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『知の木々舎』第360号・目次(2023年5月上期編成分) [もくじ]

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【文芸美術の森】

妖精の系譜 №73                  妖精美術館館長  井村君江
 あとがき 二十一世紀末に生きるお妖精 1
石井鶴三の世界 №255                 画家・彫刻家  石井鶴三
 蟹満 1957年/迷企羅大将
西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」№126 美術史研究家 斎藤陽一
 明治開花の浮世絵師 小林清親 10 
   「東京名所図」シリーズから:一日の中の光の変化
浅草風土記 №25                 作家・俳人  久保田万太郎
 隅田川両岸 4
子規・漱石 断想 №5               子規・漱石愛好家  栗田博行
 よのなかにわろきいくさをあらせじと
      たたせるみかみみればたふとし(再校・補筆 2024.3.1)
武蔵野 №5                          作家  国木田独歩
【ことだま五七五】

こふみ句会へGO七GO №130                  俳句 こふみ会     
 「暖か」「朝寝」「蜂」「落花」   
郷愁の詩人与謝蕪村 №28                詩人  萩原朔太郎
 秋の部 5
読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №182                川柳家  水野タケシ
 4月3日、17日放送分
【雑木林の四季】

BS-TBS番組情報 №304                           BS-TBSマーケテイングPR部
 2024年5月のおすすめ番組(上)
海の見る夢 №75                                   渋澤京子
  鳥のカタログ
住宅団地 記憶と再生 №34   国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治
 テッサウのツオーバーベルク団地 
地球千鳥足Ⅱ №46            小川地球村塾村長  小川律昭
 変動と神聖のイエロー・ストーン公園
山猫軒ものがたり №38                      南 千代
 小屋を建てる夢 2
【ふるさと立川・多摩・武蔵】                                                   

線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №224      岩本啓介
 樽見鉄道・谷汲口駅の桜
夕焼け小焼け №35                      鈴木茂夫
 上村家の蔵書のはざまで 2  
押し花絵の世界 №202                                      押し花作家  山﨑房枝
 「ウエルカムボード」   
赤川ボンズと愉快な仲間たちⅡ №55          銅板造形作家  赤川政由

多摩のむかし道と伝説の旅 №125               原田環爾
 西多摩の多摩川河畔の桜道を行く 5
国営昭和記念公園の四季 №151
 ネモフィラの岡
【代表・玲子の雑記帳】               『知の木々舎 』代表  横幕玲子

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妖精の系譜 №73 [文芸美術の森]

あとがき 二十世紀未に生きる妖精 1

        妖精美術館館長  井村君江

 毎年夏になると、コーンウォールでは恒例のカー二ヴァルが催される。今年は八月二十二日、マウント湾(ベイ)の海ぞいの町マーズルー ―ニューリン ―ペンザンス ―マラザイアンのコースで、二十近い山車がバンド演奏やバトンガールを先頭にねり歩き、町の広場に来ると歌い踊り、沿道や戸口に立つ見物人たちから筒や箱に献金を集め歩いた。夏休みの子供たちを中心に、町の人々がそれぞれのテーマで車の上に背景のセットを組み、「白雪姫と七人の小人」「ピーター・パンと海賊の戦い」「小人の靴屋」「ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家」「ヘンリー八世と6人の妻」など酒肴をこらし、登場大物の衣慧をつけ、賞を競うのである。わが家のあるマラサイアンの町の出し物は、ユル・プリンナーに似ている、パブ「ゴドルフィン・アームズ」主人の扮する王様と、美しいドレスで見違えたパン店「オーヴン・ドアー」の娘さんがコンビを組んだ「王さまと私」であった。賞は黄白いすユールのドしスてに金の冠を着けた美しい女王のまわりに、さまざ差可愛らしい花の精たちが踊るニューリンの「妖精の女王」が獲得した。
 このカー二ヴァルから一週間のち、ワイト島のべンブリッジにあるラスキン・ギャラリーを訪れるため、ライドの町に船で着いた。避暑の客たちで賑わう港町には、万国旗がひるがえりバグパイプの曲が流れ、やはりカーニヴァルの一行かシュロの樹の下を華やかに撮っていった。またまた「妖精の至」「花の妖精」「七人の小人たち」などのファンタステイックな山車の行列続き、フェアリーランドに来たような錯覚さえおぼえた。そしてこれが現代の妖精のなれの果てか――ーと思ったのである。考え方によっては、こうした形で妖精がイギリスにはまだ現代に生き続けている――と言えるのかも知れない。カーニヴァルという祝祭が、人々の現実感覚をずれさせると、古代や祖先の土地への吸収が湧き、幼い日々へ心は帰り、そこから妖精たちが懐しい心とともに復活してくるかも知れないのである。
 冬がきてクリスマスの季節になると、妖精はまた人々の間に現われてくる。もちろんキりスト教の祭に登場てきるわけはないが、冬休みの子供たちが楽しみにする「クリスマス・パントマィム」の主役として、舞台で活躍するのである。パントマイムといっても、日本で知られているマルセル・マルソーなどの無言劇ではなく、歌と踊りをふんだんに盛り込んだミュージカルに近い舞台である。もともとパントマイムは、一七一七年ごろローマを経てロンドンに入ってきた「ハレルキナード」という滑稽劇から来ている。ピエロ的な道化師ハレレルキンが口上を述べたり狂言廻しの役をしたりして、馬鹿な王さまに賢い召使いとか、男装の麗人や男性や男性の乳母など性を入れ替えて演じたたり、社会的地位や世の中の秩序をあべこべにしたりすることから起る壷劇である。パントマイムになると必ず妖精が登場し、薄い、ヴェールのようなファンシ・ドレスを着て背中に羽根をつけ、金の冠をかぶった美しい妖精の代母が、手に持った魔法の桂を一振りすると、すぐさまこの世とあの世が通じたり、不可能なことが実現したり、あべこべが元通りになってめでたしとなり、子供たちの柏手が湧くのである。ケンブリッジのヒル・マーケットにあるアート・シエターで、クリスマスになるといつも息子と一緒に『アラジンと「魔法ランプ』や『ピーター・パン』、『マザー・グース』などを楽しんだが、どの劇でも妖精たちは劇の中で重要な役割を演じており、子供たちの夢と想像力を舞台の上からかき立てていた。この妖精の名付け親もまた、現代における妖精の生き残りの姿なのてあろう。今でも人々に求められているカー二ヴァルの祭りの妖精とパントマイムの妖精――だが形骸だけとし一は言い切れない意味、イギリスの人々の底流にある共同幻想のようなものを、そこに垣間見る思いがするのである。
 カー二ヴァルが終わって、行きつけのパブ「カティー・サーク」て友人たちと杯をあげた。カティ・サークは三本マストの帆船てあるクリッパーの名前てあるが、スコットランドの民間伝承の話「シャンターのタム」(ロバート・バーンズが詩にしている)に登場する魔女が着ていたペティコートのはし切れである。マストにはためく帆の布に、魔女のマジックの風を吹き込みたいという願いを入れた名かもしれない。パブの室内は船のロープやネット、円い船の舵が飾ってあるので、キャビンにいるようである。

『妖精の系譜』 新書館


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石井鶴三の世界 №255 [文芸美術の森]

蟹満寺 1957年/迷企羅大将 1957年

         画家・彫刻家  石井鶴三

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蟹満寺 1957年
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迷企羅大将 1957年 

************  
【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】
明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。

『石井鶴三』形文社


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浅草風土記 №25 [文芸美術の森]

隅田川両岸 4

        作家・俳人 久保田万太郎

     百花園

 夏、日ひざかりだ。しばしばわたくしは百花園(ひゃっかえん)を訪問する。そして、蓮の葉の一ぱいに、岸寄りも高く犇(ひし)めきつつもり上ったあの池の前に立つ。
 このときほど、わたくしに、「もののあわれ」の感じられることはない。

    三囲神社

 禁制、として、
  蝉とんぼヲ捕ルコト
  魚島ヲ捕ルコト
  囲打(かこいうち)へ入り垣等ニ乗ルコト
  囲内デ悪戯ヲスルコト

と、一つ書にしたあと、

  右/条ヲ犯スト警察ヘツレテ行カレ処罰サレマス

 こうした禁札が三囲神社(みめぐりじんじゃ)境内の池の中に立っている。……警察へツレテ行カれ処罰サレマス。……だれによってしかし、警察へ連れて行かれるのだろう?……
 その池の中に、一トところ、おもい出したように蘆の茂っていることが、わたくしに、田圃にとり巻かれていたむかしのけしきをおもい出させた。
 ふりみふらずみの雨の中。そういっても人けのないそのあたり、遠く、冷ややかに蝉がないていた……

『浅草風土記』 中公文庫


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武蔵野 №5 [文芸美術の森]

