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地球千鳥足Ⅱ №30 [雑木林の四季]

歩いて走って万年青年

     小川地球村塾村長  小川律昭

  今年の冬は雨の日以外よく歩いた。吐く息が白く見える寒さの中、起伏の多い森の中の住宅街を大股で歩くことを心がけた。ここは我がコッテージのある、ワイオミングという住宅地。コミュニティーは大木に覆われ、丘に富み、どこを歩いても楽しいが、自然にお気に入りの散歩路が出来た。我が家からちょっと行ったところだ。百年を過ぎる、歴史的にいわくのある住宅の数々を見ながら最初は三十五分ぐらい歩いて軽く汗をかく程度だったが、今は一時間強歩いている。手や耳が寒さで痛くなる朝もあるが、慣れるとそれが普通になって辛抱出来るものだ。四月中旬までは木々は枯れ木同然だが、それでいて目に映る光景が素晴らしいコースだし、四・三キロのアップ、ダウンを繰り返す道もよい運動になり、結構楽しい。その理由は巨木の中にたたずむ家々にある。

 百年来の歴史が刻まれた、「風と共に去りぬ」のタラの家のような建築物から四台入る車庫付きの新しい豪邸まで散歩路から見えるのだ。年代家屋には重厚感があり外観も素材も複雑である。チムニー(煙突)の数も多い。集中暖房の現今は薪を焚く必要がないので、新しい家にはチムニーは大体一個だけ。やはり見かけは豪華で機能性はあっても新しい家には風格はない。新、古、いずれの建造物もこのあたりでは森に囲まれており、斜面に建てられているので、見る角度によっても、多彩な構造が目を楽しませてくれる。ヴィクトリア王朝、チユーダー王朝などありとあらゆる建築様式の住宅があり、蓮の花が咲く庭、立派な橋がある庭もある。歩く都度、新しいことを次々発見させてくれるので飽くことがない。木々が青葉に変わると、風景は目に一段と鮮明に映じ、脳裡に焼き付く。別荘的に見えても生活する住居なのだ。アメリカの豊かさ、象徴がここで見られるのだ。リンデン通りには計り知れぬ魅力がある。想像するにここの住民たちの別荘は、フロリダの海辺、ボート付きのしゃれた建物であろうと想像出来る。

 同じコミュニティーの中だが、我が家周辺は環境は良いが家々に風格がない。ちょっと小さくて隣家が比較的近いからだ。このあたりも散策してきたが印象に残っている建物は少ない。プールが併設されていて豪華に見えても、それを引き立てる周辺に変化が乏しい。やはり急斜面に建つ家屋は魅力的である。

 一九九〇年このシンシナティに来たが、その年の暮れから九一年にかけて早朝によくジョギングしたものだ。初めの住まいゴルフ場のど真ん中、十番ホールのティーショットを窓越しに見られるコース沿いの場所だったので、夕方プレイが済んだ後、カートが移動するコース内の道を走ったものだ。よく見かけたのは兎とロスト・ボールだった。起伏があり景色のとても良いコースだったので、結構よい運動と目の保養になり楽しめた。翌年ブルー・アッシュのタウン・ハウスに移ってからも、住宅街の道路を走った。ここは庶民的な家が中心だった。交通事故で怪我をした時も、警官にジョギングで転んだと弁明した。
ビールを一缶飲んで居眠りの挙げ句一人で石垣にぶつかったのだが、いつも走っていたコースだったので機転をきかせ、怪訝な顔をする警官たちを尻目に歩いて帰ろうと歩き始めていた。還暦直前だったがとても元気だった。

 ところが日本に帰って車山(長野)のマラソンを走った際、膝の半月板損傷と足の指二本を疲労骨折してからジョギングが出来なくなり、今に至っている。足にショックを与えない競歩的な歩き方で、散歩・プラス・アルファー的運動に切り替えた。これが齢七十歳の自分である。
 ジョギングを始めたのは四十二歳頃だったので二十数年走ったことになる。初めてトレーニング・ウエアを買った時、いつまで続くかなあと娘に言われた。お父さんは飽きっぽいからと、お母さんの言い付けで小学生の息子が後から走ってついて来たこともあった。もとはといえばギックリ腰を繰り返したので、その予防に腹筋、背筋を鍛えようと始めたもの。それが六十二歳の時の足の故障まで続いたのだから、健康には良かったのだろう。東京は府中から国立、そして神戸、岡崎と住まいを移りながらも走り続けた。青梅マラソンや前出の車山マラソンに参加し完走した。元旦の東京・府中市の浅間山へ向かう、往復二〇キロの初日の出マラソンにもある時期毎年参加していた。

 アメリカに住む以前、海外ではキリマンジャロも一番乗りだった。トレッキングに慣れた同行者から「韋駄天の父さん」の名で呼ばれ、誰よりも早く目的地に着いたことを思い出す。サン・フランシスコのゴールデン・ブリッジを霧の中で往復したことも。六千歳過ぎてのバック・パッカーでは重い荷を背負ってよく歩いた。吹雪のウシュアイア(パタゴニア)、冬期、雨のインバネス(スコットランド)、残雪のルーマニアはドナウ河下流の街、等、厳しい旅に耐えられたのも、足を鍛え体力を補強していたお陰である。走っていたおかげで強靭な精神力も養われたのだろう。現在体力維持の運動は、冒頭に述べたように、走りから競歩に切り替えた。日本では見られない豪華な建造物を楽しみながら。

 ところで、歩いていてもう一つ感じたのが犬だ。庶民的な家では吠えながら屋敷内を駈け、人間に近づいてくるのが多い。歩く人が珍しいのか。だから私は歩道ではなく路の真ん中を歩くようにしている。だがリンデン通りは静かでそのような犬が見うけられない。家の中から散策人を見守っているのだろう。アメリカの犬はたいていよく躾されているが、隣の犬、ゼンベイは家の中から私を見つけて吠え立てる。うちを出る時も帰って来た時もだ。五年以上私を見ているのに憶えない。美しいジャーマン・シェパードにしては頭が悪い。夫婦で忙しく働いている家庭だから躾に失敗したのだろう。それとも私の人相が悪すぎるのかな?                                                         (二〇〇二年三月)

『万年青年のための予防医学』 文芸社
 

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