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戦後立川・中野喜介の軌跡№1 [アーカイブ]

戦後立川・中野喜介の軌跡
                                                    
立川教育振興会理事長 中野隆右
 まえがき
 私は、戦後立川の激動の中に生きた異色の男・中野喜介の軌跡を追ってみたい。1905年、日本統治時代の朝鮮・忠清南道に生まれ、来日して工業学校に学び、その後立川市で生計を立てた。立川が、TACHIKAWAとしてアメリカ軍基地であった一時期、中野喜介には夜の市長の異名があった。書かれることない「影」の部分に生きた67歳の生涯だった。
 昭和20年8月15日の終戦により、大正時代以来、陸軍航空の要として知られた軍都・立川の機能は停止した。一転してアメリカ軍の進駐を迎えた立川のその後は、混乱をきわめた。終戦の処理に追われる日本政府は、地方都市にまでは手が回らない。地方都市の行政は、もはや地元の市民が担う以外に術はなかったのである。
 そんな中、立川市民はいかにして自分たちの町を守り、発展させていくかを考え、自主的に行動して新しい立川の街を作り上げた。そしてバイタリティー溢れる市民の典型として、立川市の再建の中心を担った中野喜介氏の昭和20年から30年代の活動をみることにした。昭和20年から30年代は、立川市の編纂した資料も少なく、また市民もあまり話題にしない時代である。一般の評論では、立川は悪の巣窟のように書かれている。そしてしばしば中野喜介氏はその頂点にいる人物として紹介されることが多い。だが、私は彼らが活躍した時代こそが本当の立川の生き生きとした時代であると思っている。

 駅前に広がる闇市
 「軍隊から復員して立川に帰ってみたら、、駅前は闇市でした。」
 敗戦の年の立川の町の光景をこう語るのは、明治30年代から北口駅前の通りで、呉服商を営んできた丸屋呉服店の3代目の当主伊藤平八郎氏だ。昭和20年8月、岐阜県各務原の航空廠で敗戦を迎え、敗戦に伴う残務処理に時間を費やしたため。帰郷できたときはすでに12月になっていた。
 見慣れた駅前通りには、大戦末期の建物疎開にかかった我が家はすでになく、かつて店があったあたりには闇市が広がっていた。目の前に広がる闇市、戦時色が濃くなって以来、日増しに強化されていた統制経済に風穴を開けたこの闇市には、ここ数年影を潜めていたはずのアウトローたちが、新たな主役として大手を振って闊歩していた。いや、彼らこそが、このにわかに出現した市場の統率者である。加えて闇市を包み込むように周囲に広がる立川駅の町並みには、軍隊帰りの伊藤氏には、見慣れない種類の店も目についた。それは進駐してきたアメリカ軍関係者を相手にする土産物店だった。
 大正時代には、陸軍の飛行場が進出してきて以来、「軍都」として発展してきた立川は、今度はアメリカ軍の進駐で、「アメリカ軍基地の街・、立川」へと姿を変えていた。そして、「基地の街に出現したこの見慣れない商売が、皮肉なことに、旧日本軍の航空基地から復員したばかりの伊藤氏にとり、しばらくの間、生活の手段をうる手だてとなるのだった。
 「駅前のこのあたりも進駐軍相手の土産物屋でいっぱいでした。私なども農家に行っては、羽子板やお雛様を買い集めてきて、それをアメリカ兵に売りました」
 呉服商と言っても、なにしろ当時の東京は焼け野原。東京近郊の街立川も、市の中心部での空襲の被害こそ比較的軽微だったものの、経済は崩壊し、市民の生活は混乱の極にあった。とても呉服どころではないという世相だった。
 自然、ビジネスの対象は新たに現れた権力者集団であるアメリカ軍関係者に映る。彼らは当時の日本人から見れば、上は司令官から下は一兵卒、軍属に至るまで治外法権の存在であり、また日本人より「お金持ち」だったのだ。
 やがてこうしたアメリカ軍関係者との接触は、伊藤氏にも一つのビジネスももたらすようになる。アメリカ軍基地から出る商品を扱うヤミ商売である。
 「日本人には入れない基地の中からアメリカの軍人が持ってくる、シュガーやラッキーストライクを手に入れて売ったものです」
ただ、この少々ワイルド商売にはそれ相応のリスクもあった。
 「シュガーだといて、持ってきたものが実は塩だったり、それはだまされたこともありましたよ。でも、生活しなければならないからやめるわけにはいかない。私くらいの年配の人は、そのころはみんなヤミ屋をやっていたんですよ」
 ところで物事と言うのは何でもそうだが、続けるうちに徐々にエスカレートしてくるものだ。もともと法の網をかいくぐるこの商売、だんだん大胆なことが当たり前に行われるようになる。
 「アメリカの軍人は最終基地内の購買で買ったものを持ってきていたようです。でも、しまいには、倉庫から持ち出してくるようになりました。だから持ってくる時には、手で提げてくるのじゃなく、それこそトラックやジープでドカンと持ってくるようになったんですよ」
 こうして、「基地の街立川」は、物のない当時の日本で、アメリカでの闇物資が手に入る街として知られるようになった。
 「当時の立川、アメリカ軍基地の町として全国的に有名でした。物も情報も、アメリカから入ってくるのだから、他の街より何でも早かった。コカコーラ、ラッキーストライク、オイルライター……奴らアメリカの軍人に頼めば何でもございだった」
 アメリカ軍基地内のバーで、バーテンダーの仕事を覚え、立川で半世紀にわたる営業を続けるバー「潮」のマスター、白根宗一・通称ジミー氏も、アメリカ軍から出る闇商品について、こう振り返る。
 「たばこ、お酒は、やっぱり闇屋さんでしたね。闇屋さんが暗躍して、あちこちからくすねてはどんどん持ってきてね。これには当時こういう洋酒はまだ、完全に純然たる形で出回っていなかったということもあります。立川にいる人は、こういう闇の商品が手に入るから、ちょっと地方へ行くのに、お土産に舶来品を持っていくとすごくと喜ばれてね。外国タバコなんかでも、こんなものはめったに据えないって、何しろお砂糖だってなかった時代に、チョコレートがあったんだから」
 闇市ではもっと高級な商品を手に入れることができた。
 「それから時計とか。貴重品だったもの。あのころは、南京虫なんていうのがありましたね。あの当時、パンスケと言えば、みんな南京虫をやっていたものね。こんな小さな時計でしたが。またあれがなんとも言えない。パンスケがそういうものをねだるわけですよ。今じゃオメガだ、ローレックスだ、男はグローバーだなんて言うけれども、あんなメーカーのものはそもそも市中に出回っていませんでした。一般の店にそういう時計なんかが入ってきて、商品として身につけるようになるのは、ようやく昭和26、7年のころでしょう。ところが立川では、基地の街という特殊な事情で、出回っていた。」
 パンスケとは、アメリカ兵を相手に売春を生業とする女性のことである。当時、「基地の街・立川」にはパンスケがあふれていた。アメリカ軍人は、物資の供給者であるとともに、日本人にとっての有力な顧客としても定着していたのである。ただし彼が買う商品は、物とは限らなかったと言うわけなのだが。
 こうして新たに「基地の街、立川」」が出発した。いったん3万5000人近くにまで激減した人口は、基地の存在から再び増加に転じ、戦後10年の間に、元の6万人を上回る回復を遂げることになるが、それはまだのちの話だ。


