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地球千鳥足Ⅱ №28 [雑木林の四季]

グレイト・マザー

       小川地球村塾村長  小川律昭

 ジルJilは、私がアメリカへ来た時の英会話の教師でああった。彼女は大学を出てすぐ語学学校の教師として就職、日本人の多い会社に派遣され英語を教えていた。私の最初の教師だったので印象に残っているが、ほっそりして蝋人形を思わすような表情だった。彼女は就職して二年後には会社を辞め、故郷に帰り、再び学生へ戻ったと開いていた。当地でいうバック・トゥー・スクールである。専攻のフランス語は近郷大学の大学院で、英語は地元の大学の教師過程で再学習を試みたようだ。同大学のESl(第二外国語としての英語)の学生に英語を教え、そこで日本人学生と知り合い結婚した。その彼は東京下町で金属部品の卸業を営む会社の御曹司、私費留学の坊ちゃんといった風貌であった。大学卒業後はシカゴで自社の支店を設立し、そこに残るような話であった。ジルとは英会話の師弟関係として恋に発展したのだろう。日本に行く時に我が家に挨拶に来てくれたことを覚えている。
 今回八年ぶりにジルに出遭った。ダウンタウンで行われたオクトーバー・フェスティバルでばったりと。奇遇以外に何ものでもない。毎年十月、三日間にわたって広範囲の路上が歩行者天国になり、見渡す限り売店が続く。ショーや出店は数ブロックにかけて縦横に広がっており大変な人出。同時刻に同じ通りを歩いていたのは、三日も行われることを考えればまったく不思議な出会いであった。しかも我々はこの地に来て八年目に初めて出かけたそのたった一時間のぶらつき、ジルはといえば離婚して日本から帰ったばかりで、彼女の出た大学所在地、シンシナティの友達を八年ぶりに訪れて、そのついでにこのフェスティバルを見に来たのだった。学生に薦められたのか、一度は行って見たいとワイフが言うので、たまたま出かけた時に遭ったのだから縁があったのだろう。

 声をかけてきたのはジル、乳母車に赤ん坊を乗せていた。開けば赤ん坊の父とは別れた、今は故郷のフィンレイで英語教師をしているという。離婚の経緯は語らぬが、「自分が間違っていた、相手を見る目がなかった」と述懐した。日本には二年住んで彼のお母さんにはよくしてもらったが、ほどなく父親の会社は潰れ、夫の生活は荒むばかり、ついに彼女は大きなお腹を抱えたまま離婚を決意し、アメリカに帰って来たという。
 その後、彼女を訪ねてその生活の堅実さ、達しさ、したたかさに驚いた。三十歳を過ぎたばかりだが、実家近くに家を購入し、生徒三十数人を抱えた立派な英語学習塾の経営者である。経営術は、かつて語学学校で教えていた時の経験を生かしたのだろう。母強し、の見本を見たようだった。じっとしていない子供を叱り、なだめながら我々のために晩餐を作ってくれたことが強く心に残っている。

 ジルと似たようなケースで踏んぼっている日本人の多加子さんがいる。彼女は若い時から海外志向であった。それは父親が貿易の仕事でアメリカを行き来していたせいもあろう。日本の一流私立大学を卒業してから、留学することに何の不安もなく、当然の結果のように十年強をオハイオ州の大学院で学んだのである。今の仕事は大学助教授、女一人で海外で生活出来たのは父親の手厚い経済的な援助があったからであろう。両親は彼女の将来を気遣ってか頭金二〇〇〇万円を与えてアメリカに住宅を購入、残りを彼女自身の甲斐性で支払っていくようにと助言を与えている。それが九年前の三十三歳、博士号を取得して教職を得たころであった。彼女は若い女性らしからぬひょうひょうとした性格であったが、気さくで自分の授業風景をワイフに参観させるなど、親切な人柄でもあった。

 ある時我が家に招待したら、「男性と同棲している」と聞かされた。「ご一緒に歓迎したのに」とワイフが言うと、「彼が気を遣ったんです」と。なんのことかと思ったが、我々が「黒人と同棲している」ことを聞き及んでいると思っての発言だったようだ。そのうち彼女が黒人の幼児を連れて勤務先に来ることを伝え聞き、その後、その同棲者と別れた、とも開いた。四十二歳のシングル・マザーここにも。子供は日本人と黒人の血を引き、アメリカの地で彼女がこれから育てるのだ。
 四十歳近くまで一人で生きて来た過程で、結婚するといっても身近に簡単に相手が見つからず、孤独感にさいなまれる夜が多かったことだろう。老いてからの孤独に耐えられない自分を想像して、子供が欲しかったのだろうか。この社会、実力社会ではあるが、黒人と有色系の混血は社会進出にまだまだ困難が待ちうける。
 教養とステイタスを得ている彼女であり、惚れた腫れたの年でもない中年女性。ひょっとして愚かさではなく異文化の中で一人の女が生きるための知恵であったのかも知れぬ。少なくと老いての孤独からは解消されるだろうから。

 日本人女性の多くが単身で海外に渡航し、その多くは留学生として学び、特にアメリカ留学生の数では女性が男性を凌ぐ。その多くが現地で結婚している。日本企業で働く女性を見かける限り、外国人との結婚が驚くほど多い。逆に外国の女性と結婚する日本人男性は少ない。彼女たちは日本と違うこの自由な環境とカルチャーに魅せられて留まることを決意したのだろう。一回限りの人生、将来に自分を賭けてみるって素晴らしいことではある。多加子さんを温かく見守るつもりである。

 ジルと多加子は幼い子供を抱えて厳しい現実に耐え、乗りきっていかなければならない。境遇はその人を支配し人を変える。一般的には境遇が厳しければ厳しいほど強くなるもの。だが疲労困憊、落ちこぼれてしまう者ももちろんいる。本能以上の強い力で生きていく母親であってほしいと心から願っている。
                            (二〇〇〇年六月)

『万年青年の為の予防医学』 文芸社



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