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住宅団地 記憶と再生 №19 [雑木林の四季]

12.ブリッツの大団地(馬蹄形団地)GroBsiedlung Britz(Hufeisensiedlung)(Britz.Fritz.Reuter-Allee,Husung,Onkel-Braisig-Str.u.a.12359Berlin)
 
      国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

住人3名にインタビュー 1

 わたしは何としても、現にこの団地に住んでいる人たちの生の話を聞きたかった。事前に団地案内所に依頼して紹介された3人に案内人といっしょに2019年9月4日、この日はベルリンに住む娘に通訳をたのんで、それぞれ自宅で会うことができた。以下は、3人の話と同行した案内人コルヴインさんの補足(☆印)のほぼ全容である(3人目には同行しなかった)。

1.ヘルガ・シェーネフェルトさん(女性、91歳、一人暮らし、馬蹄形住棟)
 両親が馬蹄形住居に1926年に越してきて、1928年に生まれてからずっとここで暮らしている。他の住居で暮らしたことがないので、どこがいいかと訊かれても分からないが、ずっと「ここがわが家」という実感があって、他所へ引っ越したいと思ったことがない。
 子どもが多い場所だという印象はなく、むしろ遊び相手を探すのが大変だった。ただ、隣りに昔6人子どものいる家族が住んでいたことは覚えている。父親が労働組合運動か何かで逮捕されていた間は、母親が一人で6人の面倒をみるのが大変そうだったが、わたしは遊び相手がいて楽しかった。
 低地ドイツ語の難しい名前の通りなどもあったが、植わっている木が通りによって決まっているので、子どもの頃は勝手に「白樺通り」などと呼んでいた。
 父親は学校教師で、結婚していないとこの住宅に入れず、女性は結婚すると仕事をやめた時代なので、一人の給料では家賃は高かった。労働者住宅というが、実際に入ったのは会社員、公務員などで、工場労働者は少なかったと思う。
 入居した頃はフリッツロイター通りに薬屋、パン屋、牛乳屋、花屋、裁縫店など小売店がたくさんあったが、みんな車で遠くに買い物に行くようになってから店がどんどん姿を消して、買い物が不便になった。
 ここは台所と居間が南向きで庭に面していて明るく、北側の道路側の部屋は寝室に使っている。昔はそれがよかったが最近、夏が暑くなったので、居間が北側にあって涼しい、馬蹄形の真向かいの住宅がうらやましく思うこともある。
 庭へは地階からしか出られない。歩行器を使わないと歩けないので、もう2年も庭には出ていない。住居は1階なので不自由はない。

☆タウトは、収入にかかわらずすべての人が平等に光と空気と空間を受けることをめざしていたので、テラスになった庭を1階、2階、3階の人がすべて使えるように設計した。庭へは1階から直接出ることはできず、地階からだれでも出られるようになっているのもそのため。しかし実際に借家がはじまると、1階の人だけが庭を使えるかわりに割り増し家賃を払うことになった。

☆自治会はないが、市民のグループはいくつかある。われわれの「馬蹄形用地後援会」Freund und F6rderer der Hufeisensiedlungは、外部の人にここを知ってもらうための情報カフェを金曜と土曜に開き、ニュースレターをつくり、学校をまわって話をし、文化財保護団体賞をもらったこともある。はかに「右翼とたたかう蹄鉄」Hufeisen gegen Rechtsというグループもあって、右翼デモに反対したり、ユダヤ人追悼の「つまずきの石」を守る運動をしている。

☆馬蹄形内の住居はすべて賃貸住宅で、ドイチェ・ヴオーネン杜の所有になっている。家賃は上がっているが、いまだいたい9.50ユーロ/l㎡。
 この住居の広さは65㎡だから、日本円で約75,000円。空き家はゼロ、待機者がいる。

☆馬の蹄鉄は幸福のしるし、馬蹄形の入口は太陽が昇る東に位置する。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂



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