SSブログ
雑木林の四季 ブログトップ
前の20件 | 次の20件

海の見る夢 №60 [雑木林の四季]

       海の見る夢
          -セレナード第10番~モーツァルト~
                      澁澤京子

 野良猫に餌をあげる「猫オバサン」というものが時折いるが、最近の私は、野鳥の餌のひまわりの種をめぼしい場所に撒いて歩く「鳥オバサン」になっている。

以前、世田谷に住んでいた時うちの近所の遊歩道で、猫に餌をあげる「猫オバサン」が、おじさんにすごく叱られているのを目撃したことがあった。「アンタ、迷惑なんだよ!」おじさんはカンカンに怒っている。おじさんの家なのだろう、おじさんの背後には小綺麗な小さな芝生の庭が生垣越しに見える。チューリップ帽を被ったオバサンは、猫の缶詰の入った袋を手に持ってうなだれ、無言のままだったが、ある晩、犬の散歩をしていると、あの時叱られていた「猫オバサン」がしゃがんで猫に餌をあげていたのである・・「猫オバサン」は人目につかないよう、夜の暗さに紛れてコソコソと野良猫に餌やりすることに決めたのだ。それからだいぶたったある日、やはり犬を連れて遊歩道を散歩していると、「危険!この辺には猫に毒をまく人がいます!」という貼り紙が方々に貼られているではないか。マジックペンで大きく書かれたその字には怒りと恨みがこもっている。とっさに私は、あの時、カンカンに怒っていた小太りのおじさん(小綺麗な家に住んでいる)を思い出した。毒をまかれ、野良猫を殺された「猫オバサン」は復讐のために、お手製の貼り紙(雨に濡れないようビニールが被せてある)をあちこちに貼り付けて歩いたのに違いない・・

あの時の「猫オバサン」のように夕闇に紛れてコソコソと鳥の餌をまきながら徘徊する私・・ここは集合住宅なので勝手に庭に巣箱を設置したり、餌をばらまくわけにもいかない・・しかも、この集合住宅の庭やゴミ置き場を掃除するおじさんたちには、私は大変お世話になっている(一回、鍵を忘れて締め出された時、二階のベランダによじ上るはしごを持ってきてもらい、下で押さえてもらった。)この猛暑の中、長そでの作業着で真っ赤な顔をして一生懸命に庭を掃除するおじさんたちの目の前で、まさか鳥の餌をばらまくわけにはいかないだろう・・

世田谷の家の玄関の脇の水槽には、ギリシャリクガメがいた。いつも、ゴトゴトと水槽の中で動き回っていたが、子犬を飼い始めて間もないある日、突然カメは死んでいた。(世話を忘れたわけではない)・・近所の爬虫類マニアの人から、爬虫類は愛情の対象が他の動物に移ってしまうことを敏感に察知する、とてもデリケートな動物であることを教わった。(その人以外にも、世田谷の家の近所には、部屋に入った途端、まるで熱帯ジャングルのようにディスプレイされている爬虫類マニアの家もあったが・・)犬好きや猫好きは割と一般的だが、爬虫類マニアのように、鳥好きの世界もマニアックで奥が深いのは、思いがけない発見というものがあるせいかもしれない。あと昆虫マニアもいるが、ルーツが人類よりはるかに.歴史が古いと、マニアックになるのだろうか。(昆虫3億5000年前・恐竜2億2800万年前・鳥類1億5000年前・爬虫類3億1200万年前・哺乳類2億2500年前・ アウストラピテクス・・たったの420万年前・・)

世田谷に住んでいた頃、下北沢の町はずれに爬虫類、熱帯魚、珍しい鳥を置いてある小さなペットショップがあって、店内には「動物を見て、気持ち悪いなどという人は入店禁止!」という強烈な貼り紙がしてあった。店主はいつも無愛想で、淡々と動物の世話をしていたが、来店して爬虫類を見た客が、「キャー!キモ~い」とか言うのを,よほど苦々しい思いで聞いていたのだろう。ある日、私がスズメの雛を拾って相談に行くと、その育て方を丁寧に教えてくれたのも、この気難しい顔の店主だった。動物好きの人間に対しては、とても親切だったのである。(雛は立派な雀に成長し、ある日、群れに返した。幼い雀がベランダから飛び立つまで、多くの雀が電線に止まって見守っていたのには感動した。群れに戻ってから、一回ベランダに遊びに来てくれたことがある・・)

ギリシャリクガメはゴトゴトと音をさせるだけで、ひっそりと生きていたし、小鳥の食事なんかも実につましいもので、不気味なのはむしろ人間のほうかもしれない・・

スポーツで狩りをしていた欧米人のほうが、今では動物保護に熱心で、「法医鳥類学」という学問もあるらしい。鳥がどのように殺されたかを分析する、いわば鳥に関する犯罪を扱うもので、鳥が酷い死に方をしたことがわかると思わず感情的になってしまうらしい・・『ナショナルジオグラフィック(日本版)2018・1月号』より

迷い鳥のツイッターを見ると、「駅からオカメインコが付いてくるのでダッシュで逃げました」という投稿があり、その写真のオカメインコの薄汚れて弱った痛々しい姿に、鳥好きたちから「なぜ保護しない?」「かわいそう!」「鬼畜!」とさんざん罵倒され、投稿者はついにその投稿を削除してしまった。鳥好きと、そうじゃない一般人の間の溝は結構深い・・

最近の恐竜研究だと、ティラノサウルスの卵から孵った雛は鳩くらいの大きさで羽毛が生えていたとか(成長すると、うろこにおおわれる)、成年になって羽毛のある恐竜の化石は多く発見され、恐竜の直系の子孫は鳥類・・ということになっているらしい。福井で発見された羽毛恐竜の化石は始祖鳥の一種で、恐竜と鳥類の関係を示すものとしてとても貴重な発見だとか・・もともと羽毛は飛ぶためのものではなかったのである。抱卵する恐竜の化石もある。いつから恐竜は空を飛ぶようになったのかは、いまだ論争中らしい・・鳥というのはやけにカラフルだが、そうすると当然,恐竜もカラフルな羽毛を持っていただろう・・そういえば、オカメインコの冠羽や鶏のトサカはなんだか恐竜っぽいではないか・・ティラノサウルスの両腕は体に比べるとやけに細くて短いが、いったい何の役に立ったのだろう?・・とか、鳩くらいの大きさだったというティラノサウルスの雛を育てると、13メートルの体高になっても飼い鳥のように人になつくだろうか?・・とか、いろいろと空想すると実に楽しい。

恐竜→鳥類のミッシングリンクを解くカギは(鳥の巣)にあるんじゃないかという仮説を立てたのが鈴木まもる氏。芸大に通っている時、偶然、山道で見つけた鳥の巣の造形の美しさに魅せられ、世界中の鳥の巣を見て回った経験から、恐竜→鳥類への進化プロセスは一つに絞られず、多数のプロセスがあるんじゃないかというもので、鈴木まもる氏の書かれた本は絵本を含め、皆とても素晴らしい。確かに、ニワシドリの巣のディスプレイやダンスはオスがメスを引き寄せるためというにはあまりに洗練された見事なもので(you tubeで観ることができます)もちろん他の鳥も、その巣の造形の美しさといい、多様性といい、鳥というのは明らかに独自の「美意識」や「文化」のようなものを持っているとしか思えないのである。(鳥は視覚が発達しているから当然なのかもしれないが)

三畳紀(約2億年前)、活発な火山活動のため低酸素になった地球で、「インスリン耐性」を獲得したことが恐竜→鳥類への進化につながるのではないか、という仮説(そのために渡り鳥は長時間の飛行が可能だとか)を提唱したのは佐藤克己氏(応用生物学)

大型の恐竜は滅んでも、鳥類は空を飛んで外敵から身を守り、コンパクトな巣を作って雛を育てる事で生き延びてきたのだ・・「恐竜はなぜ空を飛ぶようになったのか?」はいまだ神秘のヴェールに覆われたまま。

昔、実家の近所に山階鳥類研究所が残っていた頃は、うちの庭にもキジやヒヨドリなどがよく訪れていたが、山階鳥類研究所の古い洋館はとうの昔にこわされ(千葉に移転)、今は高級マンションと新日鉄の迎賓館が建っていて、いつしか、渋谷近辺で観られる野鳥はほとんどカラスになってしまった。(渋谷は、特に駅周辺のネズミの数がすごくて、カラスはそれも狙っているのだろう。カラスはとても賢くて、うちの犬もよくからかわれていた。)昔、国木田独歩が住んでいたころの渋谷はまだ鄙びた、田園風景が広がるような田舎で、山階鳥類研究所ものどかな頃の渋谷に建てられたのだろう・・カラスの多い渋谷に比べて、ここら辺にはまだ野鳥が生息しているのがとてもうれしい。最近は隼のような猛禽類が明治神宮を中心に、都市部に侵出してカラスを駆逐しているらしい。(カラスがいなくなると渋谷近辺のネズミはまた増え続けるんじゃないだろうか・・近年、渋谷のネズミがやたらと増えたのは、カラスを大量虐殺し駆除した故・石原都知事のせいに違いないと思っている私・・)この間、吉祥寺の駅前のバス停の上空に、カラスよりずっと大きな鳥が悠々と飛翔しているのが見えたが、井の頭公園にも隼は生息しているのかもしれない。隼が都市部に現れるとともに、カラスと他の野鳥が結託して隼に対抗するというから鳥の世界は実に面白い。カラスは実に頭がいいから、そのくらいのことはするだろう。(隼を見つけたカラスが最初に警告して鳴き、雀など他の小さな鳥たちがまず逃げるらしい)

しかし、飛翔のスピードの速い隼に狙われたら、オカメインコのチルはひとたまりもない・・とオカメインコを探しているうちに、電線に止まっているシルエットだけで何の鳥なのだいたいかわかるようになってきた。野鳥の会の中西悟道や、鳥類研究所の山階芳麿など、鳥という賢い生物に、昔から魅入られた人は多い。人間に似た感情があったり、鳥ってすごく魅力なのだ。しかも自由で遊び好き、愛情深く、無欲で美しいのである。-

~命のことで何を食べようか、何を着ようか思い悩むな。・・種もまかず,刈り入れもせず、納屋も蔵も持たない。それでも神は烏を養ってくださる。あなた方は鳥よりもどれだけ値打ちがあることか。・・「ルカ12:22~」

モーツァルトのセレナードNo10の出だしには天上的な美しさがあるが、空を自由に飛び回る鳥の姿はまさにああいう感じなのである。


nice!(1)  コメント(0) 

住宅団地 記憶と再生 №20 [雑木林の四季]

12.ブリッツの大団地(馬蹄形団地)GroBsiedlung Britz(Hufeisensiedlung)(Britz.Fritz.Reuter-Allee,Husung,Onkel-Braisig-Str.u.a.12359Berlin)
 
      国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

住人3名にインタビュー 2

●ルーデイ・マイスナーさん(男性、70歳代、シュタヴェンハゲナ一通り)
 この住宅は1930年の建設、2003年に入居した。気に入っているのは 部屋割り。3階建てで98I琉地階もいれると4階で使用面積は140㎡になる。台所と食堂は分かれていたが、壁を打ち抜いて一室にした。階段が急で老人には危険である。2階にシャワー、3階にバスタブを入れた。
 窓はこのように大きくなっているので明るいが、ここより前に建てられた住宅は、大きな一枚のガラスがまだ高価だったため窓が小さい。
 15年前に16万5,000ユーロで購入したが、世界遺産になって不動産価格は急騰し、いまでは約60万ユーロ、4倍近くになった。
 猫を飼っている人のほうが犬を飼っている人より多い。毎年5月のフェスティバルのちらしを配って歩くと、草ぼうぼうの家もあるし、すごく手入れをしている庭もある。しかしそれは個人の自由なので口出しする人は少ない。
 針葉樹が増えてしまった時期もあったが、モミなど陰になって他の植物が育たないし、落ちる木の実の始末が大変なので、かなり伐ることになってほっとしている。世界遺産なので記念物としての保護が重視され、役所が管理や修繕の状況を見回りに来る。高木の植樹、伐採は届け出制になっている。家の外形は変えてはいけないのだが、規則に逆らって変えてしまう人もいる。役所は見逃してくれることもあるが、窓枠は木と決まっているのにプラスチック製の窓枠をつくった人が、取り壊して木の枠にするよう通達をうけたことがある。
 同じ棟の人たちは毎日庭仕事をしながら自然と言葉を交わすので、顔見知りになり気が合えば友だちになることもある。子どもは2人が多いが、4~5人の家もある。ここ10年で世代交代があった。この棟だけでも4人の老人が亡くなり、子どものいる若い世代が入居した。

☆タウトは画一的な庭がいいとは思っていなかったので、最初の住人たちがそれぞれ好きな木を植えた。住宅ができる前はこの辺りは木が一本も生えてなくて畑だった。しかし重要文化財になってからは自分の庭の木を伐るときも新しく植えるときも許可がいる。この通りは白樺というように、通りによって植える木は決まっている。

☆ドイツで住居の広さをいうときは、地階とか屋根裏部屋の天井の低いところを面積に数えない(実際には地階にはたくさん物が置けるし、屋根裏部屋の天井の低いところにベッドをおいて寝ている人も多い)。

☆ここから歩いて行ける範囲に幼稚園やあらゆる種類の学校(小学校、実科学校、総合学校、ギムナジウム)があるので、子どものいる家庭にはとてもよい。ただしティーンエイジャーのたまり場となるようなディスコなどはまったくない。

☆家の外見を変えてはいけないという決まりは、文化財保護になったことによるもので、世界遺産になったからではない。

☆席蹄形住棟以外は民間売却になって、679戸のうち10戸ほどが借家として残っている。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂



nice!(1)  コメント(0) 

地球千鳥足Ⅱ №30 [雑木林の四季]

歩いて走って万年青年

     小川地球村塾村長  小川律昭

  今年の冬は雨の日以外よく歩いた。吐く息が白く見える寒さの中、起伏の多い森の中の住宅街を大股で歩くことを心がけた。ここは我がコッテージのある、ワイオミングという住宅地。コミュニティーは大木に覆われ、丘に富み、どこを歩いても楽しいが、自然にお気に入りの散歩路が出来た。我が家からちょっと行ったところだ。百年を過ぎる、歴史的にいわくのある住宅の数々を見ながら最初は三十五分ぐらい歩いて軽く汗をかく程度だったが、今は一時間強歩いている。手や耳が寒さで痛くなる朝もあるが、慣れるとそれが普通になって辛抱出来るものだ。四月中旬までは木々は枯れ木同然だが、それでいて目に映る光景が素晴らしいコースだし、四・三キロのアップ、ダウンを繰り返す道もよい運動になり、結構楽しい。その理由は巨木の中にたたずむ家々にある。

