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海の見る夢 №60 [雑木林の四季]

       海の見る夢
          -セレナード第10番~モーツァルト~
                      澁澤京子

 野良猫に餌をあげる「猫オバサン」というものが時折いるが、最近の私は、野鳥の餌のひまわりの種をめぼしい場所に撒いて歩く「鳥オバサン」になっている。

以前、世田谷に住んでいた時うちの近所の遊歩道で、猫に餌をあげる「猫オバサン」が、おじさんにすごく叱られているのを目撃したことがあった。「アンタ、迷惑なんだよ!」おじさんはカンカンに怒っている。おじさんの家なのだろう、おじさんの背後には小綺麗な小さな芝生の庭が生垣越しに見える。チューリップ帽を被ったオバサンは、猫の缶詰の入った袋を手に持ってうなだれ、無言のままだったが、ある晩、犬の散歩をしていると、あの時叱られていた「猫オバサン」がしゃがんで猫に餌をあげていたのである・・「猫オバサン」は人目につかないよう、夜の暗さに紛れてコソコソと野良猫に餌やりすることに決めたのだ。それからだいぶたったある日、やはり犬を連れて遊歩道を散歩していると、「危険!この辺には猫に毒をまく人がいます!」という貼り紙が方々に貼られているではないか。マジックペンで大きく書かれたその字には怒りと恨みがこもっている。とっさに私は、あの時、カンカンに怒っていた小太りのおじさん(小綺麗な家に住んでいる)を思い出した。毒をまかれ、野良猫を殺された「猫オバサン」は復讐のために、お手製の貼り紙(雨に濡れないようビニールが被せてある)をあちこちに貼り付けて歩いたのに違いない・・

あの時の「猫オバサン」のように夕闇に紛れてコソコソと鳥の餌をまきながら徘徊する私・・ここは集合住宅なので勝手に庭に巣箱を設置したり、餌をばらまくわけにもいかない・・しかも、この集合住宅の庭やゴミ置き場を掃除するおじさんたちには、私は大変お世話になっている(一回、鍵を忘れて締め出された時、二階のベランダによじ上るはしごを持ってきてもらい、下で押さえてもらった。)この猛暑の中、長そでの作業着で真っ赤な顔をして一生懸命に庭を掃除するおじさんたちの目の前で、まさか鳥の餌をばらまくわけにはいかないだろう・・

世田谷の家の玄関の脇の水槽には、ギリシャリクガメがいた。いつも、ゴトゴトと水槽の中で動き回っていたが、子犬を飼い始めて間もないある日、突然カメは死んでいた。(世話を忘れたわけではない)・・近所の爬虫類マニアの人から、爬虫類は愛情の対象が他の動物に移ってしまうことを敏感に察知する、とてもデリケートな動物であることを教わった。(その人以外にも、世田谷の家の近所には、部屋に入った途端、まるで熱帯ジャングルのようにディスプレイされている爬虫類マニアの家もあったが・・)犬好きや猫好きは割と一般的だが、爬虫類マニアのように、鳥好きの世界もマニアックで奥が深いのは、思いがけない発見というものがあるせいかもしれない。あと昆虫マニアもいるが、ルーツが人類よりはるかに.歴史が古いと、マニアックになるのだろうか。(昆虫3億5000年前・恐竜2億2800万年前・鳥類1億5000年前・爬虫類3億1200万年前・哺乳類2億2500年前・ アウストラピテクス・・たったの420万年前・・)

世田谷に住んでいた頃、下北沢の町はずれに爬虫類、熱帯魚、珍しい鳥を置いてある小さなペットショップがあって、店内には「動物を見て、気持ち悪いなどという人は入店禁止!」という強烈な貼り紙がしてあった。店主はいつも無愛想で、淡々と動物の世話をしていたが、来店して爬虫類を見た客が、「キャー!キモ~い」とか言うのを,よほど苦々しい思いで聞いていたのだろう。ある日、私がスズメの雛を拾って相談に行くと、その育て方を丁寧に教えてくれたのも、この気難しい顔の店主だった。動物好きの人間に対しては、とても親切だったのである。(雛は立派な雀に成長し、ある日、群れに返した。幼い雀がベランダから飛び立つまで、多くの雀が電線に止まって見守っていたのには感動した。群れに戻ってから、一回ベランダに遊びに来てくれたことがある・・)

ギリシャリクガメはゴトゴトと音をさせるだけで、ひっそりと生きていたし、小鳥の食事なんかも実につましいもので、不気味なのはむしろ人間のほうかもしれない・・

スポーツで狩りをしていた欧米人のほうが、今では動物保護に熱心で、「法医鳥類学」という学問もあるらしい。鳥がどのように殺されたかを分析する、いわば鳥に関する犯罪を扱うもので、鳥が酷い死に方をしたことがわかると思わず感情的になってしまうらしい・・『ナショナルジオグラフィック(日本版)2018・1月号』より

迷い鳥のツイッターを見ると、「駅からオカメインコが付いてくるのでダッシュで逃げました」という投稿があり、その写真のオカメインコの薄汚れて弱った痛々しい姿に、鳥好きたちから「なぜ保護しない?」「かわいそう!」「鬼畜!」とさんざん罵倒され、投稿者はついにその投稿を削除してしまった。鳥好きと、そうじゃない一般人の間の溝は結構深い・・

