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論語 №107 [心の小径]

三三五 子のたまわく、邦(くに)道有れば言(ことば)を危(たか)くし行いを危くす。邦道無ければ行いを危くし、言孫(したが)う。

             法学者  穂積重遠

「危」を「けわしく」とよむ人もある。
 孔子様がおっしゃるよう、「国が治まって道が行われている場合には、正しいと信ずるところを遠慮なく言い断固として行う。国が乱れて道が行われない場合には、正しさを行うべきは少しも変りがないが、言葉は当りさわりないよう注意せねばならぬ。」

 これは相当議論のあるべきところで、孔子様もけっして盲従的大勢順応をよしとされるのではあるまい。いかなる場合にも言うべきだけのことは言わねばならぬはずだが、実際上言いがいのある場合もあ。ない場合もあり、無益の波瀾(はらん)を起し思わぬ舌禍筆禍を招いてもつまらぬ次第故、物を言うには時と場合の見はからいがたいせつであることは間違いない。
 古註に、「君子の身を持するは変ずべからざるなり。言に至りては、すなわち時ありて敢えて尽さず、以て禍を避くるなり。然ればすなわち国を為(おさ)むる者、士の言をして孫ならしむるは、あに殆(あやう)からずや。」とあるのを読むと、戦争後期のわが国に正にあてはまるので、苦笑の外ない。

三三六 子のたまわく、徳ある者は必ず言あり、言ある者は必ずしも徳あらず。仁者は必ず勇あり、勇者は必ずしも仁あらず。

 孔子様がおっしゃるよう、「徳のある人には必ず善い言葉がある。なぜならば、心中に蓄積された盛徳がおのずから外にあふれ出て言葉となるからだ。しかし善い言葉のある人が必ずしも徳のある人ではない。なぜならば、言葉はその人の真情から出るものとばかりは限らず、口先のみのこともあるからだ、仁者は必ず勇者である。なぜならば、心に私なく正義を断行するからだ。しかし勇者は必ずしも仁者ではない。なぜならば、勇には正義によらぬ血気の勇もあるからだ。」

三三八 子のたまわく、君子にして仁ならざる者はあらんか、未だ小人にして仁なる者
はあらざるなり。

 孔子様がおっしゃるよう、「君子は常に仁を志すが、まだ聖人のごとく円満具足の域に達してはいないから、時には知らず識らず不仁に陥(おちい)る者があるかも知れない。しかし小人は元来が仁に志さぬのだから、仁者であり得るはずがない。」

三三九 子のたまわく、これを愛しては能(よ)く労せしむることなからんや。これに忠にして能く誨(おし)うることなからんや。

 孔子様がおっしゃるよう、「人を愛する以上、これに苦労をさせてその人物を鍛えないでよかろうか。人に忠実である以上、これを教訓し忠告善導しないでよかろうか。」

 前段はいわゆる「かわいい子には旅をさせろ」の意味。後段の「忠」を「君に忠」の意に解する人もあるが、前段との続きからも、また「誨」の字からも、やはり子弟友人の意に解するがよかろう。

『新訳論語』 講談社学術文庫


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批判的に読み解く歎異抄 №15 [心の小径]

本願ぼこり(造恵無碍・第十三条)の問題

       立川市光西寺住職  寿台順誠

(3)唯円が「本願ぼこり」(「造悪無碍」)を擁護することに理由があるとすれば、それは何か?

 この「制禁」にはとてもよいことも書かれていると思います。例えば、(7)一、師匠なればとて、是非をたださず弟子を勘当すべからざること」などと師匠の権力を抑制していますよね。それから、(9)一、同行のなかにおきて、妄語をいたし、うたへまうすといふとも、両方の是非をききて、理非をひらくべきこと」、つまり「両方の言い分をよく聞いて公平に扱え」と、これも悪いことは言ってないと思います。(11)一、念仏勤行のとき、男女同座すべからず」などというのは時代的に限界のあるもので、今日のこの席などは当時であればアウトでしょうね。現代ではもうこんなことを言う意味もないことですし、「みだりになるべきゆゑなり」が何を指すかわかりませんが、当時は「みだりに」なったという事実はあったのでしょうね。また、(12)一、かたじけなきむねを存じて、馬の口入(=売買の斡旋をすること)、人の口入すべからざること」ともありますが、念仏道場へ来て「馬の口入」やまして「人の口入」などされても困るよねってことだと思いますね。また、(13)一、あきなひをせんに、虚妄をいたし、一文の銭なりともすごしてとるべからず。すなはちかへすべし」というのもよいこと言ってるじゃないですか。詐欺みたいなことをやって人から鏡を取っちやいけないって言うのですから。(14)一、他の妻をおかして、その誹誘をいたすこと」などは意味が分かりませんが、そんなこともあったってことでしょうね。また、(15)一、念仏者のなかに、酒ありてのむとも、本怪をうしなひて酒くるひをすること。」 やはり酒狂いはよくないですから、こんなことを「制禁」で言ったっていいんじゃないですかね。(16)一、念仏者のなかに、ぬすみ、博奕をすること」もよくないことですから、こういうことはいけないよって言っちやいけないんですか
ね。最後に、(17)一、すぐれたるをそねみ、おとれるをかろしむること」などはしてはいけないと言っていることもよいことを言ってると思いますね。
 さて、唯円はこういうものを貼るのは、「賢善精進の相をほかにしめして、うちには虚仮をいだけるもの」だと批判しているわけです。確かに中には、「男女同座すべからず」のようにもう時代遅れのものもあるけれども、全体としては結構よいことを言っていますね。また、こんな「制禁」があったってことは、やっぱり倫理道徳に反するようなことが行われ、顰蹙をかっていたということがあったのだろうと思うんです。だから「制禁」を貼り出したのはそんなに変なことじゃないと私は思っています。少し穿った見方かもしれませんが、博奕、他人の妻を犯すこと、馬や人の口人など、そういうことをしたい人が、自分の自由にできるように「制禁」など貼るなよ、と『歎異抄』は言っているのではないかとさえ読めるのではないでしょうか。そんなことから、私は『歎異抄』はあまりにも持て囃されてきましたが、実際の効果はむしろ、単なる道徳の破壊や「造悪無碍」の助長にしかならなかったという問題があるのではないかと思います。これが『歎異抄』のもっている倫理道徳的な問題点で、それが三条と十三条に集中的に現れていると思います。しかも、三条・十三条は『欺異抄』の中でも一番の売れ筋、一番人気のある箇所ですよね。ここがあるから『歎異抄』は素晴らしいと、よく言われるわけですが、私はそのようには評価していないと申し上げておきたいのです。特に三条と十三条はよくない箇所だと私は思っています。勿論『歎異抄』にも他によいところ、採るべきところは結構有るんです。が、それはまた機会があれば申し上げます。

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


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論語 №107 [心の小径]

三三三 憲、恥を問う。子のたまわく、邦(くに)道有(あ)ば穀(こく)す。邦道無くして穀するは恥なりと。克伐怨欲行われずんば以て仁と為すべきか。子のたまわく、以て難しと為すペし。仁はすなわちわれ知らざるなり。

               法学者  穂積重遠

 「憲」は門人原思(げんし)の名。例の粟(ぞく)九百を辞した人(三一)。本章を二車にわけてある本もある。おそらく最初はそうだったのが「憲問うていわく」が落ちて続いてしまったのだろう。

 原憲(げんけん)が、何が恥ずべきことかを、おたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「国に道が行われている際仕えて俸禄を受けるのは恥ではないが、国に道がなくて乱れている場合に、いさざよく退くことができないでむなしく禄をはんでいるのは、恥ずべきこ

とじゃ。」さらにまた「人間はとかく人に勝つことを好み、自らその功にほこり人をうらみ、貪(むさぼ)ってあくなきものでありますが、この克伐怨欲の四情を抑えることができましたら、仁と申せましょうか。」とおたずねしたら、孔子様がおっしゃるよう、「それはなかなかむずかしいことでそれができたらえらいものだが、それだけで仁であるかどうか、わしは知らん。」

 すなわち「克伐怨欲行われず」だけではまだ消極的で、仁とはいえない、仁はモツト積極的な徳だといわれるのであって、例によってたやすく仁を許されない。

 前段を「邦道あるに穀し、邦遺なきに穀するは恥なり。」とよんで、「邦道あるに為すあること能わず、邦道なきに独り善くすること能わず、而してただ禄を食むことを知るは皆恥ずべきなり。憲の狷介(けんかい)なる、その邦道なくして穀するの恥ずべきはもとよりこれを知る、邦道ありて穀するの恥ずべきに至りては、すなわち未だ必ずしも知らざるなり。故に夫子その問に因(よ)りて、併せてこれを云い、以てその志を広め、自ら勉むる所以を知りて為すあるに進ましむるなり。」と説明する人もある。しかし前に「邦道有りて貧しく且(かつ)賤(いや)しきは恥なり」(二九七)とあるのをみても、前記の通りよみ、かつ解するのが正しい。

三三四 子のたまわく、士にして居を懐(おも)うは、以て士と為すに足らず。

 孔子様がおっしゃるよう、「いやしくも士たるものは、四方に出動して天下を経営する意気込みがなくてはならぬ。安住の地に恋々(れんれん)しているようなことでは、士とはいえぬぞ」

 前に「居安きを求むることなし」(一四)とあるのと対応する。


『新訳論語』 講談社学術文庫





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批判的に読み解く歎異抄 №14 [心の小径]

本願ぼこり(造恵無碍・第十三条)の問題

       立川市光西寺住職  寿台順誠

(3)唯円が「本願ぼこり」(「造悪無碍」)を擁護することに理由があるとすれば、それは何か?

