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論語 №142 [心の小径]

四五一 孺悲(じゅひ)、孔子に見えんと欲す。孔子辞するに疾(やまい)を以てす。命を将(おこな)う者戸を出ず。瑟(しつ)を取りて歌い、これをして聞かしむ。

        法学者  穂積重遠

 孺悲なる者が孔子様にお目にかかりたいとて来訪した。孔子様は病気だといってことわらせた。取次の者が部屋の戸口を出て玄関に行くと、孔子様はすぐに二十五弦琴を取り上げてかきならし、それに合わせて聞こえよがしに歌をうたい、実は仮病なのだということを知らせた。

 孔子様がなぜ仮病までつかって面会謝絶をされたかはハッキリしない。孺悲が前に何か不始末があって、ノメノメ顔が出せる義理でなかったのに、押強くやって来たので、会わぬ訳があって会わぬのだということを暗に知らせ、孺悲の反省をうながされた、というような次第であろう。

四五二 宰我(さいが)問う。三年の喪は期すでに久し。君子三年礼を為さずんば、礼必ず壊れん。三年楽を為さずんば、楽必ず崩れん。旧穀(きゅうこく)既に没(つ)きて新穀既に升(みの)る。燧(すい)を鑚(き)り火を改む。期にして巳(や)むべし。子のたまわく、かの稲を食(くら)い、かの錦を衣(き)る、なんじに於て安きか。いわく、安しと。なんじ安くばすなわちこれを為せ。それ君子の喪に居(お)る、旨さを食えども廿からず、楽を聞けども楽しまず、居処(きょしょ)安からず。故に為さざるなり。今なんじ安くばすなわちこれを為せ。宰我出ず。半のたまわく、予(よ)の不仁なるや。子生まれて三年、然る後父母の懐(ふところ)を免(まぬが)る。それ三年の喪は天下の通喪(つうそう)なり。予やその父母に三年の愛あるか。

 「期」は「期限」の意味にも「一年」の意味にも用いる。宰我の言葉のうち、始の「期」は前者、次の「期」は後者。「燧(すい)を鑚(き)り火を改む」-昔は、木の板に凹みを作り同じ木の棒の一端をそこに当て錐をもむようにして火を取った。その木が四季で違う。春はニレ・ヤナギ、夏はナツメ・アンズ、秋はハハソ・ナラ、冬はエンジュ・マユミ、そして一年で元にもどる。「稲」はここではモチゴメ、すなわち米の中で一番美味のもの。

 宰我(予)が「父母の喪の三年というのは、期限が長過ぎはしますまいか。君子が喪にこもって三年も礼をしなかったら、札が必ずみだれましょう。三年も楽をしなかったら、楽が必ずくずれましょう。それでは甚だ不都合であります。ところで二年たてば、去年の穀物は食い尽くされて新しい穀物が出回り始めます。木を警て火を切り出すのも、一年でその木がい這います。それ故喪も一年で打切るのが適当でありましょう。」と言った。すると孔子様が、「親が死んでも一年たちさえすれば、おいしいもち米の飯をたべ、美しい錦の着物をきて、それでお前は気安いのか。」と問われたところ、宰我が「かくべつ気が咎(とが)めませぬ。」と答えたので、孔子様はごきげん宜しからず、「そうか、お前の気が済むならそうするがよかろう。いったい君子の服喪中は、美食をしても口に廿からず、音楽を聞いても耳に楽しからず、よい住居に居ても落着かない・それ故に衣食住を簡素にするのだが、お前は美衣美食安住して心安いならかつてにそうしなさい。」と苦り切って言われた。それで宰我は面目を失って引下ったが、あとに残った門人たちに向かって孔子様がおっしゃるよう、「さても予は不仁非人情な男かな。子供は生れてから三年でヤツト父母の懐ろからはなれるものだ。それ故三年の喪が天子より庶人に至るまで上下一般に通ずる定例になっている。ぜんたい予は両親から三年の愛を受けなかったのだろうか。」

『新訳論語』 講談社学術文庫


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論語 №141 [心の小径]

四四七 子のたまわく、古者(いにしえ)民に三疾あり。今や或いはこれこれなし。古(いにしえ))の狂や肆(し)、今の狂や蕩(とう)、古の矜(きょう)や簾(れん)、今の矜や忿戻(ふんれい)、古の愚や直(ちょく)、今の愚や詐(さ)のみ。

        法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「昔の人に狂・矜・愚の三癖があったが、その癖さえも今では堕落してしまった。狂は気位が高過ぎることで、昔の狂は小節に拘泥せぬ程度だったが、今の狂はでたらめである。矜はおのれを持することが厳に過ぎることで、昔の矜は物事に角が立つのだったが、今の矜は強情我慢である。愚はすなわちばかだが、昔の愚はばか正直であり、今の愚はばかずるいのじゃ。」

四四八 子のたまわく、巧言令色鮮(すく)なし仁。

 これは全然重出(三)なので、すべてを略して、思い出した江戸笑話を一つ書いておこう。儒者の塾に忍び込みし盗人を内弟子たちが捕えて突き出そうとするを、師匠が止めて懇々説諭(せつゆ)し、過(あやま)って改むるに憚(はばか)るなかれと、銭そくぱくを握らせて放してやる。盗人手をあけて見て「鮮し仁」と言った。

四四九 子のたまわく、紫の朱を奪うを悪(にく)む。鄭声(ていせい)の雅楽を乱すを悪む。利口の邦家を覆すを悪む。

 孔子様がおっしゃるよう、「間色たる紫がそのなまめかしさの故に正色の赤を圧倒することがにくむべきと同様、鄭国の俗楽が耳に入りやすきが故に先王の正楽を混乱し、多弁の偉人が君にへつらい、善人を陥れて国家を危くするは、にくむべき極みである。」(参照~三八六)

四五〇 子のたまわく、われ言うことなからんと欲す。子頁いわく、子もし言わずんば、すなわち小子何をか述べん。子のたまわく、天何をか音うや、四時(しいじ)行われ、百物(ひゃくぶつ)生ず。天何をか言うや。

 孔子様が、「わしはもう何も言うまいと思う。」 と言われた。子貢が驚いて、「もし先生が何もおっしゃらなかったら、私ども門人は何を拠り所として先生の教えを宣伝致しましょうや。」と言った。そこで孔子様がおっしゃるよう、「天は何か言うかね。天は何も言わぬけれども、春夏秋冬の四季は時を違(たが)えず、百物は日に日に成育する。天は何か言うかね。」

 伊藤仁斎は本章を説明して、「これ学者の言語に求めずして深くその実を務めんことを欲するなり。それ実ありて言うことなきは以て患(かん)と為すに足らず、言うことなしと雖も必ず行わるるを以てなり。もし言うことあるも耐かもその実なければ、すなわち巧文麗辞天下の弁を極むと雖も益なし。」といっているが、少々見当違いではないだろうか。本章はむしろ「われなんじに隠すことなし」(一七〇)と対応する。すなわち口で言って聞かせずともわしの一挙一動をそばで見ているのだから、わしの趣旨はわかるはずじゃ、と言われたのだと思う。自らを天に比したところに孔子様の抱負の大なるを見る。

『新訳論語』 講談社学術文庫


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論語 №140 [心の小径]

四四四 子のたまわく、郷原(きょうげん)は徳の賊なり。

              法学者  穂積重遠

 「原」は「愿」と同じ。「謹」の意味。

 孔子様がおっしゃるよう、「一郷での律義者といわれる者が、かえって徳をそこなう八方美人の食わせ者ぞ。」

 古話に「真の非は以て人を惑わすに足らず。ただ是に似て非なる者は最も以て人を惑わし易し。故に夫子以て徳の賊と為す。」とある。また『孟子』(尽心下篇)に本章の詳解が出ている。いわく「万章いわく、一郷皆原人と称す。往く所として原人たらざるはなし。孔子以て徳の賊と為すは何ぞや。いわく、これを非とせんとするも挙(あ)ぐべきなく、これを刺(そし)らんとするも剃るべきなく、流俗に同じくし汚世(おせい)に合し、これに居るに忠信に似、これを行うに廉潔(れんけつ)に似たり。衆皆これを悦び、自ら以て是と為す。しかも与(とも)に堯舜(ぎょうしゅん)の道に入るべからず。故に徳の賊というなり。」

四四五 子のたまわく、道に聴きて塗(みち)に説くは、徳をこれ棄つるなり。

 本文から「道聴塗説」という熟語が出釆ている。

 孔子様がおっしゃるよう、「今途中で聴いたことをすぐそのまま途中で話してそれきりかけ流しにするようでは、せっかく善いことを聞いても、身につかず心の養いにならぬ。これは全く徳を粟てるというものじゃ。聴いたことをトツクリと玩味し善いと思ったら実践せよ。」

 『荀子』勧学篇に「口耳の学」というのがそれだ。いわく、「小人の学は、耳に入りて口に出ず。口耳の間はすなわち四寸のみ。なんぞ以て七尺の躯を美にするに足らんや。」

四四六 子のたまわく、鄙夫(ひふ)は与(とも)に君に事(つか)うぺけんや。その未だこれを得ざるや、これを得んことを患う。既にこれを得ればこれを失わんことを患(うれ)う。いやしくもこれを失わんことを患うれば、至らざる所なし

 孔子様がおっしゃるよう、「人格下劣のともがらとは、とうていいっしょにご奉公できぬ。まだ官職権勢を得ない間は、それを得ることばかり心配し、いったんそれを得ると、これを喪(うしな)うことばかり心配する。そしてこれを喪うことを心配する以上、目的は手段を配ばず、地位保全のためにはどんなことでもしかねないのじゃ。」

『新訳論語』 講談社学術文庫



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現代の生老病死 №17 [心の小径]

