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夕焼け小焼け №19 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

堀江国民学校

         鈴木茂夫

  昭和16年(1941年)年末、父は高雄支店勤務となった。
 年明けの3日夜、台北駅から高雄行きの特別急行寝台車に乗る。初めての寝台車になかなか寝つかれなかった。朝7時、高雄着。高雄市は標高200メートルほどの寿山の台地の下に所在、高雄川(現・愛河)を挟んで市街地が展開する。
  住居は高雄支店が事前に手配してあった。入舟町の平屋、5室ある。
 塩埕町の2階建て堀江国民学校(現・塩埕国民学校)に転校、担任は福原義愛先生、5年2組の男子学級に編入された。格別に歓迎されなかったが、いじめもなかった。  
 学級を仕切っているのは梨田鉄彦君だ。中ぐらいの細身だが筋肉質の身体だ。眼鏡をかけているが、滅法喧嘩に強い。誰も手向かうのはいない。勉学の成績も悪くない。理想的な番長だ。仲良くしようとちかづくと心地よく相手してくれる。わが家からも近い。私はときどき鉄ちゃんの家を訪ねた。梨田建設と表札が出ている。付近の家屋とは違うがっちりした2階屋だ。広い玄関は檜造りで磨き込まれて光っている。鉄ちゃんの部屋は2階にある。勉強机は整理されていて、予習、復習をきちんとしているのは明らかだ。
本棚に雑誌「航空朝日」「飛行少年」がある。鉄ちゃんはその中の1冊を取り出した。
 「俺は飛行機乗りになりたいんだけれど、近視で視力がないから無理なんだ。しようがないからこれを読んでる」
 「僕もそれは毎月読んでる。飛行機は面白い」
 これをきっかけにして私は鉄ちゃんと仲良しになった。
 もう一人、陳郁彬がいた。鉄ちゃんの家の裏側の行徳眼科だ。
 玄関に「国語常用家庭」と表札が出ている。台湾人の学友が日本人主体の中学を受験するには必要なのだ。日本語の学習に母子は努力されたのだ。優しい品のある母親と暮らしている。物静かだ。ゆっくりと語る。日本の正月のお雑煮の中身について質問され、返事したのがきっかけだった。気があって親しくなった。それからときどき、日本内地のことを聞かれて返事した。
 郁彬君が模型飛行機を作ると、目を見張るように精緻にできあがる。A1型はプロペラを回してゴム紐をねじらせて飛ばす。郁彬君の機体は真っ直ぐに20メートルの高さまで上昇し、300メートル以上飛んだ。
 毎月8日を大詔奉戴日とした。朝礼で宣戦の詔書を読み上げるようになった。
6年生の新学期を迎える。
 3月半ば、新しい歌謡曲・大東亜決戦の歌が街の中に聞こえてきた。

        起つやたちまち撃滅の  勝ちどきあがる太平洋 東亜侵略百年の 
    野望をここにくつがえす 今 決戦の時 来る

        征くや激しき皇軍の 砲火はたけぶ大東亜 一発必中肉弾と
        散って悔いない大和魂 今尽忠の時 来る

    勝利を歌う歌だ。勝利に次ぐ勝利を収めている。シナとだけ戦うのではない。アメリカ、イギリスを相手に、大東亜で戦っているのだ。私が大人になる頃には、戦争が終わってしまうのかもしれない。
 父に連れられて繁華街の映画館・金鵄舘で新作「江戸城最後の日」を見た。

  1867年、徳川幕府は大政奉還を申し出る。薩長土以下21藩は徳川打倒を主張。幕府の内部では、江戸城で官軍と戦うか、平和交渉で城を明け渡すかの意見が別れていた。幕府を支える勝海舟を名優・阪東妻三郎が演じる。官軍が薩摩長州以下二十一藩の軍勢が江戸城を攻撃するという知らせに、穏健派の勝安房守は決戦を主張する者たちを抑えるのに苦心する。勝海舟は大総督府参謀・西郷隆盛を説得し、江戸城を無血開城させた。

