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地球千鳥足Ⅱ №27 [雑木林の四季]

生きて埋め込まれた修道士が呼んだ
   ~ラトビア共和国~

         小川地球村塾塾長  小川彩子

 タリンからの高速バスがラトビアの首都リーガに入ると、赤松と白樺の林が延々と続く。
タリンでの宿探しに懲りてここではバス発着所のインフォメーションに入り紹介を頼んだだが翌8月21日は首都リーガの創設記念祝日であり、この国の独立記念日。ホテルはこの国でも5つぐらい満杯で、結局不便な街外れの新ホテルを紹介されたが、「祝日のためトラムもバスも2日間無料だ」と教えてくれたのは有難かった。
 ホテルは遠かったがトラムが公園の真ん中の、白樺並木すれすれに通る風情は素晴らしかった。降りて道を訊いた人は親切で、かなりの道のりを楽しそうに案内してくれた。ホテルも格安で親切、覚えやすい名の受付「アンタ」さんの助けで以後の旅の情報入手、ダゥガヴア川への入り日が眺望できる部屋を頂いた。地の利を得られないホテルも悪くない乗り物無料のお蔭で首都リーガを縦横無尽に乗りまくった。近くには建物正面に彫像が浮き出たユーゲントシユテール建築群通りがあり、赤や青の煉瓦に喜怒哀楽を表す人面、獅子その他の獣面や女性像等が装飾された高い建物が並んでいる。素晴らしさに口を開けて歩いていたらフランス人男女が近づき日本語で自己紹介した。九州大学で日本語を学んだと言う。彼らと日本語で話しつつ、彫像建築も見逃さないよう上を向いて歩いた。
 リーガの中心、市庁舎広場に来ると守護神ローランド像の向こうに、目が覚めるように美しいブラックヘッド会館がある。明るい煉瓦色の正面に人物像の彫刻群と彫金細工の大時計。これは数百年の歴史を持つ建物だがドイツ軍の空襲で破壊され、近年完璧に再建されたというもの。旧市街を大切に保存するリーガには溜め息の出る美しい広場が沢山ある。
ドウマ広場も溜め息広場だ。ここでリーガ大聖堂を見上げていたら「小川さん!」と声がした。エストニアの長距離バスの切符売り場で会った、ブラジルから来たK夫妻だった。
あの時立ち話で私たちの知人(夫の会社の後輩)と友だちだとわかり、ブラジルでの再会を約して別れたのだが、ここで私たちを見つけてくれたのだ。お互い休みなく動き回っている身、よくも同時刻にすれ違ったものだ。「この大聖堂には昨夜大統領が来てドウマ広場は一晩中お祭り騒ぎ、ビール片手に過ごした」と興奮していた。私たちは寿司屋に入り、この広場と大聖堂を眺めてひと時を過ごした。この夫婦とはバルト三国で予期せず計3回も会ったのだ。波状に花を植えて川を表現したリーヴ広場も溜め息の広場、近くには屋根の上に尻尾を逆立てた猫が立つ家もあり、その下で人々がビールを楽しんでいる。独立を祝う立派な行列が、騎馬隊を先頭に民族衣装で街の通りという通りを練り歩いていた。
  聖ペテロ教会で塔に上がってリーガを見晴らしてから17世紀の城壁の門をくぐり、ゴシック建築の聖ヨハネ教会へ。悲しい修道士の物語に引き寄せられて。この教会には日本の人柱に似た伝説がある。日本では橋をかける時に安全のためと信じて地中に人を生き埋めにした時代があった。この地でも教会建築時、生きた人間が壁に埋め込まれれば教会の安全性が維持されると信じられ、2修道士が応募、壁の外側には食べ物を放りこまれる穴があった。しかし彼らは長くは生きられなかった。煉瓦の壁に口を開いた哀れな修道士の顔面がある。この口を開いた修道士が「もっとここに居てー」と呼んでいるようで後ろ髪をひかれた。その近くに人だかり…‥・。なんと動物たちの彫像「ブレーメンの音楽隊」だった。あれ? ここはドイツじゃあないのになぜここに草臥れたロバ、犬、猫、鶏がいるの?
 ドイツを抜きにしてラトビアは語れない。ラトビアには長期にわたりドイツやソ連に交互に侵攻、駐留、占領された歴史があった。私が生まれた頃以後の歴史だけ辿って見ても、1940年ソ連軍がラトビアに駐留、塊偏(かいらい)政権樹立、大量流刑、次にドイツ軍がバルト三国に侵攻、占領し、大量のユダヤ人が強制収容所へ。1944年再びソ連軍がドイツ軍にとって代わりラトビアを占領し流刑再開、と目まぐるしく支配者が変わったのだ。
 私が故郷で土手滑りを楽しんでいた幼児の頃、このような苦しみを重ねていたのだ。1991年8月21日ラトビアは独立した。この記念日を挟んで3日間、私たち夫婦はこのきれいな街でお祭り気分のおすそ分けを頂いて過ごしたのだった。
                     (旅の期間‥2011年 彩子)

『地球千鳥足』 幻冬舎



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