質疑応答

     立川市・光西寺  寿台順誠

Q.前に「批判的に読み解く『歎異抄』」の二回目の話の時にもお尋ねしたことですが、優生思想の背景にはユダヤ教など宗教の問題がありませんか?
A.それは特定のある宗教のせいには出来ないのではないでしょうか。仏教の中にも、例えば天親の『浄土論』に「女人及根欠、二乗種不生」(女人および根欠、二乗の種生ぜず=女性及び障害者、そして声聞・縁覚という小乗の行者は浄土に往生出来ない。『真宗聖典』136頁、『浄土真宗聖典七祖篇一一註釈版一一』本願寺出版社,1996,31頁)とあるように、問題のある箇所はありますからね。優生思想を正当化する言説はどの宗教からも引き出せると思います。例えば日本では脳死・臓器移植が盛んに議論された時に、賛否両論ともが仏典で正当化していたということがありました。そのように、宗教の聖典というものはある問題について大概賛否両論を備えているものです。それは宗教の豊かさだとも思いますけれどね。
 私は今ここで、ある宗教のどこが優生思想につながるといったことを具体的に示すことは出来ませんが、先ずは以上のように考えるべきだと思います。それで、優生思想としてさしあたり問題になっているのは近代的な意味での優生思想(優生学)だということを押さえる必要があります。勿論、それがいろいろな宗教思想から正当化された歴史はある訳ですが、それについては又、いろいろな研究が出ていると思いますので、そうしたものを一つ一つ丹念に見ていく必要があるのではないでしょうか。

Q.キリスト教はユダヤ教の課題を克服しようとしたのではないかと思いますがどうですか?
A.よく分かりませんが、要するにユダヤ民族という特定性を超えて普遍的な真理とか、普遍的な愛とかを示したのでキリスト教は「民族宗教」ではなくて「普遍宗教」だとなる訳でしょう。それについて私は異論ありませんし、一般的に言われてきていることだとも思います。

Q.  死因の一つとして増えている.老衰死(自然死)の背景には健康寿命が延びていることも結びつきますか?
A.   当然結びつくと思います。でも、これは相対的なものだとしか言いようがないじゃないでしょうか。例えば、親鸞の時代に老衰は何歳だったでしょうか。当時、平均寿命は50歳にはなっていないですよね。その意味では、時代と社会によって基準が違うのは当然だと思います。現代において寿命が長くなってきたのには、医療の発達もあれば、嘗てとは食べているものの栄養も違うということがあると思いますので、そうしたことの全体が総合して寿命が延びていると思うのです。それで、もうそろそろ80代になっても「老衰」とは言えなくなってくるのではないでしょうか。(31)

司会者のまとめ
 今日の先生のお話で仏教教理の一つ、「迷いの生存におけるすべては一切皆苦」の深い意味が良く理解できたように思います。そして現代的問題として「操作される生」という視点から「現代の生老病死」について広く深いお話をしていただき本当に有り難うございました。
 今日、たしかに昔と比べたら「老・病・死」の時間的過程がずっと長くなってしまって、老後の人生をどう過ごせばいいのかが大きな問題になっています。私は40年以上の会社勤めを終えた後、さてこれからの毎日をどう生き、何の為に生きたら艮いか懐悩煩悶し、挙句、ご縁あって正雲寺のご住職にお願いして真宗大谷派衆徒として得度を受けました。
 老後の人生の送り方はそれぞれの考えで対応するべきことなのでしょうが、「苦」の本質を自覚せずただ長く生きればよいということではないと思います。結局、四苦八苦に苛まれて不安な毎日を過ごすことがないように、阿弥陀様に帰依し、信心をいただいて生きなさいということでしょうか、「自然法爾」という親鸞聖人のお言葉が強く思い起こされます。
 順誠先生には今回のテーマの二回目をお願いしております。日時は未定ですが迫ってお知らせしますので是非ご聴聞下さいます様お願い申し上げます。

註(31)これに関しては、後日、「老衰」の定義をハッキリさせる必要があるのではないかと思ったので少し調べてみたが,藤村憲治『死因「老衰」とは何か-―日本は「老衰」大国、「老衰」で死ねないアメリカ-』南方軒吐、2018が特に参考になると思われた。同書は「老い衰えゆくこと」という「文化的・社会的意味での老衰」と「死因としての老衰」とを分けて、前者は否定的価値判断を含むが、後者には「十分に生きた末、自然に死を迎えるという肯定的な価値が含まれるとしている(17頁)。また、同書は「死因としての老衰」を「統計的」「医学的・臨床的」に細分化して、その意味するところを詳説し、さらに「老衰」という言葉が、「死因」として分類される「医療化」以前と以後とではどのように変化してきたかも検討している。この意味で言えば、親鸞の時代に「死因としての老衰」という概念などはなかった筈なので、この言葉について現代と親鸞の時代を直接比較することなとは出来ないであろう。その点で、この質疑に対する応答は少し的外れだったと反省するとともに、今後は従来あまり定義もせずに使用されてきた「老衰」という言葉と概念について、もっと深く探究すべきだという思いを新たにさせられた。その意味において、この質問を出して下さった参加者に感謝申し上げたい.

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


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論語 №140 [心の小径]

四四一  子、伯魚(はくぎょ)に謂(い)いてのたまわく、なんじ周南・召南を為(まな)ぴたりや。人にして周南・召南を為ばざれば、猶正しく牆(かき)に面して立つがごときか。

       法学者  穂積重遠

 周南・召南は『詩経』の初めにある各十篇の詩で、王公、大夫の夫婦生活を中心とする修身斉家の道を歌ってある。

 孔子様がお子さんの伯魚におっしゃるよう、「お前は周南・召南の詩を勉強したか。周南・召南は治国平天下での出発点たる終身斉家の道を歌った詩だから、人たる者周南・召南を学ばなくては塀に鼻突き合せて立ったようなもので、一歩も進めず一物も見得ないであろうぞ。」(参照 - 三〇九・四三〇・四四〇)

四四二 子のたまわく、礼云い礼と云う、玉帛(ぎょくはく)を云わんや。楽と云い楽と云う、鐘鼓(しょうこ)を云わんや。
                                    
 孔子様がおっしゃるよう、「礼・礼というが、それは玉や絹の礼式用度をいうのであろうや。楽・楽というが、それは鐘や太鼓の楽器をいうのであろうや。心の敬が形にあらわれたのが礼であるから、心の敬を失ったら、どんな上等の玉帛を用いても礼にはならぬ。心の和が音にあらわれるのが楽であるから、心の和を失ったらどんな妙音の鐘鼓を用いても楽にはならぬ。」(参照- 四三)

四四三 子のたまわく、色厲(はげ)しくして内荏(うちやわらか)なるは、これを小人に譬(たと)うればそれ猶(なお)穿ユ(せんゆ)の盗(とう)のごときか。

 「穿」は壁をくりぬく、「ユ」は塀を乗り越える、合せてコソコソどろばうのこと。

 孔子様がおっしゃるよう、「うわべばかりえらそうにかまえていて内心卑怯未練の人物は、これを細民(さいみん)にたとえてみると、平気な顔をしながら内心ビクビクもののコソコソどろほうのようなものじゃ。」

『新訳論語』 講談社学術文庫



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現代の生老病死 №16 [心の小径]

おわりに

     立川市・光西寺  寿台順誠

 おわりに今日申し上げたことを、「生一老廠」の順で取りまとめておきますと次のようなことになります。今日、出生前診断や遺伝子操作等に表れているような優生思想に基づき、生が操作されることによって、未来が奪われる苦、生まれてこなかった方がよかったと思わされる苦、苦しむことさえ奪われる苦等と表現出来る「現代の生苦」が生じていますが、その帰結として、死にたくても死ねない状態が長く続く苦として表される「現代の老苦」や、病と付き合わねばならない時間が長くなる苦、又かえって医療によって病が生みだされる苦としてある「現代の病苦」が生じ、そしてその果てに、お任せ出来る人も頼りになる世界も失って、そもそも自分では決定出来ないことまで自己決定すべきだという強迫観念に苛まれる苦とも言える「現代の死苦」が生じていると言えるのではないか、それでそうした「現代の生苦」から「現代の老苦・病苦・死苦」へと通底しているものこそ優生思想ではないか、ということです。
 尚、全人的苦痛(total pain)という考え方を参考までに付け加えておきたいと思います。下の図(https://www・med・Or・jp/doctorase/volll/11page-05.html)をご覧ください。これはホスピスを始めたイギリスのシシリー・ソンダースの理念を図にしたもので、人間の苦痛には身体的苦痛(physical pain)だけでなく、精神的苦痛(mental pain)や社会的苦痛(social pain)もあり、さらにスピリチュアルペイン(spiritual pain)もあって、これら全人的な苦痛を和らげるのがホスピスだということを示すものです。宗教に携わる者にとっては、このスピリチュアルな次元が特に重要ですが、これは生きる意味に関わるもので、「霊的」とも「精神的」とも訳せますけれども、「宗教的」と言ってしまってもよいのではないでしょうか。いずれにせよ、こうした「全人的苦痛」というものも、今日最初に申し上げた「四苦八苦」等のリストには挙がっていない基本的な人間の苦しみを表現したものだと受け取れるのだはないでしょうか。

寿台11.jpg

 それから、この「全人的苦痛」とも 関連するようなこととして、WHOにおける「健康」の定義の問題もありますね。WHO憲章には、「健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態琴であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」(Health is a state of complete physical,mental ands ocial well-being and not merely the absence of disease or infirmity=上記訳文は1951年官報掲載の日本語訳)とありますが、これに対して1999年のWHO総会において、「健康とは、完全な肉体的、精神的、スピリチュアル(霊的)及び社会的福祉の動的な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」(Health is a dynamic state of complete physical,mental,spiritual and social well-being and not merely the absence of desease or infirmity=下線部が追加提案の文言)という改正案が出されるということがありました。この改正案は結局通らなかったようですが、しかし健康の概念にも「スピリチュアル」な次元を加えるべきということが言われたということは、宗教に関わる者としては知っておく価値のあることではないかと思うので、これも参考までに付け加えておきたいと思います。