 百年来の歴史が刻まれた、「風と共に去りぬ」のタラの家のような建築物から四台入る車庫付きの新しい豪邸まで散歩路から見えるのだ。年代家屋には重厚感があり外観も素材も複雑である。チムニー(煙突)の数も多い。集中暖房の現今は薪を焚く必要がないので、新しい家にはチムニーは大体一個だけ。やはり見かけは豪華で機能性はあっても新しい家には風格はない。新、古、いずれの建造物もこのあたりでは森に囲まれており、斜面に建てられているので、見る角度によっても、多彩な構造が目を楽しませてくれる。ヴィクトリア王朝、チユーダー王朝などありとあらゆる建築様式の住宅があり、蓮の花が咲く庭、立派な橋がある庭もある。歩く都度、新しいことを次々発見させてくれるので飽くことがない。木々が青葉に変わると、風景は目に一段と鮮明に映じ、脳裡に焼き付く。別荘的に見えても生活する住居なのだ。アメリカの豊かさ、象徴がここで見られるのだ。リンデン通りには計り知れぬ魅力がある。想像するにここの住民たちの別荘は、フロリダの海辺、ボート付きのしゃれた建物であろうと想像出来る。

 同じコミュニティーの中だが、我が家周辺は環境は良いが家々に風格がない。ちょっと小さくて隣家が比較的近いからだ。このあたりも散策してきたが印象に残っている建物は少ない。プールが併設されていて豪華に見えても、それを引き立てる周辺に変化が乏しい。やはり急斜面に建つ家屋は魅力的である。

 一九九〇年このシンシナティに来たが、その年の暮れから九一年にかけて早朝によくジョギングしたものだ。初めの住まいゴルフ場のど真ん中、十番ホールのティーショットを窓越しに見られるコース沿いの場所だったので、夕方プレイが済んだ後、カートが移動するコース内の道を走ったものだ。よく見かけたのは兎とロスト・ボールだった。起伏があり景色のとても良いコースだったので、結構よい運動と目の保養になり楽しめた。翌年ブルー・アッシュのタウン・ハウスに移ってからも、住宅街の道路を走った。ここは庶民的な家が中心だった。交通事故で怪我をした時も、警官にジョギングで転んだと弁明した。
ビールを一缶飲んで居眠りの挙げ句一人で石垣にぶつかったのだが、いつも走っていたコースだったので機転をきかせ、怪訝な顔をする警官たちを尻目に歩いて帰ろうと歩き始めていた。還暦直前だったがとても元気だった。

 ところが日本に帰って車山(長野)のマラソンを走った際、膝の半月板損傷と足の指二本を疲労骨折してからジョギングが出来なくなり、今に至っている。足にショックを与えない競歩的な歩き方で、散歩・プラス・アルファー的運動に切り替えた。これが齢七十歳の自分である。
 ジョギングを始めたのは四十二歳頃だったので二十数年走ったことになる。初めてトレーニング・ウエアを買った時、いつまで続くかなあと娘に言われた。お父さんは飽きっぽいからと、お母さんの言い付けで小学生の息子が後から走ってついて来たこともあった。もとはといえばギックリ腰を繰り返したので、その予防に腹筋、背筋を鍛えようと始めたもの。それが六十二歳の時の足の故障まで続いたのだから、健康には良かったのだろう。東京は府中から国立、そして神戸、岡崎と住まいを移りながらも走り続けた。青梅マラソンや前出の車山マラソンに参加し完走した。元旦の東京・府中市の浅間山へ向かう、往復二〇キロの初日の出マラソンにもある時期毎年参加していた。

 アメリカに住む以前、海外ではキリマンジャロも一番乗りだった。トレッキングに慣れた同行者から「韋駄天の父さん」の名で呼ばれ、誰よりも早く目的地に着いたことを思い出す。サン・フランシスコのゴールデン・ブリッジを霧の中で往復したことも。六千歳過ぎてのバック・パッカーでは重い荷を背負ってよく歩いた。吹雪のウシュアイア(パタゴニア)、冬期、雨のインバネス(スコットランド)、残雪のルーマニアはドナウ河下流の街、等、厳しい旅に耐えられたのも、足を鍛え体力を補強していたお陰である。走っていたおかげで強靭な精神力も養われたのだろう。現在体力維持の運動は、冒頭に述べたように、走りから競歩に切り替えた。日本では見られない豪華な建造物を楽しみながら。

 ところで、歩いていてもう一つ感じたのが犬だ。庶民的な家では吠えながら屋敷内を駈け、人間に近づいてくるのが多い。歩く人が珍しいのか。だから私は歩道ではなく路の真ん中を歩くようにしている。だがリンデン通りは静かでそのような犬が見うけられない。家の中から散策人を見守っているのだろう。アメリカの犬はたいていよく躾されているが、隣の犬、ゼンベイは家の中から私を見つけて吠え立てる。うちを出る時も帰って来た時もだ。五年以上私を見ているのに憶えない。美しいジャーマン・シェパードにしては頭が悪い。夫婦で忙しく働いている家庭だから躾に失敗したのだろう。それとも私の人相が悪すぎるのかな?                                                         (二〇〇二年三月)

『万年青年のための予防医学』 文芸社
 

nice!(1)  コメント(0) 

山猫軒ものがたり №23 [雑木林の四季]

囲炉裏とかまど 3

            南 千代

 ここ入組は、全九戸の家のうち、住んでいるのは七戸。鶏を放した柚畑を隔ててすぐ隣の一戸は空家、その隣の一戸は、私たちが借りた山猫軒の本家にあたる家だが、別荘として使われている。その下に三戸の家があり、川をはさんで、さらに三戸の家があった。山猫軒は、入組の中では川に沿って一番、かみ手の家となる。
 山猫軒から龍ケ谷川沿いに二キロほど登ると、途中、山の中腹に五戸の家がある。梅本の集落だ。ここは、山の中にぽっかりと聞けた小高い所にあるため、陽もあたり見晴らしもよい。越してきて最初につきあいを始めたのが、入組とこの梅本の人々であった。
 龍ケ谷では新開は宅配されておらず、集落ごとにまとめて一カ所に配達される。あとは、個々に、その場所まで取りに行く。夕刊の配達は、次の日の朝刊と一緒だ。梅本の新聞は、まとめて山猫軒に配達されていたので、話す機会も多かった。
 梅本の宗平じいさんが、ポッチラボッチラと歩いて下っていく。宗平じいさんは、もう八十に近い年齢だろうか。一人暮らしである。あいさつがてら声をかけてみた。
「こんにちは。今朝はいい天気ですね。お出かけですか」
 じいさんは、ニコニコ笑っているが、あまりしゃべる人ではない。
「ハァ。ちょっと、病院まで薬をもらいに」
 梅本からは、バス停まで約五キロ。そこから、一時間に「本あるかないかのバスに乗り、町に出る。
 いいのかなあ、そんなに歩いても。薬をもらいに行くからには、どこか具合が悪いのだろうに。車で送った方がいいのかな、余計なお世話かな。日暮れ時。また、トロリトロリと歩いて上がる。
「おかえりなさい。お茶でも飲んでいきませんかし
「ハァ、じゃあちょっとだけ、休ませてください」
 じいさんは、上がりかまちに腰をかけると、懐かしそうに家の中を見ていた。
「前にも、よくこの家では、寄らせてもらって、お茶をごちそうになってな」
「おじいさんと、おばあさんが住んでいたんでしょ」
「ああ、直治さんとナオさんというて。じいさんの方は、種まくにも定規できちんと間を測ってまくようなカタイ人で、ばあさんは、何だか難しい本ばい、えらく読んでたな」
 宗平じいさんは、それからは町へ出るついでに、ちょくちょく足休めに寄るようになった。カブやネギを、黙って玄関先に置いていってくれることもあった。
 こちらも、雨や雪の日にはバス停まで車で送ったりした。

 三月になったというのに、大雪である。春先の雪は、水分を含み重い。目の前の山では、杉の木が雪の重さに耐えかねてメリメリと裂けて折れ、木々は、道路の電柱に倒れかかり、電気も電話も通じなくなってしまった。
 写真館の山口さんが心配して、見にきてくれた。町でも、電気がストップして灯りはもちろん、店のシャッターは開かない、暖房のファンヒーターもつかない、水道も出ない、とたいへんな状況らしい。
「いやあ、ここはあったかいや」
 薪ストーブに手をかざして山口さんが言った。熱い茶を出す。
「水も出るんですね、そうか、井戸ですもんね。便利だなあ。水、もらってっていいですか」
 便利と不便が逆転してしまったようだ。町では、その後すぐに回復したらしいが、ここではそれから三日ほど電気も電話も通じなかった。暗い夜は、囲炉裏で燃えさかる炎のそばで過ごした。
 この家ができたのが、百十年前。桧五郎という人の代のときに、分家として建てたのだそうだ。ということは、その時代、一般家庭に電気などないから、この家の暮らしも、こうして囲炉裏やランプを灯りにしていたのだろう。炎を前に、私たちは、この家ができた当時のことをあれこれと想像し始めた。
 電気がなければ、テレビも映らないだろうし、家族はこうして明るく暖かい囲炉裏端に集まっていたに違いない。文字を読むほどには明るくないので、だんらんの内容は、いきおい、おばあさんが、孫に話して開かせる物語であったり、おじいさんが、囲炉裏の灰に火箸で書いて教えるイロバの綴りであったかもしれない。お父さんは、明日の山仕事に備えてナタの刃を研ぎ、お母さんは、糸車を繰っている……。
 家には、床下にたくさんの山仕事の道具が残っている。中二階には、大きな鋸や米びつ、釜などが置いてあった。米びつは、米ではなく麦を入れていたのだろう。この地域は、山間部のため、水田や畑にできるような平たんな土地はほとんどなく、木を伐り出したり、炭を焼いたりの山仕事に従事する人がほとんどだったという。それに、養蚕。
 現在、柚が作ってある斜面は、昔は小麦や、蚕に食べさせるための桑を作っていたそうだ。土間の横の物置には、石臼や糸車が。台所には、粉をこねる鉢やのし板、長年使いこんで刃がすっかりやせてしまった垣きり包丁などがある。
 停電の暗い囲炉裏端で、土地の人の話や残された生活具から、私たちの話はあれこれとつきなかった。電気がないと、おしゃべりの時間が増えた。時がすべて私の手の中にある。とても豊かな気分で夜が更けていく。
 電気が、三日目の夜に突然ついた。
「ワオ! 明るーい」
 私たちは、歓声をあげた。そしてまた、明るいということも、ほんとにうれしい暮らしだと思った。この家に電気が初めてついた時も、みんな喜んだにちがいない。
 でも、明るい囲炉裏端というのは何だかしらじらとして、あまり想像力をかきたててくれない。暗い時には見えなかった板の間のゴミまでしっかりと映し出す。夫と話しながら私は、たまには部屋の掃除もしよう、と急に現実的になり、話に夢中になれないのだった。

『山根軒ものがたり』 春秋社



nice!(1)  コメント(0) 

BS-TBS番組情報 №287 [雑木林の四季]

BS-TBS 2023年8月後半のおすすめ番組

      BS-TBSマーケティングPR部

関口宏の一番新しい中世史

286関口宏の一番新しい中世史.png
毎週土曜ひる12:00~12:54

☆現代社会に通じる“日本文化の基礎”が形成された<中世史>を覗きに行こう。

関口宏
加来耕三・・・歴史家・作家
大宅映子・・・評論家・公財)大宅壮一文庫理事長

▽8月19日(水)
#71「信長最大の危機 !信長&家康 vs 朝倉&浅井」

天下布武を目指す織田信長に対して、近江国の浅井氏と越前国の朝倉氏が反発。姉川の戦いで信長は両氏に勝利するも対立は続く。さらに阿波国から三好三人衆が摂津国に侵攻。信長は敵対勢力に徐々に囲まれていく…。

木曜ドラマ23「怪談新耳袋 暗黒」 

286怪談新耳袋「人形村」.png
毎週木曜よる11:00~11:30

☆数々のジャパニーズホラー作品に多大な影響を与えた「新耳袋」。
  その映像作品が今夏、10年ぶりに帰ってきた! 

原作:「新耳袋 現代百物語」木原浩勝・中山市朗(角川文庫)
脚本:加藤淳也 佐藤周
監督:鈴木浩介 佐藤周 川松尚良
プロデュース:丹羽多聞アンドリウ(BS-TBS)、山口幸彦(キングレコード)、後藤剛(シャイカー)
製作:怪談新耳袋 暗黒 製作委員会

ジャパニーズホラーのテレビドラマシリーズとして映像や心理的な恐怖に加えて、理屈の通じない恐怖、視聴者の想像に委ねる演出が高い支持を集めてきた「怪談新耳袋」。
今回は、”闇“をテーマにした新作8本を製作。
1話10分で構成される4話完結の連続ドラマと10分のオムニバスホラー(短編集)4本を放送。
また、これまでに放送した作品の中から、選りすぐりの傑作選も放送!

▽8月17日(木)「カズオ」
監督:川松尚良
脚本:加藤淳也
出演:本田剛文(BOYS AND MEN)、藤 夏子、白鳥 廉

闇金に手を出して、特殊詐欺の受け子になってしまった藤原健吾(本田剛文)。銀行の通帳とカードをだまし取るため、高齢女性の富永フサエ(藤 夏子)の家を訪問する。だが、一人暮らしだと聞かされていたフサエは、ひとりの少年・カズオ(白鳥 廉)と暮らしていた。
無表情で不気味な雰囲気を漂わせているカズオから、犯罪の証拠となるスマホを奪われてしまう藤原。必死で取り返そうとするが、そこで彼は、決して見てはならないカズオの正体を見てしまうのだった……。

▽8月24日(木)「人形村」第一話 /8月31日(木) 「人形村」第二話
監督・脚本:佐藤周
出演:吉澤要人(原因は自分にある。)、武藤潤(原因は自分にある。)、塩﨑太智(M!LK)、大倉空人(原因は自分にある。)、曽野舜太(M!LK)、金子早苗

動画配信グループ・アンリミッターズの5人は、人気低迷を打破すべくネットの都市伝説で有名な“人形村”を突撃取材することに。
“一度入ったら出られない”と言われている人形村…その幻の山村をアンリミッターズは
やっとの思いで発見。喜び合う彼らの前に、突如不気味な老婆が現れる。取材を試みようとするも老婆は凄まじい叫び声と共に姿を消す。老婆を追って森に入るアンリミッターズだが、そこで彼らは驚愕の光景を目の当たりにする……。

野球 侍ジャパン  高校日本代表 対 大学日本代表

286侍ジャパン.png
8/28(月)よる6:00~8:54

☆プロ野球ドラフト会議の注目選手たちが大集結!

10月26日に行われるドラフト会議のプロ注目選手たちが東京ドームに大集結!
8月31日から台湾で開催される「第31回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ」に出場する侍ジャパン高校日本代表の壮行試合として、大学日本代表と対戦。
高校日本代表は、甲子園で日本一を争ったライバルたちが今度はチームメイトとして日の丸を背負い、世界一への力試しに臨む。
対する大学日本代表は大学No.1左腕・細野晴希(東洋大)、全国大学選手権MVP投手・常廣羽也斗(青山学院大)、プロ注目スラッガー・上田希由翔(明治大)らドラフト上位指名候補が勢揃い!

プロ野球の未来を担うスター候補たちの熱い戦いをお届けする!