武蔵野 5

          作家  国木田独歩

          五

 自分の朋友がかつてその郷里から寄せた手紙の中に「この間も一人夕方に萱原を歩みて考え申候(そうろう)、この野の中に縦横に通ぜる十数の径(みち)の上を何百年の昔よりこのかた朝の露さやけしといいては出で夕の雲花やかなりといいてはあこがれ何百人のあわれ知る人や逍遥(しょうよう)しつらん相悪(にく)む人は相避けて異なる道をへだたりていき相愛する人は相合して同じ道を手に手とりつつかえりつらん」との一節があった。野原の径を歩みてはかかるいみじき想いも起こるならんが、武蔵野の路はこれとは異り、相逢わんとて往くとても逢いそこね、相避けんとて歩むも林の回り角で突然出逢うことがあろう。されば路という路、右にめぐり左に転じ、林を貫き、野を横ぎり、真直まっすぐなること鉄道線路のごときかと思えば、東よりすすみてまた東にかえるような迂回うかいの路もあり、林にかくれ、谷にかくれ、野に現われ、また林にかくれ、野原の路のようによく遠くの別路ゆく人影を見ることは容易でない。しかし野原の径の想いにもまして、武蔵野の路にはいみじき実(じつ)がある。
 武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向くほうへゆけばかならずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当(あ)てもなく歩くことによって始めて獲えられる。春、夏、秋、冬、朝、昼、夕、夜、月にも、雪にも、風にも、霧にも、霜にも、雨にも、時雨にも、ただこの路をぶらぶら歩いて思いつきしだいに右し左すれば随処(ずいしょ)に吾らを満足さするものがある。これがじつにまた、武蔵野第一の特色だろうと自分はしみじみ感じている。武蔵野を除いて日本にこのような処がどこにあるか。北海道の原野にはむろんのこと、奈須野にもない、そのほかどこにあるか。林と野とがかくもよく入り乱れて、生活と自然とがこのように密接している処がどこにあるか。じつに武蔵野にかかる特殊の路のあるのはこのゆえである。
 されば君もし、一の小径を往き、たちまち三条に分かるる処に出たなら困るに及ばない、君の杖つえを立ててその倒れたほうに往きたまえ。あるいはその路が君を小さな林に導く。林の中ごろに到ってまた二つに分かれたら、その小なる路を撰(えら)んでみたまえ。あるいはその路が君を妙な処に導く。これは林の奥の古い墓地で苔(こけ)むす墓が四つ五つ並んでその前にすこしばかりの空地があって、その横のほうに女郎花(おみなえし)など咲いていることもあろう。頭の上の梢(こずえ)で小鳥が鳴いていたら君の幸福である。すぐ引きかえして左の路を進んでみたまえ。たちまち林が尽きて君の前に見わたしの広い野が開ける。足元からすこしだらだら下がりになり萱かやが一面に生え、尾花の末が日に光っている、萱原の先きが畑で、畑の先に背の低い林が一叢むら繁り、その林の上に遠い杉の小杜こもりが見え、地平線の上に淡々(あわあわ)しい雲が集まっていて雲の色にまがいそうな連山がその間にすこしずつ見える。十月小春の日の光のどかに照り、小気味よい風がそよそよと吹く。もし萱原のほうへ下おりてゆくと、今まで見えた広い景色がことごとく隠れてしまって、小さな谷の底に出るだろう。思いがけなく細長い池が萱原と林との間に隠れていたのを発見する。水は清く澄んで、大空を横ぎる白雲の断片を鮮かに映している。水のほとりには枯蘆かれあしがすこしばかり生えている。この池のほとりの径(みち)をしばらくゆくとまた二つに分かれる。右にゆけば林、左にゆけば坂。君はかならず坂をのぼるだろう。とかく武蔵野を散歩するのは高い処高い処と撰びたくなるのはなんとかして広い眺望を求むるからで、それでその望みは容易に達せられない。見下ろすような眺望はけっしてできない。それは初めからあきらめたがいい。
 もし君、何かの必要で道を尋ねたく思わば、畑の真中にいる農夫にききたまえ。農夫が四十以上の人であったら、大声をあげて尋ねてみたまえ、驚いてこちらを向き、大声で教えてくれるだろう。もし少女(おとめ)であったら近づいて小声でききたまえ。もし若者であったら、帽を取って慇懃(いんぎん)に問いたまえ。鷹揚(おうよ)に教えてくれるだろう。怒ってはならない、これが東京近在の若者の癖くせであるから。
 教えられた道をゆくと、道がまた二つに分かれる。教えてくれたほうの道はあまりに小さくてすこし変だと思ってもそのとおりにゆきたまえ、突然農家の庭先に出るだろう。はたして変だと驚いてはいけぬ。その時農家で尋ねてみたまえ、門を出るとすぐ往来ですよと、すげなく答えるだろう。農家の門を外に出てみるとはたして見覚えある往来、なるほどこれが近路(ちかみち)だなと君は思わず微笑をもらす、その時初めて教えてくれた道のありがたさが解わかるだろう。
 真直(まっすぐ)な路で両側とも十分に黄葉した林が四五丁も続く処に出ることがある。この路を独り静かに歩むことのどんなに楽しかろう。右側の林の頂いただきは夕照鮮(あざや)かにかがやいている。おりおり落葉の音が聞こえるばかり、あたりはしんとしていかにも淋しい。前にも後ろにも人影見えず、誰にも遇あわず。もしそれが木葉落ちつくしたころならば、路は落葉に埋れて、一足ごとにがさがさと音がする、林は奥まで見すかされ、梢の先は針のごとく細く蒼空あおぞらを指している。なおさら人に遇わない。いよいよ淋しい。落葉をふむ自分の足音ばかり高く、時に一羽の山鳩あわただしく飛び去る羽音に驚かされるばかり。
 同じ路を引きかえして帰るは愚(ぐ)である。迷ったところが今の武蔵野にすぎない、まさかに行暮れて困ることもあるまい。帰りもやはりおよその方角をきめて、べつな路を当てもなく歩くが妙。そうすると思わず落日の美観をうることがある。日は富士の背に落ちんとしていまだまったく落ちず、富士の中腹に群むらがる雲は黄金色に染まって、見るがうちにさまざまの形に変ずる。連山の頂は白銀の鎖くさりのような雪がしだいに遠く北に走って、終は暗憺あんたんたる雲のうちに没してしまう。
 日が落ちる、野は風が強く吹く、林は鳴る、武蔵野は暮れんとする、寒さが身に沁しむ、その時は路をいそぎたまえ、顧みて思わず新月が枯林の梢の横に寒い光を放っているのを見る。風が今にも梢から月を吹き落としそうである。突然また野に出る。君はその時、  
山は暮れ野は黄昏たそがれの薄すすきかな
の名句を思いだすだろう。

『武蔵野』 青空文庫


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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」 №127 [文芸美術の森]

                  明治開化の浮世絵師 小林清親
             美術ジャーナリスト 斎藤陽一

                       第10回 
       ≪「東京名所図」シリーズから:夜の光景≫

 前回に続き、小林清親の「東京名所図」シリーズの中から「夜の光景」を描いた作品を紹介します。

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 これは、小林清親が明治12年(32歳)に制作した「今戸有明楼之景」
 ここに描かれている建物は、今戸橋のすぐそばにあった高級料亭「有明楼」。

今戸橋は、隅田川から山谷堀に入るところに架けられた橋。山谷堀は、吉原遊郭に通じる水路で、猪牙舟(ちょきぶね)と呼ばれた小舟を雇って吉原に行く客がよく利用した。堀沿いの道を歩いて吉原へ行くよりも、舟で行く方が「粋」(いき)とされました。その後、山谷堀は埋め立てられ、今は無い。
 江戸時代の江戸の町は、縦横に水路が張り巡らされた「水の都」。幕末の開国後に来日した外国人は「ヴェネツィアにも匹敵する美しい水の都」と感嘆の言葉を書き残しています。しかし、今の東京にはその面影は無い。下図の「江戸切絵図」を参照してください。

128-2.jpg

 清親の絵に戻ろう。

 高級料亭「有明楼」の窓の明かりといくつもの人影が宴席の賑わいを暗示している。
   玄関の横の暗がりには、客を待つ人力車と車夫の姿が。土手には、隅田川を眺める母子のシルエットも。
 厚い雲が垂れ込める空には、雲間から洩れる月明かりが見えている。幾重にも色を重ね合わせて、陰影に富んだ夜空の表現が味わい深い。当時の浮世絵版画には見られない西洋画風の表現であり、これもまた、彫師泣かせ、摺師泣かせの画面だったことでしょう。

 同じ「今戸橋」を描いた作品がもう一点あります。
 小林清親が明治10年(30歳)に描いた「今戸橋茶亭の月夜」(下図)です。

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 山谷堀に架かる「今戸橋」の上には、満月が輝いている。この絵の光源も、月光と料亭の灯りです。水面に反射した光のゆらめきは、繊細にして美しい。
 今戸橋の左に見える建物が、今見た料亭「有明楼」。右側に見えるのが料亭「竹屋」。

 よく見ると、橋の上には二人の男女とおぼしき人影が・・・
 この絵を見ると、永井荷風の小説『すみだ川』(明治42年)の主人公の若者・長吉が、芸者となった幼馴染のお糸と再会する場面が思い浮かぶ。
128-4.jpg 永井荷風(1879~1959)は、小林清親(1847~1915)の「東京名所図」をこよなく愛好する小説家で、自身も清親の絵を所蔵していました。
 既に紹介したように、荷風が過ぎ去った江戸への哀惜の念を込めて綴った東京散策記『日和下駄』には、清親の風景版画への賞讃の言葉を書いています。
 小説『すみだ川』の次の一節などは、清親のこの絵から発想したのかも知れません。

 「見る見るうち満月が木立を離れるに従い、川岸の夜露をあびた瓦屋根や、水に濡れた棒杭、満潮に流れ寄る石垣下の藻草のちぎれ、船の横腹、竹竿なぞが、いち早く月の光を受けて蒼く輝き出した。
 たちまち長吉は、自分の影が橋板の上に段々に濃く描き出されるのを知った。」
(永井荷風『すみだ川』明治42年)

128-5.jpg



 明治初期の今戸橋界隈を写した写真があります。(上図)

 その後、山谷堀は埋め立てられ、今戸橋も有明楼も今は無い。私たちは、小林清親の絵によって、江戸から明治初期まで存在した今戸橋の風景をしのぶのみ。


 次回もまた、小林清親の「東京名所図」シリーズから、「夜の風景画」を鑑賞します。

(次号に続く)





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こふみ句会へGo七Go №130 [ことだま五七五]

こふみ句会へGO七GO  №130
「暖か」「朝寝」「蜂」「落花」 

                          俳句・こふみ会

幹事さんから、≪令和6年3月の句会≫の案内状が送られました。

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 こふみ会の皆さま

東京は染井吉野がやっと五分咲きといったところでしょうか。
待ちに待った春本番となってきました。
四月のこあみ句会、幹事はすかんぽが務めさせていただきます。
どうぞよろしくお願いします。

兼題発表(三月の総合天に輝かれた紅螺さんにご協力いただきました)
【暖か】ぬくし・春暖など
【朝寝】春の朝は心地よさからつい寝過ごしてしまう。
    ゆっくりできたことの充足感がある。
【蜂】蜜蜂・熊蜂・穴蜂・足長蜂・女王蜂・働蜂・蜂の巣・蜂の子など
【落花】散る花・花吹雪・飛花・花散る・花屑・花の塵・花筏など