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玲子の雑記帳2009-05-07 [アーカイブ]

 連休中に藤田尊潮さんの「『星の王子さま』を読む」を読みました。学生の頃、ご他聞にもれず夢中になり、「大切なものは目にみえない」というせりふを、合言葉のように友人と言い合った時代があって、でもそれは世間を知らない直感のようなものでしかないと自分でもわかっていた。そしていつかこの言葉がわからなくなるのではないかとおそれてもいた。40年の時を経て、挫折や別れやさまざまな意味での世間を知ってみると、この言葉は色あせることなくまるで真実だったことに気がついて驚いています。「飼いならし」て築いた「絆」の意味も今のほうがずっとよくわかる。『星の王子さま』はやっぱり大人の童話だったのですね。藤田さんは武蔵野美大の先生です。                      


雨の日は仕事を休みなさい№2 [アーカイブ]

『会社へ行くのがつらかったら休みなさい 会社(道場)は建物ではなく、人の心にあるもの』                                                                                  

                              鎌倉・浄智寺 閑栖  朝比奈宗泉

  「道場」という言葉の本来の意味は、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開かれた樹下の座のことです。禅僧が修行する場所をいい、ひろくは学道を修めるところを指すようになりました。

 サラリーマンにとって、会社は人生の修行の場でもあり、その意味ではまさに道場です。道場というのは神聖な場所や建物をいうのではなく、真剣に自分の仕事をする場所と言い換えてもいいでしょう。最近は、自宅に帰ってもパソコンを使って仕事をする人が増えています。だから、たとえ四畳半一間のアパートに住んでいても、そこがその人にとっては道場となるのです。