(※出場選手は予定)


nice!(1)  コメント(0) 

海の見る夢 №59 [雑木林の四季]

             海の見る夢
        ―Summer Song ~Louis Arm Strong~
                                             澁澤京子

 若いころは五月になると海に行き、コパトーンを全身に塗って甲羅干しし、誰よりも早く小麦色の肌を目指したが(昔は日焼けしているのがオシャレ)、灼熱の陽射しの降り注ぐ今日この頃、そんなことする人はもう誰もいなくなった。ココナッツの匂いのするコパトーン(よく、ソニープラザで売ってた)も、街でまったく見かけなくなってから久しい・・昔、夏というのは私にとって最も楽しい季節だったが、温暖化の影響で、今や夏は楽しいどころか、人類にとって脅威となるような「過酷な季節」となったのである。暴風雨や洪水、干ばつ、異常な高温はもはや日常茶飯事。グリーンランド、南極、北極の氷がすごい勢いで溶けているという・・シベリアの永久凍土が溶けるとメタンガスが噴出し、さらに温暖化が加速するらしい。すると循環していた海流がついに止まってしまうというが、ひどい猛暑が何年も続いたあとは、まさか『デイ・アフター・トゥモロー』のように大寒波が襲ってくるんだろうか・・。

私たちは、まさに「ゆでがえるの法則」のゆでがえるになっているような気もするが・・

昔、J.G.バラードのSF『沈んだ世界』が好きだったが、生きているうちに気候変動を経験するとは思わなかった・・愚かな大衆が「まさか」と言って何もしないのを後目に、常にごく少数の賢人は、ちゃんと未来の危険を炭鉱のカナリアのように予測するのである、すでに1972年『成長の限界』で気候変動を警告した、メドウズ率いるMITチームがまさにその少数の賢明なカナリアだろう・・よくSF映画やパニック映画で、主人公(地道な研究者)の忠告を無視したあげくに自滅してゆく(その他大勢の人々)が登場するが、私たちはその愚かな(その他大勢の人々)なんじゃないだろうか。さらに、そうした映画では、危機を忠告して歩く主人公にやたらと反発し、敵対する人物も出てくるが、それに当たるのは、トランプをはじめとする(気候変動否定論者)?映画では、そうした敵対者は、たいてい死にそうなところを主人公によって助けられ、最後には和解するのであるが・・

気候変動により、方向感覚を失ったクジラが群れで座礁したり、各地で熊が暴れるのも(山に餌がないのか?)、不機嫌なイルカが海水浴場に出てくるのも無理はないと思う。猛暑によるミツバチの大量死のニュースもつい最近見た・・人はどれだけミツバチをはじめとする昆虫の媒介による果物や穀物に依存していることか。動植物のほうが環境と密接な関係にあるため、人間よりもはるかに気候変動に敏感だろう。異常気象の影響を人より受けやすい家畜やペットなどの動植物、そして、犠牲になるのは動植物や、たいしてCO2を排出してこなかった貧しい地域の人々だったりするのである・・海温の上昇により、珊瑚は死滅して白化し(海の森林である珊瑚がなくなれば海洋生物に相当な打撃)、昆虫学者E・O・ウィルソンによると、今後50年の間に動植物の四分の一が絶滅の危機になるらしい。花粉媒介者(鳥や昆虫)がいなくなることにより被子植物の絶滅→昆虫がいなくなることによって枯渇する土壌→細菌や菌類の爆発的増加→伝染病の蔓延と食糧危機・・(ウィルソンは、殺虫剤の乱用は有用な虫まで殺してしまうのでやめてほしいと言っている)このままいけば、私たちにはとんでもなく暗い未来しかないではないか~『創造』E・O・ウィルソン (2004年出版) FAOの予測だと2030年には6億7千万人が飢餓にさらされるらしいが、異常気象のダメージが大きければ、もっとすさまじい数字になるんじゃないだろうか・・

異常気象と、連日36~8度の厳しい猛暑しか知らない若い子(グレタさん世代より下か)・・今は夏休みというのに、猛暑のためか真昼の集団住宅の中庭で遊ぶ子はいなく、シンと静まり返っている。・・私たちの利便性追求と経済至上主義、虫一匹いないクリーンで快適な生活のツケを支払わないといけないのは子供たち。

エアコンがなければ、今の温暖化した夏の東京はとても過ごせない。しかもそのエアコンは二酸化炭素の1万4000倍の温室効果を持つフロンを大量に放出するという悪循環・・特に都会では、「地球にやさしく」が、ただの無意味なスローガンになっている今の私たちの生活。断捨離は、ゴミが増えて環境に負担がかかるだけであり(スッキリするのは捨てる本人だけ。ガーナや南米にはファストファッションの古着が山と積り、ガーナの海では生活に必要な魚よりも洋服が釣れるとか。本よりも衣服が安く買える時代だが、いらなくなった古着は発展途上国に押し付けられて、アフリカや南米には巨大な古着のゴミ山がいくつもあるのである・これは人災では?)。さらに、私たちは地球だけじゃなく、古くなった人工衛星などで宇宙にもゴミをまき散らしているのである・・

そうすると、いかに物を捨てないで大切にする生活をするか、水を汚さないように、なるべく洗剤を使わないとか、なるべくゴミを出さない、環境を汚染しない生活をするかを考えたほうが、ずっとエコロジカルだろう。私の通っている修道院では、野菜の切れ端や卵の殻は細かく刻み庭に埋めている。雑巾を使い、おやつも手作り。雑巾の代わりにウェットティッシュを使えば楽だがゴミは増えるばかり・・料理も、お惣菜などを買ってきたほうが自分で作るより楽なのだが、プラスティックの入れ物などのゴミが増えるだけ・・エコロジカルな生活って、かなり手間暇がかかるものなのである。

私が子供の頃は、多摩川の水の汚染がひどくて、問題になっていたが、今はずいぶん改善されてきれいになった。仙川にはカワセミがいるほどで、要するに行政や市民の努力によってそこまで回復できたのだ。だから環境問題も、一人一人が実行するだけでも、ずいぶん違ってくるんじゃないかと思う。福島の放射能汚染水垂れ流しで大失敗したが、水質に関しては日本は優等生だったのである。東京の多摩地区では水道水のフッ素化合物の値が基準値を超えていることが問題になっていたが(現在、水道局が対応中)・・昔、映画「ダーク・ウォーターズ」でPFOSの怖さを知った。テフロン加工の実際の被害を知った一人の弁護士が、デュポン社を相手に起訴を起こした実話を元にした映画。水俣病のようにすぐに兆候が出るわけじゃなく、長い時間をかけて体を蝕んでゆくから怖い。(家畜の牛がまず人より先に犠牲になる)いまだにテフロン加工のデュポン社との裁判は継続中らしい・・

気候変動についてとてもわかりやすかった本が『14歳からの気候変動』と『14歳からの水と環境問題』。気候変動に関しては、学研などからもっと小さい子供向けの本がたくさん出版されているが、今の子供は小学校に入学すると、「気候変動」や脱・炭素の問題、水やエネルギー問題について学習し、「将来何になりたいか」の前に、まず「どうしたらサバイバルできるか」について考えないといけないようだ・・温暖化が人為的に引き起こされたことはすでに明らかになのである。(AIが算出した自然の気候変動と今の気候変動はグラフで見ると大きくくい違う)野生生物の絶滅の原因の多くは人為的なものであることを考えれば、気候変動の原因が人為的であるのは十分に腑に落ちる話。絶滅危惧種の中でも、温暖化の影響を受けているのは哺乳類(12%)鳥類(33%)無脊椎動物(32%)で、圧倒的に鳥類と昆虫の絶滅する割合が大きい。鳥類と昆虫類に影響があれば、植物、穀物にも影響があり、それによって私たちの食生活がもろにダメージを受けるのは前述したとおり。

それにもかかわらず、街路樹の樹木をまるで粗大ごみかなにかのように徹底的に撤去する、ビッグモーター社長のような鈍感な人物もいるが。植物を生物とも思わない鈍感さは、当然人を人とも思わない鈍感さに通じるのだろう(鈍感というより野蛮のほうが適切な表現かも・・)かつての奴隷制度が廃れていったように、ブラック企業も、いずれ近いうちに自滅するんじゃないかと思う。

平均気温が2度上がるのを、些細なことのように思うかもしれないが、些細な違いによって物事は大きく変わってゆくのであり、調和は、本当に微細で複雑なバランスの上に築かれるものなのである。仲間を守るためには動物のほうが人よりも、よほど利他的なのではないかと思う。動物のほうが、環境を含めた全体のバランスというものに対して、人間よりも敏感だからだ。肉体的能力も頭脳も優れていたクロマニヨン人より、知力も体力も劣るネアンデルタール人が生き残ったのは、お互いに寄り添いあって助け合うことをわかっていたからだそうだ。(宗教の起源はネアンデルタール人からはじまる)

ちなみに「14歳から知る~」(太田出版)シリーズは自然科学系の本が多いが、なかなか優れたシリーズで、思わず他の本も注文した。今だにゴアの時代の噂話である「CO2は犯人じゃない」説を信じている頑固な人々より、このシリーズをよく読んでいる中高生のほうが確実に賢いに違いない。そうした中高生の中から、環境問題に本気で取り組む優れた技術者や科学者、哲学者などが登場することを祈るばかり。

それにしても連日38度の酷暑が普通の夏になるとは!(今年の夏は、教会の中で、電車の中で、突然、倒れる人を二度も見た)・・陽射しが強く、青空には、妙に立体的にくっきりとした積乱雲が浮かんでいる。昔の東京の住宅街には、まだ街路樹や、庭の樹木というものが生い茂っていたのでところどころに木陰があったが、マンションが多く、木陰というもののほとんどなくなった夏の午後の東京の住宅街は、まるで灼熱の砂漠を歩いているかのように暑い・・国連の報告によると2050年までに、1億4300万人の気候難民が出て、人口の68%は都市に集中して流入、そのため都市は治安が悪化し、スラム化するらしい・・

サッチモの「サマー・ソング」のような美しい夏は、もう二度と戻らないのだろうか?

※これを書き終わったとき、マウイ島、ラハイナの山火事のニュースを知った。連日、異常乾燥が続いたうえに、さらに強風が火事を大きくしたという。専門家は異常気象が原因と指摘しているらしい。多くの犠牲者のご冥福をお祈りします。



nice!(1)  コメント(0) 

住宅団地 記憶と再生 №19 [雑木林の四季]

12.ブリッツの大団地(馬蹄形団地)GroBsiedlung Britz(Hufeisensiedlung)(Britz.Fritz.Reuter-Allee,Husung,Onkel-Braisig-Str.u.a.12359Berlin)
 
      国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

住人3名にインタビュー 1

 わたしは何としても、現にこの団地に住んでいる人たちの生の話を聞きたかった。事前に団地案内所に依頼して紹介された3人に案内人といっしょに2019年9月4日、この日はベルリンに住む娘に通訳をたのんで、それぞれ自宅で会うことができた。以下は、3人の話と同行した案内人コルヴインさんの補足(☆印)のほぼ全容である(3人目には同行しなかった)。

1.ヘルガ・シェーネフェルトさん(女性、91歳、一人暮らし、馬蹄形住棟)
 両親が馬蹄形住居に1926年に越してきて、1928年に生まれてからずっとここで暮らしている。他の住居で暮らしたことがないので、どこがいいかと訊かれても分からないが、ずっと「ここがわが家」という実感があって、他所へ引っ越したいと思ったことがない。
 子どもが多い場所だという印象はなく、むしろ遊び相手を探すのが大変だった。ただ、隣りに昔6人子どものいる家族が住んでいたことは覚えている。父親が労働組合運動か何かで逮捕されていた間は、母親が一人で6人の面倒をみるのが大変そうだったが、わたしは遊び相手がいて楽しかった。
 低地ドイツ語の難しい名前の通りなどもあったが、植わっている木が通りによって決まっているので、子どもの頃は勝手に「白樺通り」などと呼んでいた。
 父親は学校教師で、結婚していないとこの住宅に入れず、女性は結婚すると仕事をやめた時代なので、一人の給料では家賃は高かった。労働者住宅というが、実際に入ったのは会社員、公務員などで、工場労働者は少なかったと思う。
 入居した頃はフリッツロイター通りに薬屋、パン屋、牛乳屋、花屋、裁縫店など小売店がたくさんあったが、みんな車で遠くに買い物に行くようになってから店がどんどん姿を消して、買い物が不便になった。
 ここは台所と居間が南向きで庭に面していて明るく、北側の道路側の部屋は寝室に使っている。昔はそれがよかったが最近、夏が暑くなったので、居間が北側にあって涼しい、馬蹄形の真向かいの住宅がうらやましく思うこともある。
 庭へは地階からしか出られない。歩行器を使わないと歩けないので、もう2年も庭には出ていない。住居は1階なので不自由はない。

☆タウトは、収入にかかわらずすべての人が平等に光と空気と空間を受けることをめざしていたので、テラスになった庭を1階、2階、3階の人がすべて使えるように設計した。庭へは1階から直接出ることはできず、地階からだれでも出られるようになっているのもそのため。しかし実際に借家がはじまると、1階の人だけが庭を使えるかわりに割り増し家賃を払うことになった。

☆自治会はないが、市民のグループはいくつかある。われわれの「馬蹄形用地後援会」Freund und F6rderer der Hufeisensiedlungは、外部の人にここを知ってもらうための情報カフェを金曜と土曜に開き、ニュースレターをつくり、学校をまわって話をし、文化財保護団体賞をもらったこともある。はかに「右翼とたたかう蹄鉄」Hufeisen gegen Rechtsというグループもあって、右翼デモに反対したり、ユダヤ人追悼の「つまずきの石」を守る運動をしている。

☆馬蹄形内の住居はすべて賃貸住宅で、ドイチェ・ヴオーネン杜の所有になっている。家賃は上がっているが、いまだいたい9.50ユーロ/l㎡。
 この住居の広さは65㎡だから、日本円で約75,000円。空き家はゼロ、待機者がいる。

☆馬の蹄鉄は幸福のしるし、馬蹄形の入口は太陽が昇る東に位置する。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂



nice!(1)  コメント(0) 

地球千鳥足Ⅱ №29 [雑木林の四季]