 平和を求めて命がけの働きをする勝海舟に感動した。
 この日の映画を最後に、映画を見ることもなくなったが。

  学校の一部に重装備の陸軍部隊が駐屯した。校庭の3分の2はトラックと梱包された荷物で占められている。下級生の教室は兵士の寝室にされた。
 朝は起床ラッパが吹奏される。番号を叫ぶ声。兵士が校庭に整列。点呼が行われる。
 軍人勅諭の五箇条を斉唱する。
  我國の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にそある
     一 軍人は忠節を盡すを本分とすへし
     一 軍人は禮儀を正くすへし
     一 軍人は武勇を尚ふへし
     一 軍人は信義を重んすへし
     一 軍人は質素を旨とすへし
 この後、兵士は、武器・備品の整備に励んでいた。
 兵士に尋ねると、自分はインドネシアを任務とする第16軍で、仙台の第2師団ですと,話してくれた。しばらくして兵士達の姿が消えた。
 父に尋ねると、きのう大輸送船団が出港したという。高雄の町は前線に近いのだ。
 高雄では、町の中を散策している海軍の軍人に、自宅で泊まっていくように話しかけて連れかえることがよくある。
 3月中旬の夕方、父が海軍の下士官を2人連れてきた。水上機母艦能登呂の乗員で機関を担当する片山,長野ともに2等兵曹だ。海軍は外出するのを上陸という。2人は上陸したもののどこへ出かければいいか見当がつかないで、埠頭でまごまごしてるところを父に声をかけてもらったという。
夕食は格別の料理があったわけではないが、よく食べた。わずかにあったビールをあけ、満足そうな顔をしていた。問わず語りに二人は、こもごも話した。
水上機母艦とはあまり人に知られていないが、陸上機を積む最近の航空母艦が誕生するまでは、水上機母艦が水上機を積んでいた。14隻が活動している。それぞれ給油艦に改装されている。自分たちは大正9年(1920年)に竣工した水上機母艦能登呂に乗っている。以前は水上機を3機積んでいたが、今は積んでいない。主な任務は給油艦として活動している。
 長谷川清司令官のいたシナ派遣艦隊にも属して、多くの艦艇に重油を補給していた。地味な仕事だけれど、達成感はある。
 あくる日、2人は能登呂へ案内してくれた。軍艦だからいちおう大砲はあると、高角砲2門、機銃連装6基を見た。これでは本格的な海戦に参加するのは無理だ。いざという時は戦場の後ろに下がっているのですよと、2人は笑っていた。
 私はすっかり能登呂とお馴染みになって帰宅した。

 4月のある日、父が海軍の下士官を一人つれて帰宅した。古城兵曹と言った。
 古城さんは、母の作った夕食を、美味しいですと何度もお代わりして食べた。入浴して寝間着に着替えた古城さんは,問わず語りに話し始めた。
 自分は鹿児島の出身で、海軍に志願し飛行機の搭乗員になったという。美幌航空隊の96式陸上攻撃機に搭乗し機関士をつとめている。古城さんは話しはじめた。
 イギリス東洋艦隊の旗艦プリンス・オブ・ウエールズと巡洋艦レパルスは、マレーに展開する日本陸軍の作戦を阻止するためにマレー沖に出動してきたのだ。当時、日本海軍は、巡洋艦4隻を配置していたが、その戦力ではイギリス艦隊に対抗するのは難しいと判断。
 昨年12月10日、海軍航空隊は、雷撃機50機、爆撃機25機を動員。
 この日の12時頃、自分の乗った96式陸上攻撃機の編隊は、マレー沖を航行する2隻の上空に到着。つぎつぎに水平爆撃と魚雷攻撃を行なった。高度を下げ、海面すれすれで飛ぶんです。敵艦の甲板が上に見えました。波のしぶきがかかってくると感じるほど低いんです。目標の敵艦に衝突しそうになった時、魚雷を放ちました。
 12時33分頃、レバルスが魚雷を受けて沈没。
 13時50分、プリンス・オブ・ウエールズも魚雷を受けて沈没しました。
 イギリス東洋艦隊の旗艦は壊滅したのです。
 1時間以上、古城さんは話した。父も母も私も、身じろぎしないで聞いていた。戦争の現場の声だった。
 私は「古城さん」と題して、マレー沖海戦を詩にした。それは廊下に張り出された。

 「君たちには、中学の入試がある。それぞれ真剣に準備をしなさい」
  目標は高雄中学だ。試験には、国語,国史、地理、算数、理科の5科目が出題される。私は木原の学習プリントを取りよせ、5科目のテストを1日に5枚あげることにした。
 懸命に参考書にむかった。頭の中に知識として理解することと、規則・公式を応用することが入っていった。
 ときどき、繁華街の中にあるフルーツ・パーラー「亜細亜」に連れていってくれた。
 クリーム・ソーダかフルーツ・パフェを注文した。とても豊かな気分になった。
 それと夜間、自転車にラムネを積んだおじさんが、チャルメラを吹きながらやってくるのも愉しかった。その味は高雄ならではのものだった。

 夏休みのさなか、級友3人と連れだって、寿山の高雄神社で合格祈願をした。
 年が明けた昭和17年(1942)2月、高雄中学の試験。赤煉瓦の校舎が受験生であふれた。 受験番号は98だった。懸命に答案を書いた。分からない問題はなかった。
 2日したら発表だ。掲示板に長い巻紙が広げられていく。それを見つめる受験生から歓声とため息が入り交じる。
 あった。98番合格だった。鉄ちゃんも笑っている。だが郁彬君の番号はなかった。
 駆けるようにして福原先生に報告、喜んでもらえた。
 帰宅して母と買い物に出かける。まず書店だ。クラウン英語読本、国語、漢文、教練教科書、日本史、東洋史、地理、物象、代数、幾何、音楽だ。風呂敷包みにいっぱいだ。
 学帽は制帽と防暑用のヘルメット。制服1着。巻き脚絆。肩掛けカバン。1学年の襟章、氏名標、相当な量になり、人力車で帰宅した。
 それらの品物を見ると、小学校とはちがう勉学がはじまるのだと思った。
 父も帰宅して喜んでくれた。
 「よかったね。英語にしっかり取り組んでみよう」
 英語の教科書を開く。あらたな世界がはじまるのだと嬉しかった。
 数日して郁彬君は高雄工業に合格したとか。ホッとした。



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