最近の恐竜研究だと、ティラノサウルスの卵から孵った雛は鳩くらいの大きさで羽毛が生えていたとか(成長すると、うろこにおおわれる)、成年になって羽毛のある恐竜の化石は多く発見され、恐竜の直系の子孫は鳥類・・ということになっているらしい。福井で発見された羽毛恐竜の化石は始祖鳥の一種で、恐竜と鳥類の関係を示すものとしてとても貴重な発見だとか・・もともと羽毛は飛ぶためのものではなかったのである。抱卵する恐竜の化石もある。いつから恐竜は空を飛ぶようになったのかは、いまだ論争中らしい・・鳥というのはやけにカラフルだが、そうすると当然,恐竜もカラフルな羽毛を持っていただろう・・そういえば、オカメインコの冠羽や鶏のトサカはなんだか恐竜っぽいではないか・・ティラノサウルスの両腕は体に比べるとやけに細くて短いが、いったい何の役に立ったのだろう?・・とか、鳩くらいの大きさだったというティラノサウルスの雛を育てると、13メートルの体高になっても飼い鳥のように人になつくだろうか?・・とか、いろいろと空想すると実に楽しい。

恐竜→鳥類のミッシングリンクを解くカギは(鳥の巣)にあるんじゃないかという仮説を立てたのが鈴木まもる氏。芸大に通っている時、偶然、山道で見つけた鳥の巣の造形の美しさに魅せられ、世界中の鳥の巣を見て回った経験から、恐竜→鳥類への進化プロセスは一つに絞られず、多数のプロセスがあるんじゃないかというもので、鈴木まもる氏の書かれた本は絵本を含め、皆とても素晴らしい。確かに、ニワシドリの巣のディスプレイやダンスはオスがメスを引き寄せるためというにはあまりに洗練された見事なもので(you tubeで観ることができます)もちろん他の鳥も、その巣の造形の美しさといい、多様性といい、鳥というのは明らかに独自の「美意識」や「文化」のようなものを持っているとしか思えないのである。(鳥は視覚が発達しているから当然なのかもしれないが)

三畳紀(約2億年前)、活発な火山活動のため低酸素になった地球で、「インスリン耐性」を獲得したことが恐竜→鳥類への進化につながるのではないか、という仮説(そのために渡り鳥は長時間の飛行が可能だとか)を提唱したのは佐藤克己氏(応用生物学)

大型の恐竜は滅んでも、鳥類は空を飛んで外敵から身を守り、コンパクトな巣を作って雛を育てる事で生き延びてきたのだ・・「恐竜はなぜ空を飛ぶようになったのか?」はいまだ神秘のヴェールに覆われたまま。

昔、実家の近所に山階鳥類研究所が残っていた頃は、うちの庭にもキジやヒヨドリなどがよく訪れていたが、山階鳥類研究所の古い洋館はとうの昔にこわされ(千葉に移転)、今は高級マンションと新日鉄の迎賓館が建っていて、いつしか、渋谷近辺で観られる野鳥はほとんどカラスになってしまった。(渋谷は、特に駅周辺のネズミの数がすごくて、カラスはそれも狙っているのだろう。カラスはとても賢くて、うちの犬もよくからかわれていた。)昔、国木田独歩が住んでいたころの渋谷はまだ鄙びた、田園風景が広がるような田舎で、山階鳥類研究所ものどかな頃の渋谷に建てられたのだろう・・カラスの多い渋谷に比べて、ここら辺にはまだ野鳥が生息しているのがとてもうれしい。最近は隼のような猛禽類が明治神宮を中心に、都市部に侵出してカラスを駆逐しているらしい。(カラスがいなくなると渋谷近辺のネズミはまた増え続けるんじゃないだろうか・・近年、渋谷のネズミがやたらと増えたのは、カラスを大量虐殺し駆除した故・石原都知事のせいに違いないと思っている私・・)この間、吉祥寺の駅前のバス停の上空に、カラスよりずっと大きな鳥が悠々と飛翔しているのが見えたが、井の頭公園にも隼は生息しているのかもしれない。隼が都市部に現れるとともに、カラスと他の野鳥が結託して隼に対抗するというから鳥の世界は実に面白い。カラスは実に頭がいいから、そのくらいのことはするだろう。(隼を見つけたカラスが最初に警告して鳴き、雀など他の小さな鳥たちがまず逃げるらしい)

しかし、飛翔のスピードの速い隼に狙われたら、オカメインコのチルはひとたまりもない・・とオカメインコを探しているうちに、電線に止まっているシルエットだけで何の鳥なのだいたいかわかるようになってきた。野鳥の会の中西悟道や、鳥類研究所の山階芳麿など、鳥という賢い生物に、昔から魅入られた人は多い。人間に似た感情があったり、鳥ってすごく魅力なのだ。しかも自由で遊び好き、愛情深く、無欲で美しいのである。-

~命のことで何を食べようか、何を着ようか思い悩むな。・・種もまかず,刈り入れもせず、納屋も蔵も持たない。それでも神は烏を養ってくださる。あなた方は鳥よりもどれだけ値打ちがあることか。・・「ルカ12:22~」

モーツァルトのセレナードNo10の出だしには天上的な美しさがあるが、空を自由に飛び回る鳥の姿はまさにああいう感じなのである。


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