アマゾン滔々、日本人の血脈々と流れる国
  ~ブラジル連邦共和国~

     小川地球村塾塾長  小川彩子

 2011年の旅の最終地はブラジル、かつて地球の一角で会った人々とここでの再会を約束していた。私は約束にこだわる人間、気楽な口約束でも必ずメモする。遂にその時が来た。「ブラジルで会いましょう!」と交わした約束を果たせる日が。
 1組目の義理の弟。5人兄姉弟のうち1人だけ、野望に溢れ54年前に23歳で国を出たブラジル移民だ。当初は多様な職種に挑戦したが、後に日本の企業、パイロットに勤め、娘は日本の医科大学に留学させた。2人の孫は難関サンパウロ大学の学生だ。日本人会の役員を続け、今は悠々たる暮らしである。移民一世の苦労話はなく、「来てくれて嬉しい!」と。その娘さんいわく、「日本人はほぼ成功し、良い暮らしをしています。他の人々が『日本人は頭がいいのだ!』と言いますが、頭がいいというより日本人は必死の努力をするのです!」
 2粗目、ネルソンさんとの出会いは格別だ。ドミニカ共和国のプンタカーナに向かう飛行機で隣り合わせただけのご縁、彼はブラジル移民の二世、IEEE(米国電気電子学会)の世界大会にラテンアメリカ南部代表で臨むところだった。「きっとブラジルへ行きますー・」と伝えてから2年近く時が流れていた。が、Eメールに即返事が来て「再会嬉しいー」とサンパウロ市内、日本庭園もあるイビラプエラ公園、109年前日本人移民が笠戸丸で上陸したサントス市内、移民一世の父君が住んでいた家、さらにはサンパウロを見下ろす高級マンションの豪華な自宅も案内して頂き、そこから煌めくサンパウロの夜景を見下ろした。夫人の頼子さん共々秀才プラス努力組だろう。サンパウロ大学で出会い結婚、息子たちは留学体験ありのグローバル一家だ。移民二世のネルソンさんからも苦労話はなかった。
 ブラジルは移民の国、世界80か国以上から移民が来た。日本人は当初奴隷代わりに来たそうだが、その信用は次第に高まっていったという。不慣れな土地で日本移民たちが苦心して創った住居、農機具、生活器具は驚異的だ。余談だが日本人がサンパウロで与えられたリベルダージという地区は奴隷の売買が行われていた土地。だが今は東洋人街として発展、日本語新聞社、和菓子屋、仏壇屋、並ぶ居酒屋、そして赤い大鳥居……、一体ここは何処?と不思議な気分に陥る。本国では日本文化を捨てて平気な人種が増えている一方、ブラジル移民の子孫たちは日本文化への愛を土台に街作りをしたのであろうと感無量だった。
 アマゾン真っただ中の街、マナウスは長閑な街、サンパウロのように危険ではない。ここにも多く日本人移民が入植した。日系企業もあり、貿易港として、アマゾン観光の基地として賑わっている。この地でのハイライトは2河川合流点の見学と交響曲だ。コロンビアから発する黒色のリオネグロとアンデスの雪解け水を集めて来た茶色のソリモインス川が合流し、ここからアマゾン河となるのだが、2色の水は混ざり合わない。理由は2河川の流速と比重が異なるためだとか。私たちのボートの操縦士は川の交点辺りをぐるぐる回ってくれたが、黒色と茶色の水はミックスせず鋸の歯のようにぎざぎざだった。雄大かつ珍奇な水の芸術は必見だ。地元交響楽団もしかり。かつて天然ゴム景気で栄えたこのマナウス市が、あり余る資金で造った豪華なオペラハウス、アマゾナス劇場での迫力ある演奏。その楽団の名はアマゾナス・フィルハーモニカ。秀逸だ。
                     (旅の期間一2011年 彩子)

『地球千鳥足』 幻冬舎



nice!(1)  コメント(0) 

山猫軒ものがたり №22 [雑木林の四季]

囲炉裏とかまど 2

        南 千代

 新年早々、山猫軒に新しい犬がやってきた。放し飼いにする鶏をキッネやタヌキから守るために、牧羊犬としての血が流れているコリーを捜していたのだ。為朝も華も、小さい時から教えたので、山猫軒の鶏には手を出さなかったが、ポインターの血を引いているため、積極的に守るところまではいかなかった。
 コリーは、専門の繁殖家の所からもらった。血統がとても良い犬だとか。しかし、生後六カ月を過ぎても、耳が少し深く折れたままだという。コリーの場合、上三分の一からの折れ方でないと、展覧会では軽微欠点に入る。このため、繁殖家はコンテストに出すことをあきらめ手放すことにしたらしい。犬が大好きそうな繁殖家は惜しそうに言った。
「ほんとにいい犬なんで、手放さずにとっておいたんですがねえ」
 コリーは、基礎訓練を受けており、引き綱をつけると猫のようにおとなしくなって、人間の左横にピタリと並ぶ。一緒に歩いても、決して人より前に出ない。為朝と華には、躾をすることもせず、山を勝手に走り回らせて野放図に育ててしまったので、私はすっかり感心してしまった。
 引き取られてきて、山猫軒の土間にちょこんと座ったコリーは、生後六カ月とはいえ、体重はすでに三十キロ近い。名前は、ガルシィアと付けられていたが、これは通称で本名はダーリン・オブ・フローレンスリバー。長ったらしい本名はもとより、ガルシィアと呼ぶのもどうも山猫軒にはそぐわない。
 人のあとをチョロチョロと、どこに行くにもついてくるのでチョロ松、あるいは龍ケ谷からとって龍太、と呼んでみたが、キョトンとしていて反応しない。それに、コリー犬なのでチョロ松というのも何だかしっくりこずに、やはりガルシィアと呼ぶことになった。
 父犬、母犬共に五代前までさかのぼった血誓がついており、先祖三十匹の犬のほとんどいジャパンコリークラブのグランドチャンピオンやアメリカケンネルクラブのチャンピオンなどの肩書きがついている。人間の方が、気おくれしそうな家系、いや大系だ。飼主の私なんか、祖父母の名前までぐらいしか知らないというのに。
 しかし、当のガルシィアは、今日も、猫のウラに長い鼻の頭をひっかかれそうになって逃げ回っている。山に慣れていないため、浅い流れも渡れないお坊っちゃんであるが、性格は従順でやさしく、為朝や華ともうまく暮らしているようだ。鶏小屋に同居させて、鶏に慣らそうとしたが、その必要はなかった。
 目の前をヒヨコが歩いていても決して手を出さず、珍しいのかヒヨコの後を一日中ついてって遊んでいる。

 節分の日。地元の熊野神社から、いり豆が紙包みで届いた。二月になると、ようやく太陽がわずかな晴間劇をのぞかせるようになり、私たちは穴から出てきたモグラのように、まぶしさを感じながら、番が近づいているのを知った。
 裏の土手には、黄色い福寿草が小さな花をつけ、陽射しも、今日は庭の桃の木まで、今日は縁側までと、その手を伸ばしてくる。長い冬が終わろうとしている。夫の言った通りだ。後は日一日と暖かくなるのが楽しみだ。夜の間にバリバリに氷が張る台所からも、冷蔵庫に入れておかないと凍ってしまう牛乳からも、もうすぐ解放される。
 去年の七月に新しく仕入れておいたヒナも新たに卵を産み始めた。桜色のかわいい玉子だ。地元の人も、新しく越して来た私たちの様子を見ようと、やって来た。長年、よそから人が移り住むことなどなかった地である。珍しいのだ。
 「ちょっと、鶏を見せてくんな」
 と言ってのぞいていく。
 越して来る前に、養鶏は周囲に悪臭を放つからと、私たちが来ることに反対していたらしい一部の人も、越して来る前に説明した通り、企業養鶏と違って全く臭いがしないとわかると、感心しつつお茶を飲んで、手土産にと差し出した玉子を手に帰って行った。土地の人は皆、律儀なので、玉子を手渡すと金を払おうとする。
 金をもらうつもりはもちろんないので、「何かあまった野菜でもあったら分けてください」と言って渡していたら、ほんとに次に来てくれる時には、野菜や手づくりの漬物を片手にお茶を飲みに来てくれた。
 自然に生まれた物々交換である。金にすればその金で野菜を買えばよいのだから、同じように思えるが、マーケットで買う場合、直接の物々交換によって生まれるような会話はない。どうやって作ったとか、どう料理して食べるとうまいという話に加えて、地元のさまざまな話や情報を、玉子を介してごく自然に私たちは知ることができた。
 こちらも、なぜ龍ケ谷に来たのか、どういう仕事をしているのか、これからここで養鶏を中心に畑や田をやりたいことなど、私たちのことを知ってもらうことができた。玉子を間に置くと、地元づきあいがスムーズに運ぶ。
 私たちはうれしくて、これをひそかに「丸い玉子外交の輪」と名づけ、項きもののお返しや、集落の人々との会話の糸口にしたり、さまざまな人と知り合うために役立てた。

『山猫軒ものがたり』 春秋社



nice!(1)  コメント(0) 

BS-TBS番組情報 №286 [雑木林の四季]

BS-TBS 2023年8月のおすすめ番組(上)

       BS-TBSマーケテイングPR部

美しい日本に出会う旅

285美しい日本に出会う旅.jpg
毎週水曜よる9:00~9:54

☆ボクたちと一緒に、出かけましょう。

旅の案内人・語り:井上芳雄、瀬戸康史、松下洸平

井上芳雄、瀬戸康史、松下洸平。3人の気ままな旅人が、あなたを美しい日本にいざないます。
花咲く春。青葉が繁る夏。紅葉に色づく秋。雪景色の冬。移ろう季節とともに表情を変えるふるさとの海や山。一度は見たい絶景と美食を堪能しましょう。
どこか懐かしい町並やかわいい手仕事。日本が誇る世界遺産に国宝の数々。大興奮の祭りに、温泉めぐり。美しくて美味しい日本を楽しくご案内します。
お気に入りのおやつとお茶を用意したら…ボクたちと一緒に、出かけましょう。

▽8月2日(水)
#401「夏の山形ひんやり旅 憧れ!竜王の将棋旅館と満開の紅花」
語り:井上芳雄
井上芳雄さんが案内する山形の旅。東北屈指の縁結びスポット・熊野大社では願掛け風鈴の音が響きます。暑い山形の冷やし文化を大調査。ちょっと変わった冷やしラーメン、冷やしシャンプー、すだまり氷とは?将棋の街・天童では駒作りを見学。凄腕職人の神業とは?お宿はタイトル戦の会場となった「滝の湯」。名勝負に思いをはせながら一風呂。最上川の川下り、スイカ入りの「だし」、花笠音頭など暑い山形の熱い文化をお届け!

木曜ドラマ23「怪談新耳袋 暗黒」 

285怪談新耳袋 鳩のでる部屋.jpg
毎週木曜よる11:00~11:30

☆数々のジャパニーズホラー作品に多大な影響を与えた「新耳袋」。
その映像作品が今夏、10年ぶりに帰ってきた! 

原作:「新耳袋 現代百物語」木原浩勝・中山市朗(角川文庫)
脚本:加藤淳也 佐藤周
監督:鈴木浩介 佐藤周 川松尚良
プロデュース:丹羽多聞アンドリウ(BS-TBS)、山口幸彦(キングレコード)、後藤剛(シャイカー)
製作:怪談新耳袋 暗黒 製作委員会

ジャパニーズホラーのテレビドラマシリーズとして映像や心理的な恐怖に加えて、理屈の通じない恐怖、視聴者の想像に委ねる演出が高い支持を集めてきた「怪談新耳袋」。
今回は、”闇“をテーマにした新作8本を製作。
1話10分で構成される4話完結の連続ドラマと10分のオムニバスホラー(短編集)4本を放送。
また、これまでに放送した作品の中から、選りすぐりの傑作選も放送!

▽8月3日(木) 「ハトの出る部屋」

監督:川松尚良
脚本:加藤淳也
出演:今井柊斗、前川 佑、倉田萌衣

大学生の望月俊平(今井柊斗)は、帰省する友人・郷田渉(前川 佑)に
部屋の留守番を頼まれる。
なんでも友人の部屋には、早朝ハトがやってきて、
枕もとで「クック……」と鳴くらしい。
そのハトの面倒を見てほしいというのだ。
留守番を引き受けた望月が眠っていると、
早朝、確かに「クック……」という鳴き声が聞こえてきた。
だが、これは本当にハトの鳴き声なのか? 
まるで人の笑い声のようにも聞こえないか?
それに気づいた途端、望月は身の毛もよだつような恐ろしい体験をするのだった…

▽8月10日(木) 「乗客」

監督:鈴木浩介
脚本:加藤淳也
出演:染谷俊之、下尾みう(AKB48)

タクシー運転手の由良翔平(染谷俊之)は、
夜の道でひとりの若い女性客(下尾みう)を乗せる。
どこか不穏な空気をまとった女性客に不信を抱きながらも、
由良は自分がタクシーの運転手になった経緯を語って聞かせる。
やがて異変に気がついた。このまま女性客の指示通りに車を走らせても、
その先には山しかない。そしてその山は自殺の名所として知られる場所だった。
もしかしたら、この女性客は自殺志願者ではないか……?
警戒する由良だったが、たどり着いた目的地では、さらに驚愕の事実が待ち受けていた!

ヒロシのぼっちキャンプ Season7

285ヒロシのぼっちキャンプ.jpg
毎週水曜よる10:00~10:54

☆ヒロシが自分のためだけにするひとりぼっちのキャンプ。ほんとうの自由がここにある。

YouTubeでキャンプ動画が大人気となっている芸人ヒロシが、愛車を駆って各地のキャンプ場へ。誰にも遠慮することなく、自然のなかで思う存分心と体を解き放つ。どこまでも自由な“ぼっちキャンプ”の魅力を紹介する。

▽8月2日(水)
#147・148「ユーカリの樹の下で(前編)」

晴れ渡ったオーストラリアの空の下、ひとりぼっちの時間を楽しむヒロシ。肉をじっくりと炙る焚き火の炎のゆらめきを見つめるうちに、自分が放浪の旅人になったような雰囲気に飲み込まれてゆく…。


nice!(1)  コメント(0) 

海の見る夢 №58 [雑木林の四季]

       海の見る夢
           ―神秘の障壁~クープランー
                     澁澤京子
       
7月14日の午前中、銀行に用事があって出かけようとちょうど玄関のドアを開けた時、中庭の工事の音に驚いたチルが私に向かって飛んできて、ちょうど開けたドアの隙間からそのまま飛び出してしまった・・共同住宅のドアは鉄製で厚くて重い。手などをはさまないように配慮してかゆっくりと閉まるようになっているが、そのゆっくりの間に外に出てしまったのだ。あわてて追いかけたがみるみるうちに空に舞い上がってゆくチル。オカメインコはそのユーモラスな顔立ちの割にすばしっこい。時速30キロで鳩と同じ速さで飛ぶ。銀行に行くのをやめて、その日は一日中チルを探したが見つからなかった。チルが飛び去ってから椋鳥の群れが大騒ぎする声が聞こえたが、椋鳥に追いはらわれて、どこか遠くまで行ってしまったのだろうか・・

私の周囲にオカメインコを飼ったことのある人が二人いる(二人とも男性)。二人とも飼っている途中で逃げられてしまったと聞いていたので注意しているつもりだったが、本当にあっという間の出来事だった。出来事というのはほんの些細な偶然に偶然が積み重なって起こる・・前の晩はジャズクラブで友人と思い切り盛り上がったというのに、なんと翌日は、思い切り落胆する出来事が起こるとは。

オカメインコはちょっとした物音に驚いてパニックを起こすことがあるが、今度は私がパニックに。頭の中は真っ白で喉はカラカラ(暑さのせいじゃなく)。こんな思いをしたのは息子たちが小さい時にデパートなどで行方不明になって以来・・まさかこの年齢になってこういう思いを再びするとは・・この辺は椋鳥をはじめ野鳥が多い。「チル~」と呼ぶたびに必ず「ピイ」と返事する鳥が多くて紛らわしい。汗だくになって家に戻ってきたら、チルのために買った夜間用の簡易クーラーが玄関に届いていた・・常に温度調節に気を配り、ビタミン剤を毎日飲ませ、おもちゃとおやつを与え、ミネラルウォーターを飲ませと大切に育てたチル・・厳しい環境の中で大丈夫だろうか?いや、過保護だから逆に家を出たくなったのかもしれない、と我が身を振り返る・・しかし、カラスに狙われたらどうしよう?いつも家でそうしているように、ボーっとして一か所に止まっているのでは?と気が気じゃない。カラスから見たら隙だらけだろう・・チルが逃げてからというもの、カラスを見かけると(別にカラスは何もしてないのに)思わず睨みつけながら歩くようになった。しかし、この辺は椋鳥やキジバトをはじめとして、野鳥のほうがカラスより多いのがせめてもの救い。

