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海の見る夢 №71 [雑木林の四季]

      海の見る夢
      ―人の望みの喜びよ~バッハー
                      澁澤京子

  希望とは何かがよくなるという確信ではない。実際の結果にはかかわりなく、何かが意味を持つという確信だ。  ヴァーツラフ・ハヴェル(故人・チェコの作家・大統領)  

若者に混じって「即時停戦」デモに参加していた時、私とほぼ同年代と思しき通行人の叔母様から、軽蔑のこめられた一瞥をチラッと投げつけられたことがあって、デモを「迷惑」と思っている日本人は多いんだろうなと思った。特に今のパレスチナ停戦デモは海の向こうの、遠い中東で起こること。私たち日本人には関係ない、デモは無意味な行為と思うのかもしれない。グローバル企業が力を増せば増すほど、無関心と排外主義が広がってゆく今の時代、

いったい、いつまで私たちはイスラエル軍の野蛮な行為を見ていないといけないのだろう?南アフリカの訴えが通ったのにもかかわらず、今のイスラエル軍の行っていることは狂気としか思えない。パレスチナ支援物資のトラックを阻止するために集まった多くのイスラエル市民・・目隠しされたパレスチナ人の子供たちを建物の中に連れて行き、建物ごと爆破させるイスラエル兵・・飲み水さえも十分に確保されないパレスチナでは、すでに数人の子供が餓死しているという。こんな残酷が許されてもいいのだろうか。こうした狂気は、今、ミャンマーで、ウクライナで、さまざまな国でも起こっていて、解決の出口を見失い、(何のために)戦っているのかわからなくなればなるほど、人はますます残酷になるのかもしれない。

そして、今はパソコンを開けてX(ツイッター)を見れば、目の前で虐殺が展開されているのである。情報の少ない第二次大戦のように普通の市民は「知らなかった」で済まされる時代じゃないだろう。目的や意味を喪失しているのは決して今のイスラエル兵だけではなく、先の見えない不安と閉塞的な状況にいるのは日本も同じではないだろうか?パレスチナ人虐殺と並行して、群馬県の朝鮮人慰霊碑が撤去されたが、都合の悪い歴史を無視するのはイスラエルと同じで、そうした歴史の書き換えがまずいのは、必ずスケープゴートにされた国に対する差別が起こるからだ。第二次大戦で、日本は加害国であり被害国でもあったわけだが、ねじれた被害者意識が、自分より弱者に対する差別感情になって、人を踏みにじるような暴力に発展してゆくのだと思う。

たとえば今、パレスチナに対して非道な行為を行っているのは、実際のホロコースト経験者ではない。むしろ、実際のホロコースト経験者(高齢者)や、その話を聞いた子供たちには、今のイスラエル政府に対する批判者が多くみられる。靖国を賛美する人に、実際の戦争体験者がほとんどいない日本の状況と同じだろう。(中東和平協議に尽力したジミー・カーターの『パレスチナを語る』を読むと、長いアパルトヘイト政策の末に、計画的な今のパレスチナ人虐殺があるということがよくわかる。)

今年のアメリカの大統領選。いったいどういう人がトランプを支持しているんだろう?という疑問を持って実際アメリカに行った朝日新聞の記者、金成隆一さんの書いたルポ『トランプ王国』のシリーズがとても面白いので全部読んでしまった。これを読んで、トランプ支持者のすべてがQアノンであるとか、人種差別者、陰謀論者というのは、私の偏見だったと言う事に気が付いた。(もちろん、一部にそういう人達はいる)つまり、トランプ支持者の中には、トランプという差別主義者は嫌いだが、他に選択肢がないので投票する人々が少なくないのである。金成さんはトランプ支持者の多い、ラストベルト地帯(錆びた工場地帯)に住んでインタビューを続ける。ちょうど日本の高度成長期にあたる時期には自動車産業や製鉄業で栄えた町が、自動車産業や製鉄業の衰退とともに、失業率が高く、日本円に換算して自給900円くらいで働いて生活している人が多いのである、この記事が書かれたのは2016年、私がクリーニング屋のパートで働いていた時期で、なんとラストベルト地帯の時給は、日本のパートの時給(最低ラインの)とほぼ同じだったのだ。

昔は、工場で普通に働いていれば休暇ごとに旅行に行けるほど豊かだったのに、今では生活するのがやっとの苦しい状況。本来は労働者の味方であった民主党から共和党に人々が流れたのは、一つはベトナム戦争をきっかけに民主党が労働組合から離れていったこと、さらに左派である民主党議員にアイビーリーグ出身者が多く、知的エリート化して庶民からかけ離れてしまったことが、労働者階級の民主党離れの大きな原因だという。オバマのような、知的エリートより、大音響でかけられた「YMCA]の曲で踊るトランプのほうが、親しみやすい存在なのだろう。

