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論語 №139 [心の小径]

四三九 子のたまわく、由や、なんじ六言(りくげん)の六蔽(ろくへい)を聞けるか。対えていわく、未だし。のたまわく、居れ、われなんじに語らん。仁を好みて学を好まざればその巌や愚、知を好みて学好まざればその蔽(へい)や蕩(とう)、信を好みて学を好まざればその蔽や賊、直を好みて学を好まざればその蔽や紋(こう)、勇を好みて蔽を好まざればその蔽や乱、剛を好みて学を好まざれば、その蔽や狂。

       法学者  穂積重遠

 本章も「斉論(せいろん)」らしいといわれる。

 孔子様が子路に向かって、「由よ、お前は『六言の六蔽』すなわち仁・知・信・直・勇・剛の六つの言葉であらわされた美徳に、六つの蔽(おお)われる所、いわば暗黒面がある、ということを聞いたか。」と問われたので、子路が起立して、「イエまだ聞いたことがござりません。」と答えた。そこで孔子様がおっしゃるよう、「まあすわれ、話してやろう。いかなる美徳も学問をして義理を弁(わきま)え本末軽重の見境がつかぬと、せっかくの美徳が蔽われて脱線堕落する。これを『蔽(へい)』というのじゃ。そこで、仁を好んで学を好まぬと、蔽(おお)われてばか正直になる。知を好んで学を好まぬと、蔽われて誇大妄想になる。信を好んで学を好まぬと、蔽われて過信軽信迷信になり、人を利せんとしてかえって人をそこなう。直を好んで学を好まぬと、蔽われて苛酷非人情杓子(しゃくし)定規になる。勇を好んで学を好まぬと、蔽われて乱暴狼藉(ろうぜき)になる。剛を好んで学を好まぬと、蔽われて狂気のさたになる。これが 『六言の六蔽』じゃよ。」

四四〇 子のたまわく、小子何ぞかの詩を学ぶことなきや。詩は、以て興(おこ)すペく、以て観るべく、以て羣(くん)すペく、以て怨(うら)むペし。これを邇(ちか)くしては父に事(つk)え、これを遠くしては君に事う。多く鳥獣草木の名を識(し)る。

 孔子さまがおっしゃるよう、「若者どもよ、なぜ詩をまなばないのか。詩というものは、
人の心を感奮(かんぷん)興起(こうき)させ、人情風俗・治乱興亡を観察させ、衆人を群れてやわらぎ楽しませ、人を怨み 政を怨むにも上品に怨ませる。そして家においては親に仕え.国においては君に仕うることまで、すべて詩によって感得される。その上に多く鳥獣草木の名を識るという効用まであるぞよ。」

 紀貫之の『古今集』の序に「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも哀れと思わせ、男女(おとこおみな)の中をも和(やわ)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」とあるのを思い出させる。「以て怨むべし」がおもしろい。古註に「怨みて怒らず」とある。やきもちをやくにも、黒こげでなく狐色にコンガリとやく方がかえって効果的で、かの『伊勢物語』の「風吹けば沖津白波立田山 よはにや君がひとり行くらん」などは、正に「怨むべし」の好標本だ。中国の詩にも「閏怨(けいえん)」などと題する上品なやきもちやきがあって、それが詩歌ならできる。「風吹けばどころか女房大あらし」では色消しだ。また天下国家の事については、「怨は上(かみ)の政を剃(そし)るなり。」「これを言う者罪なく、これを聞く者戒むるに足る。故に以て怨むべきなり。」とある。政府を非難攻撃するもけっこうだが、モツト上品に、すなわち詩的に、「以て怨むべし」とゆかぬものか。近ごろのやり方は、関西語で言えばいかにもエゲツない。あれではせっかくの正論にも同情がもてず、かえって効果的であるまい。「多く鳥獣草木の名を識る」というのもおもしろい。先ごろ、宮内省図書寮の蔵書展観の時、新井白石編纂の『詩経禽獣草木図鑑』というようなものが出ていたのを興味深く見た。同時に配卯されていた・『万葉集』についての同様の図録は、いっそう大したものだ。さらに遡って三十何年前、英国ストラットフォードーオンーエヴォンのシエクスピア生誕の家を見に行ったとき、裏庭に沙翁劇に出てくる草木の植物園があったことを思い出す。

『新訳論語』 講談社学術文庫


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