チルがいなくなり緊張しているせいか、低血圧で朝に弱い私が、なんと3時か4時にパッチリと目が覚めるようになった。うっすらと明るくなってきたころ、チルを探しにペットボトルの水と双眼鏡を持って、早朝の近所を歩き回る。時折、ウォーキングの高齢者とすれ違う。白々と空が明けたころの仙川には、シラサギ、椋鳥、ヒヨドリ、キジバトなどの野鳥がたくさん集まってくる。カワセミも昨日の朝、川で見た。羽を広げた時のブルーの美しさに思わず見とれる・・日本的なシックな色合いの野鳥の多い中、黄色、オレンジという派手な色のチルは思い切り浮いてしまうだろう。あたかもグレーやブルーのスーツで決めている真面目な集団の中に、一人だけ派手なドレスを着て浮いている人のように。他の鳥からいじめられてやしないか、とかいろいろ心配する。もしチルに出会ったら仲良くしてあげて頂戴ね、と公園の芝で餌を探している椋鳥に心の中で話しかける。

絶望的な気持ちでシスター・キャサリンにメールで報告すると「Dont Give Up!」と力強く励まされた・・シスター(79歳)は今、山形で山伏の修行中。そうだ、やれることはすべてやろう、とポスターを方々に貼り、ネットの鳥迷子掲示板にいくつか載せ、警察に届け・・日中のフライパンを熱したような焼け付く陽射しを避け、明け方と夕方は近所を探して歩く。どんなに疲れても、山伏の修行をしているシスター・キャサリンのことを考え、めげそうな己に鞭打つ。

人間、藁をもつかみたい状態になると何をするかわからない・・なんと、ネットの占いにも頼るようになった私。「チルは帰ってきますか?」と占うと、ネットのタロット占いでは「恋人」というカードが出た。「・・彼はあなたにとても好意を持っています、結婚も考えているかもしれません・・」というまったく的はずれな解説を読み、(結婚ということは、チルが家に戻ってくるという暗示か?)と無理やり曲解して自分を安心させる。焦ると人って何をはじめるかわからない・・

SNSの迷いインコの掲示板では、インコが逃げて悲嘆にくれている人が多く、こういう場合にはしみじみとSNSはありがたいと思う。私の友人たちのたくさんの励ましもうれしいけど、何よりSNSで、同じ辛さを経験した人の言葉は心にしみる・・つらいのは自分だけじゃない・・オカメインコを粘り強く探し続け、一年後にようやく見つけたというフランスの青年の話にはずいぶん勇気づけられた。近所に住む友人が協力してくれているのも実に有難
い・・

たいていの飼育の手引きには「放鳥は一日、一~二時間」と書いてあるが、我が家では朝から晩までずっと放鳥していた。甘えんぼうのチルは一日のほとんどの時間を肩に乗って過ごす。私が坐禅している時は肩に止まってじっとし、頭や首を撫でると目をつむってうっとりしていた・・同居している下の息子の体格がいいせいか、来客の中でも体格のいい人物によくなついていた。慎重な性格なので、肩に乗せたまま宅配便や生協の配達を取りにいっても逃げることはなかった・・日光浴の時だけ、ケージに入れてベランダに出した。ベランダの外の木の椋鳥の群れる様子を(自分も鳥なのに)バードウォッチングしていた・・鏡を見せると驚いてじっと自分の顔をみつめ、それから急に怒って鏡をつついたりした・・オカメインコは音に弱い。掃除機をかける時は驚かせないように、いつも別の部屋にわざわざ移すほど気を使っていたのに・・外の工事のはじまったちょうどあの時、私が玄関を開けさえしなければ…と、いくら悔やんでも悔やみきれない。

ペットを飼ったことのある人だったらわかると思うが、犬や猫、鳥はそれぞれ個体によって性格が違って個性がある。子供の時からいつも犬がいた。すごく聞き分けの良い賢い犬も、マヌケでお人よし?の犬も、人見知りで家族にしかなつかない犬も、みんな個性があってそれぞれが愛すべき存在。鳥好きは同時に何羽も飼っている方が多いが、それでも一羽いなくなれば半狂乱になって探す・・鳥の個性もこの世に唯一の存在であり、「唯一性」というのは、たまごっちやロボット犬と、本物の生物との違いかもしれない。

植物学者の稲垣栄洋さんによると、生物は常に単純から複雑・多様性を目指して進化し、その境界線は連続的であいまいなものであるのに対し(死は生物多様性のために、進化の途中で発明されたものらしい)、人間はバラバラであることを嫌い(みな同じ)の画一性を好むか、反対にカテゴリー分けするのが好きなのだそうだ。つまり、わかりやすくするためにだ。たとえば、均一化では、為政者にとって好ましい全体主義というものがある。(例・ビッグモーターなどブラック企業はまさに全体主義そのものだろう)。脳は単純化を目指すので、脳に依存する人ほど、物事や人の単純化、つまり、同一化かカテゴリー化を好む。・・一般的に、他人をカテゴリー化してわかったつもりになる人間は、自分自身にも率先してレッテル貼りする人が多い(例・私ってA型牡羊座だから~など)・・

つまり、「わかりやすさ」はある意味、偏った頭脳化社会の産物ともいえるだろう、要するに、人の脳は言葉に落とし込み何でも「わかったつもり」で安心したがる傾向がある。植物学者の稲垣さんの『はずれ者が進化を作る』は実に面白くてお薦めの本。勝ち組負け組だの、敵や味方など、常に単純化の方向を目指す人の頭脳の働きと、実際の生物の多様性がいかにかけ離れているものかがよくわかる・・特に脳の情報量が少なければ少ないほど、誤った偏見や決めつけが一層強くなりがちになるのかもしれないが・・

迷い鳥の掲示板を見ると、いろんなオカメインコやセキセイインコの写真がある。(〇〇ちゃん1歳・オス・頭のてっぺんが丸く禿げてます)というコメントと共にある写真のオカメインコ。冠羽がなく、頭のてっぺんがなぜか禿げているが、飼い主さんはおそらくその丸い禿げのためにいっそうそのインコが不憫でいじらしくて仕方ないだろう、(片足の悪いインコです・〇月〇日ベランダから逃げました)を読めば、片足が悪いセキセイインコのことを、飼い主さんはどんなにハラハラと心配しているだろう、と切ない。鳥や動物には自意識がなく自己憐憫という余計なものがないので、頭のてっぺんの禿げなど少しも気にせず機嫌よく飼い主の肩に止まったりするだろう・・だからこそ余計に不憫だし愛らしいのである。

AIはいくらでも「愛するふり」はできるが、本当に人を愛することはない。人がAIより優れているとしたら、「愛」という、まったくコスパの悪い、非合理的で計算不可能な感受性を持つところかもしれない。AIの脅威が言われているが、私は人間のAI化による感受性の鈍麻のほうがよほど脅威じゃないかと思っている。

鳥を探しているといろんな人に出会う。インコの群れが時々来ると言って、暑い中、親切にその場所まで案内してくれたお婆さんもいたし(このお婆さんとは早朝、顔を合わせているうちに、すっかりおなじみになった)、とても親切な対応をしてくれた近所のお巡りさん、ポスターを配りに行くと同情してくれるコンビニの若い店員さんも何人かいて、世の中、優しい人のほうが圧倒的に多い。

明け方の近所の探索から戻って、ベッドで横になってうとうとしていたら、チルの顔が鮮やかにパッと目前に浮かんでそれで驚いて目が覚めた。オカメインコを飼ったことのある方だったらおわかりになると思うが、オカメインコ独特の機嫌のいい時の微笑んでいるような顔。肩に乗せて顔を近づけると、よくチルは微笑んでいた。チルはどこかで生きているということ?それとも・・とネガティブに考えると絶望のどん底に。希望と絶望の交互に訪れる、気分はジェットコースターの毎日。

小鳥にも犬にも猫にも、動物には自意識というものがなくて、無意識の深い部分でダイレクトにつながるので、チルが私を呼ぶ前に、チルが私を呼ぶのがわかることが時々あった。「愛」に関しては、動物は純粋で、人よりずっとレベルが高いんじゃないだろうか。だからインコが逃げてもいつまでもあきらめきれない人が多いのだろう・・鳥や動物と人との透明な関係と比べると、人間関係がいかに不透明であるのか、逆にわかる。

チルがいなくなってから日にちの感覚がなくなり、今日が何曜日なのかはメールやラインで初めてわかるという状態、いてもたってもいられないのでとにかく外を歩く(暑いので一日に何度もシャワーを浴びるはめに)もちろん、落ち着いて本を読むことなどとてもできない、かといって、長時間、家を空けられない(いつ帰ってくるかもしれないので)うとうとするとチルの鳴き声が聴こえたような気がしてガバッと起き上がる(まずい・・幻聴か?)

迷い鳥サイトで知り合った方から教えてもらった警視庁の落とし物サイトを一日に何回も見る(逃げた鳥や動物は落とし物扱い。)急に思い立ち、ポスターをさらに増刷しにコンビニに行く、ついでに新たな場所に貼りに行く・・迷い鳥サイトを見ると、何年もこうして根気強く探している人は決して少なくない。犬と人間の関係は、友人同士という感じだが、鳥と人の関係は、恋に近いかもしれない。

シスター・キャサリンをはじめ、大勢のシスターたちがチルのために祈ってくださったが、なんて幸せな鳥なんだろう!そして、「幸せ」は決して閉じ込めたり独占したりできないように、チルは自由を求めて飛翔したのかもしれない。本当に幸福なとき、人は自分の幸福にはまるで気が付かないものだ・・幸福が逃げたとき、初めて人はそれが幸福だったことに気が付くのである。

チルはケージにこそ閉じ込めていなかったが、部屋全体が檻のようなもの。ベランダで日光浴するたびに入れられた狭いケージの中から、自由に飛び回るキジバトや椋鳥たちを羨ましく眺めていたのかもしれない。じっと庭を見ていたチルの小さな黄色い後ろ姿が今でも目に浮かぶ。カラスに襲われたり厳しい自然や環境に生きるリスクを冒してでも、大空を自由に飛びまわりたいか、安全、快適な狭い室内で退屈な日常の繰り返しを送るか・・鳥は安全や快適な環境で長生きするよりも、ずっと自由に飛翔するほうが好きだろう。

おとといの夕方、うちの近所で、チルによく似た鳴き声がやたらと聴こえてくる欅の大木があった。樹上を見上げて「チル~」と呼ぶと、生い茂る葉の間からバサバサっと緑色のインコが飛び出してきてすぐ真上の電線に止まった。頭の丸い緑のウロコインコ。さらに呼んでいるとオカメインコが出てきて遠く離れた電線に止まった。夕暮れ時、しかも遠いのでチルかどうかはわからないけど、冠羽のあるほっそりしたシルエットはまさにオカメインコだった。オカメインコは高い電線の上からしばらくの間「チル~」と叫んでいる私のほうを見下ろしていたが、やがてウロコインコとともに、夕暮れの空の向こうに飛び去って消えた。チルはまだ未成年だが、もうウロコインコのボーイフレンドができたのか?・・その様子を見ていた通りがかりの中年女性が、その欅の大木にはインコの群れがよく来るということを教えてくれたので、毎日見に行くが、あれからインコの姿は見えない。ウロコインコは抜群に頭がいいらしい(三歳児の頭脳を持つといわれている)が、もし、連れのオカメインコがチルであるのなら、どうぞカラスなどの外敵からチルを守ってください、二人で仲良く助け合ってね・・と祈るような気持ちに。チルは一人ぼっちじゃないと、と少しホッとしたのである。

それでも、相変わらずチルを探して電線や木の上を見上げながら歩き、色や形が少しでも似ていると何でもチルに見えてしまう未練たっぷりの私。玄関のドアの隙間からするりと抜け出したチルが、夏の青空に舞い上がってゆく姿は本当に堂々として美しかったのである。

 ※最近、よくチルと一緒に聴いていたのが、クープランの「神秘の障壁」。愛らしく軽やかな、ロココ調エレガンスのこの曲は、薔薇の花が大好きだったチルにふさわしい。


nice!(1)  コメント(0) 

住宅団地 記憶と再生 №18 [雑木林の四季]

12.ブリッツの大団地(馬蹄形団地)GroBsiedlung Britz(Hufeisensiedlung)(Britz.Fritz.Reuter-Allee,Husung,Onkel-Braisig-Str.u.a.12359Berlin)
 
       国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

円弧をえがく馬蹄形住棟

 フリッツロイター通りに面した団地入口は、右に管理事務所、左は「蹄鉄レストラン」と壁書きしたクロアチア料理店があって石段となり、石段をおりると小さな広場があり、大きな中庭につながるその空間は、団地住民にとって祭りや音楽会などのイベント会場となっている。入口に立って見下ろすと、直径100メートルもあろうか捨鉢状をした大きな窪地、真ん中に卵形の池とまわりに白樺の木立ち、スロープは一面の芝生である。それをとりまいて約350メートル、3階建て住棟が切れ目なく円弧をえがき立ち並ぶ。住棟と窪地とのあいだは、草花あり樹木ありの緑地帯をなしている。住棟に接して住人専用の庭が幅25メートルほど、背丈より高い生け垣にかこまれ、生け垣にそって幅1メートルあまりの回遊路がめぐる。長い馬蹄形住棟の外周リングと広い中庭をむすぶ潜り通路は3か所ある。レストランの大きなガラス窓からはその全景が一望できる。
 住人専用の庭はやや下へ傾斜しているが、3段平らに整地、区分され、同じ階段の6世帯が使えることになっている。専用にして、かつ同じ階段どうし共同の場づくりが意図されている。しかしいまは、地階をとおって庭に出るのはおっくうだし、だれか庭の好きな人が手入れしていてくれて、自分は見て楽しむだけという住人も多い。玄関は外周の側にあり、その扉のデザイン、色彩はじつに多様、個性的に仕上げられ、わが家の入口を間違えようもない。馬蹄形の住戸の面積は平均約60㎡、2階建て長屋の平均80㎡にくらべて狭く、間取りもリビング・キッチンとバス・トイレにlないし2部屋と簡素ながら、窓を大きくとった居間とバルコニーは中庭に向いていて、部屋からは日々眼下に折々の花咲く個人の庭を、その先には共同の広場に池と白樺の木立ちを眺め、ときには散策する。まさに私的居住、近隣共同の花壇や菜園、公共の広々とした中庭と3層からなる「戸外住空間」の壮大な実現といえよう。

菱形にならぷ三角屋根の長屋

 馬蹄形住棟の西に「ヒューズング」とよばれる菱形の庭園がつながり、庭園を菱形にかこんで、またそのまわりの南北に、全体として壁面が赤褐色の2階建て、出窓のある三角屋根の連続家屋がひろがる。この庭園をめぐる風情は、フアルケンベルクのニセアカシアの並木道とどこか共通の思いをよみがえらせる。ヒューズングは、通りの名である作家フリッツ・ロイターが描いたドイツの古い村落の草地にちなんだともいわれる。馬蹄形といい菱形の発想といい、またニセアカシアの並木道も、タウトが近代的な都市居住と生地への郷愁なのだろうか田園生活との融合のイデーを、いかに実現しようとしたかが、これらの団地設計からうかがえる。
 三角屋根の長屋住戸の規模は一様ではないが、馬蹄形住棟よりは広く、ゆったりした感じで、外壁の色彩もファサードの意匠もタウト調にあふれている。それぞれ数十メートルの長屋が、わずかなズレをみせて100から200メートル近くつづく。2列がペアになって平行に、あるいは変化をみせて北側に6列、南側に8列、はぼ南北に並んでいる。各戸に専用の庭、住横間にある共同の空き地、子どもの遊び場など公共の広場と「場の仕切り」があるようだ。カラマツや白樺などの木立ちのなかにあって、農村に似たたたずまいを垣間見せる。
 ブルーノ・タウトの作品でわたしが最も鮮烈な印象をうけるのは、構造がシンプルななかにも細部にはどこされた意匠とその豊かな彩色である。中庭からみた馬蹄形住棟は白い壁面、外周も白を基調に上部は深いブルーで統一し、玄関扉や窓枠は多様なデザインと、白、黄、赤、青緑色とカラフルな彩色で個性化している。いつまでも見飽きない。2階建て三角屋根の連続家屋については、壁面は濃い赤褐色を基調にしながら、ファサードをふくめデザイン、彩色に見た目の統一性を意図したとは感じられないが、タウトの美学にあふれている。

