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海の見る夢 №57 [雑木林の四季]

          海の見る夢
         -夜のガスパールー
                 澁澤京子

    ~おお夜!おお生気を与える暗黒! ~ボードレール

 ずいぶん前に、友人Sと京都旅行に行ったときのことだ。鞍馬神社から鞍馬山を登り貴船神社まで下りて、夕食ににしんそばを食べたことがあった。川床料理の季節がとっくに過ぎた晩秋の夕方は暮れるのが早い。真っ暗な山道をバス停まで小走りに歩いている時、ふと、京都には漆黒の闇というものが存在する、と思ったことがあった。まさに漆黒の闇のように、背後に山の気配があった。それは東京にはすでに失われた、古い都市にしかない独特の闇といったらいいだろうか。京都や奈良、高野山あたりの関西のうっそうとした自然と、関東近辺の自然とはぜんぜん雰囲気が違う。関西の山には、いまだに天狗のような魑魅魍魎が息を殺してひそんでいそうな、古色蒼然とした神秘的な雰囲気があるのである・・京都がいつも観光客に魅力的なのは、他の土地にはない、こうした漆黒の「闇」をいまだに抱えているからだろうか。

関西の人が京都弁、大阪弁を大切にする気持ちもわかるのは、標準語に比べるとずっと人間的な柔らかさを持っていて、洗練されているからだ。(義太夫の稽古は、まず、生粋の大阪弁の習得からはじまるという)

爛熟した都市文化から、デカダンスが生まれる。19世紀末パリの、ボードレールの「悪の華」の闇の対極にあるのは、地中海的なギリシャ的な煌めく陽光だが、そうした「闇と光」というくっきりとした二項対立ではなく、京都の闇と対になるのは、ぼんぼりの灯りのような、今にも消えそうなほのかな明るさで、闇と光の境界線があいまいであり、その闇はトンネルのように無限に続いてゆく感じなのである。

そしてまた、女性性と男性性の境目をあいまいに生きた、甲斐庄楠音の絵にも底知れぬ無限の闇がある。

はじめて甲斐庄楠音の絵を知ったのは、久世光彦さんのエッセイだったと思う。二人の少女が向かい合って日本舞踊を踊っている絵で、背景は吸い込まれそうな漆黒の闇。すごく怖いのである・・怖くてグロテスクだけど、なぜか目を離せなくなるのは、蕭白の絵と同じ。京都近代美術館から甲斐庄楠音の画集を取り寄せてみたが、やはり不気味な絵が多い・・不気味なのに、なぜか魅入られてしまうのである・・

甲斐庄楠音。お公家さんの家に生まれ、子供の頃は京都御所で育つ。京都一中を中退し、美術学校に通い、日本画ではめきめきと頭角を現すが、『穢い絵』と酷評され(酷評したのは土田麦僊らしい)日本画壇からは追放され、やがて溝口健二の映画の時代考証、着物のデザインや着物の着付けを担当するようになった。(何しろお公家さん出身なので、着物のデザインにも着付けにも抜群のセンスを持っていて、彼のデザインした『雨月物語』「溝口健二監督」の着物はカンヌ映画祭で評判となる)

You tubeで拝見した井上章一さんのお話によると、甲斐庄楠音の若いころの京都では、お公家さんや老舗の大店の家のお坊ちゃんはほとんどが大学に進学しなかったという、中学を卒業したらあとは適当に家で勉強して家業や家を継げばいいということで、要するに、生計をたてるために男子が就職する習慣というものが、その頃の京都のブルジョワ階級にはまだなかったのだ(歌舞伎に出てくるような、生活力のない若旦那がまだ結構いたのだろう)・・甲斐庄楠音には、そうした出自と関西独特の文化背景があった。

それにしてもあの異様な感じは何だろう?やはり、実物を見てみないとわからない。東京駅ステーション美術館で開催されている「甲斐庄楠音の全貌展」を観に行く。画集では知っているが、実物を見るのは初めて。着物の微妙な色合いとか、画集より実物のほうが断然美しい。「幻覚」「島原の女」「舞ふ」など不気味な絵も展示されているが、色彩の美しさのほうが圧倒して画集で観るほど怖い感じはない。「肌香(はだか)」とは甲斐庄の造語らしいが、本当に女の脂粉の匂いが漂ってくるような皮膚の質感と艶めかしさなのである。女形に女装した甲斐庄のたくさんの白黒写真も展示してあった。お雛様のような瓜実顔の美少年だった若き甲斐庄には、女装がとてもよく似合う。