 禅語に「直心是道場」という言葉があります。何かに懸命に努めれば、どこでも道場になるという意味です。また、幕末の勤王僧(浄土真宗)である釈月性は故郷の山口を出るときに作った「まさに東遊せんとして壁に題す」という漢詩のなかで、「人間、到るところに青山あり」(広い世間には自分の墓とする場所はどこにでもある)と詠んでいます。自分の信念をきっちりと持っていれば、どこにいようが良い道場になるのです。要は、懸命に仕事に励める場所があればいいということです。

 人はときには体調不良となることもあります。本当に疲れているのなら、会社を休んでいいと思います。会社の規則を守ることは大切ですが、病気になったらもっと大きな損失が出ます。だから「腹が痛い」、「頭が痛い」などのいろいろな理由をつけて、堂々と休みなさいと言いたい。疲れた心身を休めるために家にいることも、大切な修行のひとつです。

 私が早稲田大学に入学したころ(昭和17年)は、太平洋戦争が始まっていました。入学してから1年ほどで入隊し、半年後には、帝都(東京)地区防衛の高射砲レーダー隊の幹部要員として訓練に入っていました。

 ある日の夜、サーチライトの部隊との合同訓練のため、東京湾七号地に集合するよう、命令されました。私は昼間の訓練で疲れ果て、夕食後、兵舎で居眠りをしてしまいました。そのときの戦友たちは、「熱があるから寝かせておけ」と、そのままにしておいてくれたのです。おかげでよく眠れ、疲れがとれました。そういうふうに周りから助けられることも人生には多々あります。

 何が何でも規則に従わなければならないのではなく、疲れている同僚、友達を見たら、周りから「おまえ、今日は休めよ」と親切にしてやるのもひとつの方法です。無理に仕事をしてミスをするよりは、しっかり休んでリフレッシュする。そして、その後、速やかに出社して、仕事に取り組んだほうが能率も上がり、結局は会社のプラスにつながります。規則の遵守だけでなく、柔軟に人生を送らなくてはいけません。
 直心是道場(直心是道場)(じきしんこれどうじょう)『維摩経』菩薩品(ゆいまきょうぼざつぼん)
 インドでは修行する在家の裕福な資産家を居士(こじ)と呼びました。維摩居士は、維摩経に登場する人物で、説話のために理想的な人間像として創造された在家の信者です。あるとき、修行中の光厳童子(こうげんどうじ)が路上で維摩居士に出会い、修行にふさわしい道場の場所を尋ねました。それに対して維摩居士が答えたのが、「直心是道場なり、虚仮(こげ)なきが故に」という言葉です。
 「直心」とは、真直ぐな正しい心。「虚仮」とは、嘘・偽りのことをいいます。偽りのない正しい心が、すなわち立派な道場であるということです。道場とは修行のための神聖な場所を指し、建物をいうのではありません。そこは、修行する人の心がけしだいでよくも悪くもなります。つまり道場は、人の心そのものを意味することになります。
 たとえば、茶室1つにしても、直心をよく会得している人たちの集まりならば、たとえ粗末であっても立派な道場になります。しかし、一見閑静でよさそうな場所に見えても、心未熟な人ばかりの集まりでは道場とはいえません。
 2007年は、「食品表示偽装」「年金問題」「防衛省問題」など、嘘・偽りの年でした。その一年を象徴する漢字が「偽」と発表されましたが、日本人が「直心」を忘れてしまった結果であるといってよいでしょう。
 こうした時代だからこそ、日本人一人ひとりが無垢の心にかえることで、この直心を理解できれば、この世は誠意に満ちた安心できる社会になるのです。
『雨の日は仕事を休みなさい』実業之日本社                     

講座案内 [アーカイブ]

 講座  隔週2本立てで月4回実施。オープンカレッジのレベルに匹敵する講師を迎え、じっくり学ぶために各講座6回(3ヶ月)以上の連続講座とする。

   会場      柴崎学習館

   時間     毎週金曜日午後2時~4時

   会費     入会金1000円   月会費4000円(ただしいずれか一方を選んだ場合2000円)

6月~11月の講座案内 

 「今に生きるチェーホフ」                                                                  講師:神奈川大学名誉教授 中本信幸                                           わが国におけるチェーホフ研究の第一人者。東京外国語大学卒。07年、ロシアのプーチン大統領から日本の文化勲章に相当するプーシキン賞を外国人で初めて受賞。チェーホフ、エイゼンシュタインなどの翻訳だけでなく、「チェーホフの中の日本」など著書多数。歌手の元ちとせが歌う坂本龍一作曲の「死んだ女の子」は同氏の翻訳です。