投句締切:四月十五日(月)とさせていただきます。
投句先はすかんぽのメールにお願いします。

さあ出かけましょう、歳時記持って野に街に。
ご健吟をお祈りいたします。

                4月幹事  杉浦すかんぽ

※選句の締め切りは4月22日(月)とします。

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案内に応じて以下の句があつまりました。参加者は16名64句。

【暖か】
01 春温しスニーカー軽し日曜日(一遅)
02 暖かき夜なればぶらり隣町(虚視)                
03 春ぬくし五月狂暑の兆しあり(鬼禿)
04 脈診の大き手ぬくし研修医(弥生)
05 春暖や猫も寝床に来なくなり(玲滴)
06 仕事終えあたたかき夜まとう帰路(兎子)
07 暖かや足の爪にも色を塗り(なつめ)
08 春暖や日比谷公園あっけらかん(矢太)
09 暖かや床屋出てきた祖父と孫(紅螺)
10 暖かや更のシューズの向くままに(尚哉)
11 温み来て生きとし生けるもの蠢蠢(八傘)
12 温かき人ほど冷めし金の世に(下戸)
13 別れ際心に温しその一言(茘子)
14 一言で胸の真ん中ややぬくし(華松)
15 暖かや甕のメダカと目を交わし(蕃茄)
16 あたたかや静かに停まる路線バス(すかんぽ)

【朝寝】
17 朝寝して寝癖のままで会いに行く(なつめ)
18 腹減った朝寝許さぬ猫の声(蕃茄)
19 目覚ましを止めて陥る朝寝かな(華松)
20 あと五分もう一分の朝寝かな(茘子)
21 目がさめてやることもなし朝寝する(下戸)
22 短針が知らん顔してる春の朝(八傘)
23 世を忘れ世を思い出す朝寝かな(尚哉)
24 朝寝から覚めて二度寝の湯治宿(紅螺)
25 けふはまだこっちにいたんだ朝寝坊(矢太)
26 朝寝して亡き人と歩く雲の上(兎子)
27 何事と妻駆け寄り来朝寝かな(すかんぽ)
28 朝寝しても大丈夫一人の朝ごはん(玲滴)
29 夢かうつつかたゆたふままに朝寝かな(弥生)
30 春眠や起こしてくれる居ない午後(鬼禿)
31 飴玉を転がすように朝寝する(虚視)
32 春眠かつくづく妻の寝顔見る (一遅)

【蜂】
33 花粉にまみれなほも椿にもぐる蜂(弥生)
34 蜜運ぶ我も蜂なり東京の(一遅)
35 匙一杯はたらき蜂の一生分(下戸)
36 蜜蜂や団子みよかしクルリ舞う(蕃茄)
37 蒼天へ狂った蜂は舞い上がる(矢太)
38 草に寝てミツバチの羽音この平和(茘子)
39 生を賭し蜜蜂刺すをためらわず
40 口吻せわし働き蜂のやるせなさ(八傘)
41 一生の我が身働きバチに似て(玲滴)
42 眠る龍蜂の羽音も夢うつつ(紅螺)
43 せわしなく不乱に動く蜜蜂や(華松)
44 蜂の群れ否 姦し阪神タイガーズ(鬼禿)
45 花蜂と戯れてゐる草の上(すかんぽ)
46 遊びたし働蜂の今日の夢(なつめ)
47 命なり肩かすめ行く足長蜂(尚哉)
48 蜂がいて花から逃げる女子高生(兎子)

【落花】
49 花吹雪両手で受ける一列五(歌舞伎座にて)(紅螺)
50 花吹雪マツケンサンバのような土手(一遅)
51 園服のポッケで落花咲き乱れ(えんぷく)(蕃茄)
52 今生の別れ目と目で飛花しきり(弥生)
53 妻と酌む吟醸芳し飛花一片(かぐわ)(尚哉)
54 つくばいに舞って独りの桜あり(八傘)
55 束の間の盲となりて花吹雪(めしい)(虚視)
56 飛花よ舞へ狂い桜のファンファーレ(鬼禿)
57 花吹雪浴びて立ちたる人哀し(玲滴)
58 ニュートンを戸惑わせて舞う落花かな(矢太)
59 花吹雪十二階まで別れを告げに(華松)
60 花きっぷ1枚ひろって次の旅(下戸)
61 落花美しここで死ねたら本望か(兎子)
62 花ふぶき生きるといふは格好良し(すかんぽ)
63 黒猫の鼻の頭に飛花一片(茘子)
64 咲く花も散る花もみな美しき(なつめ)

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【天句の鑑賞】

●暖かや甕のメダカと目を交わし    (蕃茄)
字のまま読んでも面白く、世界的に、宇宙的に読んでも興がありますね。(八傘選)

●あたたかや静かに停まる路線バス   (すかんぽ)
暖かさに何もかもがゆったりと進み、バスさえふうわりと止まる。ホッとする光景で(虚視選)

●束の間の盲となりて花吹雪(めしい)    (虚視)
おもわず目をつぶった経験がだれしもあろう。見ていられないほどに美しい。(矢太選)

●花きっぷ1枚ひろって次の旅     (下戸)
幼稚園児たちが道々、桜の花びらを拾うのは行きたい先がたくさんあるからなんだなぁと、合点がいきました。使うことも少なくなりましたが、やはり旅にはきっぷが似合います。(蕃茄選)

●脈診の大き手ぬくし研修医      (弥生)
研修医の手の温もりから大柄で彫りの深い風貌までイメージできる秀句。
温度という五感情報を通して想像力をフル刺激してくれました。(下戸選)

●あたたかや静かに停まる路線バス   (すかんぽ)
暖かになり乗り馴れた路線バスさえ静かに止まるような気がする
穏やかな春の午後の雰囲気がつたわります。(弥生選)

●飴玉を転がすように朝寝する    (虚視)
まさに朝寝の味です。(茘子選)

●けふはまだこっちにいたんだ朝寝坊 (矢太)
生と死のあいだとは、案外、心地よいものかもしれない。
法然もビックリの名句だと思いました。(一遅選)

●花きっぷ1枚ひろって次の旅    (下戸)
最近は立ち位置が二つ、あっちとこっちあるらしい。
今回はこっち、気持ちのいい若々しい句が天です。(鬼禿選)

●暖かや足の爪にも色を塗り     (なつめ) 
サンダルの季節、ペディキュアの赤い色、気分が上がります!(紅螺選)

●けふはまだこっちにいたんだ朝寝坊 (矢太)
・・・・朝寝とは魔の時間帯、異界への入り口。そんなことを感じさせてくれます。(尚哉選)

●花吹雪両手で受ける一列五(歌舞伎座於) (紅螺)
贔屓をかぶり付きで観た110年余。一例7~10での興奮が甦ります。(華松選)

●飴玉を転がすように朝寝する    (虚視)
春のぬくぬくとした暖かさと小さな幸福感が伝わります。作者は飴玉の甘味が心をほぐすことも、或いは転がされて溶けていく飴玉の気持ちまでご存知なのかもしれません。(なつめ選)

●草に寝てミツバチの羽音この平和  (茘子)
働きバチ、といえば、どうしても「悲哀」を思ってしまう。
それを平和と感じる豊かさにハッとしました。(兎子選)

●春眠かつくづく妻の寝顔見る    (一遅) 
自分の寝顔に自信が無くてこれでは100年の恋も醒めると思っていた私には、夫婦のしみじみとした愛情を感じさせる句でした。(玲滴選)

●飴玉を転がすように朝寝する    (虚視)
朝寝の心地よいまどろみを「飴玉を転がすようだ」と捉えた感性が秀逸。
寝返りまでもが甘く官能的で、とろけてゆくような睡眠の幸福感を見事に詠まれています。(すかんぽ選)

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【今月の天地人】

【天】虚視48点
      代表句=
【地】すかんぽ33点
   代表句=
【人】下戸28点
   代表句=
【人】一遅28点
      代表句=

四月の高得点句
【天句】あたたかや静かに停まる路線バス (すかんぽ)30
【地句】飴玉を転がすように朝寝する   (虚視)  29
【人句】花きっぷ1枚ひろって次の旅   (下戸)  23
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【幹事よりひと言】

4句とも高得点の虚視さんが48点と実力を発揮、総合天に輝きました。
すかんぽは天句を獲ったものの他の3句が伸びず、15点差で総合地。
総合人には落花を花きっぷと詠まれた下戸さんと4句で得点を揃えた一遅さんが同点。
総合客には一点差の27点でなつきさん、26点で茘子さんが続きました。
今月もスムーズに進行することができました。皆様のご協力に感謝いたします。


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郷愁の詩人与謝蕪村 №28 [ことだま五七五]

秋の部 5

          詩人  凪藁朔太郎

うら枯や家をめぐりて醍醐道(だいごみち)

 畠(はたけ)の中にある田舎の家。外には木枯しが吹き渡り、家の周囲には、荒寥(こうりょう)とした畦道(あぜみち)が続いている。寂しい、孤独の中に震(ふる)える人生の姿である。私の故郷上州(じょうしゅう)には、こうした荒寥たる田舎が多く、とりわけこの句の情感が、身に沁(し)みて強く感じられる。

甲斐ヶ嶺(かいがね)や穂蓼(ほたで)の上を塩車(しおぐるま)

  高原の風物である。広茫(こうぼう)とした穂蓼の草原が、遠く海のように続いた向うには、甲斐(かい)の山脈が日に輝き、うねうねと連なっている。その山脈の道を通って、駿河(するが)から甲斐へ運ぶ塩車の列が、遠く穂蓼の隙間(すきま)から見えるのである。画面の視野が広く、パノラマ風であり、前に評釈した夏の句「鮒鮓(ふなずし)や彦根(ひこね)の城に雲かかる」などと同じく、蕪村特有の詩情である。旅愁に似たロマンチックの感傷を遠望させてる。