 第2次大戦の被害は比較的少なかったにせよ、建設されて世界遺産の登録申請まで60年以上経過しており、躯体・設備の劣化、住人による造作、その原型復元はいうまでもなく、いま見る色彩が原型なら、塗料や漆喰のはげ落ち等の復元はどんなに困難をきわめたか想像しがたい。幸いこの団地の住人は総じて原型を勝手に変えることに反対し、以前から「保存会」ができていたという。世界遺産に登録されるには原型復元が条件であり、登録後も原里保存をきびしく義務づけられているはずである。
 団地の修復は、1970年代にとくにタウトの特徴的な色彩建築の復元を目的にはじめたものの、原型の分析と使用材料に誤りがあったようであり、80年代半ばにいたって、池に面したバルコニーの塗り替えを手はじめに、しかし本格化したのは2000年からであった。
 2000年まで団地の所有は、市営住宅会社のゲハーグ社であったが、馬蹄形部分は世界遺産のシンボルなので、この部分だけを、ゲハーグ社を買収したドイツ住宅会社DeutscheWbhnenAGに移して賃貸住宅のままとし、679戸のテラス住宅その他は民間に売却された。しかし世界遺産の住宅であることに変わりはなく、きびしい管理・規制をうけており、そのデメリットと、世界遺産であることによる資産価値上昇のメリットのあいだで、所有者たちの心情に揺らぎがあるようだ。わたしが会った人たちはみな、世界遺産としてわが家を守りつづけることに誇りをもっていた。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂



nice!(1)  コメント(0) 

地球千鳥足Ⅱ №28 [雑木林の四季]

グレイト・マザー

       小川地球村塾村長  小川律昭

 ジルJilは、私がアメリカへ来た時の英会話の教師でああった。彼女は大学を出てすぐ語学学校の教師として就職、日本人の多い会社に派遣され英語を教えていた。私の最初の教師だったので印象に残っているが、ほっそりして蝋人形を思わすような表情だった。彼女は就職して二年後には会社を辞め、故郷に帰り、再び学生へ戻ったと開いていた。当地でいうバック・トゥー・スクールである。専攻のフランス語は近郷大学の大学院で、英語は地元の大学の教師過程で再学習を試みたようだ。同大学のESl(第二外国語としての英語)の学生に英語を教え、そこで日本人学生と知り合い結婚した。その彼は東京下町で金属部品の卸業を営む会社の御曹司、私費留学の坊ちゃんといった風貌であった。大学卒業後はシカゴで自社の支店を設立し、そこに残るような話であった。ジルとは英会話の師弟関係として恋に発展したのだろう。日本に行く時に我が家に挨拶に来てくれたことを覚えている。
 今回八年ぶりにジルに出遭った。ダウンタウンで行われたオクトーバー・フェスティバルでばったりと。奇遇以外に何ものでもない。毎年十月、三日間にわたって広範囲の路上が歩行者天国になり、見渡す限り売店が続く。ショーや出店は数ブロックにかけて縦横に広がっており大変な人出。同時刻に同じ通りを歩いていたのは、三日も行われることを考えればまったく不思議な出会いであった。しかも我々はこの地に来て八年目に初めて出かけたそのたった一時間のぶらつき、ジルはといえば離婚して日本から帰ったばかりで、彼女の出た大学所在地、シンシナティの友達を八年ぶりに訪れて、そのついでにこのフェスティバルを見に来たのだった。学生に薦められたのか、一度は行って見たいとワイフが言うので、たまたま出かけた時に遭ったのだから縁があったのだろう。

 声をかけてきたのはジル、乳母車に赤ん坊を乗せていた。開けば赤ん坊の父とは別れた、今は故郷のフィンレイで英語教師をしているという。離婚の経緯は語らぬが、「自分が間違っていた、相手を見る目がなかった」と述懐した。日本には二年住んで彼のお母さんにはよくしてもらったが、ほどなく父親の会社は潰れ、夫の生活は荒むばかり、ついに彼女は大きなお腹を抱えたまま離婚を決意し、アメリカに帰って来たという。
 その後、彼女を訪ねてその生活の堅実さ、達しさ、したたかさに驚いた。三十歳を過ぎたばかりだが、実家近くに家を購入し、生徒三十数人を抱えた立派な英語学習塾の経営者である。経営術は、かつて語学学校で教えていた時の経験を生かしたのだろう。母強し、の見本を見たようだった。じっとしていない子供を叱り、なだめながら我々のために晩餐を作ってくれたことが強く心に残っている。

 ジルと似たようなケースで踏んぼっている日本人の多加子さんがいる。彼女は若い時から海外志向であった。それは父親が貿易の仕事でアメリカを行き来していたせいもあろう。日本の一流私立大学を卒業してから、留学することに何の不安もなく、当然の結果のように十年強をオハイオ州の大学院で学んだのである。今の仕事は大学助教授、女一人で海外で生活出来たのは父親の手厚い経済的な援助があったからであろう。両親は彼女の将来を気遣ってか頭金二〇〇〇万円を与えてアメリカに住宅を購入、残りを彼女自身の甲斐性で支払っていくようにと助言を与えている。それが九年前の三十三歳、博士号を取得して教職を得たころであった。彼女は若い女性らしからぬひょうひょうとした性格であったが、気さくで自分の授業風景をワイフに参観させるなど、親切な人柄でもあった。

 ある時我が家に招待したら、「男性と同棲している」と聞かされた。「ご一緒に歓迎したのに」とワイフが言うと、「彼が気を遣ったんです」と。なんのことかと思ったが、我々が「黒人と同棲している」ことを聞き及んでいると思っての発言だったようだ。そのうち彼女が黒人の幼児を連れて勤務先に来ることを伝え聞き、その後、その同棲者と別れた、とも開いた。四十二歳のシングル・マザーここにも。子供は日本人と黒人の血を引き、アメリカの地で彼女がこれから育てるのだ。
 四十歳近くまで一人で生きて来た過程で、結婚するといっても身近に簡単に相手が見つからず、孤独感にさいなまれる夜が多かったことだろう。老いてからの孤独に耐えられない自分を想像して、子供が欲しかったのだろうか。この社会、実力社会ではあるが、黒人と有色系の混血は社会進出にまだまだ困難が待ちうける。
 教養とステイタスを得ている彼女であり、惚れた腫れたの年でもない中年女性。ひょっとして愚かさではなく異文化の中で一人の女が生きるための知恵であったのかも知れぬ。少なくと老いての孤独からは解消されるだろうから。

 日本人女性の多くが単身で海外に渡航し、その多くは留学生として学び、特にアメリカ留学生の数では女性が男性を凌ぐ。その多くが現地で結婚している。日本企業で働く女性を見かける限り、外国人との結婚が驚くほど多い。逆に外国の女性と結婚する日本人男性は少ない。彼女たちは日本と違うこの自由な環境とカルチャーに魅せられて留まることを決意したのだろう。一回限りの人生、将来に自分を賭けてみるって素晴らしいことではある。多加子さんを温かく見守るつもりである。

 ジルと多加子は幼い子供を抱えて厳しい現実に耐え、乗りきっていかなければならない。境遇はその人を支配し人を変える。一般的には境遇が厳しければ厳しいほど強くなるもの。だが疲労困憊、落ちこぼれてしまう者ももちろんいる。本能以上の強い力で生きていく母親であってほしいと心から願っている。
                            (二〇〇〇年六月)

『万年青年の為の予防医学』 文芸社



nice!(1)  コメント(0) 

山猫軒ものがたり №21 [雑木林の四季]

 囲炉裏とかまど 1

        南 千代

 新しい山猫軒は、築後約百十年経つ民家である。造りがしっかりしていたため、ほとんど修理の必要もなく、越してくるとさっそく私たちは、持ってきた山猫軒の表札を出した。
 越生町は、池袋から電車で七十分。人口約一万三千人。奥武蔵の山々を背に関東平野の外れに位置した、梅と柚と林業の町である。
 ここ龍ケ谷は、越生駅から車で二十分。約五十戸の家が散在する山里だが、私たちが住む入組(いりぐみ)は、龍穏寺周囲に九戸の家が龍ケ谷川に沿って並ぶ、小さな集落だ。

 シュン、、ジュン、シュン。囲炉裏で、鉄瓶が白い湯気を立てている。かまどでは、薪が勢いよく燃え、釜の蓋の間からブクブタと泡がふいてきた。おいしいご飯が炊けそうだ。かまどの横には手押しポンプ。井戸から水を汲み上げる。
 新しい山猫軒には、ガスが入っていなかった。数年前まで住んでいたおじいさんとおばあさん、つまり大家の両親が年老いた身にはかえって危ないと、ガスを入れないで暮らしていたためだ。暖房は囲炉裏に掘ごたつ、風呂も薪のボイラーだった。
「ガスのない生活、つてどんな暮らしかなあ。不便じゃなかったのかしら」
 私が想像していると、夫が言った。
「慣れてれば、そんなことないだろ。昔はみんなガスなんてなかったんだよ」
 そう言われてみれば、そうだけど。
「しばらくこのまま、ポクたちもガスを入れないで暮らしてみる?」
 また、いつもの好奇心が頭をもたげてしまい、私は夫に同意した。大変だったら、すぐにプロパンガスを入れればよいことだ。
 囲炉裏とかまど、薪ストーブを駆使しての台所仕事は、思った以上に合理的だった。火力がほしい妙め物は、薪の火の強力な熱カロリーで見事に調理できる。場げ物は、細い薪で火を調節する。
 二升釜で炊くご飯の味も最高。ただ、これは少量は炊けないので、二人家族の私たちにとって、二食目からは冷やご飯となる。ふかし直す、妙める、雑炊にするなど工夫する。田舎家は、大家族向きに出来ているので仕方ない。
 煮豆など、とろとろ煮込む料理はストーブの上で。鍋はいつまでもさめないよう囲炉裏の自在かぎにかけて、下では魚を焼く。
 セットさえすれば炊き上がる電気釜や、火力の調整がつまみひとつで一定に保てるガスコンロと適い、僻の火は足したり引いたり、こまめな火の概括が必要だ。しかし、その手間をおしみさえしなければ、料理は薪の方がおいしくできる気がする。
 薪で沸かす風呂も時間はかかったが、肌にまったりしたいい湯だ。寒い冬の夜、この家で全身を暖めることができるのは、熱い風呂だけである。
 囲炉裏は、体の表側だけは熱いが裏の背中は寒い。掘ごたつは、下半身は暖かいが上半身は冷たい。越してきた最初の夜、あまりの寒さに眠れなくて、私たちは掘ごたつに足元が入るように布団を敷き直し、ようやく寝た。
 家は、下駄箱や文机の中も、たんすの中も仏壇も、炊事場の牛乳瓶も、すべてが暮らしの途中で一時中断されたままの状態で、老夫婦は明日にも帰ってきそうな気配だった。
 実際、彼らは高齢ゆえに体調を崩し、家主である長男の家に引き取られていったのだが、本人たちは、元気になったらまた帰ってくるつもりで出たのではないだろうか。
 そう思うと、家族みんなの名がある表札や、部屋に飾られた賞状や、棚の上に大事に置かれた古いラジオも、外す気になれない。このままにしておかなければ悪いような気がした。
 大家は、不要なものは自由に処分するように言ってくれたが、結局、テーブルや椅子やベッドなど、これまでの暮らしで使っていた私たちの家財道具は、隣の毛呂山町に小さな倉庫を借りて入れておくことにした。
  暮れには、家を紹介してくれた鶴先生の所で一緒に餅をつかせてもらった。夫は、この地域独特の縦型のしめ縄作りも習い、自分で作った。縄をない、途中にワラの手を縦左右に二本出す。紙でできた四手もはさみこむ。これを二本作って、玄関の左右に飾るのだ。
 地元の人が、お正月さまと呼ぶお札も配られてきた。ここでは、龍ケ谷・入組の一員として今度は、組づきあいもすることになっていた。
 大晦日の夜。神棚の灯明に火をともしたついでに、横にある古いラジオのスイッチをひねってみた。ザージージージーキューン、くぐもった雑音の中からアナウンサーの声が出てきた。
「今年の紅白歌合戦は、……ザーザーザー……今、優勝旗が手渡されて……ジージー……」
 私はあわてて夫を呼んだ。
「ねえねえ、昔の紅白やってるよ。昭和何年頃のだろうね? おもしろいね」
 背伸びしてつまみを回しながらチューニングしている私に、夫が言った。
「それ、今の番組だよ」
 この二週間ほど、文机の中に昭和二十五年の出納帳を見たり、裁縫箱でエボナイトの万年筆を見つけたり、手押しポンプで水を汲んでいたおかげだ。私の頭の中まで時代錯誤を起こし、一瞬、古いラジオからは古い番組が流れてくるのだと、思い込んでしまっていた。
 龍穏寺から、除夜の鐘が聞こえてきた。猫のウラもようやく新しい山猫軒に慣れたようだ。

『山猫軒ものがたり』 春秋社



nice!(1)  コメント(0) 

BS-TBS番組情報 №285 [雑木林の四季]

BS-TBS 2023年7月のおすすめ番組(下)

       BS-TBSマーケティングPR部

美しい日本に出会う旅

284美しい日本に出会う旅_松下洸平島根.jpg

毎週水曜よる9:00~9:54

☆ボクたちと一緒に、出かけましょう。

旅の案内人・語り:井上芳雄、瀬戸康史、松下洸平

井上芳雄、瀬戸康史、松下洸平。3人の気ままな旅人が、あなたを美しい日本にいざないます。
花咲く春。青葉が繁る夏。紅葉に色づく秋。雪景色の冬。移ろう季節とともに表情を変えるふるさとの海や山。一度は見たい絶景と美食を堪能しましょう。
どこか懐かしい町並やかわいい手仕事。日本が誇る世界遺産に国宝の数々。大興奮の祭りに、温泉めぐり。美しくて美味しい日本を楽しくご案内します。
お気に入りのおやつとお茶を用意したら…ボクたちと一緒に、出かけましょう。

▽7月19日(水)
#399「松下洸平が行く!出雲 前編 初体験!しじみ漁・民藝の器・美人湯」
旅人:松下洸平
語り:瀬戸康史
松下洸平さんが旅する島根の旅・前編。
旅は宍道湖からスタート。初めてのシジミ漁に挑戦するも想定外の力仕事。
果たしてシジミはとれるのか?
漁の後はシジミと天然ウナギを堪能!
さらに玉造温泉では足湯やキレイになれる不思議なお地蔵様に手を合わせます。
エッグベーカーで知られる湯町窯で美味しい卵を頂いたら絵付けに挑戦。
日本三美人の湯で知られる名旅館では丁寧に作られた料理に舌鼓。
瀬戸康史さんのナレーションでお届け!