大体時間ですので、これで私の話を終えさせていただきます。ご清聴有難うございました。

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より

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論語 №139 [心の小径]

四三九 子のたまわく、由や、なんじ六言(りくげん)の六蔽(ろくへい)を聞けるか。対えていわく、未だし。のたまわく、居れ、われなんじに語らん。仁を好みて学を好まざればその巌や愚、知を好みて学好まざればその蔽(へい)や蕩(とう)、信を好みて学を好まざればその蔽や賊、直を好みて学を好まざればその蔽や紋(こう)、勇を好みて蔽を好まざればその蔽や乱、剛を好みて学を好まざれば、その蔽や狂。

       法学者  穂積重遠

 本章も「斉論(せいろん)」らしいといわれる。

 孔子様が子路に向かって、「由よ、お前は『六言の六蔽』すなわち仁・知・信・直・勇・剛の六つの言葉であらわされた美徳に、六つの蔽(おお)われる所、いわば暗黒面がある、ということを聞いたか。」と問われたので、子路が起立して、「イエまだ聞いたことがござりません。」と答えた。そこで孔子様がおっしゃるよう、「まあすわれ、話してやろう。いかなる美徳も学問をして義理を弁(わきま)え本末軽重の見境がつかぬと、せっかくの美徳が蔽われて脱線堕落する。これを『蔽(へい)』というのじゃ。そこで、仁を好んで学を好まぬと、蔽(おお)われてばか正直になる。知を好んで学を好まぬと、蔽われて誇大妄想になる。信を好んで学を好まぬと、蔽われて過信軽信迷信になり、人を利せんとしてかえって人をそこなう。直を好んで学を好まぬと、蔽われて苛酷非人情杓子(しゃくし)定規になる。勇を好んで学を好まぬと、蔽われて乱暴狼藉(ろうぜき)になる。剛を好んで学を好まぬと、蔽われて狂気のさたになる。これが 『六言の六蔽』じゃよ。」

四四〇 子のたまわく、小子何ぞかの詩を学ぶことなきや。詩は、以て興(おこ)すペく、以て観るべく、以て羣(くん)すペく、以て怨(うら)むペし。これを邇(ちか)くしては父に事(つk)え、これを遠くしては君に事う。多く鳥獣草木の名を識(し)る。

 孔子さまがおっしゃるよう、「若者どもよ、なぜ詩をまなばないのか。詩というものは、
人の心を感奮(かんぷん)興起(こうき)させ、人情風俗・治乱興亡を観察させ、衆人を群れてやわらぎ楽しませ、人を怨み 政を怨むにも上品に怨ませる。そして家においては親に仕え.国においては君に仕うることまで、すべて詩によって感得される。その上に多く鳥獣草木の名を識るという効用まであるぞよ。」

 紀貫之の『古今集』の序に「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも哀れと思わせ、男女(おとこおみな)の中をも和(やわ)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」とあるのを思い出させる。「以て怨むべし」がおもしろい。古註に「怨みて怒らず」とある。やきもちをやくにも、黒こげでなく狐色にコンガリとやく方がかえって効果的で、かの『伊勢物語』の「風吹けば沖津白波立田山 よはにや君がひとり行くらん」などは、正に「怨むべし」の好標本だ。中国の詩にも「閏怨(けいえん)」などと題する上品なやきもちやきがあって、それが詩歌ならできる。「風吹けばどころか女房大あらし」では色消しだ。また天下国家の事については、「怨は上(かみ)の政を剃(そし)るなり。」「これを言う者罪なく、これを聞く者戒むるに足る。故に以て怨むべきなり。」とある。政府を非難攻撃するもけっこうだが、モツト上品に、すなわち詩的に、「以て怨むべし」とゆかぬものか。近ごろのやり方は、関西語で言えばいかにもエゲツない。あれではせっかくの正論にも同情がもてず、かえって効果的であるまい。「多く鳥獣草木の名を識る」というのもおもしろい。先ごろ、宮内省図書寮の蔵書展観の時、新井白石編纂の『詩経禽獣草木図鑑』というようなものが出ていたのを興味深く見た。同時に配卯されていた・『万葉集』についての同様の図録は、いっそう大したものだ。さらに遡って三十何年前、英国ストラットフォードーオンーエヴォンのシエクスピア生誕の家を見に行ったとき、裏庭に沙翁劇に出てくる草木の植物園があったことを思い出す。

『新訳論語』 講談社学術文庫


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現代の生老病死 №15 [心の小径]

現代の生

     立川市・光西寺  寿台順誠

(3)現代の生苦

 そして、これまで述べたことから、私は「現代の生苦」は次のように表現したいと思っています。つまり、それは「優生思想に基づいて生が操作されることによって未来が奪われる苦しみ」であり、「生まれてこなかった方がよかったなどと思わされてしまうような苦しみ」だということです。或いは、それは又「苦しむことさえ奪われてしまう苦しみ」だと言えるかもしれません。人が生きていることは苦悩することだとも言えるからです(27)。
 この「苦しむことさえ奪われてしまう苦しみ」ということについては、現代では人は苦しむことを避けるようになってしまっており、「苦悩を避ける権利」を主張し始めているということを批判的に検討しているアメリカの法学者の議論を参考にしたものです(28)。そこでは、現にそのような権利が、生の始まりと終わりのところで主張されていると言われています。
 先ず生の始まりのところでは、二つの形で「生まれない権利」(right not to be born)を訴える訴訟が起こっていますが(29)、その一つは「不当出生」(wrongful birth)訴訟というもので、これは子どもが先天性の障害をもって出生した場合に、それを教えてくれなかったということで親が医師を訴える損害賠償訴訟です。これは、出生前診断をして障害があると分かっていたら産まなかったということですから、私はこれを「産ませやがって訴訟」と呼ぶことにしています。こうした訴えは結構通っているようですし、日本でも起こっているようですね。「誤った出生」などというのは、本当に悲しい訴えですけれどね。そして、もう一つは「不当生命」(wrongfu1 1ife)訴訟というもので、もっと厳しいものです。これは、先天性障害を持って出生した子ども本人が、医師の過失がなければ障害を抱えた自分の出生は避けられた筈だと主張して提起する損害賠償訴訟ですが、場合によっては医師だけでなく親も訴えの対象になります。だから、私はこれを「産みやがって訴訟」と呼ぶことにしています。このような不幸な人生を産み出しやがってという訴えですが、これは賠償すると言ってもどう償ったらよいのか分かりませんので、訴え自体少ないですし、やはり退けられているようです。本当に悲しい訴訟だと思いますが、こんな訴えが起こってくること自体、優生思想が蔓延っているからだと思わざるを得ませんね。
 次に生の終わりのところでも、似たような訴えが起こっています(30)。それは「不当延命」(wrongfu1 1iving)訴訟という「死ぬ権利」(right to die)を主張するものですが、終末期には延命治療をしないではしいというリビングウイル(living will)や事前指示書(advance directiives)があったのに、それが無視されて延命させられてしまったことに対する損害賠償訴訟です。ですから私はこれを「生かしやがって訴訟」と呼んでいますが、このような訴えは実際には賠償しようのないものなので、訴えは通っていないようです。ただ私はこれを訴訟技術の問題として考えているのではありません。こういう訴えが起こっていることが、現代の問題を表しているのではないかという意味で、これを取り上げているのです。つまり、このような訴えを起こさねばならないほど、生きることが不幸になってしまっているということではないでしょうか。
 このように、人生の出発点と終着点において、似たようなことが起こっている訳ですが、ここには優生思想という共通項があると思うのです。「不当出生」訴訟や「不当生命」訴訟が優生思想に基づくものであることは明らかですが、そのように生の始まりにおいて「優生」を求めて「劣生」を排除しようとすることが、生の終わりの方では、一生懸命アンチエイジングに取り組んで老いを隠し、又ひたすら健康であることを演出して病を隠して、そして長く引き延ばされた老・病から死へのプロセスの最期は「ピンピンコロリ」と逝きたいという希望や、或いは「安楽死・尊厳死」願望として表れてくるということではないかと思うのです。このような形で優生思想が人生全体に関係しているのではないでしょうか。「無益な延命治療」などという言い方をよくするのですが、本当に無益かどうかは分からないですよね。そういうことを言うのは、たいてい本人ではないですね。どうして人が他人のことを「無益」だと言えるのでしようか。そんなこと言えない筈なのですが、もう生きている価値がないなどと感じてしまうところには、やはりある種の「優生」を求める価値観があるのではないかと思うのです。とは言え、私はどんな場合にも尊厳死や安楽死には反対すべきだなどと言う気はありません。ただ、現代においてそうした願望が出てくる根本には、優生思想の問題があるのではないかということを、私は仮説的に考えているという訳です。

(27) このような人間観に関しては、ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧 新版』(池田香代子訳、みすず書房、2002)及び『苦悩する人間』(山田邦男・松田美佳訳、春秋社,2004)参照。フランクルは前者において苦悩することの重要性について述べ、後者において人間とは苦悩する存在(Homopatiens)であるという人間観を打ち出している。尚、英語の“patient”(病人・患者/忍耐強い)はラテン語の“patience”に由来するという。“Homopatience”(苦悩人)とは“Homosapience”(知性人)に対抗する人間観だと言えるであろう.

(28)Lois Shepherd,Sophie's Choices:Medical and Legal Responses to Suffring,Notre Dame Law Reuiew,72(1),1996.

(29)  これについては前注28の他に、加藤秀一「「生まれない方が良かった」という思想をめぐって-Wrongful life 訴訟と「生命倫理」の臨界 —」『社会学評論』55(3);2004;八幡英幸「出生の評価と存在の価値-Wrongful life訴訟との関連を中心に-」『先端倫理研究』2,2007参照.

