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論語 №140 [心の小径]

四四四 子のたまわく、郷原(きょうげん)は徳の賊なり。

              法学者  穂積重遠

 「原」は「愿」と同じ。「謹」の意味。

 孔子様がおっしゃるよう、「一郷での律義者といわれる者が、かえって徳をそこなう八方美人の食わせ者ぞ。」

 古話に「真の非は以て人を惑わすに足らず。ただ是に似て非なる者は最も以て人を惑わし易し。故に夫子以て徳の賊と為す。」とある。また『孟子』(尽心下篇)に本章の詳解が出ている。いわく「万章いわく、一郷皆原人と称す。往く所として原人たらざるはなし。孔子以て徳の賊と為すは何ぞや。いわく、これを非とせんとするも挙(あ)ぐべきなく、これを刺(そし)らんとするも剃るべきなく、流俗に同じくし汚世(おせい)に合し、これに居るに忠信に似、これを行うに廉潔(れんけつ)に似たり。衆皆これを悦び、自ら以て是と為す。しかも与(とも)に堯舜(ぎょうしゅん)の道に入るべからず。故に徳の賊というなり。」

四四五 子のたまわく、道に聴きて塗(みち)に説くは、徳をこれ棄つるなり。

 本文から「道聴塗説」という熟語が出釆ている。

 孔子様がおっしゃるよう、「今途中で聴いたことをすぐそのまま途中で話してそれきりかけ流しにするようでは、せっかく善いことを聞いても、身につかず心の養いにならぬ。これは全く徳を粟てるというものじゃ。聴いたことをトツクリと玩味し善いと思ったら実践せよ。」

 『荀子』勧学篇に「口耳の学」というのがそれだ。いわく、「小人の学は、耳に入りて口に出ず。口耳の間はすなわち四寸のみ。なんぞ以て七尺の躯を美にするに足らんや。」

四四六 子のたまわく、鄙夫(ひふ)は与(とも)に君に事(つか)うぺけんや。その未だこれを得ざるや、これを得んことを患う。既にこれを得ればこれを失わんことを患(うれ)う。いやしくもこれを失わんことを患うれば、至らざる所なし

 孔子様がおっしゃるよう、「人格下劣のともがらとは、とうていいっしょにご奉公できぬ。まだ官職権勢を得ない間は、それを得ることばかり心配し、いったんそれを得ると、これを喪(うしな)うことばかり心配する。そしてこれを喪うことを心配する以上、目的は手段を配ばず、地位保全のためにはどんなことでもしかねないのじゃ。」

『新訳論語』 講談社学術文庫



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