 次に一旦唯円の立場に立って考えてみましょう。唯円が「本願ぼこり」(造悪無碍)を擁護することに理由があるとすれば、それはどういう理由なのかということです。
 『欺異抄』は親鸞が亡くなってから三十年ぐらいして書かれたと言われていますが、善鸞事件(1256年)の頃とは違って、既に「造悪無碍」はほとんど問題ではなくなっており、むしろ抑圧的なほどに「専修賢善」が押し付けられるような状況にあったとすれば、十三条のように「造悪無碍」に対して甘すぎると思えるような立場取りをすることもありうるかもしれません。
 何を言っているのかというと、例えば私たちがある村に住んだといたしましょう。とても品行方正な村です。誰にも悪は見当たりません。悪いことを思うことさえしません。会う人は皆よい人ばっかり。………これはちょっと窮屈だと思いませんか。そういう社会だと、敢えてちょっと悪さをしてみたくなりませんか。もうとことん管理されていて、もう皆機械のようです。悪いことなど一切しません、犯罪は全くありません。本当にもうみんないい人ばっかり。………騒ぎたくなりませんか。そこまで「造恵無碍」(本願ぼこり)が駆逐されちゃうと、現代の憲法的な表現を借りれば「表現の自由」さえなくなっちゃう。それだとやっぱり窮屈だからちょっと暴れてみたくもなる。もし十三条を擁護するならば、そんなところかなと思います。
 しかし、事実はやっぱりそうじゃなかっただろうと思います。そしてそう思わせるのが資料の4ページの注二十一に挙げた「制禁」です。『欺異抄』十三条には、「なんなんのことしたらんものをば、道場へ入るべからず」なんて、最近はそういう「はりぶみ」をしていたりするけれども、そんな張り紙はいらないんじゃないのと、そんなことするのは親鸞聖人の教えに反しているんじゃないかと言われています。そうした「はりぶみ」の代表的な例が次の「制禁」です。

制禁 一向専修の念仏者のなかに停止せしむべき条々のこと(1)一、専修別行のともがらにおきて、念仏菩薩ならびに別解別行の人を誹誘すべからざること。(2)一、別解別行の人に対して、評論をいたすべからざること。(3)一、主・親におきたてまつりて、うやまひおろかになせること。(4)一、念仏まうしながら、神明をかろしめたてまつること。(5)一、道場の室内にまゐりて、嫡慢のこころをいたし、わらひ、ささやきごとをすること。(6)一、あやまて一向専修といひて邪義をときて、師匠の悪名をたつること。(7)一、 師匠なればとて、是非をたださず弟子を勘当すべからざること。(8)一、同行・善知識をかろしむべからざること。(9)一、同行のなかにおきて、妄語をいたし、うたへまうすといふとも、両方の是非をききて、理非をひらくべきこと。(10)一、念仏の日、集会ありて魚烏を食すること、もろくあるべからざること。(11)一、念仏勤行のとき、男女同座すべからず。みだりになるべきゆゑなり。(12)一、かたじけなきむねを存じて、馬の口入、人の口入すべからざること。(13)一、あきなひをせんに、虚妄をいたし、一文の銭なりともすごしてとるべからず。すなはちかへすべし。(14)一、他の妻をおかして、その誹誘をいたすこと。(15)一、念仏者のなかに、酒ありてのむとも、本性をうしなひて酒くるひをすること。(16)一、念仏者のなかに、ぬすみ、博奕をすること。(17)一、すぐれたるをそねみ、おとれるをかろしむること、もろくあるべからざること。右、このむねを停止せしめて、十七ヶ条の是非、制禁にまかせて専修一行の念仏者等あひたがひにいましめをいたして、信ぜらるべし。もしこのむねをそむかんともがらにおきては、同朋同行なりといふとも、衆中をまかりいだし、同座同列をすべからざるものなり。仍制禁之状如件。弘安八年(1285年)八月十三日 善円在判」(佐藤正英『欺異抄論釈』青土社、2005年、577621ページ) (この項つづく)

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


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批判的に読み解く歎異抄 №13 [心の小径]

本願ぼこり(造恵無碍・第十三条)の問題

        立川市・光西寺住職  寿台順誠

(2)「薬あればとて、毒をこのむべからず」(親鸞の残した課題?)

 ところが、善鸞は親鸞と違うことを言ったから、善鸞の方が義絶されることになったわけです。その時の善鸞の立場についてはいろんな説があるんですけれど、通説的には「造悪無碍」を治めるために「専修賢善」に立っていたとされています。私もそう思いますが、その根拠は、善鸞は十八願を「しぼめるはな」と言ったということが、親鸞から善鸞に宛てた次のような手紙に書いてあることです.

 往生極楽の大事をいひまどはして、常陸・下野の念仏者をまどはし、親にそらごとをいひつけたること、こころうきことなり。第十八願の本願をば、しぼめるはなにたとえへて、人ごとにみなすてまいらせたりときこゆること、まことに誘法のとが、また五逆の罪を好みて、人を損じまどわさるること、かなしきことなり。ことに、破僧の罪と申す罪は、五逆のその一なり。(本願寺派『浄土真宗聖典』755ページ、大谷派『真宗聖典』612ページ)

 この「第十八願の本願をば、しぼめるはなにたとえ」たという意味は、「人は念仏だけでは救われないと言った」という意味だと思うんですね。つまり、善鸞は「専修賢善」に立ち、しかも守護・地頭のような在地の権力者(「余のひとびと」本願寺派『浄土真宗聖典』772】773ページ、大谷派『真宗聖典』576-577ページ)とつるんで「造悪無碍」を治めようとしたのですが、それは親鸞から見ればやっぱり禁じ手だったってことです。だから、親鸞は善鸞を義絶せざるを得なかったのだと私は思います。
 例えば大学紛争華やかなりし噴、凄いぶち壊しなどが起こったりしたじゃないですか。しかしそれをどうやって止めたらいいかという時に安易に警察権力を導入してよかったんですか。安田講堂ではそうしたんだけど、警察権力を導入することは大学の自治を潰すことになるじゃないですか。自治的に治めていくべきにもかかわらず権力を引っ張り出すことはまずいんじゃないかと、そういうことにちょっと似ていると思うのです。つまり、「造悪無碍」が目に余るからといって権力に頼って治めようとしたり、念仏だけじゃダメだよと言ったりするのは、親鸞から言えば禁じ手なのだから善鸞を義絶したんだと思うのです。
 ただ「専修賢善」の問題は論理的には簡単です。念仏以外のものの方がよいと言ったら、それはもう専修念仏の教えと違うのはすぐに分かるから、論理的には分かりやすいです。しかし、「造悪無碍」の問題はもっと難しいです。だからこそ、親鸞が心を砕いたのはこれをどう治めるかだったのです。「専修賢善」に訴えて念仏以外のものを持ってくることなく「造悪無碍」を治めるには、念仏の法自体にある種の倫理道徳が内在化していないといけなくなるということがあると思うんですが、果たしてそれが上手いこと内在化されているかどうかが非常に大きな問題だと私は思っています。
 この間題を考える場合、或いは、「唯除五逆誹誘正法」という十八願の但し書き(抑止文)は念仏の中に道徳が含まれていることを示すものかもしれませんね。そうするとまた、浄土教の信仰が「我が身は現にこれ罪悪生死の凡夫…」という「機の深信」として示されることは、別に念仏以外の諸行に頼らなくても、本願念仏の門をくぐること自体が罪悪を「罪悪」として知ることであるという意味を持っていると言えるようにも思いますね。
 が、そうだとするならば、そのような信心を得て救われた者は、救われた後どうなるのでしょうか。「悪人正機」(悪人が一次的救済対象である)と言う場合、救済された後の「人」は、「悪人正因」(悪人になることによって救われる)同様、相変わらず「悪人」のままであってもよいということになるのでしょうか。親鸞の場合、「悪人が救われる」ということの意味が、仮に罪悪が許容されるということだとしても、それはあくまで念仏入門以前に「罪悪」と知らずになしてしまったことならば許容される、という意味だとするならば、たとえ救われる前の時点では「悪人」であっても、救済後はもう悪人ではなくなるということになるのではないでしょうか。「仏の御名をもきき念仏を申して、ひさしくなりておはしまさんひとびとは、この世のあしきことをいとふしるし、この身のあしきことをぽいとひすてんとおぼしめすしるLも候ふべLとこそおぼえ候へ」、と親鸞が手紙で言っていることは、「悪人のままではいけない」と言っているように思われるのですが、どうでしょうか。そして、もし「悪人正機説」の趣旨が救済後も相変わらず「悪人」のままでよいということであるならば、親鸞はもはや「悪人正機説」を「強調した」人でさえなくなるのではないでしょうか。
 ともかくこうした消息が書かれた時点においては、親鸞にはこの課題は完全には解決されていなかったのではないでしょうか。そこで、その解決は後世に託されたと考えられるのではないでしょうか。例えば蓮如の『御文』に何度も繰り返される掟などはやっぱりそれを課題として担ったものだと思われますし、現代に至ってもこれをどう考えるのかは我々自身の課題として残っているのだと思うのです。

