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現代の生老病死 №14 [心の小径]

現代の生

     立川市・光西寺 寿台順誠

(2)優生思想の問題

 ここにあるのは端的に言って優生思想の問題だと思いますね。
 これに関しては、前にこちらでお話した『歎異抄』との関連で言っておきたいことがあるのですが、「善悪」が差別の基準としてもあったということから、『歎異抄』の「悪人正機」や「悪人正因」には反差別の意味があると言われてきました。しかし、私は前々から現代における価値の問題として言うと、「善悪」よりもはるかに猛威を振るっているのは「優劣」という価値基準ではないかと思っています。近代以降の価値基準として言うと、「優劣」こそが差別や格差を生む基準になっているのではないでしょうか。現代では、「優秀」でありさえすれば「悪」でも構わないのです。「善悪」という価値基準はもはや歯止めにはならないのです。確かにそういう中では「優秀」であることがいずれは「善」にもなるということはあるかもしれませんが、しかしその場合でも根本にあるのは「優劣」の価値基準なのです。実は、その意味から言っても、「悪人正機」「悪人正因」は現代の反差別のスローガンとしては的外れではないかと私は思っています。
 が、それはそれとして、「優生学」(eugenics)というのは、進化論で有名なチャールズ・ダーウィンの従弟でフランシス・ゴルトンというイギリス人(人類学者・統計学者・遺伝学者)の造語で、「生物の遺伝構造を改良する事で人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動」と定義されていまして、20世紀初頭に大きな支持を集めたものですが、その最たるものがナチスの行なった人種政策だったと言われています(23)。日本でも最近、かつての優生保護法の下で強制的に不妊手術をなされた人が賠償請求を求める裁判が起こってきましたね(24)。
 ただ、ナチスがやったことやかつての日本でなされたことは「劣生」を排除し「優生」だけを残そうとして国家が行ったことですが、最近の優生思想というものは「リベラル優生学」(liberal eugenics)と言って、人々が自由に選んでいることだから問題ないではないかという議論をする人もあります。「国家に押し付けられてしていることではないから、いいじやないか」とね。これをどう考えたらよいのかが大きな問題になっている訳です。それで、この「リベラル優生学」のどこが問題なのかと言うと、これは「リベラル」と言いながら、生まれてくる「子どもを親の願うままの存在として親の意識に縛り付け、奴隷化すること」(注22の小島・黒崎,178頁)で、結局リベラリズム、つまり自由主義の「自律」や「平等」の原則を侵害してしまうから、リベラリズムからの逸脱だという見方がある一方(25)、それは本来与えられたものである生命(被贈与性)に対する人間の意志(人為)の一方的な勝利を示すものだから、「優生」を自由に選ぶことになるのはリベラリズムの帰結であり、自由主義では優生思想のもつ差別的な価値観を克服することは出来ないと主張する人もあります(26)。皆さんはこれをどう考えますか。国家の押し付けではなく、人々が自由に優秀な方がよいと願うのは問題ないと考えますか、それとも問題だと思いますか。又、問題だとすれば、それはなぜですか。これは現代の大きな問題ではないかと思うのです。

註(23) ウイキペデイア「優生学」;日本社会臨床学会編『「新優生学」時代の生老病死』現代書館,2008;米本昌平他『優生学と人間社会』講談社,2000等参照.

(24) 毎日新聞取材班『強制不妊-旧優生保護法を問う-』毎日新聞出版,2019参照.

(25)こちらについては、ユルゲン・ハーバーマス(三島憲一訳)『人間の将来とバイオエシックス』法政大学出版局、2012〔新装版〕);Bernard G・Prusak,Rethinking“Liberal Eugenics”:Reflections and Questions on Habermas on Bioethics,Hastings Center Repot、35(6),2005等参照.

(26)こちらについては、マイケル・サンデル(林芳紀・伊吹友秀訳)『完全な人間を目指さなくてもよい理由一遺伝子操作とエンハンスメントの倫理-』ナカニシャ出版,2010)参照

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


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