▽7月26日(水)
#400「松下洸平が行く!出雲 後編 癒しの奥出雲と秘密のパワースポットめぐり 」
旅人:松下洸平
語り:瀬戸康史
松下洸平さんが旅する島根の旅・後編。
美しい棚田が広がる奥出雲で初めての蕎麦打ち体験。自分で打った出雲蕎麦のお味は?
さらに、棚田でとれた仁多米の美味しさに悶絶!
絶景が自慢の「鬼の舌震」では吊り橋を渡り、鮎の塩焼きをガブリ!
そして、この旅最大の目的地、出雲大社へ。
境内をじっくり巡ったら、秘密のパワースポットへ。
そこには神聖な雰囲気をまとった巨木が!
瀬戸康史さんのナレーションでお届けします!

木曜ドラマ23「怪談新耳袋 暗黒」

284怪談新耳袋暗黒.jpg

7月27日スタート
毎週木曜よる11:00~11:30

☆数々のジャパニーズホラー作品に多大な影響を与えた「新耳袋」。
  その映像作品が今夏、10年ぶりに帰ってくる! 

原作:「新耳袋 現代百物語」木原浩勝・中山市朗(角川文庫)
脚本:加藤淳也 佐藤周
監督:鈴木浩介 佐藤周 川松尚良
プロデュース:丹羽多聞アンドリウ(BS-TBS)、山口幸彦(キングレコード)、後藤剛(シャイカー)
製作:怪談新耳袋 暗黒 製作委員会

ジャパニーズホラーのテレビドラマシリーズとして映像や心理的な恐怖に加えて、理屈の通じない恐怖、視聴者の想像に委ねる演出が高い支持を集めてきた「怪談新耳袋」。
今回は、”闇“をテーマにした新作8本を製作。
1話10分で構成される4話完結の連続ドラマと10分のオムニバスホラー(短編集)4本を放送。
また、これまでに放送した作品の中から、選りすぐりの傑作選も放送を予定している。

▽7月27日(木) 「病院に来た子供」
監督:鈴木浩介
脚本:加藤淳也
出演:菅田愛貴(超ときめき♡宣伝部)、速瀬愛、吉岡千波、高嶋杏、新谷心採

あらすじ
ポーンポーン……真夜中の病院に響く毬の音。
ある晩、入院中の女子高生、葉山涼花(菅田愛貴)は、
毬を手にしたおかっぱ頭の少女(新谷心採)に出会う。
それがすべての恐怖の始まりだった。
涼花にしか姿が見えない少女に指をさされた者は、24時間以内に死ぬ……。
少女はいったい何者なのか? 何が目的なのか?
そして、次に指をさされるのは誰か?
今夜もまた真夜中の病院に毬の音が響く……。

こちら歴史ミステリー旅行社
~徳川家康 天下取りの謎解きツアー~

284こちら歴史ミステリー旅行社.jpg

2023年7月30日(日)よる9:00~9:54

☆旅情感にあふれる新たな歴史謎解き旅番組!
ナビゲーター:要潤(旅行会社HMTA企画部員役)
歴史アドバイザー:河合敦(多摩大学客員教授)
ナレーター:高島礼子 (旅行会社HMTA社長役)
ナレーター:神尾晋一郎

歴史の謎解きツアーを専門とする旅行会社HMTA(Historical Mystery Travel Agency)。
その企画部員(要潤)がツアー企画の取材をするという展開で、毎回テーマとなる偉人や歴史的な出来事に関する所縁の地を訪ねて行き、そこに潜む謎を自ら解き明かしていくという、旅情感にあふれる新たな歴史旅番組。
今回のテーマは「徳川家康はなぜ天下を取れたのか?」
その秘密を探りに、アドバイザーの河合敦教授とともに、家康ゆかりの地へと赴く要潤。
愛知県では家康生誕の地・岡崎へ、岐阜県では天下分け目の地・関ケ原へ、静岡県では家康晩年の地へ。
この3か所を巡る旅を通して浮かび上がってくる、家康が天下を取れた真の理由とは?
エンディングでは、旅の下見を終えた要が、これぞという2泊3日の旅のプランを作成して紹介。
果たして、どんなプランが出来上がるのか!?



nice!(1)  コメント(0) 

海の見る夢 №57 [雑木林の四季]

          海の見る夢
         -夜のガスパールー
                 澁澤京子

    ~おお夜!おお生気を与える暗黒! ~ボードレール

 ずいぶん前に、友人Sと京都旅行に行ったときのことだ。鞍馬神社から鞍馬山を登り貴船神社まで下りて、夕食ににしんそばを食べたことがあった。川床料理の季節がとっくに過ぎた晩秋の夕方は暮れるのが早い。真っ暗な山道をバス停まで小走りに歩いている時、ふと、京都には漆黒の闇というものが存在する、と思ったことがあった。まさに漆黒の闇のように、背後に山の気配があった。それは東京にはすでに失われた、古い都市にしかない独特の闇といったらいいだろうか。京都や奈良、高野山あたりの関西のうっそうとした自然と、関東近辺の自然とはぜんぜん雰囲気が違う。関西の山には、いまだに天狗のような魑魅魍魎が息を殺してひそんでいそうな、古色蒼然とした神秘的な雰囲気があるのである・・京都がいつも観光客に魅力的なのは、他の土地にはない、こうした漆黒の「闇」をいまだに抱えているからだろうか。

関西の人が京都弁、大阪弁を大切にする気持ちもわかるのは、標準語に比べるとずっと人間的な柔らかさを持っていて、洗練されているからだ。(義太夫の稽古は、まず、生粋の大阪弁の習得からはじまるという)

爛熟した都市文化から、デカダンスが生まれる。19世紀末パリの、ボードレールの「悪の華」の闇の対極にあるのは、地中海的なギリシャ的な煌めく陽光だが、そうした「闇と光」というくっきりとした二項対立ではなく、京都の闇と対になるのは、ぼんぼりの灯りのような、今にも消えそうなほのかな明るさで、闇と光の境界線があいまいであり、その闇はトンネルのように無限に続いてゆく感じなのである。

そしてまた、女性性と男性性の境目をあいまいに生きた、甲斐庄楠音の絵にも底知れぬ無限の闇がある。

はじめて甲斐庄楠音の絵を知ったのは、久世光彦さんのエッセイだったと思う。二人の少女が向かい合って日本舞踊を踊っている絵で、背景は吸い込まれそうな漆黒の闇。すごく怖いのである・・怖くてグロテスクだけど、なぜか目を離せなくなるのは、蕭白の絵と同じ。京都近代美術館から甲斐庄楠音の画集を取り寄せてみたが、やはり不気味な絵が多い・・不気味なのに、なぜか魅入られてしまうのである・・

甲斐庄楠音。お公家さんの家に生まれ、子供の頃は京都御所で育つ。京都一中を中退し、美術学校に通い、日本画ではめきめきと頭角を現すが、『穢い絵』と酷評され(酷評したのは土田麦僊らしい)日本画壇からは追放され、やがて溝口健二の映画の時代考証、着物のデザインや着物の着付けを担当するようになった。(何しろお公家さん出身なので、着物のデザインにも着付けにも抜群のセンスを持っていて、彼のデザインした『雨月物語』「溝口健二監督」の着物はカンヌ映画祭で評判となる)

You tubeで拝見した井上章一さんのお話によると、甲斐庄楠音の若いころの京都では、お公家さんや老舗の大店の家のお坊ちゃんはほとんどが大学に進学しなかったという、中学を卒業したらあとは適当に家で勉強して家業や家を継げばいいということで、要するに、生計をたてるために男子が就職する習慣というものが、その頃の京都のブルジョワ階級にはまだなかったのだ(歌舞伎に出てくるような、生活力のない若旦那がまだ結構いたのだろう)・・甲斐庄楠音には、そうした出自と関西独特の文化背景があった。

それにしてもあの異様な感じは何だろう?やはり、実物を見てみないとわからない。東京駅ステーション美術館で開催されている「甲斐庄楠音の全貌展」を観に行く。画集では知っているが、実物を見るのは初めて。着物の微妙な色合いとか、画集より実物のほうが断然美しい。「幻覚」「島原の女」「舞ふ」など不気味な絵も展示されているが、色彩の美しさのほうが圧倒して画集で観るほど怖い感じはない。「肌香(はだか)」とは甲斐庄の造語らしいが、本当に女の脂粉の匂いが漂ってくるような皮膚の質感と艶めかしさなのである。女形に女装した甲斐庄のたくさんの白黒写真も展示してあった。お雛様のような瓜実顔の美少年だった若き甲斐庄には、女装がとてもよく似合う。

・・美人画のすべては男に詩想された女である。女を描くために描かれた女である。女そのものの心のうちに溶け込んで、女の純粋な姿なり情なりを、あるがままに現はしたもの歌麿の如きは無い。・・「浮世絵を見る」甲斐庄楠音

歌麿を尊敬していた甲斐庄は、女を内側から描くために女装した・・彼の描く女が、圧倒的に艶めかしく、そしてまたグロテスクなのは、あくまで「あるがまま」の女を描いたからだろう。甲斐庄の絵には、聖なるものと同時にグロテスクも描いてしまうカラヴァッジョにも通じるものがある。グロテスクでエロティックでありながら、際どいところで下品にならないところも、カラヴァッジョに似ている。

岸田劉生の「汚いものは汚いまま描く」は当時の日本画ではまだ通用しなかったのだ。

展示された作品の中でもひときわ存在感があったのは、彼の母親の肖像画だった。いかにもお公家さんらしい長い顔立ちとふくよかな体系・・(東山千栄子に似ている)その肖像画を見ただけでも、甲斐庄が母親の大きな存在に圧倒されていたことがよくわかる。

・・何者かにひれ伏して祈りたい心、何者にも反抗して荒れ狂ひたい心、この二つの心が絶えず私の生活を苦悩さす。私の絵がともすれば暗くなったのは、これに起因しているようである・・甲斐庄楠音

あえて「穢い絵」と言われるような日本画を描いたのも、甲斐庄の日本画壇に対する反抗だったのかもしれない。新藤兼人のエッセイによると、溝口健二は酔うとサディスティックに、甲斐庄をいじめたが、そのたびに甲斐庄は、言い返すこともせず、決して怒ることもせず、ぬらりくらりと溝口健二の攻撃をひたすら受け身でかわしていたらしい。もしかしたら、溝口健二は、甲斐庄の性格の複雑さとつかみどころのなさに、イライラしたのかもしれない・・私は甲斐庄のそういう態度に、千年以上も細々と続いたお公家さんの古い血の、決して正体をつかませないしたたかさというものを感じるのである。(反抗心と従順)そうした矛盾は同時に、古い都に生きる京都人のしたたかさでもあるのかもしれないが。

2019年に京都撮影所で発見された甲斐庄のデザインした着物も今回展示してある。斬新な洒落たデザインで、彼が子供の頃に過ごした京都御所近辺の華やかな雰囲気を連想させる。何冊ものスクラップブックも展示してあって、切り取った好きな写真が貼りつけてある。三島由紀夫、ボンドガール、ショーン・コネリー、高倉健、外国人女性の水着写真が多いが、加賀まりことオードリー・ヘプバーンの横には「妖精」という文字が貼ってあった。

小さいころから歌舞伎と文楽が好きで芝居に通い詰めたという甲斐庄。女装趣味は、芝居好きとも関係があって、実際に素人歌舞伎にも出演していた。子供の時から南座に通っていたので行く度に「坊ん、おいでやす」といい場所に案内され、女形の雀右衛門のファンだったという。

彼の絵の持つ独特の闇は、京都という古い街の持つものであり、彼の古い血筋にあるものであり、そしておそらく歌舞伎からくるものでもあるのだろう・・歌舞伎の明るい舞台の裏側には、なぜだか深い闇が果てしなく広がっている感じがするのだ・・

猿之助事件で、その存続まで危ぶまれはじめた歌舞伎。そもそも歌舞伎という芸能が、文部省推薦のような健全なものではなく、成熟した退廃的な、エロティックでグロテスクな美を持っているものなのだ。修身の教育的効果を狙った文部省唱歌よりも、童謡のほうが芸術的に優れたものが多いのは、やはり子供の歌に「道徳」を盛り込むことを拒絶したからではないだろうか。

ナチスは「退廃芸術」としてモダニズムや現代美術を追放したが、日本の場合「セクハラ」で古典芸能も、芸能もつぶしてしまうんだろうか?

「美しい日本」と言いながら、実は日本の伝統芸能なんかどうでもいいと思っているとしか思えない。歌舞伎や文楽、落語といった伝統芸能を支えてきた江戸時代の庶民のほうが、今の日本人よりもずっとセンスがよくて分別も持っていたのではないか、と思う。

ロマン主義で、怪奇趣味のあったラヴェルの「夜のガスパール」は甲斐庄楠音にふさわしい。ロマン主義者がそうであったように、甲斐庄楠音は完全な「夜の住人」だったのだ。都会から闇が消えれば、ロマンもまた消えてゆくのではないだろうか。

※澁澤さんのインク「チル」をさがしています。
澁澤京子2.jpg



nice!(1)  コメント(0) 

住宅団地 記憶と再生 №17 [雑木林の四季]

12.ブリッツの大団地(馬蹄形団地)GroBsiedlung Britz(Hufeisensiedlung)(Britz.Fritz.Reuter-Allee,Husung,Onkel-Braisig-Str.u.a.12359Berlin)


       国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

 アレキサンダー・プラッツ駅からU7で約30分、パルヒマーアレ一駅を地上に出ると眼前にブリッツの大団地(馬蹄形団地)があらわれる。公共交通の駅に近く、歩いてもすぐというのは、ここだけではなく世界遺産の6団地すべてに共通している。アクセスの便もユネスコ評価のポイントの一つであったにちがいない。
 この地はベルリンの南東部にあたる。1924年にベルリン市が大団地の建設にのりだし、資金援助を決定すると、ゲハーグ社はブリッツの旧騎士領の土地を購入し、25年から30年にかけて29ヘクタール余に1,963戸を建設した。設計はブルーノ・タウトとマルテイン・ヴァグナ一、屋外設計はレベレヒト・ミッゲである。ベルリンはもともと沼地に発達した都市であり、タウトはブリッツの原生の地形と自然を活かし、真ん中に池のある大きな窪地をめぐって馬蹄形に住宅建設をし、その特徴を団地名にした。
 まず目につくのは、城塞のような長い建物。パルヒマ一通りと交差して南北にはしるフリッツロイター通りに沿って西側に、屋根裏部屋の見える3階建て、鮮やかな赤褐色の建物が城塞のように、一駅手前のブラシュコアレー駅近くまでつづく。その距離1キロメートルはあろう。その中間に途切れて蹄鉄の開口部にあたるところが団地の入口になっている。入口から見下ろす窪地が大きな中庭となって、両端から白亜の3階建て住棟が馬蹄形に円弧をえがき、団地のシンボルとしての威容をしめす。その西には、団地第3の象徴、「ヒューズング」と呼ばれる東西に長い菱形の庭園を型どって2階建て連続家屋が並んでいる。団地を取り巻く大通り沿いと馬蹄形の建物はすべて平屋根の3階建てアパートあるいは3階建て住宅の連続住棟、その内側を含める2階建て長屋は、出窓のある三角屋根で、各戸に個人専用の庭がついている。
 断っておくが、わたしが見て回ったのは、パルヒマ一通りとフリッツロイター通りにかこまれた、馬蹄形住棟と菱形庭園のある区画だけで、記述もかぎられている。世界遺産には、これら両通りの反対側にある2区画もふくまれる。

