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現代の生老病死 №16 [心の小径]

おわりに

     立川市・光西寺  寿台順誠

 おわりに今日申し上げたことを、「生一老廠」の順で取りまとめておきますと次のようなことになります。今日、出生前診断や遺伝子操作等に表れているような優生思想に基づき、生が操作されることによって、未来が奪われる苦、生まれてこなかった方がよかったと思わされる苦、苦しむことさえ奪われる苦等と表現出来る「現代の生苦」が生じていますが、その帰結として、死にたくても死ねない状態が長く続く苦として表される「現代の老苦」や、病と付き合わねばならない時間が長くなる苦、又かえって医療によって病が生みだされる苦としてある「現代の病苦」が生じ、そしてその果てに、お任せ出来る人も頼りになる世界も失って、そもそも自分では決定出来ないことまで自己決定すべきだという強迫観念に苛まれる苦とも言える「現代の死苦」が生じていると言えるのではないか、それでそうした「現代の生苦」から「現代の老苦・病苦・死苦」へと通底しているものこそ優生思想ではないか、ということです。
 尚、全人的苦痛(total pain)という考え方を参考までに付け加えておきたいと思います。下の図(https://www・med・Or・jp/doctorase/volll/11page-05.html)をご覧ください。これはホスピスを始めたイギリスのシシリー・ソンダースの理念を図にしたもので、人間の苦痛には身体的苦痛(physical pain)だけでなく、精神的苦痛(mental pain)や社会的苦痛(social pain)もあり、さらにスピリチュアルペイン(spiritual pain)もあって、これら全人的な苦痛を和らげるのがホスピスだということを示すものです。宗教に携わる者にとっては、このスピリチュアルな次元が特に重要ですが、これは生きる意味に関わるもので、「霊的」とも「精神的」とも訳せますけれども、「宗教的」と言ってしまってもよいのではないでしょうか。いずれにせよ、こうした「全人的苦痛」というものも、今日最初に申し上げた「四苦八苦」等のリストには挙がっていない基本的な人間の苦しみを表現したものだと受け取れるのだはないでしょうか。

寿台11.jpg

 それから、この「全人的苦痛」とも 関連するようなこととして、WHOにおける「健康」の定義の問題もありますね。WHO憲章には、「健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態琴であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」(Health is a state of complete physical,mental ands ocial well-being and not merely the absence of disease or infirmity=上記訳文は1951年官報掲載の日本語訳)とありますが、これに対して1999年のWHO総会において、「健康とは、完全な肉体的、精神的、スピリチュアル(霊的)及び社会的福祉の動的な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」(Health is a dynamic state of complete physical,mental,spiritual and social well-being and not merely the absence of desease or infirmity=下線部が追加提案の文言)という改正案が出されるということがありました。この改正案は結局通らなかったようですが、しかし健康の概念にも「スピリチュアル」な次元を加えるべきということが言われたということは、宗教に関わる者としては知っておく価値のあることではないかと思うので、これも参考までに付け加えておきたいと思います。

大体時間ですので、これで私の話を終えさせていただきます。ご清聴有難うございました。

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より

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