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より

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論語 №106 [心の小径]

三三〇 子路いわく、いかなるをここにこれを士と謂(い)うべきか。子のたまわく、切切(せつせつ)、偲偲(しし)怡怡(いい)如たるを士と謂うペし。朋友には切切偲偲、兄弟には怡恰。

              法学者  穂積重遠

 古註(こちゅう)に、「切切」は「懇到(こんとう)」、「偲偲」は「詳勉(しょうべん)」、「怡怡」は「和悦」とある。最後が「怡怡如也」となっている本もある。

 子路が、「どういうのを士と申すべきでしょうか。」とおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「切切すなわち『ねんごろにゆきとどく』こと、偲偲すなわち『つまびらかにつとめをはげます』こと、怡怡すなわち『やわらぎよろこぶ』こと、この三つがそろってはじめて士といえる。朋友には切切偲偲じゃぞよ。兄弟には怡怡じゃぞよ。」

 この三者が子路には苦手らしい。これも例の応病与薬だ。中井履軒(りけん)、念を押していわく「下文に覆説(ふくせつ)する者は、朋友には切偲(せつし)を主とし兄弟には怡怡を主とするを謂ふなり。朋友には全く怡怡を須いず、兄弟には全く切偲を須(もち)いずと滑うにあらず。」

三三一 子のたまわく、善人、民を教うること七年、亦以て戎(じゅう)に即(つ)かしむべし。

 孔子様がおっしゃるよう、「有徳の君子が人民を七年も教化訓練したならば、はじめて戦争に使い得るだろう。」

 古註にいわく、「これに教うるに孝俤(こうてい)忠信の行いと農を務め武を講ずるの法とを以てすれば、民その上(かみ)に親しみその老に和するを知る、故に以て戎に即かしむべし。」

三三二 子のたまわく、教えざる民を以(もち)いて戦う、これこれを棄(す)つと謂う。

 孔子様がおっしゃるよう、「十分に教化訓練してない人民を駆って戦争すれば、必ず敗戦にきまっているから、人民を捨て殺しにするというものじゃ。」

 前章と併せ読んで、かくまで戦争を慎んだ孔子様が、先ごろの戦争を何と言われるだろうと、感慨無量である。


『新訳論語』 講談社学術文庫




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新訳論語 №105 [心の小径]

三二七 子のたまわく、君子は事(つか)え易(やす)くして説(よろこ)ばしめ難し。これを説ばしむるに道を以てせざれば、説ばざるなり。その人を使うに及びては、これを器にす。小人は事え難くして説ばしめ易し。これを説ばしむるに道を以てせざるも,説ぶ.その人を使うに及びては、傭(そな)わらんことを求む。

               法学者   穂積重遠

 「器にす」は機械視し道具扱いすることではない、適材を適所に用いること。

 孔子様がおっしゃるよう、「君子は公平で思いやりがあるから,その部下として事えるのはやさしいが、ごきげんはとりにくい。喜ばせようと思っても正しい道をもってしなければ喜ばないからである。しかし人を使うには、各人をその才能に応じて働かせて、無理な注文をしないから、つとめよいのである。これに反して小人は、私心があって苛酷だから、下の者がつとめにくいが、ごきげんはとりよい。すなわちへつらいとか、まいないとか道ならぬことをしてもよろこぶから、よろこぼせよいが、人を使うのに一人の身にすべてのことが備わることを求めて責めつかうから、甚だ事えにくいのである。」

 「備わらんことを求む」ということは、夫婦や姑嫁と齢の間でもよほど注意しないといけない。互いの要求や期待があまり大き過ぎることが、結局不和のもとだ。古註(こちゅう)の左の説明が要領を得ている。「君子は、己を侍するの道甚だ厳にして人を待つの心甚だ恕なり。小人は、己を治むるの方甚だ寛(かん)にして人を責むるの意甚だ刻なり。君子は人の理に順(したが)うを説び、小人は人の 己に順うを喜ぶ。君子は人材を貴重し、才器に隨(したが)いてこれを使う。故に天下に用うべからざるの人なし。小人は人才を軽視す。故に全きを求め備わるを責めて、卒(つい)に用うべきの人なきに至る。」

三二八 子のたまわく、君子は泰(やす)くして驕(おご)らず.小人は驕りて泰からず。

 「泰」とはユツタリとしていてコセコセしないこと.[驕」は尊大。

 孔子様がおっしゃるよう、「君子はおちつきがあっていばらない。小人はいばっていておちつきがない。」

 前に「坦(たいら)かにして蕩蕩(とうとう)」「長(とこしな)えに戚戚(せきせき)」とある(一八三)のに対する。

三八九 子のたまわく、剛毅(ごうき)木訥(ぼくとつ)は仁に近し.

 孔子様がおっしゃるよう、「意志強固・気性勇敢・容態質朴・言語寡黙なのは、仁に近い。」
                                        
 例の「巧言令色」(三)の反対だが、「鮮(すくな)し仁」と言って「仁なし」と首わず、「仁に近し」として「仁そのもの」としないところに注意すべきである。

『新訳論語』 講談社学術文庫

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批判的に読み解く「歎異抄」 №12 [心の小径]

本願ぼこり(造恵無碍・第十三条)の問題

        立川市・光西寺住職  寿台順誠

(2)「薬あればとて、毒をこのむべからず」(親鸞の残した課題?)
 さて次にいきましょうか。
 「薬あればとて毒を好むべからず」という御消息の言葉を挙げて、「親鸞の残した課題」としておきました。実は先の『欺異抄』十三条の中にもありましたが、親鸞は「本願ぼこり」(造恵無碍)を戒めています。「悪人こそ救われる」と教えたからといって、だからわざと悪をした方がいいんだみたいな、そういう異義を親鸞は常に戒めているんです、自分の手紙の中でね。配布資料の注の十四にそれを挙げておきましたので、読んでおきますね。

 まづおのおのの、むかしは弥陀のちかひをもしらず、阿弥陀仏をも申さずおはしまし候ひしが、釈迦・弥陀の御方便にもよほされて、いま弥陀のちかひをもききはじめておはします身にて候ふなり。もとは無明の酒に酔ひて、貪欲・暖意・愚痴の三毒をのみ好みめしあうて候ひつるに、仏のちかひをききはじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし。しかるに、なほ酔ひもさめやらぬに、かさねて酔ひをすすめ、毒も消えやらぬに、なほ毒をすすめられ候ふらんこそ、あさましく候へ。煩悩具足の身なればとて、こころにまかせて、身にもすまじきことをもゆるし、口にもいふまじきことをもゆるし、こころにもおもふまじきことをもゆるして、いかにもこころのままにてあるべしと申しあふて候ふらんこそ、かへすがへす不便におぼえ候へ。酔ひもさめぬさきに、なほ酒をすすめ、毒も消えやらぬに、いよいよ毒をすすめんがごとし。薬あり毒を好めと候ふらんことは、あるべくも候はずとぞおぼえ侯ふ。仏の御名をもきき念仏を申して、ひさしくなりておはしまさんひとびとは、この世のあしきことをいとふしるし、この身のあしきことをぽいとひすてんとおぼしめすしるしも候ふべLとこそおぼえ候へ。(本願寺派『浄土真宗聖典』739一740ページ、大谷派『真宗聖典』561ページ)

