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雑記帳2024-5-1 [代表・玲子の雑記帳]

 2024-5-1
◆『望郷五月歌』は数ある故郷の歌の中でも心惹かれる卓抜な一つだと思います。

5月は故郷を偲ぶ月です。
人は心の中にそれぞれの故郷を抱いています。
幼い日々を育んでくれた故郷
志をたてて旅だった故郷
父母の暮らす故郷
懐かしく思い出す故郷
口ずさむ故郷

佐藤春夫は39歳の時、故郷を偲んで『望郷五月歌』を発表しました。
佐藤春夫(1892-1964)は和歌山県新宮市の医家に生まれ、少年の頃から和歌を作りました。慶應義塾に学び,25歳で『西班牙犬の家』『田園の憂鬱』を発表し、作家・詩人としての地位を確立しました。以後、浪漫派の作家として幅広い創作活動を展開、1960年に文化勲章を受章しています。

長い詩ですが、ひと思いに紹介させて頂きます。 

『望郷五月歌』
                   佐藤春夫
  塵まみれなる街路樹に
  哀れなる五月(さつき)來にけり
  石だたみ都大路を歩みつつ
  恋しきや何ぞわが古郷(ふるさと)
  あさもよし紀の国の
  牟婁の海山
  夏みかんたわわに実り
  橘の花さくなべに
  とよもして啼くほととぎす
  心してな散らしそかのよき花を
  朝霧か若かりし日の
  わが夢ぞ
  そこに狹霧らふ
  朝雲か望郷の
  わが心こそ
  そこにいさよふ
  空青し山青し海青し
  日はかがやかに
  南国の五月晴(さつきばれ)こそゆたかなれ
  心も軽くうれしきに
  海(わだ)の原見迥(みはる)かさんと
  のぼり行く山辺の道は
  杉檜樟の芽吹きの
  花よりもいみじく匂ひ
  かぐはしき木の香薰じて
  のぼり行く路いくまがり
  しづかにも昇る煙の
  見まがふや香爐の煙
  山樵(やまかつ)が吸ひのこしたる
  鄙ぶりの山の煙草の
  椿の葉焦げて落ちたり
  古の帝王たちも通はせし
  尾の上の道は果てを無み
  ただつれづれに
  通ふべききはにあらねば
  目を上げてただに望みて
  いそのかみふるき昔をしのびつつ
  そぞろにも山を下りぬ
  歌まくらはなれ小島に
  立ち騒ぐ波もや見むと
  辿り行く荒磯石原(ありそいしはら)
  丹塗舟(にぬりぶね)影濃きあたり
  若者の憩へるあらば
  海の幸鯨(いさな)捕る船の話も聞くべかり
  且つは聞け
  浦の浜木棉(はまゆふ)幾重なすあたり何処(いづく)と
  いざさらば
  心ゆく今日のかたみに
  荒海の八重の潮路を運ばれて
  流れよる千種百種(ちぐさももくさ)
  貝がらの数を集めて歌にそへ
  贈らばや都の子等に

◆「上越・下越へ 新潟グルメ紀行」の3日目は佐渡の宿根木でした。

佐渡には島の中央・国仲平野の公家文化とちょっと北の武家文化、そして、南の小木半島には町人文化と、3つの文化があるといわれています。
公家文化は中世、此の地が配流の地であったために都からの流人によってもたらされ、戦国時代から近世初頭にかけては金山のある相川を中心に武家文化が根をおろして、佐渡は辺境の島とは思えない豊かな文化をうんでいます。同じく戦国から近世にかけて、北前船による商品経済は佐渡に豊かな富をもたらし、宿根木は町人文化が栄えました。北前船は千石船と呼ばれました。」

宿根木は小木半島にあって、船主(船頭)、船大工、船乗りの、海運に必要な全てを抱えた、北前船のの村でした。日本から瀬戸内海へ自由に航海する北前船は物資の交易だけでなく、当時の情報網をも握っていたのです。しかし、江戸時代、繁栄を極めた北前舩も、明治には輪船の建造が禁じられたために、明治末期には姿を消しました。

何漕もの船をもつ裕福な船主の屋敷は、外観は質素ながら内部は贅を尽くした総漆。強風から漆喰を守るために全体を囲った蔵や、狭い土地に密集して建てられた家々など、江戸時代から残る街並みは、平成3年に、重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。これは全国で30番目だということです。ちなみに、現在、この指定を受けた地域は120か所をこえています。
海からの強風に絶え、狭いエリアに軒を並べる、独特の街並みを巡りました。

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強風で屋根がとばないよう、案内所の屋根には石がおかれている。

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移築の崔、敷地に合わせて三角形にきりつめた三角家(さんかくや)。
まるで船の舳先のようです。
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世捨て小路と呼ばれるメインストリート。石畳は真中がへこんでいる。
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清九郎。安政5年の改築。江戸時代後期から明治にかけて在をなした巡船主の邸宅。建築材料、技術とも当時の宿根木集落の最高水準を誇る建物。
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川にかかる石橋は福井産の石。財力にまかせて石工まで連れてきた作らせたという。
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回り舞台もあるという公会堂。今も現役です
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称光寺。1349年、佐渡最初の時宗寺院として開基。1717年の棟札が残る山門は宿根木でもっとも古いと言われる

廻船主砂糖伊左衛門家の屋敷は土地に余裕のない宿ね基にあって、珍しく広い庭がある。今はあなぐちの名でレストランになっている。お昼はここでいただきました。食材はその日港に上がった魚、パンには佐渡産の小麦粉「ゆきちから」を使うなど、地産地消にこだわった創作フレンチでした。

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あなぐち入口
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 いごねり(まえごという海藻をかためたもの)
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春のポタージュ
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鰯のパートブリック(春巻)
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豚肉のロースト

折角ここまで来たのだから名物のたらい船にのりました。
今は観光用ですが、もともとは、入り組んだ狭い小木湊の入り江で漁をするために考案された舟でした。

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