三径(さんけい)の十歩(じっぽ)に尽きて蓼(たで)の花

  十歩に足らぬ庭先の小園ながら、小径(こみち)には秋草が生え茂り、籬(まがき)に近く隅々(すみずみ)には、白い蓼の花が侘(わび)しく咲いてる。貧しい生活の中にいて、静かにじっと凝視(みつめ)ている心の影。それが即ち「侘び」なのである。この同じ「侘び」は芭蕉にもあり、その蕉門(しょうもん)の俳句にもある。しかしながら蕪村の場合は、侘びが生活の中から泌(にじ)み出し、葱(ねぎ)の煮える臭(におい)のように、人里恋しい情緒の中に浸しみ出している。なおこの「侘び」について、巻尾に詳しく説くであろう。

柳(やなぎ)散り清水(しみず)かれ石ところところ

 秋の日の力なく散らばっている、野外の侘しい風物である。蕪村はこうした郊外野望に、特殊のうら悲しい情緒を感じ、多くの好い句を作っている。風景の中に縹渺(ひょうびょう)する、彼のノスタルジアの愁思であろう。


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読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №182 [ことだま五七五]

      読む「ラジオ万能川柳」プレミアム☆4月3日、10日放送分

        川柳家・コピーライター  水野タケシ  

川柳家・水野タケシがパーソナリティーをつとめる、
読んで楽しむ・聴いて楽しむ・創って楽しむ。エフエムさがみの「ラジオ万能川柳」
4月3日の放送です。
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やっと暖かくなってきました

「ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)が
キャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、
毎週水曜日9時5分から放送しています。
エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらから!
放送の音源・・・https://youtu.be/MguvPlEKk0E

先週のボツの中からあさひろさんイチオシの句をご紹介!!
 あさひろさんのボツのツボ
「通訳の人相急に悪く見え」(のりりん名人)

(皆さんの川柳)※敬称略
※今週は178の投句がありました。ありがとうございます!
・じゅんじゅん様次のステージお祈りし(柳王・かたつむり)  
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・彼岸まで暑さ寒さも過去のこと(名人・キジバト交通)
・私にもきっとあるはず結婚線(矢部暁美)
・エンドレステープのような妻の愚痴(東孝案)
・兄友に姉と思われナンダカナ(ゆかいな仲間) 
・やんちゃんさん男盛りと勝負勝負(名人・パリっ子)
・時代劇十二単にピアス痕(とんからりん) 
・国会の偉いつもりのクソじじい(大柳王・入り江わに)
・エレベーターお尻の穴がゆるくなり(名人・金星玉三郎) 
・女盛り誰も私を止められぬ(大名人・やんちゃん)
・付いてけぬ新番組の明るさに(大柳王・平谷五七五)
・スイングに微妙な影響出てる気が(シゲサトシ)
・砂かぶりアラブ王子かコスプレか(柳王・東海島田宿) 
・新幹線止まっちゃ困る春休み(大名人・高橋永喜) 
・クラス会サプリ自慢を皆やめた(名人・まご命)
・更年期何だか急に汗ばむわぁー(柳王・アンリ) 
・かばうことだけが友ではないと説く(大名人・美ら小雪) 
・引っこめて見せても出てるママの腹(名人・わこりん)
・春だなあ野菜が急に傷みだし(遊子) 
・春だから自然に行くよ窓際に(柳王・恋するサボテンちゃん) 

☆タケシのヒント!
「ご自分の何気ない行動をよく観察して一句にしました。発見があります。「窓際に」というまとめ方も、良い意味でゆるさがあり、春らしさを演出しています。」

・花代わりレジャーシートが咲いていた(秀クリーム) 
・CMで信じるものは救われぬ(名人・せ・ら・び)
・子の成長そっと見守るランドセル(名人・大和三山) 
・飛べること初めて知った巣立ちの日(大名人・マルコ) 
・臨時トイレ男子用にはドアがない(柳王・フーマー)
・たっきゅうはカンカンカンとする遊び(小学4年・孫うさぎ)
・「水分をこまめに」を聞く季節きた(大名人・ワイン鍋) 
・マルハラはダメと言われる逆マルハラ(柳王・ぼうちゃん)
・改名し再デビュー待つ喜じゅんじゅん(大名人・じゅんじゅん) 
・エイプリルフールと思いたい上司来(しゃま) 
・天国で花見してるか友よ夫(名人・くろぽん) 
・乗り換えが不安なんです小田急線(ナンパも大名人・soji) 
・嫁も娘も知っていました「おばあちゃん」(大柳王・けんけん) 
・もう一人いました全裸川柳家(柳王・咲弥アン子) 
・価格より原材料を先に見る(大柳王・ユリコ) 
・事故起きて新たな単語また覚え(名人・のりりん) 

◎今週の一句・春だから自然に行くよ窓際に(柳王・恋するサボテンちゃん)
◯二席・春だなあ野菜が急に傷みだし(遊子) 
◯三席・花代わりレジャーシートが咲いていた(秀クリーム)

【お知らせ】
昨年12月から編集作業を行ってきて、
先週、里山わらび大柳王が「春うらら染井吉野のファンブック」
と詠んでくださった、毎日新聞・仲畑流万能川柳ファンブック122号が完成し、現在配本中です!
今朝、あさひろさんにもプレゼントしましたが、いかがですか?  
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【編集後記】
桜もやっと咲いて陽気もよくなってくると
ますます飛び出すのが花粉。
桜が散り終わるころ、私の花粉症もおさまるのです。
桜か花粉か、本当に悩ましい(涙)。(水野タケシ拝)

○4月10日の放送
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話題満載の4月10日です

放送の音源・・・https://youtu.be/Wjb6nEDdD8I

週のボツの中からあさひろさんイチオシの句をご紹介!!
 あさひろさんのボツのツボ
「反社的クシャミの声に脅される」(せきぼー柳王)

(皆さんの川柳)※敬称略
※今週はの165投句がありました。ありがとうございます!
・ピンヒール鋭く尖る見栄と意地(矢部暁美)
・文字通り桜まつりの相模原(刑事コロンダ)
・ウクライナ今年も春は来なかった(東孝案)
・おそろいの香水あげたホワイトデー(恋愛名人見習い・名もなき天使)
・明日から明日はいつになるのなら(ゆかいな仲間)

☆タケシのヒント!
「柳王はるさんのお友達、ゆかいな仲間さん初の秀逸です。おめでとうございます。いろいろと疲れやすい季節、このくらいゆる〜いほうが良いですね。」

・止まぬなら止めて進ぜるやんちゃん嬢(名人・パリっ子)
・ダンディーなパリっ子さんに投げキッス(大名人・やんちゃん)
・定期券売り場に春が訪れる(柳王・せきぼー)
・白菜の値だんびっくりして買えず(大名人・ワイン鍋)
・首都圏だ春の生足小田急線(柳王・東海島田宿)
・偉い人善人だとは限らない(名人・おむすび)
・時短器具後片付けに時間取り(ココナッツ)
・雨だって楽しすぎちゃう友となら(名人・わこりん)
・危機迫りヨガを始めた50過ぎ(大名人・美ら小雪)
・笑点は残念無念またオトコ(とんからりん)
・ちじさんへおしごとみんなだいじだよ(大柳王・里山わらび)
・省略でメモした事が意味不明(遊子)
・吹く風のままにさようならさよなら桜(大柳王・すみれ)
・みなみからきたまで花の波が来て(名人・バレリア)
・空気中次から次と見えぬ敵(名人・翔のんまな)
・渋滞よ続けと桜並木行く(名人・大和三山)
・けんけんさんナンパしました小田急会(ナンパも大名人・soji)
・母が癌男所帯がおろおろと(大柳王・入り江わに)
・「気くばりのすすめ」を読んだ遠い過去(柳王・ぼうちゃん)
・アメリカの事は言えない日本とて(大柳王・平谷五七五)
・突然の震度5日南全国区(名人・のりりん)
・鬼ババアあるが何故ない鬼ジジイ(大名人・不美子)
・ライドシェアなんて言い訳した浮気(大柳王・ユリコ)
・抽選の抽選のこれが本当の強運者(大柳王・けんけん)
・岸田氏も苦労あるのか地が透ける(大柳王・フーマー)
・子供より母さん着物でご満悦(名人・キジバト交通)
・桜祭りどこから来たのこんな人(柳王・アンリ)
・距離近くなったしゃまさんsojiさん(柳王・咲弥アン子)
・サァ春だコートも脱いで出掛けよう(全裸川柳家・そうそう)
・懐かしい顔をサクラが集めさせ(しゃま)
・弾くはずのウクレレすでに壁飾り(大名人・じゅんじゅん)

◎今週の一句・明日から明日はいつになるのやら(ゆかいな仲間)
◯二席・雨だって楽しすぎちゃう友となら(名人・わこりん)
○三席・吹く風のままにさよならさよなら桜(大柳王・すみれ)

【お知らせ】
毎日新聞の朝の顔・仲畑流万能川柳、
その年に一度の集い「強運者の集い」、いわゆる強運会が5年ぶりに行われます。
2023年度の年間賞ほかの表彰式と楽しいイベントで構成されています!!
その申し込みの締め切りが、本日10日です!!10日必着!!