 倫理道徳の問題に絞れば、親鸞の手紙はほぼこの間題で占められています。大体「本願ぼこり」とか「造恵無碍」とかは極論すれば悪人も救われるのだからわざと悪をやった方がいいのだというところまでいくわけです。親鸞はそれはおかしいよってことを、もう口を酸っぱくして言っています。『御消息集』の中心問題はそれだと言ってもいいほどなのです。
 そうすると親鸞の思想は『歎異抄』とは全然違うと思いませんか。『欺異抄』では悪は「宿業」で決まっており、自分ではどうにもできないという話になっている。親鸞は晩年、関東との手紙のやり取りの中で「薬があるからといって、毒を好むな」と一貫して言っていますので、それを読めば『歎異抄』が親鸞と違うのは明らかだと思います。それにもかからず「悪人正機」「悪人正因」とか、「本願ぼこり」とかが親鸞の教えだとされてきたのは、私は不思議で仕方ありません。
 が、それはそれとして、私は「専修賢善」に陥ることなく「造悪無碍」を克服することはいかにして可能か、というのが、善鸞事件などを経て親鸞が残し、浄土真宗教団に課せられた倫理道徳の課題だと言えるんじゃないかと思っています。以下、これを説明します。
 浄土真宗における「異義」(異端)には二つの対極的な立場があり、まず一方には「専修賢善」(賢善精進)があります。これはどういうことかと言うと、「どんな悪人も念仏だけで救われる」などと言ってきたが、そんなことを言ってきたから道を間違う者が出てくるんだ、やっぱり念仏プラスアルファが必要で、念仏以外に道徳を守っていかなきゃ駄目じゃないかというような立場です。そしてその対極にあって、「悪人こそ救われると言ってきたんだから、むしろ悪をやった方がいいんじゃないか」と極論するのが「造恵無碍」の立場です。そして晩年、悪は何でもやって構わないんだ、むしろやった方が救われるんだという「造悪無碍」の主張が目に余るようになったから、親鸞はそれを治めるために息子の善鸞を派遣したのだと私は思います。


名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より

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論語 №104 [心の小径]

三二四 子のたまわく、南人(なんじん)言えるあり。いわく、大にして恒(つね)なくんば、以て巫医(みい)を作すべからずと。善いかな。その徳を怛にせずんば、或はこれに羞(はじ)を承(すす)むと。子のたまわく、占(うらな)わざるのみ。

                法学者  穂積重遠

 「恒なし」は一定の主義がなく心の変り易いこと。「巫医となるべからず」とよむ人もある。それだと、易者にも医者にもなれぬ、ということになる。

 孔子様がおっしゃるよう、「南国の人のことわざに、『移り気で恒なき人にかかっては、易者も八卦が立たず、医者も匙を投げる。』とあるが、いい言葉だ。実際それでは学問も修養もできたものではない。また『易経』に『その行に一定不変の道徳標準がなと、とんだ恥辱を受けることがある。』という意味の言葉があるが、それについて孔子様がおっしゃるよう、「それは.言わなくてもわかるほど確かなことじゃ.」

 「占わざるのみ」の意味がハッキリしないが、中井履軒の「この理確然、実に占いを待たざるなり。」という説明によった。

三二玉 子のたまわく、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。

 孔子様がおっしゃるよう、「君子は和衷協同(わちゅうきょうどう)するが、附和雷同(ふわらいどう)しない。小人は附和雷同するが、和衷協同しない。」

 前に「周して比せず、比して周せず」とあったのと(三〇)、だいたい同趣旨。

三二六 子貢聞いていわく、郷人(きょうじん)皆これを好(よみ)せば何如。子のたまわく、未だ可ならずと。郷人皆これを悪(にく)まばいかん。子のたまわく、未だ可ならず。郷人の善き者これを好し、郷人の善からざる者これを悪むに如かず。

 子頁が、「郷里の人皆にすかれるような人が善人でありましょうか。」とおたずねしたところ、孔子様が、「そうとも言えぬ。」とおっしゃった。そこでさらに、「それでは郷里の人皆ににくまれるようなのがかえって善人でありましょうか。」とおたずねしたら、孔子様がおっしゃるよう、「そうとも言えぬ。郷里の善人にすかれ郷里の悪人ににくまれるのが善人じゃ。」

 きわめて平凡だが、またきわめて確実な真理だ。議員選挙などもここに問題がある。かつて選挙粛正ポスターの懸賞入選標語に、「よき人よく見てよく選べ」というのがあった。作者なり選者なりが、「よき人のよしとよく見てよしといいし、よしのよく見よよき人よく見つ」という万葉の本歌を知っていたのかどうかわからぬが、口調もよく、意味も深い。初句の「よき人」は「よき人を」とも「よき人が」ともとれるが、要するに、選ぶ人が「よき人」であってはじめて「よき人」を選び得るのである。

『新訳論語』 講談社学術文庫


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批判的に読み解く歎異抄 №11 [心の小径]

本願ぼこり(造恵無碍・第十三条)の問題

           立川市光西住職  寿台順誠

(1)宿業の問題

 それから最後に言いたいのは、論理自体の説得力です。例えば 「人千人ころしてんや」というところからの親鸞と唯円のやり取りについてですが、私は以前からこれを見ながら説得力がないじゃないかと思っています。千人どころか一人も殺せないことの理由として、果たして「宿業」は説得力があるのか、人を殺せないのは殺人が悪であるという規範が共有されているからじゃないかと私は思うのです。私は法学研究も長いことやってきたのですけど、有名な法格言で「社会あるところに法あり」(ubi sociietas, ibi jus)という法諺(ほうげん))があります。人間の社会がある所には必ず法律やルールがあるのです。普遍的なルールとして、社会のあるところ、国が成立したところにはほぼ全てに殺人罪があります。ということは、人間には人を殺しちやいけないという道徳規範が普遍的に共有されているということです。よく人間の行動は遺伝子的に全部プログラムされているなんてことを言う人もあるけれど、たぶん人間という生き物は、他の動物よりも環境とか後天的な要素に影響される度合が強いと思うのです。かつてインドで発見された「アマラとカマラ」という二人の少女が狼に育てられて狼のようになってしまったという話がありましたが、オタマジヤクシが人間に育てられたら人間になったってことはないわけですよ。ところが人間は育てられるものになってしまうような、とても社会性の強い存在だから、やっぱり人を殺しちやいけないっていう道徳規範や法規範を我々は物心つく頃から色んな所で教え込まれて、社会化されるわけです。そういう規範がインプットされ、共有されている社会だから、人は普通は殺し合わないのだと思いますね。もしそぅいう社会でなく、「造恵無碍」が当然のようなところで生まれ育ったら、殺すのも当たり前だってことになりますよ。今だって、国の違いによって、例えば紛争地域なんかで生まれ育ったら、やっぱり我々とは違う考え方をするかもしれませんね。結局、社会化の過程が問題なのだと私は思っています。

 十三条には「害せじとおもふとも、百人・千人をころすこともあるべし」なんて書いてあるけれど、本当にそんなこと言えますか。一人だったら間違って過失かなんかで殺してしまうこともあるかもしれませんが、百人・千人も殺すのはかなりの意識がないとできないと私は思います。私は今「生命倫理」の勉強も片方でやっているので、例えば医療行為で考えてみると、ある医師が間違って手術に失敗して患者が死んじゃったというような場合には、これは誤って殺した(過失致死)と言えるかもしれません。でも、ある医師が短期間に百人死なせたとなれば、これは意図的な殺人だと考えるのが妥当でしょう。間違って百人殺しますか。そんな医師はたぶん途中でやめさせられますけどね。が、とにかく一人も百人・千人も一緒だという議論は土台無理で、あまりにも乱暴なのです。道徳や法について少し真面目に考えた人だったら、こんな論理に説得力はないと思うのではないで

しょうか。

 さらに補足しておきますと、十三条の「人千人ころしてんや」という話は仏典の中のアングリマーラの話を念頭に置いたものだと言われています。アングリマーラについては資料の8ページに『ウイキペデイア』(Wikipedia)の該当する部分を写しておきました。今はその一部だけを読みます。


 (アングリマーラの本名はアヒンサと言い、十二才から、あるバラモンに師事してヴエーダを学んでいたが)ある日、師匠が王の招きにより留守だったが、師の妻がアヒンサに邪に恋慕し誘惑した。しかしアヒンサはこれに応じず断ると、その妻は自らの衣を破り裂き、悲相を装い師の帰りを待って「アヒンサに乱暴された」と偽って訴えた。之を聞いた師は怒り、アヒンサに(一説には術をかけたともいわれるが)、剣を渡して「明日より、通りで出逢った人を順に殺して、その指を切り取り鬘(首飾り)を作り、百人(あるいは千人)の指が集まったとき、お前の修行は完成する」と命じた。彼は悩んだ末に、街に出て師の命令どおり人々を殺してその指を切り取っていった。これにより彼はアングリマーラ(指鬘)と呼ばれ恐れられた。なお、この頃の彼を指鬘外道(しまんげどう)と呼ぶことがある。