(30) これについては、Holly Fernandez Iynch,Michele Mathes and Nadia N・Sawicki,Compliance with Advance Directives:Wrongful Living and Tort Law Incentives,The journal of Legal Medicine,29,2008参照   

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より
                         


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論語 №139 [心の小径]

四三七 子張、仁を孔子に問う。孔子のたまわく、能(よ)く五つのものを天下に行うを仁と為すと。これを請い問う。のたまわく、恭・寛・信・敏・恵なり。恭なればすなわち侮られず、寛なればすなわち衆を得、信なればすなわち人任じ、敏なればすなわち功あり、恵なればすなわち以て人を便うに足る。

          法学者  穂積重遠

 本章は例の「斉論(せいろん)」らしいという。古註に「子張の足らざる所に因りて言う」とあるが、どれもこれも「応病為薬」としてしまうのもいかがなもの、本章などは正に一般抽象論だ。

 子張が仁について孔子様におたずねしたら、「よく五つの徳をもって天下を治めるのが仁である。」と答えられた。さらに五つとは何々かを伺いたい、と言ったので、孔子様がおっしゃるよう、「恭・寛・信・敏・恵の五つじゃ。恭は己を持する徳であって、うやうやしければ人の侮りを受けない。寛は上にいる者の徳であって、寛大なれば衆望を集める。信は人に交わる徳であって、信義を守り言行一致ならば人が信頼する。便は事を処する徳であって、勤勉敏活であれば仕事の成績が挙がる。恵は民を待つ徳であって、よく恩を施せば人民はわが用を為すを楽しむ。すなわちこの五徳を備えれば仁を天下に行うことができよう。」

四三八 仏キツ(ひつきつ)召く。子往かんと欲す。子路いわく、昔者(むかし)由やこれを夫子に聞けり。のたまわく、親(みずか)らその身に於て不善を為す者には君子は入らずと。仏キツ中牟(ちゅうぼう)を以て畔(そむ)く。子の往くやこれを如何。子のたまわく、然り、この言あるなり。堅きをいわずや、磨(ま)すれどもウスロがず、白きをいわずや、涅(てつ)すれども緇(くろ)まず。われあに匏瓜(ほうか)ならんや、いずくんぞよく繁りて食(くら)われざらん。

 晋の大夫趙簡子(ちょうかんし)の家老の仏キツが謀叛を起し、孔子様を招いたので往く気になられた。すると子路が、「以前に由は先生から、『その人自身不善を行うような者の仲間入りを君子はせぬものぞ。』とうかがったことがあります。しかるに預りの代官所中牟を押領(おうりょう)して主にそむいた仏キツの所へ行こうとされるのは、いかがなものでしょうか。お言葉に矛盾するように存じます。」と諌めた。孔子様がおっしゃるよう、「なるほどそういうことを言ったこともあるが、それは修養中の者についての話で、道を天下に行わんとする者の志はまた違う。そしてともかくもわしほどになれば、不善の人の中に投じてもかれらを感化善導こそすれ、まさか不善に化せられることはあるまい。諺にも、堅い物のことをいくら磨(す)っても薄くならぬといい、白い物のことをいくら塗っても黒くならぬというではないか。わしは食用にもならずにプラリとさがっている苦瓜(にがうり)にはなりたくないぞ。」

 前々章と本章とでは、どうも子路の方に軍配が上げたい。本章のような弁解を子路がしたら、孔子様は必ず「この故にかの佞者(ねいしゃ)を憎む。」(二七七)と言われただろう。

『新訳論語』 講談社学術文庫


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現代の生老病死 №14 [心の小径]

現代の生

     立川市・光西寺 寿台順誠

(2)優生思想の問題

 ここにあるのは端的に言って優生思想の問題だと思いますね。
 これに関しては、前にこちらでお話した『歎異抄』との関連で言っておきたいことがあるのですが、「善悪」が差別の基準としてもあったということから、『歎異抄』の「悪人正機」や「悪人正因」には反差別の意味があると言われてきました。しかし、私は前々から現代における価値の問題として言うと、「善悪」よりもはるかに猛威を振るっているのは「優劣」という価値基準ではないかと思っています。近代以降の価値基準として言うと、「優劣」こそが差別や格差を生む基準になっているのではないでしょうか。現代では、「優秀」でありさえすれば「悪」でも構わないのです。「善悪」という価値基準はもはや歯止めにはならないのです。確かにそういう中では「優秀」であることがいずれは「善」にもなるということはあるかもしれませんが、しかしその場合でも根本にあるのは「優劣」の価値基準なのです。実は、その意味から言っても、「悪人正機」「悪人正因」は現代の反差別のスローガンとしては的外れではないかと私は思っています。
 が、それはそれとして、「優生学」(eugenics)というのは、進化論で有名なチャールズ・ダーウィンの従弟でフランシス・ゴルトンというイギリス人(人類学者・統計学者・遺伝学者)の造語で、「生物の遺伝構造を改良する事で人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動」と定義されていまして、20世紀初頭に大きな支持を集めたものですが、その最たるものがナチスの行なった人種政策だったと言われています(23)。日本でも最近、かつての優生保護法の下で強制的に不妊手術をなされた人が賠償請求を求める裁判が起こってきましたね(24)。
 ただ、ナチスがやったことやかつての日本でなされたことは「劣生」を排除し「優生」だけを残そうとして国家が行ったことですが、最近の優生思想というものは「リベラル優生学」(liberal eugenics)と言って、人々が自由に選んでいることだから問題ないではないかという議論をする人もあります。「国家に押し付けられてしていることではないから、いいじやないか」とね。これをどう考えたらよいのかが大きな問題になっている訳です。それで、この「リベラル優生学」のどこが問題なのかと言うと、これは「リベラル」と言いながら、生まれてくる「子どもを親の願うままの存在として親の意識に縛り付け、奴隷化すること」(注22の小島・黒崎,178頁)で、結局リベラリズム、つまり自由主義の「自律」や「平等」の原則を侵害してしまうから、リベラリズムからの逸脱だという見方がある一方(25)、それは本来与えられたものである生命(被贈与性)に対する人間の意志(人為)の一方的な勝利を示すものだから、「優生」を自由に選ぶことになるのはリベラリズムの帰結であり、自由主義では優生思想のもつ差別的な価値観を克服することは出来ないと主張する人もあります(26)。皆さんはこれをどう考えますか。国家の押し付けではなく、人々が自由に優秀な方がよいと願うのは問題ないと考えますか、それとも問題だと思いますか。又、問題だとすれば、それはなぜですか。これは現代の大きな問題ではないかと思うのです。

註(23) ウイキペデイア「優生学」;日本社会臨床学会編『「新優生学」時代の生老病死』現代書館,2008;米本昌平他『優生学と人間社会』講談社,2000等参照.

(24) 毎日新聞取材班『強制不妊-旧優生保護法を問う-』毎日新聞出版,2019参照.

(25)こちらについては、ユルゲン・ハーバーマス(三島憲一訳)『人間の将来とバイオエシックス』法政大学出版局、2012〔新装版〕);Bernard G・Prusak,Rethinking“Liberal Eugenics”:Reflections and Questions on Habermas on Bioethics,Hastings Center Repot、35(6),2005等参照.

(26)こちらについては、マイケル・サンデル(林芳紀・伊吹友秀訳)『完全な人間を目指さなくてもよい理由一遺伝子操作とエンハンスメントの倫理-』ナカニシャ出版,2010)参照

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


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新訳論語 №138 [心の小径]

四三四 子のたまわく、ただ上知(じょうち)と下愚(かぐ)とは移らず。

       法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「人は習いによって賢とも愚とも移り変るが、ただ最上級の賢人と最下級の愚者とだけは、かれは『生れながらにして知る者』であり、これは『困(くるし)みで学ばざる者』であるから、移りようがない。」

 本章は前章と続いていたのに誤って「子日」がはさまり別章になったのだ、という説がある。なるほどそうかも知れない(参照-四二六)。

四三五 子、武城(ぶじょう)に之(ゆ)きて弦歌(げんか)の声を聞く。夫子莞爾(かんじ)として笑いてのたまわく、鶏を割(さ)くになんぞ牛刀を用いん。子遊(しゆう)対(こた)えていわく、昔おの(むかし)偃(えん)やこれを夫子に聞けり。のたまわく、君子道を学べばすなわち人を愛し、小人道を学べばすなわち遣い易(やす)しと。子のたまわく、二三子(にさんし)、偃の言(ことば)是なり。前言はこれに戯(たわむ)れしのみ。

 孔子様が二三人の門人を連れて、子游(しゆう)(名は偃)が町長をしている武城に行き、子游の案内で町を見物しておられると、家々から琴に和して歌う声が聞えた。それがいわゆる「鄭声(ていせい)」などではない政党の雅楽なので、子游がその町を礼楽で治めていることを知り、ニッコリと笑って、「鶏を料理するに何も牛刀包丁には及ぶまい。」と言われた。すると子游はこれを、これくらいの小さな町を治めるのに礼楽とは大げさ過ぎる、という意味にとり、「偃は以前に先生から君子道を学べばすなわち人を愛し、小人道を学べばすなわち使い易し。』という言葉をうかがったことがあります。それ故 私は小さい町ながら礼楽で治めたいと考えて人民たちに雅楽を教えておりますのに、鶏に牛刀と叩せられるのはその意を得ません。」と開き直って真っ正面から理屈を言った。孔子様は、実は子瀞のような国家をも治め得る大才にかような小さな町の町長ぐらいはもったいない、という意味でシャレを言われたのだが、お前の思い違いだとは言われないで子游の顔をたて、門人たちを顧みておっしゃるよう、「イヤ全く偃の言う通りだ。さっきのは冗談じゃよ。」