気候変動やLBGTなどより、労働者である彼らにとって切実な問題は良い仕事に就くことと賃金アップであり、希望になるのはトランプの掲げる「強いアメリカ」なのであって、オバマのような(能力主義のエリート)による「アメリカンドリーム」の実現は、手の届かない夢でしかない。アマゾンの倉庫で働く季節労働者の映画『ノマドランド』の、主人公の女性の住んでいた町も、企業が撤退したゴーストタウンだった。主人公は定年退職した年齢であるのにもかかわらず、キャンピングカーを住居にして働くのである。アマゾンの倉庫でのAIに管理された労働がどんなに非人間的で過酷なものであるのかは、『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』J・ブラッドワース著に詳しい。

ラストベルト地帯の生活の様子は、実際にそこで生まれ育ち、奨学金を取ってイェール大学に進んだ『ヒルビリー・エレジー』J・D・ヴァンス著に詳しいが、失業率の高さと貧困、将来に対する絶望から薬物、アルコール中毒者が多く、この自伝を書いたヴァンスの母親も長いこと刑務所に入っていた。同級生のほとんどが、両親のどちらかが薬物中毒か、あるいは両方とも薬物中毒かアル中で、そうした地域では放置されて育った子供が多い。いくらオバマが「妻、ミシェルは労働者階級ですが、努力してハーヴァードに入りました」と言っても、努力しても成功するのはほんの一握りの選ばれた人間だけ、ということを人々は知っているし、そうしたアメリカンドリームはむしろ人々に余計に劣等感と無力感を抱かせるだけ・・そして、新しいグローバル企業の浸透に伴い、職を失い、自信も希望も失って、薬物中毒か、アルコールにはまってゆく。一握りのエリートと、成功から取り残された多くの人々。アメリカの格差と分断は深刻である。

アメリカほどすさまじい学歴社会でも格差社会でもない日本では、アメリカでの能力主義による極端な格差はそのままあてはまらないかもしれない、ただし、ネット右翼のヘイトスピーチや排外主義、陰謀論、歴史修正主義、自分に都合の悪い情報は何でも「フェイク」と決めつける人々・・今の与党にいる失言の多い政治家にはトランプとの共通性がたくさんあるし、AIによる管理社会が進むにつれ、日本でもこれからますます格差は広まり、生きる意味や目的を喪失した閉塞感の漂う社会になるんじゃないだろうか。閉塞感の大きな原因に、時代の変化についていけずに取り残される人々、また、他人の動向や思惑を気にする、他人志向型の人間が増えたこともある、皆が良いと思えば良いと思い、皆がバッシングすればバッシングし、皆が見て見ぬ振りすれば、どんな理不尽なことでも容認してしまう窒息しそうな社会。先が見えない不安な時代には、ますますそうなってゆくだろう。

他人から解放されるというのは、実は自我から解放されるのと同じことで、解放されて自由にならない限り、人は本当の生きる意味を見つけることはできないのではないだろうか。

‥変わりたいという真摯な気持ちがありながらも、実際は変わることの難しさに直面して、気持ちをくじかれた人を、これまで数えきれないほど見てきた。しかし、私がその瞬間、その男の子に接した瞬間に感じたものは自分が変わるという経験にかなり近いものだった・・
                     『ヒルビリー・エレジー』J・D・ヴァンス

ラストベルト地帯で育ったヴァンスは重い閉塞感を抱いたまま軍隊に入り、イラクに派遣される。ある日、人見知りするイラク人の子供に消しゴムをプレゼントすると、その子供が大喜びし、その様子を見ているうちに、まるで神の啓示が降りたかのようにヴァンスに変化が訪れる。彼の閉塞感に風穴を開けたのは、軍隊での経験もあるが、何より決定的だったのは消しゴムで喜ぶ一人のイラク人の子供だったのだ。そして、帰国してから、夢中になって勉強をして奨学金を取ることになる。一人のイラク人の子供との出会いによって、彼は、はじめて自分に与えられた今までの人生に感謝し、生きる意味と自分の方向性を見出すことができた。おそらく、ヴァンスの体験は、言葉では簡単に説明できないような、宗教的な深い体験だったのに違いない。重要なのはヴァンスがアイビーリーグに進学して成功したことではなく、彼の心境に変化が訪れたこと。人が、生きる意味を見つけて変化するのは、そのくらいすごいことなのだ。

伊藤忠商事は、イスラエルの軍事企業との提携を打ち切った。このニュースは、多くの「停戦デモ」参加者に希望を与えてくれる。ヴァンスが、イラク人の子供との出会いで突然変わったように、生きていると予想もしなかった体験をするし、喜ばしいことも時々起こる。殺伐としたこのニヒリズムの世界では、自分は無力であるとあきらめずに行動してみる事、苦労を厭わない事が最も大切じゃないだろうか。そして、継続すること。虚栄も名誉も人を不幸にしかできないが、結果がどうあろうと、人生に意味を見つけた人はそれだけでも十分に幸福な人なのだと思う。


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