SSブログ

夕焼け小焼け №20 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

 決戦の年 

             鈴木茂夫

 アメリカ軍の本土空襲が激しくなり、フィリピン、マリアナの戦闘で敗れた状況から、本土決戦といわれはじめた。
  昭和20年(1945年)4月2日月曜日。
    きょうから3年生。朝登校すると校門の横に小銃を構えて立っている4年生がいた。
  「何をしているんですか」
 と問いかけると、
  「俺は営門歩哨をしているところだ。俺たち4年生は、警備召集と言われて全員動員された。校門の表札を見ろよ」
 校門には台北州立台北第四中学校と記した表札がある。その横に「雷神13863部隊」と記した表札があった。4年生が動員されれば、最上級生はいない。1年下の下級生である私たちに制裁を加える人はいないんだ。やれやれと思いながら教室へ入った。
 午前8時半、朝礼。校庭で小林敏郎校長が演壇に立った。
 「今年は決戦の年である。3月26日には、アメリカ軍が沖縄・慶良間島に上陸、沖縄は戦火に包まれている。日本のすべての学徒を決戦に必要な業務に総動員することになった。このため1年間、原則として授業をしない。3年生は桃園台地に設けられた陸軍の樹林口飛行場の整備に行ってもらう。健康に留意してお国のために働いてほしい」
 担任の横井先生は、現地で必要な物品をこまごまと書き出した。毛布、飯ごう、箸、ナイフ、水筒、下着、靴下、帽子などすべて自前だ。
 
4月6日、月曜日、午前9時、
 私たちは樹林口へ向かった。北門を過ぎ古い街並みの大稲埕を通り抜け台北大橋を渡る。分厚い雲に覆われていた空から雨が降り出した。10数キロを歩いて桃園台地の上にある樹林口に到着。コの字型の三合院と呼ばれる台湾人の住宅に分宿した。神様や祖先を祀る大庁が割り当てられた。集落のまわりは、茶畑だ。そこに幅50メートル、長さ約1000メートルの滑走路が設けられている。台湾軍が特攻機などの出撃にすると農家に要請、茶畑を切断するように工事したのだろう。茶畑の北の端に立つと、海が見える。台湾海峡だ。
 飛行場の滑走路から誘導路のような小道が何本か延びている。その端末に、竹で組み上げた偽飛行機があった。本物の飛行機はない。
 われわれの任務は、滑走路の凸凹をならして、飛行機の離着陸が順調に行われるようにすることだ。もし爆撃されれば、爆弾の跡を修復するのはもちろんだ。
 飛行場の整備のために、私たちだけでなく、中年の兵隊も来ていた。
 食事は、飯と塩気の利いた豚汁だ。豚肉の細片は汁の中にたまに見える。味は塩辛いだけ。碗にある汁を全部飲むと喉が渇いた。
 作業開始3日目、コンソリデーテッド B-24 リベレーターが1機、3000メートルぐらいの低い高度で飛んできて、小さな爆弾をバラバラと投下して飛び去った。爆弾の跡は直径20メートルほどにえぐれていた。私たちは飛行場のある台地から200メートル下の小川に行き、直径50センチほどの石を拾って、爆弾の跡を埋めた。この作業を2回もすると腕から力が抜ける。200人近い生徒が頑張っても3日はかかった。
 われわれと同じ作業をしている兵隊は、みんな台湾各地から召集されて来たのだという。監督の下士官に怒鳴られながら、よろよろと石を運んでいた。
作業をすると喉が渇いた。台地の麓には澄んだ小川が流れている。生水を飲んではいけないといわれていたが、ついこの水を飲んだ。その翌日には下痢がはじまった。一日に3度から5度排便した。体力が急激に減退する。50人編成の学級のうち、30人以上が下痢していた。
 ときどきかすかに爆音が聞こえた。B-24の編隊が、台北を空襲しているのだ。
 下痢で体力を消耗している私たちに、国語漢文担当の木村先生は、
「沖縄の学友は、部隊に協力して死に物狂いで戦っているのだぞ」
   と叫んだ。だが何を言われても、身体に力が入らない。よろよろと石を運び上げる日が続いた。
 竹を焼いてできる炭が下痢に効くそうだと聞いてきて、竹を焼き、炭を口にしてみた。 結果はまるで効果はなかった。
  1ヶ月半過ぎて、監督の先生から作業は終わると告げられた。
  嬉しい知らせだった。みんな力をふりしぼって帰宅した。

 帰宅して1週間、自宅で静養し、母の食事を食べたら回復した。
 学校に行くと、級友の長野大路君が、海軍の乙種飛行練習生の試験に合格、内地に向かうという。茨城県霞ヶ浦の練習連合航空隊で2年間の教育訓練を受けるのだ。
 台北を出る日、大勢の級友が台北駅に参集した。
   長野君は級友の輪の中の中心に立っていた。両親と妹もその隅にいる。 自然と歌声があがる。予科練の歌だ。

       若い血潮の 予科練の 七つボタンは 桜に錨(いかり)
   今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ でっかい希望の 雲が湧く

   燃える元気な 予科練の 腕はくろがね 心は火玉
   さっと巣立てば 荒海越えて行くぞ敵陣 なぐり込み

      仰ぐ先輩 予科練の 手柄聞くたび 血潮が疼く
   ぐんと練れ練れ 攻撃精神 大和魂にゃ 敵はない

   生命惜しまぬ 予科練の 意気の翼は 勝利の翼
   見事轟沈 した敵艦を 母へ写真で 送りたい

 長野君は微笑みながら、歌を聞いていた。
 私たちは、つぎつぎと海軍関連の歌を歌った。軍艦行進曲はもちろんだ。

      守るも攻むるも黒鐵(くろがね)の 浮べる城ぞ頼みなる
   浮べるその城日の本(ひのもと)の 皇国(みくに)の四方(よも)を守るべし
   真鐵(まがね)のその艦(ふね)日の本に仇(あだ)なす国を攻めよかし

   石炭(いわき)の煙は大洋(わだつみ)の 龍(たつ)かとばかり靡(なび)くなり
   弾丸(たま)撃つ響きは雷(いかづち)の 声かとばかりどよむなり
   万里の波濤(はとう)を乗り越えて 皇国(みくに)の光輝かせ

 私たちは声がかれるまで歌った。長野君はみんなに海軍式の敬礼をして、基隆行きの列車に乗り込んだ。
 それから数日し 内地行きの船が潜水艦に攻撃されて沈んだ。予科練に行く生徒も大勢いたそうだ。こんな噂が 港町の基隆から聞こえてきた。
 私は愕然とした。長野君は飛行機には乗れなかったのだ。



nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。