 先の「人千人ころしてんや」というのはこの話を念頭に置いたものでしょう。ただこの話の原典である仏典の翻訳(注参照)にも目を通してみたのですけど、この話は運命論には役立てられないと思います。(注‥『南伝大蔵経・経蔵・中部経典3』(第十一巻上) 大蔵出版、1971年〔再刊〕131-142ページ、片山一良訳『パーリ仏典 中部(マツジマニカーヤ)申分五十経篇Ⅱ』大蔵出版、2000年、17ページ、280-293ページ、568-574ページ、中村元監修『原始仏典中部経典3』(第6巻)春秋社、2005年、203-215ページ、574-582ページ)何をもってこの話が、あの『歎異抄』十三条の運命論に役立てられるのか、私にはその因果関係がよく分かりません。このアングリマーラの話というのは、自分のお師匠さんの妻が横恋慕してアングリマーラを誘惑したけど、それに乗らなかったので恨みを買って、逆に犯人にされちゃって、それでこのお師匠さんに「おめえ百人か千人殺してこい」と言われることになったというもので、それで自分の意思では断り切れないということで九十九人(或いは九百九十九人)まで殺しちゃったという話ですが、これを「運命論」に繋げるのはどうかと思うのです。というのは、この 『アングリマーラ経』の話はそこに主眼があるのではなくて、こうやって百人の場合だと九十九人、千人の場合だと九百九十九人まで来たところで釈迦に出会って改心することが重要なのです。ただ改心して自分のやってきた罪を悔いて、そして出家して釈迦の弟子になったって、こんなに多くの人を殺害してしまった人ですから、皆がそれを覚えているわけですよ。だから、「あいつ出家して殊勝な顔しているけど、怪しからん奴だ」と、道で遇うと石を投げられたりするんです。そんな彼が釈迦に「耐えなさい」って言われるんです。何のために耐えるかっていうと、その罪を次の世まで持ち越さないためなのです。この現世でそれに耐えきればそれで終わるのだという話です。つまり「自業自得」ということですね。自分でやったことを自分で引き受けるって話、それを引き受け切ったからこの人は悟ったのだというのがこの話の主眼なのです。そういうストーリーを考えると、『歎異抄』十三条の、「人を殺すか殺さないかは宿業で決まっているんで、自分の意思とはほとんど何も関係ない」っていう話と繋がらないんじゃないかと思うのです。もし別の読み方があれば是非教えて頂きたいと思いますが…。


名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より






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論語 №103 [心の小径]

三二二 子貢(しこう)問いていわく、いかなるをこれ士と謂(い)うべきか。子のたまわく、おのれを行うに恥あり、四方に使いして君命を辱(はずかし)めず、士と謂うべし。いわく、敢えてその次を問う。のたまわく、宗族(そうぞく)孝を称し、郷党(きょうとう)弟(てい)を称す。いわく、敢えてその次を問う。のたまわく、言えば必ず信、行えば必ず果(か)、コウコウ然として小人なるかな。そもそも亦(また)以て次と為すペし。いわく、今の政(まつりごと)に従う者はいかん。子のたまわく、噫(ああ)、斗ソウの人、何ぞ算(かぞ)うるに足らんや。

                法学者  穂積重遠

 「士」は士農工商の士である。当時の封建的思想から、士を指導者階級として特に問題にしたのである。ところで近ごろある農村人が、今までは士農工商といったものだけれども、今度は士がなくなったのだから、農が一番上だ、といばったとのことだが、それこそ正に封建的階級思想だ。今始ったことではない、士農工商の階級は明治維新とともになくなったはずであって、も一つ言えば、今日ではすべての人が士なのである。それ放『論語』で「士」とか「君子」とかいうのは、今日ではすべての人にあてはまる。「斗」は木のマスで十升〔一八リットル〕入、「ソウ(竹冠+肖)」は竹のミで一斗二升〔二〇・六リットル〕人だという。「コウ(石+坙)」は小石。

 子貴が、「どういう人物を士と申すべきでありますか。」とおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「士たる者は恥を知るべし。すなわち自身の言行について、いやしくも恥ずべきことを言わず、なさざる操守がなくてはならぬ。さらに士たる者は有為なるべし。すなわち四方の外国に使節としてよく任務を全くし、君命をはずかしめず国威を揚げるだけの腕前がなくてほならぬ。この徳とこの才とがあって、はじめて士というべきである。」「それはなかなか大したことでござりますが、そこまでゆかなくては士といえないのでしょうか。第二流の士はありますまいか。それを一つうかがいとうござります。」「士たることの根本は孝悌(こうてい)だから、親類中から孝行者とほめられ、村中から兄弟思いと評判されるような人物なら、たとえ才能は足らずとも、第二流の士といって宣(よろ)しい。」「今一つ推してうかがいますが、その次ぎはいかがでござりましょうか。」「いったん言ったことは必ず実行を期し、やりかかったことは必ずしとげようとつとめる。見はからいがなく融通のきかぬコチコチした小人物ではあるが、ともかくも第三流の士としておこう。」そこで子貢が、「それでは現在の諸国の当局者たちはどうでござりますか、士と申して掛るべき人物がおりましょうか。」とおたずねしたら、孔子様が歎息しておっしゃるよう、「ああ、マスやミではかるような小人物ばかりで、かぞえるねうちもないわい。」

「斗ソウの人」を狭量小規模の人物と解するのが通説だが、十升入り、一斗二升入りといえばマスやミとして小さい方ではなく、「算うる」とあるところからも、十把ひとからげの意味と解した方がよさそうだ。

三二三 子のたまわく、中行(ちゅうこう)を得てこれに与(く)みせずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。狂者は進みてて取り、狷者は為さざる所あり。

 古証に「狂者は、志極めて高くして行掩(おお)わず、狷者は、知ること末だ及ばずして守ること餘(あま)りあり。」とある。

 孔子様がおっしゃるよう、「行が中正を得たほどのよい人物を得てこれと共に通を行いたいものだが、現在ではなかなかさような中庸の人物を得がたい故、もし中行の人を得られないならば、律義一遍、優柔不断の人物よりも、むしろ強者、狷者を得てこれを仕立てたい。強者は進んで善を取らんとする気魄があり、狷者は断固として不善をなさぬ節操があるから、見込みがある。」

『新訳論語』 講談社学術文庫

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批判的に読み解く歎異抄 №10 [心の小径]

本願ぼこり(造恵無碍・第十三条)の問題

           立川市光西住職  寿台順誠

(1)宿業の問題

②非仏教性
 ところで、「宿業」という言葉は、親鸞自身は使っておりませんね。これは『欺異抄』に出てくるだけです。また、仏教本来の考え方からいっても、これは仏教思想じゃないと言われています。
 一例として、これは大谷派の人ですけれど、仏教学者として『倶舎論』の権威と言われている桜部建さんが、大谷派関係の勉強会の講義で、「宿業」は仏教思想ではないと仰っています(桜部建『業・宿業の思想』平楽寺書店、2003年、37-39ページ、71-87ページ)。それによれば、仏教の「業」には二つの原則があって、一つは「善因楽果・悪因苦果」で、もう一つは「自業自得」です。が、まず「善因楽果、悪困苦果」とは、善いことやったら楽という巣を得るし、悪いことは苦に帰結するということで、これは過去の業(困)が規定するのは現在の苦・楽(果)であって現在の業ではない、つまり現在の行いがすべて過去の行いによって決定される運命論ではないということを意味します。従って、「『欺異抄』がいっていることは現在やっている行為(つくるつみ)を過去の行為(宿業)の結果として考えているように聞こえるから、そこはふつうの業の考え方とは違っている」というわけです。
 そしてもう一つが「自業自得」ですが、この原則から言えば、「親の因果が子に報い」、すなわち親がやったことの報いが私に来る、などということは言えません。業論が運命論ではないことを示す意味で、それは現在を規定している過去の業(行い)だけを問題にするものではなく、未来を規定する現在の業をも問題にするものであるとも言われていますが、「自業自得」とは現在自分がやっていることが未来に何をもたらすかを熟考させるものだと言えるのではないでしょうか。
 以上のように、『歎異抄』の「宿業」は仏教思想じゃありませんってことを桜部さんは仰っているわけです。

③差別性-実際、運命論的な宿業論は、種々の差別の正当化に使われてきた。
 さて次は差別性です。
 実際、運命論的な宿業論は、様々な差別の正当化に使われてきました。「前世の宿業によって被差別部落に生まれた」というような説教は、現実にかつて浄土真宗の説教師がしていたと言いますし、ハンセン病は「業病」だと言われたわけですね。まさしく差別を正当化する論理として使われたのです。そういうことを一つ思い浮かべるだけでも、「宿業」なんて言葉は安易に使えるものではないのです。

④論理自体の説得カ―千人どころか一人も殺せない理由として、果して「宿業」は説得力があるか? 人を殺せないのは、「殺人は窓である」という規範が共有されているからではないか?「害せじとおもふとも、百人・千人をころすこともあるべし」というのは、本当にそう言えるか? (一人ならいざ知らず、百人・千人も殺すことは、加害の意識がなければ、到底無理なのではないか?)