     日程: 6/5、6/19、7/17、7/31、8/7、8/21

 

  「歴史を映画で学ぼう」                                                      講師:映画史研究家 坂田純治                                               早稲田大学卒。映画史研究家。神田雑学大学、武蔵野市民大学などで講師を勤める。大学在学中、三宅久之氏(政治評論家)らとともに劇団『自由舞台』で活躍、演劇人としてスタートする一方で、当時社会娯楽の頂点にあった映画の研究を続け、映画ビデオのコレクションは8000本に上る。いま、「おくりびと」のヒットをうけて邦画への関心が高まる中、各地で引っ張りだこです。今回は創世記、新旧石器時代から時代を区切りながら映画で歴史を辿ります。 

     日程: 6/12、6/26、7/10、7/24、8/14、8/28、9/11、9/25、10/9、                    10/23、11/13,11/27

           講座内容プログラム

講座日・①6/12(金) 主題・時代       対象映画作品
                         人類創生        天地創造
                         旧石器時代         恐竜百万年
                         鉄器時代             トロイのヘレン 
                         BC12C               十戒
                                                 サムソントデリラ
                         BC3C                クレオ・パトラ
                                                 ジュリアス・シーザー

講座日②6/26(金) 主題・時代         対象映画作品
                        ローマ帝政        ベン・ハア 
                                              ク オ・ヴァディス
                       十字軍            十字軍
                       英国王室          ヘンリー八世の私生活
                                             リチャード三世
                       フランス革命         ラ・マルセイユズ
                       アメリカ独立        パトリオット

講座日③7/10(金) 主題・時代         対象映画作品
                      ナポレオン         会議は踊る 
                                               戦争と平和
                       芸術活動          ハムレット
                       ルネッサンス        華麗なる激情
                                        未完成交響楽
                                               アマデュウス
                                               愛の調べ
講座日④7/24(金) 主題・時代          対象映画作品
                        芸術活動         炎の人
                                       赤い風車 
                        南北戦争        風と共に去りぬ
                        人種差別        アラバマ物語
                        ウエスターン       駅馬車
                       (インディアン)        アパッチ砦
講座日⑤8/14(金)  主題・時代        対象映画作品
                         国民誕生        国民の創成
                                                黄金狂の時代
                         トーキー誕生       ジャズ・シンガー
                                                巴里の屋根の下
講座日⑥8/28(金)  主題・時代         対象映画作品
                         日露戦争         二百三高地
                                                 日本海大海戦
                 中国革命           ラスト・エムペラー
                 メキシコ革命        革命児サパタ    
                         第一次世界大戦    西部戦線異状なし
                                                 大いなる幻影
 講座日⑦9/11(金) 主題・時代          対象映画作品
                         ロシア革命         戦艦ポチョムキン
                                                 ドクトル・シバゴ 
                         科学の興隆        キューリー夫人
                                                 タイタニック
                         スペイン内戦        誰が為に鐘は鳴る
                         マフィア                暗黒街の顔役
                                                 アンタッチャブル
講座日⑧9/25(金)   主題・時代         対象映画作品
                          ジャズの流行      グレンミラー物語 
                                                 ベニー・グッドマン物語
                          ナチスの台頭      裁者
                                                 カサブランカ
                                  アンネの日記
講座日⑨10/9(金)  主題・時代         対象映画作品
                         第二次世界大戦   プライベート・ライアン
                                                 また逢う日まで
                                                 明日
                         ベトナム戦争      地獄の黙示録
                                                プラトーン
                         文化大革命       さらば我が愛
                         アルジェ独立      アルジェの戦い
講座日⑩10/23(金) 主題・時代        対象映画作品
                         大戦後の世相     我等の生涯の最良の年
                                                自転車泥棒
                                                ひまわり
                                 大曽根家の朝
                         宇宙開発        博士の異常な愛情
                                                アポロ13
講座日⑪11/13(金) 主題・時代       対象映画作品
                          ミュージカル      南太平洋
                                          ウエストサイド物語
                                                マイ・フェアレディ
                                  コーラス・ライン
講座日⑫11/27(金)  主題・時代      対象映画作品
                 *この日は予備日→講座の進行状況に応じて対処。
註・本講座で使用する対象映画素材の制作・配給会社は以下の通り。
    MGM ・パラマウント・W.B.・20C-FOX・コロンビア・RKO・ユニバーサル
    UA・イタリイ映画社・東映ほか

 