 孔子様が冗談など言われるはずがないというのでいろいろ理屈をならべる学者もあるようだが、そう孔子様を「人を教える道具」にしてもらっては困る。孔子様どうしてなかなか冗談も言われる。明治の新川柳(岡田三面子すなわち朝太郎博士の作)の「惜しいかなシャレのわからぬ男にて」を前にも引いたが、子游こそ「文学の子游」とも言われるのに(二五五)、さても「シャレのわからぬ男」かな。なお子游が武城を治めるのに人を得たという話が、前に出ている。

四三六 公山弗擾(ぶつじょう)、費を以て畔(そむ)く。召(また)往かんと欲す。子路(しろ)説(よろこ)ばずしていわく、之(ゆ)くことなきのみ。何ぞ必ずしも公山氏にこれ之かん。子のたまわく、それわれを召まね)くはあに徒(いたずら)ならんや。もしわれを用ゆるあらば、われはそれ東周(とうしゅう)をなさんか。

 公山弗擾は李氏の家老であり、例の陽虎(ようこ)の棒組で、主人の李桓子(りかんし)押し込めたりしたが、陽虎が出奔した後に残り、費に立籠って李氏にそむいたのである。                                        

 公山弗擾が費を根拠として謀反し、孔子様を招いたので、行く気になられた。子路がおもしろからず思って、「行くのほおやめなさい。何も公山氏などの所に行くことはないではありませんか。」とおとめした。すると孔子様がおっしゃるよう、「ああやってわしを招く以上は、まんざら無意味でもあるまい。誰でもあれわしを用いてくれるならば、わしは周の文王・武王の道をこの東方魯の国に復興させてみたいのじゃ。」

 次の次の章(四三八)と併せてみても、このところ孔子様もだいぶあせり気味だ。天下万民を救わんとのお志はさることながら、大義名分を唱える孔子様ともあろう者が、乱臣賊子(らんしんぞくし)と事を共にされようとは甚だもってその意味を得ない。これは子路が説ばなかったのが至極もっとも話で、結局どちらも実現しなかったらしいが、さもあるべきことだ。

『新訳論語』 講談社学術文庫


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現代の生老病死 №13 [心の小径]

現代の生

     立川市・光西寺  寿台順誠

(1)生殖補助技術から生命の操作へ

 さて、最後に「現代の生」の問題に行きます。ここまで「現代の老・病・死」はとにかく引き延ばされている、そのプロセスが引き延ばされているところに現代の苦の在り様があるということを申し上げてきた訳です。そこで、そうした現代の老若・病苦・死苦はいかなる生の閉篭によって生み出されてくるのか、現代において「老・病・死」と「生」はどういう関係になっているのか、それを考えるために「現代の生」の問題を取り上げたいと思う次第です。
 先ず「現代の生」に特徴的なことは、やはり、かつては自然に授かると考えられていたものが、人為的に操作されるようになったということではないでしょうか。その点がかつてとは全く異なる点だと私は思います。それで、人工授精とか体外受精とか代理母とかといった生殖補助技術(ART=assisted reproductive technology)が問題になってくるわけですね。その概要については、非常に分かりやすい表だと思いましたので、次頁に玉井真理子・大谷いづみ編『はじめて出会う生命倫理』(有斐閣,2011)という教科書の中の小門穂「身体から切り離された精子・卵子・受精卵-生殖補助技術が問いかける親子の絆-」(41頁)に掲載された表を出しておきました(次頁の「表2-1生殖補助技術の種類」参照)。この表について今は詳しく立ち入った説明はしませんが、とにかくこのように嘗て出来なかったことが、医療技術の発達によって人為的に出来る領域が増えたということですね(19)。(図表略)
 そして、そういうことと相まって最近問題になってきていることに、出生前診断ということがあります。これについても、出生前診断にはどのようなものがあるのかを分かりやすくまとめてくれていましたので、河合蘭『出生前診断-出産ジャーナリストがみつめた現状と未来―』(朝日新聞出版,2015,22⁻23頁)の表を22頁に載せておきましたが22頁の「図表2胎児疾患を調べる検査」参照)、近年日本で特に問題になってきているのが、この表の一番下にある「新型出生前診断」ですね(20)。これは血液だけで診断出来るというものですが、とにかくそのような診断をして、例えばダウン症のような障害児だということが分かると、多く(9割)の人は中絶をすると言われています。又、場合によっては、体外受精で得られた胚から細胞を採取して遺伝子診断を行う着床前診断もおこなわれるようになってきましたが、(23頁の図3着床前信d何の手順参照(21)、このようにせいしょく頬j技術が遺伝子技術操作技術tp結合すると、生まれてくる子の「質」を選別することにつながります。(22)つまり、生殖補助技術はもともと不妊治療のためのもので、当初は不幸にして子どもが出来ないカップルがせめて子どもを持ちたいという切実な願いを満たすためだったものが、段々どんな子でもよいということには終わらなくて、やはり「優秀な子が欲しい」ということになってくる訳です。アメリカではノーベル賞受賞者等の精子を貯めておく「精子バンク」があると言いますね。そういう中で、「優秀な子」をデザインしようとする選別が始まってくる訳です。まさに「デザイナーズ・ベイビー」です。

註(19) この表の中の親子関係を決定する上で倫理的に問題のあるものにつき補足説明を加えておきたい。提供精子を用いる「非配偶者間人工授精」(AlD=artificial insemination by doner,Ⅱの1(2))、「非配偶者間体外受精」の「提供精子による体外受精」(Ⅱの2(2)①)では、遺伝上の父親と養育する父親が異なることになる。提供卵子を用いる「非配偶者間体外受精」の「提供卵子による体外受精」(Ⅱの2 ②)の場合には、産み育てる母親と遺伝上の母親が異なることになる.精子と卵子の提供を受けて受精卵を作成する場合及び受精卵の提供を受ける場合である「提供胚の移植」(Ⅱの2(3))では、遺伝上の両親と養育する両親が異なることになる。また、第三者の女性に妊娠・出産を代行してもらう「代理出産」(代理懐胎)には、子を持つことを望む依頼夫婦の夫の精子を第三者の女性に人工授精する「人工授精型代理出産」(surrogate mother,Ⅱの3(1))、依頼夫婦の受精卵を第三者の女性に産んでもらう「体外受精型代理出産」(host mother,Ⅱの3(2))がある,

(20)染色体疾患の有無を確実に知ることが出来る「確定診断」として、腹部に穿刺して羊水を採取する「羊水検査」と絨毛を採取する「絨毛検査」があるが、これらには一定の確率で流産につながるリスクがある。それに対して、異常のある可能性を推し量るものでしかない「非確定的検査」の中では、母体の血液だけで染色体疾患が分かるもので、しかも精度(陽性的中率)の高い「新型出生前診断」(NIPT)に注目が集まっている。尚、「母胎血清マーカー検査」や「超音波検査」などの検査も、胎児細胞を直接調べるものではなく、染色体異常がある時に起こる変化(例えば血液中のあるタンパクの増減や体の構造の変化)を評価して検討する「非確定的検査」である.

(21)この図は、小林亜津子『生殖医療はヒトを幸せにするのか一一生命倫理から考える一一』光文社新書,2014,117頁のものである。着床前診断とは、体外受精の際に受精卵の段階で子どもの病気や性別、白血球の型などを診断する技術で、これによって重篤な遺伝性疾患をもつ子どもの出生を回避したり、性別の希望を叶えたり(男女産み分け)、先に生まれた子どもに移植の必要のある疾患(白血病のような)がある場合にドナーとなる子どもを誕生させたり(救世主きょうだい〔弟妹〕)、といったことが可能になるのである.

(22)この点に関し特に参考になったのは、小島優子・黒崎剛「「生殖革命」は人間の何を変えるのか」黒崎剛・野村俊明編著『生命倫理の教科書一一何が問題なのか一一』ミネルヴァ書房,2014,177頁.

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


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論語 №137 [心の小径]

四三二 陽貨(ようか)、孔子を見んと欲す。孔子見えず。孔子に豚を帰(おく)る。孔子その亡きを時として往きてこれを拝(はい)す。これに塗(みち)に遇(あ)えり。孔子に謂いていわく、来(きた)れ、われなんじと言わん。いわく、その宝を懐(いただ)きてその邦(くに)を迷わすは仁と謂う可きか。いわく、不可なりと。事に従うを好みてしばしば時を失うは知と謂う可きか。いわく、不可なりと。日月逝く、歳われと与にせずと。孔子いわく、諾(だく)、われ将(まさ)に仕えんとす。

       法学者  穂積重遠

 陽貨はすなわち例の陽虎(ようこ)、季氏の家臣だが、主人李桓子(きかんし)を押しこめて国政を専らにした。そしてしきりに孔子を招いた。その教えを受けて道を行おうというのではなく、孔子をまるめこんで批判を避け、また国民の尊敬する孔子をひきつけて自分の重みをつけようというのらしい。

 魯の大夫に粁しぶった陽貨がしきりに孔子を招いて会おうとするが、孔子が応じなので、何とかして孔子が来訪せねばならぬようにしむけようと思い、孔子に豚の贈物をした。大夫から物を贈られたときには、その家に行って拝するのが礼ということになっていたからである。しかし孔子はどうしても陽貨に面会したくないので、わざと陽貨の不在の時をねらって訪問し、札を言いおいて帰ろうとしたら、折あしく帰り道で陽貨とバッタリ出あった。そこで陽貨は孔子に向い、「まあ宅へ釆なさい、話がある。」と言うので止むを得ずその家に行って対談し、次のような問答があった。「せっかくの宝を懐中で持ち腐れにし、国が乱れ民が苦しむのを傍観しているのは、仁というべきだろうか。」「仁とは申せません。」「政治をするのはきらいでないのに、しばしばその機会をとりはずすのは、知というべきだろうか。」「知とは申せません。」「歳月流るるがごとく、お前さんもだんだん年を取る。何とか思案したらどうだろうか。」「心得ました。いずれそのうちには御奉公致すこともござりましょう。」

