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住宅団地 記憶と再生 №18 [雑木林の四季]

12.ブリッツの大団地(馬蹄形団地)GroBsiedlung Britz(Hufeisensiedlung)(Britz.Fritz.Reuter-Allee,Husung,Onkel-Braisig-Str.u.a.12359Berlin)
 
       国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

円弧をえがく馬蹄形住棟

 フリッツロイター通りに面した団地入口は、右に管理事務所、左は「蹄鉄レストラン」と壁書きしたクロアチア料理店があって石段となり、石段をおりると小さな広場があり、大きな中庭につながるその空間は、団地住民にとって祭りや音楽会などのイベント会場となっている。入口に立って見下ろすと、直径100メートルもあろうか捨鉢状をした大きな窪地、真ん中に卵形の池とまわりに白樺の木立ち、スロープは一面の芝生である。それをとりまいて約350メートル、3階建て住棟が切れ目なく円弧をえがき立ち並ぶ。住棟と窪地とのあいだは、草花あり樹木ありの緑地帯をなしている。住棟に接して住人専用の庭が幅25メートルほど、背丈より高い生け垣にかこまれ、生け垣にそって幅1メートルあまりの回遊路がめぐる。長い馬蹄形住棟の外周リングと広い中庭をむすぶ潜り通路は3か所ある。レストランの大きなガラス窓からはその全景が一望できる。
 住人専用の庭はやや下へ傾斜しているが、3段平らに整地、区分され、同じ階段の6世帯が使えることになっている。専用にして、かつ同じ階段どうし共同の場づくりが意図されている。しかしいまは、地階をとおって庭に出るのはおっくうだし、だれか庭の好きな人が手入れしていてくれて、自分は見て楽しむだけという住人も多い。玄関は外周の側にあり、その扉のデザイン、色彩はじつに多様、個性的に仕上げられ、わが家の入口を間違えようもない。馬蹄形の住戸の面積は平均約60㎡、2階建て長屋の平均80㎡にくらべて狭く、間取りもリビング・キッチンとバス・トイレにlないし2部屋と簡素ながら、窓を大きくとった居間とバルコニーは中庭に向いていて、部屋からは日々眼下に折々の花咲く個人の庭を、その先には共同の広場に池と白樺の木立ちを眺め、ときには散策する。まさに私的居住、近隣共同の花壇や菜園、公共の広々とした中庭と3層からなる「戸外住空間」の壮大な実現といえよう。

菱形にならぷ三角屋根の長屋

 馬蹄形住棟の西に「ヒューズング」とよばれる菱形の庭園がつながり、庭園を菱形にかこんで、またそのまわりの南北に、全体として壁面が赤褐色の2階建て、出窓のある三角屋根の連続家屋がひろがる。この庭園をめぐる風情は、フアルケンベルクのニセアカシアの並木道とどこか共通の思いをよみがえらせる。ヒューズングは、通りの名である作家フリッツ・ロイターが描いたドイツの古い村落の草地にちなんだともいわれる。馬蹄形といい菱形の発想といい、またニセアカシアの並木道も、タウトが近代的な都市居住と生地への郷愁なのだろうか田園生活との融合のイデーを、いかに実現しようとしたかが、これらの団地設計からうかがえる。
 三角屋根の長屋住戸の規模は一様ではないが、馬蹄形住棟よりは広く、ゆったりした感じで、外壁の色彩もファサードの意匠もタウト調にあふれている。それぞれ数十メートルの長屋が、わずかなズレをみせて100から200メートル近くつづく。2列がペアになって平行に、あるいは変化をみせて北側に6列、南側に8列、はぼ南北に並んでいる。各戸に専用の庭、住横間にある共同の空き地、子どもの遊び場など公共の広場と「場の仕切り」があるようだ。カラマツや白樺などの木立ちのなかにあって、農村に似たたたずまいを垣間見せる。
 ブルーノ・タウトの作品でわたしが最も鮮烈な印象をうけるのは、構造がシンプルななかにも細部にはどこされた意匠とその豊かな彩色である。中庭からみた馬蹄形住棟は白い壁面、外周も白を基調に上部は深いブルーで統一し、玄関扉や窓枠は多様なデザインと、白、黄、赤、青緑色とカラフルな彩色で個性化している。いつまでも見飽きない。2階建て三角屋根の連続家屋については、壁面は濃い赤褐色を基調にしながら、ファサードをふくめデザイン、彩色に見た目の統一性を意図したとは感じられないが、タウトの美学にあふれている。

 第2次大戦の被害は比較的少なかったにせよ、建設されて世界遺産の登録申請まで60年以上経過しており、躯体・設備の劣化、住人による造作、その原型復元はいうまでもなく、いま見る色彩が原型なら、塗料や漆喰のはげ落ち等の復元はどんなに困難をきわめたか想像しがたい。幸いこの団地の住人は総じて原型を勝手に変えることに反対し、以前から「保存会」ができていたという。世界遺産に登録されるには原型復元が条件であり、登録後も原里保存をきびしく義務づけられているはずである。
 団地の修復は、1970年代にとくにタウトの特徴的な色彩建築の復元を目的にはじめたものの、原型の分析と使用材料に誤りがあったようであり、80年代半ばにいたって、池に面したバルコニーの塗り替えを手はじめに、しかし本格化したのは2000年からであった。
 2000年まで団地の所有は、市営住宅会社のゲハーグ社であったが、馬蹄形部分は世界遺産のシンボルなので、この部分だけを、ゲハーグ社を買収したドイツ住宅会社DeutscheWbhnenAGに移して賃貸住宅のままとし、679戸のテラス住宅その他は民間に売却された。しかし世界遺産の住宅であることに変わりはなく、きびしい管理・規制をうけており、そのデメリットと、世界遺産であることによる資産価値上昇のメリットのあいだで、所有者たちの心情に揺らぎがあるようだ。わたしが会った人たちはみな、世界遺産としてわが家を守りつづけることに誇りをもっていた。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂



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