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山猫軒ものがたり №23 [雑木林の四季]

囲炉裏とかまど 3

            南 千代

 ここ入組は、全九戸の家のうち、住んでいるのは七戸。鶏を放した柚畑を隔ててすぐ隣の一戸は空家、その隣の一戸は、私たちが借りた山猫軒の本家にあたる家だが、別荘として使われている。その下に三戸の家があり、川をはさんで、さらに三戸の家があった。山猫軒は、入組の中では川に沿って一番、かみ手の家となる。
 山猫軒から龍ケ谷川沿いに二キロほど登ると、途中、山の中腹に五戸の家がある。梅本の集落だ。ここは、山の中にぽっかりと聞けた小高い所にあるため、陽もあたり見晴らしもよい。越してきて最初につきあいを始めたのが、入組とこの梅本の人々であった。
 龍ケ谷では新開は宅配されておらず、集落ごとにまとめて一カ所に配達される。あとは、個々に、その場所まで取りに行く。夕刊の配達は、次の日の朝刊と一緒だ。梅本の新聞は、まとめて山猫軒に配達されていたので、話す機会も多かった。
 梅本の宗平じいさんが、ポッチラボッチラと歩いて下っていく。宗平じいさんは、もう八十に近い年齢だろうか。一人暮らしである。あいさつがてら声をかけてみた。
「こんにちは。今朝はいい天気ですね。お出かけですか」
 じいさんは、ニコニコ笑っているが、あまりしゃべる人ではない。
「ハァ。ちょっと、病院まで薬をもらいに」
 梅本からは、バス停まで約五キロ。そこから、一時間に「本あるかないかのバスに乗り、町に出る。
 いいのかなあ、そんなに歩いても。薬をもらいに行くからには、どこか具合が悪いのだろうに。車で送った方がいいのかな、余計なお世話かな。日暮れ時。また、トロリトロリと歩いて上がる。
「おかえりなさい。お茶でも飲んでいきませんかし
「ハァ、じゃあちょっとだけ、休ませてください」
 じいさんは、上がりかまちに腰をかけると、懐かしそうに家の中を見ていた。
「前にも、よくこの家では、寄らせてもらって、お茶をごちそうになってな」
「おじいさんと、おばあさんが住んでいたんでしょ」
「ああ、直治さんとナオさんというて。じいさんの方は、種まくにも定規できちんと間を測ってまくようなカタイ人で、ばあさんは、何だか難しい本ばい、えらく読んでたな」
 宗平じいさんは、それからは町へ出るついでに、ちょくちょく足休めに寄るようになった。カブやネギを、黙って玄関先に置いていってくれることもあった。
 こちらも、雨や雪の日にはバス停まで車で送ったりした。

 三月になったというのに、大雪である。春先の雪は、水分を含み重い。目の前の山では、杉の木が雪の重さに耐えかねてメリメリと裂けて折れ、木々は、道路の電柱に倒れかかり、電気も電話も通じなくなってしまった。
 写真館の山口さんが心配して、見にきてくれた。町でも、電気がストップして灯りはもちろん、店のシャッターは開かない、暖房のファンヒーターもつかない、水道も出ない、とたいへんな状況らしい。
「いやあ、ここはあったかいや」
 薪ストーブに手をかざして山口さんが言った。熱い茶を出す。
「水も出るんですね、そうか、井戸ですもんね。便利だなあ。水、もらってっていいですか」
 便利と不便が逆転してしまったようだ。町では、その後すぐに回復したらしいが、ここではそれから三日ほど電気も電話も通じなかった。暗い夜は、囲炉裏で燃えさかる炎のそばで過ごした。
 この家ができたのが、百十年前。桧五郎という人の代のときに、分家として建てたのだそうだ。ということは、その時代、一般家庭に電気などないから、この家の暮らしも、こうして囲炉裏やランプを灯りにしていたのだろう。炎を前に、私たちは、この家ができた当時のことをあれこれと想像し始めた。
 電気がなければ、テレビも映らないだろうし、家族はこうして明るく暖かい囲炉裏端に集まっていたに違いない。文字を読むほどには明るくないので、だんらんの内容は、いきおい、おばあさんが、孫に話して開かせる物語であったり、おじいさんが、囲炉裏の灰に火箸で書いて教えるイロバの綴りであったかもしれない。お父さんは、明日の山仕事に備えてナタの刃を研ぎ、お母さんは、糸車を繰っている……。
 家には、床下にたくさんの山仕事の道具が残っている。中二階には、大きな鋸や米びつ、釜などが置いてあった。米びつは、米ではなく麦を入れていたのだろう。この地域は、山間部のため、水田や畑にできるような平たんな土地はほとんどなく、木を伐り出したり、炭を焼いたりの山仕事に従事する人がほとんどだったという。それに、養蚕。
 現在、柚が作ってある斜面は、昔は小麦や、蚕に食べさせるための桑を作っていたそうだ。土間の横の物置には、石臼や糸車が。台所には、粉をこねる鉢やのし板、長年使いこんで刃がすっかりやせてしまった垣きり包丁などがある。
 停電の暗い囲炉裏端で、土地の人の話や残された生活具から、私たちの話はあれこれとつきなかった。電気がないと、おしゃべりの時間が増えた。時がすべて私の手の中にある。とても豊かな気分で夜が更けていく。
 電気が、三日目の夜に突然ついた。
「ワオ! 明るーい」
 私たちは、歓声をあげた。そしてまた、明るいということも、ほんとにうれしい暮らしだと思った。この家に電気が初めてついた時も、みんな喜んだにちがいない。
 でも、明るい囲炉裏端というのは何だかしらじらとして、あまり想像力をかきたててくれない。暗い時には見えなかった板の間のゴミまでしっかりと映し出す。夫と話しながら私は、たまには部屋の掃除もしよう、と急に現実的になり、話に夢中になれないのだった。

『山根軒ものがたり』 春秋社



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