 孔子様を貴高顧問にでも迎えようと思うならば、いわゆる三顧の礼を尽すべきだのに、自分の方へ呼びつけようとするのみか、大才を自国に施さずまた諸国をめぐって志を得なかったことを仁でない知でないとあてつけがましく批難して、それで孔子を承服させようとは、無礼はもちろん、愚の骨頂だが、孔子様はかような無法者を相手にしてもつまらぬと思われ、当らずさわらずの挨拶をして帰られたのだ。

四三三 子のたまわく、性相近し、習い相違し。

 孔子様がおっしゃるよう、「人間の生れ得た本性はだいたい似たり寄ったりの近いものだが、その後の習慣教養で善悪賢愚の遠いへだたりができる。心すべきは環境と教育じゃ。」

 私が子供の時漢文の手ほどきとして読んだのは、これまた渋沢祖父からもらった『三字経』で、繰り返し音読してほとんど全文を暗諭した。その書物はたいせつにして持ち続けたが、戦災で焼いてしまい、惜しいことをした。この『三字経』なるものは、児童用の絶好な儒教入門で、うちの子供らにも『論語』の前にまずこれを読ませたが、その書き出しに「人之始。性本善。性相近。習相違。」とあって、この『論語』の本文から出ているのだ。

『新訳論語』 講談社学術文庫


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現代の生老病死 №12 [心の小径]

現代の死

     立川市・光西寺  寿台順誠

(3)現代の死苦

 それで、以上のような状況における「現代の死苦」について、私は次のように表現しておきたいと思います。すなわち、「お任せ出来る人も頼りになる世界も失って、そもそも自分では決定出来ないことまで自己決定すべきだという強迫観念に苛まれる苦」と。「お任せ出来る人」というのは家族等の親密な人間関係のことで、「頼りになる世界」とは安心出来る故郷や所属団体、或いは極楽浄土のような来世のことです。現代人は、そうしたものを失ってしまった中で、本当は自分では決められないことまで「自己決定すべき」という強迫観念に苛まれていると言えるのではないでしょうか。私にはそのように思えます。
 しばらく前のことですが、テレビで生命保険の宣伝を見ていると、最後に「お葬式の費用も付いてるよ!」などと言うのがありました。要するに、後の人に迷惑をかけないように、葬式の費用は自分で貯めておかなきゃならないということでしょう。でも、葬式というのは、後の人が先人を追悼するためにするものではないでしょうか。その意味では、後の人の学びのためにすることだと思うのですけどね。とにかく、あのようなコマーシャルを見ていると、何か世知辛い感じがするのです。死んだ後のことは、後の人に任せればよいのではないでしょうか。確かに、うちの光西寺の墓を見に来る人の中にも、子どもに迷惑をかけたくないという人は多いですが、それは善くとれば子ども思いだとも言えるでしょうが、悪くとれば任せられないのではないか、或いは信用してないのではないかとも思えるのです。つまり、家族も解体し、地域コミュニティもズタズタになってしまった中で、頻りにあなたはどんな死に方がよいのか決めてもらわなくては困る、などと言われている気がするのです。でも、もうお任せするから適当にやって下さい、と言いたくなりませんか。このように自己決定が迫られること自体が「現代の死苦」ではないかと私は思うのです。

(4)現代の死と仏教-終活と浄土真宗

 ところで、こうした死の自己決定ということに関連して、近年「終活」ということが流行しましたね。以前は「しゆうかつ」と言えば、それは「就活」、つまり「就職活動」のことに決まっていました。しかし、2009年に『週刊朝日』の「現代終活事情」という連載記事で、介護・看取りから遺言・遺品整理や葬儀・墓に至るまで、死にまつわることをすべてひっくるめて扱うためにこの言葉が初めて使用されて以来、「終活」は2010年に新語・流行語大賞にノミネートされ、2012年には新語・流行語大賞のトップテンに入るまでになりました。
 私は前に研究仲間と一緒に、2009年から2014年の途中までの「終活」に関する図書と雑誌記事をすべて調べたことがありますし、又その際、クラブツーリズムの「散骨疑似体験ツアー」とか「樹木葬見学ツアー」に行ったり、「終活フェア」や「ェンデイング産業展」等も回ったりしてみました(18)。その頃はテレビでも盛んに取り上げられていましたね。そうした場所では、「散骨もいいわね」とか「やっぱり樹木葬よ」とか、或いは、「棺桶に入れてもらう時には、こういう着物がいい」とか「何なら入棺体験もしてみようか」とかということが言われていました。又、終活フェアでは「自分史作成コーナー」とか「あなたの生涯の映画を作れます」とかといったことまでありましたね。しかし、私はそういうことを観察しながら、これは本当に「死」というものに向き合っていると言えるのだろうか、単なる「死の商品化」ではないだろうか、というような思いを強く持つようになりました。それで「終活」にはいささかウンザリしてしまいました。最近は関連するテレビ番組も減って、少し落ち着いてきた感じもしますが、皆さんはどう思われるでしょうか。
 そこで、こうした「終活」に対して浄土真宗はどういう立場を取るべきだろうかと考えた時に思い出したのが、「不来迎」という浄土真宗の立場です。親鸞聖人は有名な御消息の中で、「臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則をまたず」(『真宗聖典一束燈紗』600頁、『浄土真宗聖典-註釈版第二版-』本願寺出版社、2004,735頁)と言っておられます。「来迎の儀則」というのは臨終における聖衆来迎の儀式のことですが、これは要するに当時の流行として浄土に往生するためには臨終に来迎(お迎え)を求めることが必要だと多くの人が思っていたところで、「信心の定まるとき往生また定まる」ので、臨終に特別なことをする必要はないと言い切られたということです。後にこの浄土真宗の立場は、「平生業成」(生きている平生に往生の業事が成弁=完成する)という言葉で定式化されました。私はこれを現代に応用するならば、いわば「終活無用」という事になるのではないかと思う訳です。
 終活というと、「葬儀で飾る花はこの色がよい」とか、「この音楽を流してほしい」とかといったいわばハウツー的なことばかりに時間をかけている気がしますが、私はそれではあまりに時間が勿体無いと思います。私は儀礼のハウツー的なことは一般的なことで済ませておけばよくて、それよりももっと、宗教者や哲学者の言葉などを参考にしながら、故人の生涯について語り合ったり、各人が自分の言葉で追悼行為をしたりして、誰でも「死すべき者」として「死」という問題の本質について考える場にした方がよいと思うのです。それに対して、「終活」というのは、あまりにも商業ベースに偏り過ぎている感じがするというのが私の考えです。浄土真宗ならば、いっそ教団を挙げて「終活無用」という立場を打ち出したらどうでしょうか。

註(18) 寿台順誠・横瀬利枝子・大桃美穂「市民主体のACPは可能か?-「終括」を通して考える-」(第26回日本生命倫理学会年次大会公募ワークショップ「なぜアドバンスケアプランニングなのか」発表スライド及び配布資料、2014年10月26日)参照.

 名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


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論語 №136 [心の小径]

四三〇 陳亢(ちんこう)、伯魚(はくぎょ)に問いていわく、子も亦異聞あるか。対(こた)えていわく、未だし。かつて独り立てり。鯉(り)、趨(わし)りて庭を過ぐ。いわく、詩を学べるか。対えていわく、未だしと。詩を学ばざれば以て言うことなしと。鯉退きて詩を学べり。他日亦独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。いわく、礼を学べるか。対えていわく、未だしと。礼を学ばざれば以て立つことなしと。鯉退きて礼を学べり。この二者を聞けり。陳亢退きて喜びていわく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、君子のその手を遠ざくるを聞けり。
 
      法学者  穂積重遠

 「陳亢」は門人子禽(しきん)(二〇)。「伯魚」は孔子の子、名は鯉(二六〇)。

 陳亢が伯魚に「あなたは外の門人と違って先生と御親子(ごしんし)の間柄ですから、何か特別の教訓を聞かれたことがあるでしょう。」とたずねたら、伯魚が答えて言うよう、「今までまだそういうことはありませんでした。ただいつか父がひとりで縁側に立っているとき、私が小走りして庭先を通り過ぎましたら、呼び止めて、『お前は詩を学んだか。』と言いました。『まだでござります。』と答えましたら、『詩を学ばなくては口がきけぬぞ。』と申しました。そこで私はさっそく詩の勉強を始めました。その後またある日のこと父がひとりでいるとき、私が小走りして庭先を通り過ぎましたら、『礼を学んだか』と言いました。『まだでござります。』と答えましたら、『礼を学ばなくては根本が立たぬぞ。』と申しました。そこで私はさっそく礼の勉強を始めました。特別に聞いたと申そうなら、まずそんなところです。」陳亢がその場をさがってから、喜んで言うよう、「一を問うて三を聞き得た。詩のたいせつさを聞き、礼のたいせつさを聞き、そして君子は自分の子でも特別待遇はせぬものだということを聞いた。」

 「異聞有るか」を、外の門人にそれぞれその人に応じた特別の教訓をされると同様にあなたにもまた特別の教訓をされるかの意味に解する人もある。なるほど「亦」とあるのでそうも取れるが、やはり「外の門人以上の特別教訓」と見る方が自然でおもしろい。また「遠ざく」を文字通りに解して、他の門人よりもわが子の方を冷遇するととり、それが人情にかなうとかかなわぬとかの諭もあるが、「きく」はすなわち「近づけず」で、特にひいきをせぬ、の意味に解する方がよかろう。そして冷遇ではないが、「学べりや」「学ばざれば立つことなし」とだけで突っ放して、こちらから「教えてやろう」と持ちかけぬところに、孔子流の教育法があることを注号べきだ。(参照~一九二・三〇七・四四〇・四四一)