【編集後記】
昨日の嵐とは打って変わって穏やかな陽気になりました。
私の花粉症も例年ならそろそろ終わり。
来週は自転車通勤を再開しようかなあ。(水野タケシ拝)
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水野タケシ(みずの・たけし)
1965年生まれ。コピーライター、川柳家。東京都出身。
ブログ「水野タケシの超万能川柳!!」  http://ameblo.jp/takeshi-0719/


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雑記帳2024-5-1 [代表・玲子の雑記帳]

 2024-5-1
◆『望郷五月歌』は数ある故郷の歌の中でも心惹かれる卓抜な一つだと思います。

5月は故郷を偲ぶ月です。
人は心の中にそれぞれの故郷を抱いています。
幼い日々を育んでくれた故郷
志をたてて旅だった故郷
父母の暮らす故郷
懐かしく思い出す故郷
口ずさむ故郷

佐藤春夫は39歳の時、故郷を偲んで『望郷五月歌』を発表しました。
佐藤春夫(1892-1964)は和歌山県新宮市の医家に生まれ、少年の頃から和歌を作りました。慶應義塾に学び,25歳で『西班牙犬の家』『田園の憂鬱』を発表し、作家・詩人としての地位を確立しました。以後、浪漫派の作家として幅広い創作活動を展開、1960年に文化勲章を受章しています。

長い詩ですが、ひと思いに紹介させて頂きます。 

『望郷五月歌』
                   佐藤春夫
  塵まみれなる街路樹に
  哀れなる五月(さつき)來にけり
  石だたみ都大路を歩みつつ
  恋しきや何ぞわが古郷(ふるさと)
  あさもよし紀の国の
  牟婁の海山
  夏みかんたわわに実り
  橘の花さくなべに
  とよもして啼くほととぎす
  心してな散らしそかのよき花を
  朝霧か若かりし日の
  わが夢ぞ
  そこに狹霧らふ
  朝雲か望郷の
  わが心こそ
  そこにいさよふ
  空青し山青し海青し
  日はかがやかに
  南国の五月晴(さつきばれ)こそゆたかなれ
  心も軽くうれしきに
  海(わだ)の原見迥(みはる)かさんと
  のぼり行く山辺の道は
  杉檜樟の芽吹きの
  花よりもいみじく匂ひ
  かぐはしき木の香薰じて
  のぼり行く路いくまがり
  しづかにも昇る煙の
  見まがふや香爐の煙
  山樵(やまかつ)が吸ひのこしたる
  鄙ぶりの山の煙草の
  椿の葉焦げて落ちたり
  古の帝王たちも通はせし
  尾の上の道は果てを無み
  ただつれづれに
  通ふべききはにあらねば
  目を上げてただに望みて
  いそのかみふるき昔をしのびつつ
  そぞろにも山を下りぬ
  歌まくらはなれ小島に
  立ち騒ぐ波もや見むと
  辿り行く荒磯石原(ありそいしはら)
  丹塗舟(にぬりぶね)影濃きあたり
  若者の憩へるあらば
  海の幸鯨(いさな)捕る船の話も聞くべかり
  且つは聞け
  浦の浜木棉(はまゆふ)幾重なすあたり何処(いづく)と
  いざさらば
  心ゆく今日のかたみに
  荒海の八重の潮路を運ばれて
  流れよる千種百種(ちぐさももくさ)
  貝がらの数を集めて歌にそへ
  贈らばや都の子等に

◆「上越・下越へ 新潟グルメ紀行」の3日目は佐渡の宿根木でした。

佐渡には島の中央・国仲平野の公家文化とちょっと北の武家文化、そして、南の小木半島には町人文化と、3つの文化があるといわれています。
公家文化は中世、此の地が配流の地であったために都からの流人によってもたらされ、戦国時代から近世初頭にかけては金山のある相川を中心に武家文化が根をおろして、佐渡は辺境の島とは思えない豊かな文化をうんでいます。同じく戦国から近世にかけて、北前船による商品経済は佐渡に豊かな富をもたらし、宿根木は町人文化が栄えました。北前船は千石船と呼ばれました。」

宿根木は小木半島にあって、船主(船頭)、船大工、船乗りの、海運に必要な全てを抱えた、北前船のの村でした。日本から瀬戸内海へ自由に航海する北前船は物資の交易だけでなく、当時の情報網をも握っていたのです。しかし、江戸時代、繁栄を極めた北前舩も、明治には輪船の建造が禁じられたために、明治末期には姿を消しました。

何漕もの船をもつ裕福な船主の屋敷は、外観は質素ながら内部は贅を尽くした総漆。強風から漆喰を守るために全体を囲った蔵や、狭い土地に密集して建てられた家々など、江戸時代から残る街並みは、平成3年に、重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。これは全国で30番目だということです。ちなみに、現在、この指定を受けた地域は120か所をこえています。
海からの強風に絶え、狭いエリアに軒を並べる、独特の街並みを巡りました。

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強風で屋根がとばないよう、案内所の屋根には石がおかれている。

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移築の崔、敷地に合わせて三角形にきりつめた三角家(さんかくや)。
まるで船の舳先のようです。
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世捨て小路と呼ばれるメインストリート。石畳は真中がへこんでいる。
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清九郎。安政5年の改築。江戸時代後期から明治にかけて在をなした巡船主の邸宅。建築材料、技術とも当時の宿根木集落の最高水準を誇る建物。
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川にかかる石橋は福井産の石。財力にまかせて石工まで連れてきた作らせたという。
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回り舞台もあるという公会堂。今も現役です
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称光寺。1349年、佐渡最初の時宗寺院として開基。1717年の棟札が残る山門は宿根木でもっとも古いと言われる

廻船主砂糖伊左衛門家の屋敷は土地に余裕のない宿ね基にあって、珍しく広い庭がある。今はあなぐちの名でレストランになっている。お昼はここでいただきました。食材はその日港に上がった魚、パンには佐渡産の小麦粉「ゆきちから」を使うなど、地産地消にこだわった創作フレンチでした。

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あなぐち入口
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 いごねり(まえごという海藻をかためたもの)
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春のポタージュ
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鰯のパートブリック(春巻)
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豚肉のロースト

折角ここまで来たのだから名物のたらい船にのりました。
今は観光用ですが、もともとは、入り組んだ狭い小木湊の入り江で漁をするために考案された舟でした。

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BS-TBS番組情報 №304 [雑木林の四季]

BS-TBS 2024年5月前半のおすすめ番組

       BS-TBSマーケティングPR部

関口宏のこの先どうなる!?

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5月5日(日)ひる12:00~12:54 
☆日曜のお昼は関口宏と未来について考える!世界が抱える〝今〟の問題と日本の〝未来〟を紐解いていく。

<司会> 関口宏  
<オブザーバー> 川口盛之助

#3「人類の食料危機」
いま世界では異常気象や紛争により、“史上最大の食料危機”がおきている。
日本国内では高齢化に伴い農家と漁師の数が減り、食料自給率の低下がとまらない。このままでは主食がイモの時代に逆もどり!? 
世界では人口増加に伴い肉が不足し、2030年には深刻なタンパク質不足代に…。
さらに異常気象でコーヒーの生産地が激減、2050年には1杯1000円の時代になる可能性も!
私達にとって身近な「食」の問題、その解決策は…?人類の食料危機の「この先」を考えるー
【ゲスト】齊藤三希子(PwCコンサルティング合同会社)

ラーメンを食べる。

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5月7日(火)よる11時~11時30分 
☆仕込みから閉店まで…ラーメン店に密着。最後はラーメンを愛する芸能人が珠玉の一杯を食す!

#9「Ramen FeeL(青梅)」
神奈川・湯河原の名店「らぁ麺 飯田商店」が唯一公認した独立店「Ramen FeeL」に密着。情熱を持ちストイックにラーメン作りに取り組む店主。その店主が素材にトコトンこだわって生み出す究極の一杯を俳優の森愁斗が食べる。森は、1日3回ラーメンを食べることもあるという筋金入りのラーメン好き。また、ラーメン店勤務の経験もある森が思わず唸った一杯とは?

X年後の関係者たち あのムーブメントの舞台裏

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5月13日(月)よる11時~11時54分
☆大ヒット企画の“関係者同窓会”を開催!なぜブームになったのか?ヒットとなる過程には何が?その舞台裏に迫る!
#65「駄菓子業界の3M」
遡ること65年。戦後間もない時代に、日本では駄菓子メーカーが次々と誕生。

その中で低価格で勝負し、空前の大ヒット商品を生み出したのが「チロルチョコ」の松尾製菓、「ベビーラーメン」の松田産業、「マーブルガム」の丸川製菓。この3社は社名の頭文字が“ま行”で始まることから「駄菓子業界の3M」と呼ばれ、今も昔も変わらぬ「味」と「値段」で子ども達を夢中にさせ、ヒット商品を世に送り出しています。
今回は各社の看板商品の誕生秘話から独創的過ぎて受け入れられなかった失敗作まで、数々の開発現場の苦悩を告白!さらには、駄菓子大好きな丸山桂里奈が選抜した「究極の駄菓子イレブン」を発表。

駄菓子業界を牽引してきた関係者たちが、その知られざる秘密を語り尽くします。

MC:カズレーザー(メイプル超合金)
<立会人>丸山桂里奈(元サッカー日本女子代表)
<関係者>
松尾裕二(チロルチョコ株式会社 代表取締役社長)
中村元洋(株式会社おやつカンパニー 常務執行役員 営業本部長)
田中依子(丸川製菓株式会社 代表取締役)


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海の見る夢 №76 [雑木林の四季]

    海の見る夢
        -鳥のカタログ―
                澁澤京子

  ・・光は裂け目から射し込んでくる
                  『Anthem』レナード・コーエン

左の股関節を悪くして不自由している。足が悪くなると、うちからバス停までの距離を、うちから吉祥寺駅くらいの距離に感じ、吉祥寺駅まで行くのに、新宿に行くくらい遠くに感じるようになった。歩く速度が遅くなることによって距離感覚が変わったのだ。のろのろと歩いていると青信号の時間が短いことに気が付くし、手押し車を押して歩いているお年寄りの気持ちがよくわかるようになってきた。

桜の時期に、うちの近所の桜を立ち止まってぼんやり見ていたら(足が痛かったので立ち止まっていた)、桜の花がいきなり大きくなって目の中に飛び込んでくるように見えたので驚いた。毎年、桜の花を見ているが、こんな見え方をしたのははじめて。たまたまその時の私の波長が桜にピッタリと合ったのかもしれない。健脚だと、もっといい桜を、いい場所に行こうと考えておそらく通り過ぎてしまうところを、痛くて歩けなくなったために、普段では見えなかった桜の声が見えたのだ。

自然と会話ができるというと連想するのは、小鳥に説教したという聖フランチェスコの逸話。昔は、小鳥に説教したというのは作り話だろうと思っていたが、鳥を飼い始めてから実際にそういう事はあったのだろうと思うようになってきた。去年オカメインコを探しているときに気が付いたのだが、野鳥というのはこちらが口笛を吹いたり話しかけると、必ず返事をするのである・・返事されるとその度にうちのオカメインコかと思い、何度も樹上を見上げて探すはめになったが。