 「心をつなぐコミュニケーション」                                                 講師:元昭和女大学文学部心理学科教授 竹山昭子                                             日本女子大学社会福祉学科卒。東京放送勤務の後、教職に就く。その間、社会心理研究所のメンバーとして研究活動に従事し、昭和女子大学退職後の現在はアナウンサーの経験をこわれて、話し方やコミュニケーション、説得の技術などについて省庁の職員研修に当たっている。メディア史研究では『玉音放送』、『戦争と昭和』、『ラジオの時代』など著書、論文多数。講座では人(他人)とのより良いつながりをめざすコミュニケーションやプレゼンテーション・スピーチなどについてワークショップを通じて学びます。

      日程:9/4、9/18、10/2、10/16、11/6、11/20

 

 


知の木々舎お披露目Ⅱ [アーカイブ]

DSC00299.JPG 4月18日、津田塾大学と読売新聞立川支局共催の市民講座に参加してみました。2年ぶりの小平の津田のキャンパス訪問です。今回の講座、「ユビキタス」、「女性研究者支援」、「言語とコミュニケーション」、「人生論」などのテーマを掘り下げる9回の連続講座。今日はその初回、学長の特別講演は、「津田梅子とアメリカ」。ホールは800名の参加者で埋まりました。男性が半分以上。大学の予想をはるかに超え、あわてて資料を追加印刷するというほどでした。
梅子の掲げた建学の精神は、「グローバルに、そしてローカルに生きる」です。在学していた40年前の私に戻って、久しぶりに、津田の心に触れました。一年先輩の飯野学長は、どんなときでも社会との接点を持て。それは必ずしもキャリアを積むというだけでない。社会の中に、自らをはぐくめ。それが「梅子」の教えだと訴えるのでした。

特に男性の受講生にとっては目新しい様子で、熱心に質問していました。
域内に大学を抱える町の市民は得だなあと思いながら、終了後、学長の飯野先生に手製の名刺を渡すことに成功。企画広報課にメールで講師依頼ができるところまでこぎつけました。先生方はお忙しいので時間があえばという前置きではありますが。

立川の我が家から小平まで自転車で30分ほど。この季節、玉川上水は1年で一番美しい時を迎えます。
4年間キャンパスの中にある寮に住んで、空気までが緑に染まるような気分を、そういえば文章にした頃があった。卒業して再び津田の近くに住むようになるとは思ってもいなかった。今は学生ホールになっている元松林の
中を、分厚い原書を抱えて背筋をまっすぐにして歩いている私を覚えているといってくれた友人がいたが、社会にうって出る野心を胸に、それ以上に学べる喜びに満ちていたあの頃、たぶん今の中高年の誰もが同じ思いをもっていたのだと思う。年を経て再び学び続ける気持ちを取り戻した人々が「知の木々舎」に集う様子をを想像するだけでも楽しい。「知の木々舎」はそんな人のためののサークルです。


知の木々舎のお披露目 [アーカイブ]

4月10日プレ講座を開催しました。「知の木々舎」のデビューです。
この日の講師は神奈川大学名誉教授中本信幸氏。わが国のチェーホフ研究の第一人者です。徒手空拳の「知の木々舎」の船出にあたり、会の趣旨に賛同してほとんどボランティアで講師を引き受けてくださったのです。
07年、ロシアのプーチン大統領から日本の文化勲章に当たるプーシキン賞を授与されています。DSC00300.JPG
チェーホフの作品、桜の園や三人姉妹、かもめなどは私たちの年齢なら誰でも耳にしたことがあるのだけれど、なんとなくえりを正してみる芝居の印象があったのが、最近は少し解釈も変わってきている様子、というわけで今回の講座のテーマは「今に生きるチェーホフ」。アンドリューが乳母車を押す場面は100年前とは思えない新しさで、まさに優れた作家は100年先を見通すというそのとおりでありました。
参加者は30名弱。会場は2時間がすぎるころには打ち解けた和やかな空気にみたされていました。

この日をプレとして「知の木々舎」は6月から正式に講座が始まります。
1つのテーマについて6回、毎月2つの講座を平行して進めます。開催日は毎週金曜日、会場柴崎学習館。
6月~8月の講師は第1、第3を中本信幸氏、第2、第4を坂田純治氏。坂田氏は映画史研究家。神田雑学大学博士。早稲田大学在学中に三宅久之氏(政治評論家)らとともに劇団「自由舞台」を創設して演劇人としてスタートする一方で、当時社会娯楽の頂点にあった映画の研究を続け、映画ビデオのコレクションは8000本に上ります。

 問い合わせ先:rei201@kg7.so-net.ne.jp


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