人を知ればすなわち聖人を知る。武叔をして果して子貢の子貢たる所以を知らしめば、すなわち孔子の孔子たる所以も亦略(ほぼ)知ることを得ペし、あにこの言を為すに至らんや。すなわち武叔は特に孔子を知らざるのみならず、亦子貢を知らずと為す。」

四九二 叔孫武叔、仲尼を毀(そし)る。子貢いわく、以て為すことなかれ。仲尼は毀るべからざるなり。他人の賢者は丘陵なり。猶(なお)踰(こ)ゆペし。仲尼は日月なり。得て踰ゆることなし。人自ら絶たんと欲すと錐も、それ何ぞ日月を傷(やぶ)らんや。まさにその量を知らざるを見るなり。

 これは子貢がその場で武叔に言ったのか、前章のように後に伝聞して他人に言ったのかハッキリしないが、前章のように「夫子」といわずして「仲尼」といっているところをみると、その場の応答らしい。武叔が何の意趣かしきりに孔子様を悪口するので、子貢も腹に据え兼ね、面と向かって痛烈にやっつけたものらしい。

 叔孫武叔が孔子様を悪口したので、子貢がこれに向かって言うよう、「おやめなさいませ。仲尼をそしられてもむだであります。賢人にもピンからキリまであります。普通の賢人というのは、いわば地面よりわずかに高い築山か岡みたようなものですから、踏み越ええようと思えば越えられます。仲尼は日月のごとく地上からかけはなれた上空にあります。越えようとしたって及びもつかぬことです。人間が日月をそしってこれと絶交してみたところで、少しも日月の光を損ずることにはならず、ただ自分が身のほどを知らぬことを暴露するのみであります。」

 伊藤仁斎いわく、「その智いよいよ深ければ、すなわち聖人を知ることいよいよ探し。その学いよいよ至れば、すなわち聖人を尊ぶこといよいよ至る。孔子の喪に、子貢冢々(ちょうじょう)に廬(いおり)すること六年なりしが如きは、聖人を知るのいよいよ深くして、聖人を尊ぶのいよいよ至れる者と謂うべきなり。」

『新訳論語』 講談社学術文庫



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