 赤いフロント
 フリッツロイター通りに面した3階建てアパート住棟は「赤いフロント」とか「チャイナの城壁」と呼ばれている。建物からは30はどの階段塔が張りだしていて城塞を思わせ、血の色にも似た外壁からも、なにか挑発的な感じをうける。1920年代のドイツでは、さきにシラーバルク団地の平屋根にかんして引用したタウトの証言にあるように、建築の保守とモダニズムをめぐる抗争は激しく、論争の域にとどまらなかった。現にタウト設計の馬蹄形団地とまったく同時期に、しかも通りの反対側に保守派のエルンスト・エンゲルマンとエミール・ファンクマイヤー設計のドイツ住宅設振興協会DeGeWbによる団地建設が進められていた。「赤いフロント」は、タウトのこれに対決する鮮烈なメッセージ、建築近代化のデモンストレーションだったとし痺れると、そうかもと思えるが、学術上の証明はないようだ。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂



nice!(1)  コメント(0) 

地球千鳥足Ⅱ №27 [雑木林の四季]

生きて埋め込まれた修道士が呼んだ
   ~ラトビア共和国~

         小川地球村塾塾長  小川彩子

 タリンからの高速バスがラトビアの首都リーガに入ると、赤松と白樺の林が延々と続く。
タリンでの宿探しに懲りてここではバス発着所のインフォメーションに入り紹介を頼んだだが翌8月21日は首都リーガの創設記念祝日であり、この国の独立記念日。ホテルはこの国でも5つぐらい満杯で、結局不便な街外れの新ホテルを紹介されたが、「祝日のためトラムもバスも2日間無料だ」と教えてくれたのは有難かった。
 ホテルは遠かったがトラムが公園の真ん中の、白樺並木すれすれに通る風情は素晴らしかった。降りて道を訊いた人は親切で、かなりの道のりを楽しそうに案内してくれた。ホテルも格安で親切、覚えやすい名の受付「アンタ」さんの助けで以後の旅の情報入手、ダゥガヴア川への入り日が眺望できる部屋を頂いた。地の利を得られないホテルも悪くない乗り物無料のお蔭で首都リーガを縦横無尽に乗りまくった。近くには建物正面に彫像が浮き出たユーゲントシユテール建築群通りがあり、赤や青の煉瓦に喜怒哀楽を表す人面、獅子その他の獣面や女性像等が装飾された高い建物が並んでいる。素晴らしさに口を開けて歩いていたらフランス人男女が近づき日本語で自己紹介した。九州大学で日本語を学んだと言う。彼らと日本語で話しつつ、彫像建築も見逃さないよう上を向いて歩いた。
 リーガの中心、市庁舎広場に来ると守護神ローランド像の向こうに、目が覚めるように美しいブラックヘッド会館がある。明るい煉瓦色の正面に人物像の彫刻群と彫金細工の大時計。これは数百年の歴史を持つ建物だがドイツ軍の空襲で破壊され、近年完璧に再建されたというもの。旧市街を大切に保存するリーガには溜め息の出る美しい広場が沢山ある。
ドウマ広場も溜め息広場だ。ここでリーガ大聖堂を見上げていたら「小川さん!」と声がした。エストニアの長距離バスの切符売り場で会った、ブラジルから来たK夫妻だった。
あの時立ち話で私たちの知人(夫の会社の後輩)と友だちだとわかり、ブラジルでの再会を約して別れたのだが、ここで私たちを見つけてくれたのだ。お互い休みなく動き回っている身、よくも同時刻にすれ違ったものだ。「この大聖堂には昨夜大統領が来てドウマ広場は一晩中お祭り騒ぎ、ビール片手に過ごした」と興奮していた。私たちは寿司屋に入り、この広場と大聖堂を眺めてひと時を過ごした。この夫婦とはバルト三国で予期せず計3回も会ったのだ。波状に花を植えて川を表現したリーヴ広場も溜め息の広場、近くには屋根の上に尻尾を逆立てた猫が立つ家もあり、その下で人々がビールを楽しんでいる。独立を祝う立派な行列が、騎馬隊を先頭に民族衣装で街の通りという通りを練り歩いていた。
  聖ペテロ教会で塔に上がってリーガを見晴らしてから17世紀の城壁の門をくぐり、ゴシック建築の聖ヨハネ教会へ。悲しい修道士の物語に引き寄せられて。この教会には日本の人柱に似た伝説がある。日本では橋をかける時に安全のためと信じて地中に人を生き埋めにした時代があった。この地でも教会建築時、生きた人間が壁に埋め込まれれば教会の安全性が維持されると信じられ、2修道士が応募、壁の外側には食べ物を放りこまれる穴があった。しかし彼らは長くは生きられなかった。煉瓦の壁に口を開いた哀れな修道士の顔面がある。この口を開いた修道士が「もっとここに居てー」と呼んでいるようで後ろ髪をひかれた。その近くに人だかり…‥・。なんと動物たちの彫像「ブレーメンの音楽隊」だった。あれ? ここはドイツじゃあないのになぜここに草臥れたロバ、犬、猫、鶏がいるの?
 ドイツを抜きにしてラトビアは語れない。ラトビアには長期にわたりドイツやソ連に交互に侵攻、駐留、占領された歴史があった。私が生まれた頃以後の歴史だけ辿って見ても、1940年ソ連軍がラトビアに駐留、塊偏(かいらい)政権樹立、大量流刑、次にドイツ軍がバルト三国に侵攻、占領し、大量のユダヤ人が強制収容所へ。1944年再びソ連軍がドイツ軍にとって代わりラトビアを占領し流刑再開、と目まぐるしく支配者が変わったのだ。
 私が故郷で土手滑りを楽しんでいた幼児の頃、このような苦しみを重ねていたのだ。1991年8月21日ラトビアは独立した。この記念日を挟んで3日間、私たち夫婦はこのきれいな街でお祭り気分のおすそ分けを頂いて過ごしたのだった。
                     (旅の期間‥2011年 彩子)

『地球千鳥足』 幻冬舎



nice!(1)  コメント(0) 

山猫軒ものがたり №20 [雑木林の四季]

さよなら、小野路 3

             南 千代


 家捜しは、他にも続けた。
 豚小屋に移る前から、家を捜しに通っていた地がある。埼玉愚の越生(おごせ)町だ。以前、夫のスタジオでアシスタントをしてくれていた山口さんが、地元に帰って町唯一の写真館を継いでいた。
 空いている家もあるにはあり、見て回ったり、山口さんを介して地元の人に頼んだりもしていたが、ここならと思う家にも、まとまりそうな話にも出合えなかった。
 再び出かけ、以前訪ねた人たちに近況報告をしたり、新たに情報があったら連絡をと頼んで回った。
 家捜しでは、どこでもほんとに多くの人の世話になり、時間を割いてもらい、面倒をかける。私たちもいつかは、受けた親切を多くの人に返していきたい。
 そろそろ、鬼無里村の雪も溶け始めただろうか。北村さんに電話を、と思っていたところに山口さんから連絡が入った。空いている家が一軒見つかったとのこと。きっそく車を走らせた。空家を教えてくれたのは、以前から頼んでいた、山口さんの奥さんの実家である。場所は、町でも山間部の龍ケ谷地区。
 初めてその家を見た時、「あ、ここだ」と私は思った。私たちが、ここに住むのは当然のように自然に感じられた。まだ家の中も知らず、家主にも会っておらず、貸してくれる気があるものやらもわからず、こちらの欲張りな理想に叶う所かどうかも考えず。とにかく、この家が新しい山猫軒になるのだ、と思ってしまった。なぜだろう。周囲をひと周りしてみよう。
 「ぜひ、借りたいんだけど、持ち主に連絡がとれるだろうか」
 家主は、神奈川に越していると言う。庭では、夫が、同行してくれた山口さんにすでに頼んでいる最中だった。
 持ち主に貸す意思があるかどうか、紹介者を通じて打診してもらう。家の中を見るために鍵を借りてもらう。世話にならなければならないことは、まだまだあり、私たちは後日出直した。
 家は、相当古い。まだ、囲炉裏、かまどが残っているこぢんまりとした家だ。三月とはいえ、何年も空家だった屋内は、寒く冷たく暗い。私は土間に立ち、ひと目ぐるりと内部を見渡すと、安心してすぐに表に出た。
 会うことができた家主は、親切にはっきりと責任を持って、この家の難点を挙げた。
「ほんとにいいんですか。この家は冬場は全く陽があたりませんから、住むにはかなり厳しいですよ。ここが気に入られたのならお貸しするのはかまいませんが、夏場の別荘代わりにお使いになったらいかがですか」
 この地で生まれ育った人が言うことばである。私たちは考えた。が、そのことを気にはしながらもやはり借りることにした。家のすぐ横の柚畑を、鶏を飼うための敷地として地元の地主が貸してくれることになったのも大きな理由だった。養鶏がやりたくて棟していた引っ越し先であったから、その条件に叶う地であれば、他のことは我積できる。
 隣の柚畑には、冬でも陽が当たる場所がある。夫はそこに鶏舎を建てるつもりであった。鶏舎を完成させないことには、引っ越しできない。小野路から越生まで車で片道三時間近く。夫は、為朝をお供に時間を作っては、鶏舎造りに通った。
 仕事の合間に往復五、六時間かけ、通いながらの鶏舎造りは遅々として進まず、完成の頃には秋が終わろうとしていた。

 「いつ引っ越す? 冬は厳しいって言ってたから、春にする?」
 聞いた私に、夫は答えた。
 「いや、冬の間に引っ越そう。そうすれば、後は暖かくなるだけだから、ラクだ」
 なるほど。
 「じゃ、せっかくだから、新年を新しい地で迎えない?」
 こうして、十二月十五日。私たちは、小野路に別れを告げることになった。大家であったばあさん宅にもあいさつに行った。
 「そうかい、よかったな。短けえ間だったけんどよ。こっちも世話になったな。遠くなってもたまには遊びに寄ってな」
 ばあさんが涙をこぼすので、悲しくなった。私は、このばあさんのことは、一生忘れない。
 数十羽の鶏や、犬、猫、ウサギたちが騒々しく乗り込んだ軽トラックは、まるでブレーメンの音楽隊のようだ。別のトラックには椎茸のほだ木や、中古の耕運機やクワなど百姓道具を。幼鶏を育てるバタリーなどまで積み込み、数台のトラックを連ねての引っ越しは、我ながら、難民移動か、開拓民のイメージである。塩田さん家族、清水飼料の清水さん、五日市の吉沢さんなど、みんなが、総出で加勢に来てくれた。
 新しい山猫軒をめざし、私たちは越生へと出発した。

『山猫軒ものがたり』 春秋社



nice!(1)  コメント(0) 

BS-TBS番組情報 №284 [雑木林の四季]

BS-TBS 2023年7月のおすすめ番組(上)

       BS-TBSマーケテイングPR部

令和にっぽん!演歌の夢まつり 2023

283令和にっぽん演歌の夢まつり2023.jpg
2023年7月11日(火)よる9:00~10:54

☆歌謡界の重鎮から気鋭の若手まで、日本の歌謡シーンの最前線を走る歌手らが総出演!
  ここでしか見られない夢のコラボレーションも実現!!

出演
前川清/由紀さおり/水森かおり/市川由紀乃/丘みどり/竹島宏/大江裕/辰巳ゆうと/新浜レオン/朝花美穂/田中あいみ

2002年のスタート以来、全国に“日本のこころ” 演歌の素晴らしさを届けてきた夢の競演コンサート「にっぽん演歌の夢まつり」。
2023年は、20周年を記念し例年よりさらにパワーアップした出演者および演出をお楽しみください!
♪星のフラメンコ(新浜レオン)
♪雨の御堂筋(田中あいみ)
♪北の漁場(大江裕)
♪瞼の⺟(朝花美穂)
♪四つのお願い(由紀さおり)
♪北の蛍(丘みどり)
♪星の砂(市川由紀乃)
♪百万本のバラ(竹島宏)
♪あの鐘を鳴らすのはあなた(水森かおり)
♪長崎は今日も雨だった(前川清)
ほか

関口宏の一番新しい中世史

283関口宏の一番新しい中世史.jpg
毎週土曜ひる12:00~12:54

☆わたしたち日本人は、どのような選択を重ね、歴史を刻んできたのか。
  「もう一度!近現代史」「一番新しい古代史」に続くシリーズ第3弾!

出演
関口宏
加来耕三(歴史家・作家)
大宅映子(評論家/大宅壮一文庫理事長)

「一番新しい古代史」に続く新シリーズ。
時代は、古代国家から中世社会へ。 
現代社会に通じる「日本文化の基礎」が形成された「中世史」を覗きに行こう。
解説者は、歴史家の加来耕三氏と、評論家で大宅壮一文庫理事長を務める大宅映子氏。
平安京へ遷都された「平安時代」から、大坂冬の陣・夏の陣で豊臣氏が滅びる「戦国時代の終わり」までを紐解いてゆく。

▽7月1日(土)
#64「~室町時代~ 織田信長の躍進!武田信玄と上杉謙信対決・川中島の戦い」

▽7月8日(土)
#65「~室町時代~ 信長の下剋上!西国では毛利が覇者へ」

▽7月15日(土)
#66「~室町時代~ 信長が天下取りへ”尾張統一”」(仮)

ねこ自慢

283ねこ自慢_202307.jpg
毎週水曜よる11:00~11:54

☆ウチのニャンコが一番かわいい!日本各地で「ねこ自慢」インタビュー!! 

ねこの、ねこによる、ねこのための猫バラエティー。
ねこを飼っているお宅を訪れ「ウチのニャンコが一番かわいい!」という飼主さんにインタビュー。存分にその猫愛を語っていただきます。
もちろん愛する「自慢のねこ」もたくさん登場。
ねこがもつ特有のかわいらしさに思いっきり癒されてください。
最後は飼主さんが撮影した写真の中から、この1枚というベストショットを発表してもらいます。
ねこの良さをとことんまで味わい尽くす猫まみれの番組です。

▽7月5日(水)
リポーター:U字工事 田中要次
MCネコ(声):緒方恵美 
ナレーション:三田ゆう子
今回は俳優の田中要次さんが、お巡りさんが飼っている「駐在所の看板猫」をリポート。
また、U字工事の2人は外国人にも大人気の「猫と住めるシェアハウス」を紹介。

▽7月12日(水)
レポーター:サンシャイン池崎
MCネコ(声):緒方恵美 
ナレーション:三田ゆう子
サンシャイン池崎が生け花が似合う猫の写真撮影に挑戦!
そして、ミルクボランティアのお仕事も体験する。
器用に引き出しを開けるイタズラ好きの猫や、動物病院が運営する安心の猫カフェも紹介!


nice!(1)  コメント(0) 
前の20件 | 次の20件 雑木林の四季 ブログトップ