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住宅団地 記憶と再生 №29 [雑木林の四季]

 17.メルキツシェス・フイアテル Marrkisches Viertel(Wilhelmsruher Damm,Senftenberger Rlng,Dannenwalder Weg,Finsterwalder Str.13435 Berlm)

    国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

 ベルリン最北部のライニケンドルフ区にある。Sl、S2バーンとU8バーンが交差するヴイツテナオ駅を降りるとすぐ先にメルキッシェス・フイアテル(辺境の市区)団地が見える。
2010年1月9日、雪がふり道もぬかるみ、駅前にタクシーが停まっていたので、団地までのつもりで乗り込んだ。運転手が団地のどこで降りるのか聞くので、目的を話したら笑って「団地のまわりを車でゆっくり一周するだけでも40分はかかるよ」という。結局、雪のちらつくなかだし、団地内のところどころで降り、運転手に案内してもらいながら車で団地を一周することにした。
 都市計画当局での検討は1950年にはじまり、63年から10年がかりで、国内外20人以上の建築家が参加し、社会住宅建設協会Geseuschaft fur sozialen Wohnungsbau gemeinntitzig AG=GeSoBauが主に、DeGeWo、DeBauSie社等も加わって建てられた。370ヘクタールの土地に5~18階建て16,943戸(1975年のデータ、以下同じ)、旧西ベルリンで戦後最初の代表的な大団地である。ここには4.5万人が住み、団地内に学校12(小8、中高2、特別2)、幼稚園15(うち市立9)、中高年センター1、屋内プール(50メートル)1、運動場(競技場大5、小10、テニスコート5)、文化センター1のはか、図書館、病院や診療所などの公共施設がそろっているという。中央には大ショッピングセンター「メルキッシェ・センター」があり、各所に商店街や教会も見かけた。団地の周辺にも、学校やスポーツジム、アートセンター、劇場などがある。スキー場かと思ったのは、近くにあるはずの貯水湖で、氷がはって雪におおわれていた。
 円形ではないが直径およそ2キロの用地がいくつかの街区に分かれ、それぞれ中高層の住棟が連鎖、配列の形、建築様式と彩色を異にして、広大な緑のスペースのなかに建ち並んでいる。緑地の比率はベルリン最大だという。訪ねたとき木々は雪をかぶり、群楢、芝生は一面の雪だった。団地ができた後、、まわりに低層住宅地区が広がり入り組んで団地の境界は溶けていったようだ。中高層と低層の組み合わせでオープンスペースはいっそうその広がりを見せている。
 運転手に家賃をたずねたら暖房費をふくめて4~5万円、高くはないという。生活の便も悪くはなさそうだった。それでも人気はいまいち、高層階に空き家が多いらしい。
 太団地の建設自体が社会的な産物だし、団地の人口流出や空き家の増大も、けっして個々人にとっての団地の魅力や人気、生活の便不便のせいだけではなく、基本的には社会や産業の構造的な原因によるものだろう。しかし、そうした社会の構造変化や建物の劣化等の問題を問うまえに、あきれるほど巨大な団地をみて、人間の居住空間には一定の適正な規模があるのではないか、規模が大きすぎるそのこと自体がもたらすマイナス、問題があるように思えた。
 20世紀の30年代までに建てられた、当時は大団地といわれた100戸単位、1,000戸台の団地を見てきて、これくらいの戸数の中低層住宅がやはり「ヒューマンスケール」なのではないかと、あらためて強く思った。それは、わたしが田舎育ちで、いま2,000戸余が3街区に分かれた団地に住み、それとの親和感のせいばかりではあるまい。住民相互の絆が大切な居住空間を育み持続させるうえで、「大きいことは良いことだ」とはけっして言えまい。
 とはいえ、団地を目前にしてわたしが最初に感じたのは、規模の巨太さにギョッとしたが、団地の明るさと眺めの美しさ、オープンスペースの広さ、伸びやかさであり、率直にいって、すばらしいとさえ思った。
 戦後建設されたドイツの大団地に、建物や設備の老朽化、不備とともに、人口減少、コミュニティの崩壊、治安の悪化等がすすんでいる事実はあったのだろう。わが国の研究者たちのレポートも、きまってそのことを前書きしたうえで「団地再生」計画について述べている。「再生」がいわれている団地だから「荒廃」のさまを思い浮うかべていただけに、その美しさはわたしの想像を超えていた。

 住民参加の「都市改造」プログラム
 わたしたちがまず知らなければならないのは、連邦・州政府が主導し、都市改造プログラムのもとに「団地再生」計画を実施し、各団地の居住環境を改善、向上させてきたこれまでの経過である0メルキッシェス・フイアテルについては、1983年版のガイドブックに「当初インフラ(道路や交通機関など)は不備というはかなく、店もレストランもパブもあまりにも少なく、学校も幼稚園も遊園地も不足していた」と書かれ、不人気で問題も多かったようである。
 その問題の一つに、生活インフラの不備にくわえ、経験したことのない超高層居住と住民の孤立がある.入居してすぐ新たな住環境のなかで近隣関係をきずくことの難しさがあった。地方から移住し、また下町再開発から追われ、これまで培ってきた社会的絆は断たれ、たがいに見知らぬ同士の入居者たちである。自殺者がでる。治安の悪化や過激派グループの活動が発覚する。空き家が出はじめる。マスコミが悪評を書き立て団地の人気はさらに下がる。
 こうしたなかで1984年に、居住者も参加して具体的な改善プログラムを作成し、2000年代にはいると社会住宅建設協会GeSoBauは財政支援をうけて改善事業に取り組み今日にいたっている.
悪い団地イメージの刷新は住戸エントランスの改修にはじまり、インフラ整備、商店誘致や学校建設が重点的にすすめられた。さらに2008年には住宅および地域の「近代化」がはじまったと紹介されている。
その主なテーマは、エネルギー効率向上と環境対応型への住宅改修、緑地と水系の再整備と広範にわたっている。50年以上前の団地を想像するに、緑のないコンクリートの砂漠しか思い描けない。いまは緑の海原である。
 団地が40週年をむかえたとき、平均居住年数は17年だったという。ここで育った子どもたちが、いまや家庭をもってここに住んでいる。いまでは環境も整って居住者に受け容れられ、多様な世代の借家人たちが良好な近隣関係をつくって生活している、とライニケンドルフ区役所がインターネットで紹介している。
 2017年にはじまった新たな「都市改造」プログラムは、このうえ何をめざすのか興味ぶかい。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂



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