名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より

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論語 №102 [心の小径]

三二〇 葉公(しょうこう)、孔子に語(つ)げていわく、わが党に躬(み)を直(なお)くする者あり、その父羊を攘(ぬす)みて子これを証せり。孔子いわく、わが党の直き者はこれに異なり。父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きことその中に在り。

              法学者  穂積重遠

 「直躬」は人名だという説があって、それだと「わが覚に直躬(ちょっきゅう)という者あり」とよませる。二三の証拠もあげているが、人名とみない方がおもしろい。「攘」は外からまざれ込んで来た物を着服することだという。すなわちこの場合も、よその羊がこちらの地内に迷って来たのをかくしたのであろう。ここの「党」とは「仲間」とか「方」とかいうほどの意味。

 菓公が孔子に、「わしの方にこういう正直者がある。父が羊を着服したのを子が証明した。」とほこりがおに話した。すると孔子が申すよう、「私どもの方の正直者は少々違います。父は子のためにその罪をかくし、子は父のためにその罪をかくすのでありまして、そこにおのずから人情の正しさがあるのでござります。」

 これは法律・道徳の関係上微妙なおもしろい問題だ。「大義(たいぎ)親(しん)を滅す」ることももちろんあり得るが、祖国や同胞の欠点・悪事を外国に向かい摘発暴露して自ら快しとするような近ごろの風潮については、「わが覚の直き者はこれに異なり」と言いたくなる。古註(こちゅう)にも、「理に順なるを直と為す。父は子の為に隠さず、子は父の為に隠さず、理において順ならんや。瞽ソウ人を殺さば、舜ひそかに負いて避れ、海浜に遵(したがい)て処(お)らん。この時に当りてや、親を愛するの心勝る。それ直不直において何ぞ計(はか)るに暇(いとま)あらんや。」とある。この舜のたとえ話は『孟子』(尽心章上)に出ている。

三二一 樊遅(はんち)、仁を問う。子のたまわく、居所(きょしょ)恭(うやうや)しく、事を執(と)りて敬(つつし)み、人と忠なるは、夷狄(いてき)に之(ゆ)くと雖も棄(す)つペからざるなり。

 古註に「恭は容(かたち)を主とし、敬は事を主とす。恭は外(ほか)に見(あらわ)れ、敬は中を主とす。」とある。

 樊遅が仁とは何かをおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「事なくして休息のときもその態度行儀をうやうやしくすること、仕事をするときには十分に謹慎用心すること、人とつきあうには忠心の誠をつくしていつわらざること、この恭・敬・忠の三つは仁を行う根本であるから、たとい礼儀道徳の低い野蛮国に行っても棄ててはいけないぞ。」                  
 わが国には「旅の轍はかきずて」というけしからん言葉がある。願わくは「夷狄にゆくと雖も棄つべからず」でありたいものだが、今日では郡の真ん中でも恭・敬・忠は棄て去られて、「恥のかきずて」どころか、恥を恥と思わぬようになったのだから、情ないことだ。樊遅は三度仁を問い、孔子様は毎回違った答をしておられる。おそらくその進度に応じて教えられたのであろう。学者は本章が最初、第一三九章がその次、第三〇〇章が最後だろう、といっている。


『新訳論語』 講談社学術文庫

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批判的に読み解く歎異抄 №9 [心の小径]

本願ぼこり(造恵無碍・第十三条)の問題

           立川市光西住職  寿台順誠

(1)宿業の問題

 一つずつ進めていきます。ここでの中心テーマの一つは「宿業」という問題です。まあ簡単に言うと運命論です。例えば「人を千人殺してみろ、殺したら往生できるぞ」と言われたって、「そんなことできるもんじゃございません」という唯円の答えに対して、「別にあんたが善くて殺さないわけじゃなくて、あんたに業縁がととのってないだけですよ、あんたが殺そうと思わなくても殺しちゃうこともあるし、殺そうと思ったって殺せないこともあるよ」と親鸞は言っています。一言で言ってしまえばここに書かれてあることは、全部が宿業で決っているという一種の運命論なのです。単純化して言えば、果たしてこの運命論が仏教思想なの、本当に親鸞の思想なの、というのが十三条の一番の問題点です。そこでそうした問題に一つ一つ入っていきたいと思います。
 まず十三条は例えば次のような文脈で使われています。

 「わがこころのよくてころさぬにはあらず。」-「『俘虜記』は、戦後文学の傑作であるが、その作品のはじめに大岡昇平は『歎異抄』 の言葉をあげた。つまり、戦後文学はこの『歎異抄』から出発したといっていえなくない。……善悪とは人間の意思によって生まれたのではなく、人にはどうにもならない宿業から来るものであるから、如来の悲願に帰すしかない。戦場に送られて敗走し、敵兵を銃口の先にとらえたことも、宿業である。これを撃つか撃たないかで氏の運命は大きく変わるのであるが、それは氏の意思が決めるのではなく、宿業が決定するのだ。人間はそれほど頼りない存在なのだと言う認識が、根底にある。(立松和平「『歎異抄』に想う-『倖虜記』の前文より-」 『大法輪』75巻2号、2008年)

 立松和平は大岡昇平の『俘虜記』についてこう言っているわけですが、『俘虜記』自体は読むともうちょっと複雑な議論をしていますから、こんな単純に要約できるものではありません。が、詳しいことは割愛するとして、ともかく大岡昇平は戦争でフィリピンに行って、たまたま米兵に遭遇した時、撃とうとすれば撃てたのに撃たなかった。その時のことを様々に思い巡らしたことを後になって『俘虜記』に書きつけています。なぜ撃たなかったのか、と。自分は別に人類愛で撃たなかったわけじゃないとか、様々なことを書いているその冒頭の所に、『歎異抄』十三条の「わがこころのよくてころさぬにはあらず」 という言葉が記してあるのです。でも、これとは逆の場合にも『『歎異抄』』十三条は使えますね。撃って殺しちゃった場合には、「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまいもすべし」という言葉で正当化できるじゃないですか。私の思いで撃ったんじゃない、手が勝手に動いたんだ、宿業で決まっていたんだ、という形でね。それで思うのですけど、『欺異抄』の少なくとも戦後における使われ方の一つにこういうことがあったんじゃないかと私は思っています。『欺異抄』って書物は、戦争に行っていろいろなことがあった、してきちやったことから、何かこう解放される一助になったのかもしれない、或いは少なくともそういう罪悪感を緩和するように使われてきたかもしれないと思うのです。
 三十年ほど前、私の「前前前世」において、ここ正雲寺で何度も靖国問題について話したことがありまして、檀家さんから物凄い反発を招いたことがありました。「お前は過激派か」と、よくそういう話になりましたが、今時はもうそうはなりません。もう実体験がない人が多くなったからだと思います。三十年以上前にここで私が話している時は目の前にいる人がやっぱり実体験があったと恩うんです。最近になって初めて好きなように話ができるようになったのじゃないかと思いますが、そんなことで「宿業」という言葉或いは考えが、一つには「責任逃れ」に使われる側面があることが問題だということをお話し致しました。


名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より

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論語 №101 [心の小径]

三一七 定公(ていこう)問う。一言(いちげん)にして以て邦(くに)を興すべきものこれありや。孔子対(こた)えていわく、言は以てかくの如くそれ幾(き)すべからざるなり。人の言にいわく、君(きみ)たること難し、臣たること易からずと。もし君たることの難さを知らば、一言にして邦を興すに幾(ちか)からずや。いわく、一言にして以て邦を喪(ほろ)ぽすべきものこれありや。孔子対えていわく、言は以てかくの如くそれ幾(き)すべからざるなり。人の言にいわく、われ君たるを楽しむことなし。ただその言いてわれに違(たが)うことなきなりと。もしそれ善にしてこれに違うことなくば亦善(よ)からずや。もし不善にしてこれに違うことなくば、一言にして邦を喪ぽすに幾からずや。

               法学者  穂積重遠

 同じ「幾」を前には「き」とよみ後には「ちか」とよむのはおかしいというので、「一言にして邦を興すに幾せざらんや」とよむ人もあるが、どうせ日本よみにするのだからわかりよい方がいいと思って、「ちかからずや」とよんだ。「一言にして以て邦を喪ぽすもの」となっている本もあるが、『論語』はこういう場合にいつも同じ口調をくり返すのが例だから、「邦を喪ぽすべきもの」とある方によった。