四三一 邦君(ほうくん)の妻(さい)は君これを称して夫人という。夫人自ら称して小童(しょうどう)という。邦人これを称して君夫人という。これを異邦に称して寡小君(かしょうくん)という。異邦にひとこれを称して亦君夫人という。
                                        
 本章にも「子日」または「孔子日」が附いていないので、孔子様自身の言葉かどうか判然とはせぬが、おそらく何かの場合にかようなことで崇を正す意味で説明されたのを、門人が筆記しておいたのであろう。「夫人」の「夫」は「扶」で、内助の意味の由。「小童」は謙遜の言葉だが、わが国でも同じく「わらわ」という。「君夫人」は「主夫人」の意味。「寡」は「宜徳」で謙遜の言葉。君主は自身を「寡人」という。

 国君の妻は、国君はこれを「夫人」ととなえ、夫人は自身を「小童」という。国人はこれを「君夫人」と称し、外国に対しては「寡小君」と呼ぶ。外国人はこれを国人と同様「君夫人」ととなえる。

『新訳論語』 講談社学術文庫



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現代の生老病死 №11 [心の小径]

現代の死

      立川市・光西寺  寿段順誠

(2)死をとりまく状況の変化-伝統社会→近代社会→ネオ近代社会

 そこで、以上のことを確認する意味で、イギリスのトニー・ウォルターの議論をさらに紹介しておきたいと思います。この人は「死の社会学」(sociology of death)では世界的な第一人者とも言える人ですが、彼は「伝統社会」から「近代社会」へ、そしてさらに「ネオ近代社会」への過程において死の扱い方がどのように変わってきたかを下のような表にして示しています(17)。「ネオ近代社会」というのは、近代化がさらに進んだ社会のことですが、今は「現代」と言っておきましょう。
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 先ず「身体的状況」についてですが、伝統社会では死は人の面前で頻繁に起こっていました。例えば、親鸞や蓮如のものを読んでいても「疫病」(疫病)とか「飢饉」とかということは、よく出てきますし、『方丈記』でもそうですね。伝統社会においては、死は否が応でも見ざるを得ないものだった訳です。それが近代社会になると、死というのは病院に隠されるようになりました。非日常に持って行かれたのです。そして、隠されて語られなくなった訳です。しかし、現代(ネオ近代)では老・病・死の過程が非常に引き延ばされて、もう死も隠しようがなくなってきたということがあるのではないでしょうか。
 次に「社会的状況」ですが、伝統社会では先ほど村社会に関して述べたように、人の死は共同体で扱っていました。ところが近代社会では、死は「私事」として病院に隠されているから、「公」の席ではそれについては語るなということになりました。死はプライベートな領域にだけ閉じ込められるようになった訳です。しかし現代(ネオ近代)では、むしろその「私事」だった筈のものが「公化」してきています。例えば、皆さんもご記憶にあると思いますけれど、近年、女優の川島なお美や市川海老蔵の妻でアナウンサーだった小林麻央が若くして癌で亡くなりましたが、彼女たちは死の直前まで自分の姿をブログにアップしていました。このように、やせ細っていく自分の姿を見せながら、最期まで私はこんなに頑張って癌と闘っていますという姿を公開するようになったのです。私がもはや現代では死はタブー視されておらず、ある意味では過剰に語られているというのは、このような現象を見てそう思っているのです。
 それから死を決する「権威」がどこにあるのかと言うと、かつて伝統社会では宗教が決していました。死に関しては宗教に一番権威があった訳です。が、近代社会では最高の権威は医療に移りました。お医者様が絶対になったのです。ところが、現代(ネオ近代)ではもはやお医者様も絶対ではありません。最終的に自己が一番の権威になったのです。自己決定がすべてなのです。例えば、最近エンディングノートが流行しましたね。そういうところで常に合言葉のように言われることは、「〈私らしい最期〉をどう迎えるか」ということです。ただ、私などは本当に個性的な葬儀をしたければ、思い切り伝統的な葬儀をやったらかえって個性的なものになるのではないかと思います。最近では皆、伝統を無視して「私らしい」ということばかり言うのですが、それでいて皆同じようなものになってしまっていると思いますね。でも、伝統的にやると言っても、もはや面倒臭くて誰も出来ないという気もしますけれどもね。が、とにかく、今の権威というのは自分であり、自己決定が最も重要だということになっていると思うのです。
 以上のように、このウォルターの表は非常に参考になると思います。

註(17) この表に関しては、Tony Walter,The Revival of Death,Routledge,1994,pp47-65参照.

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より



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論語 №135 [心の小径]

四二七 孔子いわく、君子に九思あり。視(み)るには明を思い、聴くには聡を思い、色には温を思い、貌(かたち)には恭を思い、言(ことば)には忠を思い、事(こと)には敬を思い、疑(うたがい)には問を思い、忿(いかり)には難を思い、得(う)るを見ては義を思う。

       法学者  穂積重遠

 孔子の申すよう、「君子には九ヵ条の思慮すべき項目があります。視るについては、蔽(おお)わるることなく明らかに見たいと思います。聴くについては、誤ることなく耳さとく聴きたいと思います。顔つきはいつも温和でありたいと思います。容貌は上品に恭しくありたいと思います。言葉は忠実で行動と一致したものでありたいと思います。仕事は慎重で手違いのないようと思います。疑いが起ったらさっそく誰かに問おうと思います。腹が立ったらこの腹立ちまざれにやったらどんな後難をひきおこすかも知れぬぞと思います。利得がありそうだったら、これを取って道義にかなうだろうかと思います。」

四二八 孔子いわく、善を見ては及ばざるが如くし、不善を見てはlを探るが如くす。われその人を見る、われその語を聞けり。隠居して以てその志を求め、義を行いて以てその道を達す。われその語を聞けり、未だその人を見ざるなり。

 孔子の申すよう、「善事を見ては、あだかも逃げる者を追いかけて追いつき得ず見失いはせぬかをおそれるような気持になり、不善を見ては、あだかも熱湯の中に手を突っ込みびっくりして急いで手を引っ込ますような気拝になる、そういう言葉を聞いたこともありますし、現にそういう人物を見ております。道が行われぬ時には野に隠れながらしかも世と絶たずしてその志を他日に行わんことを期しつつ徳を修め、国に道あれば表面に立ち正義を行って経国済民の志を成就する、そういう言葉を聞いてはいますが、そういう大人物はまだ見たことがありません。」

四二九 斉(せい9の景公、馬千駟(し)有り。死するの日、民徳として称するなし。伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)は首陽(しゅよう)の下に饑(う)ゆ。民今に到るまでこれを称す。(孔子いわく、誠に富を以てせず、亦祇(ただ)に異を以てす、とは、)それこれの謂(いい)か。

 この本文については問題が二点ある。第一に、原文には前記カツコ内の文句がないのだが、それでは「それこれこれの滑か」と言ってみても、何の「謂」かわからない。そこで学者が詮索の結果、顔淵第十二「子張問崇徳弁惑」章(二八八)の末段の詩の二句が元来ここにはいるべきのを、編者が過って前に出したのだ、という考えになった。なるほどそうらしいから、カッコに入れて本文を補った。第二に、本文には「子曰」も「孔子日」もない。これは外にも二三の例があるが、編者が落したのだろう。それならどこに入れるかについて最初という説と、例の詩句の上という説とある。どちらでもよさそうだが、仮に後説に従って、右カツコ内の最初に「孔子日」を補っておいた。

 斉の景公は馬四千匹をもっていたというほどの富貴を極めたが、その死後人民が誰一人とくありとしてほめる者がなかった。伯夷・叔斉は首陽山のほとりで餓死するという悲惨な最期を遂げたが、人民は今日までもその徳をたたえる。孔子がこの事実を指摘して申すよう、「詩に『人がはめるは富ならで、人に異なる徳のため』とあるのは、ここの所でござる。」

『新訳論語』 講談社学術文庫


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現代の生老病死 №10 [心の小径]