シジュウカラの言語の研究をされている鈴木俊貴さんによると、シジュウカラは20余りの単語を使い分け出来るそうで、危険な生物である蛇やカラスの場合はそれぞれを指し示す単語を持ち、また同じ単語でもアクセントの違いで別の意味として聞き分けることができるのだそうだ。鳥が意味ある言語を持っているという考え方は、鳥を飼っている人にとっては「ああ、やっぱり」となるだろう。シジュウカラの言葉の聞き分けができるということは、鈴木さんはシジュウカラとある程度のコミュニケーションがとれると言う事で、実にうらやましい。今うちにいるウロコインコ(9か月)は、朝、歯を磨いていると、洗面台にとまってしきりにこちらに話しかけてくることがあるが、哀しいかな何を言っているのかよくわからない・・しかも時折、急に攻撃的になるのは、鳥というのは犬や猫と同じように人の気分を察知する能力も優れているのでイライラするのかもしれない。もちろん、鳥は人とは別の世界に住んでいる、しかし両者を結ぶ「通路」は確実に存在する。 

 ―小鳥は言葉を使わずに音楽で 天使のように囀ります
        ~『アッシジの聖フランチェスコ』オリヴィエ・メシアン

人の音楽の好みというのが一体何によって決定されるのかよくわからないが、音楽ではまず、恋愛のような一目?ぼれ現象が起こり、明けても暮れても恋の相手を想うように、同じ曲を何度も繰り返して聴いたり、同じ作曲家や演奏家の曲を続けて聴くことになる。「これだ!」という感じでまるで天啓のように脳天を直撃するのが音楽なのである。

鳥に恋して世界中の鳥の鳴き声を採譜し、鳥類学者のように鳥の生態も研究していた作曲家オリヴィエ・メシアン。メシアンはその鋭い聴覚で500種類以上の鳥の声を聴き分けることができ、シジュウカラの研究をしている鈴木さんと同じように、鳥が意味ある言語でお互いに会話していることをよくわかっていたのである。博物学者であったハドソンは逆に、鳥類観察者は一流の音楽家になれるくらいの鋭敏な聴覚で鳥の鳴き声を聴き分けると書いている。

メシアンは『鳥のカタログ』など鳥の鳴き声をベースにして何曲か作曲しているが、同時に敬虔なカトリック教徒でもあったのでオペラ『アッシジの聖フランチェスコ』を作曲した。そこで聴いてみたが、とにかく難解だし長い・・長時間に及ぶこのオペラを全曲聴くのはかなりの忍耐力を要する。しかもyou tube画面には楽譜しか出てこないし。(字幕は出てくるが)。オペラの後半になってくると、聖フランチェスコの口を借りて自分の鳥に対する熱い思いを打ち明けているんじゃないかと思うほど、鳥に対する賛美が続き、メシアンにとって、地球上で最も優れた音楽家であり、また最も洗練された美しい生物は鳥だったのだ。

ところで、オペラ『アッシジの聖フランチェスコ』を聴いて忍耐力を付けた後にメシアンの『おお聖なる饗宴よ』(O Sacrum Convivium)を聴いてみたら、思わず鳥肌がたったのであった。こんなに神秘的で荘厳な聖歌ってあるだろうか?・・私にとっては桜が親しく目に飛び込んで見えたのも、この曲を聴いて感動したのも足が悪くなったおかげで、普段だったらメシアンをここまでじっくりと集中して聴かなかっただろうし、その魅力もわからなかっただろう。メシアンの音楽は一人でいる時にしんみりと聴くのにいい。メシアンのほうがラヴェルのピアノ曲より瞑想的であり、俗世間の汚れを洗い流してくれるような浄化作用を持っているが。

 -音楽は真理に欠けている私たちを神に導きます。
                       ~メシアン

メシアンの『鳥のカタログ』を聴いていると、鳥の群れの動き・・まったく予測不可能でいながら全体では統制の取れている、活き活きした鳥の群舞を連想する。そしてそれは流れる雲の動きと同じで、二度と同じ瞬間がやってこないことも思い起こさせるし、鳥の囀りの持つ自然の調和が、私たち人間が持っている調和のイメージとも違う事にも気が付く。

毎朝、起きると紅茶を飲むためにヤカンを火にかける、そうするとうちのウロコインコは私の肩にとまってお湯が沸く前に「ピーッ」とお湯の沸いたヤカンの音を再現してみせる、紅茶にお湯を注ぐ前に「ジュウッ」と注ぐ音を再現する。鳥の音に対する記憶力と予測能力は素晴らしく、それゆえ「ゴアン」(ごはん)、「ルーちゃん」(寂しい時、ケージから出してほしい時)など様々な鳴き声で人に訴えるのである。窓の外でムクドリやヒヨドリの群れが騒いでいると、しきりに「ルーちゃん」と連呼して自分の存在を懸命にアピールしているのが愛らしいのと同時に、決して野生には戻れないことを考えると可哀そうでもあるが。

鳥を飼っている方なら、鳥がどんなにか賢く、また素早いテンポで生きていて、時折予測不能な動きをするのかをご存じだろう。ストラヴィンスキーの「火の鳥」や「ペトリューシ-カ」のテンポの速さはかなり鳥のテンポに近いが、メシアンの『鳥のカタログ』には間というか余白があって、余白があるために鳥の囀る風景全体も、聴いている人に想像できるようになっている。

メーテルリンクの『青い鳥』では、チルチルとミチルが大喜びで夜空を飛ぶ青い鳥の群れを追いかけて、捕まえたとたんに死んで黒くなってしまうというシーンがある。また、聖フランチェスコの逸話で、兄弟レオが「真の歓びは何ですか?」とフランチェスコに尋ねる。すると、すべての人を回心させても、奇跡を起こしたとしてもそこに真の歓びはない、と聖フランチェスコは答える。人が窮乏した、最もみじめな状態に置かれたときに、初めて真の歓びがわかるだろう、と言うのだ。真の幸福は自己満足の状態にあるものではなく、むしろその反対の欠乏した状況で初めて見えるということ、つまり真の幸福は、自分の意志によって獲得されるのではなく、神の恩寵のみにあるということだろう。

愛というのは、完全なものが不完全な人間に与えるようなものではなく、むしろ両者が対等であるときにはじめて成立するのかもしれない。メシアンがその教室で多くの優れた弟子(クセナキス、ピエール・ブーレーズ、シュトックハウゼンなど多数)を育てることができたのも、彼があくまで生徒と対等な立場をとれる「愛の人」だったからであり、メシアンは自分の追随者を嫌った。(鳥の社会には上下関係がないように)

メシアンは鳥の研究を通して、神(自然)の秩序に限りなく接近しようとした。(敬虔なカトリック教徒であったメシアンにとって「偶然」は存在しない)幼い時、教会のステンドグラスの色彩に音を感じるという共感覚の持主だったメシアン。メシアンはやはり、天上の音楽(調和)を信じたピタゴラスの末裔の一人だったのだと思う。


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住宅団地 記憶と再生 №34 [雑木林の四季]

20.デツサウのツオーバーベルク団地Siedlung Zoberberg (06847 Dessau-Roβlau〕 1

       国立市富士見台団地自治会長 多和田栄治

 2019年はバウハウス設立100周年にあたり、デッサウに「バウハウス美術館デッサウ」が9月9日に開館した。9月初めにベルリンに行くので、デッサウまで足をのばし、新美術館を見学し、近郊のツオーバーベルク田地を訪ねる予定をしていた。開館日の混雑をさけて翌10日に出かけた。ベルリンからマルティン・ルターの町ヴイツテンベルクで乗りかえデッサウまでは約1時間である。
 デッサウは旧東ドイツ、いまはデッサウ・ロシュラウ市、人口8万人をこえザクセン・アンハルト州第3の郡市である。エルベ川とムルデ川の合流点に近く、ベルリンとライブツイヒの中間地点にあたる。デッサウは中世から開け、18世紀の啓蒙君主の治世、「ヴェルリッツ庭園王国」Gartenreich Dessau Worlitzの造営など由緒ある歴史をもっている。20世紀にはいってはユンカース、航空機とエンジン、ガス工業の軋工業が栄えて町は発展し、
1925年にバウハウス造形学校がヴァイてルから移ってくる.。しかしバウハウスは、1931年にナチス党員がデッサウ市長につくと32年に閉鎖された。ナチス政権の戦略的要衝であったデッサウは、第2次大戦で空爆の標的となり、破壊しつくされた。
 戦後、工業の復興は多くの労勧者を必要とし、人口増に対応して住宅建設は最優先の課題となった。1980年代から低コストのプレハプ工法によって、伝統的な建築様式などはかえりみず高層の団地建設がすすめられた。
l80年代末まで工業も人口も上向き値向にあったが、ドイツ統一後は反転、工業は衰退、町の主要企業は倒産、転出がつづき、大量の雇用を失った。雇用の喪失は人口減少をうながし、空き家を生みだしたばかりか、地域コミュニティを崩壊させる,。都市の「縮小」と「再生」という困難な課題に向きあわざるをえずザクセン・アンハルト州は、10ページに書いた1BAエムシャーパークと同様に、2002年にlBAザクセン・アンハルト事業をはじめることを決め、州開発公社とバウハウス・デッサウ協会が協衝した。都市縮小・改造計画の検討と提案がつづけられた。デッサウ・ロシュラウ市の具体的な縮小政策は「東の都市改造」プロジェクトを中心こ展開された。その象徴ともいえるヅオーバーベルク団地の一部撤去は2013年に指定された。
 片やバウハウス美術館デッサウの新設は、市にとっては画期的な「都市再生」のモニュメントといえよう。
 そんな経緯は、デッサウ駅に降り立って感じたわたしの第一印象にはすくには結びついてこない。壮大なアンハルト劇場を右に見てアントアネット通りをすすみ、木立ちにかこまれた市立公園に接して建つ完成したばかりの新美術館に着くまでの短い間、整然とした美しい街並みに目をみはるばかりである。,わたしにとっては文献上の記憶でしかないが、しかしここ15年間の郡市改造の進展に思いをいたすとき、感銘はずっと重いものとなる。
 新美術館は外面すべてガラスのカーテンにおおわれて何の装飾の類もなく、まわりの公園、市街の全景を映し出しているだけである。心おどらせ入ったが、チケットは人手できなかった。入館は1時間に150人のみ、本臼分は売り切れとのことであった。残念、、またいつの日かを期して、つぎの予定、近郊のツオーバーへルク団地にむかった。トラムでユンカース・パーク行き、デッサウ駅から約15分である。l断っておくが、わたしがツオーバーベルク団地に関心をもったのは、もっぱら服部圭郎「ツオーベーベルク団地(デッサウ)の撤去事業の関する研究」(『明治学院大学産業経済研究所年報』第33号/2016年)に〉負っている。以下に書くのも、筆者の許しを得ないで借用し紹介しながら、わたしの見聞をくわえたものである。
 市は2013年に「東の都市改造」プロジェクトの対象地区を数か所指定し、地区ごとの戦略(マスタープラン)を策定した。そのコンセプトは、、A維持優先、B維持、C更新優先、D更新、E経過観察、F安定地区に分類される。A:安定的にこ維持することが重要、さらに改修、近代化すべき地区、H:安定化を図るべき地区、C:撤去を優先させ、跡地はランドスケープ・ゾーンを形成する地区、D:修繕、再開発などをしたが問題は解決されず、将来的に撤去の検討もする地区、E・F:制作的干渉も対策もしない地区である。ツオーバーべ凡クはC地区に指定された。
 このプロジェクトは、さきに書いたとおり、2012年から16年までの時限的な施策でその後とうなっているか調べていないが、空き家率の高い戦後建設団地の撤去にあたっては費用の半分を連邦政府が、軍律半分を州政府が負担する施策メニューである。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂


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地球千鳥足Ⅱ №46 [雑木林の四季]

変動と新生のイエロ1・ストーン公園

      小川地球村塾村長  小川律昭

 日本人が富士山に心の郷愁を感ずるように、ロッキー山脈を中心に広がる天然モニュメントの数々は、アメリカ人のみならず世界各地から人を引きつける。その代表イエロー・ストーンは、海抜二〇〇〇メートルの山岳高原で天然魔可不思議の百貨店である。渓谷、特色ある滝、二十を越す三〇〇〇メートル級の山々、何千個の温泉、冬には一メートルの氷の張る湖など、知りうる限りの自然の形態がそこにはある。アメリカで最初に国立公園に指定されたこの公園の名の由来だが、露出した地層に苔が生え、それが黄色く見えたことからつけられた。熊、大鹿、狼等、多くの動物が生息し、車の目の前で見ることが出来る。

 十年前、西から入国してすぐショックを受けたのが山火事の跡の真っ黒焦げの樹林だった。一〇キロ走ってもまだ続いた。愕然となった心は、道のど真ん中に座るバイソンによって慰められ、そのうち風景が豊かな緑に変わった。十年後の二〇〇一年、再び訪れた時には焼け跡は縁の若木に変わっており、バイソンの群れは健在だった。朝霧に包まれた木々の問を陽光が貫き、谷川にシルエットを描く様は幻想的だった。

 一定間隔で空中高く吹き上げる間歓泉はツーリストの呼びもの。次の噴出の瞬間をこの目で見ようと待っている人たち、池や湖の底から湧き上がる温泉群が点在し、流出するお潟の流れ込む熱い川から意気が昇る。野原一帯でもあちこちに蛸壺のように大小の穴ぼこ温泉が群をなし、その湯気が閻辺を霞のように巻いている。洞窟の奥で竜の咆哮のごとく音が反響する温泉もある。湖のほとりで銀色になった枯れ木がたたずんでいる様は、抽象画の世界で、立ち去りがたい。温泉のミネラル分を吸い上げ百年朽ちず耐えているという。
 他の呼びものは重畳する石灰石のパレットだった。受け皿から受け皿へ湯が溢れ、流れ落ちていたが、ここも十年後の二〇〇一年には変わっており、お湯は滴れ果て、パレットは一部こわれて過去の栄光いずこに、であった。その上方では突出した岩のど真ん中から湧き出した温泉が、塵れたローソクのように石灰層を作っていて、ここが新コースになっていた。新たに湧いた温泉群や空中に惜しみなく真珠が吹き上げられるような豪華な間駄泉も出現し、以前にはなかった遊歩道も作られていた。

 この公園が与えてくれる感動は大自然の変動と新生。何百年もの間、火事と蘇生を繰り返し、動植物の生息体系を変えて行く。山火事による枯れ木群の根元には実生の幼木が息づき、育っている。今豊かな森林も数十年後にはどうなるか。温泉これしかり。
 大小のすり鉢状の穴が至る所に見られ、盛んにブクブク湧いているもの、湯が滴れ、悲しげに語りかける穴もある。森羅万象が活動と枯渇を繰り返しながら新しいものに形態を変え、再び出現するのだ。人間社会も同様でありたい。先達の遺産は必ずや形を変え、発展的に再生されて行くべきことを、この大自然公園で学んだ。変動と新生のイエロー・ストーンに来て生の息吹きに触れ、十年後も生きてここを訪れようと心に誓った。
                         (二〇〇一年十二月)

『万年青年のための予防医学』 文芸社 


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山猫軒ものがたり №38 [雑木林の四季]

小屋を建てる夢 2

            南 千代

 高橋さんも考えこんでしまった。和風なのか、洋風なのか、昔的なのか、現代的なのか、そのいずれのことばを使ってもピッタリ説明できない。私たちは、彼のアドバイスで、望む家のイメージを捜すために、さまざまな建物を見て回ることにした。
 高橋さんの知り合いや、私たちの友人から紹介を受けた個人住宅、狭山の東野高等学校、川崎の民家園、川島町の遠山記念館などなど。洋書や国内建築誌も開いた。小屋ひとつ造るのに、何もそこまでする必要はないのかもしれないが、多種多用な建築物を、造る、あるいは住むという目で見て回るのは、楽しく おもしろいことだった。
 民家園では「こんな家だったら今度は、馬も飼える」とうれしくなったり、遠山記念館では其のぜいたくなつくりに、優雅に暮らす自分を想像したり。雑誌を聞いては、英国のコテージ風にしたら花は何を植えようか、とプランしたり。
 イメージが次第にふくらみ始めた。高橋さんは、木造伝統⊥法を試してみることをすすめてくれた。真壁(柱が見える建築)で梁組を見せる日本の在来工法(基本構造の締結部に金具を使わず、木組だけで支える、昔の寺社や民家建築に見られる工法)である。この構造は、建物の大小を問わず、住まいの空間である本屋を造り、その上に小屋を組み屋根をかけ、床や壁などの造作をして一軒の建物とする。建物の主体である本屋と小屋は、一度組んだら何百年、時には一千年以上生き続ける、という。
 川崎の民家園の見学は、それを実際に確かめるためでもあった。民家園には、代表的なところでは、たとえば岐阜の白川郷の家のように、国内各地の古い民家が集められている。
 民家は、海辺の家は浜風で曲がってしまった松をそのまま梁に用いたり、川辺の家は杉皮の屋根の押さえに、川石をずらりと並べたり、屋内の土間が匠ほど広く、作業場を兼ねた家があったりと、それぞれの家が地域性や住む人の暮らしを語っていて、個性的である。
 日本の住まいには、同じ木でもログキャビンではなく 日本のその地域の気候風土が育てた家が、科学的にも景観的にもあうのではないだろうか、と思い始めた。
  昔ながらの伝統工法による建築物といえば、山猫軒もまさしくそうである。百十年前に、分家としての初代である恰五郎という人が造ったそうだ。専門とする大⊥に頼むところもあったかもしれないが、当時この地元においては、石垣の石組ですら自分でやれる所は自分で造ったそうである。思えは、今の時代だからこそ自給自足は、暮らし方のひとつの提案になりうるが、ひと苦前の農村部においては、あたり前の生活だったのかもしれない。
 陽あたりのよくない山猫軒から避難するために、模索した家造りの方法は結局、山猫軒に習うことになりそうだ。
 さまざまな家を見学して回る過程において、木の入手の相談をしながらっプランを酒の話題にしながら。私たちは、友人、知人、ムラの人、キコリたちなど、すでに多くの人を巻き込みつつぁった。集まった人たちと夜な夜な話を重ねる中で、家の顔が次第に見え始めた。
 「何百年も生き続ける家を造ろう。せっかくだから、ぼく、麻布のスタジオも今度造る家に移そうかな」
 夫が言い出した。数坪の小屋のつもりが、話がだんだん大きくなっていく。夫の目のレンズには、すでに伝統工丁法による家がしっかり映っているようだ。私はこれから長く生きても数十年、百年以上ももつ家など必要ないのではと思ったが、夫の目がキラキラと輝いているので、黙っていることにした。
 だが、そうなると、とても夫が自分だけで造ることはできない。結局、最初はアドバイスと協力を頼む予定だった高腑さんにも、全工程に関ってもらうことになったが、高橋さんとて家を建てるのは初めての経験。全く素人の    夫と共に、家を造ろうと、よく決意してくれたものだ。
 高橋さんだけではなかった。川合さん、井野さん、れい子さん、古山さん、小沢さん、みんなできることは協力するから、やろう、と言ってくれた。何ものにも代えがたい、仲間たちの大きな力を得て、私たちは家造りのスタートを切った。
 今日は大黒柱にする木を伐ってくる、今日は梁になる木を。夫は、造ると決めてからは、ほとんど毎日、弁当を持ってキコリと一緒に朝七時半には家を出るのだった。
 木の伐採地は、建てる現場予定地の裏山をはじめ、この近辺の山々が中心だ。犬の為朝も、お供に通う。為朝は、夫と一緒に軽トラックで出かけるのが大好きで、エンジンがかかると、自分で飛び乗ってしまう。田に畑に山に、為朝はいつも夫と一緒だ。
 高繚さんが家のカタ千を考えてくれている間に、夫は木を伐り集めた。伐った木は、製材に出し、高橋さんの工房そばに借りた作業所に運び、貯めておく。木を雨露にあてた後、ここで約半年乾燥させる予定である。

『山猫軒ものがたり』 春秋社


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夕焼け小焼け №35 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