 魯の定公が孔子に、「一言で国家を興隆させ得るほどのききめのある言葉が、そもそもあるものだろうか。」とたずねた。孔子が答えて申すよう、「言葉と申すものは、必ずこういう益があるときめこんでしまうことができるものではありませんが、世間で『君となるのはむずかしい、臣となるのもやさしくない。』と申します。その『君たること難し』ということがわかれば大したものですから、これなどは一言で国家を興隆させ得るに近い言葉ではござりますまいか。」「それでは一言で国家を滅亡させ得るほどの害のある言葉が、そもそもあるものだろうか。」「言葉と申すものは、必ずこういう害があるときめこんでしまうことができるものではありませんが、世間で『わしは君となるのを別に楽しいとも思わないけれども、ただ何を言ってもわしに反対する者がないのは愉快じゃ。』と申します。善いことを言って反対する者のないのが愉快だというのならけっこうですが、もし悪いことを言っても反対する者のないのが愉快だということになるとあぶない話ですから、これなどは一言で国家を滅亡させ得るに近い言葉ではござりますまいか。」

三一八 葉公(しょうこう)、政を問う。子いわく、近き者説(よろこ)べば、遠き者来(きた)る。

 「説び」「来る」と対句によむ人もあるが、連関させた方が意味が通ろう。

 楚(そ)の大夫、葉公が政治のやり方をたずねた。孔子様がおっしゃるよう、「近所の人民が悦び服するようになれば遠方の者も徳を慕って来り集ります。」

三一九 子夏、キョ父(きょほ)の宰となり、政を問う。子のたまわく、速(すみ)やかならんを欲するなかれ、小利を見るなかれ。速やかならんを欲すればすなわち達せず、小利を見ればすなわち大事成らず。

 子夏がキョ父という地方の代官になったとき、政治のやり方をおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「政治をするには、急いで成績を挙げようと思ってはいけない。また眼前の小さな利益に目がくれてはいけない。急いで効果をあらわそうとすると、順序をあやまったり思わぬ手落ちがあったりして、かえって目的を達し得ない。小利を迫って遠大のはかりごとがないと、天下後世を益するような大事業を戯麗P得ない。」

 子張に対する教訓(二九二)とくらべて身よ。それをその人の短所について教えられるのである。

『新訳論語』 講談社学術文庫

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批判的に読み解く歎異抄 №8 [心の小径]

本願ぼこり(造恵無碍・第十三条)の問題

           立川市光西住職  寿台順誠

(1)宿業の問題

 次に十三条にいきます。十三条は長いですけど一応読んでおきましょう。
 
 弥陀の本願不思議におはしませばとて、悪をおそれざるは、また本願ぼこりとて、往生かなふべからずといふこと。この条、本願を疑ふ、善悪の宿業をこころえざるなり。よきこころのおこるも、宿善のもよほすゆゑなり。悪事のおもはれせらるるも、悪業のはからふゆゑなり。故聖人(親鸞)の仰せには、「羽毛・羊毛の先にゐるちりばかりもつくる罪の、宿業にあらずといふことなしとしるべし」と候ひき。またあるとき、「唯円房はわがいふことをば信ずるか」と、仰せの候ひしあひだ、「さん候ふ」と、申し候ひしかば、「さらば、いはんことたがふまじきか」と、かさねて仰せの候ひしあひだ、つつしんで領状申して候ひしかば、「たとへば人千人ころしてんや、しからば往生は一定すべし」と、仰せ候ひしとき、「仰せにては候へども、一人もこの身の器量にては、ころしっぺしともおぼえず候ふ」と、申して候ひしかば、「さてはいかに親鸞がいふことをたがふまじきとはいふぞ」と。「これにてしるべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人・千人をころすこともあるべし」と、仰せの候ひしかば、われらがこころのよきをばよしとおもひ、悪しきことをば悪しとおもひて、願の不思議にてたすけたまふといふことをしらざることを、仰せの候ひしなり。そのかみ邪見におちたるひとあって、悪をつくりたるものをたすけんといふ願にてましませばとて、わざとこのみて悪をつくりて、往生の業とすべきよしをいひて、やうやうにあしざまなることのきこえ候ひしとき、御消息に、「薬あればとて、毒をこのむべからず」と、あそばされて候ふは、かの邪執をやめんがためなり。まったく、悪は往生のさはりたるべしとにはあらず。「持戒持律にてのみ本願を信ずべくは、われらいかでか生死をはなるべきやと。かかるあさましき身も、本願にあひたてまつりてこそ、げにほこられ候へ。さればとて、身にそなへざらん悪業は、よもつくられ候はじものを。また、「海・河に綱をひき、釣りをして、世をわたるものも、野山にししをかり、烏をとりて、いのちをつぐともがらも、商ひをし、田畠をつくりて過ぐるひとも、ただおなじことなり」と。「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまいもすべし」とこそ、聖人(親鸞)は仰せ候ひしに、当時は後世者ぶりして、よからんものばかり念仏申すべきやうに、あるひは道場にはりぶみをして、なんなんのことしたらんものをば、道場へ入るべからずなんどといふこと、ひとへに賢善精進の相を外にしめして、内には虚仮をいだけるものか。願にほこりてつくらん罪も、宿業のもよほすすゆゑなり。されば善きことも悪しきことも業報にさしまかせて、ひとへに本願を頼みまゐらすればこそ、他力にては候へ。『唯信抄』にも、「弥陀いかばかりのちからましますとしりてか、罪業の身なればすくはれがたしとおもふべき」と候ぞかし。本願にほこるこころのあらんにつけてこそ、他力をたのむ信心も決定しぬべきことにて候へ。おほよそ悪業煩悩を断じ尽してのち、本願を信ぜんのみぞ、願にほこるおもひもなくてよかるべきに、煩悩を断じなば、すなはち仏に成り、仏のためには、五劫思惟の願、その詮なくやましまさん。本願ぼこりといましめらるるひとびとも、煩悩・不浄具足せられてこそ候うげなれ。それは願にはこらるるにあらずや。いかなる悪を本願ぼこりといふ、いかなる恵かほこらぬにて候ふべきぞや。かへりて、こころをさなきことか。(本願寺派『浄土真宗聖典』842-845ページ、大谷派『真宗聖典』633-635ページ)


名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


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論語 №100 [心の小径]

三一四 子のたまわく、もし王者ありとも、必ず世にして後(のち)に仁(じん)ならん。

              法学者  穂積重遠

 「王者」は、聖人の徳を具え天の命令を受けて帝王たる者。「世」は、一世代すなわち三十年をいう。「世」の字が元来「三十」なる字の組合せだ。「四十にして仕え、七十にして事を致す」というところから、人間一人の働く期間が三十年という計算になる。

  孔子様がおっしゃるよう、「たとい王者といわれるほどの聖主が出ても、天下を教化して一人の不善を為す者なき人徳あまねき国とするには、どうしても三十年はかかる。」

 本章も前章と同様、王者の徳をたたえるよりも、むしろ教化の困難を言われたものと思う。

三一五 子のたまわく、いやしくもその身を正しくせば政に従うにおいて何かあらん。その身を正しくすること能わずんば、人を正すことを如何せん。

 「政を為す」は帝王のこと、「政に従う」は大夫のこと。すなわち本章は大夫に対する訓言だと説明されるが、事柄は帝王とても同じで、孔子様が毎度言われるところだ(二九五・三〇八)。

 孔子様がおっしゃるよう、「もしも自分の一身を正しくすることができるならば、政治の局に当るなどは何でもないことじゃ。自分の一身すら正しくすることができないで、どうして人を正しくすることができようぞ。」

三一六 冉子(ぜんし)朝(ちょう)より退く、子のたまわく、何ぞ晏(おそ)きや。対えていわく、政ありき。子のたまわく、それ事ならん。もし政あらば、われを以(もち)いずと雖も、われそれこれを与(あずか)り聞かん。

 冉有り(ぜんゆう)が大夫季氏の執事であったが、ある日季氏の家の事務所から退出してきたとき、孔子様が、「どうしてこんなに遅くなったのか。」と問われた。冉有が答えて、「マツリゴトがありましたので、時間がかかりました。」と言った。孔子様がおっしゃるよう、「それは国政ではあるまい、李氏の家事だったのだろう。もし国政ならば、わしも以前は大夫だった重臣なのだから、今は非役だけれども、ご相談にあずからぬはずはあるまい。」

 季氏が専横で、他の同僚重臣にも相談しないで国の大事を私邸で家臣らと許許するのを孔子様がけしからんことに思われ、わざとそらとぼけて冉有をたしなめられたのである。ところでこれは「朝」を私朝として、「政」を国事、「事」を家事と見る解釈に従ったのだが「朝」は公朝なり、「政」も「事」も国政にて大事と小事となり、とする説もある。中井履軒いわく、「朝はこれ公朝なり。時に政季氏に在り、故に冉子は家宰(かさい)なりと錐も亦随従して事を弁ずるなり。大を政といい、小を事という。当に国と家とに分属すべからず。けだしおよそ興作挑発し及び新たに号を発し令を出だすものは皆政なり。例に循(したが)うものは皆事なり。政は宜しく詢謀(しんぼう)僉議(せんぎ)すべし。諸大夫与り間かざるの理なし。事はすなわち必ずしも然らず。この時実はこれ政なり。しかるに孔子をして与り聞かしめず。故に孔子聾(つんぼ)を装いてこれを規切せるなり。」