 4.現代の死

       立川市・光西寺  寿台順誠

(1)「死のタブー」再考

 それでは次に「現代の死」という問題に移ります。
 この間題について最初に言っておきたいことは、デス・エデュケーション(死の準備教育)等で死を問題にする場合、長らく近代社会では、特に日本では死をタブー視してきた、そしてそれはよくないという前提から話を始めるのが常道でした。
 自分の身内のことで恐縮ですが、私の父親(正雲寺の前住職)は34年前(1986年)に癌で亡くなりました。58歳でした。が、当時はまだ告知もままならない時代で、完全にタブーだったと思います。「あなたは癌です」とは言えませんでした。死についてオープンに語ることは、日本では欧米に遅れる形で1990年代以降、芸能人等がカミングアウト(公表)するようになったというようなこともあり、だんだんオープンになってきたと記憶しています。と同時に、「インフォームド・コンセント」(informed consent=医療者からの十分な説明を受け、それを理解した上での患者の同意)というような言葉も知られるようになってきました。そして、今ではもう告知するのが前提になっていますね。告知して複数ある治療の選択肢から、患者本人に選んでもらわないと困るということになってきました。
 ところが、死について語る場合には、今でも「死はタブー視されている」ということを枕詞にして、ただそれを確認するだけでそこからなかなか話が進まないことが多いのですが、そろそろもう一歩先に展開しないといけないのではないかと最近私は思っています。ある意味では、現代ではもう死は過剰に語られているのではないか、とさえ思うことがあります。そこでこのような問題について、いくつかの見解を紹介しておきますと(16)、まず現在ではもはや死がタブーであった時代は終わりつつあると主張する論者がいます。これまでになされた死について自覚的に考える運動や研究によって、既に死のタブー視は過去のものになりつつあるという訳です。
 又、ある人は死をタブー視しているのは社会の一部だけだという主張をしています。私のような僧侶にはこれについて思い当たることがあります。坊さんの格好をして入っていくと嫌がられるところが私は二つあると思っていて、一つは結婚式で、もう一つは病院です。前者では「永遠の愛を誓う場所に無常を思わせる者など入ってくるな」と思われるでしょうし、後者では「あなたの出番はもう少し後だ」と言われそうですよね。だから、ある部分社会でだけ死がタブー視されているというのは、よく分かることですね。そのように病院では嫌がられますけれども、うちの光西寺には近所の老人ホームの墓があるのでホームにはよく出入りするのですが、坊さんの格好で歩いても全然嫌がられることはありません。病院とホームは隣接性があると思うのですが、不思議なものですよね。
 或いは又、死は現代では、タブー視されていると言うよりも、断片化されていると言う方がよいと主張する人もいます。現代では死というのは殆んど医学的・生物学的な面でしか見ないという問題があるということです。でも、死ということには、法的な側面もあれば、宗教的な側面もありますよね。例えば何らかの事情があって直葬(通夜も葬儀もせずに火葬だけして)で済ませた人で、時々、いつまで経っても物事(死を確認する作業)が終わらなくて、それでけじめがつかなくて困ってしまう人もいるということを聞いたことがあります。これなどは、死というものを医学的な側面だけで考えて、後は不合理だと考えることから起こることです。しかし死には宗教的な側面もあって、その意味での確認の手続き(儀礼)が必要なのだということを軽く見ているということなのでしょうね。とにかくそのように死には、医学的・生物学的な面だけでなく、法的な面も宗教的な面もある総合的且つ厳粛な事態として確認する必要があると思うのです。それをバラバラにしてしまっているのが断片化ということだと思います。
 もう一つだけ挙げておきますと、現代では死が、タブー視されているというよりは、個人化されていることが問題だということを言う人もいます。例えば、かつて村社会ではその構成員の死というのはパブリックな事柄でした。古い映画のワンシーンなどで、その村の誰かが死ぬと皆で葬列を組んで村外れまで送っていくというような場面はありそうなことですが、村社会で誰かが死ぬということは、村の共通の財産がなくなることだったのです。一人の古老が亡くなることは図書館が一つ無くなることに等しい、という言い方も聞いたことがありますね。古老とは智恵の宝庫だった訳です。が、先ほど言ったように、現代の超高齢社会では高齢者はもはや希少価値ではなくなってしまいました。それで、今では葬儀はほとんど「家族葬」になっていますが、これはかつて「密葬」と言っていたものですね。が、実は「家族葬」も「密葬」も英訳するとどちらも同じで、“Private funeral”と英訳出来ます。つまり、現代では死はプライベートな領域に閉じ込められてきたのです。ですから、タブー視しているというよりは、個人化しているという方が正確ではないかという訳です。
註(16) 以下では、Tony Walter,Modern Death:Taboo or not Taboo?,Sociology25(2),1991に挙げられた諸見解を簡単に紹介しながら話を進めているということを注記しておきたい.

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より



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論語 №134 [心の小径]

四二四 孔子いわく、君子に三戒(さんかい)あり。少(わか)き時は、血気未だ定まらず、これを戒むること色に在り。その壮(さかん)なるに及びてや、血気方(まさ)に剛(さかん)なり。これを戒むること闘(たたかい)に在り。その老ゆるに及びてや、血気既に衰(おとろ)う。これを戒むること得(とく)に在り。

        法学者  穂積重遠

 孔子の申すよう、「君子たるべき者に三つの警戒すべきことがあります。青年期には血気定まらず感情を制し得ぬ故、警戒すべきは女色(にょしょく)であります。中年期は血気さかんな時代故、警戒すべきは闘争であります。老年期にはいると、血気が衰えてその代り 勘定高くなる故、警戒すべきは欲心であります。」

 ならんでいる「三何」の頬の中で、本章と次章は特に適切で、現代にもあてはまる。

四二五 孔子いわく、君子に三畏(さんい)苧あり。天命を畏(おそ)れ、大人を畏れ、聖人の言(ことば)を畏る。小人は天命を知らずして畏れず。大人に狎(な)れ、聖人の言を侮(あなど)る。

 孔子の申すよう、「君子には三つの畏れがあります。天命に畏れ従い、長者先輩を畏れ敬い、古聖人の言葉を畏れ守ります。ところが小人はこれに反し、天命の畏るべきを知らずしてかってにふるまい、長者先輩に心安立ての無礼を働き、古聖人の教えを古くさいなどとばかにします。」
      
 「今時論語でもあるまい」などという若人のあることを、孔子様はチャンと承知してござる。

四二六 孔子いわく、生れながらにしてこれを知る者は上(じょう)なり。学びてこれを知る者は次(つぎ)なり。困(くるし)みて学ぶ者は又その次なり。困みて学ばざる、民これを下(げ)と為す。
                             
  孔子の申すよう、「人物に四等級があります。生来(せいらい)道理を知る者があれば、これは最上級の聖人でありますが、それは望み得ません。志を立て学問につとめて道理を知る者はその次でありまして、自分などはまずその辺でありましょうか。はじめは学問に志さず行きつまってから発憤して学ぶ者はまたその次であります。行きつまっても学ぶ気持にならず平気でいる者に至っては、最下級の人物でありまして、何とも手がつけられませぬ。」

『新訳論語』 講談社学術文庫


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現代の生老病死 №9 [心の小径]

現代の病
 
       立川市・光西寺  寿台順誠

(3)新型コロナウイルス禍の問題-生活習慣病から感染症の時代へと逆流するのか?

 ところが、今日私はどうしても言っておかねばならないと思う問題は、今のコロナの問題が持ち上がってから、以上のように「感染症から生活習慣病へ」として語られてきた現代の疾病構造の変化について考え直さねばならないのではないか、「生活習慣病から感染症の時代へ」と又時代が逆流しているのではないかということです。確かに「感染症から生活習慣病へ」と言っても、実は戦後も世界的に見ると感染症で亡くなる人が一番多かったのですが、しかしそれはアフリカのような途上国の問題で、いわゆる先進国と言われるところは、感染症からはもう解放されたのだと私たちは思い込んできたのではないでしょうか。それを今改めて問い直す必要があるのだと思うのです。
 そこで、現在のコロナの問題に対する各国の対応と将来の見通しについて試みに考えているのですが、先ず各国の対応については、次の三つに分けられるという見方があります(14)。一つ目はブラジルやアメリカの対応で、「ネオリベラリズムの経済優先政策」です。最近、やっとトランプ大統領もマスクをするようになったということですが、しかしとにかく経済を最優先させる訳ですからもの凄い感染者を出している訳ですね。日本の政策もここに分類されると見られているようですが、どうでしょうか。「Go toキャンペーン」などはそういうものかもしれませんね。それから三つ目は中国がとっている立場で、「権威主義的な封じ込め政策」です。これは理解しやすいことですね。けれども、病気を封じ込めるのはよいのですが、中国は香港に見られるように民主主義まで封じ込めようとしちやいますから、それは非常に問題ですね。ウイルスと民主主義は違いますからね。が、それはそれとして、三つ目は韓国や香港・台湾が取ってきた立場で、以上の二つの中間にあるものだと言ってよいでしよう。それは「早期の徹底した検査と封じ込めによる軟着陸的な政策」で、「経済か健康かのジレンマを穏健に両立」させるものだと言われています。この分類を出している論者は、この政策を最も評価しているようですね。いずれにせよ、この分類は参考になると思います。
 そして、この各国の対応を念頭に置いて、次にこれまで「宿主と微生物の関係」にはどういうパターンがあったかを見ておきたいのですが、それには次の四つのパターンがあったと言われています(15)。「宿主」というのは、微生物(細菌やウイルス)が寄生する相手方の生物のことですが、今は人間のことだと考えればよいですね。その関係として、第一に「宿主が微生物の攻撃で敗北して死滅する」というパターンがあり、第二に「宿主の側の攻撃が功を奏して、微生物が敗北して絶滅する」というパターンがあると言いますが、ただこれまでに本当に絶滅させて制圧した感染症は天然痘しかないと言われています。結核だって今でもある訳ですからね。次に第三に、「宿主と微生物が和平関係を築く」というパターンがあるとされています。細菌よりも他の生物に寄生してしか存在し得ないウイルスの場合は特にそうですが、宿主が死んでしまうと自分も死んでしまいますから、進化すると宿主を殺さないようにだんだん弱毒化すると言われます。「ウイズコロナ」というのは、そういう願望をもって言っていることでしょうが、この場合どうしたら和平関係をうまく築けるかということが問題になりますね。そして最後第四に、「宿主と微生物が…果てしない戦いを繰り広げる」パターンがあるということです。ひとたび感染すると宿主の神経細胞に永久に潜み、忘れたころに帯状癌疹等を引き起こす水痘瘡がその例として挙げられています。
 私は、この「宿主と微生物の関係」のパターンと先ほどの各国の対応とを考え合わせてみて、どの対応策・政策を取った場合にどのパターンに行きつくのか、その見通しがつけられないかと思い、以上のことを紹介した訳です。例えば、ブラジルやアメリカのような経済優先政策を取っていると、第一のパターンのように宿主が死滅してしまう恐れがあると言えるかもしれません。或いはウイルスの方が賢く進化して運よく第三のパターンの和平関係になるかもしれませんね。それから、中国のような封じ込め政策を取るということは、これはやはり第二のパターンの微生物を絶滅させる強い意志の表われだと受け取ることが出来るのではないでしょうか。このような形で、各国の対応と宿主と微生物の関係を考え合わせることで、多少なりとも将来を見通す見取図くらいは描けるのではないでしょうか。

(14)酒井隆史「ハンデミック、あるいは〈資本〉とその宿主」『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』河出書房新社,2020,103頁.
(15)石弘之『感染症の世界史』KADOKAWA,2018,56-59頁.

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


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