・・美人画のすべては男に詩想された女である。女を描くために描かれた女である。女そのものの心のうちに溶け込んで、女の純粋な姿なり情なりを、あるがままに現はしたもの歌麿の如きは無い。・・「浮世絵を見る」甲斐庄楠音

歌麿を尊敬していた甲斐庄は、女を内側から描くために女装した・・彼の描く女が、圧倒的に艶めかしく、そしてまたグロテスクなのは、あくまで「あるがまま」の女を描いたからだろう。甲斐庄の絵には、聖なるものと同時にグロテスクも描いてしまうカラヴァッジョにも通じるものがある。グロテスクでエロティックでありながら、際どいところで下品にならないところも、カラヴァッジョに似ている。

岸田劉生の「汚いものは汚いまま描く」は当時の日本画ではまだ通用しなかったのだ。

展示された作品の中でもひときわ存在感があったのは、彼の母親の肖像画だった。いかにもお公家さんらしい長い顔立ちとふくよかな体系・・(東山千栄子に似ている)その肖像画を見ただけでも、甲斐庄が母親の大きな存在に圧倒されていたことがよくわかる。

・・何者かにひれ伏して祈りたい心、何者にも反抗して荒れ狂ひたい心、この二つの心が絶えず私の生活を苦悩さす。私の絵がともすれば暗くなったのは、これに起因しているようである・・甲斐庄楠音

あえて「穢い絵」と言われるような日本画を描いたのも、甲斐庄の日本画壇に対する反抗だったのかもしれない。新藤兼人のエッセイによると、溝口健二は酔うとサディスティックに、甲斐庄をいじめたが、そのたびに甲斐庄は、言い返すこともせず、決して怒ることもせず、ぬらりくらりと溝口健二の攻撃をひたすら受け身でかわしていたらしい。もしかしたら、溝口健二は、甲斐庄の性格の複雑さとつかみどころのなさに、イライラしたのかもしれない・・私は甲斐庄のそういう態度に、千年以上も細々と続いたお公家さんの古い血の、決して正体をつかませないしたたかさというものを感じるのである。(反抗心と従順)そうした矛盾は同時に、古い都に生きる京都人のしたたかさでもあるのかもしれないが。

2019年に京都撮影所で発見された甲斐庄のデザインした着物も今回展示してある。斬新な洒落たデザインで、彼が子供の頃に過ごした京都御所近辺の華やかな雰囲気を連想させる。何冊ものスクラップブックも展示してあって、切り取った好きな写真が貼りつけてある。三島由紀夫、ボンドガール、ショーン・コネリー、高倉健、外国人女性の水着写真が多いが、加賀まりことオードリー・ヘプバーンの横には「妖精」という文字が貼ってあった。

小さいころから歌舞伎と文楽が好きで芝居に通い詰めたという甲斐庄。女装趣味は、芝居好きとも関係があって、実際に素人歌舞伎にも出演していた。子供の時から南座に通っていたので行く度に「坊ん、おいでやす」といい場所に案内され、女形の雀右衛門のファンだったという。

彼の絵の持つ独特の闇は、京都という古い街の持つものであり、彼の古い血筋にあるものであり、そしておそらく歌舞伎からくるものでもあるのだろう・・歌舞伎の明るい舞台の裏側には、なぜだか深い闇が果てしなく広がっている感じがするのだ・・

猿之助事件で、その存続まで危ぶまれはじめた歌舞伎。そもそも歌舞伎という芸能が、文部省推薦のような健全なものではなく、成熟した退廃的な、エロティックでグロテスクな美を持っているものなのだ。修身の教育的効果を狙った文部省唱歌よりも、童謡のほうが芸術的に優れたものが多いのは、やはり子供の歌に「道徳」を盛り込むことを拒絶したからではないだろうか。

ナチスは「退廃芸術」としてモダニズムや現代美術を追放したが、日本の場合「セクハラ」で古典芸能も、芸能もつぶしてしまうんだろうか?

「美しい日本」と言いながら、実は日本の伝統芸能なんかどうでもいいと思っているとしか思えない。歌舞伎や文楽、落語といった伝統芸能を支えてきた江戸時代の庶民のほうが、今の日本人よりもずっとセンスがよくて分別も持っていたのではないか、と思う。

ロマン主義で、怪奇趣味のあったラヴェルの「夜のガスパール」は甲斐庄楠音にふさわしい。ロマン主義者がそうであったように、甲斐庄楠音は完全な「夜の住人」だったのだ。都会から闇が消えれば、ロマンもまた消えてゆくのではないだろうか。

※澁澤さんのインク「チル」をさがしています。
澁澤京子2.jpg



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