『新訳論語』 講談社学術文庫


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批判的に読み解く歎異抄 №7 [心の小径]

「悪人正機」(第三条)の問題

         立川市・光西寺住職  寿台順誠

(3)「正機」と「正因」

 先ほど言いましたように、『歎異抄』三条には、「正機」ではなく「正因」という言葉が出てきます。この違いについて平雅行さんという中世仏教史の専門家は、「正機」は一次的救済対象、「正因」は一次的価値体だという区別をしています(平雅行「Ⅵ 専修念仏の歴史的意義」『日本中世の社会と仏教』塙書房、1992年、215-265ページ‥「親鸞の善人悪人観」『親鸞とその時代』法蔵館、2001年、112-167ページ参照)。これはわざわざ分かり難くするような言葉だと思いますが、「一次的救済対象」というのは「悪人ファースト」、悪人が真っ先に救われるべき存在だということです。それが「悪人正機」の意味ですね。
 それに対して悪人が「正因」、すなわち「一次的価値体」だということを分かり易く言えば、悪人の方が善人より価値が高いということです。悪人が最初に救われるべき存在だとは言っても、善人の方が価値は高いのが「悪人正機」であるのに対して、「悪人正因」の方は善悪の価値そのものをひっくり返してしまうのですから、悪人も救ってあげるのではなくて、悪人じゃないと救われないという意味になります。
 この「正機」と「正因」の違いをテキストに沿って確認しておきます。三条の「他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり」とあるところは二つの読み方ができますね。一つには「他力をたてまつる」ことが「往生の正因」だと読めますが、これだと信仰論上聞題がないです。これは信心を得ることが往生の正しい原因(信心正因)であるという話だから何も問題ありません。ところが、もう一つの読み方があって、「悪人」であることが「往生の正因」だという読み方です。こう読むと「悪人」にならないと救われないことになります。そして、そこに道徳的な意味を含めると、人殺しはダメだと言っちやダメなんですよ、盗みはダメだと言っちやダメなんですよというふうになってしまうんです。
 事実、私が大谷派で勉強し始めた八十年代にはよくそういう話を聞きました。靖国問題を契機に信心を問い直したことで有名な和田稠(しげし)さん(例えば『信の回復』東本願寺出版部、1975年参照)は、「悪人も救われるんじゃないんです。悪人になって救われるんです」などと仰っていました。当時はこういうことが革命的なことだと皆思っていました。私もそうでした。が、やがて私は和田さんとは襖を分かつことになりまして、今ではこれは完全に否定すべきだと思っています。これは今改めて反省すべき点だと思いますね。

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


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批判的に読み解く歎異抄 №6 [心の小径]

「悪人正機」(第三条)の問題

         立川市・光西寺住職  寿台順誠

(2)悪人の意味 2

 が、さらにもう一つ、私が1980年代にこういう勉強を始めた頃、非常にセンセーショナルだったのは、「被差別民」がこの「悪人」の意味だと言われていたことですね。河田光夫さんが東本願寺でされた話が特に記憶に残っています(河田光夫『親鸞と被差別民衆-靖国・同和問題研究資料-』真宗大谷派宗務所出版部、1986年)。それを一つ紹介しておきましょう。資料の注の7の必要な所だけ読みます。

 「キヨメ」ヲ「エタ」ト云フハ、何ナル詞バゾ 根本ハ「餌取」ト云フベキ歟。「餌」ト云フハ、シシムラ、鷹等ノ餌ヲ云フナルベシ。其ヲトル物上云フ也。「エトリ」ヲ、ハヤクイヒテ、イヒユガメテ、「エタ」ト云ヘリ。(『塵袋』は親鸞没後間もない1264~88年頃成立したとされる辞書。河田光夫『親鸞の思想と被差別民』明石書店、1995年、27-28ページ)

 これは当時の辞書のようなものですが、「エトリ」というのは「餌」を「取る」職業ということですね。そして、「キヨメ」というのは「清掃・掃除する人」で、その人たちも下層の人として蔑まれてきたってことがあるんです。また、「非人」とか、官の許可を得ず勝手に坊さんになった「私度僧」(濫僧)とかもここには入っていて、被差別者のことをいろいろ定義して書いてあるんですね。あと途中を飛ばして最後の部分を読んでみます。

 …(中略)…天竺に「旃陀羅」ト云フハ、「屠者」也。イキ物ヲ殺シテウルエタ体ノ悪人也。(同前)

 「旃陀羅」(チャンダーラ)は『観無量寿経』にも出てきます。インドの被差別民である旃陀羅とは「屠者」であり、生き物を殺して生活する「エタ」のような「悪人」であるというわけです。
 要するに「悪人」という言葉は差別用語だったというのです。だから、『歎異抄』の「悪人正機」はこのようなことを念頭に置いて読まないと分からないということを河田光夫さんは強調したわけです。
では次の間題に行きます。

 名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


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論語 №99 [心の小径]

三一一 子、衛(えい)に適(ゆ)く。冉有(せんゆう)、僕(ぼく)たり。のたまわく、庶(おお)いかな。冉有いわく、既に庶し、又何をか加えん。のたまわく、これを富まさん。いわく、既に富めり、又何をか加えん。のたまわく、これを教えん。

               法学者  穂積重遠

  孔子さまが衛の国に行かれたとき、冉有がお伴して馬車を御(ぎょ)していた。孔子sまが車の上から衛の回の模様を見て、「さても人口の多いことかな。」と感嘆された。そこで、冉有と孔子様との間にこういう問答があった。「実に大した人口でござりますが、この上何か付け加えることがありましょうか。」「人が多くても貧しくて日々の生活に困るようなことでは何にもならぬから、産業を盛んにし租税を軽くして、人民を富まさねばならぬ。」「人民が富んで生活がゆたかになりましたら、その上にまだ何か附け加えることがありましょうか。」「富んだだけで教育がないと、仁義道徳を知らずして人たるかいがない故、これを教化せねばならぬ。」

 国としてはまずもって人口が多くなくてはならぬ。フランスのようでは困ったものだが、人口が多いということは、他方国家の大負担でもある。日華事変も太平洋戦争もさかのぽればわが国の大人口のはけ口を求めねばならなかったことが原因だが、敗戦の結果そのはけ口がふさがったばかりか、八千万人の大人口がいわゆる辺土栗散(へんどぞくさん)の小天地に押しこめられて「庶かな」と、感嘆ではなくて、歎息せねばならぬことになってしまった。しかしていたずらに庶いのみで、食糧難・住宅難・就職難、さらにそれに加うるに意気阻喪(いきそそう)・道義頽廃(どうぎたいはい)、まことに「これを富まさん」「これを教えん」と絶叫せざるを得ないではないか。

三一二 子のたまわく、いやしくもわれを用いる者あらば、朞月(きでつ)のみにて可なり。三年にして成るあらん。

 「朞月」は「期日」。すなわち今年三月から来年三月まで、というようなわけで、一周年をいう。

 孔子様がおっしゃるよう、「もしわしを用いて政治をやらせてくれる人があるならば、三年でもけっこうじゃ。三年もあったらりっぱに成績を挙げてみせるのだがなあ。」

 このあたりになると孔子様も相当あせっておられる模様が見える。「三年」というのが、中国のきまり文句だ。(一一・八六・一九六・二七八・四五二)。ここでも「五年計画」の「十年計画」のというような正確な意味ではない。

三一三 子のたまわく、善人邦(くに)を為(おさ)むること百年ならば、亦以て残に勝ち殺を去るべしと。誠なるかな、この言(こと)や。

 孔子様がおっしゃるよう、「古語に『善人が相継いで国を治めること百年ならば、人間の残忍性に打勝って、死刑など必要とするような大罪をなくし得る。」とあるが、ほんとうじゃ、この音楽は。」

 前章及び次章と関連させて、聖人は三年、善人は百年、王者は三十年、というような論もあるが、孔子様がそんな区別をされそうもないことだ、またここの「善人」は、第一七二章及び第二七二章におけるような、区別的、限定的の意味ではなく、一般的の「善い人」の意味だろう(三三一)。そしてこの古語は一方に為政者が善人でなくては治績があがらぬことをいうと同時に、他方では「残に勝ち殺を去る」というような根本的人性改造は、なかなか人間一代の仕事ではない、ということを暗示したものとして、孔子様が賛成されたのである。


『新訳論語』 講談社学術文庫

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