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山猫軒ものがたり №22 [雑木林の四季]

囲炉裏とかまど 2

        南 千代

 新年早々、山猫軒に新しい犬がやってきた。放し飼いにする鶏をキッネやタヌキから守るために、牧羊犬としての血が流れているコリーを捜していたのだ。為朝も華も、小さい時から教えたので、山猫軒の鶏には手を出さなかったが、ポインターの血を引いているため、積極的に守るところまではいかなかった。
 コリーは、専門の繁殖家の所からもらった。血統がとても良い犬だとか。しかし、生後六カ月を過ぎても、耳が少し深く折れたままだという。コリーの場合、上三分の一からの折れ方でないと、展覧会では軽微欠点に入る。このため、繁殖家はコンテストに出すことをあきらめ手放すことにしたらしい。犬が大好きそうな繁殖家は惜しそうに言った。
「ほんとにいい犬なんで、手放さずにとっておいたんですがねえ」
 コリーは、基礎訓練を受けており、引き綱をつけると猫のようにおとなしくなって、人間の左横にピタリと並ぶ。一緒に歩いても、決して人より前に出ない。為朝と華には、躾をすることもせず、山を勝手に走り回らせて野放図に育ててしまったので、私はすっかり感心してしまった。
 引き取られてきて、山猫軒の土間にちょこんと座ったコリーは、生後六カ月とはいえ、体重はすでに三十キロ近い。名前は、ガルシィアと付けられていたが、これは通称で本名はダーリン・オブ・フローレンスリバー。長ったらしい本名はもとより、ガルシィアと呼ぶのもどうも山猫軒にはそぐわない。
 人のあとをチョロチョロと、どこに行くにもついてくるのでチョロ松、あるいは龍ケ谷からとって龍太、と呼んでみたが、キョトンとしていて反応しない。それに、コリー犬なのでチョロ松というのも何だかしっくりこずに、やはりガルシィアと呼ぶことになった。
 父犬、母犬共に五代前までさかのぼった血誓がついており、先祖三十匹の犬のほとんどいジャパンコリークラブのグランドチャンピオンやアメリカケンネルクラブのチャンピオンなどの肩書きがついている。人間の方が、気おくれしそうな家系、いや大系だ。飼主の私なんか、祖父母の名前までぐらいしか知らないというのに。
 しかし、当のガルシィアは、今日も、猫のウラに長い鼻の頭をひっかかれそうになって逃げ回っている。山に慣れていないため、浅い流れも渡れないお坊っちゃんであるが、性格は従順でやさしく、為朝や華ともうまく暮らしているようだ。鶏小屋に同居させて、鶏に慣らそうとしたが、その必要はなかった。
 目の前をヒヨコが歩いていても決して手を出さず、珍しいのかヒヨコの後を一日中ついてって遊んでいる。

 節分の日。地元の熊野神社から、いり豆が紙包みで届いた。二月になると、ようやく太陽がわずかな晴間劇をのぞかせるようになり、私たちは穴から出てきたモグラのように、まぶしさを感じながら、番が近づいているのを知った。
 裏の土手には、黄色い福寿草が小さな花をつけ、陽射しも、今日は庭の桃の木まで、今日は縁側までと、その手を伸ばしてくる。長い冬が終わろうとしている。夫の言った通りだ。後は日一日と暖かくなるのが楽しみだ。夜の間にバリバリに氷が張る台所からも、冷蔵庫に入れておかないと凍ってしまう牛乳からも、もうすぐ解放される。
 去年の七月に新しく仕入れておいたヒナも新たに卵を産み始めた。桜色のかわいい玉子だ。地元の人も、新しく越して来た私たちの様子を見ようと、やって来た。長年、よそから人が移り住むことなどなかった地である。珍しいのだ。
 「ちょっと、鶏を見せてくんな」
 と言ってのぞいていく。
 越して来る前に、養鶏は周囲に悪臭を放つからと、私たちが来ることに反対していたらしい一部の人も、越して来る前に説明した通り、企業養鶏と違って全く臭いがしないとわかると、感心しつつお茶を飲んで、手土産にと差し出した玉子を手に帰って行った。土地の人は皆、律儀なので、玉子を手渡すと金を払おうとする。
 金をもらうつもりはもちろんないので、「何かあまった野菜でもあったら分けてください」と言って渡していたら、ほんとに次に来てくれる時には、野菜や手づくりの漬物を片手にお茶を飲みに来てくれた。
 自然に生まれた物々交換である。金にすればその金で野菜を買えばよいのだから、同じように思えるが、マーケットで買う場合、直接の物々交換によって生まれるような会話はない。どうやって作ったとか、どう料理して食べるとうまいという話に加えて、地元のさまざまな話や情報を、玉子を介してごく自然に私たちは知ることができた。
 こちらも、なぜ龍ケ谷に来たのか、どういう仕事をしているのか、これからここで養鶏を中心に畑や田をやりたいことなど、私たちのことを知ってもらうことができた。玉子を間に置くと、地元づきあいがスムーズに運ぶ。
 私たちはうれしくて、これをひそかに「丸い玉子外交の輪」と名づけ、項きもののお返しや、集落の人々との会話の糸口にしたり、さまざまな人と知り合うために役立てた。

『山猫軒ものがたり』 春秋社



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