上村蔵書のはざまで 2

             鈴木茂夫

 スターリンの率いるソ連は共産党が前衛として、理想的な社会主義国家が建設されているとされていた。文学の世界を作家同盟は規制した。作品の中で共産党が方針を示し、その組織が正しく活動を指導する状況を表現しなければいけないとしていた。
 「若き親衛隊」「静かなドン」などは社会主義リアリズムの傑作とされていた。私も一時期、ソビエト文学にある種の共感を抱いていた。しかし、つまらなくなった。
 スターリン批判が出てソビエトの暗黒面が浮き彫りされた。
 スターリンは何十万人の無辜の人を殺した恐るべき独裁者であると批判され暴露された。パステルナーク、ソルジェニーツィンが描きだした暗黒の世界に、社会主義の虚妄を知った。私はこれらの作品を二度読み直した。そして社会主義への幻想は消えた。
 
石原慎太郎「太陽の季節」、大岡昇平「レイテ戦記」、山田風太郎「柳生忍法帳」、野村胡堂「銭形平次捕物控」、江戸川乱歩「孤島の鬼」、羽仁五郎「都市の論理」、五木寛之「青春の門」、司馬遼太郎「竜馬がゆく」、三島由紀夫「禁色」、ジャン・ジュネ「泥棒日記」レイモン・ラディゲ「肉体の悪魔」、ロマン・ロラン「愛と死との戯れ」、高村光太郎「智恵子抄」、ジャンポール・サルトル「嘔吐」、谷川俊太郎「20億光年の孤独」、有吉佐和子「紀ノ川」、木下順二「夕鶴」、エーリヒ・レマルク「西部戦線異状なし」、和辻哲郎「風土」、 開高健「裸の王様」、キェルケゴール「死に至る病」原田康子「挽歌」、田中英光「オリンポスの果実」、有吉佐和子「紀ノ川」、太宰治「人間失格」、織田作之助「夫婦善」、中島敦「山月記」、埴谷雄高「死霊」、坂口安吾「白痴」伊藤整「小説の方法」、ス」、井伏鱒二「黒い雨」、有島武郎「或る女」、丹羽文雄「親鸞」、宮本百合子「貧しき人々の群」石川達三「蒼氓」、直木三十五「南国太平記」、

 昭和19年(1944年)4月からはじまったレイテ島の戦いで日本軍は84000人の犠牲を出した。大岡昇平の「レイテ戦記」は、戦いの現実を克明に描写している。
 大岡昇平は「私は『レイテ戦記』を特に歴史と考えて書いたわけではなかった。民間の一個人として完全な歴史を書くには資料が不足しているのである。〃〃多くの僚友が惨めな死に方をした。戦争という非情な殺戮の場に巻き込まれた人間の惨めさを私は書いた。当時はレイテ島戦闘の全体をより大きな敗軍の地獄図と考えていたのである」

大佛次郎「天皇の世紀」、三木清「人生論ノート」、海野十三「浮かぶ飛行島」、石川啄木「一握の砂」、川端康成「雪国」、葉山嘉樹「海に生くる人々」、横光利一「上海」、野間宏「真空地帯」、三島由紀夫「金閣寺」、森正蔵「旋風20年」、徳田球一・志賀義雄「獄中18年」、井原西鶴「好色一代男」、安陪公房「壁」、遠藤周作「沈黙」、大佛次郎「鞍馬天狗」、徳永直「太陽のない街」、山中峯太郎「亜細亜の曙」、高見順「故旧忘れ得べき」。

 大佛次郎「天皇の世紀」は黒船来航に始まる幕藩体制の動揺。明治維新をへて近代日本が生まれる。その足跡を大きく描いた歴史小説だ。多くの人があらわれ、時代を切り拓く。
 膨大な資料を駆使した歴史巨編だ。読み進むほどに歴史の現場を作者と共にする。
 原稿用紙をひろげてこんな歴史小説がかければと思ったことが何度もある。

 ドス・パソス「USA」、ヤロスラフ・ハシェク「兵士シュヴェイクの冒険」ジャック・ロンドン「野性の呼び声」、ジェローム・ジェローム「ボートの三人男」、チャールズ・ディケンズ「オリバー・ツイスト」、芹澤光治良「巴里に死す」、シャーロット・ブロンテ「ジェーン・エア」、サン=テグジュペリ「星の王子さま」、ジョージ・エリオット「サイラス・マナー」、アーサー・コナンドイル「緋色の研究」、オスカー・ワイルド「ドリアン・グレイの肖像」、エミリー・ブロンテ「嵐が丘」、ダニエル・デフォー「ロビンソン・クルーソー」、 サマセット・モーム「人間の絆」、ジョージ・オーウェル「動物農場」、ヘンリク・シェンキェヴィチ「クォ・ヴァディス」、ダンテ・アリギエーリ「神曲」、アントン・チェホフ「桜の園」魯迅「阿Q正伝」、坪内逍遙「小説神髄」 
                                                                             
 ドス・パソス「USA」は忘れられない。 「北緯 42度線」、「1919年」 「ビッグ・マネー」の3部作だ。20世紀初頭からの3激動する30年間を描いている。
 初めててにしたとき、これは文学狭品なのだろうかと違和感があった。
 男女6人の物語がある。新聞記事、流行歌の1節、社会情勢などが次々に現れる。バラバラのデータに見える。これまでに読んだ作品とはまるで違う。面白くなかった。本を閉じた。でも何かが違う。それには惹かれる。再び読み直す。ニューズ・リールが使われている。現在の状況が記された新聞記事が紹介される。それは新しい手法だと気がついた。時代を表現しているのだ。作品は私の中に重く沈殿した。
 私は放送人となり、携帯用の録音機を担いで、その日のできごとを録音で伝えた。まとまった主題の番組を構成した。録音したデータを、小さな単位にしていくつもつくり構成した。コラージュだ。私の中で「USA」が顕在化した。音声や映像はもちろん、文字でもこの手法により、作品としたいと思った。
 拙著「台湾処1945年」は、ドス・パソスに学んだ。大東亜戦争の末期の台湾の状況、日本人の引き揚げまでの状況をまとめるのに、その手法をお手本にした。

 ある日、書棚に「小説神髄」を発見した。                                         
 新しい小説が,勧善懲悪を柱としていた江戸時代の戯作とは異なると述べている。    
 逍遙は江戸時代、幕末に行われた著名な文芸作品について、幅広く深い知識がある。それらを具体的な例に挙げて論評する。                                               
 江戸時代から明治時代へと大きく社会が変転していくなかて、新しい文芸はなにか、どうあるべきかを具体的に指し示した。                                              
 「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ。人情とはいかなるものをいふや。曰く、人情とは人間の情欲にて、所謂百八煩悩これなり。夫れ人間は情欲の動物なれば、いかなる賢人、善者なりとて、未だ情欲を有ぬは稀れなり。賢人不肖の弁別なく、必ず情欲を抱けるものから、賢者の小人に異なる所以は、一に道理の力を以て若しくは良心の力に頼りて情欲を抑え制め、煩悩の犬を攘ふに因るのみ」                                    
 小説総論で、美術とは如何なるものなりや、小説とは美術なりという。             
 小説の起原と歴史の起原と同一なり。                                             
 小説の主眼は専らに人情にある。小説には、模写小説と勧懲小説との差別がある。     
 文は思想の機械なり、また粧飾なり。小説を編むにはもっとも等閑にすべからざるものなり。小説の文体として、雅文体、、俗文体、雅俗折衷文体のそれぞれの得失を論じる。  
 文章上にて用ふる言語と、平俗談話に用ふる言語と、さながら氷炭の相違あり。       
 主人公とは何ぞや。小説の眼目となる人物是れなり。或ひは之を本尊と命くるも可なり。
 主人公の員数には定限なし。唯一個なるもあり,二個以上なるものあり、されど主人公の無きことはなし。       
                                                      
 後にも先にもこれほど丁寧な文学論は見当たらない。私は海水と淡水が入り交じる汽水湖を思った。               
 坪内逍遙の「小説神髄」は近代文学の礎石といえる。私はこれに接し感動した。       
 これを読むと読まないとにかかわらず、逍遙の示唆した新しい文芸が花咲いたのだ。  
                                                                               
  私自身の好みの作家をあげてみた。
 芥川龍之介、夏目漱石、井伏鱒二、大佛次郎、島崎藤村、坂口安吾、織田作之助、二葉亭四迷、太宰治、宮沢賢治、石川純、吉川英治、石川淳 、高見順 、樋口一葉、中島敦、司馬遼太郎 、有吉佐和子、伊藤整、 伊藤桂一、火野葦平、佐々木譲、城山三郎、半藤一利  藤沢周平、野坂昭如、谷川俊太郎、寺山修司 、大岡信、中原中也,白石和子、北川幸彦 ,田村隆一

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線路はつづくよ~昭和の鉄路の風景に魅せられて №224 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

樽見鉄道・谷汲口(たにぐみぐち)駅の桜

             岩本啓介

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日本三大桜のひとつ『根尾谷の薄墨桜』を観に行きました
途中駅の『谷汲口駅』の桜が綺麗で、思わず下車
  
2017年4月11日15:11


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赤川ボンズと愉快な仲間たちⅡ №56 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

行田の童たち 原画 1

        銅板造形作家  赤川政由

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埼玉県行田市の街づくりにこたえて、メインストリートに40体の童像を設置しました。
いま、当時の市長も替わり、再開発のもとで、この童たちも行方が心配です。

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◆葉っぱ葉っぱ葉っぱ展のお知らせ

        MATプロヂューサー  しおみえりこ

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押し花絵の世界 №202 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

 「薔薇のウェルカムボード」

         押し花作家  
山﨑房枝

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30cm×30cm

友人の結婚式のウェルカムボードを、ピンクの可愛いミニ薔薇や、桜を使用してハートの形に制作しました。
アクセントに水色のデルフィニィウムを取り入れ、背景は若草色に染めた布の上にレースを置いて爽やかなイメージに仕上げました。

結婚式当日は、幸せに満ち溢れた2人の披露宴会場に彩りを添えさせてもらえて嬉しかったです。

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