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論語 №139 [心の小径]

四三七 子張、仁を孔子に問う。孔子のたまわく、能(よ)く五つのものを天下に行うを仁と為すと。これを請い問う。のたまわく、恭・寛・信・敏・恵なり。恭なればすなわち侮られず、寛なればすなわち衆を得、信なればすなわち人任じ、敏なればすなわち功あり、恵なればすなわち以て人を便うに足る。

          法学者  穂積重遠

 本章は例の「斉論(せいろん)」らしいという。古註に「子張の足らざる所に因りて言う」とあるが、どれもこれも「応病為薬」としてしまうのもいかがなもの、本章などは正に一般抽象論だ。

 子張が仁について孔子様におたずねしたら、「よく五つの徳をもって天下を治めるのが仁である。」と答えられた。さらに五つとは何々かを伺いたい、と言ったので、孔子様がおっしゃるよう、「恭・寛・信・敏・恵の五つじゃ。恭は己を持する徳であって、うやうやしければ人の侮りを受けない。寛は上にいる者の徳であって、寛大なれば衆望を集める。信は人に交わる徳であって、信義を守り言行一致ならば人が信頼する。便は事を処する徳であって、勤勉敏活であれば仕事の成績が挙がる。恵は民を待つ徳であって、よく恩を施せば人民はわが用を為すを楽しむ。すなわちこの五徳を備えれば仁を天下に行うことができよう。」

四三八 仏キツ(ひつきつ)召く。子往かんと欲す。子路いわく、昔者(むかし)由やこれを夫子に聞けり。のたまわく、親(みずか)らその身に於て不善を為す者には君子は入らずと。仏キツ中牟(ちゅうぼう)を以て畔(そむ)く。子の往くやこれを如何。子のたまわく、然り、この言あるなり。堅きをいわずや、磨(ま)すれどもウスロがず、白きをいわずや、涅(てつ)すれども緇(くろ)まず。われあに匏瓜(ほうか)ならんや、いずくんぞよく繁りて食(くら)われざらん。

 晋の大夫趙簡子(ちょうかんし)の家老の仏キツが謀叛を起し、孔子様を招いたので往く気になられた。すると子路が、「以前に由は先生から、『その人自身不善を行うような者の仲間入りを君子はせぬものぞ。』とうかがったことがあります。しかるに預りの代官所中牟を押領(おうりょう)して主にそむいた仏キツの所へ行こうとされるのは、いかがなものでしょうか。お言葉に矛盾するように存じます。」と諌めた。孔子様がおっしゃるよう、「なるほどそういうことを言ったこともあるが、それは修養中の者についての話で、道を天下に行わんとする者の志はまた違う。そしてともかくもわしほどになれば、不善の人の中に投じてもかれらを感化善導こそすれ、まさか不善に化せられることはあるまい。諺にも、堅い物のことをいくら磨(す)っても薄くならぬといい、白い物のことをいくら塗っても黒くならぬというではないか。わしは食用にもならずにプラリとさがっている苦瓜(にがうり)にはなりたくないぞ。」

 前々章と本章とでは、どうも子路の方に軍配が上げたい。本章のような弁解を子路がしたら、孔子様は必ず「この故にかの佞者(ねいしゃ)を憎む。」(二七七)と言われただろう。

『新訳論語』 講談社学術文庫


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